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2014年2月 8日 (土)

NHKに期待したいこと

東京にも雪の降る日が続く中、季節は春闘本番を迎えています。労働組合の役員が運営しているブログであり、そろそろ賃金や労働法制見直しの問題などを取り上げようと考えていました。と言いながら今回も雑談放談の類いとなることをご容赦ください。もともと毎回長文のブログですが、前回記事「平和フォーラム批判から思うこと」は普段以上に長い内容となっていました。実は長くなったついで(苦笑)に下記の報道に対しての感想も添えるつもりでした。

NHK新会長の籾井(もみい)勝人(かつと)氏は25日の就任会見で、従軍慰安婦について「戦争をしているどこの国にもあった」と述べた上で、日本に補償を求める韓国を疑問視した。従軍慰安婦問題を取り上げた過去のNHK番組に関連し、この問題に関する見解を問われ答えた。尖閣諸島・竹島など領土問題については、国際放送で「明確に日本の立場を主張するのは当然。政府が右ということを左というわけにはいかない」と話した。

放送法はNHKを含めた放送事業者に「政治的公平性」を義務づけている。NHKの会長がこのような発言をするのは極めて異例。籾井氏は従軍慰安婦問題について「今のモラルでは悪いんですよ」としつつ、「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げた。「なぜオランダにまだ飾り窓があるんですか」とも述べた。飾り窓はオランダなどにある売春街を指す。

さらに「会長の職はさておき」とした上で、韓国についても「日本だけが強制連行したみたいなことを言っているから話がややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っている。しかしすべて日韓条約で解決している。なぜ蒸し返されるんですか。おかしいでしょう」と述べた。その後、記者から会長会見の場であることを指摘されると、発言を「全部取り消します」と話した。籾井氏は三井物産副社長などを経て、資本関係のある日本ユニシスで社長を務めた。昨年12月の会見では自らについて「語彙(ごい)が不足している」と話していた。【朝日新聞社2014年1月25日

いくら何でも長くなりすぎると思い、前回記事からは切り分けていました。それでも非常に気になった発言でしたので、改めて今回、このブログでも取り上げることにしました。最初にお断わりしなければなりませんが、籾井会長の従軍慰安婦などに関する発言に対しては賛否が分かれています。また、このブログはいろいろな「答え」を認め合った場として幅広い視点や立場からの多様な意見が交わせることを願っています。そのため、今回の記事を通し、籾井会長個人の考え方の是非を直接問うような意図はありません。

もちろん私なりの見方や「答え」があり、機会があれば今後、当ブログの場で個々の論点に対して意見交換していくこともあろうかと思います。ちなみに私自身の問題意識を託した記事としては「従軍慰安婦問題」「従軍慰安婦問題 Part2」「橋下市長の発言の波紋」などがあります。あくまでも今回は記事タイトルのとおりNHKに期待したいこと、籾井会長をはじめ、経営委員の皆さんに心がけて欲しい大事な役割や責任について私なりの問題意識を書き進めていくつもりです。

そもそも「政治的公平性」について、公的な立場と個人的な立場の線引きが認められない場合、このブログそのものを即時に閉鎖しなければなりません。これまで地方公務員の立場を明らかにしながら、政治的な話についても職員組合の役員の立場から数多く発信してきています。その線引きをご理解いただけず、ブログの場では批判された時も多々ありましたが、公務の中で「政治的中立性」を損ねるような振る舞い方は皆無だと断言できます。

そのような意味ではNHK会長という立場での記者会見にもかかわらず、籾井会長の発言は本音を示しすぎたという点での脇が甘く、露わになった資質も含め、問題視されても仕方がありません。特に「政府が右ということを左というわけにはいかない」という認識に驚いた方も少なくないようです。NHKは国営放送ではなく、視聴者である国民の受信料で成り立っている公共放送です。だからこそ「政治的公平性」や「不偏不党」の立場が求められています。

よくNHKの番組内容は「」に偏っていると言われがちです。そのような見方は安倍首相をはじめ、昨年11月、新たに経営委員に選ばれた方々も抱かれているようです。一方で、NHKは政府与党に気兼ねして権力批判に直結するような報道が少ないという声もよく耳にしています。矛盾するような言い方となりますが、それぞれ正しい見方なのではないでしょうか。仮に視点や立場の定まっていない論評だった場合、無味乾燥すぎて面白みが欠けてしまうはずです。

特集番組であれば、やはり立ち位置を明確にして制作していかなければなりません。賛否両論があることを添えたとしても、最後には制作者の意図が明らかになるはずです。その意図に反発される方が番組を見れば「けしからん、NHKは偏っている」という構図になります。要するに今まで「左」を立ち位置にした番組もあった、それ以上でもそれ以下でもないものと思っています。私自身の見方としては、NHKがどちらかに偏っているような認識を持っていません。

逆に「中立性」を意識しすぎている結果として、政権与党に対する批判のトーンは民放に比べて抑え気味であるように感じています。このような点は民主党政権の時も同様だったものと考えています。それにもかかわらず、立ち位置を明らかにして制作する番組が一切「けしからん」と制止されてしまうようでは大きな問題です。それも政府の意に反する番組は作れないという事態に至るようであれば、国策遂行の役割を担った事実上の国営放送局だった戦前と同じだと言わざるを得ません。

例えば、特定秘密保護法に反対する勢力は「国益を考えていない」という批判が示される場合もあります。しかし、時の政権の方針がすべて正しいとは限りません。万が一、誤った方針だった場合、そのブレーキ役となる勢力が「国益」に寄与していたことになります。そもそも物事を正面から見れば「A」、背後から見れば「B」という判断を下すような場面が多々あります。政権の方針が本当に正しいのかどうか的確に判断するためには、普段から多面的な情報に接していくことが重要です。

そのためにも公共放送であるNHKは幅広い視点や立場からの番組作りに努め、よりいっそう多面的な情報を提供していくメディアの中心であり続けることを期待しています。当然、籾井会長をはじめ、経営委員の一人ひとりの個人的な信条や表現の自由は守られなければなりません。一方で、NHKという組織として「政治的公平性」や「不偏不党」の立場を貫くため、経営委員には「政党役員や同一政党に所属する者が5人いてはならない」と定められている点なども留意していく必要があります。

つまりNHK経営委員会のメンバーは本来、幅広い層や立場から選ばれた多士済済な顔ぶれとなることが求められているはずです。それにもかかわらず、安倍首相に近い人物が多いという批判を受けている現状であり、ぜひ、経営委員会そのものが「安倍カラー」一色とならないように願っているところです。最後に、このブログも多面的な情報を提供する一つの場として続けています。その一環として、今回、NHKの問題を取り上げましたが、経営委員に絡んだ次のような報道も参考までに紹介させていただきます。

1993年に抗議先の朝日新聞社で拳銃自殺した右翼団体元幹部について、NHK経営委員の長谷川三千子埼玉大学名誉教授(67)が昨年10月、この自殺を礼賛する追悼文を発表していたことが分かった。メディアへの暴力による圧力には全く触れず、刑事事件の当事者を擁護したと読める内容で、NHK経営委員の資質を問う声が出ている。

自殺した元幹部は新右翼「大悲会」の野村秋介・元会長(当時58歳)。警視庁公安部などが銃刀法違反容疑で同氏の自宅などを家宅捜索した。長谷川氏は元幹部の没後20年を機に発行された追悼文集に「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村 秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛。野村氏の行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と憲法が定める象徴天皇制を否定するような記載をしていた。また、朝日新聞について「彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない」と不信感をつづっている。

追悼文は昨年10月18日に東京都内の会合で参列者に配布された。政府は同25日、衆参両院に長谷川氏ら4人をNHK経営委員会委員とする同意人事案を提示、11月8日に正式同意されている。長谷川氏は毎日新聞の取材に「非常勤のNHK経営委員には自らの思想信条を表現する自由が認められている。自らの仕事として精神思想史の研究を行ったり、民族主義者の追悼文を書いたりすることは、経営委員としての資格とはまったく無関係のこと。経営委員には番組作りに関与する権限はなく、追悼文を書いたからといって意図的な特集番組を放送することはありえない。経営委員は常にルールに従って行動している」としている。NHK経営委員の政治的な発言を禁じる規則はない。しかし放送法31条は、同委員の資格として「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者」と定めており、議論になりそうだ。

