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2012年8月26日 (日)

平和の話、インデックス

ココログのブログにも過去の記事をカテゴリー別に分類整理できる機能があります。その機能を活用するためには新規記事を作成する際、内容に沿ったカテゴリーを決めながら更新しなければなりません。このブログを開設した当初、そのような機能を充分把握しないまま多くの記事を投稿していました。新規記事を作成する時、タイトル欄の横にカテゴリーを選ぶ欄があり、入力は必須となっています。

ただ「公務員のためいき」そのもののカテゴリーを入力する欄だと理解し、すべて「日記・コラム・つぶやき」を選んでいました。かなり後になって、前述したような機能を把握した訳ですが、すでに相当数のバックナンバーが積み上がっていました。投稿済みの記事のカテゴリーを一つ一つ変更するのも非常に手間がかかり、途中から新規記事のみを分類していくのも中途半端に感じ、その後もカテゴリー欄は「日記・コラム・つぶやき」に統一していました。

したがって、せっかくの機能も有効に活用できず、右サイドバーには投稿した月別の「バックナンバー」欄のみとなっています。カテゴリー別に検索できる機能を備えられなかったため、時々、前回「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。今回、タイトルに掲げたとおり「平和の話」のインデックスを中心に据えた記事の投稿を予定しました。

前回記事のコメント欄では靖国神社や領土を巡る問題で、様々な声が寄せられていました。最近の傾向として、私自身がコメント欄の意見交換に参加することを意識的に控えるようにしていました。実生活にあまり負担をかけず、このブログを続けていくためには週末更新の記事本文に集中することが適切だろうと考え始めたからでした。特に賛否や評価が大きく分かれるテーマに対し、言葉が不足しがちなレスは避けることの賢明さを痛感していました。

このような経緯や位置付けを踏まえ、新規記事の入力画面に向き合う中、「平和」をキーワードにした過去の記事を並べてみようと考えました。自分自身の記憶をたどりながら該当する記事を探していましたが、Googleで「公務員のためいき 平和」と検索すると関連した記事を見つけることもできました。後者の方法で、いくつか検索ワードを置き換えてみたところ思いがけないテーマの記事も探り当てていました。

「公務員のためいき 従軍慰安婦」でした。このような難しい題材を2回にわたって真正面から取り上げていたことを正直なところ忘れていました。記憶の曖昧さとともに積み重ねてきた記事の数の多さを感じ取る機会だったと言えました。そのような訳で、すべて網羅したインデックスになり得ているかどうか分かりませんが、このブログの中で「平和」関連の話を直接的な題材とした記事は次のとおりでした。

上記のすべてに目を通してくださる方は稀だろうと思っていますが、お時間が許せる際、一つでも二つでもご覧いただければ幸いです。この機会に私自身、一通り読み返してみました。投稿日順に並べていますが、これまでコメント欄で「いろいろな意見を謙虚に受けとめると言っていながら、まったく変わらない」という指摘(批判?)を受けていたとおり確かに自分自身の基本的な思いは一貫していました。

まず考え方の是非以前の問題として「自治労は平和運動から一切手を引くべき」という意見に対し、労働組合の本務と主客逆転することなく、無理のない範囲で取り組むという私自身の「答え」がありました。そして、取り組むのであれば、組合員の皆さんをはじめ、不特定多数の方々に向けた主張の発信も欠かせないものと考えていました。たいへんデリケートな問題をネット上に掲げるリスクも承知していますが、そもそも狭い範囲でしか理解を得られないような内向きな運動方針に過ぎないのであれば、即刻見直しが必要だろうと思っていました。

このような言い分は、それぞれ正しいと信じている「答え」が数多く寄せられ、私の考え方を改めさせようと力を注がれる方も増えがちでした。それでも前述したとおり私自身の基本的な思いは簡単に変わらないため、徒労感を大きくされた方も多かったはずです。日本国憲法の平和主義をどのように評価するかどうかで、様々な各論の選択肢が枝分かれしていくように感じていました。誰もが戦争を忌み嫌っているものと思っていますが、場合によっては武力行使を「やむを得ないもの」と考えるのかどうか、そのような論点があるように見ています。

このように記した以上、自衛隊について触れなければ、また思いがけない批判を招くことを憂慮しています。私自身、憲法第9条の範囲として専守防衛の役割を理解し、災害時における自衛隊の皆さんの献身的な働きには心から感謝しています。あくまでも外交カードの延長線上に武力行使があり得るような発想や、同盟国と一緒に戦争を遂行するための憲法解釈や改憲には反対の立場でした。

歴史認識の問題では、「侵略戦争ではなかった」「軍に強制された慰安婦はいなかった」という見方も頭から否定していません。当時の国際関係や国際法にそった韓国併合であり、中国との争いも「やむを得ない自衛のためだった」という言い分があることも承知しています。従軍慰安婦の問題は上記に紹介した記事のとおりの見解でした。しかし、このような見方がある意味で正しくても、傷付けられた側が同じ認識に立てない関係性も重く受けとめていました。

このような歴史的経緯や関係性を踏まえ、近隣諸国との付き合い方をどのように探っていくのか、たいへん難しい課題だろうと考えています。しかしながら最近の韓国の動き、李明博大統領の行動や発言は非常に残念な話でした。外交面での信頼関係を一方的に裏切る行為が続いているものと思っています。また、中国での反日デモの広がりや日本料理店が破壊される事態も憂慮すべき問題でした。それでも「目には目を」と同じ土俵に上がり、対立をエスカレートしていくようでは望ましい解決策を見出すことができないものと考えています。

そのような思いを抱えている中、ブックマークしている内田樹さんのブログ記事「領土問題は終わらない」の内容が目に留まりました。最後に、その記事の一部を紹介しますが、あくまでも私自身が「なるほど」と感じたとらえ方です。今回の記事本文の内容も含め、閲覧された方々一人ひとり様々な感想や意見があろうかと思います。いつもお願いしていることですが、ぜひ、視点や考え方の異なる相手にも「なるほど」と思わせるようなコメント投稿にご協力ください。案外、そのような心構えが良好な外交関係に向けた小さなヒントに繋がっていくのかも知れません。

