« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

2012年4月29日 (日)

多面的な情報への思い、2012年春

職場の歓送迎会での雑談の中で、このブログの話が出ました。まだ一度も見ていないと言われていた方が、さっそく自宅のパソコンで「公務員のためいき」と検索し、訪れてくださったようです。翌朝、お会いした時、「思った以上に立派でしたね。ただ文字が多いようで…」という感想もお寄せいただきました。これまでも「文字ばかり」というような言葉を投げかけられる時が少なくありませんでした。

ブログは短文が主流で、一般的には気軽な文章というイメージがあるようです。それに対し、このブログは文字が多く、内容も堅く、とっつきにくい印象があることも確かです。それでも毎日、おかげ様で本当に多くの皆さんに訪れていただいているため、基本的なスタイルを変えずに続けることができています。とは言え、少し前から記事本文を極力短くし、あまり論点が広がらないように心がけていました。

そのように述べていながら前置きから入り、今回も長々とした記事内容となってしまうものと思っています。その中で、せめて論点は拡散しないように記事タイトルに沿った流れを意識していくつもりです。ちなみに前回記事「高年齢者雇用の課題」のコメント欄では司法のあり方などについて、活発な意見が交わされていました。この新規記事に議論の場が移されることも歓迎していますが、たいへん恐縮ながら今回の記事はその延長線上で綴っていない点をあらかじめ申し添えさせていただきます。

資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の判決で、東京地裁は26日、無罪(求刑・禁錮3年)を言い渡した。大善文男裁判長は、東京第5検察審査会の起訴議決を有効と判断し、元秘書たちが作成した陸山会の政治資金収支報告書が虚偽記載にあたると認定。

元代表の一定の関与も認めたが「元代表は違法性の根拠となる具体的事情まで認識していなかった可能性を否定できず共謀を認めて刑事責任を問うことはできない」と結論づけた。政界実力者が検察審査会の議決で罪に問われた異例の公判。無罪となったことで政界に多大な影響を与えるとともに、検察審制度の在り方を巡る議論にも波及しそうだ。【毎日新聞2012年4月26日

先週、上記の報道に接した際、以前の記事「再び、多面的な情報への思い」が頭の中に浮かんでいました。陸山会事件を一つの例としてあげながら、まとめていた記事ですが、あくまでも「多面的な情報への思い」の続編に位置付けた内容でした。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。

クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。そのような問題意識を強めているため、ネット上でニッチな情報を発信する一つのサイトとして当ブログを続けていました。今回の記事では小沢元代表の無罪判決の問題を直接取り上げませんが、私自身がブックマークしているブログを通し、それぞれ両極端な見方を目にすることができていました。「限りなく灰色に近い無罪、小沢復権などありえない」(依存症の独り言)と「小沢無罪判決の本質」(永田町異聞)という記事内容でした。

現時点で無罪という結果が示されていますが、事件の背景や周辺情報の真偽は「藪の中」であると言わざるを得ないのかも知れません。そのような中、陸山会事件においても検事による虚偽の捜査報告書作成という事実が浮かび上がっていました。検察が見立てたシナリオに沿った供述を強引に求める手法、あげくの果てに証拠改竄まで手を染めた検事の存在は検察捜査への不信を高めていました。

小沢元代表の裁判では、このような虚偽も明らかになったため、無罪判決に繋がったものと思います。しかし、これまで被疑者が容疑事実を強く否認しながらも、検察の言い分に比重を置いた判決が下される場面は無数にあったはずです。それこそ司法の場では多面的な情報を先入観にとらわれず、よりいっそう公正な視点で見極めるべきものと考えています。そのような意味合いからすれば、刑事裁判の有罪率99%という異常な高さを疑問視することも求められているのではないでしょうか。

実は今回、改めて多面的な情報への思いについて取り上げようと考えたのは、最近、次の書籍を手にしたからでした。大阪地検特捜部の大坪弘道元部長が著した『勾留百二十日』です。その著書を読み終え、検察捜査の内側を垣間見ることができました。3年前の6月、障害者団体向けの郵便料金割引制度を悪用した事件に絡み、厚生労働省の村木厚子局長が逮捕されました。その捜査を指揮したのが大坪元部長でした。

翌年9月、村木局長の裁判は無罪判決となる一方、捜査の過程で前田恒彦主任検事が証拠のフロッピーディスクのデータを改竄していたことも発覚しました。すでに前田元検事は証拠隠滅罪で懲役1年6か月の実刑判決を受けています。大坪元部長は証拠改竄の事実を知りながらも隠蔽したと見られ、犯人隠匿の罪に問われ、逮捕・起訴されていました。逮捕する側が逮捕され、取り調べる側が取り調べられ、まったく逆の立場に置かれた時の苦悩が赤裸々に綴られた手記でした。

今年3月に大阪地裁で有罪判決が下されましたが、同じ罪で起訴されていた佐賀元明元副部長とともに無実を主張し、大坪元部長らは控訴していました。最大の争点は、前田元検事によるデータ改竄を大坪元部長ら二人が故意によるものと認識していたかどうかでした。検察側は、二人が前田元検事から故意の改竄という告白を受けながらも保身のため、もみ消しをはかったと主張していました。

大坪元部長らの弁護側は「取扱上のミスでデータを改変してしまったかも知れないが、意図的なものではない」という報告だったと反論していました。大坪元部長の手記の中では、このあたりの経緯が詳しく記され、「なぜ、自分が」という苦悶の声が生々しく綴られていました。1冊の著書を出したからと言って、そこに書かれた内容がすべて真実であるとは限りません。一貫して自己の主張を正当化している可能性も決して否定できません。

しかしながら『勾留百二十日』を読み終えた率直な印象は、最高検察庁側がシナリオを書き、その結論ありきで進んでいるというものでした。前田元検事の犯罪によって検察の捜査そのものへの不信が広がった中、特捜部長や副部長まで逮捕することで「自浄能力」をアピールするという最高検側の意図を大坪元部長は指摘していました。作為的な捜査ではなかったとしても、結果的に特捜部長以下の「トカゲのしっぽ切り」で検察全体への批判がやわらいでいたことも確かでした。

村木局長の不当な逮捕・勾留が教訓化されることなく、その事件を指揮した大坪元部長が同じような苦しみを強いられるという皮肉な巡り合わせでした。大坪元部長は「彼女の受けた苦悩を思うと、我が身になぞらえ、さぞ辛かっただろうと同情の気持ちと申し訳ない気持ちが心に湧き上がってくる」と綴られていました。私自身、この書籍を通した多面的な情報が得られなければ、データ改竄事件は過去のものとなっていました。それが今、検察の体質は簡単に変わっていないことを改めて危惧している思いに繋がっていました。

| | コメント (32) | トラックバック (0)

2012年4月22日 (日)

高年齢者雇用の課題

このところ毎日、貴重なご意見が数多く寄せられ、コメント欄はいつも盛況でした。たいへん感謝している中、管理人からのレスは見送りがちとなっていることをご理解ご容赦ください。実は今回の記事タイトルの内容は数週間前から投稿のタイミングを見計らっていました。前回は実際に書き始めましたが、前置きとして触れた冒頭の文章が膨らみ過ぎたため、途中からタイトルを「コメント欄雑感、2012年春」に差し替えていました。結果的には下記の報道のとおり地方公務員も含め、一定の方向性が定まった節目での投稿に至りました。

政府は17日、地方公務員の定年延長を見送り、国家公務員と同様に再任用で対応する方向で調整に入った。今秋の臨時国会に、定年後の再任用を原則義務づける地方公務員法改正案を提出し、国家公務員と同じ13年4月からの実施を目指す。政府は従来、共済年金の支給開始年齢を13年度から段階的に65歳まで引き上げることに伴い、国家公務員と地方公務員の定年を60歳から65歳に引き上げることを検討してきた。しかし、消費増税の前提として「身を切る改革」が求められる中、公務員を優遇する定年延長には批判が強い。高い給与水準が維持され人件費増につながる懸念もある。

