« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

2010年5月30日 (日)

自治労と当ブログについて

このブログでは自治労に絡んだ話を数多く書いてきました。プロフィール欄にあるとおり自治労に所属している市職員労働組合の執行委員長を務めている関係上、当たり前と言えば当たり前なことでした。インデックス代わりに過去の記事を並べてみようとも考えましたが、かなりの数にのぼるため見送っています。昨年の総選挙戦の前後には「ネガキャンの中の自治労」と「自治労都本部大会で感じたこと」という記事を投稿していました。

自治労そのものを端的に紹介した記事として、「自治労は悪役?」や「もう少し自治労の話」などがありました。そのため、今回の記事で自治労に関する詳しい説明は省きますが、もともと右サイドバーの用語解説リンクから自治労のホームページへ飛べるようになっています。なお、これまで国内最大の産業別組合(産別)と記述してきましたが、現在、その呼称はUIゼンセン同盟に譲っています。

繊維産業にとどまらず、食品流通の分野などにも積極的な組織拡大を進めた結果、UIゼンセン同盟は組合員数100万人を超す産別となっていました。一方、自治労も公共民間や非正規労働者の組織加入を進めてきましたが、職員数削減が行革の柱とされている全国的な潮流の影響は大きく、90万人を割り込んでいました。その点だけは今回の機会に改めて補足させていただきます。

さて、前回の記事「多面的な情報への思い」のコメント欄を通し、とーるさんと意見を交わしている中で私から「自治労が普通ではないという言われ方に対しては、構成員の一人として素直に肯定できない気持ちをご理解いただければ幸いです」とお答えしていました。それに対して、とーるさんからは次のような問いかけが示されていました。

自治労の主張とOTSUさんの意見は違うけれども、自治労の意見を「異常だとは思っていない」。平和行進・人間の鎖の目的意識は「PR」である。従って行進することに意義があるのではなく、人目に付くことを行うことが目的である。なにより上の方で決めたことなので一労組単位では止めるのは無理。んで、まあ一応理屈はあるので惰性で流されてます、と。

ということなので、要するに右翼団体が「宣伝カー」を走らせたり、市役所の前でがなり立てるのと同じだと理解したのですが、その活動とこの平和行進や人間の鎖と、普通の人が見ている目は「一緒」ではないかと思うんですよね。人目を引いたとして、そのやり方が「賛同」は得られるのか、と。そこで「PR=賛同」と自治労が考えるならそれはやっぱり「普通」ではないな、と思います。

沖縄平和行進や普天間基地包囲行動に自治労組合員が参加することについて、様々な評価があることを承知しています。そのことへの率直な問いかけでもあったため、とーるさんへ「少し時間が取れる土曜か日曜に改めてレスさせていただきます」と答えていました。また、機会があれば、じっくり記事本文で取り上げるべき重たいテーマだとも感じていたため、今回、上記のコメントに答えるかたちで私なりの問題意識を綴らせていただきます。

まず自治労の主張と私自身の意見が違うというご指摘ですが、広義な方向性に齟齬があるとは思っていません。とは言え、このブログが自治労のプロパガンダを目的に開設した訳ではありませんので、個別のテーマや運動の進め方について異論を唱えてきたことも少なくありません。なお、このような点は通常の組織でも当たり前なことであり、逆に組織の方針一言一句を一切批判できないようであれば非常に問題ではないでしょうか。

その常識的な範囲内で当ブログを通し、これまで様々な課題に対して個人的な見解を発信してきています。ただネット上の単なる愚痴や陰口とならないためにも、実際の機関会議の場などでも同じ趣旨の発言を行なうように心がけてきました。さらに言うまでもありませんが、仮に総論的な方向性や課題の大半が共感できなかった場合、ここまで長く自治労に属している組合の役員を続けてこなかったものと思います。

例えが適切であるのかどうか分かりませんが、仙谷由人国家戦略担当大臣は自治労組織内の協力国会議員団の団長を務めています。前原国交大臣とのつながりの深さなどから見れば、仙谷大臣と自治労との関係性に疑問を持たれる方もいらっしゃるかも知れません。それでも前述したような範疇で一致点が見出せる限り、違和感のない信頼関係が維持できていることも不思議ではありません。

このように考えていましたので、自治労が「普通ではない」と言われれば、やはり一言申し上げなければなりませんでした。その上で、具体的な沖縄での普天間基地包囲行動などへの評価ですが、反対の声がこれほど強いという直接的なアピールとなっていることは間違いありません。合わせて、沖縄県外から多くの支援者がその行動に参加することについて、地元の皆さんが心から歓迎している構図も明らかでした。

つまり私自身は都合がつかず、現地に足を運んでいませんが、平和行進などの行動そのものを否定する立場ではありません。特に今回、普天間基地の問題が大きな焦点となっている中、例年以上に意義深い行動だったものと思います。ただ常々、気にかけている点として、このような行動が年間行事として恒例化し、取り組むこと自体が目的化しているような見られ方には注意を払う必要性を痛感しているところです。

貴重な組合費から多額な旅費を支出するのですから、その意義などを組合員の皆さんに伝え、理解を求めていくことは言うまでもありません。また、仕事を休んで参加する場合があるため、それぞれの職場の事情などにも配慮した上で派遣するメンバーを決めなければなりません。組合役員が参加する場合は、他の任務との優先順位なども考慮し、待ったなしの職場課題への支障が出るようでは問題です。

続いて少し広い意味合いで、あくまでも包囲行動などは手段であり、目的化してはならないものと考えている点について個人的な意見を述べさせていただきます。一連の反対行動を通し、沖縄の強烈な民意は全国民に伝わっているはずです。しかし、残念ながら鳩山政権は辺野古への移設を選択しています。結局、どのように盛り上がった反対運動でも、政府の判断を覆せるケースは皆無に近い現実があります。

政府の判断を左右できる可能性として、もちろん反対の声が強いというアピールも欠かせません。しかし、それだけでは不充分であり、現実的かつ具体的な対案の設定とその説明力が重要であり、同時に意思決定の鍵を握る人物との交渉力が求められているものと思っています。今回の問題で、鳩山首相が強い批判の矢面に立たされるのは仕方ありません。その一方で、罷免されたことを誇らしげに語るような社民党の福島党首の姿勢にも正直なところ違和感をおぼえていました。

