ネット議論での「バカの壁」 Part2
前回記事(ネット議論での「バカの壁」)に寄せられたコメントを踏まえ、今回は「Part2」として私なりの考え方を補足させていただきます。まず「バカの壁」を持ち出したことで、異論や批判意見を抑えようという意図があったようにも思われていました。あまのじゃくさんからは「意見が対立した時、何でもバカの壁のせいにして議論を封殺すのは良くありません」という指摘を受けました。このところ記事本文で頻繁に紹介している名無しさんに対しては、次のような印象を与えてしまったようでした。
先週までのコメントの応酬のように、双方が歩み寄る余地の無いような状況下で、その一方が「バカの壁」の引用を持ち出すことは許される行為なのでしょうか。それこそ組合が好むフレーズの「誠意無き回答」と言われるべきものではありませんか。管理人さんが第一に守るべきは構成員ですか反核思想ですか平和活動ですか、私には構成員の優先順位が下げられているように感じられてなりません。是非、構成員の立場や住民の立場から多面的にご自身を見て欲しいと思います。
どうしても議論が平行線となり、論点もかみ合わない場合があります。率直なところ名無しさんとの関係は、その傾向が強まっていました。さらに同じような視点、もしくは思い込みによる批判が繰り返されがちだったため、前回記事で「バカの壁」について自分なりの解説を加えてみました。そのことは決して名無しさんの意見を封殺するものではなく、さらに各論にかかわる質問から逃げるものでもなく、立場や視点の違う者同士の議論を少しでも実りあるものに高めたいという切実な願いから書き込んでいました。
言うまでもなく、これからも名無しさんの意見は、このブログのコメント欄に即時に反映されていきます。管理人の意図に反したコメントを排除したいのであれば、コメント投稿そのものを受け付けない機能を使うこともできます。以前の記事「コメント欄雑感」で記したことですが、このブログは私的な場でありながら、ある意味で公的な場のような位置付けを大事にしています。仲の良いグループ同士のサークルやサロンの場とせず、幅広い考え方を持った方々が気軽に出入りできる場であることを望んでいます。
つまり名無しさんのような批判意見を直接耳にできる機会を貴重なことだと受けとめているからでした。そのような声が潜在化しているのにもかかわらず、適確に把握できないまま日常の活動に取り組むことよりも、把握した上で日常活動に向き合うほうが格段望ましい姿だと思っています。また、様々な批判に対し、こちらからの立場や考え方を説明できる相互交流の場としても、ブログのコメント欄の貴重さを認識してきました。
一方で、不特定多数の方々が訪れるインターネットの場ですので、これまで本当に幅広い声が寄せられていました。当然、公務員やその組合に対する手厳しい批判意見も数多く、個人攻撃、誹謗中傷の類いのコメントも少なくありませんでした。辛辣な意見に対する免疫力が高まっている訳ではありませんが、このブログを続けていく限り、コメント欄は今後もフルオープンな場としていくつもりです。
その上で、せっかく縁があり、コメント欄で意見交換できる関係を持てた方々とは、前述したように実りある建設的な議論に繋げたいものと心から願っていました。紹介した「バカの壁」にかかわる議論の心構えに関しても、ご自身に省みる点がないと思われている方々にとって、不誠実な「論点そらし」のような印象を与えていたのかも知れません。改めて今回、ネット議論で「バカの壁」が生じがちな理由の4点を掲げた上、個人的な思いを補足させていただきます。
- 不特定多数の方々が集うネット上では、基本的な立場や視点が異なる者同士の議論となるため、「バカの壁」が生じがちとなります。
- 前提となる事柄に対し、共通の認識に立っていない中で、議論が交わされていけば、間違いなく「バカの壁」が生じます。
- 同じ情報に接していたとしても、もともとの立場や視点などが異なる場合、まったく違った評価に繋がる可能性があり、「バカの壁」も生じがちとなります。
- 事実認識などが共通だったとしても、相手を論破することが第一の目的だった場合、「バカの壁」以前に建設的な議論が成り立たなくなります。
あまじゃくさんのお尋ねに対し、前回記事のコメント欄でお答えした話となりますが、自分の考えが正しいと信じて議論するのは当然です。ただ議論している者同士、お互いが持論の正しさを信じ続けた結果、話し合いは平行線をたどる場合が多いものと思っています。それでも議論している中で、どちらかが事実誤認や自分の考え方の不適切さに気付いた時、一気に歩み寄れるチャンスが広がるはずです。
誰も全知全能とはなり得ませんので、その際、潔く折れる姿勢を取れるのかどうかも非常に重要な点だろうと思います。そのような意味合いにおいて「自分の考え方が唯一の正解と決めてしまうと、自分と違う立場のことは見えなくなり、当然、話は通じなくなる」という見方に繋がっているものと理解していました。例えば、公務員の職員団体は「労働組合ではない」という前提で議論されていた方が、法的にも実態としても「労働組合である」という事実を認識された際、「壁」が一気に低くなる可能性もあり得るのではないでしょうか。
このケースは上記2に当たる訳ですが、だからこそ幅広い情報を発信していくことの大切さを感じ取っています。続いて、公務員に「労働組合があることは知っているが、必要ないのではないか」という意見だった場合、上記3の個々人の評価の違いによる「壁」となります。その主張の前提となっているのが「もともと公務員は雇用が安定し、待遇も恵まれている」という事実認識であり、具体的な事例を細かく分析していくと上記2に位置付けられる「壁」もあるように見受けられます。
今回の本題とはなりませんが、『週刊ダイヤモンド』の特集記事「おいしい公務員 増税論議の裏で温存される“甘い体質”」を読んでみました。取り上げられている内容やデータそのものに大きな誤認はなく、しっかり取材されていたようでした。時々、事実誤認や思い込みによる内容が目立つ公務員批判の書籍も出回っていましたが、この雑誌記事の中には上記2のような特筆すべき「壁」は感じられませんでした。ただ上記3の「壁」は随所に感じられ、いかに公務員が恵まれているのかが全頁にわたって展開されていました。
一口で言えば「厳しい民間の実態がある」、それに比べて「公務員の待遇は良すぎる」という論調です。「バカの壁」の論点でとらえた際、「公務員の待遇」を社会全体の中で、どのように評価していくかが重要なことだと思っています。残念ながら「劣悪な職場環境を強いられている民間労働者が多いのだから、公務員の待遇を大胆に引き下げるべき」という主張が前面に出た特集記事であり、そのような見られ方が増えている現状を押さえなければならないことも確かでした。
いずれにしても名無しさんのような見方をされている方々が多いことは、もともと強く認識していました。加えて、自治労が反戦や反核の旗を振っていることに違和感を示され、組合員にとってマイナスとなっているという名無しさんの指摘も、決して頭から否定してきたつもりはありません。とは言え、批判を受けたから「明日から方針を変えます」程度のものであれば、直ちに改めなければなりません。直ちに改めるべき方針でないのであれば、一人でも多くの方から理解を得られるよう今後も当ブログで情報発信していくつもりでした。
このように書き込みながらも、自治労の組合役員の中でも労働組合における「主客」の峻別を人一倍強く意識してきていたため、名無しさんのコメントに含まれていた度重なる決め付けに対しては過敏に反応していました。「自分の考え方のみが絶対正しい。したがって、誰もがその考え方を支持している。その考え方にそった行動ができないのは何か裏があるからだ」というような決め付けには、あきれるほど高い「バカの壁」を感じていました。
冒頭に紹介した名無しさんの「管理人さんが第一に守るべきは構成員ですか反核思想ですか平和活動ですか、私には構成員の優先順位が下げられているように感じられてなりません」という言葉ですが、何回も私から「組合員の職場環境を整えることが第一」と答えているのにもかかわらず、そのような決め付けが繰り返されていました。脱原発の運動などを放棄すると宣言しない限り、名無しさんの目からは組合員の労働条件の問題を二の次にしているものと映るようでした。
最近の記事「運動のあり方、雑談放談」の中で、泉佐野市の国賀祥司市議の「こくがブログ」を紹介しました。そこで展開されている主張と当ブログで訴えている問題意識は大きく異なっていましたが、名無しさんからは「正直ここの管理人さんとの違いが理解できません」というコメントが寄せられていました。このような点も踏まえ、ぜひ、私が「バカの壁」を強調しているのか、改めてご理解いただければ幸いです。最後に、このブログのコメント欄に寄せられる意見の中で、上記4に当たる内容は見当たらないため、いつも感謝していることを付け加えさせていただきます。
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コメント
長すぎて引いた。
投稿: | 2011年10月16日 (日) 22時36分
2011年10月16日(日)22時36分に投稿された方、ご訪問ありがとうございます。
よく「長すぎる」ブログと言われていますが、お時間があり、また気が向いたら閲覧してください。
投稿: OTSU | 2011年10月16日 (日) 23時13分
おはようございます。今週の記事を読み、困惑の正体を
ようやく理解できました。
>そこで展開されている主張と当ブログで訴えている問題意識は大きく異なっていましたが、名無しさんからは「正直ここの管理人さんとの違いが理解できません」というコメントが寄せられていました。
OTSU氏は強くこの点を主張しておられました。なるほどOTSU氏サイドから
見れば当然の怒りであり、また某市議のプログも、私には受け入れられない
内容なんですが、なるほど名無し氏の指摘もうなずけてしまいます。
それぞれの立ち位置を考えて見れば、脱原発集会なり基地問題なりに
出てる人々。興味ある人。関係者。興味ない人。嫌いな人など
色々います。OTSU氏のように参加者あるいは関係者になれば
それぞれの参加者にも詳しく、それぞれの団体にも精通しており
賛同できたり賛同できない場合も明らかだと思います。
しかし、興味ない人や嫌いな人にして見れば、遠くから
車を見てもメーカーや車種の違いも判らず、まとめて
車なんだなあとの認識です。
つまり集会の参加者全般を一部の極左集団の参加により
ひとまとめでこのような集団と判断するのはやむ得ない
のではないでしょうか。
良く知らないし知りたくもないだからレッテルを貼る。
わたしの嫌いな言葉で「反戦闘争」があります
戦争に反対するため闘い争う。なんて矛盾した
言葉でしょうか。
OTSU氏は以前、選挙で「選挙闘争」と綴っておられました。
やはり「闘争」と同じ言葉を使う。
いくら違うと記事をあげても、そのような団体と
同じ言葉を使い、同じ集会に参加していれば
同じように考える人が多くいてもしかたないように思います。
だからこそ、自治労が掲げる社会正義も大事と
思いますが、本来の労働者の地位向上に情熱を
傾けるべきではないでしょうか。
投稿: nagi | 2011年10月17日 (月) 11時39分
nagiさん、コメントありがとうございます。
いつも長々と書きすぎることで、伝えたいことが分かりにくくなっている点を反省しています。nagiさんが感じているような留意点ですが、前々回記事の中で「運動そのものを目的化してはいけない」、集会やデモ行進の姿が「あの人たちは特別」というような見られ方をされた場合、その運動の広がりを絶つような逆効果に繋がりかねないという問題意識などを書き込んでいました。
つまり外側からの見られ方、組合員の中にも多様な見方があることなど、日頃から強く意識してきています。したがって、「そのような方針や運動では、このように見られてしまいますよ。だから、こうしたら良いのでは」という指摘だった場合、それほど反発できるものではありません。その人なりの見方であり、そのような声があることを踏まえ、自分たちがどのように考えていくべきか、貴重な参考意見として受けとめるだけの話でした。
それが「そのような運動に取り組んでいることは、何か別な目的があるからだ。組合員のことは二の次にしている」などという決め付けた言われ方に対しては、とても聞き流せるものではありませんでした。これまで党派性が前面に出るような組合運動と一線を画し、常に「組合員にとって、どうなのか」という判断基準を大事にしてきた一人として、たいへん残念な言葉の数々でした。
ちなみに「闘争」という言葉も、なるべく使わないように心がけ始めています。それでも賃金闘争、現業統一闘争など、固有名詞として使われているものも多く、完全に置き換えることはできません。ただ今まで同様な指摘を受けてきましたので、そのあたりは柔軟に対応していくつもりです。
念のため、最後に一言。「本来の労働者の地位向上に情熱を傾けるべきではないでしょうか」という投げかけですが、その通りであり、力不足な点もありますが、最大限努力しています。
投稿: OTSU | 2011年10月17日 (月) 22時02分
いつも拝見させていただいております。
管理人様の管理には頭が下がり、また、丁寧で冷静な言葉使いにはいつも感心させられます。
しかし、テーマによってはその丁寧な説明でも私の頭に入ってきません。
私の読解力か知識の無さゆえのことと思い、いつかは響くものがあるのではと待ちつつまいりましたが、「バカの壁」でふと頭に浮かぶものがありました。
以前こちらで大きな組織では組合自体違う働きが生まれるので考える時が来ているように思うと書いた記憶があるのですが、組合活動における労働者の地位向上とは何でしょうか?
昨日より今日、今日より明日と少しずつでも待遇なり環境なりが良い方向へ拡大するということでしょうか?
今回の震災で自衛隊を始め多くの公務員の方々の働きもあり、いろいろな不満もありますが復興をがんばろうという機運も出ているかと思います。
その一方で原発の管理不足が言われる経産省や東電はどうでしょうか?
会社や家が流され、放射能で生活基盤が無くなった人も居る一方でボーナス半減で40万(それでも平均年収1000万とかなんとか)の社員や退職した経営者は2億円の退職金をもって老後が心配と答弁する度胸・・・。
就業規則にのっとった適正な報酬だから組合も何も言えないなどというのはそこに働く企業の労働者の地位向上のためといえるのでしょうか?
また、ある公務員が3回目の飲酒運転で逮捕されても過去の検挙歴を知らなかったから解雇されないなんで記事もありましたね。
逆に飲酒運転による解雇は条例自体が厳しすぎて憲法違反なんて裁判を起こした公務員も居たかと思います。
公務員同士でもっと批判をすべきと書いた時はレスいただけませんでしたが、民間企業なら倒産するような賠償事故を起こしても公務員同志は守りあうものというのを変えないと一般人との「バカの壁」は無くなることはないと思うのですがどうでしょうか?
投稿: 青二才 | 2011年10月19日 (水) 17時23分
青二才さん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。
あえて対立点を際立たせない書き方が多いため、断定的なレスが少なく、分かりづらい点があることを自覚しています。少し前にも釈明しましたが、決して煙にまくような意図はありませんので、ご理解ご容赦ください。
大きな「壁」の一つとなる背景が、労働組合の役割に対する見方だろうと思っています。積極的に賃下げなどを要求するようでは、組合員に対する背信行為となります。一方で、社会情勢などをまったく無視し、空気の読めない強硬姿勢だけだった場合も、長期的な意味で組合員の利益を守れない時代です。
そのような意味で、青二才さんのご指摘のとおり「労働者の地位向上」の視点も重要だと考えています。なお、常識的に見て、問題ある行為などについて労働組合が過剰に擁護することもありません。さらに批判すべき点は、組織内で率直に検証し合うべきだとも思っています。
投稿: OTSU | 2011年10月19日 (水) 21時11分
nagiさん
私が管理人さんの言葉に確信的な疑問を持ったのは、組織に成果を生む職員Ⅰと組織の評価を損ねる職員Ⅱの事例を論議した時からでした。これだから、職員Ⅰは組合に潰され続けるのだと納得しました。
ですから、私の思いは「遠くから車を見てもメーカーや車種の違いも判らず、まとめて車なんだなあ」では無いのです。「車種は違って見せてはいても、結局中身は同じなんだなあ」の諦めの気持ちなのです。
ここの管理人さんの言葉から読み取れる組合像も、先日引用したブログの中と同様に、結局は成果を提供すべき市民に向き合わない職員Ⅱの方を擁護するものですから、少し姿形を変えて見せても、もう誰も見た目に惑わされないですよということです。
もし、中身が違うなら結果もハッキリと変えて見せる必要がありますよね。ですから職員Ⅱを排除し得て初めて違うのだと評価されるのでしょう。
そうは言ってみても、管理人さんから返ってくる言葉は「できません」(又は「聞く必要ありせん」)となるでしょう。しかしそれでは、これだけ攻撃的になった周囲の目を変えて、公務員への理解者を増やすのは難しいでしょうね。そして職員Ⅰは「出る釘は打たれ」潰され続けるのだと思います。
投稿: 名無し | 2011年10月21日 (金) 23時00分
私は、組織全体の成果を向上させるには、職員Ⅰの重用と職員Ⅱの排除が不可欠であり、組合は理事者がそれを可能とするために率先して成果主義を受け入れるべきだと一貫して言ってきました。また、それが職員Ⅱに苦しめられる職員Ⅰの助けにもなると確信しています。
これまでの論議では、管理人さんは頑なに、職員Ⅱへは丁寧なアプローチを尽くし内発的動機のもとで変わるようにしなければならないと譲りませんでした。しかし、その自慢の丁寧なアプローチ(かどうかは分りませんけど)で、私ごときも納得させられないのに、何故そんなに確信的に相手を”変えれる”言い切れるのでしょう。それは、出来ない事を出来ると言い張るような不遜な考え方でした。その考えが職員Ⅰを組合が見捨てることに直結しており、結果として組織の成果を大きく損なうことになっているのだと感じました。
あまりにも当然のことですが、自発的に変えれるのは常に”自分”だけであり”相手”を自発的に変えることは出来ません。だから私は”自ら”を変えることでしか、批判や避難から逃れることは出来ませんと言っております。
これらは特に難しい論理ではありません。しかし、それに対して管理人さんから示された答えは「バカの壁」の例示でした。これでは、いったいどちらが「呆れるほど高いバカの壁」を持っていのか。もう言うまでもありませんね。
仮に、それでも”相手”を変えれると言うならば、その態度は既に外圧的動機の使用なのですよ。先日も感じたのですが、管理人さんは主張の中に致命的な矛盾があり、「バカの壁」の例示も、ある意味で外圧的動機の使用例でした。それを丁寧な口調で煙に巻いていますよね。お見事でした。
さて、私が推計する管理人さんの思考等についてですが、ある事例や事象を観測する際に、その過程が不可視ならば、入力と出力の差異から過程を推計するのは、正当な観測手法であり、それをことさら非難される謂われは無いと思っています。それでも実際と認識が違うと言われるのならば、管理人さんが持ち出しだ「バカの壁」の例示を待つまでもなく、見てるものや見ている方向あまりにも異なり、もう双方に歩み寄る余地がないのですから、語るべき相手はお互いの周りにいる人物となります。
どちらの言い分に説得力があるのか、それは彼らが決めることですが、私は職員Ⅱよりも組合に見捨てられ、もどかしい思いをしている職員Ⅰの方がまだ多いと思っています。
管理人さんが組合を率いて何年になるのか詳しくは存じませんが、管理人さんが就任してから配下の職員の労働条件はどう向上したのか、職員への批判や非難、さらには白い眼で見られる事態がどれくらい減ったのか、成果を示して私ごときを説得していただきたいと思います。
そもそも「一部の人材だけ重用し、多くの人材を腐らせるような制度は好ましくない」と言い切ったのは管理人さん本人です。では組合が「一部の職員Ⅱだけを擁護し、多くの職員Ⅰを腐らせせる」存在になっていないことを、管理人さんの成果と共に示して頂きたいと要望します。以上です。
投稿: 名無し | 2011年10月21日 (金) 23時37分
こんばんは。
久しぶりにコメントさせて頂きます。
何だか、論点が前回以前のことに戻ってしまっているように感じるのですが、せっかく、管理人さまには珍しく(?)、「バカの壁」なんて過激(?)な語句をタイトルに入れられているのですから、そこを主な論点にはできないものでしょうか。(そもそも、みなさん、本家「バカの壁」、ちゃんと読んでみたのかな・・・なんて疑ってみたりして。)
ともあれ、公務員であれ民間企業であれ、組合の求める労働条件の改善という要望・要求は、特定の人間に関することではなく、職場全体としての労働条件に関することなのではないでしょうか。
個々の人間の出来不出来や意欲などについての評価は、通常、人事考課の中で為されるものでしょうから、組合がどうこうという問題ではないように思います。
そういうことを踏まえると、組合活動のあり方についての議論と、人事評価のあり方についての議論は、分けて考えなければならないのではないかと思います。
とりあえず、私見としては、なるべく色々な可能性を思いながら、他者の言葉にも耳を傾けてみて欲しいと思います。たまには、あえて自分から「その発想には負けた!」と思ってみることさえ、あってもよいのではないかと思います。
そもそも、官民問わず、正規非正規を問わず、雇われ人が叩き合うということは、結局、巡り巡って自分たちの時間や労力を安価に叩き売ってしまうことにつながるのではないかと考えてしまいます。
投稿: 野次馬 | 2011年10月22日 (土) 00時28分
名無しさん、野次馬さん、おはようございます。コメントありがとうございました。
職員Ⅰと職員Ⅱの話は2011年6月19日の記事「ベターをめざす人事制度 Part2」の中で触れた事例でした。確かに私が「官民問わず、相対的な評価が低いから即解雇という制度は論外」と記していますが、名無しさんは成果が出せない職員は排除すべきという主張を繰り返し、その意味合いでの「バカの壁」がそびえ立っています。
誤解されないように申し添えますが、意図的に働かないような職員を擁護する前提で提起しているつもりも毛頭ありません。あくまでも人事制度を整える上で、「排除の論理」を強調するのか、一人ひとりの職員の働きぶりの底上げをめざすのかどうかの論点だと考えています。
その中で、私から一度も相対的な評価の高い働きぶりの職員Ⅰを切り捨てるような言葉を発していません。言うまでもなく、そのような職員のモチベーションを大切にしていくことも当然です。一方で、そもそも労働組合は「一人は皆のために、皆は一人のために」という基本的な姿勢を大事にしています。したがって、名無しさんの立場や視点とは出発点から異なっているようです。
このような経緯を踏まえ、前回記事に養老孟司さんの著書『バカの壁』を紹介していました。同時に相手を見下した「バカ」ではないため、記事をお読みいただいた際、不愉快に感じられる方が出ないように願っている点も記していました。それでも野次馬さんが心配されているとおり引用先の著書を読まれていない場合、「バカ」というキツイ語感ばかり目立ち、挑発しているような印象を与えがちだったかも知れません。
いずれにしても、名無しさんの次の言葉は、まったくその通りです。今後、どれだけ名無しさんの理解を求められるか自信はありませんが、私自身の思いを新規記事の中に託していくつもりです。合わせて、名無しさんのコメントも不特定多数の方々に読まれています。つまり野次馬さんのようなご意見にお互い耳を傾けながら、お付き合いください。
>管理人さんは頑なに、職員Ⅱへは丁寧なアプローチを尽くし内発的動機のもとで変わるようにしなければならないと譲りませんでした。しかし、その自慢の丁寧なアプローチ(かどうかは分りませんけど)で、私ごときも納得させられないのに、何故そんなに確信的に相手を”変えれる”言い切れるのでしょう。
投稿: OTSU | 2011年10月22日 (土) 08時00分
おはようございます。
以前にも言及したように、基本的な意見は名無し氏と同様です。
かつて不祥事を起こした某スリーダイヤ自動車は会社が傾き
危険運転致死傷罪の元になった事故を起こした運送会社も
廃業寸前までいきました。不祥事で潰れた会社もたくさん
あります。
しかし、福岡で子供三人を死なせた職員がいる役所は
潰れることはありません。覚せい剤を使おうと、銃で
射殺しようともです。
廃業しろと言ってるのではなく、身分が保障されて
いるからこそ、市民が納得する処断が必要と思うのです。
解雇するのに裁判での勝敗を考えないといけないから
できないなどと言ってるようでは理解は得ることが
できません。
高い壁を作ってるのは市民ですか公務員ですか
そう問われているのではないでしょうか
投稿: nagi | 2011年10月22日 (土) 09時44分
管理人様、早々のお返事ありがとうございます。
私の文才の無さ故でしょうか、それとも単に私の人間としての経験不足からでしょうか、お役所の窓口での返答の雰囲気を感じます。
お気を悪くなされたら申し訳ありませんが、「検討します」=「今は何もしません」と同じ意味にとってしまう私がおります。
管理人様と同じく野次馬さんのお言葉にも同じにおいを感じてしまうのは私は民間でお二人は公僕という職種で区分けされる職業のお方なのでしょうか?
組合が過剰に擁護しない=擁護しないわけじゃない → 組合(組織)が大きくなればなるほど物言わぬ存在でも存在感(権力)があり、その弊害が出てきているのが
現状ではないでしょうか?この20年貨幣価値のデフレではなく人の集まりである組織のインフレのようなものによる閉塞もあるような気がしております。
国鉄しかりJALしかり、人数の増えた組織は方向を間違えると舵が効かなくなりがちではないでしょうか?
ヨーロッパの某国では4人に一人が公務員で国は破たん寸前ですが、何故にデモは起こるのでしょうか?
一人ひとりの公務員にも、年金受給者にも生活があるのは当然で、でも国全体としてのことなんて公務員一人や年金生活者一人では考えられなくて当然です。
「公務員給与減らすな」、「年金はボーナス付きじゃないと今までと不公平だ」・・・。一人ひとりは切実にそう思うでしょう。
でも国全体としては借金が増える一方です。
従業員50人の会社の組合では飲酒運転で解雇になった職員が不当解雇だと裁判を起こしても誰も相手にしないでしょうし、戻る席はないでしょう。
でも公務員と言われる職種では3年病欠でも職員の中から「それおかしいぞ」という声が上がったのでしょうか?
そんな長期病欠の者に税金の中から給与が払われるのは不公平だから解雇されるべきと組合として言えますか?
民間の従業員なら半年でやんわりとお話が来るでしょうけど。
飲酒運転での解雇は不当と裁判を起こす人に条例で決まっているのなら裁判するなと言えますか?
それらの一言が言える雰囲気があるだけで、組合として何かしらの決議を一々出さなくても優秀でよく働く3割の職員を守り、他の7割の職員に対しての強烈なメッセージを
送ることに十分なると思うんですけど。
やはりボキャの無い私には説明は難しいです。
投稿: 青二才 | 2011年10月22日 (土) 11時04分
青二才さまのコメントに私のことが書かれていたので、一応、コメントを。
管理人さまへの援護射撃と受け取られるコメントを書いたことで、公僕のにおいがする、という言われようは、ずいぶんだな、というのが正直な気持ちです。
それでも、あえて。
マジメな話、管理人さまが公僕を代表しているわけではないし、この場で揚げ足取りや言葉じりを突っついていても、不毛なだけではないでしょうか。
ズバッと明快な言い方はされていなくても、文脈を読めば、ダメな職員を守ろう、というスタンスではないということは読み取れるはず。
せっかく、公務員、しかも「自治労に所属している市職員労働組合の執行委員長」(プロフィールよりコピペさせていただきました)という肩書きの人が議論ウェルカム、というスタンスを取って下さっているのですから、建設的な議論を期待したいと思っています。
公僕云々・・・というスタンスの問題については、ご要望とあらば、官民、正規雇用非正規雇用、はたまた年金生活者、ニート、どの立場にでも立ったロールプレイをしてご覧に入れたいと思います。
その際は、できれば、私だけでなく、常連のみなさまにも、一度、あえて普段の自分とは違う色々な立場を演じて頂いての議論をしてみると、面白いのではないかと思います。
立場を変えてみることで、お互いを理解する助けになったり、新しい発見があったり、議論の幅が広がったりするものです。
これは、私が在籍していた大学のゼミで、よく行われた議論のやり方です。
ともあれ、、ここはネット上、それも個人のブログのコメント欄でのやり取りです。
マナーについては、その際に触れたので、もう書きませんが、悪意はやがて、自身に跳ね返るということも考えてみてはいかがでしょう。
例えば、もし、こう言われたとしたら、嫌な気持ちになりませんか?
私の読解力の無さのせいでしょうか、それとも、ただ私の人生経験の不足ゆえでしょうか、引きこもりの方からのコメントのような雰囲気を感じます。
お気を悪くなされたら申し訳ありませんが、「説明が頭に入ってきません」=「理解しようという努力をするつもりはありません」と同じ意味にとってしまう私がおります。
ネット上で時々見かける人たちと同じく青二才さんのお言葉にも同じにおいを感じてしまうのは、私は社会人で、青二才さんは引きこもりという違いで区分けされるお方なのでしょうか?
(青二才さんのコメントを初読した際のショックを分かりやすく表わすため、あえて、極端な表現で書いています。これが本意ではありません)
投稿: 野次馬 | 2011年10月22日 (土) 20時02分
nagiさん、青二才さん、野次馬さん、コメントありがとうございました。
できれば今夜、新規記事を投稿する予定です。ギリシャの問題に触れようと考えていましたが、その前に添えたい一言二言が生じているようです。決して重たい提起に対する論点そらしではありませんので、ご理解ご容赦ください。なお、このブログは連続性の中にある点も踏まえ、ぜひ、またご訪問いただければ幸いです。
投稿: OTSU | 2011年10月22日 (土) 21時07分
野次馬さん、コメントありがとうございます。
私の言葉使いにそこまでショックを受けられたのならお詫び申し上げます。すみませんでした。
私がこちらにデビューさせていただいた当初から、私の問いに対してあなたのお立場のようなコメントが多く見受けられ、貴方が返された言葉のように受け取りがちな私です。
私もあなたと同じくらいショックを受けました。w
あなたはプライドがかなりお高い方とお見受けしますがあまり感情的に攻撃的になられてもこの場にふさわしくないやり取りとなると思いますので、私は以後慎みます。
建設的な議論をしたいとこちらに投げかけたんですけどね。嫌味の投げ合いで議論できなくなると管理人様に申し訳ありませんので・・・。
投稿: 青二才 | 2011年10月22日 (土) 21時24分
えーと、あの、スリーダイヤの件(リコール隠し事件ですね)、
社員の働き具合とはなんの全く関係はないですね!
仕事が出来ない社員がいるからリコール隠しがなされた?
ちがうでしょう。
そういった事にについてもの申すことができない状態だったから、内部告発という形で表沙汰になっただけの話でしょう。
まったく論点がずれてます。
投稿: 地方の公務員 | 2011年10月22日 (土) 22時43分
青二才さん、地方の公務員さん、コメントありがとうございます。
新規記事「ブログでの発言の重さ」を投稿しました。各論のお尋ねや問題提起に対し、私からは即座に答え切れていませんが、先ほどのレスのとおりよろしくご理解ください。
投稿: OTSU | 2011年10月23日 (日) 00時01分
管理人様、更新ご苦労様です。
今から楽しみに読ませていただきます。
地方の公務員さん、論点がずれているのではなくて、nagi さんがおっしゃりたいのはあなたの考えられていることと違うと思うのです。
社員が自己改革して声を上げないと会社は傾いてしまうけど役所は仲間内で問題提起しているようには見えないということだと思います。もちろん、みんながそうだと断定しているわけではなくて、その様子が一般市民には全く伝わってこない事が問題だということと私は理解しました。
福岡の飲酒事故の件では、当て逃げのあと水をがぶ飲みして証拠隠滅を図り、その上被害者の方に責任があると訴えていた記憶があるのですが、そんな状況で同じ公務員としての立場の方から何らアクションが無いのは身内を庇っているようにしか見えないということをおっしゃりたいのだと思います。
何の論点を変えていると言われているのか私にはわかりません。
投稿: 青二才 | 2011年10月23日 (日) 02時15分
青二才さん、おはようございます。いつもコメントありがとうございます。
念のため、福岡の飲酒運転事故を起こした職員は懲戒免職になっているはずです。繰り返しの説明となりますが、組合がそのような不祥事の当事者を守ることはありません。「常識的に見て、問題ある行為などについて労働組合が過剰に擁護することもありません」という言い方は、その問題性の幅や評価が争点となる場合もあるからでした。
そのようなケースを想定した際、ここを閲覧されている組合員の皆さんに対し、組合は「まったく守ってくれないのだな」という誤った印象を与えたくないため、少し回りくどい表現方法となっています。この点は、ぜひ、新規記事の文意をお読みいただければ幸いです。
また、nagiさんのコメントへのレスとなりますが、一社員の不祥事だけで潰れた民間会社を思い浮かべることはできません。加えて、「解雇するのに裁判での勝敗を考えないといけない」という視点は、官民問わず当たり前な話です。例示されていた横須賀市の職員の問題がそれに当たるのかどうかの提起だったように私自身は理解していました。
とにかく「公務員の世界はどうしようもない」というネガティプなイメージが先行していることは残念な現状です。今後、本当に小さな発信媒体ですが、そのようなイメージを当ブログを通し、少しでも払拭できるように努力していくつもりです。逆な意味合いの発信とならないよう充分注意もしなければなりませんが…(苦笑)
投稿: OTSU | 2011年10月23日 (日) 07時48分
おはようございます。
OTSUさん、青二才さん、コメントへの返信、ありがとうございました。
ビーンボールを落ち着いて受け止めて頂いたと思います。
最後のたとえの部分については、あらためて、非礼をお詫びします。
青二才さんが私への返信でおっしゃったように、建設的な議論を、是非、お願いします。
それを踏まえて、不祥事問題についての私見を。
不祥事が起きたとして、その対処方法を考えるためには、事件の背景や内容を整理してみる必要があると思います。
1.業務遂行上、起きたものなのか、私生活の中で起きたものなのか。
2.業務遂行上、起きたものであれば、それが組織やシステムの問題によるものなのか、個人の問題によるものなのか。
スリーダイヤ問題は、会社としてリコールが検討されながら、結局、公表しないままヤミ改修を行ってきた中で起こるべくして起こった事故。
そのため、企業としての責任が問われたものです。
個人の飲酒運転などの不祥事と同じ俎上でさばくことには、無理があるのではないかと思います。
リコール隠しのような問題については、組織としてのあり方や、システムそのものを見直す必要があります。
一方、個人の飲酒問題などは、あくまでも個人が司法の場で裁かれるべきものではないかと思います。
例えば、スリーダイヤの事故が、リコール隠しの果てに起きたものでなく、社員が飲酒運転をして自動車の操縦を誤り、何人かを死なせた事故であった場合。
それだけで会社としての責任が問われるということはまずないでしょう。
社員教育に力を入れたい、といったコメントが会社から出されることはあっても、コーポレートガバナンスの問題として取り沙汰される性質のものではないと思います。
そして、どちらの不祥事についても、問題の再発防止は、労働組合に責任を負わせるようなものではないでしょう。
スリーダイヤ問題も、その後、再発防止策を取られているものと思いますが、それは会社として行うことで、労働組合が声を上げて・・・ということではないように思います。
また、会社員が飲酒運転などをした場合、労働組合が社員をクビにしろ、と会社に要求するでしょうか?
不祥事は、起こらないにこしたことはない。
そのためには、組織・システムに対するチェック機能の強化や社員教育といった対策を講じる必要があります。
その手法は、官民で大きく変わるようなものではないと思います。
むしろ、組織・システムに対するチェックという点を考えれば、市民監査、市民オンブズマンといった制度を取り入れている自治体もあり、そういった制度がない自治体への導入や、上手な活用を求めたいところです。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、で終わらせず、生活に直接関わることも多い行政が、より健全に運営されるよう、知恵を出し合っていきたい。
それが私の思いです。
投稿: | 2011年10月23日 (日) 07時50分
野次馬さん、おはようございます。
議論の流れから野次馬さんだと判断させていただいています。たいへん分かりやすく、丁寧な説明ありがとうございました。私の淡白なレスに比べ、とても厚みのあるコメントをいただき感謝しています。ぜひ、これからも記事本文やコメント欄で、お気付きの点がありましたら気軽にご投稿いただければ幸いです。よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2011年10月23日 (日) 08時25分
すみません。名前を入れ忘れました。失礼しました。
投稿: 野次馬 | 2011年10月23日 (日) 10時34分
あえてこちらにコメント残させていただきます。
スリーダイヤ問題は会社としての問題で、個人の飲酒運転は会社とは別問題と分けられる考えも私自身十分承知しておりますしnagi さんも承知しておられると思います。
小市民の私w から見て論点を変えているように見えるのはそこなんだと思うんですが・・・。
会社と個人は別という理由を盾に「何もしない」ことは擁護しているのと同じことと思うのです。多くの人はそう思ってしまいがちなくらい弊害が見つかってきているということだと思うのです。
nagi さんが福岡の飲酒事故の話を出されたのは個人の飲酒事故で役所がつぶれないのはおかしいということを言われているのではないことは当然ご理解されているかと思います。
社保庁の年金問題では、職員の中に着服したり未納を納付済にデータ改ざんしたりといった問題から年金データ自体の紛失までいろいろ明らかになりましたが、個々の職員の間では過去からそのような問題の提起はなされてこなかったのでしょうか?全く話にも出てこなかったのならそれはそれで問題だと思いますし、問題提起されたのならもっと昔の時点で改善されているはずだと思います。
3年間病欠の職員が居ても、それはおかしいよという職員は誰一人いないのでしょうか?居ないのなら問題だし、居ても何も出来ないのならそのこと自体も問題ではということだと思います。
旧社保庁のそんな職員も病欠職員も一つ一つは個人の問題です。
だから全体の問題ではないから関係ないし、組合も関与できないというのはそれとしては一つの答えですが、ならば、職員一人一人はそういった問題を中の立場から改善するために何をしているのかということを聞きたいのだと思います。
nagi さんが福岡の話を出されたのはあれだけ全国的なニュースになったのにそこの部分が何も見えていないことへの不満があり、その例えとして出されたのだと思います。
民間企業でもいろんな不祥事はあります。でも、そこで働く職員は不祥事や事故で倒産してしまう可能性も考えて、そうならないように頑張っている人が多くいます。
もちろん公務員と言われる方にもそんな考えを持っている人は沢山いらっしゃるかと思います。
でも倒産リスクの無い立場で「一生懸命考えています」と言われてもどこまで信用できるのでしょう?そして何が改善されたのでしょう?
野次馬さんのお話が論点がずれていて、そして自己保身に偏りすぎているように理解してしまいそうですのでご教授願います。
労働組合としてできないのが当然なら、坊主憎けりゃ・・・と見られないために坊主は何を変わろうとして何を変えたのですか?
オンブズマンを入れたとか、寺をスケルトンにするとか、そんな話ではなくて、坊主について伺いたいと思います。
この時間の書き込みは、私が引き籠りだからではなくて仕事が不規則だからですよ、野次馬さんw
投稿: 青二才 | 2011年10月24日 (月) 10時27分
青二才さん、コメントありがとうございます。
多岐にわたる提起に対し、細かくお答えできそうにありませんが、いくつか感想のような補足をさせていただきます。まず組織風土や体質から生じた不祥事は、組織全体で改めていかなければなりません。その中で、これまで私どもの組合は必要に応じ、理事者側へ申し入れを行なってきていました。また、一昔前に比べれば官民問わず、隠蔽自体が致命的な不祥事に繋がるという認識などは高まっているものと思っています。
飲酒運転や社会保険庁の問題が例示されましたが、このブログでも数多くの関連した記事を投稿しています。同時にコメント欄で活発な意見交換を交わしてきていました。Googleなどで「公務員のためいき 飲酒運転」「公務員のためいき 社会保険庁」と検索いただければ、関連記事が並びますので、お時間がある際、参考までにご覧になってください。
なお、気になった点ですが、病気で3年間の長期療養で休職したとしても、それほど強く批判されることでしょうか。条例や規則にそって給料が減額され、あるいは無給となり、復職をめざすのは決して「おかしい」とは思いません。念のため、仮病で休職制度を悪用するようなケースは論外であることは言うまでもありません。つまり奈良市であったようなケースと病気休職制度は峻別して考えるべきものと思っています。
投稿: OTSU | 2011年10月24日 (月) 22時00分
同じ職場にいる者を、病気だからやめさせよう、仕事ができないからやめさせよう、こういったことを本当にすべき、と思っているのなら、その意思が自分に向けられた時のことをよくよく想像して、考えて見てほしいですね。
投稿: 地方の公務員 | 2011年10月24日 (月) 22時11分
地方の公務員さん
その時は当然辞めますね。実際に私も数回変わっていますし、何も不自然なことはありませんよ。それは一見残酷にも見えますが、それらの事例は大抵は自分と職種とのアンマッチから起こることでもありますので、早めに職を変えることで自分に適性のある職につけるチャンスが増えることでもあるのです。
最初についた職が一生涯続き、適性が検証されない方が不自然だと思いますね。あと病気休暇であれば2年以下でケリを付けるのが、民間では大手でもスタンダードなようですよ。中小ではもっと短いでしょうね。でも、その為に行政の福祉があるのでしょう?
企業で何年も面倒見るのなら逆に行政は不要となってしまいますよ。
投稿: 名無し | 2011年10月25日 (火) 00時36分
おはようございます。
青二才さんからコメントの催促を頂いたようなので、一応、返信させて頂きます。
青二才さんの言われる「坊主」は組合のことを指している、と思われますので、そこから。
組合が何を変わろうとして何を変えたのか?
個々の組合活動のことなんて、分かるはずはないし、組合というもののあり方について言えば、前回のコメントでも書きましたが、不祥事問題などは、組合が具体的に声を上げていくという性質のものではないと思っています。
OTSUさんのところの組合に関することであれば、既にOTSUさんが考えを示されていますので、そちらを再読ください。
変える、ということで言えば、お役所の窓口での接客マナーなどは、研修などを通して、サービス業であるという意識を徹底させた方が、よっぽどよいと思います。話がそれました。
官民問わず、働いているのは人間です。公務員は怠惰で、民間企業の社員は真面目だという前提自体が幻想です。
その上で、個々の社員が、会社の倒産リスクなどを真剣に考えて、具体的なアクションを起こしている、なんて、過度な期待というものです。
また、官民問わず、労働組合が個々の人間の不祥事に対する処分や、自治体・会社の具体的なコンプライアンスの手法や経営上の問題にまで口を出すということがあるとすれば、その方が、やり過ぎではないのか、と思います。
蛇足ですが、坊主憎けりゃ、の坊主は不祥事を起こした公務員など、直接的に非難の対象になると思われる存在を指しています。
そのことで、読解力が足りないなw、なんてことは言いません。
ただ、不祥事問題に関する私の私見は、前回のコメントのとおりですので、再読をお願いします。
引きこもり云々、についても、「こう言われたらどう感じますか?」という主旨で、あえて悪意的な文章を書いた一部で、本意ではないとお伝えしたと思います。
率直な意見として。
不祥事問題への個々の公務員や組合の具体的な取り組み方の是非を問いたい、というのであれば、近所のお役所に談判するのが早道です。
漠然と公務員は何をしているの? なんて言っていたって始まらないと思います。
「あまり感情的に攻撃的になられてもこの場にふさわしくないやり取りとなると思いますので、私は以後慎みます。
建設的な議論をしたいとこちらに投げかけたんですけどね。嫌味の投げ合いで議論できなくなると管理人様に申し訳ありませんので」
先に上のようなコメントをされていますが、結局、感情的、攻撃的、嫌味の投げ合い、ということになりそうなので、この返信にも、あまり意味はないかも知れませんが。
投稿: 野次馬 | 2011年10月25日 (火) 07時46分
管理人様、皆様コメントありがとうございます。
管理人様、言葉足らずでしたが私の頭の中では奈良市のようなケースを想定しておりましたし、通常民間では病気休職制度で休職の場合
社会保険料などを給与から差し引かれてほぼ無給状態での休職が大半かと思いますが、無給であっても在籍していること事態がおかしいという
社員はいないのではと考えておりました。それ故その奈良市のようなケースでは「おかしい」と言い出す職員はいないのでしょうか?との問いでした。
地方の公務員さん、私も名無しさんと同じくその立場になれば3年後職場環境も変わっているでしょうから自己都合退職の道を選ぶと思います。
それに、民間ではそこまでの長期での病欠は制度としてはあっても上記理由などからやんわりとお話が来ると思います。
野次馬さん、私の文章はかなり下手くそなようですみません。
>オンブズマンを入れたとか、寺をスケルトンにするとか、そんな話ではなくて、坊主について伺いたいと思います。
と私は書きましたが、野次馬さんが例えに出された坊主は職員個人を指していると私は読みましたし、私が使った「坊主」は職員個人のつもりで書きましたした。だからオンブズマンや
寺(建物)でなく、その中にいる職員について伺いたいと聞きました。
野次馬さんは
>青二才さんの言われる「坊主」は組合のことを指している、と思われますので、・・・
落ち着いてください。何故ご自分は職員個人の意味で使い、私の言葉を組合と捉えるのですか?それは「バカの壁」ですか?w
奈良市のニュースの時のような一般常識から見て悪質と思えるような職員がいた職場ではその他の職員は
何をしたのですか?今現在異常な病欠だけではなくて不条理なことがあった場合、組合で出来ないのなら職員個人で職場を変えようと何か行動を起こす人はいないのでしょうか?
旧社保庁職員は今まで誰ひとり自分たちの職務に対して疑問に思うことはなかったのでしょうか?
多くの真面目にお仕事されている公務員と言われる職業の方は、一部のふさわしくないと思われる職員に対してどんな行動を取られているのでしょうか?それが見えないから
疑心暗鬼になっている部分もあるのではと建設的に投げかけさせていただきましたつもりでした。
今は無くなったと思いますが、役場の窓口は危険だから窓口手当など付いている給与明細をみても誰からもおかしいという話は出なかったのかと私は疑問に思います。
一般のお店やスーパーで窓口手当があって当然、いや、危険だからあるべきとでも公務員の方は思っておられたのですか?
大阪市ではスーツ手当なんていうのもあった記憶があります。役所の職員は一般企業のサラリーーマンの親戚や友人はいないのでしょうか?
それとも公務員は公僕で民間企業とは違う何か特別な階級なのでしょうか?市民の税金で成り立つ国や地方公共団体が一般人の感覚と離れてしまっているから
そんなものがまかり通ってきたと思います。その公務員も税金を納めているという意見は鶏と卵以前に順番が逆ということを理解すべき時が来ていると思います。
誤解しないで頂きたいのは、今になって結果論で過去を裁くのは間違いというのは理解しているつもりです。ただ、その過程はいつでも検証し見直しをすることはすべきで
そのためには公務員の方々が自己保身や見て見ぬふりをしていたら見直しの機会すらなくまってしまうということを言いたいだけです。
投稿: 青二才 | 2011年10月25日 (火) 09時32分
地方の公務員さん、名無しさん、野次馬さん、青二才さん、コメントありがとうございました。
常々、物事を多面的に見る重要性を強調しています。例示されている手当の話ですが、Googleなどで「公務員のためいき 特殊勤務手当」と検索いただければ、参考となる記事が見つかります。実は私自身も、過去の記事を探す際に利用している機能でした。今回、かなり長い抜粋となりますが、その関連記事の中から多面的な見方や立場にかかわる箇所をご紹介します。なお、次回の記事は下記のような問題意識について改めて掘り下げてみる予定です。
2006年9月9日(土) 特殊勤務手当の見直し
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2006/09/post_e3db.html
ここで特殊勤務手当について説明を加えさせていただきます。略して特勤手当は「著しく危険、不快、不健康、または困難な勤務その他の著しく特殊な勤務」に従事した職員へ支給されます。国家公務員をはじめ、全国の自治体どこにでもある手当です。特殊勤務手当は条例で定めて支給されていますが、最近、多くの自治体でその見直しが進んでいます。自治体によっては全廃したところもあるようです。
見直しの背景として、公務員の勤務条件が手厚すぎるとの声がある中、特殊性が見当たらない業務にも支給している「お手盛り手当である」との住民からの批判がありました。そのような声を踏まえ、総務省は自治体に対して特殊勤務手当の見直しや適正化の指導を強めていました。見直す際、総務省が示している主な視点は次のとおりです。
①国にない手当であることをもって直ちに妥当でないと言うものではないが、時代の変化を踏まえ、必要性及び妥当性を改めて検証する必要がある。
②他の手当又は給料で措置される勤務内容に対して重複の観点から検討を要する。
③対象業務に従事した場合ごとに日額や件数当たりで支給することが適当であり、月額支給等となっているものの妥当性の検討が必要である。
以上のような経緯とともに人件費の抑制を主眼とし、私どもの市の経営改革プランの中でも特殊勤務手当の見直しが掲げられていました。その内容は「勤務の特殊性の有無及び手当の支給方法について、全面的な見直しを行ない、著しく不快や危険を伴う業務に限定して支給する」と記されています。
手当の見直しは直接的な労働条件の問題であり、労使合意なく一方的に実施しないことを確認しています。その原則に基づき先週の団体交渉で、特殊勤務手当の見直しが組合へ正式に示されたことになります。組合にとって厳しい提案内容であっても提案そのものは受け、真摯に労使交渉を重ね、組合員との合意形成をはかりながら決着点を見出していくことが通例となっています。
今回、市側が提案してきた内容は、組合にとって到底受け入れられるものではありません。17項目の特殊勤務手当を見直した結果、「すべて廃止する」とした提案内容でした。その理由も「不快性・危険性・困難性は一部認められるが、基本的には本来業務の範囲として考えられる」など、無理に取って付けたようなものが大半でした。「全廃ありき」の結論が先にあったことが透けて見える提案だと言えます。
もともと手当一つ一つに支給してきた経緯や位置付けなど重視すべき歴史があり、簡単に廃止や見直しができる代物ではありません。しかしながら社会情勢の変化などを踏まえた場合、すべて現状維持を求めていく硬直した方針では立ち行かない時代だと認識しています。したがって、提案を受ける前提として「全廃ありき」ではなく、存続や方式変更など修正の幅を持った労使協議に臨む姿勢を市側にただしました。
その団体交渉の中で基本的な姿勢が確認できたため、今後、改めて労使で一つ一つの手当を検証していく協議を進めることになります。全廃を決めた自治体もありますが、特殊勤務手当の制度自体が否定されている訳ではありません。つまり「オールorナッシング」ではない見直し協議を通し、合意点を探るべき類いの労使課題だと考えています。
今回の記事を「公務員は恵まれている」と思われている方がお読みになれば、「全廃が当然」で組合が抵抗勢力のような見方をされるかも知れません。一方、組合員からは「また手取りが下がるのかな」「あまり物分かりの良い組合になって欲しくない」「組合費を払っている分だけ組合に頑張って欲しい」などの声が聞こえてきそうです。
組合員の利益を第一と考えるのが組合の存在意義ですので、昔ならばストライキ配置も辞さない「既得権」を守る闘争が多くの組合員から支持を得ていたものと思います。そのような時代ではないことを頭の中では皆分かっているものと思います。確かに組合としても「市民の目」を意識しなければなりませんが、時代が変わっても組合員の期待を背中に感じながら労使合意できる到達点をめざすことが大事なことに変わりありません。
投稿: OTSU | 2011年10月25日 (火) 21時57分
管理人様、コメントありがとうございます。
冷静な言葉使いに感謝いたしますし、管理人様の立場にも拘らず、私のような意見を書き込みさせて頂ける雰囲気を維持していただいていることにも改めてお礼申し上げます。
次回記事で問題意識について取り上げられるとの事で楽しみに待たせていただきますが、せっかくここまで進んだ議論の流れを分かり易くするためにもあえてこちらに書き込みさせて頂きます事をご理解いただきたいと思います。
以前にも市民から見たら???と思われるであろう手当ての事で、何故そんな手当てができるときにそれを知った公務員は何もしなかったのか?と書かせていただいた記憶があります。
組合は組合員の利益第一で組合員を守ることが存在意義ならば、組合員の方だけを向いていればいいのでしょうか?
理想論でいえば市民も公務員も同じ方向を向いているはずです。しかし、公務員から見れば待遇の向上は市民とは反対の方向となって(今までは)当然ではないでしょうか?
その方向を変えることが問題の解決になると思うのです。そうすれば無駄な公共事業や予算使いきり問題も解決するのではないでしょうか?
公務員が向く方向を市民と同じ方向に向けるとは、予算は人の金ということではなく、自分が納税者ならこれにお金を使っていいかと立ち止まって考える意識を持つことだと思います。
違う方向を向いている組合員の利益を組合が第一に考えているから、どんどん市民の立場から遠ざかっていき、気がつけば公務員は非常識と言われてしまう世の中になった部分もあるのではないでしょうか?
結果論で過去を裁くのは間違いと書きましたが、「窓口危険手当」などは出来るときに、組合が「そんな非常識な手当てを増やすならベースアップしろ」と言えば、後ろ指を指される手当てにならずに済んだはずです。
そういった事を組合が言ったという記事を目にすれば市民から見た公務員や組合というものも違って見えるのではないでしょうか?
組合員の利益第一とはそういうものではないでしょうか?
3年病欠の問題も「税金を給与原資とする公僕がそんな状態で給料を貰ってはおかしい」と組合が当事者職員個人に言うことが大事であって、病欠職員も組合員だからと口を閉じていては他の真面目な組合員を守るどころか、組合も組合員も市民感情の反感の的になるだけではないでしょうか?
組合としてそういったことが出来ないのなら、そういった事が普通に公務員同志で言える雰囲気を作ることも大事だと思います。
総務省が通達を出してお手盛り手当は見直しになるから問題は解決するわけではなくて、公務員同士が市民目線をもってお互いをチェックすることが第一歩だと思います。
野次馬さんから反論を頂いておりませんが、
>組合というもののあり方は組合が具体的に声を上げていくという性質のものではないと思っています。
については私は上記の考えです。そこの違いがもしかしたら「バカの壁」かもしれません。
>公務員は怠惰で、民間企業の社員は真面目だという前提自体が幻想です。
については誰もそんなことは言っておりません。ただ、ごく普通に民間企業ではどんなに大きな規模の会社でも経営サイドに対しては組合はそれほど強くないです。公務員は経営者と話し合うわけではないでしょう。
民間は基幹労連みたいに固まっても旧国鉄や旧日航ほどではないと思います。
野次馬さんや地方の公務員さんはそれでも組合は自分たちを見て自分たちを守るのが仕事だと思われますでしょうか?
投稿: 青二才 | 2011年10月28日 (金) 08時43分
青二才さん、いつもコメントありがとうございます。
以前の記事を紹介することで、いろいろお答えしていたつもりでしたが、改めて少し補足させていただきます。まず「窓口危険手当」など通常あり得ません。少数の自治体で窓口業務に従事した際、「窓口手当」のような名称で特殊勤務手当を支給していたものと記憶しています。要するに他の事務と比べて、特殊性を認め、定めた手当だったはずです。特に「危険だから」という理由ではないものと理解しています。
したがって、その当時、青二才さんが指摘されるような「結果論で過去を裁く」というほどの不当性や不法性は認識されていなかったものと見ています。ただ社会情勢の推移の中、前のレスで記したとおり「窓口手当」などの特殊勤務手当は大幅に見直されていきました。なお、私どもの自治体に「窓口手当」は過去にもなかったようです。
また、病気休職制度について、先日、連合地区協の会議がありましたので、年限などを尋ねてみました。いくつか伺った中では、民間でも最長3年間というお話でした。名無しさんからは「病気休暇であれば2年以下でケリを付けるのが、民間では大手でもスタンダードなようですよ。中小ではもっと短いでしょうね」という見方が示されていましたが、どのような把握だったのか疑問に思っています。
さらに民間でも、公務員でも労働組合は経営側と交渉し、労働条件の問題を決めていくのが基本です。このように事実認識について何点か指摘させていただきました。つまり青二才さんが強く問題意識を持たれている内容のいくつかは、若干ピントのずれたものがあり得ることもご理解ください。合わせて、労働組合は労働組合としての立場や発想があり、その上で様々な課題に対して、どのように折り合いを付けるのかを常に探っています。
やはりコメント欄だけでは私自身の思いが充分伝えられそうにありません。とは言え、新規記事の本文でも長く書き込むだけで、しっかりご理解いただけるような文章を綴れるかどうか分かりませんが、日曜の夜までには投稿する予定です。ぜひ、またご訪問いただければ幸いですので、よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2011年10月28日 (金) 21時53分
こんばんは。
青二才さんたちとは、どうも平行線になりそうなので、これ以上のコメントは控えようと思っていましたが、催促されたようなので、コメントを求められたとおぼしき点について、一応、私見を。
1.組合というもののあり方・・・という点について
(1)不祥事問題について
不祥事を起こした者については、やはり法を犯せば法によって裁かれるべきであり、就業規則に反すれば、その規定に基づいて処分されるべきであると考えます。それ以上でもそれ以下でもないと思います。
そこに組合が関わるべきものとは思いません。
(2)長期病休者について
詐病については厳しい処断があってしかるべきと思いますが、それも組合が判断できるものではないと思います。
病状については、病休者自身が人事部等に必要書類を出すでしょうし、必要に応じて、人事部等で医療機関への聞き取り調査等も行った上で、処遇について判断する必要はあると思います。
また、病休による解雇や免職については、通常、明文の規定があるでしょうから、それに従って扱うべきものと考えます。
その規定自体の妥当性についての検証は、時代性も考慮しながら随時行われるべきものと思いますが、それは組合でなく実施主体が行うべきものと考えます。
病状などの情報は、デリケートな個人情報であり、病休者自身が情報提供しない限り、組合が詳細な実態を把握することはできないし、あってはならないと思います。
むしろ、詳細な病状も知らずに、病休者に対し自主退職しろ、というような組合であれば、ない方がマシではないかと私は思います。
(3)手当について
名称や内容は、奇抜なものも散見されますが、それはさておき、仕事内容によってもらう金に差を付けるという意味では、手当もありかな、と思います。むしろ、例示された「窓口危険手当」導入の代わりにベースアップを求める、といったことは、対象者が全職員に広がるので、理にかなわないように思います。
問題は、各種手当が時代性も考慮した上で、必要なものかどうか、ということを随時検証し、存続の可否を検討できているのか、ということではないかと思います。
それも、組合がどうこうでなく、実施主体である国や自治体としてどうなのか、ということではないかと思います。
官民問わず、いわゆる「PDCA」のサイクルは随所に取り入れてゆきたいものです。
2.組合や個人が向いている方向について
企業体の理想としては、官民問わず、一人一人が優れた目的意識を持ち、組織の利益を最優先できることではないかと思います。
ただし、現実的には、それは無理ではないかとも思います。
たとえば、私が内定先の会社で提示された条件に、初任給は相場に比して高額の上、男子社員は営業手当○○万円、一定の条件を満たせば交際費やタクシー券使い放題といったものがありました。
そういった条件が、会社にとって100%好ましいものであるのか、また、倫理的にどうなのか、ということについては、様々な思いもありますが、その条件を聞いた時の感想は、単純に「すごいなあ」といったところで、社内の風潮としても、それを非とする空気はなかったように思います。
どんなに言葉を飾っても、雇われ人の働く目的の第一は、生活の糧を得ることです。雇用主から出される条件を、他の思惑もなしに自ら下げてくださいということは、むしろ異常なことではないかと思います。
もちろん、現在は長引く不況や、震災の影響などがあり、労働条件の悪化もやむなしという空気は強くなっていると思います。それでも、雇われ人自身にとってみれば、必要最低限の悪化にとどめて欲しい、と思うのが本音ではないかと思います。
マトモな会社では、経営が苦しいときは、経営者が率先して経営改善に取り組み、社員の生活を守ろうという姿勢を見せます。どうしても労働条件を切り下げないといけないときも、(それが建前だとしても)同じ釜の飯を食う仲間として、今を乗り切れるように頑張ろう、という姿勢を示します。だからこそ、社員も発奮して、苦しい条件の下でも、それまで以上に仕事を頑張ろう、という気持ちになれるのです。
それができなければ、その場しのぎで社員の給料を減らすなどして一時的に数字上は経営状態が改善されたように見えても、結局、状態は悪くなってゆくばかり、ということにもなります。
官民とも、働いている人間は、元をたどれば同じ大学生や高校生が就職したもの。公務員だけに自発的に労働条件の悪化を受け入れ、さらにこれまで以上に献身的に仕事に取り組め、というのは、無理があると思います。
公務員個人や、組合には、自発的に、自己啓発や、サービス業という自覚を持って仕事に取り組むことは望みたいと考えます。
一方で、賃金や手当等を含め、雇用条件切り下げの問題や、職員の任免などについては、職員個人や組合から声を上げるということを求めるより、国や自治体などの組織として検討して実施するとともに、適正な監査を受けたり、市民団体等からの外部チェックを受けるという体制を整えることで、公正な扱いをするべきものではないかと思います。
ものすご~く長くなってしまいました。
すみませんm(__)m
投稿: 野次馬 | 2011年10月28日 (金) 23時18分
追記、というか蛇足です。
労働組合のあり方とか、職業倫理とか、概念的な問題は、人それぞれに思うところがあると思います。そういう意味でも、なかなかこういった場だけのやり取りで、考え方そのもののすり合わせをしてゆくのは、難しいものだと感じています。
とりあえず、これまでのやり取りで、青二才さんの思いについては、何となく分かったような気はします。
ただ、現実問題として、まさに今、大幅な減給を突きつけられている国家公務員や、恐らくはその影響が波及するであろう地方公務員に対して、これまで以上に身を削れ、とか、理想的な公僕であれ、と言うのは、マゾであれ、と言うのと同じような気もしてしまいます。
ウェブで簡単に年齢層別の各種公務員の平均年収なども検索できますが、勤続年数や正規雇用、さらには最近の公務員人気による高学歴化などを考えると、これまでも、そんなに無茶な金額だったとは思えないし、そこからヒラでも5%とか減らされるとしたら、なかなか厳しいだろうというのが、率直な感想です。
ともあれ、色々な立場の人たちの、色々な意見が、もっと沢山、出てくると、面白いのだろうと思います。
当初の気軽なコメント投稿に始まり、青二才さんとは何度もやり取りをさせて頂く事になりました。
毎回の長文にお付き合い頂いたことには、感謝の言葉もないほどです。
ぽっと出の闖入者に対する常連さんの対応としては、温かいものだったと思います。
私がコメントすると、ついつい長くなってしまうということを今さらに自覚したので、今後はなるべく文字通りの野次馬でいようとは思いますが、また、機会があれば、舌戦、放談、お付き合いのほどを、お願い申し上げますm(__)m
投稿: 野次馬 | 2011年10月28日 (金) 23時51分
野次馬さん、たいへん丁寧なコメントありがとうございました。
労働組合の役割などに関する私自身の補足的な考え方は新規記事に託す予定です。その上で一言、私も「色々な立場の人たちの、色々な意見が、もっと沢山、出てくると、面白いのだろう」と思っています。閲覧者数が減っている訳ではありませんので、少し敷居が高くなっているのかも知れません。
管理人である私は記事本文とコメント欄を通し、寄せられたお尋ねに対して責任もって対応していく立場です。一方で、閲覧されている皆さんは、何か気になったこと、一言述べたいことなど、気軽にコメント欄をご利用いただければと考えています。もちろん投稿者同士の意見交換も大歓迎ですが、必ずしも相手側からレスがなかったとしても、それはそれで認め合っていく、おおらかな場であって欲しいものと思っています。
投稿: OTSU | 2011年10月29日 (土) 07時31分
自治労をはじめとする公務員組織には「自浄作用」は無いのですか?・・という簡単で単純な問いなのに平行線ですな。
投稿: あまのじゃく | 2011年10月29日 (土) 09時56分
皆様コメントありがとうございます。
あまのじゃくさん、簡潔にありがとうございました。
ただそれだけの事をできるだけ丁寧にと思って書いたつもりなんですが・・・。ちょっと閉口してしまうくらい平行です。w
ありがとうございました。
野次馬さん、お返事ありがとうございました。ご自身の言葉の中に矛盾が多々あるように読めるのですがあまり長くなっても、ですので、またの機会にご教授いただきたいと存じます。
投稿: 青二才 | 2011年10月29日 (土) 11時02分
>ちょっと閉口してしまうくらい平行です。
座布団半分!
ちょっと閉口してしまうくらい平行せん(線)です・・なら座布団1枚!
投稿: あまのじゃく | 2011年10月29日 (土) 11時15分
あまのじゃくさん、青二才さんへ
自浄作用は、ありますよ。
以上。
*****************************
簡潔に完結してみました。
(必殺、ダジャレ返し!)。
・・・でも、これでは納得できませんよね、実際のところ。
自浄作用はないのですか? という簡単な単純な問いで、答えも簡単で単純でよいのであれば、多くの公務員は「あります」と答えて、それでおしまいなのではないかと思います。
ところが、実際は、「あります」と答えれば、そうは見えない、とか、具体的にどんなことがあるんだ? となるわけです。
なので、今回のやり取りだけでなく、これまで、色々なお話が出ているのだと思います。
簡単な単純な問い、ただそれだけのこと、と言葉だけ簡単にしてみても、あまり意味はないのでは? と思います。
「ただそれだけのこと」を、各人がどのようにとらえているのか、そして、これから、どんな取り組みをしていったらよいのか、それを一生懸命考えてみるから、面白いのだと思います。
そういう意味では、平行線は平行線として、お互いに自分の考えを再認識できたり、少しでも新しい考え方に接することが出来たりして、勉強になれば、それはそれで、意味はあるだろうと思っています。
閉口(口を閉ざす)、なんてことは、青二才さんにはなさそうですが(^。^;
今後のご活躍も、期待しています。
投稿: 野次馬 | 2011年10月29日 (土) 18時03分
組合に自浄作用など、ある訳がないでしょう。
これまでも例に出しだ職員Ⅰと職員Ⅱの話では、解決法はあまのじゃくさんがコメントしたように「どうにもならん者は解雇する」しか有りませんが、ここで返されるコメントでは「組合は個々の職員の処罰に関与しません」と論点を替えられてしまいます。しかし、私が求めているのは一貫して「処罰は理事者がするので、それを可能とする成果主義を組合は受け入れなさい」ということです。
次に、この成果主義に対して、管理人さんは「理事者は丁寧なアプローチで職員Ⅱの内発的動機を高め改善しなければならない」と組合として頑なに導入を拒みます。
一方でそういうことを言って見せるのに、次の私と管理人さんとのやり取りでは、私のコメントに対し
>管理人さんは頑なに、職員Ⅱへは丁寧なアプローチを尽くし内発的動機のもとで変わるようにしなければならないと譲りませんでした。しかし、その自慢の丁寧なアプローチ(かどうかは分りませんけど)で、私ごときも納得させられないのに、何故そんなに確信的に相手を”変えれる”言い切れるのでしょう。
管理人さんは「まったくその通りです」と返答されています。このやり取りは管理人さんも、丁寧なアプローチをしてみても相手を変えることは出来ないと認めていることに他なりません。
つまり、どんなアプローチをしてみても職員Ⅱへは内発的動機で改善させることが出来ないと認めているのにも関わらず、理事者に外圧的動機を使うことを許さず飽く迄も内発的動機で職員Ⅱを改善させることを求めます。これらから、自分では出来ないと判っていることでも、交渉相手には求めるのが組合だと、管理人さんは自白して証明してくださいました。
自分に出来ないことを人には求める。そしてやらせてみた結果、当然のように出来なければ相手に非があるとして、自分に責任は無いとする。こういう姿を見せる組合は人の道に反すると確信するし、だから私は組合と管理人さんのような幹部を嫌悪するのです。まったく恥ずかしい姿だと思います。
投稿: 名無し | 2011年10月29日 (土) 18時31分
むむっ、ダジャレ返し、なかなかやりますな~(笑)。
自浄作用とは「自らの欠点を自ら指摘し、自らがその解決策を模索する」・・そうですね。
野次馬さんは公務員組織には自浄作用がある・・と主張しているのですね。
では組織の欠点を挙げてその解決策をお教えください。
それが貴方の言う「建設的な議論」というものです。
うまいダジャレが思いつかず・・後ほど・・。
投稿: あまのじゃく | 2011年10月29日 (土) 21時31分
あまのじゃくさん、青二才さん、野次馬さん、名無しさん、コメントありがとうございました。
自浄作用云々の対象とならない事例に対し、自浄作用の有無について問われても戸惑うだけという話が昨夜のコメントの内容でした。私も簡潔に記してみましたが、駄洒落もなく、さらに分かりづらいレスかも知れませんが…。
加えて、名無しさんから寄せられた次の言葉には愕然としました。
>どんなアプローチをしてみても職員Ⅱへは内発的動機で改善させることが出来ないと認めているのにも関わらず、理事者に外圧的動機を使うことを許さず飽く迄も内発的動機で職員Ⅱを改善させることを求めます。これらから、自分では出来ないと判っていることでも、交渉相手には求めるのが組合だと、管理人さんは自白して証明してくださいました。
実は先週の金曜夜、次のようなコメントが名無しさんから寄せられていました。
>管理人さんは頑なに、職員Ⅱへは丁寧なアプローチを尽くし内発的動機のもとで変わるようにしなければならないと譲りませんでした。しかし、その自慢の丁寧なアプローチ(かどうかは分りませんけど)で、私ごときも納得させられないのに、何故そんなに確信的に相手を”変えれる”言い切れるのでしょう。
それに対し、私からは次のようにお答えしていました。
>いずれにしても、名無しさんの次の言葉は、まったくその通りです。今後、どれだけ名無しさんの理解を求められるか自信はありませんが、私自身の思いを新規記事の中に託していくつもりです。合わせて、名無しさんのコメントも不特定多数の方々に読まれています。つまり野次馬さんのようなご意見にお互い耳を傾けながら、お付き合いください。
配置の順番を前後させていますが、その時の内容をそのまま掲げています。私が述べたかった点は、私の言葉がまったく名無しさんには理解いただけない現実に対する「その通り」でした。人事制度における「丁寧なアプローチ」という手法を否定する意図は毛頭ありません。
同時にギブアップした訳でもなく、引き続き新規記事を通して「丁寧にアプローチ」していく言葉だったつもりです。それが私自身の本意とは、かけ離れた箇所に反応され、大きな誤解を与えたことに本当に驚きました。やはり自分自身の文章力や表現力の拙さを強く反省しなければならないのでしょうか。
投稿: OTSU | 2011年10月29日 (土) 22時15分
あまのじゃくさん、コメントありがとうございます。
あまのじゃくさんの定義は分かりました。
むしろ、そこはあまのじゃくさんの方が問題意識をお持ちのようにお見受けしますので、あまのじゃくさんが考えてあげてください。
ただ、それが具体的なケースの話であるとすれば、どんな欠点があって・・・というのは各論的な話なので、それぞれの組織の現場で解決すればよい話であり、ここで議論するようなことではないと、私は思っています。
私は、組織の自浄作用とは、組織の中で何か問題が生じた際に、組織として問題解決に取り組むことだと考えています。
そして、多くの公的(公務員組織に限らず広い意味で)な組織は、そのような自浄作用は持っているものと思っています。
このように、言葉の定義一つをとっても、なかなかお互いにピタっと合うということはないワケです。
ただ、組織の欠点を検証し、解決策を検討する、という考え方は、Good!! だと思います。これは、いわゆるPDCAのサイクルの中にあることでもあり、官民問わず、常に意識すべきことだと思います。
また、もし、公務員組織全般について思うところがあるのであれば、こういった問題があるので、解決策を考えてはどうか、という提言が出せれば、それについて、知恵を出し合ってみても、面白いのではないかと思います。
私としては、組織の自浄作用に期待するばかりでなく、市民団体など、第3者からのチェックが入るシステムを構築することが、より望ましいのではないかと考えます。
いずれにしても、良いお言葉をありがとうございます。
ダジャレ合戦については・・・あまりやり過ぎると他の方が寒くなりそうなので、今の季節には自粛した方がよいですかねぇ^^;
投稿: 野次馬 | 2011年10月29日 (土) 22時48分
野次馬さんの期待に応えたいと、いやいや他人の期待に応えたいと幼少児から気を張って生きてきております故、少しばかりの再登場をなにとぞご勘弁をm(_ _)m
自浄作用は、ありますよ???
秘技、ちゃぶ台返し!!
他人に問われてその答えの結論だけ述べて、答えの証明は問題意識を持っているあなたが答えなさいと質問者に返すその性根。
一徹父さんなら特注の養成ギブスの2枚重ねの刑でしょうね。間違いない!。w
新入社員でどれだけ無垢な気持ちで入ってきても、朱に交われば・・・、閉口。
投稿: 青二才 | 2011年10月29日 (土) 23時54分
青二才さん。
懐かしいシーンの再現をありがとうございます。
でも、今回のおハナシって、証明うんぬん・・・というような話ではないと思いますけど・・・ボソッ(当惑)。
そもそも、私は何かの試験を受けているのではなく、私見を述べさせて頂いているに過ぎないのですが。
青二才さんたちを満足させるような答えかどうかは別として、私は私の考えを書いておきました。虚心坦懐、再読くださいとお願いしておきます。
意見を出し合うのは、楽しいし有意義だと思いますが、自分のルールに従って質問に答えよと要求し、満足いく答えが得られなければ、他者を断罪しようというのは、行き過ぎではないかと思います。
そういうことは、やめてちゃぶだい。
と言ってみます^^;
投稿: 野次馬 | 2011年10月30日 (日) 01時03分
やはり「建設的な議論」とやらは殆ど期待できないようですな。
「説得しても叱っても働かない人をどうすれば良いと思いますか?」・・に対して「説得を続ける」は「答え」ではありません。
「自浄作用はある」と自ら表明したのに「それは貴方が説明してください」は「答え」ではありません。
少なくとも「解放空間」に住み、仕事の結果を求められる「普通の人」の考え方ではありません。
「PDCAサイクル」の対極にある考え方でしょうね。
尤も答えたくないのならば、それでも構いませんが、解放空間の人間は「答えたくない」と「答える」のが普通です。逆切れは良くありません。
投稿: あまのじゃく | 2011年10月30日 (日) 09時17分
もしかすると養成ギブスだけでは改造不可能かもしれませんねw
因みに
「虚心坦懐」とは
意 味: 心にわだかまりを持たず、素直でさっぱりした気持ち。無心で平静な心境。偏見がなく、心を開いていること。
「建設的」とは
意 味: 現状をよりよくしていこうと積極的な態度でのぞむさま。
ことごとくご自分の言葉と真逆の対応を取っているとおわかりでないのか、わかった上でそうされているのか…。
意見を出し合うのは楽しいし有意義だと思っていらっしゃるのであれば、ご自分の考えの根拠くらいは言っていただかないと小学生の口論ではないのですからw
PDCAと言われるからには箇条書きでもいいですから。
もしかして「PDCA」も説明も必要ですか?
投稿: 青二才 | 2011年10月30日 (日) 09時40分
あまのじゃくさん
普通の人は仕事の成果に応じて報酬を得ていますから、答えを出すのが通常の感覚です。そして、少しでも成果を上積みする答えを探すために頭と労力を使います。
しかし、ここに居られる人たちは、職場に居る時間に応じて報酬を得ていますから、答えを引き延ばすのが通常の感覚のようです。そして、その空間を維持するためだけに頭と労力を使っていると感じます。
だから、ここでは何時まで待っても答えは出てきませんよ。答えを出さなくても報酬がもらえる空間に住んでいるのですからね。
成果に応じた評価や報酬を拒み、時間に応じた評価や報酬を得るために、もっともらしい理由を作り、丁寧な口調で説明する振りをする。ここはそういうところだと感じています。
投稿: 名無し | 2011年10月30日 (日) 10時04分
まずは、あまのじゃくさん、おはようございます。
今回、ダジャレ返しはなしですね。
さて、あまのじゃくさんの定義についての感想や、私自身の定義する自浄作用については、既に私見を述べさせて頂いています。
青二才さんへのコメントでも同じようなことを書きましたが、試験を受けているわけではないので、あまのじゃくさんの期待する答えだけが、ここで書くべきこととは思っていません。
自浄作用のお話については、私とあまのじゃくさんとで定義が違うということは説明したと思います。私から見ると、公務員組織全般についての欠点や解決策というテーマは広すぎて、具体的に考えてみる手がかりに乏しいと思ってしまいます。
むしろ、今回、あらためて出して頂いた「説得しても叱っても働かない人をどうすれば良いと思いますか?」という問いの方が、まだしも論点が分かりやすく、発展させやすいとは思いますが。
ただ、これも、批判のための批判であれば、例えば、以下のような流れになることも想定されるのではないでしょうか。
1.A氏が「説得しても叱っても働かない人をどうすれば良いと思いますか?」と問う。
2.B氏が「そういう人は、クビにするしかないと思います」と答える。
3.A氏が「では、職員Ⅱはクビにするしかないということですね」と問う。
4.B氏が「職員Ⅱについては、説得しても叱っても働かない、ということではなく、どうやって、その意欲や仕事の能率を上げさせるのかを考えるべきと思っています」と答える。
5.A氏が「それはさっきと言っていることが違う。クビにするしかないと言ったでしょう」と指摘する。
一見、問答として成立していますが、A氏とB氏とで職員Ⅱについての認識が違うので、問題が生じています。
ここでの問題は、問答の前提としての「職員Ⅱ」の定義付けです。
例えば、上記の3で、「では、職員Ⅱがそういう人であれば、クビにするしかないということですね」と限定する条件を追加すれば、B氏もそうですね、と答えられるでしょう。
もっとも、その場合も、現実問題に当てはめようとする場合には、職員Ⅱが、実際にそこまでひどい状態なのか、ということを検証する必要はあると思います。
そういった点も踏まえて、あらためて、ご自身で考えてみて頂ければ幸いです。
もちろん、答えを強要するつもりはありませんが、想像力を働かせて、たまには公務員組織の立場に立って、その欠点と解決策について、考えてあげてみて頂ければ、という提言であると申し上げておきます。
それが、建設的な議論につながるものと私は考えています。
また、批判のための批判では、到達点も批判で終わってしまうのではないか、ということを考えています。
もっとも、公務員を批判したいというだけの目的でコメントをされている人たちであれば、それで一定の満足は得られるのでしょうけれど。
あまのじゃくさんは、必ずしもそうではないのだろうとお見受けします。
私は、このブログのコメント欄を、OTSUさんに限らず、その他の現役の公務員のみなさんの考え方や意見を聴くことができるような場にもなり得るという期待を持っています。
公務員自身も含めて、色々な考え方があるということが受け入れられるとよいのではないかと思います。
100か0か、ということや、批判ありきでなく。
このブログをどれだけの公務員の方が読んでいるのかは分かりませんが、実際の公務員の声を、もっと引き出せるようなやり取りが、コメント欄でできたらなあ、という思いです。
私が思うに、青二才さんやあまのじゃくさんが投げかけられている問いの本質自体はシンプルで、それは答えを待つまでのことではなく、むしろ、大事な点は、公務員制度や公務員自身、あるいは公務員の職員団体のあり方を、どのように改善してゆくことができるのか、ということなのだと思います。
そこにかける熱い思いを持っておられる公務員も、少なくないものと思います。
長文の上、とりとめもなく乱文で恐縮です。
あまのじゃくさんをはじめとする諸兄や、このブログを大変上手にまとめていらっしゃる管理人のOTSUさんの今後のますますの発展を祈念いたします。
投稿: 野次馬 | 2011年10月30日 (日) 11時25分
やはり無理で無駄のようですね。
私(達?)の求めているのは「問題の解決」です。「批判」でも「謝罪」でも「言い訳」でも「自由闊達な議論」でも「様々な提言」でもない。
野次馬さんは最後に「大事なのは・・(中略)・・どのように改善してゆくことができるのか」と書いていながら、「どうやって改善するのか」を全く書いた事がありませんから、私(達?)から見たら「ゼロ回答」で且つ何の意味もありません。
結局聞こえてくるのは「改善できない理由」ばかり。
名無し氏の最後の投稿を良くお読みになると宜しい。
投稿: あまのじゃく | 2011年10月30日 (日) 11時58分
野次馬さん
>もっとも、その場合も、現実問題に当てはめようとする場合には、職員Ⅱが、実際にそこまでひどい状態なのか、ということを検証する必要はあると思います。
既に検証は終わっています。話を一々振り出しに戻すのはやめませんか。
組合との労使交渉の果てに、それはもう何年も検証されてきました。でも、その結果が今の公務員を冷ややかに見る住民の目であり、公務員の提供する成果に満足できない大多数の住民の批判の声なのですよ。
それでもなお、職員Ⅱにどうやって意欲や仕事の能率を上げさせるのかを考えるべきと際限なく言われるから、では野次馬さんが即時にやってみて証明してくださいとなるのです。
繰り返しますが、労使交渉の果てに、もう何年も検証済みのことです。対応は即時に効果のあるものでなければ、悪質な時間稼ぎとみなされますよ。
そして、今示されている労使交渉の果ての検証結果は、大阪市問題のような惨憺たる現状であり、静岡教職員猥褻問題での「万策つきた」発言なのでしょう。これらのことからは、ここで管理人さんが言われるようには物事は解決しない。それだけが証明されているのです。
私は答えを示しています。公務員が向くべき方向は住民の満足であり、その満足の先にのみ労働から得られる精神的充足と経済的充足があること、職員Ⅱを改善するには成果主義の導入による外圧的動機のみが有効であり、どうにもならなければ解雇し入れ替えること、さらに成果主義を効果的に導入を果たすために、まずは速やかに職員Ⅰと職員Ⅱとも待遇を切り下げること、そして遅滞なく職員Ⅰのあるべき待遇を検討することです。
これで住民からみられる公務員の姿は劇的に変わり、労働から得られる精神的充足と経済的充足が成立します。
これが組合の目指すべき方向でしょう。あなたのとは違い具体的な回答だと思いますよ。
もちろん、この方法に限らず公務員が向くべき住民が満足する方法があるなら、それでも構いませんが、これ以上の時間稼ぎは御免こうむります。
投稿: 名無し | 2011年10月30日 (日) 12時10分
野次馬さん、青二才さん、あまのじゃくさん、名無しさん、コメントありがとうございました。
コメント欄での論点をすべて網羅したものではありませんが、後ほど「ギリシャの危機に思うこと」という新規記事を投稿します。労働組合の本分や習性について改めて綴っています。少しでも「壁」を低くした議論に繋げられればと願っていますが、何とも自信が持てない、かみ合わなさだと思っています。
投稿: OTSU | 2011年10月30日 (日) 16時17分
野次馬さん
公務員の立場になって考えて頂ければ幸いなんてついついこんなところで本音を見せるのなら、”2011年10月22日 (土) 20時02分”のご自身のコメントを訂正すべきですよw
ロールプレイどころか自己保身そのものにしか見えていませんので・・・。
「市民目線」の重要性を考える公務員はたくさんいるでしょう?
でも、貴方のようなお考えの職員でさえも守ってくれる組合があるから遅々として改善がされないと言われたりして、ご自身が悪評の原因やバカの壁を作ってしまっている可能性をもう少し理解されるべきだと思います。
仕事に前向きに頑張り、職場でも市民からも信頼される職員Ⅰにとって、組合はとても大切です。
仕事は勤務時間に応じた報酬を権利としてもらい、保身のため責任を取らないし、既得権を守ることだけに固執する職員Ⅱにとっても同じく組合は大事です。
少人数の組織である組合なら(民間企業では)生産性や収益を度外視してまで組合の存在価値はありません。
つまり民間企業では職員Ⅱが増えてくれば必然的に企業の存続が危ぶまれ、途中で企業の再建等が必要になります。
生産性や収益が重要でなかったり必要のない公務員では、納税者の市民目線を度外視してまで職員Ⅱを守る組合の存在価値はあるのでしょうか?
もちろん市民目線を全く度外視しているとは言いませんが、そのバランスが崩れていたから現状ここまで大きな問題になっているのではないでしょうか?
職員Ⅰにとって大切な組合を守るためにも、組合としては職員Ⅱに対しては厳しい態度をとるべき時が来ているのかもしれません。
組合が存続していくためには、もしかしたら組合の細分化しかないのかもしれません。と思った次第です。
これは管理人様に対して回答を求めるものではありません。
管理人様新記事ご苦労様です。
投稿: 青二才 | 2011年10月30日 (日) 23時06分
青二才さん、おはようございます。
私あてへのコメントではないというお断りもありましたが、気になった点がありましたので少しだけ発言させていただきます。踏み込んだ内容に触れるものではなく、再三お願いしてきた当ブログのコメント欄での留意事項についてです。
>管理人である私は記事本文とコメント欄を通し、寄せられたお尋ねに対して責任もって対応していく立場です。一方で、閲覧されている皆さんは、何か気になったこと、一言述べたいことなど、気軽にコメント欄をご利用いただければと考えています。もちろん投稿者同士の意見交換も大歓迎ですが、必ずしも相手側からレスがなかったとしても、それはそれで認め合っていく、おおらかな場であって欲しいものと思っています。
上記は土曜の朝に掲げた私のコメントの一文です。すべてコメント欄での皆さんのやり取りは目を通しています。その中で、これまで野次馬さんは精力的に対応されているように見ています。意図的に茶化した表現もありましたが、全体を通した文章の中身は丁寧に誠意あるものだと感じていました。
その上で、野次馬さんからの「そもそも、私は何かの試験を受けているのではなく、私見を述べさせて頂いているに過ぎないのですが。青二才さんたちを満足させるような答えかどうかは別として、私は私の考えを書いておきました。虚心坦懐、再読くださいとお願いしておきます」という言葉の意味を受けとめれば、この時点で昨夜のような追及型のコメントは好ましいものと私自身は受けとめていません。
ぜひ、以上のような趣旨を改めてご理解いただき、「私はこう考える」という不特定多数の皆さんにアピールする論調に切り替えていただければ幸いです。なお、当たり前なことですが、とことん野次馬さんが対応されていくことを制約するものでもありません。最後に、野次馬さんは公務員ではないものと過去のコメントから理解していることも付け加えさせていただきます。
投稿: OTSU | 2011年10月31日 (月) 08時25分
野次馬さんには大変申し訳ない事をしました。
彼の言い分は筋が通っているし、その通りです。
ただ自分達(公務員達)で何故変えようとしないのだ?・・という気持ちがつい(野次馬さんへの)強い書き込みになってしまって申し訳ない。
当然公務員全員に発せられるべき台詞です。
ただ、(公務員諸氏が)若し「公務員への批判」が「嫉妬」「恨み」の類で発せられていると考えているなら、それは問題の本質を取り違えているし、そう考えている限り「バカの壁」は消滅しないだろう。
確かに嫉妬の類で批判や攻撃している人達は沢山いる。しかし「それ」を引き起こしている「何か」があり、それに直視をしないと問題は解決しない。
「身分保障を受けて閉鎖空間に住む者」は公務員だけでは無い。高齢者、年金受給者、生活保護者、一部の特殊な職種など多岐にわたる。
見方によっては母子家庭や身体障害者なども入るだろう。
「身分保障を受けて閉鎖空間に住む者」の反対は「他者との関係で立ち位置が決まる開放空間に住む者」です。
まあその代表が「乞食」ですな(笑)。
私は「身分保障を受けて閉鎖空間に住む者」を「悪」とは思わないが、全体の構図を歪めているならば、それは是正されるべきものだろう。
1000兆円の借金の原因は「身分保障を受けて閉鎖空間に住む者」です。
当然公務員はその中に入っている。しかし年金受給者も入っているので「同じ位」批判されるべきでしょうね。
私の話はバカの壁で伝わらない可能性が高いが(笑)。
本当に野次馬さんには申し訳ない。
投稿: あまのじゃく | 2011年10月31日 (月) 09時18分
「身分保障を受けて閉鎖空間に住む者」の反対は「他者との関係で立ち位置が決まる開放空間に住む者」です。
まあその代表が「乞食」ですな(笑)。
投稿: JWH-018 | 2012年1月27日 (金) 02時35分