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2012年9月29日 (土)

文章の書き方、雑談放談

小学生の頃から文章を書くことが好きなほうでした。特に5年生の時の担任が作文に力を注がれた先生で、小説らしき文章を書き上げた時など、よくほめられたことを覚えています。ほめられれば、ますます好きになり、その後も文章を書くことに苦手意識のない人生を送れていました。そもそも苦手意識があれば、ネット上に拙文を掲げることに二の足を踏んでいたのかも知れません。

ただ苦手意識がないからと言って、そのまま完璧な文章を書けているかどうかは別問題でした。そのため、これまで『上手な文章を書きたい! 』『頭がいい人の文章の書き方』など、マニュアル本は何冊も読み込んできました。それでも欠点や癖が多く、完璧な文章を使いこなしているとは毛頭考えていません。特にブログでの文章は意図的に回りくどい言葉や謙譲語を多用している側面がありました。

したがって、このブログの常連の皆さんから「分かりづらい」という評価を受ける場合が多いことも覚悟しています。しかし、とりわけ記事本文を投稿する際は下書きを何回も読み返し、自分自身の中での基準をクリアさせた文章に仕上げているつもりでした。きっと「このように書けば良いのに」と思われている方も多いのかも知れませんが、明らかな間違いは極力避けるように努めています。

このような心構えは日常生活の中で文章を書く場合も同様でした。これまで年に数回、組合の機関紙に記名原稿を綴っていました。20頁ほどの特集記事を掲載した際、お読みいただいた組合員の方から幸いにも「分かりやすかったです」と声をかけられた時も少なくありません。わざわざ辛口な言葉を投げかけられる方は稀なのでしょうが、幸か不幸か今まで文章のレベルが平均以下だという認識を抱いたことは一度もありませんでした。

それが最近、複数の方から一斉に私の書いた文章は「読みづらい」と言われてしまい、物凄いショックを受けていました。指摘されて「なるほど」と素直に訂正できるような箇所であれば、それまでの話でした。しかしながら自分自身にとって決して誤りではない基準の文章に駄目出しがあったため、たいへん戸惑いました。その指摘を受けた点は現在形と過去形の使い方の問題でした。

これまで単調な文章とならないよう同じ語尾を繰り返さないように注意していました。マニュアル本には「同じ語尾が繰り返し出てくると、文章全体がどうしても単調になり、読み手は疲れてしまう」と書かれています。また、目の前の風景を現在形のみで描写すると、メリハリがなく、幼稚な文章となりがちです。同時進行の風景描写の中に過去形を入れられるのが日本語の特徴であり、次のような例文を示すことができます。

池には、鴨が泳ぎ、ボートが浮いている。なんとも、うららかな日和だ。池にかかる橋には、鯉にエサをやるカップル、家族連れの姿がある。

あるサイトでは、過去形は「起こってしまった事実」を表し、事実というのは「もう変化しないこと」であり、時系列の中で最も支配力のある言葉という説明が加えられていました。「カラスは黒い」という現在形では英語の教科書の直訳のような素っ気なさがあり、普遍的な事実を表した言葉にすぎません。それを「カラスは黒かった」と過去形で書いた場合、ある特定のカラスを示すことになり、受ける印象が変わるという説明でした。

ちなみに過去形を一般的な理解で受けとめた場合、「カラスは絶滅したことになります(笑)」という一言も付け加えられていました。長々と書いてきましたが、私自身、現在進行形の事象に対しても過去形は使えるという認識を持っています。例えば今、「持っています」と書きましたが、「持っていました」と書くこともできるはずです。それでも「持っていました」と書いてしまうと、現在は認識を変えているものと思われがちなのでしょうか。

さらに今回のブログ記事の冒頭では「書くことが好きなほうでした」と記していました。この一文によって「もう苦手なのかな」と思われた方が多いようでしたら、それこそ今までの自分自身の基準を大きく改めなければなりません。文章のリズムを配慮し、あえて現在形と過去形を混在させた書き方に努めていました。そのことが逆にリズムを悪くし、分かりづらい文章にしているようでは本末転倒な話でした。

今回、数人の方から同時に現在形と過去形の使い方に関する指摘を受け、改めてマニュアル本や関連サイトを読み返してみました。自分なりの結論として、明らかな誤用ではないものと考えていますが、複数の方から「分かりづらい」と批判されたことは紛れもない事実でした。その事実は事実として重く受けとめながら、今後、なるべく現在形と過去形の使い方で批判や誤解を受けないように注意していくつもりです。

このように記しながらも、どれだけ今回の記事本文の中で改めようとしているのかどうかは書き出しの箇所から説得力を弱めているようでした(苦笑)。実は今回の記事も、この先に書き進めようと考えていた内容が数多くありました。前置きのエピソードが膨らみすぎてしまい、地味な記事タイトルに落ち着いていました。次回以降の記事で詳しく触れるかも知れませんが、分かりやすい文章に向けて自分なりの努力を尽くしていても、他者から「分かりづらい」と言われてしまえば、読みづらい文章にすぎないという関係性に思いを巡らしていました。

