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2013年3月30日 (土)

もう少し誹謗中傷の話

申し訳ありません。唐突な入り方で異例なことですが、冒頭から謝らせていただきます。今回の記事も前回「批判意見と誹謗中傷の違い」に続き、内向きで地味な題材となります。世の中には様々な話題が飛び交い、じっくり考えなければならない大事な問題が山積している中、このような内容を引っ張ることに違和感を持たれる方もいらっしゃるかも知れません。また、平和フォーラムについて記事本文で扱うことをお伝えしながら、たいへん恐縮ながら今回も見送る結果となりました。

もうご覧になっていないのかも知れませんが、あまのじゃくさんの前回記事へのコメントに対し、私なりの考え方を今回の記事本文を通してお答えする位置付けとしています。もともと当ブログは記事本文よりもコメント欄に希少価値があるように感じています。知り合いや組合員の皆さんに対しても以前から「コメント欄に寄せられる意見が貴重ですのでご覧になってください」と宣伝していました。したがって、コメント欄の運営には人一倍気を使い、「コメント欄の話、インデックス」のとおり度重なる「お願い」を記事本文に託してきました。

今回の新規記事に際し、本題に入る前の冒頭の文章として、あまのじゃくさんへのレスとなる内容を書き始めました。すると思った以上に改めて訴えたい言葉が頭に浮かび、本題に入るまでの内容が膨らんでしまいました。そのため、よくあるパターンですが、途中で記事タイトルを差し替えながら冒頭の箇所を手直ししていました。結局、このような話を気ままに書き進めるため、長文ブログとなってしまうことも含め、あらかじめ「申し訳ありません」とお詫びさせていただきました(苦笑)。

さて、前回の記事「批判意見と誹謗中傷の違い」は、いつもにも増して長々とした内容でした。長い文章で説明すれば分かりやすくなるものでもありませんが、私なりに訴えたいことを自由に書かせてもらいました。ただ難しい話を書いているつもりはないのですが、「重大な言論統制」や「発言の自由を侵害」という見られ方や、公務員の選挙運動が違法かどうか「その部分を追求しないと意味がない」という指摘も受けてしまい、かなり戸惑っていました。さらに「確信している事に対しての異論は、事実誤認であり誹謗中傷」という理解のされ方に至っては呆然としていました。

繰り返しの説明となりますが、公務員の選挙活動に対する私の見解は昨年12月に投稿した記事「再び、地公法第36条と政治活動」のとおりであり、このブログで政治的な話を書き込むことや私どもの選挙に関わる活動も一切違法性はないことを確信しています。ほんの少しでも疑いがあれば、このようにネット上で持論を堂々と掲げられるものではありません。そのような点について、私自身、確固として信じているため、「確信している」という言い方に繋がっていました。

一方で、個々人によって様々な見方があることも承知しています。それでもブログの管理人の立場から「違法ではない」と再三再四訴えてきている中、「違法だ」と決め付けた言われ方をすれば適宜反論していかなければなりません。 コメント欄への参加は手控えている現状ですが、そのような対応まで怠った場合、他の閲覧者から「違法という指摘を認めている」という誤解を招く恐れがあります。また、私と同じような認識で活動している公務員組合の関係者からすれば、不名誉な批判を一緒に受けている構図だと言えました。

そのため、必要に応じて一定の反論を加えなければ、管理人としての怠慢さが問われていくものと考えています。特に通りすがりの方ではなく、すでに「違法ではない」ことを訴え続けてきたコメント欄常連の方々に対しては、「違法だ」と決め付けた批判だけはご遠慮願いたいという話でした。繰り返しますが、批判自体を控えて欲しいという「お願い」ではありません。個々人がどのように解釈し、感じているのか、まったく自由です。誰からも規制される話ではありません。このブログのコメント欄は、誹謗中傷だけは控えて欲しい、このような「お願い」以外、自由度の高い場です。

したがって、「違法と思われる自治労の政治活動」「違法だと言われがちな自治労の政治活動」などと書かれた批判であれば、そのような見られ方の払拭に努めなければなりませんが、即座に反論するつもりはありません。しかし、「違法な自治労の政治活動」と決め付けた書かれ方をすれば、前述したように管理人として一定の反論を加える必要性が生じてきます。特に反復して同じような記述で投稿される常連の方に対しては、ぜひとも配慮願いたい重要な点でした。その上で、あくまでも公衆の場におけるマナーの問題であり、削除や投稿禁止という強制力を伴わない管理人からの重要な「お願い」となっています。

当然、私自身が現時点で違法性はないと確信していても、今後、裁判等で争われ、その確信が「誤っていた」ものとなる可能性もあり得ます。要するに「違法だ」と断定されていた方の考え方が「正しかった」という展開になることまで否定していません。しかし、あくまでも時間軸は現時点での話であり、さらに「違法かどうかを論点」にした記事内容だった訳でもありません。よくモノの言い方に固執した「お願い」を掲げると「出口よりも入口にこだわり過ぎる」「大工道具ばかり吟味しても良い家は建たない」という指摘も受けていました。

手段や過程よりも目的や結果が大事だという趣旨は、まったくその通りだと私も考えています。しかし、「入口」や「大工道具」に問題があれば、適切な「出口」に至らず、「家を建てる」こともできないはずです。例えば違法であれば単純に告訴告発する話であり、違法かどうか判断が分かれるようであれば裁判等で争う話となります。つまり間違った「入口」を選んでいた場合、余計な手間暇や混乱が生じる話だろうと思っています。

このような問題意識は以前の記事(「断定調の批判に対する「お願い」 Part2)の中でも綴っていました。「いじめ自殺事件の責任は日教組にある」という推測で結論付け、対策を講じたとしても、見立てが誤っていれば抜本的な解決策に繋がらないという例示を添えていました。少し論点を広げてしまいましたが、以上のような観点からも「決め付けた批判は控えて欲しい」という思いを募らせています。

次回以降の記事で取り上げる予定の平和フォーラムの話も同様でした。「反日」という言葉に悪意や敵意が込められていることは周知の事実です。そのため、「平和フォーラムは反日の組織だと思っている」と言われれば不本意ながらも仕方ないことですが、「平和フォーラムは反日の組織だ」と断定されてしまうと前述したような対応が欠かせなくなります。加えて、「根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つける」中傷となり、関係者にとって不愉快さが増す言葉だと思っています。

前回記事の中で「自分自身の問題で誹謗中傷されたから大騒ぎしている訳でもありません」と記し、一般論として特定の人物や団体を誹謗中傷するような書き込みだけは慎むように「お願い」を繰り返していることも強調していました。とは言え、仮に「○○党は■■だ」という断定調の批判が示されたとしても、その真偽が私自身には分からないためスルーすることになるはずです。やはり私自身のこと、私どもの組合のこと、構成員の一人として連なる自治労や平和フォーラムに関しては、内実が分かるため誹謗中傷かどうか敏感になる関係性があることも確かでした。

冒頭に「申し訳ありません」とお詫びしたとおり長々とした記事となっています。それでも前回の内容を焼き直した程度であるため、どうしてもご理解いただけない方々がいらっしゃるものと思います。そもそも「何を問題にしているのか」という疑問をお持ちの方もいらっしゃるのかも知れません。もう少し続けさせていただきますが、あまのじゃくさんが前回記事に寄せたコメント内容の一部を改めて紹介した上、それに対する私自身の考え方を添えていきます。

「誹謗中傷」とは相手を貶める事を目的にし、「批判」とは公益に資する事を目的にしている・・と考えている。同時に相手の言葉を正確に把握しようと試みる。そうしないと議論が情緒的に流れてしまって、議論の態を成さないからだ。OTSUさんの書き込みを次のように解釈している。

1:相手が確信している事を否定する事は誹謗中傷に近い。

事実の全てを認識しているのは神様だけだ。従って人間は「事実の一部」で自らの意見を決める。これを言い換えると「人間は必ず事実誤認している」となる。確信をもった者同士が意見交換する事を「議論」と呼ぶ。確信している事を否定してはならん・・とは議論してはならない・・と私にとっては同義語だ。

2:不愉快な発言は慎め。

批判は自己否定だから、全て「不愉快」だ。批判されて喜ぶ者はいない。従ってこれは「批判をするな」とほぼ同義語である。確かに挑発調になったり、罵った事はスミマセン。これは「誹謗」と言われても言い返す言葉が無い。ただ、どの様な場面でも「論旨の骨格」を逸脱した事はないと思っている。

しかしOTSUさんの記事を見ても、私は「批判」と思って書いた事を「誹謗中傷」と捉えている事が分かった。議論と批判にしか興味が無いので、これでは「書き込む術」を失ったと同じだ。「あまのじゃくの意見も貴重だ」の文言を真に受けて、今まで書き込んできたが、術を失った以上無理だろう。数日後に「お気に入り」から削除する。今の内に私への「恨みつらみ」を書いておくように(笑)。

前回記事の中でも触れたとおり私自身も、あまのじゃくさんには誹謗中傷の類いの意見を投稿している自覚がないことを推察していました。つまり「相手を貶める事を目的」にしていない点も理解しています。ただセクハラやパワハラと同様、自分自身に自覚がなく、不本意であっても問題視された言動がそのように認定されるケースは少なくありません。一方で、あまのじゃくさんにとって「違法だ」と「違法だと思う」という区分けに意味がなく、私からの「お願い」は単なる言葉使いの問題に過ぎず、些末なものと受けとめられていたようです。