政治家の言葉が重いことは確かですが、結果に責任を持つ重さもそれ以上ではないでしょうか。与党の一員として結果を出せなかった責任は、福島党首自身の力量不足も省みなければならないはずです。「これだけ私たちは反対した」という事実よりも、より民意にそった結果を出せたかどうかが、とりわけ政治家には強く求められている責務だろうと思っています。このような思いも運動を目的化してはならないという問題意識につながっていました。

とーるさんからの問いかけに対する答えが横道にそれがちで恐縮です。いずれにしても現在の自治労本部や平和フォーラムの役員の皆さんも、このような点は重々承知の上で様々な運動を提起しているものと受けとめています。やはり結果は出せていませんが、包囲行動の成功などは政府や与党への要請行動の際、訴えていく言葉に大きな重みを与えていたことも確かだろうと見ています。

回りくどい言い方となってきましたが、「上の方で決めたことなので一労組単位では止めるのは無理。んで、まあ一応理屈はあるので惰性で流されてます」という消極的な意味合いではなく、それぞれの組合が背伸びしない範囲内であれば、可能な限り関わっていくべき運動領域の一つだと考えています。右翼団体の街宣と比べられるのも心外ですが、平和行進などは必ず道路使用許可申請を行ない、あくまでも「表現の自由」の一環で認められた合法行為であることを強調させていただきます。

ちなみに右翼の街宣も所定の手続きを行ない、名誉毀損や騒音などの問題が生じない限り、やはり「表現の自由」が適用されるものと思っていますが…。なお、「普通の人が見ている目」に関する話ですが、この場合、「普通の人」の範囲の問題が残り、かなり主観的なとらえ方のようにも感じています。この点も含め、今回の記事内容全体を通し、とーるさんと私自身の見方の違いは大きいはずです。

今回も長い記事となっているため、そろそろまとめに入らなければなりません。自治労の主張と私自身の意見との整合性の問題でしたが、タイトルは「自治労と当ブログについて」とし、もう少し話題を広げるつもりでした。結局、それほど脱線することもなく、とーるさんの率直な問いかけに対して、私はこのように考えている、という内容を綴ってきました。後はオーディエンス、閲覧されている皆さんがどのように感じられるか、多面的なご意見を伺いたいものと願っているところです。

| | コメント (74) | トラックバック (0)

2010年5月23日 (日)

多面的な情報への思い

前回の記事「もう少し当ブログについて」の最後に「このブログを始めたイキサツ」という記事を紹介し、多面的な情報を発信していく重要さを実感していることを付け加えていました。当初、そのような趣旨も前回記事の本文で、もう少し掘り下げていく予定でした。ただ毎度のことながら長々とした内容となっていたため、以前の記事を紹介することで結びの言葉に代えさせていただいていました。

今回の記事で改めて多面的な情報の大切さや、そのことに対する当ブログの位置付けなどについて書き進めてみます。まず多面的な情報とは、文字通り様々な視点や幅広い立場から切り取られた多様な見方や考え方などを指しています。例えば富士山を東京から眺めた時、六合目まで昇って見回した時、それぞれの景色がまったく違うことは言うまでもありません。

要するに同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。

紹介した以前の記事にあるとおり当ブログを始めた切っかけは、「従軍慰安婦」関連の番組への政治介入問題でした。この問題でNHKと朝日新聞が真っ向から対立し、どちらか一方の報道だけ見聞きすると相手が悪いという印象を持つようになっていました。このような事例に接したことで、ますます多面的な情報を発信していく重要性を認識し、「公務員のためいき」の開設につながっていきました。

また、以前の記事「卵が先か、鶏が先か?」でも書いたことですが、日本の大手マスコミは世間のムードによって論調を決める傾向があります。少しでも多く部数を伸ばしたい、視聴率を上げたいという目的がある中、そのムードに逆らう論調には消極的にならざるを得ないのだろうと見ています。さらにマスコミの論調が世論の雰囲気を後押しするため、「マスコミが世論を作るのか、世論がマスコミの論調を決めるのか」という意味合いの記事タイトルを付けていました。

加えて、世論の潮目を境にした持ち上げ方と叩き方の落差が、あまりにも極端であるように感じています。国民からの圧倒的な支持で滑り出した鳩山政権に対し、初めの数ヶ月間は些細なことでも称賛し、厳しく批判すべきことでも寛容だったようです。しかしながら現在、確かに批判されるような不手際なども目立ちますが、ここまで何から何までネガティブな報道につながることにも違和感を持たざるを得ません。

だからと言って、マスコミの姿勢を強く批判するつもりもありません。そのようなマスコミの特性や傾向を承知した上で、付き合っていくべきものと考えています。建前は中立であり、そのような姿勢を貫くための紙面や番組の構成に努めていることも否定しません。しかし、大手のマスコミの論調が同じ方向性に流れがちな傾向も押さえなければなりません。かつては読売新聞と朝日新聞の立ち位置は明らかに違っていたはずですが、今ではその差異を見つけることも難しいようです。

幸いにもインターネットの普及は、多面的な情報や考え方をコストをかけず、手軽に入手できるようになりました。その結果、新聞やテレビからの報道に頼らず、多種多様な情報にアクセスできるようになっています。一方で、インターネットから得られる情報は、あまりにも幅広く、膨大な量であるため、私たち一人ひとりが真贋を見定める力量を高めなければならないことも確かでした。

そのような中、当ブログも多面的な情報を提供する一つのサイトとしてネット上の片隅に加わり、公務員やその組合側の言い分を発信してきました。記事の内容によっては、このブログを通して賛否が分かれている様々な声を紹介する場合もありました。ただ基本的には、普段触れる機会がないと思われる組合の考え方などを発信することが、「このような見方もある」という多面的な情報の提供であるものと考えてきました。

なお、このブログの大きなセールスポイントは、コメント欄に寄せられるご意見が非常に幅広く、私自身も含めて多面的な情報に触れられる貴重な機会となっていることでした。記事本文よりも、コメント欄の多様な声を目当てに訪れている方も少なくないようです。また、思い込みや事実誤認による批判だけは避けて欲しいものと願っていますが、客観的な議論の土台を築くためにも多面的な情報の必要性が増していくものと考えています。

| | コメント (25) | トラックバック (0)

2010年5月15日 (土)

