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2012年4月29日 (日)

多面的な情報への思い、2012年春

職場の歓送迎会での雑談の中で、このブログの話が出ました。まだ一度も見ていないと言われていた方が、さっそく自宅のパソコンで「公務員のためいき」と検索し、訪れてくださったようです。翌朝、お会いした時、「思った以上に立派でしたね。ただ文字が多いようで…」という感想もお寄せいただきました。これまでも「文字ばかり」というような言葉を投げかけられる時が少なくありませんでした。

ブログは短文が主流で、一般的には気軽な文章というイメージがあるようです。それに対し、このブログは文字が多く、内容も堅く、とっつきにくい印象があることも確かです。それでも毎日、おかげ様で本当に多くの皆さんに訪れていただいているため、基本的なスタイルを変えずに続けることができています。とは言え、少し前から記事本文を極力短くし、あまり論点が広がらないように心がけていました。

そのように述べていながら前置きから入り、今回も長々とした記事内容となってしまうものと思っています。その中で、せめて論点は拡散しないように記事タイトルに沿った流れを意識していくつもりです。ちなみに前回記事「高年齢者雇用の課題」のコメント欄では司法のあり方などについて、活発な意見が交わされていました。この新規記事に議論の場が移されることも歓迎していますが、たいへん恐縮ながら今回の記事はその延長線上で綴っていない点をあらかじめ申し添えさせていただきます。

資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の判決で、東京地裁は26日、無罪(求刑・禁錮3年)を言い渡した。大善文男裁判長は、東京第5検察審査会の起訴議決を有効と判断し、元秘書たちが作成した陸山会の政治資金収支報告書が虚偽記載にあたると認定。

元代表の一定の関与も認めたが「元代表は違法性の根拠となる具体的事情まで認識していなかった可能性を否定できず共謀を認めて刑事責任を問うことはできない」と結論づけた。政界実力者が検察審査会の議決で罪に問われた異例の公判。無罪となったことで政界に多大な影響を与えるとともに、検察審制度の在り方を巡る議論にも波及しそうだ。【毎日新聞2012年4月26日

先週、上記の報道に接した際、以前の記事「再び、多面的な情報への思い」が頭の中に浮かんでいました。陸山会事件を一つの例としてあげながら、まとめていた記事ですが、あくまでも「多面的な情報への思い」の続編に位置付けた内容でした。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。

クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。そのような問題意識を強めているため、ネット上でニッチな情報を発信する一つのサイトとして当ブログを続けていました。今回の記事では小沢元代表の無罪判決の問題を直接取り上げませんが、私自身がブックマークしているブログを通し、それぞれ両極端な見方を目にすることができていました。「限りなく灰色に近い無罪、小沢復権などありえない」(依存症の独り言)と「小沢無罪判決の本質」(永田町異聞)という記事内容でした。

現時点で無罪という結果が示されていますが、事件の背景や周辺情報の真偽は「藪の中」であると言わざるを得ないのかも知れません。そのような中、陸山会事件においても検事による虚偽の捜査報告書作成という事実が浮かび上がっていました。検察が見立てたシナリオに沿った供述を強引に求める手法、あげくの果てに証拠改竄まで手を染めた検事の存在は検察捜査への不信を高めていました。

小沢元代表の裁判では、このような虚偽も明らかになったため、無罪判決に繋がったものと思います。しかし、これまで被疑者が容疑事実を強く否認しながらも、検察の言い分に比重を置いた判決が下される場面は無数にあったはずです。それこそ司法の場では多面的な情報を先入観にとらわれず、よりいっそう公正な視点で見極めるべきものと考えています。そのような意味合いからすれば、刑事裁判の有罪率99%という異常な高さを疑問視することも求められているのではないでしょうか。

実は今回、改めて多面的な情報への思いについて取り上げようと考えたのは、最近、次の書籍を手にしたからでした。大阪地検特捜部の大坪弘道元部長が著した『勾留百二十日』です。その著書を読み終え、検察捜査の内側を垣間見ることができました。3年前の6月、障害者団体向けの郵便料金割引制度を悪用した事件に絡み、厚生労働省の村木厚子局長が逮捕されました。その捜査を指揮したのが大坪元部長でした。

翌年9月、村木局長の裁判は無罪判決となる一方、捜査の過程で前田恒彦主任検事が証拠のフロッピーディスクのデータを改竄していたことも発覚しました。すでに前田元検事は証拠隠滅罪で懲役1年6か月の実刑判決を受けています。大坪元部長は証拠改竄の事実を知りながらも隠蔽したと見られ、犯人隠匿の罪に問われ、逮捕・起訴されていました。逮捕する側が逮捕され、取り調べる側が取り調べられ、まったく逆の立場に置かれた時の苦悩が赤裸々に綴られた手記でした。

今年3月に大阪地裁で有罪判決が下されましたが、同じ罪で起訴されていた佐賀元明元副部長とともに無実を主張し、大坪元部長らは控訴していました。最大の争点は、前田元検事によるデータ改竄を大坪元部長ら二人が故意によるものと認識していたかどうかでした。検察側は、二人が前田元検事から故意の改竄という告白を受けながらも保身のため、もみ消しをはかったと主張していました。

