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2014年1月12日 (日)

いがみ合わないことの大切さ

元旦に年賀状バージョンの記事を投稿し、お正月は変則日程となっているため、10日以上間隔があき、久しぶりに新規投稿の画面に向かっています。前回記事の中でもお伝えしましたが、このブログは週1回、土曜か日曜の更新を基本としています。加えて、一昨年の春頃からコメント欄への参加も手控えるようになっていました。そのことについて、もう少し詳しく説明すれば良かったのかも知れませんが、新年になってから「年末の話、インデックスⅡ」のコメント欄で次のような問いかけが示されていました。

「コメント欄でのやり取りは辞めて本文に注力すると理解していたのですが方針が変わったのですか」という問いかけでした。こちらとしては過去の記事で何回も私自身のコメント欄への関わり方を説明してきたつもりでしたが、その問いかけがコメント欄常連のnagiさんからのものだったため、やはり繰り返し説明しなければ相互理解が容易ではないことを認識する機会となっていました。年末年始というイレギュラーな時期だったため、さらに分かりづらくしていたようであり、今回の記事を通し、私自身のコメント欄への関わり方を改めて説明させていただきます。

まず結論を述べれば、コメント欄への関わり方の基本は変わっていません。実生活に過度な負担をかけず、このブログを続けていくため、記事の更新は週に1回土曜か日曜に限り、コメント投稿は休日に限るようにしています。したがって、年末年始休暇の期間は土曜日曜に限らず、時間が取れる際、適宜コメント欄に関わっていました。また、コメント欄に寄せられた難しい問いかけに対しては、じっくり腰を落ち着けて取り組める記事本文を通してお答えするように努めています。

このような基本的なスタイルは変えていない中、年末年始、いくつか私からコメントを投稿していました。その一つに平和フォーラムの年頭の声明を全文掲げたものがありました。その直前にnagiさんが「さらし上げしたいのですが、また今度にします。機会があればみなさんも読んで下さい」と書かれていたため、私からコピーペーストを行なったに過ぎず、ほとんど手間が不要のコメントでした。少し扇情的な言葉が気になったため、手っ取り早く全文を転載した上、私から次のような一言も添えさせていただきました。

nagiさんが「日本に対する誹謗中傷で中国韓国の片棒担ぎ満載」と読み取るのは個人の自由です。それに対し、この場では特に私から論評を加えません。ちなみに私自身の言葉で語れば、また違った文章になることも間違いありません。しかし、下記の声明を読んで「日本に対する誹謗中傷で中国韓国の片棒担ぎ満載」と決め付けるかどうかは、個々人で差異が生じるように私自身は感じています。

ブログを長く続け、この「差異」を認め合えるかどうか、分かり合えなくても、いがみ合わないようにできるかどうかが、最も重要なことだと考えるようになっています。この言葉そのものの意図が充分伝わらない、 もしくは伝わった上で強く反発を受ける場合があることも覚悟しています。個々人それぞれの見方や信じている「答え」が千差万別、大きく枝分かれしていくことを当ブログのコメント欄を通し、痛切に感じてきました。

ブログを開設してから長い間、私からのレスは1日に最低1回、ほぼ欠かさずに行なってきました。以前の記事「コメント欄雑感」の中で詳しく綴っていましたが、寄せられたコメント一つ一つを必ず読んでいることをお伝えするためにも、投稿された皆さん一人ひとりのお名前を掲げながら「コメントありがとうございました」というような感謝の言葉を発していました。その際、感謝の一言だけでは無味乾燥なコメントに過ぎないため、何かしら感想などを添えるようにしていました。

かえって中途半端な「つまみ食い」のようなレスと取られがちだったかも知れませんが、自分なりのこだわりから心がけてきたコメント欄との付き合い方でした。ただ残念ながら、そのようなレスや日々のつぶやき程度の一言に対し、トゲのあるコメントが返されるケースも増えていました。素直に「ご指摘ありがとうございます」と返せれば良いのですが、何かレッテルを貼られ、思い込みが前面に出たコメントだった場合、「それは少し違うようです」というように相手の言い分を正さざるを得ませんでした。

