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2013年12月28日 (土)

年末の話、インデックスⅡ

今年も残りわずかです。今回が2013年の最後の記事となります。毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しているため、この記事がトップページに掲げられるのは大晦日までの予定です。だからと言う訳でもありませんが、少し省力化をはかった記事内容を考えています。これまで時々、「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。

その発展形として「○○の話、インデックス」を始め、「平和の話、インデックス」「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「定期大会の話、インデックス」「年末の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックス」「春闘の話、インデックス」「コメント欄の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」という記事が続いていました。今回、昨年末に投稿した「年末の話、インデックス」に「Ⅱ」を付けた安直なタイトルで書き進めさせていただきます。

さて、昨年も記したことですが、自分の日記でも何年か経ってから読み返すと「あの時、こんなことがあったのか」と改めて思い出す時があります。このブログの以前の記事を読み返す時、そのような意味合いからの面白さも感じていました。昨年末、それぞれの年の最後に投稿した記事をピックアップした際に少し驚きました。毎年、その年の最後には「年末」を意識した内容を書き込んできたものと考えていました。それが最初の3年間は単にその年の最後に投稿した普段の記事の一つに過ぎず、特に「年末」を意識した内容ではなかったという顛末でした。

つまり最初に意図したカテゴリーのインデックスにはなり得ませんでしたが、その年の暮れに話題になっていた内容を取り上げた記事の一覧だと言えます。いずれにしても今回の記事がバックナンバーの紹介だけで終わってしまっては、あまりにも省力化(手抜き?)しすぎだろうと考えています。そのため、今回の記事でも時事の話題に後ほど少し触れながら前回記事「2013年末、気ままに雑談放談」を通して伝えたかった要点などを付け加えていきます。

まず前回記事の要点ですが、自戒もこめて様々な事象に対し、二項対立の発想やフィルターを通した見方は避けなければならない、そのように提起したつもりでした。適切な評価や判断を下すためにも、思い込みやレッテル貼りは慎むべきことだと考えています。このような問題提起は残念ながら容易に受け入れていただけず、前回記事のコメント欄に「自治労は左翼売国奴の集まりだ」 「自治労は中韓北朝鮮に与するスパイの集まりだ」などという言葉が並んでしまいました。

反面教師を実践された事例であり、批判意見と誹謗中傷の違いについても改めて理解を求めざるを得ないものでした。自治労に対し、そのように誤ったレッテルを貼る方が多いことを承知しています。思うことは個々人の自由ですが、インターネット上という公けの場で断定調に書かれてしまうと誹謗中傷に繋がることを繰り返し訴えてきています。また、私から「できれば一つ一つ、そのように断言される根拠をお示しください」と尋ねてみました。 すると別な方から次のようなコメントが寄せられていました。

逆に管理人は、そう言われる要因は自分の内にあることを自覚すべきとも思う。一般であれば「疑いが真」の証明は、指摘する側に説明する義務がある。しかし、公に属する者の場合「疑いが偽」の証明は、指摘された側に説明する義務がある。それが公というものだし、李下に冠を正さず、と古くから言われる所以でもある。それが出来ないという者は、素直に公に属する立場から去るべきだ。

確かに私は地方公務員ですが、このブログの内容は個人の責任で発信しています。「疑いが偽」の証明を私自身に義務があると指摘されても、正直なところ戸惑いが勝っています。それでも冒頭に紹介した「自治労の話、2012年夏」をはじめ、私なりの言葉で反日組織などという「疑いが偽」であることを少しでも晴らせるように努力してきました。ただ誠に残念ながら「疑い」を劇的に晴らせたかと問われれば、基本的な視点や立場が異なる方々と分かり合うことの難しさを痛感する機会となっていました。

