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2011年9月25日 (日)

さようなら原発5万人集会

先日、名無しさん(ハンドルネーム)から「読売新聞をとっている自治労幹部も珍しい・・それくらい自治労御用達は朝日新聞と思っておりました」というコメントが寄せられました。自治労に所属している一単組の役員に過ぎず、「自治労幹部」という見られ方にも少し違和感がありましたが、それよりも「最近、朝日新聞が自治労御用達という見方は、あまり耳にしていませんでした」とお答えしたところでした。

政治的な立場を「右か左か」で分けた時、読売新聞は右で、朝日新聞は左という見方がありました。名無しさんの指摘は、左に位置する自治労の組合役員が右の読売新聞を購読していることへの疑問だったようです。そのような色分けが今でも適切なのかどうか分かりませんが、「ブックマークしているブログ」で記したような動機からも、発行部数トップの読売新聞を注目していました。つまり日頃から幅広い主張や情報に接することで、少しでも柔軟な思考回路が保てればと願っているからでした。

自分自身の立場や役職から得られる情報は、黙っていても容易に入手できますが、決して多面的な見方まで保障したものではありません。そのため、多種多様な情報や考え方に触れていくためのアンテナが重要だと思っています。と言うような難しい説明を加えましたが、実は高校時代の3年間、アルバイトで読売新聞の朝刊を配達していました。その販売所のスタッフが中心となった草野球チームに所属していた縁もあり、ずっと読売新聞だったという理由のほうが、より正しい答えだと言えました。

本題と異なる話が長く続いたように思われたかも知れませんが、つい最近、その読売新聞や朝日新聞などマスメディアの基本姿勢の差異を改めて知らされる機会を得ました。先週の月曜、祝日である敬老の日に「さようなら原発5万人集会」が明治公園で開かれました。目標の5万人を大きく上回る約6万人が主催者発表の参加者数でした。参加団体それぞれの報告数が切り上げながら集約されていきがちなため、一般的に主催者発表の人数は実数より多くなりがちでした。

それでも警視庁が発表した2万7千人は、逆に控え目すぎる印象を抱いていました。私も当日の参加者の一人でしたが、千駄ヶ谷駅で電車を降りてから会場まで人、人、人で埋め尽くされた中を向かう雰囲気を味わいました。私どもの組合のメンバーは何とか会場内に入れましたが、立錐の余地もないという言葉がピッタリ当てはまる参加者の多さを体感してきました。自治労全体では4500人だったようですが、労働組合など団体とは無関係な参加者が非常に多い集会だったことも間違いありません。

これほど大規模な集会は珍しくなっていたため、メディアからの注目も高く、その日のニュース番組の大半で取り上げられていました。参加者の数は主催者と警視庁の発表、それぞれを報告する番組が多かったのではないでしょうか。中には警視庁発表の2万7千人のみを伝える番組もありましたが、深い意図があったのかどうかは分かりません。ただ翌朝、組合事務所に届いている読売、朝日、毎日新聞の各紙面に目を通した際、それぞれの社の方針を反映した思惑を感じ取らざるを得ませんでした。

この集会を朝日新聞と毎日新聞は写真とともに一面で取り上げていました。一方で、読売新聞は社会面の小さなベタ記事扱いにとどめていました。久しぶりに新聞社の違いによって、伝え方に大きな差が出る事例に触れた機会となり得ました。このような取り上げ方の差異について、思い過ごしな面もあるのかも知れません。しかしながら、やはり脱原発の方向性に消極的な場合、「さようなら原発5万人集会」を大きく取り上げたくないという意思が働くのだろうと想像してしまいます。

このような事例に接したため、冒頭で紹介した名無しさんのコメントを思い出しながら、今回の記事に繋げていました。原発に依存しない社会をめざしたいという思いは、その集会に参加された皆さん一人ひとりに共通した願いだろうと考えています。言うまでもなく、原発事故は二度と起こさないという強い決意も同様であるはずです。ただ一気に全原発の停止をめざすのかどうか、この点に関しては個々人での温度差があるように見ていました。

