チュニジアの政変
少し前の記事「リーダーシップのあり方は?」や前回の記事「市長選後の阿久根市」のコメント欄で、民主主義に対する様々な意見が示されていました。それらのコメントに接する中で、人によって、それぞれ思い入れや描いている姿が違っていることに気付く機会となりました。それはそれで興味深い話でしたが、自分自身のおさらいのためにも改めてウィキペディアで調べてみたところ、民主主義に関しては次のように記されていました。
民主主義または民主制または民主政は、いずれもデモクラシー(democracy)の日本語訳で、ある集団で構成員の全員または全体が権力者であり、集団全体の意思決定は構成員間の合意により行なうという思想・原則・政治体制である。歴史的に多様な意味で使用されており、それぞれの意味に応じて対比語は寡頭制、君主制、貴族制、独裁、専制、権威主義などである。
やはり私自身も民主主義の対比として、独裁政治が真っ先に思い浮かんでいました。ちなみに外部から見れば独裁政治が明白でありながら、「自分の国は独裁制だ」と言い切る国は少ないはずです。言うまでもありませんが、国民の多くが独裁だと思っていても、口に出せないのが独裁政治の特徴となっています。中には民主主義を国名の一部に標榜していながら、権力を世襲するような論外な独裁国家も存在しています。
独裁の度合いは国によって異なり、そもそも軍事クーデターなど力ずくで権力を握る事例がある一方、民主的な選挙によって生み出された独裁者も少なくありません。国家元首に位置付けられる大統領などに就任した後、徐々に独裁色を強め、最高権力者の座を私物化してきたケースも多く見られていました。憲法で任期が定められていながら、自分自身の独裁的な権力を手放したくないため、都合よくルールを変えていく事例も決して珍しくありませんでした。
初めのうちは民主主義で選んだリーダーであるものと信頼していたとしても、途中から国民がおかしいと感じ始めた頃には、言論統制、情報操作、秘密警察による国民監視など、恐怖政治によって簡単に後戻りできない社会に変容している場合があります。また、「国民の生活は二の次」となる独裁国家では理不尽なデノミはよくある話で、国内における債務の踏み倒しなどもお手の物と言えるのではないでしょうか。
先ほど「外部から見れば独裁政治が明白」と記しましたが、最近の政変で注目を集めた北アフリカのチュニジアは、少し様相が異なっていました。首都チュニスの町並みは西欧的な美しさがあり、人々の生活ぶりは西欧と変わらない自由闊達な空気が満ちていたように見られていました。観光立国であり、年間800万人もの観光客が訪れているほどでした。さらにチュニジアはイスラム諸国の中では穏健で、経済状態も良好な国であるものと位置付けられていました。
しかしながらチュニジアの場合、23年間に及ぶベンアリ前大統領の長期政権のもとで、外部からは見通し切れない国民の不満や憤りが蓄積していたことも確かだったようです。年間8万人以上の大卒者のうち2万人から3万人が就職できないという高い失業率の中、免許なしで野菜などを販売していた青年が逮捕されました。その青年は逮捕に抗議し、焼身自殺をはかりました。この事件が引き金となり、食品物価の高騰、大統領一族の腐敗、政治的抑圧などに反発心を抱いていた国民の怒りが一気に爆発しました。
言論の自由がない独裁社会の中で、運動の組織化や宣伝にはインターネット、特にフェイスブックが大きな力となり、反政府デモのうねりが高まっていきました。ベンアリ前大統領は、次の大統領選に立候補しないことを表明しましたが、とても国民の怒りは収まる状態ではなく、亡命せざるを得なくなったようです。1月14日、サウジアラビアに亡命し、23年間にわたった独裁体制が崩壊しました。後日、前大統領が国外脱出に追い込まれた理由として、次のような出来事も知り得ることになりました。
反政府デモが全土に拡大する中、チュニジアのベンアリ前大統領が政権の維持をあきらめ、国外に脱出したのは、陸軍トップが引導を渡したためだったとの見方が広がっている。駐チュニジア大使も務めた元仏軍幹部が、仏紙パリジャンに政変の内幕を明かした。「あなたはもう終わりだ」 デモの激化に危機感を募らせたベンアリ氏が陸軍のラシド・アマル参謀長にデモ参加者への発砲を命じたところ、参謀長は拒否し、こう告げたという。
これで、情勢挽回への頼みの綱を失ったと判断し亡命に踏み切ったようだ。デモ弾圧を続けた警察とは対照的に、国民の間にも「軍が見限ったおかげで政権が崩壊した」と軍の判断をたたえる声が多い。治安維持のため首都の各地点に配備された戦車には感謝の意を示す花束が置かれている。【読売新聞2011年1月21日】
唐突な話題転換と見られてしまう今回のような内容を綴ろうと思った切っかけは、実は上記の新聞記事に目が留まっていたからでした。独裁政治と民主主義社会は比べるまでもなく、普遍的な評価は定まっています。したがって、今回の記事で今さら独裁制の問題点を強調しようと考えた訳ではありません。大統領の命令を拒否した参謀長の判断に対し、少し自問自答しながら自分なりの思いを巡らしてみます。
軍隊において上官の命令に絶対服従することは国の政治体制にかかわらない共通のルールとなっています。また、定められたルールを守っていくことが民主主義の基本であることも間違いありません。その意味で言えば、参謀長はルールを破りました。しかし、流血の事態を回避させ、圧倒多数の国民から称賛される行為であり、もちろん私自身もその判断に深く敬意を払っています。
それでは目的や結果が良ければ、個々人の判断で勝手にルールを破って良いのかと問われれば、基本的には「否」と答えることとなります。やはり原則はルールを守り合うことであり、参謀長が置かれたような緊迫した局面だった場合のみ、例外的に破ることが認められていく話だと考えています。もともと法律の中でも緊急避難という概念があります。緊急避難とは違法行為であっても、一定の条件のもとに違法性を阻却され処罰されないというものです。
そもそも普段からトップに対して「駄目なものは駄目」と言えるのが民主主義社会の素晴らしさであり、独裁を阻止していく様々な仕掛けが築かれ、国民の一票一票によって政権交代も実現できるのが現在の日本です。チュニジアの政変の火種は周辺の国に広がりつつあり、エジプトのムバラク政権を大きく揺るがしています。はるか遠く離れたこの日本を振り返った時、政権に対する国民からの不満が高まっていることも確かです。それでも「革命」的な発想で、現政権を力ずくで倒そうと考えている国民は極めて少数ではないでしょうか。
さらに公務員や官僚が倒すべき対象なのか、ことさら敵対視される存在なのか、当事者が訴えても説得力が乏しいのでしょうが、私自身はそのように考えていません。職業選択の自由が保障されている中、固定化された身分制度という見方も当てはまらず、賃金水準など現行制度に問題点が認められるのであれば、定められたルールの中で改めていけば良いはずです。チュニジアの話題から強引な展開だったかも知れませんが、最後の一言として、このような思いにつなげさせていただきました。
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