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2013年2月23日 (土)

春闘の話、インデックス

昨年夏に「自治労の話、2012年夏」を投稿し、記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。以前から時々、試みていた手法でしたが、昨年8月以降「平和の話、インデックス」「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「定期大会の話、インデックス」「年末の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックス」という記事タイトルの投稿を続け、バックナンバーをカテゴリー別に整理する「○○の話、インデックス」というパターンを定着させていました。

今回の記事では時節柄、春闘に関するバックナンバーを並べてみようと考えました。Googleで「公務員のためいき 春闘」と検索するだけで、記事タイトルに春闘という言葉が入った記事をいくつか見つけられました。それだけでは物足りなさを感じたため、タイトルに春闘という言葉が付いていなくても、春闘期に投稿し、春闘に触れた内容の記事も探してみました。すると次のとおり思ったより多くの記事を掲げることができました。手作業でのザーッとした検索でしたので他に漏れている記事もあるかも知れませんが、それなりのインデックス代わりになり得たものと思っています。

さて、連合の2013春季生活闘争の闘争開始宣言では「働くすべての労働者の先頭に立ち、傷んだ雇用と労働条件の復元に全力で取り組み、デフレ脱却の突破口をきりひらく」と真っ先に記されています。まさしく今年のキーワードは「デフレ脱却」であり、非正規も含めた「すべての労働者」が春闘の成果を実感できるかどうか、連合や既存の労働組合の真価が問われていくものと受けとめています。

デフレ脱却は安倍政権が全力を注いでいる課題です。2月12日にはデフレ脱却に向けた経済界との意見交換会を官邸で開き、経団連の米倉弘昌会長ら経済3団体のトップに安倍首相が直接「労働者の賃金引き上げ」の協力を求めていました。このような動きに対し、雇用重視を訴えていた民主党は地団駄を踏んでいる、安倍首相の本当の狙いは民主党と連合の分断などという見られ方もされているようです。

安倍首相が賃金の引き上げを要請した話題は当ブログのコメント欄でも触れられていましたが、過去にも福田首相が経済団体に同様な要請を行なっていました。この話は上記に紹介した2008年3月15日の記事「追い風と逆風が交錯した春闘」の中で取り上げていました。そのため、私自身としては特に驚くことも、違和感を持つようなこともありませんでした。安倍首相が様々な思惑を抱いたパフォーマンスだったとしても、デフレ脱却のためには内需拡大が必要であり、賃金引き上げは欠かせないものと考えているからでした。

話が少し横道にそれますが、「モノの言い方、モノの見方」について「Part2」まで綴ってきました。二つの記事を通し、物事を性急に「○」か「×」か、二者択一ばかりで判断するような見方の危うさを問題提起してきたつもりです。念のため、誤解を受けないように繰り返しますが、場面によっては迅速に「○」か「×」か判断しなければなりません。賛否両論の激しい議論が平行線をたどった際、多数決なのか、トップの決断なのか、手法の選択も含めて最終的な結論を出さなければならない局面が無数にあることも当たり前だと思っています。

私が強調したかった点は、物事には必ず表と裏があり、見る角度によって「○」か「×」か評価が変わる可能性です。だからこそ、日頃から物事を多面的に見ようとする心構えが重要であり、多様な視点から寄せられる幅広い意見に耳を傾けることも、より良い結論を導き出すためには欠かせない手間隙だと考えています。よく「決められない政治」という批判的な言葉を耳にしますが、議論を尽くすこと自体が否定的にとらえられがちな風潮を危惧しています。

最も問題視すべきなのは誤った政治判断を強行することであり、その判断にブレーキをかけられるような議論であれば本来は歓迎すべきことだろうと考えています。今回の記事タイトルの内容から離れ気味となっていますが、もう少し付け加えれば「○」か「×」かを敵か味方かに置き換えてみます。敵だと見なせば、その敵の言葉や行動をすべて批判的に見てしまいがちです。一方で、味方だと見なせば、問題ある発言や行動も支持しがちな傾向があるように感じています。

つまり短絡的に敵か味方か判断してしまうと、理性的な評価から離れがちな傾向があることを懸念しています。「あいつ(あそこ)は○○だから、××だ」というような決め付けた属性批判に繋がりがちであり、評価すべき点や批判すべき点が混在していることを見落としてしまうように思えています。ちなみに人物評価が極端に枝分かれする事例として、阿久根市の竹原前市長や大阪市の橋下市長のことが思い浮かびます。このあたりを掘り下げていくと際限がなさそうですので、機会があれば別な記事本文の題材として扱ってみるつもりです。

ここで、安倍首相の話に戻ります。賃金引き上げの要請を自民党の安倍首相の行動だからと言って、先ほど述べたとおり批判するようなことは考えていません。その上で、問題視しなければならない点を最近の記事「地方公務員の給与削減問題」の中で訴えていました。デフレ脱却をめざす安倍政権の経済政策に照らした時、地方公務員給与の「削減要請」は真っ向から矛盾しています。さらに生活保護支給額が一部の低所得者層の収入を上回っているという理由から、保護費の引き下げを決めたことも問題視しなければなりません。

生活保護の基準額は他の多くの生活支援制度の目安にもなっているため、引き下げは受給者だけでなく、様々な制度の利用者の生活にも影響を及ぼします。このようなマイナスの波及効果は地方公務員の給与削減問題と同様であり、当事者以外にも広がった消費の冷え込みに繋がる恐れがあります。そもそも低所得者層の収入が生活保護基準以下になってしまったことのほうを問題視すべきであり、デフレ脱却を最大の目標としている現時点ではチグハグな政策判断だと言わざるを得ません。

気ままに書き進めてきたため、論点が拡散した内容になってしまったようです。いずれにしても春闘期、民間産別の労働組合は実質的な賃金改善を求め、連日交渉を重ねているはずです。たいへん残念で悩ましいことに私どもの組合をはじめ、地方公務員の組合は平均7.8%の給与削減を押しとどめられるかどうかが最大の焦点となっています。また、連合の闘争開始宣言に掲げられた柱の一つである非正規労働者の待遇改善も喫緊の課題です。

