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2010年3月27日 (土)

司、司の責任

このブログは週に1回、新規記事を投稿しています。その際、記事タイトルとは関係ない時事の話題を冒頭に触れる時が少なくありませんでした。カテゴリーを「日記・コラム・つぶやき」としていますので、気ままに最新の出来事などへの感想を述べるのも自由なのでしょうが、最近は時事の話題を意識的に触れないようにしています。

時節柄、おのずから政治に関する話題が多くなると考えているからでした。普天間基地の移設問題や生方副幹事長の解任騒動など、書き連ねれば1回分の記事となるぐらい論評したいことがあります。ただ少し前に政治的な話題の取り上げ方については、慎重を期する考えをお伝えしていました。したがって、政治的な話題に対しては生半可な取扱いを避けるように心がけています。

その際にも記したことですが、今後一切、このブログで政治的な話題を取り上げない訳ではありません。そのようなテーマに切り込む場合は、記事タイトルに掲げながら正面から扱っていく予定です。特に記事の冒頭に時事ネタとして気軽に取り上げたつもりでも、思いがけない反応を得て、論点が拡散してしまう恐れもあるため、なるべく最近はスッと本題に入るように努めていました。

さて、前々回記事「再び、阿久根市のその後」に比べ、一転して前回記事「それでも支持される竹原市長」に対してはコメントの数が増えました。やはり幅広い視点から様々なご意見や感想を伺えることが当ブログのセールスポイントだと思っています。週に1回しか更新しない一個人のブログへ毎日千件前後のアクセスをいただけるのも、多くの皆さんから中味の濃いコメントが寄せられるおかげだと感謝しています。

と言いながら、貴重な提起に対して個別に論評できない力不足については、いつもご理解ご容赦をいただいているところでした。また、直接的な問いかけがない場合も中途半端な論評は控え、閲覧者の一人となっています。とりわけ前回のコメント欄では市場原理の問題まで論点が広がり、非常に難解なレベルとなっていたため、熟読しながら提起された内容等を何とか理解できるように努めていました。

そもそも前回の記事は、あれほど非常識な言動を繰り返している竹原市長ですが、それでも支持する根強い声があることを訴えたものでした。西日本新聞による最新の調査で、阿久根市民100人に「市長は交代すべきか」と問いかけたところ51人が「はい」、「いいえ」が33人、「どちらでもない」が16人という結果でした。まだ3割の阿久根市民が竹原市長の続投を望み、市長の「市職員高給」批判への賛同は過半数を占めていることが分かりました。

このような結果に対し、公務員への「厚遇」批判がなくならない限り、これからも竹原市長のような手法が支持されていくという見方は大半の方々と共有化できるものでした。それでは「どうしたら良いのか?」という選択肢においては、個々人の思いが枝分かれしていく実情であるようです。そのことは前回記事のコメント欄を通し、幅広い視点からのご意見があることを改めて認識する機会となっていました。それぞれのご意見すべてを紹介できませんので、ぜひ、コメント覧をご覧になってください。

その中で、あっしまった!さんの「公務従事者を民間の待遇に引きずり下ろしても、民間の待遇が良くなるとも思えないし。誰も幸せにならないという気がする」、mobileSEさんの「地方公務員であってもあらゆる意味で能力の底上げが求められており、自らに批判的な目に対しても説明し納得を得られるだけの能力が無ければ、その待遇は下がって当然です」という言葉が大きくうなづけるものでした。

確かに「民」と「官」の役割などが異なりますので、そこに働く人たちの性格も異なる理屈が成り立ちます。一方で、本来は民間賃金の平均を反映した水準が公務員賃金であるはずですが、そのように見られていない現状なども受けとめなければなりません。人事院の調査が企業規模50人以上、かつ事業所規模50人以上を対象としているため、その「50人」という基準では民間の平均とは呼べないという指摘が加えられがちでした。

さらに地方公務員も国家公務員の賃金水準を土台としているため、とりわけ地方の場合、地場賃金との差が特に強調されていました。この間、地域給制度の導入など一定の見直しがはかられていますが、どうしても竹原市長のような言い分が評価される現状だと言えます。そして、日本列島の上空100kmから俯瞰されている、あまのじゃくさんからは非常に難しい投げかけが続いていました。

