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2010年7月25日 (日)

なるほど、国の借金問題

前回記事「コメント欄雑感」は、要するに「これまで通りオープンなスタイルでコメントを受け付けていきます」という話を綴ったものでした。それだけの内容で、長々と一つの記事に仕上げてしまいました。国家財政のあり方などについて関心を持たれている方々にとって、退屈な記事内容だったものと思います。それでも時折り、前回記事のような他愛ない話題を投稿しているのが当ブログの特徴であり、カテゴリーを「日記・コラム・つぶやき」としている所以でした。

さて、前々回記事(もう少し「第三の道」の話)のコメント欄では、日本の財政が破綻寸前という危機意識から大所高所からのご意見が多く寄せられていました。その議論の流れからすれば、まったく前回記事は横道にそれたものでした。意図的に話題転換をはかろうとした訳ではありませんので、改めて難解なテーマに対して自分なりの切り口で挑んでみるつもりです。

ただ専門に財政面の問題を研究している立場ではなく、特に詳しい知識を持ち合わせている訳でもありません。他の分野を扱ったブログ記事でも言えることですが、手にした様々な著書の中から共感した内容などを取り上げていることが常でした。自分自身の言葉で語らない点について批判を受ける場合もありますが、そもそも自分自身の「考え」だと思っていることも、元をたどれば他人の「考え」を見聞きしたものの蓄積ではないのでしょうか。

そのような前置きを行ないながら、今回、日本の借金などを考える上で非常に参考になった著書を紹介します。細野真宏さんの『最新の経済と政治のニュースが世界一わかる本!』でした。細野さんは『経済のニュースがよくわかる本』『「未納が増えると年金が破綻する」って誰が言った?』などの著書を持ち、ビジネス書のベストセラーを連発されていました。そのタイトルに違うことなく、本当に分かりやすい本でした。

このような発想もあるという点で、ぜひ、このブログで紹介したいものと考えながら読み進めていました。年金の問題なども分かりやすく、「目からウロコ」と呼べる興味深いものでしたが、今回は国の借金に絡んだ内容を中心に紹介していくつもりです。なお、私自身は細野さんの問題意識に強く共感しているところですが、やはり見方や評価は個々人で枝分かれしていくのだろうと思っていることも、あらかじめ付け加えさせていただきます。

日本は「低負担・低福祉」を選択している国

まず細野さんは国の借金の定義を次のとおり整理していました。長期の国だけの借金が約600兆円、長期の地方分を合わせると約800兆円、短期の借金なども含めて国と地方分を合わせると1000兆円以上とし、どれも「正解」ではあるが「理想的な解答」は約800兆円だと述べられています。会社の連結決算と同様、親会社(国)の経営状態だけではなく、子会社(地方)も含めた全体を見るのが「世界標準」であり、あまり期間の短いお金のやり繰りに目を向けないのが一般的だそうです。

国の借金である国債の9割以上は国内の会社や個人が保有しています。海外のお金は逃げ足が早く、「キャピタル・フライト(資本の逃避)」を起こしやすい面があり、このようなリスクが少ない点から日本の場合は安心であるという見方があります。また、日本の個人金融資産は1400兆円ですが、大半は銀行や郵便局に預貯金の形で預けられています。景気が回復していない中、会社への貸し出しが少なく、金融機関は大量に国債を買っている現況です。そのため、多くの国民は銀行を通して、間接的に国へお金を貸している状態だと細野さんは述べられていました。

先進諸国の対GDP比による日本の債務残高はダントツのワースト1です。ただ社会保障費を除いた内訳は、世界的に見て圧倒的にお金を使っていないことを細野さんは指摘しています。さらに高齢化率世界一の日本でありながら、社会保障費を含めた全支出の比較の中でも低いほうにランクされていました。それにもかかわらず、債務残高がワートス1になる理由は、税と社会保険料を合わせた国民負担率が最下位近くとなるからでした。

細野さんは「高齢者の割合が世界一」であるにもかかわらず、「国民負担が世界的にも低い」という状況なので、借金が増え続けているのは当然の状況だと語っています。なぜ、そのような「低負担・低福祉」となっているのか、私たち国民が選挙で選択してきた結果だと説かれています。日本は「自分のことは自助努力」という社会であり、国民は自分の生活を守るため、増税に反対し続けます。

加えて、国民感情として「無駄遣いがあるうちは、増税なんて絶対反対」という声が強まります。そのような声を受け、小泉政権は徹底的な国の支出削減に取り組みましたが、「無駄の削減」で捻出できる金額は大した規模とならないことを見込んでいたようです。2006年6月22日の経済財政諮問会議の中の「歳出をどんどん切り詰めていけば“やめてほしい”という声が出てくる。“増税してもいいから必要な施策をやってくれ”という状況になるまで、歳出をカットしなければならない」という発言が紹介されていましたが、国民を見下した冷たい響きが感じ取れてしまいます。

すでに日本の財政は破綻?

