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2014年1月26日 (日)

いがみ合わないことの大切さ Part3

「なんで、こんなミスをするんだ!頭、悪いんじゃないか?!」と上司や先輩から叱られた際、自分の失敗を反省しつつムッとする時があるはずです。上司や先輩の立場からは部下や後輩に対し、ミスを指摘し、今後、同じ過ちを繰り返させないように指導することが必要です。しかし、「頭、悪いんじゃないか」という言葉は余計であり、感情的な反発心を残してしまいがちです。相手が嫌いで単に罵倒したいのであれば別ですが、これからも円滑な人間関係を維持したいのであれば、ある程度言葉は選ばなければならないはずです。

このような点については以前の記事「モノの言い方、モノの見方」「言葉の難しさ、言葉の大切さ」の中でも綴ってきた話でした。ちなみに前回の記事「いがみ合わないことの大切さ Part2」の中で「回りくどい表現は、いがみ合わないためにも意識的に行なっている場合があります」と記していましたが、決して論点を曖昧にするためのものではなく、相手の言い分を頭から否定しないような言葉の選び方について説明したつもりです。

さらに「両極端な意見がぶつかり合った場合、お互い罵り合い、いがみ合う関係性に繋がっていきます」とも記していましたが、このブログのコメント欄を想定した記述ではありません。ネット上でよく見かけていた光景を思い浮かべたもので、ネットウヨ、ブサヨというレッテルを貼った言葉が飛び交っているような場を想定したものでした。このブログのコメント欄に投稿される大半の皆さんは、そのような侮蔑した言葉を控えていただき、理性的な言葉での意見が交わせる場になっているものと思っています。

たろうさんから「罵り合わないようにコメントするルールをお願いしているのだから、その上で両極端な意見をぶつけては何故いけないのか理解できませんでした」という指摘を受けましたが、このブログのコメント欄で両極端な意見がぶつかり合うことの自制を求めた記述ではありません。ネットウヨ、ブサヨというレッテルを貼った言葉などの応酬となり、いがみ合いが前面に出たまま両極端な意見をぶつけ合っていくと、ますます相手を敵視するような関係性になりがちな点を危惧した問題提起でした。

前々回記事「いがみ合わないことの大切さ」の中で、私自身が当ブログに関わるのは休日に限るようになっている経緯や理由を説明させていただきました。レスの遅さや管理人との「一問一答」面で手応えのないブログとなっていますが何卒ご容赦ください。そのようなサイクルの中で休日を迎え、土曜の夜から日曜の朝にかけて、私から3回ほど前回記事のコメント欄に書き込みを行なっていました。直情的な言葉を避け、皆さんに改めてご理解願いたい点について対応させていただきました。

しかし、その短いやり取りを通しても、受け取られ方によって反発や強く批判される対象になっていました。シグ忘れさんから「管理人自身が相手を変えてしまう要因を作っていることに永遠と気づいていない。人として何かが欠落しているのは、管理人方だと判断できるだろう」「この場で礼や配慮を示してしまえば永遠と好き勝手に解釈されて、都合よく使われることを、皆が自覚する必要がある」などという手厳しいコメントが寄せられていました。

シグ忘れさん自身の見方に対し、私自身は私なりの思いを託してブログに向かっていることを伝えた上、「そのような差異について、閲覧されている多くの皆さんがどのように感じられるのか、言葉を競い合っていければと考えています」とお答えしていました。でりしゃすぱんださんからのコメントに対しては「背伸びせず、また、特に窮屈に思わず、このブログを続けています」「自分自身の等身大の思いをこれからも淡々と発信していくつもりです」というレスを行なっていました。

このようなレスそのものが不誠実なもので居直っているような印象を与えてしまっているのかも知れません。しかし、指摘を受けた点について納得できていないのにもかかわらず、その場だけ取り繕うようなレスが論外であることは言うまでもありません。一方で、いろいろご指摘を受けていますが、私自身の振る舞い方やブログの運営方針が絶対正しいものかどうか省みることも必要です。加えて、私も皆さんから寄せられるコメントの内容を正確に理解できず、かみ合わない対応も多いのだろうと反省しています。