野田首相は原発政策を「脱原発と推進という二項対立でとらえるのは不毛だ」と述べてきました。先日の国連の場で「原子力発電の安全性を世界最高水準に高める」と野田首相が強調したことで、読売新聞の社説では「原発の安全性を高め、引き続き活用する方向性に軸足を置いたものだ。具体的な展望のない、菅前首相の脱原発路線と一線を画した」と記し、現実的かつ妥当な判断だと評価していました。

「二項対立は不毛」という前提がある中で、脱原発路線を捨て去ったと決め付ける読売新聞の論調は勇み足のように感じています。野田内閣も「原発の新増設はできない」という基本的な方針は言い切っていたはずです。その上で、ただちに原発すべてを停めることが困難だと考えるのであれば、「安全性を世界最高水準に高める」という言葉は適切なものだろうと思います。

このように書き進めると、誤解を招きがちなことも覚悟しています。それでも端的な思いとして、近い将来、脱原発社会を実現させるためには拙速に結果を求めず、代替電力の確保などを緻密に計画していくことが欠かせないものと考えています。稼動中の原発の安全対策に万全を期すことは当然ですが、定期点検で停止中の原発の運転再開に向けても地元の意思を尊重しながら慎重に判断しなければなりません。

停止中の原発の再稼動を一切認めないという声も上がりがちですが、そのようなスローガンは原発の即時廃止と同じ意味合いとなります。1年ほど運転した後、原発は必ず停止し、定期点検に入らなければなりません。現実的に対応できるのであれば、来年中に脱原発社会が築けることに反対する立場ではありません。しかし、あまりにも拙速な目標を現時点で立てることは結果的に高いハードルを掲げることに繋がり、脱原発への風向きが変わってしまうような懸念を抱いていました。

この集会に向けた記者会見が9月6日に開かれました。その時の声明の中には「停止している原発は、再稼働させない」という一文が掲げられていました。そのため、上記のような心配をしていましたが、基本的な集会趣旨の呼びかけの中にはその一文は外されていました。「新規原発建設計画の中止」「浜岡からはじまる既存原発の計画的廃止」「もっとも危険なプルトニウムを利用するもんじゅ、再処理工場の廃棄」 の3点のみが強調されていたため、少しホッとしていました。

最後に、大江健三郎さんや俳優の山本太郎さんらが登壇した集会そのものは午後1時30分に始まり、1時間ほどで終わりました。デモに出発できる自治労の順番は最後のほうだったため、会場から出られる時間が相当遅くなることを覚悟していました。とは言え、5時を回るとは思わず、人込みの中、ひたすら待ち続ける時間は本当に長く感じました。代々木公園までのデモ行進は1時間弱でしたが、参加された組合員の皆さん、たいへんお疲れ様でした。

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2011年9月18日 (日)

タイタニックにならないように…

私どもの組合の定期大会を11月9日に控え、役員人事を固める季節が巡ってきました。組合役員の任期は1年間のため、毎年、執行部の定数を揃える苦労や悩ましい現状に直面しています。このブログを通し、これまで「喜怒哀楽、組合役員の改選期」「組合委員長のためいき」という記事を投稿していました。

改めて読み返してみましたが、当時の状況や自分自身の問題意識はまったく同じであり、つまり組合役員の担い手不足という深刻な悩みは慢性化しています。一方で、留任をお願いした現職の方の多くからは早々に続投の返事を得られ、勇気付けられている側面があることも確かです。それでも中には家庭の事情などから退任を考えている方もいらっしゃり、一人でも多くの新しい担い手を見つけない限り、執行部定数の欠員解消までには到底至りません。

今回の記事は、このような内輪の話にとどまり、私自身の「ためいき」に過ぎない内容が中心となるはずです。興味のない方は読み飛ばされるのだろうと思っていますが、組合役員を経験されている皆さんにとっては共通の悩みを垣間見ていただける機会となり得るのかも知れません。ちなみに過去の記事には「組合役員になったイキサツ」や「組合役員を続けている理由」というものがあり、そのタイトル通り私自身のプロフィールを補うような内容を綴っていました。

冒頭に紹介した以前の記事も含め、お時間が許せる際、それぞれクリックしていただければ幸いですが、大半の方はリンク先の記事まで閲覧されないものと受けとめています。したがって、それらの記事の中で、どのような内容を書き残していたのか、簡単に紹介させていただきます。市役所に就職した当時は、なるべく組合とは距離を置こうと考えていました。あまり組合に対して好ましい印象を持っていなかったからでした。特に具体的な理由があった訳ではなく、単なる認識不足による先入観からの印象に過ぎませんでした。

それにもかかわらず、職場の先輩から強引に口説かれ、青年部の役員を引き受けることになりました。結局、1年後の改選期にも辞め損ね、ズルズルと続けているうちに組合の役割についての認識が徐々に改まっていきました。その中で最も重要で、貴重な役割だと感じたのは組合の交渉能力でした。経営側の発想や判断だけで労働条件の問題が決められた場合、働く者にしわ寄せが行ったり、結果的に住民サービスの低下を招く恐れもあります。

一職員の声は小さく、通常では市長や副市長らに届くことはなく、上司である課長にさえ遠慮がちとなるはずです。しかし、その声も組合という組織を通すことによって、労使対等な立場で話し合える対象となり得ます。組合役員を担ったことで、このような組合の存在価値を体感することができ、これまで「組合があって本当に良かった」という言葉を数多く聞ける経験を重ねていきました。そのため、「組合は大事、なくしてはいけない」という自分自身の思いが固まり、現在に至っています。

このような思いを抱いているのは決して私だけではありません。一緒に組合役員を担っている方はもちろん、多くの組合員の皆さんの中にも大なり小なりお持ちであるはずです。その一方で、執行委員の立候補は、あくまでも本人の自由意思であり、簡単に定数が埋まらないのも当然なことかも知れません。確実にプライベートな時間が割かれ、いろいろな意味で組合をとりまく情勢が厳しい中、率先して手をあげる方の減少は避けらない現状だろうと思っています。

また、賃金闘争など組合員共通の課題で成果を得られなくなった現在、組合の存在感が薄いと言われがちです。しかしながら厳しい財政状況の中、行革プランも多岐にわたり、決して組合役員の任務が楽になっている訳ではありません。以前と異なる苦労が増えているにもかかわらず、苦汁の決断を下す場面も多く、不本意ながら「組合も弱くなった」と言われることが少なくありません。

そして、組合役員を担ったから人事上の評価が上がる訳でもありません。私のように長く務めていれば、確実に役所の階段は同世代の方より遅れることになります。自分自身の選択や決断であり、そのことを悔やむつもりはありません。しかし、若い職員が組合役員を担う際、「人生の選択」となるような過剰な重さは避けたいものと考えています。とは言え、新たな担い手が容易に見つけられないため、現職役員の慰留が中心となり、結果的に「簡単に1年で辞められない」という見られ方があることも否めません。

そのような見られ方は、ますます新たな担い手の獲得に苦労するスパイラルに入っていました。いずれにしても組合執行部を担う役員がいなければ、事実上、組合はつぶれることになります。私自身も1年、1年、迷いながら続投を決めています。ここまで長く続けていると周囲から「好きでやっているのだろう」という見方もされがちです。正直なところ嫌々続けている訳ではありませんが、責任持って大事なバトンを継承できるタイミングを常に探っているつもりです。

実は前々回記事「どじょうの政治に期待」のコメント欄で、筋を通してるのは日本共産党と全労連だけさんから「目を覚ましてください。あなたたちはこういう人に利用されてるだけです」という意見が寄せられていました。あまり身構えた使命感や献身的な姿勢を強調するつもりも毛頭ありませんが、たいへん不本意なコメントでした。そのハンドルネームの付け方から批判されている理由を想像してみました。まず私自身が民主党への支持を最優先に考え、民主党の勢力拡大のために組合員を利用しているという決め付け方が思い浮かびました。

他にも私自身が何かステップアップの目的を持ち、組合員を利用しているという思い込みからの批判だったのかも知れません。ちなみに私からは「民主党との距離感や市長選における振舞い方から、そのような批判に繋げているものと想像しています。いずれも組合員にとってプラスとなる選択肢を最優先にして判断しています。さらに独善的に決めている方針ではなく、執行委員会、職場委員会、定期大会などを通し、組織的に確立している範囲内で判断し、行動しているところです」と答えていました。

あまりにも筋を通してるのは日本共産党と全労連だけさんのような見方と自分自身の意識とのギャップが顕著だったため、改めて今回の記事本文でも取り上げさせていただきました。なお、「公務員に組合はいらない」とお考えの方からすれば、「組合員にとってプラス」という言葉には嫌悪感を持たれるのかも知れません。さらに私自身の悩みなどに興味はなく、「なり手がいないのなら、つぶしてしまえば良いのではないか」という一言で切り捨てられるのだろうと見ています。

それでも私にとって「組合は大事、なくしてはいけない」という思いは前述したとおりであり、役員改選期、一喜一憂しながら裾野を広げる努力を重ねていくつもりです。ところで、土日にかけて定期大会に向けた議案討議があり、私どもの組合の特別執行委員3名の方にも夕食の席に顔を出していただきました。それぞれ自治労都本部委員長、中央労働金庫副理事長、東京自治研究センター副理事長という重責を担われ、2名の方は自治労都本部の書記長も経験されていました。

よく他の組合の方から「そうそうたる先輩が揃っていて、すごい組合ですね」という言葉を投げかけられていました。確かに65年以上の歴史もあり、「すごい組合」なのだろうと思います。ただ現状は組合役員の担い手不足に悩み、そのような評価との落差が大きい内実でした。このような問題意識があったため、乾杯の際、私から「タイタニックにならないように頑張っていきます」という一言を添えていました。

立派な豪華客船だったとしても、沈没させてしまっては元も子もありません。悲観ばかりしている訳ではありませんが、ここで踏ん張らなければ、それこそタイタニックと同じ運命をたどってしまうという危機意識を強め、一人でも多くの新たな人材を発掘できるように努めていく決意を託した言葉でした。このブログをご覧になっている私どもの組合員の皆さんの中で、組合役員に対して少しでも関心がある方は気軽にお声かけください。いろいろお話させていただきますので、ぜひ、よろしくお願いします。

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2011年9月10日 (土)

東日本大震災から半年

東日本大震災から半年が過ぎます。日頃から津波への避難訓練を怠らず、指定されていた避難場所に移動していながら犠牲となられた方々が大勢いらっしゃいました。これまで自然の猛威は人知の及ばぬスケールで牙をむく時がありました。台風12号による豪雨被害も、被害を受けた地域の皆さんにとって「まさか」という驚きの中で、犠牲者を増やしてしまった誠に残念なケースもあったようです。

災害が発生したり、その恐れがある際に住民を退避させるため、災害対策基本法に基づき、主に自治体が避難指示や勧告を発令します。台風12号の影響で熊野川の雨量が増える危険性を認識していたにもかかわらず、川岸から100メートル以上離れている民家に対しては自主避難の呼びかけにとどまっていました。そのため、「まさか、ここまで熊野川の水が押し寄せるとは…」という痛恨の思いを残された方々が多かったはずです。

津波避難の指定場所や台風12号に際した避難指示の遅れなど、自治体の見通しの甘さは猛省しなければなれません。一方で、「想定外の大津波」「原発の全電源喪失は想定外」という言葉が東日本大震災の後、よく耳にしていました。つまり想定の範囲内なのか、想定外の災害なのかどうかで、結果的に被害の甚大さを左右していくことが浮き彫りになっています。防災計画や災害への対策を立てるに当たって、災害の規模や対象地域などを必ず想定しなければなりません。

しかしながら想定の範囲を青天井にすることも現実的ではなく、やはり一定の線を引いた上での対策の立案が求められていきます。たいへん大きな犠牲の上での教訓として、千年単位での歴史の検証や地球温暖化による異常気象への対応など、よりきめ細かい災害の予測が重視されるようになっています。今後、そのような積み重ねによって、できる限り想定の範囲を広げ、柔軟な発想で対策を練り直すことが欠かせないのだろうと考えています。

3月11日の震災後、これまで以上に各自治体が防災に関して力を入れていることは間違いありません。また、連合三多摩も同様に防災の問題を最重要テーマとして、今年度の制度政策要求の柱としています。10月4日に開く政策討論集会では、防災担当政務官だった阿久津幸彦衆院議員の講演などを予定しています。このような取り組みの一環として、金曜日に連合三多摩のメンバーで東京消防庁の防災館を見学する企画がありました。

昨年5月、その防災館の真向かいに私どもの市役所は移転していました。いつでも足を運べる近さにもかかわらず、じっくり見学する時間を今まで作ってきていませんでした。今回、せっかくの機会であり、私も午後休暇を取り、連合三多摩の一員として防災館の体験学習に奮って参加しました。当日は防災館の職員の方が付きっ切りで案内され、想像していた以上に密度が濃く、分刻みに動き続けながら頭も使った時間でした。

一つのコーナーの体験時間は約30分で、3時間近くのコースとなっていました。消火や応急救護の訓練、震える椅子での首都直下型地震の映画鑑賞、地震や煙の体験室などを回りました。その都度、職員の方から詳しい説明や指導を受けていました。印象に残った言葉として、「以前は地震が起こったら、まず火を消すことと言われていました。最近は、まず自分の身の安全を守ることと言われるようになっています」という説明がありました。

関東大震災の時、火災による死者が圧倒多数を占めていました。そのため、火を消すことが第一に取る行動だと長らく言われてきました。それが現在の調理器具などは地震が発生した際、自動的に火が消えるようになっているため、テーブルの下に身を隠すことなどが最優先すべき心構えに変わってきたそうです。その他にも、いったん揺れが収まった後、屋外に出るべきなのかどうかなど、実際に起こった地震の被害を検証しながら、専門家の間で議論が交わされている話を伺いました。

防災に対する常識や既存のマニュアルが本当に適切なのかどうか、このように日々検討が加えられていることを改めて知る機会となりました。前段に綴ったとおり適確な想定の範囲を示せることが様々な災害に向けて、有効な対策を確立することに繋げられます。実際に積み重ねられている関係者の皆さんの努力が実を結び、避けることのできない自然災害のダメージを少しでも緩和できる対策や周知がはかれていくことを強く願っています。

最後に、地震や津波、台風は人間の力では制御できない自然災害です。しかし、原発事故は人間の力で防げた災害だと言われています。稼動している原発の安全性確認の徹底は言うまでもありませんが、代替電力の確保などを綿密に計画し、近い将来、脱原発社会が実現できることを望んでいます。そのような願いを託し、大江健三郎さんや坂本龍一さんらを呼びかけ人とした「さようなら原発集会」が9月19日午後1時30分から明治公園で開かれます。どなたでも気軽に参加できる催しですので、ぜひ、関心のある方は会場へ足をお運びください。

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2011年9月 4日 (日)

どじょうの政治に期待

ブログに綴った過去の記事を読み返す時があります。時事の話題を取り上げた内容も多く、当時を振り返る上での参考資料となっています。ちなみにニュースのリンク先は一定期間経過後、内容が表示されなくなります。そのため、掲げられていた報道記事をそのまま貼り付けておくと、後々、貴重な資料として読み返すことができます。ブログを更新する際の省力化(手を抜ける?)という利点もあり、時々、この手法を使わせていただいています。今回もそのような入り方となりますが、前回記事「民主党の代表戦後が重要」の続きに当たる内容を書き進めていくつもりです。

民主党代表選は5人が立つ乱戦模様を見せたが、野田佳彦財務相が新代表に選出された。下馬評では小沢一郎元代表の支持を取り付けた海江田万里経済産業相が一歩リードとされていた。実際、1回目の投票ではトップの142票を獲得し、 2位野田氏102票に大きく差を付けた。ちなみに3位は前原誠司前外相74票、以下、鹿野道彦農相52票、馬淵澄夫前国交相24票と続く。ただし海江田氏も投票総数395票の過半数を獲得できず、上位2名による決選投票にもつれ込んだ。結果、野田氏215票、海江田氏177票と大逆転の様相を見せ、野田氏の代表就任が決定した。

小沢氏の支持を受けた海江田氏がその意を汲み、「自公民3党合意」を反故にして予算裏づけの乏しい「民主党マニフェスト」復活の意向を示唆していたのに対し、野田氏は「3党合意」遵守の構え。その分だけ国会運営はやりやすいだろうが、反面、党内をどうまとめ切れるか、手腕が問われることになる。また、財政再建に重点を置く野田氏の財政政策・経済政策運営も注目される。【nikkei BP net2011年8月30日】

上記のとおり民主党代表選は決選投票の結果、野田佳彦新代表が選出されました。火曜日に国会で首相指名を受け、金曜日には野田内閣が発足しました。野田首相は代表選の演説で相田みつをさんの詩を引用し、「どじょうが金魚のまねをしてもしようがねえじゃん。ルックスはこの通り。赤いべべを着た金魚にはなれません。泥臭く国民のために汗をかく、どじょうの政治をとことんやりたい」と訴えました。この演説によって、どじょうが野田首相のトレードマークとなったようです。

日曜の朝、新聞や報道番組による世論調査の数字は予想外でした。内閣支持率が70%を超える結果も示され、菅政権末期から比べ、飛躍的なV字回復を成し遂げました。同じ政党の枠組みが中心となっている内閣にもかかわらず、ここまで極端に跳ね上がったことに正直なところ少し驚いていました。これまで発足当初は、ご祝儀相場や未知の期待感から高い数字となり、その後、下降の一途をたどった内閣が続出していました。

ご自身をどじょうに例えた地味な野田首相は、きっちり仕事をこなしていくことでジワジワと支持率を上げて行った小渕内閣を意識していたかも知れません。それが思いがけない高支持率でスタートを切ることができました。今朝の読売新聞に早稲田大学の田中愛治教授が「パフォーマンスに走らず、泥臭くてもまじめな仕事をするという野田首相の姿勢を国民は好感しているようだ。ポピュリズムにはあきあきしており、東日本大震災後という非常時に求めているリーダー像と首相のイメージが一致したということだ」というコメントを寄せていました。

確かに田中教授のような見方が高い支持率の背景を言い当てているものと思っています。私自身も、国民からの評価や見られ方を過剰に意識した派手さよりも、地味でも堅実な姿勢を前面に出した野田首相のどじょうの政治に強く期待しているところです。ある週刊誌の“松下政経塾に「総理の器」なし”という見出しが目に入り、購入して目を通してみました。松下政経塾出身の政治家の「口の軽さ」「節操のなさ」が具体的なエピソードをもとに紹介され、下積みを嫌い、パフォーマンスに走る傾向の多さを酷評した記事が掲載されていました。

その中で、野田首相も代表選の直前に「増税をいつからやると固定的に考えていない」と発言したことで、党内での支持を広げるために方向転換したという批判を受けていました。しかしながら、この発言を単に変節と見るのか、トップダウンだけでは物事が進まないため、聞く耳を持ちながら結果を出していく懐深さと見るのか、評価は分かれるのではないでしょうか。いずれにしても松下政経塾に限らず、「〇〇だから」と十把一からげに評される不合理さは世の常だろうと感じています。

野田首相が代表選出馬前に『文藝春秋』に寄稿した「わが政権構想」に目を通し、総理大臣就任後には改めて著書『民主の敵』も読んでみました。個々の政策の方向性に関しては様々な議論があり得るものと思っていますが、奇策を排し「和の力」で日本を再建するという基本的な主張には強く共感できました。また、野田首相は『民主の敵』の中で、総理が代わる時は必ず民意を問うために総選挙を行なうべきであると訴えていました。

このような記述が残されているため、報道番組に出演した自民党執行部は口を揃え、野田内閣は即刻解散し、民意を問うべきだという主張を展開しています。しかし、その著書には「ただ、そうなると難しい問題も当然出てきます。結果として総選挙が頻発してしまっては、政治の安定とはほど遠いことになってしまいます」という見方などを示し、まだまだ解決すべき課題があることも綴られていました。

そもそも解散を急ぐ世論の声は圧倒的に少数であり、さらに東日本大震災後という局面が変化している中、「揚げ足取り」的な自民党の追及は、空気が読めていない印象を抱いています。とは言え、政権交代後の民主党にとって、野田内閣の発足は本当にラストチャンスであり、今回も国民からの信頼を失墜させるようであれば、その時には即時に民意を問い直さなければならないはずです。ぜひとも、野田首相には今後とも言葉通りノーサイドを実践されながら、どじょうの政治に邁進いただけることを心から願っています。

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