旗びらきの季節
忘年会の季節である12月よりも、1月のほうが外で飲む機会は多くなっています。新年会、旗びらき、新春の集いなど、毎週いくつもの会が予定されていました。加えて、飲み語り合うことが好きなほうであり、つい自主的な「もう一軒」も重ねてしまいながら疲れを倍加させているようです。そのような日は、お寄せいただいたコメントに対して速やかにレスできず、翌朝対応するようなパターンも続いていました。
金曜の夜は連合三多摩の新春の集いでしたが、久しぶりに来賓の一人として菅前首相にも足を運んでいただきました。地元の会という気安さがあったようで、伸び伸びと力のこもった挨拶を耳にすることができました。ただ個人的な印象として、首相在任中の期待感と現実との落差が大きかったため、挨拶の中味に関しては心に響きづらくなっていました。乾杯の後、歓談中に駆けつけられ、すでに酔いが回った中で拝聴していたせいだったからなのかも知れませんが…。
私自身、旗びらきなどで主催者を代表した挨拶は1回だけですが、来賓として挨拶する機会が何回かあります。地元の競輪労働組合の旗びらきで挨拶の機会を得た際、減収に苦しむ公営競技事業のもと厳しい労使交渉が強いられている話に触れさせていただきました。昨年末、競輪労組の一時金交渉は膠着状態が続いていました。これまでも同じ自治労に所属する組合同士、日頃から協力関係を築いていましたが、その時はもう一歩踏み込んだ連携に努めました。
私どもの市の競輪事業の責任者であり、開催執務委員長を担っている副市長への要請行動に私も同席させていただきました。その後、競輪労組執行部の皆さんの会議の場にも参加し、一時金交渉の解決に向け、いろいろ意見を述べさせていただいていました。最終的な決着としては、残念ながら要求していた昨年実績にわすがに届きませんでした。それでも最初の回答からは大幅に上積みできていたため、粘り強い交渉を重ねた成果であり、競輪労組の皆さんの尽力に敬意を表していました。
この時の印象を挨拶の中で語りながら、施行者側も厳しい経営状態のもとで苦慮している現状について触れていきました。競輪労組の交渉窓口に当たっていた職員をよく知っているため、従事員の方々の雇用や待遇面に関して真剣に考えている姿勢を垣間見ていました。このような内実も頭にあったため、競輪労組の旗びらきの挨拶では、前回記事(コメント欄での「ためいき」の理由)の中でも触れた次のような自分なりの問題意識を披露させていただいていました。
日頃から「押す引くがあるからこそ、交渉が成り立つ」という言葉をよく使っています。また、断固反対、徹底抗戦という姿勢を頭から否定しませんが、お互いが歩み寄れる幅を持っていない場合、際限のない消耗戦に陥る懸念があります。労使協調という言葉も誤解を招きがちですが、使用者側を敵視していく組合側の態度を私自身は是とせず、お互いの立場を尊重し合える信頼関係は重視していくべきものと常々考えています。
「皆さんの交渉相手が私と同じ市の職員であるため、肩入れしているような見られ方をされてしまうのは本意ではありませんが…」という前置きをした上での発言でしたが、どのように受けとめられるのか少し心配していました。さらに私の直後に挨拶された方が競艇労働組合の委員長で、「いつも当局側のやり方は姑息であり、組合員間を分断するような不当な攻撃を仕掛けてくる」というような論調でした。
これまで何年間も組合側が容易に受け入れることのできない厳しい提案が示され、真っ向から対立していた労使関係を踏まえれば、私の挨拶内容は「甘すぎる、現実を見ていない」という反発を持たれてしまったかも知れません。いずれにしても私の発言した趣旨と競艇労組委員長の挨拶は極端なコントラストを示していました。その後の懇談の中で、競輪労組の委員長に私の挨拶がどのように受けとめられたのか、率直に尋ねてみました。
幸いにも私の心配は意識過剰だったようであり、不信感を与えたり、頑張ろうとする決意に水を差すような発言には聞こえていなかったようでした。淡々と受けとめていただき、私の発言の趣旨についても一定の理解を得られていたようにも感じることができました。そもそも当たり前な話ですが、このブログに書き込む内容は実際の活動や日常の場面でも発言しているものでした。ネット上での言葉は確かに慎重に選んでいますが、基本的な内容や趣旨などについて実生活での発言と使い分けるようなことはしていません。
したがって、私どもの旗びらきでの組合を代表した挨拶の中では、少しの前の記事(再び、公務員批判への「答え」は?)に綴ったような内容にも触れていました。出席された100名ほどの組合員や来賓の皆さんを前にし、大阪市の動きを示しながら、公務員やその組合への批判を少なくするためには「何が批判され、どうすべきなのか」、あるいは「誤解による批判だった場合、どのように理解を求めれば良いのか」という趣旨の発言を行なっていました。
