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2012年2月11日 (土)

脱原発署名の呼びかけ

この冬、多くの方々が大雪に苦しめられています。11か月前は未曾有の巨大地震に襲われ、たいへん辛い災禍を被っていました。さらに昨年、豪雨による大きな被害にも見舞われていました。どれほど科学が進歩しても、自然災害に対して人間の無力さを痛感させられる場面が少なくありません。一方で、原子力による災害に対しては、どのように人間が向き合っていくのかどうかで未然に防げることも確かだろうと考えています。

前回記事「あえて政治的な話題を」の最後のほうで、久しぶりに原発の問題を取り上げる予定だったと記していました。組合員の皆さんに「脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」への協力を呼びかけていたため、少しでも問題意識が共有化できる機会に繋がることを願っていたからでした。合わせて、土曜日に代々木公園で開かれた「さようなら原発集会」への参加も募っていました。さすがに今回は昨年9月の集会の参加者数には及びませんでしたが、会場は満杯となっていました。

これまで当ブログの記事を通し、原発に対する問題意識を何回か綴っていました。福島第一原発の事故以降では「原発議論と電力問題」という記事がありました。今回、原発の問題点を改めて書き進めていきますが、「運動のあり方、雑談放談」の中で触れたような自分なりの課題認識まで話を広げてみるつもりです。まず原発に対する問題意識を記していく際、参考までに私どもの組合ニュースの裏面に掲げた文章をそのまま紹介させていただきます。

福島第一原発の事故後、脱原発の機運は盛り上がっています。一方で、ただちに国内の原発すべての停止は困難であるものと言われていました。しかしながら原発は必ず13か月に1回、3か月ほどかかる定期検査が義務付けられています。現在、通常の点検が終わった後も、地元から安全面を危惧する声が上がり、1基も再稼動できていません。そのため、54基ある原発のうち稼動しているのは5基(現在は3基)だけです。したがって、この4月末には事実上、原発に依存しない局面を迎えることになります。

そのような事態を一気に招くことの賛否が分かれていることも確かです。全体的な共通認識としては今後、原発の新増設はあり得ないというものではないでしょうか。このような中、原発の運転期間を原則40年という新たな政府方針が示された直後、最長20年(運転期間60年)の延長を認める例外規定も明らかにされました。さらに電気料金の値上げや真夏に向けた電力不足の問題などが取り沙汰され、停止中の原発を再稼動させないと日本の社会は大きな混乱を招くような危機感が伝えられがちです。しかしながら福島第一原発事故を大きな教訓とするのであれば、「再稼動ありき」の見切り発車だけは絶対避けるべきものと考えています。

そもそも原発は火力や水力に比べ、発電コストが安いと宣伝されてきました。しかし、立地費用や廃棄物の処理費用などを含めれば、圧倒的に割高となります。また、地球温暖化対策のために二酸化炭素を発電時に放出しない原発はクリーンなエネルギーと言われてきました。しかし、その点もウランを採掘する段階から製錬や濃縮などの過程で見れば、膨大な二酸化炭素を放出していました。さらに原発は事故を起こさなかったとしても、10万年とも言われる厳重な管理が求められる放射性廃棄物の問題がありました。

脱原発社会を実現するためには、省エネルギーや自然エネルギーを中心にしたエネルギー政策の転換が欠かせません。その一方で、現時点でも火力発電所をフル稼働させれば、原発分の電力は充分まかなえるという専門家の見方があることも確かでした。いずれにしても脱原発の方向性のもとで選択肢を判断していくのか、なし崩しに「やはり原発は必要」という方向性に傾いていくのか、大事な岐路に立たされています。

残念ながら1千万筆を目標に取り組んでいる「脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」は年明けの段階で350万筆にとどまっています。そのため、改めて組合員の皆さんに呼びかけた職場署名活動に取り組みます。組合員の待遇の維持向上をめざすことが組合の本務ですが、より良い社会の実現に向け、今回のような取り組みも組合活動の大切な領域の一つとしています。ぜひ、このような趣旨についてもご理解くださり、できる限りのご協力をいただけるようよろしくお願いします。

組合員全員に配られたA4ニュースの表面には職場課題、その裏側に上記の文章を掲載していました。無記名の原稿となっていますが、私自身が書いたものでした。少し前の記事で「このブログに書き込む内容は実際の活動や日常の場面でも発言しているものでした。ネット上での言葉は確かに慎重に選んでいますが、基本的な内容や趣旨などについて実生活での発言と使い分けるようなことはしていません」と記していました。