本当に繰り返しの話となりますが、批判意見も歓迎しています。しかし、批判の仕方を間違えれば「誹謗中傷」となる点について理解を求めてきています。「相手の言葉を正確に把握しようと試みる」ことを重視するのであれば、よりいっそう言葉の使い方への配慮やその言葉の意味合いに対しての共通認識が欠かせなくなるはずです。ちなみに私自身が正しいと信じている、つまり確信していることについて「否定してはいけない」と一度も述べていません。否定の仕方、要するに言葉使いの問題の重要さを訴え続けています。

「違法ではないか」という批判であれば、「違法ではありません」と答えるだけです。指摘されたような「(私自身が)確信している事に対しての異論は、事実誤認であり誹謗中傷」という趣旨の発言を行なったことも一切ありません。あえて他者を不愉快にするような発言は慎んで欲しいものと思っていますが、相手が確信していることを否定し合う議論自体を否定していません。その結果、持論の正当性が否定され、不愉快になったとしても仕方のない話だと考えています。このような考え方に対し、あまのじゃくさんと私の間で大きな相違がないように受けとめています。

そのため、「違法と思われる活動」と「違法な活動」の違いについて、なぜ、あまのじゃくさんからご理解いただけないのか本当に不思議であり、そのすれ違いによって当ブログから離れていくことも非常に残念な話です。いずれにしても皆さんが思ったことを気軽に投稿できるような雰囲気のコメント欄を切望しています。殺伐した雰囲気で、コメント投稿への敷居が高くなることだけは避けたいものと願っています。そのような意味での「お願い」を繰り返していますが、長々とした記事の最後に改めて要点を赤字で掲げさせていただきますので何卒ご理解ご協力くださるようよろしくお願いします。

不特定多数の皆さんが訪れてくださっている場のマナーとして、特定の人物や団体を誹謗中傷するようなコメントだけは慎むようにお願いしています。誹謗とは「他人の悪口を言うこと」であり、中傷とは「根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つけること」です。なお、批判意見自体を慎むようにお願いしている訳ではありません。ただ人によって根拠の正しさに対するモノの見方などが枝分かれする場合も多いため、決め付けた言い方には注意して欲しいという「お願い」を繰り返しています。ぜひ、「違法だと思われる」と「違法だ」という言葉の使い方の違いについてご理解いただければ幸いです。

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コメント

平和フォーラムについて記事を書かれるとのことで以下のことを
再度アップします。

>投稿: shima | 2008年8月 6日 (水) 12時43分

「平和運動」に対する考え方というか受け止め方の問題ですよね。
私は、「基本的に」自治労の運動方針を支持する立場ですが、菊池さんやKさんのお考えを否定するもの
ではありませんし、単組の執行委員長という役職にあっても、両氏のお考えの一部に対しては共感すら
致します。
どうも、労働組合の平和運動には意図するものかどうかは別にして、「反自民」「反米」という部分が
強調されているように感じます。
「平和」や「人権」の問題に取り組むとき、「自民党政府」や「合衆国」の事案を対象に取り上げ、
「中国」や「北朝鮮」あるいは「アフリカ諸国」などを対象に大きなアピール行動として取り組んだ
ことは記憶にありませんし、このとこは否定できないと思います。
そういう部分では、Kさんが言われるように個人レベルの感覚と組織レベルの感覚に大きな乖離がある
ように思います。
これまで組合員の素朴な疑問に対して組織としてきちんと対応してきたか。
反戦・平和の取り組みを政治体制の左・右の区別無くあらゆる諸外国に対して終始一貫同じスタンスで
公平に主張し、働きかけてきたかと問われると自信を持って答えることはできません。
自分自身「組合の理屈」で、動いていた点は反省すべと考えさせられました。

--引用終わり--

さらにもうひとつ

>1:アメリカが戦争を連想、或いは誘発させる行動をとる。
2:中国が戦争を連想、或いは誘発させる行動をとる。

若し(組合が)「反戦組織」ならば「1と2」の両方に反応するだろう・・とnagiさんは書いているのでしょう。

しかし(組合の)実態は「主語」によって行動が違う!・・と訴えているのでしょう。

結論として「親日的なアメリカ」には抗議をして、「反日的な中国」には抗議をしないのならば、その組織は「反日」と見做すべきだ・・としているのだろうと思います。

--引用終わり--

最近、対馬での仏像盗難がありました。
日本は日頃、韓国に配慮して配慮してさらに配慮してきました。
自国内の式典にも因縁を付けることも我慢した。
海外で無茶苦茶なプロパガンダするのも冷静に対応した。
しかし、対馬で盗難された仏像を返却せず、さらに対馬島は
韓国領だから即時返還せよと決議した。

