« 普天間基地の移設問題 | トップページ | もう少し当ブログについて »

2010年5月 9日 (日)

「一期一会」と改めて当ブログについて

高校時代、剣道部に所属していました。その時、ご指導いただいた先生から「一期一会」という言葉を学びました。茶道の心得の一つであり、その日の出会いは一生に一度だけのものと受けとめ、常に誠意を尽くすよう諭した言葉です。剣道においても日々の練習や試合に際して常に全力を尽くすよう私たちに求めた時、その先生が「一期一会」という言葉を紹介されたことを思い出しています。

以来、その言葉は私の頭の中に印象深く残り、できる限り心がけようとしている指標となっていました。とりわけ市役所の業務上の接客において「一期一会」の心構えは非常に重要です。普段、緊張感を持って職務に励んでいた職員が前夜寝不足だったためか、あくびを1回してしまったとします。その瞬間を初めて市役所の窓口に訪れた方が目撃した場合、「この役所の職員はたるんでいる」という役所全体の印象が刻まれてしまうはずです。

このブログの運営においても「一期一会」を強く意識してきました。おかげ様で半数以上の方々がブックマークなどから当ブログを訪れてくださっています。逆に半数近くの方々は、まさしく検索エンジンなどから訪問されている「一期一会」の皆さんだと言えます。2005年8月に開設してから4年9か月、今回の記事が340回目となります。一つ一つの記事の積み重ねという連続性の中で、最新の記事を綴っていることも確かです。

しかし、初めて当ブログを訪れてくださった方々からも、ご理解いただけるような記事の投稿にも極力努めてきました。なるべく1回ごとに完結した内容であることを基本としていますが、すべてその通りとはなり得ません。極端な話として、毎回同じような内容を繰り返した場合、今度は常連の皆さんに飽きられてしまいます。したがって、関連した内容の説明には、以前投稿した記事のリンクをはるように心がけています。

それでも閲覧者の皆さんが必ずしもリンクをはった記事を読まれるとは限りません。わざわざクリックされる方のほうが少ないはずであり、コメント欄を通して似たような問いかけが続くことも当たり前な話だと受けとめています。タイミングによって充分な対応ができていない場合も多く反省していますが、基本的にはお寄せいただいたコメント一つ一つに対して丁寧にお答えするように努めています。

と言いながら、前回記事「普天間基地の移設問題」に寄せられたコメントのうち金曜深夜以降の問いかけに対しては、個別にお答えできていませんでした。土曜の朝に「それぞれ私からお答えすべきご指摘を複数いただいています。反論という意味合いからも取り急ぎお答えしたい内容もあります。ただ昨夜のように少し感情が先走ったレスでは、お互いの主張がさらに平行線をたどる懸念もあります。少し頭を冷やした後、現在思っていることを整理し、記事本文で展開してみるつもりです」とお答えし、今回の記事に臨んでいます。

実生活の中でも比較的、沸騰点は高いほうだと思っています。当然、完璧な人間ではありませんので、その沸騰点を超えれば感情を露わにする時もあります。このブログのコメント欄を通し、これまで数え切れないほど厳しい批判や非難の言葉を受けとめてきました。正直なところ思わずムッとする挑発的な内容も数多くありましたが、できる限り冷静な対応に努めてきたつもりです。

どのような批判の言葉でも、幅広い声を伺えることの貴重さを感じ取っているからでした。しかしながら金曜の夜、ある人から寄せられたコメント内容に関しては、久しぶりにその冷静さを保つことができませんでした。やはり感情が先走ったレスを行なったことについては深く反省しています。ちなみに元民間さんからは「異なる意見を否定することも当然できるでしょうが、それだけではホストは務まらないでしょうし、投稿される意見も広がらないと思いますね」というご指摘をいただきました。

本当にその通りであり、これまでも、これからも「一期一会」の心得とともに、そのような基本線は大事にしていくつもりです。また、とーるさんから以前にもご忠告いただいていましたが、前回のようなテーマを取り上げた際、たいへん難しい「壁」に突き当たることも改めて感じています。それでも基本的な思いとして、幅広いご意見に触れられる機会となっていることの貴重さへの評価は変わっていませんでした。ここで「2009年末、改めて当ブログについて」で記していた文章を再掲させていただきます。

  1. 公務員やその組合の言い分をインターネット上に発信し、不特定多数の皆さんに少しでも理解いただけることを願いながら続けています。その際、多様な考え方があることを前提としているため、意識的に断定調の表現は避けています。私自身が正しいと思っている内容を訴えていますが、ブログを閲覧された人たち全員から賛同を得られることは稀だろうと見ています。あくまでも当ブログの記事内容やコメント欄での議論に接した人たちが、どう受けとめるのかであって、全員が納得できるような結論を出すことを目的としていません。
  2. コメント欄を通し、様々な立場や視点からのご意見を伺えることを貴重な目的としています。厳しい批判意見があることを受けとめ、日常的な活動を進められる意義を大きなものと認識しています。そのような本音の声を把握できないまま、公務や組合活動を担うのは、街路灯のない夜道を歩くようなものだと考えています。
  3. 相反する意見の対立は平行線をたどりがちです。上記1で述べたとおりコメント欄で結論を出すこと目的としていませんので、「多様な意見を認め合った議論」をお願いしてきました。自分自身の考えが絶対正しいと思い込み、他者の意見に耳を傾けないような姿勢だった場合、相手を論破することが目的となりがちです。その結果、感情的な非難の応酬となり、殺伐した議論につながる懸念があり、一般論として常に申し上げてきた点でした。ちなみに一つの結論を必ず出さなければならない実生活の場でも極力、このように心がけるべきだと考えています。
  4. 匿名で率直な意見を交わせることは利点だと前向きにとらえています。一方で、匿名で発信できるということは、立場などの成りすましや都合良く情報を操作することも可能となります。それはそれでモラルの問題となりますが、このようなネット上の私的な場では特段何か問われるものではありません。したがって、誰がどのような立場で書いたかは、それほど大きな問題ではなく、その人が書き込んでいる言葉、つまり内容がどのように他の閲覧者の皆さんの共感を呼ぶのか、真偽が判断されていくのかどうかだと考えています。
  5. 私どもの組合員の皆さんに対しては、組合活動を身近に感じてもらえるような目的も持って続けています。そのため、組合の機関紙などで当ブログについて時々PRしてきました。あくまでも個人の責任による運営ですが、私どもの組合員の皆さんから見れば、匿名での発信とはなっていません。一つ一つの主張を言い放しとできず、一つ一つの言葉に責任を持って発信しています。そのような側面があるため、歯切れの悪いレスだと感じられる場合もあるかも知れませんが、自分の思いと離れた内容を記したことは一度もないことを強調させていただきます。

最近、寄せられているコメントに対して、上記のような立場で受けとめていることをご理解ください。「一切主義主張が変わらない」という批判の声も寄せられていますが、一つ一つのご意見に触れながら、自分自身の頭の中で思いを巡らす機会としています。もともと自治労の方針と私自身の主張がすべて一致している訳ではありません。このブログへ投稿している内容に関しては、個人的な問題意識のもとで発信を続けているため、「洗脳」という言葉は的外れも甚だしいものでした。

また、あえて賛否が大きく分かれる政治的な課題を取り上げている理由は、前々回記事「本題に入る前の長話」で記していました。組合活動の本流ではありませんが、普天間基地の問題などにも自治労が関わっている限りは、どのような立場や考え方で取り組んでいるのか、丁寧に説明していくべきものと思っているからでした。加えて、組合員の皆さんの中には、自治労の方針に違和感を持つ方々も決して少数ではないものと見ています。だからこそ、結論の押し付けではない情報の発信を大切にすべきものと考え、このブログの場もその一つに位置付けていました。

前回記事のコメント欄を通し、皆さん一人ひとりが確信している結論を持ち、その考え方と間逆の主張に嫌悪感を抱きがちな点も理解できます。しかし、相反する意見を持っている者に対して「公務員不適格」などという非難の言葉が発せられるケースについては、たいへん残念なことだと思っています。特に当ブログを初めて訪れた方ではなく、昨年末や前々回の記事で述べているような趣旨へのご理解を再三再四お願いしている常連の方から、決め付けや侮蔑が前面に出たコメントを受け取ったため、必要以上に過敏な対応となってしまいました。

