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2011年6月25日 (土)

再び、コメント欄雑感

ブログを始めた頃、国語辞典、カタカナ語辞典、慣用句辞典をパソコンの横に置き、誤字や誤用などに注意していました。それぞれインターネットからも調べられる便利な時代ですが、ブログの入力画面から別なサイトに切り替える手間よりも本をめくるほうが、ずっと手軽な作業でした。いっそ広辞苑でも必要かなと考えていた時、少し値段がはってもコンパクトな電子辞書のほうを購入していました。

その後、ずっとブログの投稿を重ねる上で電子辞書を愛用してきましたが、数日前に文字入力キーの不具合から使えなくなっていました。欠かせないアイテムとなっているため、さっそく購入した店舗に持ち込み、修理を依頼しているところです。そのため、今回の記事を書き始める際、以前使っていた辞書などを探しましたが、山積みされた書籍の中に埋もれているようでした。今回限りの対応であり、探すのをあきらめ、パソコンの横には辞書の類いがないまま新規記事に取り組んでいます。

まったく自信のない語句はネット検索で確認するつもりですが、いつもより誤字や誤用が目立っていましたらご容赦ください。ところで最近、改めて言葉の組み合わせ方一つで、読み手の皆さんに与える印象などが枝分かれし、投稿者の思いが適確に伝わらないことの難しさを痛感していました。直接会って話せれば、表情や仕草などからの予備的な情報も得られます。特に誤解されそうな点は、お互いが即座に確認しながら会話を進めることができます。

それに対し、インターネットを介した意見交換は当たり前なことですが、書き込まれた文章のみでお互いの考え方を理解し合わなければなりません。その際、表現方法や文字の並べ方一つで与える印象が大きく変わりがちです。また、その言葉に誤字や誤用がなくても、まったく違った意味合いで伝わる場合もあります。前回記事「ベターをめざす人事制度 Part2」のコメント欄で気になった点でしたが、「外発的動機よりも内発的動機を大事にしたい」という主張が、働かないことの言い訳や組合の都合による詭弁だというような印象を一部の方には与えていたようです。

なぜ、そのように受けとめられてしまうのか、もともと公務員はしっかり働いていない、さらに働かなくても良いという環境を守るために組合が存在している、このような先入観があるからだろうと推察しています。この言葉に対しても、共感される方々と「思い込みではなく、その通りの実態ではないか」と強く反発される方々に分かれることも覚悟しています。いずれにしても公務員の働き方の現状や今後について、いつでも当ブログは意見交換できる機会を設けています。

一方で、これまで雑談放談の場として、様々な話題を記事本文で取り上げてきました。このブログの位置付けやコメント欄の性格を綴った記事も数多く、「コメント欄雑感」「ネット議論への雑感」「2009年末、改めて当ブログについて」「もう少し当ブログについて」「微熱状態でのコメント欄雑感などがありました。今回、久しぶりにコメント欄に関する個人的な思いを綴ろうと考え、安直な「再び、コメント欄雑感」というタイトルを付けさせていただきました。

この題材を取り上げようと考えた理由として、実は最近よく拝見している三つのブログの影響がありました。一つは「【小泉一真.net】一小役人のち作家」ですが、長野県職員だった小泉一真さんが実名で職員・組織の意識改革をめざし、長野県庁の「不都合な真実」を明らかにしていました。二つ目は「阿久根市議会へ行こう」というブログで、阿久根市の竹原信一前市長の妹であり、4月の阿久根市議選でトップ当選した竹原えみさんが運営されていました。

綴られている記事内容は、たいへん謙虚で、誠実さが表われている印象を受けていました。兄妹でも随分タイプが違っていたため、たいへん驚いていました。ただ最近、周囲からの助言が何かあったのかも知れませんが、「コツコツと勉強していきます。」という一言を最後に更新が止まっていました。もう一つは「あくね みどりの風」で、「さつま通信」というハンドルネームの方が管理されているブログでした。かなり前、阿久根市に絡む当ブログの記事に対し、さつま通信さんからコメントをお寄せいただいたこともありました。

