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2011年6月19日 (日)

ベターをめざす人事制度 Part2

久しぶりに「Part2」を記事タイトルに付け、書き始めました。前回記事は「ベターをめざす人事制度」でした。他の自治体における管理職試験のあり方などについて、参考となるコメントがいただければ幸いだと考えていましたが、総論的な意見、特に公務員の働きぶりに対する批判的な問いかけが中心となっていました。それはそれで、このブログを開設している目的を踏まえれば、それぞれ貴重な提起だったものと受けとめています。

以前の記事で書いたことですが、ブログを続けている上で「一期一会」の心得を大事にしています。これまで公務員やその組合に対し、手厳しいコメントが数多く寄せられていました。その都度、記事本文やコメント欄を通し、私なりの考え方を示してきていました。このような連続性の中で最新の記事を綴っていることも確かですが、初めて訪れてくださった方々に対しては「一期一会」の思いで接しなければ、失礼な話だろうと考えています。それでも必ずしも毎回、きめ細かく丁寧なレスに至っているのかどうかは力不足の現状も否めませんでした。

その至らなさを補う意味合いから「お時間が許される際、過去の記事もご覧いただければ幸いです」という一言を添える場合が少なくありません。紹介したい記事のタイトルやURLを基本的に示していますが、前回記事のコメント欄では次のような方法も案内させていただきました。Googleなどで「公務員のためいき 政治活動」「公務員のためいき 労働組合」と興味のある語句と「公務員のためいき」を組み合わせて検索いただければ、関連記事がトップに並ぶようですので、ぜひ、お試しください。

さて、前回記事のコメント欄で「言葉の使い方一つで、この人事制度の問題は受けとめ方が枝分かれするように思えています。逆に長く書き込むことで分かりづらくする場合もありますが、このテーマは次回の記事本文でも取り上げてみようと考え始めています」と記していました。まず「ベターをめざす人事制度」という記事タイトルですが、「ベター」としたから「ベターで良い、ベストをめざさなくて良い」という意味ではありません。「より良いものをめざす」という意味合いだったことを改めて補足させていただきます。

加えて、個々人の能力や資質に差があることを前提とし、さらに人事の結果に関して全員が満足する平等性もあり得ないものと思っています。その意味で、ベストな人事制度は難しく、常にベターを模索していく柔軟さが求められているように感じています。つまり「これがベストだ」と考えてしまうと、その模索する努力にブレーキがかかるように見ているからでした。ただ誤解がないように強調しなければならない点として、懸命に働いても働かなくても同じ処遇とするような人事制度を「是」とするために書き込んでいる訳でもありません。

信賞必罰が「アメとムチ」、つまり外発的動機であり、その対極にある内発的動機をどのようにすれば高めていけるのか、このような問題意識を強めています。前回記事でソニーの元役員の言葉を紹介しましたが、そもそも「ベターをめざす人事制度」は官民問わず、試行錯誤している課題であるものと認識しています。最近では、個人の力に依存するのではなく、いかに組織として、チームとして力を発揮していけるのか、行き過ぎた成果主義を見直す動きが見られるようになっていました。

年功賃金や成果の定義が曖昧な労働環境は、頑張っても頑張らなくても同じ待遇という批判を受けがちでした。それに対し、成果主義の導入によって、仕事の範囲の曖昧さが除かれ、個々人の成果が数値化されるようになりました。一方で、成果主義のデメリットとして、個人の成果に結びつかない業務が消え、職場内の個人主義の傾向が強まり、「その仕事は私のためになるんですか?」との声や「競争相手に教えられない」と同僚に仕事のやり方を教えない社員まで現れていました。

お互いに知恵や経験を持ち寄れば、簡単に解決できる問題も一人で抱え、一から自分で調べるという弊害が生まれていました。社員同士がお互い協力し合えないため、組織全体での生産性、効率性、創造性の低下も取り沙汰されていました。もう一つ大きな問題として、お互いが干渉しない、干渉できない組織内での個人主義の蔓延は、品質やコンプライアンスに向けたチェック機能の低下にも繋がっていました。そのため、脱成果主義に向け、組織やチームとしての士気を高める重要性が改めて注目を浴び始めています。

以前の記事でも綴った内容の一部ですが、あくまでも理念的な問題意識に過ぎません。今回の記事では名無しさんからの宿題があり、それにお答えするような記事内容を考えていました。なお、記事本文は読まれても、コメント欄まで目を通されていない方々も多いようですので、名無しさんから示された具体例に対して、私が書き込んだレス内容を改めて紹介するところから本題に入らせていただきます。

具体例を示された質問に対して、私なりの考え方をお答えします。職員Ⅰの仕事ぶりが様々な意味合いで優れ、住民サービスを提供していく上で、そのレベルが求められているという設定は分かりました。この場合、職員Ⅱにも言い分はあるのかも知れませんが、職員Ⅱは職員Ⅰのレベルに近付く努力が必要であるものと思っています。しかし、職員Ⅱがその努力すら拒み、住民が望むサービス水準に至らない場合、職員Ⅱをどのように処遇するかどうかの設問だろうと理解しています。

①個々人の仕事ぶりが評価されない人事制度だった場合、職員Ⅰの不満は募り、職員Ⅰまでやる気を失せてしまう恐れもあります。そして、職員Ⅱはいわゆる「フリーライド」に位置付けられてしまいます。

②成果主義などの評価システムが確立されていた場合、職員Ⅰは給与やポスト面で優遇され、やる気は持続できるのかも知れません。ただし、①と②も望まれたサービス水準に至らない致命的な問題を抱えたままとなります。

③相対的な評価のもとで職員Ⅱを排除できるシステムがあり、職員Ⅰと同等なレベルの人材を後任に配置できれば、住民サービス面での問題は解消できます。適材適所という面から職員Ⅱが次の職場で活躍できれば、結果オーライの人事となります。

