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2013年4月28日 (日)

『ブラック企業』を読み終えて

昨日の土曜、好天のもと三多摩メーデーが開かれました。毎年、全体の参加者数は万単位、私どもの組合としてはご家族も含めて百人単位で集まる盛況ぶりです。今回、各市のマスコットキャラクター、いわゆる「ゆるキャラ」が一堂に会するイベントも催されました。私どもの市のキャラクターは子ウサギの「くるりん」です。もともと「くるりん」は市内循環の市民バスのキャラクターでしたが、半年ほど前、公募によって市の公式キャラクターに決まりました。

3月に市民マラソンの会場でテビューした後、着ぐるみの「くるりん」は大勢の方が集まる場所で子どもたちからの人気を集めていました。メーデーでのイベント参加にあたり、組合ニュースで「くるりん」に入る方を募集しました。すると女性組合員4人の方に名乗りを上げていただきました。当日、予想していた以上に「くるりん、かわいい」という声が寄せられる中、たいへん暑いところ交替で「くるりん」になり切っていただきました。

一般的なブログであれば、このような内容だけで一つの記事にまとめているはずです。週末に週1回だけ更新している当ブログは、どうしても個人的に取り上げたい話題やコメント欄で宿題となっている内容などを詰め込むため、いつも長々とした記事になりがちでした。いろいろな見られ方もあろうかと思いますが、気ままに自由に書き進めていけるブログだからこそ、週1回の更新が途絶えずに長続きできているものと考えています。

さて、前回記事「改憲の動きに一言二言」に対しては、多くの方からコメントをお寄せいただきました。やはりコメント欄の返信に位置付く記事内容よりも、幅広い題材を扱っていくほうが多くの方からご意見を伺えるようです。 私自身がコメント欄から距離を置く中、とことん物事の正否を追求したい方々にとって当ブログは物足りない場となっているはずです。また、話題を転換していくことで「議論から逃げている」という不本意な見られ方もされてしまうのかも知れません。

しかし、平和の問題に関して言えば、昨年夏の「平和の話、インデックス」をはじめ、その後に投稿している「荒地よりもお花畑」「荒地よりもお花畑 Part2」「現実の場面での選択肢として」の中で私自身の考え方を詳しく綴っています。さらに平和フォーラムについても、私自身が語れる言葉で見解を示していました。このような内容は組合の機関紙等を通しても発信しているものであり、若手組合員から疑問が投げかけられれば私なりの考え方を補足しています。

とは言え、精力的にコメント投稿されているnagiさんの疑念が氷解していないことも認識しています。そのため、「出入り自由な場として」のコメント欄で、私から「時間の上でも、気持ちの上でも、力量面でも応えられるタイミングを見計らい、いつの日か記事本文を通し、nagiさんからの問いかけにじっくり挑戦してみるつもりです」とお答えしていました。さらに書き漏らした点として、翌日、次のような私自身のコメントをnagiさんあてに付け加えていました。

nagiさんから「絶対平和主義者の方々、どうぞOTSU氏を応援するために反論してください」というコメントも寄せられていました。確かに私自身の発想に近い方々からのご意見も伺えれば、それはそれで心強いことです。しかしながら自分自身がコメント欄から距離を置いている中、「他力本願」的な応援を個人的には願えるものではありません。加えて、このような場での議論に対しても、個々人でとらえ方や評価に差異があるはずです。そのような現状を踏まえた際、nagiさんの問いかけに誰も答えないから、要するに「答えられない」という見方は早計だろうと思っています。そのように見られていないのかも知れませんが、念のため、補足させていただきました。

また、あまり「絶対平和主義者」という言葉は好きではありませんが、このような心構えだけは強調できます。いわゆる右や左に関わらず、自分とは異なる主義主張をされている方々を蔑むような発想や行為は慎むべきものと考えています。蔑みが憎しみとなり、暴力に繋がるような関係性は論外であり、人と人、組織と組織、国と国、あらゆる場面において、まずは他者の立場やモノの見方を慮れるようになりたいものと願っています。そのような青くさい発想があり、このブログの場でも実践できることを常々切望していました。

前述したとおり本題に入る前の内容が長くなりました(苦笑)。記事タイトルの差し替えも頭の中をかすめましたが、天皇賞をリアルタイムでテレビ観戦できるノンビリした日曜日でもあり、予定した題材をそのまま書き進めさせていただきます。実は、かなり前に今野晴貴さんの『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』を読み終えていました。このブログで一度取り上げたいものと考えていましたが、投稿のタイミングを逃したまま延び延びとなっていました。