中国人の「ここからここまでが中国」という宇宙論的な世界把握は2000年前にはもう輪郭が完成していた。「国民国家」とか「国際法」とかいう概念ができる1500年も前の話である。だから、それが国際法に規定している国民国家の境界線の概念と一致しないと文句をつけても始まらない。勘違いしてほしくないが、私は「中国人の言い分が正しい」と言っているわけではない。彼らに「国境」という概念(があるとすれば)それは私たちの国境概念とはずいぶん違うものではないかと言っているのである。

日清戦争のとき明治政府の外交の重鎮であった陸奥宗光は近代の国際法の規定する国民国家や国境の概念と清朝のそれは「氷炭相容れざる」ほど違っていたと『蹇蹇録』に記している。陸奥はそれを知った上で、この概念の違いを利用して領土問題でアドバンテージをとる方法を工夫した(そしてそれに成功した)。陸奥のすすめた帝国主義的領土拡張政策に私は同意しないが、彼が他国人の外交戦略を分析するときに当今の政治家よりはるかにリアリストであったことは認めざるを得ない。

国境付近の帰属のはっきりしない土地については、それが「あいまい」であることを中国人はあまり苦にしない(台湾やかつての琉球に対しての態度からもそれは知れる)。彼らがナーバスになるのは、「ここから先は中国ではない」という言い方をされて切り立てられたときである。華夷秩序では、中華皇帝から同心円的に拡がる「王化の光」は拡がるについて光量を失い、フェイドアウトする。だんだん中華の光が及ばない地域になってゆく。だが、「ここから先は暗闇」というデジタルな境界線があるわけではない。それを認めることは華夷秩序コスモロジーになじまない。

繰り返し言うが、私は「そういう考え方に理がある」と言っているのではない。そうではなくて、明治の政治家は中国人が「そういう考え方」をするということを知っており、それを「勘定に入れる」ことができたが、現代日本では、政治家もメディアも、「自分とは違う考え方をする人間」の思考を理解しようとしないことを指摘しているだけである。「強く出ないと相手になめられるから、弱腰になるな」というような中学生的交渉術を声高に言い立てる人間は「相手は自分と同じだ」と思っているからそう言うのである。自分だったら「弱腰の相手」にはどれほど無法な要求でもするつもりでいるからそう言うのである。だが、「自分が相手の立場だったらこうするだろう」という鏡像的想像だけで外交はできない。

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コメント

今回は領土問題がテーマですね、その点を踏まえて管理人にお尋ねします。
東京都の尖閣諸島購入には、もちろん組合として反対なさるおつもりですよね?
いつもは増税や原発再稼働をめぐって対立する我々ですが、都民の負担で無用な火種をつくる石原の軽挙妄動に対しては
一致して反対の立場を示すことができると認識しております。
はっきりと是非を明言していただきたい

投稿: 立川市民 | 2012年8月26日 (日) 21時55分

立川市民さん、早々にコメントありがとうございます。

今回の記事のテーマが領土問題だと絞られてしまうのは本意ではありません。平和に向けた私なりの考え方を提起した記事であり、その一つの総まとめとして「インデックス」に位置付けたものでした。なお、自治労連を支持されている立川市民さんからのお尋ねですが、組織的な議論に至っていませんので、あくまでも個人的な答えは反対です。

投稿: OTSU | 2012年8月26日 (日) 22時17分

内田樹氏
発想自体は、いいと思います。
中国人の行動を、日本人の発想で捉えるから腹が立つし、理解できない。
この総論自体は正しく的を射ているでしょうね。


但し、結論的には、弱腰外交はダメだと考えます。

日本の場合、刀狩の影響や、外敵からの侵略を防いだ海の存在で、極めて平和的な国民性が成立した特殊性は、考慮に入れなければならないでしょう。


特に問題なのは、日本人の一部にある「和」や「話し合い」志向。
大陸系の人の発想は、日本人ほどに「和」志向ではないんですよね。
日本人の場合、正論を引っ込めてでも「和」を重んじますが、大陸人は「和」よりも「正論」や「利益」を優先させる。
切り取れるモノは何でも切り取る、という傾向が強いし、攻撃に対しては過剰防衛が正当視されたりもする。
それは正しく、常に外敵に脅かされてきた社会背景が、DNAや社会認識に影響しているのでしょう。

また、大陸では、主張しないということは、主張を持たないんだということになる。
個性を発揮しないということは、大した個性がないんだろうということになる。
主張や個性を出さない=ない人間など信用できない
ということになる。

つまり、相手と信頼関係を築くには、こちらの主張や立場、個性をしっかりと表に出すことが、関係を築くための最初の第一歩なわけですね。
それを、相手が不快になるからとか、相手を怒らすからとか言って、譲歩ないし沈黙することは、正にあべこべ。
「なめられる」というよりは、一個の人格として信頼されない、相手にもされない、という話ですね。


大陸系の人々に対して、正論をもって強く出たときに、その後の関係がうまくいくといったエピソードは、いくらでもあるんですが。
もちろん、対中国人のエピソードもあります。
OTSUさんには申し訳ないですが、個人的には、内田樹氏のアンテナの狭さを感じてしまいますね。


では、強硬姿勢でいくべきなのかというと、そこも微妙な話です。
少なくとも、内田氏が言うように、なめられないようにとにかく強く出る、ということではうまくいかない。対立が深まるだけでしょう。

大事なのは、信頼関係を築くことが本位だと思います。
つまり、表に出る形で、強硬姿勢を打ち出す前に、個人レベルで主張を戦わせるわけですね。
その意味では、マスコミから、いわゆる「パイプ」とコキ下ろされるようなモノが不可欠だし、政府の人間には人間力が必要でしょう。
しかし、民主党の方々にそれがあるのかというと、心もとない。

人間関係がうまく築けてない状況で、パフォーマンス的に強硬姿勢に打って出ても、まず間違いなく失敗するでしょうね。


理想は、強硬姿勢なり筋を通すなりが可能な関係、状況を創った上で、毅然と行動に出る、と言ったところでしょうか。

外交は人間関係が基盤のはずなんですが、現在の政治家(官僚はどうなんでしょう?)は、この人間関係創りが、ものすごく苦手な印象がありますね。
苦手と言うより、そもそも人間関係構築っていう発想が、日本の外交にあるのかどうか・・・

こちら側が折れて関係を維持してもらおう、というような発想の人が、国のトップにいると、国の不幸ですね。

投稿: かもめのじょな | 2012年8月26日 (日) 23時57分

労組の利益と住民の利益、自分の主義主張と業務命令、常に一致しているわけではなく、相反する場面があってどちらを取るかはケースバイケースなんでしょうが…。
そうなると労使が対立しているのはベストでは無いにしても、癒着よりはマシなベターな状態でしょう。

いろいろ騒がれている大阪市ですが、労使の交渉状況や関係性が一目で分かるホームページを開設しているだけでも相当評価できます。これは大阪の有権者の努力の賜物です、自分も見習わなくてはなりません。

イデオロギーに関しては、個人レベルでも労組のような団体レベルでも、愛国売国平和主義軍国主義、どちらでも良いと思います。人の思想をどうこう言いって改変しようなんて僭越至極、業務に反映させなければ良いだけの話です。

投稿: かく | 2012年8月26日 (日) 23時57分

>労働組合の本務と主客逆転することなく、無理のない範囲で取り組むという私自身の「答 え」がありました。

組合員です。
労組のそういう答えに嫌気がさしてもう脱退しようと思ってます。
組合は労働条件を良くする、又は不当に悪くさせない為に必要だと思って我慢してきましたが、労組の平和活動の資金を提供するのはもうウンザリです。
貴方のその「答え」に組合員の何%が賛同しているのでしょうか?
非組合員の何%が嫌気をさしているのでしょうか?
貴方のその「答え」から行われる活動が、どれだけ労組の必要性を失わせ、実際に私のような者を生み出し、加入率低下により労組の存在を危うくしているか、考えた事はありますか?
若しくは実態を調査したことがありますか?(アンケート等)
平和活動をされたいのあれば、是非、専用の団体を作って加入者を集って行って欲しいものです。
労組を無くさないためにも・・・

投稿: | 2012年8月27日 (月) 03時41分

おはようございます。

今週の本文はいろいろ残念な内容ですが、すでに過去の「慰安婦」問題の
記事で、もやもや氏がコメントされてる内容が全てなので、私から申し上げる
内容は特にございません。

先週のコメントで下っ端氏が領土問題における、日本と中韓の関係を
大津市のいじめ問題を例としてあげていましたが、ぴったりな例えですね。

OTSU氏の論法でいけば、大津市の中学や教育委員会が日本で、ネット世論が
中韓の立場ですかね。真実はどうあれ、世論がいじめがあったと言う以上
大津市の中学、教育委員会、加害者は永遠に謝罪と賠償をし、その子孫は
非道な行為をしたと代々教育されて、被害者に対して100年後でも土下座して
謝罪しなければいけないわけです。ましてそこに議論の余地はありません。
なぜなら、世論(中韓)の気持ちを考え争いをさけるのが賢明だからです。
それでOKですね?

>立川市民氏
原発を全廃して、最終処分地はどこに設置するのか。
自治労連の提案をお聞かせ下さい。まさか停止させてそのまま
放置なわけはないですよね。

投稿: nagi | 2012年8月27日 (月) 09時48分

「権利」はそれ自体矛盾し対立する。「尊厳」はそれ自体矛盾し対立する。「identity」はそれ自体矛盾し対立する。
この事を理解していない人が多い。

従軍慰安婦や南京事件のように「嘘と捏造」に理解を示している者は「尊厳」を持っていないと疑わざるを得ない。
私が1000兆円に借金を怒っているのは「自分の利の為に子孫に付けを回している」行為が「尊厳」を失っているからだ。

「彼ら(中国や韓国)も辛い目に合った」などと感じ、嘘と捏造をマトモに相手する者は「尊厳」を失っていると同時に、この行為こそ「憎しみの連鎖」を生み出す最大の原因である事を早く知るべきだろう。

「お金の問題では無い!」と声高らかに訴える者ほど「money first」である事が多い。お金に執着を持っているから、「おもわず」お金で問題を整理しようと考えるからだ。お金に執着しない者は最初から「お金の問題か否か」自体が頭に浮かばないのだ。

記事の中の青線で書かれている内田氏の話は単に「外交では相手を良く見なさい」との「方法論」を書いているだけで外交の方針を示している訳では無いが、最後の「舐められない様に強硬に出るのは中学生的交渉術だ!」と批判している部分を見ると、どうも「語るに落ちた」と思わないでもない。

戦法論に終始し「尊厳」が「思考回路から抜けている」という点では「中学生的交渉術」と五十歩百歩だ。

投稿: あまのじゃく | 2012年8月27日 (月) 10時50分

公務員労組の存在は一般市民にとってほとんどリスクでしかありません。
非組合公務員にとってはリスクとメリット半々といったところでしょうか。
平和運動のような直接待遇改善とは関係のない政治活動に手を出すことは、組合に加入した公務員にとっても組合に不信感を抱かせかねない非常にリスキーな行為のはずなのに、どうもその認識と覚悟が組合から見えてきません。

主客を転倒しない、住民利益が最優先ということですが、プロパガンダとしては分かりますが、このような本音の飛び書くブログでは、そのような建前論は議論を停滞させてしまうと思います。
実際は職員の待遇は悪化の一途をたどっていますし、組合職員(あるいは組合)が自分の主義主張を住民利益より優先させてしまう場合もあります。自治労の反日的なところをことさら否定しても、他の人もしらけるだけだと思います。折角現役労組役員の方がブログ主をしているということもありますし、労組の本音を元に議論を進めたほうが却ってお互いの理解が進むのではないでしょうか。また、労組が一般人(あるいは組合職員)からどの様に見られているか再認識する機会にもなると思います。
例えば憲法上の理由から自衛隊に非協力的だったとしても、それを黙って実行されるより、表明して頂いたほうがこちらも対処のしようがあります。当局もそういう職員は災害担当から外すといった事前の措置も取れるでしょう。個人の主義思想は変えようがありませんので共栄は無理だとしても共存は出来るかもしれません。