いずれにしても、普天間基地の移設は非常に難しい問題です。前回の記事とそのコメント欄を通し、自分なりの考え方を整理してきました。現在、鳩山内閣は沖縄(県内)、徳之島(県外)との関係を最悪なものとしています。アメリカ側との関係においても、桟橋方式や基地機能の一部を県外へ分散する案が難航しそうな模様です。このような局面の打開に向けては、改めて原点に返る必要性を痛感しています。

その際、コメントをお寄せいただいた多くの皆さんが国外移設は絶対不可能と断言し、私は可能性が皆無ではないという主張や情報に対して共感を覚えているところでした。そのため、国外移設の主張がマスコミ報道の中で冷笑されがちな中、ネット上で多角度からの情報を発信できることを非常に貴重な試みだと思っています。その上で、素人の私が稚拙な言葉で語るよりも、共感したサイトの内容を紹介したほうが適切であるものと考えていました。

その手法が「正統な議論を阻害する失礼な態度そのもの」と批判されるとは思っていませんでしたが、それでも最後に元CIA顧問のチャルマーズ・ジョンソン日本政策研究所(JPRI)所長のインタビュー記事が掲げられたダイヤモンド・オンラインを紹介させていただきます。見出しとなっている「米軍に普天間基地の代替施設は必要ない!日本は結束して無条件の閉鎖を求めよ」というような主張が展開されていますが、アメリカの有識者の声も多様な幅があることを押さえられる記事の内容でした。

|

« 普天間基地の移設問題 | トップページ | もう少し当ブログについて »

コメント

管理人さん、皆さん、こんにちは。

OTSUさんの今回の記事を拝見し、前回の私の投稿の意図するところと異なった受け止め方をされていたことに初めて気付きました。
よく見ると、確かにそのようにも読み取れる書き方でしたので、改めて補足します。

管理人として、投稿された異なる意見を単純に否定することも当然できるでしょうが、そうはせず、時に浴びせられる厳しい言葉にも努めて冷静に対応するOTSUさんへの敬意を表したものであり、指摘などのつもりはまったくありません。
そして、一般論としてブログの管理人が簡単に他者を否定していては、ホストは務まらないし、投稿される意見も広がらないと思うということを言いたかったものです。

拙い文章で誤解を与えてしまい、申し訳ありませんでした。

投稿: 元民間 | 2010年5月 9日 (日) 19時23分

元民間さん、さっそくご訪問ありがとうございます。

こちらこそ意味合いを正確に読み取れず失礼致しました。また、丁寧な補足コメント、ありがとうございました。いずれにしても当ブログの運営については今回の記事本文のとおりですので、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2010年5月 9日 (日) 19時36分

>前回記事のコメント欄を通し、皆さん一人ひとりが確信している結論を持ち、その考え方と間逆の主張に嫌悪感を抱きがちな点も理解できます。しかし、相反する意見を持っている者に対して「公務員不適格」などという非難の言葉が発せられるケースについては、たいへん残念なことだと思っています。
ちょっと前から気になっていたのですが、気付いたかもしれないことを指摘してみます。
OTSUさんはもしかして「相反する意見」だから嫌悪されているに過ぎないと考えていて、「意見の展開のさせ方」が嫌悪されているかもしれないとは考えたこともない、ということはありませんか?
全くそんな事はない、というのであれば僕の杞憂です。(ただ、そういう態度であると読み取られかねない文面であると思われますので、ご検討願いたいところではありますが)
そして、もし当てはまるとするならば、mobileSEさんの怒りも至極当然のことのように思えてきます。「相反する意見」だから嫌悪されていると決め付けて真っ向から向き合うことを放棄していたって事になりますから。
※確かに真っ向から向き合わずにやり過ごされては主義主張の変化など望むべくもないですね。ただ必要条件であって十分条件ではないと思うので、「6年も経ったのだから主義主張の変化があって然るべき」というのは横暴な言い分だとは思うのですが・・・

>素人の私が稚拙な言葉で語るよりも、共感したサイトの内容を紹介したほうが適切であるものと考えていました。
>その手法が「正統な議論を阻害する失礼な態度そのもの」と批判されるとは思っていませんでしたが、
これも「共感したサイトの内容を紹介した」こと自体が批判されているわけでは無いと思うのですが、その辺ご理解いただけているのでしょうか?

○批判の種となっているのは5月 5日 (水) 20時34分付けの「真喜志さんの記事」ですが、これに対しとーるさんから具体的な疑問を提示されています。
○この時点で「共感したサイトの内容」は真偽が疑われた状態にあるわけで、本来ならば疑問点が解消されるまで使い物になりません。
○しかしOTSUさんはこれらの疑問に一切答えることなく、しかも「共感したサイトの内容」が正しいという前提を崩さずに議論をすすめようとしています。これはとても「正統な議論」をしようとする態度だとは思えません。

・・・今回の「炎上」騒ぎ、微妙な話題だから顕在化しただけであって、実はもっと根本的な原因があったのかもしれないと思ってみたKEIでした。

投稿: KEI | 2010年5月10日 (月) 00時55分

KEIさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

ご指摘のとおり「意見の展開のさせ方」に嫌悪感をお持ちの方もいらっしゃるものと思います。しかし、この点について記事本文の箇条書きのところで述べたとおりであり、このような進め方についても皆さんにご理解を求めていくしかありません。

なお、今年2月には「言葉にすることの大切さ」という記事をPart2まで投稿していました。改めて今回の補足説明となる箇所を再掲させていただきます。

>改めて前回の記事で強調したかったことについて(以下再掲)

前回の記事は、公務員やその組合の政治的な活動の是非などを問いかけたものではありませんでした。不特定多数の方々の閲覧を前提としたブログ上において、私自身が切実に願っている議論のあり方について心構えなどを提起していました。立場や視点の異なる者同士、それぞれの主張を言葉にして語り合わなければ、歩み寄る可能性は皆無だろうという問題意識からでした。

その「溝」が途方もなく深い者同士が議論しても、絶対近付くことはなく、逆に不信感を広げてしまうとの見方があることも否定しません。だからこそ、相手の言い分にも率直に耳を傾けた「Yes、But」の呼吸が、とりわけネット上には求められているものと考えています。確かに私自身も自分の考え方が正しいと信じながらブログ上で発信しています。コメントをお寄せいただく皆さんも、それぞれの持論に自信を持って投稿されているものと受けとめています。

その際、相手方の意見を頭ごなしに否定せず、「そのような見方や考え方があるのだな」という謙虚な姿勢を持ち続けるように心がけています。その上で、自分自身の考え方と異なる部分について、「私はこのように考えています」という返し方を重ねてきました。そして、このような意見交換を経て、お互いがどのように感じ取っていくのか、同時に閲覧されている人たちがどのように感じるのか、それこそ言葉を大切にした「腕の見せ所」だと思っています。

>一つの価値判断で結論を押し付けられることの違和感について(引き続き再掲)

これまで「公務員はこうあるべきだ!」という膨大な数のコメントをいただいてきました。大半は真摯に受けとめるべき意見でしたが、中には組合役員の立場から反論を加えなくてはならない場合もありました。時々、「こうあるべきだ」と思い描く公務員像と一致しない点があるからと言う理由で、「役所を辞めろ」という辛辣なコメントも受けていました。

繰り返し述べてきましたが、そのような耳の痛い話を聞ける機会は貴重なことだと思っています。それでも当ブログの目的や位置付けそのものを否定するような批判の声に接すると、大きな無力感にとらわれがちでした。一方で、私自身の主張に一定理解くださる皆さんも多く、励ましの言葉も数多く頂戴してきました。このようなコメントは、民間にお勤めの方々からも多数お寄せいただいているため、市民の皆さんの声も多様な幅があることを確かめる機会となっていました。

ブログを4年以上続け、たくさんの批判意見を受けながら「まったく変わっていない」と非難する声があります。「まったく変わっていない」と決め付けられるのも本意ではありませんが、公務員組合の立場性などについても様々な評価があります。繰り返しのような話となりますが、批判の声もあり、賛同の声もあるという構図をたどってきました。つまり私の言い分が常に四面楚歌の状態だった場合、すみやかに「誤り」を自覚し、全面的に現状を否定しなければならなかったものと思っています。(再掲終了)