もう少し当ブログについて

最近、Twitterが流行しています。ブログとチャットを足したような新感覚のコミュニケーションツールと言われています。いつでも、どこでも簡単につぶやき合える手軽さが人気となっているようです。なお、このブログの記事の最後に「」(頭文字のT)という青字がありますが、それをクリックするとTwitterの無料登録画面に入れます。

今のところ私自身は、Twitterに手を出すことはまったく考えていません。140字以内という投稿文字数の制約があり、常に長々とした記事となる当ブログの傾向からすれば、ブログの代わりになるものではありません。チャット的な機能に魅力は感じますが、このブログのコメント欄を通して充分にそのような会話も行なえているものと思っています。

そもそも当ブログの運営にあたって、実生活に過度な負担をかけないように心がけています。そのため、開設当初は週に複数回更新していましたが、現在は週1回の間隔を定着させています。お寄せいただいたコメントの返信も、平日は朝か夜に限っています。休暇を取っていたとしても「勤務時間中に」という誤解を招くため、まず平日の昼間にコメントを投稿することもありませんでした。

このような現況を考えれば、私自身にとってTwitterの機能は「宝の持ち腐れ」となることが目に見えていました。ちなみに先ほど実生活に過度な負担をかけないと述べましたが、決してブログの運営に際して手を抜いているという意味ではありません。とりわけ記事本文の更新に向けては一字一句熟考しながら、さらに下書きの段階で何回も読み直し、推敲を重ねた上で投稿しています。

したがって、そのように集中する時間は1週間の中で限定的なものとしている意味合いでした。当然、コメント欄での返信も誤字脱字などがないように注意していますが、本文とは異なる迅速さも重視しています。それでも限られた朝の時間では到底レスできない問いかけなどに対しては、少しお時間を頂戴し、改めて夜にお答えしていました。また、寄せられたコメントの内容によっては次回の記事本文を通し、お答えしてきたケースも少なくありませんでした。

mobileSEさんからの問いかけ

金曜の夜、前回記事(「一期一会」と改めて当ブログについて)のコメント欄に寄せられたmobileSEさんからの内容は、まさにそのように取り扱うべき事例でした。当該のコメントに目を通していない皆さんにも分かるような記事の構成に努めていくつもりですが、全文は掲げられませんので、できれば前回記事のコメント欄をご覧いただければと考えています。なお、mobileSEさんからのコメントの引用(※)を青字で示し、その後に私からの見解を添えていく形としています。※レイアウト上、改行についてのみ若干手直ししています。

議論とは各々の考えを闘わせて双方の価値観をすり寄せる行為であり、また意見の交換とはある事象に対しそれぞれの視点からの意見を寄せ合い問題点の本質を明らかにする行為であると考えています。ただ口先で合いの手を入れれば良いというものではなく、どちらも闘わせる事で自己の論理を昇華させ、よりベターな方向へ進む糧とする行為でなければなりません。

このような問いかけは、他の方からも寄せられるご指摘でした。まず私自身も、そのような見方を否定していません。国民生活に直結する責任を持つ鳩山首相らは、激しい意見対立を乗り越え、又は調和させて一定の結論を出さなければなりません。司、司の場面で、大なり小なり誰もがそのような決断を求められることも少なくないはずです。私自身も厳しい議論の末、一つの結論を導き出さなければならない局面が多々ありました。

ただ当ブログのような位置付けのコメント欄において、それぞれの課題一つ一つに対してシロクロを付けることの難しさを認識しています。意見交換を進める中で、明らかに一つの結論が浮き彫りになるような場合、自分の考え方に固執しないつもりです。しかし、様々な課題において賛否が大きく分かれ、議論が平行線をたどることも日常茶飯事でした。その際、これまで繰り返し述べてきたことですが、それぞれが正しいと思っている主張をどのように共感を広げられるかが重要な点だろうと受けとめてきました。

仮にこのブログにおいては議論も意見交換も成立しておらず、管理人たる「OTSU」氏の価値観が過去から今まで何も変わってないならば、このブログの存在に意味は無く単に無駄な時間を6年以上も積み上げて来たという事になります。しかし皆さんも重々承知のとおり「OTSU」氏の基本能力が十分に高いのは疑いの無いことです。そして能力の高い人が延々と無駄なことを繰り返すことに疑問を持って見てみれば、この場には「議論」や「意見交換」と異なる別の意味や目的があると考えるのが自然です。※そうでなければ自身の身分を明かしてブログをつづる意味がありません。あえて身分を明かすという意味も加えて考える必要があります。

その上で、ここの目的を表からの視点で考えれば、市民の職員組合に対する冷ややかな視線への対応として、組合のイメージを変える目的(すなわち組合にも意見を聞く耳がありますよという)のアピールの場なのでは無いかということ、また裏からの視点で考えれば、最近カルト的と敬遠させる職員組合へのイメージを変える目的(開かれた組合でカルト的なものではありません)をアピールし組織率の向上を図るための場なのではないかと、私は考えています。

すなわち読み手の意見など最初から耳に入れる気はごくごく少なく、読み手である我々は「OTSU」氏の目的の上で踊る、アリバイ作りの為の駒なのだろうなと・・。これは、かなり穿った見方なのですが、こう考えると過去の記事とそれに対するコメントのやり取り、そしてその上で揺らぎの無い「OTSU」氏の価値観の全ての辻褄があってくるのです。これらを踏まえて、私は「OTSU」氏のスタンスを読み手に対し失礼な態度であると指摘しています。

前回の記事で意識的に触れた点ですが、このブログを開設したのは4年9か月前です。前々回のコメントに続き「6年以上」と書かれていますが、「結局は斜め読みで批判されている」という疑念が生まれそうですので、老婆心ながら同じミスの繰り返しにはご注意いただければ幸いです。その延長線上で述べざるを得ないのですが、前回記事の箇条書きの「1」と「5」にあるとおり当ブログは不特定多数の方々と私どもの組合員、それぞれの皆さんを常に意識しながら投稿しています。

このブログの記事を通し、公務員組合に対する冷ややかな視線が改まっていくようであれば何よりです。ただ簡単ではないことも確かであり、最低限、先入観や思い込みによる批判が避けられることを願いながら続けていました。そのような意味合いから虚勢は張らず、基本的に等身大の姿や考え方を示してきました。このような目的や趣旨について、裏も表もなく、結果的に好感度が上がったり、組織率の向上につながれば本望なことだと考えています。当然、その逆があることも覚悟し、それはそれで置かれた現状を直視できる貴重な機会だととらえてきました。

