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2011年1月30日 (日)

チュニジアの政変

少し前の記事「リーダーシップのあり方は?」や前回の記事「市長選後の阿久根市」のコメント欄で、民主主義に対する様々な意見が示されていました。それらのコメントに接する中で、人によって、それぞれ思い入れや描いている姿が違っていることに気付く機会となりました。それはそれで興味深い話でしたが、自分自身のおさらいのためにも改めてウィキペディアで調べてみたところ、民主主義に関しては次のように記されていました。

民主主義または民主制または民主政は、いずれもデモクラシー(democracy)の日本語訳で、ある集団で構成員の全員または全体が権力者であり、集団全体の意思決定は構成員間の合意により行なうという思想・原則・政治体制である。歴史的に多様な意味で使用されており、それぞれの意味に応じて対比語は寡頭制、君主制、貴族制、独裁、専制、権威主義などである。

やはり私自身も民主主義の対比として、独裁政治が真っ先に思い浮かんでいました。ちなみに外部から見れば独裁政治が明白でありながら、「自分の国は独裁制だ」と言い切る国は少ないはずです。言うまでもありませんが、国民の多くが独裁だと思っていても、口に出せないのが独裁政治の特徴となっています。中には民主主義を国名の一部に標榜していながら、権力を世襲するような論外な独裁国家も存在しています。

独裁の度合いは国によって異なり、そもそも軍事クーデターなど力ずくで権力を握る事例がある一方、民主的な選挙によって生み出された独裁者も少なくありません。国家元首に位置付けられる大統領などに就任した後、徐々に独裁色を強め、最高権力者の座を私物化してきたケースも多く見られていました。憲法で任期が定められていながら、自分自身の独裁的な権力を手放したくないため、都合よくルールを変えていく事例も決して珍しくありませんでした。

初めのうちは民主主義で選んだリーダーであるものと信頼していたとしても、途中から国民がおかしいと感じ始めた頃には、言論統制、情報操作、秘密警察による国民監視など、恐怖政治によって簡単に後戻りできない社会に変容している場合があります。また、「国民の生活は二の次」となる独裁国家では理不尽なデノミはよくある話で、国内における債務の踏み倒しなどもお手の物と言えるのではないでしょうか。

先ほど「外部から見れば独裁政治が明白」と記しましたが、最近の政変で注目を集めた北アフリカのチュニジアは、少し様相が異なっていました。首都チュニスの町並みは西欧的な美しさがあり、人々の生活ぶりは西欧と変わらない自由闊達な空気が満ちていたように見られていました。観光立国であり、年間800万人もの観光客が訪れているほどでした。さらにチュニジアはイスラム諸国の中では穏健で、経済状態も良好な国であるものと位置付けられていました。

しかしながらチュニジアの場合、23年間に及ぶベンアリ前大統領の長期政権のもとで、外部からは見通し切れない国民の不満や憤りが蓄積していたことも確かだったようです。年間8万人以上の大卒者のうち2万人から3万人が就職できないという高い失業率の中、免許なしで野菜などを販売していた青年が逮捕されました。その青年は逮捕に抗議し、焼身自殺をはかりました。この事件が引き金となり、食品物価の高騰、大統領一族の腐敗、政治的抑圧などに反発心を抱いていた国民の怒りが一気に爆発しました。

言論の自由がない独裁社会の中で、運動の組織化や宣伝にはインターネット、特にフェイスブックが大きな力となり、反政府デモのうねりが高まっていきました。ベンアリ前大統領は、次の大統領選に立候補しないことを表明しましたが、とても国民の怒りは収まる状態ではなく、亡命せざるを得なくなったようです。1月14日、サウジアラビアに亡命し、23年間にわたった独裁体制が崩壊しました。後日、前大統領が国外脱出に追い込まれた理由として、次のような出来事も知り得ることになりました。

反政府デモが全土に拡大する中、チュニジアのベンアリ前大統領が政権の維持をあきらめ、国外に脱出したのは、陸軍トップが引導を渡したためだったとの見方が広がっている。駐チュニジア大使も務めた元仏軍幹部が、仏紙パリジャンに政変の内幕を明かした。「あなたはもう終わりだ」 デモの激化に危機感を募らせたベンアリ氏が陸軍のラシド・アマル参謀長にデモ参加者への発砲を命じたところ、参謀長は拒否し、こう告げたという。

