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2010年11月27日 (土)

新しい公共

前回記事「四字熟語からの四方山話」の内容は、当初、鳩山前首相と櫛渕万里さんの挨拶の中に出てきた「新しい公共」を中心に書き込むつもりでした。いつものことながら、出足の箇所が膨らんでいったため、途中から四字熟語をキーワードにした四方山話に切り替えたことを最後の箇所でお伝えしていました。今回は余計な前振りを省き、さっそく本題に入らせていただきます。

民主党の衆議院議員である櫛渕さんの「くしぶち万里同風の集い」に参加した時、鳩山前首相と櫛渕さんのお二人から「新しい公共」という言葉を聞きました。いろいろ感じるところがあったため、少し掘り下げてみようと考えていました。すると絶好のタイミングで、東京自治研究センターが発行している季刊誌『とうきょうの自治』の中で、「新しい公共」について特集記事を組んでいました。

山梨学院大学の今村都南雄教授が『あらためて「新しい公共」を考える』、地域生活研究所の林和孝事務局長が『「新しい公共」と市民政策の課題』という記事を寄稿されていました。それらを参考にしながら、自分なりの理解を整理する意味合いで書き進めてみます。そもそも「新しい」という形容詞が付いていますが、「新しい公共」の議論は1990年代後半から始まっていたようです。

改めて脚光を浴び出したのは、昨年の政権交代後に開かれた第173回臨時国会で鳩山前首相の所信表明演説の中に「新しい公共」という言葉が入っていたからでした。鳩山前首相は、人と人が支え合い、役に立ち合うことを「新しい公共」の概念であると述べていました。翌年1月の第174回通常国会の施政方針演説では、「新しい公共」によって支えられる日本と謳いながら、次のように強調されていました。

今、市民やNPOが、教育や子育て、街づくり、介護や福祉など身近な課題を解決するために活躍しています。(中略)人を支えること、人の役に立つことは、それ自体が歓びとなり、生きがいともなります。こうした人々の力を、私たちは「新しい公共」と呼び、この力を支援することによって、自立と共生を基本とする人間らしい社会を築き、地域の絆を再生するとともに、肥大化した「官」 をスリムにすることにつなげていきたいと考えます。

この方針を受け、政府は「新しい公共」円卓会議を発足し、今年6月4日に「新しい公共」宣言を発表していました。鳩山前首相が退陣し、その後を引き継いだ菅首相も6月11日の所信表明演説の中で、「鳩山前総理が、最も力を入れられた新しい公共の取り組みも、こうした活動の可能性を支援するものです。公共的な活動を行なう機能は、従来の行政機関、公務員だけが担う訳ではありません。地域の住民が、教育や子育て、まちづくり、防犯・防災、医療・福祉、消費者保護などに共助の精神で参加する活動を応援します」と述べていました。

さらに10月1日の第176回国会における所信表明演説で、菅首相は経済成長に向けて雇用を増やす重要性を強調し、そのためにも「新しい公共」の取り組みが欠かせないことを訴えていました。「消費も投資も力強さを欠く今、経済の歯車を回すのは雇用です。政府が先頭に立って雇用を増やします。医療・介護・子育てサービス、そして環境分野。需要のある仕事はまだまだあります。これらの分野をターゲットに雇用を増やす」という論理展開でした。

端的にとらえれば、「旧い公共」は主に「官」が独占してきたものであり、「新しい公共」は「民」にも開放していくイメージとなるようです。このような発想が高まっていく中、1998年に特定非営利活動促進法(NPO法)が成立し、制度面での「新しい公共」の第一歩が切り開かれたと評されています。その後、住民と行政とのパートナーシップという言葉が持てはやされ、小泉元首相の得意のフレーズだった「官から民へ」という流れが強まるなど、「行政のアウトソーシング」一辺倒の時代を迎えていきました。

今村教授は「行政が住民サービスの一部を担うものでしかないことに必要以上の力点がおかれるようになり、行政の役割の再定義に不可欠の“ありうべき行政責任についての開かれた議論”も不充分なまま、ひたすら行政の役割を縮減する方向でアウトソーシングの成果を競い合うような風潮すら生み出されるようになってしまった」と前述した特集記事の中で嘆かれていました。

さすがに公共サービスを市場メカニズムにさらしていく危うさも指摘されるようになり、昨年、公共サービス基本法が成立していました。そのため、民主党政権の「新しい公共」は市場主義から脱却した理念の中で語られていることを理解しているつもりです。ただNPOや個人のボランティアによる「新しい公共」に異議を唱える訳ではありませんが、今村教授の指摘のとおり行政のスリム化のみが前面に出てくるようでは問題だと思っています。

特に菅首相は「新しい公共」と雇用の創出を結び付けています。その観点を踏まえた場合、一定の責任と役割を背負った担い手に対しては、ボランティアだから低賃金という構図を押し付けることはできません。言うまでもありませんが、福祉や教育などの公共サービスは安定的な供給、要するに継続性が最も求められています。したがって、公共サービスを提供していた事業所の倒産や、担い手が突然いなくなるような事態は避けなければなりません。

先日、櫛渕さんの集会で聞いた鳩山前首相らの「新しい公共」は、一人ひとりの「善意」で支えていくことが主眼であるような印象を持ちました。繰り返しになりますが、その発想を頭から否定するものではなく、決して「旧い公共」への回帰を望んでいるものでもありません。「新しい公共」と雇用をリンクして考えるのであれば、担い手側の労働条件の問題も軽視できないという点などをこだわっています。今回のテーマ、まだまだ言葉が不足しているものと思いますが、このブログそのものは次回以降も続いていく趣旨をもってご理解ご容赦ください。

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コメント

かのマリー・アントワネットは「パンが無いなら、ケーキを食べればいいのに」と言ったそうだが、鳩山という軽薄な男を見ると、彼女のセリフが哲学的に聞こえるから不思議だ。
日本の行く末に大きく関与している人達が、これほど薄っぺらくなっているとは・・。

公共というものを殆ど考えた事も案じた事もないらしいし、場あたり的、且つ独りよがりだ。

人間は本来自由に生きてきた。数千年前は邪魔になったら人を殺し、欲しければ人の物を盗み、自分に無用なものを排除して生きてきた。
しかし、それでは「社会」が維持できないと悟った人間は、「強制的な不自由さ」を受け入れる事を学んだ。それが「公共」だ。
公共に昔も今も、東も西も、古いも新しいも無い。

『自由を謳歌し社会を維持する為に、強制的な不自由さを感受するのだ』
『自由でいたいからこそ、不自由を規定するのだ』

小泉は「民でやれる事は民でやれ」と言ったのだ。逆を言えば「市場原理でやるべき仕事を行政がやっていた」のだ。
決して「公共を市場に開放したのではない」。

公共の中にだけ留めておくべき「強制的な不自由さ」を拡大したらどうなるか?答えは簡単だ。直ぐ近くに見本がある。北朝鮮だ。
あの国にには「将軍はハゲだ」と言う自由が無い。
今の日本もそれに近づいている。「差別用語」と称して、どんどん自由を無くしている。トドの詰りが「新しい公共」だそうだ。

若し日本人が「徹底的に堕落せよ。その先にこそ夜明けがある」・・つまり1000兆円「程度」の借金では堕落が充分ではない。
まだまだ「新しい公共」と言う名の堕落を続けて「臥薪嘗胆」・・との深謀遠慮があるのなら、それは凄い話だ。

投稿: あまのじゃく | 2010年11月29日 (月) 09時30分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございました。

前回記事のコメント欄でも書いたことですが、私の記事本文自体はスケールの小さなものとなっています。その一方で、「公共」というテーマそのものは非常に幅広い切り口があり、あまのじゃくさんからは高い視点からのご意見をいただきました。なお、今回のコメントも管理人への直接的な問いかけではないものと受けとめていますので、コメント欄を通しての具体的な論評は控えさせていただくことをご容赦ください。

投稿: OTSU | 2010年11月29日 (月) 22時23分

「鳩山前首相らの「新しい公共」は、一人ひとりの「善意」支えていくことが主眼であるような印象」を私も持っています。
「善意」については、以前も触れたように見通しが甘いのではと思っています。私が住んでいる自治体でボランティアが行っている活動にも「事業仕分け」により運営費が打ち切り・・・地元出身の民主党議員も苦慮しているようですが、仕分けの際、もっと詳細を見ないとこのように住民の善意で行われている活動をばっさりと切り捨てていることもあるのです。
国の出先機関の廃止についても、近隣選出の国会議員のブログ等を閲覧すると内容を良く理解されていないなど、正直どのようなグランドデザインを構築するのかは全くみえてきません(連合の要請等は眼中にないようです)。また、いきあたりばったりでしょうが・・・
ちなみに、私が勤務する省の地方採用は数千人規模のいきあたりばったりの「新規採用抑制」により、全国で数十名の採用で
全国47都道府県で各1人にもならない採用とのこと。菅総理は「雇用、雇用、雇用」を連発していますが、いきあたりばったりの政策をとり続けた結果、「就活」をする大学生、高校生などにもとばっちりがきています。
国が責任をもって行う仕事、地方自治体が責任をもって行う仕事は江崎さんが国会で指摘された「権限、財源 、 人間 の三ゲン」を確立し、「新しい公共」についても「地方切り捨て」にならない「地域再生」につながるように制度設計していくことが必要ではないかと思います。(今の民主党では、はっきりいって「無理」でしょうが・・・)

投稿: ためいきばかり | 2010年11月29日 (月) 22時47分

ためいきばかりさん、コメントありがとうございました。

描いている理想的な姿、総論的な意味合いで「新しい公共」に異論を示すつもりはありません。ただご指摘のような各論の問題になった時、いろいろ不安が生じがちです。

最近、どうも批判的なトーンも強まりつつありますが、ブログの場だけではなく、連合や産別の会議、あるいは民主党議員の皆さんらと直接お会いした際、率直な意見や要望を述べていければと考えています。

投稿: OTSU | 2010年11月30日 (火) 07時52分

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