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2014年2月22日 (土)

おもてなしについて、ある雑誌から

先月、休日に1年点検のため、車をディーラーに持ち込み、仕上がるまで店内で1時間ほど待っていました。いろいろな雑誌が置かれ、コーヒーのサービスもあり、退屈せずに過ごせるようになっています。その際、『BIG tomorrow』1月号に掲載されていた記事内容に目が留まりました。一つは外交官だった佐藤優さんの『デキる男は「恩を仇で返さない」』、もう一つは『ビジネスで成功している人の「おもてなし」の技術』でした。

すでに2月号が発売されていた時期であり、1月号を購入するためにはBOOK・OFF等で探さなければなりませんでした。ネットで注文するよりも、このブログで相互リンクしている知り合いの書店の方に依頼し、手元に取り寄せていました。 今回の記事はその雑誌に掲載されていた内容の紹介を中心に考えています。これまでも当ブログの中で書籍やメディアの報道内容を頻繁に紹介しています。

その場合、大半が自分自身にとって興味深く感じたもので、いわゆるネット上での「拡散」という意識が働いていることも確かです。一方で、そこに書かれている内容そのものや一字一句に対し、私自身が全責任を負えるものではありません。あくまでも多面的な情報に触れられる機会の一つとして、そのような紹介の仕方に対してご理解を願っています。当然、読み手の皆さん一人ひとりがどのように受けとめるのかどうか、それぞれの見方や評価は枝分かれしていくものと思っています。

私自身が「なるほど」と感じた文章が人によっては不愉快な内容に映るケースも少なくありません。そのような時、このブログの記事内容に対する批判が倍加しがちでした。もともと当ブログを通して主張している中味は「無味乾燥」なものではないため、基本的な視点や立場が異なる方々にも耳を傾けていただけるよう表現方法や言葉一つ一つに注意しているつもりです。とは言え、まだまだ自分自身の未熟さや思慮不足も要因の一つとなり、思いがけない批判や反発を招きがちです。

もちろん技巧的な話ではなく、主張している中味そのものに批判が集中していることも重々承知しています。それでも「自分に甘く他者に厳しい」というような見られ方を少しでも防ぐためにも、『BIG tomorrow』1月号を取り寄せたところでした。いつものことながら前置きが長くなりました。本題に入りますが、ネット上に公開されていない雑誌の内容ですので、そっくり引用するのは避けなければなりません。そのため、特に印象に残った箇所に絞りながら紹介させていただきます。

恩に対する人間の認識というものは、非対称になりがち。つまり、自分がかけた情けは大きく感じ、かけてもらった恩は小さく感じてしまうのです。部下といっしょに飲んで、自分がちょっと多く支払っているのに、なんだか部下は少しもありがたがっていない…。そんなこと、ありませんか? 部下からすれば、全部おごってもらって、やっと少しはありがたがる。逆も真なりで、自分が相手からしてもらった恩は、相手が思っているほどには感じられない。

上記は佐藤優さんの言葉ですが、「受けた恩は忘れるが、かけた情けは忘れない。そんな人間になっていないか」と訴えられ、「やってもらって当たり前、少しでも利益を増やし得をしたい。これは経済合理性が重んじられ、利益第一主義が生み出したマインド」だと述べられています。厳しい競争を勝ち抜く中で、いつしか自分の力だけで生き残ってきたという錯覚や強い自負心を持つと「過剰な称賛を求める」「劣っていると感じた人を見下す」「人の気持ちがわからない」などという自己愛が肥大化すると佐藤さんは分析されていました。

ビジネス社会において生き残るために競争することは大切です。しかし、ときにその視点から離れてみましょう。でないと経済合理性と競争主義のなかで、いつしか「恩知らず人間」になってしまう可能性がある。健全な精神を持つ人間が客観的に世のなかを見渡せば、そこに限りない数の「恩」があることに気が付くはずです。

佐藤さんは「相手の弱点を見つけたりしたら、ここぞとばかりに付け込む」という風潮が強まり、クレーマーやモンスターペアレンツを増やしている今の社会は病的だと憂えています。社会が病むから病的な人格が生み出され、さらに社会が病的になるという残念なスパイラルを指摘されています。その記事の最後に佐藤さんは「多くの恩に感謝して、それに応えようと奮闘する人間にこそ、本当の幸福が訪れる、僕はそう思います」と結んでいました。

このような佐藤さんの記事に目を通した後、「接客業や営業マンだけじゃない!おもてなしはすべてのビジネスマンに必要なスキル!」という頁に注目していました。来客の応対で「お待ちしておりました」の一言が大切な点など、具体的な事例ごとに技術的な解説がイラスト入りでまとめられていました。その中で「おもてなしとは、ひと言でいうと“相手を思いやる心”」という言葉が最も印象に残りました。

