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2013年3月30日 (土)

もう少し誹謗中傷の話

申し訳ありません。唐突な入り方で異例なことですが、冒頭から謝らせていただきます。今回の記事も前回「批判意見と誹謗中傷の違い」に続き、内向きで地味な題材となります。世の中には様々な話題が飛び交い、じっくり考えなければならない大事な問題が山積している中、このような内容を引っ張ることに違和感を持たれる方もいらっしゃるかも知れません。また、平和フォーラムについて記事本文で扱うことをお伝えしながら、たいへん恐縮ながら今回も見送る結果となりました。

もうご覧になっていないのかも知れませんが、あまのじゃくさんの前回記事へのコメントに対し、私なりの考え方を今回の記事本文を通してお答えする位置付けとしています。もともと当ブログは記事本文よりもコメント欄に希少価値があるように感じています。知り合いや組合員の皆さんに対しても以前から「コメント欄に寄せられる意見が貴重ですのでご覧になってください」と宣伝していました。したがって、コメント欄の運営には人一倍気を使い、「コメント欄の話、インデックス」のとおり度重なる「お願い」を記事本文に託してきました。

今回の新規記事に際し、本題に入る前の冒頭の文章として、あまのじゃくさんへのレスとなる内容を書き始めました。すると思った以上に改めて訴えたい言葉が頭に浮かび、本題に入るまでの内容が膨らんでしまいました。そのため、よくあるパターンですが、途中で記事タイトルを差し替えながら冒頭の箇所を手直ししていました。結局、このような話を気ままに書き進めるため、長文ブログとなってしまうことも含め、あらかじめ「申し訳ありません」とお詫びさせていただきました(苦笑)。

さて、前回の記事「批判意見と誹謗中傷の違い」は、いつもにも増して長々とした内容でした。長い文章で説明すれば分かりやすくなるものでもありませんが、私なりに訴えたいことを自由に書かせてもらいました。ただ難しい話を書いているつもりはないのですが、「重大な言論統制」や「発言の自由を侵害」という見られ方や、公務員の選挙運動が違法かどうか「その部分を追求しないと意味がない」という指摘も受けてしまい、かなり戸惑っていました。さらに「確信している事に対しての異論は、事実誤認であり誹謗中傷」という理解のされ方に至っては呆然としていました。

繰り返しの説明となりますが、公務員の選挙活動に対する私の見解は昨年12月に投稿した記事「再び、地公法第36条と政治活動」のとおりであり、このブログで政治的な話を書き込むことや私どもの選挙に関わる活動も一切違法性はないことを確信しています。ほんの少しでも疑いがあれば、このようにネット上で持論を堂々と掲げられるものではありません。そのような点について、私自身、確固として信じているため、「確信している」という言い方に繋がっていました。

一方で、個々人によって様々な見方があることも承知しています。それでもブログの管理人の立場から「違法ではない」と再三再四訴えてきている中、「違法だ」と決め付けた言われ方をすれば適宜反論していかなければなりません。 コメント欄への参加は手控えている現状ですが、そのような対応まで怠った場合、他の閲覧者から「違法という指摘を認めている」という誤解を招く恐れがあります。また、私と同じような認識で活動している公務員組合の関係者からすれば、不名誉な批判を一緒に受けている構図だと言えました。

そのため、必要に応じて一定の反論を加えなければ、管理人としての怠慢さが問われていくものと考えています。特に通りすがりの方ではなく、すでに「違法ではない」ことを訴え続けてきたコメント欄常連の方々に対しては、「違法だ」と決め付けた批判だけはご遠慮願いたいという話でした。繰り返しますが、批判自体を控えて欲しいという「お願い」ではありません。個々人がどのように解釈し、感じているのか、まったく自由です。誰からも規制される話ではありません。このブログのコメント欄は、誹謗中傷だけは控えて欲しい、このような「お願い」以外、自由度の高い場です。

したがって、「違法と思われる自治労の政治活動」「違法だと言われがちな自治労の政治活動」などと書かれた批判であれば、そのような見られ方の払拭に努めなければなりませんが、即座に反論するつもりはありません。しかし、「違法な自治労の政治活動」と決め付けた書かれ方をすれば、前述したように管理人として一定の反論を加える必要性が生じてきます。特に反復して同じような記述で投稿される常連の方に対しては、ぜひとも配慮願いたい重要な点でした。その上で、あくまでも公衆の場におけるマナーの問題であり、削除や投稿禁止という強制力を伴わない管理人からの重要な「お願い」となっています。

当然、私自身が現時点で違法性はないと確信していても、今後、裁判等で争われ、その確信が「誤っていた」ものとなる可能性もあり得ます。要するに「違法だ」と断定されていた方の考え方が「正しかった」という展開になることまで否定していません。しかし、あくまでも時間軸は現時点での話であり、さらに「違法かどうかを論点」にした記事内容だった訳でもありません。よくモノの言い方に固執した「お願い」を掲げると「出口よりも入口にこだわり過ぎる」「大工道具ばかり吟味しても良い家は建たない」という指摘も受けていました。

手段や過程よりも目的や結果が大事だという趣旨は、まったくその通りだと私も考えています。しかし、「入口」や「大工道具」に問題があれば、適切な「出口」に至らず、「家を建てる」こともできないはずです。例えば違法であれば単純に告訴告発する話であり、違法かどうか判断が分かれるようであれば裁判等で争う話となります。つまり間違った「入口」を選んでいた場合、余計な手間暇や混乱が生じる話だろうと思っています。

このような問題意識は以前の記事(「断定調の批判に対する「お願い」 Part2)の中でも綴っていました。「いじめ自殺事件の責任は日教組にある」という推測で結論付け、対策を講じたとしても、見立てが誤っていれば抜本的な解決策に繋がらないという例示を添えていました。少し論点を広げてしまいましたが、以上のような観点からも「決め付けた批判は控えて欲しい」という思いを募らせています。

