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2013年7月27日 (土)

再び、分かり合えなくても

最近、お寄せいただくコメントの数が以前に比べれば少なくなっています。日々の訪問者数に大きな変化はありませんので、コメント投稿される方の数のみが減っていました。理由の一つとして、管理人である私自身がコメント欄から距離を置くようになったため、そのような点が徐々に影響を与えてきたものと思っています。ほぼ毎日、コメント欄に私自身が積極的に参加していた時は極力「一問一答」に努めながら投稿者の皆さんとの意見交換を重ねていました。

昨年春頃からコメント欄への参加を手控えるようになり、今では記事本文を更新する週末に限るようになっていました。管理人からのレスがない、もしくは反応が遅い中で、閲覧されている皆さんから多くのコメントを望むほうが厚かましいことだろうと考えています。それでも幅広い視点や立場からのご意見を伺える機会は貴重なことであり、これからもコメント欄は従来通りのスタイルで維持しながら、一つでも多くのコメントを歓迎し、一人でも多くの方からの投稿を心待ちしていくつもりです。

その上で、相互交流できるブログの利点も重視しているため、コメント欄に寄せられた疑問や意見に対し、私自身の考え方などを新規記事の本文を通してじっくりお答えするように心がけていきます。ただ意図的にスルーしているつもりはありませんが、すべて網羅できていた訳ではなく、結果的に「梨のつぶて」となっている場合も少なくありません。前回の記事「宮崎駿監督の『風立ちぬ』」に対し、久しぶりにnagiさんからコメントが寄せられましたが、たいへん恐縮ながらnagiさんとは「十問一答」ぐらいの関係にとどまっています。

加えて、もともと当ブログは「コメント欄の話、インデックス」などで記してきたとおり「答え」を一つに絞ることを目的としていません。そのため、シロかクロか徹底的に議論し、ご自身の「答え」の正しさを強調されたい方々にとっては物足りない場となっているはずです。それでも投稿したコメントは即座に反映され、明らかな商業目的やスパム以外、削除されることもありません。個々人の意見や主張を気ままに披露する場としては敷居が低いほうのブログだと言えます。基本的に制約の少ない場としていますが、批判意見と誹謗中傷の違いなどは再三訴え、主に次の3点についてご理解ご協力をお願いしています。

  1. コメント投稿の際、できる限り名前欄の記載を欠かさないようにお願いしています。意見交換をスムースに行なうためですが、匿名での投稿とは言え、その意見内容にある程度責任を持っていただくことも目的としています。したがって、繰り返し投稿される方の場合はハンドルネームを固定されるようお願いしています。 
  2. 相反する意見の対立は平行線をたどりがちです。このコメント欄では結論を出すことを目的としていません。いろいろな「答え」を認め合った場として、攻撃的な言葉を並べることよりも対立する意見の相手方に「なるほど」と思わせるような言葉の競い合いができるようお願いしています。 
  3. 特定の人物や団体を誹謗中傷するような書き込みは慎むようにお願いしています。例えば「あいつは犯罪者だ」「あの団体は反日組織だ」と断定調に発言することなどは認められません。「罪を犯していると思われる」「反日組織だと考えている」は許容範囲となりますが、決して言葉使いの問題ではなく、断定調であれば管理人の責任として警告しなければならない発言となります。

このような「お願い」の意図が充分伝え切れず、窮屈に感じられ、このブログから離れて行った方も多いのかも知れません。いずれにしても当ブログのコメント欄の雰囲気に嫌気が差されて去られた方、暖簾に腕押しのような徒労感や限界を感じて去られた方、度重なる「お願い」に馴染めずに去られた方、いろいろな理由からコメント投稿を控えるようになった方々が大勢いらっしゃることも確かです。「もうコメントすることはない」と宣言されて去られた方として、あまのじゃくさん、かもめのJONAさんがいらっしゃいました。

「対話は不可能」という三下り半を突き付けられた時もありましたが、「空論や詭弁ではぐらかしたり、論点をずらしたり」「異を唱える者を排除する」という考え方は一切ありません。そのような不本意な見られ方と自分自身の思いとのギャップが大きく、たいへん残念なことですが、最低限、こちらから特定の方を排除するような書き込みや姿勢を見せたことは微塵もありませんでした。ぜひとも、このブログは出入り自由な場として、多くの皆さんから気軽にお付き合い願えれば幸いなことだと考えています。

多種多様な意見を無視し踏みにじったおかげで素晴らしく閑散ですねえ それにしてもトピ主さんのジョークのセンスは一流だと思いますねえ わかりあえないから、認めあうこともなくいがみ合うのではないのですか?まさに小さな社会の縮図どおり組合論法を主張し続け、同じ組合系にしか相手にされません。本来、大切な労働運動をあなた方が駄目にした事実を認めることですね。多くの人がそれをここで指摘したのですが、まあいつもどおり踏みにじると思いますけどね。どうでもいいですが。民主党さようなら。ついでに自治労もさようなら。