最近、ブラック企業という言葉が注目されるようになっています。今野さんの著書の影響も大きいようですが、少し前までブラック企業とは、ごく一部のマイナーな会社のことを指していました。それが今野さんの著書によれば、具体的な会社名をすぐ想像できる大手有名企業の中でも「ブラック」ぶりが蔓延しているようになっていました。今野さんは中央大学法学部に在学中に若者の労働相談を受け付けるNPO法人「POSSE(ポッセ)」を立ち上げていました。

今回紹介する今野さんの著書は1,500件を超える過酷な相談内容をもとに綴られていました。当初、企業側に明確な違法行為がある事案でも「自分が悪いのではないか」と不安がる相談者も多かったそうです。最近では「ブラック企業」という言葉の広がりによって、確実に違法な企業への目線は厳しくなっていると記されていました。その著書のカバーに書かれた文章は次のようなものでした。

違法な労働条件で若者を働かせ、人格が崩壊するまで使いつぶす「ブラック企業」。もはや正社員めざしてシューカツを勝ち抜いても油断はできない。若者の鬱病、医療費や生活保護の増大、少子化、消費者の安全崩壊、教育・介護サービスの低下―。「日本劣化」の原因はここにある。

現在、就活生の最大の恐怖としてブラック企業があります。100社以上エントリーシートを出すのが当たり前となっている就職活動の中で、運悪くブラック企業に勤めてしまうケースを想像しがちです。しかし、今野さんの著書で報告されている事例として、20社も出さずに希望した超大手優良企業に採用された就活エリートだった方のケースが記されていました。固有名詞は示されていませんでしたが、グローバルな事業展開している有名なアパレル企業における事例でした。

卒業式前の3月1日から研修が始まり、まるで「宗教みたい」と言われるほどマナーや挨拶の仕方など、姿勢、表情、手の挙げ方まで事細かく叩き込まれたそうです。研修から食堂までの廊下は一列で歩く、宿舎では必ずその会社のシャツを着て過ごす、企業理念や会社の基本方針などの暗記を求められ、グループで暗記できない者がいれば、連帯責任で覚えるまで全員寝ることが許されないなど、驚くような事例が列記されていました。そのため、研修中から同期は減り続けていくそうです。

店舗に配属されてからも、店舗運営マニュアルの暗記や半年間で店長になることを求められるなど、明らかに「ふるい落とし」を目的とした人材育成がはかられていました。要するに大量採用した正社員を極めて劣悪な条件で働かせ、鬱病から離職に追いこみ、平然と「使い捨て」にする企業であることが問題提起されていました。この企業の他にも複数の実例が紹介され、「ブラック企業の見分け方」や「入ってしまった後の対処法」なども記されていました。

そして、日本社会そのものがブラック企業の被害を受けている点を今野さんは指摘されていました。若者の鬱病、医療費や生活保護の増大、少子化、消費者の安全崩壊など、「日本劣化」の要因の一つはブラック企業にあることを訴えられています。解決策として、労働組合やNPOに相談することを上げられ、ブラック企業は労使関係の解体の問題であるとも述べられていました。

確かに「労働」を経営者からの一方的な目線のみで規定される際、ブラック企業が生み出されるように思えています。とりわけ経営者自身が並々ならぬ努力や苦労を重ね、現在のカリスマ的な地位をつかんでいた場合、社員にも同じような行動や発想を求めがちな傾向があることも見過ごせません。加えて、過度な競争主義の弊害がブラック企業を生み出す背景にあることも否めないのではないでしょうか。

このような主張を地方公務員の組合委員長が訴えること自体に対し、何か懐疑的な意見が寄せられるのかも知れません。しかし、いつもお願いしていることですが、誰が何を訴えているのかという発信者の属性は関係なく、そこに書かれている内容そのものがどのように評価されるのかどうかが大事な点です。ぜひ、そのような関係性について改めてご理解くださるようお願いします。たいへん長い内容となっていますが、最後に、最近注目を集めた次のニュースを紹介させていただきます。