このような関係性は、いろいろな場面でも当てはまるのではないでしょうか。今回、具体的な事例は示しませんが、文章の書き方一つ取っても手厳しい批判を受けたため、言語や歴史認識などが大きく違う方々と分かり合うことの難しさを痛感していました。最後に余談となりますが、複数の方から批判を受けた私の文章の一つに「民主党の支持率は下降の一途をたどっていました」というものがありました。決して「下げ止まり」を意図した一文ではなく、前述したような説明を加えていましたが、最終的には「たどっています」と訂正したところでした。

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2012年9月22日 (土)

原発の話、インデックス

どなたか特定の方を思い描いている訳ではなく、一般的な話としてお聞きいただければ幸いです。まず自分自身、たくさんのブックマークしているブログがあります。その中で、定期的に訪問しているブログは一握りです。さらに訪問した際、記事タイトル等から判断し、本文をじっくり読まない場合も少なくありません。中にはコメント欄での意見交換のほうに関心を持ち、本文はサラッと目を通すだけにとどまっているブログもありました。

ブログの管理人共通の思いとしては、訪れてくださった皆さんにしっかり記事の内容をお読みいただけることが本望であることに間違いないはずです。とは言え、自分自身も気ままな閲覧の仕方を日常としている中で、あくまでも管理人の勝手な願望に過ぎないことを充分理解しています。前回記事「コンプライアンス研修」のコメント欄で、私から次のようなレスを行なっていましたが、以上のような現状を踏まえたものでした。

右サイドバーの「最近の記事」に並んでいますが、くどすぎるほどコメント投稿に関する「お願い」となる内容を綴ってきました。とは言え、初めて訪問された方、常連の方でも記事本文は流し読みされている方、読まれていても無視されている方など様々だろうと思います。それはそれで仕方ないことですので、改めて端的な「お願い」です。

わざわざ他の閲覧者を不愉快にするような書き込み、視点や考え方が異なる方々を侮蔑するような書き方は慎んでくださるようよろしくお願いします。その主張が正しいのかどうか、それ以前の問題として共感しづらくなり、ご自身の品位も貶められているように感じています。なお、単なる不満のはけ口や罵詈雑言が目的でしたら、ぜひ、この場でのコメントはご遠慮ください。

これまで批判を受けがちな組合活動や運動方針に関し、このブログの記事やコメント欄を通し、自治労に所属する一職員労働組合の役員の立場からの説明や考え方を発信してきました。おかげ様で本当に多くの方々に訪れていただいていたため、同じような視点や発想からの批判が繰り返し寄せられていました。思い込みや誤解からの批判だけは少なくしたいものと願いながら開設していたブログですので、そのようなコメントに対してレスできる機会は貴重なことだと考えてきました。

しかしながら最近、「コメント欄雑感、2012年春」の中で綴ったとおり私自身のコメント欄への参加は極力控え、記事本文に集中するスタイルに切り替えていました。言葉が不足しがちなコメント欄での対応よりも、充分な時間が取れる週末、記事本文を通してお答えするパターンを定着させつつありました。一方で、冒頭に示したとおり皆さんが必ずしも記事本文を読まれていない現状もあり、本来、コメント欄での迅速な「Q&A」が望ましいことも確かでした。

それでも日常生活に過度な負担をかけないように心がけているため、コメント欄での丁寧さが欠けがちな点について改めてご理解ご容赦ください。なお、「読まれていても無視されている」と書いてしまいましたが、誤解を招く表現であり、少し説明を加えます。このブログの記事本文は私自身の「答え」を集めたものです。長々とした文章で記述の仕方などの拙さもあり、その「答え」の意味合いを理解いただけない場合が多いことも自覚しています。

また、私が説明や主張している意味合いなどを理解されても、ご自身の「答え」とかけ離れているため、頭の片隅にも引っかけていただけない場合があることも想像していました。そのような現状があることについて「無視されている」と記してしまいましたが、不愉快に思われた際は申し訳ありませんでした。いずれにしても以上のような現状や関係性を淡々と受けとめながら、自分なりのペースで今後も続けていくつもりですので、よろしくお願いします。

さて、今回も記事タイトルと無関係な内容の前置きが長くなってしまいました。「差し替え」という選択肢も頭に浮かびましたが、もともと今回はインデックスをメインとした記事の予定で、あまり長い内容を書き込むことは考えていませんでした。加えて、最後に掲げた新聞報道との絡みから次回以降に先送りせず、このタイミングで予定した記事タイトルの内容を投稿するほうが適当だろうと判断しました。と言う訳で、原発の話に関するバックナンバーを紹介させていただきます。

