平和の話、インデックス
ココログのブログにも過去の記事をカテゴリー別に分類整理できる機能があります。その機能を活用するためには新規記事を作成する際、内容に沿ったカテゴリーを決めながら更新しなければなりません。このブログを開設した当初、そのような機能を充分把握しないまま多くの記事を投稿していました。新規記事を作成する時、タイトル欄の横にカテゴリーを選ぶ欄があり、入力は必須となっています。
ただ「公務員のためいき」そのもののカテゴリーを入力する欄だと理解し、すべて「日記・コラム・つぶやき」を選んでいました。かなり後になって、前述したような機能を把握した訳ですが、すでに相当数のバックナンバーが積み上がっていました。投稿済みの記事のカテゴリーを一つ一つ変更するのも非常に手間がかかり、途中から新規記事のみを分類していくのも中途半端に感じ、その後もカテゴリー欄は「日記・コラム・つぶやき」に統一していました。
したがって、せっかくの機能も有効に活用できず、右サイドバーには投稿した月別の「バックナンバー」欄のみとなっています。カテゴリー別に検索できる機能を備えられなかったため、時々、前回「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。今回、タイトルに掲げたとおり「平和の話」のインデックスを中心に据えた記事の投稿を予定しました。
前回記事のコメント欄では靖国神社や領土を巡る問題で、様々な声が寄せられていました。最近の傾向として、私自身がコメント欄の意見交換に参加することを意識的に控えるようにしていました。実生活にあまり負担をかけず、このブログを続けていくためには週末更新の記事本文に集中することが適切だろうと考え始めたからでした。特に賛否や評価が大きく分かれるテーマに対し、言葉が不足しがちなレスは避けることの賢明さを痛感していました。
このような経緯や位置付けを踏まえ、新規記事の入力画面に向き合う中、「平和」をキーワードにした過去の記事を並べてみようと考えました。自分自身の記憶をたどりながら該当する記事を探していましたが、Googleで「公務員のためいき 平和」と検索すると関連した記事を見つけることもできました。後者の方法で、いくつか検索ワードを置き換えてみたところ思いがけないテーマの記事も探り当てていました。
「公務員のためいき 従軍慰安婦」でした。このような難しい題材を2回にわたって真正面から取り上げていたことを正直なところ忘れていました。記憶の曖昧さとともに積み重ねてきた記事の数の多さを感じ取る機会だったと言えました。そのような訳で、すべて網羅したインデックスになり得ているかどうか分かりませんが、このブログの中で「平和」関連の話を直接的な題材とした記事は次のとおりでした。
- 2005年 9月18日 組合の平和運動
- 2005年 9月20日 個別的自衛権と集団的自衛権
- 2005年10月 1日 避けて通れない拉致問題
- 2005年11月19日 拉致問題を考える
- 2006年 3月14日 在日米軍再編問題
- 2006年 3月25日 平和な社会を築くために組合も
- 2006年 5月 3日 憲法記念日に思うこと
- 2006年 5月14日 思い起こすのが「国旗」「国歌」法
- 2006年 7月17日 対北朝鮮決議と中東情勢
- 2006年 8月19日 ブログ開設から1年、されど靖国神社
- 2007年 4月29日 従軍慰安婦問題
- 2007年 5月 5日 従軍慰安婦問題 Part2
- 2007年12月 2日 平和憲法と防衛利権問題
- 2007年12月 8日 平和憲法と防衛利権問題 Part2
- 2008年 7月27日 ルワンダの悲しみ
- 2008年 8月 3日 原子力空母が横須賀へ
- 2008年12月27日 剣を売りて牛を買う
- 2009年 5月 3日 憲法記念日に思うこと 2009
- 2009年 5月10日 もう少し平和の話
- 2009年11月15日 アフガンの大地から
- 2010年 5月 2日 普天間基地の移設問題
- 2010年 6月 6日 沖縄に揚がる自治労の旗
上記のすべてに目を通してくださる方は稀だろうと思っていますが、お時間が許せる際、一つでも二つでもご覧いただければ幸いです。この機会に私自身、一通り読み返してみました。投稿日順に並べていますが、これまでコメント欄で「いろいろな意見を謙虚に受けとめると言っていながら、まったく変わらない」という指摘(批判?)を受けていたとおり確かに自分自身の基本的な思いは一貫していました。
まず考え方の是非以前の問題として「自治労は平和運動から一切手を引くべき」という意見に対し、労働組合の本務と主客逆転することなく、無理のない範囲で取り組むという私自身の「答え」がありました。そして、取り組むのであれば、組合員の皆さんをはじめ、不特定多数の方々に向けた主張の発信も欠かせないものと考えていました。たいへんデリケートな問題をネット上に掲げるリスクも承知していますが、そもそも狭い範囲でしか理解を得られないような内向きな運動方針に過ぎないのであれば、即刻見直しが必要だろうと思っていました。
このような言い分は、それぞれ正しいと信じている「答え」が数多く寄せられ、私の考え方を改めさせようと力を注がれる方も増えがちでした。それでも前述したとおり私自身の基本的な思いは簡単に変わらないため、徒労感を大きくされた方も多かったはずです。日本国憲法の平和主義をどのように評価するかどうかで、様々な各論の選択肢が枝分かれしていくように感じていました。誰もが戦争を忌み嫌っているものと思っていますが、場合によっては武力行使を「やむを得ないもの」と考えるのかどうか、そのような論点があるように見ています。
このように記した以上、自衛隊について触れなければ、また思いがけない批判を招くことを憂慮しています。私自身、憲法第9条の範囲として専守防衛の役割を理解し、災害時における自衛隊の皆さんの献身的な働きには心から感謝しています。あくまでも外交カードの延長線上に武力行使があり得るような発想や、同盟国と一緒に戦争を遂行するための憲法解釈や改憲には反対の立場でした。
歴史認識の問題では、「侵略戦争ではなかった」「軍に強制された慰安婦はいなかった」という見方も頭から否定していません。当時の国際関係や国際法にそった韓国併合であり、中国との争いも「やむを得ない自衛のためだった」という言い分があることも承知しています。従軍慰安婦の問題は上記に紹介した記事のとおりの見解でした。しかし、このような見方がある意味で正しくても、傷付けられた側が同じ認識に立てない関係性も重く受けとめていました。
このような歴史的経緯や関係性を踏まえ、近隣諸国との付き合い方をどのように探っていくのか、たいへん難しい課題だろうと考えています。しかしながら最近の韓国の動き、李明博大統領の行動や発言は非常に残念な話でした。外交面での信頼関係を一方的に裏切る行為が続いているものと思っています。また、中国での反日デモの広がりや日本料理店が破壊される事態も憂慮すべき問題でした。それでも「目には目を」と同じ土俵に上がり、対立をエスカレートしていくようでは望ましい解決策を見出すことができないものと考えています。
そのような思いを抱えている中、ブックマークしている内田樹さんのブログ記事「領土問題は終わらない」の内容が目に留まりました。最後に、その記事の一部を紹介しますが、あくまでも私自身が「なるほど」と感じたとらえ方です。今回の記事本文の内容も含め、閲覧された方々一人ひとり様々な感想や意見があろうかと思います。いつもお願いしていることですが、ぜひ、視点や考え方の異なる相手にも「なるほど」と思わせるようなコメント投稿にご協力ください。案外、そのような心構えが良好な外交関係に向けた小さなヒントに繋がっていくのかも知れません。
中国人の「ここからここまでが中国」という宇宙論的な世界把握は2000年前にはもう輪郭が完成していた。「国民国家」とか「国際法」とかいう概念ができる1500年も前の話である。だから、それが国際法に規定している国民国家の境界線の概念と一致しないと文句をつけても始まらない。勘違いしてほしくないが、私は「中国人の言い分が正しい」と言っているわけではない。彼らに「国境」という概念(があるとすれば)それは私たちの国境概念とはずいぶん違うものではないかと言っているのである。
日清戦争のとき明治政府の外交の重鎮であった陸奥宗光は近代の国際法の規定する国民国家や国境の概念と清朝のそれは「氷炭相容れざる」ほど違っていたと『蹇蹇録』に記している。陸奥はそれを知った上で、この概念の違いを利用して領土問題でアドバンテージをとる方法を工夫した(そしてそれに成功した)。陸奥のすすめた帝国主義的領土拡張政策に私は同意しないが、彼が他国人の外交戦略を分析するときに当今の政治家よりはるかにリアリストであったことは認めざるを得ない。
国境付近の帰属のはっきりしない土地については、それが「あいまい」であることを中国人はあまり苦にしない(台湾やかつての琉球に対しての態度からもそれは知れる)。彼らがナーバスになるのは、「ここから先は中国ではない」という言い方をされて切り立てられたときである。華夷秩序では、中華皇帝から同心円的に拡がる「王化の光」は拡がるについて光量を失い、フェイドアウトする。だんだん中華の光が及ばない地域になってゆく。だが、「ここから先は暗闇」というデジタルな境界線があるわけではない。それを認めることは華夷秩序コスモロジーになじまない。
繰り返し言うが、私は「そういう考え方に理がある」と言っているのではない。そうではなくて、明治の政治家は中国人が「そういう考え方」をするということを知っており、それを「勘定に入れる」ことができたが、現代日本では、政治家もメディアも、「自分とは違う考え方をする人間」の思考を理解しようとしないことを指摘しているだけである。「強く出ないと相手になめられるから、弱腰になるな」というような中学生的交渉術を声高に言い立てる人間は「相手は自分と同じだ」と思っているからそう言うのである。自分だったら「弱腰の相手」にはどれほど無法な要求でもするつもりでいるからそう言うのである。だが、「自分が相手の立場だったらこうするだろう」という鏡像的想像だけで外交はできない。
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