このような説明を繰り返しても、過去から今まで何も変わっていないと決め付けられ、聞く耳を持っているという「アリバイ作り」であり、読み手に対して失礼な態度だと批判されてしまっては身も蓋もありません。変わっているかどうかに関しては、これまで「襟を正してきた具体例」などを通して一定の考え方を示してきました。「言葉にすることの大切さ Part2」の中では、公務員組合の立場性などについても様々な評価があり、批判の声もあり、賛同の声もあるという構図をたどってきていることを訴えてきました。

つまり私の言い分が常に四面楚歌の状態だった場合、すみやかに「誤り」を自覚し、全面的に現状を否定しなければならなかったものと書き込んでいました。そもそも「変わらない」という批判に関しても、mobileSEさんから見た一つの「答え」にそったものであり、結論を押し付けていく姿勢は少し見直すべきものではないでしょうか。きっと、このような言葉にmobileSEさんはカチンと来るはずですが、あえて苦言を呈させていただいています。

確かに私自身も自分の考え方が正しいと信じながらブログ上で発信しています。コメントをお寄せいただく皆さんも、それぞれの持論に自信を持って投稿されているものと受けとめています。その際、相手方の意見を頭ごなしに否定せず、「そのような見方や考え方があるのだな」という謙虚な姿勢で、自分自身の考え方と異なる部分について「私はこのように考えています」という返し方を私自身はこだわってきました。

そして、このような意見交換を経て、お互いがどのように感じ取っていくのか、同時に閲覧されている人たちがどのように感じるのか、それこそ言葉を大切にした「腕の見せ所」だと思っています。くどいようですが、このブログを通して幅広い声や情報に触れていただき、その結果、閲覧されている皆さん一人ひとりがどのように感じていただけるのか、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。この発想は読み手の皆さんの主体性を前提としているためであり、このような点が失礼な態度だと非難されたことには驚いていました。

また、KEIさんからは「相手方の意見を頭ごなしに否定」する議論を薦められました。この点は先ほど述べたとおり私の一番のこだわりですので、あえて「私はこう考えています」という論調を貫いています。しかし、この書き方でも説得力ある言葉が含まれていた場合、相手方に劇的な変化が起こり得るものと信じています。逆に異なる意見を頭から否定し、持論が唯一の「正解」と押し付ける論法より、その可能性が広がっているものと私は考えています。やはり相手をカチンとさせてしまっては、冷静な議論につながりにくいものと思っています。

労働組合は誰のためのものかを真剣に考えて欲しい・・。また労働組合の本来の目的とは何なのかも真剣に考えて欲しい・・。少なくとも普天間の解決が目的ではありませんし、まして役員を派遣して座り込みをさせる事は目的にかすりもしません。この部分で一般職員と見るべき所が違うのは、先にも記しましたが「OTSU」氏が労働組合の本来的な存在意義や目的を捻じ曲げる勢力の一人だからと思っています。

労働組合の活動領域の話については、これまでも数多くの記事を投稿してきました。この点は、とーるさんからも同様な趣旨のご指摘を受けていました。あえて賛否が大きく分かれる政治的な課題を取り上げている理由は、最近の記事「本題に入る前の長話」で記していました。組合活動の本流ではありませんが、普天間基地の問題などにも自治労が関わっている限りは、どのような立場や考え方で取り組んでいるのか、丁寧に説明していくべきものと思っているからでした。

加えて、mobileSEさんの言われるとおり組合員の皆さんの中には、自治労の方針に違和感を持つ方々も決して少数ではないものと見ています。だからこそ、結論の押し付けではない情報の発信を大切にすべきものと考え、このブログの場もその一つに位置付けていました。合わせて、その組合がどのような活動に取り組むのかどうかは、その組合の構成員が決めることであることも付け加えさせていただきます。

さらに「OTSU」氏の論の進め方で、私が許容できないやり方に「切り離し」の進行法が多く見られます、これはある事象を論じるにあたり一方からの問題点のみで批判し、別方向からの論議を意図的に排除するというもので、ちょうど今回も普天間の問題を「東アジア全体の問題は、今回の問題から切り離し・・」とされています。この進め方をすれば、どのような事象であっても自分の都合よく話を進めて結論に導くことが可能であり、過去には「コスト問題」やそれから波及する「経済問題」を切り離し「原発を廃止し風力発電等への置換は可能」と言った事すらありました。これがここの主たるやり方であり、腹の中に渦巻くものの一つです。

このやり方は非常に便利です。「あまのじゃく」氏が常に問題提起する1000兆円の借金でさえ「返済義務」という問題を切り離せば、いくら公債を積み上げても何の問題も存在しないことになるのですから・・。ですが、行政に携わるものは一瞬でも他の視点を切り離すことが許されないのは当たり前のことなのです。A氏の利害を切り離しB氏の要望優先することが許されると思いますか。余りにも公平という部分に掛けている。これが私が「OTSU」氏に対して、行政から離れるべきという根拠の一つとなります。

上記についてはmobileSEさんが最も強調したかった点だろうと考えて引用しましたが、前述した説明をもって、すべてお答えできる話です。都合よくとか、姑息だったり、卑怯な手法だと見るのか、読み手の皆さん一人ひとりが判断することだと思っています。記事の内容やコメント一つ一つに対する評価も同様であり、読むに値しないブログだと見られれば、それまでのことだと受けとめています。したがって、mobileSEさんのような見方も否定できるものではありません。ただ実際の行政の場面での切り離しなどの事例につなげていく論理展開は、いささか強引すぎるものと私としては感じているところです。

最後に一言

mobileSEさんからの問いかけに対して、私なりの答えを綴ってきました。どうしても長々と書き込む習癖があり、かえって論点が分かりづらくなっているかも知れません。この件に関しては前回記事のコメント欄で、とーるさんからパネルディスカッションやkさんの以前の言葉などを引用しながら適確な説明を加えていただきました。ぜひ、そちらもご覧いただければ幸いです。最後に「このブログを始めたイキサツ」という記事を紹介し、多面的な情報を発信していく重要さを実感しながら、当ブログを続けていることを改めて付け加えさせていただきます。

| | コメント (42) | トラックバック (1)

2010年5月 9日 (日)

