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2012年7月14日 (土)

大津市のいじめ自殺問題

大津市立中学校2年生(当時)の男子生徒が昨年10月、いじめを苦に自殺した問題は滋賀県警が大津市教育委員会や学校の強制捜査にまで乗り出す事態になっていました。このような局面に至り、市教委の澤村教育長は「自殺の要因の一つにいじめがあると思う」とし、いじめと自殺の因果関係を認める発言を行なっていました。しかし、あくまでも要因の一つであることを強調し、大津市の越直美市長が示した和解方針に逆らい、訴訟は続ける意向も明言していました。

大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺したのはいじめが原因として、男子の両親が市や同級生などに損害賠償を求めた訴訟について、市の澤村憲次教育長は13日午前、市役所で記者会見し、「訴訟は続けたい」と明言した。越直美市長は和解の意向を示しており、市と市教委で、正反対の見解が示された。17日に大津地裁で第2回口頭弁論が開かれる。訴訟を続ける理由について、澤村教育長は「学校については(市教委が)一定の調査をしたが、本人や家庭のことも明らかにされていくべき」と説明した。全校生徒を対象として実施した学校のアンケートなどをもとに市教委が十分調査したため、ほかの要因についても検討すべきとの考えを示した。

澤村教育長は12日の記者会見では、自殺の原因ついて「いじめがその一つになるとは考えられる」と述べ、初めていじめと関連する可能性を認めた。ただ、「家庭などさまざまな要因が考えられ、いじめだけが原因かどうかは判断できない」とも述べていた。一方、越市長は6日、いじめ問題で外部委員会による再調査を行うことを表明し、10日夜の記者会見では「私自身は、いじめがあったからこそ男子生徒が亡くなったと思っている」と発言。「完全に市教委の調査はずさんだったとわかった。今から調査し、しっかり事実確認できなかった場合は、大津市が責任をとって和解したい」と述べていた。【産経ニュース2012年7月13日

前回記事「さようなら原発10万人集会」のコメント欄も、この大津市のいじめ自殺問題の書き込みが続いていました。男子中学生が自らの命を絶たなければならなかったこと、その家族の悲しみや無念さなどを思うと本当に痛ましい事件でした。また、新たな事実が明らかになるたび、学校や市教委側の対応ぶりに批判が高まっていきました。このブログのコメント欄でも、学校や市教委に対する憤りの声が多く寄せられていました。

時間的にも気持ちの上でも集中しづらい平日の夜は、言葉が不足しがちなコメント投稿は控えようと考えていました。それでもコメント欄に即応できる環境が整いながら、まったく関わらないのも失礼だろうと思い、週の合間にいくつか私なりの感想などを述べていました。やはり案の定、いろいろ言葉が不足していたようでした。中途半端に書き足すのではなく、新規記事の本文で自分なりの意見を詳しく掘り下げることを約束していました。

まず学校や市教委の不誠実な対応、隠蔽体質だと批判されても仕方ない動きについて考えてみます。なぜ、ここまでいじめと自殺との直接的な因果関係を否定し続けているのか、きっと自殺直後の意思決定に重大な瑕疵があったものと推測しています。関係者からの情報収集が不充分だったのか、意図的に都合の悪い情報を軽視したのかは分かりません。しかし、結論を「いじめと自殺の因果関係については判断できない」とし、以降、すべてその方針に基づき対処していた姿勢が明らかです。

このような疑念が残る結論を導き出した背景として、教育評論家の尾木直樹さんは次のような見方を示されていました。「自殺といじめの因果関係は95%あると思います」とした上で、学校や教育委員会の隠蔽体質について「学校評価制度が入ってきて、学校にいじめがあるといっただけで校長の評価が下がる。自殺といじめの因果関係は難しいが、それを判断するのは専門のドクターや裁判官。ズブの素人の教育委員会がなかったと言い張ること自体が異常だと思います」と述べられていました。

ここまで事態が社会問題化するという見通しもなく、遺族が泣き寝入りすることで事件の風化を関係者は期待していたのかも知れません。つまり方針決定に大きな影響力を及ぼせる責任者の自己保身が、この痛ましい事件の対応ぶりに大きな誤りを積み重ねていった原因だろうと見ています。さらに大津市教育委員会に厳しい批判が殺到する事態に至りながら、当初の方針を大きく軌道修正できない硬直した姿勢についても組織のトップの資質が問われています。

ここで非を認めると、すべての責任を負うことになるという自己保身の上乗りが働いているのでしょうか。前回記事のコメント欄でLさんから「学校管理職と担任、教育委員会担当職員は、諭旨免職が相当だと考えます」という意見が寄せられていました。確かに大津市教育委員会の信用は失墜し、遅すぎるタイミングとなっています。とは言え、越市長が大きな判断を下したのですから市教委側も潔く非を認め、これまでの不手際に対して責任ある人物が出処進退を明らかにすべきものと思っています。

一方で、関係者全員に相応の責任があるのでしょうが、やはり従属的な立場かどうかで責められる重さも異なるものと考えています。本論から少し外れますが、この問題が注目を集めた当初、マスコミの矢面に立っていた方の肩書は課長補佐でした。要するに管理職末席の方が最も辛い役回りを押し付けられていた切ない構図を感じていました。役所でも民間会社でも、個人的な思いはかみ殺し、組織人としての発言に終始しなければならない場面があり得ます。

大津市のいじめ自殺の問題に触れた記者会見の中で、越市長と大阪市の橋下市長は目に涙を浮かべていました。その涙の純粋さを疑うものではありませんが、関係する組織の枠から外れているからこそ、個人的な思いをストレートに出せるという構図も押さえるべきだろうと見ていました。つまり不誠実な答えを繰り返す大津市の課長補佐は「悪」で、涙を流す橋下市長らは「正義」という短絡的な発想も控えなければならないはずです。

いずれにしても何が問題だったのか、誰が悪かったのかという検証は重要です。ただ痛ましい事件を教訓化し、いかに再発防止に繋げるかという視点が最も重要なのだろうと思っています。前述したおり尾木さんは学校評価制度のあり方の問題を提起されていました。そのため、今後、いじめや自殺者を出したことのマイナス評価よりも、事後の対応の仕方などを重点的に評価していくべきではないかという声も上がっていました。

続いて、前々回記事(福岡市の「禁酒令」から不祥事の問題)のコメント欄で、このような事件が起こったのは日教組の責任であるという投稿もありました。そのような見方には非常に違和感があり、前回記事のコメント欄で「私自身も確証的な物言いはできませんが、一般論として逆に組合がしっかりしていれば、学校側の隠蔽体質に対するチェック機能を果たせた可能性があったようにも感じていました」という感想を加えていました。nagiさんからのお尋ねもあり、改めて言葉不足を補わなければなりません。

市教委や学校側の責任者が一つの方向性を判断した際、一教職員の立場から「おかしい」と思ったとしても真正面から反対意見を訴えづらい組織上の関係があります。それに対し、労使関係においては使用者側と対等な立場になり得るため、組合員の声を代弁し、組合執行部は直接管理者側に意見具申できる役割を担えます。要するにトップの判断や意向が素早く実行される組織の表裏の問題として、日頃から批判意見も含め、上司が率直に耳を傾けられる雰囲気の大切さも思い返しています。参考までに以前の記事「組織の力、大事な力」も紹介しますので、ご覧いただければ幸いです。

たいへん長い記事となっていますが、もう一つ「今後、事件の真相解明と合わせ、場合によって加害少年らの責任も問われなければなりません。一方で、ネット上で加熱している実名や個人情報をさらした批判の仕方などは行き過ぎたバッシングだと思っています」という私からのコメントに対し、nagiさんから「いろんな意見があると思います。是非、本文で取り上げていただければと期待します」という注文も寄せられていました。

上記の言葉は額面通りの意味となりますが、定められたルールに基づいて処分が下されることの必要性を訴えていました。入手している情報の大半が事実であるとすれば、加害少年らは「場合によって」ではなく、しかるべき処罰の対象となります。しかしながら現段階でのネット上の盛り上がり方は、やはり行き過ぎだろうと思っています。このあたりについて、夜回り先生こと水谷修さんがテレビで語っていた話に共感を覚えていました。

最後に、金曜の夜、野次馬さんから「いじめそのものを根絶しようというのは、無理なんじゃないかなぁ・・・というのが、率直な思いです」と述べられた上、「なるべく多くの家庭で話し合う時間をもってもらって、もしいじめがあったとしたら、学校に行かなくてもいい、学校だけが居場所ではないし学びの場でもなくてもいいのだ、ということを子どもたちに知っておいてもらえたら、と思います」というコメントをいただきました。本当にその通りだと思い、長い記事の結びとして掲げさせていただきました。

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コメント

私は、1970年2月生まれで、大阪府池田市在住です。

私は、 池田市立細河中学校に通っていた時、 小柄だというだけで 、担任の江藤ますみと、複数の部落民である北古江(地名)の奴らに、いじめられていました。

江藤ますみからのいじめは、毎月、席替えがあったのですが、私だけが、教卓の前の席と、決められていて、席替えに、参加させてもらえませんでした。

部落民の奴らからは、毎日、「 小児麻痺 」と言われ続け、筆箱を、何回も壊されました。

私は、小柄ですが、勿論、小児麻痺ではなく、身体にも知的にもなんの障害もありませんし、私の母も、障害児を産む様な、卑劣で冷酷な女性ではありません。

江藤ますみも、 部落民の奴らに 遠慮し、「 小柄なあんたが 悪い 」と言い、全く 、注意もしてくれませんでした。

部落差別とかいうけど、池田市は、全く逆です。

今思えば、私の筆箱を壊した部落民の奴らを、器物破損罪で、刑事告訴して、少年院にぶち込んでいればよかったと、後悔しています。

私を、いじめた部落民の奴らと、席替え差別をして 私を、いじめた部落民の奴らを、全く注意をしなかった、江藤ますみを、一生許せない。

私は、部落民の奴らにいじめられた為、埼玉県狭山市で、女子高生を誘拐して殺した、人殺しの部落民の石川一雄を、一生、真犯人だと、信じることにしました。

私は、一生、部落民を嫌うことで、復讐する。

投稿: 大阪府池田市在住の女性 | 2012年7月15日 (日) 01時14分

教育行政の管理体制については、その独立性により外部からの干渉がなく、無責任な思考に呆れていることは以前より書いてまいりましたが、橋下市長にいよいよ期待するところが大きくなったようです。

尾木ママの言うように、権限もなく知見もない素人が真相を究明しようとすることも、日頃から真実など追求せず丸く収めることが至上命題となっている教員が、無責任に安請け合いしたようなものです。

OUTSさんの「遺族が泣き寝入りすることで事件の風化を関係者は期待していたのかも知れません。」という見立ては正鵠を射ていると思いますよ。
つまり、身分保障に甘えているんです。
課長補佐では主導的でないということですが、監督官庁が定めたルールに従わず、地方公務員法の服務規程に背き、正常な判断ができなかったのですから最低でも役職は解かなければなりません。

身分保障は行政の継続性のためにある、という解釈からは、彼らの身分は腐った制度諸共葬りさるべきでしょう。
身分保障が正義のためにあるとすれば、いじめを通報され学年主任以下会議に参加した教師など認識しえる立場にいた教師は声を上げ、それにより不利に扱われたのであれば異議申し立てという制度が保障されているのではありませんか。
学校の設置目的を基準とすると学校関係者の行動が正当化されるものはなにもありません。

組織運営至上主義の冷血漢は教育や福祉など人に携わる現場周辺には不要ですが、男性教職員などは管理職なり権限を持つと傲慢になるようです。

また、教育委員会は日教組と一体の地域もあり、滋賀がどの程度組合が影響力を持っているか知りませんが、管理職になるには組合の推薦などが必要なところもあるとの証言を得ています。
教育委員会制度を骨抜きにした影響力として日教組の罪は深いでしょう。

投稿: L | 2012年7月15日 (日) 01時31分

大阪府池田市在住の女性さん、Lさん、さっそくコメントありがとうございました。

大阪府池田市在住の女性さんのコメントは多数のブログにまったく同じ文章を貼り付けられているようです。内容面でも若干不適切な表現を感じていますが、今回は「いじめ」関連の記事本文でもあり、そのまま掲げさせていただきます。今後、このブログの記事へのコメント投稿として、著しい不適切さを判断した際は削除する場合があることをお伝えしておきます。

この問題から橋下市長への期待が高まる見方など、やはり個々人で感じ取るものが枝分かれしていくようです。内田樹さんのブログでは次のような「いじめについて」という記事を投稿されていました。人によって評価は大きく分かれるものと思いますが、参考までにその内容を紹介させていただきます。

http://blog.tatsuru.com/2012/07/12_1033.php

(以下、内田樹さんのブログ記事「いじめについて」原文です)

ある媒体から、大津市のいじめについてコメントを求められた。
書いたけれど長くなったので、たぶん半分くらいに切られてしまうだろう。
以下にオリジナルヴァージョンを録しておく。

今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。

それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。

私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。

子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。むしろ、子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人参と鞭」戦略を無批判に採用してる。

であれば、子供たちにとって級友たちは潜在的には「敵」です。同学齢集団の中での相対的な優劣が、成績評価でも、進学でも、就職でも、すべての競争にかかわってくるわけですから。

だから、子供たちが学校において、級友たちの成熟や能力の開花を阻害するようにふるまうのは実はきわめて合理的なことなのです。

周囲の子供たちが無能であり、無気力であり、学習意欲もない状態であることは、相対的な優劣を競う限り、自分にとっては「よいこと」だからです。

そのために、いまの子供たちはさまざまな工夫を凝らしています。「いじめ」もそこから導き出された当然の事態です。

「いじめ」は個人の邪悪さや暴力性だけに起因するのではありません。それも大きな原因ですが、それ以上に、「いじめることはよいことだ」というイデオロギーがすでに学校に入り込んでいるから起きているのです。

生産性の低い個人に「無能」の烙印を押して、排除すること。そのように冷遇されることは「自己責任だ」というのは、現在の日本の組織の雇用においてはすでに常態です。

「生産性の低いもの、採算のとれない部門のもの」はそれにふさわしい「処罰」を受けるべきだということを政治家もビジネスマンも公言している。

そういう社会環境の中で、「いじめ」は発生し、増殖しています。

教委が今回の「いじめ」を必死で隠蔽しようとしたのは、彼らもまた「業務を適切に履行していない」がゆえに、処罰の対象となり、メディアや政治家からの「いじめ」のターゲットになることを恐れたからです。失態のあったものは「いじめ」を受けて当然だと信じていたからこそ、教委は「いじめ」を隠蔽した。自分たちが「いじめ」の標的になることを恐れたからです。でも、隠蔽できなかった。

ですから、これからあと、メディアと政治家と市民たちから、大津市の教員たちと教委は集中攻撃を受けることでしょう。でも、そのような「できのわるいもの」に対する節度を欠いた他罰的なふるまいそのものが子供たちの「いじめマインド」を強化していることにはもうすこし不安を抱くべきでしょう。