これで、情勢挽回への頼みの綱を失ったと判断し亡命に踏み切ったようだ。デモ弾圧を続けた警察とは対照的に、国民の間にも「軍が見限ったおかげで政権が崩壊した」と軍の判断をたたえる声が多い。治安維持のため首都の各地点に配備された戦車には感謝の意を示す花束が置かれている。【読売新聞2011年1月21日

唐突な話題転換と見られてしまう今回のような内容を綴ろうと思った切っかけは、実は上記の新聞記事に目が留まっていたからでした。独裁政治と民主主義社会は比べるまでもなく、普遍的な評価は定まっています。したがって、今回の記事で今さら独裁制の問題点を強調しようと考えた訳ではありません。大統領の命令を拒否した参謀長の判断に対し、少し自問自答しながら自分なりの思いを巡らしてみます。

軍隊において上官の命令に絶対服従することは国の政治体制にかかわらない共通のルールとなっています。また、定められたルールを守っていくことが民主主義の基本であることも間違いありません。その意味で言えば、参謀長はルールを破りました。しかし、流血の事態を回避させ、圧倒多数の国民から称賛される行為であり、もちろん私自身もその判断に深く敬意を払っています。

それでは目的や結果が良ければ、個々人の判断で勝手にルールを破って良いのかと問われれば、基本的には「否」と答えることとなります。やはり原則はルールを守り合うことであり、参謀長が置かれたような緊迫した局面だった場合のみ、例外的に破ることが認められていく話だと考えています。もともと法律の中でも緊急避難という概念があります。緊急避難とは違法行為であっても、一定の条件のもとに違法性を阻却され処罰されないというものです。

そもそも普段からトップに対して「駄目なものは駄目」と言えるのが民主主義社会の素晴らしさであり、独裁を阻止していく様々な仕掛けが築かれ、国民の一票一票によって政権交代も実現できるのが現在の日本です。チュニジアの政変の火種は周辺の国に広がりつつあり、エジプトのムバラク政権を大きく揺るがしています。はるか遠く離れたこの日本を振り返った時、政権に対する国民からの不満が高まっていることも確かです。それでも「革命」的な発想で、現政権を力ずくで倒そうと考えている国民は極めて少数ではないでしょうか。

さらに公務員や官僚が倒すべき対象なのか、ことさら敵対視される存在なのか、当事者が訴えても説得力が乏しいのでしょうが、私自身はそのように考えていません。職業選択の自由が保障されている中、固定化された身分制度という見方も当てはまらず、賃金水準など現行制度に問題点が認められるのであれば、定められたルールの中で改めていけば良いはずです。チュニジアの話題から強引な展開だったかも知れませんが、最後の一言として、このような思いにつなげさせていただきました。

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コメント

OTSUさんには珍しく、言葉の使い方が随分「雑」ですね。この話題だからでしょうか?

民主主義の本質は「市民が(リーダーの)責任追及を出来る事」です。
独裁主義の本質は「市民が(リーダーの)責任追及を出来ない点」です。

強硬か、穏和か、横暴か、謙虚かは関係ない。当然横暴で強硬な民主リーダーもいるし、謙虚で穏和な独裁者もいる。

従って民主主義には「市民が責任追求する為の正確な情報と、自由意思による責任追求手段が担保される事」が不可欠です。

北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」と言いますが、民主主義に不可欠な要素を欠いているから、民主主義とは誰も思わない。
民主主義が(自分にとって)不都合な者は、必ず「この2つ」の要素を矮小化しようとする。

>民主的な選挙によって生み出された独裁者
私には意味不明。独裁者と呼ぶには「捏造された情報で選ばれた」か「自由意思の選挙では無い」かです。
当然、最初はヒトラーも民主的なリーダーだ。

竹原氏は多くの情報を市民に提供し、市民にその判断を強く問うた・・という意味で、間違いなく民主的なリーダーだ。だから(民主的に)解職を受けた。
阿久根市こそ民主主義が色濃く出ていたとさえ言える。だから民主主義に不可欠な「批判」が激しく起こった。

彼の考えを批判するのも自由だし、(公務以外での)反竹原の選挙活動も自由だ。
しかし彼を「独裁者」と呼ぶのは的外れなだけでなく、民主主義を粗末に扱うと同時に要素を矮小化するものだ。

投稿: あまのじゃく | 2011年1月30日 (日) 16時45分

民主的に選ばれた竹原は、民主的に解職を受けたから独裁者でない?。

竹原は民主的に選ばれたが、その後独裁的な市政を行ったから民主的に解職を受けた。

だから私はかつて、彼のことを「平成の独裁者」と命名した。

彼のことを独裁者と呼ばず、この日本のどこに独裁者がいるのだろうかと考えます。

投稿: 昔公務員 | 2011年1月30日 (日) 21時01分

あまのじゃくさん、昔公務員さん、コメントありがとうございました。

ご指摘のとおり今回の記事を綴りながら、竹原前市長の一連の言動が頭の中に浮かんでいたことも確かです。ただ阿久根市の問題だけを念頭にチュニジアの話を取り上げた訳でもありません。幅広い間口の中で、あくまでも「雑談放談」のブログとして、個人的な思いを書き連ねてみました。したがって、気負った「論文」のような内容ではありませんので、「雑」な点が多いこともご容赦ください。

その上で、昔公務員さんのご意見と同様、独裁かどうかは選挙で選ばれたかどうかだけではなく、選ばれた後の権力の行使の仕方も大きなポイントであるものと考えています。この点は前回記事の中でも書き込んでいましたが、改めてチュニジアの政変に絡む新聞報道を通し、自問自答してみたところでした。

投稿: OTSU | 2011年1月30日 (日) 21時15分

とにかく独裁者というレッテルを貼りたい人が多すぎますね。
その審判を今回受けたわけだから、もうそれでいいのでは?市民に選ばれた市長のその後の権力の行使の仕方はおっしゃる通りポイントだと思いますが、それによって今まで隠されていた様々な物事が多くの市民に晒された側面は無視できないでしょう。権力と一言でいいますが、現実的にはそれは多重多層で複雑です。民主主義は本当の情報を十分に与えられて初めて機能するが、市民国民に知らされない事が多すぎる。竹原元市長を批判するのは簡単だが、本当に敵視すべき相手なのか?支持する支持しないの二元論ではあまりにも近視眼的ではないか。
ちなみにチュニジアもエジプトも、その市民の蜂起はさらに上位の権力に誘導されていることにも十分留意すべき。

投稿: なめ猫 | 2011年1月30日 (日) 22時47分

チュニジアがTwitterやFacebookを介在させたデモを発端とする政府転覆だとするならば、明確な首謀者あるいはリーダーというものは存在しなかったのだと
思いますが、だとすれば、「現在の野党」あるいは「軍部」という既存勢力が取って代わるか、あるいは無政府状態に陥るのか、そのあたりが気になるところです。
単なる怒りの爆発あるいは暴発だと、将来ビジョンが描けず、結果としてより状況が悪化するケースも歴史的事実として多く存在しますので。
「白人資本家」をターゲットにして、彼らを追い出したものの、知識も資本も無かったが故に一層悪化したジンバブエなどもそうです。

エジプトも同様に体制が崩壊したようですが、これがどこまで波及するのか。そしてその結果世界情勢がどう動くのか、も気になるところです。

国内でも、自民党を怒りと批判のターゲットにしたあげく、理想と現実の狭間で身動きがとれず、自民批判が全てがブーメランとして返ってきた民主党という存在もいます。
(前回の国債格付け下落時に、「責任は総理と財務大臣にあり、辞任すべき」と現在の総理が言っていたそうですね。)
冷静な公務員批判と、短絡的な公務員批判を分けて考えないといけないのは、批判し、排除したその先が見えているかどうか。その辺りが基準になると思います。
ただ、不満は早めに解消されない限りどんどん増幅されますし、現状では(実態を理解しているかは別に)公務員が社会の勝ち組と見なされている以上、
後者が増えていく可能性は高いでしょうね・・。

投稿: とーる | 2011年1月30日 (日) 23時26分

OTSUさんは最初に「民主主義に対比して独裁政治・・」と前振っていながら、いつの間にか別の状況にも当てはめる・・というのは本来許されないレトリックです。
私が常に訂正を求めるのは、今の日本にはこの「摩訶不思議なレトリック」に対して殆ど疑問を呈さずにいる者が余りにも多いからだ。

「選ばれた後の行使の仕方もポイント・・」・・いつの間にか「経過責任を負う」事にもなっている。
そう主張しても良いのだが、そうなると「経過責任」と「結果責任」が両立しない場合の整合性を保たねばならんが・・、出来てます?

まあ、OTSUさんの「思い」とは理解していますが、レトリックの整理だけはしておくので、ご了承ください。

尤も「怪しげなレトリック」などには見向きもせずに、ただひたすら情緒的に同じ事を繰り返している者もいて、私の努力も水の泡だが・・(笑)。

投稿: あまのじゃく | 2011年1月30日 (日) 23時38分

なめ猫さん、とーるさん、あまのじゃくさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

阿久根市長選に関しては前回の記事に綴ったとおりであり、一つの区切りがついたものと受けとめています。したがって、昨夜のレスの中でも記しましたが、今回の記事はチュニジアの政変を取り上げながら、少し飛躍気味の個人的な雑感を書き込ませていただきました。

その政変に対してもマスコミ報道を中心としたもので、深い背景や今後の見通しなどまで掘り下げられていません。底の浅い内容ですので、皆さんからのコメントが興味深く、拙い記事本文を補っていただけるものと感謝しています。

あまのじゃくさんから「いつの間にか別の状況にも当てはめる」とのご指摘を受けましたが、自分自身はそのような意図は毛頭ありません。「結果責任」に対する見方の相違からなのか、私の文書力や論理力の稚拙さからなのか分かりませんが、前回と今回の記事で書いたような見解は一貫しているつもりです。

投稿: OTSU | 2011年1月31日 (月) 08時15分

では、誰がリーダーになっても一緒だ。

投稿: あまのじゃく | 2011年1月31日 (月) 10時47分

前、阿久根市長のしてきたことを、正当化しようとする方々に言いたいです。もしかしたら貴方も独裁主義者かもと。思ったことを実行に移すのは非常に難しい、それを強引に何不利かまわず手中にしたいのが独裁者かな?。

投稿: 昔公務員 | 2011年1月31日 (月) 20時18分

誰がリーダーになっても同じなのかもしれませんが、住民がみずからの想いでリーダーを取捨選択するのか、が違うのでしょうか?
チェニジアが今後どうなるか不明ですが、少なくとも悪いリーダーを民の力で変えたことに評価ができるのではないかと思っています。

投稿: 元役員 | 2011年1月31日 (月) 21時15分

あまのじゃくさん、昔公務員さん、元役員さん、コメントありがとうございました。

一般論として、リーダーの資質や能力によって組織内の雰囲気は変わるのではないでしょうか。サッカーのアジア杯で優勝した日本代表、ザッケローニ監督の評価が高まっています。特に選手とのコミュニケーションがきめ細かく、一人ひとりの士気を高めているようです。組織の規模によっては単純に考えられないのかも知れませんが、信頼できるリーダーを仰げるかどうかは規模の違いにかかわらず、大事な点だろうと思っています。

投稿: OTSU | 2011年1月31日 (月) 22時12分

民主主義に不可欠な要素に「正確な情報」としている初手の段階で論理が破綻
しています。それなのに、この場で無理やり正当化しようとしても無理がある
と思います。
前市長派の言い分は、彼らのブログの記述を一つ一つ指摘するまでもなく正確
ではないし、むしろ読み手の正確かつ冷静な判断を惑わすような誇張や嘘が多
く含まれています。煽りを含む低俗な文章が多いと言っても良いくらいです。
だから、少し全体を見渡せる程度の人間は市長派の考えに無条件には理解を示
せないし同意もできません。

またOTSUさんの今回の記事に対して、いつものように煙に巻こうとされて
いますが、この場でそれを行うのは流石に無理があります。これは「レトリッ
ク」の問題というよりは、数ある不正確な情報から何が正しいのかを読み取れ
ば騙されずにすむという程度のことになっており、この場には少数の例外の人
を除いて、ある程度それが出来る人間が集まっていますから。

誇張や嘘を正当化しようとする者を見抜く。つまり似非を似非と見抜く能力が
各所で要求されているということだと思います。おそらくチュニジアにしても
エジプトにしても、それは例外ではないでしょう。似非を似非と見抜いてリー
ダーを選べれば良い方向に変わるでしょうが、その能力が足りなければとーる
さんの言われるように、結果としてより状況が悪化し昔の方が良かったとなる
ケースもあり得るでしょう。

自分たちのリーダーを選ぶ際には、正確かつ冷静な判断で臨みたいものです。

投稿: 組合嫌いの・・・ | 2011年1月31日 (月) 23時00分

一文を訂正します。

誤 - だから、少し全体を見渡せる程度の人間は市長派の考えに無条件には理
    解を示せないし同意もできません。

正 - だから、少し全体を見渡せる程度の人間は前市長派の考えに無条件には
    理解を示せないし同意もできません。

投稿: 組合嫌いの・・・ | 2011年1月31日 (月) 23時07分

君達から様々な話を聞いた。様々な反論を聞いた。様々な理屈を聞いた。様々な主張を聞いた。

しかし君達から、本当に日本を憂え、何とかしなければ・・との危機感を感じた事は一度もない。
本当の優しさを君達から感じた事は一度もない。聞こえてくるのは自己保身と未熟な屁理屈だけだ。

まあ頑張りなさい。改革が始まれば最初に捨てられるだろう。同情する気持ちも、もう無い。

投稿: あまのじゃく | 2011年1月31日 (月) 23時13分

ここにおいでの「全体を見渡せる」方々が、混迷深める今の社会に対してどうすべきだとお考えなのか、せめてそこが知りたいと思って眺めていましたが、竹原に賛成、反対の視点のみ。あまのじゃくさんの意見に共感します。ルールが重要なのは当然です。軽視すべきでもない。竹原氏が違反者なら裁かれれば良い。で、その先は?ルールや制度なんてその時々の解釈や都合でどうにでも運用されてきてるわけです。小沢起訴問題しかり。記載ミスなどは、毎年200名弱の議員が訂正しているが、何のお咎めもない。そもそも政治家の仕事は法律と予算をつくることのはず。しかし実際に法律と予算をつくっているのは官僚。政治家の存在意義はどこにある?法律をつくっていない国会議員でも立法調査費の名目で月65万円、年間780万円がもらえる。これは詐欺・横領ではないのか?民主党の議員立法禁止なんて全く意味不明。議員が法律をつくらないで何をする?
さらに言えば、汚職を防ぐため企業・団体献金を禁止する代償として1995年に政党助成制度が創設。税金から国会議員一人につき約4500万円支給される。しかし、その後有耶無耶のままに企業・団体献金は禁止されなかった。誇張や嘘にはならないの?税金泥棒が正当化されているだけじゃないの?

投稿: なめ猫 | 2011年2月 1日 (火) 00時42分

組合嫌いの・・・さん、あまのじゃくさん、なめ猫さん、おはようございます。コメントありがとうございました。

ここを閲覧されている大半の方は、竹原前市長の問題と公務員制度のあり方や日本の行く末を切り分けて考えているものと理解しています。しかしながら時折り、交錯してしまう論点があり、話がかみ合っていかない側面があります。

かみ合わない部分は簡単にかみ合わないはずですので、多様な見方や意見があるという証しの場だと割り切っていただければ、苛立ちも和らぐのではないでしょうか。このような「お願い」も反発を受けるのかも知れませんが、常々自分自身が意識している点を一言添えさせていただきました。

投稿: OTSU | 2011年2月 1日 (火) 07時59分

全てを見渡せる(失笑)?私の眼には「虫眼鏡の人達」しか見えないが。尤も(見渡せる人が)若干名いるかも・・、名前は伏せよう(笑)。

スミマセン、私から見ると「竹原」「公務員」「日本の行く末」は全て「同根」。もっと言えば「議会改革」「社会保障改革」「行財政改革」「農業改革」すべて「同根」だ。

一部の人を除いて、それが見えていないから「虫眼鏡」。虫眼鏡で狭い視野を「全て」と思ってるから笑止千万。

【例えば】竹原氏は公務員給与を張り出した。客観的な議論を望むなら客観的な「民間の給与」を君達が提示すればいいだけだ。しかし、それはしない。
竹原氏の発信する情報が「誇張と嘘」なら、何が「誇張と嘘ではないか」を君達が発信すればいいだけだ。しかし、それはしない。
つまり一事が万事「アンチ」なんだ。

だから虫眼鏡の視野の外にいる人達からは「あの連中は歯車を前に進めたくないだけだな」ってのが「全部」見えちゃってるんだよ。
見えていないのは(虫眼鏡だけで生活し、且つ最近引きこもった)「君達だけ」だな(一部を除いて・笑)。

投稿: あまのじゃく | 2011年2月 1日 (火) 09時05分

「望遠鏡」で月をみて、「着陸跡が無い。アポロは着陸していないんだ。ユダヤの陰謀だ」とピント外れな憂国の情をもたれてもなあ・・・。

投稿: FAZZ | 2011年2月 1日 (火) 09時44分

おっ珍しく「昼間」に引きこもりの穴から燻し出されて・・。さては痛いところを突かれたな。

>ピント外れな憂国の情を云々・・

だ・か・ら、人様の望遠鏡の悪口を何万回言った所で日本は良くならないって、何回も言ってるでしょ。
現状維持と保身が目的だとバレテるって。
「君の望遠鏡」で日本の問題の解決策は?望遠鏡、持ってる?

では水戸黄門の私から・・
この【1000兆円の借金の印籠】が目に入らぬか。頭が高い!控えおろう。

答える気が無いなら「ハウス!」(笑)。望遠鏡を持たない場合も「ハウス!」。
まさか、1000兆円の借金なんて「月の世界の夢物語」なんて言わんよな。

投稿: あまのじゃく | 2011年2月 1日 (火) 11時24分

あまのじゃくさんのコメントに賛同しない者が一様に1000兆円の借金を是
としている訳ではないのと同様に、竹原前市長を支持しない者が一様に改革を
非としている訳でも無いのは言うまでもないことです。

それを、ただ単純に
 あまのじゃくさんのコメントを異議=1000兆円の借金を是
 竹原前市長を支持しない=現状維持と保身が目的
と決まり文句に置き換えてしまっている。


今回の記事へのコメントで「レッテル」と「レトリック」の2つのキーワード
が言われていましたが、レッテル張りをして許されないレトリックを用いてい
るのは誰なのでしょうね。

前回の記事コメントで指摘されたとおりに、今回もご自分の言い分がご自分を
否定していませんか。

なるほど。私にも理解できない感覚です。

投稿: 組合嫌いの・・・ | 2011年2月 1日 (火) 19時02分

だったら、ごちゃごちゃごちゃごちゃ幼稚な屁理屈こいとらんで、はよ1000兆円をどうするか、答えんか。
又、誤魔化しか?な~にが是にしてる訳じゃね~だ。
返事出来んならハウスって言ったろ。

投稿: あまのじゃく | 2011年2月 1日 (火) 20時40分

 「ええ、確かに1000兆円の債務は困難な問題です。増税と景気の冷却、社会保障や公共投資の削減と格差問題(国民間、年と地方)等々トレードオフとなる問題が数多く存在するため、一概に正解といえる削減方法が無く、その時期の景気動向等に応じて様々な政策を取り混ぜるしかないと考えています。
 また、一方でギリシアに見られるような国家債務と異なり、国債のほとんどが国内で消化されている現状を考えると
 ・・・と書きかけてやめた。多分発展性の無い議論にしかならないし、自らが国債市場の最前線にいるわけでないので経験に基づく裏打ちがないから。

 ただ、その自分からみても「入るを量りて出ずるを制す」程度の考えで1000兆円の債務が問題なく解決するなどという脳天気な考えは出来ないし、それを金科玉条として他人を制することが出来ると思える無知ぶり、独りよがりっぷりには失笑しか生じない。

 しかし、「公務員」の次は「引きこもり」かあ。この次は「人民の敵」かな・・・。

 追)管理人さんの議論の考えている方向と多分異なっていると思うのでこの議論からは抜けます。申し訳ありませんでした。

投稿: FAZZ | 2011年2月 1日 (火) 23時47分

あまのじゃくさん、FAZZさん、組合嫌いの・・・さん、おはようございます。コメントありがとうございました。

このブログのコメント欄への投稿に際して、以前の記事「コメント欄雑感」でも記していましたが、あまり制約を設けていません。投稿者同士のやり取りや話題が広がっていくことなどについても歓迎している立場です。その上で、改めてその記事の一文をご紹介し、このような思いについてご理解いただけるよう願っています。

>相手方の意見内容のどこが問題なのか、感情的な応酬は他の閲覧者の皆さんにとって不愉快に映るだけだと思っています。したがって、可能な限り冷静さを失わないように努めていますが、そのことで、ますます奥歯にモノがはさまったような言い方になっている時もあるはずです。ちなみに自分自身の精神衛生上、ストレスをため込まないためにも言葉を選ばず、直球で切り返したい衝動にかられる時も少なくありません。とは言え、このブログは私的な場でありながら、ある意味で公的な場のような位置付けを大事にしています。仲の良いグループ同士のサークルやサロンの場とせず、幅広い考え方を持った方々が気軽に出入りできる場であることを望んでいます。

http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2010/07/post-6b8e.html

投稿: OTSU | 2011年2月 2日 (水) 06時45分

>(1000兆円の借金対策は)「色々と講じる」・・FAZZ氏談

お答えに感謝する。

しかし最後の答えには面白い(そうな?)事が書いてある(珍しい・笑)。「正解」なんて発想が戦後の教育らしいがな。正解なんて神様しか分からないと知っておく事だ。

君は(最後の答えを見ても)少しは見所があると褒めておこう。視野を広く、発想を柔軟にな!(笑)それと優先順位をしっかりと付けるだけの本質を見抜く能力を身につけるべきだ。羅列は意味が無い。性格はそのままでも許すぞ(大笑)。

私も抜けよう。しかし逃げるのだけは上手だな・・(関心)。前科持ちだしな。捨て台詞も様になってる・・度々やってるな(笑)?
本気で議論する気なら、何時でも受けるぞ。勇気があれば・・だが。

【何だ結局何もする気が無いんだ】【成らぬは人の為さぬなりけり】・・って事にならんようにな・・不安だが。

OTSUさんには申し訳ない事をした。この場の性格を分かっていながら・・お詫びする。

投稿: あまのじゃく | 2011年2月 2日 (水) 09時20分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

お詫びいただき、たいへん恐縮です。今朝のコメントに貼り付けた以前の記事の抜粋は、後から読み返すと分かりづらいように感じています。そのため、少しだけ補足させていただきます。

このコメント欄を通し、様々な立場の人たちの意見を伺えることは非常に貴重な機会だと受けとめています。また、コメントを投稿するかどうかは、あくまでも個々人の自由意思によるものです。当然、自分の考え方と異なる意見に対し、「それは違うのではないか」という批判を加えることも特に制約はありません。

しかし、その「違い」を見下しや嘲りのような言葉で非難されれば、誰もがムッとするはずです。このブログのコメント欄に投稿くださる常連の皆さんからは、全体的に自制心のあるコメント内容にご協力いただいていますが、時々、「もう少し抑えて欲しいなぁ」と思う場面もありました。

仮にギスギスした意見交換が続いていると、気軽にコメントを投稿しようと考えた人からすれば、敷居が高くなるような心配もしています。「仲の良いグループ同士のサークルやサロンの場」とするつもりもありませんので、激しい議論も必要だと理解しています。ただ繰り返しのような話となりますが、感情的な応酬とならないようご協力いただければと願っています。

あまり制約を設けていないと言いながら、このような「お願い」が窮屈だと思われる方もいらっしゃるかも知れません。そのように思われた方が去られることになったとしても、それはそれで個々人の自由な選択となります。さらに「去る」と述べられた方が、また気が向かれてコメント投稿されることも個々人の自由な選択であって、管理人としては歓迎する立場であることも申し添えさせていただきます。happy01

投稿: OTSU | 2011年2月 2日 (水) 22時18分

確かに私は日本の問題を直視しない者を蔑み罵倒してきました。「ムッ」とする筈です。
しかし、その「ムッ」の遥か向こう側に、日本の現状と解決策がある。

もうじき、その「ささやかな自尊心」など何の役にも立たない程の惨状が日本人を襲うだろう。

それを乗り越えて、日本を解決する議論を求めるなら、私は喜んで参加するだろう。
不幸にも、その様な場面は無かった。・・では。

投稿: あまのじゃく | 2011年2月 3日 (木) 09時00分

あまのじゃくさん、いつもコメントありがとうございました。

昨夜、書き込んだとおりですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2011年2月 3日 (木) 21時42分

何から書こうかなと考えてみて、一応は記事の順に沿ってと思いましたが、前段部分は意見も出尽くしたようですから、蒸し返すのは避ける事にします。

さて、この10年ほどでインターネット接続が一般的なものとなり、今では大部分の家庭で常時接続は当たり前のものとなっています。その恩恵として多くの情報に触れる機会に恵まれるのですが、情報に対する人間の受容能力はあまり変わっていませんね。だから、多種多様な情報に触れる際には、自分の判断において真偽を見抜き取捨選別することが必須なのですが、そうなってない事を良く目させられる事になります。

一つの例として、今の日本で国会議員に始まって都道府県から市町村議員に対してまで「議員の数が多い」「報酬が高い」「仕事をしていない」とは大抵の人の共通する思いとなってしまっています。しかし、実際に「議員は何人居て」「報酬は何種あって幾らで」「どんな活動をしている」という事を理解していたり、知らないならば調べようとする人は驚くほど少ないのです。
つまり、インターネットを初めとする身近な媒体で情報は溢れているが、個人の処理が追いついていないため、表面的な決まり文句しか受容出来ていないのです。そしてネガティブな決まり文句だけが印象に残り、概略を知らずに理解できた気になってしまっています。
これを私は情報の共有では無く、感情の共有と呼んでいます。

怪しげな新興宗教もよく使う手段ですよ。お年寄りを集めて「あなたは利用されている」「あなたは騙されている」と過大な情報を与えて思考を鈍らせたところに「私は貴方の事を考えています」としてみれば、何の変哲もないガラクタが高価な値段で売れてしまう。
周りから見れば何であんなモノをと思う訳ですが、本人だけは納得し理解した気になってしまうのです。笑い事では無く、老若男女を問わず似たような事例は掃いて捨てるほど起こっていますし、日本だけはなく世界中で起きている事だと思います。

本来は情報を発信する側が、しっかり責任を持って事実を在りのままに発信するのが理想なのですが、今しばらくは難しいでしょうね。そして、もしこの様な手段で「判りやすい敵」に仕立て上げられてしまった場合には、もう実態を理解してもらうことは大よそ不可能になってしまうものです。
解決の手段としては、誤解される言動を避け判りやすく情報を公開する、そして公開する数と場所を増やす。あとは無理に理解を求めずに、相手が求めるようになるのを待つくらいしか、私には思いつきません。そして「OTSU」氏には1年以上も前からここで「嫌悪される用語を変えなさい」とか「判りやすく簡易な言葉にしなさい」とか「組合でも情報を率先して発信しなさい」などと言い続けて来た事でもあります。

好きな団体の言葉を沿えておきます。
1 真実かどうか
2 みんなに公平か
3 好意と友情を深めるか
4 みんなのためになるかどうか
この団体は、日本のそれは質的に褒められるものではありませんでしたが、米国のものは結構大したものだなと心に残るものでした。そして一応色々と書く機会もあるもので、これを念頭に置いているのですが、私は1と2には確信がありますが3と4がねぇ・・。


最後に記事中の軍隊の話。
チュニジアでもエジプトでも軍が民衆に発砲という事態は避けられたようですね。幾つかの媒体で情報を見た個人的な感想ですが、この両国の軍は国民に感謝され愛されていたように感じています。軍にしても自分達をそのように認めてくれる民衆を裏切ることは出来なかったのでしょう。
これが日本の場合ならどうなのかと考えれば、結構微妙な感じがします。少なくとも感謝もされていないし、まして愛されてはいませんからね。人は自分が大事にされていなければ、他人を大事にすることも出来なくなる事を経験上感じています。
特に関門海峡で自衛官と韓国籍民間船の衝突事故のときに、事実にも原因にも目をつぶり非常に不誠実な申し入れをする自治労のような団体には、有事には容赦なく弾が飛んでくるような気がしています。また、別な意味で労組は仲間を守る事が本懐じゃないのかね・・とも思う訳ですけれども・・。

脱線しましたが、まぁ色々な場面で事実を正しく見て寛容でいられるかどうか、各個人各団体が今は個々に試されているのだと思っています。

時間が取れなくて雑で申し訳ない。でも、書きたいことは以上です。後は読み手の方の解釈にお任せします。
さて今週の記事を読めるのはいつになるのやら。

投稿: mobileSE | 2011年2月 5日 (土) 21時19分

mobileSEさん、コメントありがとうございました。

異論のないご意見が多い中、一言添えたい箇所もありますが、今回は聞き置くことに専念させていただきます。

投稿: OTSU | 2011年2月 6日 (日) 07時20分

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