カジュアル衣料「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングは、全世界で働く役員と幹部候補の正社員について、賃金体系を統一する制度を導入する。新興国採用の人材にも先進国並みの待遇を約束して優秀な人材を確保し、海外での事業展開を拡大する。同社の賃金は、仕事内容や成果に応じて19段階に分かれている。上位7段階までの執行役員と上級部長の計約50人に統一賃金を今年導入しており、部長級や店長級など、上位8~14段階の約1000人にも今後広げる。13か国・地域の「ユニクロ」事業が対象で、海外採用者は約300人が該当する。15~19段階の約4000人(海外採用約1800人)の正社員は当面、賃金体系は統一しない。【読売新聞2013年4月23日

読売新聞の前に朝日新聞が大きく取り上げた報道でしたが、この話を耳にしたため、今回の記事を投稿する後押しともなっていました。今野さんの著書の中で報告された事例がユニクロだと記されていた訳ではありませんが、この件での柳井正会長兼社長の言葉は賛否が大きく分かれるように思っています。「仕事を通じて付加価値をつけられないと、低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」とし、付加価値をつけられなかった人が退職する、場合によっては鬱病になったりすることも仕方ないと語られていました。最後の最後に、次の記事も紹介させていただきます。

年収300万円どころか、年収100万円が当たり前という地獄の時代が幕開けだ。「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長がブチ上げた「世界同一賃金制度」。これによって、サラリーマンの「給料」と「働き方」、「人生設計」までが、ガラリと変わらざるを得ない。柳井会長は23日付の朝日新聞で「将来は年収1億円か100万円に分かれて、中間層は減っていく」と言い切った。「新興国での優秀な人材確保」はタテマエで、本当の狙いは別にある。

「長期的には、“賃金のフラット化”によって国内社員の賃金水準は、新興国並みに引き下げられる可能性もあります」と言うのは、「ずっと『安月給』の人の思考法」の著者で経済ジャーナリストの木暮太一氏だ。こう続ける。「ユニクロはフリース、ヒートテックなど次々とヒット商品を飛ばしてきました。その一方で生産性をあげるために社員教育を徹底し、マニュアル化を進めてきました。利益追求のために必要な企業努力です。しかし、代替の利く仕事は結果的に『労働の価値』の低下を招きます。労働者の報酬が減ってしまうのは当然の帰結なのです。実はこうした経済的な矛盾が日本企業のあちこちで起きています」

小泉・竹中路線以降、この国では「競争」と「グローバル化」が声高に叫ばれ、外食、電機、自動車、量販店、IT企業……あらゆる業界で効率化が進んだ。賃金は年々下がり、非正規雇用の若者は使い捨てられてきた。弱肉強食の競争社会で富を得るのは、一握りの「勝ち組」のみ。彼らとて「寝てない自慢」だけが喜びで、多くが家庭不和を抱えている。真の幸福とは程遠い暮らしが、「世界同一賃金」でエスカレートしていく。「ユニクロに追随する企業は次々出てくると思います。まずは電機や自動車の生産ラインなどで“派遣社員を途上国と同レベルにする”という動きが表れるのではないか。そうなったら次はホワイトカラーです。IT企業のプログラマーなど、人種が関係ない仕事は『同一賃金に』ということになる。このトレンドは競争が激しい業界ほど顕著になります」(小暮氏)

世界中で同じ仕事、同一賃金ならば、時を構わず海外に異動させられる。歯向かえば容赦なく首を切られる。いつ自分のポストが見ず知らずの新興国の人々に奪われても、おかしくないのだ。世のサラリーマンは食うのがやっとの地獄の暮らしに唯々諾々と従わざるを得ない。行き着く先は日本企業の総ブラック化だ。すでに書店には「年収150万円で僕らは自由に生きていく」という、生涯低年収を前提にした本も並んでいる。はたして年収100万円時代を乗り切る知恵などあるのか。 【日刊ゲンダイ2013年4月24日

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2013年4月21日 (日)

改憲の動きに一言二言

憲法に直接関連したバックナンバーとして「憲法記念日に思うこと」「憲法記念日に思うこと 2009」がありました。後者の記事のコメント欄では、当時常連だった方々の意見が活発に交わされていました。ちなみに私自身もコメント欄に積極的に関わっていた時期で、前々回の記事「平和フォーラムについて」を補足するような見解も投稿していました。今回の記事に向かう際、その記事のコメント欄を改めて読み返しながら、最近のコメント欄ではお見かけしないハンドルネームの方々を懐かしく思い出す機会となっていました。

