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2010年8月29日 (日)

混迷を深める阿久根市の夏

9月14日に投票される民主党代表選挙に小沢前幹事長が名乗りを上げ、菅首相との間で党内を二分する激しい対立の様相を呈してきました。このニュースが先週夜の報道番組で大きく取り上げられたのは当然ですが、一地方の市議会の動きもそれに続く扱いで注目を集めていました。日曜午前の「サンデー・フロントライン」でも民主党代表選挙を巡る討論の後、「混乱議会を緊急取材…阿久根市長の真意直撃」という特集が組まれていました。

このブログでも、たびたび取り上げてきた鹿児島県阿久根市の竹原信一市長、ますます全国的な知名度を上げてきました。竹原市長の言動に対する個人的な意見は、これまでの記事を通して充分発信してきました。それでも最近、組合員から「阿久根市のこと、書かないのですか」と尋ねられていました。そのため、繰り返しのような批評となるのかも知れませんが、顛末を追い続けることも、それなりに意義深い試みなのだろうと思い返していました。

一方で木曜と金曜、自治労の第82回定期大会が徳島市で開かれていました。自分自身は事情があって参加できていませんでしたが、今週末は自治労大会の話題を中心に新規記事を投稿しようと考えていました。しかしながら前述したような組合員の関心や阿久根市に絡む以前の記事へのコメント投稿などに後押しされ、2か月ぶりに阿久根市の話題を取り上げることとしました。ちなみに昨年6月以降、投稿してきた竹原市長に関する記事は次のとおりでした。

その都度、たくさんのコメントをいただき、竹原市長の言動を巡って賛否両論、様々な意見が交わされてきました。私自身の考え方は、竹原市長のめざしている方向性の是非を議論する以前の問題として、あまりにも進め方や手法が乱暴すぎるため、とても容認できないというものでした。最近の動きを見ていると、いっそうその考え方を強めるばかりであり、竹原市長の行動はエスカレートの一途をたどっていました。

竹原市長は3月に「傍聴席にマスコミがいる」という理由で、市議会への出席を拒み始めました。6月の定例議会は招集そのものを行なわず、鹿児島県知事からの是正勧告も無視してきました。その一方で、7月に入ってから市議会議員報酬を1日1万円とする日当制への変更、職員らの賞与を半減する条例改正などの専決処分を連発していました。

地方自治法による専決処分は179条と180条に定められています。いずれも議会が開けない場合の緊急を要する措置として、あくまでも例外的に認めている処分です。前者は、専決処分の後に開かれた議会での承認が必要となります。後者は、あらかじめ議決によって指定した軽易な事項について首長の専決処分を認め、179条と異なり議会には報告のみで承認を求める必要はありません。

専決処分は19件にのぼりましたが、竹原市長は「市長と議会が正当な関係ではないため、専決処分が許される」という独自な判断を示しています。ようやく8月25日と26日に開かれた臨時議会では、専決処分14件が不承認とされました。しかし、竹原市長は不承認でも「議決されたから有効」と強弁し、違法かどうかは司法が判断すべきと述べています。どうも竹原市長は地方自治法の条文を読んでいるのでしょうが、自分自身にとって都合良く解釈しているようです。

確かに議会による不承認は、すでに執行された案件を遡って改めさせる効力を持っていません。会計決算に対する不承認と同様、議会から「好ましくなかった」という不名誉な烙印が押された事実にとどまります。しかし、今回の竹原市長の行為は議会を開けるのに開かず、専決処分を繰り返したことの違法性が問われていました。議会が不承認でも専決処分が有効とされるのは、「議会を招集する時間的余裕がない場合などに行なわれた適法な専決処分を想定している」と総務省も指摘しています。

さらに7月末には専決処分で、副市長まで選任していました。元愛媛県警巡査部長の仙波敏郎氏ですが、警察の裏金問題を告発した経歴などが竹原市長に買われた登用でした。地方自治法で、市長が副市長を選任する際は議会の同意を得なければなりませんが、異例な専決処分という手法で副市長に着任しています。専決処分そのものの違法性が問われている中、議会からも承認されず、これまでの仙波氏の信念に照らし合わせた時、どのように折り合いを付けているのか不思議な点です。

就任した際、仙波氏は「行政改革に取り組む市長の熱意に心を打たれたが、専決処分を繰り返すやり方には無理がある。私の役割は市民と職員の声を聞き、行政運営を健全化することだ。議会を招集するよう市長に働きかけたい」と述べ、実際に臨時議会が開催される運びとなりました。また、裁判所から復職命令を受けていた職員の職場復帰も、仙波氏の働きかけがあったものと思います。

警察官時代の裏金問題に対しても、自らが関与することを一切拒んできたため、仙波氏は組織の中で冷遇され続けたそうです。したがって、仙波氏の正義感や骨っぽさは筋金入りだと見ていますが、副市長就任自体が問題視している専決処分であることの矛盾は指摘せざるを得ません。加えて、次の報道のような認識は問題であり、もう少し労使関係を勉強してから慎重に発するべき言葉でした。このような勇み足があっては竹原市長と五十歩百歩だと言わざるを得ません。