④しかしながら職員Ⅱの働きぶりが次の職場でも同様な問題の原因となった場合、組織全体を見渡した時の抜本的な解決には至らないことになります。言うまでもありませんが、官民問わず、相対的な評価が低いから即解雇という制度は論外であることを前提としています。

⑤今回の記事本文で示した総論的な考え方は次のとおりです。職員Ⅱに対して、職員Ⅰのレベルにどのように近付けさせるのかどうかが人事制度の要諦だろうと考えています。組織の力を高めていくことを重視するのならば、二人で徹底的に話し合うのか、上司や第三者も交えるのか、様々なアプローチを尽くし、職員Ⅱの意識改革を働きかけることが重要です。その際、外圧的なものではなく、職員Ⅱが内発的動機のもとで変われることを理想としています。

上記⑤が簡単ではなく、「結論を出さずに引き延ばす」という見られ方をされてしまうのかも知れません。しかし、①から④の難点を想定した場合、私自身は方向性の問題として、どのような制度設計をはかれば⑤が実現できるかという問題意識を抱えている旨をお答えしていました。このレスに対し、名無しさんからは「なぜ、職員Ⅱの待遇維持が優先されるのか」という趣旨の問いかけが追加で示されていました。

要するに職員Ⅱの待遇を大胆に引き下げるべきという主張ですが、年俸制を採用している企業でも現行水準を起点に一定範囲内での増減となっているはずです。純粋な実力主義と見られているプロ野球選手の年俸でさえ、下げ幅の上限が決まっています。とりわけ公務員も労働者であることは間違いなく、一方からの視点のみで給与を大幅に切り下げることや解雇などは労働法制の面からも簡単に認められるものではありません。たいへん恐縮しながら、この問題では私の見方のほうが現実的な出発点であることをご理解ください。

名無しさんからの二つ目のお尋ねは「内発的動機で責任感を維持させる方法を書いて欲しい」というものでした。合わせて、「仕事って、楽しいことが1あれば辛いことは99あり、やりたいことが1あれば避けたいことが99あるのが普通で、それに対し真摯に取り組むから報酬があるのです」という言葉も添えられていました。まったくその通りであり、内発的動機を重視したいという私の意見が「楽しい仕事だけ取り組みたい」というような誤解を与えていたとしたら、文章力や表現力の不足を深く反省しなければなりません。

様々な仕事がありますので一括りに論じれないのも知れませんが、仕事は「やらされている」場合よりも、「やらなければ、やるぞ」と思いながら取り組んでいる時間のほうが早く過ぎるはずです。私自身、この後者の思いを先行させるために内発的動機が重要であるものと理解しています。仮に職員Ⅱが自分の仕事を「一定の収入を得るための手段に過ぎない」と考えていた場合、「アメとムチ」という人事制度で職員Ⅰのレベルまで押し上げていくことの難しさを感じています。

ここで名無しさんからの二つ目の質問に対する答えに繋がる訳ですが、上記⑤でも書いたとおり職員Ⅱの意識改革が鍵になっていくものと考えています。「この仕事は組織全体の中で、どのような位置付けとなっているのか?」「この仕事を取り組む意義は?」「なぜ、この仕事が必要なのか?」、職員Ⅱに押し付けるのではなく、問題意識を共有化できるような丁寧なアプローチを試みることが肝要だろうと思っています。その際、試みる人物は誰が適任なのか、1対1の話し合いか、複数が参加した会議を通してなのか、もしくは研修が必要なのか、職員Ⅱとの関係性や性格を踏まえた判断が欠かせません。

当然、このような目配りや調整は直属の上司の役割となります。いずれにしても職員Ⅱが自らの意思で責任感を高めていく切っかけを提供するという上司の姿勢が大切であり、「このようにすべきだ」「こうしなければならない」という押し付けだった場合、逆に反発を招くリスクにも留意しなければなりません。長々と書いてきましたが、「自分の仕事は、このような意義がある」と意識できた時こそ、より強い責任感が維持でき、いっそう前向きに取り組んでいけるものと考えています。端的な答えとしては「内発的動機だから責任感を維持できる」となりますが、言葉が不足している点はコメント欄や次回以降の記事で補わせていただくことでご理解ご容赦ください。

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コメント

記事を読みました。お疲れさまでした。
まず、とあるブログからの引用になりますが、阿久根市の例で斉藤元市長が行った12年の行政改革の効果を、前市長と現市長の「ムチとアメ」により、わずか2年半で大幅に超える実績を残しました。つまり「ムチとアメ」が非常に効果的に機能した例で、外発的動機の有効性の証明です。
また、あなたの成果主義への評価について、いくつも批判を書いておられますけど、公務職場では試されてもいないではないですか。なぜ一度も経験していない事を批判できるのでしょう。民間では実際に、成果主義がある一定の効果をあげて競争力が復活した例もあるのですから、試す前から見直すなどと言わずに、一度は経験してから評価して欲しいものです。
例えば「その仕事は私のためになるんですか?」との声や「競争相手に教えられない」との声が出る問題があると指摘しておりますが、今の競争の無い公務職場でも「その仕事は私の分掌にありません」との声や「その仕事ではスキルが身に付かない」との声で、手の付かない隙間業務が幾つもあると聞こえています。でも、まだ前者は自分で業務手法を調べるだけマシだと思いませんか。
職員が提供する公益に満足できない住民がいるのも事実なのですし、あなたの言うように、内発的動機をどのようにすれば高めていけるのかと試行するには、住民はもう疲弊しすぎて待てないのですよ。まずは成果主義を導入しましょうよ。
結局は、自己の業務に対し「やらなければ、やるぞ」と自発的に考えるような人として最低限の責任感を持たせられれば、手法などは何でも構わないのですが、情けない話ですが今の人達は強力な外発的動機が必要のようですよ。
もちろん、あなたの書いたような取り組みも並行して行うのですが、ダメな人間は何をしてもダメな事も多くある訳ですから、職員Ⅱを早々に解雇できる評価制度は必要ですね。そして時間を無駄に消費させないためにも、一律の待遇切り下げから取り組みましょうよ。それがなければ職員Ⅰが可哀そうです。
その後からでも、より良いものを試行することは出来ますし、普通の責任感と能力があって、職場にとって必要な人と判断されれば待遇は戻るのですから。