皆さんそれぞれ「自分はこのように考える」という意見を巧みに訴えられ、他者を見下すような書き方は慎まれていました。あまり制約を設けていないブログだとは言え、その当時のような雰囲気のほうが望ましいものと考えています。もちろん「やさしい言葉で批判して欲しい」というような無茶なことを望んでいる訳ではありません。「それはおかしい!」と感じたことを直情的な言葉で厳しく批判されたとしても、それはそれで当たり前な表現方法だと思っています。

したがって、歯に衣着せぬ批判意見が繰り出され、結果的に不愉快な思いを他者に与えてしまったとしても特段問題視するような話ではありません。私自身、このブログの記事本文やコメント欄で、なるべく閲覧されている皆さんに不愉快な思いを与えないよう一つ一つ言葉を選んでいるつもりです。それでも結果的に思慮不足から不快感を与える場合や、そもそも私自身が主張している内容自体に不快感を抱く方もいらっしゃるはずです。

一方で、自分自身とは異なる考え方を持つ相手を蔑み、あえて不愉快にさせるような意図的な言葉であれば、それは誹謗中傷の類いだろうと見ています。これまで批判意見と誹謗中傷の違いについて自分なりの思いを訴えさせていただき、少し前の記事「コメント欄の話、インデックス」では当ブログにおける「お願い」を改めて掲げていました。このような「お願い」が繰り返されるため、注文が多いような少ないようなブログとなっているはずです。

前回の記事「出入り自由な場として」で記したとおり嫌気が差されて去られた方、興味が薄れて去られた方、いろいろな理由からコメント投稿を控えるようになった方々が大勢いらっしゃいます。最近では、あまのじゃくさん、かもめのJONAさんというコメント欄の常連だった方が当ブログから離れることを告げられていました。 私自身にとって残念なことですが、まさしく記事タイトルのとおり出入り自由な場として、これからも機会があれば気軽な距離感にご理解いただければ幸いです。

またしても記事タイトルとは異なる内容が長くなっています。いっそのこと憲法に絡んだ話の投稿は5月3日前後まで先送りしようかどうか迷いました。ただコメント欄に関わる内向きな話を重ねることも好ましいとは思えず、今回は当初決めた記事タイトルを変えず、そのまま書き進めさせていただきます。なお、平和フォーラムに対して辛辣な声が多く寄せられていましたが、現実の場面での選択肢として 問われていく見通しの改憲の動きを取り上げることで、また違った角度からの議論材料に繋げられればとも考えました。

本題に入る前に改めて強調させていただきます。これから書き込む内容は、あくまでも私自身が正しいと信じている「答え」の数々です。その一環として、私自身にとっては違和感がなく、参考となるサイトを紹介するケースもあります。それらの内容も含め、閲覧されている皆さん一人ひとりがどのように感じられるのかどうかの関係性となります。当然、個々人の視点や立場の違いなどから、問題だと思われる点が厳しい言葉で批判されても仕方ないことです。

その際、できれば「自分はこのように考える」という論調を基本とし、あえて他者を不愉快にさせる攻撃的な言葉は慎んでいただければ何よりなことだと考えています。そもそも当ブログのコメント欄で「答え」の正否が明らかにできたとしても、劇的に何か変わる訳ではありません。一方で、毎週1万件前後のアクセスがあり、不特定多数の方々に「なるほど」と思わせる言葉を発していくことの意義も決して薄くはないはずです。ぜひ、いろいろな「答え」を認め合った場としてこのコメント欄の限界と可能性にもご理解いただけるよう改めてよろしくお願いします。

さて、ようやく本題です。ここまで前置きの文章が相当長くなっていますので、簡潔に私自身の問題意識を一言二言訴えさせていただきます。ご存じのとおり改憲の動きが強まっています。7月の参議院議員選挙でも争点化される見通しです。4月に入った早々、平和フォーラムの地区組織となる三多摩平和運動センターが、自民党の改憲草案を批判する講演会を催していました。講師は早稲田大学の水島朝穂教授で、立憲主義の考え方や自民党改憲草案の問題点など、たいへん分かりやすい説明を受けました。

日本維新の会も改憲綱領を示し、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」という文言に注目が集まっていました。すでに前々回記事にリンクをはっていた元外務官僚の天木直人さんのブログ「憲法に関する政策綱領で自滅した日本維新の会」、新たに紹介する元自民党代議士の早川忠孝さんのブログ「維新の迷走が端的に現われているこの文章に捉われないことが、維新の歩む道」に記されているような見方にうなづいていました。