市場原理にさらされていない公務員の「特権」の問題であり、1千兆円に届く国の負債をどのように返済していくのかという大所高所からの提起でした。また、パイは有限であるため、笑う人が出れば、泣く人が出るという構図についても、あまのじゃくさんが常々指摘されている点です。そのパイの配分に向けては、公正な競争が必要であり、公務員の待遇や生活保護という福祉制度などは歪んだ「特権」であるという主張をお持ちでした。

そのような「特権」を受けている人たちが「せめて自分の言い分を1/3にしましょう!そうすれば500兆円位は返せるかもしれません。・・で?公務員さんは、どの程度頑張ってくれるのですか?」という問いかけが、あまのじゃくさんからの最新のコメント内容の一部でした。この問いかけに対し、私からのレスは決して適確なものではありませんでした。今回の記事本文を綴りながら、さらに明解な言葉を探しましたが、現時点ではその時の内容から踏み出すことができていません。

広い視野で物事をとらえていくことの重要さも理解しているつもりですが、大半の人は1千兆円の負債を日常的に意識していないことも間違いありません。その問題が深刻であることは言うまでもありませんが、すべてが1千兆円の問題に帰結していく発想もいかがでしょうか。やはり司、司の役割の中で、一つ一つの問題を解決していくことが一般人の務めであり、身の丈にあった判断だろうと考えています。

1千兆円返済の問題に対して何も答えていない記述ですが、当面する私自身の課題は次のとおりだと認識しています。処遇に見合った働きぶりであることが住民の皆さんから評価をいただけること、そのような役割や責任を負っていることの適確な説明責任、合わせて労働組合に対しても適切な評価を得られるよう努力することが課せられた司、司の責任だと受けとめています。

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2010年3月21日 (日)

それでも支持される竹原市長

記事の内容によって、コメントの投稿数は大きく変わります。当たり前な話ですが、私どもの組合や役所に関するローカルな話題の時は、寄せられるコメントの数が少なくなっていました。前回の記事は「再び、阿久根市のその後」という一地方の話題ですが、ご存知のとおり全国的に注目を集めている竹原市長を取り上げた内容でした。

これまでの傾向からすれば、竹原市長の言動に対して賛否それぞれのコメントが数多く寄せられるものと思っていました。それが意外にも新規投稿した当日の夜、あっしまった!さんからお寄せいただいた後、しばらくコメント投稿がパタッと止まっていました。一方で、アクセス数は普段千件前後のところ週の初めは2千件を超え、決して訪問者数が減った訳ではありませんでした。

したがって、竹原市長の言動を冷ややかに見られている方々からすれば、「もう今さら語る言葉はない」という心境に至っているのだろうと受けとめていました。また、竹原市長を支持されている方々に関しては議会出席のボイコットなど、ここまで常軌を逸した姿を見せられると正面から擁護しにくいのだろうと思っていました。このような賛否それぞれの側の見方ができ、結果的にコメントの投稿数が減っているのだろうと想像していました。

それでも市長派と言われる阿久根市議会議員の皆さんのブログの記事からは、次のとおり竹原市長を支持する声も聞こえていました。

市長派の議員は4人ですが、ブログを開設されているのは上記の皆さんでした。微妙な個々のとらえ方の違いも垣間見れていますが、基本的にはマスコミの排除を求めた市長の申し出を拒んでいる「議会側が悪い」という論調でした。特に「議会が審議拒否」という記事タイトルを付けている山田議員の発想は、竹原市長自身の独善的な視点と共通するものでした。

竹原市長の支持を訴えて当選してきた議員の皆さんは、ある意味で「運命共同体」であり、理屈以前に擁護しなければならない立場であろうと思います。しかし、そのようなしがらみがない皆さんの中でも、議会ボイコットという信じられない行為も含めて根強く支持する声が少なくありませんでした。このブログでも何回か紹介したことがある「竹原信一という男」を通し、そのような意見に接することができます。

そのブログの管理人、そうるふれんどさんは3月5日の記事(議会拒否)で「このままでは残念でならない」と竹原市長の行動へ苦言を呈されていました。それが3月11日の記事(道理を通すと「駆け引き」になる)では「単純すぎた。いや、浅はかだった」と反省しながら、「日本中の市民が、その騒動の本質をどれほど読めるかにかかっている。そうでないと、自分を捨ててまで改革に乗り出している竹原信一という男の志と覚悟はうかばれないだろう」という内容に変わっていました。