◇資質疑う声も  経営委員会は事業計画や毎年の予算の議決、会長の任命・罷免などを行うNHKの最高意思決定機関。委員12人(任期3年)は衆参両院の同意を得て首相が任命する。委員には政党役員や同一政党に所属する者が5人以上いてはならない。長谷川氏は昨年11月、作家の百田尚樹氏らとともに選ばれ「安倍カラー人事」と言われた。百田氏は3日、東京都知事選で田母神俊雄候補(無所属)の応援演説に立ち、南京大虐殺はなかったなどと歴史認識に関する持論を展開、波紋を広げた。

放送法では個別番組の編集などに関与することはできないとされている。ただし経営委員会事務局によると、個人の思想・信条に基づいた行動は妨げられないとしている。服部孝章・立教大教授(メディア法)は「長谷川氏は言論機関に拳銃を持ち込み、発射したというテロ行為とみなされる刑事事件を何ら批判せず、むしろ礼賛 している。このような人物をNHK経営委員に任命した責任を政府は問われなければならないし、国会は同意した責任を問われなければならない」と指摘した。作家の柳田邦男さんは「品格と見識を疑われるような言説だ。経営委員は、不偏不党が求められるNHKのあり方を左右する立場だ。その職に、こうした人物が選ばれることに時代の危機を感じる」と語った。【毎日新聞2014年2月5日

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コメント

取り急ぎ一文のみ。


籾井会長は就任会見の場では、従軍慰安婦の問題について当初は回答を控えると
発言していたが、質問を執拗に繰り返して「個人的な思い」との前置きをさせて
答えを強引に引き出したのが左派メディアではないか。
しかも報道するときには前置きである「個人的な思い」との言葉を意図的にはずして
恣意的な報道をしてみせている。

先週の記事からの延長になるが、これも意に沿わない相手を貶める為に、
意図的に揶揄した批判の一例になるだろう。
このトピックを記事冒頭に持ってくる管理人も同罪である。


政治的公平性とは、常に左よりの報道をすることではない。

投稿: シグ忘れ | 2014年2月 9日 (日) 09時26分

一つだけ続き


籾井会長は会見の場で「個人的な思い」として従軍慰安婦の発言をした後に
左派メディアから「この場の発言は公的なものとなる」と指摘されたとき、
「会長職としての発言と捕らえられるならば取り消す」と明確に言っている。
それを、今さら取り消すことは出来ないとしたのも左派メディアだ。

ここまでは、まあいい。

しかし、冒頭でこのトピックを持ってきた管理人が、
「公的な立場と個人的な立場の線引きが認められない場合、このブログそのものを
即時に閉鎖しなければなりません。」
と言っていることは許しがたい。言葉通り今すぐに閉鎖すべきだ。

管理人が冒頭に持ってきたロジックを使って見せれば、管理人の言う
「公務の中で「政治的中立性」を損ねるような振る舞い方は皆無だと断言できます。」
を判定するのは、聞く側であり読む側となる。

すなわち批判がある以上、公私共に管理人の政治的中立は崩れている。
それを気付かずに、意に沿うものに迎合し、意に沿わないものは恣意的に批判している。


公務員の「政治的中立性」を判断するのは、サービスを受ける立場の者だ。
管理人の左よりの言動は、決して中立とは言わない。

投稿: シグ忘れ | 2014年2月 9日 (日) 09時39分

シグ忘れさん、さっそくコメントありがとうございます。

今回の記事本文で私自身が発信している主張は、公的な立場と個人的な立場の線引きは認められて然るべきというものですが…。その上でNHKのあり方や期待している点について綴っています。これまでも同様でしたが、シグ忘れさんの批判内容が記事本文で発信している私自身の問題意識とかみ合っていない面を多々感じています。

「批判がある以上、公私共に管理人の政治的中立は崩れている」という指摘も、物凄く勝手な言い分だと受けとめざるを得ません。私自身の読解力の問題か、私自身に謙虚さが足りないのかどうか分かりませんが、いつも「批判ありき」という印象を抱きがちです。

火に油を注ぐようなレスになりつつありますが、今回の記事に対し、いろいろな指摘や批判意見が示されることも覚悟しています。しかし、できれば私自身が書き込んでいる問題提起に対し、基本的な論点がかみ合ったご意見をお寄せいただけることを強く願っています。

投稿: OTSU | 2014年2月 9日 (日) 10時23分

管理人は「公的な立場と個人的な立場の線引きは認められて然るべき」と言っているが
記事本文で「もちろん私なりの見方や「答え」があり」と前置きしているものの
「籾井会長をはじめ、経営委員の皆さんに心がけて欲しい大事な役割や責任について
私なりの問題意識を書き進めていくつもりです。」と書いている。
よって、この記事の結論として公的私的の立場を問わず対象の者を問題だと批判している。

付け加えると、「露わになった資質も含め、問題視されても仕方がありません」と
管理人も自ら問題だと言っている。
つまり管理人は綺麗に見える言葉で誤魔化しているが、この記事は完全な批判だ。
しかも管理人は公的私的を別けずに批判しており、先のレスのロジックは卑怯極まるものだ。


さらに記事末の引用では、経営委員としての会見で発表でもない、
委員を離れた立場の追悼文の記事を持ち出している。
言葉では取り繕えても、これも本質は自分の意に沿わない委員に対する批判だ。

「経営委員会そのものが「安倍カラー」一色とならないように願っているところです。」
などと言っているが、
結局のところ管理人の望むところは、
自分の意に沿う委員以外は、どんなロジックを使ってでも排除することであり、
逆に管理人の意に沿う委員が揃ったならば、管理人は何も言わなくなるだろう。


つまり、このように推察されている時点で「問題視されても仕方ありません」というのは
管理人も自らが認めているところではないか。なにも「批判ありき」ということではない。


管理人は、今回の記事で「公的私的を別けずに批判される」をことを自ら認めた。

何より、管理人が公務員であることを明らかにしてブログをしており、
今回の記事で管理人が用いたロジックを使うのならば、
ここは管理人が属する団体が公的な発言をする場と捕らえることが出来ることになり、
その団体では、政治的公平性を失った業務をしていると自ら認めていることになる。

今回の記事とレスで、管理人が用いたロジックとは、つまりそういうことだ。

投稿: シグ忘れ | 2014年2月 9日 (日) 11時17分

恐らく理解されないだろうから、判りやすく書いておく。

文章には流れがあって、
管理人が言う「公私の線引きは認められる」がテーマであるならば、
必然的に以下の様な流れになる。

起 NHK会長の記事の引用
承 会長の発言は、個人的なのもと前置きして発言である旨を解説
転 批判報道は公私の線引きを外れたものであるとの思いと理由
結 本ブログも公務員が書いているが私的なものであり配慮を求めるとの結論


しかし管理人は以下の流れで書いている。

起 NHK会長の記事の引用
承 会長の発言は前置きはどうであれ、会長としての発言との解説
転 批判報道どおり資質に問題のある人選であるとの思いと理由
結 経営委員会そのものが「安倍カラー」一色とならないように願っているとの結論

つまりこの記事のテーマは、保守的な経営委員が増えることへの批判だ。
少なくとも「公私の線引きは認められる」とのテーマは一遍も織り込まれていない。


従って、管理人のレスで「公私の線引きは認められる」と主張しているとの言葉は
まったくの出鱈目であり、許されざる詭弁である。

管理人は会長発言はその立場での会見であり、上の表記は的外れと言うだろう。
だが最後に長谷川委員の記事を引用した時点で、その主張の根拠は崩れており
管理人こそ「本音を示しすぎたという点での脇が甘く、露わになった資質も含め、
問題視されても仕方がありません」という事だろう。