4月9日には安倍首相と橋下市長が会談し、憲法改正の発議要件を衆参両院議員の「3分の2以上」から過半数の賛成に緩和すべきという認識で一致していました。否が応でも7月の参院選では、この是非が問われていくものと思われます。そのような現実的な場面での選択肢が示された際、ぜひとも次のような問題意識が浸透された上で、貴重な一票一票が投じられていくことを強く願っています。

水島教授の講演で改めて認識を深めた話として、あくまでも憲法は政治権力の専制化や恣意的な支配を制限するもので、国民が守る決まりではなく、権力者が守る決まりであるという点です。そのような根本的な理念が的確に押さえられず、憲法改正の議論が前のめりになるようであれば、立憲主義を軽視した動きとなることを水島教授は危惧されていました。さらに自民党の改憲草案は「権力にやさしい憲法」に繋がる箇所が随所に目立っている点も指摘されていました。

また、改正を定めた第96条があるのにも関わらず、憲法研究者に対して「改憲の是非を問うことはおかしい」と述べられていました。つまり改憲そのものに反対できる立場ではなく、護憲か、改憲かという区分けは論外で、いかなる条文をどのように変えることに賛成か、反対かを問うべきことの重要性を訴えられていました。その上で、改正要件を過半数に緩和することは憲法を通常の法律と同じように扱うこととなり、権力者を縛るという意味合いを軽くすることに繋がる点を水島教授は問題提起されていました。

政治学科ですが、授業として一年間、憲法を学んだことがありながら改めて頭の中を整理する貴重な機会となっていました。自民党改憲草案の具体的な中味の論評も含め、全体を通して水島教授のお話は私自身にとって共感を覚えるものでした。そもそも憲法改正手続きが厳格なのは日本に限りません。安倍首相は「憲法を国民に取り戻すため、3分の2以上から過半数にする」とし、第96条改正の先行実施に意欲を示しています。

民主党の細野幹事長は「どのような憲法をめざすかという本質の議論を飛ばし、すべて変えられるように96条を改正するのは乱暴だ」と反論しています。私自身、前述したとおりの個人的な問題意識のもと参院選において、分かりやすく適切な選択肢が示された争点になり得ることを願っています。そのためにも多面的な情報の一つとして、今回、このブログの題材にさせていただきました。特にマスコミからの情報だけでは不充分な場合が多く、最後に、次のような報道を紹介させていただきます。

読売新聞社の全国世論調査で「憲法を改正する方がよい」との回答が51%となり、昨年の前回調査に続き半数を超えたことで、憲法改正に前向きな自民党や、日本維新の会などには追い風となりそうだ。自民党の石破幹事長は19日、都内で記者団に「国民の思いを実現する責任が自民党にはある」と述べ、参院選後、憲法改正手続きを定めた96条の見直しなどに取り組む考えを強調した。

これに対し、連立相手の山口公明党代表は「参院選で憲法96条を争点にできるまでには至っていない」と、改めて慎重な対応を求めた。野党にも、世論の関心の高まりを歓迎する声が出ている。維新の会の松野頼久幹事長代行は「96条を中心に、改正に向けて努力していきたい」と語った。みんなの党の渡辺代表も「与党が憲法改正を争点にするのであれば受けて立つ」とし、参院選では96条改正や一院制の実現などを主張する構えだ。【読売新聞2013年4月20日

上記の見出しは『憲法改正に追い風 本社世論調査 自民「国民の思い実現」』でした。ただし、その日の別な紙面の中で、昨年2月調査では改正賛成54%(今回51%)、反対30%(今回31%)という比較数字も並べられていました。要するに『昨年に比べ、改正賛成は減少』という見出しを打つこともできたはずです。もちろん新聞社の編集権の範囲内の話だろうと思っていますが、その社の意図が感じられる一例であることも間違いないようです。

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2013年4月14日 (日)

出入り自由な場として

昨年春頃からコメント欄への関わり方を徐々に変えていきました。現在、平日は基本的に関わらず、週末更新の記事本文に集中するスタイルとなっています。そのため、最近は直前の記事のコメント欄に寄せられた意見に対応した記事内容が必然的に増えていました。今回も初めは憲法の話を書き進める予定でしたが、途中から記事タイトルを変更していました。したがって、今回も当ブログの位置付けなどについて、改めて書き連ねた地味な内容となることをご容赦ください。

