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2011年12月24日 (土)

2011年末、今、思うこと

月曜の昼休み、北朝鮮の金正日総書記死亡のニュースに接しました。社会主義国家でありながら世襲が続き、核開発などを切り札とした瀬戸際外交を得意とした国の最高権力者死亡のニュースは驚きをもって世界中を駆け巡ったようです。その日の夜、前回記事(再び、公務員批判への「答え」は?)の議論の流れからそれた内容で恐縮しながらも、次のような一言をコメント欄でツイートさせていただきました。

昼休みに知ったビッグニュースには驚きましたが、橋下新市長の初登庁した話題が霞むこととなりました。自らコメント欄の流れを外し、誠に恐縮ながら「独裁者」を失った国が民主化に向かい、拉致や核問題などが解決していける分岐点になれるよう切望しています。

かなり前に「拉致問題を考える」という記事を投稿していました。なぜ、そのようなテーマを取り上げたのか、疑問に思われる方々もいらっしゃるはずです。実は直前に連合地区協議会が特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さんを講師にお招きし、そのタイトルの学習会を開いていたからでした。とは言え、そもそも連合が拉致問題の学習会を催すこと自体、驚きの対象となるのかも知れません。

学習会の中で荒木さんも訴えられていましたが、拉致問題は立場を超えて多くの方々に関心を示していただきたいという基本的な考え方がありました。そのような趣旨を踏まえ、地区協内の各構成組織の組合員にも広く参加を呼びかけ、200人以上が会場に足を運ばれたことを思い出しています。この頃、私自身は拉致問題に限らず、強制収容所や主体思想など北朝鮮に関する書籍を読み漁っていました。

知れば知るほど理不尽な国家体制に憤りを覚え、「避けて通れない拉致問題」という記事の中で「拉致や北朝鮮との問題は、平和や人権を重視する運動体ならば絶対避けて通れないものと思っています」と綴っていました。北朝鮮の国民が金正日総書記の死を悲しみ、号泣している映像が流されていますが、そのように演じないと罰せられるという話は極めて信憑性が高いものと思っています。

このような問題意識があったとしても、労働組合の本務は労働条件の維持向上に努めることですので、継続的に「何か」行なえてきた訳ではありません。幅広いテーマの中の一つとして、心の片隅に引っかかっていた課題だったと言えます。それでも強い関心を寄せていた国からの大きなニュースでしたので、月曜の夜、その時に思い浮かんでいた言葉をコメント欄に残させていただきました。もちろん、その思いは今も変わらず、懸案課題が好転するチャンスになって欲しいものと心から願っています。

公務員の働きぶりや成果主義について強い関心をお待ちの方々からすれば、今回の記事内容は唐突であり、違和感を抱かれているものと思います。ただ以前から常連の皆さんはご存知のとおり「ルワンダの悲しみ」や「アフガンの大地から」など公務員の課題に絡まない内容の記事も数多く投稿していました。そもそも「雑談放談」をサブタイトルに掲げているとおり当ブログは「書きたいことを書く」という自由さがあり、そのような気軽さも定期的な投稿が長続きしている理由の一つだろうと自己分析しています。

ぜひ、ご理解願いたいことは、前回記事までの議論の流れを断ち切りたいために話題を転換している訳ではありません。これからも成果主義の問題などを正面から取り上げた記事も投稿し、これまでの記事のコメント欄で直接的な問いかけがあれば、私なりの考え方を示させていただくつもりです。あくまでも今回、金正日総書記死亡に絡んだ内容に触れたかったという管理人の気まぐれに過ぎませんので、ご理解ご容赦ください。

もしかしたら「独裁者」というキーワードから、大阪市の橋下市長の話題に繋がることを予想された方がいらっしゃるかも知れません。少し前の記事(「大阪秋の陣」の結末は?)の中で綴ったとおり橋下市長の発想や手法の強引さは支持できませんが、「ハシズム」と非難されるような独裁ぶりや非常識さは強く指摘できないものと見ていました。したがって、そのような繋げ方は、あまり適切ではないため、あえて今回の記事では触れないことにしました。

ちなみに橋下市長に対して、いろいろ物申したいことはありますが、また別な機会に掘り下げられればと考えています。記事タイトルを「2011年末、今、思うこと」とした関係上、本当は八ッ場ダム建設継続の問題などには触れるつもりでした。しかしながら、このように書き進めていくと、どこまでも長い記事となりそうですので、結びの話題として東日本大震災に絡んだ一言を添え、まとめさせていただきます。

年賀状の文章を考える際、毎年、十二支にちなんだ諺を調べていました。来年は竜(辰)年ですが、十二支の中で唯一実在しない生き物でした。有名な諺には「登竜門」があり、中国の黄河上流にある流れの急な竜門を鯉が昇り切れれば、竜になれるという言い伝えでした。3月11日の東日本大震災以降、たいへんな難局が続いています。ぜひ、2012年は必ず「登竜門」を果たすことで、素晴らしい年になることを祈念しています、と自分の年賀状に記したところでした。

最後に、これから大晦日までコメント欄への投稿があった場合は逐次お答えしていくつもりですが、記事本文の更新は今夜が最後となります。この1年間、多くの皆さんに当ブログを訪れていただきました。本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。なお、次回の更新は例年通り元旦を予定しています。ぜひ、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは少し早いようですが、良いお年をお迎えください。

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2011年12月18日 (日)

再び、公務員批判への「答え」は?

右サイドバーのプロフィールに掲げているとおり当ブログは、自治労に所属している市職員労働組合の委員長という立場を明らかにしながら運営しています。しかしながら組合の公式ブログではなく、あくまでも内容に関しては一個人の責任で投稿しています。開設した大きな目的は、公務員やその組合側の言い分の発信と合わせ、私どもの組合員の皆さんに組合を身近に感じてもらうという二兎を追っていました。

そのような訳で、組合員の皆さんをはじめ、顔なじみの自治労や連合の組合役員の皆さんらにとって、このブログは匿名での投稿となっていません。したがって、少し前の記事「ブログでの発言の重さ」で記したとおり書きたいことを自由に書き込んでいるつもりですが、組織の看板を背負いながら発信している側面もありました。つまり実生活で関わりのある特定の方々が閲覧されている点も意識し、どなたに読まれても責任を持てる記述内容に心がけていました。

また、一人でも多く、幅広い立場の方々に目を通していただければと考えていますので、組合委員長の名刺に「公務員のためいき」のURLなども刷り込んでいました。そのため、初対面の方と名刺交換した際、「えっ、そのブログ、見ていますよ」と驚かれる場合が少なくありませんでした。自治労組織内の参院議員になられた江崎孝さんや法律相談で自治労顧問弁護士の方とお会いした時など、そのような言葉をいただきました。

たいへん有難く、ブログを続けていく励みとなる場面であり、同時に自治労の関係者から注目を浴びていることも実感できました。今年の夏には、自治労本部の書記長から退任の報告とその挨拶のためのお電話をいただきました。何回か直接お会いしたことがあった関係からですが、わざわざ私のところまでお電話をいただき恐縮していました。さらに「公務員のためいき、ずっと見ていますよ」と述べられ、本当に有難かったことを思い返しています。

今回の記事タイトルとは離れたエピソードのように感じられているかも知れませんが、このブログが自治労関係者の多くの方々から注目されている点を改めて紹介させていただきました。どれだけの方が継続的に、かつコメント欄まで含め、ご覧になっているのかは分かりません。それでも公務員や自治労に対する率直な意見や批判の声が、直接自治労本部に届いている可能性があることを伝えたかったため、このような話をお示ししたところでした。

私自身、コメント欄を通し、様々な立場や視点からのご意見を伺える機会は非常に貴重なことだと考えています。厳しい批判意見があることを受けとめ、日常的な活動を進められる意義は大きいものと認識しています。一方で、そのような本音の声を把握できないまま、公務や組合活動を担うのは、街路灯のない夜道を歩くようなものだと考えていました。このような意味合いからも、自治労本部の役職員の皆さんが当ブログをご覧になっているというお話は歓迎すべきことでした。

さて、前回記事「泥臭い民主主義」のコメント欄で、「この1週間のコメント欄での議論を通し、自分なりに思ったことを次回記事に託していくつもりです。ある意味で、これまで綴ってきた内容の総集編のような記事をめざせればと考えています」と記していました。少し風呂敷を広げすぎたものと反省しつつ、書き始めた途端、本論に入る前の話が長くなっていました。そのため、「総集編」という予定は変更し、以前の記事を紹介しながら論点や私自身の考え方を端的に示させていただきます。

言うまでもありませんが、今回の記事は上記の内容の続編として位置付け、安直な「再び」という言葉をタイトルに付けています。その二つの記事の中で、高すぎると批判されがちな公務員の年収や身分保障の問題に対し、その背景や制度的な側面を説明していました。しかし、そのような「答え」は厳しい目線で公務員を見られている方々を納得させ得るものではないことも受けとめ、「Part2」の中で次のような思いに繋げていました。

地域住民の皆さんから、よりいっそうの信頼を得るためには、ますます情報公開や説明責任が欠かせなくなるはずです。そして、住民の皆さんとの信頼関係を高めるため、最も重要な点は「待遇に見合った仕事ぶり」の実践とそのアピールだと考えています。地方公務員法第15条で「職員の任用は、この法律に定めるところにより、受験成績、勤務成績その他の能力の実証に基づいて行なわなければならない」とされています。つまり公務員試験に合格した時点で、その能力が認められた制度設計であると言えます。

試験に合格するまで懸命に努力し、入所してから気を抜くような職員は少ないはずです。それでも公務員というスタートラインに立つことによって、生涯「安定した待遇」が保障されることに厳しい目も注がれ始めていることを敏感に受けとめなければなりません。ただ仕事ぶりの公務員批判の声は「木を見て、森を語られる」傾向があります。数百万人の中で、一部の公務員の働きぶりを見て、公務員全体を論じられがちです。しかし、それはそれで仕方ない話であり、自分のできること、できる範囲内で頑張っていく決意を新たにしています。

今回、改めて「答え」を掘り下げていくことも考えていました。しかしながら結局は、以前の記事内容の焼き直しになるような展開も見込まれました。また、現状を追認するための「言い訳」のような言葉が並んでも、公務員批判派の皆さんの心には響かないことを今までの経験上から痛感しています。そのような中で、最適な「答え」を探していくために必要なキーワードは「信頼関係」だろうという思いを強め、結論的な箇所を上記のとおり再掲させていただきました。

「信頼関係」を築いていくためには各論や具体論を通し、まだまだ厳しい議論が待っているのだろうと思っています。その一つとして、成果主義の問題があることも間違いありません。前回記事のコメント欄では成果主義の問題を巡り、いろいろ興味深い意見が寄せられていました。今回の記事では各論に踏み込めませんが、全体的な傾向として気になった点を指摘させていただきます。今後のコメント欄での建設的な議論に向け、次のような点に留意いただけるよう願っていました。

実はコメント欄での意見対立が「公務員対非公務員」の構図に見られがちな点に少し違和感を抱いていました。公務員を擁護するような意見の方々は皆、公務員であるという見方がされがちな傾向を気にしていました。つまり成果主義を若干否定的に述べた方がいた場合、「公務員だから成果主義を否定し、現状を維持したいから」と批判される構図を懸念していました。そのような意見をお持ちの方が必ずしも公務員とは限らず、同時に公務員が発言したとしても、肝心な点は成果主義そのものの優劣を議論することだと考えています。

特に匿名同士が意見交換できる場では、誰が、どのような立場で発言したかが問題ではなく、その発言の内容の適否が評価されるべきものと思っています。「公務員対非公務員」という対立軸から離れ、一つ一つの主張や意見を読み返した場合、また違った印象を受けられる可能性もあり得るものと感じていました。付け加えれば「成果主義は万能ではない」という考え方から問題点を指摘した際、「評価は一切不要」という極端な主張だと誤解され、発言者を非難するような傾向も憂慮していました。

今回の記事では、前回記事のコメント欄で提起されていた課題すべてを網羅できず、抽象的な内容にとどまっていることをご容赦ください。その上で、今回記事の論点をまとめさせていただきますが、公務員への批判を少なくするためには「信頼関係」が重要、そのためには「何が批判され、どうすべきなのか」、あるいは「誤解による批判だった場合、どのように理解を求めれば良いのか」という相互に意思疎通できる機会が欠かせないものと考えています。

そのような意味合いからも当ブログのコメント欄は、たいへんマイナーなサイトだろうと思いますが、おかげ様で典型的な公務員批判の声を伺える貴重な場になっています。何年もブログを続けていますが、残念ながら批判派の方々との「溝」が埋まっていないことも確かです。それでも自治労本部の皆さんらも目を通す機会があるブログとして、心が折れない限り、これからも「公務員のためいき」は継続していくつもりです。

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2011年12月11日 (日)

泥臭い民主主義

国家公務員の年末一時金(期末・勤勉手当)が支給され、前年より4.1%増額されていたことがニュースとなっていました。年間の支給率は変わっていませんが、昨年はマイナス人勧分の所要の調整があったことや、平均年齢の上昇から生じた結果でした。ちなみに所要の調整とは、マイナス勧告による4月から11月までの減額相当分を一時金から差し引く手法のことでした。マイナスの賃金改定だった場合、全国の自治体でも同様に月額給料等の減額分は一時金で調整されていました。

このような事情を踏まえれば、単に「公務員ボーナス4.1%増」という新聞の見出しが適切なのかどうか少し疑問でした。確かに平均7.8%引き下げる国家公務員給与削減法案が成立していた場合、一時金の支給額は大幅に減っていました。人勧が実施されていた場合も平均年齢の上昇分を抑えながら、昨年より減額されていたという総務省の試算も発表されています。それでも「公務員は恵まれている」という社会的な雰囲気を煽るような意図をその見出しからは感じてしまいます。

大幅な減額を覚悟されていた国家公務員の皆さんにとって、正直なところ安堵された結果だったものと思います。しかし、この結果に対する責任は、国家公務員の皆さんにある訳ではなく、公務員組合側にある訳でもありません。「国家公務員給与削減へ」という記事のとおり交渉に当たった公務員連絡会として、平均7.8%削減は本当に苦汁の判断の上での合意内容でした。当該の組合員の皆さんからは組合執行部に対する厳しい突き上げや批判の声も多かったろうと思います。

それでも「労働基本権の付与と自律的労使関係制度の確立を先取りする形であり、労使交渉で決着することが不可欠であったこと」などを重視し、政府からの削減提案を公務員連絡会側は断腸の思いで受け入れていました。この労働基本権付与を前提とした交渉結果は政府と組合側との約束であり、マスコミでも報道されていた内容です。そのような約束に対し、昨日の「サタデーずばッと」の中で、自民党の代議士が「民主党と組合との間で密約があったのでは?」と発言していましたが、とんでもない事実誤認でした。

約束を履行できない民主党政権の力不足も否めませんが、組合側の重い決断や復興財源捻出に向けた背景などを踏まえれば、野党側の「人勧を実施しないのは憲法違反だ」というような反対理由も党利党略が先走っているように感じていました。さらに労働基本権を拡充すると「ますます組合が強くなり、給料が引き上げられてしまう」などという自民党幹部の発言も耳にしましたが、現実認識の乏しさを指摘せざるを得ません。

さて、記事タイトルから少し離れた内容が長くなりましたが、これから紹介する話に絡んでいく最近の事例でもあり、詳しく綴らせていただきました。前回記事「コメント欄でツイート」のコメント欄で、労働政策の研究者である濱口桂一郎さんのブログ「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」によく訪問していることをお伝えしました。その最近の記事「dongfang99さんのポピュリズム論」に強く共感し、濱口さんの「ステークホルダー民主主義とは、何よりも、空疎な正義の民主主義ではなく、生々しい利害の対立、調整、交渉、その上での合意といった泥臭い民主主義を志向するものです」という言葉が印象に残ったことを記していました。

電子辞書によれば、ステークホルダーとは「企業に対して利害関係を持つ人。社員や消費者や株主だけでなく、地域社会までを含めていう場合が多い」と書かれています。また、濱口さんのブログ記事から「dongfang99の日記」を知り、引用されていた記事(「ポピュリズム」とは何を指すのか)も改めて全文を読ませていただきました。その記事の主題部分となる箇所をそのまま抜粋させていただきますが、ぜひ、興味を持たれた方はリンク先のdongfang99さんのブログをご訪問ください。

「ポピュリズム」は、れっきとした民主主義をめぐる概念の一つである。たとえば、民主主義の考え方は、大きく二つに分けることができる。一つは、様々な利害や価値観をもった個人や集団の間の対立や話し合い妥協のプロセスであると考えるものと、もう一つは住民や国民全体が共有すると想定できる利害や価値観を可能な限り実現していくものであると考えるものである。前者における政治家の役割が、個別の理念や利害を組織化して議会において代表していくことにあるのに対して、後者における政治家は「国益」などの全体的な利害の観点から、それに反する価値観や勢力の存在を取り除いていくことが重要な役割になる。

つまり、前者における「民意」があくまで多様な価値・利害の交渉と妥協の結果であるのに対して、後者は全体としての「民意」の存在をあらかじめ前提とし、その「民意」の名の下に個別の利害や価値観を偏ったものとして否定あるいは軽視するものである。前者を「多元主義」的な民主主義、後者を「一元主義」的な民主主義と呼ぶことができるが、「ポピュリズム」は言うまでもなく後者の一元主義的な民主主義に属するものである。

濱口さんとdongfang99さんの言葉から今までモヤモヤしていた思いが少し吹っ切れていました。まさしく労働組合はステークホルダーです。ステークホルダーには既得権益を守ろうとするイメージが強く、あまり堂々とステークホルダーだと名乗れるものではありません。しかし、ある意味で泥臭い民主主義という肯定的な評価があり得ることも理解し、改めて多元主義の大切さや労働組合の存在意義について強く訴えていく必要性を感じ取っていました。

そもそも当ブログを続けている大きな目的は、多面的な情報提供の媒体の一つとなることでした。これまで「多面的な情報への思い」「再び、多面的な情報への思い」という記事を投稿していました。幅広く、様々な情報や考え方を受けとめた上で、物事を評価していくことの大切さを綴った内容でした。このような表現に対して誤解されがちですが、決して私自身の視点や当ブログの記事本文そのものが多面的というものではなく、逆に単一で、一面的だろうと思っています。

つまり公務員やその組合側の言い分というニッチな情報を発信する場としてブログを開設していました。今回記事の冒頭で綴った国家公務員給与の問題も、マスメディアから流される視点とは異なる見方だろうと思っています。きわめてマイナーな媒体ですが、このような情報にも触れることで「公務員だけボーナスがアップし、けしからん」と憤られていた方が、一人でも少しでも見方を変えていただけることを願っていました。もちろん各論の話であり、公務員の待遇や働き方に直結した問題ではありませんが、一事が万事という側面からの絡みをご理解いただければ幸いです。

続いて、一気に総論的な話となりますが、先述した労働組合の存在意義として「労働条件の問題は労使で決める」という原則があります。この原則の重要性は民間も公務員も同様であり、ないがしろにされていけば、すべて経営者目線で働く者の待遇が決められ、労働の劣化を招くものと思っています。労働力も競争にさらされて良いという主張の方々も多いようですが、以前投稿した記事「労働ダンピング」のような問題に繋がっていることも見逃せないはずです。

そろそろ、まとめさせていただきますが、一元主義的な民主主義の象徴的な存在として、大阪市の橋下市長が脚光を浴びています。果たして、橋下市長が進めようとしている「改革」はすべて正しく、無条件で受け入れていくべきものなのかどうか…、やはり多元主義的な民主主義、すなわち泥臭い民主主義による検証も欠かせないものと考えています。最後に言うまでもありませんが、ステークホルダーが自分本位の主張に終始していた場合、広範な支持が得られなくなることも心してかからなければなりません。

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2011年12月 3日 (土)

コメント欄でツイート

このブログは土曜か日曜日に週1回更新することを決めています。日常生活に過度な負担をかけず、長く続けていくための心得の一つでした。そのため、アクセス数は月曜日が最も多くなっています。ブックマークされている方々が多い証しであり、たいへん有難いことでした。さらにコメント欄が賑わっている時は、週末に向けてもアクセス数がそれほど落ちずに推移していました。コメントを投稿されている方々はもちろん、新しいコメントを楽しみに訪れる方が多いからだと受けとめています。

前回記事(競争の良し悪し)と前々回記事(「大阪秋の陣」の結末は?)に対しては同時並行で、多くのコメントをお寄せいただいていました。寄せられたコメント一つ一つ、丁寧にお答えできていませんが、すべて必ず目を通しています。その感謝の気持ちを託した私からのコメントは朝か夜、1日に1回以上投稿するように心がけています。また、コメントをいただけることによって、記事本文で言葉不足だった点を補足できる機会に繋がっています。加えて、私自身がその時に感じていた思いなどをつぶやける機会にもなっていました。

ブログを運営しながらTwitterも行なっている方が少なくありません。そのような方々の中で日々のつぶやき、いわゆるツイートしたメッセージをご自身のブログで「ツイートまとめ」とした記事を投稿しているケースも見かけています。この1週間、自分のブログのコメント欄を通し、いろいろな思いをツイートしていました。今回、「ツイートまとめ」ではありませんが、前回と前々回記事のコメント欄に投稿した内容をもとに新規記事をまとめさせていただきます。

コメント欄までお読みくださっている常連の方々にとって、目新しい記事内容とならず恐縮ですが、単なる再掲としないように努めていきます。一つの記事内容としての繋がりを持たせた言葉を加え、分かりづらかった表現などについても手直ししています。また、今回の内容を書き進めていく中で、どなたからのコメントに対するレスだったかどうかは、あまり意味がないものと考えています。そのため、コメントをお寄せくださった方々のハンドルネームは示さず、現時点での自分自身の思いを託した記事をまとめていくつもりです。

「大阪秋の陣」の結末は、投票終了の午後8時に当確が出るような「大阪維新の会」両候補の圧勝でした。さっそく橋下前知事は記者会見で「政治に足を踏み込み過ぎたと思っている職員は潔く自主退職していただきたい」と大阪市職員の組合側に強いプレッシャーを与えていました。公務員組合と政治との関係性は以前の記事「地公法第36条と政治活動」のとおりの考え方を持っています。今回の選挙直後、公務員組合が政治活動に関わることを強く批判されている方からは「今のうちに政治を口にして個人や政党の支持をしたり推薦したりするのは封印すべき」というコメントをいただいていました。

対岸の火事とは、まったく思っていませんが、私からは「今回の結果を受けて極端に掌を返すようなことは考えていません。ただ今まで以上に現状を見つめ直すための触覚を高めながら、その上で正しいと信じた方向性に関しては、より広範な支持を得られるような発信力も重視していくつもりです」とお答えしていました。さらに次のような例えも思い浮かべていました。乱暴な例示でお叱りを受けるかも知れませんが、組合活動における政治活動は完全な違法となる「覚醒剤」ではありません。

仮に違法だという認識があった場合、今回のような外的要因の有無に関わらず、キッパリやめていなければなりません。「百害あって一利なし」と言われる「喫煙」であれぱ、この機会にキッパリやめるという話もあり得るのかも知れません。しかし、私自身のとらえ方は、プラス面もある「飲酒」のレベルだと考えています。こちらの体をいたわってくださり、「この際、キッパリやめたほうが良い」というアドバイスは有難く思っています。ただ一利以上ある役割も認めているため、「体を壊さないように深酒はしません」という返事が現時点での私からの答えでした。

いずれにしても今後、大阪市における労使関係から目が離せません。広範な支持を得ているかどうかで見れば、組合側が圧倒的に出遅れた位置にいます。ぜひ、組合側は是々非々の立場で「襟を正す点は速やかに正し、主張すべき点は毅然と主張する」という姿勢を貫いていって欲しいものと願っています。なお、同じ自治労に属している立場としては決して他人事ではありませんので、ささやかでも側面から応援できるような思いを当ブログの記事に託していくつもりです。

このような記述に対し、「労組の主張って関心ある人いるんでしょうか?」「大多数の一般人にとってはそこまで深く知る気持ちはありません」というコメントが寄せられていました。このような指摘に私からは「残念ながら現状はその通りだろうと思っています。しかし、それでは今日再審を決定した女子中学生殺人事件で、検察側に不利となる証拠が示されないまま、判決を下されるような理不尽さが残ってしまいます。せめて事実認識の相違や不足からの批判が少なくできるよう当ブログを通し、そのような情報発信に努めていければと改めて考えています」とレスしていました。

この例えに関しては「組合の要求と昨日の再審報道を同列で語ること自体バランス感覚を逸しているとしか言えません」という批判コメントが寄せられました。しかし、なぜ、そのような結論に至るのか、よく理解できませんでした。正確な情報が把握されないまま、もしくは知ろうとする努力が放棄されたまま、イメージ先行で公務員やその組織が批判されがちな傾向について憂慮した言葉が「バランス感覚を逸している」というお叱りを受けるとは思っていませんでした。私自身の理解力の問題や非常識さの表れだったのでしょうか。

ある方から自前の人事委員会がない自治体は「それが本当ならば市役所は組織では無い」という批判が寄せられていました。人事委員会は、都道府県と政令市には必ず置くように定められていますが、圧倒多数の自治体は置いていないことが通常です。このような事実認識がお持ちであれば、「ないことの批判」は避けられたものと思っていました。言うまでもなく、批判意見すべてを「事実を知らない者の勘違い」だと記している訳ではなく、そのようなケースも少なくないという現状を訴えさせていただいていました。

言葉を交わし合うことで、本論ではない箇所で対立点が際立つことは絶対避けたいものと考えています。とは言え、私自身の言葉からも皆さんの神経を逆撫でしている場合が多いものと思っています。その点を自省しつつ、ぜひ、至らない点はご容赦いただき、それぞれの考え方を気軽に披露し合えるコメント欄が続くことを心から願っています。この1週間、今回示した以外にも数多くのコメントを頂戴していました。今朝、そのまとめとなるような思いをツイートしていました。最後に、その内容を紹介し、今回の記事の結びとさせていただきます。

今、考えていることは次のとおりです。公務員の待遇面など本当に改めなければならない点は、速やかに改めるべきことは当然だと思っています。そして、その是非の判断に向けては、内向きの発想に陥ることなく、とりまく情勢や外側からの声を適確につかんでいく必要があります。そのためにも公務員やその組織は、日頃から感度の高いアンテナを立て、様々な情報を積極的に受けとめていく姿勢が重要だろうと考えています。

合わせて誤解や先入観による批判だけは、できる限り少なくできるよう適切な情報発信と情報公開が欠かせないものと思っています。今回、抽象的な答えにとどまりますが、具体的な話は、これまでの記事本文やコメント欄で、不充分ながらも自分なりの言葉で綴ってきたつもりです。さらに今後も当ブログを続けていく中で、公務員やその組織を批判的な目で見られている方々との「距離」が少しでも縮められれば、本当に幸いなことです。そのような点について、ぜひ、ご理解いただけるようよろしくお願いします。

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