私はだから学校や教委を免罪せよと言っているわけではありません。責任は追及されなければならない。でも、その責任追及が峻厳であればあるほど、仕事ができない人間は罰を受けて当然だという気分が横溢するほど、学校はますます暴力的で攻撃的な場になり、子供たちを市民的成熟に導くという本来の目的からますます逸脱してゆくだろうという陰鬱な見通しを語っているだけです。

投稿: OTSU | 2012年7月15日 (日) 08時46分

>、関係する組織の枠から外れているからこそ、個人的な思いをストレートに出せるという構図も押さえるべきだろうと見ていました。つまり不誠実な答えを繰り返す大津市の課長補佐は「悪」で、涙を流す橋下市長らは「正義」という短絡的な発想も控えなければならないはずです。

 政治的影響力を行使できる立場ゆえに甘えていますね。共産党の主張と重なるのですが、困難なものは使用者や経済界などより大きな責任を負う者に丸投げし、組合事務所の件でもそうですが、自分の権利は負の実態に目をつむり誇大に主張する。左翼と揶揄されるのもうなづけます。
そういえばこの教育長や校長も左翼的に責任回避しているように見えます。骨の髄まで組合的発想が染み込んでいるのでしょう。
 組織的な悪を擁護する論法ですが、このような他力本願の構成員ばかりでは軌道修正ができず、行政が軌道修正できない根源は職員の意識に帰結することを露呈しています。
 中国船の非道を暴いた海保職員のようなものがいるおかげで、世間は真実を知ることができるのですが、内部通報者の処分もイジメの発想と同じなのでしょう。

>一般論として逆に組合がしっかりしていれば、学校側の隠蔽体質に対するチェック機能を果たせた可能性があったようにも感じていました」という感想を加えていました。nagiさんからのお尋ねもあり、改めて言葉不足を補わなければなりません。
市教委や学校側の責任者が一つの方向性を判断した際、一教職員の立場から「おかしい」と思ったとしても真正面から反対意見を訴えづらい組織上の関係があります。それに対し、労使関係においては使用者側と対等な立場になり得るため、組合員の声を代弁し、組合執行部は直接管理者側に意見具申できる役割を担えます。要するにトップの判断や意向が素早く実行される組織の表裏の問題として、日頃から批判意見も含め、上司が率直に耳を傾けられる雰囲気の大切さも思い返しています。

 日教組の影響については、人事を通じて教育委員会と一体なのだから、日教組の体質がモロに影響していると言える。先にも触れたが教委、学校共に教職員であり、学年主任、生活指導担当、担任をはじめ皇〇山中学(東京新聞が公表済み)の教師もウソをつきダンマリを決め込んでいる。

投稿: (`Δ´)ー! | 2012年7月15日 (日) 08時56分

(`Δ´)ー!さん、コメントありがとうございました。

>政治的影響力を行使できる立場ゆえに甘えていますね。共産党の主張と重なるのですが、困難なものは使用者や経済界などより大きな責任を負う者に丸投げし、組合事務所の件でもそうですが、自分の権利は負の実態に目をつむり誇大に主張する。左翼と揶揄されるのもうなづけます。

上記のような批判は本意ではありませんので、誤解を受けそうな箇所について改めて補足します。組織の中で従属的な立場だったから、その責任が軽減されるような見方は持っていません。関係者全員が相応の責任を負うべき問題だと思っています。したがって、例示した課長補佐や担任の教師らの責任が重いことも言うまでもありません。

投稿: OTSU | 2012年7月15日 (日) 09時13分

組合がしっかりしているから隠蔽ができたんですよ。

日教組はさすがですね。
自分らを守るなら悪魔にでもなれる。


国家公務員の共産党系の組合はさすがにそこまで強制はできませんし
していませんから。まあ賃金削減で苦しいので組合はもうすぐ辞めますけどね。

しかし自殺?殺された生徒の親は
子供を守ってやれなかったんですよね。
最後の砦がこれでは・・。

子供が虐めれたらどうするかの教育の方が大切ですね。

投稿: ちょび@貧乏公務員 | 2012年7月15日 (日) 09時17分

ちょび@貧乏公務員さん、コメントありがとうございます。

記事本文における労使関係の話は私自身の経験に基づく記載です。必ずしも他の組合のことを詳細に把握していませんが、ちょび@貧乏公務員さんの「組合がしっかりしているから隠蔽ができたんですよ」という断定調の書き込みには違和感があります。私の認識不足の問題かも知れませんので、ぜひ、もう少し具体的に説明いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2012年7月15日 (日) 09時29分

>子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人参と鞭」戦略を無批判に採用してる。

リアルな学校は相対評価は否定されており氏の主張はあてはまりません。
個性を発揮し伸ばすことよりも理想主義的な「なかよし、笑顔、思いやり」などの友愛思想で草食的に育てられています。
イジメは自己承認のための心理的な反射行動だと個人的には考えていますが、それに対抗するためには他者の権利を尊重することと同じように自分を防衛するために道徳ではなくライフスキルを教えるべきですが、全くの手つかずです。
OTSUさんは現実をご自分の目では確かめていないようです。
 
>学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。

一見ごもっともですが、過度に保護された教職員が社会人としてに成熟していないのは、ある程度一般的な評価であり、未成熟な教師によって同じ過ちが繰り返されているさまを見ると丸ごと入れ替えるしかないでしょう。
市民社会が成熟するためには相互に信頼できる正義が存在しなければなりませんが、本工主義により悪を擁護する思想が主体的です。

個別にいえば、校長と教育長は免職以外はあり得ず、その他の職員も役職を解任し現場から一旦切り離し、懲戒処分により処分歴を明確に残すことが最低限度求められます。

投稿: L | 2012年7月15日 (日) 09時39分

>「組合がしっかりしているから隠蔽ができたんですよ」

ご承知のとおり、教委と加入率の高い教職員組合、すなわち日教組は人事の面でも一体です。
教職員が教委の事務方になることがあるはずですが、加入実態はとうなっているのでしょう?
労働者への攻撃ではなく、原子力村ならぬ教職員村の解体が必要なことを橋下市長は説いているのですが、以前より常々感じていたことでした。
モノゴトの決め方を見直す必要があるということです。

投稿: L | 2012年7月15日 (日) 09時48分

OTSUさんは「加害少年はしかるべき処罰の対象になります」と書いています。では貴方が組合員を含めた全ての人間に対してこの様な信賞必罰を求める事は出来ますか?
若し「理不尽な処罰」と「正当な処罰」を区別できるのならば、組合に反対する理由は全くありません。

「競争」とは「お互いが切磋琢磨し、己の能力をより発揮させる道具」である面と「相手を引きずり降ろし、その不幸を望む原因」との両面があります。
本来の教育とは「その両面」を直視して行うものです。

内田某さんの書き込みにもあるように「片方」ばかりに光を当てて、「もう片方」を無視してきた歴史が教育を歪めてきたのです。

「助け合い」などという美辞麗句に酔いしれて、「競争は悪なり」とのたまう御仁は更に教育を歪めるだけでしょう。

いじめなど人間の本性だ。あって当たり前だ。美辞麗句に酔いしれているから「いじめ」を理解できないのだ。だから「止めさせるべきいじめ」が見えないのだ。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月15日 (日) 09時59分

Lさん、あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

内田樹さんのブログ記事も一つの見方として紹介しています。もちろん私自身の記事本文もその一つです。日教組や身分保障の問題も、まったく関係ないと断じているものではありません。この大津市のいじめ問題から反省すべき点は多々あるはずです。したがって、それぞれの意見は意見として基本的に尊重していかなければなりませんが、違和感が残る箇所だけは指摘せざるを得ない点についてご理解いただければ幸いです。

あまのじゃくさんの「貴方が組合員を含めた全ての人間に対してこの様な信賞必罰を求める事は出来ますか?」というお尋ねですが、そのことを今までも否定している立場ではありません。基本的な考え方は最近の記事(福岡市の「禁酒令から不祥事の問題)の中で記したとおりでした。

投稿: OTSU | 2012年7月15日 (日) 10時18分

日本の文化の中に、原発問題にしても、子供の虐待にしても、いじめにしても、何にしても、
免責を設けて、何が起きていたか? 何が問題と思うか?
を問う制度がない。
免責がないので、事実解明の途中で責任追及のようになりそれを恐れて正確な証言が得られない。

他方で、現行の法律の中で、徹底的な責任追及をしない。
責任追及の場では、その立場にあるだけで責任を問うのは可哀そうというかわいそう論(責任を問われるためにある立場であり、責任を遂行するための権限と予算と年収があるにもかかわらず)が起き、追求が中途半端で終わる。

結果として、問題の箇所を修正する機会を失い、過失の責任があっても庇い合うことで甘えが生まれ、同じことが繰り返される。

閑話休題。
教師は、他の教師と比べられることを極端に嫌う。
差がつくことを嫌う。
できる教師、意欲的な教師の足をひっぱることで、怠けている教師を目立たなくさせる。
教師になりたてのころ意欲的だった教師も、数年絶つと怠けている方が楽と気づき、怠けているほうが職場に受け入れられ易いとわかると、怠け教師側にころぶ。
こうして、新しい怠け者教師が再生産されていく。
こういう教師の風土を一掃させたいと思っているのが、橋下市長。

投稿: #&♭ | 2012年7月15日 (日) 10時41分

内田樹さんのブログ、すごいですね。
よくも、まあ、こんな歪んだ見方を、臆面もなく綴れるものだと思います。ま、「歪んでる」っていうのは、私の個人的見解ですが。


彼の「歪み」の原因は、ニ点に収束するでしょうね。
競争至上主義が蔓延してるんだ、という見立て。その競争主義は、人にマイナス影響を与えるんだ、という見立て。
この前提を絶対視した上で、全てをここから判断を積み重ねてるわけですな。そこの前提基盤に対する懐疑的思考も一切ない。


例えば、教育現場では、競争の結果を見て、できる子は伸ばし、できない子には教える。この自然すぎる営みがなされているケースも多い。優劣をつけることが主眼ではなく、優劣と言う個性を知った上で、個性に応じた対応をしよう、自分の個性に合った生き方を学ぼうということでしょう。
それを、「優劣」という現状と向き合わせることをタブー視するかのような発想に、多くの国民は違和感を抱くわけですね。

確かに存在する個性~優劣~を、全く意識させることなく育てる危険性。
人間は遺伝子レベルから、既に競争しています。社会も競争と無縁には成り立ちえないものです。
一歩、学校から出て、競争を上から否定してくれる存在がいなくなったとき、いやが上でも競争にさらされることになります。それは悲劇の始まりにほかなりません。
優位に立つ者は、偉いと思い込み人を見下すし、劣位に立つ者は壊れることもあるでしょう。

大事なのは、「優劣」という個性の一要素とどう向き合うかです。
それを、例えば、見下すのに使うか、あるいは謙虚さにつなげるのか。そこの扱い方を学ばせないと、結局、今のネット上の醜いやりとりのようなのが、蔓延することになるわけです。


「自己責任だから」とか「無能だから」とかいう、いじめの理由づけは、ある意味で表層的な根拠に過ぎないですね。なぜなら、そういう人達のうちの全てがいじめられてるわけではなく、また、特段何か劣ってるわけでもない人、優秀な人ですら、いじめられることがあるからです。
むしろ、例えば、閉鎖的というか社会性に難のあるインテリが、他人を見下す姿勢。いじめの根源的な原因は、こちらの方にこそ近いものです。
他人より優位に立って、優越感にひたりたい、という欲求。
いじめる側という「輪」に入りたい欲求(単に、仲間が欲しいという欲求ですね。それがたまたま「いじめ仲間」というような)。


こういう欲求って、競争社会でないところには生まれないと本気で考えているんでしょうか、この方は。
例えば、公立小学校の低学年で、ほとんどの生徒が塾に通ってないような学校もありました。どちらかと言うと田舎だし、特段何かを競い合うことは教えられてなかった。そこには、競争原理は働いていないわけです。
でも、そこにも、いじめは確かに存在していました。


子供ってのは、ちょっとしたことでストレスを感じるものです。親の言うことに反発したり、物事がうまくいかなくて反発したり、それは、正にストレスの処理にほかなりません。そういったストレスのはけ口として「いじめ」という発散方法に依存するケースが出てくるわけです。
競争社会だからストレスを感じるわけではありません。
(仮に競争社会でなくなったとしても、別の社会環境に対するストレスが出てくるだけですな)

こういったストレス要因は、除くことはできません。生物としての本能に起因するわけですから。
となると、大事なのは、ストレスの要因を取り除いてやることではなく(そんなもの不可能に決まってる)、生じたストレスをどう発散させていくのかを学ばせることです。


内田樹さんのような思考とそれに基づく実践が、却っていじめを生むという悪循環を招いている、と私なんかは分析しています。
心が強ければ、他人を見下す欲求も湧かないし、他人をいじめる欲求も湧かないわけです。ネット上でも壊れやすく傷つきやすい連中が、日々、他人に攻撃を加えています。
大事なのは、保護ではなく、心を鍛えることです。
教育に際しては、ストレスを与えて、そのアフターケア、学習機会等を提供するべきでしょう。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月15日 (日) 11時46分

あ、そうそう。
今回の大津事件の教育関係者の場合、「いじめ」が怖くて隠ぺいしようとしたんですかね?

その要素はあるでしょうね。
Ⅰ.告発すれば、他の教育関係者から村八分に合うというもの。
Ⅱ.組織全体が社会的な批判を受けるというもの。

Ⅰそれ、「失態がいじめにつながる」とか言う話とは全く関係ないでしょう。
Ⅱ組織に対する批判は、いじめ?
競争社会でなかったとしたら、そんなことは起きない?