前回記事「平和フォーラムについて」のコメント欄では、シグ忘れさんから「マナーを守るように求める形で、結局は批判者を排除した」という指摘を受けていました。たいへん意外な見られ方でしたが、最近の記事「批判意見と誹謗中傷の違い」「もう少し誹謗中傷の話」の内容から、そのように理解されてしまったようです。しかしながら二つの記事を通して批判意見、つまり批判者を排除するような意図は一切ありませんでした。

残念な結果としてコメント欄の常連、あまのじゃくさんが去られてしまったことは確かなようです。しかし、あくまでもご自身の判断であり、「排除した」というとらえ方は不本意な見られ方でした。また、毎回数多くのコメントをお寄せくださっていたnagiさんからの投稿も前回記事では途絶えていました。前回の記事はnagiさんからの疑問に答える形で平和フォーラムについて取り上げていましたので、やはり気になる近況でした。

以前「ブログでの発言の重さ」という記事を投稿したとおり不特定多数の方々が集うインターネット上では言葉を選ばなければならない場面も少なくありません。特に事実上、匿名の発信ではない当ブログにおいて、そのような制約を課すことは当たり前だと思っています。前回記事のコメント欄でqurさんから「組合のトップにある人に、その組合が属する団体の方針に反するような記事やコメントを期待する方が無理筋」という見方が示されていました。

確かに指摘されたような側面があることも否定できませんが、あまり自分自身にとって窮屈な思いはなく、これまで比較的自由に個人的な意見を綴ってきたつもりです。そのような中で「自分の気持ちに偽ったことは書かない」という点には強く留意してきました。さらに当たり前な話ですが、自分自身の責任の範囲外のことについては明確に答えられないという事情もありました。このような事情やネット上での発言の重さが相まって、たいへん恐縮ながら歯切れの悪い書き方も目立っていたはずです。

はぐれ猫さんから「トピ主にとって組合に利益がある場合は○か×で答える。組合に不利益な場合は無理やりにでも△に答えてかつ、核心から外す。見事な対応ですね。先週のコメント欄でのnagiさんの質問も見事に核心を外して答えてるし」というコメントが寄せられていました。この直後に先ほど紹介したqurさんからのコメントが投稿されていましたが、決して不都合な質問は適当にあしらうというような不誠実な判断基準を持っている訳ではありません。○か×か、即答できるかどうかの問題であり、即答できなければ、私自身の答えられる範囲内の言葉で対応してきました。

これまで時々、いくつか番号を付けた答えを並べ、私自身に選ばせる質問が寄せられていました。抽象的な回答を拒む目的で、そのようなコメントの仕方に至ったことを批判するつもりはありません。あまり心地好い尋ねられ方ではありませんが、コメント欄に積極的に関わっていた頃は設問に沿って即応していました。前々回記事のコメント欄でもnagiさんから北朝鮮のミサイル問題に絡み、五つの選択肢を示した質問が寄せられていました。その前にもnagiさんからコメントが2件あり、いくつか私自身への問いかけも含まれていました。nagiさんとは随分長いお付き合いとなっているため、新規記事を投稿する直前に次のとおりお答えしていました。

宿題となっていた平和フォーラムについて、ようやく新規記事で取り上げます。なお、今回もいくつか問いかけがありましたが、これまで私自身の考え方は過去の記事やコメント欄を通してお答えしてきたつもりです。あえてお答えするとすれば当たり前な話ですが、ミサイルを発射させないことが最も重要です。「窮鼠猫をかむ」状態に追い込まないためにも、どのようなアプローチが必要なのか、やはり対話の道は繋ぎとめていくことが欠かせないものと考えています。その上で「自衛のため」の範囲でとらえれば、日本を明確な目標として発射されれば迎撃せざるを得ないものと思っています。

上記のレスと前回記事「平和フォーラムについて」の内容に対し、はぐれ猫さんからは「見事に核心を外して答えてるし」と評されてしまったようです。五択の設問に文章で答えてしまえば、試験だった場合、点数を得ることができません。しかし、このブログのコメント欄は試験勉強の場でありません。さらに様々な「答え」を一つに絞ることも目的としていません。それでも今回、あえて五択の中から数字を選びませんでしたが、「日本を明確な目標として発射されれば」という答えは必ずしも核心を外したものではなかったはずです。

とは言え、はぐれ猫さんが受けたような印象について、nagiさんも感じてしまった可能性があることを否定できません。他に事情があったのかも知れませんが、私自身の対応ぶりへの不信感からnagiさんがコメント欄から離れていくのであれば非常に残念なことです。いずれにしてもnagiさん自身が決めることであり、私自身は今後も幅広い立場や視点からの意見や批判に対し、前述したような心構えのもとに自然体かつ等身大の「答え」を積み重ねていくだけだと考えています。