そのような経緯があり、「分かり合えなくても」「再び、分かり合えなくても」という記事の投稿に至っていました。自分自身の「答え」からかけ離れた異質な意見があることを認めた上で、投稿された内容に対し、私自身をはじめ、閲覧されている方々が、どのように感じ、共感するのか、反発するのか、個々人の判断や評価に委ねていく、そのような関係性の大切さを訴えてきています。そして、社会の小さな縮図として、せめて当ブログの場では分かり合えなくても、ヘイトスピーチが飛び交うような場にしたくないという思いを強めていました。

年の瀬も押し詰まった時期、人によって評価が大きく分かれるニュースが立て続いていました。南スーダンでPKO活動中の国連部隊(韓国軍)に対して弾薬1万発を譲渡、安倍首相の靖国神社参拝、沖縄県の仲井真弘多知事が辺野古埋め立て申請を承認、それぞれ賛否が極端に割れがちな事例だと言えます。私自身の考え方を書き始めると最初に申し上げた「省力化」から程遠い記事になってしまうはずです。中途半端に触れられる問題ではなく、今回の記事では注視すべき時事の話題にあふれた「年末」だったことを書き記しただけの内容にとどめさせていただきます。

最後に、この一年間、多くの皆さんに当ブログを訪れていただき、たくさんのコメントも頂戴しました。本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。なお、次回の更新は前述したとおり元旦を予定しているため、変則な日程となります。ぜひ、お時間が許されるようであれば、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは少し早いようですが、良い年をお迎えください。

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2013年12月22日 (日)

2013年末、気ままに雑談放談

昨年の今頃の出来事を随分前のように感じるのか、あるいは、つい最近の出来事のように感じるのか、様々なのではないでしょうか。いずれにしても433万余の驚異的な得票で猪瀬都知事が当選したのは昨年12月でした。その1年後、猪瀬都知事が辞任に追い込まれるとは誰も想像できなかったはずです。3年間で3回も都知事選が行なわれることになりますが、最近の記事「猪瀬都知事の5千万円」の中で綴ったとおり辞任は不可避だったものと思っています。

自民党が政権の座に戻ってからも1年過ぎました。景気回復という話も国民の多くは実感できていないような気がしています。安倍首相は財界に対して賃上げを要請する一方、経営者側の意向を反映させた解雇ルールの見直しなどが画策されています。また、国民の多数が将来的には原発ゼロを望む中、安倍政権はその思いとは相反した動きを続けています。それにもかかわらず、1年間、内閣支持率は高いまま推移してきました。

最近、特定秘密保護法案の扱いを巡り、支持率を下げたとは言え、まだ50%前後の数字を維持しています。したがって、このブログを訪れてくださっている皆さんのうち半数は、現政権を支持されている方々であるという見方が成り立ちます。このような見方は、私どもの組合員の皆さんに対しても同様です。ある組織に所属しているからと言って、その組織が支援している政党や政治家を支持しているかと言えば、決してそのような関係性にはなっていません。

そもそも物事には多面的な見方がある中、「自民党はダメ」という二項対立の発想では共感の輪が広がらないように感じています。安倍政権や自民党を支持されている方々にとって、「結論ありき」のような政権批判は不愉快な話だろうと思います。そのため、よりいっそう一つ一つの課題に対して「なぜなのか、どうすべきなのか」という丁寧な呼びかけが大事な試みだろうと考えています。組合活動の中でもそのような思いを強めているため、組合員の皆さんの手元に届く機関紙の新年号の挨拶の中でも触れている問題意識でした。

昨年末「多忙な日々、気ままに雑談放談」「政治が動く師走、雑談放談」「政治が動く師走、雑談放談 Part2」という記事を投稿していました。タイトルを最初に決めず、ここまで今回の記事を書き進めてきました。このまま気ままに書き進めようと考え、いつでも使い回しができるような安直な記事タイトルを今回も付けさせていただきました。その上で、前回記事「原発ホワイトアウト」のコメント欄で少し気になる指摘も受けていましたので、新規記事の本文を通して補足していくつもりです。

