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2012年3月24日 (土)

縦糸と横糸の話

送別会の季節です。市役所に入った時の職場の先輩を送る会が、ほぼ毎年開かれています。年に一度、懐かしい昔話に花を咲かせています。以前の記事「公務員になったイキサツ」に記したとおり素晴らしい先輩たちに恵まれたことで、市役所を永久就職の職場に選んだと言っても言いすぎではありませんでした。暖かみあふれた当時の職場の雰囲気がそのまま送別会の和やかさに繋がっていました。金曜の夜に開かれた今年の会の中で、ある先輩からブログの話が出て、「たまに見ているけど、長すぎて最後まで読めない時があるよ」という言葉も添えられていました。

週1回の更新間隔になった頃から確かに一つ一つの記事の内容が長くなっています。初めから長文を予定している訳ではなく、気ままに書き進めていると自然に長くなっていました。やはり気軽に多くの方に目を通していただき、何を伝えたいのか、できる限り分かりやすい記事とするためには内容の簡潔さも欠かせないものと考え始めています。と言う訳で、今回は前回記事(いろいろな「答え」を認め合った場として)の中で取り上げた縦糸と横糸の話の補足に位置付け、なるべく簡潔な内容に努めていきます。

抽象的な言い回しとなりますが、歴史という縦糸の中で、私どもの組合の活動ぶりは大きく変わっていました。横糸で現在を見た時、その変化のスピードに大きな地域差が残っていたように感じています。まったく別な話としての具体例をあげれば、少し前まで職場の机の上に灰皿が置いてあるのが当たり前な風景でした。受動喫煙の問題が取り沙汰されるようになり、徐々に分煙が進んだ結果、現在の職場の風景は隔世の感があるのではないでしょうか。

上記の記事内容に対し、「この数年間の応酬の回答が灰皿とは、あまりにも寂しすぎますね。もはや出るのはため息だけです」というコメントが寄せられていました。それに対し、私からは「灰皿」という言葉のみに反応されていたため、たいへん残念なことであり、私の文章力、表現力の拙さや甘さを深く反省している点をお伝えしました。すると別の方から「批判は市民の不理解によると頭から思い込むのですね」という言葉が投げかけられました。そのため、さらに私からは次のような補足説明を加えていました。

公務員組合の活動の現状などの「答え」が間違っていれば、変わらざるを得ないという縦糸と横糸の話を記したところでした。喫煙の問題を一例にあげましたが、セクハラやパワハラなども時代情勢の変化に応じ、一昔前と比べて大きく変わった事例だと見ています。言葉が不足し、誤解を招くのかも知れませんが、皆さんから批判を受けがちな「答え」が変わらざるを得ない場合、おのずと変わっていくのだろうと受けとめています。

この説明に関しては「灰皿もハラスメントも内部事情で全く市民には関係ありません。視点は外部においてください」というコメントが返され、インターネット上での意見交換の難しさを改めて痛感していました。そもそも「市民の不理解」という次元の話ではなく、こちらの意図した主張などが正確に伝わらないまま、不本意な批判を受けることは避けたいものと考えるのが普通ではないでしょうか。したがって、今回の記事を通し、うまく伝わっていない論点を改めて補足させていただきます。

縦糸の事例は「変わるべき必要性のある物事は年月を経て、変わっていく、変わらなければならない」という見方を示したものでした。以前、民間も公務員の職場でも喫煙者は堂々と自席でタバコを吸っていました。受動喫煙、間接喫煙の問題が注目されるようになり、分煙や禁煙が進み、現在、大半の職場で机上から灰皿が消えていました。喫煙者からすれば、気軽に自席で吸えるほうが有難い話であるはずです。しかし、非喫煙者の健康が重視されるようになった結果、喫煙者が譲歩しなければならない社会的雰囲気に包まれていきました。

それでも一斉に、もしくは急激に変わっていった訳ではなく、徐々に分煙が進み、机の上から灰皿が消えた現在の職場風景に繋がっていました。セクハラとパワハラも同様で、別に「内部」の話として示したものではなく、「変わるべき必要性のある物事は変わっていく」という観点から例示していました。一昔前はセクハラやパワハラという概念さえ普及していなかったため、誰にも相談できず、職場の中で悩み、傷付いていた方が多かったのではないでしょうか。