いつも述べている話ですが、自分の「答え」が最も正しいと考えていた場合、異なる「答え」に対し、厳しい口調での追及型のコメントになりがちです。しかし、立場や視点が違う方々から少しでも共感を得るためには、よりいっそう言葉遣いの丁寧さが求められているものと考えています。攻撃的な姿勢や蔑んだ言葉が目立った場合、どうしても相手を身構えさせ、本質的な論点に行き着く前の感情的な応酬になりかねません。

つまりトゲのある言葉に対しては、やはりトゲを含んだ言葉で返すことが多くなってしまいがちです。このような傾向は自分自身にも省みている話であり、完璧に感情をコントロールできれば良いのですが、つい余計な一言を付け加え、相手を挑発している時がありました。落ち着いたコメント欄の雰囲気を望みながら、皮肉なことに私自身が火に油を注ぎ、ギスギスした議論に繋げていた面があったことも否めませんでした。

やはり以前の記事「迷った末の結論」の中で綴っていた話ですが、このブログの進め方を自問自答した時期がありました。その結果として「レスを最低1日に1回は行なう」というこだわりを外す判断に至りました。「レスを最低1日に1回」という自分自身に課していたノルマをそれほど負担に感じていた訳ではありませんが、見送ると決めてからの気持ちの軽さが予想以上だったことも確かでした。その後、徐々に距離を置く中で、現在、前述したとおりコメント投稿は休日に限るようになっています。

なお、誤解されないように強調しなければなりませんが、一方通行ではない意見交換ができるブログの利点を引き続き重視しています。したがって、皆さんからの問いかけに対し、コメント欄で一切レスしないと決めている訳ではありません。時間的な余裕が得やすい休日であれば、すみやかにコメント欄でお答えしてきています。あくまでも言葉を尽くし、ある程度の時間を割かなければお答えできないような難解な問いかけに対し、これまで機会を見計らいながら記事本文を通して私なりの「答え」を示させていただいています。

前々回記事「年末の話、インデックスⅡ」のコメント欄で、私が一番嫌いな言説に「話し合いで相互の理解できる」というものがある、 シグ忘れさんから寄せられた言葉です。私自身が「話し合いで相互の理解できる」と主張されているように受け取られ、その言葉の後に私に対する批判意見が続いていました。戦争は絶対避けるべきで、外交交渉を重視すべきという私自身の主張は確かに一貫しています。しかし、前述したとおり基本的な立場や視点が異なる者同士、簡単に分かり合えないことも痛感していました。

話し合いは好きなほうであり、尽くすべきものと考えていますが、必ず相互理解が進むような発想も持ち合わせていません。相手の言い分の正当性を理解できない、つまり分かり合えなくても、敵対視する発想は慎み、いがみ合わないことの大切さを私自身は信じています。相手の言い分に問題性を感じるのであれば、淡々と指摘する中で「差異」を浮き彫りにし、自分自身の「答え」の正しさを主張していくだけの話だろうと考えています。その際、攻撃的な姿勢や蔑んだ言葉は控えて欲しい、このブログを長く続ける中で行き着いた私自身の切実な願いでした。

このような問題意識を踏まえ、具体的な事例や話題にも広げていくつもりでした。いつものことですが、書き進めていくと予想した以上に長い記事となっています。分かり合えなくても、いがみ合わないことの大切さ、抽象的で当たり前なような言葉でまとめた記事にとどまりましたが、ぜひ、多くの皆さんから少しでもご理解を得られれば本当に幸いなことだと思っています。ちなみに今回、書き加えようと考えていた話は機会を見て次回以降の記事本文で示させていただくつもりです。