ま、皆まで言わずとも、お分かり頂けると思いますが。。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月15日 (日) 11時54分

引用した部分は、職責よりも権利が勝る労組の自己弁護を代弁しているかのようです。

>その責任追及が峻厳であればあるほど、仕事ができない人間は罰を受けて当然だという気分が横溢するほど、学校はますます暴力的で攻撃的な場になり、子供たちを市民的成熟に導くという本来の目的からますます逸脱してゆくだろうという陰鬱な見通しを語っているだけです。

投稿: (`Δ´)ー! | 2012年7月15日 (日) 13時36分

身内の不祥事を隠蔽するのは、組織であれば民間、公共関係なく行われてますよね。
民間でも、いくらでも隠蔽や揉み消しを行っているじゃないですか。

そういった組織は、バレればそれ相応の社会的制裁を受けるのです。
大津氏の教育長や教員なども、遅かれ早かれこのままでは済まなくなるでしょう。

懲戒免職が適切かどうかは私にはわかりません。
今後の展開しだいでは、そこまでの処分もあり得るかもしれません。

個人的には、ウダウダ言ってないでさっさと辞任しろ・・・と言いたいですが。

しかし、○と○世代が社会に出てきてから、いよいよ世の中が歪んできていると思うのは、私だけなのでしょうか。
私は、全ての体罰を排除した時から、教育や育児といった歯車が狂ってしまった気がします(あくまで、個人的な感想で)

投稿: 下っ端 | 2012年7月15日 (日) 21時46分

バレても身内の大甘処分でお茶を濁すのが行政の常です。

投稿: 野次の弥次郎 | 2012年7月15日 (日) 21時57分

〇は「ゆとり教育」のことですね。

投稿: 野次の弥次郎 | 2012年7月15日 (日) 21時58分

#&♭さん、かもめのじょなさん、(`Δ´)ー!さん、下っ端さん、野次の弥次郎さん、コメントありがとうございました。

内田樹さんのブログ、思った以上に様々な反論がありました。昨夜、記事本文を投稿し、ちょうど今朝になって内田さんの該当記事を知ったため、このコメント欄で紹介したところでした。ちなみに「いじめについての続き」もあります。今回はURLだけの紹介にとどめますが、興味のある方はご覧になってください。

http://blog.tatsuru.com/2012/07/13_1032.php

投稿: OTSU | 2012年7月15日 (日) 22時29分

ちょっと別の観点から。

自殺は痛ましいことだし、いじめが原因なのはほぼ間違いないでしょう。
先生が誰も気がつかなかったというのもあまりに不自然すぎるし、学校や
教育委員会の対応も非常に問題があると思います。

ところで先週のコメントで小役人さんがこんなコメントをしていました。
「役人に限らず民間人も同じではないでしょうか?
 しょうがないよ。
 人間だもの。」

それで思ったのですが、そもそも学校や教育委員会に「いじめや自殺を防ぐための
組織的な仕組み」というものがないんじゃないでしょうか?

民間にも、確かに某焼肉チェーンや、雪印のようなものもありますが、
トップに危機意識があれば、適切な措置を適切なタイミングで行うことで、
かえって評価を高めることもできます。一方で、役所には、日頃の業務はともかく、
そういう「余分な」ことに取り組むインセンティブがあるようにも思えないのです。

もともといじめというものは決して無くなるような性質のものではないと思います。
いじめる側が悪いにせよ、大人だったらスルーすることが出来るようなことが、
子供同士では「カチン」と来たことをいじめに繋げてしまうこともあるでしょう。
これらは暴力・喧嘩同様、ひどくなる前に大人が間に入っていくしかない。
だから学校も「いじめかもしれない」という意識を持ち続けなければいけない。

現状でそれが出来ないなら、授業は塾の講師などにまかせ、生活指導は警察とか
自衛隊からしかるべき人に来てもらって、教育してもらってはどうでしょうか。
(必ずしも警察や自衛隊でいじめが無いとも思いませんが、学校組織以外で
教育機関を有する数少ない組織の1つだと思います)

いずれにしても犯罪的行為の防止の観点で言えば、最低限、警察OBの雇用などで
常時来てもらうくらいのことは必要だと思います。
予防措置、接し方などいくらでも聞けることはあるはずです。

今回の事件でひとつ救いがあるとすれば、愛知県蒲郡市の中学校で「自殺に追い込む会」
というものをつくっていじめていた事件が、自殺に至る前に学校からの指導でいじめが
なくなったらしいとのことです。

この事件を通じて、学校側や教師に危機意識が高まったことによるものだと思いますが、
その危機意識を是非すべての教育者には持ち続けて欲しいです。

投稿: とーる2号 | 2012年7月16日 (月) 00時48分

>「役人に限らず民間人も同じではないでしょうか?
 しょうがないよ。
 人間だもの。」

民間のうちの下の方に合わせる思考には、憤りすら覚えます。
人1人見殺しにされた状況でも、それを持ち出す発想は、全くもって理解不能。

公務員は、国民に仕えることが仕事で、それを分かって就職した人々。そして、税金で生活が支えられている人々ですね。
公務員の方には、ある種の覚悟を持ってもらう必要があるし、国民もそれを求めるべきだと思います。

我々は、この国の構成員として、公務員の皆さんの「民間でもよくある話だからしょうがない」というエクスキューズを絶対に許してはなりません。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月16日 (月) 09時05分

根拠は法令にあることを既に記していますが、かもめのじょな様のご意見は、公務員の不祥事全般に対する世間一般の憤りを端的に記したものですね。

これはもう頭で理解するよりも世論を後ろ盾にした政治力でしか実行し得ないでしょう。

官民格差の振り子は官に有利な方向に傾いていますが、振り子の振り幅が大きいほど反動も大きいという物理法則が働くかもしれません。

>公務員は、国民に仕えることが仕事で、それを分かって就職した人々。そして、税金で生活が支えられている人々ですね。
公務員の方には、ある種の覚悟を持ってもらう必要があるし、国民もそれを求めるべきだと思います。
我々は、この国の構成員として、公務員の皆さんの「民間でもよくある話だからしょうがない」というエクスキューズを絶対に許してはなりません。

投稿: L | 2012年7月16日 (月) 11時06分

かもめのじょなさん

半分は言ってることはわかるんです
このタイミングでその発言はどうなの、感覚おかしくない?という意味で。

一方で、公務員の不祥事をもって公務員全体を批判するなら、民間だって…という気持ちも理解は出来るかな。
確かに、民間の下の方、に限らないんですよね。不祥事って。オリンパス、大王製紙、東電だって純粋な民間企業
ですしね。株主に損害を与えるのはOKってことだと、オリンパスや大王製紙、東電の株主が聞けば怒るでしょう。

どちらにしても不祥事自体が悪で、引き起こした当事者は批判されるべきで、再発防止が必要で、似たような
立場にいる方は他山の石とすべきだってことでいいんじゃないでしょうか。

投稿: とーる2号 | 2012年7月16日 (月) 11時26分

いじめ自殺は特に顕著だが学校マネジメント側の不適切な対応がバッシングを受ける度に地域が違えど同じ過ちを繰り返している。
(大津市関係者の口調は、日常的に聞いているそれと似過ぎるくらいです。)
その度に文科省は対応策を講じ現場も研修などを通じて周知しているはず。
なのに一向に現場のマネジメントは現実に対応できずに目を背け続ける。
これは元凶が制度であろうが学校マネジメントの全国的な悪しき体質としか言いようがない。
そして制度運用には地場権力や日教組などの意向が世間の目の届かないところでうごめいている。
地方でも行政はドロドロな体質のようです。


皇子山中学校に限れば人権についての研究校だったようです。
つまり、人権教育については優秀だと学校村では見なされていたわけです。

投稿: L | 2012年7月16日 (月) 11時58分

公務員の人達は何か勘違いをしているようですね。

公務員が間違いを犯したから、皆怒っているんじゃなくて、間違いに対して正当な処罰がなされないから怒っているんですよ。

何時になったらそれに気づくのかね?重要なのは「もうやりません!」ではなく、やった者を正当に処罰する事だ。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月16日 (月) 12時44分

私は「役人が事実隠蔽のために、特別な教育を受けているのではないか?」との問いに対し、
役人も民間の方も、自己保身のために結果そうなっていると述べさせていただきました。
当方の省ではそのような教育はあありません。

だたし公務員はその立場上、常に国民視点に立ち、自ら襟を正していく必要があります。
個人的には、民間と公務員が同様の不祥事を犯した場合、公務員には2割増程度の処分が下されるべきと思います。
加えていうなら過度な身分保障は撤廃するべきでしょうね。
ただし、その場合には労働3権を与えることは必要ですが。

投稿: 小役人 | 2012年7月16日 (月) 13時35分

>あまのじゃくさん

そんなことは、十分わかっていると思いますよ。
そうなると、正当な処罰が焦点になるのでしょう。

先に、公務員を庇うための発言ではないことを念のために。

もし、教育委員会や校長、担任が、本当に単純に見落としていただけならどうですか。
職務上の凡ミス、職務怠慢といったところでしょうか。

要は、能力が足りない、やる気が足りないといったレベル。
この場合は、懲戒免職は難しいのではないでしょうか。
降格、停職、減給あたりの処分ですかね。

これが、事実を含めて因果関係をほぼ把握していながら、組織や自己保身のために隠蔽行為を行っていた場合。
これは、懲戒免職レベルの瑕疵があると考えていいような気がします。

どちらにしても、管理職であれば監督責任が問われることになるでしょうが。

たぶん、世論の声では「こんなやつら、みんなクビでしょ」(私も感情的にはそんな感じ)が圧倒的でしょうが、実際の処分はもっと軽いことになるのでは。
そのギャップに、また多くの批判が出るのでしょうが、行き過ぎた処分はどうなのかな(官民問わず)と思ってます。

投稿: 下っ端 | 2012年7月16日 (月) 13時50分

OTSU氏。本文に取り上げていただきありがとうございます。

やはり、いろんな意見が飛び交い色々と勉強になります。

>下っ端氏
官も民も同じ人である以上、さぼりも怠慢もミスも存在します
この両者の最大の違いは所属する組織なのです。
民間はどれほど巨大であれ、対応をあやまれば倒産します
もちろん国が支援する場合もあるようですが。
しかし官の場合はそれがありません。だからこそ対象者に
民以上の厳正な処罰を望むのでしょう。

いじめに関する私の見解ですが、やはりこれは無くなる
ものではないと考えています。
OTSU氏が紹介していたプログもなるほどと思える点も
あります。
イラク戦争で女性軍人のイングランド上等兵だったかな?
捕虜虐待の写真が流出して裁判にかかっていましたが
この件でたしかアメリカの大学あたりが学生を使った
実験を行いました。学生を囚人と看守にわかれて閉鎖空間に
置く内容です。すると30分程度で看守側が囚人側を虐待する
結果が得られたとのニュースを見ました。
これは個人の資質が問題ではなく、特殊な環境がその行為を
増長するとの見解でした。
これを考えると学校も特殊な閉鎖空間と言えます。だからこそ
いじめを誘発し易いのかもしれません。

結局、学校ではこれらの問題を対処できないなら
最初から警察などの外部に託すことが最良なのでしょう。
自殺した少年は2度いじめにあいました。生前は加害少年に
よるもの、死後は隠蔽した大人たちによって。

投稿: nagi | 2012年7月16日 (月) 14時48分

 中学生の自殺の理由は、「いじめ」以外に何があるのだろうか。
 今までの報道をみると、自殺した中学生が精神的に苦しんだ理由は、「いじめ」以外に考えられないのではないか。

 この生徒の気持ちに寄り添って、問題を解決しようとしなかった学校や教師の体質に憤りを覚える。
 加えて、自殺発生後の学校・教師・教育委員会の隠蔽体質に怒りがわく。

 人が一人死んでいるのに誰も事実関係を明確化しようしない。
 事実関係がわからないと、今後の対策すらたてられない。

 事実から目をそむけ、対外的にはウソをつき、ごまかし、責任逃れ、こんな低レベルな大人がどういう顔で教育者としてふるまっているのだろうか。

 生徒たちは、彼らを信頼できるだろうか。
 彼らの教育を心から受け入れられるだろうか。

 日本の公教育はここまで劣化したのか。これでは、日本にいい人材が育つわけがない。

 日本の公立中学に行くといじめられて死ぬ確率が高く、誰も助けてくれないことがわかった。
 日本の公教育は、人を育てるところではなく、人を無責任に死なせるところ。

 こんなレベルの教員ばかりならもっと給与は安くていい。
 公教育の教員の給与予算は大幅に削減すべきだね。
-----------------------------------------------------------------
<大津・中2自殺>3少年全員、民事訴訟でいじめ否認へ 毎日新聞 7月16日(月)9時40分配信

 大津市で昨年10月、いじめを受けていた市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が自殺した問題で、遺族が市と加害者とされる同級生3人らに損害賠償を求めた訴訟は17日、大津地裁(長谷部幸弥裁判長)で第2回口頭弁論が開かれる。この場で、これまで唯一、認否を保留していた同級生側が、他の2人と同じくいじめを否認することが分かった。また、市側は近く設置される外部調査委員会の調査結果を待って対応を決めるため、第3回以降の弁論を調査終了後に先送りするよう要望する。
 遺族は今年2月、「自殺はいじめが原因」として市のほか、加害者とされる同級生3人と保護者を相手取り、約7720万円の賠償を求めて提訴した。

 5月の第1回口頭弁論で、同級生側のうち2人は「遊びであり、いじめではなかった」との認識を示し、いじめ自体を否定していた。

 一方、市側は第1回口頭弁論で男子生徒がいじめを受けていたと認める一方、「いじめを苦にしての自殺と断じることはできない」と主張。いじめと自殺との因果関係や自殺の予見可能性を否定した。
 しかし、今月に入って市教委が「自殺の練習をさせられていた」などと記載された全校アンケートの回答を非公表としていたことが判明。批判が相次ぐ中、越直美市長と沢村憲次教育長の見解のずれが表面化した。

 越市長は10日、「いじめがあったから亡くなったんだと思う」と因果関係を認め、和解を目指す意向を表明した。一方、沢村教育長は12日午前にいったん「(いじめは自殺の)一つの要因」としながら、同日、「因果関係は断定できない」と発言を修正。13日には「訴訟は続けるべきだと思う」と記者会見で述べた。
 市側の代理人弁護士は「調査委の再調査を待って因果関係を認め、和解協議に入りたい」と越市長の見解に沿った対応を検討している。ただ、再調査には最低4カ月かかる見通しで、訴訟が大幅に長引く可能性もある。

 外部調査委は越市長の直轄で、メンバーは弁護士、臨床心理士、大学教授ら4、5人を想定。いじめと自殺の因果関係について市教委調査の検証と補足を行う。文部科学省も職員を市に派遣し、設置に向けてサポートする。
 遺族側の代理人弁護士は「再調査の中身が分からない以上、訴訟延期に安易には応じられない」と主張していく方針。市側の要望を受け、裁判所は残る当事者の意見を参考に、3回目の口頭弁論の期日を指定する。
 また、一連の問題を巡り、学校や市教委などへの抗議行動が過熱しており、インターネットでの裁判に対する抗議デモなどの呼びかけもあることから、滋賀県警は大津地裁周辺の警戒に当たる。【加藤明子、千葉紀和、村山豪】

投稿: 年収百万円減公務員 | 2012年7月16日 (月) 15時37分

下っ端さん

私は詳細を知らないから、処罰の程度に言及するつもりは無いし、公務員だから特段に厳しい処罰を望んでいる訳でもない。

それに当然一番厳しい処罰を受けるのは加害児童である事は間違いない。

大事なのは責任に応じて処罰する事だ。それ以外にこれらの無責任体質を改善する方法はない。

第一授業中うるさい者をビンタして廊下に立たせるという「当たり前」の処罰をしてこなかったから学校が崩壊しているんだ。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月16日 (月) 16時03分