投稿: 名無し | 2011年6月19日 (日) 22時56分

名無しさん、おはようございます。さっそくコメントありがとうございました。

まず阿久根市の前市長の「ムチ」は、まったく評価できません。仮に三選を果たしていた場合、違法専決に対する訴訟リスクなどを抱えたまま、市政の混乱は続いていたものと思っています。結果的に「モンスター市長」が2年半務めたため、その対抗馬として誕生した新市長を支えていく気運があり、労使合意のもとに賃金カットなどが進んでいました。しかし、この功績は新市長のものであり、前市長の「ムチ」を評価する見方は皮肉を込めたものと言えるのではないでしょうか。

続いて、成果主義そのものを全否定している記事は書いていません。また、公務職場の多くで人事考課制度など一定の評価システムが導入されています。民間企業に比べれば「周回遅れ」のタイミングであり、だからこそメリットとデメリットを踏まえた制度構築に繋げるべきだろうと考えています。

その上で、今回の記事も含めて「官民問わず」、人事制度の理想的な姿を綴っているつもりです。どうも名無しさんの目からは公務員の働き方に大きな不満があり、そのことを前提としたコメントが続いているように見受けられます。確かに相対的な評価の中で、個々の「差」が顕著な実例があろうかと思います。しかし、このような点は「官民問わず」課題となっているのではないでしょうか。

取り急ぎ、気になった点をレスさせていただきました。きっと、まだまだ反論が示されるのかも知れませんが、不充分な点は次回以降のコメントでお答えさせていただくつもりですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2011年6月20日 (月) 07時01分

コメントありがとうございます。
まず前市長を評価したくない気持ちは判りますが、仮に斉藤元市長の後継として現市長が就任していたならば、2年半でこの成果は無かったでしょう。手法はどうであれ事実に目をつむるのは良くないことです。現実を見ましょう。
また、多くの公務職場で一定の評価システムが導入されているそうですけど、それにしては職員Ⅱが多く目につき、未だ我が世の春を享受しているようです。そのうえ職員が提供する公益に満足する住民は、身内以外では相当に少ないのも事実ですから、成果主義の導入は本来ならば何処よりも急がれるべきだったでしょうね。こちらのコメントについて前提に疑問を持たれておりますが、あなたこそ先入観を持たれているように思います。現実を理解しましょう。
これから、この国では社会保障費半減程度の支出削減は避けてとおれない課題ですが、公務員が真っ先に既得権を吐き出さなければ、それを理由に優先順位が歪められたままとなってしまいます。経済政策より弱者救済としてみたり、国防費より生活保護費としてみたり、若年雇用より年金維持としてみたり、国としての優先順位があまりにも間違っている事実がありすぎます。現実を取り戻しましょう。
そして、国を取り巻く環境も見据えて優先順位を直していくためにも、公務職場に成果主義の導入は疑いなく必要と感じておりますし、それを自然なこととして受け止める資質の備わったもの以外に務まる職場であって欲しくないと思います。そうなれば改めて高い報酬を渡す価値も持ってくるはずですよ。新しい現実を作りましょう。

投稿: 名無し | 2011年6月20日 (月) 23時21分

名無しさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

最近の記事「震災前に読んでいた『ドロボー公務員』」の中でも記した言葉ですが、「公務員職場の実態は千差万別」であり、「公務員がステレオタイプの見られ方や批判を受けがち」という思いを改めて感じています。名無しさんと私の見ている事実や現実が大きく異なるのか、主観によって左右されていくものなのか、様々な要因もあろうかと思います。

確かに自分の職場、自分自身も含め、働き方に対して至らなさがあり、一切批判を受け付けないような完璧ぶりを誇れるものではありません。しかし、公務職場への辛辣な評価と合わせ、何が何でも成果主義を強化しなければならないという主張には正直なところ違和感を持ち続けています。

きっと名無しさんや名無しさんの周囲の皆さんの働きぶりが非常に優れているため、相対的な比較の中で公務職場の粗さや甘さも目に付くのだろうと推察しています。名無しさんの考えているレベルが当たり前であり、絶対的な評価のもとで批判されているのかも知れませんが、「分かりました。ご指摘のとおりの方向で頑張ります」という答えに至らず、たいへん申し訳ありません。このまま平行線なのか、歩み寄れる「溝」なのか、もう少しお時間をいただき、今後も必要に応じて意見交換をよろしくお願いします。

阿久根市の件も同じ事実経緯を見ているのでしょうが、竹原市政に対する評価は180度違うようです。それはそれで特に驚きはなく、いろいろなサイトを閲覧していると竹原前市長の根強い人気に接することができています。参考までに今年1月の阿久根市長選前後の記事を紹介させていただきます。

2010年12月12日(日) 年明けに阿久根市長選
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2010/12/post-e1ef.html

2010年12月19日(日) 年明けに阿久根市長選 Part2
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2010/12/post-8ca2.html

2011年1月23日(日) 市長選後の阿久根市
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2011/01/post-4331.html

投稿: OTSU | 2011年6月21日 (火) 08時08分

成果主義というものを狭く捉えているようにも思います。
個々の数値化などの方法論に囚われて成果が減じるなら、それを成果主義などと呼ぶ筈はありません。数値化は方法で、方法が成果より優先する考えは成果主義ではありません。
成果主義とは「成果」を組織運営の基本原理にするという考え方の事でしょう。