大勢の非常勤職員の皆さんを直接組織化している私どもの組合にとって日常的に力を注いでいる課題ですが、一足飛びな成果を見出せない現状でもあります。常勤職員に関しては「守り」の交渉を強いられがちですが、非常勤職員の問題は積極的な「攻め」の姿勢をよりいっそう打ち出したいものと考えています。最後に、デフレ脱却のためには非正規雇用者の賃金引き上げを優先しなければならないと主張しているフリージャーナリストの前屋毅さんの記事(「賃上げ」騒ぎはデフレ脱却につながらない) を紹介し、取りとめのない記事内容の結びとさせていただきます。

■だいじょうぶか?米倉会長

違和感がある・・・。2月19日、公明党の山口那津男代表らが経団連(日本経済団体連合会)の米倉弘昌会長らと政策対話を行った。報道によれば、井上義久公明党幹事長が「国民生活を向上させるために可処分所得を増やし、労働分配率を高めていくことが大事だ」と述べて、「デフレ脱却のために賃上げが必要との考えを示した」(msn産経ニュース)そうだ。これに対して米倉会長は、「デフレから脱却すればそういうことになる」と応えたという。

デフレ脱却の施策として賃上げを求められたのに「デフレが終われば賃上げする」と、なんともとんちんかんな答えをしたことになる。その前から安倍晋三首相も賃上げを求める発言をしているので、井上幹事長の言わんとするところを米倉会長が理解できなかったはずはない

わかって、とんちんかんな答えをしたのだ。ことあるごとにデフレ脱却を政府に求める発言をしていながら、自ら協力するつもりは米倉会長にはないらしい。自分では何もしないで、ただ欲しい、欲しいと騒ぐ駄々っ子とかわりがない。こういう人が日本を代表する経済団体の長をしているのだから、日本経済がふらふらしているのも無理はない。

違和感をおぼえざるをえない米倉会長の発言、といわざるをえない。しかし、ほんとうの違和感は別のところにある。

■ずれてる論点

2月5日、安倍首相は経済財政諮問会議の場で、「業績が改善している企業には、賃金の引き上げを通じて所得の増加につながるよう協力をお願いしていく」と述べて、賃金引き上げを求めた。これに応えるように2月7日、政府の経済成長戦略を策定する産業競争力会議のメンバーでもある新浪剛史が社長を務めるローソンは、「デフレ脱却を目指して!」と銘打って、消費意欲の高い世代(20代後半~40代)の社員の年収を平均3%アップすると発表した。

ローソンでは「新浪社長のもともとの持論に基づく」として安倍首相の要請に応えたわけではないと説明するものの、絶妙すぎるタイミングで、「出来レース」と受け取られても仕方ないだろう。さらに2月8日の衆議院予算委員会で、ローソンの例をあげて「3ヶ月前に考えられたか。われわれの政策が経済を変えていく」と安倍首相が胸をはってみせたのだから、シナリオ臭くなる。

問題なのは、ローソンの「賃上げ」が正社員だけを対象にしているということだ。正社員とアルバイトなど非正規雇用者とを合わせると、ローソングループでは約20万人が働いている。しかし今回の「賃上げ」の対象となるのは、約3300人の正社員だけである。約18万5000人の非正規雇用者は対象外なのだ。賃金を上げることで消費を活発化させてデフレ脱却につなげるには、3000人の社員を対象にするより18万人の非正規雇用者を対象にするほうが効果が大きいことは誰が考えてもわかるそこを無視して、「デフレ脱却のための賃上げ」と誇れるのだろうか。「われわれの政策の成果」と胸をはるにいたっては、あきれるしかない。

ローソンにつづいて作業服店チェーンのワークマンも賃金を引き上げることが2月19日になって明らかになったが、こちらも対象は正社員である。とんちんかんな米倉会長発言となった公明党と経団連の政策対話でも、前提になっているのは「正社員の賃上げ」で、「非正規雇用者の賃上げ」はふくまれていない。それでデフレ脱却が狙いというのは、論点がずれすぎているというしかない。

■ここを無視してデフレ脱却にはつながらない

労働力調査によれば、非農林業雇用をのぞいた雇用における全雇用に占める非正規雇用者の比率は、2012年で35.1%となっている。1990年が20%なので、急速に増えてきているわけだ。

その背景には、企業が人件費を削減するために正社員を減らし、その分だけ非正規雇用を増やしたことがある。それに拍車をかけたのが、小泉純一郎政権による人材派遣の規制緩和だった。

そして収入の少ない非正規雇用者が激増し、デフレ傾向にも拍車がかかってきたのだ。だからこそ、「賃上げによるデフレ脱却」を謳うのであれば、非正規雇用者の賃上げこそ優先させなければならない。そこを改善しなければ、ほんとうの消費拡大につながっていくはずがない。

そこを無視し、正社員だけ賃上げして「デフレ脱却のための賃上げ」と叫んでいるのは、どうにも納得できない。違和感をおぼえざるをえないのだ。

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2013年2月17日 (日)

モノの言い方、モノの見方 Part2

前回の記事「モノの言い方、モノの見方」はタイトルに掲げた問題意識を切り口として、このブログの常連コメンテーターのnagiさんから寄せられていた問いかけの数々にお答えしていました。今回も「Part2」としたとおり前回の記事の延長線上に位置付けています。とは言え、nagiさんのお名前ばかり出していてはご迷惑かも知れません。そもそも同じような疑問を持たれている方も多いはずであり、今回の記事はそのような「モノの見方」に対する私自身の考え方や受けとめ方を中心に書き進めていくつもりです。

あらかじめお断りしますが、あくまでも私自身の「答え」であり、そのような発想に対して違和感を抱かれる方もいらっしゃるはずです。最低限、嫌悪感や敵愾心まで抱かれないように「モノの言い方」には注意しながら私自身の「モノの見方」を示させていただきます。まず言葉の使い方ですが、例えば消費税の引き上げについて問われた際、私から「反対ではありません」と答えた場面がありました。

このような言い方は賛成なのか、反対なのか分かりづらいという指摘を受けがちです。しかし、積極的な賛成ではなく、引き上げは「やむを得ない」という思いからすると、やはり「賛成です」とは言い切りづらい面がありました。自分自身にとって決して中途半端な「答え」だという認識はなく、もともと物事全体を通して「○」か「×」か必ずしも二者択一で判断できない場面が多いものと考えています。