なお、このような経緯がある中、前回記事のmobileSEさんのコメントへのレスで、感情的な面が出てしまいました。あえて相手を不愉快にさせるような書き方は「このブログのコメント欄では控えて欲しい」という願いが無視されているからでした。ちなみにmobileSEさんは非常に文章力や論理展開に秀でた方であるものと思っています。さらに当ブログの以前の記事も含めて2回お読みになったと伺っており、その点でも敬意を表している方でした。

それにもかかわらず、相変わらずの書き込み方であったため、沸騰点を超えてしまったようです。また、他者を不愉快にさせる言葉を私も投げかけられるという意図も多少ありました。すると、よいいっそう辛辣な言葉でmobileSEさんからコメントが返ってきました。その言葉に対しても、すべて反論できました。とは言え、これ以上エスカレートさせると他の閲覧者の皆さんにも不愉快な思いを与えるため、少し頭を冷やして今回の記事本文に至りました。

最後に、KEIさんから前回記事のコメント欄でいただいた問いかけに直接的な言葉で答え切れていないことが気になっていました。改めて今夜、あまのじゃくさんの意見との絡みについて、補足させていただくつもりです。さらにお時間を頂戴することをご容赦ください。

投稿: OTSU | 2010年5月10日 (月) 06時58分

意見が激しく対立するものほど議論が必要である。
今までそれを避けてきたから、こんな日本になったのだ。
議論は問題に対して色々な方向から光を当てて、その本質を明らかにする行為だから、納得するか否かはどうでもいい事だ。
激しい議論こそが、洗脳やファシズムから我々を守ってくれるのである。

「自分の国は自分で守り、自分の食いぶちは自分で稼げ」というのは当たり前の話だ。
当たり前の話が当たり前で無いのは、洗脳されているかファシズムかだ。
洗脳されているから、1000兆円の借金も平気の平左なのだ。

しかしmobileSEさんの書き込みは厳しかったですね。何かが琴線に触れたのかな?

投稿: あまのじゃく | 2010年5月10日 (月) 10時25分

あまのじゃくさん、いつもコメントありがとうございます。

意見が激しく対立する議論そのものを私も否定している訳ではありません。国民生活に直結する政治に責任を持つ鳩山首相らは、そのような意見対立を乗り越え、又は調和させて一定の結論を出さなければなりません。司、司の場面で、大なり小なり誰もがそのような決断を求められることもあります。

ただ当ブログのような位置付けのコメント欄において、それぞれの課題一つ一つに対してシロクロを付けることの難しさを認識しています。その上で、記事本文やコメント欄で再掲したとおりですが、私自身も含め、それぞれが正しいと思っている主張をどのように共感を広げられるかが重要な点だろうと受けとめています。

続いて、KEIさんから前回記事のコメント欄で、あまのじゃくさんの意見との絡みについてのご指摘に対して補足させていただきます。

>具体的な選択肢や各論において異なる点も多いと思いますが、あまのじゃくさんから今回のコメント欄に寄せられているご意見の方向性については非常に共感を覚えています。「現実的」の話や「ありきの発想」への問題提起など、そのような視点での議論も必要であるものと感じています。

私の上記のコメントに対し、KEIさんから次のようなご指摘をいただきました。

>今回の議論、あまのじゃくさんの発言ってとーるさんの倍以上は過激で、サヨクさん的には到底受け入れられるようなものではないように思えるのですが。だって要約すると「最初から日米安保ありきの発想を止めろ。日本は独立した防衛力を持つべきであり、そのために9条は破棄すべきだし核武装も検討すべき」ってことでしょう?それを”「ありきの発想」への問題提起”と評価し、あまつさえ共感などしてしまったら「ホントこの人は自分に都合のいいところしか見ていないな」と思われてもしょうがないのではないでしょうか?

日米安保を段階的に見直していった先が、ご指摘のとおり私とあまのじゃくさんの描く姿は大きく違うのだろうと理解しています。しかし、国際社会全体の安全保障や日本の自衛権のあり方なども同時に議論が欠かせないことを認識していますので、「自分に都合のいいところしか見ていないな」と言われるほど莫迦げた感想だったとも思っていません。

個々人での見方が大きく分かれていることは承知した上で、今の形の日米安保が未来永劫不変と結論付けるのかどうかの評価だろうと考えています。同様に憲法第9条が未来永劫不変なのかどうか、結論「ありき」ではない議論が交わされることを個人的には否定していません。

ちなみに日本国憲法の平和主義は大事にすべきという立場ですが、とにかく「護憲」というスローガンだけでは脆弱だと感じています。何をもって「護憲」なのか、なぜ、「護憲」なのかという本質論の議論は必要であるものと考えています。

長々と書いてきましたが、KEIさんからの問いかけに対して適確に説明できていないかも知れません。それでも私自身の補足的な思いを綴らせていただきました。このような考え方もあるというご理解をいただき、ぜひ、拙い説明に対してご容赦ください。

投稿: OTSU | 2010年5月10日 (月) 22時07分

>元CIA
「日本にはすでに十分すぎる米軍基地があり、他国から攻撃を受ける恐れはない(中略)。
中国に関するあらゆる情報を分析すれば、中国は自ら戦争を起こす意思はないことがわかる。
中国の脅威などは存在しない。(中略)
過去60年間をみても、中国の脅威などは現実に存在しなかった。(後略)」

この人が書いていることと私が書いたことはある面で矛盾していないのですが、
私がここで書いてきたことは「東アジア安定のために沖縄基地は存在する」であるので、
この方がその点には全く触れていないのが残念です。

ついでに感じた疑問点をあげておきます。
疑問その1
チベットを併合したことも中越戦争も中印戦争も含め「中国の脅威は無かった」のか?

疑問その2
60年前の中国と現在の中国の実力を一緒くたにするのか?

疑問その3
日本防衛のために沖縄の基地が存在するならその理屈は成り立ちうるが、
沖縄の基地は「日本防衛のため」は正しい認識なのか?
(私は以前に書いたように東アジアの安定が目的と理解)

疑問その4
「国内問題」か「国際問題」かは別にして、中国の台湾への野心がゼロなのか?

仮に台湾への野心がないなら、台湾にアメリカが軍事基地を作って、沖縄から撤退すれば済む。
ただ、在台基地を作ろうとしたら中国は武力行使も辞さない態度を取るのではないか?
(YESなら東アジアの平和に対する中国の脅威は存在するということ)。

疑問その5
OTSUさんは、私が書いたことに「具体的で説得力がある」と言われるにも関わらず
「元CIA顧問」が語るこの言葉を紹介したのはなぜか?
単に意見も多様性があるという意味なのか、この方の言うことに納得する、ということなのか・・

投稿: とーる | 2010年5月11日 (火) 00時34分

>しかし、この点について記事本文の箇条書きのところで述べたとおりであり、このような進め方についても皆さんにご理解を求めていくしかありません。
青字部分1と3ですね。でもこれって提示された疑問を放置していい理由にはならないと思うんですけど、どうなんでしょうか?

>その際、相手方の意見を頭ごなしに否定せず、「そのような見方や考え方があるのだな」という謙虚な姿勢を持ち続けるように心がけています。
OTSUさんこの言葉好きですよね・・・と思っていたらふと面白いことに気付きました。
「相手方の意見を頭ごなしに否定せず」とあるのですが、実はコレ、
a.否定することは出来るが、あえて否定しない
b.そもそも否定することが出来ないので、否定しない
の区別がつかないんですよね。
aは確かに謙虚と言えるものですが、bは謙虚でも何でもありません。そして、実はbであるにもかかわらず、aだと思わせようとしているのだとしたら、それは「虚勢」であり、謙虚とは真逆の姿勢です。
・・・僕はまだ疑惑の段階でとどまってますが、mobileSEさんには見透かされてしまっているのではないでしょうかね?

ここはひとつ、試しに「相手方の意見を頭ごなしに否定」してみてはいかがでしょう?僕の勝手な推測ですが、僕とかmobileSEさんとかとーるさんとかなら「頭ごなしに否定」されたからといって、それで直ちに傷ついたりムキになったりするようなことは無いと思いますので。
あ、断っておきますが、「頭ごなしに否定する」ってのは、社○党みたいに「とにかくはんた~い」って言って済ますものではないですからね?とーるさんみたいに具体的に疑問を提示して「○○は●●の理由でおかしいと思うんだけど、どうなのよ?」ってやらないと意味がないですからね?

