再び、阿久根市のその後
以前にも書いたことですが、このブログへのアクセス数が「いつもより多いな」と感じた日は、阿久根市の竹原市長が全国的に注目される話題を振りまいている時でした。「阿久根市のその後」 という記事がGoogleの検索エンジンのトップページに並んでいるため、「阿久根市」を検索ワードとした方々が多数訪れてくださるからでした。ちなみに昨年の6月以降、次のような内容の竹原市長に絡む記事を投稿してきました。
- 2009年 6月 7日 「ブログで有名な阿久根市長」
- 2009年 6月14日 「もう少し阿久根市長の話」
- 2009年 6月21日 「もう少し阿久根市長の話 Part2」
- 2009年 8月 8日 「阿久根市のその後」
- 2009年 8月15日 「阿久根市のその後 Part2」
- 2009年12月12日 「阿久根市長の常識、世間の驚き」
- 2009年12月19日 「竹原市長の問題点」
その都度、たくさんのコメントをいただき、竹原市長の言動を巡って賛否両論、様々な意見が交わされてきました。私自身の考え方は、竹原市長のめざしている方向性の是非を議論する以前の問題として、あまりにも進め方や手法が乱暴すぎるため、とても容認できないというものでした。その理由については「竹原市長の問題点」という記事で、改めて自分なりの問題意識を訴えていました。
竹原市長に絡む話題はその後も途絶えることがなく、1月1日に予定されていた職員の定期昇給を仕事納めの12月28日に突然見送る方針を一方的に決めました。年が明けて2月23日には、昨年4月1日付の人事異動で降格された元課長ら3人が不服を申し立てた問題で、阿久根市の公平委員会が「違法かつ不当」と判断し、「処分取り消し」を判定していました。
3月3日には、張り紙をはがしたことで懲戒免職になった職員の処分の効力停止を命じた裁判所の決定に従わない問題で、未払い給与約220万円を払うよう阿久根市に求めた訴訟の判決が示されました。鹿児島地裁は職員側の訴えを認め、昨年10月の効力停止決定後の給与やボーナスを支払うよう命じていました。
しかしながら竹原市長は公平委員会や裁判所の判断を無視し、徹底抗戦の構えを見せています。給与の支払いに関しては、このまま従わない場合、阿久根市の預貯金が裁判所によって差し押さえられる前代未聞の事態に至るところまできています。「法律は所詮道具であって、最終的に守るべき物の順番の内にも入らない」という竹原市長の持論を体現している騒動の数々だと言えます。
つい最近では、気に入らないマスコミが議場の傍聴席にいるからという理由で、竹原市長ら市執行部が本会議をボイコットしていました。その後の委員会でも議会軽視の非常識な方針が竹原市長から発せられたため、イエスマンを強いられている阿久根市執行部の課長らは理不尽な答弁拒否を繰り返していました。その模様や竹原市長の言い分を伝えているマスコミの記事は次のとおりでした。
阿久根市長、課長らに答弁禁止令 ブログで議会批判
8日開かれた鹿児島県阿久根市議会の産業厚生委員会で、継続案件の説明を求められた担当課長が「市長から発言を禁止されている」と答弁を拒んだ。委員会が竹原信一市長を呼んで説明を求めたところ、市長は「議会がしっかり議論していない」などと発言し、退席。さらに市長はこの日更新したブログで、今後の執行部の議会答弁について「『市長から言われました、答えません。市長の命令です』これでいきます」と課長らに訓示したことを明らかにした。
委員会は昨年12月議会から継続調査としている学童保育など保育行政案件について検討するため、午前10時に開会した。担当の生きがい対策課長が答弁を拒んだため、竹原市長を呼んで「なぜ答弁させないのか」と尋ねたところ、市長は「私は再選されても議会からは不信任の状況で聞き入れてくれない。議会がしっかり議論していない」と返答。案件の説明をしないまま10分間ほどで退席したという。
委員会は時期をみて、再びこの案件を審査することにした。市議会の定数は16。木下孝行委員長は「議会ルールを無視している。意に沿わない議会が悪いといわれても困る」と話す。4人いる市長派の1人、石沢正彰議員は「反市長派議員は市長の足を引っ張ることしかやっていない。市長はいろんな機会を通じて市民に説明責任を果たしていくと思う」と市長を擁護した。
一方、竹原市長は同日午後6時すぎにブログを更新。時期ははっきりしないが、市長が課長会で訓示した内容を掲載した。ブログではまず冒頭で「あらゆるところで足を引っ張ろうとする議会とは決着をつけます」とした上で、「議会ははっきり言って『多数派の人たちは邪魔するために質問をする』という状態です。こんなのに皆さんが全部答える必要はない。『市長から言われました、答えません。市長の命令です』これでいきます」とした。
ほかにも「今のバカみたいな状況は、決着しなければいけない。本当ならば、前の選挙のときに不信任を受けて、また私が再選したのだから、私に任せるというのが市民の意向、意思の反映である。多数派議員たちはまずそこのところが納得できていない、分かっていない」と議会を批判。「議会とは決着をつけます」とした。竹原市長はマスコミが議会の傍聴席にいることを理由に新年度予算案の総括質疑が予定されていた4、5日の市議会本会議への出席を拒否し、議会が空転した。延期になった新年度予算の総括質疑は10日に予定されている。【asahi.com2010年3月8日】
結局、3月10日の本会議も竹原市長らは出席せず、21年度補正予算は市執行部側不在のまま原案を可決するという異例の展開をたどっています。このような議決は市民サービスへの影響を憂慮した議会側の判断だったようです。そもそも議会の召集は、竹原市長本人が行なっているものです。召集した本人が身勝手な理屈で、職務を放棄するという行動に大義は絶対あり得ないものと思っています。
議会の会議は公開の原則があり、傍聴や報道の自由が保障されなければなりません。さらに議場内にマスコミ関係者を入れるかどうかの判断は市長になく、議長の権限であることも常識的な話です。また、「私が再選したのだから、私に任せるというのが市民の意向」という考え方も偏っています。竹原市長は二元代表制の意味を知らないのかどうか分かりませんが、首長と議員それぞれが市民の代表であり、対等な立場で市政に向き合っていく役割を担っています。
したがって、議会構成の中で反市長派の議員が多数を占めている現状も、阿久根市民の意思であることを受けとめなくてはならないはずです。前回記事「定期昇給の話」のコメント欄で竹原市長の話題が出た時、阿久根市の課長らが抵抗しない姿勢に対して非難する声も上がっていました。「どんどん免職されて胸を張って戦えば良い」というご意見でした。
確かにそのような指摘も理解できますが、阿久根市の課長らが服従せざるを得ない現況についても一概に批判できないものと見ています。本来、行政の継続性や安定性を重視し、4年ごとに選挙がある首長の恣意的な人事に対抗するため、公務員の身分保障も位置付けられていました。しかし、竹原市長のような法律を無視する規格外の首長が登場するとは想定できなかった事態であることも間違いありません。
このように竹原市長の言動を論評していくと尽きることがありません。それでも最近、本会議ボイコットの報道を耳にした組合員から「ブログで阿久根市長のことは書かないのですか」と尋ねられましたが、「今のところ予定はありません」と答えていたところでした。仰天する話題の連続であり、取り上げれば切りがないほど書き込めるのですが、どうしても竹原市長絡みの記事は必然的に批判する内容が多くなるため、そのことを歓迎しない声も少なくないからでした。
そのように考えていた時、「今さら竹原市長を批判しても」というご意見の一人だったmobileSEさんから下記の報道のような「職務命令」に対しては、声を大にして触れるべきというご指摘を受けました。「こちらのブログは件の市長の後援会サイト管理者を始め阿久根市に関係する人も多少は見ている様ですので、是非取り上げるべきです」と勧められていました。さっそく当該のニュースを見つけましたが、確かに公開「リンチ」のような場になる可能性がある懲罰的な「職務命令」でした。
阿久根市長、対立職員らに異例の出席命令 市長派懇談会
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が、降格人事で不服を申し立てた職員や市職員労働組合の幹部職員ら8人に、市の主催する市民懇談会に出席するよう命じたことが9日、わかった。「職員研修の一環」との位置づけだが、過去の懇談会は市長支持者の参加が多かったことから、反市長派の市議から「職員の糾弾が目的ではないか」と懸念の声が上がっている。
出席を命じられたのは、昨年4月1日付の人事異動は降格処分だと市の公平委員会に不服を申し立て、同委員会が2月、降格人事を取り消す判定を出した50代の男性職員3人と、市職労の役員4人を含む計8人。竹原市長と市職労は、組合事務所の使用問題などをめぐって対立状態にある。
命令は8日付の文書で出された。市民懇談会は、市長が呼び掛けて定期的に開いている会合で、14日午後6時から市民会館で開かれる。関係者によると、8人は「市民の声を行政に生かすため」との理由で出席を求められたという。これまでの懇談会は総務課の職員が出席しており、同課以外の職員の出席は異例。反市長派の市議の一人は「竹原市長の支持者が多い会合なので職員らが糾弾されるのではないか」と懸念する。
阿久根市職労を支援している自治労県本部は対応を検討中。高橋誠書記次長は「また職員のクビが切られかねないので慎重に協議している」と話している。竹原市長は1月の仕事始め式で「命令に従わない職員はやめてもらう」と訓示。強権的な色合いを強めている。【asahi.com2010年3月9日】
この市民懇談会の様子は、早ければ日曜の夜のうちに情報として得られるはずです。詳しい内容などが分かりましたら、コメント欄の中でお伝えしていくつもりです。いずれにしても首長や上司からの理不尽な命令は、毅然と意見具申できる組織が健全な姿ではないでしょうか。そのたびに自分のクビを心配しなければならない阿久根市は、やはり異常であるものと言わざるを得ません。
最後に、竹原市長の著書『独裁者』が書店に置いてあれば、購入して目を通してみるつもりでした。わざわざ予約するほどの魅力を感じないため、今のところ手に入れることができていません。インターネット上で知り得る話として、「素晴らしい」と評価する声がある一方、酷評するコメントも少なくありません。きっと私自身も実際に読めば、この「本日の産経SHOWと阿久根政界NOW」の管理人さんと同じような感想を抱くのだろうと想像しています。
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コメント
地方公務員法第32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)の解釈論として、「法令等に反すると解する余地のある上司の職務上の命令への不服従の是非」の問題が絡んでくるだけに、意見が分かれる問題かもしれないと感じます。>>当該の市職員さんや職員団体の態度について。
この問題は、国家公務員法第98条第1項の規定の解釈・運用の問題でもあって、国家公務員法の第一次改正(だったか、とにかく最初期の改正)の時にも国会において議論の対象となった部分だった筈です。
司法判断等も、一般的・抽象的なレベルでの普遍的なものが有るのか無いのか、曖昧だった記憶が有るような無いような。(この部分について、曖昧。)
本来なら、「個別・具体論としての、当該法令等に反する上司の職務上の命令への不服従の是非」について、身分保障規定に基づいて争う余地はあるように公務員法は立法されている筈なのです。が、こうした制度を事実上骨抜きにするような各種の施策をとり、法廷で司法権を否定するような主張を堂々とする首長相手に、何か実効性のある対抗手段の有無や法的手続による事後的な損害の補償の可否について、論じる余地があるのかどうか。
事後的に争えば勝てる可能性があると思いますが、即効性には欠けますし実効性にも疑問符がつきそうですし。
現行の地方自治法令の下では、国(この場合は総務省)の”指揮・命令等の直接・関節を問わない関与”も法的妥当性を欠くと思われ、その点において総務省のコメントは肯定できますし。憲法以下の諸法令は、”選挙で選ばれた者の善性”を前提にしているので、正面切って法令を無視される事態は想定外ですし。
民意という観点から言考えても、解職請求(リコール)権も当選後1年間は行使できない(地方自治法第84条だったかな。)のですし、”ある意味無敵”ですね。可能性としては、議会の不信任決議ですけど、当該市域の外からは迂闊な事は言えないですし。
投稿: あっしまった! | 2010年3月14日 (日) 18時57分
あっしまった!さん、さっそくコメントありがとうございました。
ご指摘のとおり職員には職務に関する命令には従う義務があります。その中で法律上又は事実上の不能を命じられた場合、その職務命令は無効となります。明らかな法令違反、物理的にできないこと、社会通念上できない命令は拒める解釈が成り立ちます。
具体的な事例として、議会における答弁拒否など確かにグレーゾーンの部類かも知れません。しかしながら本来、「市長、それはないですよ」と意見具申できる関係が組織上、望ましいものと考えています。記事本文の記述が首長の職務命令を軽視しているような誤解を受けないものと思っていますが、私からも少しだけ補足させていただきました。
投稿: OTSU | 2010年3月14日 (日) 21時36分
> OTSU 様(2010年3月14日 (日) 21時36分)
仰ることについて、同感です。妥当とされる法律論が通じない事が問題だろうと思います。
勿論”意見の具申”と”抗命・不服従”の境界線は事案によって動きますし、
組織によっても基準は異なるのでしょうけれど、--例えば消防・警察は、他より厳しいでしょう、多分。--
一般論・抽象論として線引きするのは難しい(そう言う意味で曖昧)という側面は否定できないだろうと。
とはいえ、この場合、(限りなく)後者としか認識され得ない状況にあるのでしょうから、現状が、妥当とは言い難い様に思います。。
投稿: あっしまった! | 2010年3月14日 (日) 22時23分
あっしまった!さん、おはようございます。
市民懇談会の様子が記事本文の最後に紹介した「本日の産経SHOWと阿久根政界NOW」の最新記事で取り上げられていました。また、このようなやり取りもあったようです。
>市政改革への協力を問われた壇上の職員が「法令に違反しない限り命令には従う」と回答すると、市長は「上司の意図を考える努力が感じられない。言いなりになれと言っているのではない」と非難した。
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031401000555.html
投稿: OTSU | 2010年3月15日 (月) 08時12分
#今回は、みなさんの発言が少ないですね。
阿久根市の、市長の対応は、やっぱりどう見ても理解できません。
たしかに、市長は選挙によって選出されています。
と同時に、議員も選挙によって選出されています。
二者ともに、住民を代表する方々です。
「自分は選ばれている」からといって、
同様に選ばれている議員(反対はだけを指すのかもしれなくても)に対し、
全く手続きを経なくても良いはずはありません。
また、議会での議論は、住民も傍聴できるので、
その機会を、闇雲に奪って良いものか、と。
この時期の議会は、
来年度の予算の使い方の説明等の議論がなされるはずですので、
大規模施設の建設や、新しい施策の方針などが
件目としてあげられるものと推測します。
それだけに、
市政に興味関心のある住民の、
知る権利というと大げさですが、
その機会も奪っていくことにもつながりますので、
その意味からすると、とても損しているだろうなぁと。
一部のマスコミを、相当嫌っているようですが、
法人も一市民であるという考え方もありますので、
正々堂々とご議論されれば良いのでは、と思っています。
また、
議会に傍聴できなくとも、
新聞・テレビなどの報道により、
市政方針を住民が知ることにもなりますし。
また別の観点から、
「全体の奉仕者」であるべきで、「一部の奉仕者」ではないことから、
報道各社を、こっちは良い、こっちはダメ、というのが、
この原則からは逸脱するんだろうなぁ、と見ています。
まぁ、いろいろ「外野」が言ったところで、
当のご本人は、何も感じていないだろうし、
こればっかりは、域内の住民も含めた当事者で、
(リコール、選挙など)
何らかの解決なり決着をみないと、収拾しないんでしょうね。
投稿: イール | 2010年3月20日 (土) 10時14分
…、とコメントした上で、
市長の親族企業が、ほぼ最低価格にて落札した、という記事が、
読売オンラインから流れていますね。
これは、ちょっと動きがあるかもしれませんね。
#いろいろな件で、
#阿久根市のネームバリューは上がりましたが、
#住民のみなさんは、どう感じていらっしゃるんでしょうか。
#なんとなく、一地方公務労働者としては、
#気がかりなところです。
投稿: イール | 2010年3月20日 (土) 10時23分
イールさん、コメントありがとうございました。
アクセス数は普段より多くなっていますが、コメント投稿がパタッと途絶えていたのは意外でした。「もう今さら語る言葉はない」という方々が多く、合わせて竹原市長を支持されている方々も正面から擁護できない現状となっているのでしょうか。
投稿: OTSU | 2010年3月20日 (土) 21時55分
阿久根市長に関することを書き込まれても、反応する方は以前よりも少ないと思います。
理由は、阿久根市長の性格が全国的に露見されているからです。
稚拙で独善的な思考の持ち主であり、聞く耳は全く持ち合わせず、意見の合わないものや批判するものはすべてが敵であり、一度振り上げた手は己のプライドにかけて絶対に降ろさない。
「己を神格化」された「神様」に対して、「触らぬ神に祟りなし」というか「馬鹿を突っついて火の粉は被りたくない」からと考えられます。
阿久根市長の経歴は、自衛隊退官後に父親の会社に役員として入社となっています。
つまり「労働組合のある民間の会社に社員としての勤務」の経験は全くないということです。
人生で経験している社会が「命令で統率される自衛隊員(公務員)」と「会社役員としての使用者」の為なのか、「労働者は使用者の命令には絶対であり、労働者から使用者への権利の請求などは認めない」と思われているようです。
一部の中小企業、特に地方の会社においては、文書化された労働規約や労働組合のない会社も珍しくなく、昇進や昇給、入社や解雇に到るまで「経営者の気分次第」ということもあながち無くは無い話です。
しかし、労使互いの権利に関して知ってか知らずか、経営者も労働者も互いに無理強いをしないで、微妙なバランスを保って成り立っています。
その為、地方においては労働組合の存在自体が、一般の労働者であっても「よくわからない存在」となっているにも関わらず、「デモ」や「ストライキ」などのネガティブな言葉から「怖い存在」もしくは「悪い存在」と誤解を受けていることもしばしばです。
それに加え、「竹原信一後援会ブログ」においては、労働組合や自治労に関して、常軌を逸する程のネガティブキャンペーンを展開しております。
現在では「竹原信一後援会ブログ」管理者と思しき人物が、Twitter上でも同様の行為を行っています。
つまり、「経営者の気分次第」的思考で市政を改革するには、労働組合は「悪の秘密結社」と誤解されたままでいてくれなくては「自己の正当化」に不都合なのです。
そして、「悪の秘密結社に立ち向かう改革者」として阿久根市長を理解できない市民やマスコミは、同様に「敵」と見なして「成敗の対象」に成り得ると言うことです。
したがって、このブログで阿久根市長を取り上げることや、その内容に反応することは、「成敗の対象」としてこのブログやブログ管理者、コメントした者は敵視されることを危惧しなければなりません。
著書の「独裁者」の文中に「新たな賞罰審査委員には、市長派の議員と私が民間から登用した職員2名を選任しました。(中略)私が選んだ委員は「市長派」ではなく「改革派」です。」という一文があります。
Amazonのブックレビューには賞賛の文面が並んでいましたが、上記の表現に何も感じないほどの人物が記入するブックレビューは参考にも値しません。
あえて一文だけを紹介しましたが、著書全体に渡って「ほつれ」というレベルでは済まない程度の文章の羅列で構成されていました。
それでも評価するならば「駄文の見本市」もしくは「タレント市長ならぬ“市長タレント気取りがボンヤリ書いたファンタジーなタレント本”」としては合格点を与えられます。
あとは「読む間違い探しの本(あなたはいくつ見つけられたかな?)」と改題して販売するなら、最高のレビューと増版は間違いないほどの出来具合と言うのが正直な読後の感想です。
法的にも、社会通念上にも、有識者からも「通用しない行為や思考」と報道される度に「法も社会通念も有識者をもが間違っている」と開き直る。
法を犯すものを法で裁こうにも、その法すら受け付けようとはない。
馬鹿に対して「あなたは馬鹿ですよ」と教えても理解できないし受け付けない。
馬鹿は「馬鹿という概念」ですら持ち合わせていない。
法を理解しようともせず、法を受け付けない者には、法以外のどのような裁きが妥当なのでしょうか?
投稿: 捨てハン | 2010年3月20日 (土) 22時12分
捨てハンさん、おはようございます。コメントありがとうございました。
人物評などについては概ね同じものですが、「触らぬ神に祟りなし」という立場を周囲が取った場合、問題行動にブレーキをかける者がいなくなることを懸念しています。阿久根市の職員という立場から具申することが難しいため、その他の回路から「非は非」であることを訴え続けることも重要であろうと思っています。
なお、昨年6月以降、竹原市長のブログ「阿久根時事報」をブックマークし、ずっと注目しています。2010/03/20(土)の「問題職員はやめさせろ」の記事内容も気になっていましたが、読売新聞が「ブログで専門学校批判」という見出しで報道していました。西日本新聞の「阿久根市工事 市長在籍の会社落札 市長が決定の最低制限価格 1円だけ上回る」という報道も最近の話であり、本当に話題を振りまき続けてもらっています。
投稿: OTSU | 2010年3月21日 (日) 09時12分
初めまして。これまで、「この状況で、何で未だに竹原市長を支持できる者が居るんだろう」と疑問に思ってきたのですが、こちらの記事とコメント等を読んで、特に疲弊した地方において、公務員への妬みはそれほどまでに激しいものなのだと知り、少しは事情が理解できるようになりました。また、コメントにある「馬鹿を突っついて火の粉は被りたくない」というのは、確かに多くの良識人の正直な感情だろうなとは思います。
ただ、県立鶴翔高校校長の市長の介入に対する返答を新聞記事で読んで、「初めて彼に対する『正しい』対応が出た」と感じました。校長の、「ブログに書くなら勝手にどうぞ」というのは、「あなたのその脅しは脅しの意味を成していない、あなたは裸の王様に過ぎず全く恐ろしくない」という意味であり、これこそが彼を無力化させる態度なのではないでしょうか。
ヒトラーやスターリンであっても、本人自身が物理的に国民に対する強制力を持っていた訳ではなく、軍隊や警察あるいは秘密警察といった組織が彼らに従っていたからこそ、独裁者として振る舞う事が出来ました。竹原市長は実際には警察その他の強制手段を持っている訳ではありません。従って十分多くの人が彼に対して、「あなた何を言っているの、頭おかしいんじゃないの?」と言って従わない事が、彼の暴走を止める事につながるのではないでしょうか。
投稿: X^2 | 2010年3月27日 (土) 01時37分
X^2さん、おはようございます。コメントありがとうございました。
私も鶴翔高校校長の対応は毅然としたものであり、竹原市長の横紙破りが際立ったエピソードだと思っていました。やはり「非は非」として声を上げていくことが重要であり、その上で竹原市長が「救世主」なのか、「独裁者」なのか、「裸の王様」なのか、冷静な評価が下されていくことを望んでいます。
投稿: OTSU | 2010年3月27日 (土) 08時28分
面白い動画を見つけたのでネット上の意見を探していたら、こちらにたどり着きました。
「阿久根市民懇談会職員発言」 http://www.youtube.com/watch?v=zBa9escCRRQ
周辺情報によると竹原氏も懲りない人らしいですが、職員の発言や自治労の煽りを見ていると憤りを感じずには居れません。
自分自身、お役所や学校とは色々と話す機会がありますが、発想は管理責任を回避するのと泣き寝入りを見越してのガス抜きですよね。何も解決せず誰も納得しないが、コスト(人件費)だけは粛々と流れていく。
身分保障や人勧に守られた向こうの世界の特権階級の感は否めないです。
増税も既定路線だけれどスト権とセットの給与引き下げも同様のようですが、人勧もきっちり無くさなければ骨抜きです。
投稿: どうでもいいけど | 2011年1月17日 (月) 17時13分
どうでもいいけどさん、コメントありがとうございました。
どのような場面での「職員の発言や自治労の煽り」に対する憤りなのか分かりませんが、前市長の提起していた点を全否定してはならないものと思っています。明らかに「非は非」として批判せざるを得ませんでしたが、阿久根市政の再出発として今後も注視していくつもりです。
投稿: OTSU | 2011年1月17日 (月) 22時34分
>どのような場面での「職員の発言や自治労の煽り」に対する憤りなのか分かりませんが
あの映像を観て分からないのなら、同じような感覚なんでしょうね、御愁傷様です。みんなの党の躍進を期待します。
投稿: | 2011年1月18日 (火) 07時05分
2011年1月18日(火)07時05分に投稿された方、文意の流れから、どうでもいいけどさんと推察しています。
改めて指摘いただき、阿久根市民懇談会の中での職員の発言を問題視されていたことが分かりました。一方で、その懇談会の位置付けそのものなどが取り沙汰されていたことも覚えています。以前、私自身も一通り画像で見届けました。竹原前市長との関係性なども踏まえ、職員の皆さんは淡々と臨まれていた印象でした。
確かに同じ映像を見ていても、基本的な視点や立場の違いから「御愁傷様です」と非難されるような評価の枝分かれがあり得ます。どうでもいいけどさんが当ブログの別の記事には目を通されていないようでしたら、ぜひ、お時間がある際、ご覧いただければ幸いです。昨夜の短いコメントだけで、何か決め付けられるのは本意ではありませんので、よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2011年1月18日 (火) 08時08分