さらに独りよがりにならないように「気遣い」「気配り」「気走り」という3つの要素の大事さが紹介されていました。相手に関心を持って何を望んでいるのか察するのが「気遣い」、不都合がないか周辺部分まで気を配るのが「気配り」、不都合があれば一歩先回りして事前に伝えておくのが「気走り」と説明されています。また、高価なモノを贈ったり、大金を使った接待が良いおもてなしではなく、相手にこちらの真心を届けるのが目的であり、モノや接待は真心を伝えるための手段でしかないことが記されていました。

真心も相手が何を求めていて、どのような価値観を持っているのか分からなければ、こちらの自己満足に終わってしまうため、4つの「きく」の大事さも紹介されていました。相手の求めていることを「聴く」、要望をもっと詳しく「訊く」、気の利いた提案をする「利く」、それららを実践した後、心に響くアフターフォローが「効く」とされ、この4つの「きく力」を駆使すれば、おもてなし上手になれると添えられていました。

今回、このような記事内容の投稿に至った意図を深読みされたり、違和感を持たれる方がいらっしゃるかも知れません。『BIG tomorrow』1月号を入手した時点で、機会があればブログでも取り上げようと考えていた題材でした。その上で投稿したタイミングが今回だったという経緯に過ぎません。いずれにしても「相手を思いやる心」が、よりいっそう大事にされなければならない時代を迎えているように感じています。そして、東京五輪の招致で有名になった「おもてなし」、ますます国際社会の中で日本が実践しなければならない大事な規範になっているものと考えています。

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2014年2月15日 (土)

給与制度の総合的見直し

先週日曜、投票箱のフタが閉まった瞬間、午後8時に東京都知事選挙の「当確」が示されました。舛添候補が211万ほどの票を集め、事前の予想通り圧勝しました。選挙期間中、都知事選の争点に原発問題は馴染まないという声が多く聞こえ、特に読売新聞の論調が顕著でした。それにもかかわらず、もしくは予想通りとも言えそうですが、舛添候補の圧勝をもって『無責任な「原発ゼロ」は信任されず』という見出しが選挙後の読売新聞の社説に掲げられていました。

前回記事「NHKに期待したいこと」のコメント欄では、私自身の問題提起の仕方などがダブルスタンダードであるという批判を受けていました。「民主党政権時代に委員構成が逆方向に偏っていた時期があったが管理人は、それらについて何かしら問題提起をしたのかどうか」という指摘でした。確かに民主党政権時代のNHK経営委員の顔ぶれを問題提起したことはありません。私自身に問題視しなければならないような認識がなく、そのような話題が大きく注目を浴びた経緯もないため、このブログで取り上げることはありませんでした。

よく「○○に反対していながら××に反対しないのはおかしい、ダブルスタンダードだ」というような批判のされ方があります。私自身も含め、ダブルスタンダードという意識がなく、いろいろ発言しているケースがあるのかも知れません。それでも批判に繋がる大半のケースは個々人の視点や価値観の相違から生じがちなのだろうと思っています。つまり「民主党政権時代も偏り、いろいろ問題があった」と見ている方からすれば、前述したような批判意見に繋がってしまうものと受けとめています。

さて、昨年2月に「地方公務員の給与削減問題」という記事を投稿していました。東日本大震災の復興財源を確保するため、一昨年4月から2年間、国家公務員給与が平均7.8%削減されていました。政権交代後の昨年1月15日、地方公務員の給与も国家公務員並に削減するよう政府が地方側に要請しました。地方交付税削減を抱き合わせた側面があり、7割近くの自治体が国の要請に応じ、職員給与の削減に踏み切っていました。一方で、組合側の反発や自治体当局の自律的な判断のもとに3割以上が「削減なし」で乗り切ったという見方もできます。

国家公務員給与の特例削減を決めた当時は民主党政権でしたが、政権幹部の一人から「これだけひどい財政状況を考えれば、2年間でまた元に戻すことができるはずがない」という発言も漏らされていました。さらに消費税増税のタイミングとも重なり、今年度までの臨時的な措置で打ち切れるのかどうか強く危惧していました。仮に削減が延長されるような事態を強いられれば、私どもの市をはじめ、踏みとどまった3割強の自治体が次年度以降も自主性を貫き通していけたかどうか難しかったはずです。

このような懸念があった中、昨年11月15日、政府は特例削減を今年3月末で終了することを閣議決定しました。デフレ脱却をめざし、民間に賃上げを要請している一方で、公務員賃金の削減を継続することの影響も考慮した判断だったはずです。また、臨時特例に関する法律の期限を守った結果にすぎないと言えばそれまでですが、いずれにしても「約束を守った」という政府の姿勢を個人的には素直に評価しています。

その一方で、今回の記事タイトルに掲げた給与制度の総合的見直しの問題が浮上していました。特例削減の終了を決めた閣議決定の中に「公務員の給与については、制度の総合的な見直しを行うこととします。具体的には、地場の賃金をより公務員給与に反映させるための見直し、高齢層職員の給与構造の見直し、職員の能力・実績のより的確な処遇への反映などの給与体系の抜本的な改革に取り組み、平成26年度中から実施に移すこととします。このため、早急に具体的な措置を取りまとめるよう、人事院に対し要請します」という方針が含まれていました。

