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2014年1月26日 (日)

いがみ合わないことの大切さ Part3

「なんで、こんなミスをするんだ!頭、悪いんじゃないか?!」と上司や先輩から叱られた際、自分の失敗を反省しつつムッとする時があるはずです。上司や先輩の立場からは部下や後輩に対し、ミスを指摘し、今後、同じ過ちを繰り返させないように指導することが必要です。しかし、「頭、悪いんじゃないか」という言葉は余計であり、感情的な反発心を残してしまいがちです。相手が嫌いで単に罵倒したいのであれば別ですが、これからも円滑な人間関係を維持したいのであれば、ある程度言葉は選ばなければならないはずです。

このような点については以前の記事「モノの言い方、モノの見方」「言葉の難しさ、言葉の大切さ」の中でも綴ってきた話でした。ちなみに前回の記事「いがみ合わないことの大切さ Part2」の中で「回りくどい表現は、いがみ合わないためにも意識的に行なっている場合があります」と記していましたが、決して論点を曖昧にするためのものではなく、相手の言い分を頭から否定しないような言葉の選び方について説明したつもりです。

さらに「両極端な意見がぶつかり合った場合、お互い罵り合い、いがみ合う関係性に繋がっていきます」とも記していましたが、このブログのコメント欄を想定した記述ではありません。ネット上でよく見かけていた光景を思い浮かべたもので、ネットウヨ、ブサヨというレッテルを貼った言葉が飛び交っているような場を想定したものでした。このブログのコメント欄に投稿される大半の皆さんは、そのような侮蔑した言葉を控えていただき、理性的な言葉での意見が交わせる場になっているものと思っています。

たろうさんから「罵り合わないようにコメントするルールをお願いしているのだから、その上で両極端な意見をぶつけては何故いけないのか理解できませんでした」という指摘を受けましたが、このブログのコメント欄で両極端な意見がぶつかり合うことの自制を求めた記述ではありません。ネットウヨ、ブサヨというレッテルを貼った言葉などの応酬となり、いがみ合いが前面に出たまま両極端な意見をぶつけ合っていくと、ますます相手を敵視するような関係性になりがちな点を危惧した問題提起でした。

前々回記事「いがみ合わないことの大切さ」の中で、私自身が当ブログに関わるのは休日に限るようになっている経緯や理由を説明させていただきました。レスの遅さや管理人との「一問一答」面で手応えのないブログとなっていますが何卒ご容赦ください。そのようなサイクルの中で休日を迎え、土曜の夜から日曜の朝にかけて、私から3回ほど前回記事のコメント欄に書き込みを行なっていました。直情的な言葉を避け、皆さんに改めてご理解願いたい点について対応させていただきました。

しかし、その短いやり取りを通しても、受け取られ方によって反発や強く批判される対象になっていました。シグ忘れさんから「管理人自身が相手を変えてしまう要因を作っていることに永遠と気づいていない。人として何かが欠落しているのは、管理人方だと判断できるだろう」「この場で礼や配慮を示してしまえば永遠と好き勝手に解釈されて、都合よく使われることを、皆が自覚する必要がある」などという手厳しいコメントが寄せられていました。

シグ忘れさん自身の見方に対し、私自身は私なりの思いを託してブログに向かっていることを伝えた上、「そのような差異について、閲覧されている多くの皆さんがどのように感じられるのか、言葉を競い合っていければと考えています」とお答えしていました。でりしゃすぱんださんからのコメントに対しては「背伸びせず、また、特に窮屈に思わず、このブログを続けています」「自分自身の等身大の思いをこれからも淡々と発信していくつもりです」というレスを行なっていました。

このようなレスそのものが不誠実なもので居直っているような印象を与えてしまっているのかも知れません。しかし、指摘を受けた点について納得できていないのにもかかわらず、その場だけ取り繕うようなレスが論外であることは言うまでもありません。一方で、いろいろご指摘を受けていますが、私自身の振る舞い方やブログの運営方針が絶対正しいものかどうか省みることも必要です。加えて、私も皆さんから寄せられるコメントの内容を正確に理解できず、かみ合わない対応も多いのだろうと反省しています。