さつま通信さんはネット上で非常に有名な方で、その名前を様々な場所で見かけることができます。ご自身が本名や住所などもネット上で明らかにしていたため、実名での投稿と変わらないスタイルとなっていました。そのため、「あくね みどりの風」と「阿久根市議会へ行こう」のコメント欄で、さつま通信さんが「匿名によるコメント投稿は無責任だ」というような持論を頻繁に展開されていました。小泉一真さんも同様な発想であり、実名での発信だからこそ、より説得力を持った提起となるというものでした。

このような発言に触れ、それぞれ実名で発信を続けるという信念を否定するつもりは毛頭ありません。その一方で、コメントを投稿される他の皆さんに対し、実名を明かさないのは「フェアではない」という切り返しには違和感を持っていました。この傾向は、さつま通信さんが顕著でしたが、私自身は次のように考えています。前掲した以前の記事の内容を紹介する形で、改めて閲覧されている皆さんにコメント投稿などに関する考え方をお伝えさせていただきます。

まず大多数の人たちが匿名によるコメント投稿となる「掲示板」的な場として、様々な議論に触れられることを歓迎しています。その匿名の利点は、飾らない本音の議論ができることだと思っています。遠慮のない言葉や誹謗中傷の応酬となるリスク、「諸刃の剣」的な側面がつきまといますが、おかげ様で殺伐とした雰囲気になることが極めて少なく、これまで続けてくることができました。

一方で、匿名で発信できるということは、立場などの成りすましや都合良く情報を操作することも可能となります。それはそれでモラルの問題となりますが、このようなネット上の私的な場では特に何か問われるものではありません。したがって、誰がどのような立場で書いたかは、それほど大きな問題ではなく、その人が書き込んでいる言葉、つまり内容がどのように他の閲覧者の皆さんの共感を呼ぶのか、真偽が判断されていくのかどうかだと考えています。

なお、このブログの管理人である私自身は、プロフィール欄に記しているような立場を明らかにしています。政治家やタレントなど著名人は自分の名前を売るのが本業であり、間違いなく実名で運営しています。一般の人たちが運営する場合は、実名を伏せてハンドルネームで発信していることが大半です。当ブログも後者であり、管理人名を「OTSU」としていますが、私どもの組合員の皆さんらに対しては実名での発信と変わらない位置付けとなっています。

勤めている自治体名も伏せていますが、記事の中に出てくる地名などから簡単に特定できてしまうはずです。必ずしも隠し通さなければならない訳ではありませんが、個人の責任によるブログ運営の一般的なセオリーにそったものでした。当たり前なことですが、個人情報など守秘義務にかかわる内容をブログに書き込んだり、自分の組織の信用を失墜させるような記事を投稿した場合、公務員でも民間会社でも許されるものではありません。したがって、ブログの中で具体的な主張を展開する時など、このような留意点を絶対失念しないように注意しています。

以上のような考えのもとで運営していますが、コメント投稿される際、必ず名前欄の記入にはご協力くださるようお願いしてきました。当然、ハンドルネームで結構ですが、あくまでも意見交換をスムースに行なうための理由からでした。加えて、できる限りのお願いとして、コメント投稿を継続的に行なっていただける場合などは、識別しやすい個性的なハンドルネームを付けられるようご協力ください。ちなみに「あまのじゃく」さんなどは、そのハンドルネームとともに当ブログの中で、強烈な存在感を発揮していただいていました。

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2011年6月19日 (日)

ベターをめざす人事制度 Part2

久しぶりに「Part2」を記事タイトルに付け、書き始めました。前回記事は「ベターをめざす人事制度」でした。他の自治体における管理職試験のあり方などについて、参考となるコメントがいただければ幸いだと考えていましたが、総論的な意見、特に公務員の働きぶりに対する批判的な問いかけが中心となっていました。それはそれで、このブログを開設している目的を踏まえれば、それぞれ貴重な提起だったものと受けとめています。

