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2011年4月10日 (日)

原発議論と電力問題

震災を特集した自治労の新聞を見ていた組合員から「この言葉は少し無責任なように感じますね」という問いかけがありました。徳永委員長の談話の中に「福島第一原発における事故によって、国民は深刻な不安にさらされています。この間原発の危険性を指摘し、原子力防災の重要性を訴えてきた自治労としては、極めて憂慮すべき重大な事態であると認識しており…」という箇所への苦言でした。

自治労は脱原発を運動方針としながら、同時に原発事故対策を防災の観点からも万全を期すよう問題提起してきました。しかしながら福島原発の事故を未然に防げず、被災後のダメージを最小化させる手立てに対し、残念ながら貢献できていなかったことも確かです。直接的な責任を負う当事者ではありませんが、結果的に影響力を及ぼせなかったという責任の一端を考えた時、自治労が「第三者」的な立場で見解を表明することに違和感を抱かれたとしても仕方ありません。

その組合員は、特に電力を普通に使っていながら原発に反対する姿勢の矛盾を指摘していました。原発の是非を議論する際、持ち出されがちな話として、電力の充分な供給を受けながら便利な生活を送っている現状への問題提起がありました。原発から供給される電力の相当分を使わないライフスタイルに変え、脱原発を唱えるならば説得力があるという論調は、これまでも数多く耳にしてきました。このブログで原発の問題を取り上げた時も、やはり同じような趣旨のコメントが寄せられていました。

大災害の直後、このような原発議論は適切ではないものと考えていました。それでも前回記事「震災後、今、これから」で綴ったとおり社会全体が徐々に以前のペースに戻っていくことも必要であり、その時の組合員との受け答えもあまり時間が取れなかったため、時機を見ながらブログ記事の中で改めて掘り下げてみるつもりでした。とは言え、「原発事故の影響」でも記したとおり原発などに対して詳しい知識がある訳ではありませんので、素人なりの論点の提起という意味合いにとどまることをご容赦ください。

これまで原発に絡んだ記事として、「チェルノブイリの祈り」と「NO NUKES FESTA」がありました。前者は、ひとたび原発事故が起こると、その悲惨さや影響の大きさが途方もないことを綴っていました。後者は、原発がCO2削減の切り札として地球温暖化対策の柱に位置付けられがちな中、エネルギー政策を転換する必要性を訴えた内容でした。原発が火力に比べ、発電時にCO2の排出が少ないことは確かですが、ウランの採掘から放射性廃棄物の管理面までとらえれば必ずしも大幅削減につながりません。

そうであるならば、半永久的に厳重な管理が求められる放射性廃棄物の問題が残り、常に放射能汚染の脅威にさらされる原発という選択肢は外し、新しい政策への転換をめざすよう求めていました。この記事のコメント欄では「原発に取って代われるだけの電力を期待出来るんやろか」「対案を出すことなく意を唱えるという姿勢が疑問」という意見が寄せられ、多くの方々と幅広い視点からの議論を交わすことができていました。

日本のエネルギー政策は「原発推進ありき」だったため、自然エネルギーの開発利用を遅らせてきたという見方があります。いわゆる国策として原発は推進されてきた訳ですが、再生可能な自然エネルギーが高コストであることも確かでした。原発はクリーンなエネルギーであることが強調され、火力や水力に比べて発電コストを低く抑えられるメリットもありました。しかし、あくまでも短期的な見方であり、将来にわたる放射性廃棄物の管理面や今回のような事態を想定した場合、莫大なコストとリスクを抱えていることも見過ごせないはずです。

さらに残念な事実関係として、どのような地震や津波にも日本の原発は安全という前提に立ち過ぎた結果、福島第一原発における「想定外」の事故を招いていました。しかしながら一昨年、経済産業省の審議会で、約1100年前に起きた貞観地震の解析結果が取り上げられていました。その時と同じマグニチュード8以上の地震や津波が襲う危険性の指摘を受けながらも、「見解が定まっていない」と軽視した結果、貞観地震クラスの揺れを「想定内」にできなかったことが明らかになっています。