いずれにしても不愉快な印象を与えている場合や私自身の力不足については申し訳ありませんが、ご容赦いただくしかありません。それでも基本的な視点や立場が異なる方々から様々な意見を伺える機会の貴重さは何よりなことであり、たいへん辛口な指摘や批判だったとしても「コメントありがとうございました」という感謝の言葉を添える気持ちに偽りはありません。ただ「管理人は、相手には配慮を求めるが自分は無視の姿勢なのは見事に一貫している」という言葉が寄せられてしまうのは誠に残念なことです。

改めて簡潔な説明に努めなければなりませんが、いつも私がお願いしている「配慮」はそれほど多くありません。「違法な活動に力を注ぐ自治労」と断定調に語られれば誹謗中傷となり、あえて侮蔑した言葉を使わなくても平和フォーラムは「平和フォーラム」と呼んだ上で批判意見を展開して欲しいという「お願い」が主なものです。私自身、その二つの団体の代表者や責任者ではありませんが、構成員の一人であり、ブログの管理人の立場から「配慮」を求めざるを得ないものと考えています。

日曜の朝、パソコンに向かい、新規記事を書き進めています。もう少し具体的な事例や話題に絡めながら内容を広げていくつもりでした。それにもかかわらず、ここまで前回記事の内容や寄せられたコメントに対するレスの補足にとどまりながら、すでにそれなりの長さの記事となっています。たいへん恐縮ながら「次回以降の記事で」と予告していながら、そのような話まで行き着いていません。また、東京都知事選挙が告示されている中、その話題に触れないことに違和感を持たれる方もいらっしゃるかも知れません。

いくら「連続性」を重視しているとは言え、このような抽象的な内容の記事が続いていくと訪問される方々の数も残念ながら減少する傾向をたどるのかも知れません。それでも背伸びせず、「雑談放談」ブログとして続けていますので、今回、このあたりで一区切り付けさせていただきます。最後に、少し困ったのが記事タイトルでした。「無題」のまま書き始めていましたが、結局、前回と前々回記事の補足に位置付けられますので久しぶりに「Part3」を付けるという顛末となりました。

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コメント

OTSUさん、こんにちは
もう1月も終わりに差し掛かり、時の流れの速さを思っています。
世の中、インフルエンザとノロウィルスで騒がしいですが、お元気な様子で良かったです。

ブログの方は毎日読ませていただいていましたが、コメントするのは久しぶりですね。
何だろう、最近はコメントしずらい雰囲気があって・・

以前から私がコメントしていることに、「文字のみのコミュニケーション」は大変難しいということがあります。なかなか真意が伝わりにくいですよね。その中で余計な修飾語を使うとどうしても色眼鏡でみてしまうということがあるので、主張したいとことがある場合は淡々と書き込むのが一番なのではと思っています。

私自身はOTSUさんとは、労組の平和活動や原発の存否について意見が異なります。そして、きっと安陪首相の靖国神社参拝についても意見が異なると思います。ただ、そのことについては意見が異なることなので、別に構わないことだと思っています。

今日はたまたま時間があったのでコメントしましたが、現在のコメ欄の状況では次はなかなか書き込もうという気にならないのは残念ですね。

もともとは、OTSUさんのブログなので、まぁ、人様の家で色んな意見を言っている状況なのだから、喧嘩腰になる必要なんてないのになぁと思います。

では、また機会があれば書き込みますね。
寒さ厳しい季節が続きますので、お身体にはお気を付けください。

投稿: 地球人 | 2014年1月26日 (日) 11時59分

地球人さん、さっそくコメントありがとうございます。

いろいろな方からいろいろな意見をいただけることを願っています。そのためにもコメント欄の敷居が高くならないように「配慮」しているつもりですが、私自身のコメント投稿が逆に働く場合もあり、悩ましく思う時があります。このような一言も反発を受ける場合もあるのかも知れませんが、休日で時間が取れる際はできる限りコメント欄に参加していくつもりです。ぜひ、地球人さんもお時間がある際、お気軽に投稿いただければ幸いですので、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年1月26日 (日) 12時10分

このブログはOTSUさんのものなので、OTSUさんが何を書こうがかまうこっちゃありません。例え、私的な日記のようにでもです。
しかしながら、公務員のためいきとして書いているのであれば、やはり内容は「公務員が書いている」というフィルターが、読み手に無意識にかけられてしまいます。
だから、公務員として書かれた内容であるならば、そのようにしてみてはいかがか?とご提案申し上げた。

3週連続で、議論のための議論をテーマに掲げられたのは、OTSUさんの、これまでの苦労の結果であると思うし、そこはご同情申し上げたい。
ただ、ご自身のにじみ出るような感情が見えてこないのは、これはわざとなのか?私は、わざとであってほしいと思います。それくらい苦悩していらっしゃると考えたいと思います。

しかし、苦悩していることを苦悩していると表現しなければ、無限ループだと思います。らちがあきません。
意見の衝突が怖ければ、コメント欄を閉じるのもよしです。

世の中、誰を信じていいのか分からないような、何が正しくて、何が正しくないのか分かりにくくなってきています。
たぶん、すべてが正しくて、すべてが間違っているのでしょう。
労使関係においても、使用者、被使用者はかつての対立から、運命共同体になりつつある。そこに、イデオロギーはないし、空しさだけがある。
なんか、とっても昔の「路線」を引き継ぎ、守りぬいているひとたちがいます。労組しかり、統治機構しかり。いろいろです。

ひとびとは、スカッとする「何か」に期待しているけど、行政体は満足な答えを出し切れていない。
難しい時代になったものです。ほんと。

まあ、これは、でりぱんのひとりごとですけどもね。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年1月26日 (日) 18時15分

でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

ブログのタイトルはシンプルなものにしようと考え、「公務員のためいき」としました。ちなみに開設した当初、次の記事の中でタイトルを決めた経緯を綴っていました。このタイトルで長く続けてきましたので、変更するつもりはありませんが、本来「一地方公務員のためいき」か「一市職労委員長のためいき」が妥当だったのかも知れません。

2005年10月16日(日) 秋、あれから2か月 Part2
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2005/10/part_09fe.html

「にじみ出るような感情が見えてこない」というご指摘を受けていますが、たいへん恐縮ながら「等身大」「自然体」の思いをそのまま発信しています。特に背伸びせず、極端に委縮せず、ただし言葉は選びながらブログに向かっています。それ以上でも、それ以下でもありません。でりしゃすぱんださんが期待されているレベルに至りそうにありませんが、ご容赦くださるようお願いします。

ただ一点、3週続けて同じ記事タイトルとしていますが、決して議論のための議論をテーマにしているつもりもありません。実生活において、もっと広げてとらえれば国対国の関係の中でも問われるテーマだと考えています。きっと外交の課題に広げた際、それこそ賛否両論、いろいろな見方や評価が枝分かれしていくはずです。そのため、中途半端な触れ方を避け、ここまで予告にとどめている側面があります。いずれにしても次回以降、たいへん難しい題材に触れていく予定です。ぜひ、これからもお時間等が許されれば、またご訪問いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2014年1月26日 (日) 21時17分

OTSUさん。
次回以降の記事。よい意味で、期待せずに待っています。
立場上苦しいのは分りますが、あまり、ご自分のカラーを出さないのは、少々、気の毒でもあり、残念でもあります。
できれば、「組織ではこういう主張をしているが、個人的にはこうである、しかしながら、組織の人間としては…。」式の記述を期待するのみです。
本音…「ためいき」の本当の部分を知りたいです。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年1月26日 (日) 22時38分

どうもコメント欄がレスしにくいと指摘されると、私にも原因が
あるのではと考えてしまいます。私は特に荒らしてるつもりは全く
ないのですが。

OTSU氏が引用した私のコメントを懐かしく見ましたが、当時と
心境はなにも変化してません。OTSU氏のおかげで、労働運動や
労働問題、自治労に関する間違った知識や考えを改めることができ
また労働問題に深く関心を持つことができました。本当に感謝して
います。

しかし平和フォーラムに寛容な心を持てと言われても違和感しか
ありません。

以前、あまのじゃく氏が「公務員組合の政治活動は違反だ」と
指摘した際に、OTSU氏は「違反ではありません。」と明確にレスし
そしてなぜ違反でないか説明しました。
コメント見た私も、OTSU氏の答えと説明はよく理解できました。

