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2010年12月25日 (土)

2010年末、気ままに雑談放談

「光陰、矢の如し」という言葉がありますが、2010年も残りわずかです。よく年を取ると1年の経つのが早く感じると言われています。このように考えれば、当たり前なことかも知れません。1歳を迎えた赤ちゃんにとって、1年間は人生のすべてです。10歳の子どもにとって、1年間は人生の10分の1の長さとなります。50歳を超えるようになれば、1年間は人生の中で50分の1の割合でしかありません。このように考えると体感速度(?)の差は、年齢によって歴然としてくるのだろうと思っています。

さらに年を重ねると、昨年と今年1年間に大きな変化がなくなりがちです。昨年の延長に今年があるようなマンネリ化も目立ってきます。それでも今年は5月に新庁舎へ移転するなど、それなりに印象に残る1年だったと言えます。そのような話を逐次振り返っても、閲覧されている大半の皆さんは読み飛ばすのだろうと見ています。前回の記事は「年明けに阿久根市長選 Part2」でしたが、前々回に比べると一転して数多いコメントをお寄せいただきました。

そのため、今回も阿久根市絡みの記事で臨もうかどうか少し迷いました。来年1月16日の阿久根市長選前後には改めて取り上げることになるはずですが、今回は記事タイトルのとおり雑多な話題を気の向くまま綴らせていただくつもりです。「雑談放談」はブログのザブタイトルにも掲げていました。「雑談」は様々なことを気楽に話し合うこと、「放談」は言いたいことを自由に語ること、このように電子辞書には記されています。

したがって、「雑談」の前に「気ままに」という言葉を置くのは余計なのかも知れませんが、語感や字句の並びから、あえて添えていたところでした。このような調子で「気ままに」書き進めていきますので、お時間が許される場合は「気ままに」お付き合いください。思い起こせば1年前、昨年末の記事は「2009年末、改めて当ブログについて」でした。普段以上に長い文章で、気負った切り口で綴っていました。その時に比べると、今回、たいへん気軽な気持ちでキーボードを叩いています。

ただし、あまり気楽さを強調していると、不謹慎だというお叱りを受けかねません。世相の暗さは相変わらずであり、私たち公務員やその組合に向けられる視線の厳しさも常態化している現況です。今朝、読売新聞の一面には「借金頼み 限界予算」という文字が躍っていました。国の2011年度予算案が決まったことを伝えていましたが、一般会計92兆4166億円で、国債は過去最悪だった前年度並みの44兆2980億円に及んでいました。

当初予算としては2年連続で借金が税収を上回る異常事態であり、借金と「埋蔵金」などの税外収入に頼った国の財政運営が限界に達していると書かれていました。これまで「なるほど、国の借金問題」「国債問題に対する私見」という記事の中で、国の借金は必ずしもゼロにしなくても大丈夫であるという見方などを紹介してきました。しかしながら無原則に総額そのものを膨らませていくことの危うさも指摘していました。その意味で、「限界予算」という見出しは的を射たものと言わざるを得ません。

早いもので民主党中心の政権が実現し、1年4か月が過ぎようとしています。1年ほど前には「卵が先か、鶏が先か?」という記事を綴り、マスコミの論調の移り気を問題視していました。高い支持率の政権に対しては強い批判を加えず、支持率が下降線に向かうと途端に重箱の隅をほじくるような批判の多さに悩ましさを感じていました。その上で、記事タイトルには「マスコミが世論を作るのか、世論がマスコミの論調を決めるのか」という意味合いをこめ、当時の民主党政権に対しては同情的な見方を示していました。

その後、鳩山政権末期の迷走ぶりに失望し、菅首相の誕生には改めて大きな期待感を膨らませていました。しかし、最近では「マスコミに批判されても仕方ないことばかり」という歯がゆさも強まってきました。毎年、組合員の皆さんの自宅へ機関紙の新年号を元旦に届くように郵送しています。その中の挨拶文で「応援してきた労働組合の立場からは、単に批判を強めるのではなく、それぞれのパイプを活用し、至らない点を補強していく意味合いからの率直な対話が必要であるものと考えています」と記していました。

批判することで物事が好転していくのであれば、それも一つの方策です。しかし、与党政治家に直接訴える場があるのであれば、建設的な意見を投げかけていくほうが得策だろうと思っています。また、そのような努力を重ねることが、組合員の皆さんに対する組合役員の責任と役割だと受けとめています。このように考えていた土曜の午前、連合の古賀会長が呼びかけ、菅首相と小沢元代表との話し合いの場が持たれたというニュースに接しました。