阿久根市の副市長に選任された仙波敏郎氏は16日の同市課長会で、総務、企画調整、財政の3課の全職員について、市職員労働組合から脱退させ、応じない場合は異動させる方針を明らかにした。仙波氏は取材に、「総務など3課の職員は市政の中枢を担当している。市と対等の立場にある市職労に所属していると、市の情報が職労側に漏洩(ろうえい)し、行政改革などが阻害される恐れがある」と語った。仙波氏が発案し、竹原信一市長も同意しているという。

仙波氏は8月末以降、市職労に申し入れ、協議を始めたいとしている。「組合を脱退しないとセクションが変わることを職員に徹底してください」と課長会で述べたといい、取材には「組合と粘り強く議論し、労使合意を目指す」と話している。総務など3課の職員は計35人で、うち組合員は29人。同市の組合員は計約190人。市職労は「詳細が分からず、コメントのしようがない」。自治労県本部は「人事をちらつかせ脱退を強要しているのと同じで、地方公務員法に違反する」と反発している。【南日本新聞2010年8月17日

阿久根市の近況を書き連ねていくだけで、かなり長い記事となってしまいます。このように混迷を深めている阿久根市ですが、ついに竹原市長に対するリコール(解職請求)運動が始まりました。先週水曜日に中間発表がされ、市長解職の賛否を問う住民投票を求める署名数は8420人分に達していました。住民投票に必要な有権者の3分の1にあたる約6700人分を大きく上回る数で、住民投票の実施は確実視されています。

いつも非常に悩ましい点として、一定の待遇が保障されている公務員だから、自治労に所属している組合の役員だから、竹原市長の手法そのものを批判し、本筋の議論を遠ざけているように見られがちです。そのような見られ方があることは認めざるを得ませんが、決して公務員の賃金水準の議論から逃げるつもりはありません。その上で、一貫して訴えていることは「目的実現のためならば、手段は選ばない」という発想や行動の危うさです。

最後に、住民投票が実施されれば、竹原市長が解職される確率は高いはずです。一方で、竹原市長も手を上げると言われている出直し市長選挙では、竹原市長が3回目の当選を果たす確率は決して低くないものと見ています。破天荒な言動を繰り返し、とにかく全国的な注目を集めている現状は、竹原市長の描いたシナリオ通りなのかも知れません。そして、改めて阿久根市民から信任を得ることで専決処分を民意によって正当化し、地方自治の二元代表制を事実上否定するというシナリオまで竹原市長は描き切っているのでしょうか。

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2010年8月22日 (日)

減収に苦しむ公営競技事業

夏季休暇に充てた水曜の午後、連合地区協議会が催した職場見学会に参加しました。連合には民間と公務員の組合が結集しています。民間や公務員の職場も多種多様です。このような催しは、それぞれの職場の実情や問題点などを知り、交流を深めることで、よりいっそう力を出し合っていける基盤作りを目的としていました。

今回、その対象となった職場は市内にある競輪場でした。競輪、地方競馬、ボートレース(競艇)、オートレース、この4種類の公営競技事業に従事する皆さんらが結成している組合の連合体だった全競労は、2002年に自治労と組織統合していました。もともと各地方の単位組合は自治労に直接加盟していましたが、1961年に独自な産別組織として全国競走労働組合が設立されていました。自治労に再び結集した全競労は一評議会の位置付けであるとは言え、たいへん力強い存在感を発揮されています。

一方で、労働組合としての影響力を発揮しなければ、それぞれの組合員の生活を守れない厳しい局面に置かれているとも見なければなりません。日頃から親しくお付き合いいただいている地元の競輪労働組合の皆さんは、投票券の発売窓口などに従事されている方々です。組合員の大半が女性で、委員長をはじめ組合三役も全員が女性でした。東京にある2つの競輪場の従事者が加入しているため、団体交渉の相手方となる雇用主も2つの競輪事業施行者に分かれていました。

したがって、賃金や一時金などの交渉もそれぞれの施行者側と行なっています。また、年間を通した常用的な雇用でありながら、身分は日雇いにとどまっている不安定さが指摘されていました。さらに公営競技全体に共通した深刻な問題があります。軒並、売上の減収に苦しんでいる状況が続いています。4種類の公営競技は戦後、地方財政復興の財源として収益を上げることを目的に始まりました。

私どもの市の場合、平成元年度には75億1千万円の収益を繰り入れ、一般会計決算額に占める比率は11.6%に達していました。昭和26年度に創設されて以来、一般会計への繰り入れ総額は1322億円を超え、都市基盤や公共施設の整備を進める貴重な財源となっていました。現在、かろうじて赤字にまで至っていませんが、収益は数億円程度に落ち込んでいます。