以前の記事で書いたことですが、ブログを続けている上で「一期一会」の心得を大事にしています。これまで公務員やその組合に対し、手厳しいコメントが数多く寄せられていました。その都度、記事本文やコメント欄を通し、私なりの考え方を示してきていました。このような連続性の中で最新の記事を綴っていることも確かですが、初めて訪れてくださった方々に対しては「一期一会」の思いで接しなければ、失礼な話だろうと考えています。それでも必ずしも毎回、きめ細かく丁寧なレスに至っているのかどうかは力不足の現状も否めませんでした。

その至らなさを補う意味合いから「お時間が許される際、過去の記事もご覧いただければ幸いです」という一言を添える場合が少なくありません。紹介したい記事のタイトルやURLを基本的に示していますが、前回記事のコメント欄では次のような方法も案内させていただきました。Googleなどで「公務員のためいき 政治活動」「公務員のためいき 労働組合」と興味のある語句と「公務員のためいき」を組み合わせて検索いただければ、関連記事がトップに並ぶようですので、ぜひ、お試しください。

さて、前回記事のコメント欄で「言葉の使い方一つで、この人事制度の問題は受けとめ方が枝分かれするように思えています。逆に長く書き込むことで分かりづらくする場合もありますが、このテーマは次回の記事本文でも取り上げてみようと考え始めています」と記していました。まず「ベターをめざす人事制度」という記事タイトルですが、「ベター」としたから「ベターで良い、ベストをめざさなくて良い」という意味ではありません。「より良いものをめざす」という意味合いだったことを改めて補足させていただきます。

加えて、個々人の能力や資質に差があることを前提とし、さらに人事の結果に関して全員が満足する平等性もあり得ないものと思っています。その意味で、ベストな人事制度は難しく、常にベターを模索していく柔軟さが求められているように感じています。つまり「これがベストだ」と考えてしまうと、その模索する努力にブレーキがかかるように見ているからでした。ただ誤解がないように強調しなければならない点として、懸命に働いても働かなくても同じ処遇とするような人事制度を「是」とするために書き込んでいる訳でもありません。

信賞必罰が「アメとムチ」、つまり外発的動機であり、その対極にある内発的動機をどのようにすれば高めていけるのか、このような問題意識を強めています。前回記事でソニーの元役員の言葉を紹介しましたが、そもそも「ベターをめざす人事制度」は官民問わず、試行錯誤している課題であるものと認識しています。最近では、個人の力に依存するのではなく、いかに組織として、チームとして力を発揮していけるのか、行き過ぎた成果主義を見直す動きが見られるようになっていました。

年功賃金や成果の定義が曖昧な労働環境は、頑張っても頑張らなくても同じ待遇という批判を受けがちでした。それに対し、成果主義の導入によって、仕事の範囲の曖昧さが除かれ、個々人の成果が数値化されるようになりました。一方で、成果主義のデメリットとして、個人の成果に結びつかない業務が消え、職場内の個人主義の傾向が強まり、「その仕事は私のためになるんですか?」との声や「競争相手に教えられない」と同僚に仕事のやり方を教えない社員まで現れていました。

お互いに知恵や経験を持ち寄れば、簡単に解決できる問題も一人で抱え、一から自分で調べるという弊害が生まれていました。社員同士がお互い協力し合えないため、組織全体での生産性、効率性、創造性の低下も取り沙汰されていました。もう一つ大きな問題として、お互いが干渉しない、干渉できない組織内での個人主義の蔓延は、品質やコンプライアンスに向けたチェック機能の低下にも繋がっていました。そのため、脱成果主義に向け、組織やチームとしての士気を高める重要性が改めて注目を浴び始めています。

以前の記事でも綴った内容の一部ですが、あくまでも理念的な問題意識に過ぎません。今回の記事では名無しさんからの宿題があり、それにお答えするような記事内容を考えていました。なお、記事本文は読まれても、コメント欄まで目を通されていない方々も多いようですので、名無しさんから示された具体例に対して、私が書き込んだレス内容を改めて紹介するところから本題に入らせていただきます。