更に「内発的、外発的」との見方も成果(結果)ではなく、動機(原因)を考えているのです。

OTSUさんは優しく書いているから分かりずらいが、OTSUさんの考えはより厳しく且つ怖いものです。これを「強力」に推し進めるとファシズムとなります。

普通の成果主義は結果さえ出せば、金目当てだろうが出世目的だろうが問題ありませんが、動機すら縛るのは完全な全体主義を要求しているからです。当然、外発的動機の方が適している者を排除する必要はありません。

名無しさんも気付いておられると思いますが、組合員の幸福を追求する事を最大の行動原理にしている組合と、成果を追求する組織原理である成果主義とは多くの部分で相入れる事は無いでしょう。これは責める事でも矛盾する事でもありません。
魚屋の親父は魚を高く売りたいし、客は安く買いたいように。

しかし「組織の成果」を軽視し、「構成員の幸福」に重きを置く組織文化は決して理解はされないだろう。丁度、買う買わないを決めるのは魚屋の親父ではなく、「お客」であるべきであるように。

前阿久根市長は「この部分」を改革しようとしたのです。つまり「構成員の幸福」が「組織の成果」に優先する文化を壊そうとした。
組合員と一部の議員が反発するのは理解できるが、市民が小さな事に目を奪われて大事な部分が見えなかったのは残念でした。
しかし、この動きは弱まる事はないだろう。

投稿: あまのじゃく | 2011年6月21日 (火) 11時20分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

独特な視点での論評について、いつも興味深く読ませていただいています。ただ一点、私が重視している内発的動機は決して内心の自由を侵すものではなく、ファシズムという言葉とは程遠い発想です。あくまでも自発的に「やりがい」を持って仕事に臨めることが、よリ良いパフォーマンスの発揮に繋がるものと考えているだけですので、一言補足させていただきました。

後段の「構成員の幸福」の見方も、肯定する部分と誤解を招きがちな部分が混在しています。日本の首相が国民の幸福よりも、外国人の幸福ばかり優先していたら問題だろうと思っています。日本人の幸福も、外国人の幸福も大切であり、その実現のための優先順位や大局的な方針が必要であるものと考えています。

一言のつもりが余計な二言目を付け加えてしまいました。あまり適切な説明ではなく、言葉が不足しているかも知れませんが、何卒ご容赦ください。

投稿: OTSU | 2011年6月21日 (火) 22時38分

元々組織は対外的に成果を上げる為に存在します。警察は泥棒を捕まえ、消防署は火事を消す。
その成果を基本に運営を考えるのは当然と言えます。

少し前までゆとり教育というものがありました。ゆとりが無いから「自発的創意工夫」が育たないと考え、ゆとりを増やした。その結果全てが悪化した。
「逆は必ずしも真ならず」の典型で、人間観察の欠如の賜物でしょう。実はマルクスがズッコケタのも同じ要因でしょう。

自発的・内発的動機は大変大事です。しかし、では「内発的動機」を高める為にはどうしたら良いですか?と問われれば「信賞必罰」と答えるしかありません。

投稿: あまのじゃく | 2011年6月22日 (水) 10時21分

あまのじゃくさん、いつもコメントありがとうございます。

競走馬がゴールに向かって走る直線を思い浮かべてみました。馬群から抜け出した二頭が競り合っています。一頭は騎手に激しくムチを叩かれながら必死で走っています。もう一頭は持ち前の勝負根性で、あまり騎手からムチを使われることなく、馬自身が抜かれないように全力で走っていました。

闘争心は生まれながらの素質の差が大きいのかも知れませんが、育成の頃の馴致や日々の調教でも養うことができます。極端な例えで、逆に分かりづらくしていたら申し訳ありません。とにかくムチで叩かれないと走らない馬よりも、自らの本能で競り勝とうとする馬が望ましく、より強い競走馬になるものと思っています。

本当に戯れ言で、たいへん失礼致しました。

投稿: OTSU | 2011年6月22日 (水) 22時05分

全くその通りでござる。その為に最も重要な事が「成果に対してフェアーである事」です。つまり信賞必罰。

持ち前の勝負根性の持ち主でも、部長の親戚と言う理由だけで評価が高いと根性も失せるでしょうし、「抜かれても褒められる」ならば「抜かれたくない」とは思わないでしょうから。

そして残念ながら、ムチで叩かれても成果を出せない駄馬は排除するしかありません。お客が困るからです。
優しさと残酷さは表裏一体で紙一重でござる。

投稿: あまのじゃく | 2011年6月23日 (木) 08時44分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございます。

「成果に対してフェアーである事」などは、まったくその通りです。望ましい人事制度について、思い描いている姿はそれほど違っていないはずです。私も信賞必罰を全否定している訳ではなく、そのような外発的動機よりも内発的動機を高めていくことの大事さを問題提起しているだけでした。

ただ内発的動機に対する見方が若干すれ違っているため、うまく論点がかみ合っていないのかも知れません。加えて、個人プレイよりもチームとしての総合力の高め方を課題認識しています。いずれにしても、このような点を高めていくためには、どのような人事制度が適切なのか、ベターをめざしながら自問自答しているところでした。

投稿: OTSU | 2011年6月23日 (木) 21時23分

相変わらず小学生のような答えですね。自分たちがやるべき仕事を夢見てるんでしょうね。内発的動機なんて趣味やってるような考え方です。外発的動機と比べてるのは内発を正しいんだと主張するために言ってるだけです。なにも具体的なことを言ってない。公務員はファタスティックな世界に生きてるんだということです。内発的動機で仕事していると人間は成長しないんですよ。あなたみたいに子供みたいな主張しかできなくなるんですよ。こんなのに任せられないとまじめに思うようになりました、