そうるふれんどさんは、百花繚乱もしくは玉石混淆となりがちなBBSの管理に際しても非常に公正な運営に努められ、ご自身が綴られる文章からも落ち着いた雰囲気を感じられる方でした。そのような方でも、問題が多い議会改革のために体を張っている竹原市長というような見方を強め、一連の議会軽視の姿勢を肯定されていくことに大きな違和感を抱かざるを得ませんでした。

よく取り沙汰される話ですが、改革が必要な現状を打破するためには、これまでの発想や手法では限界があり、竹原市長のような常識を超えた実行力が求められがちでした。重要な目的の達成のためには、法律を守らないことも許される、どのような手段を取っても正当化される、そのように考える方々が決して多いとは思っていません。それでも竹原市長を支持されている皆さんの心の奥底にはその思いがあるため、裁判所の命令拒否や議会ボイコットなど非常識な行為まで許容してしまうのではないでしょうか。

最新号の『AERA』(2010年3月22日号)の中で、気になる記事がありました。“「高い給料」と自治労”という見出しが付けられ、各課の窓口に人件費総額を記した阿久根市役所の張り紙の話からその記事は始まっていました。「行政コストの現実を、市民と職員に知ってもらうため」と説明する竹原市長の言葉につなげ、その政治手法に批判は多くても「市職員と市議が、成果にみあわない高い給料を搾取している」という問題意識を評価する論調で記事はまとめられていました。

そして、見出しにあるとおり「高給を死守する」自治労と竹原市長との対決という構図が強調され、その関係性においては竹原市長が絶対的に正しく、自治労は「市民の敵」という意図を強く感じる記事内容でした。政治評論家の福岡政行さんのコメントも掲げられていましたが、竹原市長の政治手法などには問題があるとするものの「人件費の明細を公開し、官民格差の現状を知らしめた意義は大きい。税金を納めている市民よりも税金を給与にしている公務員の方が給料がはるかに高いのは、不自然で道理に反する」というものでした。

それに対し、自治労側のコメントも紹介されていましたが、「民間との格差は理論上はないはずだし、仮にあるとしても、我々がそれを議論して決めているわけではない」という短い内容のものにとどまり、労働基本権制限を逆手に取った釈明のような記事の流れとしていました。他にも随所に自治労に対してネガティブな印象を与える記述の多さが気になりました。

このような論調がそのまま受けとめられ、広く支持されていった場合、これからも竹原市長のような言動が一定許容されていくことを懸念しています。やはり一面的な情報で、私たち公務員やその組合が批判されてしまうほど残念な話はありません。多面的な情報や考え方を適確に発信し、その上で「厚遇なのか、厚遇だった場合、どのように改めるべきか」の議論が大事だろうと思っています。そのためにも手前味噌で恐縮ですが、このブログを通して公務員側の言い分などを主張していく意義があるものと考えています。

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2010年3月14日 (日)

再び、阿久根市のその後

以前にも書いたことですが、このブログへのアクセス数が「いつもより多いな」と感じた日は、阿久根市の竹原市長が全国的に注目される話題を振りまいている時でした。「阿久根市のその後」 という記事がGoogleの検索エンジンのトップページに並んでいるため、「阿久根市」を検索ワードとした方々が多数訪れてくださるからでした。ちなみに昨年の6月以降、次のような内容の竹原市長に絡む記事を投稿してきました。

その都度、たくさんのコメントをいただき、竹原市長の言動を巡って賛否両論、様々な意見が交わされてきました。私自身の考え方は、竹原市長のめざしている方向性の是非を議論する以前の問題として、あまりにも進め方や手法が乱暴すぎるため、とても容認できないというものでした。その理由については「竹原市長の問題点」という記事で、改めて自分なりの問題意識を訴えていました。

竹原市長に絡む話題はその後も途絶えることがなく、1月1日に予定されていた職員の定期昇給を仕事納めの12月28日に突然見送る方針を一方的に決めました。年が明けて2月23日には、昨年4月1日付の人事異動で降格された元課長ら3人が不服を申し立てた問題で、阿久根市の公平委員会が「違法かつ不当」と判断し、「処分取り消し」を判定していました。