昨年春頃から徐々にコメント欄から距離を置き始め、現在は週末に更新する記事本文に集中するようになっています。ただ一切コメント投稿していない訳ではなく、記事本文に向かい合う土曜又は日曜日には一言二言レスするサイクルを定着させています。先週日曜の夜、小泉元首相の脱原発発言に際し、KEIさんから「尻尾を振るOTSUさんの有様には少し引く」というコメントが寄せられたため、すかさず私の考え方について「今回の記事本文の最後に記したとおりです」というレスを行なっていました。

前回の記事本文の最後には、もともと「誰が」よりも「どのような内容を」発言しているかが大事だと考えているため、小泉元首相の主張そのものに対し、率直に共感を覚えていることを記していました。それに対し、さらにKEIさんから深夜、こういう「言いましたよ」だけの表現だと具体的にどこを指しているのかが非常にわかりにくく反論がしにくいという指摘を受けていました。コメント欄に寄せられたご意見は、ほぼ毎日閲覧しています。また、平日夜にコメント投稿できる時間が取れない訳ではありませんので、週末を待たずにレスすべきケースもあるのかも知れません。

それでも自分自身で定めた線引きを守ることで「ブログに集中するのは週末」という日常生活の中でのメリハリを大切にさせていただいています。「雑談放談」とは言え、話が横道にそれながらで申し訳ありません。たいへんレスが遅くなりましたが、KEIさんの指摘を踏まえ、これからは「最後に記したとおり」という表現にとどめず、紹介先の具体的な記述内容も掲げるように努めていきます。その上で「尻尾を振る」発言に対し、もう少し私自身の問題意識を補足させていただきます。

確かに当ブログの過去の記事で、小泉元首相の言動を数多く批判してきました。そのスタンスが大きく変わった訳ではありません。一方で、このブログのコメント欄をはじめ、インターネット上の様々なサイトで幅広い見方や意見に触れてきました。同時に多種多様な書籍を読み漁ることで、前述したとおり物事には多面的な見方があることをよりいっそう感じ取ってきました。その結果、物事を二項対立の発想でとらえてしまうと、適切な評価や判断から遠ざかるような懸念を強めています。

つまり敵か味方か、敵対する側の言葉だから「信用できない、ダメだ」と決め付けるのではなく、冷静にその言葉の意味や真意を理解していこうとする姿勢が重要だろうと考えています。シロかクロか、拙速に「答え」を二者択一的に決め付けていくことの問題性も感じています。原発の問題に対する「正解」も簡単に見出せないのかも知れません。小泉元首相の脱原発発言に対し、KEIさんのように反発される方が多いことも認識しています。私自身は、小泉元首相が原発推進から考え方を改め、原発ゼロという政治目標を掲げる大切さを訴えていることを素直に歓迎している立場です。

前回の記事は「あの小泉元首相も」という意味合いで紹介したことを隠すつもりはありません。それでも「尻尾を振る」「節操のない話」というような批判を受けることには違和感がありました。繰り返しますが、「誰が」よりも「どのような内容を」発言しているかが大事な点ではないでしょうか。このブログを開設してから本当に幅広く多様な声に接してきたため、このような思いに至ったものと受けとめています。基本的にコメント欄は匿名での交流となるため、「誰が」は関係なく、「どのような内容を」発言されているのか、そのような関係性に尽きる話となります。

その一方で、反面教師とすべき「公務員は○○だ」「自治労は○○だ」というフィルターを通した見られ方も頻繁に寄せられていました。長々と気ままに書き進めてきましたが、最後に時事の話題の一つとして、一言だけ添えさせていただきます。先日、みんなの党を離党したメンバーで「結いの党」が結成されました。原発ゼロをめざすという点では応援したい政党となりますが、「民間と地域が主役」という謳い文句には「公務員は○○だ」という二項対立をあおるような図式を感じてしまいがちです。

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2013年12月14日 (土)