公営4競技の売上のピークは平成3年度で、全体で5兆円をはるかに超えていました。長引く不況や趣味の多様化など様々な理由があげられますが、そのピーク時に比べて売上は5割から6割以上の減収を強いられています。それぞれの公営競技が過去、各自治体の財政に大きく寄与してきたはずですが、現在、赤字に陥ってしまった事業が数多くあります。つまり税金を投入して事業を継続しているという本末転倒な事態を招いています。

当然、このような経営状態が続くようでは撤退すべきという声が強まり、これまで数多くの地方競馬場が閉鎖され、競輪事業などから手を引く自治体が相次いでいました。事業そのものがなくなる事態は、そこで働く人たちの雇用の喪失に直結します。そのため、自治労に結集している全競労の皆さんは深刻な売上減を受けとめ、賃金引き下げや様々な合理化提案に対処してきています。

同時に組合の立場からも売上が伸びるような努力や呼びかけを重ねられていました。このような経緯を踏まえ、施行者である自治体の職員であり、同じ自治労の組合役員という立場から私自身、連合地区協議会として一度、地元の競輪場に絡むイベントが開ければと考えていました。したがって、冒頭に紹介した職場見学会は、そのような思いも加味された催しでした。

当日は連合が推薦している地元の市議会議員も含め、各組合の役員を中心に30名ほど集まりました。公営競技事業部長から現況の報告、担当係長から競輪の基本的な説明を受けるなど、いろいろ市側からも協力をいただきました。競輪労働組合の皆さんとの意見交換の場もありましたが、やはりメインは参加者全員に車券を買ってもらうことでした。初めて競輪の車券を購入した方も多かったようですが、バンクを疾走する選手の迫力を間近に感じ、一人でも多くの方に競輪の「楽しさ」を持ち帰っていただけることを願っていました。

連合地区協議会として一昨年には、私どもの市へ提出した「政策制度の充実に向けた要請書」の中に「オリンピックの種目となっている競輪のイメージアップに努め、幅広い層をひき付けるための一つの集客施設への転換をめざすこと」という内容を盛り込んでいました。それに対して、市側の姿勢も基本的に同様である旨の回答が示されていました。どうしても競輪場は迷惑施設、ギャンブルは害悪というイメージがつきまとい、実際、嫌悪している人たちは決して少なくありません。

10年以上前の話となりますが、組合の機関誌に掲載したクロスワードパズルの設問の一つに「競輪グランプリ」という答えを加えていました。年末まで働いている職員のこと、地元で開催するビッグイベントの認知度を少しでも高めたいと思い、あえて加えた設問でした。ところが、組合員の一人から「組合の機関誌に競輪のことを載せるのは問題だ」とお叱りを受けました。あえて載せたという前述した理由を説明しましたが、「組合がギャンブルを薦めているようであり、納得いかない」と言われ、残念ながら理解は得られませんでした。

今回の記事に対しても賛否が分かれるのかも知れませんが、あえて公営競技の危機的な現状や売上増の必要性を取り上げています。私自身、競輪はもちろん、JRAから地方競馬、競艇、totoまで、インターネットから購入できる環境を整えています。頻繁に利用しているのはJRAだけですが、それもローリスク・ハイリターンとなる楽しみ方に徹しています。いずれにしてもギャンブルそのものを害悪と決め付けるのではなく、あくまでも自制心の問題だろうと考えています。加えて、闇の資金源となる野球賭博などとは一線を画して論じるべきことも言うまでもありません。

実は公営競技を題材にした記事について、いつか取り上げたいものと考えながら『バクチと自治体』という著書をかなり前に読んでいました。今回の記事がその本の直接的な紹介となっていませんが、公営競技の歴史や現況、今後を考える上で非常に参考となった著書でした。最後に、前回の記事が「人事院勧告と最低賃金目安」、前々回記事が「国債問題に対する私見」でした。話題やテーマが極端に変わり続け、違和感を持たれる方がいらっしゃるかも知れませんが、このような点も「日記・コラム・つぶやき」をカテゴリーとしている当ブログの特徴ですので、ご理解いただけるようよろしくお願いします。

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2010年8月15日 (日)

人事院勧告と最低賃金目安

このブログを始めたのが2005年8月16日、開設してから5年が過ぎようとしています。更新しなくても年月は流れていくため、これまで記事の数が100回を刻む際にメモリアルな内容を投稿していました。昨年の夏は、ちょうど双方が重なり合った時期であり、「5年目の夏、そして300回」というタイトルの記事でした。

週1回の更新にもかかわらず、毎日千件前後のアクセスがあります。訪問者数は概ねその半分ですが、多くの常連の皆さんに支えられていることを実感しています。また、Googleなどから「阿久根市」絡みのワードを検索されると、この「公務員のためいき」が上位に顔を出します。そのため、竹原市長の言動が注目を集めた日などは、アクセス数が急増する傾向をたどっていました。Yahoo!のトップページに掲げられた際などは、1日で1万件を超えた日もありました。

このように多くの皆さんの来訪が大きな励みとなって、週1回の更新を欠かさず、5年間継続できたものと感謝しています。さらに数多く寄せられるコメントの一つ一つが拙い記事内容に厚みを加えていただいているものと受けとめています。今後、何年続けられるか分かりませんが、これまで通り実生活に過度な負担をかけないペースで運営していくつもりです。ぜひ、これからもよろしくお願いします。

さて、今年度の人事院勧告が8月10日に示されました。月例給を平均757円、0.19%の引き下げ、一時金は0.2月か分引き下げられ、1963年以来の4か月割れとなる年間3.95か月分の支給となります。平均年間給与としては△9万4千円、△1.5%となり、特に50歳台後半層の月例給が重点的に引き下げられる勧告内容でした。

民間相場の反映である人事院勧告ですが、まだまだその相場も底を打っていなかった結果が明らかになったと言えます。このように公務員の賃金水準は引き続き下降線をたどっていきますが、最低賃金に関しては8月5日、次の記事にあるとおり引き上げ目安の答申が示されました。その背景や内容について詳しく書かれていましたので、そのまま紹介させていただきます。

中央最低賃金審議会が本年度の地域別最低賃金の「目安」を決め、厚生労働相に答申した。時給で10~30円引き上げ、全国加重平均では15円アップの728円とした。今回の特徴は、時給表示になった2002年度以降では08年度と並ぶ最大の上げ幅になったこと、比較的賃金の低い地方でも都市圏と同じ幅にそろったことだ。最低賃金で得られる所得が、生活保護の給付水準を下回る地域もある。金額はまだ低い。それでも広がる一方だった地域格差の是正につながる。評価できる。

菅直人政権は、賃金を上げて消費を増やし景気回復を図る、との基本政策を掲げる。低所得者層の底上げは、その一歩となるものだ。政府には引き上げが実現するよう最大限の努力を求める。最低賃金には、労働者の生活水準を維持する役割がある。雇用主はこれを下回って雇うことはできない。違反すれば最高50万円の罰金が科せられる。

審議会は労使の代表や有識者らで構成する。毎年夏、都道府県を経済状況に応じてA~Dのランクに分けて決めている。この地域格差によって、いまの時給は最高が東京の791円に対し、最低は佐賀、長崎、宮崎、沖縄の629円。162円もの開きがある。Bランクの長野は681円で、15番目の位置にある。答申は長野も含めた41県で一律10円アップとし、特にDランクの底上げを図った。

審議会は労使が激しく対立したが、結局は労働側の主張にほぼ沿う形で決着している。後押ししたのは「できる限り早期に時給800円以上にする」とした民主党政権の方針だ。ただ、最低の県を800円以上にするには、毎年10円ずつ上げても18年もかかってしまう。政府はてこ入れを急ぐ必要がある。最低賃金が関係するのは、主に経営体質の弱い中小・零細企業である。小売りや飲食店、流通などの業種が多い。雇用主の間には、かえって就労の場を損なう、との反発がある。

実際の改定額はこれから都道府県の地方審議会が決めることになる。労使双方が着地点を見いだすには困難が予想される。答申通りに進むかは不透明だ。政府は賃金と生産性の向上に結び付く中小・零細企業の支援策をしっかり組み立てる必要がある。現実には最低賃金以下で働く人も少なくない。地方の再生策が強く求められる。【信濃毎日新聞2010年8月8日

ブックマークしているブログ「EU労働法政策雑記帳」の最近の記事(最低賃金の「目安」)の中では、連合事務局長と日商会頭のコメントが紹介されていました。連合は「雇用戦略対話の合意である“できるだけ早期に全国最低800円、2020年までに平均1000円”の達成に向けた道筋を示したとは言い難いものの、確実に一歩を進めたものと受けとめる」と評価し、日商側は「最低賃金のみが大幅に引上げられれば、経営に影響し、雇用の喪失につながる」と小規模企業への負担を懸念したコメントを示していました。

最低賃金の水準に対する見方は、このように立場によって大きく分かれがちです。しかし、フルタイムで働いても生活保護の給付水準を下回るようでは問題であると言わざるを得ません。今後、中央最低賃金審議会が示した目安を受け、都道府県ごとに審議されて定まった額が法的拘束力を持っていくことになります。最低賃金制度の話で言えば、千葉県野田市が導入した画期的な公契約条例という独自な制度も紹介しなければなりません。

その条例は野田市にかかわる入札制度を見直し、受注する企業の労働者に対する賃金水準の底上げをはかるため、独自に定めた最低賃金水準を落札基準に明記したことが最大の特徴でした。少し前までの入札制度は価格が安ければ良いというものが中心で、特に労務提供型の委託契約は2002年まで最低制限価格制度すらありませんでした。また、1999年には地方自治法施行令が改正され、価格とその他の要素を総合的に判断できる総合評価方式の導入が可能となっていました。野田市はその動きから、さらに一歩踏み出し、条例の前文には次のような決意も示されています。

地方公共団体の入札は、一般競争入札の拡大や総合評価方式の採用などの改革が進められてきたが、一方で低入札価格の問題によって下請の事業者や業務に従事する労働者にしわ寄せがされ、労働者の賃金の低下を招く状況になってきている。

このような状況を改善し、公平かつ適正な入札を通じて豊かな地域社会の実現と労働者の適正な労働条件が確保されることは、ひとつの自治体で解決できるものではなく、国が公契約に関する法律の整備の重要性を認識し、速やかに必要な措置を講ずることが不可欠である。

本市は、このような状況をただ見過ごすことなく先導的にこの問題に取り組んでいくことで、地方公共団体の締結する契約が豊かで安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することができるよう貢献したいと思う。この決意のもとに、公契約に係る業務の質の確保及び公契約の社会的な価値の向上を図るため、この条例を制定する。

このブログを始めた頃、「公契約制度の改革って?」という記事を投稿していました。自治労全体の取り組みとして、野田市が制度化したような公契約の見直しを進めていることを紹介した内容でした。ちなみに近隣の市でも野田市に追随する条例が年内に成立する運びとなっています。私どもの市においても同様な条例の制定を求め、自治労や連合の要請書の中でも重点化してきています。今後、全国的に野田市のような雇用を重視した動きが広がっていくことを強く期待しているところです。

今回、同じ時期に公務員の賃金は引き下げ、最低賃金は引き上げという対照的な結論が示されました。人事院も中央最低賃金審議会も、建前上は客観的かつ中立な立場で数字を示しているはずです。とは言え、世間のムードや政治的な思惑が、まったく反映されていないとは断言できません。それはそれで疑問があったとしても現行の制度上、示された数字は粛々と受けとめていかなければなりません。そのような意味合いからも、自治労や連合の運動の力点が社会全体の賃金水準底上げに置かれていくことは必然的な流れだろうと思っています。

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2010年8月 8日 (日)

国債問題に対する私見

先月初めの記事「強い財政への雑感」から前回記事「高負担・高福祉のスウェーデン」まで、日本の借金800兆円とどのように向かい合えば良いのか、財政や経済のあり方について取り上げてきました。その間、自分自身の拙い知識を補強するため、同時並行で日本経済の現状を著した書籍を読み進めながら、その内容を記事本文で紹介する形をとっていました。

自分の好みで読む本を選んでいては結果として幅広い考え方に触れられず、偏った持論に凝り固まる恐れもあります。その意味合いから意識的に選んだ一冊が『日本経済の真実』でした。最近、読売テレビ退社を発表した辛坊治郎さんとその兄である辛坊正記さんが共同執筆し、「日本沈没を食い止めた小泉・竹中改革」という章もある著書です。内容以前に「トンデモ評論家のゴミのような見解」や「クルクルパーな議論」などという他者を侮蔑した言葉の多さに驚いていました。

その後、「2時間でいまがわかる」というキャッチコピーに魅かれて購入したのが『絶対こうなる!日本経済』でした。榊原英資さんと竹中平蔵さんの対談を田原総一郎さんが責任編集した書籍ですが、この3人の詳しいプロフィールのリンク紹介は不要だろうと思っています。大蔵省の財務官だった榊原さん、学者でありながら重要閣僚を歴任した竹中さん、現在2人は強い影響力を持つエコノミストと称されています。

榊原さんは竹中さんのことを「無免許でスポーツカーを疾走させている」と批判し、竹中さんは榊原さんのことを「官僚上がりの学者に何がわかる」とこき下ろしていた関係でした。そのように対立していた2人が日本経済の具体的な課題について論争することで、日本経済の問題点などが浮き彫りになっていく構成でした。方向性では一致する点がある一方、個別政策への評価では2人の見解が分かれがちであり、やはり絶対的な「正解」は簡単に見出せないことを改めて感じ取っています。

専門家の間でも意見が分かれる国の借金問題などに対し、まったくの門外漢である私が前回記事のコメント欄で「そろそろ自分の言葉を中心に綴ってみようとも考えています」と身の程知らずな宿題を課していました。そもそも一個人のブログが何か影響を与えるような可能性は皆無だとしても、大多数の皆さんから理解を得られるような「答え」を見つけていくための議論は意義深いことだと思っています。

したがって、より良い「答え」をめざすため、幅広い意見や批判を受けることを前提にした「叩き台」の一つとして、肩の力を抜きながら800兆円の借金問題への私見を書き進めてみます。ただ私見と言っても、自分自身のオリジナルな見解は少なく、読み聞きした知識の中から共感した内容を並べるような記事となるはずです。一方で、所属している組合や自治労の方針からは離れた個人的な立場で、書き込むという私見であることも付け加えなければなりません。

現状の問題点とその認識

前々回記事「なるほど、国の借金問題」の中で、国の借金を800兆円としていました。地方自治体分も合わせ、長期債務のみを問題視しました。ただ地方自治体の財政状況なども同時に考えていくと、いろいろ話が分かりづらくなります。ここで、2010年3月末の国の債務残高882.9兆円(長期のみ約600兆円)とし、2009年度の税収37兆円、2010年度一般会計の予算規模92.3兆円、その半分近くは国債44.3兆円の発行で賄っているという数字で現状を検証していくこととします。

まず財政破綻と紙一重となっている上記のような現状を是認している人は圧倒的に少数だろうと思っています。読み込んできた著書の中でも、それぞれ温度差はありますが、このままで良いと考えている方はいませんでした。私自身も同様であり、財政の健全化に向け、赤字国債の解消は避けて通れない課題だと認識しています。しかしながら今後の解決策を論じていくと、評論家や政治家の皆さんをはじめ、国民一人ひとり意見が分かれていきます。

とにかく国の借金を返すことに全力を尽くし、身の丈に合った収支構造へ大胆に改めるべきというご意見があります。そのような声がある一方で、元財務官の榊原さんは、日本の金融資産1450兆円があるため、あと200兆円、5年間ぐらいは大量の国債を発行しても大丈夫だと述べています。竹中さんも、破綻は今日起こるかも知れないと指摘しながらも「5年は無理で、猶予期間はせいぜいあと3年」という見方を語っています。

いずれにしても幸いなことに現時点で、日本の国債の信頼は失墜していません。つまり国内外での信用さえ維持できれば、性急に借金を完済することだけに傾注しなくても良いのだろうと考えています。あくまでも国債残高の上限を見極めた上で、そこから徐々に圧縮していく方針化が妥当な発想ではないでしょうか。逆に何が何でも莫大な借金を返済することのみを政策の優先事項とした場合、国民生活や経済成長の面など様々な点で大きな支障が出てしまうはずです。「当面、これ以上借金は増やさない」という考え方こそ、内外に過剰な不安を煽らず、現実的な選択肢となり得るものと見ています。

マニフェストの見直しも

これ以上借金を増やさないと一口で言っても容易な課題ではありません。来年度予算の中でも、今年度と同じ規模の国債発行額が想定されています。せめて44兆円を超えないというのが一つの目標にとどまっている状況でした。2020年度までのプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化に向けた一歩としては、残念ながら遠い道のりを感じさせる概算要求基準だと言わざるを得ません。

昨年の総選挙で民主党が約束したマニフェストは、見込んでいた財源捻出のあり方でつまづいていました。その中で、子ども手当の増額などの問題は、押しても引いても批判されるモードに入っています。それならば、1万3千円の支給は恒久的に続けていくことを強調した上、約束を完全に履行できないことを全党一丸となって説明すべきです。特に制度の存続そのものが疑問視されている雰囲気もあり、せっかくの子ども手当が少子化対策につながっていません。そのため、額は据え置いたとしても、一過性の制度ではない点を改めてアピールすべきだと考えていました。

昨年9月の記事「新政権への期待と要望」の中で、「民主党が期待されているのは、総論としての国民生活の向上であり、明るい未来を切り開くことだと思っています。党としての面子や体裁にこだわり、各論の実現を優先しすぎた結果、逆に国民を不幸せにするような事態は本末転倒なことです。公約を修正する際など、真正面から誠意を尽くして説明責任を果たしていく限り、国民からの信頼も簡単に失墜しないのではないでしょうか」と記しましたが、その思いは今も変わりません。

スウェーデンから学ぶべきところ

辛坊さんは著書の中で、「小泉改革の方向性は間違いではなかったが、完全ではなかった」と述べています。竹中さんもよく語っていることですが、雇用面などのセーフティーネットが充分ではなかったという指摘です。企業も個人も、官も民も競争させて強い者だけが生き残るという市場主義こそ、日本を成長させていく唯一の選択肢だったと強調されています。しかし、そのセーフティーネットが重要で、後回しにしてはいけない政策だったのではないでしょうか。

敗者が退場したまま、敗者は敗者のまま固定される、そのような「改革」社会に嫌悪した国民一人ひとりの判断が政権交代を実現させたものと受けとめています。前回の記事で取り上げたスウェーデンは競争から脱落しても、再チャレンジしやすい社会となっています。それでも日本人の気質や積み重ねてきた歴史などを考えた時、そっくりそのままスウェーデンのような国家をめざすべきと訴えたつもりはありませんでした。

「日本とは違うところ、学ぶべきところ」などを思い巡らす機会とし、国民の信頼に応える政治、政治に強い関心を示す国民の姿勢などは、日本もスウェーデンに学ぶべき事例だと見ていました。記事本文では紹介できませんでしたが、スウェーデン企業の社会的責任の話などにも感心していました。厳格な品質管理と生産工程の監視、被雇用者の労働環境の整備、地球環境に対する配慮など、国民に商品の安全と安心を提供していくことをスウェーデンの各企業は重要な位置付けとしていました。

それでは今後、どうするべきか?

少し話題が拡散気味で恐縮です。そもそも歳出にかかわるマニフェストを見直しても財政赤字の状態が変わる訳ではありません。高齢社会が進む中、年金や医療にかかる社会保障費は毎年1兆円規模で増えていきます。大きな注目を集めた事業仕分けでも、毎年捻出可能な削減額は7千億円だったと言われています。今後、特殊法人改革などにも取り組むようですが、財源問題に関しては事業仕分けに過剰な期待は禁物だろうと思っています。

公務員である私が「無駄の削減にも限度がある」と語ってしまうと、既得権擁護の発言だと批判されてしまうのかも知れません。言うまでもありませんが、「無駄」は積極的に削減しなければなりません。しかし、人によって「無駄」に見えても、見方によっては「無駄」ではないという事例も多いはずです。あくまでも優先順位の問題であり、利害関係などの調整や切り分けの判断は非常に難しいものと見ています。

みんなの党は「消費税を上げる前にやるべきことがあるだろう」とし、増税なき財政再建や10年間で所得5割アップなどの政策課題を掲げました。誰もが増税は歓迎しませんので、このようなフレーズが幅広い支持を集めたことも確かです。一方で、このようなバラ色の公約に対し、与謝野元財務大臣は「デマゴーグ(煽動的指導者)の典型みたいな政党」とまで言い切って批判していました。

世論調査によっては、国民の半数以上が消費税の引き上げもやむを得ないものと考えるようになっています。国民の生活を第一とした民主党の政策の方向性、社会保障費の自然増、そして、プライマリーバランスの黒字化に向け、やはり消費税の引き上げは避けられない課題だと私自身も理解しています。そのためには、国民の皆さんと政治や行政との信頼関係の再構築が欠かせません。

公務員も率先して身を切る覚悟で

「血税が無駄に使われている」と非難されないためにも、効率的で効果的な行政に努めなければなりません。政治家はもちろん、公務員も率先して身を切る覚悟で、痛みを伴う見直しに向かい合ってこそ、消費税引き上げへの信頼関係が築き上げられていくものと思っています。このような点は国家公務員に限らず、私たち地方公務員も同様な立場だと言えます。

とりわけ民主党を支援してきた連合に加盟している自治労などの産別組合は、積極的な協力姿勢を打ち出すべきだろうと考えています。しかしながら最低限、労使で話し合って決めるというルールは担保させ、一方的に押し切られないような歯止めも大事な組合の役割となります。逆に短絡的な対決姿勢で臨み、幅広い支持を得られなかった場合、いろいろな意味で組合側のダメージも大きくなることを想定しなければなりません。

国債の信用を落とさないためには財政の健全化が必要、歳出削減には限界があり、消費税増税も視野に入れなければならない、そのために政治家と公務員の歳費や人件費を削減し、国民全体で痛みを共有していく土台を築く、以上が長々と綴ってきた内容の要点となります。もともと難解なテーマへの無謀なチャレンジである中、言葉が不足している点なども多く、異論反論、厳しい批判が寄せられるものと思います。冒頭述べたような「叩き台」という趣旨で、ぜひ、ご理解ご容赦ください。

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2010年8月 1日 (日)

高負担・高福祉のスウェーデン

議会を開かず、専決処分を連発している阿久根市の竹原市長は副市長まで専決処分で選任しています。厚生労働省の職員を対象にしたアンケートからは、長妻大臣ら政務三役の「指示に納得1%」という結果が明らかになりました。この1週間で目にしたニュースですが、それぞれ当ブログの記事として取り上げれば様々なご意見を喚起するような興味深い話題の数々でした。

とは言え、国の財政問題を切り口にした内容を掘り下げているところですので、前回の記事「なるほど、国の借金問題」を引き継ぐ内容で、今回も綴らせていただきます。前回記事の中で日本は低負担・低福祉の国であるという説を紹介しました。この見方に関しては評価は分かれるようですが、スウェーデンが高負担・高福祉の国であることは衆目の一致するところではないでしょうか。

最近の記事(もう少し「第三の道」の話)の中でも、財政再建と経済成長の二兎を追って成功した例としてスウェーデンを紹介していました。政府税制調査会専門家委員会の委員長を務めている東京大学の神野直彦教授が、スウェーデンは重化学工業からソフト・知識集約・サービス中心の産業構造にシフトでき、経済成長に成功した国であると述べています。そして、このような産業構造の変革は、強い社会保障が後押ししたと説かれていました。

私自身、スウェーデンについて漠然としたイメージで理解しているだけで、正直なところ詳しく調べたことがありませんでした。このブログでスウェーデンの話を取り上げながら、それでは問題だろうと思い始めていました。そのような時、立ち寄った書店で最近出版された「スウェーデンはなぜ強いのか」という新書が目にとまりました。たびたび研究のため、スウェーデンを訪問している明治大学商学部教授の北岡孝義さんの著書でした。

スウェーデンは社会保障が進み男女平等が徹底された福祉国家であると讃美するのも、税金が高く社会主義的な国であると批判するのも、一面しか捉えていない。「伝統的な家族」は崩壊してしまっており、母子家庭・父子家庭や片親の違う兄弟も普通のことだ。ボルボやサーブが破綻しても政府は救済しないなど、米国以上に市場原理主義的な国でもある。その特異な社会・経済を理解するためには、国家を支える理念と、それが生まれた背景を知る必要がある。

戦後の高度成長期に必要とされた「国民の家」の理念は、H&Mやイケアの企業戦略、年金制度改革などに、どう実践されているのか。スウェーデンは福祉を経済成長にもつなげている。しかし、それを表面的に真似ても、うまくはいかない。この国から学ぶべきは、個々の政策ではなく、政治・制度に対する国民の信頼という無形の社会資本を形成し、担保するしくみだ。日本がとるべき道を示唆する。

本の内容のポイントについては上記のとおり紹介されています。今回のブログ記事では、北岡さんの著書から読み取ったスウェーデンのことを細かく紹介できるものではありません。「この国から学ぶべきは、個々の政策ではなく」という上記の言葉のとおり日本の現状と将来に引き付けた視点で、あくまでも私自身が印象に残った内容を中心に掲げていくつもりです。もっとスウェーデンのことを知りたい方は、ぜひ、北岡さんの著書などをご覧いただければと思っています。

さて、スウェーデンの所得税は収入に対して55%までかかる場合があります。年金、医療、介護、失業保険などの社会保険料の個人負担は給与の7%で、企業負担が28.6%、残りが国の負担となっています。日本に比べて社会保険料の企業負担が高くなっていますが、法人税など企業課税は低く抑えられています。スウェーデンの企業は国民の経済的厚生の向上に貢献することが求められ、企業活動で得た利益は基本的に従業員や株主に還元すべきであるという考え方があるため、社会保険の企業負担が大きくなっているそうです。

さらに消費税率は25%(商品によって軽減税率も)という高負担ですが、それに見合った福祉制度が保障されています。最低保障年金制度があり、20歳以下の医療費無料、大学院までの教育費無料、託児所も無料、月額1万3千円の児童手当、在宅ケアを中心とした介護制度の充実など多岐にわたっています。そもそもスウェーデンの福祉は、育児、教育、医療、老人介護などは、原則として個人の負担ではなく、国の負担であるという理念があります。

福祉が行き届けば、国民はやる気を起こさないと言われがちですが、スウェーデンの国民は勤勉で、労働生産性は日本より遥かに高いそうです。政府が学校、職場、地域、家庭のあらゆる場で、男女平等、人権・個性の尊重を訴え、自立心の強さが国民性として定着している背景からでしょうか。また、「大きな政府」であることは確かですが、スウェーデン政府の企業政策はアメリカ以上の市場原理主義的だと見られています。

企業のリストラに反対するどころか、スウェーデン政府は容認している立場でした。企業の経営破綻に際しては、スウェーデンを代表する自動車会社のボルボやサーブへの救済も拒んでいました。その結果、失業率は常に高い水準をたどっています。しかしながら失業保険と職業訓練が充実しているため、失業そのものがより良い職を得るための準備期間であるとポジティブに受けとめられていました。

このような積極的な労働市場政策のもと、低生産部門から高生産部門への移動が容易となり、前述したような神野教授の発言につながっているものと理解しています。一方で、市場の機能がうまく働かない分野には、国が徹底的に介入していました。例えば、教育や医療サービスの分野では市場の機能を使わず、原則として学校や病院は国立・公立での運営となっています。

高度経済成長期における女性の就業率の上昇は伝統的な家族のあり様を変え、離婚率や自殺率、若年層の犯罪率を高めたという見方があります。その対応策としてスウェーデン政府は、崩壊した家族の代わりに国家が家族の役割を果たそうと考える「国民の家」という理念を打ち出していきました。この理念のもと1960年代から増税政策に転換し、きめ細かい福祉施策が整えられ、高負担・高福祉の社会経済政策が始まったと言われています。

そして、「国民の家」の理念や高負担・高福祉の政策を進めるためには、政治への信頼が不可欠です。その信頼を担保する施策として、まず徹底的な情報公開があげられます。国会議員の活動経費にはすべて領収書が求められ、活動内容の細部がインターネットからアクセスできるようになっています。なお、スウェーデンが発祥の地であるオンブズマン制度の活動のすべては国費で賄われています。

また、国会議員の多くは議員活動を行なうとともに本業も続けています。政治家が実生活から遊離しない効果があり、国会議員は職業ではなく、一種の社会奉仕であるという認識も定着しているそうです。さらに意思決定の迅速性と効率性を求め、スウェーデンの国会は1971年に2院制から1院制に改められていました。このように政治家側のあり方が日本と大きく異なりますが、国民の政治への関心はもっと開きがあり、スウェーデンの選挙の投票率は軒並80~90%という驚くべき高さでした。

北岡さんはスウェーデンの歴史や現状を詳しく紹介した最後に、日本が学ぶべきことなども提起されています。そのあたりまで、ここで掲げてしまうのは好ましくありません。ただ今回の記事をお読みいただいた皆さん一人ひとりが「日本とは違うところ、学ぶべきところ」などを思い巡らしているのではないでしょうか。ちなみに「税金は高いけれど、安心だ」という福祉国家スウェーデンを築いてきたのは、圧倒的な長さで戦後政治を担っていた社会民主党政権でした。

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