分かり合えなくても
コメントが寄せられた際、1年前までは必ず1日に1回以上のレスに努め、お礼の言葉とともに自分なりの感想や補足意見を添えていました。現在は週末に更新する記事本文に集中し、私自身がコメント欄に関わるのも休日に限るようにしています。したがって、コメント欄での問いかけに対しては、記事本文を通してお答えするように心がけていました。そのように改めた経緯は「コメント欄雑感、2012年春」の中で綴っていました。
毎日、夜遅くまで忙しい訳ではありませんので、平日夜でもコメント投稿する時間は充分取れます。ただ日常生活に過度な負担をかけず、ブログを続けていくための一つの判断とし、記事本文に集中する方針に改めていました。そのため、平日に私への問いかけが続いても、たいへん恐縮ながら逐次対応し切れていません。コメント欄常連の皆さんは充分承知されている話だと思っていますが、きめ細かい一問一答に至らない点について改めてご理解ご容赦ください。
「答えられないからスルーしている」というような指摘を受ける時もありますが、言葉足らずになりそうなレスであれば、あえて中途半端に触れないという判断も賢明な選択肢の一つだろうと考えています。このブログを長く続けている中で、基本的な視点や立場が異なる方々と分かり合うことの難しさを体感してきました。様々なモノの見方に対し、議論が平行線をたどり、大きな「溝」を痛感した時は数え切れません。
結局、その「溝」は簡単に埋まらないものと認識し、いろいろな「答え」を認め合った場として、このコメント欄の限界と可能性について皆さんにご理解を求めるようになっていました。つまり「答え」を一つに絞ることを目的にした議論の場よりも、それぞれの「正しさ」を巧みな言葉で競い合うパネルディスカッションのような場になり得ることを望むようになっていました。実は前回記事「橋下市長の発言の波紋」のコメント欄で、はぐれ猫さんから次のような問いかけがありました。
僕も一つだけトピ主さんに質問します。トピ主さんは信念がありそれが変わることがありません。それならなぜここで意見を求めるのですか?いくらいろんな意見が出ても鼻で笑うような態度では、どなたも憤慨するでしょう。違うのかもしれませんが、僕にはそうとしか見えません。最初から言い分を垂れ流すだけならコメント欄など不要だと思いますよ。
このコメントを意識し、今回の記事を書き進めていました。当たり前な話ですが、自分自身が正しいと信じていることを簡単に変えられるものではありません。その一方で、明らかな勘違いや事実誤認を自覚した場合、すみやかに考え方を改める潔さは持っているつもりです。そうではない限り、日常生活の場面も含めて、持論の正しさに固執する意味合いでは確かに頑固な部類に位置付くほうだろうと思っています。
しかし、自分自身と異なる意見に対し、見下すような意識は一切ありません。そのため、「いろんな意見が出ても鼻で笑うような態度」という見られ方は、たいへん意外なものでした。とは言え、発言者の意図に反した批判を受けることは頻繁にある話であり、憤慨された方がいらっしゃるという事実は事実として押さえていかなければなりません。ちなみにコメント欄から距離を置くようになったのは、このようなギャップの多さからでした。
私自身、感情を完璧にコントロールできている訳ではありませんので、トゲのあるコメントに対しては少しトゲの入ったレスを行なう時も少なくありません。感情を一切押し殺したコメントも、それはそれで慇懃無礼な印象を与えてしまうのかも知れません。いずれにしてもギスギスしたコメントの応酬は控えてくださるようお願いしていながら、時々、自分自身で火に油を注ぐケースもあったため、徐々にコメント欄から距離を置くようになっていました。
コメント欄を設けていないブログも多いようですが、私自身にとって当ブログのコメント欄は欠かせないものと考えています。コメント欄を閉じてしまえば、耳の痛い話を聞くことはありません。しかし、耳の痛い話も含め、幅広い意見や情報に触れられる機会として、このブログのコメント欄はたいへん貴重な場だと言えます。よく変わらないことについての批判を受けがちですが、ブログを続けてきたことで自分自身の意識や日常活動に少なからず影響や変化を及ぼしています。
このあたりの話は機会を見て詳述するかも知れませんが、結論として今のところコメント欄を閉じる考えはありません。自分自身がコメント欄に積極的に関わらない中、たいへん恐縮ながら以上のような思いを抱いていますので、今後ともよろしくお願いします。もちろん不要だという見方を頭から否定するつもりもありませんので、出入り自由な場として個々人それぞれの距離感でお付き合いいただければ幸いです。