投稿: シグ忘れ | 2014年2月 9日 (日) 12時44分

今日は都知事選ですね。選管もたいへんだわね。人いっぱい必要だしね。

さて、シグ忘れさんが指摘している、「公私の線引き」における、公務員の「私」の部分について、いささか曖昧であるような印象をOTSUさんは読み手に与えたようですね。
私も公言しているように中央省庁の国家公務員でしたから、ここのスタンス…「立ち位置」は、非常に難しいんです。
どこからがオオヤケでどこからがワタクシなのか?
線引きははっきりいってできません。体験から言えばです。

公務遂行時には確かにワタクシを殺して、オオヤケの顔をするわけですが、公務遂行時ではない公務外の時間でもオオヤケであることを求められる。実際。これが公務員の姿です。

それでなければ、私用でクルマを運転していても酒のんじゃいけない!公務員のクセに!とは言われないでしょう?法令をきちんと守る(遵守する)ことは公務員の資質のベースとしてアタリマエと思われています。

公務遂行時には、ワタクシを心の下地にしてオオヤケを行う。
公務外では、オオヤケを心の下地にしてワタクシを行う。
たぶん、こう書いた方がわかりやすいのではないかと思います。

では、労組活動はどうか?
労組は公務遂行時における労働問題に対する構成員のワタクシの部分を集約すると解釈すれば、労組活動はワタクシの部分です。
ワタクシの活動であり公務外ですから、スタンスとしては、オオヤケをベースにワタクシを行うことになります。
とうぜん、このブログも公務外であるので、そういった同じような立場になります。

ま、どっちみち、公務員には本当の自由なんていうものはないのです。ま、天下のNHKも公器であるがゆえにでしょうかね。そんなに騒ぐようなことほどの問題ではないでしょう。たかがNHK程度に。今話題沸騰中のサムラナントカさんの話を聞いても「NHKだからね」ということでしょう。本当の自由をNHKが選ぶなら、NHK法の改正が必要でしょうね。公務員然りです。

OTSUさんが「ブログの閉鎖」まで言及するのは、私はいかがなものかなぁと思いますけどね。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月 9日 (日) 16時50分

あ、そうそう。公務外だからといって、なんでもアリなのかっていったらそうじゃないのは分かりますよね?余計な一言やインタビューそのほかもろもろ。
だから、公務員やそれに準ずるひとの言葉は「重い」わけですが。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月 9日 (日) 17時06分

シグ忘れさん、でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

でりしゃすぱんださんのご指摘のとおり24時間365日、公務員という職責があるものと自覚しています。そのことを大前提としながらも、私的な時間にネット上で自由に発言できることも保障されているものと考えています。したがって、そのような事情からブログを閉鎖することはあり得ないという認識です。少し誤解を招く表現だったようで失礼致しました。

シグ忘れさんさんから改めて説明を受けましたが、公私どちらの場にかかわらず、結果的に露わになった籾井会長の考え方などを問題視した記事内容ですが…。そもそも私自身の立ち位置を明確にし、無味乾燥な記事を投稿しているつもりもありません。「公私の線引き」を主なテーマとした内容ではなく、NHK経営委員の構成が偏り始めていることの問題提起です。シグ忘れさんさんが解説した二つ目の流れのとおりであり、このような点について別に誤魔化していません。そのため、この問題提起に沿った批判意見を前回のレスの最後でも要望させていただいていました。

投稿: OTSU | 2014年2月 9日 (日) 21時52分

管理人の迷走するレスを要約すると、

一つ目の論点として
>管理人は、今回の記事で「公的私的を別けずに批判される」をことを自ら認めた。
これを肯定し、

二つ目の論点として
>ここは管理人が属する団体が公的な発言をする場と捕らえることが出来ることになり、
>その団体では、政治的公平性を失った業務をしていると自ら認めていることになる。
これも肯定しているということでFAということになる。

恐らく否定されると思うが、であるならば管理人自らが
>基本的な論点がかみ合ったご意見を・・・・
などと言いつつ、自ら論点ずらしをしていることを認めることにもなる。


最後に付け加えると、
>NHK経営委員の構成が偏り始めていることの問題提起
などと言っているが、それを言うならば
民主党政権時代に委員構成が逆方向に偏っていた時期があったが
管理人は、それらについて何かしら問題提起をしたのかどうかが論点となる。


こちらは先週から引き続き管理人のダブルスタンダードを問うている。
管理人こそ問題提起に沿ったレスをするべきではないのか。

投稿: シグ忘れ | 2014年2月 9日 (日) 22時40分

恐らく管理人は理解できないだろうから、
読み手に対して出来るだけ判りやすく書いておく。

一つ目に、管理人は今回の記事が委員の偏りに対する批判と認めた。
二つ目に、記事の最後に別の立場で寄稿した長谷川委員の追悼文を引用した。

この二つから、
>管理人は、今回の記事で「公的私的を別けずに批判される」をことを自ら認めた。
ということになる。

三つ目に、管理人は2人の引用から委員構成が偏っていると批判していることを認めた
四つ目に、管理人は委員について資質に問題があるとし、組織の方向性をも批判した。

この二つから、
>ここは管理人が属する団体が公的な発言をする場と捕らえることが出来ることになり、
>その団体では、政治的公平性を失った業務をしていると自ら認めていることになる。
ということになる。


何も難しいことではなく、管理人の記事を素直に読めばそう解釈できることだ。
ただ、批判とすべきところを問題提起としているのは保身ゆえということだろう。


つまり管理人や管理人が率いる団体は、特定の政治勢力を強く支持しており、
それが公務を離れた私的な発言だとしても、管理人及び団体に関わる者は
職員としての資質に問題があり、役所組織としての政治的中立性も疑われると
自ら言っているのと同じということになる。


最後に私が今日の初めから訴えていることは一つしかない。

管理人は意に沿わない相手には恣意的に批判し、場合によっては不愉快と表明するが
一方で自分を含めて、意に沿う相手の同様の行為は黙認を求めている。

先週に引き続いて、このダブルスタンダードな行為を指摘し説明を求めているだけだ。

だから最後に
>それを言うならば民主党政権時代に委員構成が逆方向に偏っていた時期があったが
>管理人は、それらについて何かしら問題提起をしたのかどうかが論点となる。
との問いかけをしている。

投稿: シグ忘れ | 2014年2月 9日 (日) 23時09分

管理人さんは、NHK会長に対する執拗な質問と、
「AかつBの場合はCだ」という発言で「Cだ」
の部分だけを報道する姿勢については、どうお考え
なんでしょうか。

会長の失言をむりやり引きずり出すことが「報道」
なんでしょうかねぇ。

首相に関して「戦争のできる国にしたい」という
管理人さんの言葉から(首相のそういう発煙は記憶
にないです」と記載しているあたりに、管理人さんへの
「中立を装っているけど実は偏向している」との不信感
はぬぐえないですねぇ。

投稿: ktomo | 2014年2月10日 (月) 07時53分

や、最後の段落は、

首相に関して「戦争のできる国にしたい」と
管理人さんが記載しているあたり(首相が直接
そういう発言をしたことはないと記憶しています)
に、管理人さんへの「中立を装っているけど実は
偏向している」との不信感はぬぐえないですねぇ。

でした。

twitter等をみていつも思いますが、「相手の発言
の真意をくみ取ろうとせず、常に悪意、もしくは自分
の都合の良いように解釈する」という手法では、
相互理解なんて夢のまた夢のような気がします。

管理人さんは、そういう手法を是としているんですか?