3月3日には、張り紙をはがしたことで懲戒免職になった職員の処分の効力停止を命じた裁判所の決定に従わない問題で、未払い給与約220万円を払うよう阿久根市に求めた訴訟の判決が示されました。鹿児島地裁は職員側の訴えを認め、昨年10月の効力停止決定後の給与やボーナスを支払うよう命じていました。

しかしながら竹原市長は公平委員会や裁判所の判断を無視し、徹底抗戦の構えを見せています。給与の支払いに関しては、このまま従わない場合、阿久根市の預貯金が裁判所によって差し押さえられる前代未聞の事態に至るところまできています。「法律は所詮道具であって、最終的に守るべき物の順番の内にも入らない」という竹原市長の持論を体現している騒動の数々だと言えます。

つい最近では、気に入らないマスコミが議場の傍聴席にいるからという理由で、竹原市長ら市執行部が本会議をボイコットしていました。その後の委員会でも議会軽視の非常識な方針が竹原市長から発せられたため、イエスマンを強いられている阿久根市執行部の課長らは理不尽な答弁拒否を繰り返していました。その模様や竹原市長の言い分を伝えているマスコミの記事は次のとおりでした。

阿久根市長、課長らに答弁禁止令 ブログで議会批判

8日開かれた鹿児島県阿久根市議会の産業厚生委員会で、継続案件の説明を求められた担当課長が「市長から発言を禁止されている」と答弁を拒んだ。委員会が竹原信一市長を呼んで説明を求めたところ、市長は「議会がしっかり議論していない」などと発言し、退席。さらに市長はこの日更新したブログで、今後の執行部の議会答弁について「『市長から言われました、答えません。市長の命令です』これでいきます」と課長らに訓示したことを明らかにした。

委員会は昨年12月議会から継続調査としている学童保育など保育行政案件について検討するため、午前10時に開会した。担当の生きがい対策課長が答弁を拒んだため、竹原市長を呼んで「なぜ答弁させないのか」と尋ねたところ、市長は「私は再選されても議会からは不信任の状況で聞き入れてくれない。議会がしっかり議論していない」と返答。案件の説明をしないまま10分間ほどで退席したという。

委員会は時期をみて、再びこの案件を審査することにした。市議会の定数は16。木下孝行委員長は「議会ルールを無視している。意に沿わない議会が悪いといわれても困る」と話す。4人いる市長派の1人、石沢正彰議員は「反市長派議員は市長の足を引っ張ることしかやっていない。市長はいろんな機会を通じて市民に説明責任を果たしていくと思う」と市長を擁護した。

一方、竹原市長は同日午後6時すぎにブログを更新。時期ははっきりしないが、市長が課長会で訓示した内容を掲載した。ブログではまず冒頭で「あらゆるところで足を引っ張ろうとする議会とは決着をつけます」とした上で、「議会ははっきり言って『多数派の人たちは邪魔するために質問をする』という状態です。こんなのに皆さんが全部答える必要はない。『市長から言われました、答えません。市長の命令です』これでいきます」とした。

ほかにも「今のバカみたいな状況は、決着しなければいけない。本当ならば、前の選挙のときに不信任を受けて、また私が再選したのだから、私に任せるというのが市民の意向、意思の反映である。多数派議員たちはまずそこのところが納得できていない、分かっていない」と議会を批判。「議会とは決着をつけます」とした。竹原市長はマスコミが議会の傍聴席にいることを理由に新年度予算案の総括質疑が予定されていた4、5日の市議会本会議への出席を拒否し、議会が空転した。延期になった新年度予算の総括質疑は10日に予定されている。【asahi.com2010年3月8日

結局、3月10日の本会議も竹原市長らは出席せず、21年度補正予算は市執行部側不在のまま原案を可決するという異例の展開をたどっています。このような議決は市民サービスへの影響を憂慮した議会側の判断だったようです。そもそも議会の召集は、竹原市長本人が行なっているものです。召集した本人が身勝手な理屈で、職務を放棄するという行動に大義は絶対あり得ないものと思っています。