処分について公平さを証明するためにどうするか。

一般会計でありながら独立行政機関でしたよね?
会計も独立させて倒産から民事再生までをシミュレーションできませんか?
そこで生じた損害は関係者に応分を賠償してもらう。

(労働基準法にも抵触しませんし)住民訴訟を起こしても良いんじゃないでしょうか。
何も調査できず何も決められない大津市ですので、関係者に対する処分も損害賠償という形で最終的な第三者である裁判所に判断を丸投げするというのが、住民、関係者のみならず批判的な世論も納得するしかない方法かと思います。

OTSUさん

内田樹さんのブログについては、ご自分の論調を補強するためにご紹介されたものと受け取っています。

投稿: (`Δ´)ー | 2012年7月16日 (月) 17時02分

>とーる2号さん
>民間の下の方、に限らないんですよね。不祥事って。オリンパス、大王製紙、東電だって純粋な民間企業ですしね

補足です。
私の言う「下」には、オリンパスや、大王製紙等々も含みます。つまり、「下」とは、ダメなことを平気でしているような民間、コンプライアンスやフェアさの程度が低い民間を指すものとして用いました。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月16日 (月) 17時35分

nagiさん、あまのじゃくさん

お二人のご意見、全くもってその通りだと思います。

特に、「ビンタ」には、何度も頷いてしまいました。

投稿: 下っ端 | 2012年7月16日 (月) 18時39分

職務上求められる注意義務など能力のなさからは分限免職、結果の重大さからは諭旨免職が適当と思われます。

>もし、教育委員会や校長、担任が、本当に単純に見落としていただけならどうですか。
職務上の凡ミス、職務怠慢といったところでしょうか。

要は、能力が足りない、やる気が足りないといったレベル。
この場合は、懲戒免職は難しいのではないでしょうか。
降格、停職、減給あたりの処分ですかね。


投稿: L | 2012年7月16日 (月) 20時31分

閉鎖的環境でビンタを許容すればリンチが横行しかねないので反対です。
例えば矯正機関への送致などを伴う退学処置などアメリカのいじめ対応が参考になるかと思います。

投稿: L | 2012年7月16日 (月) 20時36分

職務怠慢も、生じた結果によって、処分の軽重が左右されるべきなのは、当然かと思います。
もちろん、重い処分は、結果の予見可能性が十分にあった場合でなければなりませんが。
そこで、免職という選択肢は、あってもいいのかなあと思います。


さて、Lさんから、学校マネジメントのお話が出ました。また、とーる2号さんから、苛め対策の仕組みの欠如が指摘されました。
お二方のご意見を支持します。
教育環境の一部に存する腐敗について、今まで野放しにしてきたのが、これまでの政治ですね。

システムで言えば、教育委員会があります。非常勤で都道府県単位でわずか数人。大津市の場合も5人。これで、各学校の状況や問題点を把握することなどできるわけがないですね。
また、現実には、事務局が仕切っていて、教育委員には何の権限もないそうな。

一方、教育現場の状況を見てみると、やはり教職員組合(日教組ではなく)の力は強いらしいです。
これは、大阪の現場の教員である知人に聞いた話ですが、
例えば、教員の話し合いで決める事項について、話し合いでは決着しなかった場合に、なぜか教職員組合の決定を学校の決定として強行突破したりするそうです。

彼らが「独裁」とレッテル貼る橋下市長ですら、議会の採決を経ているというのに、
どのツラ下げて、「独裁」「欺瞞」などと言えるのか。


いずれにしても、このイビツな状況をどのように打破していくのかは、大きな課題です。現状のシステムや現場に修正能力がないことが明確である以上、それは、当然、政治事項です。
この状況における「政治不介入」などという否定論は、現状を度外視した、マニュアル上の言葉に過ぎません。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月16日 (月) 21時21分

とーる2号さん、かもめのじょなさん、Lさん、あまのじゃくさん、小役人さん、下っ端さん、nagiさん、年収百万円減公務員さん、(`Δ´)ー!さん、コメントありがとうございました。

いつものことながら幅広いご意見を伺える機会となっています。なお、(`Δ´)ー!さんから「内田樹さんのブログについては、ご自分の論調を補強するためにご紹介されたものと受け取っています」という指摘を受けました。すべて一致している訳ではありませんが、自分自身、「なるほど」と思った点が多かったことは間違いありません。そのため、このコメント欄の議論の幅をいっそう広げるためにも、参考までに紹介していました。

投稿: OTSU | 2012年7月16日 (月) 21時24分

Lさん

体罰が「良い方法」という意味ではありません。
少なくとも、子供に対しては「人権」を言う前に、「人格」を形成する必要があると思うのです。

高度成長期時代の子供たちは、親や先生はいい意味で「怖い」存在でした。
そんな中で、いいことと悪いことを、時には痛みをもって知っていったのではないでしょうか。

いつくらいから先生は、すぐ親達に頭を下げるような、保護者>先生みたいな存在になったんですかね・・・・・・・・
「子供の人権を守る」と言われだしてから、教育の場が良くなったとは一度も思えません。

処分に関しては、個人的にはそれくらいの処罰を受けさせたい思いはある、とだけお答えします。


投稿: 下っ端 | 2012年7月16日 (月) 21時24分

かもめのじょな様

拙い論説に賛同をいただきありがとうございます。

>大事なのは、「優劣」という個性の一要素とどう向き合うかです。

非常に大切な視点ですが現場の職員もそのような教育は受けておらずはハードルは高いと思います。

>心が強ければ、他人を見下す欲求も湧かないし、他人をいじめる欲求も湧かないわけです。

仰る通りですが、体も心も適当なストレスを通じて鍛えられるのでしょうね。

いろいろ施策を講じていますが個性を見ることはなく表面的なものです。
個別のいじめに気づく感性など求められていないようです。

感性と言えば、それが無くてもマニュアル通りにやっていれば結果責任から逃れられるように見受けられますが、所在不明者の安否確認が問題になっていましたっけ。

下っ端様

不躾な異論を挟み失礼いたしました。

人格については述べる資格を持ちませんが、私が学童期であった70年代と比べて今の教師が劣るとは感じません。(昔もひどい教師はワンサカいた)
社会が企業化し複雑になっているに比べ教師村が旧態依然としており、知見があふれ研修をしている割には一部有識者が言うように稚拙だとは感じます。(このあたりは日教組の弊害でしょう)
人格と言えば、日本の大学教育において戦後のある時期から教養についての教育が喪失したとか。
そういえば団塊の世代以降に教養を感じる人が少ないのかもしれません。

確かに行儀の悪い子供もいますが、小中学生に関して言えば、個人的には処罰は頭に浮かびません。
こちらのスキルがないと感じはしますが。
他所のお子様を見ると先ずは親を含めた環境が影響しているようです。
自分の子供に関しては、ひっぱたいて言葉で追い込んだりもしています。
他人が同じようにして子供が愛情を感じるかは甚だ疑問ではあります。

投稿: L | 2012年7月17日 (火) 00時25分

かもめのじょなさん

ちょっと議論の本質から外れるので深入りしませんが、

>私の言う「下」には、オリンパスや、大王製紙等々も含みます。つまり、「下」とは、
>ダメなことを平気でしているような民間、コンプライアンスやフェアさの程度が低い
>民間を指すものとして用いました。

これ、結果論ですよね。問題が表面化するまでは全て優良企業として見られていたわけで。
まぁ、ワタミのように会長の理念は素晴らしいけど、現場は…というところは別ですが。
要は、今素晴らしい企業とされてるところだって、単に表面化していないだけかもしれないのです。
私があげたような企業の従業員だって、まさか自分の会社が…という思いでしょうしね。

ともかく、子供を持つ親としては、この自殺事件をきっかけに、全国の学校関係者に
危機感を持って、本当に効果のある取り組みあるいは体制整備をして欲しいと思います。

投稿: とーる2号 | 2012年7月17日 (火) 01時55分

>とーる2号さん

んー、ですから、主旨としては、特定の企業がどうとか言う話ではなくてですね。
民間でも、コンプライアンスがしっかりしてる企業は、特定できないにしても、確かに存在するわけじゃないですか。少なくとも、僕の身近にはありますし。

つまり、
民間には良いも悪いもある。
そのうちの悪い方に目線を下げるのは、間違ってる、と言いたかったわけです。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月17日 (火) 02時26分

かもめのじょなさん
>悪い方に目線を下げるのは、間違ってる

これはこの案件に関わらず、まったくおっしゃるとおりだと思います。


投稿: とーる2号 | 2012年7月17日 (火) 07時47分

訂正します
関わらず>限らず

投稿: とーる2号 | 2012年7月17日 (火) 07時47分

別にいじめだけに限らず、教育界を真っ当にするのは次の2点が大事だと思います。そしてこれは全ての組織に言える。

1:信賞必罰を行う。
2:その基準と判断を閉鎖空間に留めずに(外に)開放する。

1の処罰の内、体罰だけ除外するは愚かだろう。一部がエスカレートするのは体罰だからではなく、処罰が閉鎖環境の中に留まっているからだ。
Lさんも指摘していますが、信賞必罰とは教育であり躾けですから、「愛情のない体罰は悪い」といった情緒的な判断には賛成できません。
常に「罪と罰」が相関しているかに留意すべきでしょう。

更に結論から書くと学校の統治能力は以前に比べて劣化していると思います。(原因は多岐に渡るので省略)

強力な権力を有する行政には「選挙で選ばれる首長」と「議員」によって行政組織は外部に開放されている。
しかし形骸化が見られ、両者には批判が多い。

教育委員会は学校を外部に開放する部署だったにも関わらず「有名無実化」し、寧ろ学校との癒着がみられる。
真の意味で(学校を)外部に開放するにはどうするかを知恵を出すべきでしょう。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月17日 (火) 11時30分

おはようございます。

以前にOTSU氏が日教組を批判するなら論理的にと言われて
いたので論理的に批判したいと思いますが、それは長くなるので
のちほどとさせていただきます。

ところで、不可思議なことに日本で「人権」と言葉にだすと
急に胡散臭い感じがみなさんはしないでしょうか。
その理由も極めて簡単なのですが、それを言い出すと話が
それそうなので。

日教組批判に関連してふたつだけOTSU氏に質問しましょう。

元国会議員で民主党の小林千代美の公職選挙法違反事件で
北海道教職員組合委員長代理が有罪判決を受けました。
人権侵害で訴えてたようですが、この時に流れた1600万円は
どこから出たのか。また有罪判決を受けたことはどうなのか。

直接関係ない管理人が答えることはできないでしょうし
答える必要もありません。しかし北教組も一切の取材を
拒否し回答しない。
このような事例が北教組だけでなく日教組全体にも言える
ことです。
そのような組織、団体だからこそ、いろんな批判があふれて
います。論理的な批判をすれば論理的な回答はいただけるの
でしょうか? それができないのなら無駄な話になりそうです

投稿: nagi | 2012年7月17日 (火) 12時12分

結果の予見可能性について

校長の会見が動画でも見れますが、資質とかセンスがない!!で一刀両断にしたいくらですね。

これだけ批判的に取り上げられているのに悪びれた素振りを見せないのは、映像による報道は見ていないのでしょう。
それともローカル権力はかばい続けてくれるのか?

著作権違反で削除される前にご覧になってください。

>大津中2いじめ自殺、教師は「君が我慢すれば・・・」
http://www.youtube.com/watch?v=G-svhD64mNc

>2012-7.16モーニングbird ヤンキー先生に聞く“いじめSOS”なぜ見逃
http://www.dailymotion.com/video/xs75r9_2012-7-16yyyyybird-yyyyyyyyy-yyysos-yyyyyy-1_news

ヤンキー先生曰く「教員が労働者になってしまった」
平和運動や当局への介入を正当化してきた自治労と日教組は、どんな改善策を提示するのでしょうか?


学校を外部に開放するにはどうするか

当事者である保護者から直接に決定権者を選出すれば面子至上主義の運営から開放される可能性もあります。
それ以前に公民で三権の語句を教えるだけではなく、北欧など子供の満足度の高い国を参考に、身近なコミュニティから合意形成の仕方を学校教育で教えるべきです。

実際に校長ともやり合っていますが、大津市と同様に卑怯です。
発言の機会を公平に与えることはせず、「子供のため」という表現で、さも児童のためになっているかのような発言をします。
いじめに関しても情報を出そうとはせず、大津市に限らない共通した体質です。
スキルとは別に方向性の決定権は校長など役人から取り戻さなくてはなりません。


投稿: L | 2012年7月17日 (火) 13時04分

>L氏

>ヤンキー先生曰く「教員が労働者になってしまった」
平和運動や当局への介入を正当化してきた自治労と日教組は、どんな改善策を提示するのでしょうか?

この部分は議論の余地はないでしょう。
なぜなら日教組の教師の倫理要項網領に
>8 教師は労働者である
とあるからです。

日教組がどのような組織であるかは管理人であるOTSU氏と
私などの考えは一致しないようなので一度、議論を深めたいと
思いますねえ。

投稿: nagi | 2012年7月17日 (火) 14時34分

こんにちは。

今までの議論から外れること必至なのですけど、いつも思ってることなので。

みなさんの議論はマスコミから漏れ伝わる情報を前提にお話ししていますけど、自分はこの「いじめ」自殺について、あまり話すことができないなぁ、と思うのは、確定情報に接してないからです。

そんなこと言ったら議論なんかできないよ、と言われたらそれまでなのですが、マスコミが意図的に流さない情報もあるかも知れないじゃないですか。

例えば「親も虐待していた」とか・・・・

今までの情報からはありえないと思いますし、もしそうだとしたら悲しすぎますが、私がこのような事件で、あまり断定的な議論を差し控えるのは、マスコミは情報を操作するからです。

