司、司の責任
このブログは週に1回、新規記事を投稿しています。その際、記事タイトルとは関係ない時事の話題を冒頭に触れる時が少なくありませんでした。カテゴリーを「日記・コラム・つぶやき」としていますので、気ままに最新の出来事などへの感想を述べるのも自由なのでしょうが、最近は時事の話題を意識的に触れないようにしています。
時節柄、おのずから政治に関する話題が多くなると考えているからでした。普天間基地の移設問題や生方副幹事長の解任騒動など、書き連ねれば1回分の記事となるぐらい論評したいことがあります。ただ少し前に政治的な話題の取り上げ方については、慎重を期する考えをお伝えしていました。したがって、政治的な話題に対しては生半可な取扱いを避けるように心がけています。
その際にも記したことですが、今後一切、このブログで政治的な話題を取り上げない訳ではありません。そのようなテーマに切り込む場合は、記事タイトルに掲げながら正面から扱っていく予定です。特に記事の冒頭に時事ネタとして気軽に取り上げたつもりでも、思いがけない反応を得て、論点が拡散してしまう恐れもあるため、なるべく最近はスッと本題に入るように努めていました。
さて、前々回記事「再び、阿久根市のその後」に比べ、一転して前回記事「それでも支持される竹原市長」に対してはコメントの数が増えました。やはり幅広い視点から様々なご意見や感想を伺えることが当ブログのセールスポイントだと思っています。週に1回しか更新しない一個人のブログへ毎日千件前後のアクセスをいただけるのも、多くの皆さんから中味の濃いコメントが寄せられるおかげだと感謝しています。
と言いながら、貴重な提起に対して個別に論評できない力不足については、いつもご理解ご容赦をいただいているところでした。また、直接的な問いかけがない場合も中途半端な論評は控え、閲覧者の一人となっています。とりわけ前回のコメント欄では市場原理の問題まで論点が広がり、非常に難解なレベルとなっていたため、熟読しながら提起された内容等を何とか理解できるように努めていました。
そもそも前回の記事は、あれほど非常識な言動を繰り返している竹原市長ですが、それでも支持する根強い声があることを訴えたものでした。西日本新聞による最新の調査で、阿久根市民100人に「市長は交代すべきか」と問いかけたところ51人が「はい」、「いいえ」が33人、「どちらでもない」が16人という結果でした。まだ3割の阿久根市民が竹原市長の続投を望み、市長の「市職員高給」批判への賛同は過半数を占めていることが分かりました。
このような結果に対し、公務員への「厚遇」批判がなくならない限り、これからも竹原市長のような手法が支持されていくという見方は大半の方々と共有化できるものでした。それでは「どうしたら良いのか?」という選択肢においては、個々人の思いが枝分かれしていく実情であるようです。そのことは前回記事のコメント欄を通し、幅広い視点からのご意見があることを改めて認識する機会となっていました。それぞれのご意見すべてを紹介できませんので、ぜひ、コメント覧をご覧になってください。
その中で、あっしまった!さんの「公務従事者を民間の待遇に引きずり下ろしても、民間の待遇が良くなるとも思えないし。誰も幸せにならないという気がする」、mobileSEさんの「地方公務員であってもあらゆる意味で能力の底上げが求められており、自らに批判的な目に対しても説明し納得を得られるだけの能力が無ければ、その待遇は下がって当然です」という言葉が大きくうなづけるものでした。
確かに「民」と「官」の役割などが異なりますので、そこに働く人たちの性格も異なる理屈が成り立ちます。一方で、本来は民間賃金の平均を反映した水準が公務員賃金であるはずですが、そのように見られていない現状なども受けとめなければなりません。人事院の調査が企業規模50人以上、かつ事業所規模50人以上を対象としているため、その「50人」という基準では民間の平均とは呼べないという指摘が加えられがちでした。
さらに地方公務員も国家公務員の賃金水準を土台としているため、とりわけ地方の場合、地場賃金との差が特に強調されていました。この間、地域給制度の導入など一定の見直しがはかられていますが、どうしても竹原市長のような言い分が評価される現状だと言えます。そして、日本列島の上空100kmから俯瞰されている、あまのじゃくさんからは非常に難しい投げかけが続いていました。
市場原理にさらされていない公務員の「特権」の問題であり、1千兆円に届く国の負債をどのように返済していくのかという大所高所からの提起でした。また、パイは有限であるため、笑う人が出れば、泣く人が出るという構図についても、あまのじゃくさんが常々指摘されている点です。そのパイの配分に向けては、公正な競争が必要であり、公務員の待遇や生活保護という福祉制度などは歪んだ「特権」であるという主張をお持ちでした。
そのような「特権」を受けている人たちが「せめて自分の言い分を1/3にしましょう!そうすれば500兆円位は返せるかもしれません。・・で?公務員さんは、どの程度頑張ってくれるのですか?」という問いかけが、あまのじゃくさんからの最新のコメント内容の一部でした。この問いかけに対し、私からのレスは決して適確なものではありませんでした。今回の記事本文を綴りながら、さらに明解な言葉を探しましたが、現時点ではその時の内容から踏み出すことができていません。
広い視野で物事をとらえていくことの重要さも理解しているつもりですが、大半の人は1千兆円の負債を日常的に意識していないことも間違いありません。その問題が深刻であることは言うまでもありませんが、すべてが1千兆円の問題に帰結していく発想もいかがでしょうか。やはり司、司の役割の中で、一つ一つの問題を解決していくことが一般人の務めであり、身の丈にあった判断だろうと考えています。
1千兆円返済の問題に対して何も答えていない記述ですが、当面する私自身の課題は次のとおりだと認識しています。処遇に見合った働きぶりであることが住民の皆さんから評価をいただけること、そのような役割や責任を負っていることの適確な説明責任、合わせて労働組合に対しても適切な評価を得られるよう努力することが課せられた司、司の責任だと受けとめています。
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