多忙な日々、気ままに雑談放談
市職員の本務と組合役員の任務、二足の草鞋を履いているため、限られた時間を効率的に使うことを習慣化しています。平日の朝、7時半頃には組合事務所に顔を出し、組合関連の雑務をこなしています。さらに昼休みや夕方も組合業務に向かう貴重な時間に充てています。そのため、職場では夜間電話催告や休日訪問など係員一斉に従事する仕事以外、まず残業を行なうことはなく、所定の勤務時間内での集中力を高めています。
「時間外勤務が2000時間」と並べる話ではありませんが、組合の任務にかかわる時間を合算すれば相当の長さに積み上がっているはずです。それでも気分的にオンとオフの切り替えがあるため、そのような忙しさから疲れやストレスが蓄積することはありません。そもそも長い間、組合役員を務めている絡みから体に染み付いた当たり前な日常になっていました。ちなみに疲れやストレスがたまるとしたら、不本意な交渉結果を強いられた時や組合員から「口先だけの組合はいらない」と批判された時などが思い浮かびます。
少し前から自分自身のコメント欄へのかかわり方を意識的に減らしています。今年4月、「コメント欄雑感、2012年春」に記したとおり「レスを最低1日に1回は行なう」というこだわりから離れていました。8月に「このコメント欄の限界と可能性」を投稿した頃からは徐々に平日夜のコメント投稿を控え始め、最近は記事本文を更新できる時間が作れた休日に限るようになっていました。どうしても平日の夜は時間的にも気持ちの上でも集中しづらいため、言葉が不足しがちなコメント欄ではなく、記事本文を通して様々な問いかけに対してお答えするという方針に改めていました。
冒頭に日常の忙しさを綴りましたが、そのことを理由に今さら長年こだわってきた大きな方針を変えた訳ではありません。このブログを開設した目的から考えれば、コメント欄で不特定多数の方々の意見や考え方を伺える機会は非常に貴重なことだと受けとめています。さらに私自身も積極的に参加したコメント欄での迅速な「Q&A」が望ましいものと考え、半年ほど前までは1日に複数回レスすることも珍しくありませんでした。その際、時間的な労力を惜しむ感覚はなく、私なりの考え方を表明できる貴重さのほうが勝っていました。
しかし、あまりにも分かり合うことの難しさを痛感するようになり、どれほど自分自身が懸命に努力したつもりでも、分かり合えない関係性が生じることを当たり前だと思うようになっていました。加えて、コメント欄での中途半端なレスは批判意見の火に油を注ぐケースもあり、指摘された点に触れなければ「スルーされた」という批判も招いていました。そのようなことが積み重なる中、実生活に過度な負担をかけず、このブログを今後も続けていくためには週末更新の記事本文に集中することが適切だろうと考え始め、現在に至っていました。
もちろん寄せられたコメントは毎日欠かさず閲覧しています。前回記事「衆議院解散、今、思うこと」に対しては懐かしい方からのコメントも含め、本当に多くの意見や指摘をいただきました。平日の夜は「一切レスしない」と決めている訳ではありませんが、結局、見送ることの負担の軽さを選ぶようになっています。今から振り返れば、頻繁にレスを重ねていた頃が遠い昔の話のようにも思え、ブログとの向き合い方において平日の解放感に浸れています。二足の草鞋を履いている日常のことも記しましたが、こちらの習慣も一度離れると二度と戻れない話に繋がるのかも知れません。
さて、分かり合えない顕著な例として、前回記事のコメント欄でも話題になっていた地方公務員の政治活動の問題があります。これまで数え切れないほど同じような質問や批判を受け、その都度、当該記事のコメント欄で私なりの言葉を尽くして答えてきました。いずれにしても私自身の「答え」は前回の記事本文の中で紹介した「地公法第36条と政治活動」や「あえて政治的な話題を」に集約していました。さらに後者の記事の中では次のような個人的な見解も添えていました。
誰が見ても、組合の進めていることには大きな問題があり、不当なものだと認定されるような場合、速やかに改めていく潔さを持ち合わせているつもりです。そもそも冒頭に例示された問題なども、産経新聞のような主張が大勢を占めていくのであれば、必然的に法律も改正されていくのではないでしょうか。法改正に至らない場合でも、そのような声を無視できない情勢であれば、大きな方針転換に迫られるものと思っています。
また、前回の記事の中では難解な法律用語は避け、「具体的に何をしたら問題であり、このような行為はまったく問題ない、そのような判断の積み重ねの中で日常生活が営まれています。地方公務員や自治労の政治活動も、そのような峻別を前提に取り組まれていることを以前の記事の中で詳しく綴っていました」という説明を加えていました。逆に抽象的で分かりづらいと言われるようであれば、紹介した以前の記事をご覧いただければと考えていました。
分かり合えない場合、論点がかみ合っていないという焦燥感や苛立ちも言葉に表れがちです。たいへん恐縮ながら、このような傾向は双方に当てはまる話だろうと思っています。ここで、いつも訴えていることですが、このブログが「答え」を一つに絞る場ではないという位置付けに繋がっていきます。異なる視点や考えをお持ちの方々に対しても「なるほど」と感じさせるような意見が交わせる場として、書かれている文章や意味合いが重視されていくことを望んでいます。そして、そのような場として、私自身は週1回更新する記事本文に集中していました。
ここまでで充分長い記事となっています。それでも今回の記事タイトルを付けた際、触れようと考えていた話題も少し書き進めてみます。本来、この題材だけで一つの記事内容とすべき賃金闘争が水曜夜に決着しました。その前の週、木曜夜から金曜朝にかけて徹夜で労使交渉を重ねながら最終的な合意に至らず、週を超えて協議を継続していました。最大の争点は住居手当の支給見直しの問題でした。12月から持ち家への支給はバッサリ打ち切るという提案に対し、労使交渉の結果、一定の激変緩和措置を引き出すことができました。
翌日、木曜の午後は有給休暇を取り、二つの会場に足を運びました。一つ目は地元の競輪労働組合の定期大会に来賓の一人として招かれていました。その組合が推薦している防衛副大臣の長島昭久さんも呼ばれていましたが、ちょうど私の隣に座られていました。長島さんが先に挨拶を終え、退席されようとした際、「もし次が私の順番でしたら、あと3分ぐらいお時間ありますか」と厚かましいお願いをしていました。残念ながら私の挨拶の順番は、もっと後だったため、長島さんには直接訴えることができませんでした。
二つ目は連合三多摩の定期大会にあたる委員会で、議長を依頼されていました。指定された打ち合わせの時間が気になりながらも、競輪労働組合の定期大会での自分自身の挨拶は簡潔さが不足していたことを反省しています。 連合三多摩の委員会では後半の議長を務めたため、退任する際、自分なりの思いを一言訴えることができました。それぞれの要旨は共通したものであり、前回記事の最後に触れていた次のような内容でした。
解散した日に行なわれた野田首相の記者会見の中で、三つの言葉が強く印象に残りました。一つは連合が力を注いできたテーマを表した「働くことを軸として、安心できる社会を作っていく」であり、あと二つは「2030年代に原発をゼロにする」「強い言葉で外交・安保を語る風潮が強まってきたが、極論の先に解決策はない」という言葉です。個人的な思いとして、この三つの言葉こそ他党との明確な対抗軸になっていくものと考えています。
もともと持ち時間はわずかだったため、こちらは簡潔に話すことができました。ただ脇役であるべき議長の退任の挨拶としては少し気負いすぎていたことを反省しています。この木曜午後のエピソードをブログに掲げることで、また様々な意見が寄せられるのかも知れません。基本的に私自身の考え方の表明にすぎない「多忙な日々」の一コマだったため、あまり躊躇わずに触れています。仮に禁止の範囲を限りなく広げていくと、公務員は一切政治的な話題を口にしてはいけない、政治家と会話してはいけないという話にまで広がってしまうのでしょうか。
昨日、土曜の午前中には連合地区協議会のクリーンキャンペーンが行なわれました。4年ぶりに私どもの市での開催であり、今回もファーレ立川内のパブリックアートの清掃に取り組みました。ファーレ倶楽部の会長にもご協力いただき、アート38点の水洗いなどを通し、全体で109点もある芸術作品を身近に感じる貴重な機会となりました。最後に蛇足ですが、若手職員らと4人で卓を囲む機会や、午後からドライバーが復調して53から42までスコアをアップさせるなど、それなりに硬軟織り交ぜた「多忙な日々」であることも付け加えさせていただきます。
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