意図的に情報を隠すのは、行政や一部不正民間だけじゃないんですよ。
だから、難しいなぁ、と思うのでした。

垂れ流しの上書き逃げになってしまうかも、ですが、失礼しました
それでは。

投稿: 通りすがりの元公務員 | 2012年7月17日 (火) 22時10分

hamachanブログに、『いま、先生は』(岩波書店)(今こそ、教師だって労働者 2011年10月29日付け)が紹介されていました。
最近あらゆる職場でみられるメンタルヘルス問題の、一つの象徴的な事例がここにあります。
>そして10月.男子の間でトラブルが頻発するようになった.
 ある日,男の子が別の男子に殴りかかっていた.止めにいき,事情を聞いたところ,手を出した男子はその場で謝った.それから一週間後,たたかれた男子の保護者から訴えがあった.「お風呂で見ると,殴られたところがあざになっていて,家で泣いていた」という.
 学級懇談会でも,その保護者から「うちの子は,ぼこぼこにされて泣いて帰ってきた.対応に納得がいかないし,残念です」という発言が出た.ほかの親からも,「ほかのクラスに比べて落ち着きがないのではないか」,「もっと細かく連絡がほしい」,「落ち着きのない子がいて,ケガをしないか不安」などという声が相次ぐ.
 その場をなんとかおさめたが,ミチコさんは教室でそのまま泣いた.もう学校に行くのはやめよう.その日の帰り道,欠席した子の家庭訪問に行く途中,混乱のあまり道がわからなくなった.
 自宅に戻っても泣き続けた.母親にも「もう行かない.いまの仕事は辞めたい」と話した.これ以上我慢しなくていいのかと思うと,それだけで心が落ち着いた.
もしかしたら、執筆した朝日新聞の記者の皆さんや岩波書店の人の意図とは少し違うかも知れませんが、わたしは、「今こそ、教師だって労働者だ」というメッセージを受け取りました。
かつて日教組がこの言葉を唱えたときには、かなり違うニュアンスで使われたのではないかと思いますが、妙に政治的な意味合いなど全て抜いた後に残る、ほんとうに厳しい職場環境で働かざるを得ない教師たちに、今ほんとうに必要なのは、この言葉なのではないかと思います。
妙な色合いの付きすぎた「教育問題」ではなく、「労働問題」として教師たちの現状を見つめるところから、もつれた問題を一つ一つ解きほぐす道は開けるのではないか、と思われるのです。
自分が知っている限りではこの20年間はこのような状態、最近はさらに過酷な状況になっていると感じました。
「いじめ」(というよりはもう犯罪ですけどね)で命を絶つ悲惨な出来事を防ぐ取り組みがいろいろ行われているのでしょうが、自殺防止対策、司法警察権の導入などを行わない限り、同じ議論の繰り返しになるのではないかと思います。

投稿: ためいきばかり | 2012年7月17日 (火) 22時11分

下っ端さん、Lさん、とーる2号さん、かもめのじょなさん、あまのじゃくさん、nagiさん、通りすがりの元公務員さん、ためいきばかりさん、コメントありがとうございました。

nagiさんからのお尋ねについて、取り急ぎお答えします。日教組への評価は個々人、いろいろお持ちだろうと思います。北教組の問題は当ブログの中でも取り上げてきましたが、その事件において擁護する立場ではありません。あくまでも今回のいじめ問題の要因として、日教組の責任を問う書き込みに対し、どのような根拠を把握して論じているのかをお尋ねしていました。私自身、日教組の責任が皆無という説明は行なえません。しかし、逆に日教組の責任が大きいという見方にも懐疑的です。したがって、断定調に批判されている方に対し、その根拠を問うことについて何か問題があるのでしょうか。

仮に日教組は「悪」という先入観をお持ちの方が今回の問題も、「日教組の責任」と決め付けた批判される構図であれば誠に憂慮しなければならない話です。今回の問題の教訓化のためにも、より適切なとらえ方が欠かせないものと思っています。当然、私自身の見方に誤りが認識できれば、このような言い分を書き込んだことに対し、深く反省し、今後の立ち位置についても根本的に見直していくつもりです。今回の問題に関して日教祖の責任を主張されている方から説明いただければ幸いですので、改めてよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2012年7月17日 (火) 22時21分

通りすがりの元公務員さんのご意見ですが、教員の情報操作については全く触れていません。
いじめのない学校をスローガンに掲げた教員が問題そのものを闇に葬り去ろうとしたことはハッキリしているのですが。

>一般論として逆に組合がしっかりしていれば、学校側の隠蔽体質に対するチェック機能を果たせた可能性があったようにも感じていました」

組合の機能として、運用を円滑にするために介入する、という趣旨の説明が過去にもありましたが一体を意味しているのでしょ?
ならば、組合が原発に対するものと同程度の関心を虐めの対応についても持っていれば、組合員がほんの数年前と同じような隠蔽体質をくり返し露呈することはないでしょう。
今回もキーパーソンはほとんど全て教員でしょ?
管理者も組合出身で組合の意向を受けていますよね。
意図的に隠蔽を組合が誘導したとは決して言いませんが、上記のような介入や運動を是としているのなら、自らが招いたスキャンダルに対しては同等以上に積極的であるべきですし、その不作為に対して組合の責任を問いたいと思います。

投稿: L | 2012年7月17日 (火) 23時38分

取り急ぎ、Lさんへ。

「行政」の中に教育委員会も含めたつもりでしたが、言葉足らずでした。
 失礼しました。

 それでは、また。

投稿: 通りすがりの元公務員 | 2012年7月18日 (水) 01時02分

7・17の朝ズバは、迫力がありましたね。
学校という社会の閉鎖性、友愛教育の危険性、おまけに日教組の不作為に対する批判も少し出て、子供がモンスター化するメカニズムが専門家により網羅されていました。
ぜひご覧ください。

http://www.dailymotion.com/video/xs7s7u_2012-7-17-yyyyyyyyyyyyyy-yzuba_news


ビートたけしも大津市の件で日教組選出の政府幹部を批判していました。

投稿: L | 2012年7月18日 (水) 01時47分

僕は、今回の件に関しては、日教組の責任は論の外ではないかと思っています。
僕が色んな所で聞く話では、日教組自体の力はさほどでもないからです。

それよりも最もキナ臭さを感じるのは、警察の動き。3度の被害届不受理に加え、今更の1000人体制。
憶測ですが、地元の有力者と教職組合、地元警察の、土着的な癒着。
根拠はありませんが、何か校長がTVに出てきたのを見て、あれ?と感じましたね。
実際、土着のこういう癒着は田舎に行けば、よくある話で。


さて、「教育問題」としてではなく「労働問題」として、というハマちゃんのお話。
何言うてるのか一般の人間にはよう分からんですな。
結局目線が、一般の人向けじゃないというかね、労働者の人権が好きな人の労働論って感じですか?
この、テーマ名付け、カテゴリー分けに一体どれほどの意味があるのか・・・。
メッセージ性が極めてぼやけてしまう印象です。

中身ですが、教員の負担が大きいことは、僕もよく分かっているつもりです。
要するに、教員のキャパの話で、教育現場のシステムの問題というわけでしょ。

ちなみに、労働の問題と扱うと、教育を施す資質のない人間が教育側に止まるのを許すことになろうかと思います。教育は、1つの行政サービスである以上、質の高いものを志向するのは当然ですね。資質のない人間は、教える側にいてもらっては困ります。

キーワードは負担軽減でしょうが、資質のない人間には、教員の地位から外れてもらい、事務やら補佐に回ってもらう=分業がベストでしょうね。
仕事そのものは奪われないから、人権の問題も大きくはないと思います。

但し、仕組みづくりをしても、ソフトがダメなら同じことです。教員育成プログラム、ないし、教員資質向上プログラムの義務化を導入してほしいですね。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月18日 (水) 02時31分

今回の事件とは別に、教員の負担が重すぎるということはそのとおりだと思います。
というか、それが温床になった可能性すらあると思います。

だから、機能分担というのは賛成です。
で、教師に向いてない人は教員から外れてもらう>じゃあ事務方>教育委員会というのが以前の発想でした。
(ちょっと教員委員会という存在の理解が違っていたようですが・・)

元公務員さんの言われるようなこと、実はネットに流れているアンケート結果(学校側がまとめたもの)
を見て多少感じました。アンケート結果がちらっと見た限りでは全部伝聞で、「・・らしい」「・・らしい」のオンパレード。
現場を見た、というのが見当たらなかったので、これでは学校も動きようがないかもしれない、と。
ただ、私が見たものは生徒が書いたものではなかったので、集計結果自体に意図的なものがあるかもしれないんですよね。

多少非難のトーンを落としているのはそういう意図がありました。

投稿: とーる2号 | 2012年7月18日 (水) 08時08分

いじめで子供が自殺した。

何が大事なのか?何をすべきなのか?何をしてはならないのか?これらの倫理観、良心、哲学が欠けている。

教師なら見過ごしてはならないが、労働者なら見過ごして良い筈が無い。
教師が忙しいから問題が起きた訳ではなく、子供の異変の察知が軽視されていたから問題が起きたのだ。
子供の異変の解決より、学校の体裁が重要だったから問題が起きたのだよ。子供の危機よりテストの点数付けを優先させたから問題が起きたのだ。

要は何が大事なのかの信賞必罰がなっていなかったから問題が起きたのだ。

伝聞情報なら確認せずに無視しても良いのか?
血糊の付いた包丁を持った男が道を歩いていても警察は放置するのか?「この男が人を殺したのを見た!」との証人がいなければ警察は動かないのか?
そんな事をすれば職務怠慢で恐らく懲戒免職だろう。教師なら「知らなかった」で許されるのかね?

倫理観、良心、哲学が欠如しているから1000兆円の借金も平気の平左なのだ。いじめも借金も根底は同じだ。

日教組は日本人或いは子供にとって「大事な物」ではなく、自分達の論理にとって「大事な物」を重視してきた。その責任は余りにも大き過ぎる。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月18日 (水) 11時11分

いじめ研究社の内藤朝雄氏によると、大津市のような虐めは子供の間で蔓延しているらしいです。

>三重・津市の54歳小学校校長自殺 いじめ問題の対応に追われる

関係機関は、教師の負担との因果関係を検証するんでしょうか?

投稿: L | 2012年7月18日 (水) 13時37分

キャパシティや職責に関しては、相応の待遇でこたえているはず。
精神的疾患で休職者が多いことに関しては、休職がしやすいという制度的背景はないのか?
教員は専門職なのだから資質に欠けるのなら契約解除、分限か諭旨か分からないが職を解くのが必然かと。

生徒のアンケートについては、ワイドショーなどで目撃者として証言しているものもある。
実名で証言することに恐怖を覚えるような状況があったのではないかと、という情報もあったが、学校の雰囲気については確証的な書類がなく伝聞情報しかない。
真相解明のためには警察が介入してよかったという関係者もいるので、そのような人が警察に行き着き裁判上有効な証言者となることを期待したい。


かもめのじょな様は日教組の影響力は否定しつつ大阪においては他の教職員組合の影響は認めていらっしゃるが、滋賀の実態は如何だったのか?

内田朝雄氏の論には共感するところが多いが、皆様の評価は如何なものでしょうか?
議論のたたき台として十分に価値があると思います。

(以下引用)
「現代の日本社会では、多くの人々が(機能集団ではなく) 共同体への人格的献身として学校や会社への参加を強いられ、人格的自由あるいはトータルな人間存在を収奪され、きわめて酷いしかたで隷属させられるといった事態が生じた。
 ……国家全体主義は、全体主義の「全体」に国家を代入したものだが、戦後日本社会に行き渡った全体主義はこの「全体」に学校共同体と会社共同体を代入したものと考えることができる」

 「教習所型の場合、基本的に学校は乱暴なことを「やっても大丈夫な場所」ではない。暴れたらあっさりと法的に扱われ、学校のメンバーシップもあっさりと停止されがちである。それに対して日本は、学校共同体型の極端に突出したタイプであり、その極端さが「日本的」と呼ばれてきた」

 「暴力に対しては警察を呼ぶのがあたりまえの場所であれば、「これ以上やると警察だ」の一言で、(利害計算の値が変わって)暴力によるいじめは確実に止まる。……さらに市民社会状況であれば、非暴力的なものでも、「葬式ごっこ」や「村八分」などは、民事訴訟をされるおそれがあるのでできくなくなる。残念ながら多くの学校関係者たちにとっては、いじめで人を殺すことよりも、学校の聖性を冒涜する「裁判沙汰」や学校を自動車教習所のように見なす態度のほうが、「悪いこと」「憎むべきこと」である」

 「スーパーマーケットや路上で市民が市民を殴っているのを見かけたら、別の市民はスーパーマーケットの頭越しに警察に通報する。しかし学校で「友だち」や「先生」から暴力をふるわれた生徒が学校の頭越しに警察に通報したり告訴したりするとしたら、道徳的に非難されるのは「教育の論理」を「法の論理」で汚した暴行被害者のほうである。……学校では厳格な法の適用が免除されるという慣習的聖域扱いのために、「友だち」や「先生」によるやりたい放題の暴力が蔓延する」

 「市民社会ではあたりまえの自由とされることの大半が学校では禁じられ、そのかわり市民社会では暴行、傷害、恐喝その他の犯罪とされるものが学校では堂々と通用し、場合によっては教育の名において道徳的に正当化されている」

 「学校では、実質的に薄情な関係を家族のように情緒的に生きることが強制される。若い人たちは、いじめで強迫されながら「なかよし」が強制され、人生の初期から「精神的売春」をして生き延びなければならない」
 「生徒は学校に強制収容され、グループ活動に強制動員され、いじめや生活指導で脅されながら、「親密なこころ」をこじり出して群れにあけわたす「こころ」の労働を強制される。鷲田清一は学校生徒を感情労働者とみなす」

 「部分的-中途半端に迫害者とずるずると「なかよく」しながら少しずつ改善しようとする――このような「改善」は迫害者には慢性的に裏切りと体験される――ことは非常に危険である。一気に相手をおそれさせるような仕方で、公権力による処罰可能性を現実的なものにしつつ抗議あるいは告発をすれば、相手は意外なほど簡単に手を引き、別のターゲットか別の全能具現様式を探索しはじめる(しかし学校共同体主義は、個人が公権力を盾にして「ともだち」や「せんせい」から自由になろうとすることを、何よりも嫌悪する」

 「加害少年たちは、危険を感じたときはすばやく手を引く。そのあっけなさは、被害者側も意外に思うほどである。……いじめのハードケースのうちのかなりの部分は、親や教員などの「強い者」から注意されたときは、いったんは退いている。「自分が損するかもしれない」と予期すると迅速に行動をとめて様子を見る」

 「例えばいじめは「よい」。大勢への同調は「よい」。「わるい」とは、自分たちの共同作業の効果としての全能感ノリを外した、あるいは踏みにじったと感じられ、「みんな」の反感と憎しみの対象になることである。最も「悪い」のは、「チクリ」と個人的な高貴さ(アトミズム)である」

 「いますぐできる対策としては、次の二つを同時に実施することを提言する。
 ①暴力系のいじめに対しては学校内治外法権を廃し、法システムにゆだねる。そのうえで、(加害者が生徒である場合も教員である場合も等しく)加害者のメンバーシップを停止する。
 ②コミュニケーション操作系のいじめに対しては学級制度を廃止する」

 内藤朝雄がいちばん問題にしているのは、学校の共同体化と法的治外法権である。学校が聖域になってしまって法律が門の中に入れない。これは工場でも会社でも似たようなものである。日本は集団の中に法律が入り込めず、全体主義化している。そのなかで個人は全人格的隷属をしなければならないようになっている。これは学校だけの問題ではないのである。

 この社会では仲間や集団が神聖化してしまい、法律や警察の介入は仲間を売ることのように思われてしまう。われわれはこの意識を徹底的に破壊する必要があるのだろう。学校や会社のなかにいて、だれからも守られてないと感じるわれわれの意識にはこのような背景があるのである。そこにいじめや暴力、虐待、ハラスメントが蔓延する下地があるのである。

