評価が分かれる『独裁者』
つい最近、阿久根市の竹原信一市長の著書『独裁者“ブログ市長”の革命』を読み終えました。この本は今年2月に発売されていました。もともと幅広い立場や視点で書かれている書籍などにも目を通すほうでしたので、昨年6月頃から注目している竹原市長の著書は一度読んでみようと考えていました。したがって、書店で見かけたら、すぐに購入するつもりでした。
しかし、残念ながら(幸いにも?)近隣の書店では、まったく目にすることができませんでした。1575円という高めの価格であり、わざわざ注文して買うほどの魅力も感じていませんでしたので、図書館の蔵書にあるかどうか定期的にネットで検索していました。すると1か月前ぐらいに1冊だけ入手されていることが分かりました。その時は貸出中だったため、さっそく予約し、ようやく少し前に手にすることができていました。
250頁を超える著書を目の前にして、どのような新しい情報や竹原市長の別な側面に触れられるのか、それなりに期待しながら頁をめくっていきました。事前に聞いていたほど誤字脱字などは少ないようでしたが、「です・ます」調と「である」調が混在している文章の多さは目立ちました。それでも普段のブログ「住民至上主義」に書かれている文章と比べれば、ずっと読みやすかったため、編集部の手が細かく入っている印象を受けました。
このような感想は余計なことだったかも知れませんが、肝心な内容は全体を通して、すでに耳にしていた話ばかりでした。辞めさせたい議員アンケート、市職員の給与明細全面公開などのエピソードの紹介があり、それに対して竹原市長の言い分や持論が展開されていました。当たり前と言えば当たり前なことですが、すべてネット上で知り得ていた内容が整理して綴られていた書籍に過ぎませんでした。
阿久根市の話題を中心としながら時折り、二元代表制や地方交付税制度の説明なども加えられていました。それらも独特の視点での解説が目に付き、いずれにしても『独裁者』が竹原市長の世界観の集大成であることには間違いありませんでした。せっかく借りたので最後まで目を通しましたが、もともと竹原市長の言動には違和感を持っていたほうですので、私にとっては義務的な時間を強いられたという読後感でした。
一方で、リンクをはったAmazonの読者レビューでは、「内容は実にわかりやすいです。はっきりメリハリの利いた文章。一気に読めますよ」「世を憂いて私心を捨て行動を起こす姿に心を打たれます」など絶賛するコメントが並んでいます。購買意欲を高めるためには、このような書評を掲げる必要があるものと思っています。それでも先入観や予備知識のない方々が読まれた場合、このように竹原市長を賛同する意見に傾いてしまう書籍にも思えてきました。
そう考えると色眼鏡で見ているのが私のほうであり、白紙の立場で読まれた方々には強い共感を与えていくのかも知れません。特に公務員を敵視している方が読んだ場合、いっそう怒りを倍加させるのだろうと見なければなりません。阿久根市民の平均年収200万円という算出方法の問題点など、竹原市長の思い込みによる記述が多々あります。しかしながら『独裁者』を読む限りにおいては、竹原市長が「正義」、市職員や議員が「悪」という短絡的な構図で描かれてしまっています。
今回の記事タイトルのとおり『独裁者』への評価は大きく分かれていくはずです。竹原市長の言動を懐疑的に見る側からすれば悩ましい話ですが、肯定的に評価する人たちが少なくないという客観的な事実は事実として真摯に受けとめていかなければなりません。さらに最近の竹原市長の動きとして、何とも信じられない専横ぶりが際立ってきていました。
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が7月から市議会(定数16)の議員報酬を月額制から1日1万円の「日当制」に変更する条例を専決処分したことについて、反市長派市議12人は地方自治法に基づき、処分の取り消しを求める審決を伊藤祐一郎知事に申請する方針を固めた。22日には市に対する是正勧告も県に要望する。
竹原市長は18日、日当制に加え、固定資産税と法人市民税の税率引き下げ、住民票交付などの手数料引き下げの条例改正2件も専決処分した。同法は専決処分を議会を招集する時間がない場合などに限定。
これに対し、竹原市長は6月定例会を招集せず、議会側の臨時議会開催請求にも応じておらず、反市長派市議は議決する権利を奪われたとして、3件の専決処分が審決を定めた地方自治法255条の「違法に権利を侵害された」状態に当たると判断した。
知事は90日以内に審決し、結果は強制力も持つ。2008年に佐賀県上峰町議会から除名処分を受けた議員が、審決で処分を取り消され、復職したケースなどがある。ただし、審決に従わなくても罰則はない。【西日本新聞2010年6月22日】
このような竹原市長の専決処分などに対し、鹿児島県の伊藤知事は事務処理の適切な対応を求める「助言」を行ないました。①議会の臨時議会招集請求に応じる、②地方交付税の減額対象になる可能性があることなどから、固定資産税の税率を改正前に戻す、③議員報酬・職員給与の専決処分を見直し、議会の議決を得る、という中味でした。
鹿児島県議会も竹原市長の市政運営に抗議し、改善を求める決議を全会一致で可決しています。決議の内容は「首長による恣意的な自治体運営で(首長と議員を有権者が選ぶ)二元代表制を崩壊させる」と非難し、適切な行政運営を求めていました。さらに伊藤知事は竹原市長と直接面会し、「戦い方が少々ずれていますよ」と苦言を呈していました。しかしながら竹原市長に改める意思は、まったく見られていないようです。
一般的な常識に照らせば、竹原市長の行動は常軌を逸しています。ただ市職員や議員の年収を高すぎると思い、税金の減額を歓迎する住民の方々からすれば、竹原市長は強く支持すべき対象になり得てしまうものと見ています。つまり今後、竹原市長が3回目の当選を果たす可能性も充分想定していかなければならないはずです。
このような現実に対し、必ずしも適確な答えを持ち合わせている訳ではありません。その上で、1点だけ強調させていただきます。完璧な人間は皆無と考えるべきであり、様々な視点から検証を加えられた「答え」にこそ、信頼感の厚みが増していくはずです。要するに健全な組織運営のためには、『独裁者』はなじまないものと確信しています。そのような意味合いから問題が多少あったとしても、三権分立や地方自治体における二元代表制などが位置付けられているものと考えています。
竹原市長は、組織のトップに背いた職員を懲戒免職にしました。その竹原市長自身、『阿久根時事報』というチラシを全世帯に配布していた際、自分の経営する建設会社の仕事に支障をきたすほどの時間と労力を費やしていたと著書の中で綴っています。挙げ句の果て、会長である実父から会社への出入りを禁止されるほど、組織のトップの意向に背いていたことが書かれていました。
このような記述が自己矛盾につながっていながら、頑なまでに考えを曲げなかった自慢話として語られていました。一事が万事、竹原市長の『独裁者』を読み終えて、つくづく完璧な人間は皆無という言葉を思い浮かべています。最後に『独裁者』の中で、思わず苦笑いした箇所を紹介します。どうも竹原市長は心温まる逸話として書かれていたようですが、文章を読んでブラックジョークと感じてしまうのは私だけでしょうか。
このような状態でしたので、もちろん家庭の中も平穏とは言えない空気に包まれていました。こうやって思い返してみると、私のやることを半ば観念して見守り続けてくれた妻に感謝したい。後になってわかったことですが、私の身を案じた家族がこのとき私の生命保険をかなり高額なものに替えたそうです。
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