大坪元部長らの弁護側は「取扱上のミスでデータを改変してしまったかも知れないが、意図的なものではない」という報告だったと反論していました。大坪元部長の手記の中では、このあたりの経緯が詳しく記され、「なぜ、自分が」という苦悶の声が生々しく綴られていました。1冊の著書を出したからと言って、そこに書かれた内容がすべて真実であるとは限りません。一貫して自己の主張を正当化している可能性も決して否定できません。

しかしながら『勾留百二十日』を読み終えた率直な印象は、最高検察庁側がシナリオを書き、その結論ありきで進んでいるというものでした。前田元検事の犯罪によって検察の捜査そのものへの不信が広がった中、特捜部長や副部長まで逮捕することで「自浄能力」をアピールするという最高検側の意図を大坪元部長は指摘していました。作為的な捜査ではなかったとしても、結果的に特捜部長以下の「トカゲのしっぽ切り」で検察全体への批判がやわらいでいたことも確かでした。

村木局長の不当な逮捕・勾留が教訓化されることなく、その事件を指揮した大坪元部長が同じような苦しみを強いられるという皮肉な巡り合わせでした。大坪元部長は「彼女の受けた苦悩を思うと、我が身になぞらえ、さぞ辛かっただろうと同情の気持ちと申し訳ない気持ちが心に湧き上がってくる」と綴られていました。私自身、この書籍を通した多面的な情報が得られなければ、データ改竄事件は過去のものとなっていました。それが今、検察の体質は簡単に変わっていないことを改めて危惧している思いに繋がっていました。

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コメント

こんばんは
よく使われる 社会通念上 と言う言葉も段々怪しいと思いつつあります
元々のタバコの件で解雇は社会通念上の処分が重いならば もし一切処分なしならば
誰かが 社会通念上無処分は不当に軽いと訴えたら裁判所は判断するんですかね

それと栃木でのクレーン車によって多数の子供が死傷した事件は
多くの人の考えでは懲役7年は軽いと考えるでしょう 結果の重大性から見れば
結局 この社会通念上と言う言葉も随分都合のよい言葉でしょうか

ついでに高速でのバス事故ですが 典型的な安かろう悪かろうに見えてしかたありません
たかが居眠りたかがタバコ一本 しかし事故が起こってから規制したり反省しても
犠牲者は報われません 無免許で人を撥ねても危険運転致死に問えないのは
社会通念上許されるんですねえ

システムの不備は改善できても 故意にする行為は防ぎきれない
せめて結果に比例した処罰を望むのは社会通念上おかしいのでしょうか

投稿: nagi | 2012年5月 1日 (火) 01時42分

nagiさん、コメントありがとうございました。

「結果に比例した処罰を望む」という思いは私も同様です。ただ「比例した」の見方に幅が出るため、最近のコメント欄での論点に繋がっているものと感じています。加えて、結果にまったく比例してない理不尽な容疑で、不当な拘束や処罰があり得ることも確かなようです。そのような問題意識について、今回の記事に託してみました。

投稿: OTSU | 2012年5月 1日 (火) 07時09分

通りすがりの元公務員 様

初夏のような気候が続いていますが、GWは如何お過ごしでしょうか。

地元についての実態を見なければ分からない、経験的に推測するしかないグダグダな話にお付き合いをいただき、ありがとうございます。

公務員のお仕事としては地域を住みやすくするためのものですが、自分の頭で考えて行動できる職員の比率はかなり少ないと感じます。
地域活性化のために外を飛び回るような職員もいないし、法や指導の理念を無視しているから、古臭い権威主義的な押しつけをしてくる。
県などは住民と直接関わることもないので30歳にもなればすっかりお役人です。
地元市役所では若い人材のOJTは無理なようです。
教育委員会など、実態の有無も怪しい部署は本当に暇そうですが、ここのような法律の運用だけではなくクリエイティブさが求められる部署は街に出てネタを探すべきなのですが。

>人事や総務、秘書部門や財政にいる人が出世してしまうので、いよいよ役所が法律オンリーのつまらない職場になってしまっているのが現状なのかもしれませんね。

ダメダメなところは強く同意します。
どうしてこんな体質を変えられないのでしょうね?

法定受託事務をこなすのに精一杯で規制などの法に定められた権限までは手が回らないようです。
HPにも申請書類が掲載された日常的な法律の簡単な運用基準も読めないようなアホが管理職に就ける仕組み自体が理解できない。
法律を縦横無尽に使いこなすなど、おそらく頭の片隅にもないように見受けられます。

ご認識されている世代交代のためには年功給の撤廃と早期退職が必要で、そうしなければ若手の成長機会を奪います。
利益追求並みの法理追求をしてくれれば、報復以外の不公平は納得いくのではないかと思います。

対処法は、ほぼ見えてきたと思うのですが、役所が公務員の生活(職員団体も)という実利を最優先しているために法理との大きな乖離は埋まらない、と締めたいと思います。

今週のお題に触れて。
検察の体質はそのままかどうかは他の事象も見て判断したいところですが、シッポ切りは自浄の見せかけと?
安否不明者を放置できる体質は、どのように変えるのでしょうか?