「一期一会」と改めて当ブログについて

高校時代、剣道部に所属していました。その時、ご指導いただいた先生から「一期一会」という言葉を学びました。茶道の心得の一つであり、その日の出会いは一生に一度だけのものと受けとめ、常に誠意を尽くすよう諭した言葉です。剣道においても日々の練習や試合に際して常に全力を尽くすよう私たちに求めた時、その先生が「一期一会」という言葉を紹介されたことを思い出しています。

以来、その言葉は私の頭の中に印象深く残り、できる限り心がけようとしている指標となっていました。とりわけ市役所の業務上の接客において「一期一会」の心構えは非常に重要です。普段、緊張感を持って職務に励んでいた職員が前夜寝不足だったためか、あくびを1回してしまったとします。その瞬間を初めて市役所の窓口に訪れた方が目撃した場合、「この役所の職員はたるんでいる」という役所全体の印象が刻まれてしまうはずです。

このブログの運営においても「一期一会」を強く意識してきました。おかげ様で半数以上の方々がブックマークなどから当ブログを訪れてくださっています。逆に半数近くの方々は、まさしく検索エンジンなどから訪問されている「一期一会」の皆さんだと言えます。2005年8月に開設してから4年9か月、今回の記事が340回目となります。一つ一つの記事の積み重ねという連続性の中で、最新の記事を綴っていることも確かです。

しかし、初めて当ブログを訪れてくださった方々からも、ご理解いただけるような記事の投稿にも極力努めてきました。なるべく1回ごとに完結した内容であることを基本としていますが、すべてその通りとはなり得ません。極端な話として、毎回同じような内容を繰り返した場合、今度は常連の皆さんに飽きられてしまいます。したがって、関連した内容の説明には、以前投稿した記事のリンクをはるように心がけています。

それでも閲覧者の皆さんが必ずしもリンクをはった記事を読まれるとは限りません。わざわざクリックされる方のほうが少ないはずであり、コメント欄を通して似たような問いかけが続くことも当たり前な話だと受けとめています。タイミングによって充分な対応ができていない場合も多く反省していますが、基本的にはお寄せいただいたコメント一つ一つに対して丁寧にお答えするように努めています。

と言いながら、前回記事「普天間基地の移設問題」に寄せられたコメントのうち金曜深夜以降の問いかけに対しては、個別にお答えできていませんでした。土曜の朝に「それぞれ私からお答えすべきご指摘を複数いただいています。反論という意味合いからも取り急ぎお答えしたい内容もあります。ただ昨夜のように少し感情が先走ったレスでは、お互いの主張がさらに平行線をたどる懸念もあります。少し頭を冷やした後、現在思っていることを整理し、記事本文で展開してみるつもりです」とお答えし、今回の記事に臨んでいます。

実生活の中でも比較的、沸騰点は高いほうだと思っています。当然、完璧な人間ではありませんので、その沸騰点を超えれば感情を露わにする時もあります。このブログのコメント欄を通し、これまで数え切れないほど厳しい批判や非難の言葉を受けとめてきました。正直なところ思わずムッとする挑発的な内容も数多くありましたが、できる限り冷静な対応に努めてきたつもりです。

どのような批判の言葉でも、幅広い声を伺えることの貴重さを感じ取っているからでした。しかしながら金曜の夜、ある人から寄せられたコメント内容に関しては、久しぶりにその冷静さを保つことができませんでした。やはり感情が先走ったレスを行なったことについては深く反省しています。ちなみに元民間さんからは「異なる意見を否定することも当然できるでしょうが、それだけではホストは務まらないでしょうし、投稿される意見も広がらないと思いますね」というご指摘をいただきました。

本当にその通りであり、これまでも、これからも「一期一会」の心得とともに、そのような基本線は大事にしていくつもりです。また、とーるさんから以前にもご忠告いただいていましたが、前回のようなテーマを取り上げた際、たいへん難しい「壁」に突き当たることも改めて感じています。それでも基本的な思いとして、幅広いご意見に触れられる機会となっていることの貴重さへの評価は変わっていませんでした。ここで「2009年末、改めて当ブログについて」で記していた文章を再掲させていただきます。

  1. 公務員やその組合の言い分をインターネット上に発信し、不特定多数の皆さんに少しでも理解いただけることを願いながら続けています。その際、多様な考え方があることを前提としているため、意識的に断定調の表現は避けています。私自身が正しいと思っている内容を訴えていますが、ブログを閲覧された人たち全員から賛同を得られることは稀だろうと見ています。あくまでも当ブログの記事内容やコメント欄での議論に接した人たちが、どう受けとめるのかであって、全員が納得できるような結論を出すことを目的としていません。
  2. コメント欄を通し、様々な立場や視点からのご意見を伺えることを貴重な目的としています。厳しい批判意見があることを受けとめ、日常的な活動を進められる意義を大きなものと認識しています。そのような本音の声を把握できないまま、公務や組合活動を担うのは、街路灯のない夜道を歩くようなものだと考えています。
  3. 相反する意見の対立は平行線をたどりがちです。上記1で述べたとおりコメント欄で結論を出すこと目的としていませんので、「多様な意見を認め合った議論」をお願いしてきました。自分自身の考えが絶対正しいと思い込み、他者の意見に耳を傾けないような姿勢だった場合、相手を論破することが目的となりがちです。その結果、感情的な非難の応酬となり、殺伐した議論につながる懸念があり、一般論として常に申し上げてきた点でした。ちなみに一つの結論を必ず出さなければならない実生活の場でも極力、このように心がけるべきだと考えています。
  4. 匿名で率直な意見を交わせることは利点だと前向きにとらえています。一方で、匿名で発信できるということは、立場などの成りすましや都合良く情報を操作することも可能となります。それはそれでモラルの問題となりますが、このようなネット上の私的な場では特段何か問われるものではありません。したがって、誰がどのような立場で書いたかは、それほど大きな問題ではなく、その人が書き込んでいる言葉、つまり内容がどのように他の閲覧者の皆さんの共感を呼ぶのか、真偽が判断されていくのかどうかだと考えています。
  5. 私どもの組合員の皆さんに対しては、組合活動を身近に感じてもらえるような目的も持って続けています。そのため、組合の機関紙などで当ブログについて時々PRしてきました。あくまでも個人の責任による運営ですが、私どもの組合員の皆さんから見れば、匿名での発信とはなっていません。一つ一つの主張を言い放しとできず、一つ一つの言葉に責任を持って発信しています。そのような側面があるため、歯切れの悪いレスだと感じられる場合もあるかも知れませんが、自分の思いと離れた内容を記したことは一度もないことを強調させていただきます。