前回記事のコメント欄では他にも気になる指摘を受けていました。これまでも参考となる他のサイトをリンクし、皆さんに紹介するケースが頻繁にありました。その中には厳しい言葉で政権や政党を批判されている内容が多かったことも確かです。しかし、それをもって断定調の批判に対する「お願い」を繰り返してきたことに反し、「自分たちに都合の良い意見は、どんな表現をしてでも受け入れさせる」という指摘やダブルスタンダードであるという批判に繋げられてしまうのは悩ましい話でした。

また、自分自身が正しいと信じている「答え」と相反する人物は、「人」との関わりが不足し、多面的な見方ができないなどという意見も一面的な見方だろうと感じています。だからと言って、売り言葉に買い言葉のような応酬は避けなければならず、この場では批判意見と誹謗中傷の違いも繰り返しません。いろいろな「答え」を認め合った場としてこのコメント欄の限界と可能性に改めてご理解いただきながら幅広い視点や立場からのご意見を伺えれば何よりなことです。

そして、一つでも多くのコメントを歓迎し、一人でも多くの方からの投稿を心から願っています。その中に厳しい批判意見が含まれていたとしても、そのような声に触れられる機会も貴重なことだと考えています。一方で、このブログのコメント欄の雰囲気に嫌気が差されて去られた方、暖簾に腕押しのような徒労感や限界を感じて去られた方、度重なる「お願い」に馴染めずに去られた方、いろいろな理由からコメント投稿を控えるようになった方々が大勢いらっしゃいます。

引き続き閲覧されている方も少なくないのかも知れませんので、また気が向かれ、お時間がある際、いつでも気軽に投稿いただければ幸いです。以前のハンドルネームを忘れた方はもちろん、心機一転、新たなハンドルネームで投稿されるケースも歓迎しています。なお、継続して投稿される場合はハンドルネームを固定されるようお願いします。繰り返しになりますが、当ブログのコメント欄は出入り自由な場として、批判意見も含め、幅広い考え方やモノの見方に触れられることに貴重さを感じています。注文が多いような少ないようなブログですが、ぜひ、これからもよろしくお願いします。

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2013年4月 7日 (日)

平和フォーラムについて

新入職員の皆さんを迎え、木曜夜、組合の説明会を兼ねた歓迎会を開きました。その際、このブログ「公務員のためいき」のことも紹介する機会がありました。すぐ検索された方がどれほどいらっしゃったのかどうか分かりませんが、いきなり前回記事「もう少し誹謗中傷の話」のような内容では取っ付きにくい第一印象を与えてしまったものと思います。さらに今回、取っ付きにくい題材の一つである「平和」について掘り下げる流れとなっています。

それでも自治労に所属する組合の役員が、どのような問題意識を抱えながら平和運動に関わっているのか、少しでも理解を得られるような記事内容に努められればと考えています。そして、そのような努力は、ひいては不特定多数の方々からの理解を広められるのかどうかの試金石に繋がっていくものと思っています。その上で、今回の記事はタイトルに掲げたとおり少し前からの宿題となっていた平和フォーラムについて書き進めてみます。

これまでコメント欄常連のnagiさんから平和フォーラムの活動に関して数々の疑念の声が寄せられていました。前回記事のコメント欄では「平和」という看板は偽りで「米軍基地撤去活動フォーラム」か「朝鮮半島との友好と親愛を求めるフォーラム」に名称変更して欲しいという意見まで示されていました。たいへん残念な話ですが、そのように思われる方がいらっしゃること自体は謙虚に受けとめていかなければなりません。

加えて、平和フォーラムに参加している団体に連なる一組合の役員の立場から、そのように思われてしまう理由を探り当てていくことも大事な試みだろうと考えています。また、nagiさんのように見ている方が決して少数派ではないはずであり、nagiさんへのレスであると同時に不特定多数の皆さんを意識した記事内容に努めていくつもりです。そのため、nagiさんからの問いかけすべてを網羅した内容に至らないかも知れませんが、ご理解ご容赦ください。

まず平和フォーラムは略称で「フォーラム平和・人権・環境」が正式名称です。参加団体は自治労、日教組、私鉄総連など労働組合が中心となっていますが、労働運動を目的とした組織ではありません。現在の連合が1989年に結成された際、それまで労働組合のナショナルセンターとして最大規模を誇っていた総評は解散しました。その際、連合に直接持ち込めなかった総評の政治や平和運動は新たに設立した総評センターに継承されました。