政府は自治労や日教組が参加する公務労協にもすでに打診した。自治労などは定年延長を求めて再任用に反対の立場を示しており、調整は難航する可能性もあるが、自治労幹部は「地方の民間企業では定年延長どころか再任用も難しく、現実的には仕方がない」と語った。政府は3月23日の行政改革実行本部と国家公務員制度改革推進本部(いずれも本部長・野田佳彦首相)の合同会合で、国家公務員の定年延長を見送り、希望者の再任用を原則的に義務づける基本方針を決めている。【毎日新聞2012年4月18日

このブログを始め、様々なテーマの記事を綴る際、改めて基礎的な知識を確認する機会に繋がっていました。そのような自己啓発の意味合いがあることもブログを続けている利点の一つでした。要するに今回の記事でも年金制度の一端などに触れていますが、たいへん恐縮ながら専門的な知識をもとに書き進めている訳ではありません。あくまでも問題提起したい論点に入る前段の部分として、自分自身の頭の中を整理するための参考程度の内容にとどまっていることをご容赦ください。また、年金一元化や職域加算(3階部分)の問題なども取り沙汰されていますが、あまり今回の記事では話を広げず、高年齢者雇用の課題に絞っています。

さて、もともと公的年金は65歳からの支給が原則でした。その中で、厚生年金と共済年金は60歳から特別に支給されていました。しかしながら1994年(平成6年)の法改正で、特別支給の老齢厚生年金の定額部分は段階的に支給開始年齢が引き上げられ、2013年度(平成25年度)から65歳からの支給になります。さらに2000年(平成12年)の法改正で、老齢厚生年金の報酬比例部分も2013年度(平成25年度)から段階的に支給年齢を引き上げ、今後、年金支給開始年齢は65歳に揃えられることが決まっていました。

そのため、2014年4月から定年後に「無年金・無収入」とならないための対策が課題となっていました。公務員の定年延長や再任用の話題のみがクローズアップされ、今回も「公務員は恵まれている」という批判を受けがちでした。しかし、少子高齢社会に伴う年金制度の見直しの影響と絡みながら、このような対策は決して公務員に限った課題ではありませんでした。そもそも2006年4月に改正高年齢者雇用安定法が施行され、各企業に対し、定年の引き上げなど65歳までの安定した雇用の確保を求めていました。

定年後に「無年金・無収入」とならないための対策は社会的な課題であり、昨年9月、人事院は「公的年金の支給開始年齢の引き上げに合わせて、平成25年度から平成37年度に向けて、定年を段階的に65歳まで引き上げることが適当」とする意見の申出を行なっていました。その方針に基づき、想定された3年に1歳ずつ定年を段階的に引き上げるスケジュールまで示していました。定年退職日は定年に達した日以降の年度末に統一され、給与水準は民間企業の60歳代前半層の年間所得を踏まえ、50歳代後半層職員給与の7割という設定が有力でした。

しかしながら定年を延長している民間企業は2割に届かず、大半は継続雇用制度を利用している現状でした。そのため、紹介した報道のとおり人事院勧告の意見の申出は見送られ、国も地方も定年延長ではなく、再任用の義務化という方向性に改まっていきました。この方向転換について、私自身もやむを得ないものと思っています。ただマスコミからは「公務員だけ」という伝え方が目立ち、官民問わず高年齢者雇用が課題であることの問題意識の鈍さは気になっていました。

かつては社会的な週休2日制の実現に向け、公務員側が先行し、全体的な底上げをはかる役割を果たしていた時代もありました。そのような情勢ではないことを重々承知していますが、官民お互いが前に進めず、望ましい社会的なゴールから遠ざかっていくのも好ましくないものと感じています。今回の記事内容も論点が広がり、定年制や年金支給にかかわれない非正規雇用の問題、再任用の義務化によって一時的に減少する新卒者の問題などの指摘を受けるのかも知れません。それらの問題を軽視するつもりはありませんが、今回の記事では民間も公務員も、勤労者にとって高年齢者の雇用が課題になっていることを強調させていただきました。

| | コメント (70) | トラックバック (0)

2012年4月15日 (日)