最近、寄せられているコメントに対して、上記のような立場で受けとめていることをご理解ください。「一切主義主張が変わらない」という批判の声も寄せられていますが、一つ一つのご意見に触れながら、自分自身の頭の中で思いを巡らす機会としています。もともと自治労の方針と私自身の主張がすべて一致している訳ではありません。このブログへ投稿している内容に関しては、個人的な問題意識のもとで発信を続けているため、「洗脳」という言葉は的外れも甚だしいものでした。

また、あえて賛否が大きく分かれる政治的な課題を取り上げている理由は、前々回記事「本題に入る前の長話」で記していました。組合活動の本流ではありませんが、普天間基地の問題などにも自治労が関わっている限りは、どのような立場や考え方で取り組んでいるのか、丁寧に説明していくべきものと思っているからでした。加えて、組合員の皆さんの中には、自治労の方針に違和感を持つ方々も決して少数ではないものと見ています。だからこそ、結論の押し付けではない情報の発信を大切にすべきものと考え、このブログの場もその一つに位置付けていました。

前回記事のコメント欄を通し、皆さん一人ひとりが確信している結論を持ち、その考え方と間逆の主張に嫌悪感を抱きがちな点も理解できます。しかし、相反する意見を持っている者に対して「公務員不適格」などという非難の言葉が発せられるケースについては、たいへん残念なことだと思っています。特に当ブログを初めて訪れた方ではなく、昨年末や前々回の記事で述べているような趣旨へのご理解を再三再四お願いしている常連の方から、決め付けや侮蔑が前面に出たコメントを受け取ったため、必要以上に過敏な対応となってしまいました。

いずれにしても、普天間基地の移設は非常に難しい問題です。前回の記事とそのコメント欄を通し、自分なりの考え方を整理してきました。現在、鳩山内閣は沖縄(県内)、徳之島(県外)との関係を最悪なものとしています。アメリカ側との関係においても、桟橋方式や基地機能の一部を県外へ分散する案が難航しそうな模様です。このような局面の打開に向けては、改めて原点に返る必要性を痛感しています。

その際、コメントをお寄せいただいた多くの皆さんが国外移設は絶対不可能と断言し、私は可能性が皆無ではないという主張や情報に対して共感を覚えているところでした。そのため、国外移設の主張がマスコミ報道の中で冷笑されがちな中、ネット上で多角度からの情報を発信できることを非常に貴重な試みだと思っています。その上で、素人の私が稚拙な言葉で語るよりも、共感したサイトの内容を紹介したほうが適切であるものと考えていました。

その手法が「正統な議論を阻害する失礼な態度そのもの」と批判されるとは思っていませんでしたが、それでも最後に元CIA顧問のチャルマーズ・ジョンソン日本政策研究所(JPRI)所長のインタビュー記事が掲げられたダイヤモンド・オンラインを紹介させていただきます。見出しとなっている「米軍に普天間基地の代替施設は必要ない!日本は結束して無条件の閉鎖を求めよ」というような主張が展開されていますが、アメリカの有識者の声も多様な幅があることを押さえられる記事の内容でした。

| | コメント (42) | トラックバック (0)

2010年5月 2日 (日)

普天間基地の移設問題

前回の記事は「本題に入る前の長話」でした。したがって、今回は前置きのような話を省き、さっそく本題である普天間基地の問題に入らせていただきます。と言いながら、少しだけ遠回りしながら、沖縄の歴史からたどってみます。

沖縄の歴史

もともと沖縄は琉球王国という独立国家でしたが、江戸時代は事実上、薩摩藩の支配下に置かれていました。明治維新後の1872年、日本政府は琉球王国を強制的に廃止し、琉球藩とし、1879年には鹿児島県への編入を経て沖縄県の設置に至りました。この一連の流れを琉球処分と呼び、約500年間続いた琉球王国が滅ぼされ、沖縄は日本の領土に組み入れられてきた歴史がありました。

太平洋戦争末期、本土決戦に備えるため、沖縄は「捨て石」にされたと言われています。圧倒的な戦力の差異がある米軍の猛攻撃に対し、日本側は「最後の一兵まで戦え」という降伏が許されない戦闘を強いられました。その結果、壮絶な地上戦が展開された沖縄戦での日本側の犠牲者は20万人を超え、その半数以上を民間人が占めました。当時の沖縄県民の3分の1が亡くなるという悲惨な歴史を刻んでいました。

戦後、1951年のサンフランシスコ講和条約締結後も、沖縄は米軍の施政下に置かれ続けました。1950年に朝鮮戦争が勃発した以降、アメリカは沖縄を「東アジアの要石」と見るようになり、駐留米軍の数を増強させていきました。同時に接収していた旧日本軍の施設を拡張し、新たな基地を確保していく動きが強まることになりました。ちなみに住民の土地を強制的に奪っていく米軍の行為は、いわゆる「銃剣とブルドーザーによる土地接収」と呼ばれていました。

1972年5月15日、アメリカの軍政下に置かれていた琉球政府は沖縄県となりました。沖縄が日本への復帰を果たした日でした。しかしながら「無条件全面返還」という沖縄県民の願いはかなわず、米軍基地は維持されたままの復帰でした。さらに沖縄復帰後、本土の米軍基地は65%も削減されながら、沖縄では15%減にとどまっていました。その結果、面積で考えた時、日本全体の米軍基地の75%が沖縄に集中するという事態をもたらしていました。

「ゼロベース」への違和感

文藝春秋』5月号の記事「ねじれた方程式“普天間返還”をすべて解く」の中で、橋本内閣の沖縄担当首相補佐官だった外交評論家の岡本行夫さんも以上のような歴史を踏まえ、「政治が沖縄の基本的な不平等感に正面から取り組まなければ、普天間の解決も、日本の安全保障も、無い」と語られていました。また、「かつては沖縄に情念をかけた政治家が何人もいた」と述べられ、今は沖縄への深い思いと認識を持った政治家が少ないことを指摘していました。

この岡本さんの言葉に接した時、新党大地の鈴木宗男代表が綴っているムネオ日記の中の文章を思い出していました。「これまで政治家として沖縄問題、安全保障問題に取り組んでこなかった人が、たまたまポストについたからと言って、付け焼刃的な発想で普天間移設問題に取り組んだところで、結果は出せない」とし、「特に官房長官はしっかりと戦略、戦術をもって、この普天間移設問題を進めて戴きたい」という叱咤激励には大きくうなづいてしまいました。