乾杯の後、会場内を回り、いろいろな方と歓談するように心がけています。顧問契約を結んでいる法律事務所からも来賓として、二人の方に出席していただいていました。他の組合の旗びらきにも顔を出されているようであり、意外な言葉をかけていただきました。「なかなか謙虚な挨拶でしたね。僕はこちらのほうが好きですね」という言葉でした。つまり他の旗びらきでの主催者挨拶は「厳しい情勢だからこそ、よりいっそう団結して頑張ろう」という力強さを前面に出していることが多い中、私の挨拶から得た印象は少し異なっていたようでした。
決して弱気な発言に終始していた訳ではありませんが、弁護士の方からの「謙虚」という言葉は肯定的な意味合いだったものと素直に受けとめています。一方で、このような対比の仕方について、他の組合の方々が不愉快に感じられる場合もあり得るのかも知れません。とは言え、たいへん恐縮ながら、それぞれ独立した組合が、それぞれの構成員の意思のもとに進め方や方向性を決めていく話だろうとも思っています。その上で、私どもの組合に関しては最も重い責任を託されている自分自身、このブログで綴っているような問題意識を今後も重視していくつもりです。
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コメント
こんばんは、こちらは今週旗びらきの予定です。
競輪事業の経営努力をかなりされているようですね。(電気の購入見直しで注目されていますね。)
OTSUさんが問題提起された発言は、私が所属する組合でも重視されています。
先週、政治討論番組ばかり視聴すると疲労するため、たまたまチャンネルを日曜美術館にすると「反骨の画家 ベン・シャーン」が放送されていました。
番組の解説で「常に社会の不正から目をそらすことなく、貧しい人々、弱い立場の人々の哀(かな)しみや痛みを深いまなざしで描き続けた。
見る者の心にそっと手を差しのべるような絵。
福島の原発事故、格差社会に怒るアメリカの若者たちのデモ、時代はまさに国境を越え、シャーンが見据えた苦難に満ちている。」とあり、
組合活動も「哀しみや痛み」に手をさしのべることが原点にあるのかな?などいろいろ考えてしまいました。
相変わらずまとまりがありませんが、旗びらきは、職場以外で語り合う貴重な機会であり、自主的な「もう一軒」(あまり飲めませんが)もしたいなと考えています。
投稿: ためいきばかり | 2012年1月22日 (日) 23時24分
ためいきばかりさん、おはようございます。コメントありがとうございました。
私も昨夜、たまたまNHKスペシャルを見入ることとなりました。あまり期待せず、チャンネルを合わせていたところ予想外に興味深い内容でした。地球上に人間が誕生してから20万年、これまで生き延びてきた理由を考古学や科学的な面から検証していた番組でした。
他の動物との大きな違いは他人とも協力し合える特質が上げられていました。その背景として、二足歩行によって変化した骨盤に理由がありました。チンパンジーなどは一人で難なく出産できます。それが人間は他者の力を得ないとスムースに出産できないため、もともと協力し合うという本能があるという説明でした。
最近、他者との競い合いが重要であるという意見をよく耳にします。この番組に触れ、改めて人間同士は協力し合うことが重要であり、人類進化の原点であったことを知り、たいへん感慨深いものがありました。
記事本文と直接繋がらないような内容ですが、対立よりも対話の大事さを訴えている趣旨でしたので、競い合いよりも協力し合うことの大事さという面で関連しているものと解釈しています。ためいきばかりさんへのレスの場を借り、今、思うことをツイート()させていただきました。
投稿: OTSU | 2012年1月23日 (月) 08時10分
おはようございます。
OTSU氏に教えていただきたいことがあります。
記事本文とは関連がなく、単純に知りたいと思う内容が
OTSU氏の地域に近いようなので、報道で知る以上のことを
把握してるのではと考えました。
小金井市のごみ焼却所問題です。
佐藤市長が辞任することと引き換えに広域支援を受けることに
なったことは報道で知りました。
後、在任中のタウンミーティングの議事録を見るなどしましたが
この問題は小金井市だけの問題ではないと考えてます。
かつて東京ではゴミ戦争などがあったことは調べました。
再びこのような事態が起きるのでしょうか。
周辺の市にしても市民から強い反対運動などが起きたら
受け入れも困難になるでしょうし、仮に小金井市内で