今回、原発問題のインデックス記事を投稿しようと考えた切っかけは、つい最近、「2030年代に原発稼働ゼロ」をめざす政府戦略が示されたことに触発されていたからでした。上記の「脱原発依存の首相会見」の中で記していましたが、関係閣僚と事前に充分な意思疎通をはかっていないまま「個人的な見解」を披露した菅前首相の行動を疑問視していました。今回はしっかり政府内で調整された上での発表であり、とにかくゴールを「原発稼働ゼロ」に定めた点について率直に評価していました。

上で紹介した記事「さようなら原発10万人集会」の後段では、ある懇談の場で首相補佐官の長島昭久さんに対し、脱原発社会を一刻も早く実現すべきと考えている私自身の立場を表明した後、民主党として原発に依存しない社会に向けた行程表を早期に示して欲しいと要望した話を綴っていました。そのため、このような小さな声が積み重なることで、大きな意思に影響を及ぼせる可能性も感じ取っていました。

言うまでもなく、全国各地で開いた意見聴取会、パブリックコメント、討論型世論調査、それぞれで原発ゼロを望む声が多数を占めていたことの影響力は絶大だったはずです。それでも「原発稼働ゼロ」の政府戦略に対し、すかさずマスコミの一部から選挙目当てだという批判の声が上がっていました。しかし、政府が主導した世論調査の結果を無視し、「原発稼働ありき」の結論を示していた場合、それはそれで強く批判されていたのではないでしょうか。

ただ残念ながら、その政府戦略は下記報道のとおり閣議決定には至りませんでした。多方面から予想以上の反発があり、今回は無理せず、強行突破しなかったものと思います。このことによって、また様々な角度から野田首相は批判にさらされていました。いずれにしても今後、原発稼働ゼロに向けた現実的な道筋を描き切れるかどうかが勝負のポイントになっていくはずです。ぜひとも、野田首相には脱原発依存の課題も、ぶれずに突き進んで欲しいものと願っています。ちなみに自民党の総裁候補全員が脱原発に消極的であるようですので、総選挙の重要な争点の一つに繋げられるのではないでしょうか。

政府は19日午前、2030年代の原発稼働ゼロを目指す「革新的エネルギー・環境戦略」について原文の閣議決定を見送った。古川元久国家戦略相が閣議後の記者会見で明らかにした。原発ゼロ方針に反対する経済界や原発の立地自治体などに配慮した格好だ。閣議決定した文章では「今後のエネルギー・環境政策については『革新的エネルギー・環境戦略』を踏まえて、関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」との表現にとどめた。

古川氏は「実際の政策決定プロセスを見据えたもので、内容を変えたわけではない」と強調。そのうえで「確かな方向性に向けて足元から一つ一つ具体的な政策を詰めていくことが極めて重要で、それが最終的に2030年代に原発ゼロが可能になる状況を作っていくものになる」との認識を示した。原発ゼロ戦略については18日の国家戦略会議で、民間議員である経済同友会の長谷川閑史代表幹事が反対を表明していた。【日本経済新聞2012年9月19日

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2012年9月15日 (土)

コンプライアンス研修

これまでアクセス数10,510件、訪問者数7,192人が1日あたりの最高記録でした。その日、Yahoo!のトップページに当ブログの記事の一つが掲げられたため、通常より段違いのアクセス数となっていました。火曜の夕方、やはりYahoo!のニュース画面に当ブログの以前の記事「休息時間の廃止」が関連サイトとして掲げられたため、アクセス数23,278件、訪問者数18,393人まで伸び、これまでの記録を大幅に更新していました。

ただ木曜には普段のアクセス数に戻っていますので、せっかく千客万来の機会を得てもリピーターを大幅に増やすようなマグネットが今一つ働かない地味なブログなのだろうと自覚しています。それでも記事本文が週1回のみの更新でありながら、毎日、アクセス数が4桁を超え、いつも500人以上の方々に訪れていただいています。ひとえに多くの方がコメント欄で貴重なご意見をお寄せくださっているおかげだと思っています。

最近、私自身のコメント投稿は意識的に控えるようにしていました。そのため、管理人の立場から即座に一言二言指摘しなければならないような書き込みがあっても、必ずしも逐次コメントしていませんでした。そのような姿勢は、問題視すべきコメントの内容や記述の仕方そのものを容認しているような印象を与えがちだったかも知れません。他にも個人的な気持ちとして、読んだ瞬間に指摘や反論を加えたくなるコメントも正直なところ少なくありませんでした。

それでも「コメント欄雑感、2012年春」の中で綴ったとおり私自身のコメント欄への参加は極力控え、記事本文に集中するスタイルに切り替えていました。「それは少し違うようです」と個別に指摘すれば、ほぼ間違いなく反論があり、さらに私から返答しなければならないパターンに繋がりがちでした。このブログを開設した趣旨から考えれば、本来、そのような意見交換は歓迎すべきものでした。以前はそのような意見交換に費やす時間や労力を惜しむことはありませんでした。