原発ホワイトアウト

特定秘密保護法案の是非が大きな関心を集めていましたが、12月に入り、やはり今後の国の行末を左右するような動きがありました。経済産業省の審議会は政府が策定を進めている新しい「エネルギー基本計画」の原案をまとめ、この中で原子力発電については「重要なベース電源」と位置付けました。昨年9月に民主党政権がまとめたエネルギー政策では「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」としていましたが、この目標から政策転換をはかった基本計画となっています。

経済産業省の有識者会議(総合資源エネルギー調査会基本政策分科会)は13日、中長期的なエネルギー政策の指針となる新たな「エネルギー基本計画」案を取りまとめた。計画案は、原子力発電を「エネルギーの基盤となる重要なベース電源」と位置づけ、民主党政権が掲げた「脱原発」路線から転換するのが特徴だ。近く、茂木経産相に報告、来年1月にエネルギー基本計画を閣議決定する。

経産省は6日、基本計画の原案を公表した。13日にまとめた基本計画案には、「原子力利用に伴い、確実に発生する使用済み核燃料は対策を着実に進めることが不可欠」などの文言を新たに加えた。今後も原発を、安定的な電力を供給するための基盤電源として維持する狙いがある。放射性廃棄物を埋める「最終処分場」の選定など、発電後の「後処理」についても、国が積極的に関与する姿勢を打ち出す。【読売新聞2013年12月14日

取り返しの付かない福島第一原発事故以降、原発依存から脱却すべきという声は高まっています。私自身の問題意識も「原発の話、インデックス」のとおり数多く原発に関する記事を投稿する中で、将来的には原発ゼロをめざすべきものと訴えてきています。一方で、原発は欠かせないという根強い考えをお持ちの方が決して少数ではないことも、このブログのコメント欄に寄せられるご意見などから感じ取ってきました。

今回、エネルギー基本計画案が発表された直後に重なったため、そのニュースの紹介から始まりました。ただ記事タイトルに掲げた『原発ホワイトアウト』という書籍は1か月以上前に読み終えていました。「若杉冽」というペンネームの著者は霞が関の現役キャリア官僚です。内部事情に精通した官僚が現状を憂い、小説という形で政府や自民党、電力会社などを告発したという宣伝文句に偽りのないリアリティさがあり、ストーリーも非常に面白かったため、ほぼ一気に読み切っていました。

機会を見て、このブログで取り上げようと考えていましたが、いみじくも小説の中で描かれたような動きと重なるタイミングでの投稿となりました。最終的には原発に依存しない社会をめざすのかどうか、この政策目標の立て方はたいへん重要なことだと考えています。残念ながら経済産業省の有識者会議がまとめたエネルギー基本計画案は改めて原発推進に舵を切ったように見なければなりません。今朝の読売新聞の社説では「民主党政権の原発ゼロから明確に転換する大きな一歩である」とし、この動きを高く評価していました。

小説『原発ホワイトアウト』に登場する政党、電力会社、政治家らの名前の多くは架空のものとなっています。経済産業省や資源エネルギー庁など実際にある組織と実在している政治家の名前がそのまま使われている一方で、保守党、民自党、関東電力、新崎県という架空の名称が混在している小説でした。架空の名前からも実在する団体や人物の名前を容易に想像できる場面が多く、フィクションと現実との境目を判断することが難しい小説だと言えました。

ぜひ、原発は必要だと思われている方も、原発に懐疑的な方も、一度、読んでいただきたいものと願っています。原発の「安全神話」が崩れているのにもかかわらず、原発を巡る「利権構造」が現存しているため、再稼働に向けた暗闘が繰り広げられていく、そのような世界が描かれています。テレビに出ていたコメンテーターの発言に対し、「円高のときには資源高と言い、円安になると輸入価格の高騰と言う。原油自体の国際市場価格はピークに比べて大きく低下していることには最後まで触れずじまいだった」という記述があります。