細野さんは国の財政破綻も会社の倒産も、基本的な仕組みは変わらないと説明しています。多くの会社は資金に余裕がないため、借金して金利を払いながら経営を進めています。資金繰りができている限り、会社が倒産することはあり得ません。経営が傾き、将来に不安が出てくると貸し手は高い金利などを要求するようになります。その金利の水準が持続可能な限界を超えると、会社は倒産せざるを得なくなります。

国の財政破綻も同様に借金が約束通り返せなくなる状態を指します。専門用語で「デフォルト(債務不履行)」と言いますが、1998年にデフォルトに陥ったロシアは短期国債に対して172%という金利を市場から要求されていました。それに対し、現在の日本の「10年物国債」は2%に満たない水準で推移しています。現時点で世界のマーケットは「まだ日本の財政は安心できる」と考えていることが分かります。

続いて、まさしく「なるほど」と感じた話に触れられる機会となりました。細野さんは、個人の借金と同じような発想で国の借金も「将来はゼロにしなければならない」と考えている人も多いが、それは誤解であると述べられていました。国に借金があること自体は、決して問題視すべきではないと強調しています。会社の借金と同様、国も借金しながら事業を続けるものであり、無理なく資金繰りができている限りは問題ないということでした。

問題視すべきは、借金があるということではなく、際限なく借金が増え続けていくことであり、未来の借金に歯止めをかけることだそうです。そのためのプライマリー・バランスの黒字化であり、単年度の基礎的収支を考える中で「低負担・低福祉」のままで良いのかが重視されていくものと私自身も受けとめています。なお、このあたりについては、また別な機会に掘り下げてみたいものと考えています。

景気と借金の関係など…

景気が回復すれば税収が増えるので、国の借金は減っていくと言われています。しかしながら細野さんは、景気が回復すれば金利も上がるため、800兆円の1%は8兆円となり、消費税3%以上の負担が増える試算を示されていました。したがって、抜本的な解決策としては、借金の金利の上昇率よりも経済規模(GDP)を増やす必要性を説かれていました。金利が2%増加しても、経済成長率が3%だった場合、国の借金の負担は減っていく理屈でした。

私自身が特に注目した箇所を綴ってきましたが、まだまだ紹介したい内容が数多くありました。ここで今回の記事は終えますが、必要に応じて補足すべき点があれば対応させていただきます。とりわけ「無駄の削減」の記述などは、自分たちの既得権を守りたいための言い分のようにとらえられる心配もあります。いずれにしても、今回のテーマは引き続き取り上げていくべきものと考えていますので、言葉が不足しているような場合などはご容赦いただければ幸いです。

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コメント

私個人としては、2006年6月22日の経済財政諮問会議での小泉氏自身のご発言に関しては、この国の国民性というか有権者の政治的選択の指向性を前提として、「この国の人口構造や財政構造を念頭に置けば、非常に妥当かつ現実に符合した台詞」だと思っています。
当時の有権者がどれほどに”小泉内閣を支持したか?”を考え&当該の小泉氏のご発言を知ったときに、有権者集団の政治的選択の当然の帰結だろうと思い、”この国の政治体制の下では、民度以上の政権は存在出来ない”という言葉を思い浮かべて、深い諦念を覚えたものでした。

ちなみに私は、”社会保障に関して、(最大限に不正利用や過剰利用を排除し、予算執行上の無駄を排除しても)現状を維持するためだけであっても、国民負担の増加は避けられない。また負担を増やしてでも、現行水準はなんとか維持する必要があるだろう。ホントは、大幅に負担を増やして厚くすべき部分がある。”という考え方です、念のため。
しかしながら現状では、”社会保障を必要とする人ほどに、現状の水準の低さを問題視する人ほどに、行政に現状の保障水準について苦情を申し述べる人ほどに、十分な原資の拠出(見合うだけの租税公課の負担)を渋る傾向がありそうだ”とか、”自分の政治的選択の帰結が何を意味するか知らないままに、政治的選択を行った結果当然に生じた事象について、自らの政治的選択の帰結と考えずに、第三者の責任だと考える傾向がありそうだ”とか、そんな事を思っているので「数年前の社会状況・経済状況・人口構造を前提とすれば取り得る途もあっただろうけど、今更どうしようもないし、いろいろな意味でこの国は詰んでいる」と思っているのですけど。

そういった現状認識の上では、小泉氏の当該発言は、”私が為政者でも、そう考えるしか途はないだろう”と思わざるを得ないというか。その帰結に関して、冷たい汗が背中を流れるような、寒くなるような感覚におそわれつつも、そう思わざるを得なかったというか。

投稿: あっしまった! | 2010年7月25日 (日) 22時12分

今の現実はと言えば、2010年現在で国の予算の中だけで利払い費は約10兆円が見込まれています。ちなみに一般会計の税収は約37兆円なので、収入の内1/4以上が何も出来ずに利息だけで消えています。
また今後の返済を考えてみれば、現在の国の長期債務は約600兆円で償還前の平均金利は3.5%ほどとのことですから、仮に今後一切借り入れをせずに50年で返済するとしてみると、毎年の返済額は約22兆円で返済総額は1300兆円ほどになります。
収入の約6割を返済に充て続けれても、今後50年で約700兆円が利子として消える現実は、どう言葉をならべても誤魔化しようがないと思います。今の低金利が続けば多少は少なくなりますけどね。

しかし、現実にこれだけの金額を返し続ける事は確実に無理でしょうから、結局返済は延々と更に先に延ばされて、当然利払い金は増える事になります。その上、国だけでなく地方も計算に入れればどれだけ無駄に消えるのか、考えると非常に怖い状況のはずですが・・それが問題でないとすると・・・・。確かに破綻を避けられれば借金自体は問題ないかも知れませんが、それでも利払い金が問題ではないとは言えないですよね。それとも、国債を持っている人間にのみ利益を誘導しろと言うのでしょうか。


先日の「第3の道」の話の時にも感じた事ですが、どれほど言葉を巧みに操っても国や地方が持つ借金は減らないし返済も免除して貰えません。そして恐らく世界からの要求で高インフレに誘導して誤魔化す事も出来ないでしょう。
つまり現状を理解して、問題を判りやすく単純化してみれば、国民の選択は「借金を返すのか返さない(デフォルト)のか」を決めて、返すならば「誰への支出を減らすのか」或いは「誰に返させるのか」を突き詰めなければなりません。但し今の支出状況をみれば社会保障費以外に削りようがない事も明らかです。(公務員の人件費削減でというならば止めませんが・・)
結局「第3の道」と心地よい事を言ってみても、誰から利権を取り上げるのかとか、誰へ負担を強いるのかを判りにくくして、言葉遊びをしているだけです。


そして常々思うのですか、今回の記事のような言葉で目先を変えれば破綻まで多少は時間を稼げるでしょう。そうして「OTSU」氏は破綻前に退職されるのでしょうが・・あなたの配下の後輩たちは想像を超える苦しみを背負わせることになりますよ。・・それで貴方は良いと考えているのですか。

物事の本質的な解決の為には問題点と選択肢の単純化が欠かせません。回答を必要としていないというのなら、この限りではありませんが・・。それと「低負担・低福祉」については別な機会にと言われていますが、どうか上記の状況であるという現実を切り離して考えることの無いようにリクエストしておきたいと思います。

最後に記事中の「歳出をどんどん切り詰めていけば“やめてほしい”という声が出てくる。“増税してもいいから必要な施策をやってくれ”という状況になるまで、歳出をカットしなければならない」と言うのは極めて妥当な回答だったと思います。


先週の記事には敢えて口を閉じました。ほとぼりが冷めた頃に書こうと考えています。

投稿: mobileSE | 2010年7月25日 (日) 23時25分

追伸、「あっしまった!」氏の下の言葉に賛同します。

>しかしながら現状では、”社会保障を必要とする人ほどに、現状の水準の低さを
>問題視する人ほどに、行政に現状の保障水準について苦情を申し述べる人ほどに、
>十分な原資の拠出(見合うだけの租税公課の負担)を渋る傾向がありそうだ”とか、
>”自分の政治的選択の帰結が何を意味するか知らないままに、政治的選択を行った
>結果当然に生じた事象について、自らの政治的選択の帰結と考えずに、
>第三者の責任だと考える傾向がありそうだ”とか、・・

そして追加で述べさせて貰えれば、真面目に働いて見合う以上の租税公課の負担をした者の原資が、上記のような者へ誘導される現実こそ「格差」として正されるべきと考えます。

投稿: mobileSE | 2010年7月25日 (日) 23時31分

あっしまった!さん、mobileSEさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

お二人へのレスの場をお借りし、記事の内容を少し補足させていただきます。言葉が不足している記事でしたが、念のため、細野さんは現状のままで「だから大丈夫」と述べている訳ではありません。「今のところ大丈夫、でも、このままではたいへん」だと訴えている著書だと理解しています。

その解決策の一つとして、年金制度への誤解も含めて将来の安心を鍵にしていました。つまり「低負担・低福祉」となっている現状への問題提起でした。このような見方も含め、私自身、共感した内容が多々ありました。記事本文の中でも示したとおり次回以降も、このような点について掘り下げていく予定です。

投稿: OTSU | 2010年7月26日 (月) 06時45分

○日本は低負担低福祉か?

答えは明確に「No」だ。日本は(今まで)低負担高福祉だ。だから800兆円の借金を作った。
「入るを計って出を制す」という財政の基本さえ忘れてしまった「愚かな日本人」の末路だ。
はよ借金を返せ。それが仮に「塗炭の苦しみ」であってもだ。それが我々が子孫にしてやれる唯一の事だ。
もう日本には「高負担低福祉」しか残されていないのですよ。

○日本の財政は何時まで安心できるのか?

答えは「安心できない」と考えるまで。それが3日後ではない保証は全くない。

○金利の上昇率より経済規模(GDP)を増やす方針は妥当か?

小学生の高学年あたりから、こう答えるだろう・・「無理だ」。
IQが100もあれば、こう答えるだろう・・・「不可能だ」。
おおよそ「生産層」と言われる20歳~60歳の人口が減少、中国・インドなどの「生産力の増加」と相対的な日本の「生産力と生産意欲の低下」を考えると、それが「絵空事」である事は明らかだ。

まあ「細野某」が叩き殺されない事を望むばかりだ。

投稿: あまのじゃく | 2010年7月26日 (月) 12時00分

”金利の上昇率 < 経済規模を増やす”という公式の実現可能性
おそらく限りなく無理でしょうけど、敢えて(無理矢理に考えると)それしか途が無いようにも思います。

投稿: あっしまった! | 2010年7月26日 (月) 12時09分

連投失礼。m(__)m 一応主題であるところの、ご紹介の書籍に関して。

管理人様ご紹介の書籍に関しては、拝読済みですので、一応ご報告ということで。
個人的には、細野氏の仰りたいことや現状認識・危機意識みたいなものは、
管理人様の仰るとおりに感じ取れないでもないのです。
(他書や他所での氏の著述を含めて、拝読する限りにおいて。)
当該書籍の内容と、私の考えるところが、どこまで一致するのか?は別として。

氏の場合、政府の会議の委員を務められたという経歴がある関係上、
提灯記事的な色眼鏡で見られてしまう部分もあるでしょうね。
公表されている限りにおいて、政治とか行政との繋がりは深くは無さそうですけど。


投稿: あっしまった! | 2010年7月26日 (月) 19時16分

あまのじゃくさん、あっしまった!さん、コメントありがとうございます。

記事本文の中でも書かせていただきましたが、やはり細野さんの問題意識に対して個々の評価は分かれていくようです。ちなみに経済の成長率について「絵空事」と非難されそうですが、民主党のマニフェストは2020年度までの平均で名目3%超、実質2%超の率を掲げています。医療、介護、農業、住宅などの新たな成長産業の育成、映像、アニメ、音楽などのコンテンツ保護強化・デジタル化などによる新規ビジネスの創出、このような点を重視しながら経済成長をめざしているようです。

前回の記事でも申し上げていたことですが、このような中途半端な一言は余計だったかも知れません。それでも論点が広がったとしても、それはそれで貴重なご意見に触れられる機会だと考えています。いずれにしてもお二人のような論客の方々からコメントをいただけることによって、記事本文の拙さなどが補強されていくものと感謝しています。

投稿: OTSU | 2010年7月26日 (月) 22時29分

ブックマーク残してあったので、久々にのぞいてみました。およそ2ヶ月ぶりくらいかな。ごぶさたしております。

今回のお題は国の借金問題、ということみたいですね。
結局のところ借金問題については「持続可能みたいですよ」という結論のようですが、
「高負担」か「低福祉」かどっちに振れるべきなのか、その肝心の部分がなく「さわり」に
終わってしまっているのが残念なところです。そこ、一番大事なところですよ。

加えて、その「持続可能」とする理屈自体にも疑問が残りました。
主に、借金の負担が可能な現役世代が半分になっても持続可能なんでしょうか。
支える高齢者が2倍になっても持続可能なんでしょうか、という点です。

細野さんという方の主張を引用されている部分で疑問に思った点は次の2点でした。
疑問点1
>国債を増発しないなら、経済成長率>金利ならば国の借金は減っていく

→経済成長=政府の貸借対照表の成長ではなく民間の経済成長分も含めた数値。
 民間の資産で国の借金が返せるのであれば真であるが、事実はそうではなく、
 民間資産は海外に移せることを考慮に入れていない。民間の経済成長率と
 国の財政改善、景気回復と税収回復には相関関係はあるが一次曲線ではない。
 税制は毎年変更される、企業の赤字幅が減少しても納税額は増えない、繰り
 延べ税制の影響なども考慮に入れていない。

→正確には国の財政規模成長率(支出も増えるが収入も増える)>金利
(収支総額に占める比率が下がることで実質の借金が減る)
 あるいは、インフレ率>金利(貨幣価値が下がることで実質の借金が減る)
 ではないか。

なお新たな国債発行がある場合、その増加分は金利として追加する必要が
あるため、この式は事実上成り立たなくなりますね。(すでに書かれているとおりです)


疑問点2.
>国も借金しながら事業を続けるものであり、無理なく資金繰りができている限りは問題ない。

→国内労働者の総所得の上昇率が借金の上昇率を上回っていること、高齢者の比率が一定ならば、
 当面は問題はないと言える。現実には将来見通しとして労働者層の所得は減り続け、労働者人口が
 減り、高齢者が増える以上、借金を減らしていかなければ労働者1人あたり負担額が増えていく。
 ストックとしての社会資本(道路・橋・水道・ガス管等)もすでに老朽化しており、マンションで
 言えばこれから修繕積立金が跳ね上がってくる頃にさしかかっていることも踏まえる必要がある。
 一人あたり負担額を増やさないためには人口減少率以上の速いペースで負債を減らす必要あり。
 しかし現実に労働力人口/総人口の比率が悪化している以上、今後の負債の負担人口も減る=
 労働力人口に対する借金の比率が増える。故に無理なく資金繰りが出来ている、とは到底言えない
 のではないか。

→信用不安を甘く見ている。不動産バブルの前に無理なく資金繰りが出来ていたはずの会社が、
 バブル崩壊でどうなったかを考えると、「無理なく」の定義があいまいすぎる。今当てはまる
 理屈を明日、1年後、10年後に同じことが言えるかどうか判らないことを無視している。
 国で言うならば、アイスランドは金融危機以前どうだったか。ギリシャは。PIIGSでまとめてもいいが。
 もう少し古い話では、アジアの通貨危機もあった。
 国内消費か海外の投資家かという違いはあるかもしれないが、国民が国債を買わなく(買えなく)
 なれば同じこと。なんだか収入400万でマンションが買える!家賃感覚で35年ローンで買いましょう!
 くらいの大甘な見通しに感じる(収入減で返せなくなり二束三文で手放し、後には借金だけ残るリスク)。

ちなみに「未納が増えても年金は破綻しない」かもしれませんが、年金未納者が自身の老後の生活のために
十分な蓄えをしている可能性は一部の高所得者層を除いてはほぼあり得ないため、生活保護層が増え、
社会保障費は増大する=公的負担が結果的に増えるのではないでしょうか。本は読んでいないのでどのような
主張をされているかわかりませんが、年金未納者は生活保護なんかもらえないよという主張はされてないでしょうから・・。

あ、疑問点に3点目がありました。
国民が現在選んでいるのは、低負担・低福祉ではなく、低負担・高福祉ですよ。
そうでないのに生活保護を受けに隣国から大挙して押しかけてくるものですか。
(国籍に日本人の血は関係ありません。日本籍を選んだか、選んでないのか、でしょう?)

投稿: とーる | 2010年7月27日 (火) 01時10分

とーるさん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。

今回の記事で紹介できなかった箇所の中で、ある程度今回のお尋ねに答えられる内容があるものと思っています。ただ限られた朝の時間では充分なレスができませんので、今夜、改めて細野さんの著書を読んで私自身が理解している「考え」についてお答えさせていただきます。したがって、お時間を少し頂戴することをご容赦ください。

投稿: OTSU | 2010年7月27日 (火) 06時49分

私が書いたのは「借金に依存して生活しようとする日本人の感性では、経済成長なんて絵空事だ」です。誤解なきよう。

1:経済活性とは何か?
「へ~、それは大変価値があるね」と言ってお金を払ってまで、サービスを求める活動が活発になる事です。
これを如何に作りだすか・・が全てのカギです。

2:その為には、価値が分かる人の裁量権を最大に尊重すべきである。
戦後復興に重要だったのは「合理性」です。だから官僚がリードする余地があったのです。しかし、それが「好み」や「嗜好性」に変化しているから、役人では「絶対に無理」なんですよ。役人が無能なんのでは無く、彼らの感性とは異質なものが要求されるからです。
だから、貴方達が「ため息」をつく事になっているのですが・・。早く考え方を変えた方が良いですね。

3:その為には「我こそは自信あり」という者を許容しなければなりません。つまり「規制緩和」です。
しかし、これは弱肉強食と貧富の格差を生みます。これを許容する「勇気」と「気概」が今の日本人に残っているかが問われているのです。
嫉妬にかられて「ホリエモン」や「村上ファンド」程度の人間さえ許容出来ないようでは、経済活性化なんて絵空事だ。

4:では「医療や介護」が将来有望か?
答えは明確に「No」です。若し医療や介護に多くの人が本当に価値を見出してお金を払うのなら、とっくの昔に「公的保険制度」は廃止されている筈だからです。
こんなものに力を入れて期待すると、将来「タヌキしか通らない道路を舗装した」状況と同じになります。子孫をより苦しめる。
人間たぁ、そんなもんだ。これからの人間(子供)にはお金を投じるが、終わった人間(親)にはお金を出し惜しむ。これは社会を維持する為の「知恵」と考えた方がいい。親にお金を使うのは1回だけ、葬式。まあ「最後の晩餐」だな。

5:つまり小舟一艘で海原にこぎ出す勇気を日本人が持てるかが全てのカギだ。
その気概さえあれば、日本は多くのコンテンツや資源や人材を持っている。
私が見る所、年金制度を廃止して最低生活法を制定できるか?・・・だな。
どういう意味かというと「risk take」出来るか?・・・だ。・・・まあ、「出来ない」に1万円(笑)。

投稿: あまのじゃく | 2010年7月27日 (火) 10時10分

「あまのじゃく」氏

氏の書いた「最低生活法」とは「ベーシックインカム」の事でしょうか。もし、それを指すのならば、私は出来れば導入には賛成したくありません。

結局「ベーシックインカム」とは、これをもって全ての社会保障費を置き換える、いわゆる生活弱者手切金制度であると考えています。この支給額を国民一律に月8万円程度と設定すると国全体で年間の必要額はおおよそ125兆円となります。この財源を、すべて消費税で賄うことにすれば必要な税率は約50%程となり、とんでもない税率に聞こえるのですが、その代り国民には年金や健康保険、その他失業保険等の社会保障関係の負担が無くなりますから負担は不可能ではありません。
行政にとっても年金を始め健康保険や老人介護や生活保護、その他社会保障全般に割いていた業務が無くなりますので、とことん省力化が可能となります。ざっくり考えて国と地方を合わせた公務員の3/4は(自動化による省力化も含めてですが)不要になるのではないかなと・・。(公務員を一方的に解雇しても何の問題もありません。何故ならそのための「ベーシックインカム」ですから)

この時、同時に現状の手厚すぎる労働者保護も全廃して、労働者は働き方は実力に応じて自由にして、但し経営者側が解雇するのも自由とする。もちろん定年なんかも全廃して能力がある限り働けることにする。逆に能力がなければ今日にも解雇されるのを当たり前とする。こうしたならば個々に力のある者の能力が最大限に発揮されて、これからの日本という国であっても経済成長は可能だろうと考えています。

これからの超高齢化社会で日本という国が競争力を持ち続けるには、その方法が一番妥当だろうと考えています。しかし、そのためには路上に倒れる死体の山すら無視して歩く強さが個人個人に必要であり、そうなって欲しいとは思わないのですよ。


何だかんだと言って私も、もっと良い方法は無いものかと思案している振りをして、現実から逃げているのかも知れません。

※「ベーシックインカム」の事を指していないのならば的外れでした。先にお詫びしておきます。申し訳ない・・。

投稿: mobileSE | 2010年7月27日 (火) 18時50分

あまのじゃくさん、mobileSEさん、コメントありがとうございます。

あまのじゃくさんの指摘されていた「絵空事」の意味、よく分かりました。私の理解は薄かったようで失礼致しました。ただそのような方向性しかないと考えるのかどうかは見方が分かれ、自分なりの試行錯誤を続けながら次回以降の記事につなげていくつもりです。

続いて、とーるさんからのお尋ねで、私からお答えできる内容について触れていきます。まず普段から1回あたりの文章量が多いことを少し反省しています。話題を広げていくと際限なく書き進めていく傾向があるため、どこかで当該記事のテーマに対する線引きに努めています。それならばそれで、まったく「予告」的な触れ方もしないほうがスッキリしているのかも知れません。それでも当ブログは単発なものではなく、連続性の中で綴っている位置付けであるため、「また別な機会に」という記述が少なくありません。結果的に肩透かしの印象を与えてしまいがちで、たいへん申し訳ありません。

ちなみに細野さんの考えは、「攻めの増税」と称した将来の安心を得るための増税を推奨されているように読み取れました。また、少子高齢化の中で将来の年金制度への不安感については、このように説かれていました。要点のみの紹介では、うまく伝わらないかも知れませんが、かつては年金を納める人が圧倒的に多かったため、現在約200兆円の積立金があることを指摘しています。さらに支給する年金の半分は今後も税金が投入され、制度の将来設計の基本としている出生率1.26は2100年に日本の人口5千万人を想定しているというものでした。

つまり最悪と思われているシナリオでも破綻しない公的年金制度となっているという説明でした。しかし、当然ながら投入する税金の原資が問題となり、これからも国債頼みでは財政が持たないため、将来の安心とセットとなる国民負担の引き上げ、消費税増税などが必要であるという論調です。この将来の安心によって、将来のことを心配して貯蓄する国民性が転換し、土地や家などの資産を含まない個人金融資産1400兆円が消費に結びついていけば、景気が上向き、日本経済を安定的に成長させると述べられていました。

とーるさんからの具体的に箇条書きされた疑問点に対し、必ずしも個々に対応した解答に至っていません。よく批判されがちな「論点そらし」などという思いは毛頭ありませんが、著書から読み取れない内容を勝手に書くことはできません。加えて、私自身の力量不足や思い込みによる記述があったりして、すでに細野さんにご迷惑をおかけしている可能性もあり、冷や汗をかきながら書き進めてきました。いずれにしても不充分な点が多く残されているものと思いますが、いったんここで区切らせていただくことをご容赦ください。

投稿: OTSU | 2010年7月27日 (火) 21時19分

先ず、mobileSEさんから
>私(あまのじゃく)が唱える「最低生活法」が「ベーシックインカム」の事なら、導入に賛成できない。
という問いかけがありましたので、お答えします。

1:ベーシックインカム(basic income)の事を知らなかったので調べました。
これは正にローマ帝国が滅亡した原因である「パンとサーカス」ですから、私は「絶対に」反対です。

2:氏が後段で書いているように、経済活動の自由度を上げて、且つ路上に死体の山が築かれないように最低生活法を定めるのです。
一汁一菜を1日2食、特区に於ける集団生活を強制し、場合によっては労働の義務も課し、最低限の「現物支給」を法で定める。
刑務所と何処が違うのだ?と問われても・・・答えに窮します。・・まあ出るのは自由・・・そんな所でしょうか。

この話は「良い」とか「悪い」とかの話ではありません。他に選択肢が無いのです。
借金を返し終わった後に(大きな政府・小さな政府)といった「選択肢」が現われるのですから。

投稿: あまのじゃく | 2010年7月28日 (水) 09時06分

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