しかし、これまでの経験則から結局のところ最近の記事「このコメント欄の限界と可能性」で示した考え方に至っていました。「空手三段」に対する評価などが基本的に異なる方々との議論において、お互いが納得する「答え」を見出すことの難しさを痛感してきました。付け加えれば、コメント欄で寄せられる質問の大半は以前の記事本文等を通し、自分なりの「答え」を示していたものでした。初めて問いかけられた方に対しては申し訳なく思っていますが、機敏で丁寧な対応がはれていないことを改めてお詫び申し上げます。

いずれにしても私自身の「答え」を集約した記事本文をはじめ、寄せられたコメント一つ一つ、閲覧されている皆さん一人ひとりからどのような見方をされているのかどうかが肝心な点だろうと思っています。さらにコメント投稿への管理人の関与が不充分だった場合、議論の方向性が偏り、多様な意見を寄せにくくなる恐れもあります。また、殺伐した雰囲気の匿名掲示板になる心配もありますが、常連の皆さんからのご理解ご協力によって一定のバランスや節度が保たれた場になり得ているものと心から感謝しています。

いつものことながら記事タイトルとは異なる前置きが長くなっています。文字が多いという難点に繋がってしまいますが、これはこれで「雑談放談」をサブタイトルとした当ブログのスタイルですのでご容赦ください。さて、民主党と自民党の党首選の真っ只中であり、昨日金曜には「2030年代に原発稼働ゼロ」をめざす政府戦略が示されました。8月末には自治労の定期大会が函館市で開かれていました。このブログで取り上げたい話題には事欠きません。とは言え、取り上げないから関心が薄い訳ではないこともご理解くださるようお願いします。

今回、ずっと下書きの途中で投稿のタイミングを見計らっていたコンプライアンスの話を取り上げさせていただきます。前回記事「少しだけ公務員批判の話」の冒頭で触れていましたが、コメント欄での議論の流れから別なテーマの記事内容を優先し、本題に入るまでの前置きが長くなりすぎてしまい途中でタイトルを差し替えたこともありました。このような説明を加えていると「コンプライアンスそのものに関心が薄いからだ」という批判を受けてしまうのかも知れませんが、このブログで取り上げるかどうかに関わらず、極めて大事なテーマであることは言うまでもありません。

実は私どもの市で誠に残念ながら職員の不祥事や不手際が続いていました。このような事態を受け、組合から組合員の皆さんに向けて示した見解については最近の記事(福岡市の「禁酒令」から不祥事の問題)の中で触れたとおりでした。当然、市側も重く受けとめ、7月に非常勤職員も含む全職員1,700人を対象にコンプライアンス研修を開いていました。これまでもコンプライアンスに関する研修は頻繁に行なっていましたが、短期間に職員全員が一斉に受講するのは異例なことでした。

市側の危機意識の強さの表れであり、コンプライアンスの徹底化に向け、全職員の意識レベルを一定以上に引き上げるための一つの機会としていました。人材育成・研修の専門会社から講師を迎え、 様々な具体的な事例の紹介とともにコンプライアンスの定義や強化が進む社会的背景などの説明を受けました。自分自身、その研修が行なわれた意義や内容を改めて心に刻み付けるためにも、このブログの記事でも一度は取り上げようと考えていました。

コンプライアンスの定義は「社会の“きまり”を守り、ステークホルダー(利害関係者)の要求・期待に応えること」とされ、社会の“きまり”とは法令だけではなく、内部規範や業界自主ルール、社会規範まで含まれるという説明でした。ステークホルダーは市民、地域社会、職員、監督官庁等の行政などが例示されていました。近年のコンプライアンスは、単に法令等の規定に違反しないという消極的な意味にとどめず、より積極的に法令等の背景にある精神や時代の価値観まで遵守し、実践していく活動であることが求められていました。

一昔前の組織の常識として、不祥事は恥ずべきことで、隠さねばならないという意識が働きがちでした。現在の世間の常識(あるべき姿)は、社会的影響がある以上は誠実に説明しなければならず、不祥事の隠蔽は後で発覚した際に外部から強烈な批判を浴びるようになっていました。つまり隠すこと自体がリスクとなっていました。また、かつて内部統制の及ばない「聖域」が多く、そこから不祥事が起こりがちでした。それが「聖域」は疑わしい場所とされ、組織をガラス張りにして、仕事の標準化を行なうことが必要とされていました。

コンプライアンス違反を防止する体制づくりとして、実効的かつ納得感の高いルールの再構築が上げられていました。確立した業務フローやマニュアルに沿った適正な手続き、仕事の経緯や権限と責任などが書面化され、一つ一つの意思決定に対する説明責任の必要性などが丁寧に解説されていきました。印象深かったのは新しい仕事を引き継いだ際、マニュアルや前任者のやり方を疑うことの重要性が説かれた時でした。確かに何か誤りがあった場合、見直すチャンスとなりますが、漫然と引き継いでしまうと、その好機を逃してしまうことになります。

その他、すでに整備されている職員の内部通報制度についても詳しい説明が加えられました。正当な内部通報を行なったことを理由として、いかなる不利益な取扱いも受けないことなどが強調されていました。全体を通して一般論の研修内容と受けとめるのか、自分自身の身近な問題として切実感を持って受けとめるのか、人によって温度差が生じるのかも知れません。まず言うまでもなく、誰もが法令等を違反しようとは考えていません。しかし、誰もが「ヒヤリハット」の経験はあるはずです。

その研修では「ハインリッヒの法則」にも触れていました。1件の重大事故の裏には29件の軽傷の事故があり、さらにヒヤリとしたケースが300件あるという法則です。自分の仕事で考えれば、税情報という極めて重大な内容を日常的に扱っています。当たり前なことですが、意図的に情報を漏洩させるようなことは絶対あり得ません。ただ催告書を封入する際、宛名と未納明細書を取り違えて送ってしまった場合、わずかな注意不足ミスが重大なミスに繋がってしまいます。

「人間は過ちを犯すもの」という説明もありました。そのことを前提とし、小さなミスを致命的なミスには繋げない、せめて「ヒヤリハット」のレベルにとどめる手立てが重要であるものと強く認識しています。今回、研修のテキストを読み返しながら自分なりの理解や感想を綴ってきました。「ヒヤリハット」のことを持ち出しましたが、どれほど素晴らしい研修を受けても、どれほど完璧な組織や体制を作れたとしても、コンプライアンスの問題は私たち一人ひとりの自覚に左右されていくのだろうと思っています。

そのような意味合いからも、このブログでの題材の一つとして取り上げようと考えてきました。最後に余談ですが、少し前の記事内で触れた「三角ロジック」は今回の研修の中で出てきた考え方でした。その説明の際、講師がホワイトボードに「説得力」という言葉を書かれていました。すると「得」の字の右側「日」の下が「寸」と書かれ、「一」が抜けていました。思わず心の中で「それでは説得力が不足している」という突っ込みを入れていた自分でした。

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2012年9月 8日 (土)

少しだけ公務員批判の話

今回の記事タイトルをご覧になり、「また批判の話か」と思われた方も多いのではないでしょうか。当初、新規記事のタイトルは別なものでした。実は1か月ぐらい前から、そのタイトルでの投稿を考えていましたが、直近記事のコメント欄での議論の流れなどを踏まえ、ずっと別な題材の内容に変わっていました。また、よくあるパターンですが、本題に入るまでの前置きの文章が長くなりすぎてしまい、そのタイトルを途中で差し替えた時もありました。

もったいぶる訳ではありませんが、論点が拡散しそうですので、今回、そのタイトル名は伏せておきます。次回以降の記事で必ず明らかにできるものと思いますのでご容赦ください。と言う訳で、今回も前回記事「職務の話、インデックス」のコメント欄の流れを踏まえた話に繋げてみます。ちなみにインデックス(索引)代わりの記事の投稿を続けてきましたので、今回も「公務員批判の話、インデックス」が望ましかったのかも知れません。しかし、公務員批判というカテゴリーで過去の記事を分類した場合、かなりの数のバックナンバーを見つけることができます。

そもそも公務員への風当りが強まっている中、批判を受けている側の言い分もネット上に発信していくことの必要性を感じ、このブログ「公務員のためいき」の開設に至っていました。したがって、今から「公務員批判」をキーワードに以前の記事を検索していくのは相当な労力と時間を要する作業でした。そのため、ハナからインデックス・シリーズ(?)はあきらめ、タイトルに「少しだけ」を付ける運びとなっていました。それでも最近の記事「退職手当削減と人事院勧告」の最後に掲げた3件の記事だけは、この場でも改めて紹介させていただきます。

木を見て、森全体が批判されがちで、さらに「公務員は…」という属性批判の多さに悩み、やるせない思いを抱えている方が増えているはずです。懸命に自分の職務に励み、誇りを持っている職員であればあるほど、そのような悩みや思いを強めているのではないでしょうか。他人事のように述べていますが、このブログを長く続けている中で、そのような悩ましさに直面した事例は枚挙にいとまがありません。

一方で、このブログのコメント欄を通し、「公務員は…」という批判を受けがちな現状に真正面から向かい合うことができ、「それでは、どうしたら良いのか」という自問自答を繰り返してきました。完璧な「正解」を見出すことは難しいようですが、自分なりに模索した「答え」を上記3件の記事の中で綴っていました。今回の記事は、そのような総論的な話を焼き直すものではありません。最近、誠に残念なニュースに触れた後、目に留まった雑誌の記事がありました。今回、それらの紹介を中心に書き進めてみるつもりです。

東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市に応援派遣されていた盛岡市の男性職員 (35)が7月下旬に自殺していたことが24日、分かった。男性は「希望して被災地に行ったが、役に立てず申し訳ない」という趣旨の遺書を残していた。岩手県は支援業務が自殺の要因の一つになったとみて、被災した沿岸部の全12市町村に職員の心のケアなどを徹底するよう通知した。陸前高田市などによると、男性はことし4月、技師として盛岡市道路管理課から陸前高田市水産課に派遣された。