このような見方は現実の世界を映した話だろうと思っています。全体的な内容に関しては、あくまでも小説であり、誇張や作り話も織り交ざっているはずです。逆にそのように考えなければ、いたたまれなくなる結末を迎える物語でした。『原発ホワイトアウト』というタイトル名を付けた意味が分かる「終章」では、雪が舞う中、新崎原発でメルトダウンが進行します。その場面では福島第一原発事故での教訓がまったく生かされず、電力会社や官邸の対応のお粗末さや脆弱さが描かれていました。

あまり「ネタバレ」とならないように注意してきたつもりですが、結末の場面に少し触れてしまいました。とにかく緻密な取材に裏付けられたノンフィクションだと錯覚するような重厚な中味でした。最後に関連した話題として、小泉元首相の「原発ゼロ」発言に関するニュースも紹介させていただきます。もともと「誰が」よりも「どのような内容を」発言しているかが大事だと考えているため、小泉元首相の主張そのものに対し、率直に共感を覚えています。ただ国民の多数も同じように思っていながら、逆行する動きを許してしまう現状が残念でなりません。

「安倍晋三首相が決断すれば『原発ゼロ』はできる」――。小泉純一郎元首相が2013年11月12日、東京・内幸町の日本記者クラブで行った会見が波紋を広げている。3.11後に開眼したという脱原発を主張する元首相の攻勢に菅義偉官房長官らは火消しに躍起だ。元首相の人気、世論への影響力は少なくないようで、安倍政権といえども小泉発言を完全に無視とはいかないのは間違いない。

小泉氏の主張をめぐり、翌13日付の朝刊各紙は賛否が分かれた。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞が1面で大きく取り上げ、小泉氏の主張を前向きに評価 したのに対して、読売新聞は4面、日本経済新聞と産経新聞は3面で地味な扱いだった。原発推進の読売、日経、産経の中で、小泉氏に「原発即ゼロは無責任だ」と異を唱えたのは、産経の社説(14日付)くらいだった。

これには理由がある。小泉氏によると、元首相の脱原発発言が注目されるようになったのは、毎日新聞の山田孝男専門編集委員が8月、コラム「風知草」で取り上げてからだ。その後、注目されだした小泉氏の脱原発発言に、正面から異を唱えたのは読売新聞で、社説「小泉元首相発言『原発ゼロ』掲げる見識を疑う」(10月8日付)で、(1)原発の代替策について「知恵ある人が必ず出してくれる」と語るのは楽観的で無責任、(2)火力発電で燃料の輸入が増え、電気料金は上昇を続けている、(3)使用済み核燃料や放射性廃棄物の処分法は技術的に決着している――などと主張した。


これに対して、小泉氏は会見の冒頭、「読売の社説の批判に対して、私がどう思っているかということから始めたい」と、わざわざ名指しで反論。「原発ゼロという方針を政治が出せば、必ずいい案を作ってくれる。官僚も識者も集め、専門家の知恵を借りて進めていくべきだ」「原発をゼロにし、原発建設に向けた費用を再生可能エネルギーに振り向ければ、様々な代替エネルギーの開発が進んでいく」「日本で核のごみの最終処分場のめどをつけられると思う方が楽観的で無責任すぎる」などと、ボルテージを上げた。

実は小泉氏は今回の会見よりも先に読売新聞に寄稿して社説に反論している(10月19日付朝刊)。元首相が新聞の社説に反論し、寄稿までするのは異例だ。2005年8月の解散・総選挙で、刺客を擁立した小泉氏のしたたかさを彷彿とさせる。読売が小泉氏の主張を淡々と伝え、自民党の細田博之幹事長代行が「(小泉氏には)敬意を表するが(原発ゼロは)結論として正しくない」とコメントしたとの報道にとどめたのも、今なお人気の小泉氏との全面戦争を避けたいという思いがありそうだ。


「最終的には国民ですね。世論は軽視できない。大きな底流となっている世論をどう読むかも政治家として大事」「国民の声が、本当に原発ゼロが望ましいというのがだんだん政府に届いていけば、総理だって気づいてくると思いますよ。それが民主主義じゃないでしょうか」――。小泉氏からのそんな言葉が安倍首相を動かす気配は今のところない。【J-CASTニュース2013年11月20日