・・・前にも言ったかと思いますが、僕は正反対の意見であったとしても、理由に納得の行くものであればコロッと鞍替えするタイプです。むしろ鞍替えしてみたい、ってんで議論をふっかけがちになり、かなり失礼な書き方になってしまうのですが、お許しいただければ幸いです。

投稿: KEI | 2010年5月11日 (火) 01時54分

追記。

昨日追記と称して「普天間基地の移設問題」に関して僕が参考になると思ったサイトを2点ほど紹介させていただいたのですが、「スパムコメントの疑いがあるため管理人承認まで非公開」と表示されてしまいました。
OTSUさんの方には届いているのでしょうか?届いているのであれば、表示していただけると助かります。(なお、その際にはこのコメントの方は削除してください)

投稿: KEI | 2010年5月11日 (火) 02時04分

とーるさん、KEIさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

繰り返しのような話が先になりますが、このブログを通して様々な考え方や情報があるという点を発信しています。当然、テーマによっては自己完結型の責任を負った投稿もあります。一方で、とーるさんからもご心配いただきましたが、安全保障のようなテーマは難しい論争になることも覚悟しています。それでも前述した意図から次のような論点を提起したのが前回記事の内容でした。

①国外に目に向ければ、積極的に基地を誘致している動きがある、②日本の抑止力の問題として、必ずしも海兵隊を日本国内に配置する必要がない、主に以上の2点について問題提起してきたつもりです。その際、意識的に他のサイトなどからの言葉の紹介に努めてきました。

KEIさんからのお尋ねにもありましたが、皆さんからの個別の疑念に対して否定する力量がないから否定していないという側面があることも、特に隠しているつもりもありません。卑怯だと批判されれば、そのような見方もあるのかも知れませんが、このブログの場は幅広い声や情報に閲覧されている皆さんに触れていただき、その結果、どのように感じていただけるかがポイントだと考えているからでした。

このような点についても、とーるさんからも一定ご理解いただいているものと受けとめています。なお、「分かりやすく」という言葉を使った際、それは文字通り私の主観として「分かりやすい説明」だと言うものですが、その説明の先にある方向性に同意しているものではありませんでした。「分かりやすい」=「その説明に納得し、賛同した」ではなかったため、とーるさんに誤解や不快な思いを与えしまったことについてお詫びします。申し訳ありませんでした。

続いて、個別の質問にお答えします。まずチャルマーズ・ジョンソンさんの「中国の脅威などは存在しない」という言葉は、日本から見た脅威論てあるものと理解しています。したがって、以下、このような答えにつながります。

疑問その1
チベットを併合したことも中越戦争も中印戦争も含め「中国の脅威は無かった」のか?
⇒それぞれの国から見れば、たいへんな脅威だったはずです。

疑問その2
60年前の中国と現在の中国の実力を一緒くたにするのか?
⇒軍事力、経済力、政治力、格段に強大なものとなっています。一方で、国際社会の中での立ち位置は、当時とは違った評価できる側面も培ってきているものと見ています。

疑問その3
日本防衛のために沖縄の基地が存在するならその理屈は成り立ちうるが、
沖縄の基地は「日本防衛のため」は正しい認識なのか?
(私は以前に書いたように東アジアの安定が目的と理解)
⇒ご指摘の意味は理解します。ただ現状の論点は、日本から見て在日海兵隊の抑止力の問題が焦点化されているものと考えています。

疑問その4
「国内問題」か「国際問題」かは別にして、中国の台湾への野心がゼロなのか?
⇒野心は非常に強いものと見ています。

仮に台湾への野心がないなら、台湾にアメリカが軍事基地を作って、沖縄から撤退すれば済む。
ただ、在台基地を作ろうとしたら中国は武力行使も辞さない態度を取るのではないか?
(YESなら東アジアの平和に対する中国の脅威は存在するということ)。
⇒そのようなリスクがあるものと思います。また、東アジア全体としての脅威を否定するものではありません。

疑問その5
OTSUさんは、私が書いたことに「具体的で説得力がある」と言われるにも関わらず
「元CIA顧問」が語るこの言葉を紹介したのはなぜか?
単に意見も多様性があるという意味なのか、この方の言うことに納得する、ということなのか・・
⇒先ほど述べたとおりですが、物事の見方に多様性がある、アメリカの有識者の中にも多様な見方があるという点を強調させていただきました。

KEIさんから「相手方の意見を頭ごなしに否定」する議論を薦められました。この点は、今回の記事本文でも書いてあるとおり私の一番のこだわりですので、あえて「私はこう考えています」という論調を貫いています。しかし、この書き方でも相手方に説得力ある言葉が含まれていた場合、劇的な変化があり得るものと信じています。逆に異なる意見を頭から否定し、持論が唯一の「正解」と押し付ける論法より、その可能性が広がっているものと私は考えています。

最後に、KEIさんからスパム機能のお尋ねがありましたが、そのような機能があること自体承知していません。古い記事へのコメント投稿に対し、任意に指定されたパスワードの入力が求められますが、最新の記事ではないはずですので、どのような仕組みなのか分かりません。したがって、私のところにもそのようなコメントは届いていませんでした。

投稿: OTSU | 2010年5月11日 (火) 06時53分

追記です。

決して日本だけ平和ならば良いという意味で、上記のレスを綴っているものではありません。東アジア全体の問題は、今回の問題から切り離し、もしくは逆に真正面からとらえなければ論点が拡散していくものと思っています。

投稿: OTSU | 2010年5月11日 (火) 06時58分

>「分かりやすい」=「その説明に納得し、賛同した」ではない

別に不快な思いをした、というほどのことではないのですが、
「分かりやすい」=「その説明に納得し、賛同した」と思えるものですから、
ちょっと真意の理解に困っておりました。
前回の内容から、あまり極端なことを考えている訳ではないだろうとは
考えていたのですが、今回丁寧な回答をいただいて、よくわかりました。

投稿: とーる | 2010年5月11日 (火) 07時57分

もうひとつ気になったのがOTSUさんの使い方だと「平和憲法があるから平和なんだ」という説も
「わかりやすい」に入りそうな気がするのですが、
なんだかそれはそれで意図されたことと違う方向に行くと思うのです。
おかしな感じになりそうなのですが、「わかりやすい」という使い方はどうにかなりませんでしょうかね。

投稿: とーる | 2010年5月11日 (火) 08時11分

とーるさん、さっそくありがとうございました。

「分かりやすい」という言葉、今回説明したとおりでしたが、難しい問題の際に使うと誤解を招きかねないという点は分かりました。ちなみに今回の「分かりました」は了解したという意味です(念のため)。

特に今回のようなテーマを扱う場合は注意していきます。なお、平和憲法の例示については別の機会とさせていただきます。

投稿: OTSU | 2010年5月11日 (火) 08時22分

ははは、OTSUさんが「私との絡みで補足する」の意味が分かりました。

私の(この問題に関しての)言い分は
1:自主憲法を制定せよ。
2:自国の防衛は先ず自分の力で行え。
3:核武装について「議論」せよ。
当たり前の事を書いただけで、細かい事には全く言及していない。
恐らく「万機公論に決すべし」という点だけ共通して、私とOTSUさんとは結論は全く違うでしょうね。それで結構。

議論の仕方なんて興味なし。罵詈雑言、理路整然、共感式、徹頭徹尾否定、何でも結構。
私には瑣末な問題だ。・・ただちょっと「論」がないと困るが・・・。

昔国会で「アメリカは日本の番犬だ」との発言に咬みつかれて、こう言い直した。
「失礼!アメリカは日本の番犬様です」・・と。
今はこのような自尊心を期待すべくもない。

投稿: あまのじゃく | 2010年5月11日 (火) 10時57分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございます。

このブログのコメント欄を利用し、それぞれのお考えをそれぞれの言葉で語っていただく、たいへん有難いことです。持論とは異なる幅広いご意見に接することができる、たいへん貴重なことだと思っています。ぜひ、これからもお時間が許される時、お付き合いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2010年5月11日 (火) 22時56分