議会の会議は公開の原則があり、傍聴や報道の自由が保障されなければなりません。さらに議場内にマスコミ関係者を入れるかどうかの判断は市長になく、議長の権限であることも常識的な話です。また、「私が再選したのだから、私に任せるというのが市民の意向」という考え方も偏っています。竹原市長は二元代表制の意味を知らないのかどうか分かりませんが、首長と議員それぞれが市民の代表であり、対等な立場で市政に向き合っていく役割を担っています。

したがって、議会構成の中で反市長派の議員が多数を占めている現状も、阿久根市民の意思であることを受けとめなくてはならないはずです。前回記事「定期昇給の話」のコメント欄で竹原市長の話題が出た時、阿久根市の課長らが抵抗しない姿勢に対して非難する声も上がっていました。「どんどん免職されて胸を張って戦えば良い」というご意見でした。

確かにそのような指摘も理解できますが、阿久根市の課長らが服従せざるを得ない現況についても一概に批判できないものと見ています。本来、行政の継続性や安定性を重視し、4年ごとに選挙がある首長の恣意的な人事に対抗するため、公務員の身分保障も位置付けられていました。しかし、竹原市長のような法律を無視する規格外の首長が登場するとは想定できなかった事態であることも間違いありません。

このように竹原市長の言動を論評していくと尽きることがありません。それでも最近、本会議ボイコットの報道を耳にした組合員から「ブログで阿久根市長のことは書かないのですか」と尋ねられましたが、「今のところ予定はありません」と答えていたところでした。仰天する話題の連続であり、取り上げれば切りがないほど書き込めるのですが、どうしても竹原市長絡みの記事は必然的に批判する内容が多くなるため、そのことを歓迎しない声も少なくないからでした。

そのように考えていた時、「今さら竹原市長を批判しても」というご意見の一人だったmobileSEさんから下記の報道のような「職務命令」に対しては、声を大にして触れるべきというご指摘を受けました。「こちらのブログは件の市長の後援会サイト管理者を始め阿久根市に関係する人も多少は見ている様ですので、是非取り上げるべきです」と勧められていました。さっそく当該のニュースを見つけましたが、確かに公開「リンチ」のような場になる可能性がある懲罰的な「職務命令」でした。

阿久根市長、対立職員らに異例の出席命令 市長派懇談会

鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が、降格人事で不服を申し立てた職員や市職員労働組合の幹部職員ら8人に、市の主催する市民懇談会に出席するよう命じたことが9日、わかった。「職員研修の一環」との位置づけだが、過去の懇談会は市長支持者の参加が多かったことから、反市長派の市議から「職員の糾弾が目的ではないか」と懸念の声が上がっている。

出席を命じられたのは、昨年4月1日付の人事異動は降格処分だと市の公平委員会に不服を申し立て、同委員会が2月、降格人事を取り消す判定を出した50代の男性職員3人と、市職労の役員4人を含む計8人。竹原市長と市職労は、組合事務所の使用問題などをめぐって対立状態にある。

命令は8日付の文書で出された。市民懇談会は、市長が呼び掛けて定期的に開いている会合で、14日午後6時から市民会館で開かれる。関係者によると、8人は「市民の声を行政に生かすため」との理由で出席を求められたという。これまでの懇談会は総務課の職員が出席しており、同課以外の職員の出席は異例。反市長派の市議の一人は「竹原市長の支持者が多い会合なので職員らが糾弾されるのではないか」と懸念する。

阿久根市職労を支援している自治労県本部は対応を検討中。高橋誠書記次長は「また職員のクビが切られかねないので慎重に協議している」と話している。竹原市長は1月の仕事始め式で「命令に従わない職員はやめてもらう」と訓示。強権的な色合いを強めている。【asahi.com2010年3月9日

この市民懇談会の様子は、早ければ日曜の夜のうちに情報として得られるはずです。詳しい内容などが分かりましたら、コメント欄の中でお伝えしていくつもりです。いずれにしても首長や上司からの理不尽な命令は、毅然と意見具申できる組織が健全な姿ではないでしょうか。そのたびに自分のクビを心配しなければならない阿久根市は、やはり異常であるものと言わざるを得ません。