いずれにしても不愉快な印象を与えている場合や私自身の力不足については申し訳ありませんが、ご容赦いただくしかありません。それでも基本的な視点や立場が異なる方々から様々な意見を伺える機会の貴重さは何よりなことであり、たいへん辛口な指摘や批判だったとしても「コメントありがとうございました」という感謝の言葉を添える気持ちに偽りはありません。ただ「管理人は、相手には配慮を求めるが自分は無視の姿勢なのは見事に一貫している」という言葉が寄せられてしまうのは誠に残念なことです。

改めて簡潔な説明に努めなければなりませんが、いつも私がお願いしている「配慮」はそれほど多くありません。「違法な活動に力を注ぐ自治労」と断定調に語られれば誹謗中傷となり、あえて侮蔑した言葉を使わなくても平和フォーラムは「平和フォーラム」と呼んだ上で批判意見を展開して欲しいという「お願い」が主なものです。私自身、その二つの団体の代表者や責任者ではありませんが、構成員の一人であり、ブログの管理人の立場から「配慮」を求めざるを得ないものと考えています。

日曜の朝、パソコンに向かい、新規記事を書き進めています。もう少し具体的な事例や話題に絡めながら内容を広げていくつもりでした。それにもかかわらず、ここまで前回記事の内容や寄せられたコメントに対するレスの補足にとどまりながら、すでにそれなりの長さの記事となっています。たいへん恐縮ながら「次回以降の記事で」と予告していながら、そのような話まで行き着いていません。また、東京都知事選挙が告示されている中、その話題に触れないことに違和感を持たれる方もいらっしゃるかも知れません。

いくら「連続性」を重視しているとは言え、このような抽象的な内容の記事が続いていくと訪問される方々の数も残念ながら減少する傾向をたどるのかも知れません。それでも背伸びせず、「雑談放談」ブログとして続けていますので、今回、このあたりで一区切り付けさせていただきます。最後に、少し困ったのが記事タイトルでした。「無題」のまま書き始めていましたが、結局、前回と前々回記事の補足に位置付けられますので久しぶりに「Part3」を付けるという顛末となりました。

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2014年1月19日 (日)

いがみ合わないことの大切さ Part2

このブログを書き込む際、過去の記事内容の積み重ね、さらに単発で終わらないという今後に向けた連続性を常に意識しています。新規記事の本文中に以前投稿した関連記事にすぐ飛べるようリンクを頻繁にはっていることがその一つです。また、書き込もうと考えていた内容まで行き着かなかった場合、その記事はいったん終わらせ、翌週以降に繋げることも珍しくありません。

一区切り付けた題材でも、コメント欄を通して問いかけや指摘が続いた場合、前回記事の内容を補足するための新規記事の投稿も数多くありました。今回、その両面を踏まえ、前回記事「いがみ合わないことの大切さ」の中で言い尽くせなかったことを中心に書き進めていくつもりです。ちなみに連続性を前提としながらも半数近くは初めて訪れた方々であるため、以前の記事に綴ったとおり「一期一会」という言葉も常に意識しています。

それでも毎回、同じ説明を繰り返すことも現実的には難しいため、結果的に言葉が不足し、伝えたい意図が充分伝わらない場合も少なくありません。このように記すと「単に言葉不足の問題ではない」という指摘を受ける時があります。とは言え、言葉を継ぎ足さなければ、私が何を訴えたいのか、どのような点についてお願いしているのか、疑念をお持ちの方々から理解いただける可能性は皆無となります。そのため、改めて「コメント欄の話、インデックス」に託したような問題意識を綴らせていただきます。

まず誤解されがちな点として、このコメント欄の限界と可能性を踏まえ、いろいろな「答え」を認め合った場にしたいという思いがその一つに上げられます。現実の場面では「答え」を一つに絞らなければならない時が日常であることを当然視しています。結論を出す時期を区切り、喧々囂々、時には強い口調でお互い批判し合う議論もあろうかと思います。話し合いを優位に進めるため、「対話と圧力」など様々な手法を交渉の背景に持つこともあるはずです。