上記は前回記事のコメント欄で、はぐれ猫さんから寄せられた意見です。このコメントの前にKさんから「宮崎はんのは個人の意見やし別にええと思う。賛成する団体があっても、反対する政党があってもかまへん」とし、「ただ、憲法をかえたい、あるいはかえとうないていう意見そのものを、頭から否定するような風潮を作るんは気に入らん。そもそも憲法にタブーなんかあらへんのやし、侃侃諤々と意見をぶつけあえる時代がくることを願ごうてるわ」という内容のコメントがあり、私から次のようにレスしていました。その内容に対し、はぐれ猫さんから上記のようなコメントが示されるという展開でした。

私自身も個々人で様々な見方や意見があって当たり前だと思っています。そして、それぞれの考え方を自由に発言できる社会が健全であることも言うまでもありません。少し前の当ブログの記事で「分かり合えなくても認め合い、いがみ合わない」という関係性の大切さを訴えさせていただきました。社会の小さな縮図の意味で、このコメント欄においても同様だと考えています。このような趣旨について、いつもKさんにはご理解いただき、たいへん感謝しています。私自身、あまりコメント欄に関われなくなっていますが、ぜひ、これからもよろしくお願いします。

ちなみに少し前の記事は「分かり合えなくても」というものであり、その中でも、はぐれ猫さんからのコメントを紹介していました。当たり前な話ですが、はぐれ猫さんが見て感じたことを私自身が否定できるものではありません。ただ「多種多様な意見を無視し踏みにじった」というように見られてしまうことは意外である一方、「素晴らしく閑散ですねえ」は実際その通りだったため、今回記事の冒頭で私自身の思いを改めて長々と書き進めたところでした。

そして、「わかりあえないから、認めあうこともなくいがみ合うのではないのですか?」という問いかけには、それこそ新規記事を通してお答えすべき大事な論点でした。したがって、少し前の記事の「続き」に位置付け、安直に「再び、分かり合えなくても」というタイトルを付けた新規記事の投稿に至りました。なお、以前の記事「分かり合えなくても」を通し、広く多くの方々から最も理解を求めたかった要旨は次のようなものでした。

自分自身が正しいと信じている「答え」とかけ離れた意見に対し、お互い分かり合えなくても認め合うことや、いがみ合わないように努力することはできるはずです。ひとまず正しさの峻別は横に置き、「そのような見方もあったのか」と許容する姿勢です。異質な「答え」を認め合う姿勢が薄かった場合、他者を見下し、トゲのある言葉を発しがちとなります。相手が「答え」を変えないことに苛立ち、蔑みや憎しみに繋がっていく場合もあります。社会の小さな縮図の意味で、このコメント欄においても同様です。他者に対して攻撃的な言葉をぶつけていくことよりも、相手に対して「なるほど」と思わせる言葉を投げかけていくことが「分かり合えなくても認め合い、いがみ合わない」という関係性だろうと考えています。

はぐれ猫さんの「組合論法を主張し続け、同じ組合系にしか相手にされません」や「大切な労働運動をあなた方が駄目にした事実を認めることですね」という指摘は、はぐれ猫さん自身の「答え」が絶対正しいという前提で発せられていることをご理解ください。「多くの人がそれをここで指摘した」という事実はその通りです。しかし、その指摘通りに私自身が変わらないからと言って苛立つような書き方も、はぐれ猫さん自身の「答え」が絶対正しいという前提であることをご理解ください。

もちろん、私自身が正しいと信じている「答え」が間違いで、はぐれ猫さんたちの「答え」が正しいという可能性を頭から否定するものではありません。言うまでもなく、現実の場面では「答え」を一つに絞らなければならない時が多々あります。しかしながら当ブログの場では前述したように「答え」を一つに絞ることを目的としていません。そのような場であるからこそ、多種多様な意見を認め合いながら「なるほど、そのような見方もあったのか」という気付きの機会に繋げられればと願っています。

相手を見下し、揶揄し、挑発するような書き方が目立てば、閲覧されている皆さんも含め、多くの方が不愉快な思いを抱くことになります。「民主党さようなら。ついでに自治労もさようなら」と考えること自体は個々人の自由で勝手な話ですが、はぐれ猫さんのコメントは他者を不快にさせる書きぶりが目に付いていました。それに対し、私自身が感情を表に出したコメントで対応した場合、いがみ合う関係性に繋がっていくのではないでしょうか。

はぐれ猫さんにとって、意図的なコメント投稿であり、そのような関係性をいとわないのかも知れません。しかし、罵詈雑言に近い応酬となった場合、見苦しく、決して建設的な時間を費やすことにはなり得ません。はぐれ猫さんと私自身の考え方は隔たりが大きく、簡単に分かり合うことはできません。しかし、はぐれ猫さんのコメント投稿を排除しません。そのような意見があることを認めた上で、投稿された内容に対し、私自身をはじめ、閲覧されている方々が、どのように感じ、共感するのか、反発するのか、個々人の判断や評価に委ねていくだけの問題だろうと考えています。

