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2010年11月 7日 (日)

地公労集会での雑感

日記風の記事は必然的にローカルでマイナーな話題となるため、コメントの投稿数は減る傾向をたどっています。前回の記事「台風が近付く中、自治労都本部大会」は金曜夕方までコメントが寄せられず、久しぶりに0件で1週間が終わるものと思っていたほどでした。いつも投稿した記事に対して、様々なコメントをいただけることは貴重な自己啓発の機会だととらえています。

また、これまで私自身の考え方が一貫して変わらないという批判、ぶれないという評価、この点についても幅広いコメントが寄せられていました。ただ当ブログを5年以上続け、数多くのコメントをいただき、公務員やその組合がどのように見られているのか、肌身にしみて知り得ることができたものと思っています。いずれにしても客観的な情報を把握できる機会は非常に大事なことであり、その意味合いからも当ブログへコメント投稿される皆さんに感謝していました。

そもそもコメントをいただくことが主な目的と考えるのならば、BBS(掲示板)を開設すれば手っ取り早い話だろうと思います。それでも自分の発信したい主張などがあり、それに対してレスがある相互交流こそブログの醍醐味だと理解しています。したがって、今回も自分自身が先週参加した集会を題材とした内容となりますが、金曜夜以降に頂戴したコメントにお答えしたような問題意識も託していくつもりです。

さて、火曜日の午後、2時間休を取得して都庁へ向かいました。賃金確定闘争に向けた「2010年秋季年末闘争勝利!東京地公労総決起集会」が第2都庁舎前広場で開かれ、集会とデモ行進に参加しました。このような集会を公務員の組合が開くことに対して、批判的に見る方々が決して少数ではないものと感じています。ちなみに集会参加者の中で、そのような視線を意識している組合員、特に組合役員は稀だろうと思っています。

前述したとおり当ブログを通して、公務員組合に対する手厳しい声に数多く触れてきた経験が影響していることは間違いありません。しかし、決してその集会にコソコソ隠れるように参加している訳でもありません。ある意味で旧態依然とした「決起集会」のあり方に多少疑問が残りますが、開く限りは多くの参加者で盛り上げるべきものと思い、組合員の皆さんにも声をかけていた集会でした。

このような思いを日頃から巡らしている中、いつも閲覧している濱口桂一郎さんのブログ記事で「地方公務員と労働法」の内容に目が留まっていました。濱口さんが『地方公務員月報』10月号に寄稿した文章の一部を紹介した記事でしたが、「地方行政に関わる人々自身が、地方公務員ははじめから労働法の外側にいるかのような誤った認識の中にあるのではないかと思われる事案があった」という言葉に注目していました。

本誌からの原稿依頼の標題は「地方公務員法制へ影響を与えた民間労働法制の展開」であった。この標題には、地方公務員法制と民間労働法制は別ものであるという考え方が明確に顕れている。行政法の一環としての地方公務員法制と民間労働者に適用される労働法とがまったく独立に存在した上で、後者が前者になにがしかの影響を与えてきた、という考え方である。

しかしながら、労働法はそのような公法私法二元論に立っていない。労働法は民間労働者のためだけの法律ではない。民間労働法制などというものは存在しない。地方公務員は労働法の外側にいるわけではない。法律の明文でわざわざ適用除外しない限り、普通の労働法がそのまま適用されるのがデフォルトルールである。

労働法制の専門家の言葉ですが、違和感を抱く方々もいらっしゃるだろうと思います。給与の原資が主に税金となる公務員、「全体の奉仕者」という位置付けとなる公務員、労働基本権が制約されている公務員、その公務員が「労働者」という立場を強調することや、労働組合を結成していること自体に疑問を持たれる方がいらっしゃるはずです。とは言え、今回の記事で、そのような認識の相違を埋められるものとは毛頭考えていません。

東京地公労総決起集会の話題に戻る訳ですが、労働組合であるからこそ賃下げに反対し、拳をあげていくことも当たり前な姿だと思っています。しかし、その当たり前なことを公務員組合は適確に情報発信していかなければ、「この景気の悪い時に恵まれた公務員が賃下げ反対だって、何ほざいてんだ!」という罵声を浴びせられかねません。都庁周辺のデモ行進中に幸いそのような声を聞くことはありませんでしたが、単に声を出して批判されないだけで、冷ややかに見ている方々が増えている可能性も否めないはずです。

東京都と特別区の人事委員会勧告が国の人事院勧告と同様、マイナス改定を示していました。その結果に対して、東京地公労は「労働基本権制約の代償機関としての役割と責任を放棄した政府の総人件費削減路線に沿った極めて政治的な勧告であり、もはや、人事委員会はその存在意義さえ失したものであることは明らかである」と強く批判していました。しかしながら私自身、この論調には二つの点で大きな問題をはらんでいるものと危惧しています。

東京都内の民間実勢を踏まえた際、確かに国と横並びのマイナス勧告に疑義が生じがちです。しかし、定められた現行ルールのもとで示された結論に対し、「政治的な勧告」と非難する性急さには注意しなければなりません。評価が分かれますが、人事院勧告制度があったからこそ、一定の給与水準が維持されてきたという見方も頭から否定できません。そのため、納得できない数字が勧告されたからと言って、不当だと短絡的に批判する姿勢が世間からどのように見られるか、私たち公務員組合は常に留意していく必要があります。

さらに批判している政治の矛先は、東京地公労に属している大半の組合が懸命に応援し、今でも支持協力関係がある政党であることを意識しなければなりません。この関係性については前回記事でも触れたことですが、批判を強めれば強めるほど組合員に対して背信しているように思えてなりません。今後も政治活動に一定の力を注いでいくのであれば、政権与党との関係は批判よりも対話を重視していくべきものと考えています。

ここまで個人的な雑感を綴ってきましたが、あまのじゃくさんから前回記事のコメント欄に寄せられた提起の中味に踏み込むことができていません。入口にも近付いていない公務員組合の運動のあり方などにとどまっているようです。いつものことですが、このブログは連続性の中にあるという点にご理解願い、もう少し踏み込むべき内容については次回以降の記事に委ねさせていただきます。

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コメント

先ず週初めに投稿して、ボウズ(投稿コメント0)だけは回避しておきましょう(笑)。

OTSUさんは恐らく自治労の改革を「連続的」にやろうとしていますね。つまり今の方針の延長線上に将来を見据えている。
私の見る所、それは「無理」でしょう。
人間は余りにも大きな変化には連続的に耐えられない為、大きな変化を受け入れるのに「発想の転換」という名の英知を持っている。
発想の転換をした瞬間、「不連続」にならざるを得ない。

これは別に労働組合だけの問題ではありません。正に日本人全部に科せられた宿命でしょう。

投稿: あまのじゃく | 2010年11月 8日 (月) 09時57分

あまのじゃくさん、早々にコメントありがとうございました。

「連続的」というご指摘は、まさしくその通りだと思っています。現状があって、その現状の制度疲労は改めていく、このような基本的な立場で物事をとらえています。きっと認識している出発点がそれぞれ異なると、このような発想も批判を受けるのかも知れません。

つまり現状が100%否定されるべきものなのかどうか、その違いが物事の見方や進め方に対して大きな分岐点となっていくのだろうと受けとめています。このような論点について、ぜひ、近いうちに記事本文でも掘り下げたいものと考えています。

投稿: OTSU | 2010年11月 8日 (月) 21時58分

先ず最初に、前記事(台風が近づく・・)の書き込みは回答を要求したものではありませんし、次回の記事の内容を提案したものでもありません。
又、「連続的手法」については、批判や非難をするつもりも全くありません。

「連続的手法」を「改善」と言います。恐らく歴史的に最も多用され重宝される手法です。既にトヨタのお陰で「カイゼン」は外国語にもなっているようです。
連続的に解決出来るのなら、これが最も望ましい。被害者数も被害の大きさも社会的コストも少なくて済む。
これに対して「不連続的手法」を「改革」とか「革命」と呼びます。何れが「是」で何れが「非」といった話では無い。
問題を解決する為に、どちらの手法を採用するかです。

話を単純化してみましょう。
今の日本に「正義」と「悪」が存在するとします。それらの全てが「借金」に集約していると私は考えている。従って、悪を追放し正義を実行して借金を返すのでは「無く」、借金を返す事で何が正義で何が悪かを、日本人が自らの手で正すべきでしょう。

あくまでも私個人の印象と断った上で、今の日本では連続的手法の問題解決は不可能。OTSUさんがそれに気付けば、自らすすんで「不連続的手法」を模索するでしょう。それしか「自治労」が生き残る道が無いのだから。

投稿: あまのじゃく | 2010年11月 9日 (火) 08時57分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございます。

答えを求められているかどうかについて、確かに私なりの解釈でした。失礼致しました。いつもの通り貴重な提起であり、自問自答していたため、このような対応になっていました。いずれにしても自分自身の頭の中を整理する意味でも、今後、私たち公務員組合の役員がどのような道を探れば良いのか掘り下げていくつもりです。

なお、「連続的手法」について、あまのじゃくさんが私を直接的に批判していないことは理解していました。「認識している出発点がそれぞれ異なると、このような発想も批判を受けるのかも知れません」という昨夜のコメントは、一般論としてそのように見られることを記していました。この点も言葉が足らず、たいへん失礼致しました。

投稿: OTSU | 2010年11月 9日 (火) 23時00分

ちなみに、濱口さんのお話しは法制度上、当たり前の話で、法的に適用除外されているのは、労働基本権部分と労働時間法制の一部であって、それ以外はほぼ労働基準法が適用されるのだけど、36協定も締結しないような、法律を無視した労務管理が横行している自治体が多いのはご存じのとおりかと。
自治労にしても法律を知らず(もしくは知っていて無視する)に運動しているのはいかがなものか、という思いは現役中もずっとしてました。
ちょっとトピずれでした。失礼しました。

投稿: 元公務員の自営業 | 2010年11月10日 (水) 04時59分

元公務員の自営業さん、おはようございます。コメントありがとうございました。

ご指摘のような現状があり、また、このブログへのコメントでも公務員は基本的に労働法制の枠外にあるようなご意見も少なくありませんでした。そのため、今回の記事の中で改めて専門家である濱口さんの言葉を紹介させていただきました。

投稿: OTSU | 2010年11月10日 (水) 08時01分

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