今回、先に組合ニュースで掲げた文章をブログに転載するという珍しいパターンとなっています。自治労に所属している組合が、このような政治的な話を機関紙などに取り上げていることは日常的なことです。インターネット上の様々なサイトを訪問していると、そのことが物凄く問題であるように非難している方々の多さを把握できます。このブログを訪れている皆さんの中にも、同様な発想をお持ちの方が少なくないことも承知しています。

しかし、コソコソ隠れて活動している話ではなく、そもそも組合ニュースが組合員以外の方の手に渡っても、まったく問題ないものと考えています。組合ごとに内容や表現方法に幅があり、読み手によって様々な印象を持たれるのでしょうが、鬼の首を取ったような言われ方には違和感を抱いていました。そのような思いがあったため、あえて今回、私どもの組合員の皆さんに呼びかけた内容をそのままブログに転載してみました。

続いて、私自身のこだわり、つまり現在の私どもの組合のこだわりを強調させていただきます。紹介したニュースの内容は「なぜ、脱原発なのか」という論調にこだわっています。「脱原発の実現は欠かせない、だから署名に協力を」というような結論の押し付けは避けるように心がけています。とりわけ組合員の皆さんの中で、考え方が分かれるような政治的な課題については、よりいっそう、そのような論調に努めていました。

「ですます体」と「である体」の違い程度に感じられる方がいらっしゃるのだろうと思いますが、自分自身が組合ニュースの発行に責任を持つようになった以降、こだわり続けている心得の一つでした。したがって、当たり前な話ですが、署名への協力も、集会への参加も、あくまでも個々人の自由意思によるものとなっていました。時には直接呼びかける場合もありますが、決して無理強いすることはありません。このような発想は組合役員に対しても同様でした。

ただ以上のような話は自治労都本部の方々に対し、たいへん申し訳ないものと思っています。要請された動員者数や署名の数を集められない「弱さ」に見られることも覚悟しています。しかし、前回の記事で「職場課題と政治活動が主客逆転しないことを大前提とし、それぞれの組合が背伸びしない範囲内で関わっていくべき運動領域の一つ」と記したとおり脱原発も確かに大事ですが、今、それ以上に集中すべき職場課題が山積している中、要請に充分応えられないこともやむを得ない現状だろうと省みています。

今回も長々とした記事となっていますが、最後に、少し前の記事「旗びらきの季節」のコメント欄で申し上げたことも付け加えさせていただきます。脱原発の署名などに取り組むことも重要だろうと思っていますが、それよりも連合内での議論を一歩踏み出す必要性を認識していました。電力総連の皆さんとも忌憚のない議論を交わし、連合内が脱原発でまとまることの意義は非常に大きいものと考えています。逆に連合内での意思統一もできないようであれば、脱原発への道筋もたへいん厳しいものとなるように感じています。

そのため、まず自分自身が直接関われる範囲の中で、そのような議論に踏み込めるよう何人かの方と話を始めていました。いずれにしても原発に対する見方や立場が違うからこそ、お互い率直な意見交換が必要だろうと考えています。同じ連合という組織の一員として、東電労組の皆さんと懇親を深めている最中、ぶしつけな話題を切り出したこともありました。その際、お互いの立場を尊重しながら率直に話し合うという趣旨について、たいへん有難いことに快く受けとめていただき、正直ホッとしていました。今後、とにかく信頼関係を重視した対話への一歩を踏み出せるよう自分なりの努力を重ねていこうと考えています。

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コメント

「さようなら原発集会」参加お疲れ様でした。私は昨年、地元で開かれた集会に参加しましたが、特に多くのお母さん方が原子力による災害があってはならないとの思いから参加されている姿に心を打たれました。
 先日、「旗びらきの季節」で少し触れましたが、アメリカの画家ベン・シャーンが、水爆実験で犠牲者が出た第五福竜丸の事件を描いた「ラッキードラゴンシリーズ」を基に構成した「ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸」(構成・文アーサー・ビナード)を読みましたが、ベン・シャーンは、「放射能病で死亡した無線長は、あなたや私と同じ、ひとりの人間だった。第五福竜丸のシリーズで、彼を描くというより、私たちみなを描こうとした。久保山さんが息を引き取り、彼の奥さんの悲しみを慰めている人は、夫を失った妻の悲しみそのものと向き合っている。亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、わが子を抱き上げるすべての父親だ」と語っています。60年近くたった今でもこの普遍的なテーマは心に迫ってきます。
(第五福竜丸は、廃船直前のところ、多くの人々の保存運動により今日に至っていることを10年ほど前に知りました。)
 OTSUさんが指摘されている「原子力による災害に対しては、どのように人間が向き合っていくのか」との問いかけに第五福竜丸保存運動のように多くの人々が参加し、一歩を踏み出せることを願っています。