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コメント

今年もよろしくお願いします。
去年は何度かコメントさせていただきました。


今年、号俸が2つしかあがりませんでした。
人事評価の結果が悪いからのようです。

何も不祥事もないですし仕事もこなしているんですが
国家公務員は管理職に嫌われたら駄目ですね。

いがみ合わないことの大切さは人としてより公務員としては大事ですね。
上の職員には一切口出しできないのが国家公務員なのでしょう。

私が臨時で働いていた市役所はわりと意見がいいやすい環境のようでした。

組合も職員の人事や給与に関しては何もすることができないとのことで
地方公務員の組合ならこんなに弱くないんだろうなと思ったりします。

投稿: 貧乏国家公務員 | 2014年1月12日 (日) 14時29分

貧乏国家公務員さん、コメントありがとうございました。こちらこそ今年もよろしくお願いします。

人事制度は給与の額に直結するため、その制度のあり方に関しては労使協議の対象としています。そのため、組合員の声を受けとめながら、よりベターな制度をめざしています。このように多面的な検証を尽くしていくためにも、組合の役割は大事なことだと思っています。

「年収300万(´・ω・`)貧乏公務員でも前向きに生きたい」をブックマークし、これからも訪問させていだきます。週3回の通院はたいへんですが、お大事にしてください。

投稿: OTSU | 2014年1月12日 (日) 22時06分

話し合いとは期限を決めて答えを出すことした筈なのだが、管理人には伝わらなかったようだ。逆に言うと期限を決めることをせずに、何時までも答えを出せないものは話し合いとは言わないし理解も生まない。


>相手の言い分に問題性を感じるのであれば、淡々と指摘する中で「差異」を浮き彫りにし、自分自身の「答え」の正しさを主張していくだけの話だろうと考えています。

実際のところ管理人の主張で解決することなど何も無い。永遠に平行線を望んでいるのかと疑う。何故なら、話し合いとは背後にある実力行使という名の威圧が演じさせているだけであり、管理人も労使交渉の場ではスト権などの実力行使を用意している筈だ。

管理人が自身を弱体化させて、誰かに隷属する生活を望むのならば止めはしないが、同じくこの国で生活する者として、管理人の他者を巻き込む言動は許容できない。今の考え方を続けるのならば、一切の政治的な主張を止めるべきだ。

管理人の時間稼ぎの言い分は、この国に十分な(武力を含めた)力があり外圧を寄せ付けない環境下であれば結構だと思うが、現在のこの国は政治的にも経済的にも、そして軍事的にも日々圧力を受けていることを認識すべきで、この国が今後も国としての体裁を保つ為に一番必要なのか、常に早急にかつ明確な答えを出し続けることだろうと思う。

その為には「敵対視する発想」大いに結構、「いがみ合い」大いに結構、答えを出す為に必要ならば、どんどんするべきと思う。

投稿: しぐ忘れ | 2014年1月12日 (日) 23時17分

もう一度、管理人の言葉を引用すると、
>相手の言い分に問題性を感じるのであれば、淡々と指摘する中で「差異」を浮き彫りにし、自分自身の「答え」の正しさを主張していくだけの話だろうと考えています。

国として外交という手段を通じて隣国との「差異」を浮き彫りにして、この国として「答え」の正しさを主張していく各過程において、次々と主張を覆す言説を流して足を引っ張っている団体が、他の人から揶揄された似非平和フォーラム。

利害が対立する者の話し合いとは敵対行為の一種であり、答えを出す為にも背景に十分な実力行使する力の蓄えが必要。
だから、実力行使のオプションを次から次へと否定する似非平和フォーラムの主張は一遍の信憑性もないと指摘されるのだろう。


もちろん、不要な争いを避けるべきとの考え方は最重要で私もそう望んでいるが、戦う気概のない者が争いを避ける術は持ち得ないし、どうしても争いになるのならば、やる以上はどんな手段を使っても勝たねばならない。