最後に、竹原市長の著書『独裁者』が書店に置いてあれば、購入して目を通してみるつもりでした。わざわざ予約するほどの魅力を感じないため、今のところ手に入れることができていません。インターネット上で知り得る話として、「素晴らしい」と評価する声がある一方、酷評するコメントも少なくありません。きっと私自身も実際に読めば、この「本日の産経SHOWと阿久根政界NOW」の管理人さんと同じような感想を抱くのだろうと想像しています。

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2010年3月 7日 (日)

定期昇給の話

いろいろな意味で、あわただしい日々が続いています。一方で、たいへん意義深い議論が当ブログを通し、精力的に行なうことができています。それでも公務員の働き方や処遇のあり方について、もっと深めた議論を求められている方々にとって、まだまだ消化不良であろうと思っています。その中で、横道にそれた内容で恐縮でしたが、前回記事「鳩山首相の軽率な発言」は、自分にとっての労力や気力の面からも「箸休め」ようなものでした。

しかし、思いがけない厳しい批判の声がmobileSEさんから寄せられました。同じように感じる方々も多数いらっしゃるのでしょうから、そのような反発があり得ることを認識する機会となっていました。このような反応を想像できなかった感度の鈍さを省みながら、常々述べてきた点ですが、ネット上に書き込むことによって幅広い意見を伺える貴重さを改めて感じ取っています。

mobileSEさんからは連合と民主党との関係性など、様々な問題提起が示されていました。ぜひ、全体的な内容は前回記事のコメント欄をご覧ください。その他にも前回記事のコメント欄では、複数の方々による興味深い議論が続きました。いろいろ論点は広がっていましたが、その議論などを踏まえ、今回の記事では定期昇給の話に絞って掘り下げてみるつもりです。

鳩山首相の定期昇給に絡む発言に対する評価が、世論の中で枝分かれしていく可能性があることは分かりました。しかし、そのように思わない労働者の声が多いことも間違いありません。ベースアップは無理でも「せめて定期昇給は実施して欲しい」という願いが強ければ、やはり違和感が生じる発言だったはずです。

また、鳩山首相の発言が軽率かどうかの話ですが、私は軽率だったと思っています。「連合の考えとすれば理解できる。ただ、経済状況はそう簡単ではない。経営者にとってみて、簡単に昇給できるという状況ではないと思う。しかし、内需拡大の側面からも、ぜひ、経営者側にも努力いただきたい」と一言添えるだけでも、連合側の印象は大きく違ったものと思っています。

前回の記事タイトルで、問題視した発言が計算され、強い信念を持って鳩山首相が発信しているのであれば「軽率」という形容詞を使っていません。そもそも鳩山首相をはじめ、オールマイティーに物事のすべてを把握できる人物は稀であろうと思っています。「実は真意は違った」という釈明につながるのは、鳩山首相にとっても、民主党にとっても好ましくないものと感じています。

したがって、状況に応じ、支援した組織としての責任を果たすためにも、伝えていくべきことは伝えていくことが重要です。その際、連合の「ゴリ押し」や「横槍」と見られないような節度を持った距離感を意識しながら、同時に労働者の問題は「連合が支えている政権だから安心」という評価を幅広く得られていくための情報発信が求められているはずです。

このような個人的な問題意識を前置きとしながら、話題となった定期昇給の位置付けや現状などを今回の記事でまとめてみます。かなり前の記事「八代尚宏教授の発言 Part2」で、八代教授の著書「雇用改革の時代」の中の記述を紹介したことがあります。日本的雇用慣行の柱である定期昇給などについて、「企業が労働者の長期雇用を保障するのは温情ではなく、企業の教育訓練投資の成果である熟練労働者を重視したものであり、年功賃金と退職金制度は熟練労働者を企業に縛りつける仕組みである」と述べていました。

労働組合の立場からは、生活給という位置付けで定期昇給をとらえ、子どもの教育費など人生の支出が増える時期に比例して賃金が上がる年功給を合理的なものだと考えていました。スキルアップと生活の変化に対応しながら、働く側にとっては安心して将来の生活設計を描け、経営側にとっては帰属意識の高い人材の安定的な確保や企業内教育を通じた労働生産性の向上がはかれ、双方のメリットがこのような仕組みを支えてきました。

ちなみにベースアップとは賃金水準の引き上げであり、賃金表全体の数字が書き換えられます。定期昇給とは先輩に追いつくための個人別賃金の上昇であり、賃金表において上位の水準への移動となります。つまり勤続年数や年齢を重ねることによって、その賃金表に基づき一定の額が定期的に上がる仕組みでした。一方で、中小企業の約半数は賃金表がなく、定期昇給制度が確立していません。

連合に結集する労働組合の中でも、春闘を通して新年度からの昇給額を決める組合も少なくないようです。そのため、連合は今春闘において「最低限、賃金カーブの維持」という統一的な要求表現としていました。このような実態もありますが、基本的には官民問わず、定期昇給は日本特有の終身雇用制度を支える基礎だったことに間違いありません。

しかしながら1990年代以降、年功序列的な賃金体系を見直す動きが相次ぎ、定期昇給自体を廃止する大手企業も少なくありませんでした。企業が熾烈な国際的な競争に勝ち抜くため、人件費抑制の一環として年功給が見直され始めたと言えます。さらに成果主義の広がりとともに日本型の雇用慣行を大きく改める企業も急増していました。なお、今春闘で連合は、年功給を改めて重視していく立場からも定期昇給の実施を強く求めているようです。

いずれにしても公務員賃金は情勢適応の原則があり、そのような社会的な変化に呼応しなければなりません。しかし、民間でも決して年功給そのものが例外となっていない中、公務員の賃金表は引き続き年功序列を基本としています。その上で、50歳代の一定年齢での昇給停止などの見直しが取り入れられてきました。

「公務員の賃金は高い」と言われがちですが、この年功給を重視した体系も一つの要因となっています。特に地方自治体では職員数抑制の行政改革が進む中、新規採用が手控えられてきました。その結果、年功給の上位に位置付く高齢層の割合が高まり、よりいっそう平均賃金の額として「高い」という印象を与えているものと思います。

このような情勢の中、人事委員会勧告に基づく賃金水準の引き下げが続く一方、各自治体では賃金表の独自な見直しも進められていました。私どもの市でも昨年3月、賃金表の大きな見直しについて労使合意しました。最高号給額(月額給料)の引き下げとともに賃金上昇カーブを全体的に改めました。ちなみに比較的人数の多い非現業主任職の最高支給額は434,3000円から402,300円へ改めました。

その際、現行の支給額が新たな賃金表の最高額を上回っていた場合、現給を保障していくことで決着しました。その結果、役職が上がらない限り、職員の多くは50歳になる前から退職まで昇給しない賃金体系となりました。組合役員の立場からすれば誇れる話ではありませんが、mobileSEさんのように「下がった訳でもないでしょう」という辛口な見方も残ります。また、「それまでがもらいすぎ」「見直した後の額だって恵まれている」というような声も示されるのかも知れません。

大幅に見直した昨年の4月以降、東京都人事委員会勧告を基本に今年1月から平均△0.35%、この4月から昨年の交渉結果を踏まえ、さらに△0.24%の賃金引き下げを受け入れています。実は昨年の決着の際、毎年1月1日現在の類似団体8市の平均値を基準に見直していくことを確認していました。私どもの市だけ三多摩他市と比べて低水準とならない歯止めをかけたものと言えますが、賃金交渉が受動的になりがちな点などを総括しています。

定期昇給の話から私どもの市の現況などに触れてみました。当たり前なことですが、今春闘の争点となっている定期昇給の凍結は、年齢層を問わず賃金水準が据え置かれることになります。官民問わず全体的な状況として、高齢層の賃金は抑制気味であり、定昇が頭打ちの場合もあり得ます。その一方で高齢層の賃金は、ある程度の水準まで到達しているという見方もできるため、定昇の一律ストップは若年層への影響が大きくなるものと考えています。

mobileSEさんから「労組というところは若手の待遇すら人質にして、頑なに年寄りの待遇を確保するのだなと思う訳ですよ」という批判的な意見が寄せられていました。「労組は悪」という決め付けが感じられる残念な言われ方でしたが、基本的な前提として前述したような問題意識を抱えている中での「定期昇給の凍結は若年層の賃金も一律に抑制してしまいます。そのような意味合いからも、定期昇給の実施は必要であるものと考えています」という思いだったことを改めて強調させていただきます。

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