一方で私が、「あらゆる平和を脅かす軍事活動に反対する団体が
なぜ中国や北朝鮮には活動しないのですか?」という問いをすると、
明確なレスがありません。説明があるのですが答えがありません。

下っ端氏も指摘しましたが、親米でも親中でもかまいません。
私が活動から推定するにこのような答えになると予測します。
「労働組合の平和活動の流れをくみ、世界を軍事力で支配しようと
する米国及びそれに追随する日本に対しての運動であり、元々
中国や北朝鮮は想定していない。」
と答えがあって、その上で歴史的経緯や考えを説明し、やがて構成員から
の意見を集め考えていきたいと言われれば、極めて判り易い説明だと
思うのです。

しかし、OTSU氏はひたすら肝心な部分を避けて避けて答えにしようと
するので、いつまでも「答え」にならない。私はそう考えています。

平和フォーラムが親中、親北朝鮮、反米でなにかまずいのですか?
それを堂々と表明し、それに取組むのは健全なことだと思いますし
反日売国だと言うつもりは毛頭ありません。

全ての軍事活動を反対すると言いつつ、Aは抗議して、Bは抗議しない。
これがおかしいと言ってるにすぎません。
最初から、Aを抗議する活動に取組んでいると明示すれば終わる話です。

投稿: nagi | 2014年1月27日 (月) 12時20分

nagi様の「推測」の部分、大変クリティカルなものだと私も思います。論理的であり、歴史的経緯からも納得できます(賛意は別)。
ただ、当該団体は今、そう大っぴらに言うことの不利さを認識しているから、「今は」言わないのでしょう。
また、ブログ主様は平和フォーラムの組織的一員でありつつも、その責任者ではないから、たとえnagi様の「推測」が事実であっても、自分がそれを主張することはできない。出来る事は、可能な範囲で賛意を示し(表面上の平和運動の必要性を主張する等。ただし結構広い範囲な気がしますが)つつ、共同関係にある団体に対する「礼節」を求めることだけなのでしょうとも推察します。
つまり、nagi様のこのテーマについては「内容の真実性」は争点にしない、「手続き(選んだ言葉)の適切さ」にのみ争点に絞る、というわけです。
役所は、公権力の行使者であることの担保として「手続きの適切性」が非常に重要視される傾向にあります。ある行政行為の内容や結果がどうであれ、手続きが適切であれば、とりあえずその行為が違法・不当ではなく、法的な効力が生じると判断される場合が多いです。役人はそういう思考法に慣れてしまっているので、しばしば「本質」に触れぬまま、手続き論だけで議論を進める傾向が見られます。
要するにこの件、OTSU様としては「言いたくない」ことがあるのだと思います。それは、きつい言葉で批判されている「当事者」本人ではないことが理由の一つ。もう一つは、おそらくこうだろう、という思いはありますが、ここでは控えます。

投稿: qur | 2014年1月28日 (火) 23時45分

qurさん。
組織に属している者は、例え公務員であっても、ブラック企業と揶揄される組織であっても、自身の「ために」ならない言動は慎まれる場合が多いと思います。
原理原則はそうですが、いろいろと加入していている労組や平和団体の方に、探せば正体を晒されるというOTSUさんの身の上を考えると、軽々しくは発言できないものと推測されます。
まして、労組の長であるならば、発言には慎重で、首尾一貫を求められるでしょうからなおさらでしょう。

しかし、今度の都の首長選において、連合東京と連合が普段推している政党がねじれています。いち地公体の労組の長たるOTSUさんが、現場でどう「首尾貫徹」されているのか、ご意見を伺いたいです。
また、最近の労組の構成員の投票行動について、必ずしも組織票にならない例が散見されると思います。この辺もご意見を伺いたい。
首尾貫徹とは、非常に難しい。難しいから言葉をにごすのではなく、現場での難しさを語っていただきたいと思います。

ものごとの本質を見抜けない公務員は、私の住んでいる市にも、また、かつて所属していたヤクショでもあります。
立法主旨などおかまいなし、決まった手続きのみ合法的にとれればよいという職員は末端では結構います。
なぜ、そのようなしくみになっているのかと問い詰めると「手続きできまっているから」と、それ以上の思考をストップさせるのです。

法の主旨を理解できないサービス提供者など、ファミレスの笑顔の意味を知らない店員とかわりありません。ファミレスのバイトさんだってそんなことは集客や売り上げのためだと知っているのに、公務員といったら、情けない状態です。
ファミレスのバイトさんが笑顔を作るのに「規則ですからやらされています」という人は少数派でしょう?