具体例を示された質問に対して、私なりの考え方をお答えします。職員Ⅰの仕事ぶりが様々な意味合いで優れ、住民サービスを提供していく上で、そのレベルが求められているという設定は分かりました。この場合、職員Ⅱにも言い分はあるのかも知れませんが、職員Ⅱは職員Ⅰのレベルに近付く努力が必要であるものと思っています。しかし、職員Ⅱがその努力すら拒み、住民が望むサービス水準に至らない場合、職員Ⅱをどのように処遇するかどうかの設問だろうと理解しています。

①個々人の仕事ぶりが評価されない人事制度だった場合、職員Ⅰの不満は募り、職員Ⅰまでやる気を失せてしまう恐れもあります。そして、職員Ⅱはいわゆる「フリーライド」に位置付けられてしまいます。

②成果主義などの評価システムが確立されていた場合、職員Ⅰは給与やポスト面で優遇され、やる気は持続できるのかも知れません。ただし、①と②も望まれたサービス水準に至らない致命的な問題を抱えたままとなります。

③相対的な評価のもとで職員Ⅱを排除できるシステムがあり、職員Ⅰと同等なレベルの人材を後任に配置できれば、住民サービス面での問題は解消できます。適材適所という面から職員Ⅱが次の職場で活躍できれば、結果オーライの人事となります。

④しかしながら職員Ⅱの働きぶりが次の職場でも同様な問題の原因となった場合、組織全体を見渡した時の抜本的な解決には至らないことになります。言うまでもありませんが、官民問わず、相対的な評価が低いから即解雇という制度は論外であることを前提としています。

⑤今回の記事本文で示した総論的な考え方は次のとおりです。職員Ⅱに対して、職員Ⅰのレベルにどのように近付けさせるのかどうかが人事制度の要諦だろうと考えています。組織の力を高めていくことを重視するのならば、二人で徹底的に話し合うのか、上司や第三者も交えるのか、様々なアプローチを尽くし、職員Ⅱの意識改革を働きかけることが重要です。その際、外圧的なものではなく、職員Ⅱが内発的動機のもとで変われることを理想としています。

上記⑤が簡単ではなく、「結論を出さずに引き延ばす」という見られ方をされてしまうのかも知れません。しかし、①から④の難点を想定した場合、私自身は方向性の問題として、どのような制度設計をはかれば⑤が実現できるかという問題意識を抱えている旨をお答えしていました。このレスに対し、名無しさんからは「なぜ、職員Ⅱの待遇維持が優先されるのか」という趣旨の問いかけが追加で示されていました。

要するに職員Ⅱの待遇を大胆に引き下げるべきという主張ですが、年俸制を採用している企業でも現行水準を起点に一定範囲内での増減となっているはずです。純粋な実力主義と見られているプロ野球選手の年俸でさえ、下げ幅の上限が決まっています。とりわけ公務員も労働者であることは間違いなく、一方からの視点のみで給与を大幅に切り下げることや解雇などは労働法制の面からも簡単に認められるものではありません。たいへん恐縮しながら、この問題では私の見方のほうが現実的な出発点であることをご理解ください。

名無しさんからの二つ目のお尋ねは「内発的動機で責任感を維持させる方法を書いて欲しい」というものでした。合わせて、「仕事って、楽しいことが1あれば辛いことは99あり、やりたいことが1あれば避けたいことが99あるのが普通で、それに対し真摯に取り組むから報酬があるのです」という言葉も添えられていました。まったくその通りであり、内発的動機を重視したいという私の意見が「楽しい仕事だけ取り組みたい」というような誤解を与えていたとしたら、文章力や表現力の不足を深く反省しなければなりません。

様々な仕事がありますので一括りに論じれないのも知れませんが、仕事は「やらされている」場合よりも、「やらなければ、やるぞ」と思いながら取り組んでいる時間のほうが早く過ぎるはずです。私自身、この後者の思いを先行させるために内発的動機が重要であるものと理解しています。仮に職員Ⅱが自分の仕事を「一定の収入を得るための手段に過ぎない」と考えていた場合、「アメとムチ」という人事制度で職員Ⅰのレベルまで押し上げていくことの難しさを感じています。