次回以降の記事で取り上げる予定の平和フォーラムの話も同様でした。「反日」という言葉に悪意や敵意が込められていることは周知の事実です。そのため、「平和フォーラムは反日の組織だと思っている」と言われれば不本意ながらも仕方ないことですが、「平和フォーラムは反日の組織だ」と断定されてしまうと前述したような対応が欠かせなくなります。加えて、「根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つける」中傷となり、関係者にとって不愉快さが増す言葉だと思っています。

前回記事の中で「自分自身の問題で誹謗中傷されたから大騒ぎしている訳でもありません」と記し、一般論として特定の人物や団体を誹謗中傷するような書き込みだけは慎むように「お願い」を繰り返していることも強調していました。とは言え、仮に「○○党は■■だ」という断定調の批判が示されたとしても、その真偽が私自身には分からないためスルーすることになるはずです。やはり私自身のこと、私どもの組合のこと、構成員の一人として連なる自治労や平和フォーラムに関しては、内実が分かるため誹謗中傷かどうか敏感になる関係性があることも確かでした。

冒頭に「申し訳ありません」とお詫びしたとおり長々とした記事となっています。それでも前回の内容を焼き直した程度であるため、どうしてもご理解いただけない方々がいらっしゃるものと思います。そもそも「何を問題にしているのか」という疑問をお持ちの方もいらっしゃるのかも知れません。もう少し続けさせていただきますが、あまのじゃくさんが前回記事に寄せたコメント内容の一部を改めて紹介した上、それに対する私自身の考え方を添えていきます。

「誹謗中傷」とは相手を貶める事を目的にし、「批判」とは公益に資する事を目的にしている・・と考えている。同時に相手の言葉を正確に把握しようと試みる。そうしないと議論が情緒的に流れてしまって、議論の態を成さないからだ。OTSUさんの書き込みを次のように解釈している。

1:相手が確信している事を否定する事は誹謗中傷に近い。

事実の全てを認識しているのは神様だけだ。従って人間は「事実の一部」で自らの意見を決める。これを言い換えると「人間は必ず事実誤認している」となる。確信をもった者同士が意見交換する事を「議論」と呼ぶ。確信している事を否定してはならん・・とは議論してはならない・・と私にとっては同義語だ。

2:不愉快な発言は慎め。

批判は自己否定だから、全て「不愉快」だ。批判されて喜ぶ者はいない。従ってこれは「批判をするな」とほぼ同義語である。確かに挑発調になったり、罵った事はスミマセン。これは「誹謗」と言われても言い返す言葉が無い。ただ、どの様な場面でも「論旨の骨格」を逸脱した事はないと思っている。

しかしOTSUさんの記事を見ても、私は「批判」と思って書いた事を「誹謗中傷」と捉えている事が分かった。議論と批判にしか興味が無いので、これでは「書き込む術」を失ったと同じだ。「あまのじゃくの意見も貴重だ」の文言を真に受けて、今まで書き込んできたが、術を失った以上無理だろう。数日後に「お気に入り」から削除する。今の内に私への「恨みつらみ」を書いておくように(笑)。

前回記事の中でも触れたとおり私自身も、あまのじゃくさんには誹謗中傷の類いの意見を投稿している自覚がないことを推察していました。つまり「相手を貶める事を目的」にしていない点も理解しています。ただセクハラやパワハラと同様、自分自身に自覚がなく、不本意であっても問題視された言動がそのように認定されるケースは少なくありません。一方で、あまのじゃくさんにとって「違法だ」と「違法だと思う」という区分けに意味がなく、私からの「お願い」は単なる言葉使いの問題に過ぎず、些末なものと受けとめられていたようです。

本当に繰り返しの話となりますが、批判意見も歓迎しています。しかし、批判の仕方を間違えれば「誹謗中傷」となる点について理解を求めてきています。「相手の言葉を正確に把握しようと試みる」ことを重視するのであれば、よりいっそう言葉の使い方への配慮やその言葉の意味合いに対しての共通認識が欠かせなくなるはずです。ちなみに私自身が正しいと信じている、つまり確信していることについて「否定してはいけない」と一度も述べていません。否定の仕方、要するに言葉使いの問題の重要さを訴え続けています。

「違法ではないか」という批判であれば、「違法ではありません」と答えるだけです。指摘されたような「(私自身が)確信している事に対しての異論は、事実誤認であり誹謗中傷」という趣旨の発言を行なったことも一切ありません。あえて他者を不愉快にするような発言は慎んで欲しいものと思っていますが、相手が確信していることを否定し合う議論自体を否定していません。その結果、持論の正当性が否定され、不愉快になったとしても仕方のない話だと考えています。このような考え方に対し、あまのじゃくさんと私の間で大きな相違がないように受けとめています。

そのため、「違法と思われる活動」と「違法な活動」の違いについて、なぜ、あまのじゃくさんからご理解いただけないのか本当に不思議であり、そのすれ違いによって当ブログから離れていくことも非常に残念な話です。いずれにしても皆さんが思ったことを気軽に投稿できるような雰囲気のコメント欄を切望しています。殺伐した雰囲気で、コメント投稿への敷居が高くなることだけは避けたいものと願っています。そのような意味での「お願い」を繰り返していますが、長々とした記事の最後に改めて要点を赤字で掲げさせていただきますので何卒ご理解ご協力くださるようよろしくお願いします。

不特定多数の皆さんが訪れてくださっている場のマナーとして、特定の人物や団体を誹謗中傷するようなコメントだけは慎むようにお願いしています。誹謗とは「他人の悪口を言うこと」であり、中傷とは「根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つけること」です。なお、批判意見自体を慎むようにお願いしている訳ではありません。ただ人によって根拠の正しさに対するモノの見方などが枝分かれする場合も多いため、決め付けた言い方には注意して欲しいという「お願い」を繰り返しています。ぜひ、「違法だと思われる」と「違法だ」という言葉の使い方の違いについてご理解いただければ幸いです。

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2013年3月23日 (土)