解決する方法があるのでしょうか?また住民はどのような
考えが主流なのでしょうか。
もしご存知のことがあれば、話せる内容で構わないので
教えていただければ幸いです。
投稿: nagi | 2012年1月23日 (月) 11時57分
人間の営みには父性も母性も必要です。コインには表も裏も必要です。当然競い合いと助け合いは(同じ位、表裏一体に)両方必要です。
組織内の競い合いは戒め、分けあう事を是としながら、組織外に対しては闘争する事を「是」と考えているならば、随分身勝手な組織論理ですな。
日本社会では競い合っても「是」なのに、組織内だけは競い合いが御法度なのだから。
弁護士が「謙虚」と感じないのも無理はありません。
「当局は姑息で不当だ」などとは、まさに鏡に映った己の姿では?
不正を正し、哀しみと痛みを憂う姿には最大の敬意を払うが、私にはそう見えない。
単なる我利我利亡者の無限地獄に陥らないよう自戒しなさい。
それと・・
『人間は骨盤が変化し、助け合わないと出産できず、これが生き延びてきた理由だ』
なんて話は「宗教」「神話」や「童話」の中では成立しても「科学」の中では厳禁です。
全ての現象を合目的に考えたり、自分に都合のよい解釈は科学を歪めるだけです。
尤もここはこれを強調する場所ではないので、あくまで参考に(笑)。
投稿: あまのじゃく | 2012年1月23日 (月) 16時13分
協力も協調も、正しい優先順で行われないと意味がありません。
個人の生活は属する組織が健全に利益を上げているから成り立ち、組織の維持は属する地域が健全に利益を上げているから成り立ち、そして地域の持続は属する国が健全に利益を上げるから成り立ちます。今までのように、国が借金に頼って見せかけの健全を演じられる期間は終わりましたし、労働者と経営者で役割や責任が異なると考える時代も終わりました。
今、ギリシャで債務軽減の交渉が大詰めを迎えているようですが、仮にこの交渉がまとまっても各国債務への信頼は傾く一方になるでしょう。対して投機的なお金は逃げ場を失っており、いつ暴走してもおかしくありませんし、そのチャンスを眈々と狙っている博徒は多数控えています。
この情勢の中で、これから先の日本は率先して身を切る協力と、国として競争力を高める協調が何よりも欠かせなくなります。その際に真に身を切ることが今の組合に可能なのか、それを確認しておくことが必要です。
今の円高に対して日本は無策です。誰も身を切らないので職の海外流出が止まりません。今週になって報道されているだけでも、付加価値の高いリチウムバッテリー関連やブルーレイ関連の生産が海外に流出するそうです。
欧州の中で日本と同じように通貨高に苦しむスイスでは、国の危機は国民の危機という認識があり、従業員は無償で残業し経営者は可能な限り職を国内に残すという選択が、誰の指導もなく行われていると報道されていました。規模の違いがあるとはいえ、日本にもこの覚悟が必要になるでしょう。
今の大阪の動きはこれからの日本を占う試金石ともいえます。今日も手当のカットの報道がありましたが、組合が即時に協力と協調を行えるか。地域や国の危機に対し協力と協調を行える組合なのかが試されています。民間企業の組合はおおよそ実績を作り終わっています。残るは官の組合だけです。
そして、さっさと協力と協調の実績を見せた上で、経団連が示した定昇凍結の報告などに応じる条件として、連合は一体となってどう国内に職を残すのか、更には経営側はどれだけ身を切って国内の職を増やすのかを交渉するべきと思います。
投稿: 名無し | 2012年1月23日 (月) 19時59分
nagiさん、あまのじゃくさん、名無しさん、コメントありがとうございました。
nagiさんからのお尋ねについて、あまり詳しくありませんが、答えられる範囲で対応させていただきます。以前、小金井市も加わった3市の一部事務組合があり、自前の清掃工場でゴミ焼却ができていました。その清掃工場が老朽化し、地元住民の反対で建て替えもできず、数年前から小金井市のゴミ問題での苦難が始まっていたようです。
周辺自治体の焼却施設にも余裕がないため、前市長の選挙戦における現状認識の乏しい軽率な発言によって切羽詰まった事態に至っていたのが少し前でした。小金井市も他市の援助でゴミ焼却している状態は一時的なものとしたいはずですが、やはり地元の理解が得にくく、新たな清掃工場の立地も決まっていないようです。
このような現状を住民の皆さんも危機感を持っているものと思いますが、それでも自分の地域に建てられることには抵抗感を覚えてしまうというジレンマがありました。いわゆる迷惑施設といわれる問題は、どこの自治体でも同様な悩ましさがあるものと感じています。