ここで名無しさんからの二つ目の質問に対する答えに繋がる訳ですが、上記⑤でも書いたとおり職員Ⅱの意識改革が鍵になっていくものと考えています。「この仕事は組織全体の中で、どのような位置付けとなっているのか?」「この仕事を取り組む意義は?」「なぜ、この仕事が必要なのか?」、職員Ⅱに押し付けるのではなく、問題意識を共有化できるような丁寧なアプローチを試みることが肝要だろうと思っています。その際、試みる人物は誰が適任なのか、1対1の話し合いか、複数が参加した会議を通してなのか、もしくは研修が必要なのか、職員Ⅱとの関係性や性格を踏まえた判断が欠かせません。

当然、このような目配りや調整は直属の上司の役割となります。いずれにしても職員Ⅱが自らの意思で責任感を高めていく切っかけを提供するという上司の姿勢が大切であり、「このようにすべきだ」「こうしなければならない」という押し付けだった場合、逆に反発を招くリスクにも留意しなければなりません。長々と書いてきましたが、「自分の仕事は、このような意義がある」と意識できた時こそ、より強い責任感が維持でき、いっそう前向きに取り組んでいけるものと考えています。端的な答えとしては「内発的動機だから責任感を維持できる」となりますが、言葉が不足している点はコメント欄や次回以降の記事で補わせていただくことでご理解ご容赦ください。

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2011年6月11日 (土)

ベターをめざす人事制度

この時期、ほとんどの自治体で議会が開かれているはずです。地方自治法第102条の規定に基づく定例会は年4回、3月、6月、9月、12月に開かれるのが一般的です。かなり前の記事「12月議会始まる」の中で、「市長をはじめ部長以上の市幹部全員がひな壇に並び、出席しない課長らも自席で傍聴できる環境があり、多くの職員や市民が注目する中、テーマを限らない市政全般を質問できるのが一般質問です」と綴っていました。

私どもの組合が推薦している市議会議員の方とは、日頃から緊密な連携をはかっています。特に一般質問が組合の課題に絡む場合は事前に情報交換し、主張するポイントなどをすり合わせる場合があります。この6月議会の一般質問に向け、その推薦市議から職員の人事制度について触れる予定であるという話が持ちかけられました。推薦市議は管理職候補者試験に手をあげる受験者数が減少している現状に問題意識を持たれ、一般質問の中で人事任用制度を取り上げようと考えられていました。

言うまでもなく、労働組合は人事に関与できません。市当局側の責任事項であり、組合が口をはさむ場面はありません。一方で、給与面などにも反映され、職員の働き方に結びつく人事任用制度のあり方や枠組みに関しては労使協議の対象としています。加えて、職員一人ひとりの士気が高まった組織は、住民サービスの向上にも直結するものと考えています。2004年4月には足かけ5年間の労使協議を重ね、賃金人事任用制度を大幅に見直しました。その時、初めて管理職候補者選考などの試験制度を導入していました。

その管理職試験への受験者数が、ここ数年、減少傾向をたどっていました。そのため、管理職試験のあり方について、直近の労使協議課題の一つとしても浮上していました。したがって、推薦市議からの持ちかけは、私どもの組合側にとって「渡りに船」、もしくは「以心伝心」と呼べるタイミングでした。本来、労使協議中の事項を議会の場に持ち出すことは、あまり望ましい話でもありません。ただ今回は、推薦市議からの働きかけであったため、きめ細かい相談や連携をはからせていただきました。

前回記事「震災前に読んでいた『ドロボー公務員』」のコメント欄では、公務員の給与水準の問題などが話題になっていました。その議論の流れに直結する内容とはなり得ませんが、人事制度の課題は「働きぶり」の評価という面から「公務員」議論の大事な論点に繋がっていくものと思っています。これまで当ブログでは、人事や評価制度に関する記事をいくつか投稿していました。インデックス代わりに並べてみると、次のような内容がありました。