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2013年12月 8日 (日)

再び、平和フォーラムについて

金曜の深夜、特定秘密保護法案が参議院本会議で可決し、成立しました。インターネット上のいくつかのサイトを閲覧すると、この法案の内容や与党の進め方に対する評価も枝分かれしているようです。私自身の問題意識は最近の記事に綴ったとおりですが、付け加えたい点もあります。ただ論点が広がりそうですので、また機会があれば補足させていただくつもりです。この新規記事では前々回記事「外交・安全保障のリアリズム」のコメント欄に寄せられたnagiさんの問いかけに対し、お答えしていくような内容を考えています。

まずnagiさんが繰り返し疑問視している問題として、右サイドバーの「用語解説リンク」にも掲げている平和フォーラムの運動が偏っているという点です。最近の事例で言えば、中国の防空識別圏の問題に対して抗議を行なわないことに「平和・人権問題のつまみ食い」という批判をされています。同じような趣旨での批判や問いかけがnagiさんから数多く寄せられ、「平和フォーラムについて」「もう少し平和フォーラムについて」という記事本文を通し、私なりの言葉でお答えしています。

ただ残念ながら下っ端さんから「明確な回答をしていないのも事実」と指摘され、はぐれ猫さんからは「昔から肝心なこと一切答えない無視する」というコメントも寄せられています。自分自身、その二つの記事を改めて読み返しましたが、あえて回りくどい表現に努めている箇所があることも確かですが、nagiさんの疑問に対する私なりの「答え」を示させていただいているつもりです。わざわざリンク先を参照される方も少ないと思われますので、手っ取り早く二つの記事の中からポイントとなる箇所を抜粋させていただきます。

よく揶揄されがちな問題の背景として、かつては社会主義の優位性を信じていた活動家が全国的に多かったことは否定できません。そのような時代には「ソ連や中国、北朝鮮は正しく、アメリカは敵視すべき国」という見方のもとに平和運動に関わっていた方々も多かったはずです。しかしながら現在、そのような思想性を残しながら平和運動に関わる方は皆無に近いものと信じています。

騒音や墜落の危険性が伴う米軍基地に反対する活動は全国各地に広がっています。それらの運動と平和フォーラムは連携し、その中でも沖縄の運動との関係性は深いものとなっています。そのため、米軍基地やオスプレイの配備に反対する具体的な活動が必然的に注目を浴びることになります。だからと言って「反米」が目的ではなく、そこに存在する軍事基地に反対する抗議活動の一つ一つだと認識しています。

したがって、仮に普天間基地や横田基地が中国軍の基地だったとしても、同じような反対運動に取り組んでいるはずです。なお、平和フォーラムの関係者すべての声を代弁できるものではありませんので、あくまでも私自身の見方や問題意識の表明に過ぎません。そのため、中には社会主義の優位性を根強く信奉されている方も少なくないのかも知れません。しかし、特に私の知り得る組合役員の皆さんは、ごくごく常識的な発想のもとに平和運動にかかわっている方ばかりです。(以上は「平和フォーラムについて」からの抜粋)

nagiさんの目からすれば、平和フォーラムがめざす「平和」には偏った選別があり、「反米反日」であり、中国、韓国、北朝鮮には親和性が高いように映っているようです。平和フォーラムのホームページから確認できる具体的な運動内容から、そのように判断されてしまうのだろうと理解しています。しかし、平和フォーラムがめざしている「核も戦争もない21世紀」は、ある特定の国の「核の保持は正しい」などという偏った理念ではありません。日常的な騒音や墜落の危険性の伴う米軍基地に反対する運動が全国各地にあり、確かにオスプレイの配備や原子力空母の母港化に抗議する平和フォーラムの具体的な活動に注目が集まりがちです。