批判意見と誹謗中傷の違い

少し前まで真冬だった気がしていましたが、突然、金曜日には桜が満開になりました。平年より12日早く、観測史上、都心では2番目に早い満開の時期だそうです。寒暖の差が激しい季節の変わり目ですので、くれぐれもお体にはご注意ください。加えて、退職や就職などで人生の中でも大きな変わり目を迎えられる方も多いかも知れません。そこまでの変化はなくても人事異動の季節ですので、多くの皆さんが様々な思いを錯綜させていく時期なのではないでしょうか。

さて、コメント欄への関わり方の難しさを改めて感じています。これまで記事本文やコメント欄で数多く意見交換してきた経緯を踏まえ、nagiさんからの直近のコメントに対しては取り急ぎレスすべき点に絞って対応していました。その結果、「肝心な部分は巧妙に煙にまくように見えます」と取られてしまうのは、たいへん悩ましいことでした。そもそも人によって見方が大きく異なりがちなテーマは、コメント欄で数多く意見を交わしても短期間で歩み寄れるものではありません。

したがって、難しい題材であればあるほど言葉が不足しがちなコメント欄ではなく、じっくり腰を落ち着けて臨める記事本文で対応するように心がけていました。合わせて、同じような疑問を持たれている方々も多いはずであり、これまでコメント投稿された方に対するレスであると同時に不特定多数の皆さんを意識した記事内容に努めていました。長い文章で説明すれば、分かりやすくなるものでもありませんが、意に反した誤解を少しでも防ぐためにも記事本文に集中するように昨年春頃から改めていました。

そのため、前回記事「民主党との距離感、2013年春」のコメント欄で、私から「ますますコメント欄から身を引きがちな点について、どうかご理解ご容赦くださるようよろしくお願いします」と告げていました。それに対し、nagiさんから「ブログのおかげで、公務員組合に関する勘違いや疑念も減り、かなり勉強になりました。それもコメント欄でのやり取りがあればこそです」という有難いコメントをいただき、「魅力が減じることは残念なこと」という言葉も頂戴していました。

たいへん恐縮ながら念のため、今後一切コメント欄に関わらないという考え方には至っていません。あくまでも先ほど申し上げたとおり平和や政治の問題など難しいテーマに関しては中途半端なレスを控え、記事本文で掘り下げていくというパターンを想定しています。その意味で、土曜の朝には「コメント欄の話、インデックス」のコメント欄を通し、あまのじゃくさんに対する私からのレスとして、久しぶりに長文を綴っていました。

実は当初、今回の記事は平和フォーラムについて取り上げ、nagiさんからの問いかけにお答えするつもりでした。しかし、あまのじゃくさんにレスした内容も多くの方にご理解願いたいものであり、急遽予定を変更していました。nagiさんには申し訳ありませんが、平和フォーラムの話は改めて次回以降の記事本文の中で取り上げさせていただきます。なお、そのコメント欄をご覧になった方からすれば、同じような文章が並ぶことになりますがご容赦ください。

あまのじゃくさんからは『「批判される者」が「批判と誹謗中傷」の線引をする事は大変危険だ。』という指摘を受けていました。その言葉自体、ある面ではそのとおりであり、あまのじゃくさんが以前から主張していることも承知していました。批判を受け、至らなかった点が省みれ、改善していく機会となるような構図は私自身も肯定的にとらえています。だからこそ、このブログを開設し、フルオープンなコメント欄を維持している大きな理由でした。

加えて、批判意見を恣意的に選別してしまうと、本来、真摯に受けとめるべき指摘まで聞き流してしまう可能性があります。そのような点についても概ね理解しているため、「投稿されたコメントは即時に反映され、明らかなスパムや極端な商業目的の内容ではない限り、削除することはあり得ません。どのような辛辣な言葉でも、そこに投稿された思いや意味をくみ取ろうと心がけてきました。とにかく批判意見も含め、幅広い視点や立場からご意見をいただける貴重さを感じ取ってきました」という管理方針を示していました。

コメント欄が「玉石混交」となりがちですが、見落としがちな「玉」を「石」と一緒に捨ててしまわないためにも、そのような位置付けとしていました。ある意味で、そのような管理方針はブログの管理人として問題視される場合もあり、別なサイト上で「あのようなコメント欄にはしたくない」という率直な感想を耳にする時もありました。しかし、このブログは、このブログとしての特性や持ち味を自分自身は肯定的にとらえているため、今後も投稿されたコメントは即時に反映し、基本的に制限や削除しない方針を貫くつもりです。

その上で、特定の人物や団体を誹謗中傷するような書き込みだけは慎むように「お願い」を繰り返してきました。あまのじゃくさんは「批判意見と誹謗中傷を峻別すべきではない」という見方であり、その点について決定的な「溝」があるようでした。ちなみに当ブログのコメント欄において、あまのじゃくさんご自身は誹謗中傷の類いの意見を投稿している認識がないものと推察しています。確かに独特な視点や個性的な言い方が目に付きがちですが、長年お付き合いする中から単に悪意や「荒らし」を目的とした投稿者ではないことも充分承知しています。

私にとって難解すぎて、よく理解できない時も多々ありましたが、別な閲覧者からは「あまのじゃくさんが上手にまとめてくださった」というコメントに触れる場合もあり、やはり「モノの見方」は一人ひとり大きく異なることも受けとめていました。したがって、このブログのコメント欄において、あまのじゃくさんのようなコメントも非常に貴重だと思っています。しかしながら一方で、その記事「コメント欄の話、インデックス」の中で綴ったとおり図書館の管理人と同じような役割や責任が私自身には負わされています。

つまり最低限、この場で守るべきマナーについて、全体に周知し、場合によって個別に注意や警告するという役割です。そのような立場上、あまのじゃくさんの発言の中で見過ごせないコメントが「春闘の話、インデックス」のコメント欄で以下のとおり繰り返されていました。指摘を具体的に行なうため、問題視したコメントをそのまま掲げさせていただきます。なお、下っ端さんとのやり取りは下記の他にも活発に交わされていましたが、特に気になった書き込み箇所のみ抜き出しています。

賃金闘争とは「楽して金よこせ!」と「安月給で働け!」の戦いの事です。私は組合を「批判」しているのですよ。特に公務員組合に対して次の2点を 1:政治的に中立の法律に違反している。ここまで露骨に政党と選挙に関与していながら違法ではないと良く言えたものです。2:公金の使途について、私的な組合が「交渉できる」などと考えている。公金を一体何と考えているのやら・・。投稿: あまのじゃく | 2013年3月 1日 (金) 09時40分

下っ端さん 根拠がない?このブログだけを見ても、明らかに政党支持を打ち出しているのに?心あるものがそれを「不快」に思うとは思いませんか?自分達だけが「不快」ですか?投稿: あまのじゃく | 2013年3月 3日 (日) 15時31分

上記のようなコメントに対し、私からは次のような一言を添えていました。あまのじゃくさんのような疑念を持たれる方々を想定し、昨年12月に「再び、地公法第36条と政治活動」という記事を投稿していました。残念ながら、その記事を通しても疑念は晴らせなかったようですが、これまで断定調の批判に対する「お願い」も数多く繰り返してきました。せめて「批判」と「誹謗中傷」の峻別について改めてご理解いただき、この場でのマナーは守られるようご協力ください。さらに要請内容について完全に理解いただけなくても、この場では「どのような記述がNGなのか」という点については何卒ご理解ください。

このような伏線がありましたが、残念ながら、あまのじゃくさんには「お願い」の意図がご理解いただけず、かえって混乱させてしまったようです。繰り返しになりますが、批判意見も歓迎している立場です。しかし、事実誤認の批判は誹謗中傷ととらえ、控えて欲しいという「お願い」を繰り返しています。このブログで政治的な話を書き込むことも、私どもの選挙に関わる活動も、一切違法性はないものと確信しています。そのことは再三再四訴えてきています。そもそも違法性の疑念がある話をネット上に堂々と公開するのでしょうか。

したがって、あまのじゃくさんの上記のようなコメントは容認できず、その都度打ち消さなければならない内容でした。たいへん恐縮ながら最近は平日のコメント投稿を控えているため、その役割を下っ端さんに担っていただいていました。そのような思いもあり、図書館における管理人の話に繋がっていました。流離人さんからは「管理人さんがルールブックです」と述べられて気恥ずかしさもありますが、できる限り閲覧されている皆さんにとって心地よい場にしたいという願いがあり、そのための責任や役割が課せられているものと考えています。

そのため、批判意見と誹謗中傷は峻別したいという気持ちが変わることはありません。誹謗中傷の意図がなく、コメントが投稿された場合、即座に咎めるような狭量な話をしているつもりもありません。ぜひ、注意を受けた場合は「改める」という常識的な対応をお願いしているだけです。特に常連の皆さんに守って欲しいマナーの問題でした。なお、自分自身の問題で誹謗中傷されたから大騒ぎしている訳でもありません。一般論として、特定の人物や団体を誹謗中傷するような書き込みだけは慎むように「お願い」を繰り返しています。

なるべく相手方に不快感を与えないように「モノの言い方」には注意しているため、回りくどい表現が多くなっています。その結果、「非常に分かり難い」という見られ方に繋がっているようです。そのような点は決して本意ではないため、今回、一歩踏み込んだ記述の仕方にも工夫してみました。たいへん失礼な物言いに聞こえるはずですが何卒ご容赦ください。分かりやすくするための一つの比喩として、固有名詞を掲げて示させていただきました。

比喩】私は「あまのじゃくさん」の馬鹿なところを「批判」しているのですよ。特に公務員組合の政治活動への認識に対して次の2点を 1:一般的な知識や常識に対して無知な点、2:他者の意見内容や文章を理解する力が不足している点などから本当に馬鹿だと考えている。根拠がない?このブログだけを見ても、明らかに馬鹿さ加減を打ち出しているのに?心あるものがそれを「不快」に思うとは思いませんか?自分達だけが「不快」ですか?

あくまでも以上は極端な比喩です。視点や感性の違いなどが際立っていますが、あまのじゃくさんを馬鹿だと思っている人は皆無に近いのではないでしょうか。また、実生活の場面での評価ができない中、馬鹿だと決め付けるのは誹謗中傷の類いとなるはずです。このコメントに対し、あまのじゃくさんから「こんな書かれ方をされたら貴方も嫌でしょ?」という趣旨は理解いただけたようです。

しかし、批判意見と誹謗中傷の違いについては、どうしても理解いただけていないようでした。そのレスのためにも今回の記事内容を差し替えたと言っても過言ではありません。「誹謗」という言葉を改めて電子辞書で調べれば「他人の悪口を言うこと」であり、「中傷」とは「根拠のない悪口を言い、他人の名誉を傷つけること」となっています。したがって、「政治活動に力を注ぐ自治労は問題だ」という批判意見に対し、「違法な活動に力を注ぐ自治労は問題だ」という中傷について、その決定的な違いは峻別しなければなりません。

逮捕された際でも容疑者という言葉があり、犯罪者扱いはできません。コミュニケーションのツールとして言葉の使い方は絶対重要です。その言葉の意味が共通理解できなければ意思疎通は不可能です。また、罵詈雑言が先立てば、感情的な応酬となりがちで建設的な議論に繋がりにくくなります。そのような意味合いから、せめて特定の人物や団体を誹謗中傷するようなコメントだけは慎むように「お願い」を繰り返しています。

現状に対する問題意識や様々な価値観を不特定多数の方々と分かり合う難しさは痛感しています。特に当ブログの場を通して分かり合うことは至難な話であり、「このコメント欄の限界と可能性」に綴ったとおりの認識に至っています。しかし、不特定多数の皆さんが訪れてくださっている場のマナーとして、個々人の言い分や独特な価値観の有無に関わらず、ぜひとも「どのような言い方に注意しなければならないのか」という点についてはご理解ご協力くださるようよろしくお願いします。

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2013年3月17日 (日)