横糸の話は、他の組合への注文となりますが、時代情勢の変化の中で「変わるべき必要性」を見落としたり、見誤ったりしないように留意すべきものと思っています。今回、簡潔さを心がけながら、また長々と書き進めていました。いずれにしても大半の方々から理解を得られないような「答え」は変わっていく、変えざるを得ないものと考えています。冒頭に紹介した職場に席を置いてから30年以上の年月の中、市役所の風景や組合の活動を間近に見てきた縦糸を知る一人として、そのような認識を強めるようになっていました。

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2012年3月17日 (土)

いろいろな「答え」を認め合った場として

長々とした記事内容や回りくどい表現が多く、分かりづらいという指摘を受けがちです。また、前回の「迷った末の結論」という記事タイトルは少し仰々しすぎたようでした。確かに直前まで新規記事の扱い方などを迷いましたが、短期間で「今まで通り続ける」という結論に至っていました。したがって、特に自分自身の迷いを強調したつもりもなく、まして「ナイーブな方向へ持っていく戦術」などと考えていた訳ではありません。

いつものようにその時に思っていたことを書き進めた結果、あのような記事内容になっていました。よくあるパターンでしたが、記事タイトルを確定しないまま書き終えた後、「迷った末の結論」に決めていました。今回は新規記事を通して何を訴えたいのか、明確にするためにも書き始める前にタイトルを決めました。このタイトルに沿って、前回記事のコメント欄に書き込んでいた内容を整理しながら自分自身の思いや願いを綴らせていただきます。

まず当ブログでは「正解」と「答え」という言葉を使い分けています。試験の答案用紙を前にして、それぞれ「答え」を書き込みます。ただし、自信を持って書き込んだ「答え」が必ずしも「正解」とは限りません。普通に考えれば皆の「答え」が一致し、間違いようのない問題もあろうかと思います。問題の性格によっては複数の「正解」が存在する場合もあるのかも知れません。ここで述べたい点は、人によって「答え」は様々に異なり、自信を持っていた「答え」も「正解」ではない可能性があるという現状でした。

森羅万象、それこそ複雑な世の中には簡単に「正解」を見出せない問題が多数を占めているものと理解しています。今国会で大きな焦点となっている消費税引き上げの問題などは、その一つの例としてあげられるのではないでしょうか。言うまでもありませんが、いくつもの「答え」が飛び交い、議論が紛糾していたとしても、一つの結論を出さなければならない場面が多いことも確かです。それに対し、このブログのコメント欄では一つの結論を見出す場だと考えず、次の記事のような議論や位置付けを重視してきました。

つまり幅広い立場や視点からの多様な意見に触れ合うことで、「なるほど、そのような見方もあったのか」という気付きに繋がるようであれば、たいへん本望なことでした。とは言え、それぞれ皆さん確固たる「答え」をお持ちであるため、ご自身の考え方に相反する主張や意見に反発や、あるいは嫌悪感を抱かれることも分かります。自治労に対してネガティブなイメージをお持ちの方にとって、私自身の立場が一種の「カルト」的なものであるように見られていることも察知しています。

当然、不特定多数の方々を相手にネット上で、このようなブログを続けていく際、厳しい言葉のみが浴びせられる展開は常に覚悟しているつもりです。それでも批判に対する耐性が鍛えられる訳でもなく、この場がなければ、そのような声を直接聞かずに済んでいることに思いを巡らす時もあります。しかし、歯に衣着せぬ声に触れられる機会を本当に貴重なことだと受けとめています。様々な声があることを体感した上で、日常の活動を振り返るほうが前に進むにしても、後ろに下がるにしても、より望ましい判断に近付くように考えているからでした。