しかし、コメント欄が荒れに荒れて収拾がつかなくなる可能性もあるかな…。

投稿: かく | 2012年8月27日 (月) 13時00分

孫子の兵法に「兵はき道なり」とある。要は「戦いは騙し合いに他ならない」という意味だ。

「外交はき道なり」と冷徹に実行する事に反対では無い。
「敵を充分に知る」とは、正に「き道」に必要なことである。

内田氏の論旨が「敵を知って、その裏をかくべし!」なら賛成する。

しかし到底「そう」読めないのだ。
彼は「中華思想」を分析し、それに唯唯諾諾と乗っかってしまっている。

私から見ると「冷徹を気取っている内田氏が最もそして最初に騙されている」としか思えない。

投稿: あまのじゃく | 2012年8月27日 (月) 15時14分

>かくさん
OTSUさんは建前論では無くて本気でそう思って行動してるのであろう

>名無しの組合員さん
組合自体の必要性は認めているのであれば、ご自身でアンケート取って組合員に問題提起してみては?
またアンケートとるまでもなく、大会に出席して「方針から平和運動を削除する」修正案を出してみれば、どの程度の人が組合の平和運動を支持しているかはわかるかと思います。

ネットでいくら熱く語っていても現実に働きかけないと動かないよ(^з^)-☆

投稿: ニャース | 2012年8月27日 (月) 18時48分

みんなの中で、平和がいい、戦争は嫌だ、という意識が広範にあって、平和運動にも組合の力を割いてよいということで、大会で方針や予算決算に賛成しているということなんだろうと思いますし、大会決議が組合としての意思になって執行部の行動を規定するのであるから、それを変えたいなら大会で問題提起するしかないし、否決されたら同じような考えの人を増やしていく中で変えて行くしかない

民主的な決定プロセスで決まったことに対して自分の思い通りにならないから辞める、というのはわがままだ、と自分の後輩にだったら説教する

投稿: ニャース | 2012年8月27日 (月) 19時24分

OTSUさん、どうも改めてお久しぶりです

平均すると年に一回も来ない私ですが、今回紹介いただいているエントリへの出現率が高いこと高いこと(笑
おそらくそれだけお互いの政治信条に違いがあるのかもしれませんが、事は内面の自由に関する事でもありますから、
日常業務と切り離しができるのであれば別に変る必要は無いでしょうし、信念を持って主張されればよろしいかと思います。

で、議論になっている組合の政治活動に対して違和感が表明される一番の理由は、「それって組合活動の範囲なの?」という
問いに対して、質問者が「納得」できるだけの回答が得られない所為でしょう。

説得ではなく納得と書いたのは、現状のコンプライアンスを厳密に解釈する社会の流れや、労組から政治資金団体が切り離された状況を考慮すると、
今後どこかで訴訟を起こされた場合に、活動が組合活動の範囲外認定される蓋然性が高くなっていくと思っているためです。

一旦範囲外認定されてしまえば例え内部での正当な議決を経ていようとそれは資産の目的外利用になりますので、現状の仕組みを守りたいのであれば
例えごく僅かの反対者であっても理解いただけるだけの労力をつぎ込む必要があるかと思います。
ただそこに必要となるリソースと、期待できる訴訟リスク低減が釣り合うかというとちょっと…

なので政治資金団体と同様に任意団体を作って、そちらで活動を実施するのがやはり双方にとって最善じゃないかな、と。
もちろん訴訟なんてコスト的に起こす奴いないよ、という前提で突っ走るのも一つの解ではありますけどね。

投稿: どうでしょう | 2012年8月27日 (月) 20時48分

夏も、もうすぐ終わりですね。議論も白熱していますが、本を一冊紹介したいと思います。


松尾あつゆき日記 原爆俳句、彷徨う魂の軌跡(長崎新聞出版室)


長崎を代表する原爆俳人松尾あつゆき(1904~83年)が被爆直後の心境をつづった日記類が見つかった。そこには、原爆で妻子4人を奪われた作家の、まことに哀切な心の叫びが記されている。(長崎新聞 2010年 原爆・平和企画なにもかもなくした松尾あつゆきの日記より)

十日 路傍に妻とニ児を発見す。

重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。

わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ

すべなし地に置けば子にむらがる蝿

臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい

十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。

なにかもかもなくした手に四枚の爆死証明


GHQの検閲に阻まれ、1955年に出版されるまで原爆句は長崎で広くしられるようにはならなかったそうです。

平和や防衛を考えるときは、現実をシビアに考えながら、戦禍に倒れた人々に思いを馳せるようにしています。

投稿: ためいきばかり | 2012年8月27日 (月) 23時02分

かもめのじょなさん、かくさん、2012年8月27日(月)03時41分に投稿された方、nagiさん、あまのじゃくさん、ニャースさん、どうでしょうさん、ためいきばかりさん、コメントありがとうございました。

このようなテーマを投稿した際、インデックスに掲げた過去の記事の中で繰り返し交わされてきた論点が浮かび上がってきます。労働組合が平和運動に取り組む是非について、今回の記事本文でも端的に触れていますが、紹介した最後の記事「沖縄に揚がる自治労の旗」の中で詳しく自分自身の問題意識を綴っていました。

したがって、2012年8月27日(月)03時41分に投稿された方らが提起されている話などは、このブログを通して認識を強めている現状でした。そのため、あえて当ブログでは今回のような記事内容を投稿してきた経緯もありました。もちろん、このブログは日常の活動をサポートするためのごく一部のツールに過ぎませんので、そのような問題意識を踏まえて現実の場面でも対処していました。

一方で、もっと労働組合は、かつてのように社会的な運動にも力を注ぐべき、職場内の活動のみに狭まることは問題だという声もありました。つまり私自身の問題意識や発想は軟弱であるという批判を受けるような構図もありました。このブログのコメント欄を通しても、そのあたりの構図があることをご理解いただけるのではないでしょうか。

組合運動に対するイメージや期待なども、個々人で幅が大きい現状を認識しています。このコメント欄では「答え」を一つに絞ることを目的としていませんが、現実の場面では常に「答え」を一つに絞らなければなりません。その「答え」がご自身の「答え」とかけ離れていた場合、組合との距離感が広がりがちな悩ましい現状があります。しかし、それがリアルな組織運営の宿命であり、日々、可能な限りその距離感が縮められるような工夫や努力を尽くしているつもりです。

週末更新の記事本文に集中すると記しながら、長々と書き込んでしまいました。思いつくままにキーボードを叩いていますので、分かりにくい文章かも知れず申し訳ありません。今回、たいへん気になるご意見が続いていましたので、その点に絞りながら取り急ぎコメント欄でレスさせていただきました。機会があれば、さらに記事本文でも掘り下げられればと考えていますので、乱筆についてご容赦ください。

