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2011年12月11日 (日)

泥臭い民主主義

国家公務員の年末一時金(期末・勤勉手当)が支給され、前年より4.1%増額されていたことがニュースとなっていました。年間の支給率は変わっていませんが、昨年はマイナス人勧分の所要の調整があったことや、平均年齢の上昇から生じた結果でした。ちなみに所要の調整とは、マイナス勧告による4月から11月までの減額相当分を一時金から差し引く手法のことでした。マイナスの賃金改定だった場合、全国の自治体でも同様に月額給料等の減額分は一時金で調整されていました。

このような事情を踏まえれば、単に「公務員ボーナス4.1%増」という新聞の見出しが適切なのかどうか少し疑問でした。確かに平均7.8%引き下げる国家公務員給与削減法案が成立していた場合、一時金の支給額は大幅に減っていました。人勧が実施されていた場合も平均年齢の上昇分を抑えながら、昨年より減額されていたという総務省の試算も発表されています。それでも「公務員は恵まれている」という社会的な雰囲気を煽るような意図をその見出しからは感じてしまいます。

大幅な減額を覚悟されていた国家公務員の皆さんにとって、正直なところ安堵された結果だったものと思います。しかし、この結果に対する責任は、国家公務員の皆さんにある訳ではなく、公務員組合側にある訳でもありません。「国家公務員給与削減へ」という記事のとおり交渉に当たった公務員連絡会として、平均7.8%削減は本当に苦汁の判断の上での合意内容でした。当該の組合員の皆さんからは組合執行部に対する厳しい突き上げや批判の声も多かったろうと思います。

それでも「労働基本権の付与と自律的労使関係制度の確立を先取りする形であり、労使交渉で決着することが不可欠であったこと」などを重視し、政府からの削減提案を公務員連絡会側は断腸の思いで受け入れていました。この労働基本権付与を前提とした交渉結果は政府と組合側との約束であり、マスコミでも報道されていた内容です。そのような約束に対し、昨日の「サタデーずばッと」の中で、自民党の代議士が「民主党と組合との間で密約があったのでは?」と発言していましたが、とんでもない事実誤認でした。

約束を履行できない民主党政権の力不足も否めませんが、組合側の重い決断や復興財源捻出に向けた背景などを踏まえれば、野党側の「人勧を実施しないのは憲法違反だ」というような反対理由も党利党略が先走っているように感じていました。さらに労働基本権を拡充すると「ますます組合が強くなり、給料が引き上げられてしまう」などという自民党幹部の発言も耳にしましたが、現実認識の乏しさを指摘せざるを得ません。

さて、記事タイトルから少し離れた内容が長くなりましたが、これから紹介する話に絡んでいく最近の事例でもあり、詳しく綴らせていただきました。前回記事「コメント欄でツイート」のコメント欄で、労働政策の研究者である濱口桂一郎さんのブログ「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」によく訪問していることをお伝えしました。その最近の記事「dongfang99さんのポピュリズム論」に強く共感し、濱口さんの「ステークホルダー民主主義とは、何よりも、空疎な正義の民主主義ではなく、生々しい利害の対立、調整、交渉、その上での合意といった泥臭い民主主義を志向するものです」という言葉が印象に残ったことを記していました。

電子辞書によれば、ステークホルダーとは「企業に対して利害関係を持つ人。社員や消費者や株主だけでなく、地域社会までを含めていう場合が多い」と書かれています。また、濱口さんのブログ記事から「dongfang99の日記」を知り、引用されていた記事(「ポピュリズム」とは何を指すのか)も改めて全文を読ませていただきました。その記事の主題部分となる箇所をそのまま抜粋させていただきますが、ぜひ、興味を持たれた方はリンク先のdongfang99さんのブログをご訪問ください。

「ポピュリズム」は、れっきとした民主主義をめぐる概念の一つである。たとえば、民主主義の考え方は、大きく二つに分けることができる。一つは、様々な利害や価値観をもった個人や集団の間の対立や話し合い妥協のプロセスであると考えるものと、もう一つは住民や国民全体が共有すると想定できる利害や価値観を可能な限り実現していくものであると考えるものである。前者における政治家の役割が、個別の理念や利害を組織化して議会において代表していくことにあるのに対して、後者における政治家は「国益」などの全体的な利害の観点から、それに反する価値観や勢力の存在を取り除いていくことが重要な役割になる。

つまり、前者における「民意」があくまで多様な価値・利害の交渉と妥協の結果であるのに対して、後者は全体としての「民意」の存在をあらかじめ前提とし、その「民意」の名の下に個別の利害や価値観を偏ったものとして否定あるいは軽視するものである。前者を「多元主義」的な民主主義、後者を「一元主義」的な民主主義と呼ぶことができるが、「ポピュリズム」は言うまでもなく後者の一元主義的な民主主義に属するものである。

濱口さんとdongfang99さんの言葉から今までモヤモヤしていた思いが少し吹っ切れていました。まさしく労働組合はステークホルダーです。ステークホルダーには既得権益を守ろうとするイメージが強く、あまり堂々とステークホルダーだと名乗れるものではありません。しかし、ある意味で泥臭い民主主義という肯定的な評価があり得ることも理解し、改めて多元主義の大切さや労働組合の存在意義について強く訴えていく必要性を感じ取っていました。

そもそも当ブログを続けている大きな目的は、多面的な情報提供の媒体の一つとなることでした。これまで「多面的な情報への思い」「再び、多面的な情報への思い」という記事を投稿していました。幅広く、様々な情報や考え方を受けとめた上で、物事を評価していくことの大切さを綴った内容でした。このような表現に対して誤解されがちですが、決して私自身の視点や当ブログの記事本文そのものが多面的というものではなく、逆に単一で、一面的だろうと思っています。

つまり公務員やその組合側の言い分というニッチな情報を発信する場としてブログを開設していました。今回記事の冒頭で綴った国家公務員給与の問題も、マスメディアから流される視点とは異なる見方だろうと思っています。きわめてマイナーな媒体ですが、このような情報にも触れることで「公務員だけボーナスがアップし、けしからん」と憤られていた方が、一人でも少しでも見方を変えていただけることを願っていました。もちろん各論の話であり、公務員の待遇や働き方に直結した問題ではありませんが、一事が万事という側面からの絡みをご理解いただければ幸いです。

続いて、一気に総論的な話となりますが、先述した労働組合の存在意義として「労働条件の問題は労使で決める」という原則があります。この原則の重要性は民間も公務員も同様であり、ないがしろにされていけば、すべて経営者目線で働く者の待遇が決められ、労働の劣化を招くものと思っています。労働力も競争にさらされて良いという主張の方々も多いようですが、以前投稿した記事「労働ダンピング」のような問題に繋がっていることも見逃せないはずです。

そろそろ、まとめさせていただきますが、一元主義的な民主主義の象徴的な存在として、大阪市の橋下市長が脚光を浴びています。果たして、橋下市長が進めようとしている「改革」はすべて正しく、無条件で受け入れていくべきものなのかどうか…、やはり多元主義的な民主主義、すなわち泥臭い民主主義による検証も欠かせないものと考えています。最後に言うまでもありませんが、ステークホルダーが自分本位の主張に終始していた場合、広範な支持が得られなくなることも心してかからなければなりません。

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コメント

記事更新お疲れさまです。
言うまでもなく住民もステークホルダーの一員で、その住民から見て働く者(職員Ⅰ)と働かない者(職員Ⅱ)処遇のバランスが崩れきっており、そのため提供される公益に住民が満足できていません。しかし管理人さんはそれを置き去りにしています。
また、記事の最初ではステークホルダーを例示し、最近の維新の会の躍進をポピュリズムへと印象誘導していますが、記事の後半では労働条件の問題は労使で決めると、ステークホルダーの関与を否定することを言われています。矛盾ですよね。
民間では、その企業の商品を買う買わないの選択により、消費者は職員の待遇にまでその影響力を行使しています。したがって、公務員に対しても住民が民意という形で待遇や指向にも影響力を行使するのは当たり前です。これを否定することは決して許されません。
ステークホルダーの一員として、管理人さんのように悪平等の詭弁を弄する者を排除し、職員Ⅰや住民を含めて公平公正性が確保される成果主義の導入を強く求めます。
職員の立場から今回の選挙結果を捉えるなら、橋下市長が進めようとしている「改革」はすべて無条件で受け入れるべきものと思います。もし、民主主義による検証が必要ならば次の選挙結果で示されます。職員が首長のやることに楯突くのは民主主義による検証とは言いません。どのような理由が有るにせよ、それは業務命令違反ですね。
管理人さんは十分理解されていると思いますが、改革に対して労基法で守られてると言うのならば言えばよろしいと思います。でも、次の選挙でさらなる大敗に繋がりかねないことを覚悟されて仰ってくださいね。次の衆院選で自民党が与党なったら、手ひどい報復は確実に有るでしょうから。

投稿: 名無し | 2011年12月11日 (日) 21時40分

架空の自動車会社の例で、社員間で競争がある会社と管理人さんのような論理がまかり通る会社を考えてみましょう。
現代社会では大成功したハイブリット車ですが、これの開発に成功した社員に対して、しっかりとした競争がある会社では、当然高い評価がされ厚遇されます。これが新たな開発へのモチベーションに繋がります。
しかし管理人さんの理論がまかり通る会社では、他に先駆けてハイブリット車を開発しても評価はされません。むしろ疎まれます。彼らの理論では技術力や資金力に乏しい他社が開発し得ない商品を作る行為は「格差」だと蔑まれます。その結果、技術力が無い会社も資金力が無い会社も等しく作れるように、段ボール紙で作ったトラバントのような車を延々と作り続けることを求められることになります。あたかも運動会の徒競走でゴール前で整列させられ手を繋いで同着することを強要されるようにね。これでは新たな開発へのモチベーションなど望むべくもありません。
実は、これが今の公務職場の現実で、管理人さんが判っていても見えない振りをする部分です。もしこれを否定するならば、管理人さんの職場では同年齢、同学卒、同経歴の職員同士で最低3割くらいの給与差が有るはずなんです。なぜなら労働者の評価は給与以外には無いのですから。さらに、この給与が評価だという事も否定されるならば、公務員はもう労働者ですらありませんということになりますね。

投稿: 名無し | 2011年12月11日 (日) 22時00分

名無しさん、コメントありがとうございました。

経営者の目線だけで労働条件の問題を決めることはフェアではないという主張です。まったく住民の声を無視して良いという内容ではありませんが、民間でも公務職場でも労働条件の問題を交渉する当事者は労使であることに間違いありません。民間企業の労働組合が株主や顧客と直接交渉しない点と同様です。

その他の指摘に関しても再三意見を交わしながら埋まらない「溝」があるため、必ずしも論点がかみ合いづらくなっています。これまでの繰り返しとなりますので、今回、一つ一つ仔細に対応しませんが、名無しさんのような発想の方々を常に意識しながら最近の記事本文を書き続けている点を強調させていただきます。

投稿: OTSU | 2011年12月11日 (日) 22時08分

 そう、最後の一文はまさしくその通りだと思います。
 先日書店で「戦後史の中の国鉄労使」(升田嘉夫/明石書店)という書籍を見つけ、読んでみました。
 これ、私のブログ … トラックバックありがとうございます … の中でも簡単に取り上げたのですが、その題名の通り、国鉄の発足から分割・民営化の過程での労使関係について取り上げたもので、できたら一読して頂ければと思います。
 読む人によってかなり感想・意見が分かれるだろうとは思いますが、少なくとも私にはほとんど「その通りだった」と感じました。
 大分前にコメントでも書きましたし、私のブログでもたまに書いている事ですが、旧国鉄の労働組合は、表向きは「労働者のため、社会のため」と歌いながら、現実にはスト権ストを頂点にかなり自己主義的な闘争に終始していました。
 その結果世論の反発を招き、後に相次いで発覚した不祥事もあって、特に国労はJRへの採用の際に「差別」を受けながらも世論の支援をほとんど得られず、結局「不採用闘争」を展開はするものの、四半世紀たった今になって、ほとんど空中分解状態に陥ってしまいました。
 この書籍を読んだ限りでは、「マル生闘争」で全面勝利を収めたものの、その直後から現場の活動家の暴走が始まり、職場が荒廃してしまった事が遠因なのだろうと思います。
 この事は、それこそOTSUさんが嘆いている、「公務員バッシング」の決定的なきっかけになっているはずです。
 前回大阪ダブル選挙についてコメントしましたが、その後思い出したのが1985年の衆参ダブル選挙で、中曽根政権の自民党が圧勝して国鉄の息の根が止められた事。
(あれも「ポピュリズム」って事だったのでしょうか?当時はそんな言葉はなかったが)
 今の大阪の状況って、これに近くなっていませんか?
 大阪の組合がどうなのかは、私はヨソ者だから解からない。
 また、これは官も民もないはず。
 だけれど、労働組合が自己満足的な闘争に終始していたら、今に大きなしっぺ返しを食らう事を、特に現場の活動家がきちんと認識していて欲しいと思います。
(国鉄の労働運動をダメにしてしまったのは、実は現場の活動家連中、という印象を私は拭えない)
 経営からの圧力には耐えられるかもしれないけれど、世論の離反を招いたら、労働組合なんて生きていけませんよ。
 ちょっと方向が違ってしまったかもしれませんが、ご了承下さい。

投稿: 菊池 正人 | 2011年12月11日 (日) 22時09分

菊池正人さん、コメントありがとうございました。

最後の1文にこめた思いは、基本的にご指摘のような問題意識を抱えているからでした。そして、その思いをもう少し膨らませた考え方が前回記事の最後に掲げた次の文章でした。なお、菊池さんのブログ、時々、お邪魔しています。毎日の更新、たいへんお疲れ様です。

>今、考えていることは次のとおりです。公務員の待遇面など本当に改めなければならない点は、速やかに改めるべきことは当然だと思っています。そして、その是非の判断に向けては、内向きの発想に陥ることなく、とりまく情勢や外側からの声を適確につかんでいく必要があります。そのためにも公務員やその組織は、日頃から感度の高いアンテナを立て、様々な情報を積極的に受けとめていく姿勢が重要だろうと考えています。

>合わせて誤解や先入観による批判だけは、できる限り少なくできるよう適切な情報発信と情報公開が欠かせないものと思っています。今回、抽象的な答えにとどまりますが、具体的な話は、これまでの記事本文やコメント欄で、不充分ながらも自分なりの言葉で綴ってきたつもりです。さらに今後も当ブログを続けていく中で、公務員やその組織を批判的な目で見られている方々との「距離」が少しでも縮められれば、本当に幸いなことです。そのような点について、ぜひ、ご理解いただけるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2011年12月11日 (日) 22時22分

管理人さん
職員間の競争を求める意見=経営者の目線からの意見ではありませんよ。
あなたが率いる組合の構成員の中にも競争を求めている職員Ⅰは居るはずです。むしろ私のコメントに「経営者の目線だけで労働条件の問題を決めることはフェアではない」と切り返す感覚の方がどうかしていると思いますよ。なぜなら、勤め人の一人である私の意見なのですからね。
経営者が強気な要求をしてきても、お客様が多少無茶な要求をしてきても、どうって事はありません。しかし、職場の中で少数の職員Ⅱが我が物顔で居座る方が、比較にならないほど職場にとっての不利益が大きいのが現実なのですよ。
定員3名の職場があったとして、キチンと仕事をする3名が揃っているいる職場の一人になるのと、質に問題がある2人がいる職場で業務を1人で支えることになるのと、給与も待遇も同じだよとなれば、それは管理人さんにとって公平なのですか?
働く者には厚遇を、働かない者は待遇を下げる、どうにもならん者は排除する。私が言っているのは、これだけです。

投稿: 名無し | 2011年12月11日 (日) 22時34分

名無しさん、コメントありがとうございました。

>言うまでもなく住民もステークホルダーの一員で、その住民から見て働く者(職員Ⅰ)と働かない者(職員Ⅱ)処遇のバランスが崩れきっており、そのため提供される公益に住民が満足できていません。しかし管理人さんはそれを置き去りにしています。
また、記事の最初ではステークホルダーを例示し、最近の維新の会の躍進をポピュリズムへと印象誘導していますが、記事の後半では労働条件の問題は労使で決めると、ステークホルダーの関与を否定することを言われています。矛盾ですよね。

上記の指摘について下記のようにレスした訳ですが、言葉が不足していたようでしたら申し訳ありません。さらに先ほど公務員であるmasamiさんのコメントに絡み、名無しさんへレスした文章も再掲させていただきます。加えて、時間的にも気持ちの上でも余裕がある時、繰り返しの話になりますが、職員Ⅰと職員Ⅱの件も改めてお答えさせていただきます。

>経営者の目線だけで労働条件の問題を決めることはフェアではないという主張です。まったく住民の声を無視して良いという内容ではありませんが、民間でも公務職場でも労働条件の問題を交渉する当事者は労使であることに間違いありません。民間企業の労働組合が株主や顧客と直接交渉しない点と同様です。

>一人ひとりの可能性を大事にした制度や運用はどうあるべきか、その視点に大きな違いがあるのだろうと受けとめています。また、この問題で「至る所から批判されている」のかどうかの認識も大きく違っているようです。念のため、だからと言って、masamiさんのような問題意識を軽視している訳ではないことも申し添えさせていただきます。

投稿: OTSU | 2011年12月11日 (日) 22時49分

dongfang99さんのポピュリズム論を読んでみましたが、残念ながら賛成できません。理由は下記の通り。

『全体的に「人間の営みに普遍性や無謬なる物が存在する」という前提で論陣を張っているからです。』

第一民主主義は「プロセス」だと書いていながら「目的」で2つに分類している。国益も土建屋の利益も生活保護者の言い分も「同じ土俵」で議論されている筈ですし、そうでなくてはなりません。

「無謬なる物」の存在を前提にしているから民主主義を「良い民主主義」と「悪い民主主義」に分けようとしている。実はこの考えが最も危険と言っても差支えない。
民主主義には残念ながら「悪い結果」がある。その「悪い結果」を排除する為に民主主義を「弄くり回す」・・・つまり「普遍なる制度」や「無謬なる制度」を追い求めると危険なモンスターが生まれる。

民主主義とは正しいものを見つける方法では無い。民主主義の結果を「正しい」と考えましょう・・という制度だ。
まあ敢えて言えば「深刻な不満だけは排除しましょうか」の制度・・でしょうか?チャーチルが喝破した以上のものではない。
要は民主主義とは「ポピュリズム」その物です。それを排除したら民主主義では無い。

しかし最後に・・民主主義を超える制度を探す努力は止めるべきではない。

投稿: あまのじゃく | 2011年12月12日 (月) 09時53分

競争がないところにいると、議論さえすれば進歩すると考えるようになるのでしょうか。やはり尻に火がつくような状況に追い込まなければならないようです。それでやっと世間並みです。
経営陣も規制に守られているか否かでスピード感が全く違うでしょう。
何も行動にうつせずに総論賛成、各論反対をやっているうちに潰れるでしょうね。

>>一人ひとりの可能性を大事にした制度や運用はどうあるべきか

40超えてボンクラならその道は向いていないと判断をされても仕方がないのでは?
年功序列で上がった無能な管理職は下の成長機会を奪い後ろ向きに腐らせるので始末に負えません。

改革が叫ばれて久しいですが、最近5年間でOTSUさんの近縁の行政サービスの質的向上はなにかありますか?

投稿: L | 2011年12月12日 (月) 12時32分

あまのじゃくさん、Lさん、コメントありがとうございました。

人によって、受けとめ方や感じ方が本当に枝分かれすることを改めて感じています。それぞれのご意見や感想に対し、この場で何か述べることは控えていきます。その上で、幅広い見方に触れられる機会の貴重さは、いつも申し上げているとおりでした。

Lさんからの「近縁の行政サービスの質的向上はなにかありますか?」というお尋ねですが、10年単位で比べていけば、随分変化しているものと思っています。その出発点のレベルに対する評価が問われるのかも知れませんが、土日や夜間窓口サービスの拡充、ホームページ等による行政情報の周知や公開、職員の接遇の向上、入札改革などが頭に浮かんでいます。

投稿: OTSU | 2011年12月12日 (月) 22時21分

「dongfang99の日記」の「『ポピュリズム』とは何を指すのか」で、二つ目の追記の「『生活関心の組織化』について」で

> 簡単に言えば、有権者は政治家の主張に対して、「『維新』『改革』って何それ?食えるの?」と、常に突っ込みを入れられるようになるべきなのである。

これがキモ(核心)かな、と。

それとこれに関してのhamachan先生のブログは必見。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/dongfang99-5c4f.html


>Lさん
>OTSUさん

>「改革が叫ばれて久しいですが、最近5年間でOTSUさんの近縁の行政サービスの質的向上はなにかありますか?」

>「土日や夜間窓口サービスの拡充、ホームページ等による行政情報の周知や公開、職員の接遇の向上、入札改革など」

について。

行政への不満が満ちているとか、「公務員が提供する公益」が不満であるという書き込みが多くありますが、いったい何に対して不満を皆さんお持ちなのかがよく分からない。

民間企業で言えば販売窓口での対応や営業時間といったこと(OTSUさんの例示事項がそう)に対することなのか、それともそれ以外のことなのか?


OTSUさんの例示は確かにそうかもしれないが、(公務員の)本来業務である権力行政を抜きにしては、この手の議論はねじれていくだけだと思います。

皆さんが公務員の待遇等々にご不満をお持ちなのはよくよく分かる。
で、一体皆さんそもそも何に対してご不満をお持ち?

投稿: 地方の公務員 | 2011年12月12日 (月) 23時49分

地方の公務員さん、おはようございます。コメントありがとうございました。

ご指摘のとおり問われていた「質的向上」の中味に対し、適切な答えだったのかどうか分かりませんでしたが、思い浮かんだ事例を示させていただいていました。「この手の議論はねじれていく」という見方もその通りかも知れませんが、できる限りの対応に努めていくつもりです。

投稿: OTSU | 2011年12月13日 (火) 07時10分

>主様
>、一元主義的な民主主義の象徴的な存在として、大阪市の橋下市長が脚光を浴びています。果たして、橋下市長が進めようとしている「改革」はすべて正しく、無条件で受け入れていくべきものなのかどうか…、やはり多元主義的な民主主義、すなわち泥臭い民主主義による検証も欠かせないものと考えています。

全くおっしゃる通りだと思いますよ。
そして、橋下氏は、それを望んでおられるでしょう。知事時代も、議論を徹底的にしてこられましたよね?府の職員の方も、「あれだけ激論を交わした知事はいなかった」とおっしゃってましたし。今回の教委問題でも、引き継いだ松井氏は、対案を出してくれる委員を選んだ上で・・・ということで、議論を前提にしておられますね。
ただ、議論で決着がつかない場合には、最終的には「民意」で突き通そうとされる傾向はあるのかもしれませんが。。

なので、橋下氏の全てを受け入れろと言うわけではないでしょうし、様々な案件を批判的に見直すのは、どの場面でも不可欠なことですから。
ただ、メディアを通じて伝わってくるところでは、組合の皆さんは、橋下氏の全てを否定しているかのように映るんですよね。
極論に見える主張も伝わってきます。


アンチと支持派の対立って、互いに相手を極論に押し込めて批判し合ってる感が否めないですね。この記事を巡っても、「ステークホルダーが自分本位の主張に終始していた場合、広範な支持が得られなくなることも心してかからなければなりません。」とあるにもかかわらず、「管理人さんはそれを置き去りにしています。」と返されてたり。

『「労働条件の問題は労使で決める」という原則があります。』(原則!「原則」というからには「例外」も想定されてるわけです)に対して、「労働条件の問題は労使で決めると、ステークホルダーの関与を否定することを言われています。」と返されてたり。。。

ここの実質的な内容は、要するに、労働条件は、労働者保護の観点をも考慮要素に入れた上で決められるべき、という主様の主張がまずあるんですよね。つまり、労働者保護の観点を排斥するべきでないと。
これに対して、労働者保護の観点を入れると、ステークホルダーの関与を否定することになる、という主張をしてしまっているのが、冒頭のコメントの方のお話。もちろん、意図するところは違っているのは理解しています。
が、客観的にはそういうやりとりになってますよね。

投稿: かもめのじょな | 2011年12月13日 (火) 11時09分

やはり閉鎖空間に住むと本当に見えないようですね。同じ日本人なのに言語が通じないと書いていた人がいましたが、決して誹謗中傷でありません。貴方達が(全体の事が全く)見えていないだけです。
よく外国に行くと「自分の常識が相手の非常識」になるが、その関係と同じだ。

貴方達が自分達の利益の為に声を上げる事が「良いとか悪い」とかの話じゃないんですよ。

閉鎖空間に住み、今まで醸成してきた貴方達の「組織文化」が日本全体を「歪」にしているのですよ。だから批判されているのです。
全体の調和を無視して「公務員組織はこうあるべきだ!」と言い続ける限り、君達の情報発信は保証されるが、同時に批判され叩かれ叩かれて結果的には皆さんの思惑とは反対の結果になるでしょうね。

高度経済成長期に松下幸之助翁が「年功序列と終身雇用」という日本式経営慣行を考えました。どの法律や条例にも記されていないから、あくまで慣行です。右肩上がりの時代には適した慣行でした。確かに慈愛に満ちた慣行でしたが、冷徹に分析すると慣行が存続しえたのは「事業拡張期には人材を先取りして、且つ囲い込む慣行」が合理的だったからに他なりません。
大変残念な事に現代では松下幸之助翁は経営の神様にはなり得なかったでしょう。(尤も他の慣行を考えたでしょうが)

時代背景が変わって、この慣行は変わりつつあります。民間は時代に即して変わらないと存続できないからです。
「良いとか悪い」の話では無い。

貴方達が死に物狂いで働いて、行政サービスを尽くしても、決して批判はおさまらないだろう。
なぜならば「君達の組織文化」が実情に合わなくなっているからだ。
だから君達の組織文化に従順に従ってきた「業界」や「既得権者」は今後縮小解体されるでしょう。
公共事業の分野が典型です。

明治維新は世界最大級の革命だが、その本質は「武士の文化」の崩壊です。武士の文化そのものがダメだったのです。
だから江戸時代後期に武士が頑張れば頑張る程、事態が悪化したのはその為です。

まあ今まで1万回も書き込んだが、何一つ伝わっていないから、今回も期待はしておりませんが・・。

投稿: あまのじゃく | 2011年12月13日 (火) 11時40分

地方の公務員 様

先日は早速のレスポンスいただき御礼を申し上げます。
そして何が不満かと言えば下記のとおり「役所がすべき権利行使はしっかり勉強してやってね」ということです。
事業は予算をつければ業者が勝手にやってくれますが、本分の行政行為の運用がなぜか穴だらけなのです。


こちらの自治体では同じ頃から窓口サービスについて数十分の延長を行なっているようです。休日は窓口は閉まっていますがシルバー人材さんが受け取りだけしています。休日は違反の現場確認も行いません。

住民基本台帳などはコストが重いという話はかなり以前からありますが、最近クラウドの話題が出ています。このアイデアは民間なら10年以上前から当たり前のはずですが役所では問題点は明確なのに対応については長年放置されていたわけです。
証明も一部については電子化すれば時間や場所の制約もなくなるわけですが、窓口の縮小にもつながるので紆余曲折があるのでしょうね。これも民間なら検証は早いです。(というか国と業界団体が組んで進めるのは天下りの効用?)

接遇はお互い気持ちよくありたいもので根本的には人間性なんでしょうね。日本の接遇の良さは国民性によるもののようですが、違う文化圏のところもあるようです。

HPのコンテンツについては各自治体とも蓄積されてきているようですが、こちらの自治体についてはスカスカです。
そのスカスカの要因として職員の業務に関する知識がないということが判明しました。知らないのだから書き込みようがない。規制など法律による権限行使という役所に義務付けられたお仕事でさえ認識がありません。
この類はたまにワイドショーで取り上げられるのでご想像いただけるかと思います。職員の怠慢で生活環境の悪化が放置されるという直接的な被害を被るわけです。
年功序列は年齢が上がれば功績も上がることを前提としていますが、私の目の前にはそのような光景はありません。

入札改革もアイデアは15年くらい前に議論され始め、10年くらい前に導入されましたが要点も何かよく知らないので教えていただければありがたいです。
改革の手法が違うのか落札価格が予定価格の意味がないほど低いところがあれば、相変わらず談合が摘発されてもいます。
規制とも絡みますが安いだけではなく技術評価も加えて欲しいところです。(役所の仕事が増えます)

もう15年くらい前になりますが元公社の通信大手の支店(営業機能)の様子です。
所謂定時過ぎに打ち合わせが済んだのですがオフィスには一部署が五人程度の管理職数名を除いて人気がありません。
ひっそりとした中、大量の書類と格闘していました。組合の強さもさることながら、やっつけ仕事を大量にしなければならない様を見ると、管理職になるにはどのようなモチベーションが働くのか奇妙に感じました。
あれから規制緩和で孫さんの存在が大きくなりましたが、現場の雰囲気はどうなったんでしょうね。

特に新しいニーズが無くても規制のないところでは既存の業者を出し抜く新規参入があるわけで、質も改善しなければジリ貧です。
技術的にはそのおかげで便利になったわけです。
規制業種を除いてある程度の規模の業者は外部環境によって鍛えられ勝ち上がってきた者たちです。(ブラックが束の間の隆盛を謳歌してもやがて制裁を受けます))
入口の狭さより入ってからの鍛え方が違うというのは大学の内外格差がよく話題になります。

OTSUさんのこのブログに費やす精神的エネルギーには本当に敬服します。(皮肉は微塵もありません)
そのエネルギーが公務労働者から解き放たれ公共の利益に昇華することを切望します。
定年後は社会起業し、これまで書き綴られてきた諸問題の解決に取り組まれることを期待します。


投稿: L | 2011年12月13日 (火) 13時05分

>Lさん

うーん、Lさんのお述べの内容はほとんど実施ずみというか、もう対応ずみというか。

ただ、小規模市町村では、人員・人材の問題で、なかなか難しい。

電子申請の最大の問題は「本人確認」です。これにコストがかかる。だから申請数が少なければ紙がやすあがり。

土木公共事業も、予定価格・最低入札価格は公表し、電子入札を実施、また技術力を評価するための総合評価方式の導入・・・すべてやってます。

が、これも小規模市町村では、というところです。

自治体といっても市町村でいえば人口数百人から数百万人、都道府県でも数十万人から一千万人まで規模の格差がありますから、すべて同様にとは難しいのが現状です。

チホウブンケンの進展がますます格差を拡大していますしね。

投稿: 地方の公務員 | 2011年12月13日 (火) 21時21分

>OTUS さん

コメント欄でよく指摘される公務員に対する不満と、それの解消のための成果主義の導入といった場合、住民票の発行窓口の開いている時間が短いとか、待ち時間が長いとかいったことに関することが皆さんイメージされていると思うんです。

でも、それが公務員の仕事のすべてではないですよね。

例えば、生活保護。このケースワーカー(経験ずみ)に成果主義が導入された場合どうなるか?

そういった業務への成果主義の適用の困難さが一般の方にはなかなか想像しにくい部分だと思います。

これが公務員への成果主義への適用を巡る議論のすれ違いの理由だと思います。
このことを念頭において議論を展開しないといけないと思います。
(すみません、偉そうにいってごめんなさいね)

投稿: 地方の公務員 | 2011年12月13日 (火) 21時35分

かもめのじょなさん、あまのじゃくさん、Lさん、地方の公務員さん、コメントありがとうございました。

Lさんから入札改革のお尋ねですが、談合に繋がりがちだった指名競争入札から一般競争入札へ変えていく大きな流れがありました。地方の公務員さんも触れられていますが、その中で電子入札や価格だけではない総合評価方式などの導入が進んでいました。

地方の公務員さんのご指摘のとおり福祉の中での成果主義の難しさなどは充分理解しています。それはそれとし、Lさんからの「質的向上」の中味について窓口開庁時間などを例示したところでした。

その他、私からレスすべき点も多いものと思っていますが、取り急ぎ直接的な問いかけなどに対してのみお答えさせていただきました。念のため、あまのじゃくさんの「貴方達」の中に当然、私自身も含まれているものと受けとめています。しかしながら誠に恐縮ですが、これまでの記事本文やコメント欄でのお答え、また、これからの記事本文を通して私なりの「答え」を補強していくつもりですので、ご理解ご容赦くださるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2011年12月13日 (火) 22時32分

地方の公務員さん
>生活保護。このケースワーカー(経験ずみ)に成果主義が導入された場合どうなるか?
別にどうって事はないでしょ。むしろ評価されることを疑問視する方が信じられない。
報道などで一人のケースワーカーが担当するのは平均で100世帯弱だと聞いています。これについて、何世帯への支給を打ち切ったかを競うのが成果ではないでしょう。逆に、これらの世帯にどれだけ親身に対応し、どれだけ広く公平に目を配れたかが問われ、それが評価になるのではないですか。
このような業務では、大抵は管理用にデーターベースが組まれているはずです。私の知っている世界の話に置き換えると、意識の高い職員なら数百という程度ならば顧客全数に毎週何かしらのアクセスをして、その記録を入力しているものです。ケースワーカーのデーターベースを見てみたいものですね。毎週どれくらいにアクセスされているのでしょうか。
生活保護の業務ならば生活指導だとかそれに類する何かだろうと想像しますが、それらがきちんと毎週のように行われて、必要な世帯にはしっかり支給し、不正は勿論のこと自立の意思を持たない世帯には確実に打ち切る。それを徹底することが評価でしょうね。でも、面倒がって、何か月も放置し、揚句に医療費とかの不正受給で表ざたになるまで、ノーアクションって職員も多いのでは無いですかねえ。時間を隅から隅まで舐め尽くすように使い切っているとはとても思えません。
そもそも自分の担当する業務の目的を正しく理解して、その目的実現のためにあらゆる手段を模索し実行することが仕事ってものです。でも、それを理解している人は、公務員には凄く少ないと感じますし、そのことが提供される公益へ抱く不満の大本でもありますね。
一つの例として、大学入試試験や入社試験では合格することが本来の目的ではなくて、大学ならば入った後にそこで何を学びたいか、会社ならば入った後にそこで何を成したいかを想定して受験し、合格して初めてスタートでそこからが競争なんですよ。だから時間を舐めるように使い切って目的に進むんです。
でも合格したから自分は競争を突破したと安心するのか、そこからは時間を有意義に使い切らない人って多いですよねえ。ほんと、そんな奴は全て競争に敗れて人生をぶち壊されて自分の至らなさを思い知れって思いますね。
評価が馴染まないのでもなく、評価できないのではなくて、評価をする気が無いだけなんですよね。

投稿: 名無し | 2011年12月13日 (火) 22時40分

横レスですが、まあ、思うのは自由ですから。

しかし、成果主義が思うとおりに機能するなら、企業が成果主義の見直しにシフトしたのは何故か?という疑問は出てくるでしょうね。

そもそも、生活保護一つとっても、思うだけなら簡単ですが、実際に不要・必要の判断は難しいでしょうし、成果評価する上司が、多くの部下の個々の判断の当否を判定するのは非常に困難でしょうね。

投稿: Thor | 2011年12月14日 (水) 07時29分

やはり言語が通じませんね。・・と言うより聞いてない?

自分達の組織にとって「成果」とは何か?一人一人の「成果」とは一体何なのか?そしてその「成果」をどうやって評価するのか?
これをやらないでおいて、一体公務員の組織は「何が正しくて何が間違っていて、何をやればいいのか」をどうやって「判断」するのか?

これをやらないと言う事は「公務員の組織は何をやっていいか、全く分かりません」と言っているのと同じで、もはや組織では無い。

どうも勘違いをしているらしいが、民間の働き手は「主に」利益に対する成果を求められる。
君達(公務員)は「公益」に対する成果を求められているんだよ。

恐らく民間人であろう「名無しさん」がその事をしっかり理解しているのに、公務員が理解していないのかね?
まあこれを見ている公務員の1人でも「なるほど」と思ってもらえれば良しとしましょうか。

投稿: あまのじゃく | 2011年12月14日 (水) 08時50分

地方の公務員 様

表面上は対応済みだと思います。(地方の公務員さんはケースワーカーを経験されているので基礎自治体の確率が高そうですが、今は総務部か企画あたりにいらっしゃるのでしょうか)
ただ運用が県レベルでもかなりずさんなところがあるのは事実です。
権限が県にある法令に市が違反していた事例では「直接市に言ってくれ。」とのこと。ここでうやむやになるわけです。
また他の事例についても法令違反が常態化しているので個々や業界団体への指導を実施組織(出先など)に口頭で質問したところ「いちいち見廻っているわけではない」との回答でした。本庁に問い合わせても具体的な運用については出先に回され堂々巡りになる次第です。
せっかくお国が法律を作ってくれてもやる気のないところに権限を与えていては笊の誹りは免れません。
指針がお国から降りている技術の評価も然りです。

基礎自治体についてはアホ過ぎるので直接圧力をかけます。

生活保護の職員の対応については市議員も疑問を持っていました。本当に活きた使い方がされているのか気にかける職員がいないと。ちなみにこの方は警察OBで司法公務員と行政公務員では使命感が違うとのお考えでした。生活保護でも受給者の自立という軸で成果を評価できそうですが、考えることを放棄した地方自治体の現状を見ると、これこそ「ぶんけん」による政治主導で意識の高いところが率先して成果を上げれば良いと思います。
改善点を顕在化させ横並びのお役所の尻を叩くためにはある程度の格差は必要となります。
いわゆるお役所仕事や縄張り意識による連携のなさについては各所から集まる議員の研修所でも話題に上るそうな。

全く名無しさんのご意見に沿ったコメントとなってしまいましたが、これが一般的なのかもしれません。あまのじゃくさんが触れた理解をしてもらうためには「肌身に染みる」体験が必要でしょう。信賞必罰も当然に政治直轄で行います。
いずれにせよ施策を含めて現状に対するレスポンスは時間がかかりすぎます。これこそお役所仕事。外部より内部事情が優先のようです

投稿: L | 2011年12月14日 (水) 10時26分

名無しさん、Thorさん、あまのじゃくさん、Lさん、コメントありがとうございました。

ケースワーカーの職務のあり方などはご指摘のとおりですが、問題解決のためには「だから成果主義の徹底」という見方のすれ違いがあるように見受けられます。「通じない」という思いも双方が抱きつつあるようにも感じ始めています。

このような短いコメントは言葉が不足するため、あえて何も発言しないほうが良いのかも知れません。それでも一言だけ感想を述べさせていただき、できれば次回以降の記事でモヤッとした「すれ違い」について掘り下げられればと考えています。

投稿: OTSU | 2011年12月14日 (水) 21時11分

ちょっと時間がないので簡単に。

>不正は勿論のこと自立の意思を持たない世帯には確実に打ち切る。それを徹底することが評価でしょうね。

これやって自殺された事例ってあるんですよね(私じゃないですよ)

私は被保護者(「ケース」と呼ぶ。)から殴られて刺されかけたことあったなぁ(速攻逃げた。刑事事件にはしなかったけど)

投稿: 地方の公務員 | 2011年12月14日 (水) 23時25分

あまのじゃくさん
>これをやらないと言う事は「公務員の組織は何をやっていいか、全く分かりません」と言っているのと同じで、もはや組織では無い。
ここでコメントしていて常々、公務員の方は自分の業務に対して極めて視野が狭いと感じています。あまりにも目の前の業務にしか考えが及ばない状況で、加えてそれが当然とされてしまったから、公益が判らないのだろうと思います。
こちらの管理人さんは税の収納を担当されているようですが、滞納者への催告と差押えが視野の中心にあり、成果主義が導入されれば収納率のみで評価されると思われているのでしょうか。でも、民間の感覚での評価ってそんなに狭い範囲でされるものでは無いですよね。
税の収納が担当業務であっても、自分の業務の目的を紐解いていけば、やるべきことは色々とあると思います。管理人さんの業務では収納強化は目先の一部分に過ぎずやって当たり前の事です。私のような門外漢がざっと考えても、その他に税の理解度をあげるために賦課時の説明資料に手を出したり、或いは納得度を高めるために収納したそのお金がどのように使われているかを資料として配ったり、そうすれば、より質を高めるために賦課担当者のみならず広報部門に口や手を出したくなるだろうし、或いは使い道の適正化のために財政部門にさえ口や手を出したくなるのかも知れません。そこまで見渡して時間を舐めつくすように使い切っていれば、その他にもまだまだ手を出したくなるところは有るはずなのですよ。
私なんかは、それらの結果が評価になると思うのですよね。仮に、色々な部署の担当が自分の業務の目的を正しく捉えて、少しずつ口を出し合えば行政の枠組みまで変わることは確実なんですけどね。
でも、こういう話をすると大抵は「それは他の担当の仕事で関与できません」となる。だったら他の担当の仕事すら変えて見せろと言いたいし、それが自分の仕事の目的には含まれるているでしょうとも言いたい。でも、こんな話は全然出てこないし、当然に進みもしません。市職労に至っては色々な難癖をつけて邪魔するだけでしょうしね。
公務員のなかで自分の業務の目的とは何か、とことん紐解いて考えたことのある人ってどれくらい居るのでしょうね。そういうトレーニングもある筈なのですが、ここでのコメントを見ている限りでは、あまり期待は出来ないなと思うばかりです。

投稿: 名無し | 2011年12月14日 (水) 23時37分

今日のテレビで橋下さんが「競争ないところに成長はない」とコメントされておりました。その通りだと思います。
しかし今の公務組織には競争はなく、仕事をしないことを正当化する職員Ⅱが跋扈しているのが、割と目にもするし耳にも入る現実です。ここの意識の低いコメントを見ても、それが良くわかりますね。
私なんかは勤務時間は自分の業務に全力を注げ、それ以外は自分の業務を他にフィードバックし他の質を高めることに心血を注げ、それが自分の業務に寄与することにも繋がる。そして24時間隅々まで使い切れと戒めてきたものですけどね。若いころにサラリーマンの平日に自由時間は無いと叩き込まれたお蔭でもありますが。
これを自己研鑽と捉えるか、ブラック企業へ従属と捉えるか、それは自由ですが、意識の低いコメントをされている方におかれましては、競争に敗れて路頭に迷うのも自己責任の結果だと淡々と受け止めて、公的職場から去っていただきたいと思っています。今、世界中で行われている競争は決して甘いものではありませんので。
橋下さんの活動を、これからも注意深く見ていきたいと思っています。「組織は競争させる」でも「人は守る」とも仰っていましたので、お手並み拝見ですね。

投稿: 名無し | 2011年12月14日 (水) 23時51分

地方の公務員さん
>刑事事件にはしなかったけど
故意に批判されることを目的としてコメントされていませんか。自虐の一種なのかも知れませんが、私には理解できません。
その他の部分も色々と返したいことが有りますが、他の方がコメントされるでしょうから。バッサリと省略します。

投稿: 名無し | 2011年12月15日 (木) 00時00分

地方の公務員さん、名無しさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

これまで数多く名無しさんからコメントをお寄せいただいていますが、真摯に受けとめなければならない点が多いことも理解しています。一方で、ご自身の主張に絶対的な自信をお持ちであるため、その枠から少しでも外れる意見に耳を傾けることがなく、逆に条件反射的に批判されているように見受けられます。当然、この意見は私自身が感じたものであり、皆が皆、そのように感じていると述べるつもりはありません。

今回、「こちらの管理人さんは税の収納を担当されているようですが、滞納者への催告と差押えが視野の中心にあり、成果主義が導入されれば収納率のみで評価されると思われているのでしょうか。でも、民間の感覚での評価ってそんなに狭い範囲でされるものでは無いですよね」という意見が示され、評価するポイントとして分かりやすい事例を単に示されたのかも知れませんが、そのような表層的な見られ方は非常に残念なことでした。

自分の現在の仕事である徴税吏員の職務について何回か当ブログの記事として綴り、確かに滞納処分という具体例のあり方に対して記載した内容がありました。しかし、決して催告や差押、収納率の向上のみに視野を狭くした記載でもなかったはずです。名無しさんが求めているような水準まで実際広げられていませんが、方向性としてはご指摘のような問題意識も抱えているつもりです。きっと、そのレベルまで広げていない限り、単なる言い訳だと批判されるのかも知れませんが、気になった点について一言述べさせていただきました。

投稿: OTSU | 2011年12月15日 (木) 06時30分

>私は被保護者(「ケース」と呼ぶ。)から殴られて刺されかけたことあったなぁ(速攻逃げた。刑事事件にはしなかったけど)

このような事例は、捜査機関に通報し(公務員の通報義務はどう解釈されるのか?)因果関係を精査するのが関係する職員の安全確保になり、統計として計上され生活保護施策の適切な運営など公益に資するものと思われます。

目先の楽のために有耶無耶にすることが多過ぎるというのが経験上の結論です。

投稿: L | 2011年12月15日 (木) 10時49分

論点の整理が必要なのでしょうか。

現在レスしている、私を含めて民間と思われる方は
公務員組織に対して、自浄能力が不足あるいは欠落してる為
組織改革、改変あるいは大胆な民間委託等などを求めている。

OTSU氏サイドは、現状に多少の問題点は有ると認めつつも、
そのようなことは官民とわず存在するもので、現在のバッシング的な
批判は一方的で不正確な情報によるもので受け入れることはできず
なんらかの改革、改変を行う場合は、労働者の権利保護は当然求め
なおかつ正当な労使交渉を基本とする。

簡単にまとめるとこのような感じになるのでしょうか。
もしおかしな部分があれば指摘願います。

結局、私がこのサイトに興味をもった原点に戻るのですが
自治労は何がしたいのですか? 労働者の権利を守る為の
活動をするのは当然です。しかしそれを超えた活動、たとえ
社会正義だとしても、それは行き過ぎた行為に思えます。
かつて国労が遵法闘争を繰り広げて、ついに暴動がおこる
事態に発展し世論を敵に回した。自治労も同じ道を歩むの
でしょうか。
今こそ、労働者の権利を守る基本に立ち返り、基地や原発に
旗をはためかすのは止めましょう。
そのエネルギーを公務員制度改革に使い、正すべきは正し
主張するとこは主張し守ることが本意ではないでしょうか。

投稿: nagi | 2011年12月15日 (木) 11時24分

我々は「公務員組織に信賞必罰を導入すべきだ」と総じて言っている。私は「総論」しか言っていないが、他の方は各論にまで踏み込んでいる。

それに対して公務員側は様々な理由で信賞必罰の導入に反対しているのです。ちょっと分析をしてみましょう。

1:『行政に成果主義は馴染まない』
これは利益と公益をすり替えたものです。

2:『成果を評価する事が難しい』
警察官が「泥棒を捕まえるは難しい」と言っているようなものです。

3:『不当解雇に繋がる』
信賞必罰と不当解雇は全く別の次元の話です。寧ろ「成果」を評価しない方が不当解雇を生むのです。なぜならば「正当解雇」と「不当解雇」の区別を付けられないからです。

4:『一元民主主義と多元民主主義がある』
色々考えるものです。要は「公務員が自分の利益を求めて何が悪い!」という「逆切れ」です(笑)。深層心理を紐解くと「公務員組織に信賞必罰を入れない方が(公務員)全体の利益が守られる。だから信賞必罰を入れないのであって、我々の利益を守るのが何故悪い!」。

実はこの大元になっている「ポピュリズム論」が間違っているのです。間違っている理由は論者が民主主義を「正しい・間違い」或いは「正邪」で考えようとしているからです。第一論者が「一元民主主義」と言っているものは「公的秩序」の事であって民主主義(固有)の事では無い。

公務員の言い分が間違っているから批判されているのではなく、公務員の文化が全体の利益を損なっているから批判されているのです。
最後に「俺の言い分が分析から洩れてるぞ!」って方はお申し付けください(笑)。

投稿: あまのじゃく | 2011年12月15日 (木) 16時23分

>あまのじゃくさん

1.2.の亜流だと思いますが、『成果主義は民間でも破綻し始めている』
オール・オア・ナッシングでモノを見過ぎ。
公務員サイドの主張の理由づけは、成果至上主義の否定の理由にしかならない。
公務員批判サイドの論調は成果主義的要素を採り入れるべきということであって、成果否定主義の否定に他ならない。

そもそも民間と全く同じような成果主義を導入する必要なんて全くないし、それぞれの行政に適した評価方法を考えればよい。一切何も検討することなく、頭ごなしに「評価」そのものを否定する姿勢でいてはるから、皆さんは違和感を感じるわけ。

公務員の皆さんとか、受験勉強に打ち込んだ高学歴の人に多いですね。その姿勢。自分の理論上に答えがないものは、絶対無理だと思い込む。諦めが早くて、柔軟性、創造力、創造意欲に難がある。。。


4.については、
民主主義の中身は、憲法学では、OTUさんがおっしゃるような2パターンがあります。これは、何も、公務員が自分たちを守るために考え出したものではなく、人権の歴史の中で、先人達が発展させてきた考え方なんですね。多数者支配民主主義と立憲民主主義。
近代憲法は、後者の立憲民主主義を採用するものとされていますね。この理念の下では、少数意見にも配慮が必要になります。

ただ、違和感を感じるのは、公務員の皆さんは、「少数意見への配慮」ではなく「少数意見の反映」までも求めているケースがある点。それから、公務員の皆さんが少数意見を代表しているかのようにおっしゃる点でしょうか。

投稿: かもめのじょな | 2011年12月15日 (木) 21時16分

Lさん、nagiさん、あまのじゃくさん、かもめのじょなさん、コメントありがとうございました。

nagiさんの論点整理は大筋その通りだと思います。ただ「現在のバッシング的な批判は一方的で不正確な情報によるもので受け入れることはできず」は少しニュアンスとして異なります。「不正確な情報による批判も多い」であり、一切受け入れることができないという論調では綴っていないつもりです。なお、後段の自治労の部分は、これまで示してきた見解のとおりであり、「行き過ぎた行為」というご指摘などには賛意を示せない立場です。

全体的な傾向として、この場での意見対立が「公務員対非公務員」の構図に見られがちな点に少し違和感もあります。競争主義や市場主義を慎重にとらえている方々が皆、公務員であるような決め付けがあるように感じています。記事本文で紹介した濱口さんは明らかに非公務員であり、dongfang99さんも公務員とは限りません。つまり「公務員対非公務員」という対立軸から離れ、一つ一つの主張や意見を読み返した場合、また違った印象を受けられる可能性もあり得るのではないでしょうか。

他にも、この場でお答えすべき内容も多いものと思っていますが、取り急ぎ以上の点について一言添えせていただきました。記事本文に集中できるという管理人の特権(?)をご理解いただきながら、その都度、きめ細かく対応し切れていない実情を何卒ご容赦ください。

投稿: OTSU | 2011年12月15日 (木) 22時49分

>主様
>「公務員対非公務員」の構図

語弊を恐れず、ごく大雑把に言えば、公務員擁護派と公務員批判派という構図(公務員派vs批判派)はあながち間違いないでしょう。
建設的に議論していくためには、枝葉末節の話に傾かない方がよいと思います。


ところで、労組の存在意義ですが、私個人は、現状、労組はその存在意義を果たせていないと思います。

行政の重要な役割に適正配分の実現があると思います。
財源が減れば、当然、官民とも影響を受けますね。
公務員の厚遇維持に使う金を、例えば、不遇の公務員(特に福祉系など)の基本給UPに回したり、民間の中小企業支援、民間の福祉財源等々に回すのが、適正配分の理念に合致しますね。

それから、労働組合の最も重要な存在意義は、憲法上の生存権にも関わるものだと思いますが、
その根本は、労使交渉で優位に立つことではなく、労働者の劣悪条件を排除することにこそあるはずですよね。交渉権は、劣悪条件排除のための手段として認められたものでしょう。
横に不遇な労働者が多く存在するにも関わらず、限られた財源の中で、十分厚遇されている労働者の労働条件についてまで、「交渉する権利」を錦の御旗のように振りかざしていては、一体何を守りたいんだ?ということになります。

労組の根本的意義に立ち返れば、財源に乏しい現状では、一般公務員の処遇を「健康で文化的な最低限度の生活」を営める程度まで下げ、それによって生じた財源を、不遇公務員の条件改善に回すことこそ、労組のなすべきことだと思いますね(もちろん極論です。要は、厚遇の一部を不遇の人に回すという理念ですね)

投稿: かもめのじょな | 2011年12月16日 (金) 00時42分

かもめのじょなさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

「公務員対非公務員」の構図ですが、公務員を擁護するような意見の方々は皆、公務員であるという見方がされがちな傾向を表現していました。自分自身としては枝葉末節な話とは考えず、建設的な議論をしていくための出発点として認識の共有化が必要だと見ていました。

つまり成果主義を若干否定的に述べた方がいた場合、「公務員だから成果主義を否定し、現状を維持したいから」と批判される構図を懸念していました。そのような意見をお持ちの方が必ずしも公務員とは限らず、同時に公務員が発言したとしても、肝心な点は成果主義そのものの優劣を議論できることだと考えています。特に匿名同士が意見交換できる場では、誰が、どのような立場で発言したかが問題ではなく、その発言の内容の適否が評価されるべきものと思っています。

後段のお話も、方向性の是非として以前の記事で問題提起したことがありました。時間の制約のある朝の時間に改めて詳しい説明は控えさせていただきますが、この1週間のコメント欄での議論を通し、自分なりに思ったことを次回記事に託していくつもりです。ある意味で、これまで綴ってきた内容の総集編のような記事をめざせればと考えています。

投稿: OTSU | 2011年12月16日 (金) 06時25分

>OTSU氏サイドは、現状に多少の問題点は有ると認めつつも、
そのようなことは官民とわず存在するもので、現在のバッシング的な
批判は一方的で不正確な情報によるもので受け入れることはできず
なんらかの改革、改変を行う場合は、労働者の権利保護は当然求め
なおかつ正当な労使交渉を基本とする。

市場機能が働けば問題がある都度NOの選択ができるが権限の行使者を同様には選択できない。NOの数だけ改善を要求することになります。
情報が正確かどうかは当事者主義で行えば効率的です。
個別の申し立てに対しての労働者の権利保護は、公正委員会で担保されています。

連合が非正規に配慮するのは自らにかかる批判をかわすためのカムフラージュだと言えます。戦略として特に卑怯とは思いませんが。
自治労などは施策に影響力を持つ立場なのだから先ずは単組単位で積極的に上記の具体化を図るべき。
格差は底辺が低くなるから問題であって、良い方向への格差は搾取がなければ実害はない。徴税権とその配分に搾取の構造がある?
批判があるとすれば改善をサボっているか既得権が脅かされるもののやっかみでしかないでしょう。

地方公務員法の懲戒、分限、服務規程の厳格な運用を政治主導で行わなければなりません。

コストカットの方便として成果主義が使われたためにその見直しは当然です。
しかし、皆が生産性や創造能力が同じということがありますか?それが求められない職場ってかなり限定されるのではないでしょうか?
行政行為に求められる公正さも個人どころか組織でも差があります。

自治労さん、お任せすれば格差がなくなりますか?
内需型の産業しか雇用創出力がなくなっても創業のリスクを負ってっくれますか?
創造意欲が減退して破綻するときも一連托生、格差はないようにしてください。

投稿: L | 2011年12月16日 (金) 12時52分

相手を特定しない感想ですが、相変わらず、思うのは自由だけれど、な居酒屋政談が目立ちますね。事実関係も確かめずに書いても、同じ主観を持つ人以外を納得させることも、反対意見者の意見を変えることもできないんですが、まあ、居酒屋政談は政談自体をすること自体が目的だから、ある意味正しい姿なのかもしれません。

そういう訳で、これも居酒屋政談の一つということで、議論の流れを読まない与太話と思って頂ければ幸いですが、某居酒屋で聞いた、A社の構成員Bさんの与太話でもしましょうか(匿名での与太話ゆえ、伝聞、作り話、個人的体験等々受け止め方は各自で好きにすればよろしい)。

A社においては、すでに何年も前から、成果評価・能力評価制度は導入済みで、Bさん曰く、その上で基本的に欠陥のある制度という認識に至っています。Bさん自身は、毎期、少数の上位評価を得続けており、個人的損得で言えば、明らかにプラスですが、組織については、徐々に劣化が認識でき、少々の修正でどうにかなるものではない本質的な制度の欠陥が見えてる、とのこと。

Bさん曰く、どうしても評価しか気にしなくなる者が現れ、評価されない事項や明確に評価し難い事項が必然的におざなりになり、そうかと言って、評価軸を増やすにも限界が出てくる、と。

また、低評価者へのカンフル剤になるかと言えば、相対評価である以上、頑張っても低評価が続く者も出てくる訳で、低評価が続くことでさらに士気が低下するという悪循環すら発生するらしいです。もちろん、自己評価と客観評価に格差が大きい者も当然不満を持ちますが、それでは、高評価者の士気向上にプラスになるかと言えば、高評価者はもともと士気が高い人も多く、ここに対してもプラスの効果は薄い、とのこと。

さらに、真面目にやろうとすると、評価者・被評価者ともに評価のための時間・コストが割かれる訳で、その時間・コストおよび上述のデメリットに見合う制度効果は得られないというのが、実際に導入し数年が経過し、制度修正も経てきた、A社の現状でのBさんの個人的な分析結果のようです。

プロスポーツのように、評価軸の(ある程度)限定された分かり易い職域ならともかく、高度化された職域には、評価コストに見合うものとはいえないんじゃないか、と。

そもそも、A社に限らず、大抵の所は、制度導入前から、それなりの評価システムは持っており、目標管理を伴い、社員に評価を意識させ過ぎる成果評価制度を無理して導入する意義はあったのかね、成果評価原理主義者は、成果評価は善という信念で評価自体が自己目的化してるからめんどうくさいね、との愚痴も。

でもって、Bさんも当然、早晩、評価者の立場(既に準ずる立場ではあるけれども)に立つ訳で、どうやったら多少なりともマシに、プラスにはならないまでも弊害の少ないものになるのか、無駄な苦労も給料のうちかね、と悩んでる様子でありました、とさ。

(注1)Bさんは地方公務員ではありません。
(注2)この与太話に批判・反論・質問・同意等されても、応答しかねます。

投稿: Thor | 2011年12月17日 (土) 07時56分

Lさん、Thorさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

それぞれのご意見やご提起などに対し、すべて包み込んだ内容に至らないかも知れませんが、新規記事を通して自分なりの考え方を整理してみるつもりです。たいへん恐縮ですが、この場で具体的な記述がない点についてご理解ご容赦ください。

投稿: OTSU | 2011年12月17日 (土) 08時38分

>(注2)この与太話に批判・反論・質問・同意等されても、応答しかねます。

あえて論議を迷走するようにしかけたり、けむにまいたり
あるいは論議自体を馬鹿馬鹿しいと思わせる方向にむけたり
する方が必ず現れます。そのような方の意見をよく聞くと
評論に評論するだけで、あいまい抽象的な発言しかしません。
判りやすい例で言えば、ポッポ元総理か。

それで、与太話ならここに記載せずチラシの裏に書いて
壁に貼っておいたよいと思いますよ。

投稿: nagi | 2011年12月17日 (土) 08時49分

物事を論理的に考える事が苦手なのか、ハタマタ虫眼鏡で見た光景をすぐさま「全体像」として捉える習性があるのか・・。

『おおよそ機能組織において、人・仕事・成果などを評価する必要が無い』

上の様な考えを持っている者は恐らく世界で5人くらいでしょうね。

「どうやって評価するのか?」については千差万別です。時代、仕事の内容、組織の大きさによって全て違う。

「1つの評価法で上手くいかなかった」→「評価自体を止めるべきだ」・・発想が世界の奇観と言って良い。
OTSUさんの苦労が偲ばれます。

投稿: あまのじゃく | 2011年12月17日 (土) 09時33分

どこの世界にでも意識の低い方は存在しますし、議論を迷走させることのみを目的とする意見も出てきます。大抵の場合、それらは遠まわしにでも自分の保護を目的とするので、すぐに見抜かれてしまうのですけどね。
だから、あまのじゃくさんの「1つの評価法で上手くいかなかった」→「評価自体を止めるべきだ」・・発想が世界の奇観と言って良いというコメントを支持します。それにしても先のコメントは、あまりにも意識が低い。これは呆れるばかりです。
民主主義とは少数に対して考慮することは求められますが、少数の意見を反映させる必要はありません。どちらが多数派を形作るのか、議論とはそういうものです。

投稿: 名無し | 2011年12月17日 (土) 10時36分

 こんにちは。
 ここのところ、ネット上での論議にありがちな、元々、よっぽど相手の意見に耳を傾けてみよう、という意識がない限り、反対意見に対する個別応射で終わってしまって、根本的に何も得るものがない、という悪い面の好例が出ていますね。
 そんな中でも、OTSUさんのコメントなどに見られる、相手の立場や意見を受け止めて考えてみる、という姿勢には敬服します。

 さて、人事評価制度の問題について、私見を。
 きちんとした人事評価を行うためには、評価者(一般的には上司)が主観で行うものは論外です。
 もしドラで有名になったP.F.ドラッカーを引き合いに出すまでもなく、組織のマネジメントがきちんと出来ていることが大前提であって、その上で、きちんとマネジメントされた組織として設定した目標の達成度を検証し、そこに個々の人間がどれだけ貢献できているのか、ということを、客観的なモノサシで測ることが必要と考えます。
 しかも、もし単年度で悪い評価の付いた人間があれば、どうしてそうなってしまったのか検証し、次期に向けて改善してゆく必要があります。それは、個人としての検証・改善はもちろんですが、組織としてのマネジメントの問題でもあります。
 評価者が悪評価を付ける場合、主観ではなく客観的な事実を基に判断する評価制度の中では、悪評価を付けられた者だけでなく、評価者にも、組織の目標達成のために、悪評価者の失敗の原因の分析を行い、適切な助言やサポートをする責任があります。
 そこで最近のニュースに目を向けると、大阪で評判になった、2期連続で悪い評価になった教員は処分の対象だよ、ということを威張っていうのは、組織としてのマネジメトをしませんよ、と言っているようなものであり、もしそんなことが現実に起きてしまったとしたら、組織のトップとして恥じるべきだと思います。
 ポンと置かれた場所で能力を発揮できた、できなかった、で人材を選別するだけのシステムは、放っていおいてもカネが回ると言う経済成長時代には一定の意味もあったかも知れませんが、現代の厳しい情勢の中では通用しないものです。


 余談ですが、最後にOTSUさんのご苦労をみて思ったこと。
 カスタマーサポート部門では、いわゆる「クレーマー」と向き合わなければならないことがあります。
 通常の苦情を持ち込まれるお客さまと違うのは、具体的にどの製品やサービスのどの部分に、こういった不具合があった、という苦情ではなく、「とにかくこの商品が気に入らない」「自分には合わなかった」「お前の会社はおかしい」という、クレーマーに言わせれば「具体的な」苦情である点です。
 OTSUさんの対応される様子を見ていて、なんとなく、そんなことを思ってしまいました。お疲れ様です。

投稿: 野次馬 | 2011年12月17日 (土) 10時55分

私は無用な批判をしている訳ではありません。

野次馬さんの意見には8割同意できるし、議論も出来ます。なぜならば「組織も人事も評価すべきである」という共通認識を持っているからです。
「評価など不要」などという意見は「論外」。議論など不可能で批判の言葉しか有り得ない。

では残りの2割について少し・・
1:評価を客観に拘ると、硬直化します。多面的多層的に評価すべきでしょう。当然「主観」も入れるべきかと。
一部評価の悪評は実はこれが原因かと思います。

2:山本五十六は「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」と名言をはいた。野次馬さんは、この姿勢が大事だ・・と言っているのですが、これもやはり「1面」に過ぎません。

自ら進んで問題を解決できる者もいるし、馬耳東風の輩もいる。
評価法というものを余り狭く考えると、有能の士を逆に損う事にもなり、終には逆差別にも繋がります。

評価は多面的・多層的に。

投稿: あまのじゃく | 2011年12月17日 (土) 11時21分

さすが橋下さんは判っていらっしゃる。
今日の新聞記事ですが「市の現状や世情を踏まえ人件費の2割カットを念頭に置くとし担当部局に削減案の検討を指示」したそうですよ。その言葉に加えて「今後税収が大幅に増加したり、外郭団体廃止などの行政改革で歳出が削減されたりした場合には、2割の削減幅にこだわらない」とも仰っています。
外郭団体の統廃合が目的の発言と思いますが、未達ならば人件費カットで対応すると提示して、決めざるを得ない状況に相手を立たせて迅速に動かせる。ほんと公務組織の風土を良く理解された、さすがの対応だと思います。
逆差別を廃し悪平等を追放する。なかなかこの既得権にしがみ付く人を排除するには手を焼くと思いますが、この様な動きがもっと全国的に広がると良いですね。
引用元記事:http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111217-OYT1T00404.htm

投稿: 名無し | 2011年12月17日 (土) 15時03分

 あまのじゃくさんのコメントを読んでの補足です。
 と言っても、あまのじゃくさんの論旨の中では枝葉末節の部分なのかも知れないので、あまのじゃくさんの意見に対する反論というより、私自身のコメントへの補足とお考えください。

 上司の主観で行う人事評価が問題なのは、上司もまた人間だからです。
 主観による人事評価がまともに機能するのは、上司が客観性、公平性、公正さを兼ね備えた理想的な人間である場合に限られます。
 客観的な事実を基に評価するというシステムの下でさえ、システムを運用するのが人間である以上、多かれ少なかれ主観が入ることは避けられないものとは思いますが、最初から主観による評価ありとしてしまうのであれば、人事評価制度を入れない方が害が少ないと思います。
 主観での評価ということが是とされている時点で、少なくとも悪評価を受けている人間には、悪評価に対する不満だけでなく、評価者の主観に対する不信の念も生まれます。誰にだって多少なりとも自負心はあるわけです。「課長の主観が間違っている」と思えば、自分自身を省みるということにはつながってきません。
 高評価、中程度の評価を受けている者にも、評価者におもねるという姿勢が無意識にでも表われてくるということも避けがたいものとなります。
 残念ながら、黎明期の(現在も、意外と多くの企業でそうかも知れませんが)人事評価制度は、そんな内容のものが多く見受けられました。

 だからこそ、先にThorさんが書かれたようなオハナシも出てくるわけです。現役世代の方であれば、同窓会などに聞いて回ってみれば、そういった話も聞けるかも知れません。
 Thorさんの出された風景を与太話と切って済ませられる人事評価システムの下で働けているのなら、それは幸せなことだと思います。

 いわゆる「信賞必罰」というお題目だけで、上から下への点数付けを行うのは、ワンマン社長率いる会社の経営と似ています。社長が優秀で見る目も確かであればよい結果が期待できるでしょうが、社長がまずければ、会社全体が傾いてしまう危険もある。
 でも、そういう個人個人の資質に依存したシステムでは、安定した成果は望めません。
 そこで、組織としてのマネジメントが重要となるわけです。

 異論は多々あるかと思いますが、私見としては、これまでのコメント欄でもさんざん取り上げられてきた、いわゆる職員Ⅰ、Ⅱにしても、それが全てにおいて個人の資質のみの問題として決定的に優劣が決まっているのか、それとも、組織としてのマネジメントに問題があって、職員Ⅱの能力や意欲が発揮されていないのか、ということにも目を向けなければならないと思います。
 そこにきちんと目を向けない限り、「ダメな職員はクビにすればええんじゃあ!」と言って、ただ人だけを入れ替えても、それほど長くはないサイクルで別の職員Ⅱが生まれるでしょうし、かつて職員Ⅰだった者が、職員Ⅱに落ちてしまうということもあるでしょう。

投稿: 野次馬 | 2011年12月17日 (土) 15時44分

nagiさん、あまのじゃくさん、名無しさん、野次馬さん、コメントありがとうございました。

野次馬さんのようなご意見に触れられることで少しホッとしています。いずれにしても偏らず、幅広い声を伺えることが当コメント欄の貴重さであり、たいへん感謝しているところです。新規記事は今夜、取りかかれそうにありませんが、明日中に投稿しますので、またご訪問いただけますようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2011年12月17日 (土) 22時00分

>若いころにサラリーマンの平日に自由時間は無いと叩き込まれたお蔭でもありま
>すが。これを自己研鑽と捉えるか、ブラック企業へ従属と捉えるか、それは自由
>ですが、意識の低いコメントをされている方におかれましては、競争に敗れて路
>頭に迷うのも自己責任の結果だと淡々と受け止めて、公的職場から去っていただ
>きたいと思っています。今、世界中で行われている競争は決して甘いものではあ
>りませんので。

いやー、人間はここまで家畜化されうるのですねえ(笑)。それで自分が「意識が高い」と思っている。奴隷として高いことは認めますが。

>民主主義とは少数に対して考慮することは求められますが、少数の意見を反映さ
>せる必要はありません。どちらが多数派を形作るのか、議論とはそういうもので
>す。

それ「多数派の専制」っていうんですけどね。
考慮はするが反映させない?全く反映してなければ考慮したことになるかいな。


投稿: Executor | 2011年12月18日 (日) 01時17分

多分この人は民主主義の過程を市場競争における淘汰過程と同一視してるんですね。
まさにビジネス論理そのもの。


投稿: Executor | 2011年12月18日 (日) 01時32分

野次馬さんのマネジメントに問題があるというご意見は、そのとおりですね。
マネジメントが叫ばれて久しく、またそのために選挙もしているのですが。
政治が利権化しているために公正な行政のための職員の身分保証が本来の機能を果たさず癒着を生じさせている、という見立てはちらほら見かけますが、目の前にはまさしくその光景があります。

かもめのじょなさん

過分なお言葉をいただき恐縮します。この場をお借りして御礼を申し上げます。
かなりコメントもたまってきているので目にとまればいいのですが。

比喩って上手に使えば格調が高くなるのですが、それを理解し使うほどの教養を残念ながら持ち合わせておりません。
ある論点について、その均衡の程度を考察する場合に近縁の事例を引用するのなら論点がぶれずに分りやすいのですが。
今回の例は、思考プロセスとしては、それもアリなのでしょうが、直感的に目盛の大きさが違いすぎるように思えたからです。
身体の自由の制約と厚遇の程度については、それでも法益が同じものなのかしっくりきませんが。

ツッコミとしても挑発的であったことは否めません。OTSUさんをはじめ皆様にはお詫び申し上げます。

投稿: L | 2011年12月18日 (日) 09時29分

おはようございます。
すごいコメント量に(w'◇'wビックリ)

>「多数派の専制」

いま大阪でおこなわれているのはまさしくこれ。上手い表現です。

大阪市長選の結果判明直後の大阪市職員へのインタビューで、橋下氏への批判的?なコメントをした職員に対して、反省文を書かせたという報道がありました。


橋下新市長:批判的職員に反省文書かせ、市は「忠誠」通達
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111216k0000e010200000c.html

(以下引用)

>橋下氏が圧勝した市長選を受けて、テレビの取材に応じた市職員が「民意という単語が僕の(認識)とは違う」「向こうが言っている二重行政が分からない」とコメント。これが11月28日以降、繰り返し放映された。

 映像を見た橋下氏は「『民意』とは公務員の身分で言うべきことではない。日本の民主主義がだめなのは、公務員に選挙がバカにされているからだ」と不快感をあらわにした。今月5日にはコメントした職員に発言の真意をただすよう、総務局長に指示。更に市として民意や政治への対応方針を出すよう求めた。

(引用終わり)


まだ大阪市長に就任してないのになんで指示できんねん、というそもそものツッコミもあれですが、橋下氏と大阪維新の会は、府知事候補として擁立しようとした元経済産業省官僚の古賀茂明氏を、府市統合本部顧問に就任させる予定のようですが・・・


えーと、民意を反映して成立している現政権に対してさんざん批判発言をしていた人(しかも在職中)を起用することの整合性って、なーに?
自家撞着って、いうのかな。


これについてのhamacan先生のコメントが秀逸↓
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-99fc.html#comment-87293951

(以下引用)

>国の政府に忠誠を尽くすどころか、状況をわきまえないかなり陋劣な批判を繰り広げた古賀氏を、一時は自分の後任の府知事候補にしようとまでしておいて、それよりも遥かにおとなしい批判をぼそっとつぶやいた人間には、ここまで徹底的にシバキあげる、この矛盾を何ら矛盾と感じない精神の頑丈さがなければ、カイカクハなんてやばい稼業はやってられないのかも知れません。
いや、問題はやはりマスコミ人の感覚ですが。

(引用終わり)

大阪は、ええ人選びはったなぁぁぁ

投稿: 地方の公務員 | 2011年12月18日 (日) 09時53分

>若いころにサラリーマンの平日に自由時間は無いと叩き込まれた・・・

叩き込まれたら私も拒否反応を起こす方ですが、お役所との仕事につきものの年度末に限らず繁忙期はあり、労働基準法違反では?と思いつつもやっていましたね。
そのような風土が過労死を招いたことは事実でしょう。
しかし、仕事を能動的に回すための知的能力を高めるために、自由な休日もなにがしかの関連書を読んだり、視察に出かけたりすることは苦になりませんでした。
業務に関心があれば趣味をやりながら飯が食える的なところもあり、そんな時期があるっていうのは日本人の共通認識ではないでしょうか?
公務員の試験対策も同じようなものでしょ?

その職場にしがみついているのなら社畜と誹られても仕方がないかもしれません。


>それ「多数派の専制」っていうんですけどね。
考慮はするが反映させない?全く反映してなければ考慮したことになるかいな。

自治体の現状がこれを胸を張って言えるかどうか。
先ほどのコメントとまとめればよかったのですが、連続した投稿になり申し訳ありません。

投稿: L | 2011年12月18日 (日) 10時03分

>L さん

Lさんのご指摘で、住民からの要望等々に対して行政が対応できているのかどうか、また、なぜ対応できないのか、行政と住民間との真摯な対話が、まだまだ足りないと思いました。そのことについては私も反省点が多々あります。がんばっていきたいと思っていますので、これからもいろいろご指摘ください。

投稿: 地方の公務員 | 2011年12月18日 (日) 10時04分

「評価する事は不要」との論旨は全て却下し否定する。そんな馬鹿な事を考えている者とも話す気はない。時間の無駄だ。

新入社員が「私が社長をやりたい」と言った時に、これを認めるか認めないかの基準が無い組織など世界中存在しない。

まあ多くの者が「年齢」或いは「雇用期間」といった「人事評価基準」の組織に働いているのであろうが、こんな簡単な理屈を何時になったら理解できるのかね?
それとも真正面から議論する気など無いんじゃ無いのかね?

「相手の否定」や「評価の弊害」ばかりを論っているが、では一体「何を基準に評価をすべき」と考えているのかね。それが建設的議論というものだ。

野次馬さんの意見は拝聴するに留めましょう。

投稿: あまのじゃく | 2011年12月18日 (日) 10時48分

>地方の公務員さん

>発言の真意をただすよう、総務局長に指示。更に市として民意や政治への対応方針を出すよう求めた。

別に反省文を「書かせた」わけやあれへんやないですか。
印象操作?
ま、主観に入り込んだら、そういう表現になるか。。私も、気をつけないと。。


>民意を反映して成立している現政権に対してさんざん批判発言をしていた人(しかも在職中)を起用することの整合性

およそ行政機能を麻痺させてた現政権のケースと同列に論じられる感覚がすごいですね!
それに、成立時は民意が反映されたんかもしれんけど、ちょっとしたら、すぐに民意離れましたね。民意を無視して選挙で民意を問うことなく生き続けた政権。それが民主党政権。
維新の状況とは全く別次元。お分かりになっていると思いますが、その比較は論外でしょう。

ほんで、古賀氏は、辞めてるんでしょ。そんだけの覚悟持ってしゃべってはったわけですね。組織統制の観点から官僚の地位に止まるべきではない、という判断もあったんでしょう。一連の行動は、組織をよく理解したものですね。
大阪市のクダンの公務員は、地位や厚遇は保持しつつ文句だけ言うっていう、品格のなさが際立ちますね。

投稿: かもめのじょな | 2011年12月18日 (日) 11時32分

なんで成果主義が難しいのかは、ジョブ型雇用(欧米型)かメンバーシップ型(日本)か、の違いも踏まえないといけません。

hamacan先生のブログ↓
(「不機嫌な職場」の不均等な職務構造)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-720d.html


論文↓
「どのような社会をめざすのか~ヨーロッパと日本」(上)
http://homepage3.nifty.com/hamachan/roujun1107.html
同(下)
http://homepage3.nifty.com/hamachan/roujun1108.html


詳しくは「新しい労働社会―雇用システムの再構築へ 」(岩波新書)にあります。

投稿: 地方の公務員 | 2011年12月18日 (日) 11時36分

>かもめのじょな さん

選挙結果という民意を受けて現政権は成立しているのですから、いっしょです。
法に定めた適正な手続きに基づき成立しています。

ええ、たしかに世論調査結果とは違うようですが。でも最近まで内閣支持率50%超えてましたな。

世論は支持していない、というならば、世論調査結果で職員の発言の正否を問われることになりますね?
で、古賀氏はなんでいいの?もし政権の支持率が50%超になったら?っていいたい。

選挙という、成立時の民意を反映するシステムで成り立っている政権に反抗した発言を繰り返した古賀氏。

橋下理論からすれば、辞めてから発言すべき、でしょうな。


今回の大阪市職員の発言はマスコミのインタビューに率直に答えただけで政治活動でもなんでもないけど、橋下バンザイならよくて、橋下反対ならダメなの?
発言時って、平松市長の在任中なんだけどね、まだ。

「ご都合主義」は橋下氏の特徴やからしゃーないけど。

投稿: 地方の公務員 | 2011年12月18日 (日) 12時06分

地方の公務員 様

過分な御言葉をいただき恐縮します。
要望にも権限のないものや理不尽なものまでいろいろとあろうかと思います。しかし、法令違反だけは立憲主義に反し納得できません。
事業化せずとも効果を予定した行政法がありますが、地味なのか真に粗末に扱われています。

経験上についてはこれまでに記したとおりです。
今も質疑応答中ですが規制監督の欠如や行政による法令違反などに対して合理的は反証は得られず、突き詰めれば裁判しかないのでしょう。
論点が簡単すぎるので本人訴訟でも勝てるかもと想像しています。それよりも政治問題化して欲しいのですが。

地方の公務員さんのような方が上層部に任命される風土であることを願います。トップが権力欲しかなければ合理的な要望もクレームですから。
ぜひ、法令遵守を徹底した組織風土を作ってください。(服務規程の厳格な運用も)

橋下さんについては色々と目障りかもしれませんが、個人的にその指摘するものについては賛同するものが多いので、しこりなく役所内の合意を形成した上で結果を残してもらいたいものです。
成長して聞く耳も持っているのではないでしょうか?(それでもSP必要でしょう)
彼が成功すればお上だよりの地方自治の潮目が変わるかもしれませんし、その延長として国政にくら替えすればやっと先進国並の代議士選出になるのではないでしょうか。
大阪の方々には是非彼を育てていただきたいと思います。
福岡市が神戸市の真似っこの施策をしながらも成長したという印象ですが、そのようなフォロワーが現れるような実績を期待しています。

いつも服務規程を訴えているので地方公務員法第三十二条を確認すると職務命令は法令に違反していないことが前提と読んで良いですね?
違反した命令に異をとなえるために公正委員会などがあるというのが実務上の理解でよろしいのでしょうか。
橋下さんは府知事の当初も職員と公開討論を行いました。選挙直後にその結果を否定するのは橋下さんでなくても違和感を持つでしょう。

何か良い制度はないものですかね。
まだ読み込んでいませんがヨーロッパの制度についても色々とブログがあるようです。
「北欧モデルは日本に適当なのか」
http://maishuhyouron.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-c2c8.html

投稿: L | 2011年12月18日 (日) 12時39分

Executorさん、Lさん、地方の公務員さん、あまのじゃくさん、かもめのじょなさん、コメントありがとうございました。

先ほど新規記事を投稿しました。たいへん恐縮ながら、このコメント欄で提起されていた課題すべてを網羅できず、抽象的な内容にとどまっていますが、ぜひ、またご覧いただければ幸いです。なお、積み残した課題などは次回以降、触れていくよう努めていきます。

投稿: OTSU | 2011年12月18日 (日) 17時11分

Executorさん
>>若いころにサラリーマンの平日に自由時間は無いと叩き込まれた・・・
>いやー、人間はここまで家畜化されうるのですねえ(笑)。
別に今の所属にしがみ付いている訳でもありませんから、貴方の主張はまるっきり的外れですねえ。自分の価値を高めるから職の選択の幅も広がるし、それゆえに労働者としての評価(報酬)も上がるのだと理解していますが。
意識を高く保てず他社に移れるほどの価値もなく、権利を主張して現職に留まる方がよっぽど飼われている存在のような気がしますよ。
>>民主主義とは少数に対して考慮することは求められますが、少数の意見を反映さ
>>せる必要はありません。
>それ「多数派の専制」っていうんですけどね。
日本人の特性として、少数意見も考慮してみせなかえれば多数派を形作ることは出来ません。即ち少数派の言い分にも歩み寄ったものにまとまるものなのですよ。そんなことも理解できませんかねえ。意識の低い人は、考えることが少なくて楽で良いなあ(笑)

投稿: 名無し | 2011年12月18日 (日) 18時51分

Lさん
>>若いころにサラリーマンの平日に自由時間は無いと叩き込まれた・・・
>仕事を能動的に回すための知的能力を高めるために、自由な休日もなにがしかの関連書を読んだり、視察に出かけたりすることは苦になりませんでした。
>そんな時期があるっていうのは日本人の共通認識ではないでしょうか?
日本人の特性として、そうあるべきと私も思います。
先日の主張は単純で、職とは「その業務に必要な全ての準備を終わらせて望むべきもの」との一言だけなんですね。それが報酬を頂く上で最低限保持すべき労働者の価値ではないでしょうか。
それに比して「業務の仕方が判らない」とか「業務の目的すら判らない」と惚けてみせる輩が多く見えるのが公務職場で、それだけでも呆れるのに揚句は「教え方が悪い」とか「目的の設定が馴染まない」とかまで言ってくる始末ですから、それを煽り正当化する2割程度の職員を入れ替えなければ何も始まりませんと思ってしまうのですよ。
公務員って何の呼称と考えると、一部の人は身分と答えますが、私は職と答えます。職である以上、職員は「その職(業務)に必要な全ての準備を終わらせて望むべきもの」という意見にどうしても辿り着きます。
でも、ここで聞く多くの公務員擁護派は、少なくとも職の呼称として公務員を語っては居ないようですね。やはり身分なのでしょうか。

投稿: 名無し | 2011年12月18日 (日) 18時52分

そうそう身の回りの”衣食住”に個人的に遊を加えて”衣食住遊”で”MadeInJapan”な製品がどれくらい残っているのか、身の回りのショッピングセンターで良いですから実際に見てきてください。想像以上に日本製は少ないですから。品質が良いと謳っている商品もせいぜい”AssembledInJapan”です。それすらも少なくなり最近の流行は”国内検品”だったりしています(苦笑)
それに加えて、ようやく見つけた”MadeInJapan”な製品も、”衣食住遊”のカテゴリーでみれば生活に必要な順位が低い製品が多いことにも気が付いて欲しいところです。つまり顧客の収入が減れば一番先に削られるカテゴリーということです。
そう遠くないうちに日本も1000兆円の借金により首が回らなくなります。そうなれば日本人の職も相当数失われて、今は先進国のなかで低い失業率を保てていますが、それが崩壊することは確実だと見ています。
そうなったときに「その業務に必要な全ての準備を終わらせて望む」ことすら出来ない者に職が残るのか。私は残らないだろうと見ています。日本という国で日本人全員の面倒を見るだけの国力が無くなるのもそう遠くないのかも知れないとすら思います。
そうなる前に公務職場を立て直す改革が終わっていることが望ましいのです。それが橋下さんを初めとする維新の会に期待する理由ですね。

投稿: 名無し | 2011年12月18日 (日) 19時11分

名無し 様

>先日の主張は単純で、職とは「その業務に必要な全ての準備を終わらせて望むべきもの」との一言だけなんですね。それが報酬を頂く上で最低限保持すべき労働者の価値ではないでしょうか

最近は段取り八分、仕上げは二分、という言葉を聞かなくなりましたが、段取りできないほど複雑化、スピード化か進んだのでしょうか?
私がこちらで取り上げている件に関してはお役所仕事は行き当りばったりですね。
最寄りの警察などは若いのはしっかりしてきました。対応も早いし説明もできます。役所も若いうちは緊張感があるのですが、特に役所は30代になれば権限もないし、仕事は理不尽だしで目が死んでいます。上がアホだと下の成長機会を奪い腐らせると先日もコメントしましたが、言い逃れで済ませているうちに勉強すること自体に意味がなくなり「身分」に甘んじるのでしょう。こちらの新しい記事に対する私のコメントでもあります。
公務員は一代限りですが正しく身分です。中身はなくともお代官様なのです。逆らう輩は手討ちにされます。嫌がらせで地区ごと干しかねません。

県庁レベルは書類の量は多いです。職人ぽい人も居たかな?事業系はほとんど外部委託ですがチェックは結構シビアです。
出先や外郭は暇そうでしたがやたらと人が居ます。ただピークは過ぎたでしょう。

バラマキ政策のおかげで今のペースで行くと公的負債の危険ゾーンはあと数年という見立てもありますね。日本のCDSにはどのくらいの資金が動くのでしょう?
ガバナンスの立て直しのために橋下さんには期待しているのですが、はたして間に合うか?
教育も横並びの解消を目指していますしね。日本の教育環境ではベンチャーは育ちません。
国がこけても企業がしっかりしていればなんとかなるでしょ。アップルが時価総額No1の時代ですから生活必需品にはこだわらなくてもいいんじゃないでしょうか。
ゴミ回収は有料、自治労がデモをやっているかもしれません。
自治労は抗議として大量のFAXを送りつける組織的体質がありますから結構陰湿です。

投稿: L | 2011年12月18日 (日) 23時14分

>地方の公務員さん
>橋下理論からすれば、辞めてから発言すべき、でしょうな。

違いますな。
橋下批判?をした公務員が自ら辞職するのなら、橋下は何ら批判しなかったはず。
それに、そもそも問題は「批判」ではないですね。選挙結果を軽んじると受け止められても仕方のない発言。公務員がそんな発言をしたことを問題としたわけですよ。

どうしたって、橋下が反対派を葬り去るの図を作り上げたいみたいですね。

別に橋下なんざ支持するつもりもあれへんけど、視点が偏り過ぎ。色づけせんと、中立的な立場からの批判の方がよっぽど効き目ありますよ?
はっきり言って、一番腹立たしいのは、橋下反対の側が余りに説得性のないトコ。もうちょい、しっかりしなはれや。

投稿: かもめのじょな | 2011年12月21日 (水) 01時33分

>>管理人さん
書き込みは、随分とご無沙汰です。
こちらのブログも、なんとも大変な状況ですね。

>>野次馬さん
簡潔かつ要旨を押さえたとても読みやすい文章に感嘆しています。
私も見習わねば。

投稿: 元民間 | 2011年12月21日 (水) 13時00分

>元民間さん
 ありがとうございます。そんな風に言って頂くと照れちゃいます^^;

 何回かコメントを出させて頂く中で、何事であれ、人それぞれに色々な意見があるのだということを、あらためて実感しています。また、意見の違う者同士がお互いに折り合いをつけるということは、なかなか難しいものなのだ、ということも感じています。

 そんな中で、コメント欄の流れを読み返してみて思うのは、公務員としてコメントを出されている人たちの方が、対立的な意見にも、一応、耳を傾けようという姿勢があるように見受けられること。
 大阪での維新の会の躍進ということも背景にあるのかも知れませんが、アンチ公務員の人たちが、詰問調で公務員に回答を求めたり、辛らつな言葉で糾弾する様子は、傍で見ていると違和感を覚えます。
 極端に言えば、この場で公務員をやり込めたって、現実に何が変わるワケでもないし、言い方は悪いですが、「公務員ピンチ! メシウマ~!」というレベルの話にしかならないように思います。

 いずれにしても、このブログは、OTSUさんのご配慮のおかげもあり、記事本文はもちろんですが、とりわけコメント欄が読んでいて面白いと感じています。
 議論は議論として、考え方が相反するコメントについても、「なるほど、そういう考え方もあるのね」と思える気持ちの余裕を持ちたいと思います。

投稿: 野次馬 | 2011年12月21日 (水) 22時27分

対立する立場の考えを正面から受けたくない気持ちも判りますが、先の選挙の結果を受けてこの国が変わり始めているのは確実ですよ。今日の橋下市長と石原知事の会談で出た言葉からも、改革の進行が想像より早まるのではと思ってすらいます。
今、この時をどういう意識を持って過ごすのか、ここ1~2年位が恐らく個々にとっても相当重要な期間になると思いますね。
それを理解できずに、今起きていることを「公務員ピンチ! メシウマ~!」というレベルの批判としか解釈できない方は、痛々しいと思うし、すごく勿体ない時間を過ごしていると思いますね。
意識の低い人は考えることが少なくて楽で良いなあ(笑)

投稿: 名無し | 2011年12月21日 (水) 23時28分

>名無しさん
 言い方は悪いですが、と書いたところで、やっぱりお叱りを受けましたので、一応、補足しておきます。
 現状の厳しさは、現実に給与カットが行われる事態にも直面している公務員が一番、感じているのではないかと私は思っています。
 大阪の維新の会の躍進について、私は、興味を持って事の成り行きを見守ってゆきたいと思っています。ただ、大阪で見られるような劇的な動きが全国的なものになってゆくのか、という点については、懐疑的でいます。
 そもそものところ、大阪においても、財政支出全体の中での人件費の検証や、服務規律の徹底などはともかくとして、どの程度まで職員待遇の切り下げに踏み込むのか、という点については、最終的には、あまり極端なところへは向かわないのではないかと私は予想しています。

 それはともかく、主旨としては、このコメント欄の場で公務員に対してキツイ言い方をしても、現実の行政の場に反映されるわけではないし、せっかく、色々な方が読まれているブログのコメント欄でのことでもあるので、もうちょっと、現役公務員の皆さんなどからも色んな意見を出してもらいやすいように、自分の考えに反する意見でも、とりあえずはちゃんと聞きますよ、という気持ちの余裕を持てるといいですね、ということです。
 まあ、これはあくまでも、私が勝手にこのコメント欄に望んでいるあり方ですけれど^^;

 蛇足ですが、一部のフレーズのみを取り上げて、意識の低い人は・・・と切り捨てるような人格攻撃に走ってしまうと、そこで意見交換も終わってしまって、もったいないのではないかと思いますm(__)m

投稿: 野次馬 | 2011年12月22日 (木) 00時48分

>公務員としてコメントを出されている人たちの方が、対立的な意見にも、一応、耳を傾けようという姿勢があるように見受けられること。
...アンチ公務員の人たちが、詰問調で公務員に回答を求めたり、辛らつな言葉で糾弾する様子は、傍で見ていると違和感を覚えます。


役所での日常的な風景ですね。


>極端に言えば、この場で公務員をやり込めたって、現実に何が変わるワケでもないし、

是々非々でやれば責任の所在は明確になります。個人的に同じ過ちを犯すような職員は体制に甘えて反省がありません。
個々に潰していくのがOTSUさんのいう真摯な態度だと思います。
できなければトップを変えるのみ。

投稿: L | 2011年12月22日 (木) 05時44分

野次馬さん
あなた自身も「言い方は悪い」と断りを付けておられましたが、相手の言葉を「公務員ピンチ! メシウマ~!」と同じレベルだと置き換える行為こそが「人格攻撃」というのですよ。そんなことにすら、あなたは気が付けませんか?
そして、その程度の意識しか持てないあたなに対して「意識の低い人は・・」と指摘する行為は「事実を教示する」というのです。
元より大阪市長選の一連の記事の中で、人格攻撃をしているのは実は公務員擁護派の方ですよ。政策に対し具体的な反論も出来ずに「独裁」「ハシズム」と今も批判し続けているし、揚句は「ブラック企業礼賛」だと言ってのけているではないですか。
ほんと意識の低い人は考えることが少なくて楽で良いなあ(笑)

投稿: 名無し | 2011年12月22日 (木) 18時13分

>名無しさん
 コメントありがとうございます。
 問題は、まさに名無しさんの感じられたところにあるのではないかと思っています。
 先のコメント全体を冷静に読んで頂ければ、くだんのフレーズは、特定の方に向けて書いたわけではなく、自分の言いたいことだけを言って、公務員の意見に耳を傾けないことで、たどり着いてしまう状況を書いたものということは理解して頂けるのではないかと思いますが、それでも、やっぱり、そういうフレーズがパッと目に付けば、馬鹿にされたと思うのは人情だと思います。
 くだんのフレーズは分かりやすい毒のある表現で恐縮でしたが、同じように、ここを読んでおられる公務員のみなさんも、公務員批判のコメントに込められた毒を感じ取っているであろうということは想像できることだと思います。
 それに対する反撃的な反応を示されているのが地方の公務員さんなどで。
 でも、実際に、もっと多くの公務員の方がこのブログを読んでいると思われるにも関わらず、公務員批判のコメントに対する反応が、当の公務員からほとんど出てこないのは、何か言い返しても、また毒を含んだ攻撃をされると思ってしまうから、という理由もあるのではないでしょうか。

 OTSUさんも言われているように、この場でのコメントのやり取りは、誰かの流儀に従わなければならないということはないと考えていますが、願わくば、せっかく多くの公務員がこのブログやコメント欄を読んでいるとすれば、もっと公務員の生の意見が聴ける場であって欲しいと思っています。
 そして、名無しさんをはじめ、優れて良識をお持ちの諸兄であれば、このコメント欄の流れを、そういう方向へ引っ張って頂くこともできるものと、私は期待していると申し上げておきます。

投稿: 野次馬 | 2011年12月22日 (木) 19時17分

名無しさん、Lさん、かもめのじょなさん、元民間さん、野次馬さん、コメントありがとうございました。

直接的な問いかけがなかったため、こちらのコメント欄ではロムに専念させていただいていました。直前の野次馬さんのコメントのとおり私自身も、もっと幅広い声が伺えればと思っています。もちろん精力的にコメントされている方々のご意見やご指摘も貴重であり、引き続き気軽にお寄せいただけることを願っています。

その上で、たいへん欲張りな望みとなりますが、さらに一人でも多くの方からコメントを頂戴できる場でありたいものと思っています。そのためには以前から申し上げているとおり多様な視点や考え方を認め合った意見交換が重要であるものと考えています。ご自身の考え方と異なる意見に対して批判や詰問をされるよりも、「私はこのように思う」という持論の正しさを説明することに重きを置いていただければ幸いです。ぜひ、このような点について、ご理解ご協力くださるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2011年12月22日 (木) 21時19分

野次馬さん
>くだんのフレーズは分かりやすい毒のある表現で恐縮でしたが、同じように、ここを読んでおられる公務員のみなさんも、公務員批判のコメントに込められた毒を感じ取っているであろうということは想像できることだと思います。
私の方も、下種なフレーズさえも、さも物知り顔で上引用のように置き換えようとする行為を指摘していたつもりでしたけどね。どう言い回してみたところで、貴方が批判した先にあなた自身の行為があったことも疑いないことでしょう。上手に煙に巻かれたようですがね。
その姿勢で何を期待しようとしているのか。呆れています。

投稿: 名無し | 2011年12月22日 (木) 23時38分

>>野次馬さん
私など、あなたのおっしゃるとおりです。
現状では、ロムすら躊躇する感じです。

>>名無しさん
あなたへの直接的なコメントは書くつもりはありませんでしたが、連続して目に余るものがありましたので今回は記しておきます。
あなたが書いた直前及びその前のコメントでの最終行の下りは、あなたのすべてのコメントの価値を貶めるに値するものです。
それだけ申し添えておきます。

投稿: 元民間 | 2011年12月22日 (木) 23時56分

失礼、私の書き込む直前に名無しさんの新たなコメントがありましたが、これは私の書き込みとはつながりがありませんのであしからず。

投稿: 元民間 | 2011年12月22日 (木) 23時59分

名無しさん、元民間さん、おはようございます。コメントありがとうございました。

自分自身の主張を多くの方々から賛同を得たいと考えた場合、挑発的な表現や不愉快にさせるような言葉は慎むほうが賢明だろうと思っています。したがって、いつも野次馬さんのコメント内容には大きくうなづきながら、管理人の立場から非常に感謝していました。

一方で、このコメント欄には細かい制約を設けず、多様な意見を気軽に投稿いただけることを望んでいました。つまり感じられたことを率直に書き込む自由もあり、本音が披露し合える場であることの意義も感じ取っています。

上記2点の話は相反する側面もありますが、折り合いを付けながら率直な思いを書き込むことも、それほど難しくないはずです。とは言え、このような心構えについても、あくまでもお願いであり、ご協力いただけない方々を「出入り禁止」とするような場でもありません。以上のような点について、ぜひ、改めてご理解ご協力をよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2011年12月23日 (金) 08時01分

名無し 様

ここでエネルギーを使うよりリアルな現場へ要求なり不服審査なり文書で回答を求めれば証拠として蓄積されますよ。
簡単な法令違反以外はなかなか思い通りにはいきませんが、その簡単な法令違反でも程度が単なるミスでは済まされないものだったり、件数が多ければ当局も無視はできないでしょう。
何度も書きますが原則的に地方自治体をチェックできるのは議会だけなのですがここが無責任で形骸化しています。ただ国政と違って住民が追求できます。
後世に良いものを残すためにも証拠を積み上げ揺さぶりましょう。

OTSU様
前横浜市長 中田宏氏著「政治家の殺し方」をお読みになられたでしょうか?
該当する組合HPの充実具合から同志も多数いらっしゃるかと存じます。大阪よりは信ぴょう性の判断がつくと推察します。

また次の主張について。

>公務員試験に合格した時点で、その能力が認めれた制度設計であると言えます。

採用試験では実際の運用能力まで測ることはできないわけですが、その後この運用能力がないことが判明すれば分限されることとなります。
OTSUさんは能力に重きを置かれているので、明らかに職能要件に達していなければ降格は当然に認めるべきです。

投稿: L | 2011年12月23日 (金) 09時47分

Lさん、コメントありがとうございました。

手前味噌で恐縮ですが、この場での発言がまったく無益なものとは考えていません。最新記事の冒頭に綴ったように自治労本部の関係者も大勢閲覧されています。私自身も含め、公務員やその組合に対する批判意見も含め、率直な幅広い声に触れることで様々な思いを巡らす機会になっているはずです。

その際、心に染み透る意見なのか、右から左に抜けていく意見なのか、閲覧者側の受けとめ方や評価は分かれていくものと思っています。さらに当ブログのコメント欄に寄せられた意見が非常に優れたものだったとしても、ただちに現実の場面が劇的に変わるような構図は到底あり得ません。

いずれにしても過剰な期待は禁物ですが、それなりの有益さがあることも確かです。このような等身大の現状を踏まえていただき、そこそこのエネルギーでお付き合いくだされば、よろしいのではないでしょうか。付け加えれば、どのような言葉を駆使すれば、異なる立場の方々から賛同を得られるのか、その点についてエネルギーを使う必要性を認識しているところです。

『政治家の殺し方』は関心を持っていた著書でしたので、先ほど書店で購入しました。まだ「はじめに」しか目を通していませんが、多面的な情報の一つとして興味深く読み進めてみるつもりです。

最後に、引用された記事本文「公務員試験に合格した時点で、その能力が認めれた制度設計であると言えます」の中で、脱字を見つけました。推敲を重ねていますが、恥ずかしながら今回、このコメント欄で初めて気が付きました。たいへん恐縮ですが、「その能力が認められた」と正しく、最新記事本文の文章は改めさせていただいています。

投稿: OTSU | 2011年12月23日 (金) 20時15分

戦後の日本の繁栄に公務員は貢献したと認めてもらえないのだろうか、今の日本に公務員は不必要なのか、たんなる給与の差だけで公務員を批判しているのであれば、簡単な話し、給与を下げればいと思います。それで事が済むことであれば。

投稿: yu | 2011年12月24日 (土) 00時47分

yuさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

直接的な正解に繋がらないのかも知れませんが、最新記事の中で「答え」を模索しています。どのような制度改革を果たしたとしても、公務員と非公務員の方々との「信頼関係」が築けなければ、また新たな批判が生まれてくる懸念を持っています。それでは、まず何をするのか、どのように進めるのか、いろいろ難しい問題だと思っています。

投稿: OTSU | 2011年12月24日 (土) 07時21分

>戦後の日本の繁栄に公務員は貢献したと認めてもらえないのだろうか

戦後の日本の繁栄と言える時期は昭和まででしょうか?
右肩上がりの成長が止まったとたん、その処遇に苦慮しています。
過去の功績より次世代を見据えた行動を起こさなければジリ貧です。

投稿: L | 2011年12月24日 (土) 09時33分

ここで起こっている批判を虚心坦懐に見た方が良い。そして公務員組織の何が問題になっているのかを自らが学ぶべきでしょう。

仮に「嫉妬の為に批判しているだけだ」とか「公務員は何かと叩かれやすいものだ」とか「自分達は被害者だ」といった思いでこの批判を見ているならば、永遠に批判はおさまらないばかりか、徹底的に叩かれて縮小解体されるだろう。
一部の人事評価法の欠点を理由に評価自体を否定したのでは、OTSUさんの言う信頼関係など絶対に得られないだろう。

戦後の復興は「公務員を初めとする」日本人全員が奮闘した結果である。今の公務員批判とは関係はない。
又、残念ながら単純に給与などの話でもない。

「公」を担うという特殊性から閉鎖的特殊慣行があるのは致し方無いが、それが今の実態にそぐわなくなっている。そぐわないだけでなく、その価値観が日本を歪なものにしている。この事自体は公務員の責任ではありません。

それどころか先進国の価値観や制度が実態に合わなくなっている。少子化や通貨危機などはその「あらわれ」でしょう。

だから「今の公務員の組織論理はもう通用しないよ」という政治家が脚光を浴びている。阿久根市、名古屋市、大阪市、実は長野県の田中知事がその手始め。

投稿: あまのじゃく | 2011年12月24日 (土) 09時46分

yu さん

以前に貴兄がされたコメントを読ませていただきました。

>公務員制度がある以上、どんなに議論しても、民との溝は永遠に埋まらないと思っている、互いに経験しない以上。互いを認め合う気持ちがない限り。公務員を批判される方で、公務員不要論であれば対案はすべて民でいいのだろうか。
ただ、現在地方での官民格差は是正の必要があると考えている。


個人的な経験で申し上げれば、公共事業を担当しておりましたので具体的な事務作業まで存じております。また自治体レベルなら予算書も目を通し、また行政行為についての質問を通じてどのような作業が行われているか、ほぼ察することができます。また、職員の思考に作用するトップの人格、及び役所と住民の同窓関係なども最近は知るところとなりました。

諸々に関してその背景にも通じた上での批判であることをご理解ください。
公務員が不要というより、職能要件を満たさない不要な公務員が多いという見解です。職員にはしがらみより一般的な信義則を優先するのが開かれた「おおやけ」というものだと考えます。

給与改定や互いを経験するという視点をお持ちなので、柔軟な人事管理には賛同していただけるものと存じます。

投稿: L | 2011年12月24日 (土) 10時30分

Lさん、あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

先ほど新規記事を投稿しました。その本文の中でも釈明させていただきましたが、このような議論の流れ自体は大切にしていきたいものと思っています。ぜひ、今後ともよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2011年12月24日 (土) 21時30分

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