投稿: ためいきばかり | 2012年2月12日 (日) 23時48分

ためいきばかりさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

他者の思いや悲しみを少しでも分かろうとする方々の姿勢には心から敬意を表しています。このコメント欄での書き込みを通し、ためいきばかりさんもそのような方のお一人だろうと思っています。

また、個々人の見方が大きく分かれるテーマを当ブログでは取り上げているため、どうしても対立型の意見が多く寄せられがちです。その中で、ためいきばかりさんのようなコメントにも触れられることで、たいへん癒されています。ぜひ、これからも思うところを気軽にご投稿いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2012年2月13日 (月) 07時54分

 事故よりはるか前、原子力発電所のあり方、および反対としても、その運動のあり方はどうあるべきについて、コメントを書いた事がありました。
 その立場として、OTSUさんへの意見というより、自分自身の今の考え方を示す義務があるだろうと思い、今回コメントさせていただきました。
 なお大半は、以前私のブログで書いた事になりますけれど、ごめんなさい。

 まず結論からしてOTSUさん、そして活動家の皆さんには申し訳ない言い方になるが、私自身としては未だ原子力発電を全否定はできない。
 チェルノブイリ事故が引き合いに出されるが、日本における電力の使用量は、ITの普及により(このブログだってそうでしょう)その頃とは個人レベルでも比べ物にならない程電力の使用量が増えている。
 反対するのなら、ポスト原子力の日本人の取るライフスタイルまで提示し、国民一人一人の賛同を得る所まで行かないと、運動もうまくいかないのではないか。
 加えて代替エネルギーにしてもいまさら石油を増やして温暖化を招いたり、水力のためにダムを増やす事も許されないし、かといって「再生エネルギー」もまだ不確実な部分が少なくない。
 そもそも、原子力はNO、かといって温暖化もNOというのであれば残る道は一つ、「エネルギーを消費する行為」そのものの総点検が … 国とか、自治体レベルだけでなく、個人の日常生活にまで … 必要になると思われるのだが、そうした行動がない(ように見える)のはなぜなのだろう?
 たとえば、夏の節電が終わったとたん、渋谷などの繁華街ではビルの壁面の動画が復活し、大音量が通りに撒き散らされたりするが、ああいうのを放置していていいのだろうか?
(電力消費だけでなく、景観や騒音の面でも問題なのだが)
 鉄道の駅や電車の中では引き続き照明を削減したりしているのに、家電量販店では相変わらず数多くの家電製品が電気を消費し、照明の削減もせずにガンガン大音量の音楽を流している。おかしいと思う人はいないのか?
 ついでに言うと、一部の鉄道では引き続き節電のために電車が一部間引きになっている。
 どこか間違っているのではないか?
 以前「埋蔵電力」などという言葉も聞かれたが、そこには
「原子力はNO。だけど潤沢な電力の基での贅沢な暮らしは享受し続けたい」
というニュアンスが見て取れるのは気のせいだろうか?

 そこで3点。
1.危ういシステムの基で、不相応の成長の挙句に破滅に追い込まれる位なら、経済成長で韓国にも中国にもインドにも抜かれていいから、身の丈にあった成長を追及する方向に転換するべきではないか?
 自己中心的な欲さえ出さなければ、今の日本だって充分住みやすいはずだ。
(ただし、雇用の問題が発生するので、その面の手当ては必要)
2.国策として、電力に限らず、エネルギー全体の消費を最低10%削減する事を明確に謳い、実行のための法整備を進める。
「節電」だの「エコ」だのと生温い言葉ではもはや済まされず、ある程度強制的にやるべきではないか?
(本当は10%でも足りないとは思うが、それ以上は個人の暮らしをかなり束縛しそうなので)
3.金は解らないが、人・物は積極的に地方に分散させる。
 去年の都知事選挙で「首都圏から日本を元気に!」と叫んだ候補者がいたが、首都圏だけ発言力が増大したら、原発が立地する地方の自治体の苦しみは永遠に消えないのではないか?
(今平行して「一票の格差」の問題も取りざたされているが、このままの人口配分では首都圏など大都市の議席ばかり増え、原発がある自治体の発言力がさらに削減される危険がある)

 以上、OTSUさんや、活動家の皆様にとっては神経を逆撫でする発言ばかりになったと思いますが、ご了承ください。
 これが私自身の思想なので。

投稿: | 2012年2月14日 (火) 20時28分

 すみません。上のコメントを書いたのは私、菊池正人です。
 ついでにあと1点だけ。
 東京電力を弁護する気は毛頭ないけれど、今のジャーナリズムによる東電への批判、というより攻撃には、なにか胡散臭いもの、醜悪なものが感じられるのですが、気のせいでしょうか?
 原発事故に限らず、たとえば福知山線の事故もそうだけれど、事が起こってから「実はああでした、こうでした」と大騒ぎするけれど、よくよく読めば、かなり前から、事故の前兆があからさまに目の前にさらされていた事になります。
 今回の事故も、原子力発電の危険性そのものは確かにはるか昔から指摘されてはいたものの、福島第一原子力発電所の構造にかかわる報道は、事前には何もありませんでした。
 中国の高速鉄道事故では「日本の新幹線ではありえない」とするコメントが何度も聞かれましたが、ジャーナリズムとしては、それでいいのか?
 ひょっとしたらこうしている今も、原発事故でさえかすむような大惨事の芽が、すでに目の前に現れているのかもしれない。
 事が起きてからセンセーショナルな(エンターテイメント的と言い換えてもいい)バッシング報道をやる位なら、もっと違う事をやって頂きたいと思います。
 日本のジャーナリズムの悪癖です。

 たびたびお騒がせしました。

投稿: 菊池 正人 | 2012年2月14日 (火) 20時37分

菊池正人さん、コメントありがとうございました。

菊池正人さんの原発に対するお考えは分かりました。私自身は「神経を逆撫でする発言」だとは感じていません。そのような「答え」をお持ちの方が今でも決して少なくないのだろうと見ています。それに対し、私なりの「答え」は今回の記事本文の中で綴ったとおりです。

ただ個人的な研究や検証を深めた訳ではなく、そのように主張されている識者の記した書籍などを読み、その「答え」の正しさを信じている立場だと言えます。その上で、様々な「答え」を突き合わせる中から最適な「答え」が導き出せることを願っています。

投稿: OTSU | 2012年2月14日 (火) 22時34分

原子力発電ですが、万が一の際のことを決めればいいことだと思います。

万が一の際は、緊急対応を行う人に死人が出てもいいから運転を続ける。
このことを国民の過半数の了解が取れるなら(納得を得られるなら)、原発の継続利用は認めていいと思います。

今回の事故を見てもわかるとおり、一度暴走した原子力は結局どうにもなりませんでした。
でも、人の命と引き換えに炉に近づいて、バタバタと倒れようと死人が出ようと放水などの作業を行えば、あるいは臨界事故は防げたかもしれません。

そんなことは出来る訳もなく、ただ遠くで呆然とするだけで何も出来なかった、というのが今回の事故ではないのですか?
ならば、運転を容認する=万が一の際は、決死隊を送り込む覚悟をする。

そういうことだと思います。

もし、電気が足りない・・・・・・それだけの理由であれば、原発は絶対必要とはならないと思います。

①火力発電所でも何でもいいから、安全な発電施設を増やす。
②発電所は現状のままで(原発は未稼働)、電気の使用量に何らかのルールを作り制限を掛ける。

今よりも原発の安全性を高めるとか、対策を練るという話は、根本的な解決策にはなり得ないと思います。
もし、そこまで対策をしていても、それでも事故が起きたらどうするのですか?

結局、何も出来ずにまたもや臨界事故を起こすだけではないのですか?

投稿: 下っ端 | 2012年2月14日 (火) 23時19分

 おはようございます。
 原発問題に限ったことではありませんが、私は1か0か、All or Nothing ではなく、できることから変えていけばよいのではないかなあ、と考えています。
 原発を即時全廃するとしたら、代替エネルギーや、電力供給量<消費量という問題は当然、考えなければなりません。
 でも、企業や個々人によって、電力需要に対する考え方もまちまちだとすれば、今すぐ、極端な電力消費制限が実現できる可能性は低いものと言わざるを得ません。

 では、現状を放置していていいのか?
 事故のことは忘れて原発も全機フル稼働を目指せばいいのか?

 と言えば、それも違うのだろうと思います。
 震災からの復興支援のために電力が必要だ、という論理も出てくるでしょう。
 そうでなくとも、他の方が言われたように現代日本は電力大量消費社会。その社会構造自体を改めるとしても、相当の時間がかかるはずです。

 であれば、できることから進めていくべきなのではないかと思います。

 代替エネルギー問題に関しては、原子力発電にかかるコストが実際にどれくらいなのか、開発研究費、保安費用まで含めて検証しながら、火力だけでなく、他の例えば太陽光、地熱、水力、風力といった発電方法の研究開発や実用化を進めてゆければよいと思います。
 太陽光発電一つとっても、最近では、ショッピングセンターや電器店などで個人宅向けのキャンペーンをやっている姿なども見かけるようになりましたが、ひと昔前に比べれば、発電量やコストは雲泥の差があります。
 送発電の分離など、送電効率についても改善の余地はあるのだと思います。

 東電独自の試算に任せず、公正な第三者機関などによる監査を加えながら、発電、送電にかかる様々なコスト(危機管理に要するコストも含めて)を軽減してゆくことで、段階的に原発依存から脱却してゆくという方法を、真摯に考えられるのが、震災後の日本なのではないかと思います。

 もっとも・・・。
 原子力問題がこれほど複雑になるのは、結局、「核」の問題が避けて通れないことだからなのではないかとも思います。
 電力問題でありながら、政治的な問題もはらんでいる、という点が、状況の改善における最も困難な障害となるのではないかと思います。

投稿: 野次馬 | 2012年2月15日 (水) 05時53分

下っ端さん、野次馬さん、おはようございます。コメントありがとうございました。

この局面での脱原発の問題は、反戦平和運動の延長線上での見られ方を避けるような努力が必要だと考えています。もっと極端に言えば、署名活動など従来型の運動などには取り組まず、収まるべき結論に至れる環境作りが欠かせないものと思っています。

例えば、今回の記事に綴ったとおり「現時点でも火力発電所をフル稼働させれば、原発分の電力は充分まかなえる」という見方があります。この見解が正しく、それに付随した諸問題を解決できる道筋を適確に広く周知できれば、「原発は無いほうが良い」という声が大きくなっている中、おのずから原発に依存しない社会が達成できるのではないでしょうか。

現実的に54基中、たった3基しか稼動していなくても、今、昨年夏までのような混乱がありません。少し前まで真冬の電力需要の問題が取り沙汰されていましたが、その冬ももう少しで過ぎようとしています。当然、自然エネルギーの開発や節電、それ相応のコスト負担、原発立地自治体へのフォローなど、様々な問題を同時に立ち向かっていく必要性も認識しています。

いずれにしても脱原発の問題はイデオロギー的な対立とせず、理性的、現実的な議論を経て結論を出すべきものと考えています。たいへん恐縮ながらコメント欄でのレスの機会を通し、記事本文で言い足りなかった点を改めて綴らせていただきました。

なお、下っ端さんの「ただ遠くで呆然とするだけで何も出来なかった」という見方は、事故直後、必死で作業された現地の方々の労苦を思うと、適切な表現ではないように感じています。全体的な文脈の中で、意図されている問題提起は理解しているつもりですが、気になりましたので一言指摘させていただきました。

投稿: OTSU | 2012年2月15日 (水) 08時21分

当時、原発現場の人間が、どれほど必死で汗をかいているか、「現場」という仕事をしていた私は理解しているつもりです。

ただ、言葉が足りなく誤解を与えた、不快な思いをされた方がいるのであれば、この場をお借りして訂正します。
すみませんでした。

現場の必死の努力も遠く及ばない事態、そんな現実が起きてしまうことに対しての話であり、決して現場の努力を否定することではありません。

そんな死と直面するほどの努力でもまだ足りずに、死をも厭わない努力を求めることになる。
原発容認とは、そういうことに繋がりませんか?という意味です。


投稿: 下っ端 | 2012年2月15日 (水) 18時54分

下っ端さん、コメントありがとうございました。

朝、記したとおり全体的な文脈の中で、下っ端さんの問題意識は充分伝わっています。その上で、少し気になった点について一言指摘させていただいていました。直接の当事者ではないのにもかかわらず、余計な一言だったかも知れません。したがって、この指摘については、あまり気になさらないようよろしくお願いします。


投稿: OTSU | 2012年2月15日 (水) 21時50分

OUTUさんには申し訳ないですけど、私は原発は必要だと思います。

エゴだと言われそうですが、資源小国の日本にとってエネルギーの確保は死活問題です。
先の大戦も、我が国は資源獲得のために進駐していったんですから。
もう一度同じことが起きるかもしれません。

多少生活レベルを下げても原発停止を、との主張がありますが、電子レンジやオーブントースターを使わないなどということでは済むわけありません。失業者の増加といった日本国全体の生活レベルの低下に繋がるものだと思います。