そもそも試験制度の長所は、意欲のある人に手をあげさせる点、恣意的な登用を払拭する意味合いなどがあります。当然、短所もあり、もともと人事制度はベストと言い切れるものを簡単に見出せません。いろいろ試行錯誤を繰り返しながらベターな選択を模索していくことになります。いずれにしても最も重要な点は、どのような役職や職種の職員も職務に対する誇りと責任を自覚でき、常にモチベーションを高めていけるような人事制度が欠かせません。

全員が横並びとなるフラットな組織はあり得ないため、ピラミッド型の指揮命令系統も築かなければなりません。その際、ピラミッドの上下を問わず、士気を低下させない人事制度が理想であることは言うまでもありません。難しい話かも知れませんが、まず大事な点は、可能な限り公平・公正・納得性が担保された昇任制度の確立だろうと思います。合わせて、部長でも一職員でも担っている仕事の重さに大きな変わりがないという自負を持たせることも大事な点となります。

行政の行方を左右する判断を日々求められる部長の職責の重さも、子どもの命そのものを託されている保育士の責任の重さも、それぞれ優劣を付けられない重さがあります。市職員一人ひとり、そのような自覚と責任を持って務めているものと確信しています。実際、住民サービスの維持向上のためには、手を抜ける仕事など皆無です。したがって、そのような点が意識でき、積極的な動機付けとなる人事配置が非常に重要だろうと考えています。

逆に「評価されていない、左遷された」などとの印象を与える人事は、その職員の意欲を低下させる機会となりかねません。人のために役に立っている仕事であることを意識できた時、たいへんな苦労や困難な案件に対しても、誰もが前向きに立ち向かっていけるはずです。さらに他の人から評価の言葉などが投げかけられた場合、その労苦も軽減され、大きな励みにつながっていくものと思います。このような張り合いは、ポストや待遇面にかかわらず持つことができるもので、人事制度の要諦ではないでしょうか。

リンク先の記事で、ソニーの元上席常務である天外伺朗さんの言葉の数々を紹介していました。天外さんは工学博士の肩書もあり、CDやロボット犬AIBOなどを開発してきた方でした。無我夢中で何かを取り組んでいる時の精神状態を心理学で「フロー状態」と呼び、天外さんはその状態に社員が入った時こそ、困難な問題に直面しても根を上げずに打ち破り、独創的な仕事を可能とする「燃える集団」になり得るものと見ていました。天外さんは「フロー状態」に入れる条件として、最も重要な点が内発的動機だと述べられていました。

「自分の力でロボットを作りたい」という内側から自然にこみ上げてくる衝動であり、その反対が外発的動機とされ、「お金が欲しい」「出世したい」など外部からの報酬を求める心だと分析されています。「業務の成果と金銭的報酬を直接リンクさせれば、社員はより多くの報酬を求めて仕事に没頭するだろう」というのが成果主義ですが、目の前にニンジンをぶら下げられたとしても、人が必ずしも仕事をするものではないと天外さんは指摘していました。

アメリカの心理学者チクセントミハイ氏らの研究によって、外発的動機が強くなれば、内発的動機が抑圧されていくことが証明されています。つまり「一生懸命働けば給料を上げる」と言われ続けると仕事を楽しもうという内面の意識が抑圧され、仕事そのものに楽しさを感じることができなくなると言われています。人間は必ずしも合理的に行動する訳ではなく、無理やり型に押し込もうとすれば歪みが出てくるのは当然であり、天外さんは「いつの時代、どこの国であれ、企業は働く人間の内面から湧き出る動機を重視するべきだ」と語られていました。

以前の記事で綴った内容を焼き直し、ここまで掲げてきました。せっかくの機会でしたので、人事制度に対する総論的な問題意識や印象深かった天外さんの言葉を改めて紹介させていただきました。その上で今回、私どもの労使が直面している課題として、管理職試験の受験者数減少をどのように対処するのかという各論の問題がありました。課長以上が管理職となり、受験資格があるのは係長職の組合員の皆さんです。さらに今後も続く可能性の大きい制度の議論としては、若手職員の皆さんにも関わっていく問題でした。

試験制度を取りやめた自治体があることも耳にしています。今回、私どもの市当局側は試験制度の存続を前提とし、見直し案を示していました。ちなみに受験者の年齢層が40代に偏り、50代が減っている傾向が顕著でした。そのため、50歳以上の係長に限り、部長推薦による別枠試験制度の新設を提案していました。推薦イコール合格ではなく、あくまでも日常業務に対する人事考課も含めた試験制度の複線化という構想でした。

一見、本来の試験に臨む方々との公平性が欠け、試験制度そのものの形骸化に繋がるような印象を受けていました。また、内発的動機などの側面から検証した際、根本的な解決に至るのかどうかも疑問でした。一方で、経験豊富な係長が多数管理職に登用されることも重要であり、組織の持続した活性化のためには課長職の年齢構成の幅広さが欠かせないことも確かでした。労使協議中の課題ですので、これ以上詳しい内容は掲げられませんが、難しい選択肢であるため、あえて当ブログの題材として取り上げてみました。

最後に、閲覧されている皆さんの中には、人事制度の問題を労使協議事項としている点について違和感を持たれている方もいらっしゃるかも知れません。その位置付けなどは冒頭に述べたとおりですが、この問題に限らず、幅広い立場や視点から物事を検証できる機会は望ましい話であるはずです。そのため、「市民から喜ばれる仕事」「自分なりに満足いく充実した仕事」を内発的動機で全職員が取り組んでいる組織が理想であるという総論のもと、今後もベターをめざした人事制度に向け、組合の立場からも提言していければと考えています。

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2011年6月 4日 (土)

震災前に読んでいた『ドロボー公務員』

1945年8月15日、あれから66年が過ぎようとしても「戦前」「戦後」という言葉が使い続けられています。様々な意味合いで、大きな区切りの日となっていました。そして今、2011年3月11日が大きな境となり、「震災前」と「震災後」という言葉が使われ続けていくのかも知れません。それぞれ、たいへん悲しい出来事に包まれた節目となっていますが、今回も必ず復興できるという希望は失くしたくないものと思っています。

そのような時に国会では内閣不信任決議案を巡る政争劇が繰り広げられました。菅首相でなければ誰でも良いという話は、この危機的な状況の中、理解しづらい理屈でした。確かに菅首相が反省すべき点も多いと思いますが、被災地の実情などを踏まえれば、与野党が結束して難局に立ち向かって欲しいものと常々願っていました。結果は大差で否決されましたが、今後、「雨降って地固まる」という気配はなく、ますます混迷が深まりそうな残念な現状です。

さて、このブログの題材にすることを想定しながら書籍を購入することがあります。必ずしもすべて取り上げている訳ではありませんが、若林亜紀さんの『ドロボー公務員』はブログに取り上げようと考えながら読み終えていました。ちなみにブログの原稿をネット上に投稿する前、下書きとして保存できる機能が備わっています。時々、週の初めから新規記事を少しずつ書き進める場合がありました。今回の記事がそれに当たり、もちろんタイトルは変わった訳ですが、下書き保存した日時は2011年3月8日となっていました。

未曾有の大災害に遭遇し、通常の記事を書き込める状況ではなく、予定した内容の投稿は見送っていました。徐々に震災前のペースに戻っていきましたが、これまで『ドロボー公務員』の下書きはそのまま眠らせていました。もともと冒頭の数行を書き始めた程度のものでしたが、今週末、改めてその下書き原稿を完成させようと考え、パソコンに向かっています。前回記事「国家公務員給与削減へ」の続きに位置付くのかどうか分かりませんが、私たち公務員やその組合に対する不本意な見られ方がある現状提起の一つとして取り上げてみました。

かなり前に若林さんの『公務員の異常な世界』という新書を購入した際、「たまには気ままに雑談放談」という記事の中で、「確かに面白く読める本でした。公務員以外の方が読めば、腹が立ったり、あきれたりする内容が満載だろうと思います。公務員の一人である私から見ても、あきれ果てる事例が数多くありました。つまり著者である若林亜紀さんの実体験や綿密な取材に基づき書かれている事実であることは間違いないのでしょうが、公務員職場の実態は千差万別だからです」という感想を述べていました。

公務員がステレオタイプの見られ方や批判を受けがちな中、若林さんのような方が拍車をかけている側面を指摘していました。若林さん自身、特殊法人日本労働研究機構(現・独立行政法人労働政策研究・研修機構)に勤務した経験があります。その時に体験した内容を中心に書かれている訳ですが、逆に言えば、それ以外の圧倒多数の公務職場に対する記述は伝聞や思い込みによる例示が少なくありませんでした。

『ドロボー公務員』も同様な問題点が随所に見られました。批判されるような事実関係があり、改めるべき点があることも否定しません。しかし、全体を通して「何だかなぁ」と思えてしまう内容ばかりでした。一つ一つ取り上げていくと本当に切りがない中、ブックマークしている「市役所職員の生活と意見」の管理人さんが6回にわたって『ドロボー公務員』について取り上げていました。すると「地方公務員拾遺物語 別館」の管理人さんも記事「若林女史が新著を上梓」を投稿し、その6回分のURLを紹介されていました。

詳しい批評を望まれる方々は、ぜひ、そちらのサイトなどをご覧いただければ『ドロボー公務員』の全体像が把握できるはずです。したがって、このブログでは概括的な感想のみ添えさせていただきます。まず「現代は、公務員が国民を搾取する時代である。手を打たなければ、公務員により国が滅びる時代なのである」と若林さんは語っていますが、「公務員のためいき」の中で頻繁に取り上げてきた阿久根市の竹原信一前市長と相似した発想でした。

もともと似通った思考回路だったのか、竹原前市長の影響を強く受けたのか分かりませんが、『ドロボー公務員』の中で阿久根市の話などが大きく扱われていました。さらに「市民の平均所得は200万円、でも市職員の過半数が年収700万円以上」という記述に対し、注釈を付けずに掲載するなど事実誤認やミスリードと言えるような粗さが全体的に目立っていました。竹原前市長と似通った発想で綴られている点を説明するだけで、『ドロボー公務員』がどのような内容の書籍なのか、多くの皆さんはご想像いただけるのではないでしょうか。

重箱の隅をほじくるような指摘で恐縮ですが、「公務員の高額人権費」という誤字があり、電機連合を「電気連合」と記述している誤りなどがありました。後者は誤字誤植ではなく、もしかしたら若林さんは「電気連合」だと思い込んでいるのかも知れません。このような誤りが目立つことで、取材の仕方などの甘さが垣間見れ、書かれている内容そのものの信憑性の問題にも繋がりがちでした。大上段から厳しい言葉で、公務員や労働組合を批判するのであれば、細心の注意を払う必要があるように感じていました。

「民主党への金まみれ選挙応援」「広がる民間との給与格差」「驚くべき税金使い放題天国」「公務員は首長よりも議長よりも力をもつ」「年金財源は公務員家庭が担え」「公務員の選挙権を剥奪せよ」というような刺激的な見出しの数々でした。本来、一つ一つ丁寧に反証すべきなのかも知れませんが、それこそ一冊の本が書き上げられるほど「突っ込み所満載」の内容でした。そもそも公務員の一人としてはシニカルな笑いを求めて、読むべき本なのかも知れません。

しかし、たいへん残念ながら『ドロボー公務員』に書かれている内容を100%信じ、若林さんの主張に対し、喝采を送られる方々も少なくないものと思っています。いずれにしても正確な事実に基づく批判は真摯に受けとめ、ただちに改めていかなければなりません。その一方で、思い込みや事実誤認による批判は、公務員や組合側が適切な情報発信を重ねることで、相互理解を進めていくべきものと考えています。最後に蛇足ですが、『ドロボー公務員』のような本を私たち公務員が買うこと自体、商業戦略に乗せられ、類似した書籍の出版に繋がっていくのかも知れません。と思いながらも、書店で目にすると購入してしまう実情でした(苦笑)。

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