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2010年7月25日 (日)

なるほど、国の借金問題

前回記事「コメント欄雑感」は、要するに「これまで通りオープンなスタイルでコメントを受け付けていきます」という話を綴ったものでした。それだけの内容で、長々と一つの記事に仕上げてしまいました。国家財政のあり方などについて関心を持たれている方々にとって、退屈な記事内容だったものと思います。それでも時折り、前回記事のような他愛ない話題を投稿しているのが当ブログの特徴であり、カテゴリーを「日記・コラム・つぶやき」としている所以でした。

さて、前々回記事(もう少し「第三の道」の話)のコメント欄では、日本の財政が破綻寸前という危機意識から大所高所からのご意見が多く寄せられていました。その議論の流れからすれば、まったく前回記事は横道にそれたものでした。意図的に話題転換をはかろうとした訳ではありませんので、改めて難解なテーマに対して自分なりの切り口で挑んでみるつもりです。

ただ専門に財政面の問題を研究している立場ではなく、特に詳しい知識を持ち合わせている訳でもありません。他の分野を扱ったブログ記事でも言えることですが、手にした様々な著書の中から共感した内容などを取り上げていることが常でした。自分自身の言葉で語らない点について批判を受ける場合もありますが、そもそも自分自身の「考え」だと思っていることも、元をたどれば他人の「考え」を見聞きしたものの蓄積ではないのでしょうか。

そのような前置きを行ないながら、今回、日本の借金などを考える上で非常に参考になった著書を紹介します。細野真宏さんの『最新の経済と政治のニュースが世界一わかる本!』でした。細野さんは『経済のニュースがよくわかる本』『「未納が増えると年金が破綻する」って誰が言った?』などの著書を持ち、ビジネス書のベストセラーを連発されていました。そのタイトルに違うことなく、本当に分かりやすい本でした。

このような発想もあるという点で、ぜひ、このブログで紹介したいものと考えながら読み進めていました。年金の問題なども分かりやすく、「目からウロコ」と呼べる興味深いものでしたが、今回は国の借金に絡んだ内容を中心に紹介していくつもりです。なお、私自身は細野さんの問題意識に強く共感しているところですが、やはり見方や評価は個々人で枝分かれしていくのだろうと思っていることも、あらかじめ付け加えさせていただきます。

日本は「低負担・低福祉」を選択している国

まず細野さんは国の借金の定義を次のとおり整理していました。長期の国だけの借金が約600兆円、長期の地方分を合わせると約800兆円、短期の借金なども含めて国と地方分を合わせると1000兆円以上とし、どれも「正解」ではあるが「理想的な解答」は約800兆円だと述べられています。会社の連結決算と同様、親会社(国)の経営状態だけではなく、子会社(地方)も含めた全体を見るのが「世界標準」であり、あまり期間の短いお金のやり繰りに目を向けないのが一般的だそうです。

国の借金である国債の9割以上は国内の会社や個人が保有しています。海外のお金は逃げ足が早く、「キャピタル・フライト(資本の逃避)」を起こしやすい面があり、このようなリスクが少ない点から日本の場合は安心であるという見方があります。また、日本の個人金融資産は1400兆円ですが、大半は銀行や郵便局に預貯金の形で預けられています。景気が回復していない中、会社への貸し出しが少なく、金融機関は大量に国債を買っている現況です。そのため、多くの国民は銀行を通して、間接的に国へお金を貸している状態だと細野さんは述べられていました。

先進諸国の対GDP比による日本の債務残高はダントツのワースト1です。ただ社会保障費を除いた内訳は、世界的に見て圧倒的にお金を使っていないことを細野さんは指摘しています。さらに高齢化率世界一の日本でありながら、社会保障費を含めた全支出の比較の中でも低いほうにランクされていました。それにもかかわらず、債務残高がワートス1になる理由は、税と社会保険料を合わせた国民負担率が最下位近くとなるからでした。

細野さんは「高齢者の割合が世界一」であるにもかかわらず、「国民負担が世界的にも低い」という状況なので、借金が増え続けているのは当然の状況だと語っています。なぜ、そのような「低負担・低福祉」となっているのか、私たち国民が選挙で選択してきた結果だと説かれています。日本は「自分のことは自助努力」という社会であり、国民は自分の生活を守るため、増税に反対し続けます。

加えて、国民感情として「無駄遣いがあるうちは、増税なんて絶対反対」という声が強まります。そのような声を受け、小泉政権は徹底的な国の支出削減に取り組みましたが、「無駄の削減」で捻出できる金額は大した規模とならないことを見込んでいたようです。2006年6月22日の経済財政諮問会議の中の「歳出をどんどん切り詰めていけば“やめてほしい”という声が出てくる。“増税してもいいから必要な施策をやってくれ”という状況になるまで、歳出をカットしなければならない」という発言が紹介されていましたが、国民を見下した冷たい響きが感じ取れてしまいます。

すでに日本の財政は破綻?