民主党との距離感、2013年春

2009年秋、民主党を中心とする政権が発足した直後、「民主党との距離感」という記事を投稿していました。その中で「当たり前な話ですが、連合や自治労が民主党を応援しているからと言って、その構成員すべてが民主党を支持している訳ではありません。先ほど述べたとおり私自身も、民主党の方針に全面的に従う必要性がある立場ではありません」と記した上で、「私どもの組合員の皆さんに対し、民主党への支持を強く訴えてきた責任者であることも重く受けとめています」と綴っていました。

このような民主党との関係性や私自身の問題意識は野党になった現在でも基本的に変わっていません。前々回の記事「もう少しモノの見方と橋下市長」の中で「私どもの組合をはじめ、連合に所属する地域内の組合が推薦している衆議院議員の長島昭久さんと懇談する機会を得ていました。その時に伺った話は興味深い内容が数多く、機会があればブログでも紹介したいものと考えています」と記していました。

前回記事「コメント欄の話、インデックス」のコメント欄では「改憲に前向きな長島昭久をなぜ支持するのか」という声も寄せられていました。そのような疑問に対しては、これまで当ブログの記事を通して私なりの言葉で説明していました。当然、その内容については私どもの組合員の皆さんに対しても機関誌等を通して同じようにお伝えしています。それでも以前の記事をすべてご覧になっている方ばかりではないため、今回、長島さんとの懇談会での話も織り交ぜながら民主党との関係性や距離感について改めて書き進めてみます。

昨年6月の記事「消費税引き上げ問題」の中にも長島さんが登場し、それに続く記事が「ある苦言とトラックバック」でした。後者の記事の最後の箇所で「組合方針の大半が一致できる候補者は極めて限られ、大きな方向性が合致した上で、基本的な信頼関係を築けるかどうかが大事な時代になっているものと思っています。したがって、長島さんの考え方と私どもの組合方針との差異があることを否定しません。しかしながら以上のような問題意識のもと、私どもの組合は長島さんを推薦してきていました」と記しています。

さらに「旗びらきの話、インデックス」の中では「今のような社会情勢の中で公務員組合は、政治的な活動を進めることで自分たちの待遇改善が大幅に進むとは考えていません。最低限、理不尽な改悪の動きが示される場合などに対し、毅然と当事者の声が届けられる政治的なパイプの必要性を常に意識しています」と記し、ますます公務員組合の発言力が大幅に削がれ、待遇面などの問題に関しても「まな板の鯉」状態を強いられるような事態は避けたいものと願っていることを綴っていました。

このような説明は前述したとおり私どもの組合の機関誌の中でも掲げていました。そして、推薦関係があるからこそ、自治労に所属する一組合の立場や要望を長島さんらに直接訴える場を持ち得ることができていました。今回、紹介する懇談会などは非常に貴重な場だと考えています。これまでブログを開設した頃の記事「大胆な改革、オランダのダッチ・モデルをはじめ、私どもの組合が推薦している国会議員である長島さんとの話は当ブログの中で数多く取り上げてきました。

昨年7月の記事「さようなら原発10万人集会」の後段では、首相補佐官だった長島さんに脱原発社会を一刻も早く実現すべきと考えている私自身の立場を表明した後、民主党として原発に依存しない社会に向けた行程表を早期に示して欲しいと要望した話を綴っていました。ちなみに同じような声が多かったはずであり、昨年末の総選挙での民主党のマニフェストには「2030年代に原発稼働をゼロにする」という言葉が盛り込まれました。

決してテレビによく出演されている著名人と顔見知りであることをアピールしている訳ではありません。まず何よりも組合員の皆さんに対し、推薦している政治家との関係性を伝えたいためでした。国会議員に限らず、推薦議員とは日常的に交流し、公務員組合の立場や考え方を機会あるごとに訴えていることをお伝えする機会の一つとしていました。加えて、民主党と労働組合との関係がネガティブに見られがちな中、コソコソ隠す必要のない等身大な姿を不特定多数の方々にも知っていただきたい思いがあったからでした。

このブログで取り上げたことで、いっそう印象を悪くされた方もいらっしゃるかも知れません。それはそれで仕方ないことで、せめて偏った情報や思い込みからの批判が少しでも減らせれば幸いなことだと考えていました。ここまで書き進めながらも、今回、触れるつもりだった話に行き着いていません。思った以上に長々とした記事となり、たいへん恐縮ですが、もう少し続けさせていただきます。

さて、今月初めに開かれた懇談会の中で、長島さんからは新たに制定された民主党綱領についての説明を受けました。原文はリンク先のとおりですが、活発な党内議論の末、一字一句に思いが込められていることを長島さんは熱く語られていました。マスコミからの評判は今一つでしたが、経済成長は目的ではなく、人々の「幸福のために経済を成長させる」というような言葉など、改めて丁寧な説明が加えられれば、もっと印象を変えられるようにも感じていました。

参加者との意見交換の際、長島さんから私に向けて「またご意見をいただけるものと思っています」という振られ方もあり、今回も真っ先に挙手させていただきました。私からの発言の冒頭、選挙戦の取り組みにおいて民間組合の皆さんと一緒に活動できず、お役に立てていないことをお詫びしました。一方で、この選挙区内に私どもの組合員が800人ほど在住し、長島さんへの支持を呼びかけてきた関係上、このような場に参加でき、意見交換できる貴重さについて感謝の言葉を添えさせていただきました。

その上で、私からの発言内容は「地方公務員の給与削減問題」の中で綴ったような論点の理解を求めるものでした。つまり「労働組合が反対するから民主党は…」という批判が示されがちな風潮に対し、よりいっそう今回の削減問題に関しては的確な情報発信が欠かせないことを訴えさせていただきました。民主党綱領のPRについても同様で、もっともっとマスコミに対しての広報宣伝に努力される必要性についても触れさせていただきました。