投稿: OTSU | 2012年8月27日 (月) 23時16分

いじめにあったおとなしい子が突然相手の子を殺すことがある。この様に理不尽な状況が続き、ある一線を越えると突発的なことが起こる。
ある一線を越えると合理性など雲散霧消する。

中国は体制維持の為に「反日教育」を行った。何と自国民に「劣情教育」を行った。
自分の子供に「お金持ちを一生憎んで生きて行きなさい」と教育する事が如何に「愚か」かを考えると、中国人が如何に「愚か」かが分かる。

日本は戦争に負けたが、決して「劣情教育」を行わなかった。「反アメリカ教育」を行わなかった。それは「尊厳」を持っていたからだ。

中国人が劣情に苛まれようとも私の知った事ではないが、彼らの理不尽な物言いを看過していると何が起こるかと言うと、日本人の中に「理不尽さ」が鬱積するのだ。これを放置していると、結局「劣情対劣情」の戦いになって、何時「突発的な事」が起こるか分からなくなるのだ。

現に寧ろ日本人の中に「反中国感情」が芽生え始めている。否、巨大化していると言っても差支えない。
日本人は決して計算高くない。日清・日露・日米戦争を見ても、相手は当時の軍事大国で、大した勝算があった訳ではない。
理不尽な事を理不尽だと言わない事が、寧ろ日本を厳しい状況へと追い込んでいくだろう。

「平和・平和」とお題目を唱えていると平和がやってくると信じている人達をnagi氏は「お花畑」と表現したが言い得て妙だ。
平和は死に物狂いの努力でしか手に入らない。

最近の報道に「宮家」と言う人が出てくる。昔外務省にいた人だろうか?彼の話が面白いから紹介しよう。
○草食系平和主義から肉食系平和主義に変える必要がある。
○「文化」は国家間の戦いの道具にはなるが、それは「文化」を道具とする強い意志が伴って初めて「道具」となり得る。言いかえれば文化が政治と結び付いてこそ戦いの道具となる。

太平の眠りを覚ます蒸気船、たった四杯で夜も眠れず・・とは幕末の話だが、やはり日本は外圧でしか目が覚めんようで・・。

悪い事は言わん、早く核武装をする事です。

投稿: あまのじゃく | 2012年8月28日 (火) 10時20分

お疲れさまです。

OTSU氏の平和運動への取り組みは、強い信念に基づきぶれることが
ないので、評価しています。その健全な運動が、セクトなどに利用
されたり乗っ取られることがないことを願っています。

残念ながら、中核派や一部の先鋭化した人物により、平和運動と
呼ばれるものは非常に胡散臭い物に堕落しました。いつの日か
健全になることを期待しています。

それと、
私も核武装に賛成です。これほど核の問題になるとどの国も
騒がしくなるのは、それほど有効なカードになる証左でしょう。
日本は被爆国なので、非常に強い反発もあるでしょう。
しかし戦争であれ、犯罪であれ、理不尽な死に方は多大に
あります。原爆で死んでもナイフで死んでも、その理不尽さに
差異はないでしょう。
核だけを忌避しても、生物兵器や化学兵器、強力な通常兵器などは
よいのでしょうか。
自国だけが核を維持しても意味が無い状態にならなければ
核兵器廃絶など夢でしかありません。
私も戦争もテロも心から無くなってほしく思いますが
今後、人口増からくる食料不足や水不足で必ず紛争はおきる
でしょう。その時までに、諸国と話し合えるに必要なものを
備えもちたいです。日本の為に。

投稿: nagi | 2012年8月28日 (火) 12時54分

労働三権で保護されない労組の平和運動については別途団体を作って行うことを以前より述べていましたが、現役の組合加入者の方からもそのようなご意見があることは、自身の見方を補強するものとなりました。
労組の加入率が20%程度ですがサイレントマジョリティにとっては分けたほうが理解しやすいでしょうね。
過去の記事を掻い摘んで読みますと、ニン麻呂氏が平和運動に託けて家族旅行の旅費の一部を組合費から支出している輩について非難している部分がありましたが、原発反対運動などは労組とは別に子どもスペースも確保されているそうな。

労働運動も労働者の利益に叶っていない場合には分離しているようですし、真正労組と平和運動団体に分かれるなんてこともあっていいように思います。
しかし、一部単組の組織率の高さは不思議ですね。
資金目的で組織率を維持したい衝動は、どこの世界にもありますからね。

投稿: L | 2012年8月28日 (火) 17時03分

nagiさん
観念的には核武装は割と賛成なんだけど、
実際のところ、それやっちゃうと、隣の国は確実に核武装するよね。
しかも、下手すると本当に打ちかねないよね。
あと、菅総理みたいな人に、本当に核のボタン持たせていいのか、
これだけの政治不信の中で、核のボタンを持つ人が信用できるのか、
そういうところを解決しないと、ちょっと現実的には賛成できないな。

投稿: とーる2号 | 2012年8月29日 (水) 07時26分

>、菅総理みたいな人に、本当に核のボタン持たせていいのか、
これだけの政治不信の中で、核のボタンを持つ人が信用できるのか、

赤字国債法案など原則から逸脱している事が常態化するなど、悪法も法のうちになってしまった今の有権者がこの問題を受け止められるようになるには、今から啓蒙と教育を始めても二、三世代ほどかかるんでしょうね。
政治家は60年安保闘争を経て田中角栄以降、利権の配分屋に成り下がりましたが、あれから50年余り、どう転換しますかね?