NHKスペシャルの内容に対する個人的な雑感は、やはり人によって批判の対象とされるような書き込みだったようです。一つの記事本文として掘り下げていけば、もう少し丁寧な説明もできるのかも知れません。ただそこまで期待されたご指摘ではないはずですので、参考までにNHKのサイトを紹介させていただきます。
ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった
http://www.nhk.or.jp/special/onair/120122.html
投稿: OTSU | 2012年1月23日 (月) 22時01分
名無し様。
私は民間のパートですけど、
国の利益とはなんなのでしょうね。
ひょっとして経常収支のことですか。
>国として競争力を高める
とありますが気をつけた方がよいと思います。企業と国はどうも違うようです。
以下、参考リンクです。
国際競争力をめぐる懸念・誤解・妄想
身を切るというのは賃金の引き下げのことでしょうか。であれば私は反対です。
それをやってしまうと庶民の財布のひもがますます固くなってしまいデフレと不況からの脱出がいっそう困難になると思います。
どう国内に職を残すか(つまり雇用確保ですよね)について経営側と組合が真剣に交渉すべきとの意見については全面的に賛成です。
投稿: MC@愛知県 | 2012年1月23日 (月) 23時13分
MC@愛知県さん、おはようございます。コメントありがとうございました。
国や企業の競争力が強くなければ、豊かになれないという考え方があります。ただ国が企業が強くても、大多数の国民が豊かでなければ、どうだろうかという考え方もあります。それぞれの方向性に対し、国民が一票を投じる訳ですが、悩ましい局面が続いています。また言葉足らずのコメントで誤解を招きそうですが、一言だけ添えさせていただきました。
投稿: OTSU | 2012年1月24日 (火) 08時23分
NHKスペシャルに対する私の意見はOTSUさんへの批判ではありません。
これをロマンある物語として、或いは壮大なる科学的仮説、或いは道徳教育の挿話として用いるのなら、大変結構です。
科学とは過去の事実を「整合性ある仮説」で論ずる学問・・とでも言いましょうか・・それだけです。
20世紀はまさに科学万能の時代で、あたかも水戸黄門の印籠のように(安易に)使われました・・。自戒を込めて。
国の利益とは?・・の話がでてます。
当然、国とは日本でしょう。まあ格好よく言えば「共存の同朋意識を持っている集団で一番大きなもの」でしょうか。
問題は「利益」をどう考えるかです。これは「価値観」の問題。
「収支」と捉える方は「お金」が重要だと考えている方で、「貧しくてもいいから楽しく生きる」のが重要と考えている方は、又別の指標で論じるのでしょう。
実はこの「価値観」が大きく変貌しようとしているのだと思います。その事が地方分権の発端です。
但し、組合ではこの話が変化する。
組合のお題目に「全世界の労働者よ、団結せよ」がある筈です。
要は「共存の同朋意識」が「世界中の労働者」であって「国家」ではないからです。
恐ろしい事に、この人たちが(国家の)体制を司る構成員を成している事です。
「公務員の労働組合」を私的組織・・或いは任意団体としておかなければならない理由です。
どなたかがほのめかしていた様に「体制内」となれば取り返しがつかないでしょうね。
尤もアメリカや中国の資本家には「反感」を、労働者には「共感」を持っているならば、大変喜ばしい事でしょう。
投稿: あまのじゃく | 2012年1月24日 (火) 09時56分
OTSU氏、さっそくの回答ありがとうございました。
いわゆる迷惑施設は、本当に大変な問題です。
必要だが自分の居住地に作るなと言われれば
どこにも作れない。今の福島の問題もからみ
本当に国民が考えなければならない問題と
思います。
昨夜の政治娯楽番組のTVタックルで思いましたが
民主党もいよいよ逃げ腰で、あんな若造を出演
させるようでは、やれやれと思います。
しかし一つだけ良い発言がありましたが、
それは決められない民主主義から決める民主主義に
変えることだと。
愚かな内閣、卑劣な内閣、そして無能な内閣と変貌して
きましたが、次はどうなるのでしょうか。
投稿: nagi | 2012年1月24日 (火) 19時43分
昨年「さよなら原発5万人集会」に組合員を動員したお立場のあなたが
連合の新年会で東京電力労働組合多摩総支部の連中と仲良く酒なんか飲んでたんですか。呆れるというか信じられないダブスタですな。
あなた、そこで東電の奴らに脱原発を訴えたんですか?電気料金の値上げ反対を言ったんですか?