平野官房長官は「ゼロベース」という言葉を頻繁に使っていましたが、この問題はアメリカとの約束、地元や政権与党との関係があり、決して自由に描ける「白紙」からのスタートではなかったため、その発言を聞くたびに違和感をおぼえていました。このような問題意識は以前の記事「約束を踏まえた先に広がる可能性」の中でも述べてきたところでした。加えて、平野官房長官に対しては名護市長選の結果を斟酌しないというコメント、徳之島の3町長が上京した際の不誠実な対応など、たいへん残念に思う場面が目立っていました。

普天間基地の現状と移転計画

普天間基地は宜野湾市の中心部にあり、市面積の約25%を占めています。第36海兵航空群司令部が置かれ、ヘリコプター約50機が駐留し、市街地上空での旋回訓練は大きな騒音被害をもたらしています。2004年8月13日には沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落する事故も起こっていました。なお、1996年に日米で騒音防止協定を結び、住宅密集地・学校・病院の上空を飛行しない、夜10時から朝6時までは飛行しないことを決めましたが、米軍は約束を守っていないようです。

このような実態などを分かりやすく、宜野湾市職員労働組合が「普天間基地問題」というサイトにまとめていました。その世界一危険な飛行場と言われている普天間基地の問題解決に向け、1996年のSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意で、海兵隊ヘリ基地の移設が決まりました。移転先は名護市の辺野古でしたが、希少なジュゴンの海を守るというスローガンのもと根強い反対運動が続き、移設決定から現在まで着工できていませんでした。

2006年には「米軍再編のための日米のロードマップ」の中で、①海兵隊約8000人を沖縄からグアムへ移転、②嘉手納基地以南の海兵隊基地の返還、③普天間基地の代替施設を辺野古に建設、④グアムの海兵隊基地建設に日本が資金を提供するという内容が合意されました。この合意が明らかになった以降も、海兵隊の定員を1万8000人から1万人とするもので削減される実数は不明という理由で、辺野古へのヘリ基地建設の計画は変わっていませんでした。

海兵隊の抑止力

このあたりについて、先ほど紹介した岡本さんは次のように述べていました。「出て行ってくれと日本が言えば、海兵隊は去るだろう。その場合には、沖縄だけでなく日本全土からの撤退だ。沖縄から主力を引いたあと海兵隊の残余の部隊を岩国や東富士に置いておいても仕方がないからだ」とし、そのような事態になれば、中国は尖閣諸島に手を出してくると予見していました。

日本は単に無人島を失うのではなく、排他的経済水域の引き直しにつながり、漁業や海洋資源などの権益が大幅に損なわれると説明しています。海兵隊も含む全体的な在日米軍のプレゼンスが中国の領土的野心に対する強い抑止力になっているものと岡本さんは強調されていました。「今の中国にとってアメリカとの関係の険悪化は最も困ることだ。だから現在の日米関係が維持されている限り、中国が尖閣に対して冒険的な行動をとることはない。それが日米安保だ」と語られています。

一方で、自治労も加入している平和フォーラムは次のように主張しています。「普天間基地の移設問題 どうなる? どうする!」の中の文章をそのまま紹介します。

鳩山内閣の中から、沖縄海兵隊は抑止力として必要という声が聞こえてきます。沖縄海兵隊は実数で約1万2400人、そこから約8600人がグアムに移転すれば、残りは約3800人です。これでは抑止力になりません。また自民党政府が説明したように、定数を1万8000人から1万人にするだけなら、沖縄の基地負担の軽減にはつながりません。抑止力の議論は、前提がちぐはぐなのです。

沖縄海兵隊のうち常駐部隊は司令部や後方支援部隊で、戦闘部隊は米本土からのローテーション派遣です。その戦闘部隊の中心も、1年の半分を日本以外での訓練に費やしています。そもそも沖縄海兵隊の主要任務は訓練の実施で、抑止力にはなっていません。

また、普天間問題で日米関係が危機に陥ると報じるマスコミがあります。日本に駐留する米軍兵士は約5万1700人で、この数は世界第2位です。日本が負担する米軍駐留経費は44億1134万ドルで、世界第1位です。日本が提供する基地面積は126,828エーカーで、世界第3位です。在日米軍基地の資産価値は総額405億9350万ドルで、世界第1位です。

一方、普天間基地の面積は在日米軍基地総面積の約0.94パーセント、資産価値は約1.93パーセントです。普天間基地のために、米国が日本との関係を悪化させることがあるでしょうか。

日米安保改定50年の節目の年に

私どもの組合が推薦している衆議院議員は防衛大臣政務官の長島昭久さんです。このブログの記事の中でも何回か登場されている方ですが、その長島さんがご自身のブログで「日米安保改定50周年」という記事を綴られていました。そして、日米同盟の基本構造を「有事のリスクはアメリカ、平時のコストは日本」とし、この「非対称性」が日米同盟における最大の不安定要因であると語られていました。その上で、この「非対称性」を克服し、日米同盟の深化に向けた協議の主要議題として次の3点を指摘されていました。

  1. 拡大抑止の3要素の再確認 ■米国による核抑止力【第1要素】の信頼性…非核三原則と核密約解明との関係を整理する必要 ■ミサイル防衛【第3要素】協力の促進
  2. 拡大抑止の【第2要素】の中核である米軍のプレゼンスの意義の再確認 ■米軍プレゼンスにおける在日米軍の位置付け、とくに米海兵隊の沖縄駐留の意義についての再確認 ■そのために、今後15-20年の地域の戦略情勢の変化をめぐる認識の共有(2005年の「日米共通の戦略目標」をアップデートする必要ある)
  3. 日米安全保障協力における日本の自助努力の在り方再検討(水平的:国際平和活動、垂直的:周辺有事への対処能力強化)…新たな防衛計画大綱へ反映

やはり長島さんも沖縄海兵隊の駐留の必要性を強く確信されていることが明らかでした。実は前回の記事の中で、この問題を素人の一人が大上段から「こうあるべきだ」と論じることの無謀さなどはわきまえているつもりと書いていました。一方でコメント欄では、あまのじゃくさんから普天間基地の問題について「次の内、どれですか? 1:沖縄の人の迷惑だから、沖縄に米軍基地は要らない。2:日本国内に米軍基地は要らない。3:武力自体が要らない。」という質問を受けていました。

