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2011年10月30日 (日)

ギリシャの危機に思うこと

以前の記事を読み返す時も少なくありません。特に直近の記事は投稿した後、何回か読み直しています。すると言葉が不足している箇所や、このように書けば良かったと思える表現などが目に付きます。前回の記事「ブログでの発言の重さ」も、そのような点がありました。要するに個人の責任で運営しているブログだとは言え、労働組合の委員長という立場を常に意識している点を強調したかった記事内容でした。

そもそも相対的な人事評価によって「成績の悪い職員の2割はクビにしろ」と訴えられても、組合役員の立場として到底容認できるものではありません。100%仮定の話となりますが、万が一、個人的な考え方として、そのような発想を支持していたとしても、ネット上で軽々しく発言できるものでもありません。かなり自由に個人的な思いを発信しているブログですが、組合員との信頼関係を損ねるような先走りには注意している点を「発言の重さ」という表現に託していました。

前置きが長くなると、また論点が分かりづらくなるかも知れませんので、さっそく記事タイトルに掲げたギリシャの危機について触れていきます。ギリシャの債務残高は2010年末時点で3300億ユーロ(約35兆円)とGDP(国内総生産)の1.45倍に達していました。ちなみに日本の借金は2011年度末に1024兆円と見込まれ、危機感を高めなければなりませんが、以前の記事「なるほど、国の借金問題」のとおりギリシャの切迫感とは今のところ切り分けて考えられるようでした。

いずれギリシャは借金を返せなくなるという懸念が強まり、欧州全体の財政・金融危機が叫ばれるようになっていました。ギリシャが破綻すれば、ギリシャ国債を大量に保有する欧州の金融機関が破綻に追い込まれ、欧州各国の国債も一気に信用を失うという危機でした。さらにユーロ不安が世界経済の大混乱を招く恐れもあり、ユーロ圏全体の安定化のためにギリシャの救済に欧州各国が乗り出していました。

各国首脳が夜を徹して話し合った結果、ギリシャ国債を保有する欧州の民間金融機関が5割の債務を棒引きする救済策をまとめ、ギリシャの債務を大幅に削減する見通しを立てました。事実上のデフォルト(債務不履行)だとも言えますが、ギリシャのパパンドレウ首相は「これで来年は国民の肩に新たな借金がのしかからない」と安堵の表情を浮かべたようでした。 一方で、フランスのサルコジ大統領からは「ユーロ加盟を認めたのは誤りだった」という辛辣な言葉も投げかけられていました。

このような支援を受けることになったギリシャ政府は、増税や歳出削減とともに脱税取り締まりの強化などを進めていくこととなっています。緊縮財政策の中味は、公務員3万人の一時帰休、公務員給与の2割引き下げ、高額年金受給者への支給額カット、所得税の課税免除額引き下げなどでした。この関連法案に反対し、キリシャの労働組合は48時間のゼネストに突入し、警官隊と激しく攻め合った大規模なデモが繰り広げられました。

5人に1人が公務員で、50代から年金が支給される制度のあるギリシャに対し、欧州内をはじめ、世界各国から冷ややかな視線が注がれていました。「あまりギリシャ人は働かない」という見られ方があり、ギリシャを寓話『アリとキリギリス』のキリギリスにも例えられがちでした。しかしながら反緊縮のゼネストやデモに立ち上がっているギリシャの人々からは「もう限界だ。さらに財政緊縮が強化されると、生きていけない」という切実な声が訴えられていました。

デモに参加した国営大手電機メーカーの技師の月給は、財政危機が本格化した2009年以降、約1900ユーロだった額が1200ユーロまで引き下げられていました。家賃の安いアパートに引っ越したとは言え400ユーロかかり、食費も月500ユーロ以上かかるため、その技師は子どもに服も買い与えられないと訴えていました。また、高層ビルの危険な職場で働きながら、この月給であり、「ギリシャ人は怠け者という海外の批判は的外れだ」と憤られていました。

年金生活者の受給額は財政危機で月1500ユーロまで引き下げられ、さらに今回の緊縮策で減らされる見通しであり、「ギリシャの年金暮らしは、外国人が思うほど優雅ではない」と反論する声も上がっていました。反緊縮のデモには労働組合員に限らず、生活苦と将来への絶望感を抱いている数多くのギリシャ市民も結集されていたようでした。このような声を耳にしていくと、ギリシャのゼネストなどは追い込まれた労働者がやむにやむれず決起したものであることを感じ取れます。

さらにアテネ在住特派員の有馬めぐむさんの記事「財政危機はなぜ起こったのか?」によれば、閣僚の汚職や特権階級的政治が繰り広げられていたことに対する国民の怒りも理解できます。冒頭に記したとおり私自身が労働組合の役員であるため、ゼネストを打たざるを得なかった側の視点なども含めて概要を綴ってきました。ここまでで充分長い記事となってきましたが、記事タイトルのとおりギリシャの危機に接し、自分なりに思うことを少し付け加えさせていただきます。