任期は1年間で、漁港復旧などの業務に従事していた。県が6月に男性と面談した際は、特に変わった様子などは見られなかったという。男性は遠野市内で7月22日、路上に止めた車内で死亡しているのが見つかり、遺書も車内にあった。県警は現場の状況などから自殺とみている。県によると、沿岸部の被災自治体で、県職員や他の市町村職員の応援派遣を受けているのは10市町村で計239人(1日現在)。派遣先は陸前高田市と大槌町がそれぞれ55人で最も多い。 【2012年8月25日河北新報

被災地の公務員にうつ病が急増していることは耳にしていましたが、応援派遣の職員が「役に立てず申し訳ない」という遺書を残し、自殺された報道に接した時は驚きました。率直な見方として、派遣の期間は限られ、戻る場所があるのにもかかわらず、自らの命を絶たなければならないほど追い込まれた心情に胸が痛みました。『AERA』最新号に「香山リカが見た被災地公務員の苦悩 誰からも評価されない」という記事が掲載され、この自殺の話が冒頭に触れられていました。

やはり他地域から漁港の復旧のために派遣された職員の言葉が紹介されていました。「前向きな仕事だから、やりがいはあるんです。でも、限られた派遣期間内で結果を出さなければならないし、自分には何もできない、役に立たないという焦りがひどい。いまは民間の寮にいるんだけど、入浴時間までに帰れないから風呂なしの日も多いし。自分らのように内陸部から派遣されている人間は、もともと沿岸にいる人たちとの“温度差”にも気を使うね…」という言葉でした。

どこまで自殺された職員の事情と重なり合うのか分かりませんが、応援派遣された大半の職員の置かれた現状をよく表した言葉だろうと思います。この取材内容の後に精神科医である香山リカさんの「被災地で働く公務員のこころのケア事業」を通した報告が綴られていました。その記事のリードには「東日本大震災から1年半。被災者の心の傷は癒えることがないが、中でも支援にあたる公務員が極度のストレス状態にある。公務員のケアにあたってきた香山リカさんが現状をルポする」と記されていました。ネット上で当該の記事は見当たらないようですが、同じケア事業の内容を掲げたサイトを見つけることができました。

東日本大震災により、大きな被害をこうむった地域の公務員たちが疲弊している。うつ病や深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する人たちが増えているのだ。精神科医の香山リカさんは、全日本自治団体労働組合(自治労)の依頼を受け、昨年の暮れから臨床心理士らとチームを組み、被災地の公務員のメ ンタルケアを行っている。

私たちが訪れたのは岩手県の宮古市・大船渡市・宮城県の気仙沼市・名取市・福島県のいわき市・南相馬市などです。公務員といっても、市町村の役場に務める方から学校の教職員や保健師など幅広いのですが、皆さんの話を聞くうちに問題の深刻さがわかりました。各自治体で、精神面の不調により、休職する人や退職する人たちが増え続けているんです」(香山リカさん)

自治労の資料によれば、宮城県内の公務員は、定年前退職数は'10年度が約330人。しかし震災後の'11年度には100人増の約430人になっている。 退職者のなかには、心が壊れてしまった人も多いのだ。自治体職員たちの危機的状況は震災から1年半たった今も続いている。それどころか、実はこれからがさ らに危険なのだと、香山さんは指摘する。

「震災発生から半年から1年は、皆が団結し、力を合わせて復興に向かう高揚した時期です。これを『ハネムーン期』と呼びますが、その時期を過ぎ、少しほっとして、色んな緊張がほぐれてきた1年から3年後くらいにかけて、支援者の間に、さまざまな精神疾患が現れるのです。実際、'01年9月11日のアメリカ 同時多発テロでも、2年から3年後にかけて、PTSDを発症した支援者たちがたくさんいました。それと同様のことが、今、東北の公務員たちの間で起こっているのです」(同)

住む場所や家族を失った怒りや悲しみは、市町村の役場の職員たちに向けられることも多かったという。自治労のアンケート調査で「被災住民から理不尽なクレームを受けた」と答えた職員は42.4%、「暴言や暴力を受けた」と答えた者も34.0%いた。

「こうしたストレスは、彼らの精神的な失調の原因にもなっていると思います。自衛隊員をケアしている精神科医の話では、自衛隊員は精神的な障害が比較的少ないそうです。それは、活躍がマスコミに取り上げられる機会も多く、被災者からも感謝されているからではないかといいます。"認められた"という思いが、 後遺症の発症を軽減しているということだと思います。逆に自治体職員は感謝されるどころか、罵倒され続けているわけですから、彼らのストレスはたまる一方です」【2012年9月3日Yahoo!ニュース

それでも改めて読み比べた時、『AERA』の記事のほうが被災地公務員の生々しい言葉が紹介されているため、深刻な実態や苦悩がヒシヒシと伝わってきていました。ネット上に公開されていない内容の引用は極力控えるべきものですが、いくつか原文のまま、それらの言葉を並べさせていただきます。