組合員や市民の切実な要望には鈍感な一方、どうでもいい大げさな政治運動に血道をあげて
しかし連合内の直接的な顔見知りの人々には気が引けてモノも言えないというなら、組合が政治に関わるのは、おやめなさい。
投稿: 立川市民 | 2012年1月24日 (火) 21時09分
あまのじゃくさん、nagiさん、立川市民さん、コメントありがとうございました。
あまのじゃくさんが私自身のコメント内容を直接批判されているとは思っていません。ただ一つ一つ突き合わせていくと、いろいろ見方の違いがあるようです。そのような違いを認識できること自体、貴重な側面があるはずですので、機会があれば今後投稿する記事本文の中で触れさせていただくかも知れません。nagiさんにつきましては、あまり詳しく説明できず恐縮でしたが、本当に悩ましい問題です。
さて、立川市民さん、今回の記事本文の趣旨に繋がる話ですが、立場や基本的な見方が違うから敵対視していく姿勢を私自身は好ましいものとは考えていません。同じ連合という組織の一員として、東電労組の皆さんとも懇親を深められることは大事な点だろうと思っています。そのことをもって「ダブスタ」と批判されるような感覚のほうこそ、改めるべき狭量な態度ではないでしょうか。
その上で、脱原発の問題は署名などに取り組むことも大事だろうと思いますが、それよりも連合内での議論を一歩踏み出す必要性を認識していました。電力総連の皆さんとも忌憚のない議論を交わし、連合内が脱原発でまとまることの意義は非常に大きいものと考えています。逆に連合内での意思統一もできないようであれば、脱原発への道筋もたへいん厳しいものとなるように感じています。
そのため、まず自分の守備範囲である連合三多摩や地区協の中で、そのような議論に踏み込めるよう何人かの方と話も始めています。立川市民さんからのコメントがあり、取って付けたような話ではありませんので、念のため、申し上げておきます。
投稿: OTSU | 2012年1月24日 (火) 23時04分
MC@愛知県さん
返答しようと思っているのですが、今週はどうしても時間が取れません。申し訳ないですが、欠片だけのコメントになります。
先ず、国内に職を残すために何をするかですが、私はそれを経営側のみのマターとする組合関係者が多すぎると感じています。労使は相互に関連するものですから、労働側もまた賃金を下げるか労働の質を高める事をしなければなりません。
今の日本で労働の質を高めることに、一部の中小企業(特に部品メーカー)で成功例がありますが、悲しい事にそれにトライする労働者は少ないです。
あと国の競争力(利益とも表現してましたが)は、私は経営収支の大幅な赤字は勘弁ですが拘ってはいません。むしろ財政収支に拘ります。今や世界中の国が借金に追われて、借金への対応に政策の力点が置かれる有様ですので、そこから脱却して海外に物が言える国であることが競争力だと思っています。
現状は、投機的なお金に世界中が振り回されていると感じます。それが変わることを望んでいますが、今の日本が何を言っても負け犬の遠吠えでしかなく、聞き入れられることは無いでしょう。そこを超えて何かを変えるには、国として確固とした競争力が必要だと思っています。
そして、個人がその一助となるには「懸命に働く」「その習慣を広める」、それら以外にやることは無いと思っています。
投稿: 名無し | 2012年1月26日 (木) 23時51分
初めまして、地方の自営業者です。
消防団、商工会、青年会議所、体育協会などで公務員の方に事務局として協力していただきました、行政のプロで素晴らしい活躍でした。
公務員の給料はどうして税収に見あった金額にできないのでしょうか?