投稿: 野次野 | 2012年8月29日 (水) 07時59分

おはようございます。

>とーる2号氏
おっしゃる通り、現実の運用において困難なことばかりです。
私もルーピーやバカ菅にゆだねるなど狂気の行いと思います。

誰かにゆだねるよりは、専守防衛の理念より、純粋な報復
システムの構築でよいと思いますよ。日本が攻撃や侵略を
受けたら、自動的に発射し、目標を破壊する。


本日のギャグ
>韓国外交通商省報道官は28日の記者会見で
>「過去の日本政府の謝罪や反省を無効化する行為とみるしかない」と批判した。
謝罪や反省をしてないと言い続けてるのは韓国だと理解していたが
まあギャクなんでしょうね。嘘の資料を堂々と展示したりHPに記載できる
国だからなあ。

投稿: nagi | 2012年8月29日 (水) 10時13分

おはようございます。
いまだに返答がないのでもう一度聞きます。

>立川市民氏
原発を全廃して、最終処分地はどこに設置するのか。
自治労連の提案をお聞かせ下さい。まさか停止させてそのまま
放置なわけはないですよね。
あなた個人の意見でも結構です。

投稿: nagi | 2012年8月31日 (金) 09時09分

あまのじゃくさん、nagiさん、Lさん、とーる2号さん、野次野さん、コメントありがとうございました。新規記事のテーマは一転しますが、またご覧いただければ幸いです。

なお、nagiさんからの質問に立川市民さんが対応されていませんが、コメント欄の常連の方でも必ずしも毎日訪れていないようです。特に週1回更新のブログですので、気長に待つ必要もあるようです。加えて、レスがなかったとしても、そのような「自由さ」を持った場であることもご理解ください。とは言え、ほぼ毎週、私に対して手厳しいコメントを加えている立川市民さんですから、必ず日曜の夜までには返答されるのではないでしょうか。

投稿: OTSU | 2012年9月 1日 (土) 10時04分

先ほど、動画サイトでたかじんを観ていたんですが、日教組は、歴史学的に否定されていることを教えているらしいです。

2012.1.30 20:46 (1/2ページ)[教育]産経新聞
 富山県で行われている日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会(教研集会)で30日、日中戦争の南京戦で報道された日本軍の“百人斬(き)り”を事実と断定して中学生に教える教育実践が報告された。

投稿: L | 2012年9月23日 (日) 23時53分

>Lさん

私は稲田朋美衆議院議員に注目していた関係で、百人斬り競争について論争があったことや名誉毀損を争う訴訟になったことは知っていましたが、「歴史学的に否定された」とは知りませんでした。
いつどういう形で歴史学的に否定されたと主張されていたのか、教えていただければ幸いです。

投稿: 対人手当 | 2012年9月24日 (月) 23時59分

対人手当 様

学問的検証とは言い過ぎでしたでしょうか?申し訳ありません。
歴史的事実がないということで下記URLをご参照ください。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120130/edc12013020470002-n1.htm

投稿: L | 2012年9月25日 (火) 00時32分

>Lさん、

早速のレス、ありがとうございました。
ただ、ご紹介いただいたサイトの記事を拝見しましたが、参考になる内容ではないように思いました。
百人斬りについては、肯定派と否定派のどちらも一面的な主張が多く、接していて戸惑うことが多いのですが、この記事も、原告側が控訴した名誉毀損訴訟で東京高裁は「『甚だ疑わしいものと考えるのが合理的』と指摘している」と述べながら、その裁判で原告側が控訴棄却判決を受けていることに触れていません。
こうした態度で「“百人斬り”は歴史的事実として認められておらず」と断言されても……というのが正直な感想です。
まだまだ真相は闇の中のようですね。

投稿: 対人手当 | 2012年9月26日 (水) 00時48分

Wikipediaによると、

「この競争の模様は、『大阪毎日新聞』と『東京日日新聞』(現在の毎日新聞)の、1937年11月30日付、12月4日付、12月6日付、12月13日付によって報道された。」

「なお、毎日新聞社が1989年(平成元年)に刊行した『昭和史全記録 Chronicle 1926-1989』には、この記事の百人斬りは事実無根だったことが記されている」

との下りがありますね。

報道した側が事実無根と認めているなら、教師が生徒に「事実と断定して」教える態度は、問題じゃないかなぁ。
「論争もあるが、」という態度ならわかるんですけどね。

あと、南京大虐殺は教えても、通州事件や尼港事件は教えない、とか。
そういうのは、教育者が取るべきでないダブルスタンダードだと思うんですけど、どうなんでしょうね。

投稿: とーる2号 | 2012年9月26日 (水) 01時50分

>対人手当氏

これらのことがらで問題なのは、特定の思想に汚染された教員が
一方的に日本を貶める内容を生徒に刷り込んでることなのです。

歴史的な事実や論争があることも解説してるならまだしも
この連中は一方的に日本を貶めている。だから反日教育と
言われ、なおかつ日教組もそれに組していると見られるので
売国組織と言われてしまう現状です。

投稿: nagi | 2012年9月26日 (水) 10時52分

とーる2号さん、nagiさん、コメントありがとうございました。

>とーる2号さん

早速、Wikipediaの該当項目を拝見しました。とーる2号さんが紹介された文が確かに載っていました。
しかし、私がLさん宛てのコメントで紹介した控訴棄却の話も載っていました。
こうした場合「最初に掲載した新聞が出来事の存在を否定したのに、その出来事が原因の名誉毀損を争った裁判で、何故原告側は敗れたんだろう?」と私は考えます。
これが一面的ではない物の見方だと思っています。

>nagiさん

肯定派であれ否定派であれ、それが一面的な主張しかできないのなら、「特定の思想に汚染されている」と言えるのではないかと思います。


投稿: 対人手当 | 2012年9月28日 (金) 00時43分

対人手当さん

はい、控訴棄却の話もありますね。
だから、その時点で「一面的ではない物の見方が必要」とお考えになることも
よく理解できますし当然のことと思います。
*************************************
但し、裁判所は事実があったか無かったかだけで判決を下すものではありません。
あくまで「名誉毀損」の裁判ですから、名誉毀損の
一次資料に当たっていませんが「何ら事実に基づかない新聞記者の創作による
ものであるとまで認めることは困難である」という事実認定は、決して裁判所が
「百人斬りが事実でない」と認定したものではない、ということをご理解下さい。
*************************************

もっとも、私は100人斬りが歴史的事実であったとか、そうであったのかを
ここで主張したいわけではなく、「百人斬り」そのものに事実としての疑問符が
ついているものを事実として教えようとする態度は、教師としては落第点しか
あげられないってことです。

子供に教えるべき大事なことの一つに、「論理的思考」とか、「科学的思考」が
あると思います。が、「百人斬りを事実として教え込もうとする」教師自体、
その「論理的思考ができない」ということにほかならないのです。

国語が出来ない国語教師、算数が出来ない数学教師、もっと適切な人間がいるだろうと思いませんか?

逆に、明らかな事実として証拠や根拠があるものについて、「トンデモ」的な主張を
事実だ、とか、一面的な主張はダメだ、として教え込むとしたら、それも同じです。


全然関係ない話ですみません。
新潟のとある共学校(但し男子は5人しかいない)が「韓国に修学旅行に行って、班行動で
生徒がそれぞれ教師も同伴せず個人宅に訪問する」などという計画を立てている
そうです。ソースがちょっとアレなんで半信半疑ではありますが、もし事実であれば
誰が企画したのか、生徒に何かあったらどうするのかちょっと聞いてみたいところです。
http://www.j-cast.com/2012/09/24147459.html

投稿: とーる2号 | 2012年9月28日 (金) 12時26分

途中抜けてますね。
名誉毀損の

名誉毀損の事実についての事実認定であり、百人斬りについての事実認定ではありません。

投稿: とーる2号 | 2012年9月28日 (金) 12時30分


とーる2号さん、返信ありがとうございます。

おっしゃるように、訴訟結果が即「裁判所が百人斬りが事実でないと認定した」ことにならないと私も思っています。
しかし、出版社が「事実無根と認めた」ことと訴訟結果との間に矛盾も感じます。
裁判所の「両少尉が『百人斬り競争』を行ったこと自体が、何ら事実に基づかない新聞記者の創作によるものであるとまで認めることは困難である」という事実認定があるのに、一方で「百人斬りは事実無根である」と言い切れるか疑問です。
その矛盾が解消できない限り、私は肯定も否定もできないと思っています。

近現代史の出来事は歴史の領域よりは政治的な文脈の中で語られることが多いようです。
そのことが、例えば「部分否定イコール全否定」による極論に繋がっていると感じています。
そろそろ、歴史の領域による部分否定と部分肯定を繋ぎ合せて答えを見つけていくという地道な作業が必要な時期なんでしょうが、そこに至るにはまだまだ時間がかかりそうですね。

なお、ご紹介のサイトの記事を拝見しましたが、意図がよくわからない記事だと思います。
要は「日韓関係が騒がしいこの時期に、修学旅行で韓国へなんか行かないほうがいいんじゃないの?」という話なんでしょうが、それに関連づけて、煽り気味のネット上の意見を「紹介」という形で載せながら強調されても…というのが正直な感想です。
この話は元々政治的な問題が原因ですから政治的な文脈の中で語られるのは仕方ありませんが、簡単に「煽リスト」に乗せられることなく冷静な視点で記事を書ける人はいないのかなと思います。


投稿: 対人手当 | 2012年9月30日 (日) 01時52分

新規記事も出ていますが、朝方投稿したはずがなぜか出来ていなかったようなので。

否定も肯定も出来ない、それで充分だお思います。
で、問題は「白か黒かはっきり断定できない場合、どう対処すべきなのかです。

列車内で「痴漢!」と手を男が逃げようとしたが周りの人に取り押さえられた。
その際、写真を取られTwitterで「こいつ痴漢」と拡散された。
一方、被害女性が「痴漢されたはウソでした」
と言い出した。そこで男は「痴漢捕まえた」と拡散した人間を名誉毀損で訴えたが、
「痴漢だと疑うに足る合理的理由が無かったとまでは言えない」として、裁判には負けてしまった。

どうでしょうか。こんな判決、あり得ると思いませんか。

通常、立証責任と言うのは、主張する側が証拠を提示して、その主張に合理的疑いがない、
ということをないといけないわけです。でもって、名誉毀損については、その証明を失敗した、と。
何ら事実に基づかない記者の創作に基づくとまでは否定できない、というのが条件だと、
かなりハードル高いです。裏返せば、記者の創作であったとしても、下書きに出来る何かの事実が
あればいい、ということですから。例えば裁判がGHQから開放された直後かつ本人が生きていれば
もっとハードルも低かったでしょうが、既に両名が48年に亡くなり、訴訟時点で55年です。
名誉毀損の保護法益も低く設定されたのは無理もないと思います。

ややこしいのは、最初の記事は37年、本多氏が問題のルポを朝日紙面に書いたのは71年、
毎日新聞が37年の記事を否定したのは89年、訴えを起こしたのは2003年なんですよね。
本多氏お頭に37年の記事があったのは当然ですから、71年以前に毎日新聞が記事を否定
していれば、裁判結果どころか、ルポ自身出ていなかった可能性が高いわけで。
まぁこの辺は歴史のアヤとでもいいましょうか。

それで、さっきの立証責任に戻ると、百人斬り論争について、「あった」とする側が
合理的疑いがない証拠を示したわけではない(と言うか、実際に自分で否定してます)。
だから、こういう場合普通どう扱うかというと、「無かったんじゃない?」とするのが
普通じゃないですかね。
あるいは「多分なかったけど、完全になかったとまでは否定できない。」とか、
どんなに「あった」とする側の方を持っても、「両論がある」までなんですね。
だから、「あった」と教え込むこと自体はやっぱりおかしいと思います。

そろそろ25年近くなりますが、昔中国の上海で列車が正面衝突するという
痛ましい事故がありました。結果、修学旅行が海外だった高校のうち数十校が
国内に修学旅行先を変更しました。大げさな対処と思うかもしれませんが、
生徒を預かっている学校としては止むを得ない判断だったと思います。
で、問題は今の日韓関係で考えたとき、仮に韓国で何かあった場合には
学校ではとても責任などとりようがないし、目的が日韓友好としても、
決定的に悪化させることにしか繋がらないんじゃないか、と思うのです。
教師・学校繋がりでつい書きましたが、修学旅行の件はやっぱり余分でしたね。

投稿: とーる2号 | 2012年9月30日 (日) 23時42分

ちなみに上海の事故では修学旅行でこの列車に高知学芸(この頃は高知で1番優秀な高校と言われていました)の生徒・先生が乗っており、生徒・教師28名が亡くなり、また36名が怪我をした事故でした。改めてご冥福を祈ります。

投稿: とーる2号 | 2012年9月30日 (日) 23時54分

>対人手当氏
すでにとーる2号氏が説明されているので追加すべきことはないのですが、

>肯定派であれ否定派であれ、それが一面的な主張しかできないのなら、「特定の思想に汚染されている」と言えるのではないかと思います。

「ある」ことを証明できても「ない」ことを証明することは困難です。
「ある」と確定しないことを教えることが問題なのは当然でしょう。
「ない」と考えてる者は「ある」と確定しない限り教える必要はない
もちろん「ある」と確定してることを教えないのは問題ありです。
よって上記の件は、不明なことを一方的な解釈で教えることは
「特定の思想に汚染されている」と言えるのではないかと思います。

ここが重要なのですが、少なくとも日本ではこのように議論も
できるし、肯定、否定などの教え方も可能です。
しかし韓国、中国は国が定めたことしか教えることができない
それが事実かどうか検証もできない。
そのような国家を賛美する連中がいることが全くもって
正気のさたではない。一言でいえば異常なのです。
韓国に修学旅行など国が規制すべき事例でしょう。

投稿: nagi | 2012年10月 1日 (月) 09時19分

 とーる2号さん、nagiさん、ご意見ありがとうございました。

 とーる2号さんのコメントの言葉を借りれば、私は「否定も肯定も出来ない」という考えだし「両論がある」という考えです。
 「問題は白か黒かはっきり断定できない場合、どう対処すべきなのかです」とおっしゃっていらっしゃいますが、何故、今、百人斬りについて、どう対処すべきかを決めなくてはいけないのでしょうか。
 例として挙げていらっしゃる痴漢の例のような我が身に迫った名誉の問題なら緊急性もあるでしょうが、とーる2号さんにとって、百人斬りの問題は急いで結論を出さなくてはいけないことなのでしょうか。

 私には、とーる2号さんもnagiさんも、急いで結論を、しかも否定側の結論を出そうとしているように思えます。
 その理由が私にはわかりませんが、少なくとも私は、先ほど認めたように、今の段階では「否定も肯定も出来ない」「両論がある」という考えであり、そのどちらが正しいかは慌てずに答えを探していこうと思っています。

 と、ここまで書いて気がつきました。
 お二人のコメントに「教え込む」とか「教えない」という話が出てくることに違和感を覚えたんですが、これは産経新聞の記事にあった日教組教研集会での長崎県の教諭の話を言ってるんですね。
 私は今までのコメントの中で肯定派・否定派ともにその態度が一面的過ぎることを批判したので、はっきり取り上げなくても私の意思は表明したと思っていましたが、明確に言葉で書かないと伝わらないんでしょうかねぇ…。

 では、改めて、
 長崎県の教諭が産経新聞の記事にあるようなことを教えていたのなら一面的過ぎる態度だと思っています。
 

投稿: 対人手当 | 2012年10月 2日 (火) 00時34分

>、明確に言葉で書かないと伝わらないんでしょうかねぇ…。

論点を的確に読み取り明確に応えないと誤解を生むのでした。

投稿: ボソッと | 2012年10月 2日 (火) 08時49分

「百人斬り」に関しては「あった」か「なかった」かです。言い換えれば「白」か「黒」かです。
早く「見極める」べきですね。「事実」をないがしろにする事は良くありません。

一方を主張する事は「偏り」ではありません。

投稿: あまのじゃく | 2012年10月 2日 (火) 09時42分

対人手当さん
はい、元々はLさんのコメントにありました、教師の態度が問題だと思っている訳です。

態度の問題と言っても、反日だ、とか、愛国心が無い、という意味ではありません。真実性に疑問が投げ
かけられているものを、事実と断定して教え込むことが問題だと思うのです。天皇が現人神である、と断定
して教え込むのと(向きは逆でも)変わらない。

こういう人は、教師には向いていないと思います。

投稿: とーる2号 | 2012年10月 2日 (火) 20時08分

おそらく、この件に関しては最後のコメントになりますので、ここまでの流れをザッと整理しておきます。

最初、Lさんのコメントの「歴史学的に否定されている」という部分への疑念を私は表明しました。
すると、Lさんから、学問的検証とは言い過ぎだったかもしれないというコメントとともに、裏づけとして産経新聞のサイトの記事を紹介されました。
しかし、その記事は、名誉毀損訴訟で東京高裁は「『甚だ疑わしいものと考えるのが合理的』と指摘している」と述べながら、その裁判で原告側が控訴棄却判決を受けていることに触れていなかったため、その偏狭な態度に、参考になる記事だとは思えないとコメントしました。
もし仮に、これが「裁判で原告側は控訴棄却判決を受けた」とだけ書いてあったら、印象は全然違うはずなので、この場合は当然、両方を併記すべきなのに、一方しか載せていない産経新聞の態度に疑問を感じたわけです。
しかし、同じ新聞記事を見て、とーる2号さんと(おそらく)nagiさんも、Lさんと私のやり取りとは直接関係ない部分に注意を向けたということのようです。

だから、

>ボソッとさん
>論点を的確に読み取り明確に応えないと誤解を生むのでした。

知りまへんがな、そんなもん。
Lさんとのやり取りを見て参加されたと思てた人が、実は違う所を見て意見を言うてたなんて思いませんわ。

>あまのじゃくさん
>一方を主張する事が「偏り」ではありません。

何、当たり前の事、言うてますねん。
私が言うてるのは「一面的な主張」への批判。
一方を主張する事と一面的な主張とは意味が違いまっせ。

>とーる2号さん

とーる2号さんの考えは何となくわかりました。
これ以上は互いの価値判断の違いでしょうから、これくらいにしておいたほうがいいようです。
わけのわからない方も出てきたようですし…。(笑)
お付き合い、ありがとうございました。

投稿: 対人手当 | 2012年10月 4日 (木) 00時46分

面白い人が出てきましたね(笑)。

自分では「どちらが正しいかは慌てずに答えを探していこうと思っています」と述べている所を見ると、結論を持ち得ていないようだ。
それを今頃になって「探そう」ですか?(笑)

私が言ったのは「結論を持っていない者」が「結論を持った者」に対して「一面的」なんて講釈をする暇があったら「ハヨ自分で結論を見つけなさい」って書いたんだ。

尤も「真実」を見つける気概も無いのに、やたら中立・冷静「風」が日本に沢山いたから、「南京事件」なんて「嘘と捏造」が蔓延る結果になったんだがな。

投稿: あまのじゃく | 2012年10月 4日 (木) 09時22分

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