高速バスについては刑法をイジるよりパイロットに準じて搭乗(運転)に規制をかければいかがでしょう?コストアップによる価格上昇は、命に比べれば安いものだと思います。

投稿: L | 2012年5月 1日 (火) 07時57分

Lさん

 おはようございます。新しい記事内容なので、感想のみ簡潔に。
 たぶんLさんが関わった部署が内部管理的、あるいは窓口的な業務を専門にする、限定的なところなのではなかろうか、と愚考いたします。おっしゃる教育分野、あるいは建設分野はどちらかというと権力行使部分ですが、農業分野、産業振興分野、健康分野、福祉分野、環境分野などは積極的に市民と関わる分野ですので、職員は土日潰してよく外に出て、市民と交流していますよ。ちなみに教育分野でも社会教育分野は、土日はほとんどありません。
 それは基礎自治体でも広域自治体でも変わりません。
 権力行使分野では、法律の運用は慎重に慎重な対応が必要ですし、当該分野に対する法律知識が豊富でなければならない、とは思いますが、広域自治体は格別、基礎自治体では人事異動で全く異質の分野に回されることも普通に行われますので、異動時期から半年程度は訳わからない職員にぶち当たることも不思議ではないです。
 小さな基礎自治体では、スペシャリストよりゼネラリストを求められますので、「法令感覚」的なところは求められますけれども、当該担当分野の法令については、異動後、半年~3年は習熟するのに時間が掛かります。
 お気持ちは分かるのですが、小さい基礎自治体にはそれなりの悩みがあるのでして、法令熟知するためのスペシャリスト養成のための人員数もなく、時間もなく、待ったなしで働かされている職員の苦悩も思いやっていただけると嬉しいです。
 あとこれは一般論ですが、どのような組織にも「262」の原則というのはあるわけでして、所謂「デキる」職員は全体の2割くらいですよ。仮に下の2割を切っても、残りの8割からまた2割が生まれるのは、社会経験上も明らかなわけでして、一定の規模を持つ組織の宿命と割り切っていかないと、この組織論については公務であろうと民間であろうと例外ではありえないので、そこはご理解いただきたいなと。

 以上、簡単といいつつ結構長文となってしまいましたが、それでは、また。

投稿: 通りすがりの元公務員 | 2012年5月 1日 (火) 09時36分

こんにちは

私はどうも加害者の人権にばかり配慮する現行の制度が
ほとほと嫌いなようです。

無免許=運転技能を有さない が成り立たないなら
運転免許は警察の天下り団体の為だけに存在する
ものと思います。

一方で冤罪ばかり生み出し、一方で加害者ばかり守る
日本の司法制度は もはや本当に クソ と思います。

>OTSU氏
汚い言葉を使いすみません。しかし遺族の悲痛さを
思うに、我慢できませんでした。民事で損害賠償しても
逃げ得してる連中の多さ、なぜ本人が支払うまで強制収用が
できないのでしょうか。
本当にやり切れない事件です。

投稿: nagi | 2012年5月 1日 (火) 15時59分

Lさん、通りすがりの元公務員さん、nagiさん、コメントありがとうございました。

特に通りすがりの元公務員さん、いつも申し訳ありません。このブログを開設している趣旨から考えれば、私自身も対応すべき話を丁寧に分かりやすくお答えいただき、たいへん感謝しています。

まだまだ忍耐力が足りないため、きっと私が具体的なレスを行なえば、また余計な一言を添えてしまうような気がしています。そのような訳で、誠に恐縮ながら今後もコメント投稿は控え目にしていくつもりですので、ご容赦くださるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2012年5月 1日 (火) 22時16分

Lさんへ

 追伸です。

 担当する分野の法令に習熟していない職員の存在そのものは否定しませんが、むしろそういう職員の存在をカバーする組織論だったり、システム構築の方が重要なのですが、そういう課題を先送りして、当該職員にだけ責任を負わせて、メンタル疾患に追いやってしまいかねない組織体質こそ問うべきかと思われます。
 
 そういうところについて追及するのも労働組合の仕事だと思うのですが、残念ながら業務と組合の両立に追われて組合役員自体もままならないところが悩ましいところかと。

 以上でした。

 PS 管理人さん、楽しく無理なく会話させていただいています。中の人もそれなりに一所懸命なんだよ、というところは伝えたいと思いますので。

投稿: 通りすがりの元公務員 | 2012年5月 2日 (水) 16時25分

通りすがりの元公務員さん、コメントありがとうございました。

そのように述べていただき幸いです。ぜひ、これからもお時間が許される際、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2012年5月 3日 (木) 07時44分

>nabiさん
>誰かが 社会通念上無処分は不当に軽いと訴えたら裁判所は判断するんですかね

これは判断されません。
なぜかというと、裁判所は権利救済機関だからです。
日本の司法制度では、権利侵害があって初めて審理ができる仕組みになっています。

処分が不当に軽すぎることによって、誰かの権利が制限されているという事態はありえないですよね?
飲酒運転事故で言えば、飲酒運転自体が他人の権利を侵害したに止まります。
それに対して軽い処分をしたところで、‘処分によって’権利制限を受けるのは、処分される人だけなわけですね。

ですから、処分が軽すぎるということで処分の是非が争われることは、制度上ありえないわけです。その部分について「社会通念上の判断」を差し控えてるわけではなく、そもそも判断できない領域なわけですね。

投稿: かもめのじょな | 2012年5月 3日 (木) 10時03分

裁判所は権利救済機関ですか?

国家権力とは「公を維持する」為にありますね。日本は法治国家ですから「法」を根拠と手段で「公」を維持するんですね。
そして議会は「法を創り」、行政は「法を執行し」、司法は「法を解釈する」・・と皆さん主張していたのですね。

要は裁判所は「法を解釈する事で公を維持する」機関ですね。

なぜ、こんな話をするかと言うと、「権利救済機関」と表現すると矛盾する場面が多々あるからです。なぜなら「国家権力」こそ「権利の侵害機関」だからです。
民事上では権利その物は喧嘩するので、「片方の権利を侵害する事」で結果として一方の「権利を救済する事」があるだけでしょう。
刑事上では全く反対の事が起きている。公を犯していない「被害者」には民事不介入で絶対に救済しませんね。

国家権力の目的は「公の維持」でしょう。

・・で、問題は「懲戒処分が社会通念上、著しく軽い場合」ですが・・。

民事裁判での「当事者」に市民がなり得るか・・が論点ですね。役所のガバナンスの問題ですから、当事者と考えるのが普通とは思います。
訴える事には反対ですが・・。

投稿: あまのじゃく | 2012年5月 3日 (木) 13時17分

おっと、こんな事を書いた理由を書かねばなりませんね。

裁判所が「目先の人権」なるものにかまけた結果、全体が矛盾しているからです。経済用語で言うところの「合成の誤謬」が起きているからです。
結果として1000兆円の借金です。

投稿: あまのじゃく | 2012年5月 3日 (木) 13時27分

あまのじゃくさまへ

 こんばんは。GWですが仕事です(涙)

 さて、国家権力が「権利侵害機関」とのことですが、現状、そういう側面があることを否定はしません。しかしあまのじゃくさまの目には形骸化しているかもしれませんが、国の存立の基本的な考え方は「主権在民」ですから、国家権力が「権利侵害機関」と断言してしまえば、それは「国家」の否定につながりませんか?いわゆるアナーキズム!みたいな。

 それはそれで一つの考えではありますけど。

 ちなみに、裁判所の存在が1000兆円の借金の原因のように読み取れるくだりもありますが、残念ながら裁判所には国の経済・財政政策をさばく権限がないので、今までそのような裁判が行われ、かつ国の借金が増えるような判決を裁判所が下した、というような話は寡聞にして知りませんです。

 裁判所が憲法、民法、刑法その他あらゆる法律に基づいて、被告の不法行為を民事、刑事で裁いていく過程において、あまのじゃくさまがおっしゃる「目先の人権」を裁いていくことこそが、その存在理由なのですが、それが1000兆円の借金につながっている、という因果関係が、どうしても私には理解できません。

 それが何らかの比喩であれば、それもありかもしれませんが、比喩にしては如何にも分かりにくいので、もう少し丁寧にご説明いただけると、他の方にとっても議論参加ができると思いますが、いかがでしょうか。

 あと、最後の方の件は、首長の処分が社会通念上軽すぎる場合に「民衆訴訟(住民訴訟)」が起こせるか、という問いだと読み取りましたが、住民監査請求前置主義ではありますが、地方自治法や行政事件訴訟法などに基づいて、こうした訴訟は各地で行われているようです(ネットで確認できる範囲でですが)。要するにそうした職員に対する給与の支払いが違法だとして訴訟を起こすケースですね。
 
 原告適格は認められているみたいですから、大阪市民の方がいらっしゃったら、訴訟を起こしてみたらいいですよ。
 それでは、また。

投稿: 通りすがりの元公務員 | 2012年5月 3日 (木) 18時50分

あと財政政策に関してですが、これは完全に素人なので、あまり口を出すのもはばかられるのですが、
以下のブログの内容が面白く、かつ説得力があったので、コピペしときます。

http://philnews.seesaa.net/article/146565526.html

以上です。ゆすりたかりの国民性が借金体質になったという論拠については、
これを見る限りでは破たんしているような気がします。

あ、そんなこと言ってないですか。そりゃまた失礼いたしましたー(笑)

投稿: 通りすがりの元公務員 | 2012年5月 3日 (木) 19時43分

あと、これもー。

http://blogpal.seesaa.net/article/81163679.html

日本の借金の原因はデフレ対策なのですが、借金した結果
デフレになってしまったという逆説。

面白い説ですね。

投稿: 通りすがりの元公務員 | 2012年5月 3日 (木) 19時51分

あまのじゃくさま

権利救済機関です。権利救済機関でない、あるいは、公を維持する(どういう意味です?)機関である、などという見解すら残念ながらありえません。


現在の日本の裁判所では、適法な訴えもない状態で、法令の合憲性や、個別法令の解釈を、裁判所が判断することはありません。
あくまでも、適法な権利救済の求めがあった場合に、その判断に必要な限度で、法令合憲性や、法令の解釈をなしうるにとどまります。

ですから、権利救済機関です。憲法をかじったことのある者なら、10中9.9以上はそう答えるでしょう。

スタンダードなものでよいですから、一度、憲法書をとってじっくり学習されることをお勧めします。
でなければ、議論の前提の認識に食い違いがありすぎて、議論になりません。

恐らく、ご自身の価値観と合わないところは、小ばかにしながら読まれるのでしょうが、しかし、現在の憲法学は、数世紀にわたって学説が論争を繰り広げ、推敲され、取捨選択され、修正されながら、洗練されつつ生き残ってきたものです。そこに1つの正当性の根拠があります。
その正当性は絶対的ではないですが、現在の憲法学と外れた議論をするのであれば、少なくとも現在の憲法学の論拠を崩すか、それより優位の論拠を示さなければ、およそ説得力は出てきません。

そして、それらの論証は、単にご自身の価値観に基づくだけでは、やはり説得力は出ません。第三者をして、納得せしめるだけの論拠提示が必要です。

ですから、憲法や、国の統治機構を語るのであれば、まずは、憲法書をとって学習されてください。

投稿: かもめのじょな | 2012年5月 3日 (木) 23時38分

かもめのじょなさん、あなた自身が私と同じ事を書いていると思いますよ。「あなた」の書き込みを要約してみると・・

『裁判所は(~は違法だ!)との訴えがあったものに対して、法律に基づいて解釈し判断する』・・これは「あなた」の書き込みです。これが「公を維持する」です。

「公」とは「望ましい社会状況」といった意味で、憲法や法律にはその状況がどの様なものであるかが書いている筈です。それから逸脱した者に対応するのが「公務員」(public servant)かと思います。
逸脱した者の中には「犯罪者」もいれば「今日の飯もない」といった人たちもいる。

ところが(貴方が書いた)次の文章は言葉が変わっている。「~は違法だから法に基づいて解釈判断してくれ」との訴えを「権利救済の求め」と同義語にしておりますが、本当にそうですか?

「自分の価値観と合わないところは、小ばかにして読んでいる」との非難ですが、私の書き込みを見ておりますか?第一「公を維持する」の意味が分からないのなら、なぜ質問しないのですか?
大変残念ですが、冒頭の言葉はそのままお返し致します。

更に貴方は「原告適格がない」との主張ですが、私も通りすがりの元公務員さんも「原告適格はある」と述べています。その点は如何ですか?
原告適格の言葉を知らなかったので「当事者」と書きましたが、同じ意味です、念の為。


通りすがりの元公務員さんから1000兆円の話が出ました。
私は今まで1000兆円の事しか書いていない。法律論や制度論や組織論まで話が及んだが、1000兆円の原因と考えているからであって、○○論には興味はないし、ましてや公務員の待遇などには全く興味が無い。

1000兆円の借金は「50円分しか仕事をしていないのに、100円の給料を貰った」差額の総和です。

給料は主に次の2つで決まる。
1:市場原理
2:法律

市場原理は物々交換の原理ですから、50円分に100円は支払わない。(但し、需給関係や流行り廃りで相当額が変化するが、不当な価値の交換では無い)

結論を書くと「1000兆円の借金の原因は法律である」。

投稿: あまのじゃく | 2012年5月 4日 (金) 09時47分

補足ですが、私は「裁判所は権利救済機関では無い」と書いた覚えはありません。もう一度過去の私の書き込みを見てください。

私は「裁判所は権利救済機関であるから」との「前提」で話をする事に異論を挟んでいるのです。

現に「不当に軽い懲戒処分」に対して市民が「原告適格」を持つのか否かに(前提が違うから)「結論の違い」が出ている。

投稿: あまのじゃく | 2012年5月 4日 (金) 09時59分

まさか、ここまで書いて曲解されるとは思わないが、今までが今までだから念を押しておく。

憲法(constitution)には「この国のあり方」が書いている。どの様な状態が好ましい・・とかこの様な状態を目指そう・・とかが書いてある。
法律はそれを具現化する為のものだ。

この様な望ましい状態を「公」と呼ぶ。この「公」を維持する為に「公務員」が存在する。だから公僕と呼ぶ。決して市民の召使では無い。

この公から逸脱すると、社会が好ましい状態では無くなるから、公務員が是正する訳だ。この強制是正力を「国家権力」と呼ぶ。
日本は民主主義で法治国家で三権分立だから「議会が法を創り」「行政が法を執行し」「司法が法を解釈判断」することになっていて、これが「国家権力」の正体だ。

この国家権力の殆どは「自由の制限」である。言い換えれば「権利の侵害」である。
従って「国家権力」こそが「権利の侵害」を目的にしたものであり、議会・行政・司法こそ「権利の侵害機関」と言える。

死刑は生存権の侵害であり、徴税は財産権の侵害である。その自覚無くして権力を語ってはいけません。

投稿: あまのじゃく | 2012年5月 4日 (金) 11時55分

失礼します

「議会が法を創り」⇒日本では議員立法がほとんどなく、たまにあっても実質的には官僚が立案しているので、正しくは「議会が法を議決し」くらいですね。

「行政が法を執行し」⇒上との関係でいえば、霞が関は、「企画立案部局」で、出先の地方支分部局は、「執行機関」といって区分して整理できます。こういった観点で捉えれば、「行政が事実上法を創り、執行し」といったほうがいいでしょう。

「司法が法を解釈判断」⇒これには、おおむね同意ですが、世論や政治状況、国際情勢に左右され、純粋に法の解釈だけで判断していると思えない判決がたくさんあり、信頼できないなあと考えます。

 以上を総合すると、従来、日本では、官僚の権能が非常に幅広く巨大で、官僚主権に近かったといえるのではないでしょうか。

 官僚が政治家に、ある政策を「振り付け」国会で質問させ、マスコミに情報を出し、世論を誘導し、法案を準備し、天下り先を法案に書き込み、そこに金が落ちるシステムを創っていく。
 こんな構図の法案がそこらじゅうに存在します。そして、無駄や損失が発生しても、誰も責任をとらない。

 原発事故といった、国策として推進してきた原発政策の失敗に対してさえ、誰も責任をとっていない。

 政策の失敗に対して、日本的な官僚主導型の意思決定システムは、機能しないことが明らかであるのに、何ら改善されない。
 ここが問題ですね。

投稿: 年収百万円減公務員 | 2012年5月 4日 (金) 17時46分

あまのじゃくさまへ

 コメント読ませていただきました。

 憲法=国の在り方=その具現化=法=「公」・・・これは合意します。
 「公」を維持するために公務員の存在がある・・・これも合意します。
 「公」から逸脱した場合の強制是正力=国家権力・・・これも合意します。
 日本は民主主義で三権分立だから「国家権力」は3分割される・・・これも合意します。

 ここから下が分かりません。

 国家権力≒自由の制限=権利の侵害のところです。

 上記の論理展開から見ると、

 「公」から逸脱した場合の強制是正力=国家権力≒自由の制限=権利の侵害から導き出せる論旨は、

 「公」から逸脱した場合の強制是正力≒権利の侵害となりますね。

 あまのじゃくさまの論理から言うと、「公」は憲法上の望ましい状態であるにも関わらず、公から逸脱した場合の強制是正力が国民への権利侵害となってしまう、ということになりますね。そうなると国家権力は「公」から逸脱し、国の望ましい形から逸脱してしまった場合に行使する権力が権利侵害となるため、国家権力の行使ができなくなりますね。

 そうなると、「公」は「公」から逸脱した場合に、それを是正するための仕組みを失ってしまいはしませんか?

 さらに、死刑は生存権の侵害である、との説ですが、死刑が憲法上問題となるのは、憲法36条の「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」に抵触するかどうか、が議論となっていて、これはかなり早い段階で合憲判断がなされています。もちろん死刑廃止サイドからは違憲としての主張があるところですが、現在までのところでは死刑が残虐な刑罰ではない、とされている以上、生存権などとは全くリンクしません。

 ちなみに「生存権」とは社会権の一つとして憲法25条に定められていて「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 」とあり、死刑制度の是非とは異なる理念ですので、お断りしておきます。

 あと徴税が財産権侵害のところですが、日本国憲法30条に「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」とあり、さらに84条にて「「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」とあるところから、憲法上、法律に基づいて課税することについては、何ら問題はありません。

 「財産権」というのは、同じく憲法28条にあるように「一、財産権は、これを侵してはならない。二、財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。三、私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」とあるように、財産権は、公共の福祉の元に制約が可能であり、また正当な補償を前提に公共のために用いることもできますので、財産権は絶対ではないのです。

 「公共の福祉」ですが、憲法では12条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】 、第13条【個人の尊重、幸福追求権・公共の福祉】、第22条【居住・移転・職業選択の自由、外国移住及び国籍離脱の自由】、第29条【財産権】に登場し、自由権の場合には公共の福祉は制限的に、社会権の場合はそれほどでもない、という違いがあります。

 さらに「正当な補償」のところですが、土地収用法などに明示されてますね。

 前回もお話ししたとおり、これらの権利は憲法上、国家に認められているものであって、国の存立上絶対に必要な事であって、それを否定することは一つの思想としてありえますが、それはいわゆる「ユートピア」だったり「アナーキズム」だったりして、あまり意味のある議論とはなりえません。

 結局、あまのじゃくさまの論旨は、「日本国憲法を否定し、国家を否定する」という趣旨でお話しされているように読み取れますが、そうでないということならば、もう少しわかりやすく論理的に矛盾のない形で記述していただけると、他の方とも議論ができるかと存じます。

 以上、長くなりましたが、感想でした。
 それでは、また。

 PS あまのじゃくさま。法律を議論する際には「用語の定義」はとても大事ですので、ネットなどでその内容を確認するなど、慎重にしていただければ、と思います。ここで議論しているみなさんの時間がもったいないです。

投稿: 通りすがりの元公務員 | 2012年5月 4日 (金) 17時57分

あまのじゃくさまへ。
 
 1000兆円のところのコメントを読ませていただきました。あまのじゃくさまは1000兆円の借金の原因をお知りになりたいのですよね。そうであればせめて少しは「●●論」をかじったうえで議論しませんか?

 それが何だかわかりませんけれども、1000兆円の累積赤字がマクロ経済的にどのような効果があったのか、無かったのか、さらにあまのじゃくさまは1000兆円の借金が良い事だと思っておられるのか、それともとんでもない事だと思っておられるのか、そこら辺のスタンスが分からないと議論しようがありません。

 自分のスタンスを曖昧にしたまま、例えば私などがあまのじゃくさまの文面からその趣旨を読み取ろうとすると「それは違う」「そんなことを言った覚えはない」などと言われると、議論が前後してしまいますので、お立場をはっきりさせてから議論させてください。

 ただ単に1000兆円の原因を知りたいだけなのであれば、「原因=法律」だったり「1000兆円の借金は「50円分しか仕事をしていないのに、100円の給料を貰った」差額の総和です。」という、あまりに単純で意味のないフレーズではなく、せめて、財政政策が国内総生産に及ぼした影響だとか、金融政策と財政政策との調和はどうだったのか、とか、ゼロ金利政策により、流動性がじゃぶじゃぶなのに、なぜインフレにならずデフレが継続しているのか、など、を絡めて議論しなければ、単に1000兆円の借金のみを見ていては、今の日本経済の現状は語れないし、1000兆円の是非も議論できません。

 そうした意味において、私は素人なので、この議論にうかうかとは乗れない、と申し上げているところです。

 ちなみに私は1000兆円の借金について、決して良い事だとは思っていませんが、では避けられたのか、と言えば、バブル崩壊後の経済の下支えにはなっていただろうし、当該政策を取らなかった場合に日本経済がどのようになったのか、を思うと、まったく否定する、という立場には立ちません。

 いかがでしょうか?ご検討ください。
 それでは。

投稿: 通りすがりの元公務員 | 2012年5月 4日 (金) 18時43分

がんばれ あまのじゃく

みんなにわかりやすい

解説をして

黙らしてくれ    頼みます

投稿: メロン | 2012年5月 4日 (金) 20時44分

応援せんと自分ががんばれ。

投稿: | 2012年5月 4日 (金) 22時54分

名前からして「あまのじゃく」ですから。

投稿: | 2012年5月 5日 (土) 02時05分

通りすがりの元公務員さん、私からの忠告です。

人の書き込みが理解できない場合、論理展開について行けない場合には、もう少し「落ち着いて」「熟考して」対応してくださいね。
私が「1000兆円の原因は法律だ!」と断言しているにも関わらず、「1000兆円の借金の原因が知りたいのですよね?」などの返事(?)には対応しませんので宜しく。

確かに今まで散々書いたのに、今頃「1000兆円に対する私のスタンスが分からない」のでは、貴方が指摘しているように「議論は出来ませんよね」(笑)。

まあ実態は年収百万円減公務員さんの言われる通りでしょうが、原理原則はしっかりしておかないと、この国はどこまでも漂流しますから。

しかし今になって(基本中の基本である)「国家権力の基本構造」を書く破目になるとは思いませんでした。

投稿: あまのじゃく | 2012年5月 5日 (土) 08時07分

あまのじゃくさんはあらためて、人に理解させるつもりはない、と。ついでに理解するつもりもない、と。
こりゃ議論にならないのはしかたない。

1点。
借金の原因は、50円の仕事に100円だすから、ではなく。本来100円のものをダンピングで50円しかださないのを補填するために積み重なったもの。
当然ながら、議論にならないので解説しません。

投稿: ×_× | 2012年5月 5日 (土) 16時14分

×_×さん、異論は大変結構だけど、「あまのじゃくとは議論にはならない!」なんて雰囲気を醸し出しても良い事は1つもありません・・ぜ・・と(笑)。

>借金の原因は、本来100円のものをダンピングして50円しかださないのを補填するために積み重なったもの。

少なくとも100円と50円の差額が借金の原因である事に賛成して戴き、ありがとうございました。これだけで充分です。
では1点だけ。

これは市場原理を経験した事が無い人の台詞ですね。正札100円でも値下げして50円でしか売れないなら、「本来50円」という事です。

投稿: あまのじゃく | 2012年5月 5日 (土) 18時16分

少なくとも拝見していて、あまのじゃくさんより通りすがりの元公務員さんのほうが「落ち着いて」いるようにみえる。そして、誠意的に「熟考して」対応しているようにみえる。どちらの意見が優れているかとは別の話として、あまのじゃくさんの後ろ楯のない(ようにみえる)論理展開にも問題があるのではないでしょうか?いちROM人間の感想です。

投稿: 感想人 | 2012年5月 5日 (土) 20時20分

ネット議論の常だ

投稿: ウム | 2012年5月 5日 (土) 23時57分

あまのじゃくさま

 おはようございます。こちらは気持ちの良い朝です。

 ご忠告の件なのですが、こちらはそれなりにあまのじゃくさまの文章を読んで、その分析をして内容の矛盾について指摘をさせていただいた上に、その疑問をそちらにぶつけさせていただいています。それは、私の文章をお読みいただければお分かりだと思いますが、いかがでしょうか?

