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2011年7月24日 (日)

『福島原発の真実』を読み終えて

インターネットの普及によって、様々な意見や情報が手軽に入手できるようになっています。コストもかからないため、自分自身の考え方や立ち位置とは程遠いサイトにも積極的にアクセスできています。同じように当ブログに関しても好意的な「お気に入り」ではなく、冷ややかな視線で注視されている方も大勢いらっしゃるのだろうと思っています。どのような切っかけであろうとも「ブックマーク」されている方々には、いつも感謝しながら少しでも貴重だったと感じていただけるような何がしかの情報を提供できるように努めています。

その情報提供の一つとして、私自身が読み終えた著書を題材にした記事の投稿も少なくありませんでした。もちろん自分自身がたいへん貴重な内容だと受けとめ、多くの方々に伝えたいと考えた場合のみ取り上げていました。前回の記事「脱原発依存の首相会見」の最後にお知らせしていましたが、今回、福島県の佐藤栄佐久前知事の著書『福島原発の真実』について取り上げていきます。3月11日の東日本大震災の後、緊急出版された書籍であり、まさしく原発を考える上でタイムリーな内容でした。

佐藤前知事は、1939年に福島県郡山市に生まれ、日本青年会議所での活動を経て、1983年に自民党公認で参議院議員選挙に当選していました。1988年に福島県知事選挙に当選した後、東京一極集中に異議を唱え、原発や道州制の問題などで政府の方針と対立していたため、「闘う知事」として有名になっていました。県内で圧倒的な支持を得ていましたが、5期目の2006年9月、県発注のダム工事をめぐる汚職事件で追及を受け、知事を辞職していました。

逮捕された後、2009年10月、一審に続いて二審でも有罪判決となりましたが、「賄賂がゼロ円」という前代未聞の認定でした。弁護団や法律の専門家は「有罪は特捜部の面子を立ててのことで、実質無罪だ」と指摘しているそうです。この汚職事件の一部の取り調べでは、郵便不正事件で証拠のフロッピーディスクの日付を改竄した前田恒彦検事も担当していました。いずれにしても全体を通し、検察のシナリオに沿った関係者に対する強引な取り調べが行なわれたようです。

佐藤前知事は一貫して無実を主張し、現在、最高裁に上告しています。『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』という著書も佐藤前知事は執筆されていますが、検察が意図的な「国策捜査」を請け負ったと批判されても、否めないような当時の構図がありました。5期目を迎えていた佐藤福島県政は、経済産業省や関連業界などの原子力ムラにとって厄介な存在に見られていたようです。プルサーマル計画などを推進したい勢力からは「福島のトゲを抜け」とささやかれていました。

『福島原発の真実』の中に当時の政府内部から聞こえてきた次のような言葉が紹介されていました。「どの国でもエネルギー政策は国家の基幹でしょう。それを日本だけは、地方の鼻息をうかがわなければならないなんてあまりに不条理だ。いつまでも世界中で札びらを切って石油やガスを買い集められるわけがない。アメリカですら資源安保を言う時代に、日本だけ手をこまねいてはいられませんよ。今からちゃんと布石を打つべきです。原子力が不可欠なのは常識ですよ」という発言内容でした。

そもそも佐藤前知事は反原発を旗印にしていた訳でありません。就任した当初、福島第二原発3号機にトラブルが発生し、その対応の杜撰さから東電や原発に対する不信感を高めていかれたようです。1988年の暮れに異常を感知し、原子炉が自動停止していました。しかしながら東電は原因を解明しないまま運転を再開し、年明けには6時間も警報を鳴らし続けた後、手動停止させるという事故を起こしていました。国際原子力評価尺度でレベル2の「異常事象」とされる危険度だったそうです。

後になって分かった原因は、3号機の冷却水を再循環させるポンプの部品が脱落し、座金やボルトなどが原子炉内に流入するという前代未聞のトラブルでした。さらに佐藤前知事は、事故の情報が東電本社、通産省、資源エネルギー庁という順番で伝わった後、福島県庁に伝えられ、地元の富岡町と楢葉町への情報伝達が一番後回しにされることに強い危惧を抱きました。事故の影響が一番最初に及ぼされ、場合によっては避難などの対応を取らなければならない地元自治体への情報伝達のあり方に疑念が生じていました。

その後、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れやJCOの臨界事故などがあり、佐藤前知事は原発の「安全神話」にも不信感を募らせていきました。加えて、東電側の情報開示の不充分さや「推進ありき」の原子力ムラの硬直した姿勢などに違和感を示し、210万福島県民の命を預かる知事の立場から国や東電と激しく対立していくようになりました。とりわけ佐藤前知事は、既存の軽水炉でプルトニウムを燃やすプルサーマル導入計画に対して敢然と対峙し、前述した声が政府内から発せられるようになっていました。

書き連ねていくと、紹介したい内容が尽きません。とにかく保守、革新の立場に関係なく、原発の安全性の問題で闘ってきた佐藤前知事に敬服する読後感でした。もう一つ、佐藤前知事の原発立地は「地域振興の役に立っていなかった」という言葉も印象に残りました。2003年の改正前まで電源三法交付金の用途は図書館や市民ホールなど「ハコモノ」建設に限られていました。これらの維持費が自治体の財政を圧迫させ、原発の固定資産税も償却で金額が減っていくため、「金がないから、また原発を誘致したい」という発想に対し、佐藤前知事が警鐘を鳴らされていたことを最後に付け加えさせていただきます。

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コメント

書き込み0は寂しいので・・。

「高速増殖炉もんじゅ」はウランを飛躍的に活用出来る夢の技術ですね。
同時に世界が余りにも危険で難しいという理由で断念した技術でもあります。
私の個人的考えも、もんじゅは陽の目を見ないだろうと思います。
合理的に考えても、もんじゅは我々の幸せに貢献しない可能性の方が高いだろう。

しかし・・・

それで良いんです。何かに何時までも何時までも挑戦し続ける日本人の気質が。何かに取りつかれたように追求し続けるその姿が。

戦後の日本は遮二無二働いた。遮二無二追い求めた。若い私は、その事に凄く違和感を感じていました。
しかし今にして思えば、それは贅沢な違和感だったのかもしれない。

今の日本人は先人の努力の上に胡坐をかいて、計算高くずる賢くなり過ぎた。そして全てが人任せになった。それが借金の正体だ。

投稿: あまのじゃく | 2011年7月30日 (土) 10時49分

あまのじゃくさん、お気遣いいただき、ありがとうございます。

これまで原子力に傾注してきた挑戦や努力を今後、再生エネルギーや蓄電の技術に振り向ければ良いのではないかと個人的には考えています。

投稿: OTSU | 2011年7月30日 (土) 21時25分

いや、私は原子力の技術開発は継続すべきだと思います。資源小国ですから、我が国は。

例えば、乗用車・二輪車用タイヤが最近頻繁に値上げされています。

理由は資源高(タイヤの場合は天然ゴム価格の高騰)。

これだけの円高であるのに製品価格を値上げせざるを得ない程の資源価格の高騰です。

もし我が国に原子力発電がなければどうなっていたでしょうか。

また、再生エネルギーも冷静に科学的にその効果を評価すべきです。

電気は貯められない、この単純な事実をもっと認識すべきです。

投稿: 地方の公務員 | 2011年7月31日 (日) 23時48分

今までの原子力発電の効果は認めますが、あれだけの事故が起きた以上、このままで良いとは言い切れません。

むしろ未だ事故は、収束さえもしておりませんし、被害の状況もわからないのが現実です。救急とは言いませんが、漸次やめるべきだと思っています。

発電、配電などの分離等、知恵を出したら色々な、これまで考えられなかった仕組み出てくると思われます。

また、電気が貯められる時期もそう遠くはないでしょう。
それまでは、今の原発で凌ぐしかないと思います。

電気も勿論大事(必要)ですが、何より人命(他の生物も含む)が大事です。

投稿: 昔公務員 | 2011年8月 1日 (月) 06時14分

期せずして公務員二人からの意見には異論ありません。

原子力は危険で厄介なものであると同時に、多くの可能性を秘めていると思う。
原子力を自家薬籠中の物に出来るかは分からない。

ただ「電気か人命か」の二者択一の話には同意しない。一方を選択すれば他方を廃棄すべき問題とは思えないからだ。

そして最近「原発容認論」に対する魔女狩りがあるやに思うが、決して良い結果を生まないだろう。

投稿: あまのじゃく | 2011年8月 1日 (月) 10時34分

地方の公務員さん、昔公務員さん、あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

原発に対する私の考え方は、いくつかの記事本文で綴ってきたとおりです。その上で、確かに原発が必要だと主張される方々の声を圧殺するようでは、それはそれで問題だろうと思っています。今後、原発の功罪を冷静な視点で国民全体が判断し、しかるべき方向性に進めることを願っているところです。

投稿: OTSU | 2011年8月 1日 (月) 21時42分

チェルノブイリと福島、原発大事故は2つとも役人の引き起こした事故でした。ソビエトの末期と日本の末期を象徴するできごとです。
東電は違うという向きもあるかと思いますが、競争相手のいない国策会社はまぎれもなく役人によって動かされています。

役人による弊害は次のとおり。保身が第一。責任を避け責任を転嫁する。思考が硬直(主として前例を遵守する)。いま何をするべきかを考えない。優秀な人間の足を引っ張る。失敗をしない(仕事をしない)。目もあてられないような事故が発生するまで対策を考えていない。ケツノ穴が小さい。不毛な仕事をしていて恥じない。

われわれは役人と心中する運命にあるのでしょうか。

はい。おそらく。

投稿: 元公務員 | 2011年8月23日 (火) 12時57分

元公務員さん、コメントありがとうございました。

役人に対する見方として、そのような話も耳にしますが、もっと原発の問題は奥深いところにあったように思っています。確かに電力会社や行政の責任も重いはずですが、原発推進を国策としてきた政治の責任が軽視できません。また、そのような政治を進める政権を選んできたのは私たち国民であり、改めて原発とどのように向き合うのか、一人ひとりの見識が問われる岐路に立たされているものと考えています。

投稿: OTSU | 2011年8月23日 (火) 21時22分

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