コメント欄雑感、2012年春

前回の記事「タバコ 1本で懲戒免職」に対しても本当に多くのコメントをお寄せいただきました。投稿者同士の活発な意見交換も続き、きめ細かく論点が掘り下げられながら、私自身、詳しい情報や知識を得られる貴重な機会にもなり得ていました。合わせて、自分なりのモヤッとした考え方をスキッリした言葉で分かりやすく説明されているコメントにも触れられ、いろいろな意味で意義深い場に繋がっていることをいつも感謝していました。

以前の記事「コメント欄雑感」の中で詳しく綴っていましたが、寄せられたコメント一つ一つを必ず読んでいることをお伝えするためにも、投稿された皆さん一人ひとりのお名前を掲げながら「コメントありがとうございました」というような感謝の言葉を発していました。このブログを訪れていただき、時間を割いてコメントを投稿くださった皆さんへの謝意を表すため、これまで私からのレスを最低1日に1回は行なうように努めていました。

その際、感謝の一言だけでは無味乾燥なコメントに過ぎないため、何かしら感想などを添えるようにしていました。かえって中途半端な「つまみ食い」のようなレスと取られがちだったかも知れませんが、自分なりのこだわりから心がけてきたコメント欄との付き合い方でした。それが最近、このようなレスや日々のつぶやき程度の一言に対し、トゲのあるコメントが返されるケースも増えていました。

素直に「ご指摘ありがとうございます」と返せれば良いのですが、何かレッテルを貼られ、思い込みが前面に出たコメントだった場合、「それは少し違うようです」というように相手の言い分を正さざるを得ませんでした。いつも述べている話ですが、自分の「答え」が最も正しいと考えていた場合、異なる「答え」に対し、厳しい口調での追及型のコメントになりがちです。しかし、立場や視点が違う方々から少しでも共感を得るためには、よりいっそう言葉遣いの丁寧さが求められているものと考えています。

攻撃的な姿勢や蔑んだ言葉が目立った場合、どうしても相手を身構えさせ、本質的な論点に行き着く前の感情的な応酬になりかねません。昨年7月の記事「400回、改めて当ブログについて」の中ではCMで有名になった金子みすゞさんの『こだまでしょうか』という詩を紹介していました。金子みすゞさんは1930年に亡くなられていますので、著作権法上の問題がありません。そのため、せっかくの機会ですので、今回の記事でも心にしみるその詩の全文(青字)を最後に掲げています。

つまりトゲのある言葉に対しては、やはりトゲを含んだ言葉で返すことが多くなってしまいがちです。このような傾向は自分自身にも省みている話であり、完璧に感情をコントロールできれば良いのですが、つい余計な一言を付け加え、相手を挑発している時がありました。落ち着いたコメント欄の雰囲気を望みながら、皮肉なことに私自身が火に油を注ぎ、ギスギスした議論に繋げていた面があったことも否めませんでした。

最近の記事「迷った末の結論」の中で綴っていたとおり当ブログの進め方を自問自答していました。基本的に今まで通りのスタイルで続けていくということに変わりありませんが、前回記事のコメント欄では「レスを最低1日に1回は行なう」というこだわりを週の途中から見送っていました。前述したようなトゲのあるコメントが寄せられ、私からレスする場合、どうしてもその内容に触れてしまうからでした。

全体的な議論の流れの中で、そのことにレスするかどうかは関係なく、わざわざ本論から離れる話を取り上げる必要性の薄さも考えました。結果的にその判断は正しかったようであり、たいへん建設的で穏かな意見交換がスムースに続いていました。何よりもコメント投稿されている皆さん一人ひとりのご理解ご協力のおかげだと思っています。その上で、ケース・バイ・ケースなのかも知れませんが、盛り上がっている議論に水を差さないよう中途半端なコメントは控え、一閲覧者に徹することの大切さも感じ取っていました。

また、「レスを最低1日に1回」という自分自身に課していたノルマをそれほど負担に感じていた訳ではありませんが、見送ると決めてからの気持ちの軽さが予想以上だったことも確かでした。なお、誤解されないように強調しなければなりませんが、一方通行ではない意見交換ができるブログの利点を引き続き重視しています。したがって、あくまでも「最低1日に1回」のこだわりを外すだけであり、時間的な余裕などを見計らいながら今後も管理人の立場からのコメント投稿は続けていく予定です。特に直接的な問いかけがあった場合などは、なるべく素早く対応していくつもりです。