震災が起きる瞬間まではパソコンで書類を作る業務だった。それが次の日には遺体安置所でご遺体の衣類の洗浄していました。その後は土葬の手伝いをして、また掘り起こして火葬にして…

実は私のところの家族も行方不明になったんです。でも、避難所で寝泊まりしろ、と指示が出て。本当は早く安置所回りして見つけてやりたかった。

支援物資が来ると、まずは住民優先ですからね。市庁舎に寝泊まりしている職員は、賞味期限の切れたパンやおにぎりを、それも1個だけ、という日が続いた。

役場のテレビで自宅が津波に流される映像を見た。あ、オレん家だと思ったけれど、住民や部下のことを思ったら帰るわけにもいかなかった。

復興も進まないし、住民もだんだんイライラしてくるのはわかるんです。でも、何時間も怒鳴られ続けたり、土下座しろと言われたりしていると、だんだんこっちまでまいってくるんだよね。

医者になんか通っているところを見られたら、また地元の人たちから何と思われるか。やっぱり公務員は甘いんだ、自分たちは仕事も失ったのにあいつらは税金で高い給料をもらって、と思われるよ。もう少し自分でがんばってみるから。

うつ状態に陥っていることが考えられたため、香山さんが医療機関の受診を勧めた際、返ってきたのが最後に紹介した上記の言葉でした。このような思いで仕事を続けながら、周囲からの評価があまりにも低く、それどころか一方的な批判や非難が寄せられていました。最も過酷な任務だったはずの自衛隊員の精神的な障害の少なさが明らかになっていますが、「認められた」という思いが発症を軽減しているそうです。その対比で考えると、被災地公務員のストレスは癒させることなく、倍加する残念な現状だと言えます。

航空自衛隊松島基地では長淵剛さんの慰労ライブが開かれました。香山さんのルポでは、何も長淵剛に来てもらいたいとか思っている訳ではなく、せめて「大変ですね。お疲れさま」という程度の感謝の声があれば、被災地公務員の疲れやストレスも半減するのではないかと書かれています。もちろん、被災地公務員の方々へ感謝の言葉を発している住民の皆さんが大勢いらっしゃり、このルポに記された内容がすべてではないだろうと思っています。

とは言え、被災地公務員の心のケアが深刻な問題となっている事実はその通りであり、さらに輪をかけた話が報告されていました。いくつかの自治体では職員の上司となる首長までが同じような姿勢で部下を抑圧する姿も見受けられていました。香山さんが取材で聞き取った職員の言葉をそのまま紹介します。

まだトップが「がんばってくれてるね」と認めてくれれば、ちょっとは救われるんだけど、住民に向かって、「まだまだ職員にはやらせなきゃ」とか、「残業代はカットします」とか、なんだか公務員叩きみたいなことを強調しようとするんだよね。パフォーマンスっていうのかな。

この言葉を受け、香山さんは「身内に厳しくし、“ミニ橋下路線”を狙うことで有権者の支持を得ようとしているのだろうか。しかし、そんなことをしても下で働く人たちのモチベーションが下がるだけで、復興への道は遠のくばかりだ」という感想を添えていました。香山さんは結びの言葉として、被災地の公務員が健康な状態でなければ、結果的には復興が遅れ、誰にとってもメリットはないとし、被災地にまで及ぶ「公務員叩き」を憂いていました。

最初に申し上げたとおり今回の記事は、目に留まった雑誌の内容の紹介を中心に書き進めてきました。お読みいただいた皆さんの中からは、いつものように様々な感想や意見が示されるのだろうと思っています。「たいへんなのは公務員だから当たり前」「つぶれる職員は、すぐ辞めさせて新人を補充すべき」「自治労の調査で、香山リカのルポなんて話半分で聞けば良い」「橋下市長批判に繋げるのは強引だ」などという声も寄せられるのかも知れません。

それはそれで、それぞれの考え方ですので、いつも幅広い視点や立場からのコメントを受けとめていく場としています。また、話が広がり、記事本文のテーマから大きく離れたコメントが寄せられたとしても特に強く自制を求めていません。「改めてコメント欄について」で綴ったとおりの方針で、他のブログに比べて非常に「自由な場」として続けています。その一方で、しつこいほどコメント欄における「お願い」は繰り返し呼びかけてきました。要するに「誹謗中傷の類いはもちろん、他者を意図的に不愉快にさせるコメントは控えていただきたい」という1点に集約できる話ですので、ぜひ、ご理解ご協力くださるようよろしくお願いします。

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2012年9月 1日 (土)

職務の話、インデックス

このブログの中で、時々、自分自身の職務に関わる題材も取り上げてきました。現在、職場は納税課で徴税吏員を務めています。その前は市民課管理係に所属し、住民基本台帳法に基づく実態調査や人口統計に関する事務などを担当していました。市民課時代に当ブログを始め、当時の職務内容に触れた記事もありましたが、直接的な題材として扱っているのは納税課以降のものが目立っていました。前回の記事「平和の話、インデックス」と同様、今回は「職務の話」というカテゴリーのインデックス(索引)代わりの記事を書き進めてみます。

