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2011年7月10日 (日)

上司としての菅首相

今月24日の正午をもって、アナログ放送が視聴できなくなります。少し前から地デジ対応になっていないテレビの画面左下に大きく「アナログ放送終了まで あと14日」という告知が始まっていました。「異常に大きい」と批判する声もあるようですが、気にならない程度の告知のままアナログ放送が終われば、「伝え方が不充分だった」という声も出ていたのかも知れません。

記事タイトルと異なる話題を引っぱり恐縮ですが、地デジ完全移行前に一度、取り上げようと暖めていたネタがありました。隣り合った部屋があり、それぞれ地デジ対応とアナログのテレビが置かれていました。同じ番組をアナログで見ながら、隣の部屋の地デジを見ると、3秒ほど遅れて同じ画面が映っていました。圧縮したデジタルデータで送信された画像をチューナで展開する処理時間がかかり、これに合わせて音声もテレビ内部で遅らせるため、地デジのほうがアナログよりも少し遅れて映し出されるようです。

メーカーや機種の処理機能の違いによって、遅れる時間が異なることをネット検索で知りました。実は、このような違いがあると、テレビの時報で時計の時間合わせができなくなるものと考えていました。その疑問に対してもネット上を調べるだけで、「えっ、そうだったんだ」という単純明快な答えを見つけることができました。「地デジ放送では時報がなくなっている」という答えでした。改めてNHKなどを注意して見ていると、確かに時計を映し出していた時報がなくなっていました。

それでは新年に向けたカウントダウンも数秒遅れ…、このような突っ込みを入れていくと切りがなく、ご存知だった方々からすれば「今さら」という話題ですので、そろそろ本題に移らせていただきます。前回の記事は「400回、改めて当ブログについて」でした。1週間に1回、週末に更新していく際、これまで題材が見つからずに困るようなことはありませんでした。扱う内容は、基本的に公務員や組合活動に関連する題材が中心でしたが、時事の話題も適宜取り上げていました。

この1週間も時事の話題に目を向ければ、松本龍前復興相の暴言による辞任九州電力の「やらせメール」のニュースなどは様々な切り口から論評できそうな問題でした。その中で、今回の記事では菅首相と海江田経産相との関係について取り上げてみます。玄海原発の再稼動に踏み出した直後、唐突に菅首相が全原発でストレステスト(耐久安全検査)を実施するという方針を示したため、地元の首長への説得に力を尽くしていた海江田経産相が「ハシゴを外された」結果となっていました。

原発に対する私自身の考え方は「原発議論と電力問題」や「浜岡原発への停止要請」などで綴っていました。そのため、「再稼動ありき」のための安全宣言は、福島第一原発事故の教訓が今一つ活かされていないという思いを抱いていました。そのような意味合いからは、菅首相の方針転換を評価しなければならないのかも知れません。しかし、電力需要との絡みや政府与党内での根回し不足などを見せつけられた場合、どうしても場当たり的な軽さが感じられ、菅首相に対する信頼感の低下に繋がる出来事でした。

今回、玄海原発の再稼動やストレステストの問題などは横に置かせていただき、菅首相と海江田経産相の組織の中での上下関係に絞り、部下の悲哀や反面教師とすべき上司像について考えてみるつもりです。まずZAKZAKの記事(暴君菅に「やってられない」…海江田辞意の全真相)の一部をご紹介しますが、国会での答弁中に涙目となっていた海江田経産相のやるせない気持ちがよく理解できる生々しいリポートだろうと思っています。

原発問題をめぐって、菅首相と海江田氏の発言は常に食い違いを見せていたが、ついに海江田氏は7日の参議院予算委員会で辞任を示唆する発言をするに至った。その背景には、長きにわたる確執があった。6月30日、佐賀県から帰京した海江田氏は、その足で首相官邸に向かった。玄海原発の再開について、佐賀県の古川康知事と膝詰め交渉を終え、その内容をいち早く菅首相に報告するためだ。

海江田氏は、再開に比較的理解を示している現地の状況を報告した。「向こうも地元の住民を納得させる最後の決め手がほしいんです。知事は私ではなく『総理に来てもらって説明してほしい』と言ってます。ですから、ぜひ…」 ところが、これを遮るように菅首相は信じられない暴言を吐いた。「うまくやってくれと言っただろう!俺は知らない」 海江田氏はついにキレた。それまで、たまりにたまっていた菅首相への不満が一気に爆発した。「そうですか。では、勝手にやります」

その後、経産省にもどった海江田氏は「もう俺は辞めたい。我慢ならない。やってられない。(菅首相は)ひどい!」と経産省幹部や政務3役らに怒りをブチまけた。いま日本が抱える喫緊で最大の政治課題は、やはり原発問題だ。国家経営の基軸である「電力供給」への不安は、国民生活や日本経済に暗く、深刻な影を落している。だからこそ、分厚い態勢で事にあたっていたはず。トップの菅首相、本来担当である海江田経産相、そして、わざわざ新設した細野原発担当相…。だが、この3人は連携も信頼感もゼロ。むしろ怨念にも近い感情に支配され、原発問題解決など絶望的なのだ。