念のため、「○」か「×」か二者択一の答案用紙を前にすれば、そのどちらかを選ぶことは言うまでもありません。当たり前なことですが、現実の場面でも「答え」を一つに絞らなければならない時が数多くあります。その「答え」は「○」もしくは「×」になる訳ですが、言葉に表わした場合は前述したような「×ではなかった」という言い方もあり得るものと思っています。このような表現の機微を違和感なく受け入れられるのか、「分かりづらい」と受け取られるのか、人によって枝分かれがあるようです。

いずれにしても様々な事象を評価する際、簡単に「○」か「×」か判断できないことが多く、性急にオールorナッシングで判断すると見方を誤る場合もあります。「左と右、その見方について」という記事の最後には「左か、右かという見方も一つのレッテルであり、こだわり過ぎると物事を正しく評価分析する際の障壁になることも心配しています」と記していました。要するに今回の記事でも、そのような私自身の問題意識を訴えていくことになります。

オールorナッシングの見方の危うさの一つとして、数多い構成員のうちの一人が問題行動を起こした際、組織全体が強く批判されるケースも少なくありません。当然、批判を受けるべき該当者は相応の処罰を受け、組織の体質や管理者の責任が問われる場合はその点について指弾されることもあろうかと思います。しかし、直接的な責任のない構成員の一人ひとりが理不尽な批判を受けるケースは、あってはならないものと考えています。

きっと皆さんが思い浮かべている事例はそれぞれ異なっているのかも知れません。そのため、ここでは前回記事のコメント欄で例示されていた北朝鮮の問題を取り上げてみます。言うまでもなく、北朝鮮の核実験は強く批判を受けるべき暴挙であり、拉致や自国民を抑圧している強制収容所の問題など絶対容認できない過ちを重ねている国家であることも確かです。 だからと言って、在日朝鮮人の方々を一緒くたに非難することも控えなければなりません。

このような心得は多くの方が理解されているものと思っていますが、朝鮮学校の高校授業料無償化の問題に関しては反対する声が強まりがちです。朝鮮学校をアルカイダのテロリスト養成学校と同列視する指摘まで飛び出るほどの強固な反対意見も示されていました。朝鮮総連の役割や過去の行為などと絡めながら、朝鮮学校の位置付けを注視すること自体は頭から否定できません。しかし、どうしても「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺を思い浮かべがちな理屈だと感じています。

このような時、拙い自分自身の知識で説明するよりも、ネット上で見つけた詳しい内容を掲げたサイトを紹介してきました。今回、弁護士である宮武嶺さんのブログ記事「朝鮮学校の高校無償化排除は法の下の平等違反 北朝鮮の核実験強行の日にあえて訴える」に注目していました。たいへん分かりやすく問題点が整理されていたため、かなりの分量がありましたが、語句の解説箇所等を除きながら全文を紹介させていただきます。多面的な情報提供の一つとして、ぜひ、このような「モノの見方」もあるという参考までにご一読ください。

今日、北朝鮮が3回目の核実験を強行したと発表しました。いくつもの国連安保理決議に反しますし、放射性物質が多かれ少なかれ飛んできますし、東アジアに緊張をもたらしますし、核兵器廃絶の流れに反しますし、とにかくとんでもない暴挙で、断固抗議したいと思います。しかし、こういうことになると、見送られたまま凍結されている高校無償化法の朝鮮学校への適用除外が確定するのではないかと危惧されます。北朝鮮と言う国の問題と、朝鮮学校の生徒の権利は全く別問題ですから、今日の記事をあえて書きます。

そもそも、2010年に民主党政権下で制定された高校無償化法の趣旨・目的は、「高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与すること」にあります。これを受けて、現在の同法施行規則は、インターナショナルスクールや民族学校といわれる外国人の子弟が在籍する学校について、大使館等を通じて本国における高校と同等程度の課程を有するものと確認できる学校及び国際的評価機関の認定を受けた学校を制度の対象としています。

さらに、これに該当しない学校についても、日本との国交の有無にかかわらず、日本の高等学校と同程度の課程を持つと評価される学校については、文部科学大臣が個別に指定することにより就学支援金などの対象とすることができることとしています。そして、朝鮮学校から進学できる日本の大学は多く、朝鮮学校が日本の高等学校と同程度の課程を持つと評価される学校」であることは明らかです。

そもそも、日本も批准している子どもの権利条約や国際人権(自由権)規約は、民族的アイデンティティの保持や、民族的アイデンティティを保持しながら教育を受ける権利を保障しています。ですから、インターナショナルスクールや民族学校についても無償化の対象となり得る現行の省令は、国際的な人権保障の考え方にかなうものです。さらに、法案審議の過程でも、高校無償化制度の対象となる外国人学校の指定については、外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべきものであるということが政府の統一見解として明らかにされていました。民主党が自民党よりもましだった側面です。

しかし、2010年11月に延坪島で北朝鮮による砲撃事件があったので、国民世論の理解が得られないというナンセンスな理屈で朝鮮学校への無償化適用まで踏み切らないまま、民主党政権は瓦解しました。ところが、安倍自民党政権になった途端に、文部科学省は2012年12月28日付けで、公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則の一部を改正する省令案を発表し、上の個別指定の根拠条文を削除するとしました。

この今回の改正案の趣旨について、安倍政権の下村博文文科相は、同日の定例記者会見において、北朝鮮とは国交がない、北朝鮮による拉致被害問題の進展がないこと等を理由として朝鮮学校の指定の根拠を削除する内容の省令改正である旨の発言を行っています。つまり、上記省令改正案は、朝鮮学校を無償制度の対象から除外することを狙い撃ちにしたものなのです。そして、このような国の動向を受けて、福岡・広島・大阪などで自治体独自の助成金を、朝鮮学校についてだけ打ち切る動きが次々と起きてしまっています。

しかし、まず、全国の朝鮮学校は、2010年11月末までに現行の法令に基づく上記指定の申請を適法に終えているのですが、今回の安倍政権の省令改正は、申請から2年以上も経過した段階で、申請の根拠となる法令の規定を消滅させて、朝鮮学校の申請を前にさかのぼって門前払いとしようとするものですから、行政手続的に違法です。そもそも、今回の改正案は、国交がないということや、拉致問題の進展の度合いなどという子どもたちとは何ら関係を持たない事柄を根拠に、生徒たちに与えられる就学支援金の給付を否定するものであり、全く合理性がありません。