私が再三提起していることは、あくまでも当ブログのコメント欄における「お願い」に過ぎません。前回の記事で改めて説明したとおり基本的な立場や視点が異なる方々と分かり合うことの難しさを痛感しています。書かれている言葉の意味合いそのものに対し、共通の理解に至らない場合をはじめ、個々人が正しいと信じている「答え」に照らし、大きな隔たりがあると当然共感できず、お互い分かり合えなくなるようです。分かり合う、イコール考え方や価値観などを共感し合えるという関係性だと言えます。

ネットウヨ、ブサヨというレッテルを貼った言葉があります。ネット上でよく散見していますが、考え方や立場が違う場合、相手側を侮蔑した意見の書き込みが並びます。左と右、その見方について思うところもありますが、一つの傾向として、両者それぞれ自分自身の「答え」が絶対正しく、上から目線で異なる「答え」を持つ方々を強く批判しています。その際、実生活での経験が乏しいため、観念的な考え方に凝り固まる、そのように決め付けた声を両方の側から目にする時もありました。

もちろん上記のような見方が一面的であることも確かです。ただ言えることは、このような両極端な意見がぶつかり合った場合、お互い罵り合い、いがみ合う関係性に繋がっていきます。そうなってしまうと、相手側の言い分の中に共感できる内容が含まれていても全否定する関係になりがちです。このような関係性が憎しみ合いの芽となり、現実の場面で異端者を排除や抹殺するという極端な事例に繋がりかねません。

少し妄想気味という批判を受けるかも知れませんが、平和な日常生活が一転し、普通に付き合っていた隣人を殺戮していった「ルワンダの悲しみ」を頭に浮かべています。その背景には植民地支配の都合上、ツチ族とフツ族、民族を差異化し、対立させてきた歴史がありました。同じ街で隣近所同士、表面的には平穏さを装った日常を過ごしていましたが、心の奥底には根深い敵意が隠されていたため、信じられない悲劇を一気に誘発していました。

心の奥底に自分とは違うという「敵」を作らせないためにも、いがみ合う場面を少なくしていくことが大切だと思っています。相手の言い分を認められない、反論や批判すべき点が多々ある、とても共感できる内容ではない、分かり合うことが難しくても仕方ありません。しかし、いがみ合わない、自分自身の「答え」から大きく離れた「答え」を持つ者を全否定しない、敵視しないことが大切であるはずです。

言うは易く行なうは難し、実生活の中では様々な場面があり、前述したとおり簡単な話ではありません。そのため、せめて当ブログの場では分かり合えなくても、いがみ合わない、そのような関係性を大切にしていけることを願っています。「答え」を一つに絞ることを目的にしていないため、攻撃的な言葉を並べることよりも、対立する意見の相手方に「なるほど」と思わせるような言葉の競い合いを望んでいます。要するにパネルディスカッションのような場を思い描いていただければ幸いです。

いがみ合わない、このキーワードから他の事例に広げることも考えていました。あまりにも論点が拡散しそうな恐れもあるため、今回の記事では触れず、冒頭に申し上げたような「連続性」に委ねさせていただきます。その上で、前回記事のコメント欄に寄せられていた問いかけや意見に対し、できる限りレスに努めてみます。前回記事の中で 「レスを最低1日に1回」というコメント欄との向き合い方を改め、現在、コメント投稿は休日に限っていることをお伝えしました。

たいへん恐縮ながら日曜の深夜にコメントが寄せられても、1週間ほど管理人からのレスがない現状となっています。平日夜がコメント欄にまったく関われないような忙しさに追われている訳ではありません。実生活に過度な負担をかけないため、このブログに集中するのは休日に限るというメリハリの問題でした。労力面の負担軽減と合わせ、トゲのあるコメントが寄せられた際、時間を置くことで冷静になることができ、客観的な視点で対応をはかれるという利点もありました。

以前であれば、寄せられた問いかけに対し、その夜のうちに一問一答を繰り返していました。私のレスに対し、コメント投稿者が納得できなければ、また翌日質問があり、私が答える、そのようなパターンが日常でした。このブログを開設した目的からすれば、その労力を惜しむものではなく、貴重な機会を得られているものと考えていました。ただ試行錯誤を重ねた末、現在は前述したような割り切った思いに至っていました。

nagiさんからの数多い問いかけに対し、最初の頃はコメント欄を通し、最近は記事本文を中心に私なりの言葉を尽くしてお答えしてきました。その私からの「答え」に対し、nagiさんは納得できない、そのような関係性だろうと思っています。nagiさん自身の様々な疑問をこの場を通して氷解させたいという気持ちを拒むつもりはありません。ただ前述したような経緯や当ブログのコメント欄の限界と可能性を踏まえながら、ある時期からnagiさんのペースに合わせることが困難であることをお伝えし、「十問一答」の関係性にとどまることについてご理解を求めてきました。