投稿: 名無し改め | 2011年6月24日 (金) 23時00分

>内発的動機で仕事していると人間は成長しないんですよ


へー、じゃ外発的動機で仕事している人間は成長すると

民間企業はみんな外発的動機で働いているんだ、そうなんだー
社会貢献ですって言っている企業はみんな嘘なんですね^

じゃ、もっと公務員の給料あげなきゃねぇ、


>職員が提供する公益に満足できない住民

この「職員が提供する公益」って何なのでしょう?
よく意味が分かりませんが。

投稿: 地方の公務員 | 2011年6月25日 (土) 00時19分

 管理人さま
 初めてコメントさせて頂きます。いつも、記事やコメント欄のやり取りを興味深く読ませて頂いています。

 名無し改めさま
 横槍を入れるようですが、ここはあくまでOTSUさん個人のブログのコメント欄です。そして、私も含めて、みなさんが、OTSUさんが用意してくれたこの場を借りて、かりそめの名前で、思いを語り合っています。
 そんな場だからこそ、ひとりひとりがコメントを書く上で、守らなければいけない節度があるのではないでしょうか。

 どんな物事に対しても、考え方は人それぞれです。どれだけ議論を尽くしても、最終的に相容れないという結論に達することも、ままあるかも知れません。
 でも、そこで、個人攻撃のような発言で議論を打ち切ろうというのは、傍で見ていて、正直なところ、気分のよいものではありません。
 公務員うんぬんという前に、お互い、一人前の人間のはずです。
 他人のブログのコメント欄を借りて議論をする以上、相手に対する最低限度の礼儀は、わきまえておくべきだと思います。
 それができないのであれば、コメントをしなければよいし、読んで腹を立てるだけというのであれば、ブログそのものを読まなければよいだけのことではないかと思います。

 でき得れば、ヘーゲルのアウフヘーベンの考え方のように、対立する考えを出し合ったところから、その対立を活かして、より良い考えを導き出すことができる・・・このコメント欄には、そんな場であって欲しいと思います。

 出過ぎた真似をしたかも知れませんが、コメント欄の議論を興味深く読んでいた身として、コメントせずにはいられませんでした。気分を害された方があれば、申し訳ありません。

投稿: 野次馬 | 2011年6月25日 (土) 00時35分

名無し改めさん、地方の公務員さん、野次馬さん、 おはようございます。コメントありがとうございました。

長くブログを続けていると、本当に埋められない「溝」や「壁」があることを肌身に感じています。私からすれば、なぜ、名無し改めさんのような理解に至るのか、まったく不思議であり、不本意な話でした。私の文章力や表現力の問題なのか、本当に「小学生のような答え」なのか…。

野次馬さんから非常に冷静で、適確なコメントをいただきました。おかげ様で、あえて私からも「溝」を広げるような言葉は控えることができました。そのような意味合いからも、たいへん有難いご意見でした。

投稿: OTSU | 2011年6月25日 (土) 07時47分

「成果に対してフェアーである事」には「全くその通り」と返事を戴いたので、、もうこれ以上付け加える事は無いのですが・・。

動機(原因)、手段(過程)、成果(結果)の3つで「成果にフェアー」とは「動機にはフェアーでは無く」「手段にもフェアーではない」事を意味します。

内発的か外発的か、斬新的手法か保守的手法か・・これらは「お客」にとっては「興味が無く、あんた達会社の都合じゃ」でしかなく、「市民」にとって「公務員の動機や手法」も又同様の意味しか無いのです。

なぜ厳しい意見が後を絶たないかというと、外部から見て「公務員の都合」でやってるんじゃないの?と「見られている」からです。
同時に「それじゃプロじゃない」という苛立ちがある為です。「プロじゃない」が別の表現になっていると理解すべきでしょう。

>公務員の提供する公益とは何だ?

公務員は「公益」を提供し、その代償としてお給料を貰っているのですよ。
・・しかし最近私も言葉使いが穏便になりました・・(笑)。

投稿: あまのじゃく | 2011年6月25日 (土) 08時58分

管理人様が競馬の例えをあげていました。

中央競馬では三歳の秋までに勝利できなければ
出走資格がなくなります。
勝てば勝つほど上位のレースに出場できます。
誰がみても判る信賞必罰です。

一方、横須賀市役所で異動命令を無視し居座った
職員の報道がありました。なぜ解雇しないのか、
非常に判りにくい状況です。

この判りにくさが根本の原因でしょうか。

投稿: nagi | 2011年6月25日 (土) 09時13分

あまのじゃくさん、nagiさん、 おはようございます。コメントありがとうございました。

公共サービスという外部に提供する「成果」は、個人の力であろうと組織の力であろうと、内発的動機であろうと外発的動機であろうと、ベストな「成果」が出せるようにしなければなりません。この点は、あまのじゃくさんやnagiさんらの思いと大きな違いはないはずです。

そのベストな「成果」を出すための一つの手段として、人事制度という手法の工夫があり、内発や外発などという議論提起に繋げていました。決して自分たちの都合や自己満足のための話ではありません。とは言え、そのような見られ方や誤解を与えがちなテーマであったことは、よく分かりました。

ただ付け加えれば、前回記事で書いたとおり仕事を進める上で内発的動機の重要さを訴えたのは、ソニーの元上席常務である天外伺朗さんでした。さらにアメリカの心理学者チクセントミハイ氏らの研究によって、外発的動機が強くなれば、内発的動機は抑圧されていくことが証明されている話も記していました。

つまり自分勝手な持論を展開している訳ではなく、このような説があることの紹介であり、私自身は共感している考え方であるという前提のもとでの問題提起でした。改めて言葉の組み合わせ方一つで、読み手の皆さんに与える印象などが枝分かれし、投稿者の思いが適確に伝わらないことの難しさを痛感しています。いずれにしても適確に伝えられない現状は、自分自身の至らなさであり、今後、少しでも改善できるよう努力していくつもりです。

投稿: OTSU | 2011年6月25日 (土) 09時57分

地方の公務員さんのコメントについて、
自らの行う業務を知り、それが組織の目的から外れていないか、また顧客の求めに合っているかを常に検証し続けることが、官民を問わず労働者として必要とされることかと思います。そして公務組織においては、客観的にこれらの評価を行い続けて、適切な成果を提供することが公益でしょう。
公益がわからないと言うのは、あなたが属する組織の目的も、また顧客たる住民の求めも把握できていないという自白です。おそらく決まった時間、職場に居れば報酬が頂ける環境に慣れきっているのでしょう。しかし、官であれ民であれ、これでは戦力として務まらないと思います。あまりにも思考の在り方そのものが薄っぺらです。
公務員が批判される理由として、本来であれば行政組織の目的に沿って業務すべきところを、組合の都合に沿って業務しているように住民から見えていることがあげられます。この是正のため唯一の正解は、あまのじゃくさんが指摘しておられるように「成果に対してフェアーである事」です。しかし実際には、地方の公務員さんのように「組合都合にフェアーである」かのような方がとても多い。
この場では納得されない方も多いようですが、成果主義の導入は住民のみのためではなく、むしろ公務員として本来の目的に沿って働く方々のためと思っています。色々なしがらみで思う存分に働けていない人って、少なくないと思いますけどね。
そして最後に、前回記事で地方の公務員さんに、労働におけるあなたの尊厳とはなんですかと質問しましたが、未だ回答をいただけておりません。あなたは曖昧な尊厳で人のコメントを批判しました。それに対し私は既に回答を示しています。次にコメントされるならば、ぜひあなたの回答を記入していただきたいと要望します。

投稿: 名無し | 2011年6月25日 (土) 10時06分

管理人さんに追記ですが、手段が何であれベストな「成果」が出ているならば何の問題もありませんが、ベストな「成果」が出るように頑張っていますでは逆に何の意味もありません。したがって組織として「成果」が出ることを保証できるシステムが必要なのは言うまでもないことだと思っています。
以前のコメントで管理人さんに内発的動機のみで、どのように組織として「成果」が出ることを保証するのですかと問うたつもりでしたが、上手に伝わらなかったのか回答を未だ頂けていないと感じています。
現状では、むしろベストな「成果」が出るように頑張っている”振り”をして見せていますという組合都合を、より強く感じますけれどね。そして、公益がわからないとか公務組織は成果主義になじまないという声が多く出るのも、その証拠だろうと思っています。

投稿: 名無し | 2011年6月25日 (土) 10時28分

名無しさん、 おはようございます。コメントありがとうございました。

先ほどのレスでも記しましたが、文章だけの意見交換は本当に難しいようです。今回の記事本文、さらに寄せられた追加コメントに対するレスを通し、私なりの考え方をお答えしています。私のほうこそ、上手に伝えられなかったことの力不足を感じています。

ただ名無しさんの質問内容は今回コメントの『内発的動機のみで、どのように組織として「成果」が出ることを保証するのですか』というお尋ねではなく、記事本文で答えたとおり『内発的動機で責任感を維持させる方法を書いて欲しい』だったものと理解しています。

改めて今回の質問内容に沿って端的にお答えすれば、内発的動機だけで人事や組織運営のすべてを語っていません。より良い「成果」を出すためには、外発的動機よりも内発的動機を大事にしたいという主張です。このような点を一貫して書き込んでいるつもりですが、その論点に対して「組合都合」という批判に繋げられていくことは本当に残念な話です。

投稿: OTSU | 2011年6月25日 (土) 11時04分

ベストな「成果」を出すために手段や動機が問われないのは当たり前のことで、内発的動機に起因する「成果」でも外発的動機に起因する「成果」でも「成果に対してフェアー」なのが成果主義の本来の姿です。
ソニーを破壊した成果主義と書かれておりますが、ここで問題とされるべきは長期的成果に比べて短期的成果への評価の偏りであって、これは評価手法を見直すべき問題であり成果主義の否定ではありません。加えて、個人的には付加すべき機能の優先順位を決められず、何でもかんでも付けてしまえとした点も、ソニーが傾いた理由と思いますけどね。この国が傾いた理由に共通してますよ。
事実、民間で成果主義の見直しの動きがあるというのは、この評価手法の見直しが大半であり、一律横並びの評価や報酬の推奨では決してありません。このことは、記事からも多少は理解されているように見受けられますけれども。
これらより、公務職場が成果主義の導入に異を唱える理由は何処にもありません。むしろ後発なのを利して、評価手法を民間に先行して突き詰めて行くべきです。しかし、ソニーの件をミスリードしたように、成果主義の導入を拒む。この姿を組合都合と私は言うのですよ。欲しいのは内発的動機では無く、一律横並びの評価や報酬なのではないですか。そして上部組織がそれを搾取すると。
業務に対して基本的な責任感を維持出来るならば、成果などは自然と付いてくるものです。文脈からも問いは明らかだったでしょう。あなたは、こんな言葉遊びをしているから批判を受けると理解された方がよいと思いますよ。
そして、あなたも仰るように、組織としてベストな「成果」を出せれば何も問題はありません。成果主義の導入を拒まず、どうか内発的動機にて成果主義を楽しまれますようにと申し上げておきます。

投稿: 名無し | 2011年6月25日 (土) 12時03分

名無しさん、 コメントありがとうございます。

「言葉遊び」と指摘されるのも残念ですが、すでに多くの公務職場でも「成果主義」に沿った人事評価制度が導入されていることはお伝えしていました。その上で、後発の利を活かし、長所短所を踏まえていくべきという論調だったつもりです。