しかも、人種による差別ですから、法の下の平等を規定する日本国憲法14条1項後段の「人種・・・」という禁止列挙事由にあたるともいえ、この場合には違憲性が推定され、合憲だというのであれば立法・行政側が合憲だと立証しなければならないというのが憲法学の通説です。確かに、法の下の平等といっても絶対的平等ではなく合理的な区別取り扱いは認められます。しかし、法の下の平等は人は生まれながらにして最高の価値を持つという個人の尊厳の理念から認められる原則です。誰もが最高の価値を持って生まれるのだから平等に取り扱われるべきだということです。

ですから、法の下の平等の原則は、せめて生まれの問題では差別されないということを最も重要な内容としています。たとえば、どこの国籍・民族・人種に生まれるかは自分ではコントロールできないことだから、そういう生まれた時から決まっていることで別異取扱いをするのは、不合理な差別で憲法違反であることが推定されるのです。当然、この文科省が朝鮮学校を授業料無償化の適用から外すと決めたことに対し、2013年1月24日、大阪、愛知で朝鮮高校無償化適用を求めた提訴が相次いで行われました。

朝鮮学校と同じ立場のブラジル人学校などのインターナショナルスクールや中華学校等の各種学校は文句なく無償化が認められています。朝鮮学校に通う子どもたちだけ無償化が適用されないのですから、裁判では国が負けることは必定です。名古屋地裁に裁判を提起した愛知朝鮮中高級学校に通う在校生は「私たちはスパイでも工作員でもありません。学ぶ権利は誰にでもあるのに、大切な気持ちを踏みにじられました」と語っています。

また、東京の朝鮮学校の生徒らが2月7日、衆議院第二議員会館で会見を開き、東京朝鮮高級学校在校生は「日本の高校と変わらない環境の中で、僕たちは民族のルーツを学び、言葉を学び、文化を学んで育ってきているのに、反日教育だといわれるのが本当に悲しいです」と訴えました。そもそも、教育を受ける権利は、日本に居住する全ての民族的・人種的少数者に差別なく保障されるべきものです。そして、それは子どもの権利条約や国際人権規約が規定するように、民族的アイデンティティを保持しながら教育を受ける権利なのです。

下村文科相は朝鮮学校を無償化の対象にしない理由として、教育内容に朝鮮総連の影響があることもあげています。しかし、中華学校の教科書に南京大虐殺はどう記されているかなど無償化の条件にされていません。また、アメリカンスクールで原爆投下が戦争終結に必要なことだったなどと教えていないかどうかなんて問題にはされません。それは、我々から見て違和感のある教育内容だと仮にしても、価値観や歴史認識が異なるからといって、教育内容に着目して政治的干渉をすべきでないからです。ですから、朝鮮学校の教育内容が「反日的だ」「金体制礼賛だ」などといって無償にしたりしなかったりするべきではないのです。無償化で支援されるのは学校ではなく生徒なのですから。

これからも北朝鮮の軍国主義的な行動が続くでしょうが、それは今、日本に永住して生きている韓国・朝鮮の子どもたちとはなんら関係のないことです。拉致問題に朝鮮総連がどう関与していたかも同様です。朝鮮半島にルーツを持つからと言って、今10代の彼ら彼女らに何の罪もないのです。人種や国籍がどうあろうと、同じ日本に住む仲間ではないですか。人と国とを分けて考えるだけなんです。是非、我々日本人が理性を持ち、寛容の精神でもって、彼らに平等な扱いをしていきたいと、今日だからこそ訴えます。

 もちろん上記のような「モノの見方」に賛否両論あります。しかし、この点だけは強調させていただきます。朝鮮学校の無償化適用を求める団体だから「反日」だという論法も、一面的な「モノの見方」だと言わざるを得ません。したがって、その論法からの平和フォーラムに対する批判は的外れであり、思い込みが先走った「レッテル貼り」だと感じています。加えて、関係者が目にすれば非常に不愉快に思える文章は、投稿者自身の品位が疑われていくものと危惧しています。

とにかく「モノの見方」は人それぞれ千差万別あろうかと思います。だからこそ、不特定多数の方々が触れ合うネット上の場では、より「モノの言い方」に注意する必要があるものと考えています。単なる「憂さ晴らし」や「批判のための批判」を目的にしている場合、このような訴えもご理解いただけないはずです。そうではなく、少しでも自分自身の「答え」の正しさを一人でも多くの方から共感を得たいと考えている場合は、言葉の使い方や表現の仕方に努力しなければなりません。そして、このブログのコメント欄が、そのような競い合いの場になり得ることを心から願っています。

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2013年2月 9日 (土)

モノの言い方、モノの見方

書店で平積みされていた『できる大人のモノの言い方大全』を手に取り、パラパラと頁をめくってみたところ「なかなか面白い本だな」と思っていました。日頃から実生活の場面でも、このブログの場でも「モノの言い方」一つで与える印象が大きく異なってくることを痛感していました。「それは違います」と即座に切り返すよりも、「そうですね、でも…」というようなYes&Butの会話のほうがギスギスした関係になりにくいものと言われています。

バカバカしい話に対しては「難しいお話ですね」という言葉で、「分かりました」とも「お話になりません」とも言わず、角を立てずに断る言い方などが掲げられていました。そのような具体例が満載だった書籍に興味を持ちましたが、その時はレジに持ち込むまでには至りませんでした。しばらくして最近、私どもの組合の書記次長と「モノの言い方」の大事さについて話す機会がありました。話の流れの中で『モノの言い方大全』のことを口にしていました。

すると書記次長から「私、その本持っています。良かったらお貸ししましょうか」と持ちかけられ、現在、手元に置いて読み進めているところです。実際の場面でスッと使えるかどうかは二の次になりそうですが、面白い本であることには間違いありませんでした。特に言葉だけの文章による意見交換となるインターネット上の場では、『モノの言い方大全』の表紙に書かれた「なるほど、ちょっとした違いで印象がこうも変わるのか!」という点を常に意識しなければならないものと考えています。

おかげ様で前回記事「地方公務員の給与削減問題」のコメント欄は、異なる意見間での刺々しい反応も少なく、たいへん落ち着いた場になり得ていました。管理人がコメント欄無精している中、多くの皆さんから幅広い声をお寄せいただき、本当に感謝しています。なお、nagiさんからは私自身への直接的なお尋ねが多々ありました。 充分答え切れていない積み残している問いかけも多い中、決してスルーする意図がなくても結果的に「手が回らない」現状について、ぜひ、ご理解ご容赦ください。