投稿: kbys | 2012年1月27日 (金) 22時29分
kbysさん、はじめまして。コメントありがとうございました。
活躍ぶりに見合わない給料の額という指摘ではなく、活躍ぶりは認めるけれど、税収が減っているのだから下げるべきという意味だと理解しています。短い言葉でレスするよりも、以前の記事を紹介させていただきます。お時間がある際、ご覧いただければ幸いです。
2008年6月15日(日) 公務員賃金の決められ方
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2008/06/post_feb8_1.html
投稿: OTSU | 2012年1月28日 (土) 08時40分
OTSUさんが引用している八代尚宏氏の文章の要約すると・・
『労働者は経営者から指揮・命令を受ける代わりに、経営リスクを直接負わずに安定した報酬を保証されている』・・・ですね。
人類の半分が信じたマルクスも、今や夢幻。大変申し訳ないが、上記の様な低いレベルの話に一々コメント入れるのも恐縮ですが・・。
労働者は当然経営者から指揮・命令と共に厳しい且つ冷徹な「人事評価」を受けるのですよ。
そして経営というものが「不安定」である以上、その構成員は不安定さを(それなりの地位に応じて)甘受すべきなのです。
更に言うと、組織内に経営をより高きにする為の合理的且つ効果的な「仕組み」を内包しておくべきです。
そしてその仕組みで「経営者」を選ぶべきである。行政は「選挙」がそれに該当し、民間では株主総会などがその一部を為しているだろう。
若し八代氏の言を守って欲しのならば、労働者は同時に次の条件を飲まなければならないだろう。
『労働者は経営者を選ぶ事が出来ない』
つまり会社を辞めたり出来ないって事です。
今は亡き、何処かの国の制度を聞きかじって論じているから矛盾が噴出するのですよ。その国には経営者(統治者)を選べないんでしょ?
この様に「良いとこ取り」して労働者の地位をあたかも「聖域」として論じているから、厳しい言葉が後を絶たないのです。
投稿: あまのじゃく | 2012年1月28日 (土) 10時50分
>あまのじゃく さん
その理論でいくなら、年金を税収にあわせてカットしなければいけませんね。
老人医療費も窓口負担を増やさないと。
あっ、そうそう、年金保険料は納めてきたから貰う権利はあるんだって主張はだめですよ。
国民年金の半分(1/2)は国庫負担なんですからね(年間約80万円の1/2の40万円は国庫負担、すなわち国民の税金)
荒っぽくいうと、国民年金受給者数約2,800万人×40万円/年=約11.2兆円=消費税率換算約4.5%
是非、年金返上すべきですね、老人は。国家を救済するために。
投稿: 地方の公務員 | 2012年1月28日 (土) 20時17分
あまのじゃくさん、地方の公務員さん、コメントありがとうございました。
今回の問いかけに直接答える内容ではありませんが、今夜、新規記事を投稿します。またご覧いただければ幸いですので、よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2012年1月28日 (土) 23時07分
地方の公務員さん
他人の書き込みをよく読んでいますか?何か言葉の一部を捉えて(私から見たらくだらん)ディベートでもしたいのかね?
本来ならスルーするところだが、大事な事が書いているから答えましょう。
私は今まで下記の趣旨を繰り返し繰り返し書いてきました。
『年金制度は戦争をする為の制度だ。従って廃止すべきだ。閉鎖空間に生き、既得権に安住している者は公務員だけではなく、年金受給者などもそれに当たる。』
若干子供っぽい主張が多いようだが、そろそろ大人になったらどうかね。
投稿: あまのじゃく | 2012年1月29日 (日) 09時02分
>あまのじゃく さん
これは失礼しました。
投稿: 地方の公務員 | 2012年1月29日 (日) 09時42分