投稿: 地方の公務員 | 2012年2月15日 (水) 22時38分

地方の公務員様

>先の大戦も、我が国は資源獲得のために進駐していったんですから。
>もう一度同じことが起きるかもしれません。

やっぱり貴方は、思考が普通では無いですよ。どこまで極端なんですか。
こういう者が公務員に居るのは恐ろしいことで寒気がします。

投稿: つぶやき | 2012年2月15日 (水) 23時15分

もちろん、原発については比較的新しいものは再稼働してエネルギーを確保し、日本の持てる技術を次世代エネルギーの開発に注げる環境を整備し、再生可能エネルギー技術で世界において優位に立つべしとは思います。当たり前の流れです。

それが何で、再稼働しなければエネルギー不足から侵略戦争に走るという短絡思考になるのか不思議です。
少し前の選挙の時の番組で、共産党の事務所が中継されると、判で押したように同じチラシを持ち出して同じことを言っていた気持ち悪さと、何か同じ匂いを感じます。

投稿: つぶやき | 2012年2月15日 (水) 23時26分

地方の公務員さん、つぶやきさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

人それぞれ、いろいろな見方や受けとめ方があることは当たり前だと思っています。そのため、このブログの記事やコメント欄では「(私はこのように)思っています」という論調を基本としています。

そのような点を踏まえ、「資源小国の日本にとって」原発は欠かせないという見方に対しては、このような考え方があることを紹介させていただきます。そもそも原発もウランを採掘しなければ稼動させることができません。そのウランも限りある資源で、輸入にも頼っている現状でした。

したがって、核燃料サイクルを実現することで、国産エネルギーを得られるように計画されていました。しかし、高速増殖炉の実用化は極めて困難であり、さらに国際条約で保有が禁止されているプルトニウムの蓄積という課題を生み出していました。

その結果、通常の原子炉でプルトニウムを燃やすという危険極まりないプルサーマル計画にまで繋がっていました。このように原発の推進が決して資源小国である日本の切り札にはなっていませんでした。この考え方にも、いろいろ反論があり得るのかも知れませんが、私自身は、以上のような見方はその通りだろうと思っています。

投稿: OTSU | 2012年2月16日 (木) 06時40分

>>先の大戦も、我が国は資源獲得のために進駐していったんですから。
>>もう一度同じことが起きるかもしれません。

>やっぱり貴方は、思考が普通では無いですよ。どこまで極端なんですか。
>こういう者が公務員に居るのは恐ろしいことで寒気がします。

これは行き過ぎた誹謗中傷と思われますが。

国益の観点から考えると、国際条約で禁止されているとの
話も無意味かもしれません。
核の開発でイランが問題視されていますが、IAEAにも
加入せず、公然と自国の利益のみにまい進するイスラエルは
どうなんでしょうか。欧米はユダヤ団体が恐ろしいので
完全に無視か擁護ですし。
結局、国益が優先で条約など無意味なのです。

だからこそ日本もみずからの行く末を真剣に考える必要が
あり、憲法九条宗教の狂信者は全て北朝鮮に送るべきと
思いますね。

投稿: nagi | 2012年2月16日 (木) 10時17分

スカイネットはアメリカ東部時間1997年8月29日午前2時14分、自我に目覚めた。2001年宇宙の旅で人工知能HAL9000型コンピューターは自分への信頼への疑念から自我に目覚めた。

日本はかってバルチック艦隊を壊滅させ、強国としての自我に目覚める。これが将来のエネルギー安全保障戦略である大東亜共栄圏の礎になった事は間違いなく、これを基にして大陸への侵略を行った。
しかしアメリカからの「ハル・ノート」によって真珠湾を攻撃し、しかる後に原爆投下で「自我を封印する」。
戦後「Japan as No1」で経済大国としての自我に目覚め、バブルの崩壊で自我を封印する。

最近中国は「あれっ?若しかしたらアメリカに勝てるかも?」と自我に目覚め、海洋権益において危険な「チキンレース」を試みている。
恐らくこの危険なチキンレースで日本人は再度「自我に目覚める」可能性が高い。

寝たり起きたりと忙しい事ではあるが、寝ているより起きている方が良いだろう。

投稿: あまのじゃく | 2012年2月16日 (木) 11時59分

原子力発電の問題については、OTSUさんが言う
>「現時点でも火力発電所をフル稼働させれば、原発分の電力は充分まかなえる」という見方があります。この見解が正しく…
これが問題となるのではないでしょうか。
これが正しいか正しくないかが判らない中で、正しいと判断して組合としての見解を出すことには問題があるのではないかと思います。
ほかの方も指摘されていますが、現在は電力の安定供給が前提となった社会システムになっています。
今でも電力不足は起きていないといいますが、各企業はそれこそ必死になって、電力使用量を減らす努力をしています。
それは電力の安定供給は死活問題だからです。夏の計画停電は、売上げに大きく響きましたし、停電地域にあわせて作業順序を変更、調整したり、出勤シフトを変更したりで、労務的な負担も並大抵ではありませんでした。
そうしたことが起きないように努力しているのであり、その上で供給の安定が保たれている現実を踏まえた議論が必要ではないかと思います。

投稿: ごまめのはぎしり | 2012年2月16日 (木) 21時02分

nagiさん、あまのじゃくさん、ごまめのはぎしりさん、コメントありがとうございました。

意外にも原発を支持される方のコメントが続いていますが、このような声が根強くある現状も踏まえ、最適な「答え」をめざしていくことが重要だろうと思っています。その上で、ごまめのはぎしりさんからは「正しいか正しくないかが判らない中で、正しいと判断して組合としての見解を出すことには問題があるのではないか」というご指摘がありました。

これから説明することに対しても評価が分かれるものと思いますが、組織としては脱原発の方針があり、その署名を取り組むことが決まっていました。そのため、記事本文でも掲げたとおり「なぜ、脱原発なのか」という背景の一つとして、指摘されたような専門家の見方を紹介していました。その際も断定調ではなく、組合員の皆さんの判断に訴える書き方を基本としていました。

nagiさんからは「これは行き過ぎた誹謗中傷と思われます」というご指摘がありました。つぶやきさんが地方の公務員さんへ投げかけた言葉に対してでした。朝の私からのコメントは本当に回りくどく、ストレートな注意喚起とはなっていませんでしたので、貴重なご指摘だったものと受けとめています。余談ですが、問題視された言葉は数え切れないほど当ブログの中で耳にしてきたものでした。ぜひ、nagiさんのご指摘が広くご理解いただければ幸いなことです。

投稿: OTSU | 2012年2月16日 (木) 22時41分

>意外にも原発を支持するコメントが続いていますが・・

本当に「意外」でしょうか?
日本には「noisy minority」が「全体」を牽引する事がよくあります。
「noisy minority」に配慮して「silent majority」が沈黙をする場面が良く見られます。

今は被災者に配慮して「原発容認派」や「原発推進派」が沈黙をしているのではありませんか?
声なき声を拾う事が大事です。一隅を照らす事が大事です。

他人に配慮して沈黙している事を良い事に、noisy minorityが一気呵成に方針を決めようとする事は決して良い結果を生まないでしょう。
自治労の方針は喧々諤々に議論して決めるとの事ですが、(議論の)参加者は「minority」ではありませんか?

投稿: あまのじゃく | 2012年2月17日 (金) 12時21分

まず先に私の意見を表明するならば、「原発はその数をなるべく減らす」「少なくとも最終処分場が建設されるまでの間は、原発は維持すべき」「安全性を鑑みて、新たな大型の原発を建設することで、同等の発電能力を有する原発を古いものから速やかに廃炉とする」という感じです。

>そもそも原発は火力や水力に比べ、発電コストが安いと宣伝されてきました。しかし、立地費用や廃棄物の処理費用などを含めれば、圧倒的に割高となります。
→廃棄費用というよりも、むしろ事故の確率をどう考えるかによって、原発のコストは変わりうるものだと思います。

>「現時点でも火力発電所をフル稼働させれば、原発分の電力は充分まかなえる」という見方があります。この見解が正しく、それに付随した諸問題を解決できる道筋を適確に広く周知できれば、「原発は無いほうが良い」という声が大きくなっている中、おのずから原発に依存しない社会が達成できるのではないでしょうか。
現実的に54基中、たった3基しか稼動していなくても、今、昨年夏までのような混乱がありません。少し前まで真冬の電力需要の問題が取り沙汰されていましたが、その冬ももう少しで過ぎようとしています。当然、自然エネルギーの開発や節電、それ相応のコスト負担、原発立地自治体へのフォローなど、様々な問題を同時に立ち向かっていく必要性も認識しています。
→現在の電気料金に、火力発電のコスト増加分がかかっていないことを忘れていませんか。現状はいわば40兆円しか税金を負担していないのに、90兆円の財政を支出させるような状況です。
 原燃料調整制度で「原料価格高騰部分」の調整は出来ると思いますが、「原発から火力に転換」した部分の原油やLNG購入コスト部分は、現時点で負担している需要家はいないはずで、電気代が上がっていないからこそ、需給逼迫だけが問題になっているのだと思っています。

それと、原発を廃炉にしようが、そこに燃料棒が存在すれば、危険であることに大きな違いはないのではないでしょうか。浜岡原発にだって、現在も燃料棒がそのまま残っているはずで、原発が危険だというのであれば、止めているだけでは安全とは到底いえる状態ではないはずです。最終処理場が出来て、そこに処分するのが一番安全であることは間違いない訳ですから、代替エネルギーを推進することと同じくらい、最終処分場の建設を求めるのが筋ではないでしょうか。

投稿: とーる | 2012年2月18日 (土) 03時35分

あまのじゃくさん、とーるさん、コメントありがとうございました。

幅広いご意見を伺える場として、この場は本当に貴重だと思っています。それぞれの見方に対し、具体的なレスに至りませんが、そのような物足りなさについてはご容赦ください。なお、週末の新規記事は話題転換してしまう予定ですが、ぜひ、これからもご注目いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2012年2月18日 (土) 08時37分

かなりおバカな発言しますが、許して下さい。

昨今、憲法で保障された思想信条の自由で色々さわがれて
います。

かつておバカ総理が「人の命は地球より重い」と言ったらしいが
法の下で平等である理念は当然でも、必要に応じて憲法を含めて
法律は変更するのが当然である。法律が人を支配してるわけで
はないから。

さて、民主主義の先輩国家はこの思想信条の自由は
守られているのでしょうか?
ある国ではナチスを賛美すると逮捕され
フランスではイスラム教のブルガが禁止され
一部の例ですが、国益が思想信条を優先することがあったり
します。

一方日本では思想信条を理由にして、死刑をしない法務大臣が
時々現れます。たしかに憲法で保障されているのだが、
これが横行すれば社会システムが歪み、国益が損なわれ
最終的に国民の幸福を破壊するものと考えるのはおかしい
でしょうか。

公と私の境界線がどこに引かれるべきなのか論点は
あるものの、権利はどこまでが有限かあるいは無限なのか
詳しい方、教えて下さい。

最近の大阪市の騒動を見て思ったことです。

投稿: nagi | 2012年2月18日 (土) 09時36分

思想信条の自由に関してですが、nagiさんの望むような解答はなかなか無いように思います。
ただ大阪市の問題についていうと、ここのコメント欄でも地方の公務員さんとつぶやきさんの間でもやり取りがありましたが、あれは思想信条を直接問うてはいないにせよ、現実的には思想信条調査としてクロでしょう。
なぜなら、支持政党や特定の政治家を支援したかどうかを問うています。政党の綱領や規約、政治家の支持団体や公約、言論を見ればその背後の思想信条を知ることが出来ますので、間接的にではあるにせよ思想信条調査になるでしょう。
なぜ選挙が無記名でその匿名性が守られているかということと同じです。橋本市長の真意がどこにあるかですが、労働組合にしてもそれなりに関わっている人間は、大まかにいえば連合系なのか全労連系なのか全労協系なのか、あるいは過激派に属するものであるのかはわかるでしょうし、このアンケートもそうした意図に基づいているのでしょうが設問を考えた人は勇み足というか正直すぎますね。(外から見ると労働組合は全部一緒に見えるのでしょうが、それは我々にとっても困った問題ではあるのです。)
ただ、個人的には思想信条の自由は他人の安全、生命、財産を侵さない限り、最大限に守られるべきだと思います。それが国家であっても個人の内面にまでは踏み込んではならないと思います。しかし、個人の思想信条がどうであれ、職業規範は守るべきですし、思想信条を優先するのであれば職業(ここ例で言えば法務大臣を)を拒否すればよいのです。そのあたりが公私の境目ではないかと考えます。
法律や条令が間違っているとするなら公の場で議論をし社会の安定に寄与するとするなら調整をして改正すればよいと思います。問題は、いわゆる民意が正しいとは限らない、あるいは狂気を生むことも歴史には書かれています。
また国や地域によって歴史や風土、共同体が持つ明文化できない伝統や文化というものがありますので一定の価値観を共有する共同体の内部においては、価値観の異なる主義や思想を受け入れるというのは難しいと思います。
nagiさんが出された例は、そうしたものの現れではないでしょうか。

投稿: ごまめのはぎしり | 2012年2月18日 (土) 15時39分

nagiさん、ごまめのはぎしりさん、コメントありがとうございました。

nagiさんのお尋ねに直接答えられそうにありませんが、新規記事で橋下市長の「政治・組合活動に関するアンケート」について取り上げる予定です。その記事を通し、思想信条の自由の問題などは少し考えてみます。ぜひ、またご訪問くださるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2012年2月18日 (土) 21時36分

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