迷った末の結論
東日本大震災に見舞われた日から1年を迎えました。亡くなられた方が1万6千人、未だに行方の分からない方が3千人に及びます。改めてお悔やみ申し上げるとともに、被災された皆さんのお気持ちが1日も早く安らげるようお祈り申し上げます。そして、被災地の苦しみや悩みを少しでも分かち合いながら、人と人の支え合いを強めることで遅れがちな復旧復興が加速していくことを心から願っています。
このような大きな節目の日にあたり、いつも通りブログに向かうことのためらいがありました。また、私どもの自治体において痛ましい孤立死の報道があり、批判を受ける不充分さが注目を浴びた直後に、これまでの延長線上での記事内容を綴っていて良いのかどうかという迷いもありました。前回記事「バス運転手の年収4割削減」のコメント欄で、行政としての踏み込み不足などを強く非難した指摘が寄せられていました。そのため、ブログへの向かい方そのものに揺らぎを感じ始めていました。
普段は穏かな口調である「ためいきばかり」さんからも非常に厳しい言葉を投げ付けられ、「大阪のことにかまけていられないっしょ」、つまりブログなどを投稿している場合か、という思いを強める機会となっていました。この件に関しては後日、別な「ためいきばかり」さんだったことが分かりました。ハンドルネームの重なりが意図的だったのか、偶然だったのかは分かりませんが、ただ投げ付けられた言葉の真意は斟酌しなければならないものでした。つまり「誰からの言葉か」という重さも加わりますが、「言葉の中味」そのものを受けとめ、自問自答していました。
その一方で、一つの方向性に偏らず、幅広い見方や考え方もお寄せいただき、このブログのコメント欄の本当に有難い傾向には正直救われていました。波打っていた気持ちが徐々に和らぎつつある中、さらにSKさんから「フラットな立場を求めるなら、公務員がもっと発信してもいいと思います。(管理人さんには申し訳ないのですが、これまでの組合の在り方には色々と問題があったと思います) その結果としてお互いに埋められない溝があっても、それはもう仕方ないのでは。そういう意味で此処は有意義な場所だと思っています」というコメントが寄せられていました。
このような評価もあり、せっかく多くの皆さんが注目くださっている手応えもある中、週末を迎え、いつも通り新規記事を投稿するため、パソコンに向かうことができていました。今回、いきなりブログの閉鎖まで考えていた訳ではありませんが、ペースダウンする時機かどうか迷ったことは確かでした。「大阪のことにかまけていられないっしょ」という言葉がズシリと重かったことは間違いありませんが、伏線となる徒労感が最近のコメント欄から蓄積していたようでした。
これまで何回かYahoo!ニュースのトップ画面に当ブログの記事が掲げられたこともありました。そのような時は一気にアクセス数が伸びていました。また、「公務員」というワードとの組み合わせから検索し、初めて訪れる方も急増していました。つまり日々のアクセス数の増加は、このブログに関する予備知識がなく、そこに掲げられた記事やコメント内容のみを読まれ、いろいろな印象を持たれる「通りすがり」の方々の数と比例していくことになります。言うまでもありませんが、1人でも多くの方に訪問いただけることは歓迎すべき話でした。
ただインターネット上で、視点や立場が様々な不特定多数の皆さんに対し、言葉だけで伝えていく難しさを日頃から感じていました。それでも分かり合うためには言葉を発しなければならないという思いも抱え続けていました。そのような一言に対し、「だから、あなたの身分に甘えた空虚な言葉はもう飽きたって。言葉だけでなく実証しなさい。OUTS氏は公務員の処遇以外に社会に対してこうしたいという思いが全く感じられない。時間稼ぎはいい加減にして、何でもいいから行動に移すまで全く信用できない」というコメントが返されていました。
以前から訪問されている方のコメントだったのかも知れませんが、ハンドルネームからは馴染みのない方でした。私が述べたかった話は、あくまでもブログを通したコミュニケーションの場合、当たり前ですが言葉のみ、文章を通した伝達手段に限られるという点でした。さらに視点や立場が様々な不特定多数の皆さんに対しての訴えは、それぞれ前提としている問題意識が異なる場合もあり、うまく論点がかみ合わない実情について当ブログを通して体感してきた難しさでした。
加えて、直近のコメント欄での発言に至る背景として、膨大な過去の記事やコメント欄での発信の積み重ねがありました。とは言え、初めて訪れた方々に対して、そのような過去の記事を踏まえて欲しいなどと非現実的なお願いを行なうつもりも毛頭ありません。そのため、「一期一会」という気持ちを大事にし、一つ一つの記事やコメントに向かい合ってきたつもりですが、おのずから限界があることも承知していました。「言葉よりも実証」という指摘はまったくその通りであり、信頼を得るためには中味のない言葉を繰り返すことよりも、適切な行動が欠かせないことも表明していました。
このような私からのレスに対し、別のハンドルネームの方からは「これからも劣勢が増していくでしょうが、どのように足掻いていらっしゃるか見せてもらいましょう」、さらに「自分で火をつけておいて結局消せないんでしょ?ROMだけでは議論も全く深まっていません。総論はともかく、事実に基づく各論に知ったか振りして他所の役所のことに公務員の立場を明確にしながら口をはさむのは大阪市民に失礼かと思われます。伝える言葉を持ち合わせていないのなら黙っていたらどうですか。議論をふっかけるのなら、それ相応の采配をしてもらわなければ不毛であり余計に不信感が募ります」というコメントが投げかけられていました。
このブログは匿名の立場で投稿していますが、所属している自治体名を何が何でも秘匿しているものではありません。そもそも組合員や知り合いの皆さんにとって、実名での投稿に変わりない性格のブログでした。したがって、前述したような報道を受けた内容がコメント欄に示されることも覚悟しなければならず、「組合について言えばほぼ100%加入の単組であるらしいが、その長に責任があるとは言わないまでも風土について知らないとか影響がないとは言うまい。コメントを通じて色々と想いを巡らせていると書かれているが、自らこのサイトで語ってきたことを実践するときだろう」というようなご指摘も受けとめていかなければなりませんでした。
先週のコメント欄では以上のような流れの中、辛辣なご意見が少なくありませんでした。常々、「何が批判され、どうすべきなのか」、あるいは「誤解による批判だった場合、どのように理解を求めれば良いのか」という相互に意思疎通できる機会が様々な場面で欠かせないものと考えていましたが、そのような思いに対する自信が揺らぐコメントの数々とタイミングだったと言えました。もともと視点や立場が異なる方々との「壁」を低くするための試みの難しさは充分理解していました。
しかしながら今回、自分の関わる足元においても批判を受ける話が浮上したことで、ますますその試みの難しさが倍加したように感じていました。つまり私から発信する言葉や決意を空疎なものとして受けとめられる方々が増えていくのだろうと考え始めていました。今後も足元に対する批判材料が上がるたび、このブログが結び付けられ、冷ややかな目で見られていく懸念が否めません。完全な匿名性が担保されていないため、やむを得ない実情であることを個人的には覚悟しています。
当然、批判材料など一切ない組織にしていくことが肝要であることを強調しなければなりません。それでも興味本位な結び付けや、もしくは悪意ある結び付け方がされた場合、自分の所属する自治体に迷惑をかけないかどうかという心配も思い起こすようになっていました。このような自問自答を重ねていましたが、現時点での結論は「今まで通り続ける」というものでした。その理由は「公務員やその組合の言い分を発信する」「手厳しい批判意見も含め、幅広い声を伺える貴重さ」という従来通りの目的を重視しているからでした。
本来、今回の記事では様々な批判意見に対し、改めて総括的な答えを示す予定でした。ここまでで、たいへん長い記事となっていますので、恐縮ながら次回以降に委ねさせていただきます。その上で、1点だけ申し上げれば、「自分で火をつけておいて結局消せないんでしょ?」という指摘に対しては特に否定するつもりはありません。前回記事の冒頭に記したとおり「当ブログのコメント欄は、一つの結論を見出す場だとは考えていません」という位置付けを重視しているからです。ぜひ、その冒頭の箇所を改めて読み返していただければ誠に幸いですので、よろしくお願いします。
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コメント
「OTSU」氏
なかなかコメントする時間が取れませんが毎週見ておりました。
前回の私へのコメントを書き換えられたようですが、相変わらずとは手厳しい評価を受けたものです。なかなか、こちらのコメントが貴方へは届かないようで残念に思う反面、いつもどおりで妙な安堵感を持っています。
また、私の活動場所について「OTSU」氏には要らぬ心配をさせたようですが、先月末で拠点をこちらに引き上げてきました。私も周囲の方々と同様に打ち出の小槌は持っておりませんので、この辺が限界だったと思っています。
私が貴ブログにコメントするようになって2年半くらいですが、その間繰り返し組合の政治活動と公務員の中立性について疑問と呈し批判をしてきました。その間、ずっと貴方は四面楚歌の状況になれば改めると言い続けてきました。今の状況でもまだ貴方にとっては四面楚歌ではないのでしょうか・・・・。
強いのは悪い事ではありませんが、私には貴方も限界のように感じています。記事は引き続き綴るとしても一度コメント欄を閉じた方が良いのではないかと思います。
こちらのコメント欄も今週くらいは静かになりますようにと思いつつ、引き上げてきた私としては、今日この日くらいは追悼イベントは別にしてデモについては静かにしていて欲しいなと思っています。
投稿: mobileSE | 2012年3月11日 (日) 01時46分
ふだんはROMなのですが。
OTSUさんは誠実な人だとは思うんですけど、失礼ながら頑迷な感じがするんですよね。
1つ1つのコメントにぐさぐさ傷ついてる割に、だからといって自分を変えようとはしない。
今回のエントリーも、いろいろいろいろ書いてる割に、結論は「今まで通り続ける」。
そういう、意見を正面から受け止めているふりをしつつ(OTSUさん本人の意識はそうなのでしょう)、受け流すだけで意見は決して変えようとしない(外からはそう見えてしまう)ところに、コメントが荒れる原因の1つがあるような…。
投稿: いち国家公務員 | 2012年3月11日 (日) 07時04分
mobileSEさん、いち国家公務員さん、さっそくコメントありがとうございました。
コメント欄もこれまで通りとし、いろいろ耳の痛い話にも触れていこうという結論でした。それに対し、ご指摘のような「変わらない」という批判を受け続けるのかも知れませんが、そのことについて今回触れる予定でした。次回以降の記事に向け、改めて整理していくつもりですので、お時間を頂戴することをご容赦ください。
投稿: OTSU | 2012年3月11日 (日) 07時15分
こちらの管理人さんの意見が変わらないとの批判は以前からありますけど、逆に皆さんは人から批判を受けたからといって、そんなに簡単に自分の意見をコロコロと変えますか?
少なくとも、こちらの管理人さんは、考えを変える変えないは別として、皆さんの意見は受け止めていらっしゃると思いますけど。
投稿: 流離人 | 2012年3月11日 (日) 07時53分
こちらの管理人さんの言葉で「批判の言葉を重く受け止めています」とありましたが、そのように言われているのに一切変わらない姿にさらなる批判の声が寄せられているのだと思います。
最初から受け入れる余地がないのならば「方針は変えるつもりはない」とか「あなたの意見は間違っていて受け入れられない」とハッキリ言うべきであったと思います。
結局、明確に意思を出さずに、言葉のみで受け流すことに徹したことが、ここまでの批判を招いたのだと思います。
僕も、管理人さんのそういうところがいかにもお役人的で、違和感を持ってしまいます。
投稿: つぶやき | 2012年3月11日 (日) 13時22分
管理人さんは変わっていないですか?
具体的に、どこが変わっていないですか?
個人の考えと、組織の中での考えは、簡単にリンクするものではないのは、組織に身を置く人なら誰でもわかるのではないでしょうか。
少なくとも、管理人さんは多くの意見を聞いて、個人的な方向性の参考にしているのは間違いないですよね。
でも、その思いが、今すぐ組織の中で思うがままに出来るものでしょうか?
当然、管理人さんは個人の思いだけではなく、組織として組合員の意向を最大限取り入れなくてはならない立場です。
それは、どんな組織でも同じで、個人の考えだけで好き勝手にしていいものではないと思います。
今、管理人さんが心に決めているであろうことは、まずは組織として不正や違法な事が無いように、正しい方向に持っていこうとすることだと思ってます。
本来の組合が行うべき行動だけを、正しいやり方で問題なく活動する。そう決心していると思います。
組合という立場から考えて、自ら労働条件の改悪や、度を越した懲罰制度の導入など、発信出来るわけがありません。
甘い処分があったとしても、組合員を守る活動をするのが組合である以上、それを放棄したら組合という存在意義を否定することになってしまいませんか?
表立って、組合員を切り捨てるようなことが出来ると思いますか?
こう書くと、「身内に甘い」とか「利権や特権を手放す気がないんだ」などと言われると思います。
でも、それとこれでは、意味合いが全く違うと思います。
私は個人で意見を述べてますから、給料削減や懲罰制度の厳格化など、賛成の立場です。
でも、組合員過半数の信任が得られなければ、管理人さんは反対する以外のことは出来無いのは当然ですよね。
それでも、今回の国家公務員賃金削減の時も、管理人さんは削減自体に明確な反対はしていないはずです。
あくまで、組合との協議や手順を守って欲しい、そう訴えていただけなはずです。
そこに、受け流しがあるのでしょうか?
皆さんは、ご自分が会社という組織の中で同じような境遇になった時、本当に一人でも孤軍奮闘出来るのでしょうか。
また、そういった行動を取った時に、果たして組織はすぐに変わってくれるものなのでしょうか。
言葉で言うのは簡単です。
でも、それを実行するには、多くの時間と労力が必要なのは、組織に身を置く人間なら誰でも理解できると思います。
私は実際に見てみたいです。
管理人さんに「口だけ」と言う人たちが、実社会でどれだけ素晴らしい功績を残されているのかを。
たぶん、皆さんはそれぞれの組織の中で、坂本龍馬のような革命的英雄でいらっしゃるのでしょう。
多方面からの貴重な意見は、これからもどんどん発信して頂きたいです。
でも、管理人さんも一人の人間です。
個人に対して一方的に追い詰め、精神的に苦痛を与えてるような攻撃は、大人として慎みませんか。
投稿: 下っ端 | 2012年3月11日 (日) 14時16分
完全なる匿名性を担保している私やその他の人たちと違い、管理人さんの発言には我々とは比べ物にならないくらいの意味があることは想像に難しくありません。
そうそう軽々しい断定的な物言いはできないでしょう。確かに回りくどいと感じる方もいらっしゃるとは思いますけどね。
しかし、そのくらいは斟酌すべきと思いますよ。大人ならば。
投稿: 流離人 | 2012年3月11日 (日) 14時21分
一部コメントの泣き落しというかナイーブな方向へ持っていく戦術は、つい先週見たような。
具体的にどこが変わって変わってないかは、数年前の記事に役所として変わった例として、名札をつけたとか、「さん」ではなく「様」という敬称にしたとかがありました。
おそらく変えるべきことの観点も違うのでしょう。
孤立死は監視している訳にもいかず決して避けられるものではありません。
しかし、亡骸でも尊厳があるのが我々の住む国の社会通念だと思いますが、先週の出来事はそれが軽く考えられていたと受け取っています。
下っ端さんの直前の主張は、話をそこまで戻す?という印象です。
下っ端さんの経験した「バブル」とはいつのことでしょう?日本でバブルという場合は局所的なITバブルではなく資産価格が何もかも上がった20数年前のはず。だとすると下っ端どころか、そろそろ現場の長のはずなんですが。
そりゃ組織は簡単に方向は変えませんよ。しかしよほどの装置産業でなければ、現場で日々改善が行われたり、クレームには早々に対処するのが日常だと思います。
今回は町内とも言える距離で、つい先日起こった対応のまずさを認識しながら何の教訓もないのですから言葉が見つかりません。
やはり、座学で知ったつもりになるより、現場で失敗をしながら経験を積まないとどうしようもないのでしょう。
そういった観点で、出入りのない今の公務員制度はダメだと言わせていただきます。
身分保障は労働基本権の付与のかわりに早急に無くすべきです。
下っ端さんは身分保障を意識されていないようですが、もっと自覚すべきです。そんなナイーブですまされないのですよ。
身分保障されているんだったら尚更信念に基づいて孤軍奮闘してください。
日本の解雇規制は法律上は厳しいのでそれで十分でしょう。
私にできるかですって?
どこの組織でも腹をくくって直訴するものはいます。
信念があれば辞表を忍ばせてですよ。珍しい話ではないでしょう。
つぶしの利かない事をしているから飼われてしまうんですよ。
このブログは所属を公然になされており、また書き込みを奨励されていますので、当該組織への厳しい意見も否定されるものではないと解釈しています。
それは委員長が組合員へ提供した市井の言葉に触れる機会として機能しています。
書き込みの際の誠実さに幾度となく触れられていますが、コメントの殆どは罵倒を繰り返すようなこともなく是々非々で語られており、不誠実とまで言い切れるものはないと考えます。
OUST様
例の記者会見上、担当部署より述べられた「公社に遠慮があった」と「普通に残念な事案だった」の二点について補足及びどのような所感をお持ちでしょうか?
その言葉の背景を知り得ると推察いたしますのでお答えいただければ幸いです。
投稿: 元立川市民 | 2012年3月11日 (日) 18時41分
納得できない意見には真っ向から反論するか、スルーすればいいのに、わざわざ「重く受け止める」と言うから、かえって嘘っぽくなっちゃってる気がするんですよね。
ご本人の気持ちとして、重く受け止めているであろうことは否定しませんが、それが目に見える変化につながらないのに、軽々しく「重く受け止める」と言うのは、すごく役人的に見えちゃうので損ですよ、というだけ。
いや、本当にスルーするだけでいいんですよ。それでだいぶ印象は変わります。
投稿: いち国家公務員 | 2012年3月11日 (日) 18時48分
続けて申し訳ありません。
コメント中にある「自信」とは具体的にどのようなものでしょうか?
意思疎通とは意見を交わすことであり、お互いに納得することを予定していないということで宜しいでしょうか?
そう解釈すると益々何に関しての「自信」なのか想像もできないのですが。
>相互に意思疎通できる機会が様々な場面で欠かせないものと考えていましたが、そのような思いに対する自信が揺らぐコメントの数々とタイミングだったと言えました。
>「当ブログのコメント欄は、一つの結論を見出す場だとは考えていません」という位置付けを重視しているからです。
いち国家公務員さん
スルーされても良いんですが、ここは記事よりコメント欄に価値があるんですよ。
記事だけなら私は読みません。
投稿: 元立川市民 | 2012年3月11日 (日) 19時05分
タイトルだけ見ると、ブログやめられるのかな・・・とも読み取れましたが、そうではないようですね。
ふだんはROMばかりでコメントを書くところまではできていませんが、これからも読ませていただきます。
とくに、この時期は今の業務が超繁忙期なので、休憩中のわずかな時間に読むだけになっています。今日はたまたま休みなので自宅から、このコメントを書いているわけですが。
記事の中で「OUTS氏は公務員の処遇以外に・・(以下略)」とありますが、前回記事のコメントを全部読んだわけではありませんが、OTSU氏ではなくOUTS氏になっているのが気になりましたが、原文のままなのでしょうか。
投稿: Hama | 2012年3月11日 (日) 21時15分
流離人さん、つぶやきさん、下っ端さん、元立川市民さん、いち国家公務員さん、Hamaさん、コメントありがとうございました。
「迷った末の結論」という記事タイトルは少し仰々しすぎたように思い返しています。確かに今回、新規記事の扱い方などを迷いましたが、短期間で「今まで通り続ける」という結論に至っていましたので、そのような点について冷ややかに見られてしまっていることを反省しています。自分自身の迷いを強調した訳でもなく、まして「ナイーブな方向へ持っていく戦術」などと考えている訳ではなく、いつものようにその時に思っていたことを書き進めた結果、このような文章になっていました。
最後の段落に記したとおり様々な批判意見に対し、改めて自分なりの「答え」を綴るつもりでした。そこを本題にできなかったため、あまり中味のない愚痴めいた話で終わり、いろいろ違和感を与えてしまい申し訳ありません。一方で、もともと「雑談放談」をサブタイトルにしたブログですので、そのようなレベルであることもご理解いただければ幸いです。なお、私から答えるべき内容が多いのかも知れませんが、直接的なお尋ねがあった点に絞って対応させていただきます。
元立川市民さんから「公社に遠慮があった」と「普通に残念な事案だった」の二点についての補足や所感のお尋ねがありました。後者は公社担当者の発言だったようですが、いずれも会見の場での言葉として如何だったのかと思っています。それぞれ置かれた現状の中で、正直な気持ちを漏らされたものと見ていますが、いずれにしても今後、不充分さが克服できるような意識付けや態勢作りに努めていく機会に繋げなければならないものと考えています。
>常々、「何が批判され、どうすべきなのか」、あるいは「誤解による批判だった場合、どのように理解を求めれば良いのか」という相互に意思疎通できる機会が様々な場面で欠かせないものと考えていましたが、そのような思いに対する自信が揺らぐコメントの数々とタイミングだったと言えました。
同じく元立川市民さんから上記の「自信」についてのお尋ねがありました。ご指摘のとおり意思を通じ合っても、必ずしも共通理解に至らない場合も想定しています。それでも意見交換しなければ、永遠に通じ合えないという問題意識があり、その機会を設けることで相反した者同士の「壁」を少しは低くできる期待感や自信を持っていました。今回、その自信が揺らいでいたという思いを記したところでした。
>軽々しく「重く受け止める」と言うのは、すごく役人的に見えちゃうので損ですよ、というだけ。
いち国家公務員さんからのご指摘ですが、あまり重視していない内容については、そのような表現は基本的に使っていません。すぐに自分自身の「答え」が変えられなくても、参考となる素材として頭の中に残すべき貴重な提起などについて使用していたつもりです。
最後に、Hamaさんからのご指摘の「OUTS氏」は誤りだと思いますが、引用した文章をそのまま使っていました。
投稿: OTSU | 2012年3月11日 (日) 22時31分
ここで色々とブログ主さんに「苦言」なり「罵倒」なり「説教」なりされている皆さんは、ご自分たちが住まわれている地元の組合に対してはどのくらい声をあげておられるんですかね?
皆さんが本気で公務員の現状を憂えておられるのであれば、ブログ主さんに「今まで申し訳ありませんでした。明日からあなたのおっしゃる通りにいたします」と言わせてブログ主さんの組合を動かそうとするよりも、まずご自分が最大の当事者であり、ご自分の生活に文字通り直結している地元で行動を起こされる方が、実りある成果につながるんじゃないでしょうか?
もちろん、地元の自治体相手とあっては、ここのコメント欄のように匿名を押し通すわけにはいかないでしょうけどね。このコメント欄を読んでいると、匿名の安全地帯から書き込んでおられるであろう方々が、コメント欄を開放して身元もある程度特定できるブログ主さんを、体のいい「公務員代表」としてサンドバッグにしているだけに見えてしょうがない時があるんですよ。
最近、ここのコメント欄を読んでいて心がささくれだってくることが多いのですが、それはブログ主さんの「頑迷さ」だけが原因なんだしょうか。
投稿: みみみ | 2012年3月11日 (日) 22時36分
地元の役所は全否定で行動していますよ。
投稿: r | 2012年3月11日 (日) 22時51分
公社担当の方に「あなたが残念です」とお伝えください。
この組合はこのままでしょう。
投稿: 元立川市民 | 2012年3月11日 (日) 23時53分
>1点だけ申し上げれば、「自分で火をつけておいて結局消せないんでしょ?」という指摘に対しては特に否定するつもりはありません。
無責任とか不誠実とはこのことだと自覚できないようですね。
バカバカしい。
投稿: | 2012年3月12日 (月) 00時27分
みみみさん、rさん、元立川市民さん、2012年3月12日(月)00時27分に投稿された方、おはようございます。コメントありがとうございました。
このコメント欄は意見の流れが一つに偏らない有難さがあるため、これまで通り続けていけるものと思っています。ちなみに批判意見をまったく無視しないという意味で「受けとめていく」という表現を確かに多用しています。「受けとめていく」という言葉が即「その通りに改める」というように理解される方々が少なくないことを改めて認識しています。そして、即「その通りに改めない、改める意思がないのであれば、不誠実な言葉」であるように非難されているようです。
このあたりの難しさや悩ましさは記事本文を通し、じっくり掘り下げていこうと考えています。それでも即「できない」ことなどについて、即「できる」ように答えたことはなく、批判されている方の意に沿う「答え」に取り繕うようなレスも一切行なっていません。いわゆる自分の思いや実情を偽った「答え」は、いくらネットを介した基本的には「言葉」上の話だったとしても、それこそ不誠実なものだと考えています。
その時、私の立場からお答えできる言葉を選びながら対応しています。昨夜のレスに対し、さらに元立川市民さんを失望させ、憤らせてしまったのかも知れません。それでも前述したような現状を踏まえ、対応させていただいていました。言葉足らず、あるいは不充分な実情に対する危機感の乏しい言葉だと見られているものと思いますが、たいへん恐縮ながら元立川市民さんが満足されるようなレスに至れませんでした。
2012年3月12日(月)00時27分に投稿された方、最後の段落の端的な一文だけ、とらえられれば確かにそのような印象を与えてしまうのかも知れません。そのため、お尋ねしますが、前回記事の冒頭の箇所もお読みいただいた上、「無責任とか不誠実とはこのことだと自覚できないようですね。バカバカしい」という言葉に繋げられているのでしょうか。次回の記事本文が、このような関係性を取り上げる予定ですので、ぜひ、参考までにお答えいただければ幸いです。なお、次回投稿される際は、意見交換をスムースに行なうため、加えて匿名の場だとは言え、ご自身の発言内容に多少責任を持ってもらうためにも、ハンドルネームの記入についてはご協力ください。
投稿: OTSU | 2012年3月12日 (月) 08時09分
最近は、時々拝見させてもらっています。何時もの構図、管理人さんのカキコみに対し、公務員批判系の方の突っ込み、これに対する公務員系の方の管理人さんへの擁護。つくづく思うのですが、管理人さんは自身でブログを書き込んでいるわけですから、批判に対しては、自身で解決されることを望みます。管理人さんを精一杯擁護しようとされている方が時々気の毒に思います。それができなかったら、このブログ閉じるべきかと。ここに粘着されている数人に対し、毅然とした態度で臨むべきではないでしょうか。管理人さんが行司役では如何かと。生意気なこと言ってすみません。
投稿: yu | 2012年3月12日 (月) 19時19分
何度も申し訳ありません。ひとことだけ。
OTSUさんを批判するつもりは全くありません。よく丁寧に対応されているなといつも感心しています。その上で、一言だけ。
最後の回答を見て改めて思うのですが、常に「自分の真意が伝わっていない」というニュアンスを感じます。
そうじゃなくて、たいていの場合、真意は伝わっていて、その真意が批判を受けているのだと思うんですよね。
文章というのは恐ろしいもので、ある人が書いた文章をある程度の量読めば、だいたいどういう人かは推し量れてしまいます。
>即「できない」ことなどについて、即「できる」ように答えたことはなく、批判されている方の意に沿う「答え」に取り繕うようなレスも一切行なっていません。
のは、OTSUさんの主観としては真実なのだと思います。
しかし、それなりの数の人間が「そのように見える」と言っているのだから、外からはそう見えるのだとの気づきを得て、「ひと工夫してみようか」と答えたらいいのに、と思うのです。
それを、「自分の主観としてはそんなことはしていない」と反論するので、「ああ、変わる気がないのね」と見えてしまうのだと思います。
「『受けとめていく』という言葉が即『その通りに改める』というように理解」など、誰もしていないと思います(こういう恣意的な総括の仕方がまた誤解を受ける)。
どの意見もみな「受けとめていく」と表現するのではなく、価値ある意見を厳選して、どう受けとめたのかを表現していくと、もう少しOTSUさんが伝えたいことが伝わる気がしました。
投稿: いち国家公務員 | 2012年3月12日 (月) 19時44分
OTSUさん、もう少し肩の力を抜いたほうがよろしいかと思いますが。
2つの事件はOTSUさんにとっては、心情的に他人事では済ませられないとしても、一義的にも二義的にもOTSUさんに責任はなく、貴単組の責任というのも有り得ないと思いますが(余ほどの特殊事情があるのならともかく)。
以前も書いたかもしれませんが、人間は万能ではありません。何某か関わった事象に対して、一々責任を感じてしまうのは、誠実というよりも、自他の峻別が曖昧であり、ある面、(自己能力の過大評価という点で)傲慢でしょう。
OTSUさんではなく当の担当者の責任についても同様です。職責を果たしていないのであれば、その責が問われるべきですが、職責を超えた分についてまで責任を追及するのは単なる精神論でしかありません。日常の仕事に追われていれば、全てに対してきめ細やかな対応などできません。ましてや、昨今は行政のどの分野でも業務の効率化が求められており、各人がプラスアルファのサービスを提供する余力が減少している訳ですから。
やるべきことはやっていると考えられるなら、一定以上のことは受け流せばいいのではないでしょうか?
前にも書きましたが、万人に理解してもらうなんてことも無理なんですから。
なお、最近は、連合絡みで少々辛辣なことも書きますが、あれは八つ当たりに近いので、あれも適度に受け流してください(笑)
投稿: Thor | 2012年3月12日 (月) 22時27分
求められているのは効率化というよりは生産性の向上の方が正しいのでは。
日本の慣行では職責は曖昧ですものね。
メンバーシップは是正が必要ですね。
投稿: ささやき | 2012年3月12日 (月) 22時39分
孤独死の個人的な意見なんですが
行政サービスではもう追いつかない状況なのでしょうね。
投稿: ちょび@断捨離中 | 2012年3月12日 (月) 23時06分
yuさん、いち国家公務員さん、Thorさん、ささやきさん、ちょび@断捨離中さん、コメントありがとうございました。
昨夜も記したとおり今回の記事は皆さんに余計なご心配や違和感を与えてしまったようで、たいへん恐縮しています。もともと様々な考え方があることを当たり前だと受けとめていますので、それほど肩に力を入れ過ぎている訳ではありません。逆に皆さんに対し、いろいろな物の見方があることを前提に考えていただき、肩の力を抜かれるようお願いしてきたつもりです。
yuさんからは「批判に対しては、自身で解決されることを望みます。管理人さんを精一杯擁護しようとされている方が時々気の毒に思います。それができなかったら、このブログ閉じるべきかと。ここに粘着されている数人に対し、毅然とした態度で臨むべきではないでしょうか」というご指摘をいただきました。
毅然とした態度での解決とは、批判者を納得させる、こちらが相手の主張に賛同する、批判者をコメント欄から排除する、コメント欄を閉鎖する、ブログをやめる、いろいろな選択肢があろうかと思います。私自身、いずれも現時点では考えていません。「当ブログのコメント欄は、一つの結論を見出す場だとは考えていません」という説明を加えてきていますが、幅広いご意見に触れられる機会について大きな意義を感じています。
それぞれのコメントに接した際、自分自身も含め、どのように理解し、感じていくのか、それ以上でも、それ以下でもない位置付けを期待しています。幅広い見方や主張に触れ合うことで、実生活の中で変化を芽生えさせるのかどうか、個人の責任で運営しているマイナーなブログに過度な期待は禁物ですが、より好ましい「化学反応」を起こせる可能性も信じたいものと夢想しています。
このように書き込むこと自体、肩に力が入っているのかも知れませんが、ぜひ、皆さんも肩の力を抜いていただき、ご自身と相反する考え方を持つ人たちに届く言葉の競い合いを重ねられれば本当に幸いなことです。次回の記事本文では、このような自分なりの問題意識について改めて整理してみるつもりです。言葉足らずや、こなれていない考え方などに関しては何卒ご容赦ください。
投稿: OTSU | 2012年3月12日 (月) 23時17分
>「受けとめていく」という言葉が即「その通りに改める」というように理解される方々が少なくないことを改めて認識しています。そして、即「その通りに改めない、改める意思がないのであれば、不誠実な言葉」であるように非難されているようです。
普通は、いち公務員さんのように考えます。
>どう受けとめたのかを表現していくと、もう少しOTSUさんが伝えたいことが伝わる気がしました。
OTSU氏は「受け止める」に枕詞の「真摯」をおかれています。それは非を認めた、と捉えられ、ならば速やかに対処するのが「普通」です。
今国会でも「批判は真摯に受け止める」と民主党が答弁していますが、対処がなければ更に批判を招くでしょう。
より良い答え(正解)があるとしても、それが見つかるまで非と認めたものを放置することは不誠実の誹りを免れません。
忸怩たる思いを何度すれば身に染みるのでしょう?全く時間の無駄です。
掘り下げるより非を認めたところを改善するのが優先ですし、いずれ改善するのなら不作為の間の給与を含めコストも少ないのですが、検討することが仕事だと言わんばかりに延ばせるだけ延ばす、周辺の不信感や再発の危険性など屁の河童なのでしょう。
何れにせよ自己の所属する役所の信頼度が回復するまでは、政治的発言も何の説得力も持ちません。職場の信頼回復が優先です。
>もともと「雑談放談」をサブタイトルにしたブログですので、そのようなレベルであることもご理解いただければ幸いです。
(2010年2月14日 (日)言葉にすることの大切さ Part2)
>これまで「公務員はこうあるべきだ!」という膨大な数のコメントをいただいてきました。大半は真摯に受けとめるべき意見でしたが
>私の言い分が常に四面楚歌の状態だった場合、すみやかに「誤り」を自覚し、全面的に現状を否定しなければならなかったものと思っています。
矛盾が多いのですが、もともと誠意はなかったのですね。「真摯に受けとめる」は撤回し「とりあえず聞いておく」が正確です。
ブログが始まり比較的早い時期から読んでいますが、言葉遣いに惑わされ、これほど頑迷とは中々判明しませんでした。
ちょうど2年ほど前のブログに戻ると、議論としては煮詰まっていたようですが、終に足元が揺らいでいても、いくら時が経過しようが堂々巡りなのが分かりました。OSTU氏の主観などどうでも良いです。そろそろ潮時のようです。
Thorさんを含めモラルハザードを起こしています。
このブログは公務員の評価を下げこそすれ、決して上げないでしょうね。
投稿: (元)立川市民 | 2012年3月13日 (火) 08時39分
(元)立川市民さん、コメントありがとうございました。
>このブログは公務員の評価を下げこそすれ、決して上げないでしょうね。
残念ながら、そのように感じられている方が多いのかも知れません。ただ言えることは、公務員の評価を上げるための目的で続けてきた訳ではありません。しっかり当ブログをお読みくださっている方のようですので、改めて繰り返しませんが、多様な見方や考え方を重視している点だけ一言添えさせていただきます。
投稿: OTSU | 2012年3月13日 (火) 21時36分
このところの「公務員のためいき」を見ていての感想です。
最近、こちらのコメント欄では「OTSU氏論」をよく見かけるようになりました。
何だかとても哲学的な場所になってしまったなと驚いていますが(笑)、これも管理人さんの回りくどい表現に「暖簾に腕押し、糠に釘」的な印象を持っている人が増えたことの裏返しだと思っています。
このブログの開始当初は短い記事が多く、管理人さんの意思も伝わりやすかったですね。
やがて長文の記事も見られるようになりましたが、それでも内容は今ほど回りくどくなくストレートなものでした。
投稿コメントの数も少なかったせいか、率直な意見交換が行なわれていたような気がします。
そのコメントも、最近の何が何でも管理人さんを問い詰めるというようなものは少なく、もっと大人のコメントが多かったように思います。
そういえば、どこかの組合員らしい人からのキツイ口調のコメントに対し、管理人さんが次の記事だったかコメントだったかで皮肉交じりの文章を書いた後、管理人さんの組合の方から「あの人、ウチの組合員じゃないのか?」と言われ、あわてて皮肉の効いた文章を削除したことがあったのを覚えています。
今の管理人さんの隙の無さからは想像もできない話ですが、あの時は行間から管理人さんの慌てる様子が垣間見え大笑いしました。
しかし、そうした失敗を何度か経験するうちに自然と慎重な言い回しの多いブログになってきたのかもしれません。
その意味で、サブタイトルにある「雑談放談」は、あの頃のブログにピッタリの言葉だったと思います。
今は「雑談」というほど雑駁な話題を取り上げているわけでもなく、「放談」というほど思い切った発言も見られません。
それがブログとしての成長なのかもしれませんが、行間に管理人さんの素の姿が見える回数は随分減りました。
寂しい気がしますが、もう戻れんのでしょうねぇ。
投稿: 対人手当 | 2012年3月14日 (水) 00時08分
対人手当さん、おはようございます。コメントありがとうございました。
なつかしく赤面するお話です。確かに当時は記事そのものが短く、更新頻度がほぼ毎日でした。ストレートな書き方から回りくどい言い回しが増えているのは、やはりブログを長く続けていることによって、自分なりの「変化」の一つの表われでした。
長く書くことで分かりづらくなるのかも知れませんが、短い文章でも充分意図が伝え切れません。要するに一文一文の歯切れ良さが重要なのだろうと思っていますが、あえて婉曲な表現に努めている場合も少なくありません。それでも常に正直な気持ちを託した言葉の一つ一つのつもりですが、意図を理解いただけずに不快感を抱く方々が目立つことは反省しなければなりません。とにかく次回以降の記事では、なるべく分かりやすく、この場の位置付けに関する内容を書き込む予定です。
投稿: OTSU | 2012年3月14日 (水) 08時11分
病気で寝込んでいました。もう若くありません(笑)。
詰問調筆頭家老の私が休んでいたので、平穏な日々を皆さん送っている・・と思いきや、中々無事では済まなかったようですな。健全な証拠です。
余りの出鱈目さに、もう書いても仕様が無いと思っていたが・・。
以前「プール金」と「ヤミ専従」について質問した事がありました。前者には回答がありませんでしたが、後者については「過去にはあったが・・」との趣旨のお答えがあったので「今は無いもの」と納得したものです。
しかし、今回の大阪の話を聞く限りにおいて、到底信用出来ない事態のようだ。
ヤミ専従は依然として存在し、違法な政治活動が公然と組織的に行われている。
本来は不当労働行為に当たる「事務所便宜供与」は逆に「庁舎内不当占拠」の様相を呈している。
はっきり書くと「犯罪集団」「嘘つき集団」と見做すのが相当だ。暴力団との違いを見出す方が困難だ。
倫理観は完全に崩壊し、善悪の区別さえつかなくなっている。(元)立川市民さんの「モラルハザードを起こしている」との指摘は真っ当な物でしょう。
これらの態度は「真摯」「誠実」「襟を正す」とは「対極」にある。最初から真摯でも誠実でも襟を正す気も無かったのだろう。
既に私は自治労を信用していないし、唾棄すべき存在とすら考えている。
最後に「違法活動」「ヤミ専従」などが話を続けていれば化学反応を起こして「正義」に転換できると考えているのならば大間違いだ。
「モーゼの十戒」程度の基本を読み返すべきだろう。
投稿: あまのじゃく | 2012年3月14日 (水) 11時06分
尚付け加えるが、最近の孤独死に関して公務員に責任があるとは考えていないし、信賞必罰についてもあくまで(看過できないながら)「主義主張の違い」と認識している。
モーゼの十戒に書いてるだろ?嘘をついてはならない、隣人を貪ってはならない・・と。
前述の「嘘」もだが、
バス運転手は官と民では3割も給料が違った。これを是正する事を君達は「暴挙」と呼んでいるらしいが、民間バス運転手からすると「今まで格差を放置していた事」が「暴挙」なんじゃないのかね?それとも倫理観のみならず、想像力も欠如しているのかね?
第一「客観的に評価して欲しい」と望んでいたのは「君達」だったんじゃなかったのかね?
投稿: あまのじゃく | 2012年3月14日 (水) 12時20分
法律に基づき執行権や懲罰権を持つ行政のモラルが崩壊すると、合法的だが実態はヤクザ組織になる。


大阪の例を引き合いに出すまでもなく、様々なシノギや恫喝の存在が可能だ。(これが化学反応か?)
そして、身分を履き違えたものは、その誘惑に駆られている。
モラルを精神論と一蹴する輩には法の理念も分からんだろうな。
こんな輩が法律を扱うとは
嗚呼、恐ろしい。
因みに、国歌斉唱の職務命令が出ているが口元までチェックされているとは・・・
クスリ漬けや部室で一杯と笑えるネタを提供し続けてくれる大阪府教員だが、今度は競艇場で通信簿を記入しているところを写真に撮られた。
橋下さんの気持もよく分かる。。
投稿: 雑談放談 | 2012年3月14日 (水) 12時54分
ちょっと静観していました。
果物屋でミカン箱をあけたら一つ腐っているミカンが
混入していた。まあそのひとつを捨てれば大丈夫と思うが
やはり商品にだせない。もちろん卸問屋にクレームは
いれる。問屋も農協にチェック不備を言うだろう。
腐ったミカン一つの為に全ての良質なミカンが商品に
だせなくなるから。
さて、真面目で一生懸命な公務員の方々を不当なバッシングから
守るためにも、不良な存在を排除するシステムを入れましょう。
システムを改善しましょう。といくら言っても導入しない改善
しない。結局全ての良いものが駄目と評価される。
私は極めて真面目に言っています。もし私が同じ立場なら
一部の不届き者のために批判されるなど耐え難い屈辱だからです。
個人で戦うよりやはり団体でしょう。だからこそ自治労に
そのような活動を行ってほしい、それが公務員の身分を
守ることにもなると思います。
>既に私は自治労を信用していないし、唾棄すべき存在とすら考えている。
否定する気になれないのが残念ですねえ
投稿: nagi | 2012年3月14日 (水) 15時57分
>多様な見方や考え方を重視している。
被告人などでも主張は認められているからね。
主張は人それぞれで構わないんだけど、噛み合うような行司役は必要だろうね。
現状じゃ、判定がくだされたのに捨て台詞を吐いているように受け取られても仕方がない。
捨て台詞 意味
>負けを認めたくない人が、返事を求めるつもりも無く言い放つ言葉。
投稿: ponsuke | 2012年3月14日 (水) 18時17分
私はこのブログを見るようになって、相当以前から「OTSU」氏の「真摯に受けとめる」との言葉の真意に疑問も持ち、繰り返し「どう受け止めるのか」「受け止めた結果は何に表れるのか」と訊ねてきた一人です。
また、交流を持つことができた職員(特に若手)の言葉から、「OTSU」氏のその丁寧な言い回しは、新人職員からカルト団体と見られないためのアリバイ作りではないのかとと問うた時期もありました。
2年半が経過した今になっても「OTSU」氏の真意は知ることは出来ませんが、一つこれだけは言えます。
過去の「OTSU」氏とのやり取りの中で、私は「貴方がたへの不信感がこのまま高まれば、今は好意的に見てくれる人もやがては背を向けることになる」「そうなれば貴方がたへは全否定の評価しか残らなくなる」「そうなる前に判りやすく襟を正すべきではないか」と言ってきました。
残念ながその言葉が「OTSU」氏の耳に届くことはなく、それが今まさに現実になろうとしています。
大阪市の事例では、当初は橋下市長の手法に乱暴さを感じる人は少なくありませんでした。しかし蓋を開けてみれば、不適切事例が出るわ出るわ。・・もう乱暴だという人は身内以外ではほとんど居ないでしょう。もっと徹底的に明らかにして欲しいとの願いが大多数になっていると感じます。
そして私にすら、一部のの若手職員から「いくら自らを律して緊張感を維持しても評価されない」「一部の老人に搾取されている気がしてならない」「何より努力が報われない」との声が聞こえてきているのに、未だにその相談が職員団体の長に届かないというのが、その実態の悲惨さを物語っているのだろうと思います。
さて「nagi」氏も言われているとおり「一部の不届き者のために批判されるなど耐え難い屈辱」だと私も思います。「OTSU」氏などには、そろそろ本当に目を向けるべきはどこなのか、組織として見つめなおして欲しいと思います。
投稿: mobileSE | 2012年3月14日 (水) 18時18分
あまのじゃくさん、雑談放談さん、nagiさん、ponsukeさん、mobileSEさん、コメントありがとうございました。
不特定多数の方々を相手にネット上で、このようなブログを続けていく際、厳しい言葉のみが浴びせられる展開は常に覚悟しているつもりです。それでも批判に対する耐性が鍛えられる訳でもなく、特に自分の周囲に近付いた批判であればあるほど、あまり目を通したくなくなるのも避けられない感情だろうと思っています。
この場がなければ、そのような声を直接聞かずに済んでいるのかも知れません。しかし、居直りでも捨て台詞でもなく、歯に衣着せぬ声に触れられる機会を貴重なことだと受けとめています。様々な声があることを体感した上で、日常の活動を振り返るほうが前に進むにしても、後ろに下がるにしても、より望ましい判断に近付くように考えているからでした。
また、最近は頑迷と言われたり、不誠実と言われたり、私自身のスタンスを批判する声も増えています。これまで背伸びせず、自分なりのスタイルやペースで続けていますので、そのような点は今後も大きく変わらないはずです。このコメントに対しても、いろいろ批判を受けるのかも知れません。それぞれの皆さんがどのように感じられるのか、それはお任せするしかありません。
次回の記事を想定し、さらに書き進めようかどうか少し迷いました。やはり日頃のスタイル通り週末に更新する新規記事に私自身の「答え」を集中させていただきます。その上で、もう少し付け加えれば、いつも述べている思いとして「正解」は基本的に一つです。一方で「答え」はいろいろで、人それぞれ違う場合が多いものと思っています。念のため、不正、不当な事例を「答え」の一つだと述べるものではなく、抽象論で煙に巻く意図も毛頭ありません。いずれにしても言葉足らずで終わってしまいそうですが、お時間を頂戴することをご理解ご容赦ください。
投稿: OTSU | 2012年3月14日 (水) 21時57分
OTSUさま
ここの最近の流れというのか、拝見していて気になるところがあるので一言。
批判的なコメントやコメント主に対して、OTSUさんが釈明したり理解を得ようという雰囲気が濃くなり過ぎているきらいがあるように見受けられます。
ご自身が言われているように、雑談放談でよいのではないでしょうか。
長い本文記事、短いコメント、見方は色々でしょうが、結局のところ、ウェブ上のやり取りだけで相互理解に至るというのは至難のワザだと思います。
先に他の方も言われていたようですが、現実に何かを変えたいのであれば、ここで書き込みをするよりも、自分の地元の自治体に意見なり提言なりした方が早いというのは、みんな分かっていることでしょう。
それは百も承知で、みなさん、集まっているわけですから。
あくまでも基本は、公務員、そして公務員の組合役員であるOTSUさんが、日々、どんな思いを抱いているのか、といったことを気ままに発信するというスタイルで十分ではないかと思います。
良くも悪くも注目が集まり、サイトを訪問する人が増えれば、どうしても荒れた感じになってくるのは否めないところだと思います。
あまり生真面目に対応しようと気負ってしまうと、本来、楽しみの一つであるはずのブログの更新が、苦痛になってしまうのではないですか?
政治家ではないのだし、批判を受けたこと一つ一つに釈明しようとしなくてもよいと思います。
「そういう考え方もあるのね」
という程度に受け止めておくだけでも良いのではないでしょうか。
そうやって頭の片隅に留めておいたみなさんの声の一つでも、どこかで活きることがあれば、それはもう十分に有意義なことではないでしょうか。
投稿: 野次馬 | 2012年3月14日 (水) 22時23分
これまでのやりとりを読んで、無駄と思いつつ申し上げます。
上記コメントの書き出しを読むと、打ち拉がれているような印象を抱かせますが、記事とやらが更新される頃には、深刻ではなかったとされることが最近繰り返されています。
2段落の文末には、「様々な声があることを体感した上で、日常の活動を振り返るほうが(中略)より望ましい判断に近付く」という思考であることを新たに具体的に述べられました。
次の段落では、最も批判されていると思われる曖昧な表現について、「背伸びせず、自分なりのスタイルやペース」だとされています。
ブログ主の目的を達成するために、わざわざ批判を招くような対応が必要とは思いません。
別のところで書かれている、分かり合う、とか、化学変化を起こす、等を多少なりともお望みであれば、やはり障害になっているマイペースさや所属する組合と利害のない政治的発言は、封印されるのが賢明かと存じます。
目的が日常だけなのか、逆風という世論も含むのか。
諸々の線引きを一度、明確にされた方が宜しいかと存じます。
目的達成のために進捗の途中で点検を行い修正することは公私共に必要です。
その方が無益な批判を招くこともなく、ブログ主様にとっても有益な忠告がなされるはずです。
これだけ批判が多いと日常に活かすものがあるのか?と思えます。
投稿: ponske | 2012年3月14日 (水) 22時49分
野次馬さん、コメントありがとうございます。
ご指摘のとおり批判を受けたこと一つ一つに釈明することは難しいものと思っています。もともと様々な「答え」を認め合った場であり続けたいと願っていますので、次回の記事ではそのような特性についても改めて理解を求めていくつもりです。いつも野次馬さんからの適確なご意見はたいへん参考になっています。ありがとうございました。
投稿: OTSU | 2012年3月14日 (水) 22時50分
ponskeさん、コメントありがとうございます。
>目的達成のために進捗の途中で点検を行い修正することは公私共に必要です。
ご指摘のとおりだと思いますが、目的の中に等身大の活動の理解を少しでも求めるという点があります。「政治的発言」の範囲の幅があるものと見ていますが、批判に耐えられない活動方針であれば、それこそ改めなければなりません。そのような意味合いを込めた「前に進むにしても、後ろに下がるにしても」という発言に繋がっていました。このあたりを次回の記事で整理してみるつもりですが、深刻な内容にはならない予定であり、いろいろな意味で申し訳ありません。
投稿: OTSU | 2012年3月14日 (水) 23時06分
>目的の中に等身大の活動の理解を少しでも求めるという点があります。「政治的発言」の範囲の幅があるものと見ていますが、批判に耐えられない活動方針であれば、それこそ改めなければなりません。
なるほど、ブログ主様の仰る「日常の活動」について理解が一歩進みました。政治活動と公務員としてのご自身は、今のところ不可分であると。
その適否は他の方に譲るとして、プログ主様にとって批判されても突き動かされるものがあるのですね。
そうならば政治家OTSU氏を私は見てみたいです。
これ以上批判しても誰も何も得るものはありません。OTSU氏が突き動かされるものをお聞かせください。来週は受身ではなく、攻めの主張を楽しみにしています。
投稿: ponske | 2012年3月14日 (水) 23時45分
ponskeさん、おはようございます。コメントありがとうございました。
「政治活動と公務員としてのご自身は、今のところ不可分」という点は当てはまりません。現在、自分が担っている自治労に所属する組合の方針の一部に政治的な活動も位置付けられています。行き過ぎた部分が批判を受け、そもそも濃淡に関係なく、「一切やめるべき」という声があることも承知しています。しかしながら現時点で「今日から一切取り組みません」と言い切れる話ではなく、自分自身の考え方としても主客逆転しない関係性の中で一定維持すべき領域だと考えています。
そうであれば、「オールorナッシング」で批判を受けがちな傾向に対し、「是々非々」の見られ方に繋がるような情報を提供していく必要性を認識していました。したがって、広く情報を発信していくためのツールとして続けている当ブログの中で、確かに批判を誘引する題材となりがちですが、あえて政治的な問題も取り上げている側面がありました。
また、「是々非々」が「非々非々」に過ぎないことを自分自身の中で納得できるようであれば、足元から見直していく踏み込んだ提起も必要となるのだろうと考えています。ちなみに現状でも、これまでのブログ記事の中で綴っているように私どもの組合は政治的な活動に対し、のめり込みすぎないよう自制しながら取り組んでいるつもりです。つまり「是々是々」のみの理解ですが、情勢が動きつつある中、足元を点検していく姿勢も欠かせないものと思っています。
次回の記事のハードルを上げ続けていますが、この間のコメント欄で記しているような内容を整理することになりそうです。たいへん恐縮ながら期待を裏切るようなレベルにとどまるかも知れませんが、もう少し週末に向けて自分の頭の中を整理し、分かりやすい言葉を探させていただきます。
投稿: OTSU | 2012年3月15日 (木) 08時19分
西郷はなぜ西南の役をおこしたのか?
武士を頂点とする封建社会から近代国家に生まれ変わるべき明治維新において、武士の既得権喪失の不満を一身に背負った「西南の役」は後世の人間から見ると「勝てる可能性のない」、否「何の意味も無い」戦いであったと思われる。
西郷ほどの男がこの事を理解していない筈は無い。
英傑と謳われた西郷が、権力闘争に負けた腹いせに戦いを起こした・・などという解釈は到底信じがたい。
西郷は武士として生き、武士として死んだのではないのか?
「文明開化」と「ざんぎり頭」の行く末にある「合理的物質文明社会」を西郷は生きる場に選ばなかった・・否、生きられなかった。
「近代化」と言う名の「浮世の正解」と西郷の「内なる答え」は永遠に交わる事が無かったのだろう。
私から見るとOTSUさんにとって「政治活動」が大きな意味を持っているとは到底思えない。否、その活動の内容を熟慮した形跡さえうかがえない。
OTSUさんにとっての「内なる答え」はただ一つ、「組合に奉じて組合員として死んでいく」事であろう。
それが例え「浮世の正解」とどれだけ乖離していようとも・・である。
産業革命と巨大資本が生み出した鬼っ子「労働組合」の命脈は尽きようとしている。ましてや強力な村社会を形成する日本において「労働組合」の生きる場所は限りなく少ない。
私は3年近くこのブログを見てきた。理由ははっきりしないが、恐らくOTSUさんの「内なる答えを追及する姿」に興味があり、同時に共感したのだろう。僅かばかりの景品を増やしたが故に、(組合の)大会の参加者が増えた事に無邪気に喜ぶOTSUさんの姿を見ると、私利私欲と拝金主義に陥った悪しき日本人が見失った部分を見る思いである。
OTSUさんにとっての「西南の役」はもうすぐ始まり、もうすぐ終わるだろう。私はOTSUさんを救う為に「浮世の正解」を照らしてきた。
「浮世の正解」と「内なる答え」が合致する事を願ってきた。
しかしこれがOTSUさんの宿命であるならば、その是非も無い。
投稿: あまのじゃく | 2012年3月16日 (金) 11時37分
西郷も時代に合わなくなった身分制度は克服できなかったんでしょうね。
組合に奉じているメンバー諸氏。
正にデジャブです。
投稿: ささやき | 2012年3月16日 (金) 12時27分
OTSU氏ほど、滅私奉公という言葉を思い出すに相応しい
人物はいません。このプログを通じて感じたことです。
しかし、そのような方々が所属する組合がなぜ
ここまでバッシングされるのか。
簡単なことです。
労働者の為の組合がそれを隠れ蓑にして、労働者を
守らず、一部の人間の権益や特権を守る為に利用する
人物が入り込んだ為です。
まさに、〇〇利権や貧困ビジネス、あるいは特定民族の
闇市場や生活保護の不正受給と同じ構図なのです。
結局、まじめな労働者、本来、保護されるべき人々が
被害を受けるのです。
投稿: nagi | 2012年3月16日 (金) 16時01分
あまのじゃくさん、ささやきさん、nagiさん、コメントありがとうございました。
「組合に奉じて組合員として死んでいく」「滅私奉公」というような見られ方には正直なところ大きなギャップを感じています。この場でアレコレ書きこむよりも、もう金曜の夜ですので、記事本文を通して私なりの考え方を綴らせていただきます。とは言え、どれほどご理解いただけるか自信はありませんが、いろいろ頭を悩ましてみるつもりです。
投稿: OTSU | 2012年3月16日 (金) 22時28分