一方で、平和フォーラムは尖閣諸島や竹島の問題で、各大使館への抗議行動などを提起していません。この問題で、ことさらナショナリズムを鼓舞するような行動が得策だとは考えていないため、私自身にとっては違和感のない対応でした。以前、nagiさんにお伝えしていましたが、平和フォーラムという組織の運動方針は構成員による諸手続きによって定められています。今後、構成員の意識の変化によっては、具体的な活動内容が変わることもあり得ます。いずれにしても「反日」や「親中」を目的とした組織ではないことを私自身は確信しています。(以上は「もう少し平和フォーラムについて」からの抜粋)

上記の抜粋の中でも少し触れていますが、私自身の「平和フォーラム>自治労>職員労働組合」という立場についても改めて説明していました。一構成員の立場であるため、発言の内容に制約があるという点を強調した訳ではありません。要するに平和フォーラムを代表した説明には至らず、あくまでも私自身の見方や問題意識の表明に過ぎないという点でした。したがって、○か×か、即答できる問いかけであれば、○か×で答えています。即答できなければ、私自身の答えられる範囲内の言葉で対応しています。

このような対応が「論点をそらす」という批判にも繋がるため、場合によっては「答えられません」、もしくはノーコメントのほうが適切なのかも知れません。なお、立脚している基本的な視点が個々人で大きく異なるため、それぞれの記事のコメント欄では幅広い反応が寄せられていました。その中には「中国船(軍艦?)の日本寄港に反対しない=中国を応援していることになる」という見方に疑問を持たれた意見もありました。

以前の記事の抜粋が中心となった内容で、nagiさんの根強い疑問が氷解するとは到底考えていません。いずれにしてもnagiさんが平和フォーラムに対して不信感を抱き、このブログのコメント欄に批判意見を頻繁に投稿すること自体に「不愉快さ」を感じたことはありません。逆にそのような意見を直接伺える機会は貴重なことだと思っています。ただ何回も繰り返している「お願い」ですが、本来の名称以外で個人や団体を呼ぶ行為は慎むべきことだと考えています。

当初、nagiさんは平和フォーラムを「売国反日フォーラム」と呼んでいましたが、私からの「お願い」に応え、改めていただきました。しかし、「親朝鮮フォーラム」という呼び方を続けていたため、「言葉の難しさ、言葉の大切さ」という記事を通し、看板に偽りがあると思うのであれば、なぜ、そのように思うのか、言葉を駆使しながら批判すべき点は批判していく、ぜひ、このような点について改めてご理解ご協力を求めていました。

直近のnagiさんのコメントでは「平和・人権問題のつまみ食いをする団体を自称する名称で呼ぶことはできません。詐欺に加担するのと変わりないからです」という説明を加えた上、平和フォーラムを「親朝鮮フォーラム」と呼ばれていました。この呼称に関しては所属組織の関係者の一人として、正直な話、不愉快です。わざわざ勝手な呼称を使わなくても、ご自身の主張は展開できるのではないでしょうか。

最近、コメントの数は減っていますが、「コメント欄の話、インデックス」に記したとおり不特定多数の方々との接点を大事にしたいため、コメント欄における制約が極力少ないブログであることを強調できます。その上で、守っていただきたい「お願い」がいくつかありますが、決してコメント投稿の敷居を高くすることを望んでいる訳ではありません。日常生活の中では当たり前な言葉での意見交換を願っているだけです。平和フォーラムの関係者を実際に前にした時、nagiさんが「親朝鮮フォーラムの方ですね」と呼ぶとは考えられないため、繰り返しお願いしています。

今回の記事で平和フォーラムの具体的な取り組みや防空識別圏の問題に直接切り込まず、最後は呼称の問題に至っているため、また「論点をそらしている」という印象を与えてしまうのかも知れません。個々人それぞれのとらえ方があり、仕方ないことですが、「リベラルの人特有の不都合なことは見えないし聞こえない人なんですよ」というような批判は素直に耳を傾けられるものではありません。そもそも「リベラルの人特有」という見方そのものが「特有の色眼鏡」をかけられているように感じています。

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