今回も当初予定した記事タイトルから内容が大きく変わってしまいました。前回の続きに位置付く新規記事を考えていましたが、前置きとして書き進めていた内容が膨らみ過ぎてしまい、途中でタイトルを付け替えていました。結果的に「分かり合えなくても」というタイトルを付けたことによって、改めて今回の記事を通して訴えたい内容が明確になっていきました。つまり自分自身が正しいと信じている「答え」とかけ離れた意見に対し、お互い分かり合えなくても認め合うことや、いがみ合わないように努力することはできるはずです。
ひとまず正しさの峻別は横に置き、「そのような見方もあったのか」と許容する姿勢です。異質な「答え」を認め合う姿勢が薄かった場合、他者を見下し、トゲのある言葉を発しがちとなります。相手が「答え」を変えないことに苛立ち、蔑みや憎しみに繋がっていく場合もあります。社会の小さな縮図の意味で、このコメント欄においても同様です。他者に対して攻撃的な言葉をぶつけていくことよりも、相手に対して「なるほど」と思わせる言葉を投げかけていくことが「分かり合えなくても認め合い、いがみ合わない」という関係性だろうと考えています。
最後に、コメント欄常連のnagiさんからは数多くの問いかけが示されていました。即答できるものから熟考すべきものまでありましたが、現時点では前述したとおりの取扱いとさせていただきます。その中で、紹介のあった報道内容からは今回の記事タイトルに沿った問題意識に繋げてみます。韓国の中央日報が「原爆は神の罰」というコラムを掲載していました。このような暴言に対しては「分かり合えなくても」というレベルではなく、絶対容認できない論外な内容です。それでも「いがみ合わない」ための努力だけは、これからも尽くしていくべきものと思っています。
「言語道断の内容」「もはや民度が低いとしか言えない」-。韓国の中央日報が原爆投下を「(神の)懲罰」とする記事を掲載した問題で、日本最大規模のコリアタウンが広がる大阪市生野区の在日コリアンからも厳しい非難の声が聞かれた。同区の自営業の男性(36)は、「言葉は悪いが、こんな記事が大新聞に掲載されること自体、(韓国の)民度が低いとしか言えない」とあきれ顔。「日本は人口が多く、政治が安定してインフラも整備されている。韓国は日本のことがうらやましくてたまらない。嫉妬に狂っての妄言だ」と切り捨てた。
また、「韓国という国民性は『いくら国家間の仲が悪くてもこの発言は問題だ』という理論的な考え方ができない」とばっさり。「伊藤博文を暗殺した活動家・安重根を英雄扱いしているが、実際は暗殺事件を機に日本の韓国への締め付けは厳しくなり、国勢はますます衰えた。そういった客観的な見方ができず、感情論でしか語れない」と厳しく批判した。
「今も原爆の影響で苦しんでいる人たちに『そうなって当然だ』と言えるのか。言語道断の発言だ」。同区の団体職員の男性(47)も強い口調で非難した。ただ、「日本でも韓国に対するヘイトスピーチ(憎悪表現)が問題になっている。いがみ合いがエスカレートしたことも今回の記事につながったのではないか。日韓双方が冷静になって歩み寄ってほしい」と呼びかけた。また、「今回の記事の内容がすべての韓国人の意見と思わないでほしい。声の大きい人の意見ばかりが取りあげられ、平和を望む大多数の人の意見が埋もれてしまっている。日韓双方が平和的に生きていける社会を目指すべきなのに…」と肩を落とした。【ZAKZAK2013年5月23日】
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コメント
橋下市長は左翼でしょうが何故か右の人々に人気があるのは不思議でしょうがないです。
従軍慰安婦と慰安婦をごっちゃにして発言する橋下市長のおかげで
日本はさらに不利になってきてますね。
投稿: ちょび | 2013年5月26日 (日) 09時05分
韓国には「恨」という思想?があるそうです。
日本人は持ち合わせて無く、なかなか理解しにくいことのようですが。
こういうサイトも読んでみました。
http://kumakichi2008.web.fc2.com/korea3.html
もう、何が本当なのかわからなくなってしまいますね。
侵略?統合?虐殺?慰安婦?