話し合いと相互理解は、そういう気概を示せない者には決して成しえないものだろうと思う。

投稿: シグ忘れ | 2014年1月12日 (日) 23時25分

今年もよろしくお願いします。
年末にBSドキュメンタリーオリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史を
視聴しました。オリバー・ストーン監督が米国では原爆投下が正当化・神話化(100万の命を救ったなど)されていることに異議を唱え、今日さらに軍事大国化する状況を憂慮し警鐘を鳴らしています。
最終回の終わりに「意見の違いを超えて大切なものを守るのです」との語りに私は、監督がこのシリーズをつらぬいているテーマなのだなと感じました。
 あっという間に年末年始が終わりましたが、ときどきこういうドキュメンタリーや書籍を見たり読んだりすることの大切さを感じました。
 OTSUさんの今回の記事はオリバー・ストーン監督の考えに近いのかな?など勝手に思っていますが、ブログのコメントが充実したものになることを希望してやみません。

投稿: ためいきばかり | 2014年1月12日 (日) 23時44分

しぐ忘れ(シグ忘れ)さん、ためいきばかりさん、コメントありがとうございました。

残念ながらシグ忘れさんに対しては、私から伝えたい意図がうまく伝わらなかったようです。ためいきばかりさんと貧乏国家公務員さんにはご理解いただけているようであり、やはり個々人で受けとめ方が枝分かれしていく問題提起だったものと認識しています。

記事本文の最後に触れたとおり次回以降の記事で、この問題意識から具体的な事例や話題に広げていくつもりです。そのような記事を通し、シグ忘れさんからの指摘に対するレスに少しでも繋げられればと考えています。ただ一言取り急ぎ添えさせていただければ、私自身も話し合いが万能で、話し合いですべて解決できるとは思っていません。

そのことを今回の記事本文に書き込んでいますが、話し合いで平行線になるようであれば、いがみ合うのですか?それで良いのですか?そのような問題提起を行なっているつもりです。きっと中国との関係など具体的な事例を頭に浮かべられている方は、いろいろ言い分があろうかと思います。それでも基本的な姿勢の問題として記事タイトルのような問題意識を私自身は強めているところです。

投稿: OTSU | 2014年1月13日 (月) 07時26分

ある質問者がこのような質問をしました。
「カラスは何色ですか?」
質問者は次のような答えを想定します。
「カラスは黒です」「カラスは白です」「カラスは灰色です」

しかし回答者はカラスの生態や名称の理由、集団行動などを丁寧に
説明し、「自分の思いを答えにしました」と発言されました。

質問者は当惑します。それでカラスは何色なのだろうと。
そして自分の質問のしかたが悪かったと思い選択肢をあげます。
次の選択肢から答えて下さい
1.「カラスは黒い」
2.「カラスは白い」
3.「カラスは灰色」

しかし回答者は答えます。「試験ならば選択肢を答えないと点数は得られないが
これは試験ではなく、自分の思いは以前述べたとおりです。」

質問者はさらに当惑します。それでカラスは何色なのだろうと。
そして自分の質問のしかたが悪かったと思いさらなる考えた質問を行います。


ループはいつまで続くのか。

投稿: nagi | 2014年1月14日 (火) 08時50分

横レスですがnagi様

nagi様が念頭に置かれている某団体について、このような例示で問いかけた場合、
「このような問題について『色分け』で論じること自体が、ある種のレッテル貼りとなるため、問い自体が不適切だ」という反論が想定されます。
カラスの色のように、客観的事実(反射する光の波長)で一義的に答えが決まる問題と、某団体の評価のように、様々な視点からの価値判断が想定される問題は、同一視できませんから、このような反論を無効化することは、困難ではないでしょうか。
すなわち、何らかの価値判断を含む問いを相手に求める場合、「特定の価値判断を留保する」という視点・見解をも、尊重せざるを得なくなると、私は考えます。
「ループが続く」のは、私見では、上記によります。