 もう一度、あまのじゃくさまの論旨の矛盾点についてご指摘させていただいた方がよろしいでしょうか。それともこのコメント欄であまのじゃくさまがお書きになった全文章を最初から最後まで読んで分析しないと、議論に参加することは許されないのでしょうか。

 1000兆円の原因が「法律だ」。確かに断言されておられますが、その趣旨についてあまのじゃくさまの先ほどの文章で理解することができる方は、今まであまのじゃくさまの文章をすべからく追っかけしている方は分かるかもしれませんが、私はそれほどのマニアではないのでわかりません。

 国が借金をするためには財政法の特例法であるところの「特例公債法」によらなければならない、という意味においてはあまのじゃくさまのおっしゃるとおりですが、それはあまのじゃくさまがおっしゃりたい事ではないんですよね。特例公債法を発動するに至った経緯、例えば圧力団体だったり財務官僚だったり政治家だったりの政策的な思惑がそうさせた、というところかと思いますが、では、いつ、彼らのどういった行動が特例公債を1000兆円分、発行させるに至ったか、その裏付けとしての事実関係(いわゆる5W1H)については、いままでお書きになっているのでしょうか?

 私は議論するにあたっては、事実と論理を基本にして、推測や思想的な主張はできるだけ避けているつもりです。あまのじゃくさまの文章は、当て推量や思想が表に出ている内容がほとんどのように読み取れますが、参加したのはここ数週間ですから、どのような事実関係や具体的な政策が、結果として法律となって特例公債を発行させるに至ったのか、あまのじゃくさまの文章では読み取ることができませんでした。

 もう一度お尋ねしますが、「公」から逸脱した場合の強制是正力≒権利の侵害となる論理矛盾はどのように説明なさるのでしょうか。また1000兆円の特例公債について、今までの文章から読み解く限りでは、あまのじゃくさまは批判的立場に立っておられる、と認識していますが、それならば、どうすればこの膨大な借金をしなくて済んだのでしょうか。法律が違えばそうならずに済んだのでしょうか。どのような法律を整備すれば国の経済を立て直すのに、借金をせずにすんだのでしょうか。

 そういう問いに答えてこそ、ネット上での建設的な議論につながる、と私は信じているのですが、あまのじゃくさまはいかがでしょうか?

 以上、あまのじゃくさまの忠告についての私の回答です。
 よろしくお願いいたします。それでは、また。

 

投稿: 通りすがりの元公務員 | 2012年5月 6日 (日) 10時00分

通りすがりの元公務員さん

>公から逸脱した場合の強制是正力=権利の侵害

少し誤解をされているのだろうと思います。公とは望ましい社会状態の事・・とは説明しましたね。そこから逸脱する・・とは「殺人が行われた」とか「泥棒が横行している」といった状態ですね。
それを放置すると「公」が保たれないから、国家権力は何らかの是正をして「公」を保とうとするのです。

その強制是正力の殆どが「自由の制限」です。死刑、懲役、行為の取り消し、行為の中止命令などなど。
これらの行為は「自由の制限」つまり見方によっては「権利の侵害」です。

死刑と殺人を区別するのはたった1つ「法に基づく裁判所のお墨付きがあるか否か」だけだ。その自覚を持たずして権力を語るな・・と言ったのです。

>1000兆円の話であまのじゃくは批判的な立場に立っていると認識している。

しっかり私のスタンスを理解しているじゃないですか。
アタカも私が相手の言い分で(自分の都合よくスタンスを変えて)「ころころ」主張が変化している!といった書き込みをしたのですか?

>どうしたら膨大な借金をせずにすんだのか

「働かざる者、食うべからず」の原理が「人権意識」の為に希薄化し、その兆候が市民意識や法律及び法解釈の中にも反映されすぎている。だからこれを是正せよ。
この様な趣旨の事を書いたのは、そんなに昔の事ではありませんが、覚えていませんか?

>どうしたら経済を立て直せたか

大変難しい問題ですが、この場で話すのは控えましょう。何故ならあなたの考えは「自分たちの暮らしが良くなるのなら、我々の孫や曾孫に借金を押しつけても仕方が無い」と言っているに等しいですが、その理解で宜しいですか?この一番大事と思われる所を無視して、経済などを語った所で何になるのでしょうか?

「入るを計って出を制す」すら守らなかった理由は「自分だけが良ければいい」との精神ではありませんか?

投稿: あまのじゃく | 2012年5月 6日 (日) 11時10分

がんばれ あまのじゃく

みんながあきれるような

釣りコメをして

笑わしてくれ    頼みます

投稿: | 2012年5月 6日 (日) 11時16分

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