本当の真実が知りたい。
そして、真に謝るべきことがあるなら、きっちり謝罪していきたい。
その上で、不毛ないがみ合いなど根絶させ、未来志向の関係を築きたいと切に願います。
投稿: 下っ端 | 2013年5月26日 (日) 15時27分
ちょびさん、下っ端さん、コメントありがとうございました。
従軍慰安婦の問題については過去に記事本文で掘り下げていましたが、いろいろ難しい論点や認識の枝分かれが生じていきます。今後、直接的な題材として取り上げるかどうか分かりませんが、今回の記事に示した問題意識に沿った内容に関連しながら触れていく機会もあるかも知れません。余計な一言を添えてしまいましたが、これからもよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2013年5月26日 (日) 22時06分
今のままで,OTSUさんのブログにはたくさんのアクセスがあり,つまりたくさんの人達が読む価値を感じているということですよね。
万人を満足させることは到底無理ですし,その責任ももちろんありませんので,OTSUさんの流儀で続けられればいいのだと思います。
私にとって今のコメント欄は,いろんな意見が聞けてとても有意義です。
投稿: WontBeLong | 2013年5月27日 (月) 00時07分
>OTSU氏
とりあえず、中央日報を非難していただいたようで安心です。
例のフォーラムは思想信条に基づく活動をするのに「平和」を利用して
いる団体です。それを指摘する言葉をOTSU氏から非難されるので
改めて、単語そのもにも問題がない誹謗中傷ではない言葉に変更します。
今後は、「親中親朝鮮フォーラム」と呼ばせていただきます。
今日のHPを読んでも中央日報に対する非難声明を出していません。
私はアムネスティインターナショナルの活動は平和活動と認めています
私は「親中親朝鮮フォーラム」の活動は平和活動と認めていません。
この違いをOTSU氏に申し上げたいと思います。
「アムネスティが政治的中立性の維持に格別の努力を払ってきた背景には、「人権」ということばがしばしば政治宣伝の隠れ蓑として恣意的に利用されてきたという歴史的経緯がある。アムネスティが結成された当時すでに、言論機関やさまざまな団体が表向き不偏不党の姿勢を装いながら、実際には自陣営内で起こった人権侵害は不問に付する一方で敵対陣営側の人権問題だけを大きくとりあげて非難するという「人権のつまみぐい」が頻発していた。そのため、「人権擁護」というスローガン自体がうさんくさい目でみられる風潮すら一部に生じていた。したがって、認定する案件数なども含めて均衡を保つことを明示的に義務づけることによって政治的中立性を保とうとするアムネスティの規定は斬新なものであったといえる。」
ウィキペディアからの引用ですが、上記の内容どおりアムネスティは中国や
北朝鮮の人権問題も非難している。一方、「親中親朝鮮フォーラム」は非難しない。
これが示すものははっきりしている。「政治宣伝の隠れ蓑として恣意的に利用されてきたという
歴史的経緯がある。」つまりこのことですね。
だから、何度も言及してるのですが、平和活動を隠れ蓑にして自らの
思想信条に基づく活動に全力をそそぐ団体は「平和」を利用せずに
活動していただきたい。よって私はこの「親中親朝鮮フォーラム」の活動は
平和活動として認めません。
>下っ端氏
私も同様に真実を知りたいと思っています。このサイトの内容は
ほかでも見たことがあります。だいたいが事実ですね。歴史ではなく
現在の問題を的確に指摘しています。実際に不都合な事実は全て