投稿: qur | 2014年1月15日 (水) 01時55分

今年もよろしくお願いします。
昨年は何度かコメントさせて頂きました。

わたしは今回の記事の要旨を以下のように理解しました。
「このブログのコメント欄でのやりとりについて感情的にならずに丁寧な表現でお願いします。」

ところで、このところ議論の多い平和運動?に関するやりとりを振り返ると、本質的
には支那・半島の利益になることを日本の国益につながるとかと説明されても
納得できないし、論理的に無理があるのでその疑問や指摘がたくさん寄せ
られているのだと思っています。そして鋭い指摘があるとこれまで以下のような対応が目立っているように感じました。

1.回答せず、わかりあえないのは仕方ない、平行線という結論に導く
2.誹謗中傷といって表現の問題に話を移す。
3.回りくどく、わかりにくい表現の回答。
4.答えになっていない過去記事をリンクする。

上記を読まれたらOTSU様が不愉快に感じられることは間違いないと思いますが、わたし個人の率直な感想であり、
決して感情的になったり挑発しようとしているわけではありませんのでご容赦頂ければと思います。

なぜなぜをくり返して本質的な議論ができ、価値観や、お互いが持つ情報の違いなどまで行き着けば相互理解が進み、
良いと思います。(以前下っ端さんとの原発ゼロの話ではそこまで行き着いた気がします。)
わたしとしてはnagiさんからの投げかけられている質問への回答となる記事の掲載を期待しています。

投稿: たろう | 2014年1月15日 (水) 02時30分

モジヅラのみでのコミュニケーションは、やはり、顔が見えないだけに、相手の本当の意思まで読み取るのは難しいです。
文書主体の行政組織や労使交渉では、文の「てにをは」ひとつでもトラブルになります。文章では揚げ足を取られやすい。
しかしながら、このブログは管理人さんのブログでしかありません。管理人さんの、コメントをフルオープンしている状態は、元公務員としては「チャレンジャーだなぁ」と思います。公務として情報発信しているのであればいざしらず、そうではないようですので、それなりのものと解釈したほうがよいと思います。
もうひとつ、地公体においては、当該地域に対する、独占的な唯一の公共サービス提供主体であることは忘れてはいけないのではないかと思います。同じ区市町村に区市町村役所・役場は2つ3つもいりません。役所は携帯電話会社などのように選びようがないのです。地公体はサービス主体として非常に「重たい」。
ですから、とうぜん公務員である人の言葉は、たとえどんな人から発せられていようとも、その実態を示すものとして「重たい」のではないかと思います。
役所の最大の敵は、労組でも首長でも議会でもなく、住民です。住民はいつも役所に対してアンチなのです。アンチな住民の目からすれば、職員も労組も議会も他の区市町村も国家機関だのへったくれもありません。みんな一緒に見えます。ですから、言葉が先鋭化するのも無理はないと思います。
できるだけ丁寧な応対をすること、腹の中に「忍」の一文字を入れることが、私は肝要なのかなと思います。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年1月15日 (水) 10時56分

>qur氏

ご指摘ありがとうございます。カラスのくだりはポピュラーな例えと
思い使いました。「色分け」で論じるつもりはなかったのですが、
誤解を生む表現ですね。

では、こんな例えで表現してみます。

ある夫婦がいます。夫が妻にリクエストをします。

夫「僕は野菜ならなんでも好きだし食べるよ」
妻「じゃあさっそく夕食に出すわ」

そして妻は特製サラダを作りテーブルに出しました。
夫はおいしそうに食べてますが、なぜかニンジンを食べません。

妻「あら、野菜はなんでも好きなんでしょ、どうしてニンジンを食べないの?」
妻は次のような回答を想定します。
「実はニンジンは嫌いなんだ」
「ニンジンの食感が苦手なんだ」
「ニンジンなんてあったかな?」