社会の小さな縮図として、せめて当ブログの場では分かり合えなくても、ヘイトスピーチが飛び交うような場にしたくない、そのような問題意識を強めています。今回、はぐれ猫さんの具体的なコメント内容を引用しながら、いろいろ自分なりの思いを綴らせていただきました。あくまでも総論的な意味合いで閲覧されている皆さん全体に訴えながら、このコメント欄の限界と可能性を提起しています。見限られた方は去られ、少しでも興味を持たれた方は再度訪れる、そのような関係性の中、これからも私自身はその時々で広く多くの方々に伝えたい内容をあまり気負わずに書き進めていくつもりです。

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2013年7月20日 (土)

宮崎駿監督の『風立ちぬ』

明日、日曜が参議院議員選挙の投開票日です。このブログは週1回、土曜か日曜に更新しているため、新規記事を目当てに訪れてくださる方は月曜以降が多くなっています。したがって、今回の記事をご覧いただいている皆さんの大半は、すでに参院選の結果を見届けている方々だろうと思います。そのように考えた際、新規記事の内容の鮮度を保つためには日曜夜の更新が適しているのかも知れません。

6年前は投稿のタイミングを日曜の夜とし、記事のタイトルは「参院選、民主党大躍進」というものでした。「今は昔」とつぶやいてしまう懐かしいタイトルでした。今回、投票日前の情勢調査では、自民党が圧勝し、民主党は大惨敗を喫すると見られています。選挙直前の調査からの影響を表す言葉として、バンドワゴン効果とアンダードッグ効果というものがあります。バンドワゴンとは行列の先頭の楽隊車のことであり、先行者に同調する傾向が強まる効果を指します。勝ち馬に乗るという言葉と同じ意味合いとなります。

アンダードッグとは負け犬のことであり、劣勢だった側を応援する傾向が出てくる効果を指します。判官びいきという意味合いと同じです。「自分が投票しなくても勝てそう」「あまり勝たせすぎてもいけない」「死票は投じたくない」など、事前の選挙予想は有権者の判断へ様々な影響を与えます。また、候補者やその陣営に対しても、楽勝予想はラストスパートの緩みとなり、苦戦予想は必死の巻き返しにつながる場合がありました。

このように選挙前の予想数字は両極端なアナウンス効果を生み出すため、投票箱のフタが閉じられるまで勝負の行方は分からないとも言われていました。しかしながら最近、調査の精度が高まっているためか、事前の予想がそのまま選挙結果に反映される傾向をたどっています。そのため、この参院選でも全体の勢力図が変わるようなドンデン返しは期待できないだろうと思っています。

それでも個別の選挙区の事前予想では、マスメディアによって若干見方が異なり、必ずしも横並びではありません。やはり事前の予想は予想に過ぎず、その意味で日曜の夜は開票速報を興味深く見守り続けていくのだろうと考えています。いつものことながら前置きとして触れた話が長くなってしまいました。要するに今回は選挙結果が確定していない段階で、記事タイトルに掲げた話題を紹介させていただくつもりでした。

本日、スタジオジブリの宮崎駿監督の新作アニメーション映画『風立ちぬ』が全国ロードショー公開されます。主題歌が荒井由実さんの懐かしい「ひこうき雲」で、最近、映画のコマーシャルを通してよく耳にしていました。この作品のテーマとして「兵器である戦闘機などが好きな自分と戦争反対を訴える自分という矛盾を抱えた自らの姿が投影されている」というものがあります。零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦などを手掛けた実在の航空技術者である堀越二郎さんをモデルとし、その半生を描いた作品となっています。

堀辰雄さんの小説『風立ちぬ』からの着想も盛り込まれ、「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。生きねば。」という言葉が映画のキャッチコピーとして添えられています。東京、名古屋、ドイツを舞台に堀越二郎さんの10代から30代までを中心に物語が展開されます。実際のエピソードを下敷きにしつつもヒロインとの恋愛シーンなどオリジナル要素を盛り込んだストーリーが展開されているそうです。

そうです…、まだ自分自身、映画を観ていないため、ネット上から得た情報をもとに紹介させていただいています。実は下記に掲げた話題に接したため、ちょうど参院選投票日の前日に公開された映画『風立ちぬ』のことから書き進めていました。その映画に直接、もしくは間接的に託した宮崎監督の思いは、スタジオジブリの冊子『熱風』に寄稿した原稿から伝わってきます。特集「憲法改正」の中で、宮崎監督は「憲法を変えるなどもってのほか」という題名を付けた論評を綴っていました。

その全文はリンク先でご覧いただけますが、要旨は下記の記事内容のとおりです。宮崎監督の意見に賛同される方、反発される方、きっと個々人で受けとめ方は枝分かれしていくはずです。私自身もすべて一致している訳ではありませんが、日本の針路を左右する参院選の直前に紹介すべき題材だと考え、このブログでも取り上げさせていただきました。大事な参院選の投票先を決めるための参考資料の一つにしていただければ幸いだと考えています。