 仲間や集団、家族の中にも法的権利を浸透させること。われわれの日本社会には緊急にこのことが必要なのだと思う。学校も聖域としての共同体を解除して、はじめから法的権利をもてるような環境や教育をしてゆくことが望ましいと思われる。学校は仲間集団や人間関係の浄化の力だけに頼っていたら、解決不可能の問題を多く抱え込みすぎるのである。暴力のエスカレートを防ぐためには法的権利のない仲間の解決だけでは手に負えないのである。そんなところでは無際限の暴力が蔓延するだけなのである。

投稿: L | 2012年7月18日 (水) 18時52分

Lさん
>キャパシティや職責に関しては、相応の待遇でこたえているはず。

キャパシティってのは。能力の許容量、ひいては能力の限界のことですね。相応な待遇だから能力の限界が広がる、と言う話にはなりえないはず、と思いますが。


そもそも、授業を本気で充実させようと思えば、3倍以上の時間をかけて準備と補足をしなければできないもんでしょう。授業の補足(テスト作成、採点)、資料収集、資料作成、場合によっては、図書館等に足を運んで調べる必要だってある。どのように説明するか、ステイトメントの選択工夫も大事です。それから、問題児対応、保護者対応、各イベントの企画と実行など
これら全てを教育のプロという意識をもって向き合えば、24時間では足りないのは明らかです。

大手予備校や塾の先生方が、寝る間を惜しんで日々工夫されている話はよく聞きます。授業を受け持つこと一点だけでも、他と兼ね合いながらというのは、難しいことを示していると思います。


さらに言えば、生徒対応の困難性。
今、教員は1人で15~20人の生徒を見ていますね。
子供とはいえ、人間です。1:1でさえ簡単なことではないわけですから、1:15の状況というだけでも、大変なことでしょう。加えて、子供たちは、大人よりも精神的に不安定ですね。

例えば、受け持ちの15人のうちの1人が滅茶苦茶ヤンチャで、警察の世話になってばっかりだとする。熱意ある教員なら、当然、その子を探し回ったり、警察に出向いたりしますよ。
しかし、その間、他の14人にかまってやることができない。
他の時間は、授業と授業準備、雑務に追われ、それをこなしたら寝る時間ぐらいしかない。
結果、残りの14人の中に、重大な変化、例えばいじめにつながるような変化があっても気づけない。
と、こういうことでしょう。

ヤンチャの例は、例えば生活指導の教員に担当してもらえるとしても、
悩み事でものすごく苦しんでる生徒が1人いるような場合も、似たような状況でしょう。

こういう何か問題を抱える生徒が複数出てきた場合・・・。授業と雑務を合わせてやりこなした上で、裁けるわけがないでしょう。

それがキャパの問題です。
だから、役割分担して、それぞれの担当が集中して当たれるように仕組みを作るべきだ、というわけです。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月18日 (水) 21時44分

批判を覚悟で。
被害者を何とかしたほうが話は早いと思います。自殺を防ぐのが最大の目標であるなら、被害者を隔離するのが最も確実ではないでしょうか。
我々が人間である以上、いじめを無くすことなどできません。加害者を排除したところで、被害者に「いじめられる素質」があったのではキリがありません。いずれ社会に出た時にもっと辛い目に遭うのではないでしょうか。それよりは早い段階で隔離し、「いじめられる素質」を克服する教育を施すほうが被害者のためになると思います。

投稿: リョウ | 2012年7月18日 (水) 22時08分

>リョウさん

その視点は大事だと思います。
要は、被害者保護と、防衛術伝授ですね。

僕は、ガキの頃、いじめられっ子を助けてた方ですが、
確かに、いじめられる側には、何らかの要因が必ずあったように思います。

但し、いじめられる要因は、大きく2パターンだと思います。
1.例えば、空気を読めないなど、人を不快にさせる言動がある。
 「あー、そんなこと今言うたら、みんなムカつくやろう・・・」と思いつつ、当然僕自身もイラっという感情を抱きながら、いじめ排除行動してました。
2.身体的な障害や肌の色など、本人の力では如何ともしがたい要因。
 
1.の場合は、いじめのエスカレート具合との兼ね合いになるでしょうが、隔離・保護、防衛術伝授もあってもいいと思います。
2.の場合は、これは加害者側に変わってもらわないと。差別とどう向き合うかの問題ですから。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月18日 (水) 22時37分

かもめのじゃな様

役割分担の件は異論はありません。
ただ、現場の教師間の連携を見ているとかなりの意識改革が必要です。
また色々と業務の幅について事例を挙げていただきましたが、丁寧にしようと思えばキリがなく、手を抜こうと思えば抜いても誰も気づかないのが学校でもあります。
テストは業者のものを金を払って買っていますし、資料も心もとない。
学級懇談会や個別懇談でも資料もない場合が多い。
家族揃って夕食は取ることができるようです。
一学級35人程度ですが、たまに不登校や学級崩壊はあるようです。
指導教員の手配が間に合わず、一年間は満足な対応がない場合もあります。
実際にはライフワークバランスが取れている快適な職場のようです。

投稿: L | 2012年7月18日 (水) 22時42分

>Lさん

なるほど。
いえその、そういったお話、僕も現場教員の知人から窺っております。
やっぱり奔走してる教員の方は、「何であいつらと同じ給料やねん?」「あいつら、ずるいわ~」っておっしゃいます。

正に、Lさんが先におっしゃった学校マネジメントの問題というわけですね。
教育委員会に、マネジメントを十分に施せるだけの権限を与える工夫を講じるか、
教育委員会を廃して、新しいマネジメント機関を創るか、必要でしょうね。

1つ大きな問題は、教育委員会の事務局=実働部隊が、教員OBということですね。
監督する側が、監督される側の立場と同じ位置にあるようでは、監督・是正が期待できるはずもないと思います。
この立場一致を許す選択肢がありうるとしても、その場合は、教育委員による統制を相当強化しなければ機能しないと思います。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月18日 (水) 22時57分

かもめのじょな様

今の公立義務教育に携わる教員の体質に関して、マネジメントを信任できるものがあるのでしょうか?
大津市の件は個人的なキャラクターも影響しているとはいえ、表に出したがらず干渉を嫌う等についてはどこにでもあろうかと思います。
大津市の関係者の口調は、こちらの学校関係者のそれと大して違いはありません。

PTAも契約の自由に反し強制的な動員及び集金機関に堕ちているので期待はできないのですが、教育委員会を廃止し保護者が互選する学校運営委員会がモチベーションのない教育委員会よりも可能性の点でマシと考えています。


虐めに限らず学校が人格までを指導、教育することは、現状の教師ではムリだと感じていましたので役割分担は念頭にありました。
全てが形骸化するよりも、教師は得意な分野に特化しても良い。
自立した個人を育てるためにも内藤朝雄氏の提言並に学校の丸抱えは廃するべきだと感じています。

投稿: L | 2012年7月19日 (木) 00時26分

>Lさん
>今の公立義務教育に携わる教員の体質に関して、マネジメントを信任できるものがあるのでしょうか?

結論から言うとないと思います。

まずは、法的な権限がなければ、人事権発動も、懲戒権発動もできませんよね?マネジメントは、それらの裏付けがあってこそ機能すると思います。その意味では、マネジメント機関は、教育委員会でしかありえないのが、現状の仕組みじゃないでしょうか。

次に、一応、法的権限のある教育委員会の問題となります。
権限が実質的に部下に奪われ、なあなあのマネジメントが許される状況ですね。当然、マネジメントは働いていないという・・・。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月19日 (木) 00時42分

>権限が実質的に部下に奪われ、なあなあのマネジメントが許される状況ですね。

ここに組合内の序列などが影響しているんじゃないかと疑っているわけです。
なにせ加盟率が高い地域では何もかもが一体でしょうから。
こんな状態で管理に介入するのだから、原発の反対デモで政府や東電の欺瞞を批判しているのなら、その前に現場教員の欺瞞を改めなければ、その資格はありません。

投稿: L | 2012年7月19日 (木) 00時58分

全国的に見れば、色々な方法でこういった問題を上手に解決している先生が数多くいるはずです。
そういった事例を、もっと表に出るようにすれば少しは変わるかもしれませんね。

いじめがあるだけで、評価がマイナスになる。
マニュアルにない方法で解決する(名物先生といわれるような)方法は、好ましくない。

こういったネガティブで後ろ向きな考えは捨てて、幅広く色々な方法を参考にしていく。

先生の中には、どうしていいのかわからなくて、悩みを抱えている人も多いような気がします。

投稿: 下っ端 | 2012年7月19日 (木) 07時01分

滝川市の事件を受けて道教委が実態調査をしようとした際、北教組はこれを拒否した前歴がありました。

>北教組本部の小関顕太郎書記長は読売新聞の取材に対し、調査への組織的な非協力を文書で指導したことを認め、「いじめの実態は学校現場で把握し、対応している。全道一律の調査は必要ない」などと話している。 (2007年1月24日3時1分 読売新聞)

これだけでは日教組全体を批判する材料には成り得ないと思いますが、批判材料のひとつとしてあげておきます。
公立校においては教職員の自治を認めない制度づくりが必要だと考えます。

投稿: L | 2012年7月19日 (木) 09時02分

内田(内藤?)朝雄氏の分析とその方向性については残念ながら賛成しない。その理由は大きく2つ・・

1:「いじめ」も「授業中のおしゃべり」も「学校内統治」の問題である。
いじめによる自殺の問題が提起しているのは「学校内統治を正常化すべし」という事である。

警察権力を介入させる事には反対ではないが、それは刃物を持って暴れる・・徒党を組んで器物を壊す・・など(学校内部だけでは)物理的に制止が困難な場合に限って行われるべきものだ。

朝雄氏が自ら分析しているが「先生から注意されると一旦は止める」としている。これは生徒が先生の管理下にある事を示し、これを放棄するのは学校教育の自滅と放棄である。

2:全体主義或いは共同体化に対する見方が偏狭。
全体主義や共同体化は人間が人間らしく生活する為の道具である。これ(全体主義)を排除すると残るのは「ジャングルの掟」・・つまり「何でもアリ」の世界だ。
全体主義は氏が分析している性格を帯びているのは確かだが、考え方の方向性が間違っているから結論が間違っている。

最も大事なのは全体主義を排する事ではなく、全体主義の範囲を明確に規定する事だ。
髪の長さやスカートの丈まで規定していながら、おしゃべりは「自由」などは考え方が間違っている証拠だ。

氏は「学校共同体主義は歪だから、ある一線を越えれば躊躇なく国家全体主義に委ねるべきである」と結論付けている。

バカバカしい、生徒の立場になって考えると、通常の生活は学校共同体の一員として、しかし突然と国家共同体の一員として扱われ、その境界は明確ではない」・・この様なダブルスタンダードに子供を放りこんでおいて何が「教育」だ。

大事なのは「学校共同体」と「国家共同体」を同じものにする努力である。これが教育委員会の使命であった筈だが、ミイラ取りがミイラになった。

日教組も朝雄氏も「問題」が生じると、抹消に向けて分析評価する。あたかも虫眼鏡で舐めるように。分析自体は間違っていると思わないが、結論が往々にして間違っているのは、中枢に向かって分析評価しないからだ。つまり望遠鏡で問題を眺めないから。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月19日 (木) 10時00分

ついでに2点

本来学校業務に優先順位を付けて、(順位の)高い方から実行します。これが真っ当な考え方。しかし戦後は反対になった。経済成長のお陰で、各省庁の戦術の総和が国家戦略なった。つまり国土交通省は十兆円欲しい、文科省は五兆円欲しい・・と並べてその総和を国家支出とした。
これが1000兆円の借金の原因になった。「入るを計って出を制す」を無視した。

先生分業化の理由は「授業の準備に3時間、クラブ指導に2時間・・」と各論を足していって「先生の消費時間の総和」とし、これが多いと判断したからですね。
本来は「仕事の優先順位を決め、重要性の低い仕事を切る事」が重要であり、これこそ「信賞必罰」に不可欠な行為です。
何が大事なのかが分からないと、時間の配分も、信賞必罰の実行も出来ない。
何が大事なのかの共通認識こそ「統治」その物だから。

但し業務分業化や先生を増やす事に反対している訳ではない、しかし上記の作業を行ってからが宜しい。

又下っ端さんの指摘しているように、いじめの解決を各教師の技術に求めるには次の前提が不可欠かと・・。

「組織内の信賞必罰が徹底されている事」

これをしないまま、個人のスキルに解決を求めると、優秀で真面目な教師ほど疲労感・不公平感が高じて、遂には・・。

トドノツマリは「信賞必罰を徹底する事」です。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月19日 (木) 11時22分

あまのじゃく 様

貴兄のご見識は、いつも興味深く拝読いたしております。

意外に共同体主義であり権力を志向されていると感じました。

個人的には中高という行政機関の場で意義のあるものを学んだとは思っておりませんので、そのような体験から内藤氏に共感を覚えるところがあります。
勉強も学校外の方が効果的でしたし、人格教育などは特定の人物、機関ではムリだと思います。

子供の通う小学校も、学級目標などは判で押したように仲良し、笑顔等の言葉が並んでいますが、片や「生きる力」を言いながらそれらの短絡的な押しつけや刷り込みには嫌悪感さえ覚えます。
日本の公立学校は、建前として傲慢にもその全てを背負い込んでいますが、それは現場の教員のキャパシティを超え、主権者とのねじれを招いた学校の聖域化は土着権力との癒着を容易にしています。
それが虐め問題の隠蔽を繰り返すなどで露呈していると思います。

日本の法律も及ばない専制化した実態に組み込まれないためには、代替教育など土着権力の及ばない選択肢を確保するよう、いわゆる規制緩和が必要だと考えます。


信賞必罰という統制を強めるか、裁量権の恣意的な行使が及ばないよう不干渉を望むか、貴兄と私の差があるように感じました。

これを書いている最中にも、また阿呆どもの実態が報道されている。
自治体職員が法令を理解せず、遵守もしていないことは当たり前だが、大津の件は経緯があるだけにハラワタが煮えくり返る。
注意義務も手続きも違反者は皆、その資質のなさから役職を解くべきだとあらためて申し上げる。

文科大臣は大津市教委に対して業務停止命令を出すべきだ!