あんまり辛口だと、また、OTSUさんが頭を抱えそうなのでこのへんで。

投稿: | 2014年1月29日 (水) 06時14分

>qur氏
興味深いコメントありがとうございます。

>当該団体は今、そう大っぴらに言うことの不利さを認識しているから、「今は」言わないのでしょう。
私もそう思っています。利己的な考えで、「平和」とはほど遠いとあきれています。

>nagi様のこのテーマについては「内容の真実性」は争点にしない、「手続き(選んだ言葉)の適切さ」にのみ争点に絞る、というわけです。
私にはなかった視点でした。ありがとうございます。

>要するにこの件、OTSU様としては「言いたくない」ことがあるのだと思います。それは、きつい言葉で批判されている「当事者」本人ではないことが理由の一つ。もう一つは、おそらくこうだろう、という思いはありますが、ここでは控えます。

なるほど、たしかにOTSU氏は何か「言いたくない」ことがあると私も考えて
います。おそらく本人は否定されるでしょうが。
ただ、その理由については、私も推測の域をでませんし、これだと確信が
もてるものはありません。
しかしここは日本で、言論統制された国ではないのですがね。しかも
人権や、言論の自由を守れと主張する組織の関係者が過度に発言に
敏感になるのは何とも矛盾してるなあと思うこのごろです。

もうそろそろ、この手の話題を避けるほうが賢明ですかね。
「疑惑」を解消したかったのですが、もはや「客観的事象」で
それが「事実」であると認めるしかないのでしょうか。

投稿: nagi | 2014年1月30日 (木) 13時34分

29日6:14の投稿はでりしゃすぱんだのものでした。追記します。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年1月31日 (金) 09時17分

でりしゃすぱんださん、nagiさん、qurさん、コメントありがとうございました。

今回のコメント欄に寄せられたご意見などを踏まえ、いろいろ個人的に思うことを新規記事に書き連ねる予定です。皆さんの疑念をきれいに払拭できるような内容に至らないかも知れませんが、ぜひ、またご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年2月 1日 (土) 21時00分

次回の記事では以下の記事のように国家間のことを書こうとされているのかなと推察します。

2012/10 荒地よりもお花畑
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2012/10/post-a910.html

コメント欄の回答になるような考察や深みが加わっていることに期待します。


ところで9年前の記事を拝見させて頂き、以下のような文を見かけました。

2005/09 組合の平和運動
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2005/09/post_e733.html
大多数の人は戦争に反対し、反核平和を願っているはずです。一方で多様な価値観や
情報があふれる中、旧態依然の平和運動だけでは何か行き詰まっている気がしています。
(引用終わり)

その後、平和運動は変わっていないように思いますので、平和フォーラムや
自治労を構成されている「常識的」な人々との交わりによって、
旧態依然の平和運動への疑問は払拭されたのでしょうね。

それにしても9年以上も委員長をされていることには率直に敬意を表したいと思います。

投稿: たろう | 2014年2月 2日 (日) 00時08分

たろうさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

土曜日は一日外出し、帰宅してからパソコンに向かいましたが、眠さに負けて新規記事への集中は本日に委ねています。 どれほど深みが加わるかどうか自信はありませんが、かなり長い記事になる気配です。ちなみに「旧態依然の平和運動」の話についても少し触れるような内容を考えてみます。

委員長を担って何年目か、あまり数えないようにしていました(苦笑)。ただ委員長になったその年度にブログを始めていますので、一目で分かるものですが…。委員長を引き受けた際、これほど長期に担うことを想像していませんでしたが、これからも任期1年ごとに今後について判断していくことになります。

投稿: OTSU | 2014年2月 2日 (日) 06時51分

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