私の一冊
このブログ「公務員のためいき」を開設してからコメント欄を通し、幅広く多様な声に接してきました。そして、私自身が正しいと信じている「答え」でも、見方によっては真っ向から否定される対象になってしまうことを感じ取ってきました。その積み重ねの中で「再び、分かり合えなくても」という記事に託したような思いに至っています。決して悲観的な意味ではなく、たいへん貴重な心構えを得られたものと考えています。
このように記すと言葉が足らず、本意が充分伝わらないまま、違和感や空々しさを感じられる方がいらっしゃるかも知れません。今回、実生活での近況を紹介しながら、そのあたりについて少し掘り下げてみます。自治労都本部の機関紙に「私の一冊」というコラムが連載されています。毎号、各組合の委員長が順番に依頼され、感銘を受けた本や面白い本などが紹介されていました。
先日、そのコラムへの依頼を受け、最新号に私の原稿が掲載されました。寄稿した内容は下記のとおりですが、私が紹介した一冊は『ブログでできる簡単ホームページ作り』(小泉茜・著/成美堂出版)でした。文字数は12字52行、「である」調という注文が付いていました。このブログをはじめ、私どもの組合機関紙でも普段「です・ます」調で書いているため、久しぶりに「である」調での記名原稿となっていました。
この欄の依頼を受けた時、本書が頭に浮かんだ。内容はハウツー本であり、ブログに興味のない方にはまったく面白くない書籍である。この欄での紹介が適当かどうか迷ったが、この本との出会いは私自身にとって非常に意義深いものだった。委員長を引き受けた頃から組合員に組合活動などを身近に感じてもらうため、従来の情宣方法に加えてインターネット利用が効果的だろうと考えていた。また、一方的な言われ方の公務員批判に対して、公務員やその組合側の言い分も発信する必要があるのではないだろうかと考え始めていた。
ただ組合の公式ホームページは不特定多数に発信する困難さや日常的な管理面などの問題が議論となり、すぐに開設できる見込みはなかった。そのような時、手にしたのが本書だった。目を通していくとタイトルのとおり簡単にブログが開設でき、日常的な更新も手軽なことが分かった。さっそく三日後には「公務員のためいき」という個人の責任によるブログをネット上に開設していた。
開設した当初、ほぼ毎日更新していた。一年ぐらい経って週一回の更新が定着し、現在に至っている。毎週一万件ほどのアクセスが得られ、これまで一日で二万件を超えた日もあった。コメント欄はフルオープンとしているため、本当に幅広い声に接することができる。耳の痛い話とも日常的に触れてきたが、それはそれで自分自身にとって貴重な一つの「財産」になっているものと思っている。
これまでも組合機関紙等に掲載した原稿内容をブログ記事の中で紹介してきたことが頻繁にありました。その逆にブログの記事として取り上げた内容を組合機関紙等に転載したことも数多くあります。このことは実生活での発言内容とネット上に発信している内容が基本的に同じである証しだと言えます。当たり前な話だろうと思いますが、不特定多数の方々への主張や情報の発信に際し、着飾ることのない等身大の姿をさらしています。
もちろんブログでの発言の重さを念頭に置きながら、慎重に言葉を選ぶことも習わしとしてきました。そのため、歯切れの悪い記述が目立つ時もありましたが、偽ったことを書き込まないという心得からの表れだとご理解いただければ幸いです。要するに実生活とブログでの発言内容を都合良く使い分けていないことだけは強調できます。ただ残念ながら、その等身大の姿は一部の方々から非常に厳しい批判の対象とされてきました。
特に自治労に所属する組合が政治的な活動を方針化していることなどに対し、たいへん強い批判が示されがちでした。今回、その是非などを直接的な題材にしたい訳ではありませんので、以前の記事「自治労の話、2012年夏」を参考までに紹介する程度にとどめさせていただきます。今回の記事を通し、私が訴えたい話は「私の一冊」の最後に記したとおりコメント欄で手厳しい意見や批判に数多く接してきたことを本当に貴重な「財産」だと思っているという点でした。
「2009年末、改めて当ブログについて」の中で箇条書きにした2番目には「コメント欄を通し、様々な立場や視点からのご意見を伺えることを貴重な目的としています。厳しい批判意見があることを受けとめ、日常的な活動を進められる意義を大きなものと認識しています。そのような本音の声を把握できないまま、公務や組合活動を担うのは、街路灯のない夜道を歩くようなものだと考えています」という記述を残していました。