スタジオジブリが無料で発行する冊子「熱風」(7月号)が話題となり、都内の書店では在庫切れが続出している。宮崎駿監督が、「憲法を変えるなどもってのほか」というタイトルで、戦争の愚かさと憲法改正反対の意思をつづっているのだ。 〈憲法を変えることについては、反対に決まっています。選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほかです〉 〈もちろん、憲法9条と照らし合わせると、自衛隊はいかにもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍にしないほうがいい。職業軍人なんて役人の大軍で本当にくだらなくなるんだから〉

さらに、徴兵制についても、〈……「徴兵制をやればいいんだ」というようなことを言う馬鹿が出てくるんです。(中略)そういう人たちには、50歳でも60歳でも「自分がまず行け」と言いたいです。行きたくないなら、自分の息子を、息子がいなかったら孫を送れ。そうすれば徴兵制というものが何だかわかるから〉と歯に衣着せぬ物言いで持論を展開している。なぜ、監督は「憲法改正」について寄稿したのか。スタジオジブリに改めて取材を申し込んだが、「書かれていることがすべてです」という回答だった。

ジブリ作品について、映画批評家・前田有一氏はこう言う。 「最新作の『風立ちぬ』は、航空技術者の堀越二郎をモデルとしたゼロ戦の開発秘話を描いていますが、アメリカの飛行機を撃ち落とすなどの場面は全くない。実在した人物を主人公に、エンジンの各部品の震え方まで正確に描いていた。アクションシーンを入れていたら、軍国主義を肯定しかねない。描かないことが思想の発露になっているのでしょう」

「宮崎駿全書」の著書がある映像研究家の叶精二氏はこう言う。 「宮崎監督の作品は現在の状況から先を読んで、何を残していくべきか、どう向き合っていくかを描いている。憲法についてモノを言うのも同じなのでしょう。これまでの作品も、大津波のシーンがある『崖の上のポニョ』(08年)の後、東日本大震災が起こっているし、過去には放射能に汚染された世界を描いた『オンユアマーク』(95年)など、まるで原発事故を予想したかのような作品も残している。時代の先を読んでいますよね」選挙前に読んでおきたい。  【日刊ゲンダイ2013年7月16日】 

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2013年7月13日 (土)

吉田元所長の訃報

金曜の昼休み、宝塚市役所の市税収納課の窓口に火炎瓶が投げ込まれたというニュースを耳にしました。火は1階に燃え広がり、5人の方が病院に搬送されていました。不幸中の幸いにも皆さん軽傷だったようですが、ポリタンクからガソリンが事務室にまかれるなど大惨事になる恐れもあった卑劣な犯行でした。市税の滞納処分を受けたことが犯行理由と伝えられていたため、私自身の現在の職務が同じ徴税吏員という仕事であり、このニュースを他人事ではない驚きで受けとめていました。

兵庫県宝塚市の市役所放火事件で、現住建造物等放火容疑で現行犯逮捕された高橋昭治容疑者(63)=同市山本南3=が「火炎瓶2本とポリタンク2個をバッグに入れて市役所に行った」と供述していることが12日、県警宝塚署への取材でわかった。昨年末に税金滞納で預金口座を差し押さえられたとも説明しており、同署は市役所の対応に不満を抱いての計画的な犯行とみて調べている。同署によると、同容疑者が乗ってきた車にはガソリンを入れる専用容器が積まれており、あらかじめ車内で火炎瓶やポリタンクにガソリンを詰め替え、市役所を訪れたとみている。同容疑者は「ライターで火炎瓶に火を付けた」とも供述。市役所内から100円ライター1個が見つかった。

同容疑者は1995年に同市内で自宅マンションを購入後、一度も固定資産税を払っていないと説明。昨年末に税金未納で預金口座を差し押さえられたと話し、動機について「何度も督促状を受け取り、腹が立った」と供述している。口座の残高は約200万円。以前は日雇いでごみ処理関係の仕事などをしていたが、昨年末からは仕事をしていなかったという。同市によると、2003年以降、同容疑者は税金相談で数回市役所を訪れ、担当者が未納分の分割払いを催促すると、大声で怒鳴り散らすこともあった。昨年10月に訪れたのが最後だった。

事件当日は同容疑者が面談を希望。担当者と相談中に口論となり、「おれの人生めちゃめちゃや。おれの答えはこれや」と激高。かばんから火炎瓶を取りだし、窓口のカウンター越しに投げ込んだ。前後してガソリンが入ったポリタンクもカウンター内にぶちまけた。宝塚市消防本部によると、約2200平方メートルが焼け、当時市役所にいた職員と来庁者600人以上が外に避難。市職員ら男女5人が搬送され、軽傷を負った。同容疑者が住んでいたマンションの住人は「周囲との親交はあまりなく、どことなく怖いイメージだった」と語る。7、8年前に仕事道具を保管するためのプレハブ小屋をマンション敷地内に勝手に設置し、住民とトラブルになったこともあったという。撤去を求める住民に「何が悪いんや」などと激高したという。マンション管理会社によると、同容疑者が管理費などを滞納したことはなかったという。【日本経済新聞2013年7月13日

まったく財産がなく、生活困窮に至るような場合、滞納処分の執行停止という判断もあり得ます。そもそも納税の意思を誠実に示していただきながら、納められない現状について相談を重ねている方々に対しては、どこの自治体でも機械的に差押を執行するようなことはないはずです。上記のような事案は不動産や預金という財産があり、分納相談も拒むようでは差し押さえられても仕方ないケースです。逆に差押を執行しないようであれば、徴税吏員としての職務怠慢の指摘を受けかねません。

したがって、今回の犯行動機は、どう見ても容疑者の筋違いな逆恨みに過ぎません。私どもの自治体においても、差押処分を受けた方から担当者が罵詈雑言を浴びせかけられるケースは決して珍しい話ではありません。しかし、そのような脅し文句にひるみ、差押処分をためらうような職員は皆無です。圧倒多数である納税者の皆さん、誠実な相談に応じられている方々との公平性のためにも、不当な言葉の暴力に屈することは許されません。

私自身をはじめ、職員一人ひとり、そのような心構えで日々の職務に励んでいるつもりです。中には脅迫罪に問えるような恫喝によって、身の危険を感じる時もありましたが、これまで幸いにも大事には至っていません。今回、宝塚市の事件を目の当たりにし、現実的なリスクとして覚悟しなければならない職務であることを改めて認識する機会となっていました。それでも前述したような心構えが後退することなく、今後も粛々と徴税吏員としての職務に全力を注いでいくことに変わりありません。

さて、身の危険という職務の過酷さで言えば、類を見ない想像を絶する局面で奮闘された方の訃報に接しました。福島第一原子力発電所の所長だった吉田昌郎さんが7月9日にお亡くなりになりました。原発事故による被曝と食道がんとの因果関係はないという見方がされていますが、不眠不休で事故対応に追われた肉体的、精神的な負担は相当なものだったはずです。その意味で、吉田元所長も原発事故による犠牲者の一人に数えられるのではないでしょうか。

2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故当時に、同原発所長を務めていた吉田昌郎(よしだ・まさお)さんが9日午前11時32分、食道がんのため、東京都内の病院で亡くなった。東電が同日発表した。58歳だった。告別式は未定という。吉田さんは1979年に東電に入社してから一貫して原子力畑を歩み、2010年6月に同原発所長に就任。事故発生後は原子炉の冷却や、炉内の圧力を下げるベントという作業などについて陣頭指揮を執っていたが、11年11月に食道がんが見つかり、翌月に所長を退いた。事故以降の被曝量は70ミリ・シーベルトで、東電は「医師の判断では、事故による被曝と食道がんとの因果関係はない」と説明する。吉田さんは12年7月に脳出血で緊急手術を受け、病院や自宅で療養していた。【読売新聞2013年7月9日

吉田元所長の訃報が流れた直後、ブックマークしている元外務官僚の天木直人さんのブログで「吉田昌郎元福島第一原発所長に国民栄誉賞を」という記事を目にしていました。下記のような報道内容を踏まえ、「事故当時に吉田さんが福島第一原発にいたことを感謝しないといけない」という論調のものでした。その記事を投稿したとたん「英雄視するなどとはとんでもないことだ」「彼は真実を語っていない」という批判の声が寄せられたため、天木さんは新たな記事で「国民栄誉賞などと言い出したのは軽卒だったかも知れない」と詫びられていました。

事故が起きているのは本店ではなく現場だ-。9日、食道がんのため58歳で亡くなった東京電力福島第1原発の元所長、吉田昌郎(まさお)氏。東日本大震災による爆発事故から病気療養で退任するまでの約250日間、所長として事故収束の陣頭指揮を取り、大惨事に身をなげうった。頭でっかちの技術屋ではなく、厚い人望で作業員をまとめ上げる現場に強い男だった。吉田氏は2011年3月の事故時、現場に介入してくる首相官邸と東電本店に対し、現場の判断を貫き通した。東電が公開した社内テレビ会議の映像などからは、さまざまな思いで事故と対峙し苦悩する姿があった。

「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」。同年3月12日、水素爆発した1号機への海水注入をめぐり、「首相の了解がない」と中断を求めた本店に反し、小声で作業員にこう伝え、自らの判断で事態の悪化を防いだ。「やってられんわ。そんな危険なこと作業員にさせられるか」。原子炉格納容器が水素爆発するのを防ぐため窒素ガス注入を指示する本店幹部に大声で食ってかかったことも二度三度ではない。そんな過酷な現場に向かっていく部下や協力会社の作業員には「感謝」を超えた特別な思いがあった。「放射能がある現場に何回も行ってくれた同僚たちがいる。私は見てただけ。部下は地獄の中の菩薩だった」。昨年8月、福島市で開かれたシンポジウムにビデオ出演し、こう語っている。

事故から約2週間、不眠不休で陣頭指揮にあたっていた吉田氏。休養で東京にいったん戻る際、現場に残り作業にあたる所員に、目に涙を浮かべながらこう言って去るシーンがテレビ会議映像にある。「私は肉体的にもかなりガタがきている状態になっています。非常にじくじたる思いですけれども。またここに戻ってきて、皆さんと一緒に仕事をしたいと思います。本当に申し訳ないんだけど…」歯に衣着せぬ率直な物言いは、社内で「自信過剰」とみられることもあったが、部下や作業員を常に気遣い、下請け業者からの信頼は厚かった。【ZAKZAK2013年7月10日】 

私自身、吉田元所長をはじめ、身の危険が極めて大きい福島第一原発で任務を果たされてきた皆さんに心から感謝しています。とりわけ迷走した官邸や東電本店の指示に惑わされることなく、最善を尽くした吉田元所長の功績に対しては大半の方が評価されているはずです。その一方で、取り返しの付かない原発事故の教訓を失念しているような動きが強まっているため、次のような視点や問題意識で吉田元所長絡みの報道が語られることも充分理解できました。

どうも釈然としない。テレビ各局は食道がんで急逝した吉田昌郎・元東京電力福島第1原発所長(58)を英雄のように報じている。10日も朝から大々的に取り上げていたが、どの局も「彼がいなかったら大惨事だった」などと持ち上げた。このスタンスに違和感があるのだ。「本店の命令を無視して原子炉への海水注入を続けたことが日本の危機を救った」「各界から悼む声が上がっている」――。ワイドショーで繰り返し流された吉田氏の姿は、国民を放射能汚染から守ったヒーローのようだった。もちろん、原発事故直後、吉田氏が「死の恐怖」と対峙(たいじ)しながら不眠不休で現場の陣頭指揮に尽力したことは事実だろう。とはいえ、公務中に殉職して「2階級特進」した警察官のように扱うのは明らかに変だ。

「吉田氏の事故当時の肩書は『執行役員』。経営幹部なら、事故を起こした責任は免れない。しかも、東電が08年に想定外の津波の可能性を把握した際、彼は対策を先送りした原子力設備管理部の部長だった。原子炉への海水注入をめぐって本店幹部とケンカするほどの反骨心を持っていたのなら、事故前に安全対策に万全を期すよう大ゲンカしてほしかった。強く主張していれば、事故は防げた可能性があるのです。だから、事故後の対応は、自らの失態を必死に挽回しようとしただけとも言える。それなのにテレビは『被害を最小限に食い止めた』などとヨイショしている。事故から2年半近くなっても、約15万人が故郷に帰れない現実をどう考えているのでしょうか」(経済誌記者)

ジャーナリストの横田一氏がこう言う。「原発の事故原因が津波なのか地震なのか、いまだに分からない中で、吉田氏には国会などのオープンな場で事故当時の様子を語って欲しかった。原発の安全性を語る上で、彼が知り得たことは重大な意味を持つ。なし崩しに進められようとしている原発の再稼働を左右する重要なキーマンだったと言ってもいい。メディアは吉田氏の一面を取り上げて大騒ぎするのではなく、あらためて、原発が抱える問題や東電の隠蔽体質も含めて報じるべきでしょう」原発事故当時、国や東電の言い分をタレ流し続けていたテレビの体質は今もまったく変わっていない。 【日刊ゲンダイ2013年7月11日】 

複数のニュースの内容をそのまま掲げましたので、たいへん長い記事となっていますが、もう少し続けさせていただきます。私自身の原発に対する考え方は「原発の話、インデックス」のとおり脱原発社会を一刻も早く実現すべきというものです。このまま再稼働を一切認めず、一気に原発ゼロ社会が実現できれば何よりな話だと思っています。ただ原発の問題に限らず、理想的な姿を描く中で、その目指すべきゴールに向かってどのような判断を地道に重ねていくのか、現実の場面での選択肢一つ一つを熟考していく大切さも認識している立場です。

そのような意味で、安全性を判断する新たな規制基準に沿った原発の再稼働申請の問題をとらえた際、次のとおり考えています。公正な審査から結論が得られるものと信じていますが、「やはり原発は必要」という政治的な枠組みのもとでは、また以前と同じ轍を踏むような懸念も拭えません。穿った見方だと批判されてしまうのかも知れませんが、将来的に原発ゼロを目指す中で再稼働の是非が判断されていく場合との信頼度は大きく違ってくるように感じています。

最後に時節柄、どうしても参院選挙の話に繋げざるを得ません。昨年、全国各地で開いた意見聴取会、パブリックコメント、討論型世論調査、それぞれで原発ゼロを望む声が多数を占めました。現時点でも将来的な原発ゼロを望む声のほうが多数であることに変わりありません。それにもかかわらず、唯一、原発ゼロの方向性を明確にしていない自民党に国民からの支持が集中しています。郵政民営化や政権交代の是非のような大きな争点となっていませんので、やむを得ない現状ですが、たいへん残念で歯がゆい思いを強めています。

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2013年7月 6日 (土)