その後、総評センターは1992年に社会党と連帯する労組会議、1997年には民主・リベラル労組会議という組織名称に改まっていました。すでに社民党から民主党に軸足が強まっていた1999年、連合政治センターの結成に伴い、民主・リベラル労組会議も解散し、旧総評から連なっていた政治活動の組織はその役割を終えていました。一方で、旧総評の平和運動を継承する組織として平和フォーラムが1999年に設立されました。

地球規模で考え、地域から行動する。私たちは、21世紀を展望して、反核・平和・人権・環境、そして食料問題などの運動を有機的に結合し、広く市民にも開かれた運動の「公共財」として、全国ネットワーク組織「フォーラム平和・人権・環境」を設立します。

上記は平和フォーラムの設立趣意書の冒頭に記されている言葉です。平和フォーラムは「労働問題に関心を示さず、平和運動ばかりに力を入れている」という批判が示されたこともあります。参加団体の中心に労働組合が占めていますので、そのような批判も受けがちとなりますが、組織の設立趣旨や活動目的から「平和運動ばかり」となることは当たり前な姿だと言えました。

続いて、よく揶揄されがちな問題の背景として、かつては社会主義の優位性を信じていた活動家が全国的に多かったことは否定できません。そのような時代には「ソ連や中国、北朝鮮は正しく、アメリカは敵視すべき国」という見方のもとに平和運動に関わっていた方々も多かったはずです。しかしながら現在、そのような思想性を残しながら平和運動に関わる方は皆無に近いものと信じています。

騒音や墜落の危険性が伴う米軍基地に反対する活動は全国各地に広がっています。それらの運動と平和フォーラムは連携し、その中でも沖縄の運動との関係性は深いものとなっています。そのため、米軍基地やオスプレイの配備に反対する具体的な活動が必然的に注目を浴びることになります。だからと言って「反米」が目的ではなく、そこに存在する軍事基地に反対する抗議活動の一つ一つだと認識しています。

したがって、仮に普天間基地や横田基地が中国軍の基地だったとしても、同じような反対運動に取り組んでいるはずです。なお、平和フォーラムの関係者すべての声を代弁できるものではありませんので、あくまでも私自身の見方や問題意識の表明に過ぎません。そのため、中には社会主義の優位性を根強く信奉されている方も少なくないのかも知れません。しかし、特に私の知り得る組合役員の皆さんは、ごくごく常識的な発想のもとに平和運動に関わっている方ばかりです。

そのように考えているため、悪意や敵意が込められた「平和フォーラムは反日の組織だ」というような断定した批判は控えて欲しい誹謗中傷だと感じていました。ちなみに私自身の「平和」に対する思いを託したバックナンバーは「平和の話、インデックス」の中でまとめていました。その記事本文の中では、近隣諸国との関係性について「目には目を」と同じ土俵に上がり、対立をエスカレートしていくようでは望ましい解決策を見出すことができないものと記していました。

平和を願う思いは共通していても、個別各論に対する見方は個々人によって枝分かれしていくようです。平和フォーラムの基本的な理念が「戦争は絶対起こしてはならない、そのためにはどうすべきか」というものであり、「戦争も辞さず」という価値観の方々からすれば「お花畑」の発想と揶揄されていく構図があるように見ています。たいへん恐縮ながら、このような話を掘り下げていくとエンドレスな記事内容となってしまいがちです。

それでも今回、実は憲法の話まで広げていくつもりでした。平和フォーラムの地区組織となる三多摩平和運動センターが火曜の夜、自民党の改憲草案を批判する講演会を催していました。講師は早稲田大学の水島朝穂教授で、立憲主義の考え方や自民党改憲草案の問題点などを非常に分かりやすく説明いただき、このブログでも必ず取り上げようと考えていました。ちょうど新規記事は平和フォーラムを題材にするため、タイムリーな講演会だったものと喜んでいました。

ただ憲法の話を今から書き進めていくと、たいへんな長さの記事となりそうです。日本維新の会の改憲綱領「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」の粗雑さなどにも触れる予定でしたが、次回以降に先送りします。最後に、今回の記事を通し、平和フォーラムについての疑念をどれだけ払拭できたかどうか分かりませんが、多様な価値観やモノの見方を認め合った議論材料の一つとなれば本望なことです。

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