これがいままでに日本がしたことの成果です。
平和?フォーラムが言うように慰安婦?に謝罪と賠償をし、
終了したはずの戦後保障をすれば韓国は日本に対して友好的に
なるとOTSU氏は考えられてるのですか?
日頃特に韓国や北朝鮮に関する事柄に熱心に取り組む
平和?フォーラムはこの仏像盗難事件や北朝鮮の連日に
及ぶ、戦争に繋がる活動に対して、どのような活動をしてる
のでしょうか。
OTSU氏がどのような記事を書かれるか不明ですが、やはり
基地問題が中心といわれるなら、看板に偽りありなので
「平和」の文字は消して、「米軍基地撤去活動フォーラム」か
「朝鮮半島との友好と親愛を求めるフォーラム」に名称変更
して下さい。

投稿: nagi | 2013年4月 2日 (火) 15時02分

ふと思い出したのですが、戦前日本が国際連盟に加入していた時代に
「田中上奏文」なるものがあり、それを中国が宣伝し、やがて
国際世論の圧力から日本は連盟を脱退し、戦争への道に進んだ。

まあ、この「田中上奏文」は偽書であるのが通説です。しかし
中国が宣伝工作に使い、日本は孤立化への道を辿った原因のひとつとも
言われています。

今、尖閣諸島を巡り、中国は再びこの宣伝工作を推し進めています。
日本でファシズムが復興し、戦争を始めると。

馬鹿馬鹿しい内容ですが、嘘も百回言えばの理屈もあり
日本が孤立する道もあります。

だから、日本も宣伝工作に対応し、それ以上の活動をしなければと
思うのですが。

このコメント欄でも中国に対し冷静な対応をとの声もありますが
過去を学ぶと、沈黙は金と言えないなあと心配になります。

もしかすると、「絶対」戦争を避けるとは、中国の属国になる
選択もあるとの解釈なんでしょうか。たしかにそれなら戦争は
さけれますね。ただし「虐殺」はあるでしょうが。

投稿: nagi | 2013年4月 3日 (水) 13時49分

連続投稿ですみません。

以前のOTSU氏からのコメントでこのような内容がありました。

>要するに私自身の考え方としても、理不尽な侵略によって生命が脅かされた際は戦わざる得ないというものです。国家間の問題に限らず、刑法の上でも「正当防衛・緊急避難」という考え方があるとおりだと認識しています。

現在の北朝鮮の挑発活動が単なるブラフか本気かあるいは軍の暴走かは
不明です。日本はどの時点で反撃が許されるとOTSU氏は考えられてますか。
仮に下記の仮定を行います。

1.ミサイルが準備され、日本を攻撃すると発表した。
2.ミサイルに燃料が入り、米軍からも政府に警告が入った。
3.ミサイルが日本に発射されたが、日本海に落ちた。
4.ミサイルが日本に着弾したが、山間部に落ち被害は軽微であった。
5.ミサイルが日本の首都圏に着弾し、死傷者が多数発生した。

今の日本の憲法と軍備では、1,2の段階では攻撃ができません。
米軍を頼るしかないのが現状です。せいぜい次のミサイルを迎撃する
のが可能な範囲と思うのですが、何十発もきたら迎撃は無理です。
相手の拠点を破壊しなければなりません。ならば攻撃された後で
拠点を攻撃するのは正当防衛であると考えれますが、現在の憲法と
軍備では無理です。
よって、軍備を拠点攻撃能力の増強と憲法の改正が必要になります。

OTSU氏は上記の1~5の場合、どの時点で理不尽な侵略とみなし
反撃してもやむなしと考えますか、また、現実にどのような反撃が
許されると思われますか、さらに、拠点を破壊しないかぎり有効な
方法がない場合、今後どうすれば良いと思いますか?

投稿: nagi | 2013年4月 4日 (木) 12時06分

nagiさん、コメントありがとうございました。また、一つ一つ対応できず恐縮ですが、以前の記事にコメントをお寄せくださった皆さんもありがとうございました。

宿題となっていた平和フォーラムについて、ようやく新規記事で取り上げます。なお、今回もいくつか問いかけがありましたが、これまで私自身の考え方は過去の記事やコメント欄を通してお答えしてきたつもりです。あえてお答えするとすれば当たり前な話ですが、ミサイルを発射させないことが最も重要です。「窮鼠猫をかむ」状態に追い込まないためにも、どのようなアプローチが必要なのか、やはり対話の道は繋ぎとめていくことが欠かせないものと考えています。その上で「自衛のため」の範囲でとらえれば、日本を明確な目標として発射されれば迎撃せざるを得ないものと思っています。

投稿: OTSU | 2013年4月 7日 (日) 00時35分

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