>最後に、KEIさんからスパム機能のお尋ねがありましたが、そのような機能があること自体承知していません。
どうも「指定されたパスワードの入力」の他に、一定のURL等のキーワードに反応して問答無用で非公開枠(ゴミ箱?)へ放り込む設定になっているらしいです。(FAQ等ナナメ読みによる推測)

管理ページから「非公開」扱いのコメントが見られ、承認することが出来るらしいので、試していただけると幸いです。(僕の想像通りなら多量に同様のコメントが放り込まれているはずなので、可能なら最後に投稿した分を承認してください)
参考URL:
http://cocolog.kaiketsu.nifty.com/faqs/17505/thread

なお、投稿後に表示されたエラー文面は以下のとおりです。
>問題が発生しました
>スパムコメント対策のため、このコメントは非公開の状態で受け付けました。記事投稿者が内容の確認を行います。

投稿: KEI | 2010年5月11日 (火) 22時58分

KEIさん、いろいろお手数をおかけしています。

ご案内いただいた管理画面の「コメント/トラックバック投稿規制」も確認しました。管理人の意思に関わらず、自動的に規制されているようであれば解除するつもりでしたが、禁止したいIPアドレスやキーワードは一つも登録されていませんでした。お役に立てず恐縮ですが、私自身が規制しているものは一切なく、心当たりもないことを改めてお伝えさせていただきます。


投稿: OTSU | 2010年5月11日 (火) 23時21分

「結論の押し付けではない情報の発信を大切にすべきものと考え、このブログの場もその一つに位置付けていました。」
前回、今回もさまざまな意見が出て参考になりましたが、ぜひ普天間基地の問題は今後も取り上げて頂ければと思っています。
一番大切なことは「無関心」ではなく国民としてなにができるのかということが沖縄の基地負担軽減につながるのではないかと思っています。そしてその各々の意見を集約し実行に移すことが、政治家、行政機関の役目であることは言うまでもありません。

投稿: ためいきばかり | 2010年5月12日 (水) 22時38分

ためいきばかりさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

厳しい批判にさらされる場合が多くなりがちですが、これからも賛否が分かれる今回のようなテーマに関しても触れていくつもりです。ぜひ、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2010年5月13日 (木) 07時48分

本来であれば週の初めにでもコメントを寄せて私の考えを述べるべきでしたが、個人的な理由でどうしても時間が取れず書き込みが遅くなりました。
また、書きたいと事は山の様にあるのですが、とても詳しく書く時間が取れないため筆足らずの文章となっています。この事についてはお詫びすると共に、読み手が各自で過去の記事とコメント読まれて真偽を判断されることを希望します。


まず、このブログの位置付けを考えると「OTSU」氏も再三再四言っておられますが、言いっ放しで「OTSU」氏の意見のみを押し付ける場では無いとされています。しかし、本当に言いっ放しの場で無いとするのならば、そこには読み手との議論または意見の交換が存在しなければなりません。
これは私の個人的な定義となりますが、議論とは各々の考えを闘わせて双方の価値観をすり寄せる行為であり、また意見の交換とはある事象に対しそれぞれの視点からの意見を寄せ合い問題点の本質を明らかにする行為であると考えています。ただ口先で合いの手を入れれば良いというものではなく、どちらも闘わせる事で自己の論理を昇華させ、よりベターな方向へ進む糧とする行為でなければなりません。
※議論と意見交換を別けるため「あまのじゃく」氏と若干定義が異なります。

さて、このブログの過去から現在に至る記事と膨大なコメント見て、果たして「議論」や「意見の交換」が存在したのかと問うと皆さんはどう考えるのでしょう。一つ一つを紐解いて解説したい処ですが省略させて頂き、この部分は各自が「自分の目」で見て「自分の頭」で考えて補完されることに期待したいと思います。
※ちなみに私は無かったと考えています。私が常々「OTSU」氏に何が変わったのか、どう前に進んだのかと拘ってきたのは、この存在を確認したかったからです。しかも闘わせることに関しては「OTSU」氏はプロ中のプロのはずなのです。

仮にこのブログにおいては議論も意見交換も成立しておらず、管理人たる「OTSU」氏の価値観が過去から今まで何も変わってないならば、このブログの存在に意味は無く単に無駄な時間を6年以上も積み上げて来たという事になります。
しかし皆さんも重々承知のとおり「OTSU」氏の基本能力が十分に高いのは疑いの無いことです。そして能力の高い人が延々と無駄なことを繰り返すことに疑問を持って見てみれば、この場には「議論」や「意見交換」と異なる別の意味や目的があると考えるのが自然です。
※そうでなければ自身の身分を明かしてブログをつづる意味がありません。あえて身分を明かすという意味も加えて考える必要があります。

その上で、ここの目的を表からの視点で考えれば、市民の職員組合に対する冷ややかな視線への対応として、組合のイメージを変える目的(すなわち組合にも意見を聞く耳がありますよという)のアピールの場なのでは無いかということ、また裏からの視点で考えれば、最近カルト的と敬遠させる職員組合へのイメージを変える目的(開かれた組合でカルト的なものではありません)をアピールし組織率の向上を図るための場なのではないかと、私は考えています。
すなわち読み手の意見など最初から耳に入れる気はごくごく少なく、読み手である我々は「OTSU」氏の目的の上で踊る、アリバイ作りの為の駒なのだろうなと・・。これは、かなり穿った見方なのですが、こう考えると過去の記事とそれに対するコメントのやり取り、そしてその上で揺らぎの無い「OTSU」氏の価値観の全ての辻褄があってくるのです。

これらを踏まえて、私は「OTSU」氏のスタンスを読み手に対し失礼な態度であると指摘しています。


話を変えます。この場で私は過去に批判的なコメントを繰り返してきましたが、労働組合の存在を否定した事は一度もありません。疑う方は読み返して見て欲しいのですが、批判の対象とするのは、労働組合の本来的な存在意義や目的を捻じ曲げて、自己の思想の実現に利用する者(勢力)に対してのみです。
商売柄、役所にはよく出入りさせて貰っており若手職員とよく意見交換をするのですが、話を聞くと仕事や職場への不満はかなり少なく、その不満の大半は管理職以外のご老人と、その既得権を頑なに守る組合へと向けられている事に気付かされます。そして大半の職員がとても一生懸命ですし、意外と成果主義を望んでいる職員も多いのです。
そのため、結局のところ労働組合の目的を捻じ曲げる勢力が、現在の様な状況を作っているのだろうと考えているところです。
※昔は接待と称して管理職の方を連れ出す事も多かったそうですが、流石に現在ではその様なことをしたり出来ません。しかし管理職の方に「若手をお借りします」と声を掛ければ、意外と意見交換は可能なのです。

労働組合は誰のためのものかを真剣に考えて欲しい・・。また労働組合の本来の目的とは何なのかも真剣に考えて欲しい・・。少なくとも普天間の解決が目的ではありませんし、まして役員を派遣して座り込みをさせる事は目的にかすりもしません。この部分で一般職員と見るべき所が違うのは、先にも記しましたが「OTSU」氏が労働組合の本来的な存在意義や目的を捻じ曲げる勢力の一人だからと思っています。

今までの経験上の話をすると、職員組合の役員の方はいつも笑顔の事が多く言葉も丁寧で柔らかく人当たりがとても良いものです。それは意識的にしろ、無意識にしろ、どちらにせよ積み重ねられた訓練の賜物と個人的には思っています。しかし、腹の中はといえば表面とは違う本質が渦巻いています。
この笑顔で人当たりが良い者の腹の中の本質を見たければ、時には意図的に怒らせるような対応も必要です。怒って余裕を失った瞬間にその者の本質が見える事があり、過日の「OTSU」氏の言葉の端に、その片鱗を感じた方が居たかも知れません。

この仮面を意図的にしているならば最早掛ける言葉はありませんが、過去のコメントでは無意識にそう仕向けられているのだろうと感じる部分も多かったので「洗脳されている」と表現しています。
結局のところ、そういう訓練が日常的に繰り返されるのが現在の職員組合の姿なのではないかと常々感じています。そして違う価値観の中に身を晒す機会に恵まれなければ、その事を疑問に思う事もないのでしょう。


先日「あまのじゃく」氏から「何かが琴線に触れたのかな」とコメントを頂きましたが、この様な考えが構成される過程で、「OTSU」氏から「原点」という言葉が頻繁に飛び出したため、少なくとも労働組合の「原点」はそこでは無いだろうと思って勢いで筆を取っています。しかし「琴線に触れた」と表現されるほど冷静さを失ったコメントでも無かったと思っています。
ただ日ごろの「OTSU」氏の対応を見て、その意味を考えれば考えるほど、「謙虚に受けとめ」という看板を下ろし、コメントも受け付けないくらいの方が潔いだろうと思って書きなぐったのは事実です。

さらに「OTSU」氏の論の進め方で、私が許容できないやり方に「切り離し」の進行法が多く見られます、これはある事象を論じるにあたり一方からの問題点のみで批判し、別方向からの論議を意図的に排除するというもので、ちょうど今回も普天間の問題を「東アジア全体の問題は、今回の問題から切り離し・・」とされています。
この進め方をすれば、どのような事象であっても自分の都合よく話を進めて結論に導くことが可能であり、過去には「コスト問題」やそれから波及する「経済問題」を切り離し「原発を廃止し風力発電等への置換は可能」と言った事すらありました。これがここの主たるやり方であり、腹の中に渦巻くものの一つです。
このやり方は非常に便利です。「あまのじゃく」氏が常に問題提起する1000兆円の借金でさえ「返済義務」という問題を切り離せば、いくら公債を積み上げても何の問題も存在しないことになるのですから・・。
ですが、行政に携わるものは一瞬でも他の視点を切り離すことが許されないのは当たり前のことなのです。A氏の利害を切り離しB氏の要望優先することが許されると思いますか。余りにも公平という部分に掛けている。これが私が「OTSU」氏に対して、行政から離れるべきという根拠の一つとなります。


時間が無いといいつつ、なんだかんだと長くなりましたが、1時間程度で書けるのはこれが限界ですので、今週はここまでとします。足りない分は各自で過去の記事を読んで補完されることをお願いします。


追記。
労働組合とはもっと身近な職場環境を見るべきだと思うのです。少し以前の事になりますが・・昼休みにちょっと役所を覗いたら、資料が無人の職員の机に無造作に放置されていましたよ・・・・とかね。ここには不思議とこういう記事が少ないのですよね。

投稿: mobileSE | 2010年5月14日 (金) 21時53分

mobileSEさん、長文のコメントありがとうございました。

ここまで大きな「溝」や「壁」があるようでは短い言葉で何か述べても、何も伝わらないものと思っています。かと言って、改めて長々と私自身の思いを綴っても、まったく無駄なのかも知れません。それでも土曜か日曜に投稿する新規記事を通し、もう少し当ブログの位置付けなどについて触れてみるつもりです。ぜひ、お時間を頂戴することをご理解ください。

投稿: OTSU | 2010年5月14日 (金) 22時26分

私自身はこの場を
基本的には「公務員」および「労働組合に対する誤解」を解く場である。
そのために折々の話題に触れてOTSUさんが見解を披露する。
意見は多様なものであり当然反論もある。それを否定する考えもない。
このブログを見に来た方には、OTSUさんの書いた内容だけでなく、
コメント欄についた意見(コメントされた方とOTSUさんのやりとりや、
コメントされた方同士のやりとり)を含めてこのブログを見に来た者が
感じてもらえれば良い。「結論は見た方が判断して下さい」

もちろんそれらやりとりを通じてOTSUさん自身が考え方を改めたり
行動を変えたりすることも出てくるだろうが、それはこのブログの主たる
目的ではない。

と理解しています。

いわばパネルディスカッションというか。
OTSUさんは「ホスト役」兼「パネリスト」、私やmobileSEさんは
「パネリスト」兼「オーディエンス」。

「議論とは各々の考えを闘わせて双方の価値観をすり寄せる行為」
であるならば、すくなくともここで意見を闘わせている方々同士には、
「議論はあった」のではないかと思っています。

ただ、「お互いの意見の中で共通点を見つけながら落とし所を探る」
のは「OTSU」さんというより「オーディエンス」だと思うんですよね。

mobileSEさんは「議論をしているのに、ブログ主であるOTSUさんの
考え方がずっと変わらないのは欺瞞の証拠だ」と思われているように
感じますが、私は「そういう意見も理解できます」≠「私の考え方を
改めます」と理解しているので、OTSUさんが考え方を悔い改め
ました(失礼!)という話になってなくても不思議には思いません。
ただ、ここで書いた人との意見交換がOTSUさんに何も影響を
与えていない、とも思ってはいないんですけどね。

確か以前にmobileSEさんがOTSUさんは何も変わらないじゃないか、
と言われていた時、私の尊敬する「K」さんがこんなことを書かれました。

「その人の価値観っていうもんはその人が歩んできた人生によって培われ
て来たもんで、いわば木の幹のようなもんや。それはそうそう変えられん。
じゃあ意見や議論というもんが意味がないかというとそうでもない。
それは今から出てくる若葉や芽のようなもんで、これから枝となり
幹となっていくもんやと思う」

・・だいぶ違ってるかもしれません。すみません。

でも、こんな感じのことを言われてました。良い言葉だと思いました。

私なりの理解で書くと、「日々の努力が明日の自分を作る」「今日の
自分は過去の自分の積み重ねである」「過去は変えられんが、未来の
自分は今から積み重ねるものだ」ってことで、その積み重ねの中の
一つには、このブログでのやりとりも入ると思います。

必ずしも目に見える変化ではないかもしれませんけどね。

投稿: とーる | 2010年5月15日 (土) 00時50分

上のKさんのコメントは私の記憶をたどって書いたものでしたので、
抜粋になりますが改めて引用させていただきます。「竹原市長の問題点」の記事でのコメントでした。

>内面はどうかというと、ブログ主はんはおそらく、いい歳した大人やと思うねん。
>そうそう簡単に、自分の価値観や信念がかわるモンやないと思てる。(中略)
>このブログは、OTSUはんの生活の一部に過ぎんのであって、そこのコメントで
>OTSUはんの考えが大きく変わることは多分あらへんて。ただ、信念の幹の部分に変わりは無くとも、
>その後に広がる枝葉の部分には影響すると思てる。ほんでその枝葉のひとつは、将来幹になるやもしれん。
>このブログにコメントを書くオレもそうよ。他人の考えに触れるためにちょいちょい顔出してるけど、
>それ自体がオレの価値観に、ほんのちょっと影響してるかも知れん。
>お互いが、いや不特定多数の人間がこうして書き込んでる訳やから、
>それぞれがええ方向に刺激を受ければええんちゃうやろか。

このあともKさんええこと言うてます。「相手の屁理屈潰すより、心を揺さぶる方が重要や」
心揺さぶられました!(笑)

投稿: とーる | 2010年5月15日 (土) 02時56分

とーるさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

これまで私が訴えていたこと、さらに次回記事で改めて綴ろうとしていたポイントを適確に述べていただいています。kさんの以前の言葉まで引用くださり、とーるさんの心遣い、本当に有難く思っています。当ブログはご指摘いただいたような趣旨で続けていくつもりですので、ぜひ、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2010年5月15日 (土) 07時51分

改めて書くのですが、
「公務員」および「労働組合に対する誤解」を解く場、であるのなら、
そこであえて「火だるまになりがちな政治問題(特に基地問題)」に
踏み込むのはなぜなのか、というのが理解に苦しむところなんですけどね。
特にOTSUさんは割と穏当な見解をもたれているように思うのに、
組合員が組合活動で普天間に行きました、辺野古に行きました、
これらが反発受けたり偏見を受けたりすることがわからない人でない、
と思うんですが。そこにある意図が理解できないのです。

で、考えられるケースは以下の4つなんですよね。
1.反発の程度を甘く見ている
2.反発はわかっているが、度外視してでもやるべきと思っている
3.反発は想定内、むしろこれらの活動を理解してもらうために書く
4.あえて批判に身をさらすことによって、他の組合役員にその反発ぶりを
  見てもらい、「世間ではこういうことは誤解を招くことになるから、
  この問題は組合活動としてはやめよう」という方向性に舵を切ろうとしている

さて、どれでしょう?いや、案外・・ひょっとしたら4なのかも・・?