ぜひ、以上のようなコメント欄への対応について、ご理解くださるようよろしくお願いします。実は今回、前置きとして書き始めた内容が広がってしまい、記事タイトルを途中で差し替えていました。これまでも年に数回、コメント欄に対する雑感などを綴る記事を投稿していました。すでに「再び、コメント欄雑感」という記事もあったため、安直に「2012年春」を付けていました。それでは最後に『こだまでしょうか』を紹介し、取りとめのない記事の結びとさせていただきます。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
 
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
 
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 
そうして、あとで
さみしくなって、
 
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

| | コメント (116) | トラックバック (0)

2012年4月 8日 (日)

タバコ1本で懲戒免職

直近の執行委員会で、高齢者雇用の問題が取り上げられた際、「次に更新するブログの内容がそのテーマなので、参考にしてください」と案内していました。確かに直前まで定年制の延長問題などを書き進める予定でしたが、前回記事「大阪市の捏造リスト問題」のコメント欄を通し、nagiさんと意見を交わした話題を新規記事でも扱うべきものと考えるようになっていました。予告した執行委員の皆さんには恐縮ですが、高齢者雇用の問題は次回以降に送り、今回、タバコ1本で懲戒免職となる話題を取り上げることにしました。

大阪市営地下鉄の駅で男性助役(54)が喫煙し火災報知機が作動した問題が波紋を広げている。橋下徹市長(42)が助役を懲戒免職とする処分の検討を会議で指示。喫煙が原因で職員がクビになるケースは過去になく、「さすがに厳しすぎる」と賛否両論が巻き起こっているのだ。助役側の反発が予想されるが、市長は「司法で決着すればいい」と法廷闘争も辞さない構え。異例の場外バトルに発展しそうだ。

助役は3日朝、四つ橋線本町駅に出勤後、勤務前に駅長室の給湯室で喫煙。火災報知機が作動し、列車4本が最大1分遅れ、乗客約1000人の足に影響が出た。助役は勤続36年のベテランで、同局の調べに「朝食をとった後、吸ってしまった」と弁明。だが、不祥事発覚のタイミングは最悪だった。市営地下鉄ではこれまでも職員の喫煙が問題になってきた。1月には、運転士の列車内喫煙が発覚。2月10日には市交通局が全駅禁煙とする通達を出した。だが、同22日には市中心部の梅田駅で、清掃業者の従業員のたばこの不始末が原因とされる火災が発生し、約3000人が地上に避難する騒動が起きた。

一連の事態を受け、橋下市長は、服務規律刷新のプロジェクトチームの会合で、勤務中の喫煙について、免職や停職を含めた厳しい処分を課す方針を明言していた。その矢先に起きた今回の不祥事。市長は今月3日、会見で「市長の政治メッセージを無視する挑戦的な行為」と助役を厳しく指弾。喫煙が原因で免職にした例はないが、「過去の事例と関係なく厳罰にする」と助役の免職を示唆した。

処分を受けても、裁判次第では処分が取り消される場合があるが、懲戒免職は公務員にとっては死刑宣告にも等しい。元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は「たばこ1本で免職させるのはさすがに行きすぎ。裁判になれば市側が負ける公算が大きい。一定の見せしめ効果はあるだろうが、こうしたパフォーマンスを繰り返せば表面だけ繕えばいいという『面従腹背』の職員が増えかねない。組織の弱体化を招く危険性もある」。果たして行方は…。【ZAKZAK2012年4月6日

この問題も人によって賛否が大きく分かれるのかも知れません。実際、nagiさんは懲戒免職という判断を強く支持され、私自身は若狭弁護士と同じように「厳しすぎる」という見方を示していました。前回記事の冒頭に記したとおり当ブログを通し、物事の見方や「答え」が一つではないことを基調に多面的な情報や自分自身の考え方を発信してきました。そのため、これまで大阪市の橋下市長の具体的な進め方などについて、問題だと思われる点に対して「私はこのように考えます」という論調で記事本文を綴っていました。

また、このブログを訪れてくださっている皆さんが必ずしもコメント欄まで開かれていないようです。したがって、喫煙で免職されるという問題に関してはコメント欄にとどめず、記事本文でも提起すべき題材だと考えました。そのことで一人でも多くの皆さんに「罪と罰」のバランスについて、思いを巡らす機会にしていただければ本望なことでした。ただ前回記事のコメント欄に書き込んだ内容を中心に掲げていくため、すでに目を通された方々にとって目新しいものではなく、たいへん恐縮です。

さて、このような問題に際し、助役の軽率な行為を決して擁護する話ではないことをあらかじめ強調しなければなりません。過ちは過ちとして相応の処罰が与えられなければなりません。しかし、その処罰の重さが適当なのかどうかは冷静に見極める必要性がありました。制限速度50キロオーバーは重大な事故を起こしかねない危険運転の一つです。しかし、実際に事故を起こした場合と単にスピード違反で取り締まられた場合では罰則の重さに大きな差があります。

今回、助役の喫煙によって火災報知機が作動し、列車4本が最大で1分の遅れ、その結果を軽く見るつもりもありません。しかし、懲戒免職が適当かどうかで考えれば、私自身、重すぎるという印象でした。そもそも橋下市長自身も「法的に問題はあるだろうが、負けてもいい」という発言を行なっていました。加えて、専門家の見方も上記の報道のとおりであり、他のメディアの取材の中で、公務員のコンプライアンスに詳しい辻公雄弁護士は「労働者にとって免職は死刑と同じ。あまりにも重い処分で、トップの判断として適切なのか疑問だ」と語られていました。

以上のような私からのレスに対し、さらにnagiさんから「ミス」でなく「故意」であっても免職が不当かどうかというお尋ねも加えられました。確かに助役の意思によって防げたトラブルであり、「ミス」ではなく「故意」だという見方も否定しません。ただ火災報知機が作動し、列車を止める事態まで予見していたかどうかで考えれば、そうではないものと思います。その意味合いでとらえれば判断ミスであり、予見できなかった、あるいは予見しなかったことの失態です。

そもそもタバコの火の不始末で火災を起こす可能性があるため、駅構内や事務室での喫煙を一切禁止していました。見方を変えれば、喫煙イコール火災を起こすという直接的なリスクの相関関係がある訳ではありません。つまり今回、決められたルールを守らなかったことについて、助役の責任が厳しく問われている構図だろうと考えています。誤解がないよう申し添えなければなりませんが、地下街の火災の恐ろしさ、そのため、安全対策に万全を期し、未然に防ぐためにも事前対策の徹底というnagiさんの強い問題意識を決して軽視するものではありません。

そのような点に全力を尽くすことを当然視しながらも、「罪と罰」のバランスは冷静に判断していく必要性を認識しているため、私なりの考え方を書き進めていました。場合によって比較の仕方にお叱りを受けるのかも知れませんが、労働者にとっての「極刑」であるという重さを受けとめた際、このような見方も示していました。殺意があったとしても未遂だった場合、「極刑」判決には至りません。今回のケース、前述したとおり「過失」的な要素を必ずしも否定できない中、火の不始末やボヤを起こした訳でもなく、「極刑」という処分が適当なのかどうか、私自身は行き過ぎだととらえています。

しつこいようですが、助役の軽率な行為を擁護するものではなく、しかるべき処分が課せられることを否定していません。その際、懲戒免職という選択肢はあり得ないという点を強調していました。阿久根市の竹原信一前市長は、張り紙をはがした職員を懲戒免職(参考記事「阿久根市のその後」)にしました。結局、竹原前市長の主張は裁判で退かれ、その職員は復職を果たしていました。橋下市長は弁護士なので、自ら法廷に立つつもりなのかも知れませんが、大阪市側は裁判の費用や労力の問題なども想定しなければなりません。そのような事情を踏まえれば、妥当な結論に落着することが求められているものと思っています。

| | コメント (84) | トラックバック (0)

2012年4月 1日 (日)

大阪市の捏造リスト問題

このブログを通し、物事の見方や「答え」が一つではないことを基調に多面的な情報や自分自身の考え方を発信しています。これまで阿久根市の竹原前市長や大阪市の橋下市長らの具体的な進め方などについて、問題だと思われる点に対して「私はこのように考えます」という論調で記事本文を綴っていました。その中では、民意を背にした首長への敬意を失念しないように心がけ、誹謗中傷や敵愾心を前に出した言葉は慎んできました。加えて、あくまでも問題視しているのは公けになっている事実関係に対してであり、「AはBだと思われるから問題だ」というような憶測や思い込みによる文章も極力控えていました。

そもそも問題視している手法などが正当化されていった場合、全国に及ぼす影響が大きく、決して「対岸の火事」ではないため、あえて取り上げてきた経緯がありました。したがって、前回記事「縦糸と横糸の話」のコメント欄で「大阪市にとってOTSU氏は部外者であり、更に公務員の身分を明らかにして部外の労使関係を公に批判することは、適格性を欠いた干渉であり(自治労の体質)、ご自分の言葉がそのまま当てはまり今後一切橋下市政について語るべきではない」という指摘もありましたが、正直なところ違和感が先立つ話でした。

最近、自治労に所属する一組合の委員長の立場や、1週間のアクセス数1万件程度のブログの場が過大に評価されているようにも感じています。たいへん光栄なことかも知れませんが、「公務員や組合はどうしょうもない、だから徹底的に批判し、真っ当な姿に改めさせる」という気負った意識が寄せられるコメントの数々から読み取れていました。そこには一個人の責任で運営しているブログの枠を大きく超え、とても容易に対応し切れないギャップも感じざるを得ませんでした。

決して手厳しい批判意見や耳の痛い話を敬遠したいために述べるものではなく、そのような見方自体が自意識過剰なのかも知れません。いずれにしても、このブログのコメント欄は限られた閲覧者同士が、それぞれの意見内容を「どう感じ合うかどうか」という場に過ぎないものと思っています。その上で、主張されている「答え」の方向性が正しければ、おのずと現実の場面でも変わっていくものと考えています。ぜひ、それ以上でも、それ以下でもない場として、幅広い声に耳を傾け合う寛容さへのご理解ご協力をよろしくお願いします。

簡潔な記事内容に心がけるとお伝えしていながら、いきなり前置きの文章が長くなってしまいました。書きたいことを気ままに書き進めることも、ブログを長く続けられている理由の一つでもあり、このような点についてもご容赦ください。さて、橋下市長と平松前市長が激しく争った大阪市長選の際に出回ったとされる「知人・友人紹介カード」の問題で、大阪維新の会の杉村幸太郎市議会議員が内部告発を受けたとして、市交通局やその組合を厳しく追及していました。

昨年11月の大阪市長選を巡り、市交通局の職員労組「大阪交通労働組合」(大交)が平松邦夫・前市長を支援するため、職場で「知人・友人紹介カード」を配布し、回収状況の確認や後援会への参加徹底を求める内部文書を作成していた可能性があることがわかった。大阪維新の会市議団が6日、内部告発者の市職員から提供を受けたとして文書を公表したが、大交側は「でたらめで、事実無根だ」と否定している。

文書はA4判36枚。非組合員の局長級を含む同局職員約1800人分の氏名が書かれ、各職員別に紹介カードの配布や回収の状況をチェックする欄があった。この文書には、各職員について市側しか知り得ない7ケタの職員番号が使われており、欄外には「非協力的な組合員がいた場合は、今後不利益になることを本人に伝えてください」と書かれていた。維新市議団は「交通局と大交が組織ぐるみで選挙応援をしていた疑いがある」として、同局に調査を求めている。【読売新聞2012年2月7日

それが最近、内部告発者から提供されていたリストは捏造だったことが明らかになりました。文章入力の省力化と合わせ、淡々と事実経過を紹介するためにも、報道されている内容を引き続き、そのまま紹介させていただきます。

昨秋の大阪市長選を巡り、市交通局の非常勤嘱託職員が平松邦夫前市長の推薦人紹介カードの配布リストを捏造(ねつぞう)した問題で、この職員が大阪維新の会(代表・橋下徹市長)の「維新政治塾」に応募していたことが分かった。リストを内部通報した維新市議とは市長選前に開かれた維新の集会がきっかけで知り合ったことも判明。橋下市長らの歓心を買うことが、捏造の動機となった可能性が出てきた。職員は32歳の男性で、27日付で解雇された。維新関係者によると、次期衆院選に向けて候補者を養成する維新政治塾に応募したが、市職員だったため、書類選考で落とされ、受講生になれなかった。