ちなみに民主党のマニフェストは「安全を第一として、国民の理解と信頼を得ながら、原子力利用について着実に取り組む」とする一方、「エネルギーの安定確保、新エネルギーの開発・普及、省エネルギーの推進等に一元的に取り組む」と記されていました。自治労の方針も「持続可能な地域分散型エネルギー政策の推進」を掲げ、太陽光、風力、バイオマスなどの新エネルギーや燃料電池などガスコージェネレーションシステム、中小水力発電などの再生可能エネルギーの積極的な導入を国や自治体に求めていくというものでした。

その上で、自治労は連合の「現状の原発は維持する」という方針のもとで、原発の新増設に関しては「安全確保と住民の合意が得られない以上進めるべきではない」という意見を発していました。このような考え方は、基本的に私自身も同様でした。原発に対する評価が国民の中で分かれている現状、日常生活や経済活動への影響を考慮した場合、ただちに原発すべてを停めるという主張は現実的なものではなく、幅広い支持も得られない考え方だろうと思っています。

なお、既存の原発が老朽化していく中、新増設に反対することも将来的な電力の供給量に影響を与える話であり、いっそう節電を重視した生活スタイルへの転換が求められていきます。合わせて、自然エネルギーの本格的な開発や実用化に向け、それに見合ったコスト負担も覚悟すべき点だろうと考えています。以上のような問題意識も一個人の思いに過ぎませんが、今後のエネルギー政策の行方は私たち国民一人ひとりの意思が左右していくことも間違いありません。ちなみに遠くドイツでは、福島原発の事故が政界の勢力図を塗り替えつつあるようでした。

ドイツ南部バーデン・ビュルテンベルク州議会選挙が27日、投開票された。福島第1原発の事故を受け反原発世論が高まる中、環境政党・緑の党が得票率24・2%で第2党に躍進した。06年の前回選挙での同党の得票率は11・7%だった。緑の党は第3党の社会民主党との左派連立を表明、ドイツ史上初の環境政党出身の州首相が誕生することがほぼ確実となった。

ドイツのメディアは「日本が独政界に激変をもたらした」(第2公共テレビ)などと、こぞって福島の事故を緑の党躍進の原因と論評した。メルケル首相が選挙前に打ち出した原発稼働の延長計画の3カ月凍結は、凍結が暫定的なものだったため、世論の支持を十分には得られなかった模様だ。地方分権の強いドイツでは州選挙が連邦政治に及ぼす影響が強く、今回の選挙結果はメルケル政権にとっても原発政策見直しの大きな圧力になると予想される。毎日新聞2011年3月28日

最後に、原発の是非は政治的な立場などを越え、より望ましい「答え」を探し出す議論が必要であるものと思っています。原発推進派が圧倒多数を占める自民党の中で、河野太郎代議士は以前から原発に対しては異色の存在感を示していました。最近のブログでは「再生可能エネルギー100%を目指す」という記事を投稿し、「日本の外では、再生可能エネルギーが驚くべき勢いで伸びている。原発タリバンによる反再生可能エネルギープロパガンダから日本を解き放たなければならない」という言葉で結んでいるほどでした。

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コメント

エネルギー消費を抑える事は、少子化と同様に、我々のライフスタイルが地球の容量を超えているという意味では避けられないだろうと思う。

ただ、OTSUさんは>自然エネルギーの本格的な開発や実用化に向け、それに見合ったコスト負担も覚悟すべき・・
としておきながら、原発に対しては、その(コスト負担の)覚悟を認めないのは何故でしょう?

今の段階で福島原発の総括をするのは早すぎると思うけど、実際に起こった事は次のような事です。
未曾有の地震と津波によって施設が破壊され事故に結び付いたのではなく、単に「電源喪失」が悲惨な事故の本性である点です。

何の事は無い。地震で破壊されたのでもなく、津波で流された訳でもない。屋根の上に「ソーラーパネル」でも取りつけて、電源を確保しておれば惨事にならなかったかもしれない・・という事です。
別に原発反対にケチを付けるつもりは無いけど、常日頃から冷静で客観的で具体的な議論を望んでいるなら、そうあるべきでしょう。
少なくとも「原発タリバン」などの言い回しをしている「うつけ者」には、OTSUさんから苦言があって然るべきでしょう。

最後に
>原発の是非は政治的な立場を越え、より望ましい「答え」を探し出す議論が必要。

政治とは最高の道徳であり、鼓腹撃壌を目指すものです。あたかも政治が権謀術数や騙し合いや条件闘争かのような認識なら、到底賛同は得られないだろう。

投稿: あまのじゃく | 2011年4月11日 (月) 12時38分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

最終的には原発への依存から抜け出すべきものと考えていますので、それに関わるコスト負担には覚悟する思いがあります。逆に原発がいっそう推進されるようなコスト負担は容易に受け入れられるものではありません。あくまでも個人的な発想ですが、言い分としては矛盾していないものと思っています。

今回の事故の発端は確かに電源喪失ですが、冷却できない原子炉の危険性は語るまでもありません。そして、もしかしたら防ぐことのできた事故だったかも知れませんが、ひとたび事故を起こした時の影響がはかり知れないリスクも刻み付けなければなりません。さらに今後、よりいっそう安全性を高めていったとしても、また「想定外」があった場合、取り返しのつかない深刻な事態を再び招く恐れも決して拭えないはずです。

河野代議士の「原発タリバン」という言い回しは、あまのじゃくさんが感じたような不愉快さを与える場合もあるのだろうと思います。それでも政治家が自己の責任で発信している言葉ですので、ことさら私から苦言を呈するものでもありません。

「政治的な立場を越え」のご指摘ですが、反原発が「左派」の運動、もしくは社民党などの旗印のように見られがちな現状を踏まえながら発していました。「政治が権謀術数や騙し合いや条件闘争かのような認識」につながるようなものではなく、文字通り政党の枠組みや個人的な思想信条を越え、率直な議論が必要であるものと願った表現でした。

投稿: OTSU | 2011年4月11日 (月) 21時58分

私の言葉の使い方が悪かったようです。コスト負担とは「リスクテイク」の事です。

原発以外の物にはお金や不便さを甘受すべきとしながら、被曝を甘受出来ない理由がよく分からない。

>政党の枠組みや個人的な思想信条を超え、率直な議論が必要。

???・・では、OTSUさんにとって政党の枠組みや個人的な思想信条とは一体何ですか?
原発の問題を「政治信条」を基に議論せずして、一体何を拠り所にして議論するのですか?

投稿: あまのじゃく | 2011年4月12日 (火) 08時56分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

私の理解力や表現力も至らないため、話がかみ合っていないのかも知れず、申し訳ありません。私も既存の原発を稼動させていく場合、当然、コストより安全性最優先だと考えています。したがって、よりいっそうの安全対策に向けた必要な経費に関しては、相応のコスト負担もやむを得ないものと思っています。その上で、記事本文と昨夜記したとおりの個人的な問題意識があることを付け加えさせていただきます。

原発議論に関する昨夜の言葉は、あまのじゃくさんの「政治が権謀術数や騙し合いや条件闘争かのような認識なら、到底賛同は得られないだろう」という指摘に対し、私なりのレスだったつもりです。こちらもかみ合っていないようで恐縮ですが、先入観を持たずに「今後、原発をどうしていくべきか?」という議論を願っている単純な話を綴っていました。ますます分かりづらくするレスかも知れませんが、ご容赦ください。

投稿: OTSU | 2011年4月12日 (火) 22時36分

OTSUさんの理解力も表現力もバッチリで、話も完全に噛み合っていますよ(笑)。

お陰さまで「左派の反原発運動」とやらがどの様なものであるかが「おぼろげながら」理解出来ました(笑)。
政治とは人の営みそのものでしょう。特別な人の特別な話では無い。
「借金を子孫につけ回すな」も「放射能なんてゴメンだ」も「公務員だけ何故恵まれているんだ」も比ぶれば大した違いは無い。

投稿: あまのじゃく | 2011年4月13日 (水) 10時16分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

そのように述べていただければ幸いです。「政治とは人の営みそのものでしょう。特別な人の特別な話では無い」は、まったくその通りだと思っています。


投稿: OTSU | 2011年4月14日 (木) 02時44分

今回の原発事故については、「日本の原発は安全」ゆえに「最悪の事態」(住民の退避等)を考えない思考停止に陥って
いたことが、被災後のダメージを拡大する原因になったと思います。
原発事故後、原水爆をテーマにした映画「生き物の記録」(黒澤明監督1955年)がブログ等で取り上げられていましたが、
黒澤監督が後年、「ぼくの作品で、あれがいちばんお客が入らなかったのは、日本人は直視したがらないということなんだ。
ああゆうことを直視するのがいやなんですよ。そういう意味では日本国民は大変おとなしいよね。(略)「生き物の記録」の
頃は、原水爆を取り扱ういちばんいやな状態にあったわけで、見るのがいやだったんですよ。だから、むしろ外国のほうが、あれをわかってくれた。現実に原爆の被害を受けたのは日本なのに。外国で原爆の話をすると、原爆がいまにも頭の上から落っこちてくるくらいに、シーンとして聞くよね。」と回想しています。電力をどうするのか、推進、現状維持、全廃いずれの立場にたっても「直視」し、結論をださなくてはなりません。(私自身は、当面は火力発電で補うしか(策は)ないという立場です。)

投稿: ためいきばかり | 2011年4月16日 (土) 00時03分

ためいきばかりさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

ご指摘のとおり絶対安全という「神話」に陥りすぎて、今回のような被災後のリスク管理の脆さが露呈しています。現在進行形である甚大な被害の影響ははかり知れませんが、せめて今後、この事実を直視した原発議論が欠かせないものと思っています。

投稿: OTSU | 2011年4月16日 (土) 08時19分

河野太郎代議士の言う「原発タリバン」、まさにその通りでしょう。

原発を絶対視して、再生可能エネルギーの開発を認めようとせずに、邪魔ばかりしている経産省と電力会社、与野党の「原発族」連中のことを指しているわけですから。

これはまさにその予算配分に象徴されていて、莫大な原子力予算に比して、他のエネルギー源への予算は極小となっているために、有望な新エネルギー源の開拓が足踏みしている、というのが日本の現実なのです。

「電源喪失」による福島第一原発の悲惨な事故は、そもそもが、まともに原子炉の安全保障政策を講じてこなかった「原発族」の怠慢によるもの。原発を絶対視しておきながら、そのくせ、原子力の安全保障政策はおざなりにしてきておいて、「安全、安全」と言い続けて国民を騙してきた「原発族」の無能、無責任ぶりは徹底追求する必要がある。

だいたいが、災害時に原子炉を緊急停止できても、崩壊熱を出し続ける核燃料は半永久的に冷却する必要があるために、原子炉停止後も冷却システムの稼動が不可欠で、それを止めてしまう「電源喪失」は命取りになる、という原子力の基礎知識もない連中が政府の原子力安全委員をやっているんですから、お話になりません。

核物質の安全管理を行うための技術の問題以前に、こういう無能な連中が極めて危険なものである原子力を扱う行政を担当している、という危うい実態があるからこそ、福島以上の大事故を起こして日本を自滅させてしまう前に、原発なるものをできるだけ速やかに廃止させるべきなのです。

原発の根本問題とは、他の発電方式にはない超怒級の危険が伴っていることで、その安全保障能力がないのならば、電力供給の問題以前に安全保障という面から廃止させなければならない、と考えるのはごく当然のことでしょう。

「脱原発」を主張すると、すぐに「原発がなくなったら電力不足になる」と反論する人たちがいますが、致命的な大事故で日本が自滅するようなことになったら、電力不足どころの騒ぎではありません。

こういう人たちは原子力の安全保障という発想が欠けていて、原子力の恐ろい力というものをあまりにも甘く見すぎている。そもそも、原爆という巨大な破壊エネルギーに成りうるからこそ原子力には強力な力があるわけで、その安全管理がまともにできなければ致命的な結果になることを忘れてもらっては困る。

核兵器保有国であり、原発大国でもあるアメリカ、フランスが、今、福島原発事故に際して懸念しているのは、この日本人の原子力安全管理に対する甘さなのです。

電力供給という面に関してならば、原発はその内の選択肢の一つであるにすぎないのですが、それを絶対視して、「原発がなくなったら電力が」と、まるで原発だけが電力源であるのごとく国民に錯覚させてきたのが「原発族」です。

実際には、原発には必ずそのバックアップのための火力発電所が用意されているので、原発を全部止めても電力不足にはなりません。その火力をわざわざ半分も止めてやっているのが原発、というカラクリです。また火力に加えて、再生可能エネルギーの実用化が進めば文字通りに原発は不要となりますが、そうなっては困るので、「原発族」は盛んに「原発がなくなれば電力不足になる」と宣伝して国民を騙しているわけです。

河野太郎代議士は、こういう馬鹿げたエネルギー政策から日本は脱しなければならないと主張して、「原発タリバン」という表現を使っているわけで、何らおかしなことではありません。

投稿: 松本英志 | 2011年4月18日 (月) 07時56分

松本英志さん、コメントありがとうございました。

詳しい説明をいただき、もともと原発に対して疑念を持っている場合、うなづける話だと受けとめています。一方で、まだまだ原発が必要だと考えている方々にとって、簡単にかみ合っていかない話かも知れません。このような構図の中で、「原発タリバン」という言い回しに不快感を持たれた方も少なくないのだろうと見ています。つまり「原発タリバン」という表現がおかしいかどうかは、その出発点で大きく違ってくるものと思っています。


投稿: OTSU | 2011年4月18日 (月) 21時33分

誤解をされているようですね。「原発タリバン」という言葉が不快だから河野を「うつけ者」と言ったのではありません。
第一、私は原発に定見を持っていません。

無節操に原発安全神話を作り出す事と、無定形・無原則に原発は忌避すべき物と訴える事は「同じ事」だと言ったのです。
要は「反原発ゲリラ」と「原発タリバン」の罵り合い。
しかし少なくとも原発推進派は未曾有の地震と津波には耐えられる構造物を作った。ただ「冷却」に関しての見通しが甘かっただけだ。
今回、それが分かって何よりだ。更には「テロ」を想定内とすべきだろう。

私から見ると原発を「絶対的な物」と位置づけているのは「反原発派」です。少なくとも「選択肢の1つ」とは考えていない。

それと「公務員批判は客観的にすべきだ」と苦言を呈するならば、客観性を欠いている・・という点で「原発タリバン」にも苦言を呈すべきだ・・と言ったのです。大きな問題では無いが、誤解は解いておきます。

投稿: あまのじゃく | 2011年4月19日 (火) 08時59分

あまのじゃくさん、いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

たいへん恐縮ながら私が正確に理解できていなかった点については理解できました。相対して話し合っていても、相手側の真意を正確につかみ取れない場面も少なくありません。その意味で、文章だけで真意を正確に伝えることや、文章を読んで真意を正確に理解することの難しさを改めて感じています。したがって、100%理解し合えることの難しさを前提にお付き合いいただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2011年4月19日 (火) 22時01分

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