投稿: とーる | 2010年5月15日 (土) 08時26分

とーるさん、コメントありがとうございます。

今回の記事本文でも下記のような私なりの説明を加えていましたが、改めての四択で問われれば、「3」となるのでしょうか。そして、若干「4」に近い趣旨となりますが、反発の声があることを把握し、どのように対処するのかが大切だと考えています。その点が欠けていると内向きな運動にとどまり、到底広がりを持たせられないものと思っています。

>あえて賛否が大きく分かれる政治的な課題を取り上げている理由は、前々回記事「本題に入る前の長話」で記していました。組合活動の本流ではありませんが、普天間基地の問題などにも自治労が関わっている限りは、どのような立場や考え方で取り組んでいるのか、丁寧に説明していくべきものと思っているからでした。加えて、組合員の皆さんの中には、自治労の方針に違和感を持つ方々も決して少数ではないものと見ています。だからこそ、結論の押し付けではない情報の発信を大切にすべきものと考え、このブログの場もその一つに位置付けていました。

投稿: OTSU | 2010年5月15日 (土) 08時47分

ははは、基地問題から安全保障へ、そして「議論論」へと話が移りました。

ここは、OTSUさん及び組合への「理解の場」である。議論や意見交換を妨げないが、この趣旨からは外れない。
共感を大事にしているが、情が理を超えてはならない事も踏まえている。本当にプロの仕事ですね。
この事を最初から理解している「つもり」でした。

しかし先日OTSUさんから「土俵でレスリングをしかけるな」と言われて、つい「恐れながら・・」と憤慨した事がありました。
mobileSEさんも同様なのでしょう。何故なら氏はこの板の趣旨を理解しているだろうからです。
それで結構。(最近このセリフが多い。年とったかな?)

しかし憲法、外交防衛、治安、税金などの国の根幹の議論をする事がとても大事です。
早くパンドラの箱を開けないと日本は沈むでしょう。

投稿: あまのじゃく | 2010年5月15日 (土) 10時37分

「とーる」氏

かなり以前の話になりますが、やはり政治絡みの記事の時に「OTSU」氏に対して何が変わったのかと厳しく問い詰めた事がありました。その時貴方は「OTSU」氏のコメントから「今後は気をつけてくれるそうですよ」とされ、フォローするコメントを記されたかと記憶しています。

そこで貴方に問いたいのですが、この時の記事と今回の基地移転の記事で何かが変わっていると感じますか? どのように気をつけてもらったと思われますか? 私は、ここは口では合いの手を入れてみても何も変えていないと思うのです。

そして今回の記事について「切り離し」の進行法で無茶な引用からトンデモ結論に誘導されていませんでしたか? その提示方法に納得出来てましたか?

さらに読み手が真剣に反論をしてみても、論点をすり替えて巧みに問題点をぼかされていませんでしたか?(これについては私が口を挟んでから多少は直球で回答されている様ですが・・プロの対応法だと思います) 実は回答はどうでも良くて議論が行われたというアリバイ作りに加担させられてはいませんか?

最後に言いたいのは、ここの基本的な役割が「理解の場」であってもまったく構いません。堂々とそのように明示されていれば、そう理解して使うだけですから・・。でも「OTSU」氏の言葉は、そうは言っていませんよね。
公平を旨とすべき立場の者のはずなのに、これが胸を張れる態度なのか非常に疑問を持っています。そのため「謙虚に受けとめ」という看板を下ろすべきだと何度も言っているのですが・・。

結論としては、ここで議論があったとか無かったとか実はどうでも良いことなのですが、人を騙すような態度だけはいただけないと考えております。


「あまのじゃく」氏

頭では理解していても、綺麗な言葉や柔らかな物腰をみていると、無意識のうちに期待してしまうものです。こちらも相当以前に「判りやすい悪」「判りにくい悪」の例えで自分を戒めていたのですが・・・・(確かその時は「OTSU」氏は判りやすい悪としたはずなのですが、自分のなかでいつの間にか入れ替わっていたようです)。

これからは期待しないで、ここの読み手に論じるスタンスの方が良いのかも知れません。

追記、貴方と私では、かなりの部分で考えに差異があると認識していますので、そのうち激しくぶつかるかも知れませんが・・。

投稿: mobileSE | 2010年5月15日 (土) 20時16分

あまのじゃくさん、mobileSEさん、いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

今夜、新規記事を投稿します。言葉の使い方は本当に難しいものと実感しています。その記事を通しても、mobileSEさんに私の思いが伝わるのかどうか自信ありません。また、mobileSEさんが憤られていますが、そのように憤られるほど、とーるさんに対して不誠実な対応をしている自覚がないことも付け加えなければなりません。

投稿: OTSU | 2010年5月15日 (土) 23時03分

mobileSEさん

私がOTSUさんに言いたかったことは伝わってると思うしそれでいいと思ってます。
より具体的にいうならば「基地問題について書く書かないはOTSUさんの自由、
だがこの問題についてOTSUさんの立場で書くことは、意味なく波風を立てることになり、
公務員や労働組合に対する偏見を助長する可能性が高いので私としては踏み込まない方が
良いのではないかと思う。踏み込むのであればそれなりに覚悟をした方がいい。」
これが私の言ってきたことであり、それに対して、少なくとも複眼的な視点でもって
(サヨク的あるいは組合の考えが正しいという論調でなく)書かれたことに顕れている、
慎重な書きぶりだと感じました。

>無茶な引用からトンデモ結論に誘導
一番最後の元CIA顧問氏の話のことだと思います。
これは、前回の「沖縄タイムスの真喜志さん」にも感じたところですが、
少なくともOTSUさんの引用の意図については確かに大きな疑問を感じたので、
どういう意図でその引用をしたのか、ということを明らかにして頂きました。

一方で、OTSUさんの言われる「わかりやすい」という言葉の使い方、
あるいは「アメリカの有識者の声も多様な幅がある」いうような表現の誘導性、
これらについては意図が異なるなら、もう少し吟味したほうが良いとは思っています。
(これらが正しい、という意味で使われるのであれば当然反論の余地が大いにあるからです)
そりゃ「あえてこういう表現により結論をねじ曲げているんじゃないのか」と考えることは
可能ですが、別にそこまで悪意にとらなくても、理屈と結論の関係が怪しい部分については
確認・質問などの方法で意図を明らかにして、結論がトンデモなところに行ってれば、指摘・
反論すればいいことです。

何が正しいのかは私は別にそれぞれに違いがあっても良くて「オーディエンス」が
「この人の意見に分がありそうだな」と判断すればいいと思うわけです。

投稿: とーる | 2010年5月16日 (日) 00時07分

異論があるから議論がある。異論があるから選択肢が広がる。クローン人間が1つの病気で死に絶えるように、異論なき集団は滅亡するだろう。

「感情的になると議論出来ない」という考えの方もいるようだが、私は全く反対に考えている。
「元々議論するほどの持論を持たないから、最後は感情的になる」のだろうと。

全ての「論」はそれなりに成立します。しかし「視野を広げ」「時間軸を伸ばし」「優先順位を絞る」とそれなりに「優劣」が付くだろうと思います。
多くの異論は「視野」「時間軸」「優先順位」の違いの場合が多いからです。

その異論を集約出来るか否かが、その集団の「自治力」と見做して良いだろう。日本人の自治力は高い筈です。

mobileSEさんの「竹原市長評」を見ても、私と感性が違う事は充分理解しております。異論を楽しみにしています。
「誠実」とは如何なる疑問や反論に対しても応えようとする態度の事だと理解しているので、必ず答えます。
元々、いい加減な人間ですが、議論や真実に対しては真っ当ですから。

投稿: あまのじゃく | 2010年5月17日 (月) 09時14分

あまのじゃくさん

>「感情的になると議論出来ない」という考え
というのはもしかしたら私のことかもしれませんが。
感情論を否定するものではありませんが、他者の否定や馬鹿にするものであれば、
お互いの考えを理解しようという意志をいたずらに遠ざけ、きちんとした対話・
理論の応酬を遠ざけることにつながると考えています。
そこには何ら得るものはなく、ただ徒労感が残るだけにしかならないと思いませんか。