どうしても名無しさんの視点には、公務員の働きぶりや組合に対する先入観があり、どのような言葉を尽くしても批判的な意見が返りがちなことを懸念しています。それはそれで、このような現状を率直に受けとめ、それぞれの公務職場が実際の場面で「成果」を出していかなければ解消されない「溝」であるものと考えています。

ちなみに今日か明日に投稿する新規記事は、久しぶりにコメント欄に関する雑感を綴る予定です。「公務員」議論の本線から外れますが、いつでも当ブログでは今回のような意見交換を交わせる場となっています。したがって、このような議論を避けるため、記事本文の話題を変えるものではありませんので、ご理解くださるようお願いします。

投稿: OTSU | 2011年6月25日 (土) 12時22分

私のコメントが先入観によるものかどうかは、もし、あなたが次の問いに答えてくれるならば判別できると思っています。質問は1つだけで「あなたの組織で、大卒で入庁後の年数が同じ職員、例えば35歳非現業職の給料月額の上限と下限でどの程度の差がありますか。」というものです。答えに具体的な金額は不要ですが、何%差が有るのかは実際の数字で回答をお願いします。また給与月額ではありませんのでご注意願います。
契約により労力を供し対価を得る労働者の評価は報酬以外にありません。その他の差は付録程度に過ぎません。したがって、あなたの言わるように本当に多くの公務職場でも「成果主義」に沿った人事評価制度が導入されているのならば、あなたの組織に於いても明確に評価の差が存在するはずですから、それを聞いて真偽を判断すべきと思っています。
民間でも、最近は評価手法が見直されてきたとはいえ、普通の職場であれば30%は違うはずです。競争の激しい職場となれば倍以上の差があるかも知れません。逆にこの30%程度の差も無ければ成果主義の”振り”を人事評価制度ではないでしょうか。そして、この程度の差は職員Ⅱの排除のためには必要と感じていますので、私自信も歓迎しているところです。

投稿: 名無し | 2011年6月25日 (土) 18時51分

名無しさん、 いつもコメントありがとうございます。

どうして名無しさんのお考えが唯一絶対というような前提で、お尋ねになるのか充分理解できません。「普通の職場であれば30%」という話ですが、結論から言えば、私どもの自治体では人事考課制度を徐々に拡大している最中であり、そのような運用に至っていません。

35歳非現業職の給料月額の違いは、係員か、主任か、係長かという役職等の違いによる差が基本となっています。当面、それらの選考に際し、人事考課が反映される制度設計にとどめています。また、そもそも職員Ⅱを排除することを「是」としていませんが、ぜひ、「答え」を一つと決め付けない意見交換へご協力ください。

投稿: OTSU | 2011年6月25日 (土) 21時33分

他人稼がせて利益は自分が掠め取るという種々のフリーライドを防止する為に、そもそも職員Ⅱを排除しなければ何も始まらないからですよ。
公務職場が正されれば、その後にそれを利用して、福祉へのフリーライダーの排除から、教育・経済・防衛・その他へのフリーライダーの排除へと進めるのです。
そのことのみが、この国が次の世代も飯の食える国であるために必要なことであって、私の主張は全てここに繋がります。
これからも飯を食うためには、国や地域や組織や個人の全てのレベルで「入るを量りて出ずるを為す」が守られなければ無理でしょう。あなたの主張では他の何かに負担を押し付けなければ、この達成は無理です。
あなたは、ある意味で他人稼がせて利益は自分が掠め取るフリーライダーの守護者になってしまっている。だから相容れないのです。以上。

投稿: 名無し | 2011年6月25日 (土) 22時38分

名無しさん、コメントありがとうございます。

確かに見解が大きく分かれています。なお、これから新規記事を投稿しますが、この記事の内容に関して何か追加でのご意見などがある場合は、引き続き、この場をご活用ください。いずれにしても当ブログは連続性の中で運営していますので、ぜひ、そのような点についてご理解くださるようお願いします。

投稿: OTSU | 2011年6月25日 (土) 23時45分

コメントありがとうございました。あえて今週記事の方に投稿するまでもないと思いますので先週記事の方に、私の考えをコメントとして残しておくことにします。
他者からのコメントで、この場は「OTSUさん個人のブログのコメント欄」であり守るべき節度があるとされていましたが、ここは公に公開されたブログであり、不特定多数の目に無差別に入る以上はパブリックな場と認識すべきと考えており、そのパブリックな場で間違った認識の主張が有れば、それを正そうとするのは問題の無いことだと思います。
もし、それが許容されないなら、パスワード等で鍵をするのが筋で、先日までのコメントは特定個人を中傷している訳でも嘘偽りを書いている訳でもありませんので、十分許容範囲内と考えています。ここの管理人さんが属する組織でも、数々の動員を行いパブリックな場で抗議行動をされている筈です。それと一緒と考えるべきではないでしょうか。
また管理人さんは、私のコメントに「唯一絶対というような前提で」とされ、「「答え」を一つと決め付けない意見交換」をと言われていますが、例えば普天間については、管理人さん個人も属する団体も海外移転を唯一絶対とされていますよね。間違っても、抑止力の重要性は理解できたので、せめて辺野古のV字滑走路をI字に出来ないか検討しようという意見交換にはならない訳です。管理人さんの求めは矛盾していないのでしょうか。
パブリックな場で間違った認識の主張が有れば、一々それを正さなければ間違った優先順位のまま、この国が倒れるまでフリーライドされてしまう。それが私の根本の考えです。
次週以降も、また間違っていると思われる記事があればコメントするつもりでいます。

投稿: 名無し | 2011年6月26日 (日) 20時15分

名無しさん、コメントありがとうございました。

名無しさんのコメントの仕方や主張内容(その評価は別として)について、私から特に注文を付けるべき点はありません。いつも述べていることですが、幅広いご意見を伺える機会は本当に貴重だと思っています。ただ私自身の「答え」が固まっているテーマも多いため、貴重なご指摘を即座に肯定できず、その意味合いでは恐縮しています。