細野さんは国の財政破綻も会社の倒産も、基本的な仕組みは変わらないと説明しています。多くの会社は資金に余裕がないため、借金して金利を払いながら経営を進めています。資金繰りができている限り、会社が倒産することはあり得ません。経営が傾き、将来に不安が出てくると貸し手は高い金利などを要求するようになります。その金利の水準が持続可能な限界を超えると、会社は倒産せざるを得なくなります。

国の財政破綻も同様に借金が約束通り返せなくなる状態を指します。専門用語で「デフォルト(債務不履行)」と言いますが、1998年にデフォルトに陥ったロシアは短期国債に対して172%という金利を市場から要求されていました。それに対し、現在の日本の「10年物国債」は2%に満たない水準で推移しています。現時点で世界のマーケットは「まだ日本の財政は安心できる」と考えていることが分かります。

続いて、まさしく「なるほど」と感じた話に触れられる機会となりました。細野さんは、個人の借金と同じような発想で国の借金も「将来はゼロにしなければならない」と考えている人も多いが、それは誤解であると述べられていました。国に借金があること自体は、決して問題視すべきではないと強調しています。会社の借金と同様、国も借金しながら事業を続けるものであり、無理なく資金繰りができている限りは問題ないということでした。

問題視すべきは、借金があるということではなく、際限なく借金が増え続けていくことであり、未来の借金に歯止めをかけることだそうです。そのためのプライマリー・バランスの黒字化であり、単年度の基礎的収支を考える中で「低負担・低福祉」のままで良いのかが重視されていくものと私自身も受けとめています。なお、このあたりについては、また別な機会に掘り下げてみたいものと考えています。

景気と借金の関係など…

景気が回復すれば税収が増えるので、国の借金は減っていくと言われています。しかしながら細野さんは、景気が回復すれば金利も上がるため、800兆円の1%は8兆円となり、消費税3%以上の負担が増える試算を示されていました。したがって、抜本的な解決策としては、借金の金利の上昇率よりも経済規模(GDP)を増やす必要性を説かれていました。金利が2%増加しても、経済成長率が3%だった場合、国の借金の負担は減っていく理屈でした。

私自身が特に注目した箇所を綴ってきましたが、まだまだ紹介したい内容が数多くありました。ここで今回の記事は終えますが、必要に応じて補足すべき点があれば対応させていただきます。とりわけ「無駄の削減」の記述などは、自分たちの既得権を守りたいための言い分のようにとらえられる心配もあります。いずれにしても、今回のテーマは引き続き取り上げていくべきものと考えていますので、言葉が不足しているような場合などはご容赦いただければ幸いです。

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2010年7月18日 (日)

コメント欄雑感

ブログの運営のあり方は、管理人それぞれの考え方一つで大きく異なっているようです。自分の記事投稿のみでコメントもトラックバックも受け付けないもの、そのどちらかのみ受け付けるもの、コメントとトラックバックを管理人の承認制としているものがあります。承認制とは投稿したコメントやトラックバックが即時に反映されず、後ほど管理人が内容などを確認した上で表示される機能を指します。

つまり問題がある内容だと管理人から判断されれば、投稿した文章は表に出ないことになります。いわゆる「検閲」と同じですが、私的なブログ運営の中で取り立てて厳しく批判を受けるべき行為ではないことも確かでした。「荒らし」の防止や殺伐とした議論につながらないよう管理人の判断で取捨選択するのも、一つの見識であるという評価の声も聞こえています。

また、閲覧者のコメント欄への投稿に対し、一切管理人がレスしないブログもあります。逆に一人ひとりのコメントに対し、必ず一つ一つ丁寧にお答えしているブログも見受けられます。一方で、もともとコメントを自由に受け付けていたブログが「炎上」気味となってしまい、途中からコメント欄を閉鎖した例も少なくありません。このようにプライベートな運営が中心となるブログの世界では「こうしなければならない」という制約がある訳でもありません。

このココログのブログでも、様々な機能を選べるようになっています。しかし、多様な意見を伺いながら一方通行とならない議論ができることを大事な目的としているため、開設時からフルオープンなブログとしています。つまりコメントもトラックバックも即時に反映できるようになっていました。そして、どのような辛辣なご意見だったとしても削除などあり得ず、「捨て台詞」のような一言一言にも意味を感じ取ろうと心がけてきました。

なお、アダルトサイトに誘導するような明らかなスパムコメントやトラックバックに関しては適宜、すみやかに削除しています。記事内容と無関係なトラックバックを嫌がる管理人もいますが、このブログはそのあたりも非常におおらかに受け付けています。広告的なサイトへのリンクだったとしても、スパムかどうか微妙な場合は削除しないことを基本方針としています。

ところで、ブログを始めた頃は、他の方のブログにコメント投稿することも珍しくありませんでした。ブログという存在そのものに接し、相互交流が行ないやすい魅力にはまっていたため、自分の記事の更新頻度をはじめ、パソコンに向かう時間を惜しまない時期だったと言えます。ここ数年は自分のブログの運営が手一杯に感じるようになり、他のブログへコメントを投稿することはきわめて少なくなっています。

その頃、あるブログへコメントを投稿しましたが、管理人からのレスはありませんでした。それぞれ忙しかったりする事情を考えれば、逐次レスがなくても仕方ないことだと受けとめています。ただその時のブログの管理人は別な閲覧者からのコメントのみに対応し、結果的に私からのコメントは無視されている形となっていました。目も通してもらえなかったようにも感じ、決して気分が良いものではありませんでした。そのため、この時に感じた嫌な気持ちを自分のブログ運営における反面教師につなげられました。

要するに寄せられたコメント一つ一つに対し、必ず丁寧にレスしていくことを大事な方針として定めました。コメントの投稿数が少なかった頃は一問一答に努められましたが、日々のアクセス数が増え、コメントの数も急増していくとそのような対応も難しくなっていきました。それでも頂戴したコメント一つ一つを必ず読んでいることをお伝えするためにも、投稿された皆さん一人ひとりのお名前を掲げながら「コメントありがとうございました」というような謝意を表すようにしていました。

また、コメント投稿者同士の意見交換となる「掲示版」的な使われ方も歓迎していました。言うまでもなく、幅広い考え方などに触れられる貴重な機会となっているからでした。一方で、このブログの運営に関しては、実生活に過度な負担をかけないようなペース配分に心がけています。したがって、私への直接的な問いかけがない限り、その議論の輪に積極的に入っていくことはありませんでした。

そのような時も、私のブログに訪れていただき、時間を割いてコメントを投稿くださった皆さんへの謝意を表したレスを最低1日に1回は行なうように努めていました。その際、感謝の一言だけでは無味乾燥なコメントに過ぎないため、何かしら感想などを添えるようにしていました。かえって中途半端な「つまみ食い」のようなレスと取られがちだったかも知れませんが、自分なりのこだわりから心がけてきたコメント欄との付き合い方でした。

いつも悩ましいのは私への直接的な問いかけの中で、簡単に答えられない難しい内容のコメントが寄せられた時でした。なるべく素早くレスするように努めていますが、時間的な制約が多い平日には充分答え切れず、新規記事の中で自分なりの思いを綴るようなケースも少なくありませんでした。と言いながらも、私への問いかけに対して、すべてレスできているかどうか必ずしも自信ありません。

その結果、「スルーされた」「のれんに腕押し」などという不信感や失望感を与えがちなことも否めません。言い訳になって恐縮ですが、管理人は1人、それに対してコメント投稿者は複数となる関係上、一定の限界があることも確かです。加えて、個人の責任による運営とは言え、自治労に属する職員労働組合の執行委員長の立場を明らかにしています。自分の思いを偽ったレスはあり得ませんが、言葉を慎重に選ばなければならないケースも数多くありました。

そのようなレスに対しては「論点のすり替え」や「きれいごと」というような非難の声も上がっていました。まず応接することが誠意の第一歩と考えているため、その時に答えられる言葉を尽くして対応しているつもりですが、逃げているような批判を受けることは非常に悩ましい話でした。前回記事(もう少し「第三の道」の話)のコメント欄の中で、昔公務員さんから「寛容な心遣い、やはり、現役の公務員さん、昔公務員から見てよく理解出来ます。時にはキレたい所をキレル訳にはいけない・・・」と評していただきました。

正直なところ今年になって2回ほど沸点を超えていましたが、やはり感情的な応酬は他の閲覧者の皆さんにとって不愉快に映るだけだと思っています。したがって、可能な限り冷静さを失わないように努めていますが、そのことで、ますます奥歯にモノがはさまったような言い方になっている時もあるはずです。ちなみに自分自身の精神衛生上、ストレスをため込まないためにも言葉を選ばず、直球で切り返したい衝動にかられる時も少なくありません。

とは言え、このブログは私的な場でありながら、ある意味で公的な場のような位置付けを大事にしています。仲の良いグループ同士のサークルやサロンの場とせず、幅広い考え方を持った方々が気軽に出入りできる場であることを望んでいます。前回記事のコメント欄では、ある特定の人を「出入り禁止にすべき」というご意見もいただきました。しかし、特定の人に対して市役所への「出入り禁止」があり得ないように当ブログの性格上、その選択肢はまったく考えていませんでした。

さらにコメント欄での成りすまし防止に向け、「ID表示などの機能を取り入れるべきでは」という要望も示されていました。このブログでもアクセスログの解析機能があり、同一のパソコンから別な名前で投稿しているケースがあれば、そのことを確かめることもできます。ただ今まで一度もその必要性を感じたことがなく、常連の皆さんが複数のハンドルネームを使い分けているようなことを想像したこともありませんでした。

したがって、すでにコメント欄では「ID表示などの機能があったとしても、今のところ採用するつもりはありません」とお答えしていました。「ネット議論への雑感」「2009年末、改めて当ブログについて」「もう少し当ブログについてなどで述べてきた次のような思いがあるからでした。このブログのコメント欄に対する雑感を長々と綴らせていただきましたが、最後に一言。人によって賛否が分かれるようですが、相手を意図的に不愉快にさせるコメントは、その不愉快さが障壁となって本質的な議論に入りづらい、このように私自身は考えています。

匿名で率直な意見を交わせることは利点だと前向きにとらえています。一方で、匿名で発信できるということは、立場などの成りすましや都合良く情報を操作することも可能となります。それはそれでモラルの問題となりますが、このようなネット上の私的な場では特段何か問われるものではありません。したがって、誰がどのような立場で書いたかは、それほど大きな問題ではなく、その人が書き込んでいる言葉、つまり内容がどのように他の閲覧者の皆さんの共感を呼ぶのか、真偽が判断されていくのかどうかだと考えています。

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2010年7月11日 (日)

もう少し「第三の道」の話

参議院議員選挙の投票が締め切られた午後8時、各テレビ局の特番で一斉に政党別の議席予想数が示されました。マスコミの事前調査で民主党の苦戦が伝えられていましたが、その予想通りの結果となる数字が並んでいます。昨年8月に行なわれた衆議院議員選挙前の記事「ネガキャンの中の自治労」の中で、バンドワゴン効果とアンダードッグ効果について触れました。

バンドワゴンとは行列の先頭の楽隊車のことであり、先行者に同調する傾向が強まる効果を指します。勝ち馬に乗るという言葉と同じ意味合いとなります。アンダードッグとは負け犬のことであり、劣勢だった側を応援する傾向が出てくる効果を指します。判官びいきという意味合いと同じです。直前の予想数字は両極端なアナウンス効果を生み出すと言われていましたが、最近の傾向はバンドワゴン効果一辺倒の選挙結果につながっていました。

残念ながら今回も事前の予想が当たり、与党側の議席数は過半数に届かず、衆参の議決結果が異なりがちなネジレ国会につながる見通しとなりました。そのネジレ解消のため、新たな連立の枠組みを模索する動きが明日から始まるのかも知れません。開票速報の中で、特に注目している候補者は、比例代表区で自治労組織内のえさきたかしさん、東京都選挙区の小川敏夫さんでした。

3年前の自治労組織内候補だった相原久美子さんは、民主党比例区過去最高の50万を超える得票で、早々に当確を出していました。小川さんは過去2回上位当選してきた実績がありましたが、最後まで当落線上を抜け出したとは言えない厳しい選挙戦を強いられていました。小川さんに関しては何とかNHKでの当確を見届けてから新規記事を投稿することができました。一方、えさきさんについては確認できない段階での投稿に至り、ハラハラしながら開票速報を見守り続けることになります。

さて、前回記事「強い財政への雑感」の最後のほうで「残念ながら消費税増税の問題のみが争点とされがちです」と書きました。菅内閣となって民主党への支持率はV字回復していました。しかし、菅首相の「消費税10%」発言がマイナスの喧伝材料とされ、一転して民主党への風向きが変わりました。昨年の総選挙での公約を破り、すぐにでも消費税を引き上げるような印象が一人歩きし、民主党への逆風が強まっていました。

そもそも民主党のマニフェストは「消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始します」でした。民主党内で具体的な議論が煮詰まっていない中、確かに菅首相の「自民党の10%を参考に」という発言は軽率だったものと思います。それでも菅首相のその後の発言が「ぶれている」というマスコミからの批判もありましたが、消費税を含む税制議論の提起という点では一貫していたのではないでしょうか。ちなみに新聞の一面広告では次のような菅首相の言葉も掲げられていました。

少子高齢社会を迎え、社会保障費は毎年1兆円増えています。赤字国債でまかないつづけるのはもう限界です。それが消費税を含む税制の抜本改革を投げかけた理由です。財政破綻がもし起これば、真っ先に崩れるのは国民生活です。だからこそムダづかい削減を徹底したうえで、党派を超えた国民的議論を呼びかけました。もちろん、消費税を上げるときは、必ず国民に信を問います。

このブログを始めた頃、「骨っぽい挨拶の菅直人さん」という記事を投稿していました。菅首相は三多摩地区の出身であり、何回か直接お会いしています。もともと運動論などにおいても信頼している政治家だったため、身びいきした見方が前面に出てしまいます。そのため、あくまでも個人的な思いとしては、今回の参院選の結果について菅首相の責任が強く問われるのでしょうが、ぜひ、まだ提唱したばかりの「第三の道」の具体化に向けて突き進んで欲しいものと願っています。

そのような意味合いからも前回の記事で取り上げた「第三の道」について、もう少し掘り下げてみようと考えています。菅首相はイギリスのブレア元首相の「第三の道」を意識しているものと思いますが、若干ニュアンスが違うようです。サッチャリズムの修復に力を注いたイギリスのブレア政権は、「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家路線でも、新自由主義的な「小さな政府」でもない路線を「第三の道」と呼んでいました。

菅首相の唱えた「第三の道」は、過度に財政に頼らず、過度に競争に偏った手法ではない、経済、財政、社会保障を一体としてとらえる経済政策を指しています。それに対し、「第一の道」は公共事業中心、「第二の道」は市場原理主義に基づく経済政策と位置付けていました。「第二の道」の定義は一致するようですが、「第一の道」が異なりますので、必ずしもブレア政権の「第三の道」とは同一視できないように理解しています。

週刊朝日』には『「第3の道」を目指す菅内閣は日本初の社会民主主義政権だ』という記事が掲載されていました。社会民主主義とは、ヨーロッパの政党政治では保守主義と並ぶ2大潮流の一つであり、イギリスの労働党やドイツの社会民主党、フランスの社会党などがその代表格と言われています。資本主義経済から生じる生活苦や社会不安に税金投入や様々な社会福祉政策で対応し、労働運動とつながりはあっても社会主義や共産主義とは一線を画すという説明が加えられていました。

さらに菅首相と仙谷由人官房長官、枝野幸男幹事長を「新トロイカ」と称し、理念の面で一致している3人であり、政権の性格をより明確にしているという記述が目を引きました。仙谷官房長官は社会党の出身であり、自治労組織内の協力国会議員団の団長を務めていることから、社会民主主義的な理念を持っていることが容易に想像できます。枝野幹事長に関しては、以前の記事「八代尚宏教授の発言 Part2」の中で次のような印象深い国会質問を紹介したことがありました。

枝野幹事長は行政指導を受けたキヤノンの偽装請負問題に触れた上で、御手洗富士夫キヤノン会長の参考人招致を安倍元首相に求めていました。御手洗会長は当時、日本経団連の会長であり、政府の経済財政諮問会議の民間議員も務めていました。御手洗会長が経済財政諮問会議の場で、請負法制について「無理がありすぎる」などと現行制度の緩和を求めていた点を枝野幹事長は指摘していました。

「自分の足元で違法行為をしているのに、違法行為が合法となるように何とかしてくださいと言うのは無茶苦茶だ」と予算委員会の中で厳しく追及しました。さらに「国際競争力を高めるため」と言いながら労働者の待遇を抑制し、その一方で、キヤノンの役員賞与を数年間で1億3千9百万円から2億2千万円まで引き上げている「モラルのなさ」を枝野幹事長は強く批判していました。このような質問内容について、多くのサイトが好意的に取り上げていたことを覚えています。

このように菅首相をはじめ、シンパシーを感じていた「新トロイカ」が進めようとしている「第三の道」に対し、おのずから期待を寄せることができていました。もっと付け加えれば、公共サービス基本法の制定に尽力された東京大学の神野直彦教授の考え方にも共感を覚えています。その神野教授は今年2月から政府税制調査会専門家委員会委員長に就任していました。菅首相らが神野教授の影響力を強く受けていることは承知していましたが、『週刊ダイヤモンド』最新号の中でその点が詳述されていました。

6月22日に発表された政府税制調査会専門家委員会の「議論の中間的な整理」は、増税に舵を切ったような見られ方をしていました。神野教授が『週刊ダイヤモンド』の中で、その狙いや背景などを語られていましたが、やはり増税路線へ踏み出したという短絡的な評価は的を射ていないものと思っています。たった3頁のインタビュー記事でしたが、菅内閣の打ち出した「第三の道」をとらえる上で、非常に分かりやすい内容でした。

神野教授は「減税を繰り返した結果、税の調達能力が低下し、豊かな者がさらに豊かになり、税の再配分機能がきわめて弱くなった」という認識を示されています。経済が活性化すればその恩恵が貧しい人の所得増にもつながる、いわゆるトリクルダウンは起きず、格差は拡大し、貧困があふれたことを減税から始まった負の連鎖ととらえています。

そのことを踏まえ、税の調達能力と再配分機能を高めることを訴えています。その中で、消費税や所得税の累進性の問題、経済成長を促すかどうか両論ある法人税の引き下げは課税ベースの拡大と合わせて実施する方針を示しています。その上で、競争に敗れて失業しても生活を完全に保障すれば、安心して活動し、新しい産業に冒険できるようになり、そのような仕組みになることを強い社会保障と述べられています。

神野教授は財政再建と経済成長の二兎を追うよう主張し、成功した例としてスウェーデンをあげています。スウェーデンは重化学工業からソフト・知識集約・サービス中心の産業構造にシフトでき、経済成長に成功した国でした。このような産業構造の変革も強い社会保障が後押しし、経済が強くなれば税収が増えて、より強い財政になります。財政が強くなれば社会保障をさらに強くでき、このような正の連鎖をつくり出す必要性を提起されていました。

以上は要点を自分なりの判断でまとめたものですので、言葉が不足して神野教授の意図が正確に伝わっていない心配もあります。また、市職員の立場から「具体的にどうするのか」という指摘を受けるのかも知れません。それはそれで機会があれば、次回以降の記事で補っていければと考えています。いずれにしても今回の参院選、消費税増税という各論に注目が集まりすぎて、「第三の道」の是非という総論まで議論が広がらず、たいへん残念なことだと思っています。

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2010年7月 4日 (日)

強い財政への雑感

前回記事「評価が分かれる『独裁者』」は、阿久根市の竹原市長について取り上げたものでした。いつものことですが、コメント欄での議論は国家財政の問題など思いがけない広がりを見せていました。また、コメント投稿者同士での意見交換となる「掲示板」的な使われ方も、おおいに歓迎しているところでした。その際は私自身も閲覧者の一人となって、それぞれのご意見に耳を傾け、いろいろな思いを巡らす貴重な機会につながっていました。

このブログの運営にそれなりの力を注いでいますが、実生活に過度な負担をかけないペース配分にも心がけています。そのため、ウイークデーは時間的な制約なども多く、充分な対応がはかれず、たいへん恐縮しています。特に前回記事のコメント欄では初めて投稿いただいた方が目立っていたのにもかかわらず、個々の内容へのレスに至らず失礼致しました。

コメント欄の最後のほうで私から「新規記事を投稿するにあたり、唐突な話題転換とならないような内容に努めてみるつもりです。ただ今朝の時点では、どのような切り口とするのかどうかも含めて白紙の状態です」と書き込んでいました。その直前のコメントでは「この間の議論を伺い、自分自身も国債残高の問題などについて、もう少し頭の中を整理してみたいものと思っています」とも記していました。

と言いながら、前回記事のコメント欄で交わされていた皆さんのハイレベルな議論を踏まえられるのかどうか、まったく自信がありません。肩透かし、論点そらし、期待はずれという声が示されることも覚悟しています。初めから言い訳が先行して恐縮ですが、必ずしも充分な内容にまとめ切れないものと思っています。そもそも専門家の考え方も百花繚乱であり、簡単に一つの「答え」を出せるような問題ではないはずです。

このような難しさを前提とした上で、いくつか個人的な思いを綴らせていただきます。まず当ブログでも財政の問題について、これまで直接又は間接的な記事を複数投稿していました。「財政破綻した夕張市」の中では「万が一、夕張市のように財政再建団体に追い込まれた場合、労使で自主的に交渉していく幅は吹き飛んでしまいます。何よりも市民の方々へ大きなしわ寄せが行く最悪な事態は全力で避けなくてはなりません」と記していました。

確かに会社や自治体がつぶれてしまっては、労使交渉云々は横に置かれてしまいます。あまのじゃくさんは、国の借金をどのようにして返すかを中心に物事を考えるべきという主張を繰り返されています。さらに「公務員や自治労の評判が上がれば、国家破綻が回避出来るのなら・・というか日本人の考えが真っ当になるのなら、それを喜んで支持する。しかし、そうはならんだろ?」というコメントも頂戴していましたが、その意味合いは理解しているつもりです。

ただ理解しているつもりでも、「司、司の責任」という記事の中では「大半の人は1千兆円の負債を日常的に意識していないことも間違いありません。その問題が深刻であることは言うまでもありませんが、すべてが1千兆円の問題に帰結していく発想もいかがでしょうか。やはり司、司の役割の中で、一つ一つの問題を解決していくことが一般人の務めであり、身の丈にあった判断だろうと考えています」と答えていました。

1千兆円返済の問題に対して何も答えていない記述ですが、背伸びしない率直な実感でした。今回のような記事にあたり、あまのじゃくさんから「遂にOTSUさんも国債残高の問題に踏み込みますか。期待をしております。私も言い続けた甲斐がありました」という一言が寄せられていました。その期待にどれだけ答えられるか分かりませんが、もう少し今回の記事では踏み込んでみます。

夕張市を取り上げた記事の直後は「小泉政権最後の骨太の方針」という内容を投稿していました。その中で「夕張市が財政破綻しましたが、国家財政も破綻しているのと同然な状態だと思っています。破綻を定義する制度がないだけで、仮に自治体の例を当てはめれば背筋が寒くなる数字を直視することになります」と記し、税収を目安に国の標準財政規模を約50兆円とした場合、実質収支の赤字は50%を超え、公債残高は約542兆円、夕張市を「破産」とするのが気の毒な数字である点を指摘していました。

その後、「自治体財政健全化法」が制定され、自治体財政が破綻する前段階で早期是正するための法整備も進んでいました。一方で、国は特例法によって、一般歳入の不足の補填を目的とする国債、つまり赤字国債を発行できるようになっています。道路などのインフラ整備は、将来にわたった住民の皆さんも恩恵を受けます。そのため、納税負担の公平性も考慮し、財政法上では建設国債のみが認められていました。

その対極となる赤字国債は将来にメリットを残さず、負担だけを強いるものであるため、原則として財政法上ではタブーとされる選択肢でした。ひかりさんが「為替の変動相場制移行とオイルショックを経て、1975年に禁じ手である赤字国債の発行が行われて以降、ほとんど毎年赤字国債が発行されている状況です。このころに、経済成長が見込めなくなったのにもかかわらず、それに合わせた財政構造にしなかったこと、つまり30年先、50年先を見越した政策ができなかったことが失敗でした」と述べられていました。

急増している社会保障費、その都度必要とされた景気対策など、やむを得ない側面もあったかも知れませんが、財政赤字は拡大の一途をたどっていました。2009年度末の国の債務残高は882兆9235億円にのぼります。2009年度、国の収入の中心である税収は景気低迷のため、37兆円程度まで落ち込みました。2010年度予算の規模(一般会計)は過去最大の92.3兆円となり、その半分近くは国債発行(44.3兆円)によって賄われています。

基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化させることが至上命題とされながらも、未曾有の経済危機への対策、民主党のマニフェストの実現など、必ずしも財政再建のみが最優先課題とされない政治が続いています。ちなみに財政破綻は「共有地の悲劇」と言われ、“政府による財政支出は、最終的には国民の負担になるものです。しかし、給付と負担の関係が見えにくいため、多くの人にとっては、「負担することなく、便益を得られる」共有地とみなされがちです。このため、人々は自分の利益を最大化しようと、財政支出に対する働きかけが強くなり、結果として過剰な支出が行われる傾向が生じます”と行動経済学ではとらえられているそうです。

最近ではギリシャが財政破綻しましたが、元役員さんから「日本は世界第2位の外貨準備国ですし、米国債も約70兆円を保有している 債権国としては15年連続世界一です 日本の借金は日本国内で調達している」というコメントをいただきました。このような「ギリシャと重ねるには無理がある」という説明に対し、あまのじゃくさんからは財政規模の違いなどを指摘した異論も示されていました。確かに日本の債務内容への評価は分かれますが、ギリシャの財政破綻を決して「対岸の火事」としてはいけないものと受けとめています。

しかし、過剰に反応しすぎて、すべて財政再建のために政策を絞り込むのも早計だろうと思っています。強いものをより強くする市場主義のもと経済成長を優先させ、弱者や地方に対するケアが薄かった小泉・竹中路線は否定しなければなりません。その路線に対する反発が強まっていた中、昨年の政権交代は「国民の生活が第一」と強調した民主党への期待感の表れだと見ていました。

政権交代を果たした後、民主党はマニフェストの実現に比重が置かれ、前述したとおり過去最大の予算規模に至っていました。これはこれで国民との約束を最大限守るという方向性の中、やむを得ない政策判断だったと思っています。とは言え、このまま突き進んで行った場合、正直なところ大丈夫だろうかという懸念も抱いていました。この点に関しては昨年9月の記事「新政権への期待と要望」に託した思いと同様なものでした。

そのように考えていたところ、菅首相に代わったことを契機に民主党のマニフェストの柱が「強い経済、強い財政、強い社会保障」となりました。そして、菅首相からは「第三の道」が強調されています。過度に財政に寄りかかった手法でもなく、過度に競争に偏った手法でもない、経済、財政、社会保障を一体として捉える経済政策だと言われています。参考までに菅首相の言葉をそのまま紹介させていただきます。

「第一の道」は公共事業中心の経済政策であり、それは高度成長期には時代にあっていましたが、その後は巨額の財政赤字を積み上げることとなりました。「第二の道」は偏った市場原理主義に基づく経済政策であり、それはデフレを長期化させ、「企業は社員をリストラできても、国は国民をリストラできない」という根本的な問題を放置したため、国民生活は極端に不安定になりました。

政治のリーダーシップを欠いたまま、産業構造や社会構造の変化に対応できていない政策を続けた結果、経済の長期低迷、財政赤字の拡大、社会保障の不安定化が進みました。こうした過去の失敗に学び、新政権は「第三の道」に取り組みます。わが国が抱える環境問題や少子高齢化など、喫緊の課題への解決策。急速に成長するアジア、国内の資源を活かせる観光分野などへの積極策。

これらが生み出す大きな需要に応えることで雇用を拡大します。そこから経済の拡大(強い経済)、財政の再建(強い財政)、社会保障の充実(強い社会保障)という好循環をつくり出します。日本の閉塞感は政策が招いたもの。だから、政策で吹き飛ばすことができます。「第三の道」こそが、その政策であると、私は確信しています。

さらに民主党は2015年度までに基礎的財政収支の赤字(対GDP比)を2010年度の2分の1とし、2020年度までに黒字化の達成を目標としています。そのための一つの手段として、「消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始します」と掲げていました。参院選においては、菅首相の「10%」発言が大きく注目されたため、残念ながら消費税増税の問題のみが争点とされがちです。

もう少しコンパクトにまとめるつもりでしたが、書き始めたら予想外に長い記事となっていました。それにもかかわらず、大事なことを書き漏らしている気もしています。不充分な点は次回以降の記事で補わさせていただくつもりです。その上で強い財政、つまり財政赤字の解消に向け、端的な自分なりの「答え」は次の二つだと考えています。「共有地の悲劇」の克服が一つであり、各論においては悩ましい場面に遭遇していくことも覚悟しています。もう一つは当面する選択肢として、やはり「第三の道」に期待してみようと考えています。

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