ここまで長々と綴ってきましたが、あまり個人的な考えは織り交ぜていませんでした。ここで、あまのじゃくさんからの質問に答える形で、少しだけ私見も付け加えてみるつもりです。順番は逆になりますが、3番目の答えは、世界全体がそのようになれば理想的な姿だと思っています。残念ながら、そのような国際社会ではありませんので、一定の「自衛権」は必要だと考えています。

2番目は、3番目の「自衛権」の問題と絡みますが、基本的には外国の軍隊の駐留は縮小に向かうべきものと考えています。また、イラク戦争などから教訓化できる「武力で平和は築けない」という思いを日本側が前面に出し、新たな信頼関係のもとでの日米関係がめざせることを願っています。本来、この普天間基地の問題を通し、日米安保改定50年の節目の年に安全保障の問題について、率直な議論ができれば意義深いことでした。

政権交代を果たし、このような問題をクローズアップしたことは鳩山内閣の「功」だと考えています。ただ残念ながら移転先の問題など各論が注目を集め、海兵隊による抑止力の評価など総論的な議論には広がっていません。さらに鳩山内閣の進め方の拙さなどが批判され、政局の話題に結びつけられている現状も憂慮しています。とは言え、5月末までの決着の仕方によっては、鳩山首相の責任が大きく問われることも確かだろうと思っています。

普天間基地、国外への可能性は?

続いて、あまのじゃくさんからの質問の1番目にお答えします。沖縄の皆さんの気持ちや現状を踏まえれば、沖縄県内の基地を減らしていく方向性は私自身も含め、大多数の方々が支持されるはずです。しかし、その基地負担を自分の地元で引き受けるかどうかとなれば、反対される人が多数を占めるのではないでしょうか。非常に狭い国土の日本の中では、騒音などのリスクが伴う軍事基地誘致に積極的な自治体は皆無だろうと思います。

しかしながら国外に目を向ければ、北マリアナ諸島の上院議会では「沖縄の米国海兵隊航空部隊の移転先としてテニアンが最善の場所である」という決議が全会一致で可決されていました。あまりマスコミでは報道されていませんが、アメリカ側の「地元合意が前提」という条件をクリアする絶好の候補他であることに間違いありません。

米自治領北マリアナ諸島の上院議会が16日、米軍普天間飛行場の移設先として同諸島のテニアン島を検討するよう日米両政府に求める決議を全会一致で可決していたことが分かった。あて先は米国防総省、日本政府など。27日には下院議会で同様の決議が行われる見通し。

決議は普天間の移設先を検討する日米両政府に対し、東南アジアの防衛の拠点として北マリアナ諸島とテニアンを移設地として検討することを求めている。米国防総省がすでにテニアンの3分の2を租借していることや、東南アジアの防衛の観点からも地理的な優位性があると指摘。米軍人と家族に近代的な生活・娯楽施設が提供できることにも触れ、「北マリアナ諸島は普天間の移設を心から歓迎することを宣言している」としている。

今月9~11日にテニアンを訪れ、テノリオ下院議長やデラクルス・テニアン市長から在沖海兵隊受け入れの意思を伝えられていた社民党の照屋寛徳国対委員長は「決議は住民の強い意思表示。日米両政府は重く受け止め、北マリアナ移設を交渉してほしい」と述べ、同地域への移設の実現可能性を強調した。【沖縄タイムス2010年4月22日】

そもそも広大な土地が確保できるアメリカ本土では、活発な基地の誘致活動があることも知られています。宜野湾市の伊波市長は2005年7月に渡米し、次のような意見交換をはかっていました。

ペンドルトン基地を抱えるオーシャンサイド市(ジム・ウッド市長)は、「ペンドルトン基地と一番近い住宅地は3マイル(約5㎞)も離れている」「普天間飛行場の近くには恐ろしくて住みたくない」と語っており、沖縄と米国本土における基地のあり方には、雲泥の差があると改めて確信することとなりました。

さらに、ペンドルトン基地は、住民の苦情を受け、軍が飛行ルートを変更し、飛行訓練は洋上で行っており、本市が幾度も住宅地上空での飛行訓練の中止を求めているにも関わらず、未だに市民の上空を老朽化した米軍機が飛び交うという普天間飛行場の運用との違いがはっきりと示されました。

ジム・ウッド市長によると、米軍基地も国内法の規制の下にある上、軍はさらに厳しい基準を定めて住民生活との調和を取り組んでいるとの事でした。良好な住民生活(Quality of Life) の確保は当然の事であるという話は、印象的でした。また、サンディエゴ市のフェルナンデス上級政策補佐官は、「閉鎖される海外基地を多く受け入れたい」と語っており、普天間飛行場の受け入れ実現の可能性を示唆しました。

ミラマー基地等においては、基地と住民地域の間に一定の緩衝地域を確保するために、法律上の規制にあわせて、市が住宅開発を規制するなどの措置を講じていることも分かりました。この両市において共通することは、基地と共存する環境(広大な敷地面積等)が整っており、住民に与える影響は少ないことから、基地閉鎖ではなく、更なる基地受け入れを望んでいることです。(宜野湾市職員労働組合「普天間基地問題」から抜粋)

いずれにしても徳之島や辺野古の桟橋方式の案など、猛反発している地元の同意は不可能であり、国内での移転は暗礁に乗り上げています。一方で、今さら国外移設案が持ち出されれば、アメリカ側の反発は必至です。それでも海兵隊の位置付けなどを改めて総括し、乗り越えられるハードルだと判断できた場合、最大の交渉相手をアメリカに絞ることも鳩山内閣に残された選択肢ではないでしょうか。

確かに日米の信頼関係を大きく損ねかねない厳しい交渉となるはずですが、民主党の掲げた「緊密で対等な日米同盟関係」を構築するための試金石となる見方もできます。しかし、これまでの約束の積み重ねがあり、もともと「有事のリスク」を対等に担えない制約などもあるため、日本側が誠心誠意を尽くし、謙虚な姿勢で臨まなければなりません。ただ相手があるからこそ交渉であり、日本側の思いがかなうとは限りませんが、ぜひ、鳩山首相には国内の民意を最重視した決断を下していただけることを心から願っています。

| | コメント (49) | トラックバック (1)

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »