« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月31日 (日)

ブックマークしているブログ

ブックマークしているサイトは、ざっと数えて200近くに及びます。その中で、ほぼ毎日チェックしているサイトは1割程度で、やはり頻繁に更新されているブログが中心となります。訪問しても記事の内容が変わっていなければ、徐々に出向く回数が減っていくのも自然な流れでした。ただ例外として、記事本文が更新されなくても、コメント欄が賑わっているブログは日常的に注目する対象となっていました。

最近では阿久根市の山田勝市議が運営している「いきいき日記」のコメント欄でのやり取りを興味深く拝見しています。昨年末の記事「年明けに阿久根市長選」の中で紹介しましたが、阿久根市に絡むブログのいくつかを日頃から注目していました。山田市議のブログもその一つでしたが、さるさる日記のサービスが今年6月末に終了したため、新しいプロバイダーのブログに移転されていました。

その移転を契機にコメント欄も開設されたようですが、あの有名な竹原信一前市長の「住民至上主義」も同様なパターンをたどっていました。どうもお二人とも意識的に開設したと言うよりも、たまたま初期設定にコメント欄が備わっていたため、あまり深く考えずに開設されたようにも見受けられました。いずれにしても一方通行となる記事の発信だけではなく、閲覧者の声が反映できるコメント欄の開設は歓迎すべきものでした。

1年前に投稿した記事「コメント欄雑感」の中で、プライベートな運営が中心となるブログの世界では「こうしなければいけない」という制約の少なさを綴っていました。それでも幅広い有権者の声に耳を傾ける必要がある政治家の皆さんのブログは、なるべくコメント欄を開かれていたほうが望ましいものと考えています。残念ながら、もともとコメントを自由に受け付けていた政治家のブログが「炎上」気味となってしまい、途中からコメント欄を閉鎖した事例のほうを多く見聞きしていました。

前回の記事「『福島原発の真実』を読み終えて」の冒頭で、自分自身の考え方や立ち位置とは程遠いブログも数多くブックマークしている話を紹介しました。日頃から幅広い主張や情報に接することで、少しでも柔軟な思考回路が保てればと願っているからでした。そもそも自分自身の立場や役職から得られる情報は、黙っていても容易に入手できます。そのような意味合いから、せめてネット上では普段触れにくい意見や物の見方が得られるブログへ積極的にアクセスするように心がけていました。

ここまでお読みいただき、お分かりのとおり今回の記事は、ブログのサブタイトルのとおり「雑談放談」の類いとなる内容にとどまりますのでご容赦ください。これまでも時々、気ままに書き込みたい内容を書き綴る記事を投稿していました。だからと言って、普段の記事が常に大上段に構えている訳でもありませんが、今回は特に肩の力を抜きながらパソコンに向き合っています。したがって、これから紹介するブログも記事内容の是非は横に置き、自分自身の「常識」とは程遠い点が印象に残っていたため、その点に絞りながら掲げさせていただきました。

一つは、産経新聞の阿比留瑠比記者が運営している「国を憂い、われとわが身を甘やかす記」というブログでした。阿比留記者は政治部首相官邸キャップを務めているため、日頃から菅首相とは直接顔を合わす機会がある方でした。菅首相に対する憤りや失望感が極限を超えたようですが、ご自身のブログの中で菅首相を「アレ」と呼ぶようになっていました。さらに「フィクション・アレ日誌」というような記事まで書かれるほど、菅首相への蔑みを明らかにしていました。

阿比留記者のブログには熱烈なファンが大勢いらっしゃり、コメント欄の中でも「アレ」という呼称が常態化されていきました。中には「悪口のための悪口は、貴方の品位を汚します」というようなコメントも寄せられていましたが、圧倒多数は阿比留記者の記事内容に同調される方々ばかりでした。仮に匿名の方のブログでも一国の首相を「アレ」と呼ぶのはどうかと思いますが、首相官邸キャップの立場でありながら「アレ」呼ばわりする点は、私自身の「常識」からは極めて程遠い世界の話でした。

もう一つはブックマークしているブログの中でも、たいへん精力的に更新されているため、アクセスしがいのある山本一太参院議員の「気分はいつも直滑降」です。自民党参議院の政審会長という役職を担われていますが、ほとんど政策的な内容の発信がなく、誰と会った、どこへ行ったという日常的な活動の紹介が中心となっていました。このようなブログの運営が政治家に対する評価面でプラスに働くのかどうか少し疑問ですが、あまりにも飾ることのない本音が綴られているため、確かに面白さは際立っていました。

そのような面白さにひかれ、最近、真っ先にチェックしているブログでした。例えば6月27日、「浜田和幸参院議員、離党して震災担当の政務官に?!!」という記事から始まり、その日だけで8回更新されていましたが、離党を踏みとどめさせようとする山本参院議員の必死さがヒシヒシと伝わってきました。「浜田和幸氏と言えば、気鋭の国際政治学者。経済にも詳しい。政策審議会に回って来る質問主意書を見ながら、改めてスゴい人だと思っていた。いろいろ話を聞きたいこともあった」というような持ち上げ方を連発していました。

それが浜田参院議員の離党後、山本参院議員は「個人的に浜田氏のことは絶対に許さない!(怒X10)真っ赤なウソをついた。私の発信力の全てを使って、叩き潰してやろうと思っています!政治活動が2度と出来ないように!!もう、すでに周辺を調べ始めています!!」というような怒りをあらわにし、ブログを通して攻撃する記事を書き続けていました。ここまで極端な感情の起伏をネット上に発信できる点は、文字通り「直滑降」ブログの面白さであり、人気の秘訣なのかも知れません。とは言え、私自身の尺度に照らすと到底真似できないブログの使い方でした。

他にもブックマークしているブログは多数あり、閲覧することによって意義深い情報を得られたり、近しい考え方に触れることで勇気付けられたりしていました。最後に、予告的な意味合いで、あるブログを紹介します。大田区の犬伏秀一区議の「激辛活動日誌」ですが、自分自身の仕事柄、先日、たいへん興味深い記事「大田区役所納税課は街金より怖い??!!!」に目がとまりました。できれば次回以降、この記事の内容を題材としながら、久しぶりに徴税吏員としての職務について取り上げてみようと考えています。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年7月24日 (日)

『福島原発の真実』を読み終えて

インターネットの普及によって、様々な意見や情報が手軽に入手できるようになっています。コストもかからないため、自分自身の考え方や立ち位置とは程遠いサイトにも積極的にアクセスできています。同じように当ブログに関しても好意的な「お気に入り」ではなく、冷ややかな視線で注視されている方も大勢いらっしゃるのだろうと思っています。どのような切っかけであろうとも「ブックマーク」されている方々には、いつも感謝しながら少しでも貴重だったと感じていただけるような何がしかの情報を提供できるように努めています。

その情報提供の一つとして、私自身が読み終えた著書を題材にした記事の投稿も少なくありませんでした。もちろん自分自身がたいへん貴重な内容だと受けとめ、多くの方々に伝えたいと考えた場合のみ取り上げていました。前回の記事「脱原発依存の首相会見」の最後にお知らせしていましたが、今回、福島県の佐藤栄佐久前知事の著書『福島原発の真実』について取り上げていきます。3月11日の東日本大震災の後、緊急出版された書籍であり、まさしく原発を考える上でタイムリーな内容でした。

佐藤前知事は、1939年に福島県郡山市に生まれ、日本青年会議所での活動を経て、1983年に自民党公認で参議院議員選挙に当選していました。1988年に福島県知事選挙に当選した後、東京一極集中に異議を唱え、原発や道州制の問題などで政府の方針と対立していたため、「闘う知事」として有名になっていました。県内で圧倒的な支持を得ていましたが、5期目の2006年9月、県発注のダム工事をめぐる汚職事件で追及を受け、知事を辞職していました。

逮捕された後、2009年10月、一審に続いて二審でも有罪判決となりましたが、「賄賂がゼロ円」という前代未聞の認定でした。弁護団や法律の専門家は「有罪は特捜部の面子を立ててのことで、実質無罪だ」と指摘しているそうです。この汚職事件の一部の取り調べでは、郵便不正事件で証拠のフロッピーディスクの日付を改竄した前田恒彦検事も担当していました。いずれにしても全体を通し、検察のシナリオに沿った関係者に対する強引な取り調べが行なわれたようです。

佐藤前知事は一貫して無実を主張し、現在、最高裁に上告しています。『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』という著書も佐藤前知事は執筆されていますが、検察が意図的な「国策捜査」を請け負ったと批判されても、否めないような当時の構図がありました。5期目を迎えていた佐藤福島県政は、経済産業省や関連業界などの原子力ムラにとって厄介な存在に見られていたようです。プルサーマル計画などを推進したい勢力からは「福島のトゲを抜け」とささやかれていました。

『福島原発の真実』の中に当時の政府内部から聞こえてきた次のような言葉が紹介されていました。「どの国でもエネルギー政策は国家の基幹でしょう。それを日本だけは、地方の鼻息をうかがわなければならないなんてあまりに不条理だ。いつまでも世界中で札びらを切って石油やガスを買い集められるわけがない。アメリカですら資源安保を言う時代に、日本だけ手をこまねいてはいられませんよ。今からちゃんと布石を打つべきです。原子力が不可欠なのは常識ですよ」という発言内容でした。

そもそも佐藤前知事は反原発を旗印にしていた訳でありません。就任した当初、福島第二原発3号機にトラブルが発生し、その対応の杜撰さから東電や原発に対する不信感を高めていかれたようです。1988年の暮れに異常を感知し、原子炉が自動停止していました。しかしながら東電は原因を解明しないまま運転を再開し、年明けには6時間も警報を鳴らし続けた後、手動停止させるという事故を起こしていました。国際原子力評価尺度でレベル2の「異常事象」とされる危険度だったそうです。

後になって分かった原因は、3号機の冷却水を再循環させるポンプの部品が脱落し、座金やボルトなどが原子炉内に流入するという前代未聞のトラブルでした。さらに佐藤前知事は、事故の情報が東電本社、通産省、資源エネルギー庁という順番で伝わった後、福島県庁に伝えられ、地元の富岡町と楢葉町への情報伝達が一番後回しにされることに強い危惧を抱きました。事故の影響が一番最初に及ぼされ、場合によっては避難などの対応を取らなければならない地元自治体への情報伝達のあり方に疑念が生じていました。

その後、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れやJCOの臨界事故などがあり、佐藤前知事は原発の「安全神話」にも不信感を募らせていきました。加えて、東電側の情報開示の不充分さや「推進ありき」の原子力ムラの硬直した姿勢などに違和感を示し、210万福島県民の命を預かる知事の立場から国や東電と激しく対立していくようになりました。とりわけ佐藤前知事は、既存の軽水炉でプルトニウムを燃やすプルサーマル導入計画に対して敢然と対峙し、前述した声が政府内から発せられるようになっていました。

書き連ねていくと、紹介したい内容が尽きません。とにかく保守、革新の立場に関係なく、原発の安全性の問題で闘ってきた佐藤前知事に敬服する読後感でした。もう一つ、佐藤前知事の原発立地は「地域振興の役に立っていなかった」という言葉も印象に残りました。2003年の改正前まで電源三法交付金の用途は図書館や市民ホールなど「ハコモノ」建設に限られていました。これらの維持費が自治体の財政を圧迫させ、原発の固定資産税も償却で金額が減っていくため、「金がないから、また原発を誘致したい」という発想に対し、佐藤前知事が警鐘を鳴らされていたことを最後に付け加えさせていただきます。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2011年7月17日 (日)

脱原発依存の首相会見

前回の記事「上司としての菅首相」に対しては、土曜朝までコメントが1件も寄せられませんでした。訪問者の数は普段通りだったため、今さら菅首相のことを論評しても意味がないという一つの表われのようにも感じていました。とは言え、菅首相が現在、この国で最も重い責任を託されている最高権力者であることも間違いありません。その菅首相が水曜の夜、エネルギー政策の転換にかかわる重大な方針を発表しました。

菅直人首相は13日、首相官邸で記者会見し、今後のエネルギー政策に関し「原発に依存しない社会を目指すべきだと考えるに至った」と述べ、脱原発依存を進める考えを示した。その上で「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」とし、将来的には原発を全廃する「脱原発」の姿勢を鮮明にした。ただ、今後のスケジュールや政府内での議論の進め方など具体論についての言及はなかった。

首相は、3月11日の福島第1原発事故発生前は原発活用の立場だったとした上で「最終的な廃炉に長い期間を要するリスクの大きさを考え、これまでの安全確保という考え方だけでは律することができない技術だと痛感した」と政策転換の理由を説明した。停止中の原発の再稼働については、原子力安全委員会が関与するとした政府の統一見解に沿って、首相、枝野幸男官房長官、細野豪志原発事故担当相、海江田万里経済産業相の4人で判断すると説明。「専門的な立場の皆さんの提起があり、それが大丈夫となれば4人で合意して稼働を認めることは十分あり得る」と述べた。

当面の電力需給に関しては「必要な電力を供給することは政府の責務」と強調。今夏と年末については「必要な電力供給は可能との報告が耳に入っており、そう遠くない時期に計画を示す」とした。来年以降は「天然ガス活用なども含めて計画を立てていきたい」と述べるにとどめた。与野党内で臆測が出ている「脱原発解散」については「この問題で解散するとかしないとか、一切考えていない」とした。
退陣時期では「(退陣表明した)6月2日の(民主党)代議士会、記者会見で真意を申し上げているので、それを参考にしていただきたい」と語った。また、原発再稼働を巡る政府内の混乱については「私の指示が遅れるなどしてご迷惑をかけた。申し訳ないと関係者におわびしたい」と改めて陳謝した。【毎日新聞2011年7月13日

私自身も含め、大多数の国民が基本的な方向性については賛意を示す考え方だろうと思っています。確かに3月11日以降、福島第一原発事故の深刻かつ甚大な被害を突き付けられ、合わせて原発の安全神話や低コストという見方の欺瞞さなどが浮き彫りになる中、菅首相の脱原発依存の方針は歓迎すべきものでした。しかし、会見直後から内閣や民主党内から「あくまでも総理の個人的な思い」というような声が続出し、政府与党内での足並の乱れが明らかになっていました。

あげくの果てに翌々日の閣僚懇談会の中で菅首相自身も、脱原発は「政府見解ではなく、個人的な見解として決意を述べた」という釈明を加えるというお粗末さを露呈させていました。加えて、方向性自体を評価する閣僚も少数派にとどまり、与謝野経済財政相は「石油や天然ガスは(国際的に)取り合いになり、値段も高騰するし、安定供給にも懸念が出てくる。それでもいいという覚悟を決めるのか」と主張していました。

さらに企業の国際競争力へのマイナスが出る影響などを指摘し、「日本にとってあんまりいいことは起こらない。原子力がなくなったからと言って、生活のレベルが落ちていくだけだ」と公然と批判していました。野党や財界、マスメディアからも菅首相の稚拙な記者会見の内容が批判され、脱原発の難しさも強調され始めています。たいへん皮肉なことに菅首相の記者会見は、原発を推進すべきだと根強く考えている人たちに格好の攻撃材料を与えたような気がしています。

そもそも一足飛びに原発すべてを停めることの困難さを認めた上、よりいっそう安全対策に万全を期し、代替電力の確保など緻密に解決していかなければならないデリケートな問題が山積していました。それにもかかわらず、菅首相の大事な足元である内閣をはじめ、枝野官房長官や海江田経産相らとも事前に充分な意思疎通をはかっていなかったようです。そのため、「個人的な見解」を披露した記者会見に何の意味があったのか甚だ疑問です。

今年1月に投稿した記事「リーダーシップのあり方は?」の中で、自分一人で決めることが強いリーダーシップの発揮ではないという思いを綴っていました。菅首相の言動の数々に対し、発していた言葉ですが、まさしく今回もそのような忸怩たる思いを強めています。リーダーが一人で物事を判断し、その方針に部下が従うのは当たり前だという見方も一つの正論です。また、リーダーは大きな総論的な方向性を示し、具体的な各論を肉付けしていくのは部下の役割だという見方もあり得るのかも知れません。

それぞれ正しい見方だろうと思いますが、示した方針に対して結果を出すことがリーダーの最も重要な責任と役割だと言えます。そのためには、どのような指示を部下に与えるべきなのか、どのような手順を踏むべきなのか、どのように自分自身が振る舞えば良いのか、全体を見渡す中で最適な「答え」を洞察する能力がリーダーには求められているものと思っています。つまり脱原発依存を実現していくため、今回の記者会見にどのような意味合いを持たせていたのか、菅首相に問いかけたい気持ちを強めていました。

決して支持率アップや延命のための会見だったとは考えたくありませんが、あまりにも与えている影響のチグハグさに悩ましさを感じていました。実は今回の記事は、福島県の知事だった佐藤栄佐久さんの著書『福島原発の真実』について取り上げる予定でした。いつものことですが、前置きとして触れた菅首相の会見の話が膨らんでいったため、途中で記事タイトルを変えていました。この本の詳しい内容に関しては次回以降の記事で紹介するつもりですが、「原発推進ありき」だった国策の歪さを改めて思い知らされる機会となっていました。

