いがみ合わないことの大切さ Part3
「なんで、こんなミスをするんだ!頭、悪いんじゃないか?!」と上司や先輩から叱られた際、自分の失敗を反省しつつムッとする時があるはずです。上司や先輩の立場からは部下や後輩に対し、ミスを指摘し、今後、同じ過ちを繰り返させないように指導することが必要です。しかし、「頭、悪いんじゃないか」という言葉は余計であり、感情的な反発心を残してしまいがちです。相手が嫌いで単に罵倒したいのであれば別ですが、これからも円滑な人間関係を維持したいのであれば、ある程度言葉は選ばなければならないはずです。
このような点については以前の記事「モノの言い方、モノの見方」「言葉の難しさ、言葉の大切さ」の中でも綴ってきた話でした。ちなみに前回の記事「いがみ合わないことの大切さ Part2」の中で「回りくどい表現は、いがみ合わないためにも意識的に行なっている場合があります」と記していましたが、決して論点を曖昧にするためのものではなく、相手の言い分を頭から否定しないような言葉の選び方について説明したつもりです。
さらに「両極端な意見がぶつかり合った場合、お互い罵り合い、いがみ合う関係性に繋がっていきます」とも記していましたが、このブログのコメント欄を想定した記述ではありません。ネット上でよく見かけていた光景を思い浮かべたもので、ネットウヨ、ブサヨというレッテルを貼った言葉が飛び交っているような場を想定したものでした。このブログのコメント欄に投稿される大半の皆さんは、そのような侮蔑した言葉を控えていただき、理性的な言葉での意見が交わせる場になっているものと思っています。
たろうさんから「罵り合わないようにコメントするルールをお願いしているのだから、その上で両極端な意見をぶつけては何故いけないのか理解できませんでした」という指摘を受けましたが、このブログのコメント欄で両極端な意見がぶつかり合うことの自制を求めた記述ではありません。ネットウヨ、ブサヨというレッテルを貼った言葉などの応酬となり、いがみ合いが前面に出たまま両極端な意見をぶつけ合っていくと、ますます相手を敵視するような関係性になりがちな点を危惧した問題提起でした。
前々回記事「いがみ合わないことの大切さ」の中で、私自身が当ブログに関わるのは休日に限るようになっている経緯や理由を説明させていただきました。レスの遅さや管理人との「一問一答」面で手応えのないブログとなっていますが何卒ご容赦ください。そのようなサイクルの中で休日を迎え、土曜の夜から日曜の朝にかけて、私から3回ほど前回記事のコメント欄に書き込みを行なっていました。直情的な言葉を避け、皆さんに改めてご理解願いたい点について対応させていただきました。
しかし、その短いやり取りを通しても、受け取られ方によって反発や強く批判される対象になっていました。シグ忘れさんから「管理人自身が相手を変えてしまう要因を作っていることに永遠と気づいていない。人として何かが欠落しているのは、管理人方だと判断できるだろう」「この場で礼や配慮を示してしまえば永遠と好き勝手に解釈されて、都合よく使われることを、皆が自覚する必要がある」などという手厳しいコメントが寄せられていました。
シグ忘れさん自身の見方に対し、私自身は私なりの思いを託してブログに向かっていることを伝えた上、「そのような差異について、閲覧されている多くの皆さんがどのように感じられるのか、言葉を競い合っていければと考えています」とお答えしていました。でりしゃすぱんださんからのコメントに対しては「背伸びせず、また、特に窮屈に思わず、このブログを続けています」「自分自身の等身大の思いをこれからも淡々と発信していくつもりです」というレスを行なっていました。
このようなレスそのものが不誠実なもので居直っているような印象を与えてしまっているのかも知れません。しかし、指摘を受けた点について納得できていないのにもかかわらず、その場だけ取り繕うようなレスが論外であることは言うまでもありません。一方で、いろいろご指摘を受けていますが、私自身の振る舞い方やブログの運営方針が絶対正しいものかどうか省みることも必要です。加えて、私も皆さんから寄せられるコメントの内容を正確に理解できず、かみ合わない対応も多いのだろうと反省しています。
いずれにしても不愉快な印象を与えている場合や私自身の力不足については申し訳ありませんが、ご容赦いただくしかありません。それでも基本的な視点や立場が異なる方々から様々な意見を伺える機会の貴重さは何よりなことであり、たいへん辛口な指摘や批判だったとしても「コメントありがとうございました」という感謝の言葉を添える気持ちに偽りはありません。ただ「管理人は、相手には配慮を求めるが自分は無視の姿勢なのは見事に一貫している」という言葉が寄せられてしまうのは誠に残念なことです。
改めて簡潔な説明に努めなければなりませんが、いつも私がお願いしている「配慮」はそれほど多くありません。「違法な活動に力を注ぐ自治労」と断定調に語られれば誹謗中傷となり、あえて侮蔑した言葉を使わなくても平和フォーラムは「平和フォーラム」と呼んだ上で批判意見を展開して欲しいという「お願い」が主なものです。私自身、その二つの団体の代表者や責任者ではありませんが、構成員の一人であり、ブログの管理人の立場から「配慮」を求めざるを得ないものと考えています。
日曜の朝、パソコンに向かい、新規記事を書き進めています。もう少し具体的な事例や話題に絡めながら内容を広げていくつもりでした。それにもかかわらず、ここまで前回記事の内容や寄せられたコメントに対するレスの補足にとどまりながら、すでにそれなりの長さの記事となっています。たいへん恐縮ながら「次回以降の記事で」と予告していながら、そのような話まで行き着いていません。また、東京都知事選挙が告示されている中、その話題に触れないことに違和感を持たれる方もいらっしゃるかも知れません。
いくら「連続性」を重視しているとは言え、このような抽象的な内容の記事が続いていくと訪問される方々の数も残念ながら減少する傾向をたどるのかも知れません。それでも背伸びせず、「雑談放談」ブログとして続けていますので、今回、このあたりで一区切り付けさせていただきます。最後に、少し困ったのが記事タイトルでした。「無題」のまま書き始めていましたが、結局、前回と前々回記事の補足に位置付けられますので久しぶりに「Part3」を付けるという顛末となりました。
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