このような言い方も居直りや、現状を無批判に固定し、よりいっそう力を注ぐような印象を与えたようでした。批判の一例として、自治労に所属する私どもの組合方針の一部に政治的な活動も位置付けられている点があります。一方で、このブログを続けている目的の中には等身大の組合活動の理解を少しでも求めるという点がありました。そのため、公務員組合の政治的な活動の是非が取り沙汰されがちな中、あえて賛否が大きく分かれる題材も避けずに取り上げてきました。

そのことを通して「オールorナッシング」で批判を受けがちな傾向に対し、「是々非々」の見られ方に繋がるような情報を提供しながら、幅広い意見を伺える機会になり得ることを願っていました。このような姿勢に対しても、残念ながら「聞こうとしているポーズだけ」というような批判の声が寄せられていました。確かに劇的な変化がないため、あまり強調できる話ではありませんが、このブログを長く続けている間に政治的な活動に対しては徐々に一定の自制心が働くようになっていました。

常に情勢が動きつつある中、日頃から足元を点検していく姿勢は欠かせないものと思っています。さらに幅広い声に耳を傾けていく先に「是々非々」が「非々非々」に過ぎず、批判に耐えられない活動方針と認めざるを得なければ、それこそ大胆に現状を改めなければならないものと考えています。そのような意味合いを込め、「前に進むにしても、後ろに下がるにしても」という前述した言葉に繋げていました。

抽象的な言い回しとなりますが、歴史という縦糸の中で、私どもの組合の活動ぶりは大きく変わっていました。横糸で現在を見た時、その変化のスピードに大きな地域差が残っていたように感じています。まったく別な話としての具体例をあげれば、少し前まで職場の机の上に灰皿が置いてあるのが当たり前な風景でした。受動喫煙の問題が取り沙汰されるようになり、徐々に分煙が進んだ結果、現在の職場の風景は隔世の感があるのではないでしょうか。

要するに「変わるべき必要性のある物事は変わっていく、変わらなければならない」という見方を持っています。一例にあげた公務員組合の政治的な活動も同様です。ただ現時点で私自身は「今日から政治的な活動を一切取り組みません」と言い切れず、職場課題との主客逆転しない関係性の中で節度を持って一定維持すべき領域だと考えている立場でした。以上のような私の言い分も一つの「答え」に過ぎません。この「答え」に対しても、いろいろ批判を受けるのかも知れません。閲覧されている皆さんがどのように感じられるのか、それはお任せするしかありません。

念のため、不正、不当な個々の事例も「答え」の一つだと述べるものではなく、そのような点は即刻改めなければなりません。また、抽象論で煙に巻く意図も毛頭ありませんが、批判を受けたこと一つ一つに釈明することも難しいものと思っています。そのことが結果的に「炎上」気味となったコメント欄の火を消さない態度と見られるのかも知れませんが、いろいろな「答え」を認め合った場を願う中では自然体で成り行きを見守る立場となります。

その上で、コメントを投稿される皆さんに対しては、ぜひ、攻撃的な言葉を並べることや誹謗中傷の類いとなる言い方は慎んでいただければと考えています。それぞれ分かり合うためには言葉を発しなければなりませんが、その言葉の中に蔑みや憎しみが含まれていた場合、中味以前の問題として反発や対立を招くものと危惧しています。そのようなコメントの応酬は殺伐した雰囲気に繋がり、気軽に意見を投稿しようとした方に二の足を踏ませる心配があります。

毎日、大勢の方に訪問いただいています。せっかくの機会ですので、多くの方から幅広い意見が伺えれば本当に幸いなことです。その際、いろいろな「答え」を認め合った場として、「なるほど、そのような見方もあったのか」と閲覧されている方々をうならせるような「言葉の競い合い」を切望しています。たいへん恐縮ながら管理人の私に対しては「暖簾に腕押し」となりがちな物足りなさが残るものと思いますが、このような場であることを改めてご理解くださるようよろしくお願いします。

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2012年3月11日 (日)

迷った末の結論

東日本大震災に見舞われた日から1年を迎えました。亡くなられた方が1万6千人、未だに行方の分からない方が3千人に及びます。改めてお悔やみ申し上げるとともに、被災された皆さんのお気持ちが1日も早く安らげるようお祈り申し上げます。そして、被災地の苦しみや悩みを少しでも分かち合いながら、人と人の支え合いを強めることで遅れがちな復旧復興が加速していくことを心から願っています。

このような大きな節目の日にあたり、いつも通りブログに向かうことのためらいがありました。また、私どもの自治体において痛ましい孤立死の報道があり、批判を受ける不充分さが注目を浴びた直後に、これまでの延長線上での記事内容を綴っていて良いのかどうかという迷いもありました。前回記事「バス運転手の年収4割削減」のコメント欄で、行政としての踏み込み不足などを強く非難した指摘が寄せられていました。そのため、ブログへの向かい方そのものに揺らぎを感じ始めていました。

普段は穏かな口調である「ためいきばかり」さんからも非常に厳しい言葉を投げ付けられ、「大阪のことにかまけていられないっしょ」、つまりブログなどを投稿している場合か、という思いを強める機会となっていました。この件に関しては後日、別な「ためいきばかり」さんだったことが分かりました。ハンドルネームの重なりが意図的だったのか、偶然だったのかは分かりませんが、ただ投げ付けられた言葉の真意は斟酌しなければならないものでした。つまり「誰からの言葉か」という重さも加わりますが、「言葉の中味」そのものを受けとめ、自問自答していました。

その一方で、一つの方向性に偏らず、幅広い見方や考え方もお寄せいただき、このブログのコメント欄の本当に有難い傾向には正直救われていました。波打っていた気持ちが徐々に和らぎつつある中、さらにSKさんから「フラットな立場を求めるなら、公務員がもっと発信してもいいと思います。(管理人さんには申し訳ないのですが、これまでの組合の在り方には色々と問題があったと思います) その結果としてお互いに埋められない溝があっても、それはもう仕方ないのでは。そういう意味で此処は有意義な場所だと思っています」というコメントが寄せられていました。

このような評価もあり、せっかく多くの皆さんが注目くださっている手応えもある中、週末を迎え、いつも通り新規記事を投稿するため、パソコンに向かうことができていました。今回、いきなりブログの閉鎖まで考えていた訳ではありませんが、ペースダウンする時機かどうか迷ったことは確かでした。「大阪のことにかまけていられないっしょ」という言葉がズシリと重かったことは間違いありませんが、伏線となる徒労感が最近のコメント欄から蓄積していたようでした。

これまで何回かYahoo!ニュースのトップ画面に当ブログの記事が掲げられたこともありました。そのような時は一気にアクセス数が伸びていました。また、「公務員」というワードとの組み合わせから検索し、初めて訪れる方も急増していました。つまり日々のアクセス数の増加は、このブログに関する予備知識がなく、そこに掲げられた記事やコメント内容のみを読まれ、いろいろな印象を持たれる「通りすがり」の方々の数と比例していくことになります。言うまでもありませんが、1人でも多くの方に訪問いただけることは歓迎すべき話でした。

ただインターネット上で、視点や立場が様々な不特定多数の皆さんに対し、言葉だけで伝えていく難しさを日頃から感じていました。それでも分かり合うためには言葉を発しなければならないという思いも抱え続けていました。そのような一言に対し、「だから、あなたの身分に甘えた空虚な言葉はもう飽きたって。言葉だけでなく実証しなさい。OUTS氏は公務員の処遇以外に社会に対してこうしたいという思いが全く感じられない。時間稼ぎはいい加減にして、何でもいいから行動に移すまで全く信用できない」というコメントが返されていました。

以前から訪問されている方のコメントだったのかも知れませんが、ハンドルネームからは馴染みのない方でした。私が述べたかった話は、あくまでもブログを通したコミュニケーションの場合、当たり前ですが言葉のみ、文章を通した伝達手段に限られるという点でした。さらに視点や立場が様々な不特定多数の皆さんに対しての訴えは、それぞれ前提としている問題意識が異なる場合もあり、うまく論点がかみ合わない実情について当ブログを通して体感してきた難しさでした。