職員は27日午前、交通局本庁舎(同市西区)であった聞き取り調査で捏造を認めた。終始無表情で淡々と質問に答え、解雇を告げられると黙ってうなずいた。「とんでもないことをした」と、戸惑いを見せたものの、最後まで謝罪の言葉はなかったという。職員は昨年5月、1年契約で交通局鉄道事業本部に採用され、パソコンを使った経理処理などを担当。てきぱきとした仕事ぶりが評価されていた。一方、無口で同僚とはあまり話さず、昼食も1人で取ることが多かったという。

リストを持ち込んだ維新の杉村幸太郎市議(33)とは昨年、維新が市内全24区で開いた区民会議で知り合った。以来、メールや電話で連絡を取り合い、組合が市長選期間中に配布した違法な選挙ビラなど複数の内部情報を提供していた。杉村市議は「維新を応援していると言っていた。細くていかにも真面目そうな青年。捏造なんてしそうにもない」と印象を語る。リスト捏造について、杉村市議は「彼を疑う蓋然(がいぜん)性に乏しかった。詰められるところはすべて詰めてやった」と強調した。

橋下市長も「議会の指摘があったからこそ捏造問題が明らかになったという意味で、議会としては健全だ」とし、問題はないとの姿勢だ。しかし、告発者の「自作自演」を見抜けず、偽のリストを基に組合を追及した維新に対し、他会派から批判の声が上がっている。ある市議は「杉村市議はまず謝罪すべきだ。このままでは民主党の偽メール事件の二の舞いになる」とくぎを刺す。組合幹部も、維新の対応に「議会人としてはあるまじきことで、見識を疑う。問題なしと言っていることが理解できない」と憤った。【毎日新聞2012年3月28日

問題提起したい論点は簡潔にまとめようと思います。まず多種多様な情報提供の真贋を100%見抜けない限り、議会の場での追及材料に使うべきではないと言うつもりはありません。当然、その際に注意すべき点は断定調で語らないことだろうと考えています。さらに把握していた情報が誤っていた場合、すみやかに非を認め、関係者に謝罪すべきことも当たり前な話でした。今回、杉村市議は大阪市民に向けて謝罪したようですが、当該の組合に対する謝罪の言葉は発せられていません。

この件に関する組合からの抗議に対しては、ご自身のブログで「我々は議会人として、成すべきことを成したまで。議会活動を封殺しようとするのならば、それは民主主義の根幹を揺るがすものだと考えます。どちらの言い分が正しいかは、善良な市民が判断すべきことでしょう」という見解を述べられています。別に今後の議会活動を制約するような話ではなく、過ちは過ちであり、その点は誠実に対応すべきという発想が「善良な市民」の判断に繋がっていくのではないでしょうか。

続いて、幅広い情報や意見に接した際、先入観や思い込みが強い事柄に対しては判断を誤る恐れのある点について留意しなければなりません。そのリストを手にした時、きっと「交通局の組合ならば、やりかねない」という先入観があったはずです。このような判断ミスは様々な場面で生じる懸念があり、このブログのコメント欄でも同様な傾向があるのだろうと見ています。お互いの立場などにレッテルを貼って相対した時、自分自身も含め、うまく論点がかみ合わないケースを省みています。

最後に、今回紹介した報道内容には記されていませんでしたが、嘱託職員の言い分として「正義感からやった」という話もありました。つまり公務員組合が首長候補を組織として推薦すること自体を不当だと見ていた場合、そのような「正義感」が発動されるのかも知れません。ここで、また冒頭の言葉に戻る訳ですが、物事の見方や「答え」は一つではありません。立場や視点、価値観の差異によって「正しさ」の軸が変動することも実感しています。その軸の「幅」が極力狭められることを願いながら、このブログとも向き合っている昨今でした。

| | コメント (77) | トラックバック (1)

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »