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2011年1月23日 (日)

市長選後の阿久根市

大接戦だった阿久根市長選、先週日曜の夜、ネットでその動向を探っていました。すると意外なほど早く朝日新聞のサイトが竹原前市長に挑んだ西平候補の当確を報道していました。最終的な結果は、西平候補が8509票、竹原候補が7645票であり、わずか864票差でした。リコールが成立した時の票差398よりも広がったとは言え、竹原前市長への根強い支持があったことは明らかでした。

ちなみに当日の有権者数は1万9715人、投票率は82.39%で、一昨年5月の82.59%とほぼ同じ水準です。もともと投票率が高い地域だろうと思いますが、この選挙戦に対する住民の皆さんの関心の高さがうかがえる驚異的な数字でした。あれから1週間、毎日、阿久根市に絡む話題がマスコミやインターネットを通して伝わってきていました。今回の記事では、そのマスコミ報道の内容を紹介しながら、自分なりの感想や意見を添えていこうと考えています。

この日の朝、投票をすませた後、淡々とした表情で「私はそういうの(選挙結果)を考えない人間。起こったことを受け入れる」と語っていた竹原さん。しかし午後8時以降は、同市赤瀬川の事務所のカーテンを閉め切り、中にこもった状態に。落選が決まって約20分後の午後10時過ぎ、ようやく外に出てくると、市職員労働組合やマスコミへの批判を始めた。

まず、市職員人件費の貼り紙をはがした係長を懲戒免職にした問題などで対立を続けてきた市職員組合について、「西平氏にではなく、市職員組合に負けた。今回の選挙は竹原対市職員組合。彼らの力が大きかった」とまくしたてた。さらに「報道が選挙結果に影響した」と繰り返し主張。議会を開かず、職員ボーナス半減や議員報酬を日当制にするなどの専決処分を繰り返してきたことが、敗れた原因ではないと強調した。【読売新聞2011年1月17日

「市職員組合に負けた」という竹原前市長の発言は、同じ自治労に属する市職員組合役員の一人として非常に違和感がある言葉でした。実際、阿久根市職労や自治労鹿児島県本部が全力を注いだものと思いますが、自治労だけの力で首長選の結果を左右できる現況ではないものと受けとめています。特に市職員の待遇が問題視されている中、あまり前面に出ないよう極力自重していたはずです。

加えて「報道が選挙に影響した」という見方も含めて、西平市長に1票を投じた市民の皆さんに対して失礼な言葉だと指摘せざるを得ません。8509人の投票行動が阿久根市職労やマスコミ報道の影響によるもので、その程度の民意だったと竹原前市長は本当に信じ込んでいるようでした。なぜ、選挙戦に敗れたのか、まず自分自身の力不足や不徳を反省することが常識的な発言ですが、そのような良識や客観視できる能力に欠けた一端がうかがえる敗者の弁だったものと感じていました。

鹿児島県阿久根市の西平良将市長(37)は17日、竹原信一・前市長(51)の専決処分で副市長に選任した仙波敏郎氏(61)を解任。同じく専決処分で半減された市職員ボーナスを元に戻す方針を示した。就任会見で西平市長は、解任の理由を「(専決処分による選任は)違法性がある」と説明。副市長と認めないのに解任する矛盾について報道陣から「事実上市政を担ったからか」と問われ「そうです」と答えた。後任は「行政をしっかり理解している方にお願いしようと検討中」という。

また、職員ボーナス半減は「考え直さないといけない。半額はあまりに行き過ぎ」とした。ただし既に支払われた今年度分について「さかのぼって(残り半額を)払うことはしない」と述べた。一方、竹原前市長が張り出した、職員数と人件費総額を記した各課の張り紙は「仕事の中身も含めて市民に分かりやすい形にしたい」と述べ、形式を変えて継承する方針。【毎日新聞2011年1月18日

もともと法的な正当性のない副市長でしたので、解任の対象となるのか疑問視する声もありました。それでも西平市長は「個人的には副市長の専決処分を認めているわけではないが、これまで阿久根のために尽力していただいたことに敬意を払いたい」と話し、事実上の副市長として遇した上で辞令を交付しました。ちなみに仙波氏も市長就任式前、報道陣に「新市長が就任したので、私が残るのは理に合わない。私の仕事は本日まで」と辞意を示していたようでした。

職員の賞与半減問題は年末に投稿した「年明けに阿久根市長選 Part2」で記していましたが、西平市長も遡及して支給しない判断を下されています。議員報酬の日当1万円の問題は「市議会が決めること」という基本的な立場を表明されているようです。仮に竹原市政が続いた場合、これらの問題をはじめ、専決処分の違法性に対して阿久根市は立て続けに訴訟を起こされるリスクを抱えていました。したがって、西平市長の当選は、阿久根市に対する訴訟リスクを減少させる結果につなげられたものと見ています。

鹿児島県阿久根市の出直し市長選で落選した竹原信一前市長(51)の支持者ら約60人が18日夕、市役所で集会を開いた。竹原氏も出席し、1階のロビーを「占拠」して西平良将市長(37)を批判した。今後、毎日開く予定という。集会は「副市長」を17日に解任された仙波敏郎氏が呼びかけ、竹原派市議や竹原氏が採用した市幹部も出席した。仙波氏は「対話などまったくない」と新市政を批判。竹原氏は報道陣に「西平氏は公約を実現できない普通の市長」と語った。集会について西平市長は「意見交換会があるとは聞いていたが、集会とは想像していなかった」と語った。【毎日新聞2011年1月19日

市長選は終わりましたが、市議会解散の是非を問う直接請求(リコール)の住民投票を2月20日に控え、まだまだ竹原派と反竹原派の対立が続く様相です。しかしながら一つの民意が示された直後、西平新市長を批判する集会が市役所のロビーで連日のように開かれるというニュースに接した時、たいへん驚きました。さらに仙波氏は「対話を重んじる市長が問答無用で私を解職し、総務課長も更迭した。報復人事だ」と発言されたようです。

阿久根市に限らず、前市長に仕えてきた特別職である副市長は新市長に辞表を預けるのが通例です。そもそも仙波氏自らも辞意を示していたはずであり、それを「批判のための批判」を行なうようではご自身の評価を大きく失墜させる行為だと言わざるを得ません。また、竹原前市長が選考で採用していた現職の課長数名も、この集会に参加していたようです。政治的な立場性の問題や市長に忠誠を尽くさないことが非難されていましたが、その課長らはどのように考えながら顔を出されていたのか甚だ疑問です。

その他にも、防波堤や消防署の壁面にミッキーマウスやピカチュウを描いたアート事業の著作権問題が浮上していました。このアート事業に関しては、なかなか興味深い試みだと個人的には思っていました。特に著作権の問題などが問われない限り、そのまま残したほうが良いのではないかと考えていました。感情的な面が先行し、前市長の施策を全否定していくことのほうが軋轢を大きくしていくように感じています。いずれにしても西平新市長の頭を悩ます問題が山積していることは否めないようでした。

市長選後の阿久根市の1週間をたどるだけで、ここまで長くなりました。阿久根市のケースが発端となり、法令違反と見られる事務処理を行なった自治体を国が提訴できる法改正の話も浮上していました。このように阿久根市長選後の話題を広げていくと、まだまだ尽きることがありません。そろそろ今回の記事には一区切りつけようと思いますが、前々回記事「リーダーシップのあり方は?」のコメント欄で「阿久根市長選の結果を振り返る新規記事の中で、私なりの感想や意見を述べてみるつもりです」と答えていました。

もったいぶった言い方をしてしまいましたが、それほど仰々しい考え方がある訳ではありません。コメント欄に寄せられた皆さんからの説明のほうが分かりやすいはずですので、お時間がある場合、そちらも合わせて参照いただければ幸いです。言うまでもありませんが、首長らは民主主義の象徴である選挙で当選し、その任に当たります。選挙で信任されたリーダーが様々な課題に対して決断し、政策を実行することが民主主義の基本であることは確かです。

しかし、そのリーダーにオールマイティーな権限が与えられている訳ではありません。幅広い行政の執行権や裁量があることも間違いありませんが、当然、法律や条例の枠内での権限であり、議会からのチェックも受けます。法律を犯せば、司法の場で問われるのも当たり前であり、住民からの選挙が唯一首長の行動を縛るという考え方は極論だろうと思っています。つまりリーダーの「暴走」を複層的に牽制できる仕組み、それを定めた社会的なルールも民主主義の一つの形であるものと私自身は理解しています。

以上のような基本的な考え方があったため、竹原前市長の言動には強い抵抗感が付きまといがちでした。このような見方は、私が公務員であるかどうか、総論なのか各論なのかという問題ではなく、暗黙知として認め合っていくものだと思っています。今回、阿久根市長選後の話題を絡めながら、いろいろ書き連ねてきました。言葉が不足している記述も多いかも知れませんが、阿久根市の話は今後も取り上げていくつもりですので、ご容赦いただけるようよろしくお願いします。

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コメント

>現職の課長が集会に参加しているが、甚だ疑問

公私の観点から、この考えには反対です。私的な集会参加に「公」が関与するのは、大変危険な発想です。
こんな事になれば、自治労の存在にも影響するでしょう。

>リーダーの暴走を複層的に制御する仕組みが必要。

全く「御意」。少ななくとも反対ではない。その複層的な仕組みの中で、「民主主義」が「最も上位」である必要性を訴えているに過ぎません。
私に対する返事(反論では無く)を見る限り、私の主張を理解しているとは(到底)思えない。論理力を鍛えて欲しいものです。

投稿: あまのじゃく | 2011年1月24日 (月) 10時54分

取りあえずの選挙結果が確定して1週間程が経過したものの阿久根市のドタバタは予想通り続いている様です。今回は、民主主義の解釈とか手法は一度横に置いて、私は竹原氏とその熱狂的な支持者の方について幾つか書いて置きたいと思います。

但し、ここにも複数の竹原氏の支持者が居られますが、以前「議論には変えてはならない前提や約束事が有るはずと思っています。(中略)残念ながら私には前提が守られない相手に対し、説明し得る言葉を持ち合わせておりませんでした」とハッキリ告げている通りに、直接語りかける言葉は持っておりませんので、もしリプライがあったとしても無視しますし、いつもの通り後は読み手の方々の解釈にお任せします。


竹原氏の支持者が議論の相手に対し「正面に立たない意見だ」とか「正面から言うように」などと再々言われるのですが、実は彼らの正面から意見をぶつけるのは不可能なのです。なぜなら彼らの立ち位置の方が変わるのですから。

彼らは、相手の意見に対し右へ左へと自分に都合の良い立ち位置に身を躱してから相手に対し否定の言葉を投げかけて来ます。挙句、背後に回り過ぎて否定の言葉が相手を突き抜けて過去の自分の立ち位置に当たったりもしており、これは実際に「貴方のコメントは貴方自身に当たっていますよ」と何度か指摘もしています。
この様に都合良く立ち位置を変えるのは竹原氏の特徴でもあります。自分に都合の良い見え方のする位置に、彼ら自身がその都度立ち位置を変えている。だから相手は動かないのに正面に見られないのです。

相手は動いていないのに自分が身を躱した先から「見当違い」などと言ってのける姿は、私の感覚からは到底理解することが出来ません。


あと2つ3つ個人的な主観を追記

私はこの場で改革をどうこう言うつもりはありません。ただ幾つか人として譲れない一線があって、竹原氏とその支持者の行いを見過ごすことが出来ないということです。

1つ目は、支持を集めるために判りやすく叩く対象を定めて、それを嘘に基づいて批判し貶めているということ、しかも堂々とデマを拡散させている。仮に目指すところが正しいとしても、嘘は次々と嘘を呼び寄せ行きつく先は当初とはかけ離れてしまうものです。まぁ、元より目指すところも正しいとは思えませんし、何よりも為政者が嘘を使い住民から信じられるものを奪ったことは罪に問われるべきとも思います。

2つ目は、他人と自分で考え方や行動に対し要求する基準が異なることで、嘘を突き通すためか、相手に対して言っている事と自分が行っている事の乖離が日に日に大きくなっています。これに難解な解説を加える者がいるものだから判りにくくなっているのですが、もうそろそろ誰の目にも明らかになっていると信じます。

3つ目は「論」について、全員が賛成しようが反対しようが「論」は「論」と言われた事があるが、私はそうは思わない。
例えば一枚の「絵」があったとして見る者が感動し価値があると思うから「絵」は「芸術」になる。この「絵」から受けた感動で人が動けば立派な「論」だ。しかし、だれも感動しなければ「絵」などはただ油の塗られた「布きれ」にすぎない。
同じように、人を動かせない知識の断片などは「論」ではなく「言葉の羅列」としか表現できない。だから、立ち位置を都合よく変えるのではなく、相手の立ち位置から見える景色を想像してみせなければ、「知識」は「論」になり得ない・・という事です。


相手と対峙する時に、1つ目の行いをする者を「卑怯者」、2つ目の行いをする者を「愚か者」と呼称するのが日本の習わしだったはずなのですけれども・・。昔に戻るのを良いとは言わないけれど、相手と対峙する時の価値観は昔に戻すべきだと思います。

加えて、議論の通じない相手と話の理解できない相手にこれ以上時間を使うのを止めにするべきと思います。冒頭で「取りあえずの選挙結果」と言ったように、時間を使う先を変えて、まだ議論の通じる余地のある相手と話の理解できる余地のある相手に限定しなければ、来年の春頃には再度リコールの住民投票になってしまうのですから。

言いたい事はここまでです。後は読み手の解釈にお任せします。

投稿: mobileSE | 2011年1月24日 (月) 20時24分

竹原氏支持者の方々は、OTSU氏の記された、下記五行をもう一度熟読して頂きたい者です。おそらく、マトモニ読もうとされないでしょう。

>しかし、そのリーダーにオールマイティーな権限が与えられている訳ではありません。幅広い行政の執行権や裁量があることも間違いありませんが、当然、法律や条例の枠内での権限であり、議会からのチェックも受けます。法律を犯せば、司法の場で問われるのも当たり前であり、住民からの選挙が唯一首長の行動を縛るという考え方は極論だろうと思っています。つまりリーダーの「暴走」を複層的に牽制できる仕組み、それを定めた社会的なルールも民主主義の一つの形であるものと私自身は理解しています。


どうやら問題点は、上記五行をどのように受け止めるかに他ならないような気がします。

投稿: 昔公務員 | 2011年1月24日 (月) 20時49分

ここの岸壁アートは、重大な著作権法違反です。

公的機関が、こんな違法の絵に対して、
助成しているとは、呆れて物が言えない。

投稿: イール | 2011年1月24日 (月) 21時40分

些細な事なのかも知れませんが、新市長の行いで個人的に一番気になったのが
> 事実上の副市長として遇した上で辞令を交付しました。
この部分で、この事から他の違法とされる専決処分についても新市長が有効と
認めたと揚げ足を取るように解釈されるだろうと感じています。敬意を払った
などと好意的な解釈をされる集団とは思えませんし。

従って、著作権問題が浮上しているアート事業についても、前市長が違法な専
決処分により独断で行った結果で、市は責任を負わないとは言えなくなったも
のと思います。
特にディズニーに関しては著作権に非常に敏感な団体ですから場合によっては
賠償も含めて公費での対応が必要になったと危惧します。

出来れば竹原市長に個人賠償をさせるか、又はそれを止められなかった議員や
職員の給与から費用を工面して、公費は使って欲しくないと思います。

他のの事は昔公務員さんの言われる下記五行の件も含めて、言うまでもない当
たり前の事と認識しています。大多数がその思いを共有し、まずは地に足のつ
いた話し合いが出来る環境をはやく作って欲しいと思います。蹴手操りばかり
では、いつまでも同じ場所で先に進みません。

投稿: 組合嫌いの・・・ | 2011年1月24日 (月) 22時05分

あまのじゃくさん、mobileSEさん、昔公務員さん、イールさん、組合嫌いの・・・さん、コメントありがとうございます。

管理人の特権(?)で、自分自身の意見などは記事本文を通し、いつもじっくり書かせていただいています。そのため、平日の夜は一閲覧者に近い立場で、皆さんのコメントを興味深く読ませていただこうと考えています。

その中で1点、言葉が不足していた箇所について補足させていただきます。「課長らはどのように考えながら顔を出されていたのか甚だ疑問」と記しましたが、庁舎管理規則などに抵触しない限り、そのような集まり自体を否定するつもりはありません。現職の課長らが一個人の立場として参加している場合、そのことも私自身が強く非難しようとも考えていません。

あまのじゃくさんも心配されているとおり自治労などの組合活動に対しても、ブーメランとして戻ってくるような話となりがちな点を認識しています。したがって、今回の記述は竹原前市長や仙波氏らが職員やその組合に対して強要していたことが頭に浮かんでいたため、そのような過去の言動とどのように整合性をはかっているのか疑問に思ったところでした。

深い思慮の上なのか、単なるダブルスタンダードなのか、もしくは自分たちの行動は常に正しく、目的実現のためであれば何でも許されるという身勝手な理屈なのでしょうか。このような疑問が湧き上がっていたため、その一文につながっていました。1点だけと述べながら、長い一言になってしまいました。たいへん失礼致しました。

投稿: OTSU | 2011年1月24日 (月) 22時55分

問題は、参加の是非よりも、非公開の内部会議における市長の発言を私的集会で報告したことにあると思いますね。

守秘義務の問題でもありますし、伝え方もフェアではなく、信用失墜行為の問題にもなります。

後、課長としての立場を利用して得た内部情報を流すという点からすると、政治行為の禁止にも引っ掛かる気はします。

労働組合の行動とは、似て非なるものですから、ちゃんと峻別しないといけないと思います。

投稿: Thor | 2011年1月25日 (火) 05時49分

Thorさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

ご指摘のような面を掘り下げていくと、ますます問題視されがちな行為だと言えます。前市長の判断基準に当てはめれば、懲戒免職の扱いとなるのでしょうか。いずれにしても他者には厳しく、自らの言動には「甘い」という印象を持たざるを得ない方々だと思っています。

投稿: OTSU | 2011年1月25日 (火) 07時53分

人様の事を書いていながら、反論には答えない・・これを「卑怯者」と言うなり。

「裁判官の介入は民主主義に反す」との私の主張に対して「反していない」との反論をせずに、文句ばかりを言っている者を「正面から立ち向かえない者」と言うなり。

>「絵」は人を感動させてこそ「芸術」になるが如く、「知識」は人を動かしてこそ「論」になる。

では私も一句。
「サル」は木から落ちても「サル」が如く、「議員」は選挙に落ちても「議員」なり。

何故、この様な理屈がまかり通るかと言えば、「対象」の習性・属性を考慮する事なく、結論を自分の都合の良い場所に落とそうとしているからだ。そして、これを「ご都合主義」と言うなり。

私の場合は「勝手な解釈」を許さない代わりに、異論反論罵倒暴言・・何でも受け入れる。但し、倍返しの場合あり(笑)。

投稿: あまのじゃく | 2011年1月25日 (火) 10時26分

大変申し訳ないが、私の「公務員の私的な集会参加」に対するOTSUさんの更なる回答と本文を読み直しても、「何を非難している」のか、正直分からない。実は「誰を」非難しているかも、時々見失う。

若しも(参加した公務員に対して)「おいおい、仲間の和を乱すなよ」程度の話であれば、これ以上申し上げる事は無い。

投稿: あまのじゃく | 2011年1月25日 (火) 11時51分

mobileSEさん
私が常々、竹原氏やその支持者たちの言動に感じていた違和感を言葉にすると、正にあなたがおっしゃっているとおりです。
彼らは、昨日他者に対して罵詈雑言をあびせたことと同じことを、きょうは自分たちが正義だと言わんばかりにやっている。この感覚が、私にはまったく理解できません。

投稿: 元民間 | 2011年1月25日 (火) 12時37分

mobileSEさんへ

あなたの主観に私も同意します。加えて、

> 加えて、議論の通じない相手と話の理解できない相手にこれ以上時間を使う
> のを止めにするべきと思います。
> 時間を使う先を変えて、まだ議論の通じる余地のある相手と話の理解できる
> 余地のある相手に限定

上記にも賛同します。議論の通じる余地のあるの方々は、いい加減時間の無駄
と気づいて相手にするのを止めるべきなのでしょうね。

投稿: 組合嫌いの・・・ | 2011年1月25日 (火) 22時09分

あまのじゃくさん、元民間さん、組合嫌いの・・・さん、おはようございます。コメントありがとうございました。

あまのじゃくさんから「公務員の私的な集会参加」のご指摘ですが、回りくどい書き方や私の文章力の拙さから充分思いが伝わらず恐縮です。竹原前市長は、職員が組合活動として一定の政治的な意味合いのあった各戸へのチラシ配布などを強く批判していました。さらに市長だった時、自分の意向に職員は忠実に従うべきという考え方を強く示していました。面前服背も是とせず、思想や態度なども含めて服従させるような極端な姿勢が随所に見られていました。

それに対し、今回の現職課長らの集会参加は、その前市長の主張と真っ向から相反する行為だと感じていました。政治的な意味合いの強い集会への参加、自分の新しい上司である新市長を露骨に批判することなど、前市長を信奉している課長らや、その行為を咎めない前市長や仙波氏がどのように説明されるのか、率直に聞いてみたいものと思っていました。以上が私の素朴な疑問点でした。

投稿: OTSU | 2011年1月26日 (水) 08時14分

OTSUさんへ、阿久根では色々あったようですね。否、寧ろご自分の活動に対して様々な嫌がらせなどがあったのでしょう。
当然、公務外での活動は自由ですし、公務外に留まらず公務内での批判・提言などは必要欠くべからざるものです。
当然、(どのような時にあっても)私的な集会参加は認められるべきかと・・。
この問題に深入りされない方が宜しいかとも思います。蜘蛛の糸に絡まってしまうだけです。

同時に新市長は自ら決断すべきだ。人の話を聞いても聞かなくてもだ。準備が足りないだろうから時間をかけても構わない。
懲戒解雇が必要と思ったら、当然やるべきだし、その結果に裁判官が口出しすべきでもない。
自らの決断で市政を行い、その結果責任を堂々と問うべきだね。不作為などは重罪と知るべきだ。
しかし、竹原氏は日本の現状を憂えて、その為に活動しているのは間違いない。オッと、これは聞かなかった事にしてください(笑)。

しかし、面白い人達が多い。日本の将来を考えているとは到底思えない・・。

ある会社が毎年巨額な赤字を出している。経営方針が間違っている「から」、赤字を出しているのだ。

そこで、私が「どの経営方針が間違っており、それをどう直せば良いのか」を議論しようとしていると、「今までの経営方針はこうこうです」の話ばかり。そんな事は(とっくに)私も理解している。「考え方が反対です」と言っても、話が通じない。
最後には「議論が通じない」んだそうだ。しかし、そこだけは「全く同感」だね(笑)。(しかし、議論なんてしてたっけ?)

自分達が「裸の王様」だと早く気付いた方が良いよ。

日本の将来は大きく2つしかない。
自ら塗炭の苦しみを引き受けて改革を断行するか、国債価格の暴落を引き金に「日本が破綻するか」だ。
どちらの苦しみも同じようなものだが、自ら行うのと、単に流されるのでは、その後の展開は天と地ほどの違いがあるだろう。
・・・と言ってもみても分からんな。

投稿: あまのじゃく | 2011年1月26日 (水) 09時24分

久しぶりに見に来ました。

>ある会社が毎年巨額な赤字を出している。経営方針が間違っている「から」、赤字を出しているのだ。

>国債価格の暴落を引き金に「日本が破綻するか」だ。


マクロ経済の基礎も理解せずに、こんなこと言ってたってしょうがないでしょうね。

投稿: 黙考人 | 2011年1月26日 (水) 19時24分

あまのじゃくさん、黙考人さん、コメントありがとうございました。

現職課長らの集会参加問題は一つのエピソードに過ぎませんので、ご指摘のとおりこれ以上深入りしないようにします。

黙考人さん、お久しぶりです。黙考人さんのコメントは私自身、たいへん勉強になっていました。ぜひ、お時間がある時、これからも投稿いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2011年1月26日 (水) 21時46分

私の言葉に対して反応がありますが、異論・反論・主張ではないので、これにて終了。

集会の私的自由参加を非難すれば、その1万倍も自治労の政治家支援は非難されるでしょう。これらは原理原則に反し、未来の議論に繋がらないでしょうから書き込みました。誤解があればご容赦を。

投稿: あまのじゃく | 2011年1月27日 (木) 08時42分

あまのじゃくさん、いつもコメントありがとうございます。

実際に相対した会話の中でも、誤解し合う場面が頻繁にあります。そのような中で、文章を通した言葉のコミュニケーションは、よりいっそう難しいものがあるようです。それでも言葉を発信しなければ、分かり合える機会が訪れることもありません。

このように考えながら、このブログを続けています。今回のコメントも抽象的で、何を言いたいのか分かりづらいかも知れませんが、人それぞれの感じ方に委ねさせていただこうと考えています。なお、新規記事は唐突、もしくは意外な話題を取り上げる予定です。ぜひ、またご訪問いただけるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2011年1月28日 (金) 08時01分

自意識過剰なだけかもしれませんが、すご~く遠まわしにボールが飛んできたような気がするので私も少しばかし。

>正面に立たない意見だ・・・
正面に立ちましょうよ。相手は動いてないのにうんぬん。以前mobileSEさんという方が「私は経営者で成功している、お前は敗北者だ」宣言のあと捕鯨問題にまで脱線していきました記憶がございますがそのことをおっしゃっているのでしょうか?

>2つ3つ個人的な主観・・・
1つ目は貴方はデマと言うが本当なの?公務員年収の時はどなたかの意見を引っ張り出されてたようですが、私の問いにはお返事いただけて無いようでしたが。

2つ目はそのままお返しします。

3つ目は?
誰も感動しないと誰が決めるんでしょうか?誤解を恐れずに書きますが、「絵」ですよね。「絵」を誰かが書いた時点でその作者は自分の気持ちを表現したくて書いたのではないでしょうか?
貴方が感動しなくても「絵」が完成した後はその時点での作者の作品ではないでしょうか?芸術かどうかは貴方が判断すればいいことですがそれを周りに押し付けることではないですよ。
(人を動かす)というあなたの言葉には私は未だ微動だにできないようです。

元民間さん、組合嫌いの・・・ さん、私の記憶では上記回答ですが上記については議論するのが無駄なテーマと思いつつ書いてしまいました。私の記憶違いがございましたらご指摘いただければと思います。


黙考人さん、マクロ経済の基礎からどうしてそのような発言になるのか教えてほしいです。

投稿: 青二才 | 2011年1月29日 (土) 00時07分

青二才さん、おはようございます。コメントありがとうございました。

他の方へのお尋ねもあったようですが、皆さんが必ずしも今回記事のコメント欄に再び目を通されるとは限らないことを見込まなければなりません。また、「後は読み手の解釈にお任せします」という言葉もあったようですので、質問という形は控え、そのコメント内容に対して「私はこのように感じる、納得できない」というような感想に絞られるほうが適当であろうと思っています。

私自身のこだわりとしては、それぞれのコメント内容に対し、読まれた皆さんがどのように受けとめられるのか、不特定多数の皆さんを意識した言葉の競い合いが大事であるものと見ています。ただ誤解がないよう一言添えさせていただきますが、決して常に投稿者同士の質疑や議論を否定している訳ではありません。テーマやケースによって、その都度判断すべき幅があるように感じています。ぜひ、このような趣旨や実情について、ご理解いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2011年1月29日 (土) 06時55分

私は、今話題になっている方は頭も良いし、正直だし、本当に感じた事を書いているのだろうと思います。
しかし、明らかに人様の事を書き込んでいながら「(その人からの)リプライを無視する」のは、「その方」の評価を下げるだけかと・・、老婆心ながら。【何故、この部分だけ英語なんでしょうかね?やはり本人も(無視する事は)不本意なのかも?笑】

昔マルクスという男がいた。産業革命に伴う巨大資本の誕生と、それから搾取・疎外される労働者を憂え、経済学を立ち上げた。
世界の半分はそれを信じ、半分は自由経済を信じながらも何れはマルクスの言った様になるかも・・と疑いながら両者は対立した。
夢の世界を追い求めた人達は、ある日目が覚める。経済学通りにはならない!!・・と。

理由は簡単だ。人間は「半分しか」合理的に行動しないからだ。経済学とは、その程度のものだ(笑)。

投稿: あまのじゃく | 2011年1月29日 (土) 09時25分

正確に書き直す。
マルクスを信じた・・というより、彼の経済学を権力闘争の道具として使った・・が正確な表現だろう。

それと同じ事が日本でも起きる。
ケインズが「景気が悪化したら、公共投資を呼び水としなさい」言ったのを拡大解釈して「公共投資だけで生活」してきた。

あの時の「いかさまケインジアン」はケインズを信じた・・と言うより、ケインズを「金儲け」と「自分の人気取り」の手段に使った・・が正確な表現だろう。
そして、それを疑うことなく信じた・・と言うより、一部の連中の横暴に関心を寄せなかった「市民」に、その膨大な借金は降りかかり、日本を破綻に追いやっている。

そろそろ「王様は裸だ!」と言わなくて良いのかね?

投稿: あまのじゃく | 2011年1月29日 (土) 10時48分

あまのじゃくさん、いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

日本対オーストラリア戦を観ながらパソコンに向かっています。夜のうちに投稿できる新規記事は「チュニジアの政変」というタイトルです。唐突な話題転換だと見られるのかも知れませんが、自分なりの思いを託した内容です。いろいろなご批判も寄せられるものと覚悟していますが、ぜひ、また貴重なご意見や感想をお寄せいただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2011年1月30日 (日) 00時49分

青二才さん

>黙考人さん、マクロ経済の基礎からどうしてそのような発言になるのか教えてほしいです。

政府の赤字は悪では無いし、経済の中でのバランスに過ぎないということですよ。
それと、日本の場合自国通貨建て債務が大部分なのだから、破綻ということは考えにくいと言うことです。

投稿: 黙考人 | 2011年2月 1日 (火) 22時24分

私は去るが、一言。

>赤字は悪ではない
○赤字が自家薬籠中の物であれば、その通りだ。

>債務の自国通貨建て?・・・債権者が日本国内法の範疇・・という意味だと解釈して。
○対外債務不履行を「破綻」と呼ぶのなら、その通り。借金棒引き法案を1つ通せば、借金問題は全て解決する。しかし同時に日本を動かしている主要な「機構」は殆ど破壊されるだろう。

○何時まで借金が出来るか?答えは『こいつにお金を貸しても、利子を付けて返してくれるだろう・・と信用しているまで・・だ』
それが「明日」では無いという保証は何一つ無い。

投稿: あまのじゃく | 2011年2月 2日 (水) 10時27分

青二才さんからのレスは無いようなので。

>赤字が自家薬籠中の物であれば、その通りだ。

自分の思い通りになるかならないかということと、善か悪かという話は別物。
多くの人が、好景気で財政が豊かなのを望むとは思うが、現実は不景気で、民間部門が資金を余らせているんだから、そのバランスで財政赤字が拡大するのは、別に悪じゃない。

>借金棒引き法案を1つ通せば、借金問題は全て解決する。

日本経済のバランスを崩しているデフレがそのままである限り、一度借金がチャラになってもまた財政赤字は拡大せざるを得ないので、借金棒引きしたところで借金問題、と言うか経済のアンバランス問題(デフレ問題)は解決しない。

>それが「明日」では無いという保証は何一つ無い。

詭弁のガイドライン
第3条 自分に有利な将来像を予想する
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」

ちなみに、誰かがそんな保証をしたわけでなくても、依然国債に対する需要は高い。

投稿: 黙考人 | 2011年2月 7日 (月) 01時28分

レスするかは迷ったが、私宛なので・・。言葉は穏便に・・(笑)。

>>>赤字は悪ではない。
>>赤字が自家薬籠中の物なら、その通りだ。
>思い通りになるかと、善悪は別。

「赤字が自家薬籠中の物では無い」とは「実質破産」の意味だ。破産が悪では無いと思うのなら、その通りだ。

>>借金棒引き法案で、借金問題は解決する。
>デフレ云々・・経済の問題は解決しない。

私の論旨は「借金棒引き法案で借金は無くなるが、日本の(社会)問題は何一つ解決しない」ですから、黙考人さんの指摘は反論ではありません。だから同意する。

尤も「デフレ」などは小さな問題で、真の問題は「社会構造」です。これを改善する事が大事。
貨幣の価値など凧と同じで、上がったり下がったりするものです。インフレにしか適応していない社会構造が(真の)問題なのです。
少子化も同じ。人口増加にしか適応していないのが(真の)問題。

こう書くと「借金額とデフレ」を絡めるかもしれませんから、今の内に書いておきます。『だから早く借金を返せ』。

>>国債価格の暴落が明日で無い保障は無い。
>これは、自分に有利な予想に基づく「詭弁のガイドライン」だ。

江戸幕府が大政奉還して消滅するなど、「その1年前」には誰も想像しなかっただろう。
残念ながら、『国債価格が「今まで通り」安定しているだろう』・・という「自分に有利な確信」という意味で、その(詭弁のガイドラインとの)指摘は寧ろ「あなた」に当てはまるのでは?

書き込むつもりは無かったけど、私宛だけには返事をします、悪しからず。

投稿: あまのじゃく | 2011年2月 7日 (月) 09時13分

黙考人さん、あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

横レス(?)のような形となりますが、今回の問題に対する私自身の考えは以前の記事の中で綴っていました。参考までにそれらの記事を改めて紹介させていただきます。

2010年3月27日(土) 司、司の責任
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2010/03/post-0d40-1.html

2010年7月25日(日) なるほど、国の借金問題
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2010/07/post-a965.html

2010年8月8日(日) 国債問題に対する私見
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2010/08/post-aacf.html

投稿: OTSU | 2011年2月 8日 (火) 07時47分

管理人様ご苦労様です。

黙考人さん、レスありがとうございました。
実は頂きましたレスがマクロ経済の基礎というレベルなのか、それとも詭弁なのか躊躇しておりました。

1990年バブル崩壊後歴史上20年もこれほどの低金利が続いている国は無いのではないですか?
これだけの長期間低金利が続けられたのは自国通貨建てだからでしょう。
でも、国債に対する需要は高いって本当ですか?
資金運用するにあたって現状選択せざるを得ないからではないでしょうか?
通常は金利が低いと借り入れコストは減るから株式市場への資金シフトが起こると習いました。
しかしそれも起こらず、ある意味日本国への信頼すら薄らいでいる故キャッシュ以上に安全な国債のニーズが高く見えているだけでしょう?
国への信用が無いのにその国の国債が低金利で発行されるなんて背反してるように見えて成り立ってきたこの20年。
それこそデフレの原因だと思いませんか?
つまり立法、行政、司法の見せかけの裏に別な社会が見えてきたのだと思います。
一般人は税金は安いに越したことはないと思い、税金を使う側の人間は必要とする一般人が居るのだからしょうがないと言う。
便利になれば失うことが裏にあるのに見ようとしてこなかった一般人も悪いともいます。
しかし、選挙で選んだ一般人が悪いと反対側の人に言われるのは違うと思いますよ。

一般企業で売り上げが落ちたら自分たちの給料減らしてそれでもだめなら従業員を減らしましょうなんて自分たちで管理できる企業なんて見たことありません。

それができるほど公務員の方々は賢いなら何も申しません。借金減らして国の信用が回復すれば自ずとデフレも改善されるでしょう。
「負けるが勝ち」と昨年書いた記憶がありますが、組織にそれを求めるのは不可能だと思いますがいかがでしょうか?

投稿: 青二才 | 2011年2月13日 (日) 12時36分

>「赤字が自家薬籠中の物では無い」とは「実質破産」の意味だ。破産が悪では無いと思うのなら、その通りだ。

日本が財政赤字という事実と、それが実質破産と言えるかどうかは全然別物。
破産だと言うなら、その根拠を(経済学的な論拠を持って)示すべき。

>私の論旨は「借金棒引き法案で借金は無くなるが、日本の(社会)問題は何一つ解決しない」ですから、黙考人さんの指摘は反論ではありません。だから同意する。

私の言っているのは、たとえ借金がチャラになっても経済のアンバランス問題が解決しない限り借金問題も解決しないということなので、「借金棒引き法案を1つ通せば、借金問題は全て解決する。」という趣旨とは違うと思います。

>インフレにしか適応していない社会構造が(真の)問題なのです。

デフレ容認、あるいは経済成長否定の経済学があるのですか。
そういう経済学があるのなら、示してください。

>こう書くと「借金額とデフレ」を絡めるかもしれませんから、今の内に書いておきます。『だから早く借金を返せ』。

借金を返したところで、民間部門の資金需要不足というマクロ経済環境が変わらない限りは新たな借金を産むだけ(ISバランス)。
だから借金棒引き法案とか、早く借金を返すとか意味ないです。

>江戸幕府が大政奉還して消滅するなど、「その1年前」には誰も想像しなかっただろう。
残念ながら、『国債価格が「今まで通り」安定しているだろう』・・という「自分に有利な確信」という意味で、その(詭弁のガイドラインとの)指摘は寧ろ「あなた」に当てはまるのでは?

私は、何の根拠も示さずに「破綻ということは考えにくい」と言っているわけでは無いので。
日本の国債に対する信用が崩れるのが「明日では無いという保証は何一つ無い」と言うのなら、そうなる蓋然性が充分高いということについて、(それなりの経済理論に基づいて)示すべきでは。
そういう論拠を示さずに「明日では無いという保証は何一つ無い」と言うのは、「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」と言っているのと同じ。

投稿: 黙考人 | 2011年2月15日 (火) 02時09分

>1990年バブル崩壊後歴史上20年もこれほどの低金利が続いている国は無いのではないですか?
これだけの長期間低金利が続けられたのは自国通貨建てだからでしょう。

そうだと思いますよ。

>でも、国債に対する需要は高いって本当ですか?

需要が高いから低金利なのですよね。需要が低ければ金利は上がります。
もし需要が低いと言うなら、低いと言える根拠を示してください。

>資金運用するにあたって現状選択せざるを得ないからではないでしょうか?

現状選択の状況と、現実に需要が多い少ないという事実は別問題です。

>通常は金利が低いと借り入れコストは減るから株式市場への資金シフトが起こると習いました。

株式市場へ投資するリスクとリターンを比べて、期待できるリターンが多いと見れば投資するんじゃないですか。

>しかしそれも起こらず、ある意味日本国への信頼すら薄らいでいる故キャッシュ以上に安全な国債のニーズが高く見えているだけでしょう?

政府への信頼が薄まれば、国債へのニーズは下がります。

>国への信用が無いのにその国の国債が低金利で発行されるなんて背反してるように見えて成り立ってきたこの20年。
それこそデフレの原因だと思いませんか?

信頼のない国の国債は高金利になります。

>一般企業で売り上げが落ちたら自分たちの給料減らしてそれでもだめなら従業員を減らしましょうなんて自分たちで管理できる企業なんて見たことありません。

政府と企業は役割と性質が違います。

>それができるほど公務員の方々は賢いなら何も申しません。借金減らして国の信用が回復すれば自ずとデフレも改善されるでしょう。

デフレギャップは、国債残高が右肩上がりで積み上がっている中でも、改善したり悪化したりしています。

>「負けるが勝ち」と昨年書いた記憶がありますが、組織にそれを求めるのは不可能だと思いますがいかがでしょうか?

私は青二才さんの書込みをフォローしてはおりませんのでよくわかりません。

それと、私は今回はここで経済理論をベースにして話を進めたいと思っています。
経済理論に基づかない、個人のモラルや道徳心を経済の話に交える議論は、そういうモラルや道徳心を共有する者同士では有益でしょうが、共有しない者同士では議論が混乱しますので、ご配意ください。

投稿: 黙考人 | 2011年2月15日 (火) 02時13分

黙考人さん、早速のレスありがとうございます。

私の浅はかな経済知識ではどうしても理解できないのですが
>現状選択の状況と、現実に需要が多い少ないという事実は別問題です。
何故別問題なのでしょう?需要ではなくキャッシュのリスクがある以上現状の中でのやむを得ずの選択という需要はあるはずです。

>政府への信頼が薄まれば、国債へのニーズは下がります。
自国通貨建てとあなたが指摘している通りで円キャッシュポジションがある以上やむを得ずの選択で買われる国債は諸外国の場合ほど金利を上げる必要はありませんよね。
他国通貨建ての借金ならカントリーリスクに応じて金利を上げざるを得ないでしょうが自国通貨建てなら上記やむを得ずの選択ニーズのせいで金利を上げなくても販売されるのです。
そもそも現状国債は純粋な投資ニーズが高いから金利が低いとでも言われるのでしょうか?
株式市場のリターンが多くないとみなされる現状の理由は?企業は借金を返済して大企業ほど潤沢な資金を持ち、投資しない理由は?
日本がデフレから脱却できないとみているからではないでしょうか?

そして、政府への信頼が薄まれば・・・
1年ごとに総理が変わる国に対して本当に信頼されているとは誰も思っていないでしょう。
それは「円」というものに対してだけで、元は紙切れなのですから実は政府に対する信頼より脆いものだと思います。
何故「円」という紙切れに対して信頼をというと、黙考人さんが言われる自国通貨建て借金だからだと思いますよ。(今までは)
上に書かれた「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」「誰かがそんな保証をしたわけでなくても、依然国債に対する需要は高い。」はそんな危うい信頼と過去他国が経験したことのない自国通貨建て借金バブルで20年低金利が続いている偶然のバランスの中で綱渡の糸の上にあるも同然と私は思います。

そしてデフレ脱却のためには国や地方公共団体の借金を減らさない限り絶対に不可能だと思いますし、その限界がいつ来てもおかしくないと私は思ってます。

投稿: 青二才 | 2011年2月15日 (火) 03時56分

黙考人さんから私宛に書き込みがあるので答えます。
残念ながら黙考人さんは論理が逆であり、同時に(既成の)固定観念が見受けられ、それが議論を妨げている。以下は(簡単な)説明

>破産と言うなら、その根拠を経済学的に示すべきだ。

国債は「返すべき物」です。従って「返せる根拠」が必要です。返せる根拠(予想?計画?)を持った借金を「自家薬籠中の借金」と呼びます。
ですから、常にボールは「あなた」の側にあるのです。それが示されない限り「破産」と考えるのが普通です。・・つまり論理が逆です。

まあ、「否定の証明」は「悪魔の証明」と言いますからね(笑)。
尤も、借金を返そうとすると、相当な惨状が我々を待っている「証明」位は出来そうですが、長くなるので省きます。
又、国債の国内調達を「返せる根拠」にすると、話がこじれますのでご了承ください。

それと借金が継続できるかは「経済理論」ではなく、「貸しても返してくれそうだ」という貸し手の「主観」で決まるものです。
世界中を幻惑したマルクスでさえ、「半分だけは当たってたな」程度の話だから、経済学など競馬の予想屋と知るべきでしょう。

>デフレ容認、或いは経済成長否定の経済学があるのなら示してください。

経済学の目的は「成長」ではありません。又、「経済の成長=人間の幸せ」の方程式は、産業革命に端を発した文明にのみ見受けられる特徴です。
残念ながらこのような固定観念が将来の日本に寧ろ「邪魔」になっている。
同時にそのような社会構造が問題の解決を阻んでいる。

>民間部門の資金需要不足・・云々

このような書き込みにも同様の傾向が見受けられる。
民間の資金は「需要と供給」のバランスで決まる。あなたの発想は常に「需要を固定」しているのです。
つまり「こんな生活、こんな仕事をするにはこれ位のお金が必要だね」って需要を「固定」してしまっている。
だから何時までも「出口」が見えない。このままでは永遠に見えないだろう。

(黙考人さんの書き込みの)残りの部分の説明は不要でしょう。あくまでボールは「あなた」です。

私も最後に申し添えておきますが、「今まではこの方法で上手くいった」という話は、私とは全く噛み合いませんのでご配慮ください。

投稿: あまのじゃく | 2011年2月15日 (火) 10時02分

少し分かり難い話なので補足。
民間の資金「需給バランス」と借金返済の関係について。

今までは「今までの幸福論」に従って「民間資金需要」を固定し、それに「資金供給」を合わせようとしました。
その需給ギャップの総額が「1000兆円」の借金です。

こんな悲惨な事になったのは「今までの発想や考え方が悪い」と結論付けるのが普通です。

これに対して私は次のように訴えている。
借金を返す事で「固定した発想、考え方」を改め、新たな社会構造を作るべきであり、同時にこれが将来の日本人を救う唯一の方法である。

「発想や考え方が変われば、借金を返せるから、発想を変える方に重点を置くべきだ」と思っている「あなた(特定の人ではない)」は間違いです。人間は痛い目見なきゃ、何時までも分からんもんだ。

これに対する反論でなければ、答えようがありませんので悪しからず。

投稿: あまのじゃく | 2011年2月15日 (火) 10時41分

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