合わせて勝手な解釈で間違っていたらご指摘いただければ幸いですが、このブログの常連のnagiさんとしては私の「答え」を予測しながらも、あえて問いかけているケースが多いように思えています。以前のようにコメント欄で逐一レスしていた場合、お答えすべき内容に関連した過去の記事を紹介しながら対応できる問いかけが大半でした。とは言え、新たな事象に対して、その時点での私自身の「答え」を求められていることも理解しているつもりでした。

今回、「モノの言い方、モノの見方」についての個人的な思いを絡めながら、前回記事のコメント欄に寄せられたnagiさんからの問いかけに答えられればと考えています。まず今回の記事タイトルは『モノの言い方大全』の本の話を前振りに使ったため、目新しい内容のような印象を与えているのかも知れません。実は今まで何回も当ブログで訴えてきた内容の焼き直しに過ぎず、「コメント欄雑感」「コメント欄雑感、2012年春」などを通して「モノの言い方」に対する冒頭のような問題意識を訴えていました。

「モノの見方」は「多面的な情報への思い」「多面的な情報への思い、2012年春」などに託してきた問題意識に繋がっています。物事に対する評価は見る角度によって異なる、つまり手にした情報によって下される評価に枝分かれが生じるように感じています。さらに同じ事象を見ていたとしても、個々人の属性、つまり置かれた立場や視点の違いからも下される評価に枝分かれが生じがちです。このような点を踏まえ、これまで個々人が信じている「答え」は一つでも、必ずしも唯一絶対の「正解」かどうか顧みることの大事さを意識し、先に紹介したような記事を綴ってきました。

以上のような「モノの見方」があり、それぞれ信じている「答え」が異なる者同士で議論する場合は、よりいっそう「モノの言い方」に注意を払う必要性について認識していました。nagiさんからの問いかけに答えるまでの前置きが長くなりました。要するに私自身とnagiさんでは同じ物事を同じ瞬間に見ていても、導き出される「答え」や評価が大きく異なるように受けとめています。いつも申し上げていることですが、どちらの「答え」が正しいのかどうか決める場ではありませんので、閲覧されている皆さん一人ひとりの評価に委ねさせていただくことになります。

さて、具体的な問いかけの一つ目として、ストライキと戦争を同列視され、反戦平和を唱える組合としてはダブルスタンダードだという指摘がありました。以前の記事「ストライキ批准投票」にあるとおり確かにストライキは労働組合の切実な要求を前進させるための「伝家の宝刀」だと言えます。しかし、戦争と同列視することには非常に大きな違和感があります。このような枝分かれを考えた時、ブログを開設した頃の記事「なぜ、労使対等なのか?」を思い浮かべながら、労働組合の役割に対する評価自体に差異があるように想像していました。加えて、「絶対に戦争は避けなければならない」と願っているのか、「状況によっては戦争も辞さず」と考えられているのか、そのような差異があるようにも感じています。

続いて、組合が支持した政党の惨敗という結果を受け、「負けの対価を払うことを拒否するのは潔くない行為」という指摘がありました。この点に関しては、さびさんが分かりやすく論点を提起し、まとめてくださっていました。私からも付け加えれば、その記事の中でも記したとおり民主党政権の時、自治労の言い分をストレートに反映できる機会が多くあったことも確かです。しかしながら正当性のある要求に限り、政府の意思決定に多少なりとも影響を与えることができたものと見ています。さらに「旗びらきの話、インデックス」の中で綴った点についても改めて紹介します。

今のような社会情勢の中で公務員組合は、政治的な活動を進めることで自分たちの待遇改善が大幅に進むとは考えていません。最低限、理不尽な改悪の動きが示される場合などに対し、毅然と当事者の声が届けられる政治的なパイプの必要性を常に意識しています。ますます公務員組合の発言力が大幅に削がれ、待遇面などの問題に関しても「まな板の鯉」状態を強いられるような事態を避けるためにも、それぞれの選挙戦での一定の取り組みが重要視されていくものと考えています。

ちなみに私どもの自治体をはじめ、残念ながら全国的に常勤職員の待遇をどこまで下げるのかどうかが労使交渉の主な争点となっています。そのような中でも「バス運転手の年収4割削減」というような乱暴な動きには毅然と対抗していかなければなりません、そのためにも上記のような問題意識のもと、組合としての一定の政治活動も必要とされていました。nagiさんからは「このような党を応援することは連合にも自治労にもマイナスでしかありません。それでもOTSU氏個人は民主党を応援するのですか?」という問いかけがありました。

過去に「民主党との距離感」という記事を投稿していましたが、私自身、もちろん民主党に属している訳ではありません。しかし、組合という組織として多くの民主党の政治家を応援している関係性がありました。そのような中、与党でなくなったから、どん底まで落ちて未来がないからと決め付け、掌を返したような突き放し方はあり得ないものと思っています。人間関係においても同様で、落ち目になった友人を簡単に見限っていく人のほうこそ、信頼を置かれなくなるのではないでしょうか。合わせて、民主党への支援を呼びかけた組合員の皆さんに対しても、現段階で方針を転換するようでは失礼な話だろうと考えています。

もともと「新政権への期待と要望」の中で綴ったとおり民主党政権の危うさを心配し、過度な期待をしていなかった分だけ世間相場よりも失望感は薄まっていたようです。その上で、現在の個人的な思いは「海江田代表に願うこと」のとおりでした。仮に今後、民主党側から「参院選挙に向けて労働組合との関係性はマイナスだから、特に公務員組合とは縁を切りたい」という動きが出るようでしたら、それこそ党そのものの品位や信頼を失墜させる行為であり、そのような事態にならないことを信じているところです。

念のため、一応援団である労働組合は民主党と運命共同体になっている訳でもありません。それぞれの立場や役割がある中、めざすべき方向性や政策面での一致点を見出し、支持協力関係を築いてきたに過ぎません。nagiさんの指摘のとおり公正取引委員会の委員長の国会同意人事問題での民主党の対応は旧態依然としたものでした。輿石東参院議員会長の至らない点があれば、しっかり指摘していかなければなりません。支持協力関係イコール批判意見は慎むというものでなく、それぞれの領分を尊重し合いながら耳の痛い話も率直に議論できることが真の信頼関係に繋がるものと考えています。

ここまで前回記事のコメント欄に寄せられたnagiさんからの問いかけに答える形で書き進めてきました。最後に、尖閣諸島周辺の公海で中国の艦艇が海上自衛隊の護衛隊に向けて、火器管制レーダーを照射したことについて、nagiさんから「いよいよ平和活動で活躍する自治労の出番です。このサイトにもリンクする平和フォーラムの出番です。中国大使館前で抗議活動しましょう」という意見が示されていました。よく揶揄されがちですが、自治労や平和フォーラムは「反日」でもなく、中国に肩入れしている組織でもありません。

先ほど私自身の「モノの見方」として表現したとおり「絶対に戦争は避けなければならない」と願っている組織だと言えます。したがって、この問題で中国大使館前で抗議する予定もなく、するべきではないものと考えています。緊迫した局面であればこそ、冷静な判断や行動が求められていくはずです。また、多面的な情報提供の一つとして、このような「モノの見方」もあるという参考までに外務官僚だった天木直人さんのブログ記事「負け比べとなった日中レーザー照射事件」を紹介し、長々と綴ってきた記事の結びとさせていただきます。

断っておくが私は尖閣国有化に端を発する中国の対日攻勢について、それを擁護するつもりはまったくない。それどころか中国の軍事覇権的な一連の強行姿勢について強くそれを批判する立場である。だからこそ日本はそのような中国に対し、これ以上そのような行動を許さないような正しい外交・防衛策を国をあげて取らなければいけないのだ。いまほど我が国の外交・防衛抑止力の鼎の軽重が問われている時はないのである。しかし残念ながら日本は正しく対応できていない。それゆえにレーザー照射問題をめぐる日中間の攻防は泥仕合の様相を呈してきた。私が繰り返し指摘し、そして懸念してきたとおりである。何が問題なのか。

まず指摘しなければならない事は、今度のレーザー照射がどこまで危機的な威嚇的なものであったかという事である。なぜならば、中国のレーザー照射は野田民主党政権の時はもとより、小泉政権時からも度々行なわれていたことがわかった。その時のレーザー照射と今度の照射に威嚇としての危機的違いがあったのかどうか。さらにいえば尖閣国有化以降の中国の威嚇軍事行動に関しては、レーザー照射攻撃のほかにも威嚇的軍事行動が繰り返されていたという。そのような威嚇行動と今度のレーザー照射威嚇との間に決定的な危機的違いがあったかどうか。このような事は素人には分からない。直接情報のない者には判断できない。もし大きな違いがなく、今度ばかりを日本が大騒ぎしたとしたら、それは日本が作為的に騒いだものだという中国側の言い分に口実を与えることになる。そして中国はその通りの対応を見せ始めた。大きな判断ミスだ。

もし今度のレーザー照射攻撃が武力行使や武力威嚇にあたるほどの危機的なものであれば、その対応は、私が繰り返し書いてきた通りである。すなわち中国側の行動が、軍の単独行動なのか中国の国家意思に基づくものかを真っ先に見極める必要がある。そしてそれを見極めるために、公表する前に中国側と極秘の緊急協議を行なうべきであった。たとえ中国側がそれに応じなかったとしても、そして応じても正しい返答が得られなかったとしても、少なくとも日本側から接触し、問題提起をすべきだった。すなわち軍の単独行動なら極秘裏になかったことにしてリスクマネジメントを行なう。そうする事によって中国に貸しをつくる。もし中国の戦争も辞さずという意図が確認されれば、その時こそ日本は毅然として国連憲章に従って平和のための正当な措置をとり、国際社会に向かって訴えざるを得ないと中国側に事前通告する。

もちろん日本がどのような対応を取ろうと中国側は反発し、すべて自分に都合のいい対応をとるだろう。しかし初動段階で日本が先手を取って正しい対応をしていれば、その後の外交・防衛抑止政策において有利に立ち続けることができたはずだ。それが重要なのだ。ところが日本側にも非があったことが明らかになった。すなわち防衛省の対応の甘さと遅さがあった。1月30日に起きたレーザー照射の事実を外務省が知らされたのは5日だった、実は安倍総理や小野寺防衛相さえもまた5日になってはじめて知らされたという事が昨日の国会審議ではじめて明らかにされた。最大の誤りは、安倍首相がそれを中国と事前協議する前に公表を命じ、抗議を命じたことだ。安倍首相官邸は中国の不当性を国際社会にアピールすることで中国をけん制しようとしたという(2月8日読売)。

その判断こそが間違いなのだ。これでは中国が慌て、面子を潰し、そして反発するのも当然だ。そしてその通りとなった。中国の反論が始まった。こうなれば泥仕合だ。外務省でさえ「抗議は公表前が常識」といい、「防衛省は騒ぎすぎだ」と言っている(2月8日朝日)のである。さらに混乱は続く。小野寺防衛相は7日の国会答弁で今回の中国の行動が国連憲章違反の可能性があると答弁したのに対し、外務省の局長は、今回の照射が威嚇にあたるかどうかは中国の目的や意図を総合的に判断する必要があると明言を避けたという。おどろくべき事だ。防衛大臣の答弁を外務官僚が否定しているのである。

これを要するに、国家の外交・防衛上の一大危機に際し、政府が一体となって対応出来ていない証拠である。私も担当していたから言うのであるが、こんな時こそ国家安全保障会議を緊急招集し統一的な対応を取るべきであった。たとえそれがお粗末な会議であるとしても、いまこそ国家安全保障会議をしなくて何のための国家安全保障会議だということである。日本と中国は、それぞれ内部事情を抱えたまま泥仕合に突入しようとしている。今度のレーザー照射事件はもはや凍結されるほかはない。これ以上の非難の応酬は日中関係をさらに悪化させるだけだ。最後は米国の介入による沈静化しかない。日本のメディアも評論家も、もはや語る言葉はない。何を語ってもむなしい(了)。

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2013年2月 3日 (日)

地方公務員の給与削減問題

前回の記事タイトルは「地方公務員の退職手当削減」でした。今回もあまり頭をひねらずオーソドックスに「地方公務員の給与削減問題」としました。この問題は前々回記事「旗びらきの話、インデックス」の後段でも触れていました。東日本大震災の復興財源を確保するため、昨年4月から2年間、国家公務員給与が平均7.8%削減されています。政権交代後、1月15日に開かれた初めての国と地方の協議の場で、来年度の地方公務員給与を国家公務員並に削減するよう政府が地方側に要請しました。地方側は強く反発していましたが、政府は1月24日、地方公務員の給与について国の臨時特例減額措置に準じて必要な措置を講ずるよう要請する内容を閣議決定していました。