ここから先は少し横道にそれてしまいますが、サッカー女子ワールドカップの決勝戦が日本時間の18日午前3時45分にキックオフされます。日本代表「なでしこジャパン」が世界ランク1位のアメリカに挑む大一番ですが、何とかリアルタイムで応援しようと考えています。その矢先、次のような報道を目にすると何とも力が抜けてしまいます。検討すること自体、あり得ない話だろうと思っていますが、ご本人や側近の皆さんは真剣に検討されたようであり、「何だかなぁ」という印象を抱いた報道内容でした。

ドイツで開催されているサッカー・女子ワールドカップ(W杯)の決勝戦について、菅首相が現地で応援する方向で首相周辺が一時検討したものの、断念していたことが15日わかった。政府関係者によると、初の決勝進出を果たした「なでしこジャパン」を首相が現地で観戦できるよう、17日朝に政府専用機で日本を出発し、19日朝に帰国する「強行日程」が秘密裏に検討された。

しかし、「東日本大震災の対応もあるのに、サッカー観戦している場合ではない」と慎重意見が出たほか、「政府専用機を使用すれば数千万円の経費がかかる」(防衛省)ことも考慮し、結局、“ドイツ外遊”は幻に終わった。政府は代わりに鈴木寛文部科学副大臣の派遣を検討している。民主党内からは「被災者への義援金が行き届かない中、数千万円を使ってサッカー観戦など、あきれる」と首相の姿勢を疑問視する声が出ている。【読売新聞2011年7月16日

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2011年7月10日 (日)

上司としての菅首相

今月24日の正午をもって、アナログ放送が視聴できなくなります。少し前から地デジ対応になっていないテレビの画面左下に大きく「アナログ放送終了まで あと14日」という告知が始まっていました。「異常に大きい」と批判する声もあるようですが、気にならない程度の告知のままアナログ放送が終われば、「伝え方が不充分だった」という声も出ていたのかも知れません。

記事タイトルと異なる話題を引っぱり恐縮ですが、地デジ完全移行前に一度、取り上げようと暖めていたネタがありました。隣り合った部屋があり、それぞれ地デジ対応とアナログのテレビが置かれていました。同じ番組をアナログで見ながら、隣の部屋の地デジを見ると、3秒ほど遅れて同じ画面が映っていました。圧縮したデジタルデータで送信された画像をチューナで展開する処理時間がかかり、これに合わせて音声もテレビ内部で遅らせるため、地デジのほうがアナログよりも少し遅れて映し出されるようです。

メーカーや機種の処理機能の違いによって、遅れる時間が異なることをネット検索で知りました。実は、このような違いがあると、テレビの時報で時計の時間合わせができなくなるものと考えていました。その疑問に対してもネット上を調べるだけで、「えっ、そうだったんだ」という単純明快な答えを見つけることができました。「地デジ放送では時報がなくなっている」という答えでした。改めてNHKなどを注意して見ていると、確かに時計を映し出していた時報がなくなっていました。

それでは新年に向けたカウントダウンも数秒遅れ…、このような突っ込みを入れていくと切りがなく、ご存知だった方々からすれば「今さら」という話題ですので、そろそろ本題に移らせていただきます。前回の記事は「400回、改めて当ブログについて」でした。1週間に1回、週末に更新していく際、これまで題材が見つからずに困るようなことはありませんでした。扱う内容は、基本的に公務員や組合活動に関連する題材が中心でしたが、時事の話題も適宜取り上げていました。

この1週間も時事の話題に目を向ければ、松本龍前復興相の暴言による辞任九州電力の「やらせメール」のニュースなどは様々な切り口から論評できそうな問題でした。その中で、今回の記事では菅首相と海江田経産相との関係について取り上げてみます。玄海原発の再稼動に踏み出した直後、唐突に菅首相が全原発でストレステスト(耐久安全検査)を実施するという方針を示したため、地元の首長への説得に力を尽くしていた海江田経産相が「ハシゴを外された」結果となっていました。

原発に対する私自身の考え方は「原発議論と電力問題」や「浜岡原発への停止要請」などで綴っていました。そのため、「再稼動ありき」のための安全宣言は、福島第一原発事故の教訓が今一つ活かされていないという思いを抱いていました。そのような意味合いからは、菅首相の方針転換を評価しなければならないのかも知れません。しかし、電力需要との絡みや政府与党内での根回し不足などを見せつけられた場合、どうしても場当たり的な軽さが感じられ、菅首相に対する信頼感の低下に繋がる出来事でした。