しかし夫は、サラダの定義や栄養バランス、野菜を食べる意義を丁寧に説明
しますが、なぜ「野菜は好きなのにニンジンは食べないのか」を答えて
くれません。

妻は当惑し、自分の質問が悪かったと思い選択肢をあげます。
1.「ニンジンの色合いが嫌い」
2.「ニンジンの食感が嫌い」
3.「野菜が好きというのは方便だ」


しかし夫は答えます。「試験ならば選択肢を答えないと点数は得られないが
これは試験ではなく、自分の思いは以前述べたとおりだ。」

妻はさらに当惑します。野菜が好きなのになぜニンジンは食べないのか
質問のしかたが悪かったと思いさらに質問を続けます。

さて、ループは続くのか

投稿: nagi | 2014年1月15日 (水) 17時34分

「いがみ合わない」ことが可能であるか否か・・・ですか?
このブログを、ま、ざざざっと目を通しましたが、早く言ってしまえば「できないでしょうな」ですね。
個々人の価値観の違いをOTSUさんが認めておきながら、いがみあいのない世界観が生まれるか?
非常に哲学的な難問ですが、最大公約数は求められても・・・いや、求めることすらムリかもしれないです。
どうでしょうか、もう一度、組合員である公務員という立場よりも、いち公務員であってはいかが?
なんか、地方公務員の実態や考え方を探しにこのブログに来たのに、残念な感じです。やはり、地方公務員というものはそういうものなのかなぁ?中央省庁では天下国家を語れる人がわずかながらに残っていますがね。それも考えを改めなくちゃかもですかね。そうかもしれない。
プレスを前にして原稿にないことををあわててかます報道担当者のような文章は、元国家公務員としては、見るに耐えないです。
そもそも地方公務員とは、そういうものなのでしょうか?地域を守りたい育てたいという意識はこのブログでざざざっと見たところぶっとんでいると思います。もっとも、そういう企画意識の高い人物はブログなんかやってないかもですね。
いや、はじめて、このブログに訪れてナマイキ言っているのははわかっています。しかしながら、組合の長たる方と知り読み進めたのにです、もっと骨太なことを堂々と書き込んでいるものと思って、検索サイトからやってきた私は、ちょっと拍子抜けです。
ウチの市から意見を求められているのだが、参考にならぬ。申し訳ないですが。ざんねん。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年1月15日 (水) 21時20分