このようなことを書き連ねると「貴重な財産だと言っておきながら、批判意見を聞き流しているだけではないのか」という指摘が加えられるのかも知れません。確かに私自身の大きな軸足の置き所は一貫しているため、その軸足自体を否定的に見られている方々にとって「結局、変わらない」という印象を与えがちなのだろうと考えています。しかし、この場では事細かく記しませんが、ブログを開設した頃と比べれた際、自分自身の変化を感じる時は決して少なくありません。
また、ブログを続けることで組織の常識や行動原理を常に客観視できる機会を得られていたため、実際の行動を起こす際の判断指標や、私どもの組合員の中にも多様な意識が広がっていることを押さえるための羅針盤の一つを手に入れられたものと考えています。抽象的な言い方にとどまり、たいへん恐縮ですが、これまで執行委員会の中で「委員長、気にしすぎですよ」という言葉を投げかけられる場面も多々ありました。意識過剰な場合もあろうかと思いますが、物事を慎重に判断していくための「引き出し」が増えていることを前向きにとらえています。
最近、お寄せいただくコメントの数は減っています。とは言え、これまで積み上げられた1万件以上のコメントは、いつでも読み返すことができます。右サイドバーから投稿年月別に検索できますが、新規記事の本文中にも関連した内容のバックナンバーにすぐ飛べるようにリンクをはっています。昨年夏頃からテーマ別のインデックス代わりの記事をいくつか投稿し、2か月ほど前には500回という大きな節目を刻んでいました。お時間が許される際、ぜひ、バックナンバーを探索されながら多様なコメントの数々に触れていただければ幸いです。
一頃に比べて知り合いや組合員の皆さんに対し、このブログをPRする機会は控え目になっていました。それでも正直な気持ちとして、やはり一人でも多くの方が当ブログを訪れてくださることを願っています。加えて、私自身が貴重な「財産」だと思っているコメントの数々に接していただけることも望んでいます。とりわけ多くの自治労組合員の皆さんにもご覧になって欲しかったため、私の一冊として『ブログでできる簡単ホームページ作り』という書籍を選んでいました。
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コメント
まだまだ暑い日々ですねえ。
>OTSU氏
コメントいただきありがとうございました。OTSU氏がきっちり一線を引かれている
のを知ることができて大変嬉しいです。
この「シジフォス」氏のプログを読んでいて、尊厳死をめぐる記事がありました。
そして「尊厳死の法制化を認めない市民の会」にたどり着きました。
この会がどのような存在がよくわからないのですが、賛同者に福島みずほの名前を
見つけたとたん、胡散臭さを全開に感じてしまいました。
このような反対の為の反対をして、日本の利益を減らすことを目的とする
福島みずほのような正真正銘の貧困ビジネスマスターはどのような金儲けに
利用するのでしょうか。
施設や療養病床に行けばわかりますが、本当に「尊厳死」は人間の最後に守るべき
重大な権利だと思うのですがね。
宗教観や、脳死問題もあるのでしょうがね。私は脳死が人の死であるし
尊厳死も認めるものだと考えています。いつ死ぬかを選択することも
生きる権利や幸福を追求する権利と同格のものだと思います。
投稿: nagi | 2013年8月19日 (月) 19時05分
人生の契機になった本なのですね。興味深いです。
ブログの方は、ネタは尽きない昨今ですから、またいろいろ書いてください。
私は更新サボってばかりですが。(^_^;)
ついでといっては何ですが、尊厳死の問題は難しいですね。
世の中、本当は曖昧のままがいいことが多いように思います。
正式に認められると、プレッシャーに感じる人がたくさんいそうですよね。
本人の本当の気持ちを大切にするのは難しいなと思います。
投稿: WontBeLong | 2013年8月20日 (火) 20時39分
nagiさん、Wontbelongさん、また、以前の記事に投稿された現実さん、コメントありがとうございました。
新規記事は今夜中に投稿できる予定です。また見方や評価が人によって分かれそうなテーマだと思います。お時間が許す際、ぜひ、ご意見や感想をいただければ幸いですのでよろしくお願いします。
現実さんから指摘のあった選挙事務の手当の話ですが、私どもの自治体ではかなり前から従事した職員自身の時間単価に変えています。一部の事務を委託するなど「変わり続けている市役所」の一例とし、予算総額の圧縮に努めてきています。
投稿: OTSU | 2013年8月24日 (土) 21時45分