投稿: ktomo | 2014年2月10日 (月) 08時05分

個々人の公務員・みなし公務員等全員が、その「資質」…いうなれば「心のコア」の部分で、政治的中立性を担保できるのかということについては、私は非常に疑問だと思います。

なぜかといえば、中央省庁の職員では、半ば違法性を問われるような、現与党寄りな企画立案をしてみたりということはよくある話なんです。珍しくない。
選挙の前になっちゃうと、労組は中道~左派を推すけれども、上司から「お前んちのヨメさんにナントカ先生の事務所から電話あるから。どーでもいいからよろしくお願いしますと答えるように。」なんていう「指導」まであったりします。ヨメは公務員じゃなかったんでね。ま、もう時効です。

公務員個々人の政治的中立なんて、現実世界ではありえない。あたかも、それを装っているにすぎない。
公務遂行の上で政治的に偏っていないと「見せかける」ことはできます。でも、ひとの心は、法でしばろうとしてもできないし、立法機関は「政治」なんでね。執行機関だってその影響は受けます。

NHKの会長や経営委員が何言おうが構わないじゃないですか。いちおう、国会の承認を経ているわけだし。この前まで、政治的中立性を問われなかった人たちが、いきなり政治的中立を求められても、できることとできないことがあります。ましてNHKは政府からいちおう切り離されている団体なんでね。
国会の承認が「ザル」かもしれないというのは、それは投票行動で示せばいいんです。ま、非自民政権になれば、また、ヤクショは仕事をしないわけですがね。そこは堂々めぐりなわけで。

そういう世界が嫌なひとは、ちゃんと投票に行く。それと、パブコメが出たら書ける問題については書く。法定調査や世論調査には必ず協力する。法令は守ってみる。その上で、違うものは違うと言ってみてはいかが?

もっとも、そんなんじゃ変わらない!というひとは、いっそ「世の中のシステム」を考えたらどうでしょうかね。私は議会制民主主義の限界は感じますけどね。政治的中立性が曖昧にされる世の中じゃ、まったく違うものを探さなくちゃかもです。ま、極論ですが。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月10日 (月) 10時54分

それと、キホン報道機関だって営利企業ですからね。商材は「コンテンツ」なわけで。
ま、NHKは違いますけど、最近は「営利的な経営センス」も求められてきているからね。そりゃ、世論迎合的にもなります。何でもアリなわけではないけど。
モラルは求められても、売れればこっちのもん!売れなきゃソン!と考えている報道関係のひとは多いと思いますよ。
ま、最近は公務員も「営利企業的なセンス」を求められているわけで。どうなんでしょうかね。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月10日 (月) 11時04分

最近私も民主主義の限界を感じますね。選挙の為の政治ですから
といって、それにかわる制度も答えられません。

都知事選挙は、予定どおりの結果ですが、負けた細川陣営の
発言が見苦しい。そろそろリベラル陣営はちゃんと敗因を分析する
必要がある。
・反対の為の反対はやめる
・不安だけを煽って解決策を提示しない
・都合の悪い議論はスルーか国民的議論と逃げる

最後の部分は与党もそうですがね。管直人のように「原子力ムラ」が・・・。
と言ってるようでは誰も見向きしない。

それと、名護市長選のように勝った時は、市民の答えがでたと叫び
参議院議員選挙で負けた時は投票率がどうの、国民とは意見がねじれてるとか
多数の横暴を許すなとか、まあダブスタ発言はいただけませんね

どちらにしても選挙の為の政治ですね。

投稿: nagi | 2014年2月10日 (月) 11時41分

nagiさん

まぁ、有罪判決を受けて失職したり、それに近い形で辞任したセンセイ方が、出直し選で圧倒的な得票を集めて当選する国ですから。
本当の意味での「民意」なんて、どこにも無いのかもしれませんね。

あるのは目の前の利益のみ。
その象徴が、国民一人800万円の借金という形で現れているのではないでしょうか。

原発問題、今回の都知事選の結果によって、再稼働に向けて進む流れになるでしょう。
それも民意だから仕方ない。

ただ、個人的に残念だったのは、原発が必要と言う人の焦点が少し違う気がしたこと。
将来的なエネルギー政策(資源小国なども含め)や、安全性に関する絶対的なレベルまでの確立。
こういった本当に必要な議論って、実はあまり聞かなかった気がします。

よく聞く話は「燃料費で国富が流出する」とか、「地域の経済が疲弊する」といった話ばかり。
「えっ、この話って、まず安全についてとことん話すことであり、お金がどうこうは二の次で考えることなんじゃないの?」と、非常に違和感を感じた次第です。
特に、読んで売る新聞はこの点について、社説で何回も経済的な話を強調してましたね。
要は、目の前の「生活」が票に結びついたという、よい証拠になったと思いますが。

こうなってしまった以上は、もはや神頼みしかないです。
どうか、どんな天変地異や人為的な障害が発生しようとも、再稼働した原発に二度と重大な事故が起きませんように。。。


慰安婦の件ですが、色々な物を見れば見るほど困惑してしまいますね。
逆に利用されるだけかもしれませんが・・・・・・

どんな理由であれ、何であれ、例え強制でなかったとして、慰安行為が全く無かったとは考えられません。
小さな部隊が村の娘を襲うこともあったでしょうし、広い意味で見れば被害にあった人は存在したと考えていいと思います。

そういった意味で、あの戦争によって被害を受けた人がいたこと、それはあの戦争を引き起こした日本が悪かったと謝罪する。
その上で、ちゃんと調査を行い、判明した「事実」に対して、必要ならば謝罪を行えばいいのではないでしょうか。

「事実が無かった」と主張しても平行線のままでしょうし、ならば「事実をしっかり調査、確認して、その上で真実に基づいて対応する」と主張するだけでも、他の国からの支持は今より上がると思いますが。

投稿: 下っ端 | 2014年2月10日 (月) 18時41分

慰安婦問題については、「制度としてあった」のか、それとも「慣習的なものとしてあった」のか、よく分からないところではあります。
どっちもかなり黒に近いグレーな戦争犯罪なわけですが。その時の戦争犯罪の資料がよく分からないので、「あった!」と言うひともいれば、「なかった!」というひともいる。
単純に戦争時における性犯罪としてはあったんでしょうね。それと、私娼もね。あったんでしょう。

南京事件についても、構造は違うけれども、似たようなところがあります。
いずれにせよ、私くらいの戦争を知らない世代では現実味がないのと、確かめるすべは史学の領域に入ってきてますよね。資料調査と戦争加害者・被害者の意見を集約することしかない。加害者側の企画立案していたひとは、もう、生きている方はいたとしてもわずかでしょう。

しかしながら、とくに韓国が日本叩きに走るのは、今に始まったわけではないのです。そんなヒマあったら、自国の軍事力をきちんとしたものにしたほうがいい。日本は防衛力という名のチカラを高めている。

ま、この期に及んで、日本が大胆な金融緩和策をやって、朝鮮半島情勢が悪化するとなると、不気味なのは中国の不振と、北朝鮮の沈黙。
この状態であれば、いつ朝鮮半島が暴発してもおかしくないでしょうね。
朝鮮半島が暴発する・しないにかかわらず、日本はこのチャンスで一攫千金なわけだ。靖国に総理が行って、中韓を痛く刺激しても、別に痛くも痒くもない。米国もいちおう反論してみる。パワーバランスはいいようにできていますな。
すべて、織り込み済みの茶番です。朝鮮半島が暴発すれば、日本は景気的に潤うんでね。ま、その手の商人は今、一生懸命に基盤づくりをやってる。準備は整いつつありますよ。

国民の借金は、今の円の価値でってことなので、将来、インフレーションが進むことがあれば、チャラにもなりますからね。そのへんは財務省・BOJあたりは、当然考えていると思います。
債務の担保になる資産は日本ではけっこうありますからね。借財しても担保があれば、まだ、国は沈没しない。そのあたりはあまり積極的には報道されていないんですよ。

民意は時間の経過で揺れ動いてしまう。しかし、超長期的な戦略的政策プランはそうはいかない。選挙が目先の利益だけでとらえられてもしかたがないけれども、政治家はころころ変わるけど、ヤクショの人間はあまり変わらないんでね。でも、ヤクショの人間がおいたするから、ヤクショの信頼はガタ落ちなわけで、まぁ、こうなれば、みんなで国のありようを根本的に考えないといけないのかなぁという気もするんですよね。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月10日 (月) 22時59分

せっかく選挙の話がでていたので、唐突ながら、1票の格差について言及させてください。

私は、憲法が法のもとでの平等・公平を規定しているわけですが、必ずしも「1票の代表性」を「憲法」が担保しているとは考えていません。
何をもって平等か?と問われると、この辺は非常に難しい。
今は、1票の重さをもって平等としていますけど、1票を何の代表指標としているかまでは規定されていないのでこんなことになっています。

例えばです、牧場では牛飼って、牛乳を消費地に送り出して消費地(≒都会)の生活を支えている。
しかし、牧場がある「現場」は農場が広くて人口密度が極端に少ない場合がある。牧畜の効率化で、さらに人口が減る。
こうした地域の意見を代表するしくみは、圧力団体としての存在はあるけれども、政治にはないんです。
勢い、1票の格差を訴えると、都会のひとばかりの代表が表に出てしまって、肝心の生産地の意見を代表するひとがいなくなってしまう。

海外では、例えば北欧だと記憶してますが、単位面積あたりの代表権を保障するしくみがあります。
都会のひとばかりが代表ではない。田舎だって生産地や環境保全の意味で代表であると。

そうすると、「1票あたりの格差」は「何をもって代表させるか」ということに変わっていきます。
私は、こういうしくみを都会への人口集中が顕著な日本でも、法的に担保できるように取り入れるべきなのかもしれないと考えています。
書いていて、「代表」の語に2とおりの意味を示してしまったのは認めます。
別にエクメネの面積をもって、区割りせよとは主張しないです。例として持ちだしただけで。

よそんちの屋根の下(ブログ)で何語ってんだというご批判は、甘んじて受けます。
余談ですが、そうはいっても横田周辺の空は今日もうるさいんでしょうな。
三多摩のひとのいろんな意識は、あそこがあるから否応にも高くなるんだよね。
あまり報道されていませんが。同情します。

投稿: | 2014年2月11日 (火) 10時22分

2014年2月11日 (火) 10時22分の記事はでりしゃすぱんだのものです。
署名忘れ失礼。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月11日 (火) 10時23分

でりしゃすぱんださん

厚木周辺も、空母が来ると大変ですよ(笑)
色々と勉強になります。ありごとうございました。

投稿: 下っ端 | 2014年2月11日 (火) 13時23分

下っ端さん。
厚木然り、横須賀然り、三沢然り、オキナワ然りなんです。
私の住んでいるところのような林に囲まれた閑静な土地では、まるでよそ事です。
基地のある現地に行ってみればわかりますよね。そうとう、耳にも心にもウルサイし痛いです。

北朝鮮高官と内閣官房参与が接触している報道がありましたね。
悪い予感がしますよ。接触の目的は拉致問題かもしれないし、ポーズをとっただけかもしれない。
もしかしたら、インフレターゲットの次は、イクサなのかもしれない。イクサで好景気・インフレ→借金チャラなんてことがあるかもしれない。
自国は防衛で、他国同士には無関心ではないけれども、イクサもありみたいなね。
政府・与党の超長期的選択肢としては、当然考えられていると思いますよ。
私はイクサスキではないけれども、国際情勢がこうだとね。
当事者ではない国にいてはどうにもならないかもですね。とばっちりをうけないくらいの用意は必要かなぁ。
平和という言葉はすごくいいんだけれども、ヘイワヘイワヘイワと連呼されるとなぜかムシズが走ります。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月11日 (火) 15時52分

北朝鮮はそう遠くないうちに、何かしらの大きな事態が起きてしまうのでしょう。
それが、どういう形になるのか・・・・・・

心配なのは、その時やそれ以降に中国がどう動くかです。
もし、南北統一などという事態になれば、中国は喉元に匕首を突き付けられてしまう。
そうなると、ますます東や南の海はもちろん、いよいよ本気で台湾を狙ってくるかもしれません。

どちらにしても、最後はあの国にどう対応していくのかが、日本の命運を決めていくことになりそうですね。

投稿: 下っ端 | 2014年2月11日 (火) 21時30分

シグ忘れさん、ktomoさん、でりしゃすぱんださん、nagiさん、下っ端さん、コメントありがとうございました。朝から出かけていましたが、休日の夜ということでもあり、週の半ばで少しだけコメント欄に関わらせていただきます。

ktomoさんからの問いかけですが、報道のあり方も一定の礼節さが求められているものと思っています。一方で、本音の意見を引き出すことも記者の大事な役割であり、その示された本音の部分が大きく取り上げられるのも昨日今日始まった話ではないように理解しています。そのため、記者会見に臨む側も不本意かも知れませんが、そのような点を意識して脇を締めなければならなかったように見ています。

安倍首相の件は前回記事の中で触れた『安倍首相を「軍国主義者」と呼ぶような批判の仕方は、やはり思い込みやレッテル貼りの類いになるものと思っています。しかし、安倍首相なりの「平和主義」があり、安全保障面を整える努力を重ねているのでしょうが、「戦争が普通にできる国」をめざしていることも間違いないようです』の一節を指されているものと推察しています。憲法第9条があり、従来通り日本は「特別な国」とし、様々な制約を設けていくのかどうかを念頭に置いた言葉でした。つまり集団的自衛権行使の問題、最終的には9条の改正をめざすしている点などから前述したような表現としています。なお、このような評価について個々人で見方が大きく分かれるはずですが、「常に悪意、もしくは自分の都合の良いように解釈する」という手法に位置付けられない類いの話だと考えています。

「中立を装っているけど実は偏向している」というご指摘もありましたが、私自身、特に中立を装っていません。公務の中では「政治的に中立」ですが、このブログの場では立ち位置などを明確にし、これまで数多くの記事を投稿しています。その内容について賛否、いろいろな意見が寄せられていますが、本音を偽った取り繕いもせず、不特定多数の皆さんへの発信を続けています。

その際、私自身の言葉で綴るブログの記事本文は全責任を負っています。ただ紹介した報道の記事内容等については「全責任」を負えるような立場ではなく、あくまでも読み手の皆さんに対する参考情報として掲げています。もちろん誹謗中傷に埋め尽くされたようなサイトの紹介は論外であることも一言添えなければなりません。その他、きめ細かく対応すべき点もあろうかと思いますが、たいへん恐縮ながら直接的な問いかけがあり、気になった点について取り急ぎお答えさせていただきました。

投稿: OTSU | 2014年2月11日 (火) 21時33分

OTSUさん。
OTSUさん曰く「誹謗中傷に埋め尽くされたようなサイトの紹介は論外」とのこと。
「フォーラム平和・人権・環境」のサイトは誹謗中傷でないにせよ、悪意に満ちていると思うのは私だけではないような気がしますが、いかがですか?
ま、構成団体に、以前所属していた労組は入っていませんが、主張に理解できるものと理解できないものがあります。どっちかっていうと理解できません。

ひとの言うことは、必ず、自分が経験の積み重ねに基づいています。だから主義主張信念が入らないわけがない。
これは、OTSUさんの上記コメントからも読み取れます。私はね。

報道は前記したように、それでメシを食っている人たちの群れです。はっきり言ってしまえば。
ある事象に対して記者や編集者のフィルターが掛けられたものを、私たちは普段読んでいます。
フィルターには色が入っている。どんなフィルターでも何かすらの波長を通過させないように、「言論の自由」という名の特殊なフィルターが掛けられている。
無色透明だと思わせておいて、UVカットや、赤外線カットみたいな可視光外波長のカットを平気でやる。
そこにモラルだとか、礼節というものは、実際のところ存在しないんですよ。
彼らもカネで動いているから。新自由主義というものはそういうところにもあるんですよ。
ま、経験則から言って報道はハイエナだから、言葉を発するひとの方が気をつけなければならないことが多いと思っています。
でも、たかが、報道なんでね。報道をなめちゃいけないが、彼らも報道の限界は知っているだろうから。