古賀会長からは「党の結束」を訴えましたが、菅首相と小沢元代表が言葉を交わすことも少なかったようです。残念ながら結果は出せませんでしたが、連合としてそのような動きを作ったこと自体を評価しています。どうしても「雑談放談」とは言え、気ままに書き進めていくと、なかなか長い記事となってしまいます。取りとめのない内容で恐縮でしたが、このあたりで2010年最後の記事は終わらせていただきます。

最後に一言。コメント欄への投稿があった場合はお答えしていく機会も出るはずですが、記事本文の更新は今夜が最後となります。この1年間、多くの皆さんにご訪問いただきました。本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。ちなみに次回の更新は、例年通り元旦を予定しています。ぜひ、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは良い年をお迎えください。

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2010年12月19日 (日)

年明けに阿久根市長選 Part2

最近、コメントの数が減っていました。もともとローカルな話題の時は少なくなる傾向をたどっていましたが、前回の記事は「年明けに阿久根市長選」でした。鹿児島県にある一自治体のローカルな話と言えばその通りですが、竹原市長の誕生以降、阿久根市は全国的に注目されるようになっていました。このような解説さえ無用なほど、阿久根市の動きは頻繁にマスコミの紙面や映像でも取り上げられていました。

これまで当ブログにおいて、阿久根市の話題を直接取り上げた記事だけでも12回を数えていました。それらの記事のコメント欄には、ほぼ間違いなく竹原前市長の言動に対する評価を巡って、たいへん多くのご意見が寄せられていました。ちなみに最近、アクセス数そのものが減っている訳ではありません。逆に阿久根市絡みのニュースが全国ネットで流れた日など、このブログのアクセス数は急増していました。

アクセス数は普段1日千件前後で推移していますが、阿久根市で何かあった日などは簡単に倍増し、過去には1万件を超える日が出るほどでした。GoogleやYahooなどの検索サイトから「阿久根市」「竹原市長」という阿久根市関連のワード検索した際、この「公務員のためいき」の記事を上位で見つけることができます。そのため、阿久根市が全国的に注目を集めると、それに連動して当ブログのアクセス数が増える関係性となっていました。

したがって、先週も決してアクセス数が減っていた訳ではなかったため、結果的にコメントしづらい記事内容だった、もしくは阿久根市に関しては様々な意味で「もう言葉がない」という現況なのでしょうか。このように書き進めていくと、皆さんからの積極的なコメント投稿を懇願しているように受けとめられるのかも知れません。確かに幅広い立場や視点からのご意見は非常に貴重なことですので、そのような思いを否定するつもりはありません。

ただブログを続ける上で、こちらからの主張の発信が「主」であり、コメントをいただけることは付加価値的な「従」であるものと考えています。アクセス数の話を紹介しましたが、毎日、このブログへ多くの方々が訪れてくださっていることをココログのアクセス解析機能から把握できています。つまりコメント投稿の有無にかかわらず、「支持率1%でも」の言葉ではありませんが、一人でも閲覧されている方がいらっしゃる限り、そのことを励みにブログは続けていくつもりです。

今回も前置き的な話が長くなりました。たいへん恐縮ながら自分自身、書きたいことを書くのが長続きの秘訣だと思っています。そもそも常連の方でも、このような前置きや興味のない文章は読み飛ばしているはずです。「日記」をカテゴリーとしたブログでは異例の長文であることが一部で不評を買っているようですが、このスタイルを今のところ変える気はありません。ぜひ、このような性格のブログであることをご理解いただき、お付き合いくださるよう改めてよろしくお願いします。

さて、前回の記事タイトルに安直な「Part2」を付けさせていただきました。やはり私自身の中で年明けの阿久根市長選に向け、もう少し書き連ねたい言葉が残っていたからでした。前回の記事では市職員や市議の年収を切り下げ、手数料の引き下げや減税が歓迎されるのは当たり前であり、竹原前市長を支持する方々が多いことは決して「意外ではない」と綴っていました。その上で、来年1月の阿久根市長選では、竹原前市長の勝ち抜く確率が高いことを危惧していました。

要するに3回目の当選を果たすことで、目的を実現するためであれば手段は選ばないという竹原前市長の手法が許され、全国に波及していくような事態は絶対避けたいものと考えていました。このような見方などを書き込み、今回の記事に至っています。それでは対立候補に名乗りをあげている西平良将さんが勝機を見出すためには、どうすべきなのか、個人的な願望を中心に書き進めてみようと思っています。

市長リコール委員会の監事だった西平さんは「対立だけでは何も生まれない」と訴えていますが、本当にその通りです。一方で、竹原前市長の残した結果から恩恵のみを感じている阿久根市民の皆さんが大勢いらっしゃることも確かです。その方々からすれば、「対立しても何を残してくれるのかどうか」が肝心だと述べられるはずです。したがって、「対話の中から何を生み出すのか」という具体的なメッセージを西平さんらの陣営が打ち出せるのかどうか、その点が非常に重要なポイントになっていくものと見ています。

この「何を」に関しては、当事者ではなく、住民でもない者がアレコレ並べ立てるのは適切ではありません。そのため、竹原前市長の手法に疑念を抱いている一人としては、次の2点を強調して欲しいものと願っています。まず竹原前市長は今のところ「何も残していない」という点が一つです。職員らの賞与半減や議員報酬の大幅引き下げの専決処分など、すべて違法性が問われているため、訴訟を起こされれば修復されていく案件であることが明らかです。

対立の中から強行した多くの施策も同様であり、元に戻った後の混乱やリスクは結局、阿久根市民の皆さん一人ひとりが負うことになりかねません。先ほど具体的な「何を」は並べないと記しましたが、西平さんが当選できた際は「これまでの軋轢は白紙にして出直そう」という訴えも欠かせないものと感じています。スタート地点に戻すことを基本としながらも、それまでに強いられた不利益は放棄するという支援する側の覚悟を前面に出すことも選択肢の一つなのかも知れません。

その上で、正当な労使交渉を通して改めて職員の賃金水準などを見直していく、議会での議論を通して議員報酬のあり方などを決めていく、さらに財源の見通しが立つのであれば手数料の値下げなども継続する、このような「白紙」は住民の皆さんにとっても歓迎されるのではないでしょうか。一方で、竹原市政が続くようであれば、違法なものは違法であるため、訴訟リスクがつきまとい、その意味合いから「何も残していない、何も決めていない」という点を強調すべきだろうと考えています。

次に望む点ですが、「政策のバーゲン」や「行革のダンピング」は避けて欲しいものと願っています。今回の阿久根市長選に限った話ではありませんが、有権者向けに口当たりの良い政策が羅列される傾向を憂慮しています。普通に考えれば、誰もが税金など安ければ安いに越したことなく、「低負担・高福祉」が実現できれば申し分ありません。そのように簡単な社会ではないため、優先順位を付けていくのが政治の責任だと理解しています。

しかしながら政策のバーゲンセールとなる傾向が否めず、財源捻出の手段である行革の柱として公務員人件費などがダンピング競争にさらされがちでした。複数の中から一人だけ選ばれる首長選挙、当落がすべての面でオールorナッシングとなります。そのため、高収入を目的に首長をめざす候補者は稀でしょうから、自らの報酬や退職金の減額が公約に掲げられがちです。

悩ましいのは、その延長線上で首長候補から職員の賃金水準などが語られてしまう点でした。したがって、西平さんには竹原前市長と同じ土俵では争わないように強く願っています。1点目の訴訟リスクの面から「竹原前市長は何も実現できていない」という見方を強調しながら、歪んでいた「竹原色」を「白紙」に戻し、対立から対話に舵を切った新たなスタートラインに立つことを強調して欲しいものと考えています。

最後に、このような主張に対し、「今まで対話だけでは大胆な改革ができなかったのだから、竹原前市長が敗れれば昔と変わらなくなる」という声も示されるのかも知れません。しかしながら阿久根市職労も、市議会も「改革」そのものを否定していないものと信じています。一方的で理不尽な手法には毅然と対抗せざるを得ない局面の数々だったものと見ています。来年の1月16日以降、明るい希望が灯された阿久根市の再出発が果たせるのであれば、2年半に及んだ竹原市政にも一定の意義を見出せるのかも知れません。

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2010年12月12日 (日)

年明けに阿久根市長選

阿久根市の竹原信一市長の解職請求(リコール)の是非を問う住民投票が12月5日に行なわれました。即日に開票され、賛成7543、反対7145、下馬評を裏切る398票という僅差でしたが、解職賛成票が過半数を占め、竹原市長は失職しました。出直し市長選挙は年明け、1月9日告示、1月16日に投開票日を迎える予定です。竹原市長が初当選したのは2008年8月、市議会の不信任による出直し選挙が2009年5月、わずか2年半の間に3回の市長選挙が行なわれる事態となりました。

解職された竹原前市長は早々に立候補を表明し、市民団体「市長リコール委員会」の監事だった西平良将さんも出馬の意思を明らかにしています。ほぼ間違いなく、西平さんと竹原前市長との一騎打ちとなる見通しとなっています。昨年6月以降、これまで当ブログでは阿久根市や竹原前市長に絡む記事を数多く投稿してきました。直接的な題材とした記事だけでも、次のとおり11回を数えていました。

9月以降の阿久根市の動きも、全国的なニュースとなる話題が尽きることはありませんでした。それらの出来事を紹介していくだけで、かなりの分量となるため、今回の記事でその役割は見合わせます。ちなみに相互リンクさせていただいてるブログ「地方公務員拾遺物語 別館」の管理人さんが、きめ細かく阿久根市の動向を追われています。さらにカテゴリー別の検索機能も設けられていますので、顛末をたどる際に『テーマ「阿久根市」の記事』が心強い参考資料となっています。

また、そのブログの管理人さんと私の視点は近しいものがあり、一つ一つ共感する記事内容ばかりでした。同じように共感するサイトとして、以前にも紹介したことがある「本日の産経SHOWと阿久根政界NOW」もその一つでした。お二人とも単刀直入な物言いの中にユーモアのセンスがあふれた文章であり、いつも感心しながら阿久根市の最新情報を知り得る機会となっていました。

以前の記事「多面的な情報への思い」の中で、「シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です」と述べていました。したがって、継続的に阿久根市の動きを見守っていく際、竹原前市長の言動を批判的に見ているサイトにとどめず、前市長を強く支持している方々のブログなども常に注目していました。更新されれば、欠かさず閲覧している主なサイトは次のとおりでした。

  • 住民至上主義 … 竹原前市長ご自身の有名なブログです。「天皇家」や「人間豚」に関する記述などもあり、独特の世界観をお持ちであることが垣間見れます。
  • 山田 勝のいきいき日記 … 市長支持派のベテラン市議でしたが、議場閉鎖に対する懲罰で除名されていました。 
  • まーちゃん日記 … ブログの副題は「怒涛の阿久根市議会議員 石澤正彰」であり、ストレートな感情の起伏がよく伝わってきます。  
  • 松元しげひさ 奮闘記 … 市長支持派議員の中で最年少であり、しっかりした文章力で綴られています。
  • 竹原信一という男 … 更新頻度が少なくて残念ですが、「竹原信一という男 BBS」の議論は多面的な情報を得る意味合いで非常に参考になっていました。

その他、ネット上で閲覧できる動画から竹原前市長の声や姿にも接してきました。最近ではテレビの報道番組からも阿久根市の動きを知る機会が増えています。以前の記事でも取り上げましたが、竹原前市長の著書『独裁者』にも目を通していました。つまり偏った情報や中途半端な事実認識で、物事を判断しないように努めています。その上で、竹原前市長の手法を危惧する私自身の見方について、これまでの当ブログの記事を通して訴えてきました。

一方で、いろいろな情報に接すれば接するほど、竹原前市長に対する評価が極端に枝分かれしていくことも痛感していました。先日の住民投票の結果が予想外の僅差だったことによって、マスコミの報道の論調が微妙に変化してきたことを感じ取っています。斎藤佑樹投手の言葉ではありませんが、竹原前市長は「何かを持っている」という見方がマスコミから示されるようになっています。

これまで法律を無視する単なる変わり者と決め付け、住民投票も大差で結果が出るものと見ていたのではないでしょうか。全国的な評判は芳しくない市長に対し、まだ7千人を超える地元住民が支持していた現状に驚き、マスコミ側の報道のあり方が本当に真実を伝えていたのかどうかという反省の弁まで耳にしました。しかし、このような言葉をテレビやラジオから聞き、個人的には強い違和感を覚えていました。

裁判所の命令に従わず、違法行為を繰り返す竹原前市長、確かに事実をそのままマスコミは報道していました。その一方で、それでも竹原前市長を根強く支持する市民の姿もマスコミは映し出していたはずです。したがって、このような支持者が少なくない中、僅差という結果も充分予想できたため、「意外だった」というような声が出るほうが意外でした。阿久根市民の民意を問う声もありますが、一人ひとりの立場から投票行動が左右されるのは当たり前なことだと考えています。

市民の平均所得と阿久根市職員の年収を比較するモノサシの不適切さがあることも確かですが、その地域の中で職員の賃金水準が際立っていることも事実だろうと受けとめています。また、生活を支える専業に従事できている市議が片手間に議会活動を行なっているような場合、日当制に切り替えるという乱暴な選択肢もあり得るのかも知れません。とは言え、市議の役割や責任が生半可なものではないと判断するのであれば、一定の年収を保障しない限り、幅広い層から有能な人材は集まらなくなるはずです。

そもそも全国どこの自治体でも職員や市議の年収は公開されています。そのため、隠されていた事実を竹原前市長が明らかにしたという言い方は適当ではありませんが、阿久根市民に対して強烈に印象付けたことは間違いない話でした。その結果、「職員や市議は私たちに比べて恵まれすぎている」という認識が広がったことも確かです。そのように感じた方々にとって、賞与の半減や議員報酬の大幅引き下げは喝采すべき行為だったものと見ています。

加えて、その捻出した財源で、ごみ袋代金や証明手数料の値下げ、固定資産税の減額などが実現したと言われれば、市長の続投を望むほうが自然な流れではないでしょうか。このようなアピールは直前に発行された「広報あくね」や頻繁に開かれた市政懇談会の中でも訴えられていたようです。要するに「既得権」を守ろうとする勢力に対し、ぶれずに改革を断行する竹原前市長という構図ができあがっていたように見受けられます。

そのように考えると僅差だったとは言え、リコールが成立したことのほうが驚くべき結果だったのかも知れません。現職対新人という候補者同士がぶつかり合う来年1月の市長選では、よりいっそう際立つ構図になるものと見ています。自分自身の考えが唯一絶対、目的を実現するためであれば手段は選ばない、そのような独善的な発想や手法が許され、全国に波及していくような事態は絶対避けなければなりません。

民主主義のルールも完璧ではなく、時代情勢の変化などに対応し、改めていくべき点も多々あろうかと思います。しかし、その改める手続き作業も民主主義のルールに沿ったものでなければなりません。スピート感に欠けるという批判も示されるのかも知れませんが、厳守すべき当たり前なルールだと理解しています。そして今、たいへん懸念しているのは、その民主主義に定められた選挙によって竹原前市長が三選を果たすことです。

阿久根市民の選択を重く受けとめなければなりませんが、これまでの手法がすべて認められたという免罪符につながることだけは本当に悩ましい事態だと言えます。いずれにしても「既得権」側に見られがちなブログの主張であるため、発信していく言葉に難しさも感じています。同様に対立候補として名乗りをあげている西平さんも、今後の選挙戦略には苦慮されているものと思います。

最近、コメントの投稿数は少なくなっていますが、今回の記事に対しても、どのようなご意見をいただけるのかどうか分かりません。ただ言えることは、幅広いコメントが寄せられた場合、年明けの阿久根市長選を勝ち抜く確率の高い竹原前市長に対抗するためのヒントが必ず得られるはずです。今回の記事、いつものことながら長々と綴ってきましたが、言葉が不足している点も多いものと思っています。それでも今回は誠に恐縮ながら、ここで一つの区切りとさせていただきます。

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2010年12月 5日 (日)

登録ヘルパーの組合

もう10年以上前の話となりますが、一つの労働組合の立ち上げから解散までを見届けた経験がありました。組合での役職が書記次長だった頃、福祉部健康課という職場に所属していました。福祉部の中にはホームヘルパー業務を担当している課があり、同じ部であるため、私もその職場の組合担当に位置付けられていました。

数年後に介護保険の導入を控え、在宅介護が重きを置かれるようになっていた時代でした。その当時は多くの自治体が直接ヘルパー業務も担っていました。私どもの市では常勤職員のヘルパーが10名ほどであり、年々高まってきた需要に応えるため、担い手の大幅増員が求められていました。しかし、すでに常勤職員の数を減らすことが行革の大きな柱となっていたため、市側が常勤ヘルパーを増やすという選択肢は持ち得ませんでした。

そのような中、地域の人材活用という福祉計画を立て、主婦らを中心としたボランティアを想定した登録ヘルパー制度が創設されていました。30名単位で登録ヘルパーとなる人材を増やし、制度が設けられて3年目には90名に及ぶ規模となっていました。そのため、利用者宅でのハンドサービスは登録ヘルパーが主体となり、市職員である常勤ヘルパーの役割は派遣先の調整などコーディネート業務が中心となっていきました。

このような関係性から登録ヘルパー制度の問題は、組合員である常勤ヘルパーの働き方に直結し、必然的に組合の重要な職場課題の一つとなっていました。福祉計画の狙い通り、ヘルパーの資格を取得し、地域に貢献したいという思いを持って、主婦の皆さんが中心になって登録数は増えていきました。その一方で、一定の収入確保を目的として、通常のパート賃金に比べれば格段に高い時間単価に魅力を感じ、登録ヘルパーとなった方々が多数いらっしゃったことも確かでした。

しかしながら登録ヘルパーは、社会保険や労働保険の加入の道がなく、利用者の入院や死亡などによって突然仕事がなくなり、収入が激減するなど非常に不安定な身分でした。そのため、働く意欲がありながらも、配偶者の扶養の枠内から出ることができない方々も少なくありませんでした。登録ヘルパーと日常的に接する常勤ヘルパーは、悩みや要望を直接聞く機会が多く、切実な声が私どもの組合に寄せられていました。当時、常勤ヘルパーの一人も執行委員を担っていたため、登録ヘルパーの問題は私どもの組合の労使交渉の場面で頻繁に訴えていました。

それに対し、市側は「登録ヘルパー制度は有償ボランティアに近く雇用ではない」「公的介護保険の動きを見定めたい」などと述べ、この問題を真剣に解決する姿勢を見せていませんでした。このような膠着状態の打開に向け、私どもの組合と登録ヘルパーの皆さんらと直接懇談する機会を増やし、いっそう連携を強めていきました。その懇談の一つとして、自治体関連労働者の組織化を担当する自治労都本部役員から助言を受ける場がありました。その際、「市長と登録ヘルパーとの雇用関係は明らかであり、要求を具体的に実現するために組合をつくったらどうか」というアドバイスを受けました。

「目からウロコが落ちる」という言葉を使ったことを覚えていますが、雇用関係があるかどうかでためらっていましたが、発想を転換する助言に勇気付けられ、一気に組合づくりへ向かうことになりました。過半数の組織化が最低限の目標でしたが、登録ヘルパー86名中80名もの皆さんが加入し、夜間にもかかわらず結成大会の会場は満杯となりました。この結果は、待遇面などで問題意識を持たれていた方々が多かった表われだと受けとめました。

私と常勤ヘルパーの二人も特別執行委員として加わり、その後の運営などに協力していきました。登録ヘルパーの組合役員の皆さんは、私より年上の方が大半でしたが、そのパワフルさに圧倒された思い出が数多く残っています。本当に元気で、明るい船出でした。ちなみに結成した直後の要求内容は、安定した雇用、通勤手当の支給、有給休暇の取得、社会保険等への加入であり、すべて労働者としてはあって当たり前なものでした。

登録ヘルパーの組合が結成されたことは市側に対して、大きなインパクトを与えたことは間違いありませんでした。ただ残念ながら、こちらの意気込みが高まっていても、様々な課題が劇的に解決していけるかどうかは別物でした。当事者が市側と直接話し合える場ができたことは確かですが、雇用関係を認めるかどうか、労使交渉であるのかどうかなどを巡って、入口の議論で時間も費やされていきました。

さらに介護保険施行が目前となり、私どもの自治体に限らない話でしたが、ハンドサービスを直接提供する事業所とはならない政策的な判断が下されていきました。登録ヘルパーの皆さんにとって、働き先がなくなるかどうかの深刻な問題でした。このような動きに対しても、組合が一致結束しながら市側と交渉し、事業所となる予定の社会福祉協議会へ登録ヘルパー一人ひとりが移れるような道筋を切り開きました。

2000年4月、介護保険のスタートを節目に登録ヘルパーの組合は解散しました。このタイミングで、東京全体の介護労働者の組織化をめざした東京ケアユニオンが発足したため、独立した組合としての役割は終える判断を下していました。3年半という短い期間でしたが、登録ヘルパーの皆さんと一緒に頑張れたことは自分自身にとって、たいへん貴重な経験だったと言えます。

最後に、前回の記事は「新しい公共」でした。公共サービスの様々な事業提供がボランティアという個々人の「善意」で行なえれば素晴らしいことです。その行為自体が「生きがい」となって、温かみのある社会が築け、地域の絆が強まるようであれば本当に理想的なことです。一方で、今回の記事で綴ったような実体験から、プロ意識を持って安定したサービスを提供していく担い手に対しては、それを裏打ちするような待遇も重視していくべきものと思っています。

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