この閣議決定に対し、自治労は書記長談話を通して「拙速な世代間・地域間の給与配分見直しに反対し、組合との十分な協議を求めていく」「政府が公務員の総人件費削減を狙っていることに変わりはない。臨時特例の終了と給与の総合的見直しへの着手が閣議決定されたことにより、公務員の給与回復のための取り組みは、次のステージに移行したと言える」という見解を示していました。

閣議決定の日、人事院は「給与制度の総合的見直しに向けた検討を早急に進め、必要な勧告を行っていく」という総裁談話を公表していました。このような動きを受け、年明けから公務員労働組合連絡会は人事院総裁あての要請署名活動に取り組んでいます。私どもの組合でも2月末を提出期限とし、組合員の皆さん一人ひとりに署名用紙をお配りしています。ご家族の皆さんらにも協力をお願いし、一筆でも多く署名が集まることをめざしています。なお、要請事項は次の3点です。

  1. 給与制度の総合的見直しは重大な勤務条件の変更であることから、公務員連絡会と十分交渉・協議し、合意のうえで検討作業を進めること。合意のないまま、一方的な勧告は行わないこと。
  2. 地域の公務員給与を引き下げる地域間配分の見直しには反対であり、実施しないこと。
  3. 世代間配分の見直しについては、その必要性及び人事管理の在り方を含めて、幅広い議論を保障すること。

そもそも人事院は2006年から実施してきた給与構造改革について、2012年の人事院報告で「地域ごとの民間賃金との較差は収れん」「地域別の較差は縮小し、安定的に推移」と評価し、地域民間賃金の反映は所期の目的を達成したという見解を示していました。それにもかかわらず、中立であるべき人事院は政権与党の意向に沿って見直しが必要という立場に変わっていました。加えて、賃金構造統計調査による民間賃金指数の低い散在した地域を意図的に抽出する恣意的な手法が問題視されています。

地域給が導入された前回同様、基本給を一律に削減し、地域手当による給与原資の配分変更を企図しています。現行の地域手当の率は0%から18%ですが、最高が23%に引き上げられる計画です。見直しを強いられた場合、中央省庁の職員以外、大半の公務員の給与が純減される制度設計となっています。疲弊した地方経済に大きな影響を与え、ますます地域間の格差を広げる制度見直しだと言わざるを得ません。

世代間配分の見直しに関しても、年功給が薄まっている民間との人事管理や組織形態などを考慮した検討が求められています。そのような背景が軽視された場合、単なる給与水準引き下げの便法にとどまってしまうものと見ています。また、原資の奪い合いという世代間が対立するような構図は避けなければなりません。あくまでも生涯賃金の問題としてとらえ、一体感のある職場づくりに向け、給与制度はどうあるべきかという働く側の視点も重視していく必要性を感じています。

自治労は政府与党の「今後も労働基本権制約という現行制度を維持しながら、人事院を利用して、公務員人件費を削減していく」という姿勢を批判しています。特例削減を合意した際に約束した労働基本権付与の問題がないがしろにされていることの苛立ち、労働基本権制約の代償措置として位置付けられている人事院に対する失望感を表した言葉です。不特定多数の方々が訪れている場ですので、今回のような記事の内容に対し、様々なご意見や批判が寄せられるものと思っています。

そのような声があるということを把握し、今後の取り組みの参考にする大切さを感じています。同時に給与が削減される事態に際し、まったく抵抗しないような組合であれば、組合員の皆さんから見限られてしまいます。さらに賃金や労働条件の問題が経営者の目線だけで決められていった場合の極端な姿に「ブラック企業」を思い浮かべています。このような総論としての労働組合の役割をアピールするためにも、これまで当ブログを通し、いろいろな課題の情報発信に努めています。ぜひ、いろいろな「答え」を認め合った場として皆さんからご理解ご協力いただけるようよろしくお願いします。

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2014年2月 8日 (土)

NHKに期待したいこと

東京にも雪の降る日が続く中、季節は春闘本番を迎えています。労働組合の役員が運営しているブログであり、そろそろ賃金や労働法制見直しの問題などを取り上げようと考えていました。と言いながら今回も雑談放談の類いとなることをご容赦ください。もともと毎回長文のブログですが、前回記事「平和フォーラム批判から思うこと」は普段以上に長い内容となっていました。実は長くなったついで(苦笑)に下記の報道に対しての感想も添えるつもりでした。

NHK新会長の籾井(もみい)勝人(かつと)氏は25日の就任会見で、従軍慰安婦について「戦争をしているどこの国にもあった」と述べた上で、日本に補償を求める韓国を疑問視した。従軍慰安婦問題を取り上げた過去のNHK番組に関連し、この問題に関する見解を問われ答えた。尖閣諸島・竹島など領土問題については、国際放送で「明確に日本の立場を主張するのは当然。政府が右ということを左というわけにはいかない」と話した。

放送法はNHKを含めた放送事業者に「政治的公平性」を義務づけている。NHKの会長がこのような発言をするのは極めて異例。籾井氏は従軍慰安婦問題について「今のモラルでは悪いんですよ」としつつ、「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げた。「なぜオランダにまだ飾り窓があるんですか」とも述べた。飾り窓はオランダなどにある売春街を指す。

さらに「会長の職はさておき」とした上で、韓国についても「日本だけが強制連行したみたいなことを言っているから話がややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っている。しかしすべて日韓条約で解決している。なぜ蒸し返されるんですか。おかしいでしょう」と述べた。その後、記者から会長会見の場であることを指摘されると、発言を「全部取り消します」と話した。籾井氏は三井物産副社長などを経て、資本関係のある日本ユニシスで社長を務めた。昨年12月の会見では自らについて「語彙(ごい)が不足している」と話していた。【朝日新聞社2014年1月25日

いくら何でも長くなりすぎると思い、前回記事からは切り分けていました。それでも非常に気になった発言でしたので、改めて今回、このブログでも取り上げることにしました。最初にお断わりしなければなりませんが、籾井会長の従軍慰安婦などに関する発言に対しては賛否が分かれています。また、このブログはいろいろな「答え」を認め合った場として幅広い視点や立場からの多様な意見が交わせることを願っています。そのため、今回の記事を通し、籾井会長個人の考え方の是非を直接問うような意図はありません。

もちろん私なりの見方や「答え」があり、機会があれば今後、当ブログの場で個々の論点に対して意見交換していくこともあろうかと思います。ちなみに私自身の問題意識を託した記事としては「従軍慰安婦問題」「従軍慰安婦問題 Part2」「橋下市長の発言の波紋」などがあります。あくまでも今回は記事タイトルのとおりNHKに期待したいこと、籾井会長をはじめ、経営委員の皆さんに心がけて欲しい大事な役割や責任について私なりの問題意識を書き進めていくつもりです。

そもそも「政治的公平性」について、公的な立場と個人的な立場の線引きが認められない場合、このブログそのものを即時に閉鎖しなければなりません。これまで地方公務員の立場を明らかにしながら、政治的な話についても職員組合の役員の立場から数多く発信してきています。その線引きをご理解いただけず、ブログの場では批判された時も多々ありましたが、公務の中で「政治的中立性」を損ねるような振る舞い方は皆無だと断言できます。

そのような意味ではNHK会長という立場での記者会見にもかかわらず、籾井会長の発言は本音を示しすぎたという点での脇が甘く、露わになった資質も含め、問題視されても仕方がありません。特に「政府が右ということを左というわけにはいかない」という認識に驚いた方も少なくないようです。NHKは国営放送ではなく、視聴者である国民の受信料で成り立っている公共放送です。だからこそ「政治的公平性」や「不偏不党」の立場が求められています。

よくNHKの番組内容は「」に偏っていると言われがちです。そのような見方は安倍首相をはじめ、昨年11月、新たに経営委員に選ばれた方々も抱かれているようです。一方で、NHKは政府与党に気兼ねして権力批判に直結するような報道が少ないという声もよく耳にしています。矛盾するような言い方となりますが、それぞれ正しい見方なのではないでしょうか。仮に視点や立場の定まっていない論評だった場合、無味乾燥すぎて面白みが欠けてしまうはずです。

特集番組であれば、やはり立ち位置を明確にして制作していかなければなりません。賛否両論があることを添えたとしても、最後には制作者の意図が明らかになるはずです。その意図に反発される方が番組を見れば「けしからん、NHKは偏っている」という構図になります。要するに今まで「左」を立ち位置にした番組もあった、それ以上でもそれ以下でもないものと思っています。私自身の見方としては、NHKがどちらかに偏っているような認識を持っていません。

逆に「中立性」を意識しすぎている結果として、政権与党に対する批判のトーンは民放に比べて抑え気味であるように感じています。このような点は民主党政権の時も同様だったものと考えています。それにもかかわらず、立ち位置を明らかにして制作する番組が一切「けしからん」と制止されてしまうようでは大きな問題です。それも政府の意に反する番組は作れないという事態に至るようであれば、国策遂行の役割を担った事実上の国営放送局だった戦前と同じだと言わざるを得ません。

例えば、特定秘密保護法に反対する勢力は「国益を考えていない」という批判が示される場合もあります。しかし、時の政権の方針がすべて正しいとは限りません。万が一、誤った方針だった場合、そのブレーキ役となる勢力が「国益」に寄与していたことになります。そもそも物事を正面から見れば「A」、背後から見れば「B」という判断を下すような場面が多々あります。政権の方針が本当に正しいのかどうか的確に判断するためには、普段から多面的な情報に接していくことが重要です。

そのためにも公共放送であるNHKは幅広い視点や立場からの番組作りに努め、よりいっそう多面的な情報を提供していくメディアの中心であり続けることを期待しています。当然、籾井会長をはじめ、経営委員の一人ひとりの個人的な信条や表現の自由は守られなければなりません。一方で、NHKという組織として「政治的公平性」や「不偏不党」の立場を貫くため、経営委員には「政党役員や同一政党に所属する者が5人いてはならない」と定められている点なども留意していく必要があります。

つまりNHK経営委員会のメンバーは本来、幅広い層や立場から選ばれた多士済済な顔ぶれとなることが求められているはずです。それにもかかわらず、安倍首相に近い人物が多いという批判を受けている現状であり、ぜひ、経営委員会そのものが「安倍カラー」一色とならないように願っているところです。最後に、このブログも多面的な情報を提供する一つの場として続けています。その一環として、今回、NHKの問題を取り上げましたが、経営委員に絡んだ次のような報道も参考までに紹介させていただきます。

1993年に抗議先の朝日新聞社で拳銃自殺した右翼団体元幹部について、NHK経営委員の長谷川三千子埼玉大学名誉教授(67)が昨年10月、この自殺を礼賛する追悼文を発表していたことが分かった。メディアへの暴力による圧力には全く触れず、刑事事件の当事者を擁護したと読める内容で、NHK経営委員の資質を問う声が出ている。

自殺した元幹部は新右翼「大悲会」の野村秋介・元会長(当時58歳)。警視庁公安部などが銃刀法違反容疑で同氏の自宅などを家宅捜索した。長谷川氏は元幹部の没後20年を機に発行された追悼文集に「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村 秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛。野村氏の行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と憲法が定める象徴天皇制を否定するような記載をしていた。また、朝日新聞について「彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない」と不信感をつづっている。

追悼文は昨年10月18日に東京都内の会合で参列者に配布された。政府は同25日、衆参両院に長谷川氏ら4人をNHK経営委員会委員とする同意人事案を提示、11月8日に正式同意されている。長谷川氏は毎日新聞の取材に「非常勤のNHK経営委員には自らの思想信条を表現する自由が認められている。自らの仕事として精神思想史の研究を行ったり、民族主義者の追悼文を書いたりすることは、経営委員としての資格とはまったく無関係のこと。経営委員には番組作りに関与する権限はなく、追悼文を書いたからといって意図的な特集番組を放送することはありえない。経営委員は常にルールに従って行動している」としている。NHK経営委員の政治的な発言を禁じる規則はない。しかし放送法31条は、同委員の資格として「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者」と定めており、議論になりそうだ。

◇資質疑う声も  経営委員会は事業計画や毎年の予算の議決、会長の任命・罷免などを行うNHKの最高意思決定機関。委員12人(任期3年)は衆参両院の同意を得て首相が任命する。委員には政党役員や同一政党に所属する者が5人以上いてはならない。長谷川氏は昨年11月、作家の百田尚樹氏らとともに選ばれ「安倍カラー人事」と言われた。百田氏は3日、東京都知事選で田母神俊雄候補(無所属)の応援演説に立ち、南京大虐殺はなかったなどと歴史認識に関する持論を展開、波紋を広げた。

放送法では個別番組の編集などに関与することはできないとされている。ただし経営委員会事務局によると、個人の思想・信条に基づいた行動は妨げられないとしている。服部孝章・立教大教授(メディア法)は「長谷川氏は言論機関に拳銃を持ち込み、発射したというテロ行為とみなされる刑事事件を何ら批判せず、むしろ礼賛 している。このような人物をNHK経営委員に任命した責任を政府は問われなければならないし、国会は同意した責任を問われなければならない」と指摘した。作家の柳田邦男さんは「品格と見識を疑われるような言説だ。経営委員は、不偏不党が求められるNHKのあり方を左右する立場だ。その職に、こうした人物が選ばれることに時代の危機を感じる」と語った。【毎日新聞2014年2月5日

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2014年2月 2日 (日)

平和フォーラム批判から思うこと

久しぶりに同じ記事タイトルに「Part3」まで付け、「いがみ合わないことの大切さ」「いがみ合わないことの大切さ Part2」「いがみ合わないことの大切さ Part3」と続けてきました。それでも「次回以降の記事で」と予告していながら書き尽くせなかった宿題を残し、コメント欄に寄せられている声に対しても充分な対応がはかれていません。今回、このような経緯を踏まえ、いろいろ個人的に思うことを新規記事に書き連ねていくつもりです。書き始めていくと普段以上に長い記事になることが見込まれたため、久しぶりに小見出しも付けることにしました。

侮蔑した言葉だけは控えて欲しい

これまで平和フォーラムに対するnagiさんからの問いかけに応じて「平和フォーラムについて」「もう少し平和フォーラムについて」「再び、平和フォーラムについて」という記事を投稿してきました。私が答えられる範囲で答え続けてきたつもりであり、3回目の記事に関しては過去2回の内容の焼き直しのようになっていました。そのため、解決済みではない過去の記事を持ち出して「この話は解決済みですよ」と装おうとしているという批判まで受けていました。

端的に答えようとすれば、言葉が不足し、誤解を招く場合があります。一方で、長々と書くと何が言いたいのか、うまく要点が伝わらなくなる場合もあります。そもそも基本的な視点や立場を異にする方々と分かり合うことの難しさがあり、nagiさんをはじめ、残念ながら複数の方が私の「答え」に納得いただけていない関係性もやむを得ないものと受けとめています。無責任な言葉だと思われないように注意しなければなりませんが、あくまでもいろいろな「答え」を認め合った場として皆さんとお付き合いしたいという心構えでした。

一昨年春頃から私自身のコメント欄参加を徐々に控え始め、人によって評価が大きく分かれがちな難しいテーマに関しては記事本文を通してお答えするように努めています。このような運営方針に変わってからもnagiさんから同じような論点(私からすればですが)に繋がる問いかけが繰り返されていたため、「十問一答」にとどまるレスの遅さについてご理解ご容赦を願ってきていました。なお、ここで強調しなければなりませんが、nagiさんの積極的なコメント欄の参加を歓迎し、控えて欲しいなどという気持ちは一切ありませんので誤解されないようよろしくお願いします。

そのような関係性の中で一つだけ気になることがありました。前回記事の中でも記したことですが、あえて侮蔑した言葉を使わなくても平和フォーラムは「平和フォーラム」と呼んだ上で批判意見を展開して欲しいというお願いでした。私どもの組合員の皆さんをはじめ、知り合いの方々からすれば当ブログは匿名での位置付けになっていません。もともと一人でも多くの方にご覧になって欲しいものと願い、積極的にPRしてきています。当然、その知り合いの中に平和フォーラムの関係者の皆さんも数多くいらっしゃいます。

そのような関係性からの「礼節」以前の問題として、そもそも意図的に揶揄した言葉使いは私自身も不愉快だったため、ブログの管理人の立場からも再三「お願い」を繰り返さざるを得ませんでした。それも通りすがりの方であれば逐一指摘していません。普段、たいへん理性的で穏やかなコメント投稿の多い常連のnagiさんに対してだったからこそ、くどいほど指摘を重ねていた経緯もあります。nagiさんからすれば平和フォーラムは別であり、どうしても組織名に「平和」という言葉を付けて呼ぶことはできない、というこだわりがあるようです。

しかし、罵ることを目的にしているのであれば仕方ありませんが、平和フォーラムの関係者の一人が運営するブログの場で、いろいろな問いかけや意見表明を行なうことが主な目的と考えている場合、最低限のマナーが求められるのではないでしょうか。例えば「支那」という言葉は概ね現在の中国にあたる地域を指す名称でしたが、戦後、差別語や蔑称に位置付けられるようになっていました。外務省次官通達まで出され、公的な場やマスコミでは一切使われなくなっています。

ただ今でも中国を「支那」と呼ぶ方が時々見受けられます。特に差別語ではないと思って使われている方、意図的に侮蔑した思いをこめて使われている方、様々なのかも知れません。いずれにしても蔑称だと分類された言葉を使うことは極力避けるべきものと考えています。中国人を前にして使った場合、間違いなく相手に不愉快な印象を与えてしまうはずです。最初から喧嘩したいのであれば仕方ありませんが、友好的、もしくはごく普通に付き合いたいのであれば言葉は選ぶべきものではないでしょうか。

当然、表現の自由、言論の自由があり、そのような侮蔑した言葉を使っただけで罰せられるものではありません。インターネット上は不特定多数の方々が閲覧できる公衆の場ですので、できれば注意して使うべき言葉が多数あるものと私自身は考えています。それでも当ブログ以外のサイトで侮蔑した言葉が飛び交っていたとしても、私自身は静観するだけの立場です。くどいようですが、あくまでも当ブログの管理人の立場から「侮蔑した言葉だけは控えて欲しい」という「お願い」を繰り返しています。

平和フォーラムからの言論統制?

今回の記事も「内容の真実性」より「手続きの適切性」を優先させているという指摘を受けてしまいがちな書き出しとなっています。3週続いた記事と今回記事の冒頭の内容にそのような意図は一切ありませんが、「言いたくない」ことがあるため、そのような「手続きの適切性」に争点を絞っているような見られ方は意外なものでした。前回記事のコメント欄では言論統制の問題にまで広げられてしまい、たいへん驚くべき話の展開でした。このような誤解は払拭しなければならないため、今回の記事本文を通して言葉を尽くしていくつもりです。

先ほど「端的に答えようとすれば、言葉が不足し、誤解を招く場合があります。一方で、長々と書くと何が言いたいのか、うまく要点が伝わらなくなる場合もあります」と記しましたが、今回、端的な言葉で少しでも誤解が解けるように努めていきます。詳しい背景や説明は過去の記事をご参照いただければと考え、馴染むのかどうか分かりませんが、一文が長くならないよう箇条書きにしてみました。

  • まず平和フォーラムからの言論統制はありません。 
  • nagiさんからの問いかけへの対応の大半は記事本文に委ねていたため、侮蔑した言葉だけは控えて欲しいという「お願い」をコメント欄で重ねていました。 
  • 言いたくないこと、大っぴらに言うことで不利になるような認識もありません。 
  • そもそも私自身が答えられる範囲で、すでに平和フォーラムについて語ってきています。 
  • その中で、55年体制、東西冷戦の時代から連なっている運動のスタイルがあることも認めています。 
  • しかしながら一つの一つの事象に対し、抗議しないから「親○○」だという見方も一面的であることを釈明してきました。
  • 最初から日本国内に存在している軍事基地に反対している方針が多いことも説明しています。
  • 平和フォーラムの運動の進め方について、省みるべき点が多々あるものと考えています。
  • 白紙から改めて運動方針を積み上げた場合、また違ったスタイルになる可能性を否定していません。 
  • 上記のような言葉一つ取っても、ブログ上で言葉は選んでいますが、私なりの問題意識を自由に発言してきています。 
  • 各論での個人的な問題意識を実際の場面で提起する時がありますが、私自身、平和フォーラムの総論的な方針を否定する立場ではありません。 
  • その上で、私自身の安全保障の考え方は「平和の話、インデックス」「荒地よりもお花畑」「荒地よりもお花畑 Part2」「現実の場面での選択肢として」「外交・安全保障のリアリズム」のとおりです。

普段、記事本文の中に文章として並べるものを単に箇条書きにした形となっています。読み返してみると端的過ぎて、かえって分かりづらくしている恐れもあります。ここからは普段のスタイルに戻り、もう少し思うことを書き進めてみます。戦後、アメリカの日本に対する情報戦略、日本人捕虜に対して中国や旧ソ連が洗脳を行なったことは事実として受けとめています。そのような情報戦の「成果」として、ある時期、ある場面での反戦平和運動が煽られた可能性についても全否定できるものではありません。

しかしながら現在、そのような洗脳のもとに平和フォーラムの運動を担っている方は私の知る範囲では皆無です。あくまでも日本国憲法や国連憲章に掲げられている平和主義を大事にするため、一国平和主義という批判を招かないため、どうすべきかという問題意識を持ちながら運動を進めている方々ばかりです。その考え方や進め方に対し、個々人での評価は大きく枝分かれし、強い批判にさらされる場合もあろうかと思います。それでも多様な考え方があり、それを表明し合え、認め合える社会こそ、健全であることが言うまでもありません。

ある程度私自身が責任持って答えられる平和フォーラムについて改めて説明していますが、何か危険で非民主的な組織であるような思い込みやレッテル貼りは前向きな議論の障壁の一つになるものと考えています。同様に最近、気になる言葉として「安倍首相は戦争をしたがっている」というような批判の仕方が目に付いています。ダボス会議で安倍首相が今の日中の緊張を第1次世界大戦前の英独と似た状況だと発言した際は、米誌タイムの見出しに「日本と中国は戦争になるのか」と掲げられてしまいました。

安倍首相も戦争を望んでいる訳ではないことを理解しているつもりです。したがって、安倍首相を「軍国主義者」と呼ぶような批判の仕方は、やはり思い込みやレッテル貼りの類いになるものと思っています。しかし、安倍首相なりの「平和主義」があり、安全保障面を整える努力を重ねているのでしょうが、「戦争が普通にできる国」をめざしていることも間違いないようです。さらに年末の靖国参拝をはじめ、結果的に近隣諸国との緊張関係を高めている事実も指摘しなければなりません。

2013年末、気ままに雑談放談」の中でも記したことですが、物事には多面的な見方がある中、「自民党はダメ」という二項対立の発想では共感の輪が広がらないように感じています。安倍政権や自民党を支持されている方々にとって、「結論ありき」のような政権批判は不愉快な話だろうと思います。そのため、よりいっそう一つ一つの課題に対して「なぜなのか、どうすべきなのか」という丁寧な呼びかけが大事な試みだろうと考えています。このような問題意識があるため、このブログの場では視点や立場の違いを認め合いながら「私はこのように考える」という言葉の競い合いができることを願っています。その際、レッテル貼りや侮蔑した言葉は余計なものだと考えているところです。

お互いの視点や立場の違いを乗り越えて

冒頭でお伝えしたとおり非常に長い記事となっていますが、具体的な事例を示しながら、もう少し書き進めてみます。以前、コメント欄でnagiさんから「安重根」をどのように考えているのか、犯罪者なのか、平和に命を捧げた英雄なのか、という質問がありました。それに対し、私からは「安重根」に対する評価は国によって大きく異なり、日本人である私の立場ではテロリストとなります、とお答えしていました。最近、次の報道のとおり「安重根」の記念館を巡って新たな摩擦が生じていました。

菅義偉官房長官は20日午前の記者会見で、中国黒竜江省のハルビン駅で19日に「安重根義士記念館」の開館式が行われたことについて「極めて遺憾だ」と不快感を表明し、安重根については「わが国の初代首相を殺害し、死刑判決を受けたテロリストだ」と述べた。複数の韓国メディアが報じた。安重根は朝鮮独立運動家で、初代韓国統監を務めた博文元首相を1909年にハルビン駅で射殺した。記念館は、韓国の朴槿恵大統領が中国側に記念碑を設置するよう求めたことがきっかけとなり、駅構内に開設された。

韓国メディアは、菅官房長官の発言を「妄言」と批判。歴史認識をめぐる問題で、日韓両国の感情的な争いが大きくなっていると報じた。中国と韓国の外務省は、菅長官の発言に反発。韓国外務省は論評を通じ「安義士は国際的に尊敬される英雄だ。日本は過去の過ちを悔い、謙虚な姿勢で歴史に直面しなければならない」と強調した。中国外務省は「安重根は中国人民から尊敬される抗日義士」と評価し、日本の抗議を受け入れられないとの立場を明らかにした。

韓国メディアは、菅氏の「テロリスト」発言に対し、韓国のインターネット上には「反省を知らない日本」、「侵略の罪を認めず神社を参拝することは、日本の将来の助けにならない」、「日本の未来はない」、「無知で破廉恥な日本」などの批判の声が寄せられていると紹介した。一部のメディアは、インターネット上ではサイバー戦争の様相を呈していると伝えた。【@niftyニュース2014年1月23日

菅官房長官は「我が国は、安重根は犯罪者であると韓国政府にこれまでも伝えてきた。このような動きは日韓関係のためにはならないのではないか」と韓国政府を批判し、「随分と過剰反応だなと思う。私は従来の我が国の立場を淡々と述べただけだ」と苦言を呈していました。端的に言えば、私自身と菅官房長官の見方は一致している訳ですが、「評価は国によって大きく異なり」という現状認識の問題が難しい論点に繋がっていきます。

菅官房長官も「日本から見れば」という点を強調し、あえて「極めて遺憾だ」という言葉も付け加えず、「評価は国によって大きく異なるため、コメントする立場ではない」程度の受け流しでも良かったのではないでしょうか。それはそれで「テロリスト」という指摘自体に韓国からは抗議を受ける一方で、遺憾だという一言ぐらい添えなかった場合、日本国内の一部からは「弱腰」という批判の声が上がってしまうのかも知れません。

外交に関わる問題に際し、絶対的な「正解」は簡単に見出せません。根本的な視点や立場が違うからだと言えます。そもそも歴史観や世界観をはじめ、道徳や文化的な面での価値観なども国によって異なる場合も多々あります。そのような違いから生じる論点をもとに真正面からぶつかり合い、相手を非難し合うようでは、いがみ合う関係性に終始しがちです。だからこそ、違いは違いとして認め合いながら、お互いの視点や立場を乗り越えて知恵を出し合っていく関係性を築いていくことが重要だろうと思っています。

このように綴ると今の中国や韓国を念頭に置かれ、相手側の理不尽さを訴えられる場合が少なくありません。「これまでの日本は譲歩しすぎだ。安倍首相の対応は一切間違っていない」という批判を受ける場合もあります。また、中国や韓国側の立場を擁護するような主張に対し、「売国」というレッテルを貼られてしまうこともあります。それはそれで個々人の見方や考え方であり、それぞれの「答え」の正しさについて他者に対して「なるほど」と思わせるような言葉の競い合いができれば幸いなことです。

最後に都知事選について

本当に長い記事となりました。長くなったついでと言っては語弊があり、今回のテーマから少しそれてしまいますが、最後に東京都知事選挙についても触れさせていただきます。前回記事のコメント欄で、でりしゃすぱんださんから都知事選に対する見解を求める声が寄せられていました。実生活の場面でも前回記事を投稿した後、このブログをご覧になっている元上司の方から「都知事選の話題に触れて欲しかった」という要望を伺っていました。

昨年7月の参院選からインターネット選挙が解禁されています。それでも当ブログでは選挙告示後、候補者の固有名詞は出さないように注意しています。元上司の方にはそのような説明をさせていただきましたが、今回、特定の候補者名は出さない形で私どもの組合の対応を参考までに触れてみます。都知事選は1月23日に告示され、16名が立候補しています。来週日曜、2月9日が投開票日となっています。

ある候補者から支援の要請を受けた連合東京は政策協定を交わした上、その候補者の支援を決めました。一方で、連合東京と支持協力関係がある民主党は「組織的勝手連」として別な候補者の応援を決めています。このようなネジレは首長選において珍しいものではないようですが、全国から注目される首都決戦であり、批判的な見られ方に繋がっていました。このような構図の中、私どもの組合の執行委員会で議論した結果、推薦候補者の決定は見送ることを判断しています。

そのことを報告した組合ニュースには「もともと一票の判断は組合員個々人の自主的なものですが、組合員を暮らしを守るため、組合方針に基づき、その都度推薦候補者を決めてきました。今回の都知事選においては、執行委員会で議論した結果、特定の推薦候補者の決定は見送ることを判断しました」と書き添えています。「自主投票」という言葉に少し違和感があり、このような記述としていました。そもそも特定の候補者の推薦を決めたからと言って、組合員として投票が義務付けられるものではありません。その都度、推薦候補者や選挙方針に対するご理解を組合員の皆さんに求めていくことを重視しているからでした。

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