今回、このような内容の記事を投稿しようと考えたのは、ある方から「職務の存在意義やミッションなどに対しては、ほとんど熱が入っていない」という声がコメント欄で寄せられていたからでした。ただ週に1回だけ更新しているブログの中で、取り上げられるテーマも限られています。この問題に限らず、例えば大飯原発が再稼動した際、その話題について直近の記事で触れていなかったため、別な方から「だんまりを決めてきましたね」と批判されたこともありました。

多くの方々から注目され、ある意味で身の丈以上の期待(?)を寄せられるブログになっているのかも知れませんが、触れていないことで批判を受ける展開には少々悩ましいものがありました。そもそも職員労働組合執行委員長の立場を明らかにし、その責任や役割の範囲内を基本に綴っているブログですので、組合に関わる題材が必然的に多くなっていました。その中で、確かに数は多くありませんが、上記のとおり職務の話を直接的な題材とした記事も投稿していました。

ちなみに今の時代、組合の専従役員でもない限り、自分の職務に全力を注がないような職員は皆無に近いのではないでしょうか。あくまでも前述したような位置付けで続けているブログですので、たいへん恐縮ながら職務の話をメインとした記事は少なくなっていました。公務員の立場を明らかにしているのであれば、平和や政治の話よりも職務の話を前面に出さなければ「印象が悪くなる」という指摘もあろうかと思います。

それはそれで一つの見方ですが、現状は私どもの組合活動に対し、少しでも理解を得られることを願いながらインターネット上に開設しているブログでした。組合役員の任務を離れた後も、このまま「公務員のためいき」を続けていた場合、記事内容のバランスなどは大きく変わっていくのかも知れません。それでも今のところ以前の記事「このブログを始めたイキサツ」のとおり組合に関わる話がメインとなっていくことを改めてご理解いただければ幸いです。

また、私どもの市における「安否不明者放置事件の対処策を詳細に述べるなど、受身ではなく問題解決のための案を内実に明るい現場に身を置く立場からも出されてはどうかと思います」という意見もコメント欄で示されていました。そのため、この機会に現時点までの検証経過などを明らかにした市としての「高齢母娘死亡事例の検証」「母子死亡事例の検証」を紹介させていただきます。あくまでも行政側の関係部署が中心となって検証し、経営会議等で確認された内容です。

このブログに寄せられた先ほどのコメントは私自身、あるいは労働組合としても主体的に関わるべきだという意見だったものと理解しています。方向性や意味合い自体を否定する訳ではありませんが、やはり「司、司の責任」があり、個々人がその役割の中で問題に対処していくことが通常の組織のあり方となっていました。もちろん、一職員の立場、さらには労働組合の役割として意見具申や見解を表明することも可能です。

しかし、この問題に関し、私自身や労働組合が具体的な行動に至らなかったこと、ブログの中で詳しく触れなかったことでトゲのあるコメントが寄せられてしまうのは、前述したような悩ましさに繋がっていました。もしかすると、このような説明に対しても「消極的な姿勢だ」「無責任な体質の証し」などという批判の声が寄せられてしまうのかも知れません。誤解されないためには強調しなければなりませんが、今回の問題に関して当該の自治体職員としての責任を回避する意図は毛頭ありません。

繰り返しの話となりますが、このブログで触れていないから「職務に熱が入っていない」「大事な問題に対して関心が薄い」というような決め付けた批判は避けて欲しいものと願っています。参考までに今回の死亡事例を踏まえ、最近、自分自身の職務の中で取り組んだ事案を紹介させていただきます。連絡の取れない単身世帯の市税滞納者は少なくありませんが、転居した訳ではなく、郵便物等が長期間そのままだったケースの話でした。

高齢の女性の方であり、ルーチンワークとしての滞納整理業務上の調査よりも、安否確認の視点を優先した調査に入りました。その日のうちに他の部署の情報などを得る中で、別な場所に長期滞在している可能性の高いことが分かりました。遠隔地だったため、入手した電話番号に何回か電話をかけましたが、不在で留守録にも切り替わりませんでした。そのため、知り得た住所地に催告書を送ったところ未納分の一括納付に至るという徴税吏員の職務としても最良の結果を得ることができました。

徴税吏員の職務の話は、インデックスとして紹介した以前の記事の中で自分なりの思いを数多く綴っていました。改めて一つ上げるとすれば、私自身、徴税吏員であるとともに市職員であるという立場や役割を忘れてはいけない点でした。このあたりは「再び、職務に対する心構え Part2」を中で詳しく綴っていましたので、ご覧いただければ幸いです。言うまでもなく、このような心構えはすべての職務に当てはまる話であり、司、司の責任を全うしながらも狭い視野に陥らないよう留意していくことの大切さを常に感じ取っていました。

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