加えて、直近のコメント欄での発言に至る背景として、膨大な過去の記事やコメント欄での発信の積み重ねがありました。とは言え、初めて訪れた方々に対して、そのような過去の記事を踏まえて欲しいなどと非現実的なお願いを行なうつもりも毛頭ありません。そのため、「一期一会」という気持ちを大事にし、一つ一つの記事やコメントに向かい合ってきたつもりですが、おのずから限界があることも承知していました。「言葉よりも実証」という指摘はまったくその通りであり、信頼を得るためには中味のない言葉を繰り返すことよりも、適切な行動が欠かせないことも表明していました。

このような私からのレスに対し、別のハンドルネームの方からは「これからも劣勢が増していくでしょうが、どのように足掻いていらっしゃるか見せてもらいましょう」、さらに「自分で火をつけておいて結局消せないんでしょ?ROMだけでは議論も全く深まっていません。総論はともかく、事実に基づく各論に知ったか振りして他所の役所のことに公務員の立場を明確にしながら口をはさむのは大阪市民に失礼かと思われます。伝える言葉を持ち合わせていないのなら黙っていたらどうですか。議論をふっかけるのなら、それ相応の采配をしてもらわなければ不毛であり余計に不信感が募ります」というコメントが投げかけられていました。

このブログは匿名の立場で投稿していますが、所属している自治体名を何が何でも秘匿しているものではありません。そもそも組合員や知り合いの皆さんにとって、実名での投稿に変わりない性格のブログでした。したがって、前述したような報道を受けた内容がコメント欄に示されることも覚悟しなければならず、「組合について言えばほぼ100%加入の単組であるらしいが、その長に責任があるとは言わないまでも風土について知らないとか影響がないとは言うまい。コメントを通じて色々と想いを巡らせていると書かれているが、自らこのサイトで語ってきたことを実践するときだろう」というようなご指摘も受けとめていかなければなりませんでした。

先週のコメント欄では以上のような流れの中、辛辣なご意見が少なくありませんでした。常々、「何が批判され、どうすべきなのか」、あるいは「誤解による批判だった場合、どのように理解を求めれば良いのか」という相互に意思疎通できる機会が様々な場面で欠かせないものと考えていましたが、そのような思いに対する自信が揺らぐコメントの数々とタイミングだったと言えました。もともと視点や立場が異なる方々との「壁」を低くするための試みの難しさは充分理解していました。

しかしながら今回、自分の関わる足元においても批判を受ける話が浮上したことで、ますますその試みの難しさが倍加したように感じていました。つまり私から発信する言葉や決意を空疎なものとして受けとめられる方々が増えていくのだろうと考え始めていました。今後も足元に対する批判材料が上がるたび、このブログが結び付けられ、冷ややかな目で見られていく懸念が否めません。完全な匿名性が担保されていないため、やむを得ない実情であることを個人的には覚悟しています。

当然、批判材料など一切ない組織にしていくことが肝要であることを強調しなければなりません。それでも興味本位な結び付けや、もしくは悪意ある結び付け方がされた場合、自分の所属する自治体に迷惑をかけないかどうかという心配も思い起こすようになっていました。このような自問自答を重ねていましたが、現時点での結論は「今まで通り続ける」というものでした。その理由は「公務員やその組合の言い分を発信する」「手厳しい批判意見も含め、幅広い声を伺える貴重さ」という従来通りの目的を重視しているからでした。

本来、今回の記事では様々な批判意見に対し、改めて総括的な答えを示す予定でした。ここまでで、たいへん長い記事となっていますので、恐縮ながら次回以降に委ねさせていただきます。その上で、1点だけ申し上げれば、「自分で火をつけておいて結局消せないんでしょ?」という指摘に対しては特に否定するつもりはありません。前回記事の冒頭に記したとおり「当ブログのコメント欄は、一つの結論を見出す場だとは考えていません」という位置付けを重視しているからです。ぜひ、その冒頭の箇所を改めて読み返していただければ誠に幸いですので、よろしくお願いします。

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2012年3月 3日 (土)

バス運転手の年収4割削減

前回記事「給与削減と公務員制度改革」のコメント欄には100件を超える幅広く、貴重なご意見が寄せられていました。不満や批判を表わした内容が少なくありませんでしたが、それぞれ理由や対象の異なる傾向がありました。例えば、削減を合意した連合系の組合は軟弱だったというような批判があり、その一方で、国家公務員の給与削減に真っ向から反対している組合側の主張への批判も示されていました。このあたりは立場や視点によって、批判の方向性が180度異なる話だと言えました。

また、きつい言葉を連ねたコメントも目立ち始め、「殺伐した雰囲気になってしまい、疲れてしまう」というような声も耳にしていました。そのため、私から次のような趣旨について改めてご理解を求めていました。内容の一部を再掲させていただきますが、そもそも当ブログのコメント欄は、一つの結論を見出す場だとは考えていません。幅広い立場や視点からの多様な意見に触れ合うことで、「なるほど、そのような見方もあったのか」という気付きに繋がるようであれば、たいへん本望なことでした。

それぞれ皆さん確固たる「答え」をお持ちであるため、ご自身の考え方に相反するコメントに反発や、あるいは嫌悪感を抱かれることも分かります。しかし、あえて攻撃的な言葉や相手を見下したような言い方をされるのは慎んでいただければと考えています。分かり合うためには言葉を発しなければなりませんが、その言葉の中に蔑みや憎しみが含まれていた場合、中味以前の問題として反発や対立を招くものと危惧しています。ぜひ、内容の評価は横に置いた上で、相反する意見にも敬意を示されるよう心がけていただければ誠に幸いです。

なお、誤解がないように強調させていただきますが、公務員や自治労に対する批判意見を抑えるためにお願いしている訳ではありません。これからも批判は批判として率直に受けとめていくつもりですので、閲覧されている皆さんが不快に思うような言葉遣いや表現は控えるよう重ねてご理解ご協力をよろしくお願いします。そのように述べながら、実は私自身も常連の名無しさんに対し、少し感情を表に出した書き込みを行なっていました。ただ勝手な言い分ですが、それはそれで、わだかまりを一つ解消するためには良かったようにも思えています。

さて、これ以上、前回記事のコメント欄での話を続けると、また記事タイトルを途中で差し替えることになりかねません。今回も大阪市の動きについて取り上げてみますが、またまた橋下市長は物議をかもすことが分かり切った乱暴な方針を示してきました。下記の報道のとおり大阪市交通局職員のうち市営バス運転手の年収を約4割削減するという提案でした。労働組合側を挑発した一手であることには間違いありませんが、いろいろな思いが駆け巡る機会となっています。

大阪市交通局は、民間バス会社より高額と指摘されている市営バス運転手の年収(平均739万円)について、来年度から4割程度削減する方針を固めた。「民間並みに合わせる」との橋下徹市長の方針に基づき、在阪の大手私鉄系バス会社の最低水準に引き下げる。交通局は週明けにも橋下市長の了承を得て労働組合に削減案を提示するが、労組の反発は必至とみられる。

交通局によると、市営バス運転手は計約700人。平均年収(49・7歳)は、在阪大手5社(阪急、南海、京阪、近鉄、阪神)の平均(44・5歳、544万円)より195万円高い。しかし、バス事業は28年間、赤字決算が続いており、累積赤字は10年度で604億円に上っている。運賃収入に見合った給与体系とするよう橋下市長から指示を受けた交通局は1月下旬、民間の平均をやや上回る2割強の削減案を橋下市長に提案。「これまでにないすさまじい削減」(交通局幹部)としたが、橋下市長は「民間は赤字を出さないよう必死なのに、赤字だらけの交通局が民間平均なのはおかしい」と突き返した。

このため、交通局は削減案を練り直し、在阪大手5社のうち最低水準の近鉄(447万円)、南海(441万円)程度まで引き下げる方針を決めた。給与カットには条例改正が必要。市交通局側は労使交渉での妥結を経て、今月28日~3月27日に開かれる2月議会で可決させ、4月1日からの実施を目指したい考え。実現すれば20億円以上の人件費削減となるという。市役所全職員の給与は来年度から平均7・2%削減される。交通局の現業職員約5400人の給与は更に引き下げることとしており、バス運転手の下げ幅が最大になる見通し。【毎日新聞2012年2月26日

その後、橋下市長はバス運転手の生活面への影響を考慮し、削減額の一部を地下鉄運転士ら交通局の職員全体で肩代わりするという提案が交通局から示されれば、受け入れることも明らかにしていました。ちなみにバス事業は28年連続で赤字の状態ですが、市営地下鉄は黒字であるため、このような削減が地下鉄運転士には予定されていませんでした。そもそも公共サービスは黒字か、赤字かに関わらず、必要な領域を手立てするという基本的な背景があります。

民間が手を出せない採算の取れないバス路線でも、地域性や住民ニーズなどを踏まえ、赤字覚悟で市が責任を負ってきた経緯もあるはずです。それにも関わらず、「赤字だから、黒字だから」という理屈で突然、バス運転手だけ4割削減という提案は非常に理不尽な話でした。もう一つ、よく取り沙汰されがちですが、運転手に限らず、民間の同じ業態に比べ、公務員の給与水準は高いという批判の声がありました。もともと橋下市長も、このような発想を口にしていたため、今回の提案にためらいはなかったのだろうと見ています。

しかしながら先日、民間バス会社の労働組合役員の方から次のような言葉を伺うことができています。「橋下市長がバス運転手の賃金を民間並に下げると言っているけど、冗談じゃありませんよ。いつも私たちは公務員のような水準に少しでも近付くよう要求し、経営側と交渉しているんです」と話され、「公務員が下げられれば、それを口実に私たちの賃金も下げられてしまいます」と心配されていました。さらに直接的な言葉としては聞いていませんが、バス運転手という職業は低賃金で構わないという見られ方に対する憤りも、その組合役員の方の口ぶりから感じ取っていました。

最近、橋下市長は本当に弁護士なのかという疑問が生じています。お得意のビーンボールまがいの直球を投げ、世間の反応などを見ながら徐々に修正していくという戦略なのかも知れません。それにしても、いきなり年収4割削減は暴挙であり、労働法制の面からも論外であることが確かでした。改めて素人の私が説明するよりも詳しい内容が掲げられたブログを見つけていますので、その記事(大阪市バスの給与4割削減など「不可能」な暴論)を紹介させていただきます。結論として、労働委員会や裁判で争えば、橋下市長側が敗れることは目に見えていました。

いずれにしても、最初から無茶だと非難される提案をぶつけてくる橋下市長の姿勢は誠に残念です。交通局の職員が自分の部下であるという関係性を失念しているとしか言いようがありません。交通局の組合役員の不適切な行動に対する戒めや、選挙戦での遺恨を引きずっているのかも知れませんが、大多数の職員は日々の職務を懸命に遂行しているはずです。ひとたび大災害があった場合などは、自治体職員の立場から24時間365日、住民の皆さんに尽くすという気構えも持っているはずです。

このような思いに水を差し、職員の士気にも影響する非情な提案だと言わざるを得ません。 今回の記事内容に関しても、橋下市長を強く支持されている方々からは厳しい批判にさらされることも覚悟しています。「赤字だから」、あるいは「民間並に」という橋下市長の言葉に共感される方が少なくないことも予想しています。また、それぞれの総論的なテーマに照らし合わせ、公務員の仲間意識による既得権擁護の論調に過ぎないという批判も加えられるのかも知れません。

今回の記事を書き始め時、タイトルは「大阪市の動きから思うこと」でした。市営バス運転手の年収削減の問題から話を広げることも考えていました。いつものことながら前置きをはじめ、たいへん長い記事となっていますので、書き足りなかった話は次回以降に委ねていくつもりです。最後に、あくまでも今回の内容は各論として、使用者が雇用者の年収を4割削減する提案の是非について問題提起しています。それ以上に乱暴な企業が存在しているのかも知れませんが、一般的な常識の範囲内での意見交換を望みつつ、橋下市長の振る舞いを「是々非々」で見ていくことの大切さも訴えさせていただいています。

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