今回、玄海原発の再稼動やストレステストの問題などは横に置かせていただき、菅首相と海江田経産相の組織の中での上下関係に絞り、部下の悲哀や反面教師とすべき上司像について考えてみるつもりです。まずZAKZAKの記事(暴君菅に「やってられない」…海江田辞意の全真相)の一部をご紹介しますが、国会での答弁中に涙目となっていた海江田経産相のやるせない気持ちがよく理解できる生々しいリポートだろうと思っています。

原発問題をめぐって、菅首相と海江田氏の発言は常に食い違いを見せていたが、ついに海江田氏は7日の参議院予算委員会で辞任を示唆する発言をするに至った。その背景には、長きにわたる確執があった。6月30日、佐賀県から帰京した海江田氏は、その足で首相官邸に向かった。玄海原発の再開について、佐賀県の古川康知事と膝詰め交渉を終え、その内容をいち早く菅首相に報告するためだ。

海江田氏は、再開に比較的理解を示している現地の状況を報告した。「向こうも地元の住民を納得させる最後の決め手がほしいんです。知事は私ではなく『総理に来てもらって説明してほしい』と言ってます。ですから、ぜひ…」 ところが、これを遮るように菅首相は信じられない暴言を吐いた。「うまくやってくれと言っただろう!俺は知らない」 海江田氏はついにキレた。それまで、たまりにたまっていた菅首相への不満が一気に爆発した。「そうですか。では、勝手にやります」

その後、経産省にもどった海江田氏は「もう俺は辞めたい。我慢ならない。やってられない。(菅首相は)ひどい!」と経産省幹部や政務3役らに怒りをブチまけた。いま日本が抱える喫緊で最大の政治課題は、やはり原発問題だ。国家経営の基軸である「電力供給」への不安は、国民生活や日本経済に暗く、深刻な影を落している。だからこそ、分厚い態勢で事にあたっていたはず。トップの菅首相、本来担当である海江田経産相、そして、わざわざ新設した細野原発担当相…。だが、この3人は連携も信頼感もゼロ。むしろ怨念にも近い感情に支配され、原発問題解決など絶望的なのだ。

菅首相にとって、原発問題はただの「政権延命のために使える道具」でしかない。相変わらず、おいしいところは自分がしゃしゃり出て、面倒なところは知らん顔だ。「すべては中部電力浜岡原発の停止要請から始まった」 経産省幹部はこう話す。本リポート(5月26日発行)でも取り上げた5月初旬の浜岡原発停止は、海江田氏が中部電力などに根回しをしながら水面下で進めてきた。にもかかわらず、菅首相は「あとは俺がやる」といきなり記者会見した。例によって、おいしいところを取ったものの、会見の中身は科学的根拠も法律論もメチャクチャ。「結局、その後の中部電力や地元自治体の反発などは全部、海江田さんが引き取った」(同幹部)のである。

実は、その後も同じような不信感を重ねる出来事が続いていた。6月18日、海江田氏は全国の原発について安全性が確認されたとして、自治体に再稼働協力を求める会見を行った。ところが…。「菅首相は『脱原発』を旗印にしているのに、一方で、現存する原発には再稼働を呼び掛ける。これは明らかに矛盾していて、菅首相は自分が会見するのをイヤがった。そこで、『これは海江田さんのほうでやってくれ』という指示が下りてきた。海江田さんは『いいところは自分。イヤなところは今度はこっちが会見かよ』と不快感をあらわにしていたが、逃げるわけにもいかなかった」(海江田氏に近い民主党議員)

一方で、菅首相の言い分については、若手側近が「事故発生以来、菅首相は東京電力や経産省を信じていない。既成の原子力村にメスを入れようとしているんだ。官邸主導、政治主導で原発問題を解決しようとしている」と話しているそうです。そのため、東電担当の補佐官だった細野原発相も、報告のたびに充分話を聞かないうちに「お前は東電に取り込まれたのか。東電のまわし者だろう」と菅首相から怒鳴りつけられていたようです。

以上のようなエピソードを並べるだけで、菅首相は絶対直属の上司になって欲しくないタイプに分類されます。手柄は自分、嫌な仕事は部下任せ、責任は取らない、指示がぶれる、簡単にハシゴを外す、部下の気持ちを思いやれない、上司の皆さんが反面教師とすべき事例が羅列できてしまう非常に残念な話でした。私自身が知り得る身近な上司のタイプの中でも、ここまで問題点を抱えている人物は稀だったものと思います。

これまで菅首相を支持し、期待してきた一人として、あまり辛辣な言葉や失礼な物言いは控えようと心がけてきました。今回の記事は、その心がけから少し踏み出した辛口な内容となっているはずです。それでも菅首相にも目を通していただければと願いながら、この記事も書き込んでいます。難しい仕事を成し遂げるためには、部下との関係を大事にしなければ前に進みづらくなるはずです。スケールがまったく違いますが、私どもの組合の中での自分自身の振る舞い方も含め、部下との充分な意思疎通や信頼関係など菅首相を反面教師とし、上司のあり方を考えてみました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年7月 3日 (日)

400回、改めて当ブログについて

ブログの管理機能として、これまでに投稿した記事や寄せられたコメントの数が一目で分かるページを備えています。少し前からそのページの数字を気にかけるようになっていました。このブログの記事の投稿数が400回に近付いていたため、その管理ページの数字を意識していました。そして今回、400回目を迎えました。今まで100回を大きな節目として、次のような記事を投稿していました。

100回の時は、あまり投稿数を意識していなかったため、100回目の記事は普段通りの内容を書き込んでいました。たまたま先ほど紹介した管理ページを目にした際、直前に投稿した記事が100回目だったことに気付きました。そのため、101回目という少し半端なタイミングでのメモリアルな記事内容となっていました。ちなみに開設した当初は、ほぼ毎日ぐらいのペースで投稿していたため、101回目までは2日で1回、記事を更新するスピードでした。

その頃から徐々に週2回程度のペースとなり、開設後、1年半ぐらいの時期から週1回の投稿間隔が定着していました。したがって、100回を刻むには約2年間を要し、先が読みやすくなっていたため、管理ページに注意を払い始めたのは最近のことであり、四六時中、投稿数を意識していた訳ではありませんでした。なお、節目の記事で述べてきたことですが、新たな記事の投稿を重ねなくても年月は過ぎていきます。

一方、投稿した記事の数は自分自身の労力を惜しみ出したり、続けていく熱意が冷めてしまった場合、停滞してしまう数字です。その意味で今回、400回という数字を刻めたことは改めて感慨深いものがあります。実生活に過度な負担をかけないため、週1回、週末更新を基本としてきました。逆に週1回は必ず更新しようという心構えに繋がり、「週記」という定期間隔での投稿を重ねられているものと思っています。

毎日、蓄積されがちな日常業務に対しては、「今日できる仕事は今日のうちに終わらせよう」と考え、なるべく先送りしないように努めています。その一方で、組合絡みの原稿書きなどに関しては、切羽詰まらないとエンジンのかかりにくい傾向がありました。今回のブログ記事も昨夜中に仕上げるつもりでしたが、「明日も時間が取れる」と考えてしまうと早めに寝てしまい、投稿までに至りませんでした。

試験勉強も「一夜漬け」のほうが多かったタイプであり、週1回更新という自分なりの約束事がなかった場合、長期開店休業状態のブログになっていたのかも知れません。その上で、週1回の更新ペースを崩さずに継続できているのは、毎回、多くの皆さんがご訪問くださり、貴重なコメントをお寄せいただいていることが大きな励みとなっていました。とりわけ、いつもご注目くださっている常連の皆さんには、たいへん感謝しています。改めて、ありがとうございます。

今回、400回という節目に際し、前回記事「再び、コメント欄雑感」のコメント欄で交わされたご意見などを踏まえ、改めて当ブログの目的や位置付けについて掘り下げてみます。「公務員のためいき」を開設した切っかけは以前の記事「このブログを始めたイキサツ」の中で綴っていました。NHKと朝日新聞が「従軍慰安婦」関連番組への政治介入問題に絡み、真っ向から対立した報道を繰り広げていました。真実は一つでも、どちら側の報道内容に接するかどうかで、その真偽の評価や印象がガラリと変わってしまいました。

ちょうど世の中は大阪市役所の厚遇問題などで、公務員への厳しい視線や声が強まっていた頃でした。言うまでもなく、公務員やその組合側も改めるべき点は、すみやかに改める必要があります。しかし、労使交渉で積み上げてきた内容がオールorナッシングで批判されていく動きにも問題意識を感じていました。NHK対朝日新聞の例を踏まえ、組合側の言い分も訴えていく重要性を認識していた時、誰でも簡単にインターネット上で意見を発信できるブログと出会い、現在に至っていました。

組合側の言い分とは言え、個人の責任によるブログですので、基本的には私自身の考え方を発信する場となっています。その中で、いつも心がけている点がありました。このブログの場では、一人ひとり違う「答え」を持っている方々が閲覧くださっているものと受けとめています。当然、私の「答え」は一つで、正しいと信じ、このブログで様々な主張を展開しています。しかし、その「答え」と異なる主張が数多くあることも想定し、あえて「(私は)このように思っています」という論調を基本としていました。

分かりづらい話かも知れませんが、このブログでは「答え」と「正解」という言葉を使い分けています。「答え」は個々人で様々なものがあり、「正解」は基本的に一つであるものと考えています。試験の答案用紙に書く「答え」は自信の有無にかかわらず、その人が正しいと考えたものです。ただし、必ずしも「正解」とは限りません。実社会の中では場合によって、簡単に「正解」を見出せない難しい設問も多数存在しているのではないでしょうか。

これまで原発普天間基地の問題など、あえて賛否が分かれがちな難しいテーマについてもブログで取り上げてきました。その際、私自身の「答え」が正しいと共感されるのであれば、広く支持されていくものと考えていました。逆にその広がりを見出せないようであれば、自分自身の「答え」を見つめ直す機会にすべきという謙虚さも忘れないようにしていました。このように考えているブログ記事のコメント欄を通し、いつも幅広いご意見に触れられるのは本当に貴重な機会だと思っています。

コメントを投稿される皆さんは博識な方々が多く、私自身の「答え」に対し、賛同される声がある一方、厳しい批判も加えられがちでした。ただ私自身の「答え」が固まっているテーマも多いため、せっかくのご指摘を即座に肯定できず、徒労感を与えがちな場面が多いことも自覚しています。また、白黒の結論を示させない「玉虫色の対応」だと見られる場合もあるため、歯がゆさを感じている方がいらっしゃることも受けとめています。

前回記事のコメント欄で、ディスカッションとディベートの定義などに対する意見も交わされていました。いろいろな見方がある中で、このブログはパネル・ディスカッションと似た位置付けをめざしていました。コメントを投稿される一人ひとりがパネラーとなり、それぞれの「答え」の正しさを閲覧されている不特定多数の方々から共感を得られるよう言葉を競い合う、そのような場になれることを常々願っているからでした。

他のブログと比べれば制約の少ない場としていますので、管理人である私や特定のコメントに対し、ディベートを挑まれるのも結構だと思っています。ただ異なる意見を「そのような考え方はあり得ない」という上から目線での批判に終始した場合、広がっている「溝」は簡単に埋まらないという思いを抱いています。相手の「答え」を論破することよりも、ご自身の「答え」に対して共感が広がることを大事にしていただければと考えています。

このような考え方に関しても、私自身のこだわりであって、「正解」かどうかは読み手の皆さんの判断に委ねているつもりです。つまり絶対的な「正解」は、この場では判断できないという割り切り方があり、書き込まれた内容を閲覧されている皆さんが、どのように受けとめていくのかが重要なポイントになることを望んでいます。当然、実生活の場面では複数の「答え」がある中、一つの「答え」に絞らなければならない時が多々あります。

しかし、このブログの場は、そのように「答え」を一つに絞ることを目的としていません。多種多様な情報や意見を提供できる場になれることを目的とし、「何、考えているんだ」という蔑みがあっても、「ほー、なるほど」という共感も与えられる幅があるブログに位置付いていければ幸いです。いずれにしても自分の「答え」が最も正しいと考えていた場合、異なる「答え」に対し、厳しい口調での追及型のコメントになりがちです。次のような点も見方が分かれるはずですが、立場や視点が違う方々から賛同を得るためには、よりいっそう言葉遣いの丁寧さが求められるものと私自身は考えています。

最近、CMで有名になった金子みすゞさんの『こだまでしょうか』という詩を思い浮かべる時がよくあります。このような心構えについて、仕事や組合活動を担う上でも注意している点ですが、言葉だけのやり取りとなるネット上では、より注意しなければならない点だろうと考えています。金子みすゞさんは1930年に亡くなられていますので、著作権法上の問題がないことを確認した上で、400回目の記事の最後に、心にしみるその言葉の全文を紹介させていただきます。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
 
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
 
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 
そうして、あとで
さみしくなって、
 
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

| | コメント (37) | トラックバック (1)

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »