« それでも支持される竹原市長 | トップページ | 顔を上げれば満開の桜 »

2010年3月27日 (土)

司、司の責任

このブログは週に1回、新規記事を投稿しています。その際、記事タイトルとは関係ない時事の話題を冒頭に触れる時が少なくありませんでした。カテゴリーを「日記・コラム・つぶやき」としていますので、気ままに最新の出来事などへの感想を述べるのも自由なのでしょうが、最近は時事の話題を意識的に触れないようにしています。

時節柄、おのずから政治に関する話題が多くなると考えているからでした。普天間基地の移設問題や生方副幹事長の解任騒動など、書き連ねれば1回分の記事となるぐらい論評したいことがあります。ただ少し前に政治的な話題の取り上げ方については、慎重を期する考えをお伝えしていました。したがって、政治的な話題に対しては生半可な取扱いを避けるように心がけています。

その際にも記したことですが、今後一切、このブログで政治的な話題を取り上げない訳ではありません。そのようなテーマに切り込む場合は、記事タイトルに掲げながら正面から扱っていく予定です。特に記事の冒頭に時事ネタとして気軽に取り上げたつもりでも、思いがけない反応を得て、論点が拡散してしまう恐れもあるため、なるべく最近はスッと本題に入るように努めていました。

さて、前々回記事「再び、阿久根市のその後」に比べ、一転して前回記事「それでも支持される竹原市長」に対してはコメントの数が増えました。やはり幅広い視点から様々なご意見や感想を伺えることが当ブログのセールスポイントだと思っています。週に1回しか更新しない一個人のブログへ毎日千件前後のアクセスをいただけるのも、多くの皆さんから中味の濃いコメントが寄せられるおかげだと感謝しています。

と言いながら、貴重な提起に対して個別に論評できない力不足については、いつもご理解ご容赦をいただいているところでした。また、直接的な問いかけがない場合も中途半端な論評は控え、閲覧者の一人となっています。とりわけ前回のコメント欄では市場原理の問題まで論点が広がり、非常に難解なレベルとなっていたため、熟読しながら提起された内容等を何とか理解できるように努めていました。

そもそも前回の記事は、あれほど非常識な言動を繰り返している竹原市長ですが、それでも支持する根強い声があることを訴えたものでした。西日本新聞による最新の調査で、阿久根市民100人に「市長は交代すべきか」と問いかけたところ51人が「はい」、「いいえ」が33人、「どちらでもない」が16人という結果でした。まだ3割の阿久根市民が竹原市長の続投を望み、市長の「市職員高給」批判への賛同は過半数を占めていることが分かりました。

このような結果に対し、公務員への「厚遇」批判がなくならない限り、これからも竹原市長のような手法が支持されていくという見方は大半の方々と共有化できるものでした。それでは「どうしたら良いのか?」という選択肢においては、個々人の思いが枝分かれしていく実情であるようです。そのことは前回記事のコメント欄を通し、幅広い視点からのご意見があることを改めて認識する機会となっていました。それぞれのご意見すべてを紹介できませんので、ぜひ、コメント覧をご覧になってください。

その中で、あっしまった!さんの「公務従事者を民間の待遇に引きずり下ろしても、民間の待遇が良くなるとも思えないし。誰も幸せにならないという気がする」、mobileSEさんの「地方公務員であってもあらゆる意味で能力の底上げが求められており、自らに批判的な目に対しても説明し納得を得られるだけの能力が無ければ、その待遇は下がって当然です」という言葉が大きくうなづけるものでした。

確かに「民」と「官」の役割などが異なりますので、そこに働く人たちの性格も異なる理屈が成り立ちます。一方で、本来は民間賃金の平均を反映した水準が公務員賃金であるはずですが、そのように見られていない現状なども受けとめなければなりません。人事院の調査が企業規模50人以上、かつ事業所規模50人以上を対象としているため、その「50人」という基準では民間の平均とは呼べないという指摘が加えられがちでした。

さらに地方公務員も国家公務員の賃金水準を土台としているため、とりわけ地方の場合、地場賃金との差が特に強調されていました。この間、地域給制度の導入など一定の見直しがはかられていますが、どうしても竹原市長のような言い分が評価される現状だと言えます。そして、日本列島の上空100kmから俯瞰されている、あまのじゃくさんからは非常に難しい投げかけが続いていました。

市場原理にさらされていない公務員の「特権」の問題であり、1千兆円に届く国の負債をどのように返済していくのかという大所高所からの提起でした。また、パイは有限であるため、笑う人が出れば、泣く人が出るという構図についても、あまのじゃくさんが常々指摘されている点です。そのパイの配分に向けては、公正な競争が必要であり、公務員の待遇や生活保護という福祉制度などは歪んだ「特権」であるという主張をお持ちでした。

そのような「特権」を受けている人たちが「せめて自分の言い分を1/3にしましょう!そうすれば500兆円位は返せるかもしれません。・・で?公務員さんは、どの程度頑張ってくれるのですか?」という問いかけが、あまのじゃくさんからの最新のコメント内容の一部でした。この問いかけに対し、私からのレスは決して適確なものではありませんでした。今回の記事本文を綴りながら、さらに明解な言葉を探しましたが、現時点ではその時の内容から踏み出すことができていません。

広い視野で物事をとらえていくことの重要さも理解しているつもりですが、大半の人は1千兆円の負債を日常的に意識していないことも間違いありません。その問題が深刻であることは言うまでもありませんが、すべてが1千兆円の問題に帰結していく発想もいかがでしょうか。やはり司、司の役割の中で、一つ一つの問題を解決していくことが一般人の務めであり、身の丈にあった判断だろうと考えています。

1千兆円返済の問題に対して何も答えていない記述ですが、当面する私自身の課題は次のとおりだと認識しています。処遇に見合った働きぶりであることが住民の皆さんから評価をいただけること、そのような役割や責任を負っていることの適確な説明責任、合わせて労働組合に対しても適切な評価を得られるよう努力することが課せられた司、司の責任だと受けとめています。

|

« それでも支持される竹原市長 | トップページ | 顔を上げれば満開の桜 »

コメント

今回の記事で語られた「司・司」ですが、意味を知りたければ長野県知事の言葉が判りやすいかと思います。その言葉の中では「司・司(つかさ・つかさ)で仕事を進める」とし、その意味は「職員が、常に問題意識を持って仕事の創意工夫を図り、向上心と責任感、そして情熱を胸に日々の職務に励んでいただくこと」とされています。
このことから「OTSU」氏の言いたいことは「個人個人がその役割の中で責任を持って問題を解決していく」となるかと思います。

さて、この言葉に異を唱える人はおそらく皆無でしょう。まさに御説ご尤もでして、全く隙のない理想論です。そして誰もが求める終着点とも言えます。

でもですね、それでは誰がどうやって個々の人間が「司・司で仕事を進める」姿勢を担保するのでしょうか。個人の意思に任せていては自己へ対する縛りが甘くなり、結局「あまのじゃく」氏が指摘した様な甘えや特権は排除することは不可能でしょう。

例えば「OTSU」氏に対して公務員の甘えを廃して、明日から「むかし民間、今・・」氏と同効率で同時間を働いてくれと言っても、「いえ、これで十分仕事をしています」と(言うかどうかは判らないけど・・)働かないでしょ。よって有る程度の強制力がないと「司・司で仕事を進める」は実現しないことは明確です。

そして先週の後半の論議は、それではどの様な手法でどの程度強制すれば「司・司で仕事を進める」が実現できるのか皆で考えましょうやという事なのです。

民間並みの成果主義にし競争を・・とまでは言いませんが、やはり公務員にもある程度の成果主義的な要素を入れてですね、「OTSU」氏の年収は年齢から750万前後かと想像しますが、成果によっては来年400万位に落ちる事も有りえるという緊張感は持って欲しいとは思いますね(民間のように同年齢で3倍以上の差をつけろとは言いませんので・・)。

それが導入されたならば自然と「司・司で仕事を進める」という事にもなっていくでしょうね。

投稿: mobileSE | 2010年3月28日 (日) 19時48分

あいかわらず「無駄なことに一生懸命」取り組んでいる状態です。先日、地方自治体から強い要請を受けた施設(廃止から一転しました。)の移設作業を行いました。私の上司いわく、「地方自治体もその施設がなくなる(自治体の施設を間借りして同居)ことで自分たちの組織の存在にかかわってきますからね」とただでさえ忙しい中、レイアウトを考えるなどしていました。(これで「二重行政」といわれるのは勘弁していただきたいものです。)私の勤務地の自治体はもともと「箱モノ好き」で「プライドの高い自治体」であることは知っていましたが(近隣に同規模の県庁所在地の自治体がありますが明らかに違いがみうけられます)、「事業仕分け」で不必要(と判断された)なものを「政治的圧力」(全否定はしませんが、近くに出先施設があるのに必要なのかと思いました。)でひっくり返すプロセスの不透明さも感じているところです。
政権交代後、半年がたち「思いつき」「ひらめき」にふり回された感があり、今後も続くのかと思うと不安を強く感じているところです。(これで国民の利益につながっているのであればまだ「納得」できるのですが・・・・)
そんな中でも自分の役割を果たしていくことは大切だと感じています。

投稿: ためいきばかり | 2010年3月28日 (日) 20時36分

mobileSEさん、ためいきばかりさん、コメントありがとうございます。

「司、司」という言葉の説明を特に行なわず、記事タイトルとしてしまいました。mobileSEさんが説明くださったとおり「個人個人がその役割の中で責任を持って問題を解決していく」という意味合いで使っています。もう一言付け加えれば、国の負債1千兆円のことを国会議員でもない国民一人ひとりが、常に意識していくことの難しさや現実的にはあり得ない点を提起させていただきました。

その上で、最後に述べたような自分自身の役割や責任が果たせる範囲内で、mobileSEさんが示しているような課題に向かっていく覚悟です。なお、「処遇に見合った働きぶり」が評価されない場合、つまり認めてもらえない場合は、引き下げられていく方向性もやむを得ないものと考えています。本来、この記事の続きとして、書き込まなければならないことも多いのですが、次回以降の機会に委ねさせていただいています。

投稿: OTSU | 2010年3月28日 (日) 21時53分

今回の記事、どうも議論が深まっていないような印象を受けました。
公務員の身分保障とかは、公務の水準確保(=国民の福利)のための手段に過ぎませんので、“公務”と“非公務”の違いから考えないで、
表層の待遇の比較をしても始まりませんよ。

非公務を無くして全て公務とした結果が、20世紀のソ連・東欧の社会主義の、失敗に終わった実験だったのでは?
かといって、公務を全廃するわけにはいかないでしょう。
要は、公務の範囲をどこまでにして、その水準を維持するために、公務に従事する公務員の待遇をいかに制度設計するかだと思います。

投稿: BIBI | 2010年3月28日 (日) 23時32分

BIBIさん、おはようございます。コメントありがとうございました。

前回記事のコメント欄でも同様な趣旨の提起をいただいていました。公共サービス基本法が成立し、その内容の記事(URLは下記)も過去に書き込んでいました。確かに“公務”と“非公務”の違いから考えることは重要であるものと思っています。
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2009/05/post-4ad6.html

一方で“公務”と“非公務”の違いにかかわらず、待遇の問題を論じることも必要です。そのような点を押さえない場合、“公務”の待遇の是非に対する議論も一つの壁に当たる気がしています。いずれにしても今回の記事は、ご指摘のとおり本質的な議論の提起に至らない「立ち位置」を確認した内容にとどまっています。昨夜のレスでも記しましたが、この続きのような話は次回以降の機会に委ねさせていただいています。

投稿: OTSU | 2010年3月29日 (月) 08時10分

具体的な話をすると、鳴物入りの市場化テストより、ひっそりと導入された公の施設の指定管理者制度のほうが興味深いです。
自治体が設置して、民間事業者が指定管理者として管理を行う公の施設、指定管理者が行っているのは公務なのでしょうか?

「公務員が行う事務が公務である」or「公務を行う者が公務員である」

現在、全国の公の施設の管理は、直営と指定管理が混在していますが、ていねいに観察・分析していけば、いずれがより住民サービスになっているかは、それなりに出てきそうな気がします。特に、公の施設の管理責任に起因する事故に着目して。
ただ、現実に指定管理者となる者の多くが自治体肝煎りの公益法人であることが、痛いですね。
また、直営の方が費用対効果を考えても住民サービスになっている、という結論が出ても、マスコミは採用しないでしょう、きっと。読者にとってつまらない記事にしかならないということで。

結局、国民が今求めている“事実”は、「公務員ってダメだね!」ということらしいとマスコミが認識していて、その認識ももっともだと思えてきます。
それをおかしい、とか、正さなくてはいけない、という気持ちにはどうもなれず、そのような国民感情は、どこまでいっても自然ではないかと。

投稿: BIBI | 2010年3月29日 (月) 22時08分

どうも、こんにちは。

>すべてが1千兆円の問題に帰結していく発想もいかがでしょうか。

眺めていて思ったのですが、財政においては必ずしも借金を完済する必要は無い、というか、財政における借金返済=いいこと、という訳では必ずしもないんですよね。

企業や家計なら、借金が半分になればそれは万々歳でしょう。
ですが、財政においては必ずしもそうとは限りません。

政府部門の債務が500兆円減るということは、民間部門の資産が500兆円減るということです。
企業や家計なら、不況の時に100万円の借金が50万円になることを喜ばない人はいないと思いますが、政府部門の債務が500兆円減れば、民間部門の資産も500兆円減ります。
不況下であればあるほど、資産が減るというのは、民間にとって打撃となります。

企業や家計の視点では正しい行動も、政府レベルのマクロ経済の場合、必ずしも正しい行動とは言えなくなるのです。

1000兆円を真面目に考えるのはいいことだとは思いますが、その1000兆円を企業や家計と同じ視点で語るのは、それはそれで問題を悪化させることにもつながりかねません。
その意味で、「すべてが1千兆円の問題に帰結していく発想」は、基本的なマクロ経済を理解した上でないとかえって有害になる可能性があるという意味で、おっしゃるとおりでしょうね。

投稿: 黙考人 | 2010年3月29日 (月) 22時37分

BIBIさん、黙考人さん、おはようございます。コメントありがとうございました。

そのような比較が詳しいBIBIさんにとって、いろいろな問題が目に付いているのだろうと思います。このブログでの提起がそのレベルまで至らず恐縮ですが、これからの記事を投稿する中で「公共サービス」について、もう少し踏み込む機会を持ちたいものと考えています。

黙考人さん、お久しぶりです。また別な角度からの見方を指摘いただき、「なるほど」と思っています。このような補足があることで、記事本文の拙さがフォローされています。ぜひ、またお時間が許される際、何か気になった点などご指摘いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2010年3月30日 (火) 08時12分

年度末で業務、組合両面で大忙しではないかと推測しています。私の職場も人事異動でバタバタしていますが、OTSUさんの職場で異動があった場合、引継ぎの書類が税に携わる部署なので大変でしょうね。
OTSUさんは一年のうち深夜になったりすることもたびたびでしょうね。(交渉が深夜まであったり、業務の取り扱いも年々複雑化している状況だとおもいます。)年々厳しくなるばかりですが体調管理も大切ですね。ブログの更新など大変でしょうが、ぜひ今後もいまのペースでしていただければ(勝手なお願いですが)と思っています。

投稿: ためいきばかり | 2010年3月31日 (水) 02時06分

ためいきばかりさん、おはようございます。お気遣いのあるコメントありがとうございました。

組合活動で遅くなることは多くても、幸いにも仕事で恒常的な時間外や深夜に及ぶ勤務は基本的にありません。ブログについては、実生活に負担がかからない週1回のペースで続けていくつもりですので、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2010年3月31日 (水) 08時19分

臨時出張。(笑)
公務員の方々には戦慄の話を書きましょう。

『人口50万人以下の地方自治体では人件費の総額が税収の3割を超えてはならない』(注:この場合の税収とは広い範囲で考えてください)

この法律が適用されるとどうなるか?聡明な皆さんには直ぐにおわかりですね。
アッ言う間に市町村合併と自治労無力化が、何の努力も無しに達成されるでしょう。
なだれ現象のように。何故なら敵味方が「逆転」するからです。

総務省事務方あたりは、この程度のシミュレーションはやっているでしょう。
「人口50万」と「3割」を調整すれば後は自由自在という訳だ。

後は国民の不満が増大し、国債赤字が真の論点になり、政治主導という名の英断が起これば・・・。
その時になって「ちょっと待ってくれ。やっぱり身を削ります」は時既に遅い。老婆心ながら・・・。

投稿: あまのじゃく | 2010年3月31日 (水) 10時06分

真面目な話、自治体財政を論じるのに、国債発行残高がどう絡むのかしら?自治体財政を論じるなら、地方債発行残高とか地方交付税交付金の問題だろうと思うので。国(中央)行政の財政問題と地方行政の財政問題は、取り敢えず分けましょうよ。(両者が無関係とは思わないし両方を負担するのは国民・住民なのだけれど、国債の全てが地方財政の為に発行されている訳では無いのだし。)

財政にしても、公務員制度にしても、”国”と”地方”の区別なしに(故意か過失かは判らないけれど、寧ろ混同して)論じると、正しい前提に基づく議論の妨げになると思うんですよ。。

ところで、地域主権を一つの柱とする現政権の下の”政治主導”が実効性を持つのなら、臨時出張されて論じておられる話の実現可能性は如何ほどなんでしょうね。ちなみに地方自治体の財政運営について、例えば人件費比率をどうこうと強制できる権限は、総務省にはないし。(少なくとも、総務省設置法以下、総務省所管の法令には無いでしょ。地方自治の立場から、自治体の条例に委ねてるんだし。)

それとですね、人口密集地帯なら別として農村部で無理矢理人口50万人規模の自治体を創っても、市域(町域・村域)が広くなりすぎて、十分に行政活動を行おうとすると人員を減らすことが却って難しくなると思う。現実問題として市域(町域・村域)が広すぎる状態で人員を削減すると、行政活動を満遍なく行き届かせることは、かなりシンドイ話になるから。要するに、目と手が全域に満遍なく届かない。住民の側も一定程度面積が狭い方が自分のこととして全体を考えやすい(身の丈にあった行政水準を考えやすい。)。自治体合併の話になると、人口規模(担税能力の母集団の規模)で考える事は多いけど、面積の規模の問題(適正な面積の規模の問題)という視点は余り聞かない気がする。現実問題として税収の規模が大きくなっても、施策の対象となる面積が大きくなりすぎると、広い面積をカバーするだけの経費も上がるのだけど。”合併すれば全てがハッピーになる”というのは、単なる神話だと思ふ。

ところで、平成20年度実績で人件費の割合をみると、広い意味での税収(=一般財源)とするなら
分母が歳入全体なら、都道府県が30.7%、市区町村が20.3%、国が5.9%
分母が一般財源なら、都道府県が43.8%、市区町村が36.1%、国が12.0%
#ここでいう、”国”とは”中央政府”の事であって、”国全体(=中央政府+地方政府の合計)”ではありません。

投稿: あっしまった! | 2010年3月31日 (水) 16時36分

何でも、十把一絡げに1000兆円の債務残高に結びつけるのは、私も賛成出来ません。マクロで見たときに、”政府部門の債務が500兆円減れば、民間部門の資産も500兆円減る”のは事実で、留意すべき事項だろうとは思います。とりわけ日本では、国債の殆どは国内で保有されているため、マクロで見たときに国内経済に与える影響は大きくなるのかも知れません。

ただ一方で、”資産を持たない、本来社会保障を最も必要とされる立場の方々が、最も深刻な影響を受ける”という側面もあるので、財務残高の圧縮は必要だろうと私は思っています。今のままでは”発散”してしまうのではないか?と思いますので。
この国の国民負担率は、対GDP比では決して高いとはいえず、社会保険料を除いた租税のレベルで言えばアメリカ以下です。一方で、高齢化の進行速度は世界最速で、出生率は先進国中最低の部類です。こうした中で、一般会計においては”国債費(元利償還費)”の占める割合が相当に膨張していて、社会保障(高齢者向けだけではないですよ。)予算が債務残高の膨張に比例して、圧迫されています。国債の償還が社会保険料では賄えない以上、租税の範囲で考えるしかないのですが、そういう状況があります。
一般的には、社会保障を必要とする人が増え、その支え手となる人は減り、経済活動も低迷している。そんな中で国債関係費が増えて、社会保障予算を圧迫していく状況です。国債を買う余裕のある人には資産であっても、国債を買うことも出来ない層の人々・資産を持たない人々(そうした人々は、何らかの社会保障を必要とする事が多い。最近では、若年層でも貯蓄のない人が増えてますし。)にとっては、”債務でしかない、しかも債務はふえ、頼るべき社会的保障は現状維持すらままならない。”という状況であるので、債務残高の膨張を無視して良いのだという事でもないかと。

こうした財政の構造が、貧困問題や治安問題等社会の安定にとって好ましからざる影響が生じる可能性を私は憂慮します。もちろん、貧困の拡大・格差の固定・階層社会化の進行についてどう思うか?は人それぞれでしょう。けれど、これらの事象は社会の安定と経済の安定にはマイナス要因だろうと思えるので、現状では、負の螺旋階段を粛々と地の底に向かって歩いているとしか思えないのです。国民全員が国外に脱出するだけの資力を有しているとも思えませんし、脱出できる人は幸運な強者で、残った人は何の救いもないという。
だからといって、1000兆円の債務残高の責めを職業公務員だけに向けるのは、筋違いも甚だしいと思っていることは、付言して置きたいと思います。この国の政治体制の上では、有権者が主権を持つことの責任を果たしてこなかった。即ち、応分の負担を徹底的に忌避して、不相応な受益だけを求めてきたという事は無視できないと考えますので。

投稿: あっしまった! | 2010年3月31日 (水) 19時41分

地方公務員の身分が民間に比べて安定しているとして、その理由は、制度によるのか運営によるのかはきちんと分析しておくことが有益でしょう。
さて、次の規定、民間だと整理解雇をほうふつとさせますが、判例上確立している整理解雇の四要件を考えあわせると、制度的には必ずしも地方公務員の方が恵まれているとも思えません。
しかし、現実には、地公法28条1項4号を理由とする免職はあまり聞きません。
たとえば、都道府県ですと、かつては蚕業、農業の技術屋さんが大量に採用され、産業構造が激変しても、それらの職種の方たち用にいろいろと業務を作り出して雇用を維持しているような印象。
このような状況における免職(解雇)圧力は、民間の方がずっと大きいのではないでしょうか。
仮にそうだとすると、その違いの理由は、やはり自治体はつぶれない、すなわち競争原理が働かないからではないでしょうか。結局、国家という究極の制度に行き着いてしまいます。
さらに、このブログに直結しますが、強い自治労の影響も見逃せません。

これまで何度も書きましたが、そのような雇用の安定は、労働者にとっていいことです。
ただ、相対的に安定していない立場から見ると、いろいろと批判したくなるのももっともでしょう。度を越した批判であっても、公務員は受けざるを得ない立場なのかなと。

   地方公務員法
 (降任、免職、休職等)
第二十八条 職員が、左の各号の一に該当する場合においては、その意に反して、これを降任し、又は免職することができる。
四 職制若しくは定数の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合

投稿: BIBI | 2010年3月31日 (水) 19時51分

あまのじゃくさん、あっしまった!さん、 BIBIさん、いつもコメントありがとうございます。

今回の記事本文でも書いたとおり具体的な論評に至りませんが、一言だけ添えさせていただきます。国の基本的な姿や方向性を選択する象徴的な機会は、私たち一般人にとって国政選挙において一票を投じる時となります。その際の判断材料を掘り下げる意味合いからも、今回のような議論は有意義なことだと受けとめています。直接論戦に参加できそうにありませんが、皆さんのご意見やご指摘に触れながら勉強させていただいています。

投稿: OTSU | 2010年4月 1日 (木) 08時06分

短くまとめたかったのですが長くなりました。すいません。

”政府部門の債務が500兆円減れば、民間部門の資産も500兆円減る”の意は、資産家の資産が500兆円減り無産層がその債務から解放されることを意味するのではなく、経済活動がそれだけ縮小することを意味します。

景気が低迷していて民間部門の投資・消費が低迷しているときに、政府部門が債務を拡大させない場合、民間部門の資金は貯蓄拡大も消費拡大もおこらず滞留することになり、経済を支えている資金の循環が止まり、それは経済が縮小することを意味します。
簡単な表現で言い換えれば、不況がもっとひどくなる、ということですね。
不況の拡大で真っ先に苦しい立場に立たされるのは、資産家ではなく無産層となります。

1000兆円の話にしても、仮に1000兆円の政府債務が無かったらどうなっていたかというと、それは1000兆円分の支出(需要)と、政府部門に貸し付けることで拡大した民間部門の金融資産が無かった世界、ということになります。
経済は相当程度縮小していたことでしょうし、その縮小した経済から真っ先にはじき出されるのは、経済的弱者になります。

マクロ経済の話は、個々人の損得を考えるものではなく、全体の環境を考えるものです。
全体の環境が悪化したとき、そこからはじき出されるのは、弱いものからになるということです。

債務残高を圧縮し発散を防ぐ点についても、ここでも企業や家計と財政は違う、という区別が重要になります。
額面としての債務残高の圧縮ではなく、債務残高対名目GDP比を考えなければいけないという意味で。

額面の債務残高を圧縮したとしても、政府債務の圧縮というのはつまり、政府支出の削減と民間資産の減少ですから、それだけ経済(GDP)は縮小してしまうので、債務残高対名目GDP比は不況が加速することでむしろ悪化してしまう可能性すらあるわけです。
債務残高対名目GDP比がコントロール不可能になり悪化してしまうことを”発散”というわけですが、不況下で債務残高を圧縮することでかえって発散に向かってしまうこともあるのです。

これは政府というものは、経済(GDP)の中で大きなプレーヤーであることによります。
例えば企業や家計は、不況下で節約に励みます。
節約した分は消費の減少ということで経済を悪化させるわけですが、一つ一つの企業や家計の影響は全体からすれば微々たるものなので、それほど意識されません。
(それでも、全体を合せれば「個人消費の減少」や「設備投資の減少」という形で、経済を縮小させます)

ですが政府は、一人で数兆円の支出を左右してしまう存在なので、その経済に与える影響は慎重に考える必要があります。
ことに、不況下では民間部門に消費や投資を拡大しろと言っても無理な話なので、経済の規模を維持しようと思えば、民間部門の資金を借り入れて、政府が消費や投資をしないとどうしようもないわけです。
それが、政府部門の債務、民間部門の資産という形になって現れているというわけですね。

日本の国民負担率が低いのもそのとおりです。
つまり、日本の税金・社会保障負担は安いということですね。
こういうことを言うと、「安いとは何事だ!」と怒り出す人がいますが、個々人レベルでの負担の話ではなく、全体として見たときに、GDPの規模に比べて税金・社会保障負担が低いのは事実です。
(仮に他国に比べて高い人がいるとすれば、別のところに他国と比べてもっと低い人がいるということでしょう)
この国民負担率の低さが、不況による景気下支えの影響を除けば、日本の政府債務を拡大させてきた要因です。

これを解決するには、他国と比べて低い消費税を上げるのか、それとも、他国に比べて低い企業の社会保険料負担を上げるのか、といった財源問題は避けられません。
ただし、どちらを採るにしても、それは景気が回復した後で行うべきでしょうね。

>1000兆円の債務残高の責めを職業公務員だけに向けるのは、筋違いも甚だしい

これについては分かり易い資料があります。
http://www.nga.gr.jp/news/kennjyoukyoujyukeio20100114.PDF
ここの7ページにあるグラフですが、OECDの中で、GDPと比べた公務員人件費の大きさは、最低であることがわかります。
OECD中最低の公務員人件費が、OECDでも類を見ない債務残高を叩き出している要因とは考えづらいですよね。
そんなわけで、巷には、公務員人件費のために政務債務が膨らんだという言い方があふれていますが、本当の原因は、低すぎる国民負担と、そして不況によるものでしょうね。

投稿: 黙考人 | 2010年4月 2日 (金) 21時52分

黙考人さん、おはようございます。詳しいコメントありがとうございました。

視点を変えれば、これほど違った評価ができる事例の一つであるものと受けとめています。そのような意味合いで考えるとマスコミから入る受動的な情報は、どうしても画一的な内容が多いように感じています。黙考人さんのコメントを受け、能動的に多様な情報を入手する努力が、いっそう重視されている現状であることを改めて考えているところです。

投稿: OTSU | 2010年4月 3日 (土) 08時53分

1:借金を「返すと困る理由」を100万挙げても意味はありません。この「過去~現在」の延長線上に未来を見る発想こそ、諸悪の根源と言って良い。
借金を返すと困る理由なんて、山ほど有る事など当たり前の事だ。
何なら、借金を「返さないと困る理由」を1000万挙げてみましょうか?

2:先ず「前提」を安易に設定してはいけません。その前提の総和が100%を超えているから、このような借金を背負ったのです。つまり「前提」自体を考え直さないといけない。これは「既得権」を考え直せ・・と同義だ。
経済弱者を「より弱者」にして悪いのか?答えは「No」だ。重要なのは「衣食住足りて礼節を知っているか」だ。それを担保する為の発想が「金」だけだから、幾ら考えても出口が見えないのだ。

3:>1000兆円の借金の責めを公務員だけに向けるのは、筋違いも甚だしい。

まだ、こんな事を言っているとしたら、私の書き込みを故意に曲解しているか、被害妄想に陥っているかのどちらかだ。

4:「原因」と「結果」の評価で逆転が見られる。
「景気」なんてものは凧と同じで上がったり下がったりするものだ。身の丈の知恵を身に着けていれば、それでいい。
第一「不景気」の最大の原因は1000兆円の借金だろう。
その他にも私から見ると(固定観念が故に?)、原因を結果と見做したり、その逆だったりが多い。

投稿: あまのじゃく | 2010年4月 3日 (土) 09時47分

>あまのじゃく様
あっしまった!の投稿のうち、2010年3月31日19時41分のものは、貴殿にあてた訳ではないので、多分被害妄想じゃないと思う。勿論、ご心配には深謝致します。ペコリ。

----------
>以下、名宛人を特定しない話ですけど。。。

う~ん、政府の債務残高を急速に0にするというのは、私も賛成出来ないのです。ただ、これ以上このペースで膨張するのは避けて欲しいと思っている次第です。

基本的には、「分不相応に小さい負担しかしていないのだから、可及的速やかに、分相応な負担となるまで負担を引き上げる必要がある」というのが、私が第一優先として考えている事ですので。もう一つには、「長期金利を上げることなく経済規模を拡大する」事が出来るか?という命題ですね。今長期金利が倍になる(2.5%位になる)と、社会保障関係の国庫負担(一般会計からの社会保障支出)は壊滅的状況になりかねず、そうなると公的医療保険や公的年金等々社会保険制度からの給付水準は”割の単位で”下がる事になるでしょうし、公的扶助の水準も維持できないと思わなくも無いので。

それと、社会保障の需要が増大すると、社会保障の担い手の持つ提供能力の許容量の限界を突破して、機能不全に陥り兼ねないので、出来れば経済の活性化を通じて社会保障の需要を程良い程度にとどめて欲しい。その意味からも、マクロでの経済規模の急縮小は避けたい事態かと思います。現実問題として、社会保障の対象範囲の広さに比して、関係する人員・投下される資金の量は、国際統計上も(必要以上に)少ない訳で、現状でもオーバーヒートを起こして、内部的にはフル稼働にもかかわらず、外部から見ると”機能低下としか思えない状態”に陥っている社会保障の分野はあると思うし。今の債務の拡大要因は、各分野の支出の伸び縮みを考えると、公共事業より社会保障費だと考えられるし。

#1000兆円の債務残高が不景気の最大要因でるとすれば、そうした政治的選択をしてきた有権者が不景気の最大要因という事になるようにも思う。債務の急拡大期の有権者の投票行動や政府への主たる要求内容を、往事の報道内容や投票結果から考えると、過去の有権者の政治的選択に帰結するとしか思えないので。予算の製造責任は議員全体に行き着くし、国会議員の製造責任は有権者全体に行き着くから。行政が負うのは、本来予算のとおりに執行したか?という責めだけであって、予算そのものの是非は議会が負うべき責めだからさ。結果として行政が無茶なお金の使い方をしていても、それが予算に合致する限りは、予算を創った議会の責めがまず問われるべきというのが、この国の政治体制なのだし。

議員も有権者も”予算=歳出”という認識だけが強すぎるんでないかな。”予算=歳入&歳出”だから、本来歳出の増額を決定するなら、同時に増加した総額と等値になるような租税公課を同時に決定しないと拙いのだけれど、議員も有権者もそうした認識が希薄に過ぎたのではないか?と。政府支出の増加は歓迎するけど、それに相応な租税公課の増額は忌避するみたいな話ばかりで。

投稿: あっしまった! | 2010年4月 3日 (土) 18時33分

あっしまった!さん
>貴方にあてた訳ではない・・
失敬しました。確かに貴殿の心配する論調は少なくありませんね。

それと、今の1000兆円の借金の犯人は「国民」である・・という主張には「完全」に「100%」同意します。

因みに「小さな政府」か「大きな政府」かは、極端に言うと哲学の問題です。これに言及しているのではない。
私の性格は「小さな政府」を好むが、それを押しつけるつもりはない。

問題は「入るを計って出を制す」という最低の自制心さえ失った日本人を憂いているのです。

投稿: あまのじゃく | 2010年4月 3日 (土) 23時42分

あまのじゃくさん、あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

今夜、新規記事を投稿しますが、これまでの議論に沿ったものではなく、取り留めのない話を予定しています。たいへん恐縮ですが、決して国債残高の問題などの議論に水を差すつもりはありません。引き続き、この記事のコメント欄などを通し、貴重なご意見に触れられることを歓迎しています。そして、自分なりの識見を高められた後、記事本文を通し、このような議論にも参戦できればと考えています。

投稿: OTSU | 2010年4月 4日 (日) 18時07分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/130697/47913088

この記事へのトラックバック一覧です: 司、司の責任:

« それでも支持される竹原市長 | トップページ | 顔を上げれば満開の桜 »