上のコメントを書いてから改めてこのブログの最初の方から読み直してみました。あまりにも文字が多いので、ざーっとです。ざーっと。
結論。地方公務員の執行役員の方々というものは、「地方自治について職員はどう向かうべきなのか」、「地方活性化のために職員はどうするべきなのか」、「普通地方公共団体の職員として地域住民のためどのようにして切磋琢磨しているか」がまるで書かれていないため、このブログではあなたがたの活動の意味はわからないです。ざんねんとはそういう意味です。
書かれているのは、ニュース的な事実の羅列と、自治労として・連合としての立場ばかり。
ほんとうにこれで、日本の地方はよくなるのでしょうか?私は議員さんたちよりも、職員さん・・・特に職員組合に加入されている方々の方がプロ意識が高い、自己研鑚を積んでいるものと思っていましたが、どうも、このブログでは、その意気は感じられませんでした。
そういう問題は政治家センセイに任せればいいのでしょうか?いや、首長制である日本の地方自治においては、職員は首長への労働力の提供主体であると同時に、地公体におけるブレーンであると思っていましたが、なんだか、本当に仕事しているんですか?こなしているだけですか?「仕事」であるかぎり面白いことを企画立案や思案もしないのですか?仕事の改善も提起しないのですか?非常に疑問を覚えます。
まぁ、先端を好み改革を好む公務員は、私のようにマッサツされちゃうわけですが、いや、意識が見えないんですよ。この文章のカタマリを見る限り。
このコメントを読んでいるみなさんに申し添えます。この国の行く末を担っているのは首長さんや議員センセイばかりではないです。その背後に控える公務員もそれに加わるのです。これは今のところ事実だし、政治が弱いからというのではなく、公務員制度を効率的に動かしてこなかったこの国のしくみが悪いんです。
しくみを変えるのは誰か?立案するのは当事者たちに決まっています。職員も含まれます。労組であればなおさらなはずなのです。
しかし、このブログを見る限り(読んでません見ています)、どうもその意識は間違っているようです。私は私が住んでいる市に対し猛省を促さなければならないと思います。この市の将来は、ブレーンである一般職職員も担っていることを。
そして、働きやすい環境を提供し、職員を効率的に動かすしくみづくりを、いち市民である私が提起するのです。労組でもなく「職員代表」でもない、いち市民である私が。シヤクショの外部民である私が。
そんな状況があっていいのでしょうか?労組は腐ってしまったのでしょうか?高そうに見えていた地方公務員の資質やプライドというものは、今の時代、もう求めてはいけないのでしょうか。
私は、このようなことをOTSUさんに言うことについて、非常に自分自身に腹が立ちます。求めていけない人に求めているのかもしれません。もう一度、職員訓練所にお戻りなさいと言いたいです。地方自治制度をもう一度勉強しなおしたほうがいいかもです。
地方自治制度を語れない人が、国がどうのとか自民がどうの民主がどうのとか語ってはいけない。まして、ブログのコメントの雑音を拾ってはいけない。
私の主張は間違っているようにも見えるでしょう。しかしながら、公務員とは本来、国のため地域のため人のために働くのです。それを「働いていること」ばかりに目を奪われすぎなんじゃないかなと。滅私奉公とは言いませんが、せめて、地域のブレーンとして働いていただきたいし、そうであるように、労組を指揮してマワシテいくことも、私は必要なことだと認識しています。
よく、「権利は主張するが義務はやらない人がいる」といいますが、地方公務員が働かなければ、地域で唯一無二のサービス提供機関(区市町村)の企画・事務は誰の手で運営するのですか?!労働者の権利は主張するけど、仕事の義務は発生しないのですか?自己研鑽はどうなのですか?忘れないでいただきたいです。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年1月15日 (水) 22時44分

以前の記事に対する投稿も含め、nagiさん、qurさん、たろうさん、でりしゃすぱんださん、下っ端さん、コメントありがとうございました。

コメント欄に一切関わらない訳ではないため、かえって分かりづらくしているようで恐縮です。基本は記事本文に集中するようにしています。そのため、今夜投稿する予定の新規記事の中で、できる限りレスさせていただくつもりです。たいへん申し訳ありませんが、それでも人によっては満足得られる「答え」に至らないかも知れません。そのような点も含め、書き進めてみますのでご容赦ください。

なお、以前の記事のコメント欄で、たろうさんから寄せられた質問ですが、組合の動員であれば、旅費は組合費となります。個人的な参加であれば自費や仲間からのカンパだろうと思います。

投稿: OTSU | 2014年1月18日 (土) 21時44分

カンパや団体扱いの生保なんかからのキャッシュバックをプールなんざ、どこのヤクショでも、民間でもやってまさあ。珍しくもないですよ。
公費で出せないタクシー代、研修費、官官接待etc.etc.
新規記事期待してますよ。それを読んでから、このブログから離脱するかしないか決めようと思います。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年1月18日 (土) 22時50分

でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございます。

期待にそえる新規記事の内容に至らないかも知れませんが、その記事本文の最後に記したような思いのもとご理解いただければ幸いです。よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年1月19日 (日) 00時03分


>たろうさんから寄せられた質問ですが、組合の動員であれば、旅費は組合費となります。

お忙しい中、ご回答頂き有難うございました。
過去記事にも記載されており、失念しておりお手数をおかけして申し訳ありません。

投稿: たろう | 2014年1月19日 (日) 23時36分

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