このブログの前回記事の最後で「今後、国に準じた地方公務員の給与水準引き下げの問題が立ちはだかる見通しです。この難題に対しては国家公務員の皆さんをはじめ、幅広い方々から共感を得られるような論点整理や問題提起が欠かせなくなるはずです」と記し、新規記事で掘り下げていくことを予告していました。さっそく今回、この問題を取り上げていきますが、あえて「国家公務員の皆さんをはじめ」と記した理由についても後ほど触れていくつもりです。まず国家公務員の給与削減が決まった経緯や背景などを以前の記事で綴っていましたので、改めて参考までに並べてみました。

公務員労働組合連絡会や交渉の当事者となった国家公務員の組合は「今回の措置は、人事院勧告制度の下で、勧告を経ずに給与を引き下げるという極めて異例な措置であるが、労働基本権の付与と自律的労使関係制度の確立を先取りする形であり、労使交渉で決着することが不可欠であったこと、政府との間で真摯で誠実な交渉を行なったことを踏まえ、今後、労働基本権が付与され、労使交渉によって公務員労働者の適切な賃金・労働条件を自律的に決定することを強く確信し、今回の給与引き下げ措置を受け入れることとしたものである」という見解を添えていました。

たいへん厳しい内容を受け入れた苦汁の判断だったのにもかかわらず、現時点までに労働基本権拡充の見通しが立っていません。さらに「国が直接的に給与について関与できるのは国家公務員のみで、地方自治体が地方自治体の判断で適正に対応していくべき」という政府側の認識でしたが、今回、政権が代わったことで地方自治体の自主的判断を踏みにじる姿勢に転じてきています。いろいろな意味で、公務員やその組合側にとって非常に不本意な局面を迎えています。

地方公務員の給与削減問題をめぐり総務省は、国家公務員の給与水準を下回る地方自治体については削減を求めない方針を決めた。国家公務員は今年度から2年間にわたり、平均7・8%の給与カットを実施。同省は地方についても7月から国と同水準の削減を行うよう要請しているが、財政力の弱い自治体などから反発が出ていた。同省は近く、国家公務員を100とした場合の、各自治体の給与指数(昨年4月1日時点)を公表。原則として指数が100を上回る場合は100になるよう引き下げを促し、100に届かない自治体には削減を求めない。一方、同省は人件費削減など過去の行財政改革の実績に応じて地方交付税から地域活性化対策費を配分し、自治体の財政運営に配慮する。【産経新聞2013年2月1日

「一律の削減要請は問題だ」「国を上回る行革を既に行なっている」という地方側の主張を受けとめ、上記のとおり国側は柔軟な姿勢を示しています。また、当初案は地方公務員給与の削減期間を今年4月から1年間としていましたが、7月から翌年3月までの9か月間に改め、給与の原資となる地方交付税の削減幅を年間6千億円から4千億円に圧縮していました。1月28日には新藤義孝総務相から各都道府県知事あてに「大臣書簡」まで出されていました。

今回の要請は、単に「地方公務員の給与が高いから」、あるいは「国の財政状況が厳しいから」行なうものではなく、「日本の再生」に向けて国と地方が一丸となってあらゆる努力を結集する必要がある中、当面の対応策としてお願いするものという趣旨の内容が書かれています。ここまで事実関係を中心に淡々と書き進めてきました。きっと新藤総務相の意気込みをはじめ、今回の政府の方針に喝采を送る方々も多いのではないでしょうか。

日頃から公務員組合を否定的に見ている方々にとっては「自業自得」の展開だと思われているのかも知れません。一方で、私自身も含めて地方公務員側にとっては歓迎できる話ではありません。すかさず公務員連絡会は閣議決定に抗議する声明などを出し、地方公務員給与削減に反対した取り組みを強めていくことを訴えています。先週開かれた自治労の臨時大会の中でも、この問題が大きく扱われ、総力をあげて立ち向かうことが確認されています。

組合員の皆さんの思いを託された労働組合として、ごくごく当たり前な対応です。仮に今回の問題で「不戦敗」的な弱腰を見せるようであれば、組合員の皆さんに対する信用失墜行為になりかねません。とは言え、地方公務員の組合側がめざす決着をはかるためには、たいへん難しい問題であることも確かです。それこそ、地方公務員やその関係者以外の皆さんからも理解を得られるかどうかが今後の大きな鍵になるものと思っています。その意味で、不特定多数の方々に閲覧いただき、ホーム(?)でありながらアウェーのような厳しい声が伺える当ブログのコメント欄での反応を注視しているところです。

これまで地方公務員の給与削減については自治労など支持団体の反発に配慮し、民主党政権は削減を強行できなかったような見られ方もありました。ある面で正しく、ある面で誤った見方でした。自治労の言い分をストレートに反映できる関係性があったことはその通りです。しかし、「自治体ごとに行革を進めている」「自治体の問題は各自治体で決める」という首長らも訴えている原則論が政府側に充分伝わっていたからであり、決して自治労が不当な横車を押したからではありません。

これまで総務省は「地方公務員の給与決定については自治体の自己決定が尊重される」とし、「国家公務員と同様な措置を強制することは考えていない」という見解を示していました。それにもかかわらず「政権が代わったから」と言って、そのような大事な原則論を覆してしまったことになります。このような問題点について、先ほど紹介した公務員連絡会の声明の中でも強く指摘されています。ただ一般の方々に対し、このような話から「だから頑張って」という構図には繋がらないものと見ています。

自民党が16日に開いた日本経済再生本部の会合で、15日に地方公務員の給与を削減するよう地方側に要請した麻生太郎副総理兼財務相への批判が続出した。地方側も麻生氏への反発を強めており、党内で尾を引く可能性が出てきた。昨年の通常国会で国家公務員給与を平均7・8%削減する特例法に反対した西田昌司参院議員は「変なポピュリズムに流されてはいけない。経済成長で国内総生産(GDP)に一番貢献するのは給与だ。方向転換してほしい」と注文。昨年の衆院選で初当選した県議出身の小島敏文氏は「麻生氏にがっくりした。地方自治体はすでに一生懸命給与をカットしてきている。夏の参院選で負けてしまう」と訴えた。会合に出席した甘利明経済再生担当相は「新藤義孝総務相がすりあわせをする」と引き取った。【産経新聞2013年1月16日

上記の報道に特段解説は不要だろうと思います。デフレ脱却をめざす安倍政権の経済政策に照らした時、今回の「削減要請」が真っ向から矛盾する政策であることは間違いありません。国家公務員給与削減の際も取り沙汰された問題でしたが、2%のインフレ目標を定めた現段階ではいっそう留意すべき点ではないでしょうか。地方公務員の給与削減がその地域経済に及ぼす影響も軽視できないはずです。削減された関係者による消費の冷え込みをはじめ、地方公務員の給与がその地域の民間企業の給与水準に連動している場合も考えられます。

さらに1%のベースアップを求めた春闘にも悪影響を与えることは必至であり、今後、所得が下げ止まったままインフレ先行という最悪の事態も懸念されます。このような話を訴えることで不特定多数の方々に「他人事ではない」と受けとめていただけるのか、「所詮地方公務員の問題で、自分たちの給与削減を拒むための方便だ」と切り捨てられるのかどうかで、この問題の決着の行方を大きく左右していくものと考えています。

続いて、冒頭でも記した「国家公務員の皆さんをはじめ」とした理由を説明します。このブログを国家公務員の方々も閲覧され、地方公務員に対して辛辣なコメントを残されていく方もいました。7.8%という給与削減の厳しさの表れだろうと推察していましたが、「自分たちが下げられたのだから地方公務員も」という意識が強いようでしたら少し疑問もありました。もともと国家公務員との「均衡の原則」があるため、臨時的な措置でなければ地方公務員給与への影響は避けられないものと考えていました。

あくまでも復興財源のための特例であり、臨時的な措置であるため、その期間における地方と国家公務員給与との水準比較は参考程度にとどめるべきものと言えます。つまり7.8%ほどの差があったとしても当たり前な話だと見てもらわなければなりません。しかし、政治的な思惑も絡みながら今回、同じような水準引き下げが強要されようとしています。来年度限りという要請ですが、国と地方ともにその水準に肩を並べれば、ますます臨時的な措置で終えられるのかどうか心配になります。

不本意なことに前政権の幹部の一人が「これだけひどい財政状況を考えれば、2年間でまた元に戻すことができるはずがない」と発言していましたが、そのような見方が強まることを警戒しなければなりません。したがって、給与削減が地方公務員に波及するかどうかは、国家公務員の皆さんに対する特例措置を約束期間で終結できるかどうかの問題にも繋がっていくように懸念しています。このような見方も「方便」と取られるのかどうかは個々人の受けとめ方だろうと思いますが、「国家公務員の皆さんをはじめ」と記したのは私なりの問題意識の表れでした。

長々と綴ってきましたが、最後に、ある新聞の記事をそのまま紹介します。よく「新聞は中立ではない」と言われがちですが、それぞれの新聞社の立ち位置があることも確かです。その立場がどうであれ、そこに書かれている文章や意味合いを読み手の一人ひとりがどのように評価するかどうかの問題だろうと思っています。今回の問題では首長側の反論が数多く報道されていますが、やはり次のような体系立てた主張が分かりやすく、拙い私の記事本文よりも推奨すべき内容だと考えています。

地方公務員の給与水準を下げさせるため、安倍政権が強引ともいえる手を打った。新年度予算編成をめぐる、きのうの財務・総務両大臣の折衝で決まった。自治体の財源として全国に配る地方交付税を6年ぶりに減らし、人件費を削らなければ財政運営に困るようにする。いわば「兵糧攻め」だ。国民感情からすれば公務員の待遇は恵まれすぎている、との受け止めは当然ある。自治体によっては削減もやむを得まい。ただ県や市町村の給与は、それぞれ条例で決めるルールである。本来、国に強制されて減らすものではないはずだ。曲がりなりにも前に進んできた地方分権の流れに逆行しないか。

国家公務員の給与は2012年度と13年度に限り平均7・8%カットされ、震災復興に回る。地方公務員も歩調を合わせよ、というのが民主党政権時代から財務省などの主張だった。新政権がすぐに実行に移した背景には、公務員労組への遠慮があったとされる民主との違いを際立たせる狙いもあろう。ただ、事は自治の本質に関わる。たとえ臨時的な措置にとどまるとしても、地方の声を十分聞くべきではなかったか。人件費削減になかなか手を付けなかった国に比べ、財政難に直面する自治体は、これまでも身を削ってきた。平成の大合併に伴い、役所機能の縮小も進んだ。この10年余りでは全国の給与総額は2割以上減っている。半面、震災の被災地ではマンパワー不足は深刻である。こうした地域の事情も考えずに、一律に削減を強いる国の姿勢はいかがなものか。

全国知事会をはじめ、自治体の側が猛反発したのも理解できよう。政府の側もそれなりの配慮はするという。当初は4月から、としていた給与削減の時期は、組合交渉などを考えて3カ月遅らせた。さらに協力した自治体には防災や活性化の予算で優遇する案も出ているようだ。だが地方交付税には日本全体の財源を再配分し、自治を支える重要な役割がある。時の政権の政策の小道具に使われることには、やはり違和感が残る。むろん地方の側も行政改革で不断の努力をすべきなのは言うまでもない。給与にとどまらず時間外手当の縮減などにも、さらに取り組む必要があろう。

地方分権を考える上で、気掛かりはほかにもある。民主政権が導入し、本年度は6700億円余り計上された「一括交付金」の廃止である。道路改修や農地整備などの分野に限られるが、使い道で自治体の裁量を広く認める仕組みだった。現場では手続きの煩雑さや額の少なさから使い勝手が悪いとの声もあったようだ。とはいえ十分な検証もなく、あっさり白紙に戻すのはどうだろう。これからは従来の「ひも付き補助金」に戻し、財源は公共事業などに振り向けるという。分権どころか中央省庁の権限を強めたとの批判は免れまい。安倍政権は、地方自治への関心と熱意がどれほどあるのだろうか。確かに道州制の導入については語ってきたが、住民に最も近い市町村の将来像などを示しているとは思えない。法律上、国と地方は「対等・協力」の関係にあるはずだ。このまま双方に不信感が募るなら分権論議もおぼつかない。【
中國新聞2013年1月28日

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