タバコの話から一言二言

参議院議員選挙が木曜日に公示されました。前回記事「参院選公示前、今、思うこと」の中でも触れましたが、インターネット選挙解禁となっても当ブログでは今までどおり候補者の固有名詞は控えるなど一定の制約を課していきます。地方公務員の立場を明らかにしている管理人によるブログであり、不特定多数の方々に特定の候補者の支持を呼びかける、つまり選挙運動を行なっているような誤解を招かないための大事な心得でした。

とは言え、これまで選挙期間中、いっさい政治的な話をタブーにしてきた訳ではありません。マスメディアでも取り上げているような一般的な話題などについては、このブログでも題材にしてきました。したがって、今回も記事タイトルに直接関わりませんが、参院選絡みの話題を冒頭に少しだけ(?)触れさせていただきます。このニュースに接した時、たいへん驚き「何だかなぁ」とつぶやいていました。

定数5の東京選挙区には民主党の現職二人が立候補を予定していました。候補者を複数擁立したため、共倒れが目立った都議選の結果を教訓とし、民主党執行部が候補者の一本化を進めていたことはよく知られていました。しかし、公示日の2日前の段階で、本人からの同意を得られないまま公認の取り消しを決めた手際の悪さは本当に残念なことです。結局、民主党の公認を外された現職も無所属で立候補することになり、共倒れのリスクは相変わらずで、逆に高まった側面があるように感じています。

それでも公認候補者が当選を果たし、土壇場で一本化を決めた民主党執行部の「英断」が称えられる可能性もあるのかも知れません。確かに結果がどのように出るのか分かりませんが、現時点では公示日直前の段階で非情な判断を下し、関係者や支援者に大きな混乱や戸惑いを与えた民主党執行部を評価する声は極めて少ないようです。聞くところによると話し合いでの一本化が果たせず、最終的に直前の支持率調査で決めるという考え方をそれぞれの候補者に伝えていたそうです。

候補者自身が納得していた話かどうか分かりませんが、民主党執行部としては手順を踏んだ上での苦汁の決断であり、決して一方的な押し付けだった訳ではないようです。そうは言っても、このタイミングでの一本化は、どうしてもマイナス面のほうが大きかったように危惧せざるを得ません。そもそも都議選とは異なり、公認候補二人が切磋琢磨することで比例選の民主党票を増やしていくという派生的な相乗効果も期待できたはずです。

その上で、お互いの陣営が全力で競い合い、何とか最低限、1議席の確保をめざすという戦略でも良かったように思えています。いずれにしても私どもの組合をはじめ、労働組合側は政党の判断に直接左右されることなく、当初の基本方針を軸に選挙戦に臨んでいるところです。やはり少しだけに「(?)」を付けたとおり本題に入る前の話が長くなりました。それでも今回は記事タイトルを差し替えず、予定した題材の内容を書き進めていきます。実は最近、次のような報道を目にしていました。

大阪市で、市職員の勤務時間中の喫煙に対する厳罰化が進んでいる。橋下徹市長の号令のもと、「隠れたばこ」を取り締まる査察チームも結成。喫煙による停職処分は1年で50人にのぼり、依願退職に追い込まれた職員もいる。「まるでたばこ狩りだ」。愛煙家の職員たちから悲鳴が上がる。大阪市役所のすぐ南側を流れる土佐堀川沿いの遊歩道。昼休みになると、多いときで20~30人の市職員が集まり、紫煙をくゆらす。市役所周辺は「路上喫煙禁止地区」だ。市役所内にも喫煙スペースはない。ぎりぎり禁止地区外にあたる遊歩道が愛煙家職員のオアシスになっている。

市が勤務時間中の喫煙を内規で禁じたのは昨年5月。4月に市営地下鉄の駅長室で助役が喫煙して火災報知機が作動し、電車が遅れたことがきっかけだった。 激怒した橋下市長は「服務規律を厳格化する市長のメッセージを無視した。厳罰でいく」と表明。交通局は助役を停職3カ月とし、それから「勤務時間中の喫煙は停職」が定着した。「昔はトイレ休憩のついでに吸っていたのに」とぼやく50代の職員は、昼休みに吸えるだけ吸う。人事室によると、例えば40代の職員が停職1カ月の懲戒処分を受けると、140万円以上の生涯賃金が減る。村上龍一副市長は「たばこ1本100万円」と禁煙徹底を呼びかける。【
朝日新聞2013年7月2日

以前、このブログで「タバコ1本で懲戒免職」という記事を投稿した際、いろいろな意見を伺うことができました。ここまで厳しい管理強化を進めたことについても肯定的に評価される方と「極端すぎるのではないか」と疑義を示される方、個々人によって見方が分かれていくのかも知れません。初めに私自身や私どもの組合の考え方などについて説明させていただきます。まず私自身、いっさいタバコは吸いません。若い頃、口にくわえたこともありましたが、ふかしていた程度だったため、やめようと思い立ったらすぐやめられました。

長い間、他人のタバコの煙を気にすることはありませんでした。健康増進法によって受動喫煙の防止が強調される少し前頃から、できればタバコの煙からは離れたくなっていました。そのため、様々な場所で分煙や禁煙が進んでいることを歓迎し、これまで労使協議の場では受動喫煙防止のための環境整備の必要性を訴えてきた立場です。また、喫煙者本人の健康のためにも、節煙や禁煙の機会に繋がる流れを望ましいものだと考えています。

一方で、喫煙される方々に対し、勤務時間中、一服もさせないという考え方は否定的に見ています。私どもの市の本庁舎は現在の場所へ3年前に移転しました。その数年前から新庁舎への移転に向け、安全衛生委員会などの場を通して労使協議も重ね、組合からの様々な要望や考え方を市側に伝えていました。詳細なレイアウトを市側が検討している段階で、全体的にスペースが不足している事情もあり、新庁舎への移転を契機に喫煙場所をなくすという案が浮上しました。

それに対し、組合は「分煙を徹底しながら喫煙者のニーズに応えることも重要であり、これまでどおり庁舎敷地内に喫煙場所は確保すべき」という主張を市側に訴えました。愛煙家だった当時の副市長に私から「喫煙場所がなくなったら副市長も困りませんか」と問いかけたところ「この機会にタバコをやめようと考えているんだ」という返事でした。「はぁ、それは良いことですが、現実的な判断として喫煙場所、やはり必要ではないですか」というやり取りを交わしたことを覚えています。

結論として、組合の主張が受け入れられ、現在の庁舎に喫煙場所は確保されました。ちなみにタバコをやめようと考えた副市長も、庁舎移転後、その場所を活用されていたようです。あえて質問したことはありませんが、喫煙場所をなくすという市の方針に対し、すでに退任された副市長ご自身、本音のところでは少し迷われていたのかも知れません。そのため、ある意味で組合の主張は副市長にとって「渡りに船」だったという見方も的外れではないような気がしています。

組合は快適な職場づくりを方針化しています。喫煙場所確保の問題はタバコを吸われる組合員の皆さんにとって大きな関心事であり、その当時、「組合には頑張って欲しい」という声が数多く寄せられていました。快適な職場づくりという方針も踏まえ、組合は喫煙場所の確保を求めてきた訳ですが、最近の大阪市のような動きには非常に悩ましいものを感じています。自分の机で喫煙できた時代では考えられなかったことですが、勤務時間中の喫煙が職務専念義務との絡みで問題視されるようになってきました。

分煙の徹底化とともに喫煙場所が遠くなり、どこの職場でも移動時間がかかるようになっているはずです。そのため、喫煙している時間と合わせ、自席を離脱している時間を厳格に突き詰めていけば大阪市のような判断に繋がっていくのかも知れません。今のところ勤務時間中の喫煙を全面的に禁止している自治体のほうが圧倒的に少数であるようです。ある自治体では住民からの問いかけに対し、総務課人事室が次のように回答していました。

職員の勤務時間内の喫煙については、社会通念上批判を受けない範囲で、かつ業務に支障がないよう、特に勤務時間の開始及び昼の休憩時間直後などは自粛するよう周知しているところであり、職員は市民の方が不信感を抱く行動は慎まなければならないと考えております。職務専念義務は、公務員のもっとも重要な義務でありますので、勤務時間内は、喫煙も含め職員1人ひとりが節度ある行動を心がけるよう今後も注意喚起してまいります。

いろいろ他にもインターネット上で調べましたが、喫煙者に有利になるような情報はあまり得られません。そもそも喫煙の自由や権利はなく、勤務時間中に喫煙を禁止することも法的にはまったく問題がないようです。中には「タバコ吸ってる数分間に仕事の段取りを考えている」「喫煙でリフレッシュして仕事の能率を上げている」「喫煙場所での部署を越えた情報交換や会話が役立っている」という喫煙者側からの利点を目にする程度でした。

本当に今のところ「社会通念上」という範囲内での問題であり、大阪市のような動きが全国に波及していった場合、組合として現状を守り切れるかどうか正直なところ難しい面があります。それでも個人な思いとして、タバコを吸うための離席時間程度は職場内で認め合いながら、それ以上に日頃から支え合っていける組織としての強さや懐の広さがあることを理想視しています。タバコ1本を監視し合うギスギスした雰囲気では息が詰まり、職員の士気が上がるようには思えません。

このような言い分も「甘い、屁理屈だ」という批判を受けるのかも知れません。さらに批判を覚悟しながら最後にもう一言だけ付け加えさせていただきます。首長は特別職で勤務時間の概念がありません。しかし、部下である職員に厳しい規律を求めていくのであれば、率先垂範という言葉があるとおり自らの行動も厳しく律して欲しいものと考えています。役所の勤務時間中、公務とは無縁のツイッターを連続して投稿する首長には批判の声が寄せられています。それに対し「時間の割き方は僕の自由。だめだったら有権者が落としてくれたらいい」と反論されていましたが、そのような言葉にも賛否が大きく分かれるのではないでしょうか。

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