コメント欄に一切関わらない訳ではなく、かえって分かりづらくしていたため、前回の記事で改めてそのような位置付けを説明させていただきました。それに対し、カラスの色やニンジンの例え話が示されてしまい、戸惑いながら私自身も徒労感というループを感じていたところです。冷却期間を置き、今回の記事の内容に至っている訳ですが、確かに一問一答ではなく、さらに回りくどい表現も多いため、的確なレスになり切れない側面についても反省しています。

たろうさんからの問いかけに対し、ここまでの記述である程度お答えしたつもりです。回りくどい表現は、いがみ合わないためにも意識的に行なっている場合があります。誹謗中傷に関して指摘する点については「コメント欄の話、インデックス」で記したとおり管理人としての最低限の責務だと考えているからでした。中国や韓国との関係性については機会を見て今後の記事本文の中で展開していくつもりです。「答えになっていない過去記事」という指摘も、たろうさんらからは納得いただけない内容という関係性ではないでしょうか。

でりしゃすぱんださんからは、このブログ自体に対して手厳しい評価をいただきました。このような言い方は失礼にあたるのかも知れませんが、でりしゃすぱんださんが求めている「答え」があり、そのレベルから当ブログの内容が程遠いため、「労働者の権利は主張するけど、仕事の義務は発生しないのですか?」というような意見に繋げられてしまうように感じています。最初のほうから過去の記事に目を通され、そのような印象を与えてしまったことについても同様です。

スーパー公務員」や職務の話なども取り上げてきましたが、でりしゃすぱんださんが期待しているような題材の記事が少ないことも確かです。ただ当ブログは、主に組合役員の立場からの記事内容を背伸びせず、等身大の日常を発信するように努めています。その内容に対し、本当にいろいろな評価を受けてきましたが、批判一辺倒ではなく、励ましや期待する声も数多く寄せられていました。突き放した言い方に聞こえてしまった場合、本意ではありませんが、このような方針を大きく変える考えがないため、率直な思いをお答えさせていただいています。

文章ばかり長く、稚拙な内容だと三下り半を突き付けられ、二度と訪れていただけない方々が多いことも想像しています。とは言え、八方美人となり、好感度を高めるため、上辺だけ取り繕うような粉飾した内容の投稿はあり得ないものと考えています。いずれにしても当ブログのコメント欄は出入り自由な場として、少しでも興味を持たれた方が、いつでも気軽に投稿いただけることを願っています。今回の記事も気ままに書き進めた結果、予定した以上に長い内容となっています。それでも言い残したことが多々あるかも知れませんが、「連続性」という点についてご理解を求めながら、このあたりで一区切り付けさせていただきます。

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2014年1月12日 (日)

いがみ合わないことの大切さ

元旦に年賀状バージョンの記事を投稿し、お正月は変則日程となっているため、10日以上間隔があき、久しぶりに新規投稿の画面に向かっています。前回記事の中でもお伝えしましたが、このブログは週1回、土曜か日曜の更新を基本としています。加えて、一昨年の春頃からコメント欄への参加も手控えるようになっていました。そのことについて、もう少し詳しく説明すれば良かったのかも知れませんが、新年になってから「年末の話、インデックスⅡ」のコメント欄で次のような問いかけが示されていました。

「コメント欄でのやり取りは辞めて本文に注力すると理解していたのですが方針が変わったのですか」という問いかけでした。こちらとしては過去の記事で何回も私自身のコメント欄への関わり方を説明してきたつもりでしたが、その問いかけがコメント欄常連のnagiさんからのものだったため、やはり繰り返し説明しなければ相互理解が容易ではないことを認識する機会となっていました。年末年始というイレギュラーな時期だったため、さらに分かりづらくしていたようであり、今回の記事を通し、私自身のコメント欄への関わり方を改めて説明させていただきます。

まず結論を述べれば、コメント欄への関わり方の基本は変わっていません。実生活に過度な負担をかけず、このブログを続けていくため、記事の更新は週に1回土曜か日曜に限り、コメント投稿は休日に限るようにしています。したがって、年末年始休暇の期間は土曜日曜に限らず、時間が取れる際、適宜コメント欄に関わっていました。また、コメント欄に寄せられた難しい問いかけに対しては、じっくり腰を落ち着けて取り組める記事本文を通してお答えするように努めています。

このような基本的なスタイルは変えていない中、年末年始、いくつか私からコメントを投稿していました。その一つに平和フォーラムの年頭の声明を全文掲げたものがありました。その直前にnagiさんが「さらし上げしたいのですが、また今度にします。機会があればみなさんも読んで下さい」と書かれていたため、私からコピーペーストを行なったに過ぎず、ほとんど手間が不要のコメントでした。少し扇情的な言葉が気になったため、手っ取り早く全文を転載した上、私から次のような一言も添えさせていただきました。

nagiさんが「日本に対する誹謗中傷で中国韓国の片棒担ぎ満載」と読み取るのは個人の自由です。それに対し、この場では特に私から論評を加えません。ちなみに私自身の言葉で語れば、また違った文章になることも間違いありません。しかし、下記の声明を読んで「日本に対する誹謗中傷で中国韓国の片棒担ぎ満載」と決め付けるかどうかは、個々人で差異が生じるように私自身は感じています。

ブログを長く続け、この「差異」を認め合えるかどうか、分かり合えなくても、いがみ合わないようにできるかどうかが、最も重要なことだと考えるようになっています。この言葉そのものの意図が充分伝わらない、 もしくは伝わった上で強く反発を受ける場合があることも覚悟しています。個々人それぞれの見方や信じている「答え」が千差万別、大きく枝分かれしていくことを当ブログのコメント欄を通し、痛切に感じてきました。

ブログを開設してから長い間、私からのレスは1日に最低1回、ほぼ欠かさずに行なってきました。以前の記事「コメント欄雑感」の中で詳しく綴っていましたが、寄せられたコメント一つ一つを必ず読んでいることをお伝えするためにも、投稿された皆さん一人ひとりのお名前を掲げながら「コメントありがとうございました」というような感謝の言葉を発していました。その際、感謝の一言だけでは無味乾燥なコメントに過ぎないため、何かしら感想などを添えるようにしていました。

かえって中途半端な「つまみ食い」のようなレスと取られがちだったかも知れませんが、自分なりのこだわりから心がけてきたコメント欄との付き合い方でした。ただ残念ながら、そのようなレスや日々のつぶやき程度の一言に対し、トゲのあるコメントが返されるケースも増えていました。素直に「ご指摘ありがとうございます」と返せれば良いのですが、何かレッテルを貼られ、思い込みが前面に出たコメントだった場合、「それは少し違うようです」というように相手の言い分を正さざるを得ませんでした。

いつも述べている話ですが、自分の「答え」が最も正しいと考えていた場合、異なる「答え」に対し、厳しい口調での追及型のコメントになりがちです。しかし、立場や視点が違う方々から少しでも共感を得るためには、よりいっそう言葉遣いの丁寧さが求められているものと考えています。攻撃的な姿勢や蔑んだ言葉が目立った場合、どうしても相手を身構えさせ、本質的な論点に行き着く前の感情的な応酬になりかねません。

つまりトゲのある言葉に対しては、やはりトゲを含んだ言葉で返すことが多くなってしまいがちです。このような傾向は自分自身にも省みている話であり、完璧に感情をコントロールできれば良いのですが、つい余計な一言を付け加え、相手を挑発している時がありました。落ち着いたコメント欄の雰囲気を望みながら、皮肉なことに私自身が火に油を注ぎ、ギスギスした議論に繋げていた面があったことも否めませんでした。

やはり以前の記事「迷った末の結論」の中で綴っていた話ですが、このブログの進め方を自問自答した時期がありました。その結果として「レスを最低1日に1回は行なう」というこだわりを外す判断に至りました。「レスを最低1日に1回」という自分自身に課していたノルマをそれほど負担に感じていた訳ではありませんが、見送ると決めてからの気持ちの軽さが予想以上だったことも確かでした。その後、徐々に距離を置く中で、現在、前述したとおりコメント投稿は休日に限るようになっています。

なお、誤解されないように強調しなければなりませんが、一方通行ではない意見交換ができるブログの利点を引き続き重視しています。したがって、皆さんからの問いかけに対し、コメント欄で一切レスしないと決めている訳ではありません。時間的な余裕が得やすい休日であれば、すみやかにコメント欄でお答えしてきています。あくまでも言葉を尽くし、ある程度の時間を割かなければお答えできないような難解な問いかけに対し、これまで機会を見計らいながら記事本文を通して私なりの「答え」を示させていただいています。

前々回記事「年末の話、インデックスⅡ」のコメント欄で、私が一番嫌いな言説に「話し合いで相互の理解できる」というものがある、 シグ忘れさんから寄せられた言葉です。私自身が「話し合いで相互の理解できる」と主張されているように受け取られ、その言葉の後に私に対する批判意見が続いていました。戦争は絶対避けるべきで、外交交渉を重視すべきという私自身の主張は確かに一貫しています。しかし、前述したとおり基本的な立場や視点が異なる者同士、簡単に分かり合えないことも痛感していました。

話し合いは好きなほうであり、尽くすべきものと考えていますが、必ず相互理解が進むような発想も持ち合わせていません。相手の言い分の正当性を理解できない、つまり分かり合えなくても、敵対視する発想は慎み、いがみ合わないことの大切さを私自身は信じています。相手の言い分に問題性を感じるのであれば、淡々と指摘する中で「差異」を浮き彫りにし、自分自身の「答え」の正しさを主張していくだけの話だろうと考えています。その際、攻撃的な姿勢や蔑んだ言葉は控えて欲しい、このブログを長く続ける中で行き着いた私自身の切実な願いでした。

このような問題意識を踏まえ、具体的な事例や話題にも広げていくつもりでした。いつものことですが、書き進めていくと予想した以上に長い記事となっています。分かり合えなくても、いがみ合わないことの大切さ、抽象的で当たり前なような言葉でまとめた記事にとどまりましたが、ぜひ、多くの皆さんから少しでもご理解を得られれば本当に幸いなことだと思っています。ちなみに今回、書き加えようと考えていた話は機会を見て次回以降の記事本文で示させていただくつもりです。

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2014年1月 1日 (水)

2014年、荒馬の轡は前から

あけましておめでとうございます。  Uma_11

今年もよろしくお願いします。 

毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しています。いつも文字ばかりの地味なレイアウトであるため、せめてお正月ぐらいはイラストなどを入れ、少しだけカラフルになるように努めています。2005年8月に「公務員のためいき」を開設してから531タイトル目となりますが、必ず毎週土曜又は日曜に更新し、昨年1年間で53点の記事を投稿していました。

このブログへのアクセスの累計は現時点で約228万件です。昨年元旦までの数が約193万件でしたので、1年間で約35万件のアクセスがあったことになります。週に1回の更新ですが、アクセス数は毎日千件前後で推移しています。これまで時々、いきなりアクセス数が急増する場合もありました。Yahoo!のトップページに掲げられた際のアクセス数23,278件、訪問者数18,393人が1日あたりの最高記録となっています。

ことさらアクセスアップにこだわっている訳ではありませんが、やはり多くの人たちにご訪問いただけることは正直嬉しいものです。特に当ブログは不特定多数の方々に公務員やその組合側の言い分を発信する必要性を意識し、個人の判断と責任でインターネット上に開設してきました。したがって、より多くの人たちに閲覧いただき、たくさんのコメントを頂戴できることは本望なことでした。更新が週1回にもかかわらず、毎日、たくさんの方々にご訪問いただき、ブログを続けていく大きな励みとなっています。

たいへん恐縮ながら一昨年の春頃から私自身はコメント欄から距離を置くようになっています。そのことだけが理由ではないようですが、以前に比べるとお寄せいただくコメントの数は減っています。それでもコメント数の累計は9,740件に及んでいます。中には記事本文よりもコメント欄に寄せられるご意見を楽しみにされている方もいらっしゃるようです。私自身もコメント投稿者同士のハイレベルな議論に接した際は、一閲覧者となって興味深く見守っていました。当ブログをご注目くださっている皆さんに改めて感謝申し上げます。いつも本当にありがとうございます。

このブログの目的や位置付けは「2009年末、改めて当ブログについて」で詳しくお伝えしていました。とりまく情勢の厳しさが増す中、公務員への風当たりは年々強まっています。そのような中で、公務員やその組合に対する厳しい声を謙虚に受けとめながらも、主張すべきことは主張する目的を掲げながら続けています。さらにコメント欄を通し、様々な立場や視点からのご意見を伺えることも貴重な目的としています。厳しい批判意見があることを把握した上で、日常の活動を進めていく大切さを感じ取っていました。

依然として公務員人件費の削減や権利を制限する方向性を「是」とした立ち位置が脚光を浴びがちです。ますます公務員組合にとって厳しい局面が続いていくものと思っています。一方で、残念ながら広範な支持を得られているかどうかで見れば、公務員組合は圧倒的に出遅れた位置にいます。そのため、「何が批判され、どうすべきなのか」、あるいは「誤解による批判だった場合、どのように理解を求めれば良いのか」という相互に意思疎通できる機会が様々な場面で欠かせないものと考えています。

ただ基本的な視点や立場が異なる方々と分かり合うことの難しさも痛感していますが、そのような機会を持たなければ、意思疎通できる可能性はゼロとなります。たいへんマイナーなサイトですが、一人でも多くの方々と接点を持てることを願いながら、今年も当ブログを続けていくつもりです。当然、公務員組合と一口で申し上げても、私自身がその全体を代表している訳ではありません。あくまでも私どもの組合をはじめ、産別に加わっている関係から自治労運動の中で前述したような問題意識を大事にしていきます。

さて、今年は午(うま)年です。年賀状には『「荒馬の轡(くつわ)は前から」という諺があります。困難な問題は真正面からぶつかるのが良いという意味です。午年の一年、そのような心構えを忘れずに過ごせればと思っています。』と記していました。まず職員組合の委員長という役割を担っていますが、組合専従ではない限り、引き続き職務にも全力を尽くしていく決意です。日常業務を無難にこなしていくという発想にとどめず、常にスキルアップをめざしていく心構えを持ち続けたいものと考えています。

組合にかかわる当面する課題として、次年度に向けた人員確保及び職場改善要求書の前進、提案を受けている休暇制度の見直しなどがあります。今年6月には市議会議員選挙があり、組合推薦候補の勝利に向けて取り組みを強めていきます。中長期的な課題としては、組合組織の活性化や基盤の底上げがあげられます。また、現業職員の新規採用試験再開への道筋を立てられるかどうかも今後の重要な課題です。他にも組合の課題は多岐にわたっていますが、午年の年頭に問題意識を強めている課題に絞って掲げさせていただきました。

今年も実生活に過度な負担をかけないよう留意しながら、このブログは引き続き週1回、土曜か日曜の更新を基本としていきます。ちなみにお正月のみ少し変則な日程となり、次回の更新は1月12日又は13日を予定しています。きめ細かいコメント欄への対応がはかれずに恐縮ですが、一人でも多くの方にご覧いただければ誠に幸いなことだと思っています。ぜひとも、これからもどうぞよろしくお願いします。それでは末筆ながら当ブログを訪れてくださった皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げ、新年早々の記事の結びとさせていただきます。

        ☆新春特別付録☆ 「2013年ブログ記事回想記」 

年賀状バージョンの恒例となっていますが、今回も2013年に投稿した記事をインデックス(索引)代わりに12点ほど並べてみました。改めて皆さんへ紹介したい内容を中心に選び、いわゆる「ベスト」ではありません。したがって、12点の並びも投稿日順となっています。それぞれ紹介した記事本文へのリンクをはってありますので、のんびりご覧いただければ幸いです。