普天間基地の問題などで、確かに自治労の「答え」があり、私自身の「答え」もありました。しかし、その「答え」が唯一絶対正しいとは考えず、正しいと共感される「答え」であれば、広く支持されていくものと受けとめていました。このような思いを託し、あえて賛否が分かれがちな難しいテーマについてもブログで取り上げてきました。

分かりづらい話かも知れませんが、このブログでは「答え」と「正解」という言葉を使い分けています。「答え」は個々人で様々なものがあり、「正解」は基本的に一つであるものと考えています。つまり名無しさんの「答え」が「正解」なのかどうか、ぜひ、そのような視点も踏まえた中で、意見交換がはかれることを望んでいます。もちろん自分自身の「答え」が絶対正しいと確信し、間違っている内容を否定するという姿勢を批判しているものでもありません。

ご指摘のとおり当ブログのコメント欄は不特定多数の方々が閲覧できる公の場であり、コメント投稿に関しても特段制約を設けていません。付け加えれば、管理人一人に向けたコメントというよりも、その複数の方々から共感を得られるような言葉の競い合いの場になれることを常々願っているところです。取りとめのないレスとなってしまいましたが、新規記事で綴った点と合わせ、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2011年6月26日 (日) 21時27分

こんばんは。
 私のコメントが引用されていたので、一応、コメントをさせて頂きます。
 間違った認識や主張を正そうと思うのは問題ないと思います。ただ、必要以上に攻撃的な言葉を使う必要はないのではないでしょうか。
 私が問題と感じたコメントを、全文引用させて頂きますので、このブログを読まれているみなさんに、そして、コメントを書かれた方自身にも、いま一度、読み返してみて頂きたいと思います。

『相変わらず小学生のような答えですね。自分たちがやるべき仕事を夢見てるんでしょうね。内発的動機なんて趣味やってるような考え方です。外発的動機と比べてるのは内発を正しいんだと主張するために言ってるだけです。なにも具体的なことを言ってない。公務員はファタスティックな世界に生きてるんだということです。内発的動機で仕事していると人間は成長しないんですよ。あなたみたいに子供みたいな主張しかできなくなるんですよ。こんなのに任せられないとまじめに思うようになりました、』

 また、節度を守るべき度合いは、むしろ、パブリックな場の方が大きいのではないかと思います。不特定多数の方が目にする機会のあることを認識されているのであれば、なおさらではないでしょうか。

 最後に、この回のコメント欄でたびたび取り上げられていた外発的動機と内発的動機について、私の意見を少しだけ書かせて頂きます。
 サービスの質の向上のためには、両方をバランスよく使えればよいのではないかと思います。
 職員の能力や仕事などについて、客観的に測れる部分については、具体的な目標設定などによって、その達成度を測り、人事評価につなげてゆくことは、「頑張れば評価してもらえる」という理由から、意欲向上につながることが期待されます。
 一方で、職員自身に、自分の仕事の意義ややりがいなどを考えてもらうことで、「これだけ大切な仕事に携わっているのだから頑張ろう」という、自発的な意欲向上が起こるような啓発、意識改革を目的とした職場内ディベートなども行ってみてはどうかと思います。特に、この手法は、人事制度の導入や改革とは関係なく、明日からでも始められることであり、また、特に経費がかかるものでもありませんし。

投稿: 野次馬 | 2011年6月27日 (月) 00時01分

野次馬さん、 おはようございます。コメントありがとうございました。

ご指摘やご意見、本当にその通りだと思います。特に最近、CMで有名になった金子みすゞさんの『こだまでしょうか』という詩をよく思い浮かべる時があります。実生活でも注意している点ですが、言葉だけのやり取りとなるネット上では、より注意しなければならないものと心がけています。


「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
 
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
 
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 
そうして、あとで
さみしくなって、
 
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

投稿: OTSU | 2011年6月27日 (月) 07時59分

>内発的動機で仕事していると人間は成長しないんですよ
>へー、じゃ外発的動機で仕事している人間は成長すると
民>間企業はみんな外発的動機で働いているんだ、そうなんだー
社会貢献ですって言っている企業はみんな嘘なんですね^

いきなりへーですか。そういうあなた方のような子供に内発的動機をしたらどうなるか、実際子供に試してみて下さい。勉強でもスポーツでも自発的にやらしてみて下さい。生物は情報を伝えて進化してきたんですよ。

>じゃ、もっと公務員の給料あげなきゃねぇ、
もっと上げればいいじゃないですか。どんどんおやんなさいよ。消費税アップのストを組合がやればいいじゃないですか。応援しますよ。

>職員が提供する公益に満足できない住民
この「職員が提供する公益」って何なのでしょう?
よく意味が分かりませんが。

これは私が書いたことではないと思いますが、「職員」を「組合」にすると書いた意味が良く分かります。公益という大義名分の言葉を用いて自分たちの特殊な思想を押し売りして自己満足する公益貴族に対して市民は反感持ってるということを、あたかも労働者として不当な不利益を与えられてると被害者意識を装った税金泥棒のことを言ってるんですよ。

投稿: 名無し改め | 2011年6月30日 (木) 23時23分

地方公務員さんが本当の地方役人だったら考えて欲しいのですが、例えば町内会で役員に報酬出したとして、町内会費が全部役員の報酬金になって活動費がゼロになったら町内会費払う人いないですよね。年間500万円もらってる生活保護者となったら誰も会費払わないと思いますよ。あなたの地方自治体の予算から国の交付金無くしたら人件費の割合はどのくらいですか。労働組合というのはそういうこと何も考えなくていいのですか。
一度、あなたたちの仕事を1年間半分にしてみて下さい。たぶん誰も困らないから。ぜひ実験してみて下さい。

投稿: 名無し改め | 2011年6月30日 (木) 23時58分

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