これから書き進める内容は、前々回記事 のコメント欄で紹介した「特殊勤務手当の見直し」の中に記していた問題意識に繋がるものでした。まず普通に考えれば、少しでも給料や手当の額は「高いほうが良い」と大多数の方々が望まれているのではないでしょうか。中には報酬よりも「働きがい」や「誇り」を重視される方もいらっしゃるのかも知れませんが、積極的に「少なくて良い」と要求される方は少数だろうと思っています。

組合員の賃金や労働条件の改善をめざすのが、労働組合の本務です。その役割や立場を逸脱し、経営側の視点のみに傾いた賃下げや雇用軽視の姿勢はあり得ません。過酷な労働条件変更の提案を突き付けられた時、労働組合が無抵抗だった場合、組合員から失望されることは必至です。拳を振り上げるべき局面で、拳を振り上げなければ、労働組合の存在意義が厳しく問われることになります。

今回のギリシャのゼネストは当事者の方々にとって、そのような局面だったのだろうと見ています。一方で、労使間での自主的な交渉の幅が持ち得ない局面まで至らせたギリシャ当局の責任も重く、労働組合側も忸怩たる思いを抱いているのではないでしょうか。これまで日本の労使関係の中で、「組合が強くて、改める提案ができなかった」という当局側の言葉を耳にする時がありました。

20年前、10年前であれば、ある程度容認されていた話が時代情勢の変化の中で、批判の対象となる事例が少なくありませんでした。すでに他の団体が改めていた労使確認内容などを改めるタイミングを逸し、一気に表面化した際、強い批判にさらされた労働組合がいくつか頭に思い浮かんでいます。それぞれ「強い」と言われていた組合が多かったようでした。ギリシャの公務員組合も構成員が多いことからも、そのような「強さ」を備えていたのだろうと思います。

いずれしても労使自治が発揮できなくなる事態に追い込まれないよう改めるべき点は改めていくという姿勢は労使双方に求められ、情勢認識を磨く努力も欠かせないものと考えています。その意味で、私的なブログとは言え、たいへん幅広い視点や立場の方々から歯に衣着せぬ意見や批判が伺える場は貴重だと考えています。一つ一つの声に対し、すべて受け入れるような「答え」は前述したとおり難しい現状があります。

しかし、様々な批判の声があることを把握できることは、今後、どのように対応すべきか、組合で議論していく際の判断材料の一つになっていくことは間違いありません。また、「公務員は恵まれている」と思われている方からすれば、組合を抵抗勢力と見ているのでしょうが、組合員の皆さんからは「あまり物分かりの良い組合になって欲しくない」「組合費を払っている分だけ頑張って欲しい」という率直な声が上がりがちな現状も受けとめているところでした。

最後に、「襟を正してきた具体例」という以前の記事の中で、「組合員の目の前の利益を守ることが労働組合の重要な役割であることも間違いありません。しかし、とりまく全体的な情勢を見誤り、時代状況の変化に対応できなかった場合、より大きな組合員の利益を損ねる可能性もあり得ます」と記していました。今回の記事も長くなりましたが、言葉が不足している点なども多いはずです。これからも辛口なコメントが寄せられるのかも知れませんが、ぜひ、思い込みによる決め付けた批判だけは避けて欲しいものと願っています。

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2011年10月22日 (土)

ブログでの発言の重さ

ブログという存在を知り、自分でも始めたことによって、初めてインターネットの面白さにはまりました。それまでブロードバンドとは無縁でしたが、ほどなく自宅の回線をADSLに変更する切っかけとなっていました。その頃はパソコンに向かう時間を惜しまず、このブログの記事も毎日のように更新していました。合わせて、他のブログへのコメント投稿も積極的に行なっていた時期でした。

現在は週に1回の更新となり、他のサイトへの書き込みは一切行なっていません。日常生活に過度な負担をかけず、このブログを続けていく心得の一つでした。特にコメント投稿に関しては、自分のブログ内での対応に集中するため、遠征(?)は控えていました。それでも少し前の記事のとおりブックマークし、頻繁に閲覧しているブログは数多くありました。その際、一言コメントさせてもらおうか、時々、迷うような記事内容にも接していました。

最近、あるブログで「公務員のためいき」を取り上げていただき、「組合嫌いの方からの攻撃にOTSUさんが穏やかに反論するパターンが続いています。ただ、いつも穏やかなOTSUさんにしては珍しく強めの勢いを感じる反論もありました」という記述を目にしていました。さらにコメント欄では、その管理人さんから「市職の委員長という職を離れたら、もっとストレートな言い方が出来るようになるのかも」という見方も添えられていました。