では、真実はどこにあるかといえば、個々の企画立案者の心のなかにある。
モノゴトは企画立案者同士のソーシャルゲームの中のパワーバランスで動いている。
何が正しいのか、何が正しくないのかは、その企画立案者の個々人の行動原理によっている。
企画立案者は為政者であったり官僚であったり、圧力団体であったりします。
正しかったかそうでないかは、後世の史学に委ねなければならない。

私は、国家公務員であったころの思い出を語っているけれども。さすがに10年以上前の論理で、こういうブログのコメントの場で言わなければならない日がくるとは思ってもいなかった。
そういう世界は嫌だけど。伝えなくちゃいけないことはありますよ。知っている限りね。
職務上、地獄を見た人間としてはね。もう、壊した身体は元には戻らないんでね。
なんで、初老の域にも達していないのに、隠居生活しなくちゃならないだろうって思ってますよ。Sigh。ためいきひとつ。これは余計なひとことですが。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月11日 (火) 23時16分

そう。私が事実上の引責辞任をしたときに、労組は助けてくれませんでしたね。
労組は機能していない。職員の生活を台無しにする。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月11日 (火) 23時25分

>下っ端氏

>ただ、個人的に残念だったのは、原発が必要と言う人の焦点が少し違う気がしたこと。
>将来的なエネルギー政策(資源小国なども含め)や、安全性に関する絶対的なレベルまでの確立。
>こういった本当に必要な議論って、実はあまり聞かなかった気がします。

下っ端氏との意見交換で私も段々、原発は止めたほうがいいのかなあと
思いつつあります。私にとって本当の論点は、今の便利な生活を支える
エネルギーを減らすか維持するかが論点であると認識しています。
エネルギー必要総量が今の半分になれば原発など不用になるでしょう。
もちろん色々捨てることがらがでますが。
しかし誰もが今の便利を享受したまま、原発を動かせ止めろと言い合っても
しかたないですね。

残念ながら人は便利なものを捨てることができない。リスクを許容して
それを使い続けるのが現代です。原発も同様なのでしょう。

ただ、原発を廃止する為に運動するのは重要ですが、日本にはそれを
導く存在がいません。民間で運動に取組んでも、運動が拡大すると
それを利用しようとするテロ団体が入りこんでくる。
組合系は平和フォーラムを見ていればよくわかると思います。

だから原発はなくならないでしょう。

投稿: nagi | 2014年2月12日 (水) 10時24分

原発廃止は、「総論賛成、各論反対」の典型的な例だと思います。

だいたいの国民のコンセンサスとしては、原発を将来廃止にもっていく方向であるというのは、あるんでしょう。
しかし、経済的な側面や代替エネルギー創造の側面からは、なかなか今のエネルギー需給は変わらないので、各論に入ると難しくなってしまう。

太陽光も、もう少し初期投資が安くなるような技術ができればいいんですけどね。
クルマに「太陽光発電塗料」を塗って発電したりすることも可能であるとか。
今、平野部の田舎では、太陽光ビジネスがたいへん流行ってます。一部のカネモチだけだよね、太陽光パネル屋根に乗っけているのは。

そうはいっても、今現在、原発は止まったままなので、このまま、化石エネルギーを輸入しつづけて、電気を作り続けることは、物理上・化学上できますよね。経済的・財政的には難しいかもしれませんが。

もっとも、人類文明上、二酸化炭素の排出はやむをえないとして、人類滅亡論なんかを主張したりする人々もいますけど。それも、地球史のありようなのかなとも思ったりします。
人類だけが、地球の支配層ではありませんからね。
それを言ったらオシマイかな。
そんなこと考えてると情報機器の電気の使いようといったら、ただ単純に、力学的な「仕事」をしないで、ジュール熱に変えてるだけだという現実。なんともあさましい。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月12日 (水) 16時35分

nagiさん

覚悟の問題というか、リスクを負う自覚を持てるかが、不安なのです。
もちろん、危険性という面で無い方が安心なのは間違いないですが。

例えば、将来の国際情勢(東アジア情勢)を見据えて、核のカードをこの手に残しておきたい。
そんな危機管理?を密かに目論んでいるのかもしれません。
もちろん、そんなことは絶対に表に出せないから、あーだこーだ言っているのかもしれませんが。

万が一の時はそれでしょうがない。その地域については諦める。。。
といった覚悟や責任を、個々の皆さんも持てるなら、再稼働も「アリ」なのかもしれません。

ちょっと大袈裟だったかもしれませんが、そのリスクを少しは表に出して、みんなが自覚することは大事なのかと思います。

再稼働の覚悟。全廃の覚悟。どちらにしても、覚悟は必要。
そういうリードをしてくれる指導者は、なかなか現れないですね。

投稿: 下っ端 | 2014年2月12日 (水) 20時54分

核物質を手元に置いておきたいのは、間違いない。

エネルギー政策と核物質の保有は必ずしもマッチングしない。
原発は良い言い訳になるけど、たぶん、日本はいい子になろうとしてる。
よその国から、核が飛んできたら避ければいい。
自分の国では核保有せずに、よそでやってもらえばいい。

いちおう選択肢として、核保有はあるけれども、それでは国民のコンセンサスは得られないし、国際世論が許さない。
ウランやプルトニウムがだめなら、核融合がある。しかし、当面、国内保有しておきたい。

私のアタマのなかでチェスをしても、このくらいのことは出てくるのですから、経産省や防衛省は何かすら企んでますよ。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月12日 (水) 23時25分

管理人様、お返事まことにありがとうございます。
私は、「AかつBの場合はCだ」という発言で、「AかつBのとき」を意
図的に伏せて「Cだ」と報道するのは、「無条件にCだ」と誤解させる、限り
なくねつ造に近い行為だと思います。

管理人さんの返事は、今回のNHK会長の報道に関して、紙面に余裕があるに
もかかわらず、「AかつBのとき」を伏せて「Cだ」とするような報道が「本
音を引き出した」報道であることを前提とした返事にみえます。

管理人さんは、このような報道を容認されるのでしょうか。
また、このような行為は、「NHK会長は脇が甘かった」で済まされることな
のでしょうか。

また、「戦争が普通にできる国」(ご推察のとおりです。適切なご推察、有り
難うございます。)に関しては、安倍首相は、「同盟軍が攻撃されたときに、
なにもせず見殺しにするわけにはいかない(集団的自衛権)」と、常に「専守
防衛の範囲内」での憲法9条改正を目指している旨説明していますよね。

私は、「戦争が普通にできる国」という表現には、「専守防衛を逸脱して戦争
ができる国」という概念を(多分に意図的に)含ませた表現だと感じます。憲
法9条による専守防衛というのは世界的にみて非常に特殊なものであり、「普
通」ではまったくないですから。

管理人さんは、「戦争が普通にできる国」という表現に「専守防衛を逸脱して
戦争ができる国」という概念が含まれるとお考えでしょうか。

安倍首相が「専守防衛の範囲内」で集団的自衛権について憲法改正を説明して
いるにもかかわらず、「戦争が普通にできる国」という専守防衛から明らかに
逸脱した表現で安倍首相の思想を表現するのは、非常に巧妙なバッシングだと
私は考えます。

ですので、私は、「戦争が普通にできる国」という表現は、「常に悪意、もし
くは自分の都合の良いように解釈する」という手法であると考えますし、この
ような報道からは何ら「相互理解」は得られないと思います。

投稿: ktomo | 2014年2月13日 (木) 00時01分

nagiさん。下っ端さん。

>最近私も民主主義の限界を感じますね。選挙の為の政治ですから
>といって、それにかわる制度も答えられません。

統治機構が限界を迎えてることには同意します。しかし、問題なのは
経済システムがより一層深刻な限界を迎えていることと感じています。

ただ、それに替わるものが現在のところ無いことも明らかです。

一つ明確なことは、それでも近い将来には何かしらの新しいシステムを試すことが
必要になると言うことでしょう。行き詰って破滅に向かっていることが明白ですので・・。

その際に影響力を行使したいと考えるならば、現状のシステムの中で世界が無視できない
競争力を維持していなければなりません。下位の言葉などは幾ら正論であっても
所詮は負け犬の遠吠えですので・・。

だからこそ、現状からの脱却を実現するために
日本の取るべき道は徹底した競争至上主義の導入だと考えています。

もし、世界的な統治機構や経済システムを変えるのであるならば、その主導を
日本が取ることが望ましい。それは宗教観一つ取ってみても明らかです。
(宗教に依存せず、かつ支配されず、しかも多宗教が混在しつつ民主主義が
維持されている国など他にはそうそうありません)

最終的に目指すところとして、本質的に私の考えは左派のそれ近いのかもしれません。
但し、今は何を犠牲にしてでも勝て。理想は勝ってから言え。という順番なだけです。
あとは正直者が馬鹿を見るというか、ズルをして楽を取る行為を嫌っていることです。
だからこそ、矛盾やダブスタを内包しつつ主張をすり替えた発言を無責任に続けて、
この国の競争力を削ぐ存在が死ぬほど許せない。


>残念ながら人は便利なものを捨てることができない。リスクを許容して
>それを使い続けるのが現代です。原発も同様なのでしょう。

総論賛成各論反対だからという意見もあり、もちろんそれも否定しませんが、
今声高に反原発と聞こえる声では、不便は人に押し付け自分には影響させないというか・・。
巷の労組を名乗る団体をみても感じるとおり、他人に働かせて給与は自分が貰う理論というか・・。
そんな嫌悪感を持っています。そんな主張では何も生み出せないとも思います。

私の考えは、万が一の際は一部地域を放棄する覚悟を持った上で
比較的新しい原発は速やかに再稼動すべきと思います。

>例えば、将来の国際情勢(東アジア情勢)を見据えて、核のカードをこの手に残しておきたい。
>そんな危機管理?を密かに目論んでいるのかもしれません。

確かに世界の中で交渉のテーブルに着くためにも
暗に核のカードを保持することは必要だとも思っています。

でも、より一層重要なことは、第一に物作りや開発に必要な電力を確保した上で、
原発を動かす為に無意味で終わりのない根拠作りをしている無駄な労力を
次世代エネルギー開発用のリソースに注力させることの方が価値があると思っています。

その付加価値を持って、日本が何より経済力において勝っておかないと、
先に言ったとおり負け犬の遠吠えとなり影響力を持つことなどできません。


>再稼働の覚悟。全廃の覚悟。どちらにしても、覚悟は必要。
>そういうリードをしてくれる指導者は、なかなか現れないですね。

政治家単体に期待していては、答えは一生涯現れることはないでしょう。
何故なら、現在の世論において選挙民に覚悟を求めては勝てませんので。
もし、それを望むのなら初等教育から建て直しが必須で、数十年かかります。

比較的短時間で、それを打ち破るには政治に対する官僚機構のリードが必要と考えますが、
やはり現状では一皮も二皮も剥ける必要があるでしょう。
それでも政治家単体のレベルアップを期待するよりも、何倍も早く実現はあり得ると思います。

その為の最大の敵が公務員労組といったところでしょうか。


>北朝鮮はそう遠くないうちに、何かしらの大きな事態が起きてしまうのでしょう。
>心配なのは、その時やそれ以降に中国がどう動くかです。

北朝鮮は仰るとおり遠くないうちに瓦解するでしょう。
しかし、中国で何かしらの事態が起きるほうが早いかも知れません。
中国政権が今一番恐れているのは最革命でしょう。
それは中国の歴史を見ても判るとおり、いつ起きても不思議ではありません。


それらの混乱に打ち勝ち、次世代の経済システムを見てみたいと考えるので、
結局のところ私の結論は
「今は何を犠牲にしてでも勝て。理想は勝ってから言え」
の一言に帰結します。

投稿: シグ忘れ | 2014年2月13日 (木) 00時40分

そうそう一つ書き忘れたので追記する。

左派のそれについてだが、仮に社会システムを左派の主張に沿うものに
変えるとするならば、それは最も人に厳しい世界になると言うことだ。

それは、自分自身に厳しい者の集合体でなければ機能しない世界であり、
個々が自分を厳重に律することが必要になるということでもある。

つまり、世界中で幾度となく試されたものの
行き着く先は、腐敗により少数の者のみが富むだけであり、
常に失敗に終わったという帰結が証明する。
(一部の新しい社会システムでは未だ機能しているように見えるが
どこも財政的に無理が露見しており、持続不可能だったとの結論が遠からず出る)


ここの記事の主張について、例えば他者の誰の目から見ても疑われない
公務員の政治的中立くらいの簡単なことも実現できない者が
左派の主張を語ることは許されない。何故なら、その主張は嘘で構成されるからだ。
(管理人の目的が、独裁を望み権力に執着するなら話は別となるが・・)

その証明のために、ここでは淡々と矛盾を指摘する。
管理人が、自分を他者より厳しく律すことが出来ない人物であると証明するだけで
ここの主張の根拠全てが崩壊する。ただそれだけのことだ。

投稿: シグ忘れ | 2014年2月13日 (木) 01時56分

>下っ端氏
>シグ忘れ氏

結局の所、世界は常に強者の論理で動いている。だから日本は
経済的にあるいは軍事的に強国になる以外、生きる道が存在しない。
私は常にそう考えています。
日本の向上にどんな選択肢があるか、もう残り少ないかもしれませんがね

それと、中立性の問題ですが、OTSU氏には申し訳ありませんが、

>公務の中では「政治的に中立」ですが、

私は疑いを持っていません。OTSU氏は仕事では分け隔てなく中立でしょう。
しかし多くの人はそのように考えてくれないことも事実です。
だからこそ、以前から私は公務員組合の政治活動には反対の立場です。
でりしゃすぱんだ氏が指摘してるように「公」と「私」の区分が
難しい。だからこそ、NHK会長や委員の発言やコラムが取りざたされるのでは
ないでしょうか。

ただ、NHK会長に対するOTSU氏の問題意識は結局はご自身に帰る問題です。
NHK会長に中立性が求められるのと同じように公務員にも中立性が求められる
そして、「公私」の区分が難しい。仮に、NHK会長が、特定の運動に参加すれば
さぞかし騒ぎになるでしょう。公務員組合が特定の運動に参加して
非難を受けるのと同じ構図です。
OTSU氏がNHK会長に対して問題があると考える内容は
同時に公務員組合に対して問題があると考える一般の人々と同一のものでしか
ありません。

投稿: nagi | 2014年2月13日 (木) 12時01分

またコメントさせていただきます。

「NHKの経営陣が安倍内閣の意向により、右派的な人材に刷新されつつある。」
これは来賓挨拶等の時事ネタでよく言われているネタですね。

以下は私見となりますが、
①「昔」は社会情勢が左派で埋め尽くされており、口にすることすらはばかられた。
②それが「今」は右派的な発言が『できる』ような情勢となり、口に出した。
③もともと知識として、『知っていても言わなかった』から『知っていて口に出す』ようになってきた。
公然と口に出すことができるようになった。これは大きな情勢(世論)の変化だと思います。
この情勢の変化が俗に市民団体と呼ばれる、左派団体には言論の不一致から不愉快に感じており、
安倍叩きへとつながっていくんだろうと感じています。

慰安婦については、『社会制度として慰安婦はあった』、『軍による強制連行が行われた』とすれば軍が誘拐をしているという批判は免れません。
慰安婦制度そのものは現在では禁じられている公娼制度があった時代のことであり、今の価値観に置き換えて批判すべきではないと思います。
現在の左派の主張は軍がすべてダメ→軍で慰安婦を雇った→女性の人権侵害だ
という当てはめ方が、『違和感』の原因であろうかと思います。
自由意思により、慰安婦という仕事を選んだ人の人権と考えを冒涜しているもので、職業に貴賤なしという言葉を考えてほしいものです。
叩くのであれば、『女性の社会進出』ができていないぞ、男性と同様の仕事を準備できていないじゃないかという社会情勢、制度を問題視するのなら一定の理解が示されるかと思います。

投稿: ざしきわらし | 2014年2月13日 (木) 12時04分

皆様の意見、とても建設的で参考になります。やはり我が国の問題は「制度疲弊」と「民度の低下」に尽きますかね。
原発・・・。核兵器保有というカードの保持、現代社会と経済の質を下げない電力供給の維持、即時廃止を決断する事とセットで進める「世界トップの廃炉技術の獲得」や「早期の代替エネルギー開発による将来のイニシアチブ確保」等、いずれも説得力のある話です。
ただまあ、選挙がこれだけ繰り返されて、今の政権がおおむね支持を集めているのですから、結局はその「ツケ」を我々がどこかで、どのような形かで支払うだけなのだろうな、とも思います。(「将来に借金を残すな」という残響が響きますが・・・。)
官僚制度による国家運営は、明治維新以来のことですからね。それに匹敵する改革がなされないと無理なのかとも思います。
一時期、阪神淡路大震災を契機に民間による公益的活動に注目が集まり、NPO法が制定されましたが、残念ながらNPO活動は一定の定着を見たものの、官僚統治機構を幹とする行政のあり方に対するカウンターとはなれずにいます。ましてや東日本大震災では「大雪りばぁねっと」のような事例も出てしまい、信頼性にも傷がついてしまいました。東日本大震災では結局「隣組」的な縁が見直されており、日本社会の維持は小規模な「自助・共助」に支えられ、大所高所についてはエリートが導くしかないのかなあ、という気がします。
本国の歴史上、それが機能しない時期は、所謂戦国時代のような乱世であった訳で、そういう時代の再来は避けたいところですね。ネットが噂や誹謗中傷の拡散媒体ではなく、衆知の共有媒体としてうまく機能するといいのですけどね。
そうそう、以前OTSU様に向けた「疑念」について、2つ前の記事では控えておりましたが、ここで開陳します。
私はOTSU様の論調から、「55年体制、東西冷戦の時代から連なっている運動のスタイルがあることも認めています。」というよりも、OTSU様個人は、そのスタイルを(組合の長として、構成員から異論が出た場合はともかく、一組合員、一個人としては、です)100%肯定しているようにしか思えませんでした。そして、そのことを敢えて口に出さず「問題なしとしない」という「組合長としての」認識を示すことで、隠しているように感じていたのです。
しかし今回記事のコメント欄で、OTSU様は「私自身、特に中立を装っていません。」と仰っておりますので、ひょっとしたらご自身は、すでに自分の立場を明示しているとの認識だったのかもしれません。だとしたら、私の読解力不足ということになります。
私自身は組合活動(労働者の権利を自分で守る運動)は必要という考えを持っていますが、55年体制や東西冷戦といった、リアルタイムで経験しては居ても、とっくに過去のことになった旧態依然の枠組みに固執した平和活動(という名の反米、反資本主義活動)は陳腐であり、意味をなさず、労働組合は労働者の権利を守る運動に専念すべきという立場です。ですからnagi様の「反米なら反米と言えばよい」という主張に大いに首肯しました。
ともあれOTSU様のブログでは、様々な問題意識を持った方々が自由に語り合い、国家の将来を真剣に考えておられることが窺える、それだけでも非常に価値のあることだと思っています。

投稿: qur | 2014年2月13日 (木) 13時15分

qur氏のコメントを見て私は思うのですが、
なぜ右翼左翼発祥のフランスで左派政権が生まれ、なぜ日本の左派政党は
これほど衰退するのか。
それは55年体制、つまり日本の左派はいまだに社会主義革命や国際主義を
夢想してるのでしょう。それが左派政党を衰退させ、市民団体や平和団体や
労働組合を世間と乖離させているのでしょう。

恐らく現場の人々こそ戸惑ってるのではないでしょうか。

先週の記事で、そのような気持ちが滲んでるような感じをうけました。

大型船がなかなか進路変更できないと同じで、巨大な組織ほど急激な変化は
できないのでしょう。

今の平和活動が反米、反資本主義活動として、米国が衰退し、中国が今の
アメリカの地位についた時に、平和運動はどうなるのでしょうか。
そんな時がこないことを祈りたいと思います。

投稿: nagi | 2014年2月13日 (木) 17時51分

NPOの話がでていたので、触れます。

政府の中枢で活動していた私にとって、NPOとはワタクシ的にはやっかいなものだと感じています。
結局、非政府活動をしていた団体(NGO)は、法的に各省庁・地公体が管轄するNPOへ変貌してしまいました。
NGOはNPO化することで、法人格などは与えられたものの、ヤクショからの管理監督下へおかれてしまっています。
ややこしいことに、ヤクショは、こうした「非政府」活動を推進しているきらいがある。隠れ蓑にNPOを使いまわしている。
NPOなら、民間であって政府ではないから、民意を得やすいという考え方が、たぶん、今でも政府・地公体レベルではあると思います。
これでは、統治システムの中にNGOが組み込まれただけの話であるので、あまりよいこととは思いません。

信じられないことですが、世の中には、ナントカ協会なんていうものを「家業」NPOとして運営している人たちがいます。これは新たな「権益」です。
こういうところからも、統治システムは腐っていってしまう。
しかも、ヤクショはNPOをおおむね「歓迎」しているんです。税金を投入しなくてもいいし、需給の関係によっては、勝手につぶれていってくれる。
こんな便利な「使いまわしの組織」はないんです。

突然ですが。
公務員労組という組織も、現実世界へのアンチテーゼとしての結果が「平和」ということであるならば、何か勘違いしているかもしれません。
競争より共存なのは、まぁ、左派の方々にとっては重要なのでしょうが、左右もあれば上下もあって、場合によっては次元が違っちゃう場合もあることを、アンチテーゼの中で考えなければいけないかもしれないと思います。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月13日 (木) 21時18分

平和フォーラムの記事で、本当のことを言えない時代がくると
ありました。珍しくなるほどと思う内容でした。

恐ろしいことに日本は事実も歴史の検証もできない状況に
なりつつあります。

「慰安婦は戦時中どこでもいた」

たったこの一言で、左派系マスコミから袋叩きに遭う
そこには検証もなにもない。全て否定しレッテルを貼り攻撃する。

まさに、平和フォーラムの言うとおり、「本当のことを言えない社会」ですね。

投稿: nagi | 2014年2月14日 (金) 16時18分

でりしゃすぱんださん、nagiさん、下っ端さん、ktomoさん、シグ忘れさん、ざしきわらしさん、qurさん、コメントありがとうございました。

皆さんのコメント一つ一つ拝見しています。いつものことですが、その流れに私自身が入れませんがご容赦ください。その中で、何点か少しだけ補足させていただきます。

ktomoさんから再度問いかけがありました。報道に際して捏造は論外ですが、取材対象から本音の意見を引き出すという粘着力などまで一概に否定できないものと考えています。もちろん違法行為も論外ですが、表面的な取材や記者会見にとどめず、本質的な核心部分に切り込む姿勢をあまり批判しすぎるのも記者を委縮させてしまうように感じています。

続いて、ktomoさんも認めているように現在の日本国憲法は他の国に比べれば「特殊」で「普通」ではありません。このような関係性の中で、安倍首相の思い描く「改憲」等について「戦争が普通にできる国」をめざしているという表現に至っています。また、国際社会の中では原則として自衛戦争しか認められていません。したがって、「専守防衛を逸脱して戦争ができる国」までめざしているという意図は含めていません。ちなみに以前、このコメント欄で集団的自衛権の問題について「緊急避難」「正当防衛」という概念から議論する線引きの必要性を示したこともあります。

qurさんから「私自身、特に中立を装っていません」という言葉について問いかけがありました。少し誤解があるのかも知れませんが、私の立場性や考え方は当ブログで綴っている内容のとおりです。個々に例示しませんが、各論や運動の進め方において私なりの問題意識を示してきています。

なお、新規記事は今夜投稿できる見通しです。題材がガラリと変わりますが、その記事の冒頭にダブルスタンダート批判について少しだけ自分なりの見方を添えています。ぜひ、また多くの皆さんにご訪問いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年2月15日 (土) 22時41分

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