  1. 2013年、再生の年に ⇒ 今回と同じ年賀状バージョンで、巳年の年頭に蛇のように脱皮でき、再生の年に繋がることを願いました。やはり特別付録として「2012年ブログ記事回想記」も掲げました。 
  2. 地方公務員の給与削減問題 ⇒ 東日本大震災の復興財源を確保するため、国家公務員給与が2年間平均7.8%削減されます。政府から地方公務員も国家公務員に準じた削減の要請があり、その問題点を綴りました。 
  3. 『ブラック企業』を読み終えて ⇒  若者の労働相談を受け付けるNPO法人「POSSE(ポッセ)」を立ち上げた今野晴貴さんは、その著書『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』の中で、若者の鬱病、医療費や生活保護の増大、少子化、消費者の安全崩壊など、「日本劣化」の要因の一つはブラック企業にあることを訴えられていました。
  4. 橋下市長の発言の波紋 ⇒  大阪市の橋下市長の「慰安婦制度は必要だった」に加え、在日米軍幹部に「性風俗店を活用したほうが良い」と勧めたことが明らかになり、強い批判を受けていました。「発言者が正しい主張だと考えていても…」思いがけない批判を受ける図式についても触れた記事内容でした。
  5. 500回という大きな節目 ⇒  実生活に過度な負担をかけないペースとして毎週1回、土曜日か日曜日に更新するようになってから1回も途絶えずに「週刊」を習慣化しています。これまで記事の回数が100を刻んだ時をメモリアルな節目に位置付けてきましたが、500回という機会に様々な出来事を振り返っていました。  
  6. 私の一冊 ⇒ 自治労都本部の機関紙のコラム「私の一冊」の原稿の依頼を受け、『ブログでできる簡単ホームページ作り』を紹介しました。内容はハウツー本であり、ブログに興味のない方にはまったく面白くない書籍ですが、この本との出会いは私自身にとって非常に意義深いものだったため、「私の一冊」に選んでいました。
  7. 漫画が語る戦争 ⇒ 漫画が語る戦争 戦場の挽歌』『漫画が語る戦争 焦土の鎮魂歌』という背表紙を目にし、帯紙の「ゲーム感覚で戦争をとらえがちな現代の日本人の覚悟を問う警鐘の書。漫画の底力を感じる」「あなたたちが望んでいる戦争とは格好よいものでもなんでもなく、残酷で空しいものでしかない、ということを本書で知ってほしい」という言葉に引かれ、2冊ともレジに持ち込んでいました。
  8. 2020五輪は東京開催 ⇒ 2020五輪を東京に招致できたことは明るい話題でしたが、福島第一原発の汚染水漏れの問題を考えると素直に喜べない複雑さが生じていました。安倍首相が「状況はコントロールされている」と強調されていましたが、今後、この説明通りに好転していけば何よりなことだと思っています。
  9. 特定秘密保護法案 ⇒ 特定秘密の定義が曖昧であるなど、マスコミ、弁護士、研究者らの大半が法案に疑義を投げかけていました。それにもかかわらず、政府与党は多くの反対意見を押し切り、法案を成立させました。その後、内閣支持率が10%ほど下がりましたが、このまま下降線をたどるのかどうか分かりませんが、たいへん重要な出来事でした。
  10. 外交・安全保障のリアリズム ⇒ 私どもの組合も推薦している衆議院議員の長島昭久さんの新著『「活米」という流儀 外交・安全保障のリアリズム』の感想をもとにした記事でした。リアリズムとリベラリズム、二者択一の問題ではなく、まして二項対立にすべきものではないという主張などに共感を覚えていました。
  11. 猪瀬都知事の5千万円 ⇒ 猪瀬前都知事が徳洲会グループから5千万円を「借用」したという問題が発覚し、釈明を続けていた頃の記事でしたが、利害関係者から5千万円を借りたという事実だけで、すでにNGであることを訴えていました。
  12. 原発ホワイトアウト ⇒ 「若杉冽」というペンネームの著者は霞が関の現役キャリア官僚で、小説『原発ホワイトアウト』を通して政府や自民党、電力会社などを告発したという宣伝文句に偽りのないリアリティさがありました。ストーリーも非常に面白く、原発は必要だと思われている方も、原発に懐疑的な方も、一度、読んでいただきたい書籍でした。

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