お互いの考えをすりあわせるための議論であれば、お互いの立場になったつもりで考える、
傾聴という姿勢が必要です。それがなくてなぜ相手と歩みよることが出来るでしょうか。
あるとすれば徹底して戦って白黒つける、それしかないじゃないですか。

逆にここの場のように、結論は見ている人が判断すれば良い、という場であるならば、
見ている人がどう判断するかといえば、基本的には「感情的になった奴が負け」です。
「元々議論するほどの持論を持たないから、最後は感情的になる」その通りです。
であれば、相手を罵れば罵るほど、自分の意見は通らなくなるのではないですか。

ただ、これは「理屈に対して感情で応酬する」場合です。

一方で、「感情に対して感情で応酬する」場合はどうでしょうか。

mobileSEさんが書かれたような「『人から与えられた知識』を『人から洗脳された頭』で
鵜呑みにし『疑問を持つ事すら放棄した頭に浮かんだ結果』」というのは、普通の社会人
ならば、職場で同僚、上司や部下にも言えるようなことでは無いはずです。
仮に阿久根市の職員が竹原市長に言ったとしたら、どうでしょうか。
あるいは、大阪府の職員が橋下知事に、でもかまいません。

少なくとも対話を放棄して相手を否定する言葉である以上、これに対して感情で
相手を否定しても「どっちもどっち」、むしろ先に仕掛けた方が悪い、とするのが
普通だと思います。

ただ、こんなやりとりでこの場が荒れてしまうのはもったいないと思いませんか。
まじめな話、感情的にならずに冷静になろうと努める必要があるのではないですか。

mobileSEさんは口が悪いというか、あえて偽悪的に振る舞われている気がするので、
私はそれほど悪い印象はなく(最初はありました)、だからこそ「もったいない」と
思っているのです。

まあ、私がどう思ってるかなどということは余分な話だったかもしれません。

投稿: とーる | 2010年5月17日 (月) 20時38分

あまのじゃくさん、とーるさん、いつもコメントありがとうございます。

あまのじゃくさんの「感情的になると議論出来ない」は、私の考え方へのご指摘だと思っています。「言葉にすることの大切さ」や最新記事の中で、いろいろ私自身の思いは申し上げてきました。あえて繰り返しませんが、とーるさんのご意見と同様な立場であり、そのことを心強く感じているところです。

投稿: OTSU | 2010年5月17日 (月) 22時27分

「感情的になると議論出来ない」を誰が言ったかは覚えていません。以前の会話にそのような流れがあったと記憶しております。
しかもこの問題をそれ程重要視してはいません。しかし私に対してご意見があったのでお答えします。

ただ、私と「とーる氏やOTSU氏」との「議論観」が若干違うようですので、前もってお伝えしておきます。
さらに「確固たる持論を持たないが故に、反論されると感情的になる者」を「持論不足の者」と呼ぶ事にします。

議論は問題を様々な角度で照らして、その本質を明らかにする行為です。
従って「持論不足の者」を議論の輪の中に留めておく必要はありません。
同時に「持論不足の者」を排除する必要もありません。

しかし「持論不足の者」を議論の輪に留めておきたいが余り、「自説の開陳」や「相手への反論」を躊躇しては議論の意味がありません。
つまり(私にとって)議論において最も重要なのは「問題の本質を照らす」事であって、「相手の立場に立つ」事では無いし、極論すると「意見をすり合わせる」事でもありません。

若し重要な点で自分と意見が違う者に対して反論しないのなら、それこそ不誠実で無礼な態度かと思いますよ。

ただし最後に申し上げておきますが、これは私の議論観であり、同時に「議論の場」における私の考えです。
この板はOTSU氏の所有であり、運営方針は管理者が決めるべきものと理解しておりますので、私の発言の趣旨をご賢察ください。

投稿: あまのじゃく | 2010年5月18日 (火) 09時22分

議論の仕方など重要視していない・・と言いながら正確に伝わらないのは本意ではないので・・。

皆さん「感情的」という部分に拘っておいでですね。
私には「感情的かどうか」は瑣末な問題なのです。
議論するなら、理論を尽くせ!・・なのです。

だから理論を尽くしているなら、感情的になっていても冷静でいても(私としては)何の問題もありません。
私は感情的になったが為に、自分の論旨を変えたという自覚もありませんし、そのような事はしません。

だから「冷静だが持論を持たない者」からは得る物はありませんが、「感情的だが確固たる持論を述べる者」からは得る者が多いのです。

投稿: あまのじゃく | 2010年5月18日 (火) 11時30分

結局のところこの件に関しては私とあまのじゃくさんが言っていることは大して変わらない気がするんですよね・・。

主張の内容に感情を込めるかどうかは別に問題ではありません。多少熱くなろうが冷静だろうがきちんと理屈として成り立っていればよい。ただ、そこで相手をおとしめる必要はなく、相手の理屈の間違っているところを指摘すれば済む話。
そういう余計なことは単なる非難の応酬への脱線の元であり生産的でないので見苦しいしできればやめてもらいたいです、と言っているに過ぎません。そんな非難の応酬では「物事の本質を照らす」ことはできないでしょう?

例A:クジラを食べるのはかわいそうだ
例B:クジラを食べるなんて頭おかしいんじゃないの?水銀が頭に回ってトチ狂ったことしか言えないのか、病院行けよww
AはともかくBはやめましょうよという話をしているに過ぎません。

>「持論不足の者」を議論の輪に留めておきたいが余り、「自説の開陳」や「相手への反論」を躊躇して
ホストが表明した意見に対する疑問・意見は、説明する必要はあると思いますが、そうでなく私はこう思う、僕はこうだ、という意見であれば、ホストからいちいち否定することはないでしょう。そんなことしなくても、他にたくさんのパネリストもいますし、それらの意見を見て、正邪はみなさんが判断すれば良い、というスタンスであるだけで、それがここのブログの方針だと私もあまのじゃくさんも理解されているのでしょうから・・。

投稿: とーる | 2010年5月18日 (火) 18時59分

ははは、とーるさんは多分「阿久根市のBBS」の事を指摘しているんでしょう。
私、あのBBSで「議論」をした記憶はありません。
私は幾つか論陣を張って議論を期待したけれど、それに対する論陣を張った人の記憶がありません。(居たのかもしれませんが・・・)
私から見て、あんなもんは「議論」の範疇に入りません。まさに貴方のいう「罵り合い」ですね。
(仕方が無いので)私が何をやっていたかというと、「一部の人達は抵抗のための抵抗しかしていない」という事を「浮かび上がらせていた」に過ぎません。
多くの題材があったから、真正面から論陣を張ってくれたら、それこそ価値のある議論が出来たでしょうね。残念な事です。

投稿: あまのじゃく | 2010年5月18日 (火) 20時33分

いや、申し訳ないですが、「阿久根市のBBS」というのは行ったことがないのですが・・。
教えていただければ、時間があるときにでも覗きに行ってみようと思います。

投稿: | 2010年5月18日 (火) 21時03分

あまのじゃくさん、とーるさん、いつもご訪問ありがとうございます。

「阿久根市のBBS」とは「竹原信一という男BBS」を指されているものと思います。URLは下記のとおりですが、「議論」が盛り上がっていた旧BBSは閉じられてしまっています。

http://jbbs.livedoor.jp/news/4965/

投稿: OTSU | 2010年5月18日 (火) 22時44分

ははは、あの旧BBSを「議論が盛り上がった」と表現する配慮こそがOTSUさんの真骨頂ですね。
同時に「泣いて馬しょくを切ればいいのに」と(私に)思わせる所でもあります。(笑)

革命は銃口から生まれる。改革が「罵り合い」だけで済めばお安い御用だ。しかし・・・。

投稿: あまのじゃく | 2010年5月19日 (水) 11時52分

あまのじゃくさん、コメントありがとうございます。

そのような見られ方もされるのだろうと思い、とりあえずカギ括弧付きの「議論」としていました。ちなみに最近、やり取りの一部では言葉を選ばなくなっている傾向があります。決して基本的なスタンスを変えるつもりはないため、もう少し冷静になろうと省みているところです。

投稿: OTSU | 2010年5月19日 (水) 21時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/130697/48312257

この記事へのトラックバック一覧です: 「一期一会」と改めて当ブログについて:

« 普天間基地の移設問題 | トップページ | もう少し当ブログについて »