菅首相にとって、原発問題はただの「政権延命のために使える道具」でしかない。相変わらず、おいしいところは自分がしゃしゃり出て、面倒なところは知らん顔だ。「すべては中部電力浜岡原発の停止要請から始まった」 経産省幹部はこう話す。本リポート(5月26日発行)でも取り上げた5月初旬の浜岡原発停止は、海江田氏が中部電力などに根回しをしながら水面下で進めてきた。にもかかわらず、菅首相は「あとは俺がやる」といきなり記者会見した。例によって、おいしいところを取ったものの、会見の中身は科学的根拠も法律論もメチャクチャ。「結局、その後の中部電力や地元自治体の反発などは全部、海江田さんが引き取った」(同幹部)のである。

実は、その後も同じような不信感を重ねる出来事が続いていた。6月18日、海江田氏は全国の原発について安全性が確認されたとして、自治体に再稼働協力を求める会見を行った。ところが…。「菅首相は『脱原発』を旗印にしているのに、一方で、現存する原発には再稼働を呼び掛ける。これは明らかに矛盾していて、菅首相は自分が会見するのをイヤがった。そこで、『これは海江田さんのほうでやってくれ』という指示が下りてきた。海江田さんは『いいところは自分。イヤなところは今度はこっちが会見かよ』と不快感をあらわにしていたが、逃げるわけにもいかなかった」(海江田氏に近い民主党議員)

一方で、菅首相の言い分については、若手側近が「事故発生以来、菅首相は東京電力や経産省を信じていない。既成の原子力村にメスを入れようとしているんだ。官邸主導、政治主導で原発問題を解決しようとしている」と話しているそうです。そのため、東電担当の補佐官だった細野原発相も、報告のたびに充分話を聞かないうちに「お前は東電に取り込まれたのか。東電のまわし者だろう」と菅首相から怒鳴りつけられていたようです。

以上のようなエピソードを並べるだけで、菅首相は絶対直属の上司になって欲しくないタイプに分類されます。手柄は自分、嫌な仕事は部下任せ、責任は取らない、指示がぶれる、簡単にハシゴを外す、部下の気持ちを思いやれない、上司の皆さんが反面教師とすべき事例が羅列できてしまう非常に残念な話でした。私自身が知り得る身近な上司のタイプの中でも、ここまで問題点を抱えている人物は稀だったものと思います。

これまで菅首相を支持し、期待してきた一人として、あまり辛辣な言葉や失礼な物言いは控えようと心がけてきました。今回の記事は、その心がけから少し踏み出した辛口な内容となっているはずです。それでも菅首相にも目を通していただければと願いながら、この記事も書き込んでいます。難しい仕事を成し遂げるためには、部下との関係を大事にしなければ前に進みづらくなるはずです。スケールがまったく違いますが、私どもの組合の中での自分自身の振る舞い方も含め、部下との充分な意思疎通や信頼関係など菅首相を反面教師とし、上司のあり方を考えてみました。

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コメント

もうすぐ記事が更新されるでしょうから最後に。

>難しい仕事を成し遂げるのに、人間関係は大切だ。

確かにその通りだと思いますが、実際は「人間関係によって仕事の達成が難しくなっている」組織が多いのも事実であろう。
もっと酷くなると「人間関係だけで運営され、何が成果なのかも分からなくなっている」場合も存在する。

原発については迷走が著しい。
行政上の「安全」とは「基準」をクリアーしたものに与える保証でしょう(多分)。
例えば自動車では『60キロで衝突しても運転席の空間が一人分確保される事』これを満たせば許可を出す筈です。

しかし事態を把握する為にはこれだけでは不十分です。61キロでグチャグチャになるのか、100キロでも強固なのかが分からないからです。
従って、何キロまでのストレスに耐えられるのかを調べておく事を「ストレステスト」と呼んでいる(らしい)。
だから「安全宣言」と「ストレステスト」は今の段階では関係無い話であり、ストレステストをやる事など当たり前だ。

本来、今議論すべきは「安全基準」をこのままでいいのか・・です。

それなのに関係者から聞こえてくるのは「はしごを外された」だの「不信感」だの「怨念」だのと・・アホか。一番大事な議論が抜けてる。
私は原発に対して定見を持っていないが、安全基準はより厳しいものにすべきでしょう。

投稿: あまのじゃく | 2011年7月16日 (土) 09時38分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

明日、少しだけ今回の記事の続きのような話を書き込むつもりです。ぜひ、またご訪問いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2011年7月16日 (土) 21時27分

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