隠蔽しています。またいわゆる「反日法」の存在がそれを証明して
います。それによって歪められた感情で批判をしてるので問題が解決
することはありえません。残念な話です。
投稿: nagi | 2013年5月27日 (月) 09時36分
橋下市長が日本外国特派員協会で会見した。内容についての評価は
個人の自由と思う。
その中で、過去の経歴で飛田料理組合の顧問弁護士をしていたことを
槍玉にあげていたのだが、これを追求した記者は何を考えていたの
だろうか。たしかに大阪の男性ならよくしってる事実だが、ここは
有名な所だ。しかしこれを槍玉にあげるなら、まずパチンコの換金
こそ違法なのだから追求すべきだが、パチンコ利権があるから
追求しない。なにがなんでも橋下市長を潰したいとの思惑なんだろう。
もし、いかなる不正も許さないというのなら、その主張は正しい
ただし、すべての違反行為を等しく告発してるのなら受け入れるが
都合よく切り貼りした告発は受け入れることはできない。
それでは「親中親朝鮮フォーラム」の政治活動となんら変わりが無い
極めて偏向した内容だろう。
投稿: nagi | 2013年5月28日 (火) 17時41分
かつて韓国軍では韓国軍慰安婦が存在しました。旧日本軍とは異なり
軍による強制がはっきりしています。また、朝鮮軍兵士なども強制的に
慰安婦にしました。これは韓国内の女性教授によりあきらかにされ
韓国軍の記録にも残っています。韓国軍がだまし強制したからと
いって日本も軍が強制したとはとんでもないはなしですね。
またベトナム戦争時代ではたくさんのベトナム人女性を強姦し
現在のライダイハン問題があります。
これほど韓国により女性の人権が蹂躙されている事実があるのに
なぜ「親中親朝鮮フォーラム」はなんの活動もしないのだろうか
フォーラムにとってもっとも大切な北朝鮮の女性も被害にあってる
のに。
投稿: nagi | 2013年5月29日 (水) 09時26分
>OTSU氏
清水潤子さんという方をご存知でしょうか。この方は自治労滋賀本部の嘱託書記と
して、18年間勤めたのちに自治労の悪口を言ったことが原因で解雇されたとか。
事実の経緯を追うことができなかったのですが、まあ労働者の味方たる自治労も
内部ではいろいろ揉め事があるのがわかり興味深いですね。
つまりなにを言いたいのかというと、立場が変われば人は変るということです。
労働者の代表として労使交渉すべきだ、誠意を持つべきだ。などと言ってるが
いざ、おのれがそれを迫られる側になると横暴な態度になる。
非正規雇用の問題を言いつつ、内部でこのような問題を抱えていると
まずは足元を見ろと言われてしまいますね。
労働問題は本当に難しく大変で意義がある活動と思います。だからこそ
他の問題にかまけている余力はないと思うしだいです。
基地問題や反原発や平和運動などはその手の団体にまかせて、
自治労や連合は労働問題に全力を注ぐべきでしょう。
投稿: nagi | 2013年5月29日 (水) 16時44分
WontBeLongさん、nagiさん、コメントありがとうございました。
新規記事は大きな区切りにちなんだ内容となります。最近は私自身のコメント欄への関わりが薄くなり、以前に比べれば物足りない場となっていることをご容赦ください。それでもWontBeLongさんのような言葉に励まされながら、今後も自分なりのペースで続けていくつもりですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2013年6月 2日 (日) 09時00分