場所を移した懇談の場では長島さんに対し、今年1月の記事「海江田代表に願うこと」の中で綴っていたような日本維新の会、みんなの党との選挙協力の問題などについても疑問を投げかけていました。たいへん僭越な問いかけの数々だったかも知れませんが、その都度、長島さんからは丁寧にお答えいただいていました。他にも尖閣諸島国有化のタイミングが「なぜ、あの時?」というような質問に対しても、「なるほど」と思える答えが返ってきていました。

このあたりの話は長島さんご自身が近いうちに明らかにされる類いのものであり、このブログではこれ以上踏み込みません。ただマスコミ対策の話にも繋がりますが、このような「なぜ?」に対する「答え」を適切かつ迅速に発信できていれば、もう少し民主党政権の評価も変わっていたような気がしています。いずれにしても政権中枢の一画で長島さん自身は常に「ベスト」と思える選択肢を探り、奮闘されてきた経緯を垣間見ることができました。

ますます長い記事となりつつありますが、下記に紹介する話も取り上げようと考えていました。既視感のあるニュースで、2009年秋の「民主党との距離感」の中でも同じような話に触れていました。「4年前、前原国交相が代表に就任した直後、公務員組合を切り捨てようとする発言が繰り返されていました。直前の総選挙戦で懸命に応援していた労働組合側に冷や水を浴びせるものであり、私が所属する連合三多摩は前原民主党代表と語る会を開き、その真意をただす機会を設けました」と記されています。

結局、前原元国交相からは「脱労組の言葉は使っていない。小選挙区で勝つためには労組だけにこだわっていては勝てないとの趣旨での発言だった。今まで通りの応援があることを前提であり、不愉快な思いを与えていたとしたら率直にお詫び申し上げたい」と謝罪の言葉が示されていました。もう8年前の話となりますが、同じような「誤解」を与える発言が最近、細野幹事長から示されていました。

民主党の細野幹事長は、岐阜市で記者会見し、ことし夏の参議院選挙に向けて、「連合」など労働組合に依存する党の体質を改め、日本維新の会やみんなの党などとの選挙協力の実現につなげたいという考えを示しました。民主党は、ことし夏の参議院選挙で、野党間の幅広い選挙協力の実現を目指していますが、日本維新の会やみんなの党からは「民主党は労働組合の意見を重視しすぎだ」などとして、民主党との連携に否定的な意見が出されています。

これに関連して民主党の細野幹事長は、岐阜市での記者会見で「国政選挙では、『連合』に依存せずに戦える態勢を作らなければならない。ポスターも自分で貼れず、集会も『連合』が参加者を動員しなければ満員にならないような候補者は公認できない」と述べました。そのうえで、細野氏は「日本維新の会やみんなの党から、『連合依存の民主党とは組めない』と言われない状況を作らなければならない」と述べ、参議院選挙に向けて、「連合」など労働組合に依存する党の体質を改め、日本維新の会やみんなの党などとの選挙協力の実現につなげたいという考えを示しました。【NHK NEWS WEB 2013年3月9日

「小選挙区で勝つためには労組だけにこだわっていては勝てない」という趣旨にとどまれば、まったくその通りであり、当たり前な話だと思っています。それが「脱労組」に重点が置かれ、日本維新の会、みんなの党との選挙協力に前のめりになっているようであれば、たいへん残念な話です。連合との関係を「しがらみ」と思わず、働く者の声を最も身近に聞ける政党であることを強みだと受けとめて欲しいものと考えている私自身にとって、民主党との距離感が広がるのかどうか非常に悩ましい話だと受けとめています。

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2013年3月 9日 (土)

コメント欄の話、インデックス

公衆の場である図書館の中で、いつも大きな声で話している常連客がいた場合、周りの方々は迷惑に感じるはずです。自分から注意するほどの手間もかけたくなく、かかわりたくないと思えば、その図書館から足が遠のくだけです。その際、マナーに反する客を厳しく注意せず、迷惑行為を正せない施設の管理人に対しても不満を残されながら出て行かれるのかも知れません。

このブログのコメント欄も公衆の場だと思っています。これから申し上げることは一般論として改めて皆さんにご理解願いたい事項となります。ただ心当たりのある方がいらっしゃり、今後、注意されていく切っかけに繋がれば、それはそれで非常に幸いなことだと考えています。まず「改めて」と申し上げましたが、これまで数え切れないぐらい当ブログのコメント欄に関する「お願い」を繰り返していました。

当初、今回の新規記事は別な内容を考えていました。しかし、改めてコメント投稿に際した「お願い」を綴るのであれば、昨年夏から始めた「○○の話、インデックス」として過去の記事をまとめる機会に繋げてみました。ある程度予想していましたが、コメント欄やネット上での議論のあり方に関して綴った記事は下記のとおり本当に数多く残されていました。特に、ここ数年のコメント欄に関する記事の多さが目立っていました。

最初に図書館におけるマナーの事例を出したため、逆に分かりづらくしていたかも知れません。念のため、補足します。公衆の場では守るべきマナーがあります。図書館の中では「大きな声で話さない」というものです。それと同じようにネット上での議論、つまり当ブログのコメント欄においても最低限守っていただきたいマナーがあるものと思っています。具体的な内容については後ほど改めて掲げさせていただきます。

中には「図書館の中で大きな声を出したからと言って、迷惑をかけているとは思っていない」、もしくは「大事な議論をしているのだから、声が大きいとかどうかは些末な話だ」という独自な価値判断をされる方もいらっしゃるかも知れません。「モノの見方」は千差万別であり、場面によってはそのような考え方も許されるのかも知れません。本も読めるし、仲間同士でワイワイ談笑できるようなペンションのプレイルームであれば、大きな声を出していても誰からも注意されません。

しかし、一般的に「図書館ではお静かに」という掲示があり、騒いでいた場合、管理人から注意を受けることになります。要するにTPOに応じてマナーの求められ方は左右されていくはずです。このような前置きを長々と述べた上で、このブログのコメント欄での「お願い」、つまり守っていただきたいマナーの話に触れていきます。もともと不特定多数の方々との接点を大事にしたいため、コメント欄における制約が極力少ないブログであることは強調できます。

投稿されたコメントは即時に反映され、明らかなスパムや極端な商業目的の内容ではない限り、削除することはあり得ません。どのような辛辣な言葉でも、そこに投稿された思いや意味をくみ取ろうと心がけてきました。とにかく批判意見も含め、幅広い視点や立場からご意見をいただける貴重さを感じ取ってきました。その意味で、これまで本当に多くの皆さんからコメントをお寄せいただき、たいへん感謝しています。その上で、改めて掲げる「お願い」を3点に絞ってみました。

  1. コメント投稿の際、できる限り名前欄の記載を欠かさないようにお願いしています。意見交換をスムースに行なうためですが、匿名での投稿とは言え、その意見内容にある程度責任を持っていただくことも目的としています。したがって、繰り返し投稿される方の場合はハンドルネームを固定されるようお願いしています。
  2. 相反する意見の対立は平行線をたどりがちです。このコメント欄では結論を出すことを目的としていません。いろいろな「答え」を認め合った場として、攻撃的な言葉を並べることよりも対立する意見の相手方に「なるほど」と思わせるような言葉の競い合いができるようお願いしています。
  3. 特定の人物や団体を誹謗中傷するような書き込みは慎むようにお願いしています。特に「あいつ(あの団体)は犯罪者だ」と断定調に発言することを認めることはできません。「罪を犯していると思われる」は許容範囲となりますが、決して言葉使いの問題ではなく、断定調であれば管理人の責任として警告しなければならない発言となります。

インデックスに掲げたとおり過去の記事を通し、様々な切り口からコメント欄に関する「お願い」を綴っていました。今回、3点に絞ったことにより、言葉不足な面が生じているかも知れません。とは言え、ネット上に限らず、3番目の「誹謗中傷は慎む」が最も重要な事項だろうと考えています。中には「事実なのだから誹謗中傷ではない」という反論もあろうかと思います。しかしながら「事実だと断定する」こと自体が誤りであれば、その「思い込み」から繰り出す批判は誹謗中傷となります。

以上のような「お願い」も私自身が正しいと信じている一つの「答え」に過ぎず、違和感や反発を持たれる方もいらっしゃるかも知れません。それでも不特定多数の方々に訪れていただいている公衆の場として、マナー順守を求めなければならない責任がブログの管理人にはあるものと考えています。決してコメント投稿の敷居を高くすることを望んでいる訳ではありません。逆に皆さんから上記3点の「お願い」に改めてご理解いただくことで、よりいっそう幅広い視点や立場からのコメントが多数寄せられるような場になり得ることを心から願っています。

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2013年3月 3日 (日)

もう少しモノの見方と橋下市長

プロフィール欄に記しているとおり当ブログの管理人は「OTSU」としていますが、私どもの組合員の皆さんらにとって匿名ではありません。そのため、知り合いの方々との雑談の中で、このブログのことが話題になる時もあります。好意的な評価をお寄せいただく時も多く、ブログを続けていく上での大きな励みとなっています。一方で、「文章が長く、読みづらくて論点が分かりづらい」という厳しい指摘を受ける時もありました。

以前の記事「文章の書き方、雑談放談」でも綴ったことがありましたが、文章に対しては人一倍気を使っているため、「読みづらい」という言葉が最も残念な指摘でした。ただそのように指摘された方の文章もよく目にしていますが、私にとって決して「読みやすく、分かりやすい」文章ではないため、やはり人によってモノサシが微妙に違ってくるようにも感じています。もちろん私の文章にも欠点や癖があり、特にブログでの文章は意図的に回りくどい言葉や謙譲語を多用しているため、「分かりづらい」側面があることも承知しています。

さらに文章以前の問題として、一人ひとりの置かれた立場や個々人固有の視点の違いから同じ言葉や記述内容に接していても、理解度や評価などが大きく枝分かれしていくように受けとめています。このような思いは、このブログを長く続けている中で体感してきたことでした。昨年の春頃までは枝分かれした「溝」を少しでも埋めるため、コメント欄には積極的に関わり、自分なりの言葉を尽くして立場や視点の異なる方々と意見交換に努めてきました。

昨年の途中から週1回更新する記事本文のみに集中しているため、コメントを投稿された方々に対して物足りなさを与えがちな点については申し訳なく思っています。ぜひとも「このコメント欄の限界と可能性」について改めてご理解ご容赦ください。ちなみに金曜の夜、私どもの組合をはじめ、連合に所属する地域内の組合が推薦している衆議院議員の長島昭久さんと懇談する機会を得ていました。その時に伺った話は興味深い内容が数多く、機会があればブログでも紹介したいものと考えています。

実はその時、長島さんと連合地区協議長から当ブログの話題が切り出され、内容面などで好意的なエールが送られていました。たいへん光栄なことであり、長島さんや議長らに閲覧いただけていることについて冒頭に記したとおりブログを続けていく上での大きな励みに繋がっていました。加えて、先ほど紹介した記事「このコメント欄の限界と可能性」の最後に綴った次のような言葉も思い返していました。

1週間で1万件前後のアクセスがあり、その中には自治労本部や民主党国会議員関係者の方々が訪れている場合もあります。コメント欄では一つの「答え」に絞ることを目的としていませんが、幅広い立場や視点からの説得力のある「主張」は、閲覧されている皆さんの考え方や実生活における行動パターンにも影響を与えていく可能性があることも信じています。このコメント欄の限界と可能性に理解をいただきながら、ぜひ、これからも多くの方々から貴重なご意見が寄せられることを願っています。

いつものことですが、このように話が横道にそれながら書き進めるため、「論点が分かりづらい」という指摘を受けるものと反省しています。それでも「雑談放談」をサブタイトルにしたブログですので、おおらかにご容赦いただければ幸いです。ここまで本題に入るまでの前置きが長くなりました。「モノの言い方、モノの見方」については「Part2」まで綴り、前回記事「春闘の話、インデックス」の中では関連した話として阿久根市の竹原前市長や大阪市の橋下市長のことまで触れていました。

「このあたりを掘り下げていくと際限がなさそうですので、機会があれば別な記事本文の題材として扱ってみるつもりです」と記していましたが、さっそく今回の記事で取り上げてみます。これまで物事を性急に「○」か「×」か、二者択一ばかりで判断するような見方の危うさを問題提起してきました。短絡的に敵か味方か判断してしまうと、理性的な評価から離れがちな傾向があることを懸念しています。

竹原前市長や橋下市長は物事を素早く「○」か「×」か判断されるタイプであるように見ています。このような見方は、決断力の速さや強力なリーダーシップの発揮という肯定的な評価に繋がっていることも理解しています。そのような点が強く支持され、人物評価も極端に枝分かれしがちな強烈な個性をお持ちのお二人だろうと思っています。このブログで頻繁に取り上げた竹原前市長は選挙に敗れ、過去の政治家になりつつあります。

一方の橋下市長は、まだまだ広範な支持を維持した野党第二党の党首です。その影響力の大きさははかり知れません。このブログで竹原前市長を取り上げていた時も同様でしたが、批判のための批判は慎んできたつもりです。一つ一つの具体的な言動に対し、問題ある点を指摘してきました。誹謗中傷の類いとなる記述内容は論外とし、ご本人を前にしても訴えられる論調での記事の投稿に努めてきました。

橋下市長に関しても府知事時代の言動に対するブログ記事も含め、「インデックス」にまとめられるほど数多くのバックナンバーがありました。お二人を扱った時の記事のコメント欄は、いつも賛否が分かれた議論に繋がりがちでした。よく見られた傾向として、「目的が正しければ、少しぐらい手法が乱暴でも構わない」という支持される声に対し、「目的が正しくても、問題ある手法は許されない」という意見との対立点がありました。

残念なことに竹原前市長や橋下市長の言動を批判する者は「自分たちの既得権を守りたい公務員だから」と決め付けた属性批判も目立っていました。私自身、「誰が発信しているか」はあまり重要ではなく、そこに記された内容が閲覧されている方々からどのように評価されるかどうか、そのような関係性が最も重要なのだろうと思っています。同じように橋下市長が行なうことだから支持する、あるいは批判する、そのような短絡的な判断は避けなければならないものと考えています。

その上で、いろいろな「モノの見方」を例示してみます。橋下市長の原発に対するスタンスが変化したことは周知のとおりです。このことで「ぶれた」という批判を受けるのか、「柔軟さ」という評価を得られるのか、両極端な見方がありました。高い支持率を維持している政治家に対してマスコミは及び腰となりがちで、真正面から批判しない傾向があります。そのため、橋下市長がいろいろ迷走している事例もありながら、あまりネガティブな取り上げ方は行なわれていないようです。

次期日銀総裁人事に関し、維新国会議員団のメンバーから「口を出すな」と言われたとして、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は28日、「(共同)代表のポジションにしがみつかせてほしいというつもりは毛頭ない」と述べ、共同代表の辞任示唆ともとれる発言をした。日銀総裁人事をめぐっては、維新国会議員団は財務省出身の黒田東彦アジア開発銀行総裁の起用に同意する意向を示しているが、橋下氏は黒田氏が財務省OBであることを問題視。副総裁候補として名前があがっている岩田規久男学習院大教授を総裁、黒田氏を副総裁とするのが「維新の哲学」と主張していた。

橋下氏は、維新国会議員団の一部から「口を出すな」と言われたことに反発する批判メールを国会議員団に送ったことを明かした上で、「『口出すな』っていうんだったら(維新の会には)関わらない」と発言。総裁人事についてはあくまで「国会議員団が議論して決めてくれたらいい」としたが、橋下氏は「言い方があるでしょ。『口出すな』とか、『国会のことは国会にまかせろ』とか、それは違うでしょ。それだけです」と怒りが収まらないようす。維新幹事長の松井一郎大阪府知事には「大人になりきれない」とのメールを送ったことも明らかにした。日銀総裁人事案とめぐる国会議員団との“さや当て”をめぐっては、松井氏が仲裁にあたっているという。【産経ニュース2013年2月28日

上記のような話も橋下市長のマイナス面の評価に直結するような事例だと思っています。それにもかかわらず土曜朝の報道番組では、あるキャスターが「橋下市長らしい」という肯定的なコメントを加えながら、「民主党も、もっと目立つようにすべきだ」というような言葉に繋げていました。あまり深く考えず、悪気のないコメントなのかも知れませんが、どうも押さえるべきツボが大きく違っているように感じていました。

他にも印象に残っている話として、自分が経験していることは「経験ない者に何が分かる」と批判する一方で、自分が経験していない時は「なぜ、できないと決め付ける。やらしてくれればそれでいい。できなきゃ選挙で落としゃいい。悪しき前例主義だ」と橋下市長は批判されていました。完全にダブルスタンダードな発言ですが、ネット上で指摘しているサイトを目にする程度でした。細かい話を取り上げているようですが、あくまでも「モノの見方」の例示として橋下市長のことに触れています。

強調したい点は、物事には必ず表と裏、プラス面とマイナス面があり、見る角度によって「○」か「×」か評価が変わる可能性です。だからこそ、日頃から物事を多面的に見ようとする心構えが重要であり、橋下市長の具体的な言動に対してもプラス面とマイナス面があることを見極める必要性を訴えさせていただいています。特に橋下市長は大阪市において絶対的な権力者であり、将来の首相候補の筆頭に目されている方です。

そのような意味合いからも、このブログでは多面的な見方の一つとして、橋下市長の問題視すべき言動をいくつか紹介させていただきました。もちろん、その内容をどのように評価されるかどうかは閲覧されている皆さん一人ひとり大きく異なっていくはずです。結果的に橋下市長を批判している記事内容そのものについて、批判的な声が寄せられるのかも知れません。それはそれで想定される反応だろうと思っていますが、ぜひ、できれば「モノの言い方」に留意いただければ幸いなことだと願っています。

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