いろいろな意味で、じっくり読み込まれていることが分かる批評内容でした。ご迷惑がかかるかも知れず、当該記事の紹介はとどめようとも考えましたが、やはり控えめにリンク先をはらせていただきました。実は土曜の夜、前回記事のコメント欄で「ギリシャの問題に触れようと考えていましたが、その前に添えたい一言二言が生じているようです」と書き込んでいました。その際、今回紹介したブログの言葉を思い出していました。

改めて当ブログの位置付けの説明となりますが、自治労に所属している組合の委員長の立場を明らかにしながら運営しています。とは言え、組合の公式ブログではなく、あくまでも内容に関しては一個人の責任で投稿しています。開設した大きな目的は、公務員やその組合側の言い分の発信と合わせ、私どもの組合員の皆さんに組合を身近に感じてもらうという二兎を追っていました。

そのため、組合員の皆さんをはじめ、顔なじみの自治労や連合の組合役員の皆さんらにとって、このブログは匿名での投稿となっていません。一方で、不特定多数の皆さんも訪れてくださり、幅広い立場や視点からのコメントをお寄せいただいていました。週に1回の更新ですが、おかげ様で毎日千件前後のアクセスがあります。このような位置付けの中、ブログの記事本文やコメント欄での発言を重ねてきました。

自分自身は推敲を重ねながら、精一杯分かりやすい文章の投稿に努めているつもりでした。しかし、「分かりにくい」「お役所答弁」などという言われ方が多いことも否めませんでした。あえて対立点を際立たせない書き方が多いため、断定的なレスが少なく、分かりづらい点があることも自覚していました。特に相手を挑発するような表現は、なるべく避けるように心がけていました。

例えば、前回記事で示していた「バカの壁」が生じがちな理由の2点目について、「基礎的な知識が欠けていた場合」「もっと勉強してもらわなければ」などという表現では非常に角が立ち、憤られる方が出てくることを懸念していました。ただ回りくどい表現は、確かに伝えたい内容を分かりづらくしている場面があろうかと思っています。それでも決して煙にまくような意図はありませんので、改めてご理解いただければ幸いです。

そして今回、もう一つ、分かりづらくしている大きな理由を説明させていただきます。前述したおり個人の責任によるブログである一方、組織の看板も背負いながら発信している側面がありました。私どもの組合も、自治労も、おおらかな組織ですので、個人的な発言の自由度は高いほうです。それでも組織として右へ行くのか、左へ行くのか、議論中の案件などについて先走って結論的な発言を行なうことは避けるべきだと考えています。

言うまでもありませんが、議論の俎上にない案件だった場合、これまで私見として結論的な「答え」も連発していました。あくまでも組合の課題の中で、デリケートな案件に関しては言葉を選びながら発言していました。その際は、確かに「分かりづらい」という見られ方が多かったはずです。しかしながら私どもの組合員の皆さんが当ブログを見た際、「あれっ?!」という不信感を与えるようなフライングは絶対避けなければならない点でした。

たいへん失礼ながら「言うだけ番長」と揶揄されがちな民主党の前原誠司政調会長は格好の反面教師だと見ています。とにかく難しい問題の結論を断定調で述べ、まとめる見通しや党内の根回しなどが不充分だったため、結局、言うだけだったという顛末を繰り返していました。その歯切れの良さが前原政調会長の人気の一つだとも言われていますが、私自身は強く反省し、改めるべき短所だと思っています。

今回の記事も地味な内容にもかかわらず、長々と書いてしまいました。前回記事に対しては「長すぎて引いた」というコメントも寄せられていました。そろそろ話をまとめさせていただきますが、純粋な匿名の発信ではない私自身の発言の重さを様々な点で意識しています。不特定多数の方々が閲覧できるネット上に発信する重さ、日常の中でお付き合いのある多くの皆さんに見られている重さ、このような点を踏まえ、誰に見られても責任を持てる言葉を常に探し続けています。

「分かりづらい」「歯切れが悪い」という見られ方に関しては申し訳なく思っていますが、自分自身、それほど窮屈に感じず、書きたいことを自由に書き込んでいるつもりです。もし窮屈に感じていたら、これほど長く続けていなかったかも知れません。いずれにしても、このような点もご理解いただき、お付き合い願えればと思っています。最後に、市職の委員長という職を離れた後、リニューアルした「公務員のためいき」をお見せできる日がいつ訪れるのか…? 引き続き立候補し、火曜日から信任投票が始まりますので、まだ先の話となる見通しでした。

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2011年10月16日 (日)

ネット議論での「バカの壁」 Part2 

前回記事(ネット議論での「バカの壁」)に寄せられたコメントを踏まえ、今回は「Part2」として私なりの考え方を補足させていただきます。まず「バカの壁」を持ち出したことで、異論や批判意見を抑えようという意図があったようにも思われていました。あまのじゃくさんからは「意見が対立した時、何でもバカの壁のせいにして議論を封殺すのは良くありません」という指摘を受けました。このところ記事本文で頻繁に紹介している名無しさんに対しては、次のような印象を与えてしまったようでした。

先週までのコメントの応酬のように、双方が歩み寄る余地の無いような状況下で、その一方が「バカの壁」の引用を持ち出すことは許される行為なのでしょうか。それこそ組合が好むフレーズの「誠意無き回答」と言われるべきものではありませんか。管理人さんが第一に守るべきは構成員ですか反核思想ですか平和活動ですか、私には構成員の優先順位が下げられているように感じられてなりません。是非、構成員の立場や住民の立場から多面的にご自身を見て欲しいと思います。

どうしても議論が平行線となり、論点もかみ合わない場合があります。率直なところ名無しさんとの関係は、その傾向が強まっていました。さらに同じような視点、もしくは思い込みによる批判が繰り返されがちだったため、前回記事で「バカの壁」について自分なりの解説を加えてみました。そのことは決して名無しさんの意見を封殺するものではなく、さらに各論にかかわる質問から逃げるものでもなく、立場や視点の違う者同士の議論を少しでも実りあるものに高めたいという切実な願いから書き込んでいました。

言うまでもなく、これからも名無しさんの意見は、このブログのコメント欄に即時に反映されていきます。管理人の意図に反したコメントを排除したいのであれば、コメント投稿そのものを受け付けない機能を使うこともできます。以前の記事「コメント欄雑感」で記したことですが、このブログは私的な場でありながら、ある意味で公的な場のような位置付けを大事にしています。仲の良いグループ同士のサークルやサロンの場とせず、幅広い考え方を持った方々が気軽に出入りできる場であることを望んでいます。

つまり名無しさんのような批判意見を直接耳にできる機会を貴重なことだと受けとめているからでした。そのような声が潜在化しているのにもかかわらず、適確に把握できないまま日常の活動に取り組むことよりも、把握した上で日常活動に向き合うほうが格段望ましい姿だと思っています。また、様々な批判に対し、こちらからの立場や考え方を説明できる相互交流の場としても、ブログのコメント欄の貴重さを認識してきました。

一方で、不特定多数の方々が訪れるインターネットの場ですので、これまで本当に幅広い声が寄せられていました。当然、公務員やその組合に対する手厳しい批判意見も数多く、個人攻撃、誹謗中傷の類いのコメントも少なくありませんでした。辛辣な意見に対する免疫力が高まっている訳ではありませんが、このブログを続けていく限り、コメント欄は今後もフルオープンな場としていくつもりです。

その上で、せっかく縁があり、コメント欄で意見交換できる関係を持てた方々とは、前述したように実りある建設的な議論に繋げたいものと心から願っていました。紹介した「バカの壁」にかかわる議論の心構えに関しても、ご自身に省みる点がないと思われている方々にとって、不誠実な「論点そらし」のような印象を与えていたのかも知れません。改めて今回、ネット議論で「バカの壁」が生じがちな理由の4点を掲げた上、個人的な思いを補足させていただきます。

  1. 不特定多数の方々が集うネット上では、基本的な立場や視点が異なる者同士の議論となるため、「バカの壁」が生じがちとなります。
  2. 前提となる事柄に対し、共通の認識に立っていない中で、議論が交わされていけば、間違いなく「バカの壁」が生じます。
  3. 同じ情報に接していたとしても、もともとの立場や視点などが異なる場合、まったく違った評価に繋がる可能性があり、「バカの壁」も生じがちとなります。
  4. 事実認識などが共通だったとしても、相手を論破することが第一の目的だった場合、「バカの壁」以前に建設的な議論が成り立たなくなります。

あまじゃくさんのお尋ねに対し、前回記事のコメント欄でお答えした話となりますが、自分の考えが正しいと信じて議論するのは当然です。ただ議論している者同士、お互いが持論の正しさを信じ続けた結果、話し合いは平行線をたどる場合が多いものと思っています。それでも議論している中で、どちらかが事実誤認や自分の考え方の不適切さに気付いた時、一気に歩み寄れるチャンスが広がるはずです。

誰も全知全能とはなり得ませんので、その際、潔く折れる姿勢を取れるのかどうかも非常に重要な点だろうと思います。そのような意味合いにおいて「自分の考え方が唯一の正解と決めてしまうと、自分と違う立場のことは見えなくなり、当然、話は通じなくなる」という見方に繋がっているものと理解していました。例えば、公務員の職員団体は「労働組合ではない」という前提で議論されていた方が、法的にも実態としても「労働組合である」という事実を認識された際、「壁」が一気に低くなる可能性もあり得るのではないでしょうか。

このケースは上記2に当たる訳ですが、だからこそ幅広い情報を発信していくことの大切さを感じ取っています。続いて、公務員に「労働組合があることは知っているが、必要ないのではないか」という意見だった場合、上記3の個々人の評価の違いによる「壁」となります。その主張の前提となっているのが「もともと公務員は雇用が安定し、待遇も恵まれている」という事実認識であり、具体的な事例を細かく分析していくと上記2に位置付けられる「壁」もあるように見受けられます。

今回の本題とはなりませんが、『週刊ダイヤモンド』の特集記事「おいしい公務員 増税論議の裏で温存される“甘い体質”」を読んでみました。取り上げられている内容やデータそのものに大きな誤認はなく、しっかり取材されていたようでした。時々、事実誤認や思い込みによる内容が目立つ公務員批判の書籍も出回っていましたが、この雑誌記事の中には上記2のような特筆すべき「壁」は感じられませんでした。ただ上記3の「壁」は随所に感じられ、いかに公務員が恵まれているのかが全頁にわたって展開されていました。

一口で言えば「厳しい民間の実態がある」、それに比べて「公務員の待遇は良すぎる」という論調です。「バカの壁」の論点でとらえた際、「公務員の待遇」を社会全体の中で、どのように評価していくかが重要なことだと思っています。残念ながら「劣悪な職場環境を強いられている民間労働者が多いのだから、公務員の待遇を大胆に引き下げるべき」という主張が前面に出た特集記事であり、そのような見られ方が増えている現状を押さえなければならないことも確かでした。

いずれにしても名無しさんのような見方をされている方々が多いことは、もともと強く認識していました。加えて、自治労が反戦や反核の旗を振っていることに違和感を示され、組合員にとってマイナスとなっているという名無しさんの指摘も、決して頭から否定してきたつもりはありません。とは言え、批判を受けたから「明日から方針を変えます」程度のものであれば、直ちに改めなければなりません。直ちに改めるべき方針でないのであれば、一人でも多くの方から理解を得られるよう今後も当ブログで情報発信していくつもりでした。

このように書き込みながらも、自治労の組合役員の中でも労働組合における「主客」の峻別を人一倍強く意識してきていたため、名無しさんのコメントに含まれていた度重なる決め付けに対しては過敏に反応していました。「自分の考え方のみが絶対正しい。したがって、誰もがその考え方を支持している。その考え方にそった行動ができないのは何か裏があるからだ」というような決め付けには、あきれるほど高い「バカの壁」を感じていました。

冒頭に紹介した名無しさんの「管理人さんが第一に守るべきは構成員ですか反核思想ですか平和活動ですか、私には構成員の優先順位が下げられているように感じられてなりません」という言葉ですが、何回も私から「組合員の職場環境を整えることが第一」と答えているのにもかかわらず、そのような決め付けが繰り返されていました。脱原発の運動などを放棄すると宣言しない限り、名無しさんの目からは組合員の労働条件の問題を二の次にしているものと映るようでした。

最近の記事「運動のあり方、雑談放談」の中で、泉佐野市の国賀祥司市議の「こくがブログ」を紹介しました。そこで展開されている主張と当ブログで訴えている問題意識は大きく異なっていましたが、名無しさんからは「正直ここの管理人さんとの違いが理解できません」というコメントが寄せられていました。このような点も踏まえ、ぜひ、私が「バカの壁」を強調しているのか、改めてご理解いただければ幸いです。最後に、このブログのコメント欄に寄せられる意見の中で、上記4に当たる内容は見当たらないため、いつも感謝していることを付け加えさせていただきます。

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2011年10月 8日 (土)

ネット議論での「バカの壁」

国家公務員の月例給を平均899円、0.23%引き下げる人事院勧告が9月30日に示されていました。このブログを始めた頃は、公務員にかかわる旬な話題は必ず取り上げていました。更新間隔が週1回になった関係もあり、最近は即座に対応できず、まったく触れないままタイミングを逃すケースが増えていました。さらに旬な話題で言えば、次のニュースにも注目していました。

連合は4日、中長期的に「脱原発依存」を目指す新方針を打ち出した。同日に都内で始まった定期大会で古賀伸明会長が「最終的に依存しない社会を目指す必要がある」と表明した。昨年初めて「推進」の立場を明確にしたが、東京電力福島第一原発の事故を受けて方針を凍結していた。現在稼働中の原発については即時停止や廃炉を求めないが、中長期的には再生可能エネルギーなどで代替するように主張した。連合は昨年8月にまとめた「エネルギー政策に対する連合の考え方」で、計画中の新増設について「着実に進める」と明記。しかし、今年5月に「より高度な安全確保体制の確立、地域住民の理解・合意という前提条件が確保されがたい」として凍結した。 【朝日新聞2011年10月4日

前々回記事「さようなら原発5万人集会」などの流れから、この報道に接した際、最新の記事では原発の問題性について改めて掘り下げてみようと考えていました。私どもの組合員の皆さんをはじめ、不特定多数の方々へ幅広い情報や多面的な見方を発信することが当ブログを続けている目的であるため、ちょうど良い機会だと受けとめていました。しかし、前回記事「運動のあり方、雑談放談」のコメント欄で、また名無しさんから非常に悩ましい指摘を受けたため、急遽予定を変更し、インターネット上での議論における「バカの壁」について扱うことにしました。

特に人事院勧告をスルーし、今回、原発の問題を取り上げていた場合、名無しさんに対しては「職員の職場環境の方が付録的な扱いになっている」というような誤解を広げていたかも知れません。そのような意味合いからも、具体的なテーマを取り上げる前にブログのコメント欄での意見交換にあたり、日頃から感じていた思いを綴らせていただきます。まず念のため、「バカの壁」で使われている「バカ」という言葉は相手方を見下したものではありません。

養老孟司さんの著書『バカの壁』から引用している「バカ」ですので、今回の記事をお読みいただいた際、不愉快に感じられる方が出ないよう願っています。ブログを開設して間もない頃、「バカの壁」について記事本文で取り上げたことがありました。前回記事のコメント欄でも紹介した次の文章は、その当時の記事本文の中で書き込んだ「バカの壁」に関する説明ですが、このような問題意識は当時から現在まで脈々と続いていることが分かります。

「話せばわかる」なんて大うそ!やっぱり問題は「壁」だった…が、その本のキャッチ・コピーでした。この一文だけ目にすれば、立場や基本的な考え方が違う者同士、いくら話し合っても無駄なように聞こえます。しかし、その本を手にしていただければ、いろいろな問題に対して答えは一つでなく、多様な角度から考えていくことが大切であるとの作者のメッセージが伝わってくるはずです。なぜ互いに話が通じないのか、そこにある「バカの壁」を知ることで見方が変わってくると作者は説いています。自分の考え方が唯一の正解と決めてしまうと、自分と違う立場のことは見えなくなり、当然、話は通じなくなると本の最後で結んでいました。

これまで「多面的な情報への思い」「再び、多面的な情報への思い」という記事も投稿していました。改めて考えてみれば、いずれも「バカの壁」を意識しているからこそ、多種多様な情報や考え方に触れることの大切さを訴えてきたと言えました。一面的な情報だけで物事を評価した場合、もしかすると大きな間違いに繋がる可能性があります。簡単に「正解」を見出せない事例であれば、よりいっそう多角的な見方に努めることが欠かせないはずです。

話が拡散する懸念があり、少し迷いましたが、最近の具体的な事例を一つ参考までに取り上げてみます。小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡る政治資金規正法違反事件の問題が絶好のサンプルになり得るように感じています。先週月曜、小沢元代表の秘書だった3人は、東京地裁で有罪判決が言い渡されました。検察審査会の議決によって強制起訴された小沢元代表の公判も木曜日に始まっていました。

テレビや新聞各紙から報道される情報だけで判断した場合、きわめて「クロ」という印象が刻まれ、苛立ちを隠さずに記者会見を行なった小沢元代表は厳しい批判の対象にされるのだろうと見ています。誤解されないように申し添えますが、それぞれ裁判が進行中であり、この場で「シロクロ」の是非を問うものではありません。本題である「バカの壁」に絡んだ多面的な情報に接することの大切さを考えるため、分かりやすい一つの事例として紹介しているところです。

例えば『週刊朝日』や『サンデー毎日』の誌面では「小沢叩き かくも極まる 秘書判決はトンチキ推理小説だ!」というような特集記事を組み、地裁判決を強く批判していました。以前にも紹介したことがあるブログ「永田町異聞」の記事「根拠なく推測と矛盾だらけの陸山会判決」などに目を通すと、ますます地裁判決の問題性が感じ取れます。ちなみに裁判所は、水谷建設から小沢元代表側に不明瞭な資金5千万円が渡ったことを虚偽記載の悪質さに結び付けていました。

元秘書3人の有罪判決を伝えた朝日新聞朝刊の一面も「ゼネコン裏金認定」という大きな見出しを打ち、小沢元代表側の劣勢さを前面に出していました。それでも読売新聞に比べると一定のバランスを取ろうとする紙面構成だったとも言えました。特に水谷建設の水谷功元会長のコメントを詳しく載せていたのは、マスメデイアの中では注目すべき姿勢でした。水谷元会長は「驚いた。会社から裏金が出たことは事実だが、石川議員らに渡したところは私は見ていない」とし、裏金の有無が争点化されたことに「おかしなことだ。石川議員が気の毒だ」と語られていました。

紹介したブログ記事や水谷元会長の発言に接するかどうかで、地裁判決に対する見方は変わってくるのではないでしょうか。繰り返しになりますが、この事件の最終的な「シロクロ」の行方や真実がどうなのかは分かりません。ここで強調したい点は、多面的な情報に接することで、それまでの見方が変化する可能性の大切さです。事例の紹介が長くなりましたが、これまで「再び、コメント欄雑感」などで訴えてきた話を「バカの壁」に絡め、改めて整理してみます。

  1. ネット議論のメリットは、本音が語り合えることです。普段、直接耳にできないような辛辣な批判意見にも触れることができ、そのような機会は貴重だと考えています。デメリットは言葉が厳しくなりがちであり、ギスギスした議論になるケースがあることでした。さらに基本的な立場や視点が異なる者同士の議論となるため、「バカの壁」が生じがちでした。
  2. ネット上にかかわらず、「バカの壁」が生じる大きな原因は、前提としている事柄に対し、必ずしも共通の認識に立っていない中で、議論が交わされていくからだと考えています。上記の事例でとらえれは、地裁判決の問題点を共通認識し、議論するのかどうかで、小沢元代表の進退の是非などの見方も変わってくるはずです。
  3. 同じ情報に接していたとしても、もともとの立場や視点などが異なる場合、まったく違った評価に繋がる可能性があります。小沢元代表は金権体質の政治家であり、本質的に「悪人」であるという先入観があった場合、判決の技術的な是非は些末な問題であるという見方も生じかねません。
  4. 上記2と3は、徹底的に話し合って「バカの壁」を乗り越えられる余地も残されているはずです。しかし、確信犯的な対立点の際立たせ方だった場合、どれほど話し合おうと「壁」はなくならないものと思っています。つまり小沢元代表の失脚を最優先に願っていた場合、裁判のあり方などは二の次となるのではないでしょうか。

今回、このような解説を加えても、名無しさんとの「バカの壁」は簡単に取り除けないはずです。逆に「上から目線の中味のない言い訳」のような受けとめ方をされ、ますます「壁」は高くなっていくのかも知れません。しかしながら名無しさんにも、ぜひとも「バカの壁」の存在を理解いただけるよう願いながら、ここまで綴ってきました。具体的な話で繋げれば「成果主義に依存しすぎるのは問題だ」という主張に対しては、働かないことの言い訳や組合の都合による詭弁だというような批判を受けがちでした。

「組合としての政治的な活動も一定の範囲内で必要であるが、組合の本務である労働環境改善などが疎かになったり、平和運動との関係が主客逆転するようでは論外だ」という主張が、なぜ、「管理人さんとのやり取りであきらかになったのは、実はこちらの方が主役であって、職員の職場環境の方が付録的な扱いになっているという事です」という決め付け方に繋がるのか、甚だ疑問でした。

皆さんがそれぞれ自分の主張に自信を持ち、その考え方から遠く離れた発想に強い違和感を抱かれる気持ちも理解できます。だからと言って、その方の主張を全面的に肯定し、そっくりそのまま従わない場合、「何処を見渡しても公務員に対して批判や批難があり、白い眼で見られるこの状況であっても、自分側に改善すべき事は無いと考えているのでしょうね」という言い方に繋げるのも、非常に極端すぎるように感じていました。

結局のところ、上記2や3に当てはまる「バカの壁」が立ちはだかっているからだろうと思っています。当然、私の言い分や実際の行ないが「絶対正しい」とは言い切ることもできません。しかし、これからも多面的な情報や見方の一つを発信するブログとして、少しでも「バカの壁」を低くできるよう自分なりの思いを託していくつもりです。最後に、小沢元代表にも指摘できる話ですが、「説明したつもり」でも相手に伝わっていなければ、「説明が不充分だ」と非難されてしまいます。このような難しさは謙虚に受けとめながら、今後、よりいっそう丁寧な対応に努めていこうと考えています。

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2011年10月 1日 (土)

運動のあり方、雑談放談

9月のカレンダーがめくられました。あっという間に今年もあと3か月を残すのみとなりました。ただ3月11日以降、被災された方々にとっては辛く長い月日であり、そのような言葉が当てはまらないことも忘れてはなりません。それでも四季のある日本列島では、一人ひとりの思いにかかわらず、秋の気配を感じる日々に移っていきます。

朝晩はヒンヤリとした空気を感じるようになっていました。昼間は心地好い風に触れることができ、スポーツの秋と呼ばれるように体を動かすのには最適な気候となっています。青空が広がった土曜日、近くの小学校からは運動会を催している放送が流れていました。その放送を耳にしながら、私も久しぶりに小さなボールに集中し、適度な運動に励んでいました。

言うまでもありませんが、今回の記事タイトル「運動のあり方、雑談放談」の運動は、その運動ではありません。電子辞書などで調べれば、「目的を達成するために積極的に活動すること、各方面に働きかけること、選挙運動、労働運動、学生運動」という説明が加えられる運動について書き進めていくつもりです。

前回の記事「さようなら原発5万人集会」に寄せられたコメントにお答えする中で、このような運動に対する個人的な思いを改めて掘り下げていくことをお伝えしていました。これまでも当ブログを通し、発信してきた問題意識ですが、運動そのものを目的化してはいけないという強い思いがありました。電子辞書の解説のとおり、ある目的があって、そのことを実現するための様々な取り組みが運動という位置付けとなります。

当たり前な話をしているようですが、得てして運動が目的化しているような場面に遭遇します。例えば、さようなら原発集会は目標とした5万人を超え、主催者発表で6万人も集めましたので大成功だったことは間違いありません。マスコミにも大きく取り上げられ、脱原発の機運を盛り上げるための相応のインパクトは与えたものと見ています。

しかし、本来の目的は脱原発ですので、今後、その目標に向けたロードマップが描けなければ、運動自体が成功したとは言えないはずです。時折り、目的とした集会などが成功したことで、運動そのものも大きく前進したというような評価を下す場面があります。確かに運動を持続していくためには前向きな評価や姿勢が欠かせない点も分かります。

とは言え、集会を開くという運動は脱原発という目的を達成するための手段に過ぎず、そのあたりをしっかり峻別しなければ、本来の目的に近付くことも危ぶまれるように感じています。もともと明治公園で開いた集会に参加された方々の中でも、いろいろな思惑の違いがあったはずです。その上で、原発に依存しない社会を築きたいという最大公約数を重視していくことで、6万人の力が一つになるものと思っています。

それに対し、「あの団体は…」「あの考え方は…」という違いを強調していった場合、それこそ脱原発に向けた推進力は弱まっていくのではないでしょうか。さらに集会に足を運んでいない圧倒多数の皆さんの思いこそ千差万別であり、脱原発の動きを懐疑的な眼差しで見られている方々が決して少数ではないことを強く認識しなければなりません。

また電子辞書の解説となりますが、運動とは「各方面に働きかけること」と記されています。同じような問題意識を抱えた人たちが一堂に会し、気勢を上げるだけでは運動の広がりはあり得ません。あくまでもデモ行進などを通し、異なる問題意識を持った人たちに「働きかけること」が重視されなければなりません。その際、「奇異な人たち」という見られ方をされないような注意も必要です。

集会やデモ行進の姿が「あの人たちは特別」というような見られ方をされた場合、その運動の広がりを絶つような逆効果に繋がりかねません。9月19日の集会の中で、呼びかけ人の大江健三郎さんは「私たちに何ができるのか。私たちには、この民主主義の集会、市民のデモしかないのであります」と発言されていました。

長々と綴ってきましたが、私自身も集会やデモを必ずしも軽視している訳ではありません。特に最近では特筆すべき大きな規模で開かれた19日の集会は、たいへん意義深かったものと思っています。一方で、毎年のスケジュールの中に定着している平和運動にかかわる集会やデモが多数あります。「継続は力」という言葉も否定する立場ではありません。

しかしながら「運動を目的化していないだろうか」「労力対効果という面から問い直す必要性はないだろうか」というような問題意識を抱え、実際、平和運動センターの地区の会議の中で訴えたこともありました。蛇足となりますが、様々な集会への呼びかけに私どもの組合は充分対応できず、いつも申し訳なく思っています。正直なところ組合役員の担い手不足という事情から満足に応え切れない側面があります。

一方で、現職役員には数多くの集会参加を求められる負担感が生じがちなため、ますます役員の担い手不足に繋がるというスパイラルも一概に否定できません。このような背景もあり、「労力対効果」という言葉を発してしまいがちであったため、それぞれの取り組みを懸命に進めている関係者の皆さんには不快な思いを与えていたかも知れませんが、ご理解ご容赦ください。

ブログのサブタイトルにある「雑談放談」とは、「様々なことを気楽に話し合うこと」「言いたいことを自由に語ること」とされています。今回の記事、このような調子で書き進めていくと本当に取りとめがなく続きそうです。そろそろ終わりたいと思いますが、私の綴るブログ記事に触れた名無しさんからは、いつも辛辣な意見が寄せられていました。公務員の組合が脱原発などの政治的な運動にかかわっていることへの批判もその一つでした。

このような見られ方は、私どもの組合員の皆さんの中にも大なり小なりのある得る可能性を感じ取っています。だからこそ、あえて当ブログを通し、そのような課題に関しても積極的に取り上げてきている経緯がありました。つまり組合員の皆さんへ、さらに不特定多数の皆さんへ「働きかける」という自分なりのささやかな運動だと位置付け、このブログを続けていました。

最後に、前回記事のコメント欄で、名無しさんが泉佐野市の国賀祥司市議の「こくがブログ」を紹介されていました。名無しさんから「こくがブログ」で展開されている主張と「正直ここの管理人さんとの違いが理解できません」という一言があったことは意外でした。結局、どのような言葉を尽くそうとも、埋められない「溝」が存在し続けるような無力感に繋がる一言でした。それでも不特定多数の皆さんを対象にしたブログを続ける限り、名無しさんのような見方をされる方々とも少しでも理解し合えることを願いながら、この小さな運動を進めていくつもりです。

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