>大津・中2自殺 教職員への聴き取り、記録残さず

>市教委学校教育課の川崎文男課長は「調査指針の趣旨を十分に理解し、自殺直後に教職員から聴き取った内容については詳しい記録を残しておくべきだった。

http://www.asahi.com/national/update/0719/OSK201207190039.html

投稿: L | 2012年7月19日 (木) 12時32分

Lさん

そうですか・・「公立学校はどうしようもないから唾棄すべきだ」との結論をLさんはお持ちのようですので、「どうしようもないから正常化すべきだ」と考えている私とは交わらない部分があるのでしょう。
又同時に、私学を増やす規制緩和に何の異論もありません。

実は内藤氏、Lさん、私の間に公立学校の評価分析において「差」はありません。違うのは「結論」。

誤解と思われる部分について補足説明はしておきます。

自由:本当の自由とは全体主義を規定する事によってのみ得られる。「公園を使っても構わないが、場所によっては警察から逮捕される場合がある」・・これ程不自由な事はありませんし、一歩も公園に入る事が出来ません。明確に全体主義(立ち入り禁止)を規定していないからです。
「芝生の中は立ち入り禁止ですが、その他は自由です」・・これが本当の自由です。

真の自由を求めるならば、(同じ位)強く全体主義を規定すべきです。つまり学校での自由を手に入れるには「全体主義を明確に規定する」ことです。

信賞必罰:最も信賞必罰を背負っている人は「街中で屋台をしているたこ焼き屋さん」です。仕事を頑張れば儲かり、サボれば倒産。
社会を上手く回す為の原理かと思います。これを統制と言うと違和感がありますね。たこ焼き屋さんは統制されている訳ではありません。

加害児童、役立たずの先生、無責任な教育委員会、知らん顔の周囲、自己の都合に合わせた理屈を捏ね回した日教組、やたら方針が遷ろう文科省、・・そして場合によっては「被害児童」、全てに信賞必罰を適応すべきでしょうね。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月19日 (木) 15時03分

こんちわ。

大津市長がインタビューで橋下市長と同じような内容を
言っていますね。今回の事件はいろいろと教育村に影響を
及ぼすかもしれませんね。

私の主張は加害側、被害側、虐める人、虐められる人。
これはたやすく入れ替わり誰もがなる可能性がある以上
根絶は無理。結果責任を厳しく問うこと、事実を白日に
さらすこと、緊急避難の方法を確立すること。
と考えます。

>OTSU氏
以前に言及しましたが、観測点が違うとやはり観測結果は
異なる物です。私は日教組が「悪」の組織とは思いませんが
思想や目指すものには、私の価値観で「悪」と感じるものが
あります。
かつての日教組の委員長は北朝鮮を賛美し、礼賛する発言を
何度もしていました。そのような長が率いた組織を「善」と
呼ぶことはできません。だから私が「悪」と考える理由を
いくらでも列記できますが、それをしてもOTSU氏と合意する
ことは無理と考えています。やはり掲示板での限界かも
しれません。
そのうちに、近辺に出張することがあれば、お訪ねさせて
いただき、あいさつと名刺交換の上、お話させていただける
機会があればと思われます。

余談ですが、本日の日経新聞で、連合の反対で解雇権の緩和を
俎上にあげることもできないと記事で読みました。
組合からすれば当然かもしれませんが、結局これは雇用を萎縮させ
雇用状況が改善されない原因のひとつです。実際にフランスや
イタリアがその状況に陥っていますよね。
消費税を上げて、公務員の給与下げる民主党を支持する連合
原発推進にがんばる民主党を支持する連合
沖縄の基地を維持する民主党を支持する連合
ちなみに基地がなくなれば多大な失業者が発生しますが
それを連合はどう手当するのですかね。
連合って、本当に労働者の味方なんですか?
最近の一番の疑問です。

投稿: nagi | 2012年7月19日 (木) 17時59分

あまのじゃく 様

ズルが嫌いという点は同じだと思いますよ。
細かいところですが、いただいたご意見を修正させていただきます。

>「公立学校はどうしようもないから唾棄すべきだ」
学校も公立は役所であり、身分保障が手厚いのが問題です。
また指導要項の縛りもきついようです。
ただ学校は多くの行政機関とは違って選択の余地が有りますので、公立校のシェアが低くなるように参入障壁をなくせば良いと思います。

こちらでは幼稚園は公設、保育所は私設ですが保育所も幼稚園のような教育的な部分があります。
予約をしておかなければ空きはないのですが、途中で替わった経験や、マンモス校の弊害などを感じると、やはり、選択性は魅力的です。
学校選択性になるとコミュニティの活動に支障が出ると尾木氏は述べていますが、市街地では学区が生活圏を分断しているともいえます。
文科省の施策で「まちの寺子屋事業」というものがありますが、学区を越えて仲良く出来ています。
極端に学校へ行かないという選択をしても、勉強の代替については、まず問題ありませんし(少人数の方が効果的)、集団生活に触れる場も現状の様々な受け入れ先を整備すれば可能でしょう。
学校という器にこだわらなくても良いということです。

既存の学校関係機関を「正常化」することは政治的に困難だと思います。

真の自由については、いきなり十分に理解はできませんが、不都合なところもそれ程感じませんので追い追い考えていきます。
「罰」については権力による自然権の制限等を想定していましたが、権力によらない因果応報も含むと受け取りました。

公務員の処遇に関しては因果関係が不合理な点がありますからね。
大阪市の現業職員に関しては同一労働同一賃金に近づいたようです。
次は世代間格差をなくすための大鉈ですが、自公民の既得権益大連立が誕生すれば、間に合わないかもしれませんね。

>改革拒む「労働ムラ」
http://blog.goo.ne.jp/jitirou-aizu2/e/0791af4bd2a930befa67a42566a64c95

>若者が働く場を得るには、若者自身の能力を高めることと、企業が採用をためらわないように雇用規制を緩和することが不可欠なはず。だが、教育界の反発が必至の大胆な教育改革や、労組の抵抗が強い解雇規制の緩和は議論の俎上(そじょう)にすらのぼらない。

>翻って日本。40歳定年制について国会で詰め寄られた国家戦略相の古川元久は「政府の方針ではなく問題提起」とかわした。解散総選挙の可能性を考えれば、政治家は若者よりも、たくさんの票を持つ労組や中高年の方を向きがちだ。しかし既得権を持つ層に配慮し、中途半端な政策でお茶を濁している間に、日本だけが世界から取り残される

投稿: L | 2012年7月19日 (木) 19時01分

Lさん、通りすがりの元公務員さん、かもめのじょなさん、とーる2号さん、あまのじゃくさん、リョウさん、下っ端さん、nagiさん、コメントありがとうございました。

たいへん難解な議論が交わされている中、些細な点にこだわっているように思われるかも知れませんが、nagiさんの受けとめ方と私からの提起に齟齬があるため、もう少し補足します。前回のコメントでも記したとおり日教組への評価は個々人、いろいろお持ちだろうと思います。今回、その点について議論提起していません。大津市のいじめや教育委員会の隠蔽は、日教組の責任が大きいという書き込みに対し、素朴な疑問を投げかけていました。私自身、日教組の責任が皆無という説明は行なえません。ただ日教組の責任を断定調に書かれていた方々が、あくまでも今回のいじめ問題の要因として、どのような根拠を把握して論じているのかをお尋ねしていました。

日教組への先入観から「今回の問題も日教組の責任」と想像されること自体否定できません。しかし、断定調に書き込みされ、事実からかけ離れていた場合、そのような批判は誹謗中傷の類いとなります。さらに今後、適切な対策を検討していく際、憶測で物事を判断していくことは決してプラスに働かないはずです。いずれにしても「●●だから、●●だ」という主張をされる時、思い込みや憶測で論じられていた場合、その説得力や発信力は極めて乏しくなります。このような点は各論ではなく、議論を進める上での総論的な話でもあり、あえてこだわらさせていただいています。

(追記です) nagiさんから「近辺に出張することがあれば、お訪ねさせていただき、あいさつと名刺交換の上、お話させていただける機会があればと思われます」と述べていただきました。建前上、匿名でのブログですが、そのような機会も歓迎しています。ぜひ、お気軽にお立ち寄りください。

投稿: OTSU | 2012年7月19日 (木) 21時34分

話が脱線しますが、不倫して教育語る市長は如何なものでしょう…
生徒児童に対して「不倫したら妻子供にまず謝りましょう!」と宣言できるのだろうか?
自らの欲望自制に甘く、身内の維新市議に甘く、他人に厳しい。
期待してるだけに残念です…

投稿: 権兵衛 | 2012年7月19日 (木) 22時36分

>nagiさん
>連合って、本当に労働者の味方なんですか?

労働者の権利を前面に押し出して主張される方とのやりとりで感じるのは、
彼らの思考は、生身の労働者ではなく、権利という観念の味方なんだな、ということです。
一方、生身の労働者のうちでも、自らの権利保護中心の思考の人は、味方になるんでしょう。
企業ひいてはその構成員のために身を削ってる人は、労組のアシストは基本、不要ですからね。

彼らが、労働者のことを思ってるとしたら、それは、これが労働者の権利で、これが労働者の在り方なんだ、という、ある種の押し付けが前提になってるんじゃないかなあと感じます。

だから、例えば、JALの例があるにも関わらず、会社の状況がいかなるものであれ、交渉権を絶対視される。
権利があるのは分かる。でも、それ、乱用やろ、っていう話ですね。

労組の必要性は分かるし、労組が果たしてきた重要な役割もあるのも分かります。が、バランスが悪いと感じます。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月20日 (金) 00時43分

マルチ・スズキの従業員の暴動がありましたが、日本では過去のものとなった争議も様々だなと思う次第です。
物価が上がっている頃は鉄道ストが風物詩でした。
近鉄の改札ストなどは微笑ましかったですね。

官公労に労働三権を付与することが議論されていますが、一線を越えることに戸惑いのない意見を見聞きしていると、順法争議と称して濫用しませんかね?
カントリーリスクになるかも。

投稿: L | 2012年7月20日 (金) 08時25分

まあ革新系組織は「論理遵守型」或いはかもめのじょなさんも書いておられるように「観念型」でしょう。

労働者=弱者=守るべき物・・という(絶対的)論理或いは観念を持っているが、本当にこの方程式が(それぞれの事情に)当てはまるかの検証はしません。
だから強い労働者が集まっても「権利を寄こせ!」の騒動は収まらない。既に充分強いのに被害者意識が抜けない。
ところが派遣労働者などの本当に弱い人達には意外と問題意識が希薄です。

勿論、自己の論理から三段論法的に派生する方程式も沢山あるようです。

Lさんに「自由」の話をしたら伝わらなかったので落胆している。「説明は完璧だ!」と思っていた分、落胆も大きい(笑)。
組合が主張する「権利」と関係する大事な話なので、力を振り絞って・・(笑)。

自由の話

世の中には「自由」と「不自由」しかない。「自由」+「不自由」=100%。
「不自由」は「全体主義」「共同体化」「法律」「規制」「宗教」「道徳」・・これらの言葉に置き換えても構いません。
又、「自由」は「権利」と置き換えても構いません。

最も大事な事は「最初から自由を規定してはならない」。何故なら田中さんの「自由」と山下さんの「自由」と鈴木さんの「自由」は「対立」或いは「矛盾」する事が多いからだ。

大きな白い「円」を書く。その中に「不自由」を赤い色で塗りつぶす。人を殺してはいけない。嘘をついてはいけない。盗んではいけない。挨拶をしなさい。目上の人には敬語で話しなさい。・・そして「残った白い部分」が本当の「自由」。

だから「不自由」を規定して初めて「自由」が得られる。

1つのアパートに、木村さんは「大きな声で歌う権利がある」と夜な夜な歌います。佐々木さんは「静かに眠る権利がある」と木村さんを非難します。

この時の本来は「不自由」を以って両者の言い分を検証しなければならないのです。
「法律」にも「道徳」にも「騒いで隣人に迷惑をかけてはいけません」と「不自由」が規定されている。
だから木村さんの言い分が破棄されて、佐々木さんの言い分が優先されます。

ところが「大声で歌う権利」を最初に規定してしまうと、まさに木村さんは「権利が侵害された」と騒ぐ事になるのです。
こんな人達が今日本にあふれている。自分の権利ばかりを主張している阿呆が。
何時の間には加害児童の親が「内の子は被害者だ!」と見当はずれな事を言っているのも、この為だ。上記の木村さんの理屈と同じ。

今学校(社会も)が崩壊しているのは「権利」を最初に規定しているからであり、その背景に「日教組」をはじめとする労働組合がいるのは間違いないでしょう。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月20日 (金) 10時01分

あまのじゃく 様

お手間をおかけします。
自由について、基本的なところは理解しました。
それを踏まえても現状を良いものにするために内藤朝雄氏に賛同します。
事件のあった中学は文科省のお墨付きの道徳教育推進校だったようですが学校機関は改善能力がないことが判明しました。
ならば教育マネジメントを根本的に疑っている内藤氏の論は十分検討に値するでしょう。

>氏は「学校共同体主義は歪だから、ある一線を越えれば躊躇なく国家全体主義に委ねるべきである」と結論付けている。
バカバカしい、生徒の立場になって考えると、通常の生活は学校共同体の一員として、しかし突然と国家共同体の一員として扱われ、その境界は明確ではない」・・この様なダブルスタンダードに子供を放りこんでおいて何が「教育」だ。
大事なのは「学校共同体」と「国家共同体」を同じものにする努力である。

実態として「学校」は「国家」とのダブルスタンダードですが、卒業後は未知の世界に放り出されます。
虐めについての解釈も、常識的には(法の解釈上自治に委ねられている部分も含めて)にはアウトの行為も、学校に判断を委ねると子供の発達過程の経過観察か業務が増えるのが嫌なのか知りませんが許されてしまうのです。
「生きる力」を現場がどのように認識しているのかは知りませんが、私は「大人にすること」と考えています。
どうせ覚え直さなければならないのだから幼児語を使わずにいきなり普通の言葉を教えるべき、と脳科学バアチャンが言っていますが、社会ルールこそ現実に即して教えるべきです。

また、中学生にもなると加害者になる可能性もあるわけですが、現場はそのようなことは強調しません。
自転車が歩道を通行することは例外規定ですが、学校は生徒を当然に社会が守るべきものとして扱います。
その結果、教師でさえも幅員のない歩道でも歩行者や他の車両に配慮する意識がなくなっています。
義務よりも権利が勝る左翼思想が伝播したかのようで、日教組が現場に影響しているのなら、その価値観の限界でしょう。

学校の集団主義は、PTAなど保護者に対してもおかしなものに意義を申し立てる発想を奪っています。
卒業後どうなるかといえば、苛烈な労働条件が慣例化する等、真の弱者に認められた権利を主張する発想も奪い、所属する集団の外(本来のスタンダード)を知らないまま孤立させています。
つまり、仮住まいの学校のルールを強調することは止め、現実の原則に基づいて指導すべきです。

一度刷り込まれた価値観を変えるにはかなりの時間やストレスが必要なはずですが、教師自体が閉ざされた空間で純粋培養されるために日教組の構成員が植えつけた意識を変える機会がなかったのだといえます。


OTSUさん

>市教委や学校側の責任者が一つの方向性を判断した際、一教職員の立場から「おかしい」と思ったとしても真正面から反対意見を訴えづらい組織上の関係があります。それに対し、労使関係においては使用者側と対等な立場になり得るため、組合員の声を代弁し、組合執行部は直接管理者側に意見具申できる役割を担えます。

このような認識をお持ちであれば、管理職のミスリードについて組合独自でも内部者通報制度のような作り周知すべきではないでしょか。
組合独自なら直ぐに採決できるでしょう。

投稿: L | 2012年7月20日 (金) 13時17分

現在の公立学校の現状に絶望し、修復不能と考えれば、その様な結論に至るのは当然ですね。

それどころか「暴力沙汰があれば警察介入」なんて生易しい話に留まらずに、校長、副校長、教頭などはプロパーを排し、市民が直接選ぶ・・俗に言う「文民統制」を行うのが適当でしょう。

丁度行政のトップを市民が直接選ぶように。

私はこの案には賛成です。社会のスタンダードと学校のスタンダードを「一緒にする」という趣旨において。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月20日 (金) 14時44分

日教組は教委等への批判をかわすために圧力をかけようとしているのか?

>“日教組のドン”輿石氏、トンデモ発言!いじめの責任追及を妨害か

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120720/plt1207201536002-n1.htm


いじめ自殺教唆事件は日教組の人権教育の成果か?

>【危機の正体】民主党政権の大罪…道徳教育といじめ自殺

滋賀県は「人権教育」が盛んな地域として知られる。だが、人権教育が盛んな地域ほど子供たちは荒れている。

 人権教育は自身を「弱者」や「被害者」の立場に置いて「権利」を主張することを教えるからだ。内容はどうでもよく、「被害者」を自称すれば、どんな主張も成り立つと暗に教えるのだ。事件の加害少年と保護者も、自分たちは被害少年を自殺に追い込んだ“犯人”呼ばわりされている「被害者」と主張している。人権教育の見事な成果だ。

 必要なのは人権教育ではない。善悪の判断を教える「道徳教育」だ。だが、この中学でまともな道徳教育が行われた形跡はない。それどころか、道徳教育に反対する日教組を支持基盤とする民主党政権は道徳教育を学校から消そうとしている。大津市の事件は氷山の一角でしかない。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120715/dms1207150701000-n1.htm

投稿: L | 2012年7月20日 (金) 22時59分

はじめまして。たまに拝見させていただいています。
大津のいじめの問題が労働組合の問題になっているようで何だか違和感を感じたので初めてコメントさせて頂きます。
多数決原理に基づく「文民統制」は結構ですが、いじめられる側は常に少数派ではないでしょうか?いじめる側って親がPTA会長などと一部マスコミ報道にありますがきっとそうした地元の名士とか声の大きい方々は「文民統制」なら校長なり教頭になるのでしょう。
教育委員会という名の「文民統制」が機能していない現状でどうすれば文民統制が機能するのかよくわかりません。

投稿: のん | 2012年7月20日 (金) 23時07分

私ものんさんと同じことを危惧しています。

>校長、副校長、教頭などはプロパーを排し、市民が直接選ぶ・・俗に言う「文民統制」を行うのが適当でしょう。

果たして、民意とはどこまで正しいのでしょうか。

「加害児童の親が「内の子は被害者だ!」と見当はずれな事を言っているのも、この為だ。」

この親の1票も、民意になります。
もし、このような人達の意見が過半数を超えたら、どうなるのでしょうか。

民主党を与党にしたのも民意。
最近、民主党を酷評する人が多いですが、その民主党を選んだのは他でもない民意じゃないですか。

民主党がダメなら、今度は維新の会ですか?
次の衆議院選挙で民意によって維新の会が与党になったとして、その維新の会もダメだったら次は何ですか?

今の「民意」というものに、本当に国の将来を考えた末の1票が投じられているとは思えません。

というより、本当に国の将来を考えた政党が無い・・・・というのが現実かもしれませんが。

投稿: 下っ端 | 2012年7月20日 (金) 23時50分

教育委員会が文民統制として機能していれば、私も異論はありません。しかし彼らの専任時間が不足しているからか、一種の閉鎖社会を形成しているからか、市長が任命権者というかなり間接的な民主主義になっているからか、実際に機能しているとは考えにくい。

それならイッソ「直接選挙」にする事に不都合があるとは思えない。

それと民主主義というものを本当は信じていないようですね。

詐欺師も泥棒もやくざも嘘つきも選挙権を持って市長や議員を選びます。
校長を選ぶ時「だけ」それが問題ですか?

それと民意が「うつろう」事がそんなに拙いですか?

公務員の方は「無謬なるもの」を追い求めているようですね。悪いとは思いませんが、その結果誤謬に陥っているように見える。
権力は腐敗する、絶対権力は絶対腐敗する。

無謬なるもの(絶対なるもの)を決めた瞬間から「腐敗」が始まるのですよ。

投稿: あまのじゃく | 2012年7月21日 (土) 08時54分

>それと民主主義というものを本当は信じていないようですね。

言いたかったことを先にあまのじゃくさんに言われちゃっったよ。

投稿: L | 2012年7月21日 (土) 11時27分

あまのじゃくさん、Lさん

私が公務員だから、そう考えているのではありません。
ただ、現実的に見て、今の民意はあまりに無責任ではないですか?

民主党を選んだ国民の責任を、どうお考えですか。
一度選べば、任期が来るまで一任することになるのです。

>いじめられる側は常に少数派ではないでしょうか?いじめる側って親がPTA会長などと一部マスコミ報道にありますがきっとそうした地元の名士とか声の大きい方々は「文民統制」なら校長なり教頭になるのでしょう。

のんさんのご意見です。

公務員に力や権力があるのが問題である。
この場でそういう意見を良く見ます。

のんさんの言っていることと、同じではないですか?
結局は、その場、その時に力を持つ者が権力を得てしまうのではないですか。

毎週金曜日には国会周辺で原発反対の集会に10万人以上集まる一方、実際に原発がある地区では原発稼動を望む声が多い。
この矛盾を、本当に「文民統制」で解決できるでしょうか。

結局は、個人であっても「利権」というものに、流されてしまうのが、今の「民意」ではないでしょうか。

投稿: 下っ端 | 2012年7月21日 (土) 12時06分

>下っ端さん
>果たして、民意とはどこまで正しいのでしょうか。

正に、その点は最も重要な視点とも言えると思います。現在でも、立証もされていないような事実を根拠に、本人の反論は無視しながら、集団で個人攻撃を浴びせる、ということは日々起きてますからね。

大事なのは、官僚にも現場にも国民にも政治家にも、どれか一点に依存し切らないことが大切なんだと思います。
4者相互抑制で、均衡を保ち、最終救済機関としての裁判所の存在で担保とするべきではないでしょうか。

教育行政の現状は、国民の意思と政治家の意思が完全にシャットアウトされている状況ですよね。
だから、国民の意思「も」反映させる仕組みを作るべきなんだろうと思います。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月21日 (土) 12時46分

>のんさん
>多数決原理に基づく「文民統制」は結構ですが、いじめられる側は常に少数派ではないでしょうか?

そのムラの中に限って言えば、少数派でしょうね。
しかし、そのムラの外では、圧倒的にいじめ批判の方が多数なわけでしょう。
ですから、ムラの外、つまりしがらみのない人間による統制が必要なんだと思います。

現状は、地元の実力者や、教職員組合やら警察やらとズブズブの関係の人が文民統制権限を持って、形骸化してしまってるのが問題なんでしょう。

教育委員会という制度を維持しつつ機能させるには、教育委員は外部(警察や公教育など、行政関係外の、例えば専門家とか、他県の人)から。
実行部隊(事務局)も、半分くらいは外部(他県)から入れるのが良いのではないかと。

投稿: かもめのじょな | 2012年7月21日 (土) 12時54分

前回総選挙も教委制度も閉塞感を打破できない状況は、同じでしょうね。
問題を感じそれを変えたいのなら、身の丈に合ったもので行動を起こすことでしょうね。
その点で橋下氏は素晴らしいと思います。
国政で入れたい政党がないのなら傍観しますか。

労組と学校の共通点はムラであること。
学校はムラの専制により意識の継承が確立されているから相当、深刻かも。
諸悪の根源はムラ意識にあるとも思う。
日本人のムラ意識は国の起源やら宗教やらに起因し変えようもないだろうから、意識的にそれを壊す制度か必要かもです。

民主的合意形成が日本に定着しているか?
地元の自治会はPTAよりはマシでした。
日本人には中間組織に権限を預けるより、ムラ自体に権限があったほうがムラの問題に真摯に取り組めるのでしょう。
教員でも新人は子供に対する理解が保護者より劣っていたり、ベテランは社会の変化に追ていなかったりと、市井の人が洞察力で劣っているわけではありません。
また、教職大学院など専門家の養成も急務です。

教育委員会は学校教育の他に文化行政や地域活動があるが解体でしょ。
学校教育の自治権は自治体ではなく保護者に与える。
保護者が学校運営者を選任する。
(医療にも必要ですが)運営スタッフは職業上の経歴を公表し、階層化する。
専門的な調査、監督権は県及び国が助言し、命令も出来る。

投稿: L | 2012年7月21日 (土) 15時20分

虚飾を廃して実益にこだわりましょう。

>村の財務データに詳しい中学生、何も知らない教員
>教育長をわざと欠員にしている下條村
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35717?page=2

投稿: L | 2012年7月21日 (土) 15時35分

こんにちは、いつも楽しく拝読しております。
教育委員長の選任に民意を反映させるべきだと思います。教育委員の選任に天下りは許せません。選挙で与党と野党が度々入れ替わることは事務方との癒着がなくなりあながち悪くはないと思います。

投稿: kbys | 2012年7月22日 (日) 11時42分

権兵衛さん、かもめのじょなさん、Lさん、あまのじゃくさん、のんさん、下っ端さん、kbysさん、コメントありがとうございました。

個々にレスできず、たいへん申し訳ありません。先ほど新規記事を投稿しました。その冒頭にも記していますが、いじめの問題について新規記事のコメント欄に移されることも歓迎しています。最近、コメント欄ではロムが中心となって恐縮ですが、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2012年7月22日 (日) 13時19分

〉〉最低!教師本当に!こんな教師に税金を!払うなんて最悪公務員を辞めろアンタ達が―
どんなバッシング受けても色々と言い訳出来るだろうが!生きてるだけ!幸せだと思えよ!
被害者は
「死人に口無し」なんだよ
被害者は誰かに助けて貰いたかったはず!それをアンタが無視したんだろう!〉アンタ達の
学校は暴力が好きみたいだから暴力受けたら!同じ暴力で仕返しすればいいよアンタの学校だけ!法律作ってもらえば~
暴力学校なんだから!とりあえず!教師辞めろ税金の無駄使い最悪公務員ですこの事件は絶対に風化させないからね~加害者達が罪を償うまで追い続けるからね~

投稿: ああああ | 2012年8月13日 (月) 23時49分

 仙台の私立学校でもタバコの火を押しつけるなど悪質なイジメがあったという話を聞きました。しかも学校側は被害者に退学を要求したとか。
 自殺に至っていないせいか、大津の事件と比べるとマスコミの取り扱いは小さな気がしますが。ここで教育委員会と日教組を批判している教育熱心な方からもコメントがないのが残念です。

投稿: SK | 2012年8月15日 (水) 12時35分

SKさん

大津市の隠蔽事件以前から校長など学校管理者を叩いていたのですが、ダメな事例がありふれすぎてダメだと判断したら別な場所(学校に限らない)で教育の機会を持てばいいという結論に至りました。
内藤朝雄氏も学級制度ではなく公文などの検定式を選択可能にすべし、と言っています。
教員も医療従事者のように流動性を高めるようにすればいいのではないでしょうか?
学校長は保護者からの異議を突っぱねるだけの権限はあるようなので、その裏返しとして厳重に評価するよう保護者は圧力をかけなければなりませんし、それが可能になるよう教育委員会制度自体も変えていかなければなりません。

投稿: L | 2012年8月15日 (水) 16時37分

Lさん

これが公立高校での出来事ならもっと盛り上がっているのではないかと。
私立高校が相手では、日教組や教委を批判するネタとしては使いにくいですよね。
批判をすることが目的化、それも一時的な自己満足になっているような気がして。
単純に話題の旬が過ぎただけかもしれませんし、私の考え過ぎかもしれませんが。

投稿: SK | 2012年8月16日 (木) 06時39分

〉公務員のため息!それは!
大津市だけです滋賀県

投稿: まや | 2012年11月24日 (土) 21時09分

〉自殺の練習は立件見送りだそうです!アンケを記入した生徒達がかわいそうだこの事件で本当に!公務員達が信じられなくなりました。

投稿: まや | 2012年12月17日 (月) 15時05分

このような原因究明型ではない責任追及型の強いバッシングを世間から受けるが来ることが予想される状況では、彼らが自己保身的行動に出ることは想像に難くない。悲惨な事件の再発を防止したいならば、世間は冷静になる必要がある。

投稿: | 2015年12月29日 (火) 23時52分

 何か事故などが起きたりすると日本ではとかく「なぜ事故が起きたか」よりも「誰の責任で事故が起きたか」が問題となりがちである。問題点を追求していくうちに問題を起こしたヤツは誰だ、という風な議論の流れになりがちなのである。そしてだいたいのパターンでは責任者を明らかにし、その責任者とその上司が責任をとって謝罪しておしまい、となる。つまり事故が起きたのは特定個人のミスや不注意が原因であるから、その者を何らかの形で処罰すればみせしめ効果により他の者もミスなどに気をつけるだろう、という発想である。

 こういうのを属人的発想と私は呼んでいる。病院などでもなにかミスなどが起こると決まって「誰がそんなことやったの?」「私じゃないわよ」的な会話になることが多い。属人的発想ではミスの原因はシステムそのものよりは個人の資質不足や適性有無によるとされるのである。したがってそういった人事配置を行った上司にも責任がある、というわけで当事者と同様な処分を受けるのである。そして人事の問題によってその解決を図ろうとする。事故は人の問題であるから人を替えれば事故の再発は防げる、という発想である。

 これにはひとえにマスコミの影響も大きいのではないかと思う。何か事件や事故があると日本のマスコミは警察の如くとなる。そして○○課の××課長が悪いだの、何だのとにかく責任の所在ばかりをしつこく追い求める。責任者がはっきりすればこれでもか、とばかり徹底的に叩く。叩かれた者はいたたまれなくなってやめる。それで一件落着である。

 このように特に日本では事件、事故後に責任者を処罰すればそれで終わり、とする傾向が強い。

投稿: | 2015年12月29日 (火) 23時56分

以前投稿された方をはじめ、つい最近2015年12月29日(火)23時52分と23時56分に投稿された方、コメントありがとうございました。

いろいろなご意見を伺える機会はたいへん貴重なことだと思っています。なお、名前欄の記入だけはご協力ください。特に古い記事の場合、そのコメントにたどり着くまで当該の記事を開いてからスクロールしなければなりません。名前の記入があれば、その名前をクリックするだけで当該のコメントを開けるようになっていますので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2015年12月31日 (木) 09時18分

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